事件名
在留期間更新不許可処分取消
昭和50(行ツ)120

法廷名
最高裁判所大法廷

裁判種別
判決

結果
棄却

判例集等巻・号・頁
民集 第32巻7号1223頁

原審裁判所名
 東京高等裁判所

原審事件番号
昭和48(行コ)25

原審裁判年月日
昭和50年09月25日

判示事項
一 外国人のわが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利と憲法の保障の有無
二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断と法務大臣の裁量権
三 出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無についての判断と裁判所の審査の限界
四 わが国に在留する外国人と政治活動の自由に関する憲法の保障
五 外国人に対する憲法の基本的人権の保障と在留の許否を決する国の裁量に対する拘束の有無
六 外国人の在留期間中の憲法の保障が及ばないとはいえない政治活動を斟酌して在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由がないとした法務大臣の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものということはできないとされた事例

裁判要旨
一 外国人は、憲法上、わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されていない。
二 出入国管理令二一条三項に基づく在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断は「法務大臣の裁量に任されているものであり、上陸拒否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新を不許可にすることが許されないものではない。
三 裁判所は、出入国管理令二一条三項に基づく法務大臣の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由の有無の判断についてそれが違法となるかどうかを審査するにあたつては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができる。
四 政治活動の自由に関する憲法の保障は、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても及ぶ。
五 外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、在留の許否を決する国の裁量を拘束するまでの保障すなわち、在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情として斟酌されないことまでの保障を含むものではない。
六 上告人の本件活動は、外国人の在留期間中の政治活動として直ちに憲法の保障が及ばないものであるとはいえないが、そのなかにわが国の出入国管理政策に対する非難行動あるいはわが国の基本的な外交政策を非難し日米間の友好関係に影響を及ぼすおそれがないとはいえないものが含まれており、法務大臣が右活動を斟酌して在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとはいえないと判断したとしても、裁量権の範囲を超え又はその濫用があつたものということはできない。

参照法条
憲法第3章,憲法19条,憲法21条,憲法22条1項,出入国管理令21条3項,行政事件訴訟法30条

集民178号279頁

(判例要旨=集民178号)
一 出入国管理友ぴ難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの)四条一項一六号、同法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの)二条三号に基づく在留資格をもって本邦に在留する外国人の在留期間の更新申請に対し在留期間を一年と指定して許可する処分の取消しを求める訴えは、その利益を欠く。
二 外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの)一四条は、憲法一三条、一四条に違反しない。


主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。


理由
一 上告代理人の上告理由書(一)記載の上告理由第一章第一について
  原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人は、本件処分当時、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの)四条一項一六号、同法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの)二条三号に基づく在留資格をもって本邦に在留する者に当たるというべきである。右のような在留資格で本邦に在留する外国人については、当然に一定期間本邦に在留する権利が保障されているものということはできないから、その在留期間の更新申請に対し、在留期間を一年と指定してこれを許可した本件処分が、上告人の権利ないし法律上保護された利益を侵害するものであると解することはできない。したがって、本件処分の取消しを求める訴えは、その利益を欠くから、これを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。
二 同第一章第四について
  在留期間を三年と指定して在留期間の更新を許可することを求める訴えを不適法として却下すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に
立って原判決を非難するものにすぎず、採用することができない。

三 上告代理人の上告理由書(一)記載のその余の上告理由及び上告理由書(二)記載の上告理由について我が国に在留する外国人について、外国人登録法(昭和六二年法律第一〇二号による改正前のもの。以下同じ。)一四条は、同法一条の「本邦に在留する外国人の登録を実施することによって外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」という目的を達成するため、戸籍制度のない外国人の人物特定につき最も確実な制度として、指紋押なつ制度を採用したものであって、その立法目的には十分な合理性があり、かつ、必要性も肯定することができる。そして、上告人が指紋押なつを拒否した昭和六〇年六月二七日当時における制度の内容は、押なつ義務が五年に一度で、押なつ対象指紋も一指のみであり、加えて、その強制も罰則による間接強制にとどまるものであって、精神的、肉体的に過度の苦痛を伴うものとまではいえず、方法としても、一般的に許容される限度を超えない相当なものであったと認められる。したがって、外国人登録法一四条は、憲法一三条に違反するものではない。
  また、在留外国人を対象とする指紋押なつ制度には、右のような目的の合理性、必要性、相当性が認められ、戸籍制度のない外国人については、日本人とは社会的事実関係上の差異があって、その取扱いに差異
を設けることには合理的根拠があるので、外国人登録法一四条は、憲法一四条に違反するものでもない。

  以上のように解すべきことは、当裁判所大法廷判決(昭和四〇年(あ)第一一八七号同四年一二月二四日判決・刑集二三巻一二号一六二五頁、同五〇年(行ツ)第一二〇号同五三年一〇月四日判決・民集三二巻七号一二二三頁、同二九年(あ)第二七七七号同三一年一二月二六日判決・刑集一〇巻一二号一七六九頁、同二六年(あ)第三九一一号同三〇年一二月一四日判決・刑集九巻一三号二七五六頁、同三七年(あ)第九二七号同三九年一一月一八日判決・刑集一八巻九号五七九頁)の趣旨に徴して明らかであり(最高裁平成二年(あ)第八四八号同七年一二月一五日第三小法廷判決参照)、右に説示したところによれば、外国人登録法一四条が、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年条約第七号)七条、二六条に違反すると解することもできない。これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。

  そして、原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論のその余の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。

  論旨はいずれも採用することができない。

 よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

〔1993(平5)―25〕 X V 法務大臣
 
 東京地方裁判所 1993(平成5)年9月6日
 
 (平3(行ウ)254)
 
日本人の配偶者在留資格――有罪判決確定前に行われた在留期間更新の許否の判断

 原告は、パキスタン・イスラム共和国の旅券を有する外国人であり、日本人の配偶者等の在留資格をもって日本に在留しているところ、一九九〇年六月二七日強盗の被疑事実で逮捕され身柄を拘束されたまま、二件の強盗の事実で同年七月一八日および同年一〇月二二日起訴され、一九九一年七月一九日懲役三年六月の実刑判決(以下「一審判決」という。)の言渡しを受けた。東京高等裁判所は一九九二年五月二七日原告の控訴を棄却する判決を言い渡し、一審判決は同年六月一一日確定した。
 
 原告は、右一審公判中の一九九〇年一〇月一二日、在留期間更新の申請(以下「本件申請」という。)を行った。これに対し被告は、右公判の推移を見守り、一審判決が言い渡された後の一九九一年九月一七日、原告の在留期間更新を不許可とする処分(以下「本件処分」という。)を行った。

 原告は、第一に、憲法一三条、二五条、世界人権宣言一二条、一六条一項、三項、国際人権規約B規約一七条、および二三条にもとづき、〈外国人が日本人の配偶者を有し我が国において家庭を築いて生活している場合において、その外国人に対し在留の継続を許さないことは、当該外国人が憲法上および国際法上保障されている平穏な家庭生活を営む権利を侵害する行為となる〉とし、第二に〈刑事被告人は無罪の推定を受けており、有罪判決が確定するまでは、起訴された犯罪事実の存在を前提とする法的扱いを受けてはならない。本件処分時において有罪の一審判決は言い渡されてはいたが、未だそれが確定してはいなかったのであるから、被告としては更新の許否の判断において一審判決が認定した犯罪事実を考慮すべきではなかった〉と述べ、結局〈本件処分は、判断するにつき斟酌してはならない事由(有罪判決確定前の犯罪事実)を斟酌して行われたという違法があり、かつ、本来判断すべき時期に判断がされず、その結果原告に著しく苛酷で社会的妥当性を欠くに至ったものであって、右処分は裁量権の範囲を越えた違法なものとして取消しを免れない〉と主張した。

 裁判所は、原告の主張の第一点について次のように述べる。

 「『日本人の配偶者等』としての在留資格を認められた外国人についてもその在留期間……の更新については、他の在留資格で在留する外国人と同様に、被告の許可を要するものとし、その更新の許否の判断について、〔一九八九年法律第七九号による改正後の出入国管理及び難民認定〕法は、……当該外国人が日本人の配偶者であることを配慮すべきことを規定しているわけではないから、〔同〕法が、日本人の配偶者である外国人に対し、そうではない外国人とは異なって、原則として在留の継続を要求できるような法的地位を付与していないことは明らかである。また、原告の主張する国連決議や条約は、これによって日本国政府に対し、直ちに、我が国に在留する外国人の在留の継続を保障する義務を負わせるようなものではないし、憲法一三条や二五条をもって、日本人と婚姻した外国人に対し、原則として我が国での在留継続を要求できる地位を保障する趣旨を含むものとも解し難い。」

 次に裁判所は、原告の主張の第二点について次のとおり述べる。

 「被告の行う当該外国人の在留中の行状の認定は、出入国管理行政における外国人の在留期間の更新の許否に関する裁量的判断の前提として行われるものである。原告が主張する無罪推定の原則は、国の刑罰権の発動の可否が問題とされる刑事手続で採用されているものであるから、この原則が、刑事手続とはおよそ制度目的を異にする出入国管理行政に直ちに適用されると解することは困難である。そして、有罪判決確定前に行われた在留期間更新の許否の判断に際しては、その更新を申請する外国人の行状を判断するにつき、刑事手続における起訴事実や判決が認定した罪となるべき事実及び情状に関する事実は、判決が確定していなくても、判断の重要な資料となるのは当然であり、刑事手続における無罪推定の原則が、在留期間更新許否の判断においてこのような事実を考慮されないという原則まで含むとする根拠はないから、この点に関する原告の主張は失当である。」

 そして裁判所は、「刑事訴追を受けている外国人から在留期間更新の申請があった場合に、起訴された犯罪事実を含めた当該外国人の行状について、被告が独自に事実関係の調査をしたうえで許否の判断をするか、起訴事実に関する裁判所の判断を資料とすることとし、そのために裁判所の判断が出るまで許否の判断を保留するかという点についても、被告の裁量に任されているというべきである。原告が起訴された強盗の罪は法定刑が五年以上とされる悪質な犯罪であり、……その罪が認められるか否かに関する裁判所の判断は、当該外国人の我が国における在留継続の許否の判断について重要なものであることはいうまでもない。したがって、被告が、一審判決があるまで、一一月余本件申請に対する判断を保留したからといって、本件処分に裁量権の逸脱、濫用があるとすることはできない」と述べ、本件処分は適法であるとして、原告の請求を棄却した。なお本件は控訴された。
 
(判タ八六四号二〇九頁)

昭和28年10月30日違法処分取消請求上告事件
昭和26年(オ)第412号
上告人(原告・控訴人):A、被上告人(被告・被控訴人):新潟県農地委員会
最高裁判所第二小法廷
昭和28年10月30日

判決
一、主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。

二、理由
上告代理人弁護士〇〇〇の上告理由は別紙記載のとおりである。

上告理由第一点について。
論旨は、原判決は自作農創設特別措置法一五条一項二号の適用を誤つているというのである。
右自作農創設特別措置法一五条一項二号が、同法によつて自作農となるべき者について、その賃借権等を有する宅地建物の、いわゆる附帯買収の申請をすることができる旨を規定しているのは、同法一条に定める耕作者の地位の安定等の目的達成のためにほかならない。従つて同号による宅地建物は、所論のように場所的にも機能的にも売渡農地に附随していなければならないものではない。(昭和二五年七月一三日第一小法廷判決、判例集四巻七号三二五頁参照)しかしながら一方また、農地の売渡を全然受けない者の同条による附帯買取申請のゆるされないことは、同条の文理上からも明白であり同条による買収が農地売渡に附帯して行われるものである以上、売渡農地の経営に必要でない宅地建物まで買収を申請できる趣旨とは解せられない。(昭和二六年一二月二八日第二小法廷判決、判例集五巻一三号八四九頁参照)また、極めて僅少な農地の売渡を受けた場合に、その売渡を受けた者の農業経営全般に、当該宅地建物が必要であるからと言つて、直ちに、その宅地建物が売渡農地の経営に必要であるとして買収することはゆるされないものと解すべきである。
(昭和二七年八月二三日第三小法廷判決、判例集六巻八号七二三頁参照)いまこれを本件宅地建物について見るに、右宅地建物が訴外Bの農業経営に必要であることは原判決の確定するところであり、同人の売渡を受けた農地は同人の耕作する全農地の半ばに近い二反九畝二〇歩であつて、このような場合、本件宅地建物は売渡農地の経営にも必要であると解することができ、従つてこれを買収したからと言つてそれだけでは附帯買収の性質に反するものということはできない。なお論旨は、本件宅地建物と右売渡農地との距離が約十町あり、その間附随性がないと主張するのであるが、附随性を要しないことは前段説明のとおりであるから、論旨はその前提において理由がないと言わなければならない。

同第二点について。
論旨は要するに、裁判所が買収計画の当否を判断するについては、計画の当時の事実関係によるべきではなく、弁論終結に至るまでの各般の事情の変動も参酌しなければならないというに帰するが、行政処分の取消又は変更を求める訴において、裁判所が行政処分を取り消すのは、行政処分が違法であることを確認してその効力を失わせるのであつて、弁論終結時において、裁判所が行政庁の立場に立つて、いかなる処分が正当であるかを判断するのではない。所論のように弁論終結時までの事情を参酌して当初の行政処分の当否を判断すべきものではない。(昭和二七年一月二五日第二小法廷判決、判例集第六巻一号二三頁参照)なお論旨は原判決が自作農創設特別措置法一五条二項一号の解釈を誤つているというのであるが、右条項は昭和二四年六月法律二一五号八条による自作農創設特別措置法の改正によつて加えられたものであり、原判決もそれ以前に定められた本件買収計画にこれを適用しているのではない。論旨は理由がない。
以上説明のとおり論旨はすべて理由がないから、本件上告はこれを棄却することとし、民訴四〇一条、九五条、八九条を適用し裁判官全員一致の意見で主文のとおり判決する。

