本能寺の変で、信長が光秀に殺されたとき、
近くには、二男や三男や他の忠臣もいたけど、
誰もすぐに駆けつけて光秀を討とうとしなかった。
みな形勢を観望していたんです。
秀吉の偉いところは、
”わしが死ぬか、光秀が死ぬかどちらか”
備中から京都に駆けつけて、
他の諸将にも誰にも相談しないで、
自分だけで光秀をやっつけてしまった。
”主人の敵と同じ日のもとに生きていることは許さず”
が当時の常識でした。
当時の道徳にいちばん従ったのが秀吉なんです。
勝つか負けるかということよりも大事なことは、
主君の敵とは、ともに生きてはいかんという事。
当時の道徳にいちばん素直だった秀吉に
運命が転がり込んできたのは当然なんです。
戦術とか戦略とか、そういうもの以上に、
大事なのはそのときの道徳に従うということ。
秀吉は何が正しいかということで行動したんです。
勝ってもよし、負けてもよし、やるべきことをやる。
そういう諦めがつかないと大事は決行できないんです。
by VISAemon