上告代理人弁護士広瀬通の上告理由

第一点 
原判決は自作農創設特別措置法第十五条に所謂附帯買収の対象たるべき宅地建物につき、同
条第一項第二号の適用を誤つている。
原判決は「自作農創設特別措置法(以下自創法と称す)第十五条第一項第二号による宅地建物の買収をなし得るためには、当該宅地建物が自作農となるべき者の耕作の業務に利用され得ること、即ち買収農地の農業経営に必要であることを要するにとどまり云々」と判示しているが、問題の要点は其の「農業経営に必要」ということの意味である。これには実務上も広狭さまざまの見解が行われているのであつて、即ち自創法第十五条による買収要件を最もゆるやかに解するものは(例えば行政裁判月報二十二号裁判例(379)月報二十三号裁判例(404)参照)「農家として生活する上に必要な宅地も広い意味では農業経営に必要である」との趣旨の下に、単に農家の生活本拠たるに止まる土地家屋をも買収の対象として認め、又右の買収要件を最も厳格に解するものは(例えば和歌山地方裁判所昭和二十四年九月十二日言渡判決月報二十三号裁判例(388)田中秀雄行政法規の解釈と法の優位、民商法雑誌二五巻四号)当該農地と場所的にも機能的にも密接不可分の関係に在る農業用土地、農業用建物、例えば「小作人が其の小作地の一部に肥料又は農具格納の小屋を建てた場合に於ける其の用地若しくは地主所有の上記小屋を農地と共に賃借していた場合に於けるその小屋等に限り」(前掲和歌山地方裁判所判決)之を附帯買収の対象と認めようというのである。この点について上告人は其の附帯買収の対象たる宅地建物が当該買収農地の営農的利用との間に直接的且具体的の関連性を有することを必要とするものと解し、原審に於ても準備書面(昭和二十五年九月六日付)を以て詳細の理由を十分に説明したに拘らず、原判決は徒らに「農業経営に必要」を繰返すのみで、其の真意が果して直接具体の関連性を要するとする意なのか、それとも一般的(或は間接的)関連性を以て足るとする意なるか、その孰れなるかを容易に捕捉し難いのを遺憾とするのであるが、しかし判文前後の脈絡をたどつてみれば結局原判決は『本件宅地建物がたとえ一部分的にであるにしろ本件買収農地の営農上直接に利用せられている以上、当該「買収農地が他の耕作農地に比し著しく零細なものでない限り」右宅地建物と買収農地との営農上の関連性を否定することはできないから、それは自創法第十五条第一項第二号による買収の対象となり得る』というに帰着するものの如く解せられる。果して然りとするならば判示は法の真意を誤つているものと謂うべく、左に其の理由を説明する。
 自創法第十五条第一項第二号所定の宅地、建物についても同条第一項第一号所定の農業用施設等の場合と同様に、「買収する農地の利用上必要な」宅地、建物に限定せらるべきものなりと信ずる。
なるほど右第二号所定の宅地、建物については、「買収農地の利用上必要な」という前掲第一号の如き制限的字句は附加せられていないので文理上は別異の解釈を容れる余地なしとしないけれども、農地買収に附帯するという第十五条本来の趣旨に照して考察するならば、所詮前段の解釈に落ち着かざるを得ない。殊に例えば同条第一項第二号所定の牧野についてみるも、これは所謂小作牧野であつて、自創法第四十条ノ二に其の買収の要件が規定せられているが、之に該当しないものでも同法第十五条第一項第二号によつて買収し得ることは、それが当該「買収農地の利用上必要」であることを前提とすることによつて初めて其の妥当性を理解し得べく、されば同号所定の宅地、建物についても亦同様に解してこそ、其の買収の妥当性を是認し得ると謂うべきであろう。ところで問題は「農地の利用上必要な」ということの解釈であるが、それは畢竟当該買収農地に於ける農耕経営のために直接的且つ具体的に利用せられている宅地、建物であることを要するという趣旨、換言すれば当該買収農地の営農的利用との間に直接具体の関連性を有する宅地、建物たることを必要とするということを意味するのであつて、例えば当該買収農地に於ける収穫物の収納、加工、其の他農耕経営の用に直接供せられている土地建物が対象となることを意味するに外ならぬのである。
此の点につき上告人は原審に於て「当該買収農地に附随し其の農地に於ける農耕経営の用に供されている宅地、建物であることを要する」と述べたのであるが、其の「附随」という言葉の意味が場所的な密接性を言いあらわすものではなく、むしろ機能的な従属性を表示する趣旨であることは前後の文意に照し自ら明瞭であり、従つて右叙述の意味するところは結局、前段説明の如き直接具体の関連性を有する宅地、建物たることを要するという趣旨に外ならぬ(原判決は、之を場所的密接な従属性の主張なるかの如く解しているようであるがそれは上告人の真意にそわない)。
なお叙上の意味に於ける直接具体の関連性という要件については、昭和二十三年六月十五日附農林省農政局長の各府県知事宛通達第二項に於ける「宅地、建物はあくまで農業経営上必要なものに限り、又其の位置及び環境から見て農地改革の一環として買収するに不適当なものは買収すべきでない」という通達趣意からも之を窺い知ることができる。殊に亦自創法第二十九条第二項により同法第二十八条を準用している趣旨から考察すれば、解放農地による自作農家が自作をやめようとするときは農地と共に買受けた土地、建物を再び政府に売戻し政府はこれらを農地と共に遅滞なく他の適正自作農に売渡すこと(同法第二十八条第二項)になるのであるからそれは、どこまでも当該農地に機能的に附随して之と運命を共にする土地、建物でなければならぬことが自ら明瞭である。
又このことは、これらの土地、建物につき移動統制の規定(農地調整法第四条第六項)を新設し之に因つて、それらの土地、建物が知事の許可又は市町村農地委員会の承認を得ないで第三者に譲渡せられても所有権移転の効力を生ぜず、政府はこれに対し先買権(自創法第二十九条第二項、第四十一条第四項、第二十八条)を行使し得ることになつた事情からみても之を推察するに難くないのである。
そこで、今、前叙自創法第二十八条の準用による買戻の理を本件の場合について考えてみれば、Bに於て買収農地たる田二反九畝二十歩に関し之が自作をやめることになれば、曩に自創法第十五条による右買収農地に附帯して買収し得たる本件宅地、建物は之を政府に売戻すことになり、政府は之を遅滞なく他の自作農に右被附帯農地と共に売渡すことになる筈であるが、其のことの結果が如何に不当なものであるかはあらためて説明を要しないであろう。この一点から推してみても、本件宅地、建物を附帯買収することの失当が推測し得られる。
 ところで自創法第十五条に所謂農地とは、同法第三条の規定により買収する農地即ち新たに解放を受くる農地に限るのであり、当該解放農地につき新たに自作農となるべき者のみが同法第十五条の附帯買収を申請する権利を有すると共にこの規定により買収の対象となるものは新たに解放によつて取得した農地について其の営農上直接必要な土地建物である。従つて申請人が従前から所有し耕作していた農地には何らの関係なく又従来農家の単なる住宅であつた建物、或は其の敷地についても関係がないのである。唯茲で問題になるのは右土地又は建物につき、原判決の示しているような一部分的な利用関係̶̶営農上の̶̶を存する場合についてであつて、此の点につき原判決は「買収農地が他の耕作農地に比し著しく零細なものでない限り」たとえ部分的にせよ、営農的直接の利用関係が成立するに於ては当該土地、建物を全体として一括買収することが許されると解しているが此の解釈は全く法意を無視するものであり、結果に於ても著しく妥当を欠くものありて、到底承服し得ないのである。かかる場合、即ち当該土地、建物につき解放農地との間に営農的利用関係が見られる場合には、主として当該解放農地の営農に利用せられる関係なりや否やによつてその附帯買収性の如何を決定することが法の趣旨であり、且結果としても妥当を得ることができるものと信ずる。そこで本件の場合にBの受けたる解放農地と土地、建物との利用関係につき其の利用割合が問題となるのであるが、本件買収計画樹立当時(昭和二十四年二月十一日)Bは田六反五畝二十五歩及び畑一畝十一歩を耕作しており其の内、田二反九畝二十歩は同人に於て昭和二十二年十二月二日自創法第一条により解放を受けた所謂買収農地なることは当事者間に争なく、従つて、原審に於ける弁論の全趣旨に徴すればBは右田二反九畝二十歩の解放を受ける以前から既に田三反六畝五歩及び畑一畝十一歩の農地を所有し耕作してきたこと、並びに本件宅地、建物は右農地解放以前に於て既に自作農B一家の生活上の本拠として利用せられ、同時に其の一部分即ち本件家屋四十三坪の内、十坪の土地(間口二間三尺奥行四間)と本件宅地九十六坪の内、右家屋の敷地となつている部分を除く約五十坪の地積とは共に従前の自作農Bの前示農業経営上、直接的に利用せられる関係に在つたことが推認せられる。しかし、勿論それは本件解放農地とは何の関係もなかつたのであるが其の後Bに於て前記田二反九畝二十歩の解放を受けるに及んで、此の解放農地のためにも、其の収穫物の収納等の用に供せられる関係が追加成立することになつたであろうことは容易に推察し得られるところであるけれども、右宅地、建物の従前の利用状態、殊に解放農地と従前の耕作地積との比率等の事情から考察すれば、右解放農地のための直接利用歩合は極めて低率のものとならざるを得ない筋合である。即ち本件建物について其の利用歩合を算定してみれば、従前(本件の農地解放前)の直接的営農上の利用歩合は建物全体の4分の1弱であり、本件解放農地についてのそれは其のまた2分の1強程度として、全体からいえば8分の1程度の利用率となる筈である。
同様の算定方法により其の宅地については全体の宅地からいえば4分の1程度の利用率を得ることになる筈である。
してみれば、本件建物については其の約8分の7程度の部分が本件解放農地の営農上の利用以外の目的のために利用せられ、又本件宅地については其の約4分の3程度の部分が本件解放農地の営農上の利用以外の目的のために利用せられている関係であつて、然るかぎり解放農地のために前段説明の如き「主として利用せられている」という利用状態は成立しない。加之、右宅地については地内に梅の木二本、柿の木二本の果樹の外、桐松等の樹木生立し、これらの果実は終始上告人に於て之を収穫し、又地内に存在する井戸も上告人に於て使用してきたのであるから、右宅地の利用状態はそれだけ制限せられていたものである。以上の諸事情に照してみても、本件解放農地の附帯として右宅地、建物を買収することは著しく当を失するものと謂わざるを得ない。
 なお本件宅地、建物は解放農地と約十丁を距てた地点に在つて、肥料其の他収穫物の運搬は通常水路によつて行われその所要時間は約二十五分である。買収されたる宅地、建物が場所的に必ずしも解放農地と密接していることを要しないことについては既に最高裁判所の判例の存するところで(昭和二十五年七月十三日最高裁第一小法廷判決)あるが、同判旨は必ずしも本件の場合に適切なりと謂うべからず、即ち右判示の場合は両者の距離が僅か二十間の場合であつて本件の場合と事情を異にするのである。本件の場合は原判示の如く両者が約十丁もかけ離れて所在する場合であり、されば機能的にも所謂「附随の関係」乃至は「運命を共にする関係」は成立し難く、其の意味に於て宅地、建物の所謂「位置環境等により買収を不適当とする場合」に該当するのであるから原判決の判断は当を失している。
以上に挙げた諸事情に依つてみれば、結局原判決は自創法第十五条第一項第二号の定むる附帯買収の要件につき法令の適用を誤りたるに帰し到底破毀を免れない。

第二点 
原判決は自創法第十五条第二項第一号の解釈を誤り法令に違背している。
原判決は本件買収計画の当否を判断するに当つては其の処分当時に於ける諸般の状態を基準として判定すべきものであつて、其の後弁論終結に至るまでの間に生じたる各種状況の変動を参酌して勘案すべきものではないと解し、此の解釈に基ずき本件買収処分当時に於ける自作農B家の主たる所得が農業による所得であつて、それは農業以外の職業による所得を上廻つていることを認定し、以て此の点に関する上告人の主張を排斥している。しかし自創法第十五条第二項第一号の所謂兼業農家の場合について、農業による所得と農業以外の職業による所得との比較衡量の基準を孰れの時点に置くべきかは実務家の間に議論の存するところであるが行政争訟の理論上は当然終局判決言渡当時の法規及び状態を基準として判断すべきものとの見解を正当とする。蓋し行政訴訟のねらいとするところは行政法規の適用を保障するに在つて、殊に現在に於て何が正しい法であるかを決することを第一義の目的とし、決して係争の処分が其の処分当時に於て適法であつたか否かを確定し以て当該行政庁の責任を質すことに在るのではないからである。従つて係争処分のなされた当時に於ける法規若しくは事実関係が其の後終局判決の言渡当時までの間に変化した場合には他に特段なる規定のない限り、終局判決言渡当時に於けるそれを基準とすべきであつて、処分当時に於けるそれを基準とすべきではない。此の見解については既に行政裁判所の判例(例えば昭和二年一月八日言渡判決)の是認するところであり(尤も行政裁判所昭和十二年十月二十八日判決は反対)学説としても異論あるを見ない(田中二郎行政法講義案上巻三一四頁、三一五頁、美濃部達吉昭和十二年度公法判例評釈)、なおこの点についてはドイツの学説と実務とを通じて異論を見ないところであるが、唯警察処分については処分当時の法律及び状態を基準とすべきことが通説となつていることが注意せられるべきである。
Fleiner, F. Institutionen des deutschen Verwaltungsrechts. 3. Aufl. 1913. S. 255. Anm. 76.
Hatschek, J. Lehrbuch des deutschen und preussischen Verwaltungs rechts, 6. Aufl. 1927. S.
401f. Giese, F. crc., Deutsches Verwaltungsrecht. 1930. S. 125.
Schulzenstein, Zur Urteilsunterlage im Verwaltungsst reitverfahren nach dem
Landesverwaltungsgesetze.(Verwaltungsarchiv 21. S. 1ff.)
なお東京地裁昭和二十四年三月二十三日判決(月報二十号裁判例(136)、年鑑二十四年度(385))は処分時後、口頭弁論終結に至る迄の事実関係を参酌し得べきことを認め、東京高裁昭和二十五年五月十六日判決も亦之を支持している。(東京高裁裁判例集)
ところで本件に於けるBの一家の所得関係を本件記録について検討してみれば、兼業による所得に因つて生活を維持していることが明瞭である。即ち昭和二十三年度に於ては農業所得が年額四万四千五百五十八円(乙第六号証)なるに対し、兼業所得の額はBの副業所得として年額一万円、長男Cの会社勤務に因る賃金所得が年額二万四千五百七十一円二十銭の外、次男Dの賃金所得は、原判決認定の如く昭和二十三年八月までの勤務に因るものとし、且一ケ月の平均賃金を三千五百円と算定(他に特段なる事情なき限り此の算定方法によるを妥当と思料する)することによつて合計金二万八千円を得るわけであるから、同年度の兼業所得合算額は金六万二千五百七十一円二十銭となり、又昭和二十四年度の農業所得が七万七千五百円なるに対し、兼業所得の合算額は原判決の認定の通りとして金八万二百五十七円六十銭(長男Cの賃金所得につき原判決は所得手取賃金の実額を以て算出しているが、これについては税込賃金額を所得額と算定すべきものと思料するも一応原判決の算出方法による。なお次男Dについても勤労に因る賃金所得がある筈であるが、金額の証明方法を欠くため一応除外するも、固より含み賃金として考慮せらるべきものと思料する。)又昭和二十五年の農業所得が六万五千二百円なるに対し兼業所得は原判決の認定通りとして合計十二万六千七百四十二円となる。以上の計算によつてみても、本件買収計画樹立(買収処分)当時たる昭和二十四年度に於て既に兼業所得が農業所得を上廻つており、殊に昭和二十五年度に於ては殆ど倍額程度に上廻つていることが明瞭である。してみれば、本件買収処分当時に於ける状態を基準とするにしても、或は亦原審の終局判決言渡当時のそれを基準とするにしても、本件は自創法第十五条第二項附帯買収を許すべからざる場合に該当するものと謂わなければならぬ。斯くみてくれば原判決は判決の基礎たる事実関係の範囲につき、法の解釈を誤り延いて自創法第十五条第二項第一号の適用を誤つたことに帰着するのであつて、此の点に於ても亦破毀を免れない。
なお原判決は判決の基礎たる事実関係については、行政処分当時の状態を基準とすることを要するとなしながら、適用すべき法規については処分時後の改正法(昭和二十四年六月の改正)を適用しようとするものの如くであつて、それ自体矛盾を含んでいることが留意せらるべきである。

最高裁森林法違反、公務執行妨害、傷害被告事件
昭和26年(あ)第3953号
最高裁判所大法廷
昭和30年12月14日

判決
主 文
本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理 由
弁護人中野道の上告趣意第一点について。
所論は、刑訴二一〇条が、検察官、検察事務官又は司法警察職員に対し逮捕状によらず被疑者を逮捕することができることを規定しているのは憲法三三条に違反するというのである。しかし刑訴二一〇条は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足る充分な理由がある場合で、且つ急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げて被疑者を逮捕することができるとし、そしてこの場合捜査官憲は直ちに裁判官の逮捕状を求める手続を為し、若し逮捕状が発せられないときは直ちに被疑者を釈放すべきことを定めている。かような厳格な制約の下に、罪状の重い一定の犯罪のみについて、緊急已むを得ない場合に限り、逮捕後直ちに裁判官の審査を受けて逮捕状の発行を求めることを条件とし、被疑者の逮捕を認めることは、憲法三三条規定の趣旨に反するものではない、されば所論違憲の論旨は理由がない。
同第二点並びに弁護人森一朗の上告趣意はいずれも量刑不当の主張であつて刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて刑訴四〇八条、一八一条により主文のとおり判決する。
この判決は弁護人中野道の上告趣意第一点について、裁判官斎藤悠輔並びに同小谷勝重及び同池田
克の各補足意見があるほか裁判官全員一致の意見によるものである。
弁護人中野道の上告趣意第一点についての裁判官斎藤悠輔の補足意見は次のとおりである。
憲法三三条中の「現行犯として逮捕される場合を除いては」とある規定並びに同三五条中の「第三十三条の場合を除いては」とある規定は、アメリカ憲法修正第四条と同じく、合理的な捜索、逮捕、押収等を令状を必要とする保障から除外する趣旨と解すべきものと考える。されば、右憲法三三条の除外の場合には、刑訴二一二条一項の現行犯逮捕の場合は勿論同条二項のいわゆる準現行犯逮捕の場合及び同法二一〇条のいわゆる緊急逮捕の場合をも包含するものと解するを相当とする。従つて、右二一〇条一項後段の場合に逮捕状が発せられないとき、すなわち逮捕につき令状の裏打がないときでも逮捕そのものは適憲であるとしなければならない。
弁護人〇〇〇の上告趣意第一点についての裁判官の補足意見は、次のとおりである。
憲法三三条は、逮捕の要件を規定して、原則として、権限を有する司法官憲すなわち裁判官が発したもので、且つ逮捕の理由となつている犯罪を明示した令状によらなければならないとしているが、このように裁判官だけに令状を発する権限を与えているのは、裁判官は公正な立場に在る者であるが、捜査の権力をもつた者は、往々にして権力を濫用しがちであつたという過去の歴史的経験によるものであること、所論のとおりであると考える。しかし、それだからといつて、令状主義の原則をもつて捜査を規律して例外の場合を一切否定することは、捜査上迅速に被疑者の保全を必要とする場合があり、そのために被疑者を逮捕することもやむを得ないと認められるようなときでも、これが許されないこととなり、捜査を全うし難いこととなるのであつて、憲法は、かゝる場合の要請の合理性を認め、現行犯(本来の現行犯といわゆる準現行犯とを含むものと解する)の場合には、裁判官の発する令状によらないでも逮捕できるものとして、令状主義の保障からこれを除外しているのである。蓋し、事態の性質上、急速を要するばかりでなく、犯罪の嫌疑が明白であつて、裁判官の判断を待つまでもないからである。してみると、この理は、現行犯に限らず、その以外の右に準ずる場合についても考えられるところであつて、刑訴二一〇条のいわゆる緊急逮捕は、あだかもその場合にあたるものとして認められたものと解釈されるのである。すなわち、同条の規定するところによれば緊急逮捕のできる場合は、死刑又は無期若しくは長期三年以上の自由刑にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分
な理由があり、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときに限られているばかりでなく、その上になお、逮捕にあたつては、被疑者に対してその理由を告げなければならず、逮捕後は、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならないとされているのであつて、これによつても明らかなとおり、犯罪の嫌疑は、当該捜査機関の主観的判断では足らず、客観的妥当性のある充分な理由の存する場合であるから、現行犯の場合に準じて考えられる明白な根拠をもち、裁判官の判断を待たないでも過誤を生ずるおそれがないものとしなければならない。それにも拘らず、刑訴法が逮捕後直ちに逮捕状を請求して裁判官の判断を受くべきものとしているのは、現行犯のような羅馬法以来の伝統に由来するものでないために、法律は、謙抑の態度をとつたことによるものと解されるのである。
されば、刑訴二一〇条の緊急逮捕の規定は、令状の保障から除外している憲法三三条の場合の枠外に出たものでなく、同条の除外の場合を充足したものと認めることができるから、適憲であると解するを相当とするものと考える。のみならず、憲法上逮捕は、被疑者の身体を拘束し、これを必要な場所へ引致して留置する継続的性質をもつた行為であることからみると、被疑者を拘束してから直ちに裁判官の逮捕状を求めて逮捕状が発せられたときは、なお且つ逮捕状による逮捕と認めることを妨げないとも解されるのであつて、右いずれの点からみても、違憲の主張は理由がない。なお、緊急逮捕は、その効力の消滅を裁判官の逮捕状が発せられないときにかからしめられているものと解すべきであるから、逮捕状が発せられなければ、逮捕はその効力を失い、直ちに被疑者を釈放すべきであり、刑訴二一〇条一項後段は、この当然の事理を規定したものに外ならない。

出入国管理令違反外国人登録法違反被告事件
昭和30年(あ)第2684号
上告人:被告人A
最高裁判所第三小法廷
昭和32年7月9日

決定
主 文
本件上告を棄却する。

理 由

弁護人の上告趣意第一点について。
所論は、憲法三一条違反を主張するが、その実質は法令違反の主張に帰し、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。(なお所論法令違反は、本件被告人のように不法に本邦に入国した外国人に対しては、出入国管理令二五条は適用がないというのである。しかし同条は、適法に本邦に在留し又は入国した外国人であると、所論のように不法に本邦に入国した外国人であるとを問わず、すべてその適用があると解するのが相当であつて、原判決の判示するところは肯認できる。所論は採用できない。

同第二点について。
所論の一は、単なる法令違反の主張であり、これに対する判断は、右第一点について説示したとおりであり、また二は、単なる量刑不当の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
また記録を調べても同四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて同四一四条、三八六条一項三号により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

弁護人の上告趣意
第一点 
原判決は出入国管理令第二十五条の解釈適用を誤つた違法があり、法律の明文なきにかかわらず刑罰を科したものであつて憲法第三十一条に違反するものと思料する。
本件出入国管理令違反の事実は、不法に本邦に入国した被告人(外国人)が旅券に証印を受けないで出国したというのであるが、これに対し第一審では出入国管理令第二十五条を適用して有罪を認定したのである。そこで同条は被告人の如き不法に本邦に入国した外国人には適用がないと解すべきであるから、第一審の判決は法令の適用を誤つた違法な判決であるとして控訴したのであるが、原判決は「同条は適法に本邦に在留し又は入国した外国人であると、不法に本邦に入国した外国人であるとを問わず総て適用があると解するを相当とする」と判示して控訴を棄却したのである。しかしながら出入国管理令第二十五条に不法入国者も包含すると解した原判決は、明らかに同条の解釈適用を誤つたものと言わなければならない。けだし出入管理令によれば不法に入国した外国人は第七十条によつて処罰されるほか、第二十四条によつて本邦より退去を強制されることになつており、しかも右第七十条の罰則は同令中最も重い刑罰を定めているのである。このように不法入国者を強力に排除すべく規制しながら、不法入国者のあり得ることを前提とした規定を設けるが如きは、格別の事由なき限り、法の権威を失わしめるものであつて、かくの如きは到底法の予想しなかつたところであるというべく、従つて右第二十五条は適法に本邦に在留し又は本邦に入国した外国人を対象としているのであつて、不法に本邦に入国した外国人はこれを包含しないものと解すべきである。証人Bの証言は「法令の規定を密入国者を前提として規定することが出来ませんので、第二十五条の規定中には入つておりませんが、実務をとる場合は只今証言したような方法をとつているのです。不法出国の場合にも二十五条によつております。」と実務上の便宜から不法入国の外国人にも適用しているというのであつて、かかる便宜論から直ちに同条の解釈を左右することはできない。更に又次の理由からも右の解
釈は正当であると信ずる。即ち同令第二十五条は「本邦外の地域におもむく意図をもつて出国しようとする外国人は、その者が出国する出入港において、入国審査官から旅券に出国の証印を受けなければならない(第一項)。前項の外国人は旅券に出国の証印を受けなければ出国してはならない(第二項)。」と規定しており、旅券を所持することを前提としているのである。しかしながら不法に本邦に入国した外国人は、有効な旅券を所持することを期待することは不可能である。原判決は「不法入国者といえどもその本国政府(外交使節)より旅券又はこれに代る身分証明書、入境許可書、国籍証明書等を以つて出国することの可能なることは当審証人Bの供述により優にこれを認めることが出来る。」と判示しているが、B証人の供述を誤解しているのであつて、外国政府においてその国民に旅券を下附するに当つては、本邦に入国し又は本邦から出国するすべての人の出入国を管理する日本政府(法務省入国管理局)に連絡あるものと解すべく(出入国管理令第一条参照)、従つて不法に本邦に入国した外国人が出国するため旅券の交付を申請すれば、必ずや不法入国の事実が日本の捜査機関に発覚し、その結果処罰される虞れがあり(同令第六十二条参照)、不法入国の外国人が有効な旅券を所持しようとするには、この危険において下附の申請をしなければならないのであり、自己の不法入国の罪(しかも不法出国より法定刑の重い罪)を供述すると同一の結果を来たすことになり、不法入国の外国人に有効な旅券を所持することを期待することは不可能であるといわなければならない。以上の理由から、出入国管理令第二十五条は不法に本邦に入国した外国人も包含するものとして第一審の判決を支持した原判決は、同令の解釈適用を誤り法律によらずして刑罰を科した憲法違反の判決であると思料する。
第二点 
原判決は左の事由があつてこれを破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。
一、判決に影響を及ぼすべき法令の違反がある。即ち前叙の如く出入国管理令第二十五条の解釈適用を誤つて、本件、被告人が本邦より出国した事実を有罪に認定しているからである。
二、刑の量定が甚だしく不当である。原判決は被告人に対し懲役四月の実刑を科したのであるが、控訴趣意書にも詳述した如く、本件発覚の端緒、被告人が不法出国するに至つた事情、殊に被告人は本件裁判終了次第妻子と共に帰国することになつている事情等を斟酌すれば、懲役四月の実刑は甚だしく不当である。
以上の理由により原判決は破棄せらるべきものと思料する。

 出入国管理令違反関税法違反被告事件
昭和29年(あ)第389号
上告人:検察官・被告人A・被告人B
最高裁判所大法廷(裁判官:小谷勝重・島保・斎藤悠輔・藤田八郎・河村又介・小林俊三・入江俊郎・垂水克己・
河村大助・下飯坂潤夫・奥野健一)
昭和32年12月25日
判決
主 文
第一審判決中被告人Aに関する有罪部分及び原判決中同被告人に関する部分を破棄する。
被告人Aを懲役六月に処する。
同被告人に対し第一審における未決勾留日数三〇日及び原審における未決勾留日数二八日を右本刑
に算入する。
被告人Bの本件上告を棄却する。
当審における訴訟費用は被告人Bの負担とする。
理 由
被告人両名の弁護人長崎祐三の上告趣意について。
論旨は原判決が被告人両名の本邦より朝鮮に出国しようとした所為を出入国管理令二五条二項、
七一条によつて処罰したのは、憲法が与えた外国移住権を制限するものであるから、同法二二条二項
に違反すると主張する。
しかし、憲法二二条二項は「何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない」と規定
しており、ここにいう外国移住の自由は、その権利の性質上外国人に限つて保障しないという理由は
ない。次に、出入国管理令二五条一項は、本邦外の地域におもむく意図をもつて出国しようとする外
国人は、その者が出国する出入国港において、入国審査官から旅券に出国の証印を受けなければなら
ないと定め、同二項において、前項の外国人は、旅券に証印を受けなければ出国してはならないと規
定している。右は、出国それ自体を法律上制限するものではなく、単に、出国の手続に関する措置を定
めたものであり、事実上かかる手続的措置のために外国移住の自由が制限される結果を招来するよう
な場合があるにしても、同令一条に規定する本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入
国の公正な管理を行うという目的を達成する公共の福祉のため設けられたものであつて、合憲性を有
するものと解すべきである。よつて、所論は理由がない。
同について。
憲法三七条一項にいわゆる「公平な裁判所の裁判」とは、偏頗や不公平のおそれのない組織と構成
をもつ裁判所による裁判を意味するものであつて、所論のような場合をいうものでないことは、当裁
判所の判例とするところであるから(昭和二二年(れ)四八号同二三年五月二六日大法廷判決、集二巻
- 2 -
五号五一一頁)、論旨は採用できない。
被告人Bの弁護人松井佐の上告趣意は、事実誤認、訴訟法違反の主張を出でないものであつて、刑
訴四〇五条の上告理由に当らない。
よつて被告人Bに関する本件上告は刑訴四一四条、三九六条によりこれを棄却し、当審における訴
訟費用は同一八一条一項を適用して同被告人に負担させるものとする。
被告人Aに対する福岡高等検察庁検事長宮本増蔵の上告趣意について。
未決勾留は公訴の目的を達するため、やむを得ず、被告人又は被疑者を拘禁する強制処分であつて、
刑の執行ではないが、自由を奪う点から自由刑に近いから、人権保護の衡平の観念から刑法二一条は、
未決勾留の日数の全部又は一部を本刑に算入することを認めているのである。しかし、刑の執行と勾
留状の執行が競合している場合には、勾留の有無にかかわらず被告人又は被疑者は刑の執行によつて
拘禁を受けているのであつて、勾留は観念上存在するが、事実上は刑の執行による拘禁のみが存在す
るに過ぎない。すなわち、勾留によつて自由を拘束するのではないから人権保護の立場からいつても、
かかる未決勾留の期間を本刑に通算する必要はなく、却つて、これを通算すれば一個の拘禁を以つて、
二個の自由刑の執行を同時に行つたと同様となつて不合理な結果となり、被告人に不当な利益を与え
ることとなる。刑法二一条はかかる場合の未決勾留を本刑に通算することを認める趣旨とは解せられ
ない。
記録によると被告人Aは昭和二八年一月一三日関税法違反及び出入国管理令違反の現行犯として逮
捕され、同月一八日長崎地方裁判所武生水支部裁判官が右と同一罪名の被疑事件について発した勾留
状により壱岐地区警察署に勾留せられ、同年二月四日公判請求を受け、原審の昭和二八年一〇月二九
日付保釈許可決定により同日釈放されるまで引続き勾留されていたこと並びに、同被告人は昭和二七
年二月一九日長崎地方裁判所厳原支部において外国人登録令違反及び関税法違反の罪により懲役一〇
月(昭和二七年政令一一八号減刑令により懲役七月一五日に減軽)に処せられ、右裁判は同年九月六
日控訴が棄却されたことにより確定したため、同被告人は昭和二八年二月二日検察官の執行指揮によ
り同日から右刑の執行を受け同年九月一六日右刑の執行を受け終つたものであることを認めることが
できる。しかるに、原判決及び第一審判決が同被告人に対し同被告人が刑の執行を受けている期間の
未決勾留日数を本刑に算入する旨の言渡をなしたのは、前示の法理に照し違法であり、論旨援用の判
例にも反するから、刑訴四一〇条一項により同被告人に対する原判決及び第一審判決中、同被告人に
有罪を言渡した部分を破棄し、刑訴四一三条但書により被告事件について更に判決をなすべく、第一
審判決の確定した事実(判示第三の事実)に法令を適用すると、被告人Aの判示所為は出入国管理令
二五条二項、七一条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で同被告人を懲役
六月に処し、第一審判決において本刑に算入した未決勾留日数三〇日中昭和二八年一月一八日から同
年二月一日までの一五日を除くその余は被告人の前示刑の執行を受けている期間であるから、これを
本刑に算入することは違法であるけれども、本件第一審判決に対しては、検察官の控訴なく、被告人
のみの控訴であつてこれを不利益に変更することは許されないので、刑法二一条に則り、第一審にお
ける前記三〇日及び被告人が前記別件の刑の執行を受け終つた昭和二八年九月一六日の翌日から原判
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決言渡の前日たる同年一〇月一四日までの原審における未決勾留日数二八日を右本刑に算入すべきも
のとする。よつて主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官小谷勝重、同垂水克己、同河村大助、同下飯坂潤夫の左記意見があるほか裁判官
の一致した意見である。
裁判官小谷勝重の弁護人長崎祐三の上告趣意に対する意見は次のとおりである。
一 憲法二二条二項は、直接外国人の国外移住の自由を保障した規定とは解せられない。言いかえ
れば、本項の自由の保障はわが国民のみを対象とした規定と考える。
しかし、わが国内に居住する外国人がその本国への帰国のための出国は勿論、その他の外国へ
移住することの自由が保障せらるべきであることは、右憲法同条同項の精神に照して明らかであ
るから、結局憲法同条同項の規定は外国人を対象とした規定ではないが、憲法の精神は外国人に
対しても国民に対すると同様の保障を与えておるものと解すべきであると考える。
二 次に出入国管理令二五条二項は「……外国人は、旅券に出国の証印を受けなければ出国しては
ならない。」と規定するところであつて、外国人の出国それ自体を制限することを目的とした規定
ではなく、単に出国の手続に関する規定であり、そして外国人の出入国に関する管理上必要の程
度において当然な合理性を持つものである。けだし憲法が如何に国外移住の自由を保障すればと
て、外国人のわが国よりの出国が自由放任の状態であつてはならないことは自明のことであり、
右令二五条二項は(令七一条の制裁規定と共に)単なるこれが出国に関する手続措置の規定であ
ることは前示規定自体に徴して明確である。すなわち令同条同項は多数意見のいうが如き「公共
の福祉」のためにその憲法上の保障を制限する趣旨の規定とは解すべきではないと考える。
要するに憲法の規定する「公共の福祉」による人権の制限は、事物当然の合理性を持つ規定を
指するものではないと考えると同時に、憲法の規定する「公共の福祉」はこれを容易に拡張し若
しくは利用して、憲法が保障する人権を制限するの具に供してはならないものと考える。

裁判官垂水克己の検事長上告趣意に関する意見は次のとおりである。
記録によると、被告人Aは本件での勾留状(及び勾留更新決定)により判示の年一月一三日から
一〇月二九日(保釈釈放日)まで引き続き勾留されていたが、判示別件の確定判決により懲役一〇月
(判示減刑令により懲役七月一五日に減軽)に処せられたため、右勾留期間の中間である二月二日から
九月一六日までの間、土手町拘置支所でこの懲役刑の執行を受け終つたことになつている。これによ
ると同被告人は二月二日から九月一六日までの間は同じ監獄内で刑事被告人としての処遇と懲役囚と
しての処遇とを重複して受けたこととされている。かような場合には、本人は、勾留被告人として、立
会人なくして弁護人と接見する等(刑訴三九条)重要な防禦権を害されてはならず、また被告事件に
ついての罪証を隠滅するような言動を許さるべきでないとともに、懲役囚として作業し教誨を受ける
等の義務もなおざりにされてはならない筈である(これをなおざりにするときは懲役刑に処した判決
の本旨に従う執行があつたといえない場合があり得るであろう)。本件被告人が右期間中これらの点
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について如何なる処遇を受けていたかは記録上判らない。(恐らく、大正一三年二月行刑局長通牒甲
一八五号旧刑訴法実施についての注意事項六、七、八によつたであろう。被告人は勾留状により右土
手町拘置支所の未決拘禁区において他の刑事被告人と分界拘禁され作業その他につき受刑者として処
遇されたのであろう。)
しかし、いずれにしても、次のことがいえる。被告人が未決囚兼懲役囚として重複処遇を受けた
期間中、未決拘禁区にあつて他の未決囚と分界拘禁され、衣食臥具の官給と教誨を受け、そして、弁護
人との接見、信書発受について未決囚としての規制のみを受ける以外は懲役囚としての作業に服した
のであるならば、これを適当な重複処遇というを妨げまい。けれども、この場合でも本人は一個の拘
禁によつて懲役の義務と未決勾留の義務との双方を弁済するのであり、換言すれば、本件での勾留日
数の一部は、実質上、別件での懲役刑に算入されたと同様の結果になる訳だから、この勾留日数を更
に本件の本刑に算入することは失当に過ぎ許さるべきでない。(ちなみに、若し被告人が本件全事実に
つき無罪判決を受けたと仮定してもかような勾留日数に応ずる刑事補償金を交付すべきではなかろ
う。)また、若し右重複拘禁期間中、作業は殆んどせず、主として未決囚としての処遇を受けていた
とすれば、それは懲役刑の不完全履行であつて、これを懲役刑を完了したものとしたことは不適当で
あつたというべきである。かような場合にも右期間を本件の本刑に算入することは全体的に考察すれ
ば衡平でなく違法というべきであろう。反対に、右重複拘禁中主として懲役囚としての処遇を受け
たとすれば、未決勾留は名義上だけのものに近いから、この場合にも右の期間を本件の本刑に算入す
ることは、実質上、他事件の確定判決による懲役刑受刑日数を本件の本刑に算入すると同様の結果と
なり、本人に不当利益を与えるものといわねばならない。要するに、以上いずれの場合にせよ、本人は
本件での勾留義務と他事件の確定判決による懲役服務義務とを一個の拘禁で果たしたようなものとし
て扱われたのであるから、本件勾留日数を更に本件本刑に算入することは刑法二一条の解釈上許さる
べきでない。本判決が「これを通算すれば一個の拘禁をもつて二個の自由刑の執行を同時に行つたと
同様となつて不合理な結果となり被告人に不当利益を与えることとなる」としたことは是認されるべ
きである。
裁判官河村大助、同下飯坂潤夫の弁護人長崎祐三の上告趣意に対する意見は次のとおりである。
 私共は憲法二二条二項は外国人には適用がないものと解する。憲法第三章の所謂権利宣言は、その
表題の示すとおり国民の権利自由を保障するのが原則であつて、外国人に対しても凡ての権利自由を
日本国民と同様に保障しようとするものではない。国民はすべて法の下に平等であることが保障され
ているが、その権利自由の性質いかんによつては法律で外国人を合理的な範囲で差別することも許さ
れなければならないと考えられる。
ところで憲法二二条二項は外国移住及び国籍離脱の自由を保障しているのであるが、同条にいう
「何人も」とは日本国民を意味し外国人を含まないものと解すべきである。かつては国民の兵役義務や
国防関係等から国籍離脱の自由は相当の制限を受け、外国移住についても特別の保障はなかつたので
あるが、近世に至つてかかる自由を制限する必要もなくなつたのと国際的交通の発達に伴い、国民の
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海外移住とそれに伴う外国への帰化が盛んに行われるようになつて来た状勢に鑑み、また日本人を在
来の鎖国的傾向から解放せんとする意図の下に、憲法は海外移住と国籍離脱の自由を保障することに
なつたものと解すべきである。即ち、同条は国籍自由の原則を認め国民は自国を自由に離れることを
妨げられないことを保障されたものであるから、同条の外国移住は国籍離脱の自由と共に日本国民に
対する自由の保障であることは、同条の成立に至るまでの沿革に徴しても明らかである。従つて同条
二項は外国人に適用がないものと解するを正当とする。なお同条一項の居住移転の自由には外国人の
入国を含まないことは既に判例の存するところである(昭和三二年六月一九日大法廷判決)。然るに外
国人の出国については同条二項に包含されると解するが如き、両者を別異に取扱うべき実質上の理由
も存在しないものというべきである。
或は外国人の出入国について、その自由が憲法上保障されていないことになると国家はこれを自由
に禁止制限することができ、憲法の理想とする平和主義国際主義に反するのではないかとの論を生ず
るかも知れない。しかし、後に公布された平和条約前文にも「世界人権宣言の目的を実現するため努
力」する旨が宣言され、その人権宣言では一三条及び一五条において国籍自由の原則や出国の自由が
認められているのであるから、国家は出入国管理に関する法令を制定するに当つても、右条約及び人
権宣言を尊重して合理的にして公正な管理規制が行わるべきであることは憲法九八条二項に照し明ら
かである。従つて憲法上の保障がないからと謂つて、外国人に対し国政上不当な取扱いをすることは
考えられないのである。
要するに憲法二二条二項の「何人も」の中には外国人を含まないものと解すべきであり、被告人両
名は外国人で同条項の外国移住の自由を保障された者でないから、論旨違憲の主張はその前提を欠
き、理由がない。
裁判官田中耕太郎は差支につき評議に関与しない。
被告人Aに対する福岡高等検察庁検事長宮本増蔵の上告趣意
原判決は刑事訴訟法施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をし、その判断は判
決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄しなければならない。
一、本件は、昭和二十八年三月二十日長崎地方裁判所武生水支部が被告人に対し出入国管理令違反
被告事件につき懲役六月に処し未決勾留日数中三十日を右本刑に算入する旨の判決を言渡したの
に対し被告人より同日控訴したところ同年十月十五日福岡高等裁判所第三刑事部は、控訴を棄却
し当審における未決勾留日数のうち本刑の残期間全部に満つるまでの日数を本刑に算入する旨の
判決を言渡した事案である。
二、被告人は昭和二十八年一月十八日関税法違反並出入国管理令違反の勾留状により勾留せられ同
年二月四日右勾留状記載の両犯罪事実につき公判請求を受け関税法違反については、第一審判決
により無罪の言渡があつたが第二審判決後保釈決定により釈放せられるまで引続き勾留を更新さ
れていたものである。併し被告人は之より先昭和二十七年二月十九日長崎地方裁判所厳原支部に
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おいて外国人登録令並関税法違反により懲役十月に処せられ被告人より控訴したが福岡高等裁
判所において控訴棄却の判決を受け同判決は同年九月六日確定したが、同年四月二十八日政令第
一一八号減刑令により右刑を七月十五日に減軽せられ、右刑は昭和二十八年二月二日より同年九
月十六日までに執行を終了しているのであつてその事実は記録編綴の被告人の前科調書及び刑執
行証明書により明らかである。
従つて右懲役刑の執行と重複する日数を除いた本件の未決勾留日数は、昭和二十八年一月十八
日から同年二月一日までの十五日と同年九月十七日から第二審判決言渡の前日である同年十月
十四日までの二十八日に過ぎない。
三、右のように懲役刑と勾留状が重複して執行されている場合において重複勾禁に係る未決勾留を
含めて本刑に算入することは刑法第二十一条の適用を誤つた違法があるとすること高等裁判所
の判例である。(被告人Cに対する詐欺被告事件についての昭和二十五年七月十七日言渡東京高
裁判決、被告人Dに対する傷害致死被告事件についての昭和二十五年十一月二十八日言渡札幌高
裁判決、被告人Eに対する傷害致死被告事件についての昭和二十八年七月二十日言渡福岡高裁判
決、Fに対する刑の執行に関する異議事件についての同年十一月七日福岡高裁決定)然るに原判
決は、本刑の残期間全部に満つるまでの日数を本刑に算入する旨言渡しているのであつて、第一
審において通算し得べき未決勾留日数は前記のように十五日に過ぎないのに三十日を通算した違
法を看過是認し更に第二審において通算し得べき日数は前記のように二十八日に過ぎないのに残
刑期に満つるまで通算したのは前掲高等裁判所判例と相反する判断をしその判断が判決に影響を
及ぼすことは明らかである。
被告人Bの弁護人松井佐の上告趣意
第一点 原審は、いわれなき独断を以て経験則に反する判断をなしている。
即ち本件第一審に於ては相被告人Gに対する関税法違反が無罪とならんか(船主兼船長)、相被
告人全部を有罪とすることが出来ないとの想定の下に苦慮の余船積したる林檎は途中で投海出来
る朝鮮白菜でない白菜も途中で投海出来る等こじつけて証拠なくして之を有罪にフレームアツプ
し第二審に到りてGには朝鮮向けの犯意なきものとして無罪とし本件船舶は朝鮮に行く気持がな
いのだと做している。乗組員であり且船長であるGが無罪ならば之に乗船せず偶にGと同一宿屋
に宿泊して(海化のため)いて朝鮮人なるが故に密航又は密貿易容疑者として連行されたる本件
被告人Bが無罪たることいわんや解釈上当然なるに、対馬に船を積替へて朝鮮に行かうと思えば
行かれんこともないと(之は記録上被告人に左様な了見であつたとみられる事跡一もない)想定
をしたのは全く経験則に反するのみならず、若し斯る想定が真実なりと仮定すれば対馬に於て積
替への際に犯意の飛躍的意思表動あり犯罪の実行に着手したるものとすべきに之を看過したる違
法ありて到底破毀差戻を免がれないと思料する。況んや被告人が来船したるはGの船にも非ず且
他の闇船にも非ず大衆丸なる博多―壱岐―対馬間の定期船(本件被告人の如き朝鮮人に対しては
乗船の際必ず水上警察官より外国人登録証明書の呈示及び顔実験をされること公知の事実であ
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る)に公然と乗船したるに於てをや。
第二点 然のみならず原判決は条理に反する点からも破毀差戻を受くべき案件なりと思料する。
被告人に於て万一朝鮮渡航乃至は密貿易の意図あらんか博多より対馬に直航すべきであつて定
期船である限り対馬に渡航して居り(当時海化のためGの持船の如き漁船には困難ならんも)仮
りに被告人に於て特別船よい者とするも壱岐にボヤボヤしていたら容疑者とたやすく目さること
物の条理なるに好んで壱岐に滞在していたと結論するは洵に条理に反する。いわんや壱岐は寒村
にして斯る田舎に於て他国人間が品物の販売先をきいて廻るが如きヘマをなさんか捕へなさいと
警察に自分の危険をさらしていたとするが如き結果を招来するに、之を朝鮮行きのカムフラーヂ
として敢行したものと想定したる原審判決は到底条理上考へられない。況んや被告人は不具者に
して且保釈許可後手術を早急に行わなければ(記録上診断書御参照そふ)ならぬ身の上で動乱且
医術の進歩し居らざる朝鮮なること公知の事実なるに技術拙き朝鮮を故らに手術の場所と選択し
て朝鮮向けの意図ありしものと論定するが如きは全く道理を曲げてこじつけたる、いわれなき独
断であつて所詮破毀を免れないものと思料する。
弁護人長崎祐三の上告趣意
出入国管理令第二五条の合憲性 その他
 原判決は憲法第二十二条に違反している。
憲法第二十二条第二項には何人も外国に移住する自由を侵されないとしている。
原判決は被告人両名が本邦より朝鮮に出国せんとしたものとして之を処罰している。
これは憲法が与えたる外国移住権を制限するものであるから破棄すべきである。
 原判決は憲法第三十七条に違反している。
何人も公平なる裁判所の裁判を受ける権利を有している。被告人BはGと共に同人所有のa丸
に各自貨物を積載し福岡市より芦辺港に搬送したるに、Gは朝鮮に密輸出する意思がなかつたと
して無罪の判決を言渡し、被告人Bはその意思ありとして有罪の判決を言渡しているのは公平な
裁判所とは云われない。被告人Aに対しては、朝鮮に密輸出する意思がなかつたとして関税法違
反被告事件には無罪の判決を言渡し之が確定しをるに、同被告人は本邦より朝鮮へ不法出国する
意思があつたとして処罰しているのは公平な裁判とは云われないので原判決を破棄すべきであ
る。

出入国管理令違反被告事件
昭和34年(あ)第1678号
上告人:被告人A
最高裁判所大法廷
昭和37年11月28日

判決
主 文
本件上告を棄却する。

理 由
弁護人諫山博、同谷川宮太郎の上告趣意第一点について。
憲法二二条二項の外国に移住する自由には、外国へ一時旅行する自由をも含むものと解すべきではあるが、外国旅行の自由といえども、無制限に許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきであること、及び、旅券の発給を拒否することができる場合を規定した旅券法一三条一項五号が、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものと解すべきであることは、すでに当裁判所判例(昭和二九年(オ)八九八号、同三三年九月一〇日大法廷判決、集一二巻一三号一九六九頁)の示すところであり、また、出入国管理令六〇条は、出国それ自体を法律上制限するものではなく、単に出国の手続に関する措置を定めたに過ぎないのであつて、かかる手続のために、事実上、出国の自由が制限される結果を招来するような場合があるにしても、それは同令一条に規定する本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を行なうという目的を達成する公共の福祉のために設けられたものであつて、もとより憲法二二条二項に違反するものと解することはできないから、この点に関する所論は、採ることを得ない。
なお、原判決は、証拠に基づき、日本政府は、旅券下附申請者が共産党員なるの一事を以て、旅券法による旅券の発給を拒否したことはないとの事実を認定しているのであるから、所論憲法一四条違反の主張は、原判示に副わない事実を前提とするものであり、適法な上告理由に当らない。
同第二点について。
所論は、独自の見解を以てする単なる法令違反の主張を出でないものであつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
同第三点について。
所論は、判例違反をいう点もあるが、引用の各判例は、事案を異にして本件に適切でなく、その余の所論は、単なる訴訟法違反の主張であつて、刑訴四〇五条の上告理由に当らない。
なお、本件起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、昭和二七年四月頃より同三三年六月下旬までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦より本邦外の地域たる中国に出国したものである」というにあつて、犯罪の日時を表示するに六年余の期間内とし、場所を単に本邦よりとし、その方法につき具体的な表示をしていないことは、所論のとおりである。
しかし、刑訴二五六条三項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定する所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が、犯罪を構成する要素になつている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。
これを本件についてみるのに、検察官は、本件第一審第一回公判においての冒頭陳述において、証拠により証明すべき事実として、昭和三三年七月八日被告人は中国から白山丸に乗船し、同月一三日本邦に帰国した事実、同二七年四月頃まで被告人は水俣市に居住していたが、その後所在が分らなくなつた事実及び被告人は出国の証印を受けていなかつた事実を挙げており、これによれば検察官は、被告人が昭和二七年四月頃までは本邦に在住していたが、その後所在不明となつてから、日時は詳らかでないが中国に向けて不法に出国し、引き続いて本邦外にあり、同三三年七月八日白山丸に乗船して帰国したものであるとして、右不法出国の事実を起訴したものとみるべきである。そして、本件密出国のように、本邦をひそかに出国してわが国と未だ国交を回復せず、外交関係を維持していない国に赴いた場合は、その出国の具体的顛末ついてこれを確認することが極めて困難であつて、まさに上述の特殊事情のある場合に当るものというべく、たとえその出国の日時、場所及び方法を詳しく具体的に表示しなくても、起訴状及び右第一審第一回公判の冒頭陳述によつて本件公訴が裁判所に対し審判を求めようとする対象は、おのずから明らかであり、被告人の防禦の範囲もおのずから限定されているというべきであるから、被告人の防禦に実質的の障碍を与えるおそれはない。それゆえ、所論刑訴二五六条三項違反の主張は、採ることを得ない。

弁護人の上告趣意について。
所論は、結局において、前記弁護人諫山博、同谷川宮太郎の上告趣意第一点と同趣旨に帰し、その理由がないことは、同弁護人らの右論旨につき説示したとおりであるから、論旨は、採ることができない。
よつて刑訴四〇八条により主文のとおり判決する。
この判決は、裁判官奥野健一の補足意見あるほか裁判官全員一致の意見によるものである。
裁判官奥野健一の補足意見は次のとおりである。

弁護人の上告趣意第三点について。
本件公訴事実は、本件起訴状の記載と検察官の冒頭陳述による釈明とを綜合考察するときは、被告人が昭和三三年七月八日中国から白山丸に乗船し同月一三日に本邦に帰国した事実に対応する出国の事実、すなわち右帰国に最も接着、直結する日時における出国の事実を起訴したものと解すべきである。
然らば、右帰国に対応する出国の事実は理論上ただ一回あるのみであつて、二回以上あることは許されないのであるから、本件公訴事実たる出国の行為は特定されており、その日時、場所、方法について明確を欠くといえども、なお犯罪事実は特定されていると言い得べく、本件起訴を以つて、不特定の犯罪事実の起訴であつて刑訴二五六条に違反する不適法なものということはできない。
若し本件起訴の事実が、起訴状記載の如く単に、昭和二七年四月頃より同三三年六月下旬までの間における被告人のした中国への出国の事実というだけであるとすれば、その期間内における被告人の中国への出国の行為は、理論上ただ一回のみであると断定することはできないことは明白である。従つてその期間内に二回以上の出国行為があつたとすれば各出国行為は各独立の犯罪であり、併合罪の関係に立つのであるから、右起訴状の記載だけでは、そのうち何れの出国の事実が起訴になつたのか、将またその間のすべての出国行為について起訴があつたのか不明確であり、かかる起訴に対し仮令有罪の判決があつたとしても、判決の確定力が何れの出国行為について生ずるのか、また全部の各出国行為に及ぶのか不明である(かかる場合に、全部の出国行為につき確定判決を経たものと解することは到底できない)。また、被告人の防禦も何れの出国の事実についてなすべきか、その間のすべての出国行為についてなすべきかも全く不明であり防禦権の範囲に関し被告人は不利益な地位に置かれることになる。要するに、何れの出国行為を指すかを釈明できない場合において本件起訴状記載の如き公訴事実とすれば、二重起訴の虞を招き、判決の既判力の範囲が不明確であり、被告人の防禦権に著しい不利益を及ぼすものであつて、刑訴二五六条に違反し、公訴事実の特定を欠く不適法な起訴たるを免れない。しかし、私見によれば前記白山丸による帰国に対応する出国の事実のみが起訴されたものと解するが故に仮りにそれ以外の出国行為があつたとしても本件においては起訴の対象になつておらず、従つて判決の確定力もかかる出国の事実には及ばないのである。

弁護人の上告趣意
第一点 
憲法第一四条一項同二二条違反 本件は、いわゆる白山丸事件として、全国各地の裁判所で有罪無罪が争われている事件のひとつであるが、これにたいする第一審の有罪判決を支持した原判決は、憲法第一四条一項、同第二二条に違反しているので、破棄さるべきである。
昭和二十年八月の終戦以後現在にいたるまで、日本共産党にたいしては海外渡航の自由がほとんど完全に圧殺されている。このことは、すでに公知の事実というべくとくに証明を要しないほどであるが、B、Cの各証人尋問調書の記載は、右のことを裏づけている。このような情勢下に、日本共産党員である被告人が共産党員としての政治活動、平和運動を行うために中国に渡航しようとしたとしても、政府がこれを認めることは、まつたく考えられなかつた。被告人が海外に渡航した時期は、日本共産党が極度の弾圧をうけ、共産党員には憲法上の保護も認められないという驚くべき議論が横行していたときである。そういう時期に、日本政府が共産党員の政治活動を目的にした海外渡航を許可する可能性は、絶無といつてよいほどのものであつた。社会党の国会議員や藤田総評議長その他の著名人が渡航申請をしても受けつけられず、ついに国を相手に損害賠償請求訴訟を起したということからみても、これは明らかなことであつた。
ひるがえつてこの問題に関する法律問題を検討すると、まず憲法第二二条が、公共の福祉に反しないかぎり、国民は居住移転の自由を有することを宣言している。旅券法第一三条では、特別の場合にかぎつて外務大臣は旅券の発給をしないことができると規定しているが(この条文の違憲性については、宮沢・日本国憲法コンメンタール二五四頁参照)、それは特殊のケースについてのみ適用さるべきことであつて、旅券法第一三条は共産党員が政治活動の一環としてソビエトや中国などに渡航する自由を侵害する根拠にはなり得ない。しかるに共産党員にたいしては、ぜつたいといつてよいほど海外渡航が認められていなかつたのが、昭和二十年以降本件公訴提起にいたるまでのわが国の実情であつた。共産党員が海外渡航を申請しても許可される可能性が全然ないという前述の事情のなかで、正当な政治活動平和運動をするためどうしても海外に渡航したいと思う共産党員が、正当な手続をとらずに海外に渡航したとすれば、外形的には出入国管理令違反の体裁をそなえていても、これを処罰することはできない。憲法第一四条一項、同二二条、旅券法第一三条を正しく解釈するかぎり、こういう結論しかでてきようがない。被告人の本件海外渡航は、こういう法的評価をうくべきものである。
被告人の行為が外形的に出入国管理令の条文に違反していることは、弁護人も争わない。しかしながら、弁護人はつぎのように主張する。海外渡航の自由を侵害し制限することを認めた出入国管理令は、全体として憲法第二二条違反として無効である。かりに出入国管理令そのものが違憲無効でないと仮定しても、日本共産党員に渡航の自由を認めないような適用をされている出入国管理令によつては、共産党員を処罰することはできない。共産党員に原則として海外渡航の自由を認めないでおきながら、その禁止を破つた共産党員を出入国管理令違反として処罰するようなことがあれば、そのような法令の適用の仕方自体が憲法第一四条一項、同第二二条違反になる。しかるに原判決は右のような弁護人等の控訴趣意を排斥して、被告人に有罪を言渡した第一審判決を支持した。このような原判決は、憲法第一四条一項同第二二条の解釈適用を誤つているので、破棄さるべきである。

第二点 
法令解釈適用の誤り 共産党員である被告人の海外渡航の権利にたいして、本件当時重大な弾圧が加えられていたことは、上告趣意第一点に指摘したとおりである。被告人の権利にたいするこのような加害は、憲法第一四条一項同第二二条、旅券法第一三条に違反する違法のものであつた。
被告人の基本的人権にかかる違法な弾圧が加えられているとき、被告人が正規の手続をとらずに海外渡航したとしても、これは緊急避難の法理によつて、違法性または責任を阻却する。被告人の海外渡航の権利にたいして政府から加えられた加害は被告人にたいする現在の危難にあたり、被告人のなした海外渡航は、現在の危難を避くるため已むことを得ざるに出でたる行為にあたる。しかも被告人が強行した海外渡航によつてなにらかの法益侵害があつたと仮定しても、それは被告人が避けようとした害に比較して、その程度を超えていないからである。つぎに被告人の行為は、超法規的違法性阻却の理論によつて違法性を阻却し、無罪判決が言渡さるべきである。これに反する判断をした原判決は、緊急避難及び超法規的違法性阻却の法理の解釈適用を誤つたものであり、この誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかで、原判決を破棄しなければいちじるしく正義に反することになるので、原判決は破棄さるべきである。

第三点 
法令違反、判例違反 本件公訴提起の手続は、刑訴法第二五六条第三項に違反して無効であるから、原判決は破棄され、本件公訴は刑訴法第三三八条第四項により、判決をもつて棄却さるべきである。刑訴法第二五六条第三項は、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。
訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」と規定している。「できる限り」とは、もちろん「できる限り厳格に」の意味である(刑事判決研究会編集・訴因に関する研究五四頁)。それでは、日時、場所、方法をどれくらい厳格に記載して犯罪を特定しなければならないかというと、判例はつぎのようにいつている。イ「日時、場所、方法は、これを綜合して犯罪構成要件に該当する具体的事実を他の事実と判別し得る程度に記載すれば足りる」(昭和二六年(う)九〇七号同二七年一月三一日札幌高刑三判、高裁刑集五巻一号八五頁)ロ「其の各個の行為の内容を一々具体的に判示し更に日時、場所等を明らかにすることによつて、一の行為を他の行為から区別することができる程度に特定し、もつて、少くとも各個の行為に対し法令を適用するに妨げない限度に判示することを要するものというべく」(昭和二五年一一月二二日広島高刑二判、高裁刑特報一四号一五二頁)ハ「数罪を構成する公訴事実を起訴する場合の訴因としては、一の行為を他の行為から区別し得る程度に特定し、以て少くとも各個の行為が如何なる法令の適用を受けるかが判明する程度に明らかにすることを要する」(昭和二五年一一月三〇日仙台高刑一判、高裁刑特報一四号二〇三頁)ニ「他の犯罪事実と識別することを得ざるもの若くは犯罪の内容を知るに由なきものは、何れも犯罪事実の表示としては不適法にして其の公訴提起の手続は無効なり」(大審昭和五年(れ)九七二号同年七月一〇日刑二判、刑集九巻五〇八号)
つまり、犯罪行為を構成する具体的要素を特定し、審判の対象となる訴因を、他の行為から区別できるようにしなければならないというのである。刑訴法ポケツト註釈全書が、「特定の程度は、少くとも他の訴因を構成すべき事実と区別できる程度でなければならない」(同書四九四頁)としているのも、その意味であろう。起訴状における訴因の特定が右のような厳格性を要請される根拠は、「訴因が特定していなければ何が起訴せられたか審判の対象が確定せず、又被告人に於ても再訴の抗弁を提出してよいかどうか判らず防禦の完璧を期することが出来ない」(昭和二五年一一月二二日広島高刑二判、高裁刑特報一四号一五二頁)、「訴因が特定していなければ、何が起訴せられたか訴訟の物体が判明せず被告人に於ても防禦の手段を尽くすことが困難で、再訴の抗弁をしてよいか判らないからである」(昭和二五年一〇月二七日広島高刑二判、高裁刑特報一四号一三三頁)とされている。これで明らかなように、刑訴法第二五六条第三項の趣旨は、審判の対象を特定して被告人の防禦を容易ならしめる目的と、さらに二重起訴のおそれがないかどうかを判別できるようにする必要があるためである。この場合注意しなければならないのは、二重起訴のおそれとは、現に審判をうけている事件が、将来間違つて再び裁判をうけるおそれがないように特定していなければならないということである。その意味では、「右犯罪は本件起訴前になされ、また二重起訴でもなく、時効にかかつていないことが明らかである」という第一審判決の判示だけでは、訴因の特定を判断する基準としては不充分である。第一審判決は将来における再起訴のおそれを見忘れているからである。そこで本件起訴状を検討すると、犯罪の日時としては、「昭和二十七年一〇月頃より同三十三年六月下旬迄の間に」と書かれているだけである。犯罪の場所及び方法については、何も書かれていない。刑訴法第二五六条第三項の要件は、どれひとつとして満足に充たされていないのである。こんなでたらめな起訴状は、前代未聞であろう。したがつて、たとえば、被告人が昭和二十七年四月頃から同三十三年六月下旬迄の間に、数回中国に渡航していたか、あるいはそういう疑いをかけられたと仮定してみよう。しかも本邦出発の地が、福岡、東
京、新潟、長崎というように異つており、また渡航の方法も飛行機、艦船、小舟といろいろの方法を採つていたとする。あるいは、そういう嫌疑を被告人がかけられたと仮定する。そういう場合に、本件のような起訴状では、被告人のいついかなる方法による渡航が審判の対象になつているのか分らないので、二重起訴の抗弁を出そうにも出しようがない結果になる。そういう危険を防ぐ法的保障が、刑訴法第二五六条第三項の法意にほかならないので、本件起訴状における訴因特定の方法は、明らかに刑訴法第二五六条第三項に違反して、無効である。犯罪の日時、場所、方法は、そのすべてが細く具体的に記載されていなければならないというものではない。たとえば日時の記載がいくら不明確であつても、場所、方法を具体的に書くことにより、「これを綜合して」(前掲札幌高裁判決)その不明確を補うことができれば、訴因の特定ができていないというわけでもない。要は、起訴状を全体としてみて、一事実を他の事実と区別して特定できる程度の記載があるかどうかである。しかるに本件起訴状は、犯罪日時の記載が不完全であり、場所、方法にいたつては、まつたく記載がないのであるから、訴因たる事実を他の事実から区別できる程度に特定したことにはならない。こんな起訴状は、典型的な刑訴法第二五六条第三項違反であつて、無効である。検察官の方では、こういう不完全な起訴状しか作られなかつたのは被告人が黙秘したからだと反論するかも知れない。しかし黙秘権の行使は被疑者の基本的な権利のひとつであるから、黙秘権の行使を理由にして、訴因明示の義務が免除もしくは軽減されるものではない。検察官は論告のなかで、「本件は密出国という隠密性の犯罪であり、相当以前の犯行であつて且出国先が本邦外で国交もなく捜査の方法がない事案であるので、本記載の如きはその日時の表示として当然許容さるべきものであると思料する」といつている。第一審判決も原判決もこのような検察官の見解を支持しているかのようにみうけられる。しかし、旧い事件であるかどうか、捜査
が困難であるかどうかなどによつて、被告人等のための権利保障規定である訴因特定の義務が緩和もしくは免除されるというのは、法文上の根拠がないし、またそういうことがあつてよいはずもない。
いずれにしても、本件起訴状は刑訴法第二五六条第三項に違反して無効であるから、本件は刑訴法第三三八条第四号により、公訴棄却の判決が言渡されなければならない。右に反する判断をした原判決は、刑訴法第二五六条第三項の解釈適用を誤つており、この法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかで、原判決が確定することはいちじるしく正義に反することになり、かつ原判決は前掲各判決に違反しているので、破棄さるべきである。

弁護の上告趣意
第一点 
出入国管理令第六〇条は旅券法第一三条の規定と相まつて憲法第二二条に違反し無効である。
一、憲法第二二条は外国移住の権利を明白に定めている。しかるに、出入国管理令第六〇条は外国に渡航する者は旅券の交付を受くるを要すると定め、同第七一条は密出国したばあいには犯罪として処罰すると規定している。この規定は旅券法第一三条第一項五号の規定、「……大臣は著しくかつ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれあると認めるに足りる相当な理由がある者には旅券は発給しない」と関連して考察しなければならない。ところで、原判決は前記出入国管理令の規定が右旅券法の規定と相補因果関係にあつて「渡航の自由」を制限していることを認めながら、「外国移住の自由」も公共福祉の制約に服すべきものであるとの議論を前提にし、右旅券法の規定もこれに基く合理的制限である旨判示する一審判決を引用している。しかしながら、抑々、「外国移住の自由」の一態様としての「海外渡航の自由」が憲法上、公共福祉の制約に服すべきであるとの論拠には疑問がある。けだし、憲法第二二条は一項において居住移転、職業選択の自由を公共福祉の範囲内で保障しているのに対し、第二項では文理的にも公共福祉の制約を伴わず外国移住の自由を保障している。さらに憲法一二条一三条による公共福祉の要請も基本的人権の享有並びに行使における道徳的責務を強調したにとどまり、人権固有の内在的制約を意味するに過ぎず、進んで個々の人権に対する具体的法律的制限効果を許容するものではないと解される。
けだし、しからざれば憲法が基本的人権保障の条章に於て、殊更に公共福祉の文言による制約を認めた条項と否とを区別する実質的論拠はないからである。しかも事を実質的に考慮すれば、資本主義の弊害を是正する見地にたち、且国際協調主義を基調とする憲法の趣意からすれば外国移住の自由‖海外渡航の自由の保障は不可侵であるべく、国法をもつてもこの自由を実質的に奪うことはできぬと解される。そしてこの自由の制限ないし侵害の態様はいかなる方法によるかをも問わず許されないと解されるから、従つて出国の手続法令によつて実質的、結果的に渡航の自由が侵害されることも、渡航の自由を保障する前記憲法の条章並びにその精神に反するものと言わざるを得ない。
二、この意味で旅券の発給を制限する形式も「渡航の自由」にかんする憲法上の保障に抵触する可能性をもつ。すなわち、国の政策的理由により法律で海外渡航の自由を制約し、又行政的方法で統制することも同様許されないと考える。しかるに原判決は旅券法による旅券の発給の当否については行政庁における法の運用の当、不当の問題に過ぎず、旅券法の規定の実質は憲法に違反しない、と判示する。しかしながら、判旨の前提とする旅券法がその全体の法意において、公共福祉のための要請をみたすものであるにせよ、又、旅券法の一三条が旅券発給につき行政庁の自由裁量権を是認するものであるにせよ。同条一項五号の規定は本来、公共福祉のために合理的制限と思考される範囲を超え必要以上に不当に旅券の発給を拒否する可能的余地を自由裁量という名目で一行政庁の権限としている点で、重大な違憲の要素を具有するものである。
すなわち、旅券法一三条一項五号によれば、冒頭に既に引用した如く、「著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当な理由がある者」には旅券の交付を拒否できる旨、規定されているが、右規定中、「日本国の利益又は公安を害する行為」それ自体が旅券申請当時明白且つ顕著であり、しかも刑法上の外患罪、内乱罪、国交にかんする罪等に該当し、刑事責任を課されるものである場合、旅券の発給を拒否するは格別、単に「“そのおそれのある”」故をもつて一行政庁の認定により旅券発給を拒否できる旨の右規定は実質的には時の為政者の主観的好悪の感情や偏見、悉意によつて国民の基本権が左右される危険性を文理的にも是認するものであり、これらを排除するなんらの客観的公正な安全保障が該規定上用意されていない。しかも、発給拒絶の処分をうけた申請人の権利の救済にかんする規定も欠いている。そして、前記のように「日本国の利益又は公安を害する行為」という概念は甚だ広汎且つ莫然とした抽象的なものであつて、もし、これが広く柔軟に解釈されるならばこれを保持するうえに、いかに“著しくかつ直接の危険がある場合” という法文上の限定を設けたとしてもその限定は全く意味のないものと謂うのほかはない。しかも右規定には近時東京地方裁判所において違憲無効とされた東京都公安条例(都条例四四号)に於てさえ、いわゆる集会等の許可申請に対し許否を決定するについて判断すべき
「公共の安寧を保持する上に直接の危険を及ぼすと明らかに認められる場合」か否かの基準がその規定自体の形式において整つていたにもかかわらず、尚該条例の全体系からみて、同条例六、七条の運用規定を考慮に入れても尚、許否の基準が具体性を欠き不明確の譏りを免れない、として違憲無効とされたのである。しかるに旅券法の前示の規定(十三条一項五号)には文理形式からみても、かような旅券発給を許容するか拒否するかの合理的基準を欠く。従つて憲法の鎖によつて固く保障されている国民の基本的人権としての「渡航の自由」は一行政機関の恣意的判断によつて左右されざるを得ない。なる程、かりに公共福祉のために制約が可能であるという見解にたつたとしても、本来、伸縮性にとむ公共の福祉という観念についてはそれによる制約は最少限度にとどまるべきであつて、叙上旅券法の規定は法文自体に於て、本来、許容される範囲としての公共の福祉による制約を超えて、必要以上にこれを容易に拡張若しくは利用して渡航にかんする自由権を不当に制限しているものと言わざるを得ない。従つて、右旅券法の規定は形式的には無論のこと、実質的にも、渡航の自由を保障した憲法第二二条二項に反する違憲無効なものであると解すべきところ、前記出入国管理令の条項は右旅券法の当該規定を前提とするか又はこれと不可分一体の関係̶̶いいかえれば、出入国管理令の前記条項は違憲無効原因を包含する前記旅券法の規定事項の遵守を可罰的構成要件となすもので右両法令の規定は相互に補充し合う具体的因果関係にたつものであるから、仮りに出入国管理令の前記条項が形式的には合憲性を有する有効なものであるとしても、前記旅券法の規定の形式と実質並びに後にふれるように現実の該規定の適用され運用されている実態とを連関させて考量すれば出入国管理令の前記各条項は実質的に違憲性が明瞭であり、無効たるを免れ得ない。と言わねばならぬ。
三、原判決は原審弁護人の前記法令の運用における違憲性を主張したのに対し、「出入国管理令や旅券法が実質的に憲法第二二条の精神を無視されて運営されているとの所論は独自の見解に過ぎず、これを認むべき何等の証左もない云々」と判示しているけれども、これは事実を顧みない暴論であることは被告人Bにかかる福岡地方裁判所昭和三四年れの第三号、出入国管理令違反公判における元外務大臣C、国民救援会会長代理Bの各証言に徴しまことに明瞭なりというべきである。すなわち、本件当時の旅券法の前記規定の具体的運用状況について、B証言の趣意、概要によれば、昭和二七年四月モスコーでの国際経済会議に対し、ソ連から日本に各界の有力者(北村徳太郎、帆足計、石橋湛山、村田省蔵、石川一郎)や労組代表の派遣方招請があつたので準備していたことがあるが、政府の渡航妨害がひどいため中途で断念し、僅かに宮越喜助氏外がデンマーク迄の旅券を下附をうけて旅行先からソ連に入国し危く目的を達したこと、同年九月、北京におけるアジア太平洋地域平和会議に出席のため、大山郁夫、松本治一郎、神近市子、宇田耕一、畑中政春等の諸氏が旅券を申請したが、右会議がコミンフオルム系の計画にかかるものとして好ましからざる傾向を有するものであることを理由に拒否された事実、同年五月メーデー参加のため日本労組代表が北京迄の旅券申請も同様不許可になつた事実、等旅券の下附について非常に困難な状態がつづき、日本国民の海外渡航の権利はアメリカ、イギリス、フランス、デンマーク、ビルマという国々には自由であつたけれども、中国、ソ連、東欧諸国に対しては全く不自由というよりは完全に抑圧されていたという事実、又翌昭和二八年十一月には中国国慶節に参加方の招請をうけた清水幾太郎、丸岡秀子氏他、日本でも社会的地位も高く信頼されていた人達がした旅券の申請も拒否された事実、又同年三月中国から日本帰国者送還にかんするいわゆる「北京協定」締結のための日本代表団に対する通常の旅券も発給を拒否された事実、更に同年四月、在日中国人浮虜遺骨送還の日本側代表に対し北京への旅券下附が拒否された事実、昭和二九年度前同様な旅券申請が容れられなかつた事例が数多存在している事実、しかも、右何れも旅券の発給が拒否された理由はC証言によれば、当時は中国、ソ連地域とは何れも国交未回復であつたから、前記旅券法十九条、並びに一三条の規定に従つてなされたとされるが、一方、出国者の「生命、財産の危険」や「国の利権や公安を害する」ことが旅券発給拒否の主たる理由とされていたというにかかわらず、外務大臣在任中、ソ連、中国に入国し得た日本人が至るところで優遇され、生命、財産の危険に遭遇したことはなかつたこと、が認められ、又、旅券発給許可基準はあるが、それは行政機関内部の機密にかんする黙否事項であつたこと、等が認められる。
而して、以上の点について仔細に検討すれば、旅券発給にかんする行政庁の処分は前記旅券法の条項の許可基準が広範、漠然、抽象的であることを奇貨として、極めて技術的にルーズな判断に依拠していたことが顕著であり、このことは旅券発給庁である外務省が法務省と協議しても協議の一致しないときは外務省が政治的にきめる、とのC証言と、当時、旅券発給拒否の処分を受けた者の殆んどが、日本国憲法下で合法的に成立し保障されている共産党内外の支持者であることから、「権力者の思想と意見を同じくする者」には自由な渡航の機会を保障し、「権力者が嫌悪する思想の持主」に対しては、渡航の自由を抑圧していたことが明らかである。ちなみに、中国とは不幸にも未だ国交未回復であるが近時に於ては国際情勢の好転を理由に若干の旅券の発給が許容されていることにてらし、国交の回復しているか否かの一事によつて且それの理由によつては旅券拒否の正当の理由にはなり得ず、又、渡航の目的地とか会議の性質如何も旅券発給拒否をなんら正当に理由ずけるものではない。しかるに、本件当時の旅券発給庁である外務省の旅券法運用に対する処分は渡航申請者が合憲法的に保障を具有する属性(例えば共産主義という思想)や、渡航の目的地、会議の性質に着眼し、これらにつき実質的因果関係を含めて、渡航者の「生命、財産の危険がある」とし、さらにはは「日本国の利益や公安を害するおそれがある」という名目で渡航の自由を奪つていたものであり、してみれば、旅券法の該法文は、規定自体のうちに前叙の如き、違憲性を具有していると同時に、その具体的運用に於ても極めて反憲法的に処理されていたことはこれを窺知するに充分である。附言すれば、前記引用のC証言中、旅券発給にかんする「許可基準」は公務所の機密にかんする黙否事項とあるけれども、実はこの点にこそ、国民の基本的自由権としての渡航の自由を制約する公務福祉(かりに制約が可能としても)の論理においてもおよそ客観的に至当な範囲、許容さるべき範囲を超えて政府的好悪の判断を恣意に任せている違憲性の根拠がある。如上「黙否事項」なる範疇は国民の基本権をひいて闇打ちするには格好の形式論理である、よろしく旅券法自体の条項に於て、所要の「許可基準」を定立すべきであり、これを欠く旅券法の前記の条項は基本的自由権を一行政機関の専断に委ね、その侵害の危険を容認するが故に違憲無効たるを免れ得ないこと既に前段にふれたところである。

物品税法違反被告事件
昭和40年(あ)第65号(原審:東京高等裁判所昭和39年(う)第1530号)
最高裁判所大法廷
昭和42年11月8日

判決
主 文
本件各上告を棄却する。
理 由
弁護人矢島惣平の上告趣意一、二について。
所論第一審判決添付の犯罪一覧表一ないし三、六ないし一○および一三の各事実に対する判例違反主張について考えてみるに、論旨引用の昭和二四年(れ)第八九三号同年七月九日第二小法廷判決および同三三年(あ)第一五六九号同三八年二月一二日第三小法廷判決は所得税に関するものであり、同三三年(あ)第二五三号同三八年四月九日第三小法廷判決は物品税に関するものであるが、要するに、いずれも、これらの税の逋脱罪が成立するのは、詐偽その他不正の手段が積極的に行なわれる場合に限るのであつて、かかる行為を伴わないいわゆる単純不申告の場合には、逋脱罪としてこれを処罰することはできないという趣旨のものであり、論旨は、所論各事実が物品を移出して販売した事実を全く正規の帳簿に記載しなかつたというような消極的な不作為にすぎないものであるのに、これを詐偽その他不正の行為に当ると解したのは、前掲の各最高裁判所判例と相反する判断をしたものであるというのである。
よつて按ずるに、所論所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐偽その他不正の行為とは、逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行なうことをいうものと解するのを相当とする。所論引用の判例が、不申告以外に詐偽その他不正の手段が積極的に行なわれることが必要であるとしているのは、単に申告をしないというだけでなく、そのほかに、右のようななんらかの偽計その他の工作が行なわれることを必要とするという趣旨を判示したものと解すべきである。原判決が、その理由の中で、「物品税を逋脱する目的で、ことさら、物品を製造場から移出してこれを販売した事実を全く正規の帳簿に記載しないで、その実態を不明にする消極的な不正行為も、その実体においては、正規の帳簿にことさら虚偽の記載をした最も極端な場合に当り、又その結果においては、少くとも正規の帳簿を破棄した場合と少しも変りがないのであるから、また右にいう詐偽その他の不正の行為に当るものと解するのが相当である。」と判示している部分をみると、その表現は措辞妥当を欠くところがあつて所論のような誤解を招くおそれがないでもないが、その全判文を通読すれば、原判決は、単に正規の帳簿への不記載という不作為をもつて直ちに詐偽その他不正の行為にあたるとしたものではなく、被告人Aが、物品税を逋脱する目的で、物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら、税務官吏の検査に供すべき正規の帳簿にことさらに記載しなかつたこと、他に右事実を記載した帳簿もなく、納品複写簿、納品受領書綴または納品書綴によつても右事実が殆んど不明な状況になつていたことなどの事実関係に照らし、逋脱の意図をもつて、その手段として税の徴収を著しく困難にするような工作を行なつたことが認められるという意味で、右判例にいう積極的な不正手段に当たると判断した趣旨と解せられる。したがつて、原判決は、当裁判所の判例と相反する判断をしたものとはいえず、所論判例違反の主張は理由がない。
その余の論旨は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない(被告人Aの前示所為は、逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるような工作を行なつたと認められるから、同被告人に旧物品税法〔昭和三七年法律第四八号による改正前のもの〕一八条一項二号の罪責ありとした原判決の判断は正当であつて、法令の解釈適用を誤つたものともいえない。なお、第一審判決添付犯罪一覧表八ないし一〇に「逋脱企図」とあるのは、記録に徴すれば「逋脱」の誤記であることが明らかである。また、同判決摘示の事実をその挙示の証拠と対照して読めば、その「税務官吏に対し虚偽の申立・申告をなし」たことは、前記一覧表四、五および一一ないし一三の犯行の手段とした趣旨を判示したもので、同表記載のその余の犯行の手段とした趣旨ではないと解せられ、原判決もまた右趣旨の第一審判決を是認したものと解せられる。)。
同三について。
所論は、単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由に当たらない。
また、記録を調べても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて、同四〇八条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

船員法違反出入国管理令違反被告事件
昭和42年(あ)第2287号
上告人:被告人A
最高裁判所第三小法廷
昭和43年7月16日

決定
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
弁護人高良一男の上告趣意は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(出入国管理令二五条一項、二条三号にいう「乗員」とは、船舶所有者らと雇入契約を締結し、実際に船内労働に従事する者をいうのであるから、たとえ、形式上有効な船員手帳を所持し、船員法三七条、三八条による雇入契約公認の手続を経ている者であつても、船内労働に従事し、その対償として給料等の支払を受ける意思がなく、単に出入国の手段として、雇入契約を仮装したにすぎないような場合には、その者は、出入国管理令にいう「乗員」にはあたらず、旅券に出国の証印を受けることなく出国すれば、同令七一条違反の罪が成立するとした原判断は相当である。)。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

弁護人の上告趣意
第一審判決並に之を容認した原判決には法令の解釈適用を誤つた違法があり、破棄しなければ著しく正義に反すると思料します。
第一点 本件帆船B丸の所有者がCである事実は評拠上明らかであります。同人は韓国人である為船舶法上、日本人であるC’ 名で登録されたものと推認されます。
CはDから金二十五万円を借り受けたが其の返済が出来なかつた為その担保としてB丸をDに引渡し、同時に船舶運航に必要な一切の書類等もDに預けていた事実が認められる。
DはCの了解を得てE’ ことEとの間に本件B丸を一ケ月五万円で裸チヤーターする契約が纒りEは本件B丸と其を運航するに必要な一切の書類等をDから受取り、賃料五万円を同人に支払つて居る事実もまた明らかであります。
従つてEは船員法第五条の船舶借入人に該当します。
同人は船舶借入人としてFを船長として雇入れて居り、被告人もEと話合いの上船員として雇入れて貰い、雇入契約の公認は船長無筆の為Eが申請して公認を受けて居ります。
乗船後は甲板員として作業に従事した事実もEの証言に依り明らかであります。
第一審並に原審が這般の事実を看過し船員法違反を以て問擬したのは明らかに法令の解釈を誤つた違法があり破棄しなければ著しく正義に反すると思料します。
第二点 被告人には本件当時罪を犯す意が全くなかつた。被告人と同様な手続きに依り日本と韓国の間を往復する船舶に船員として本邦を出国し、再入国した韓国人は一九五四年十一月から一九六三年七月迄の間に五〇一名に達して居り、被告人自身昭和三五年五月一〇日船員手帳の交付を受け本件迄四、五回本邦と韓国を往復して居ります。
被告人の出国は関係官庁、係員が立会し正式の手続に依つて為され再入国も正規の手続を踏んで許可されて居り、その様な経験を持つて居る被告人は本件の場合も合法だと云ふ確心の許で為された行為であり、罪を犯す意なき行為と解するのが相当と思料します。
此の点に於ても第一審判決並に之を支持した原判決には法の解釈を誤つた違法があり破棄を免れないと思料します。

人身保護請求事件
昭和43年(人)第1号
請求者:A、被拘束者:Bほか4名、拘束者:鹿児島入国管理事務所長
鹿児島地方裁判所(裁判官:松本敏男・藤田耕三・松尾家臣)
昭和43年8月22日
決定
主 文
一、請求者の請求はこれを棄却する。
一、本件手続の費用は請求者の負担とする。
事実及び理由
本件請求の趣旨及び理由は別紙記載のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりで
ある。
一、疎甲第三号証の一、二、同第四号証の一、二、同第五号証及び請求者及び拘束者の審尋の結果によ
れば、次の事実が一応疎明される。
被拘束者等は、昭和四三年八月一四日及び同月一六日沖繩那覇市において開催される原水爆禁止
世界大会並びに基地反対行動に参加のため沖繩に渡航したものの同年同月一六日午前九時四〇分
頃「基地侵入」の疑いで逮捕され、米国民政府公安局長Cの退島命令により同月一九日那覇港発の
琉球海運「おとひめ丸」に乗船し、同月二〇日午後零時四〇分頃鹿児島新港に到着した。その際拘束
者から出入国管理令第六一条に基づき、旅券法附則第七項、本邦から南方地域に渡航する者及び沖
繩から本邦に渡航する者に対して発給する身分証明書に関する政令(昭和二七年六月三〇日政令第
二一九号)所定の総理府発行になる身分証明書の呈示及びこれに帰国の証印を受けるべきことを求
められたが、右身分証明書は所持していたにもかかわらず、右証明書の提出を拒否したため、拘束
者から同日午後五時四五分頃総理府発行の身分証明書の呈示等法定の帰国手続をとるよう求められ
たのであるが、被拘束者等はあくまでこれを拒んだため、帰国の証印を受ける等の帰国手続を終ら
ないうちに、再び沖繩に向け同船が出航したので結局上陸できなかつた。
以上の疎明事実によれば、被拘束者等において出入国管理令第六一条所定の正規の帰国手続をと
ることは極めて容易であつたのであつて、右手続をとりさへすれば直ちに入国できた筈である。被
拘束者等は右手続の関係法令が違憲無効のものである旨主張するけれども、右規定は行政上の必要
から出たものであつて直ちに違憲無効と断定することはできない。従つて右規定に従つて所定の帰
国手続をとるべき義務を有する被拘束者等が、右手続をとりうる状態にありながら、自らの意思に
より敢えてこれをとらなかつたことが前記認定のとおりである以上、仮りに請求者主張のように被
拘束者らが入国できない結果が生じたとしても、それは自ら招いた結果であつて、これを以て人身
保護法第二条にいわゆる「法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている」に該当
- 2 -
するとはいえない。
よつて人身保護法第二条、第一一条第一項、第一七条、人身保護規則第二一条第一項第六号を各
適用して、主文のとおり決定する。
- 3 -
別紙
請求の趣旨
被拘束者等B、D、E、F、Gのため、拘束者に対し人身保護命令を発付し、被拘束者等を釈放する
旨の判決を求める。
請求の理由
一、 被拘束者等はいずれも「ベトナムに平和を!市民連合」(東京都新宿区《住所略》、代表H)の
会員であり、昭和四三年八月一四日より沖繩・那覇市において開かれた被爆二三周年原水爆禁
止世界大会に出席し、もしくは八月一六日の基地反対行動に参加のために沖繩に渡航した。
 被拘束者等は右世界大会終了後、同年同月一六日、午前一〇時頃より開催予定の沖繩嘉手納
空軍基地前でのB五二爆撃機撤去抗議集会に参加する予定でいたところ、にわか雨に遭い、基
地正面附近のガジユマルの木陰に雨宿り中に、米軍武装APに「基地侵入」の疑いで、同日午前
九時四五分頃全員逮捕された。
 その後被拘束者等は、米軍より琉球政府の手に移され、コザ署において取調中のところ、同
月一七日一一時頃琉球列島米国民政布令第一二五号第七章第三〇条にもとづく同月一九日限り
の退島命令(民政官に代り、琉球列島米国民政府公安局長C署名)を言渡され、やむなく同月
一九日那覇港発の琉球海運「おとひめ丸」に全員乗船し、同月二〇日午後零時四〇分頃鹿児島
新港に到着した。
二、 被拘束者等は、右船上において上陸のため、入国審査官から総理府発行になる身分証明書の
呈示をし、その身分証明書に帰国の証印を受けるよう要求されたが、右の要求を次の理由で拒
否した。
 沖繩は日本国であり、同じ日本国内の沖繩から本土に帰つて来るのに総理府発行の身分証
明書の呈示を求めるのは、憲法第二二条一項の「移転の自由」の侵害であるので要求に応じ
られない。
 出入国管理令第六一条で、有効な旅券の所持と、帰国の証印を要件として掲げ、これを沖
繩から本土への旅行者に適用することは、右と同じ理由で違憲無効な法規なので、その義務
を認めない。
 昭和四三年七月一五日、被拘束者等と同じ見解に立ち、日本人であることを愛知県公安委
員会発行の運転免許証を呈示して帰国証明書を羽田空港の出入国管理所より発行させたI氏
(《住所略》県営住宅内)の前例がある。
被拘束者等も住民票・学生証等をもつて日本人であることを証明するので、それをもつて
I氏の前例にならつて帰国証明を発行してもらいたい。
 ちなみに、被拘束者等はI氏の例と同じく、検疫・税関手続に対しては前者は既に乗船時に
おいて済ませ、後者は下船後直ちにその手続をとることを出入国審査官に通告している。
三、 しかるに、拘束者である鹿児島入国管理事務所所長J氏は、同日午後五時四五分頃米国民政
- 4 -
府の退島命令によつて乗船していた二二名全員を集め、「総理府発行の身分証明書の呈示をし
ないものは全員下船させない。この船は那覇に向つて出港するので、下船出来ない者は再度沖
繩に行つてもらう」との下船拒否通告を言い渡した。
 右二二名のうちには既に体力の限界にある者、その他の個人的理由から右の通告に反対しつ
つも再度の沖繩行に耐えかねる者も出て、二二名中一七名は総理府発行の身分証明書を呈示し
て下船したが、被拘束者等五名は自己の主張を貫くことこそが日本国憲法を守る義務のある国
民のつとめであるとの決意のもとに、体力の限度を越えて、右入国管理所所長の通告を拒否し
た。その後、同日午後六時三〇分頃「おとひめ丸」は被拘束者等全員を乗せたまま鹿児島港を出
港再度那覇に向つた。
四、拘束の違憲性
 拘束の意義
人身保護規則第三条によれば「拘束とは逮捕、抑留、拘禁等身体の自由を奪い制限する行為」
であると規定しているが、被拘束者等は後述の如く違法な出入国管理事務所長の違法な行政処
分により、船舶内に留めおかれ、沖繩・那覇港においては勿論、自己の見解を曲げることなし
には、再度鹿児島港においても下船を拒否され、永久に鹿児島̶那覇間を船舶上ですごさねば
ならず、このことはまさしく身体の自由を奪い又は制限する行為といわざるをえない。
 拘束者
右述の如く、身体の自由を奪い、又は制限しているのは出入国管理事務所所長の下船拒否通
告という行政処分である。よつてこの場合の拘束者は、現実に拘束状態を惹起せしめている行
政処分者としての鹿児島入国管理事務所所長であるJ氏が拘束者である。
 拘束の違法性
 出入国管理令第六一条によれば、本邦外の地域から本邦に帰国する日本人は、有効な旅券
を所持すること、旅券に帰国の証印を受けることの二つを義務づけている。(ちなみに、沖繩
への、または沖繩からの旅券に関しては旅券法附則七項・八項「本邦から南方地域に渡航す
るものおよび沖繩から本邦に渡航する者に対して発給する身分証明書に関する政令」昭和
二七年政令二一九号により総理府の発行する身分証明書をもつて旅券に代えている。)
しかし、右規定によつても、右規定に違反して有効な旅券を所持せず、そのため帰国の証
印を受けえない場合に、その者が日本人であり、帰国する者である限り、いかにするかの強
制規定はない。
それに反して、本人が外国人の場合、および日本人でも出国する場合には、同法第二五条
第二項、および第六〇条第二項において「出国してはならない」との強制規定を特別におき、
それをうけて同法第七一条はそれに違反する者に「一年以下の懲役若しくは禁こ又は十万円
以下の罰金」の罰則を規定している。
しかし、帰国する日本人である限りは、同法第六一条違反の効果として、「下船させてはな
らない」とか罰則とかの強制規定は存在しないのである。
- 5 -
即ち、出入国管理令は、外国人の場合、出国する日本人の場合と、帰国する日本人の場合と
は、法文上明白に区別し、前者に対しては有効な旅券の所持と出国の証印を義務づけるとと
もに、その義務違反に対しては、強制処分としての出国拒否、及び罰則を規定している。しか
し後者に対しては下船拒否及び罰則の規定等の強制処分を準備していない。
このことは、同法第六〇条が単なる訓示規定であり、その違反に対して法は何らの強制処
分を予定していないことを意味する。
 しかるに、拘束者は故意又は過失により法の解釈を誤り、総理府発行の身分証明書の呈示
を拒否した被拘束者等に対し、右の呈示拒否を理由に「おとひめ丸」からの下船を権限をこ
えて違法にも拒否し、同船船長に対し、被拘束者等の身体を船内に拘束するよう指示した。
そのため、被拘束者等は嘉手納基地での逮捕、拘留以来、疲労甚だしきにもかかわらず、本土
を目の前にして、鹿児島港に下船できず、再度退島命令の出ている沖繩に出航することを余
儀なくされた。
 そもそも、同法第六一条の立法理由は、外国人等の日本への密入国を制限するために、日
本人と称する者が真に日本人であるか否かを確かめる方法として立法されたものであるか
ら、別の方法で(例えばI氏の例の如く公安委員会発行の免許証、その他、住民票、戸籍謄本、
学生証、あるいは米民政府発行の日本人であることが明記されている退島命令書等)日本人
であることを証明出来れば、即ち身分証明書に代わるものがあれば、それで代えることを何
等禁止するものでもなく、いわんやその義務違反に対して強制処分をもつて対処することを
何等予定しているものではない。
右の点について、I氏に対してとつた羽田空航入国管理事務所の行政処置こそが法の予定
した立前であり、鹿児島入国管理事務所長のとつた今回の行政処分は違法というほかはな
い。
 さらに出入国管理令第二条において、右政令にいう「本邦」を定義して「本州、北海道、四
国及び九州並びにこれらに附属する島で法務省令で定めるものをいう」と規定している。同
法第六〇条第一項は、「本邦以外の地域」から本邦に帰国する日本人にその適用範囲をしぼつ
ている。
そこで、沖繩は「本邦以外の地域」といいうるかの問題が発生する。法務省令は確かに沖繩
を「本邦以外の地域」と規定はしているが、右省令はその範囲内でわが国憲法の適用範囲を
誤り、その範囲内で違憲・無効である。
なぜなら、日本は沖繩に対して主権を保有するものであるから、平和条約第三条により沖
繩の施政権がアメリカ合衆国に委譲されても、アメリカ合衆国は日本の主権が制定した最高
法規である日本国憲法に抵触しない範囲内において、施政権を行使しうるにすぎない。
しかも、日本国憲法第二二条第一項は「移転の自由」を規定している。
故に、同法第六一条の「本邦以外の地域」のなかに沖繩を含める法務省令は、「移転の自由」
を侵害するがゆえに違憲・無効である。

司法警察職員のした差押処分を取り消す裁判に対する特別抗告事件
昭和43年(し)第100号
最高裁判所第三小法廷
昭和44年3月18日

決定
主 文
本件各抗告を棄却する。
理 由
検察官の抗告趣意第一点は、憲法三五条、一二条違反をいうが、その実質は、単なる訴訟法違反の主張であり、第二点は、単なる訴訟法違反の主張であり(刑訴法二一八条一項によると、検察官もしくは検察事務官または司法警察職員は「犯罪の捜査をするについて必要があるとき」に差押をすることができるのであるから、検察官等のした差押に関する処分に対して、同法四三〇条の規定により不服の申立を受けた裁判所は、差押の必要性の有無についても審査することができるものと解するのが相当である。そして、差押は「証拠物または没収すべき物と思料するもの」について行なわれることは、刑訴法二二二条一項により準用される同法九九条一項に規定するところであり、差押物が証拠物または没収すべき物と思料されるものである場合においては、差押の必要性が認められることが多いであろう。しかし、差押物が右のようなものである場合であつても、犯罪の態様、軽重、差押物の証拠としての価値、重要性、差押物が隠滅毀損されるおそれの有無、差押によつて受ける被差押者の不利益の程度その他諸般の事情に照らし明らかに差押の必要がないと認められるときにまで、差押を是認しなければならない理由はない。したがつて、原裁判所が差押の必要性について審査できることを前提として差押処分の当否を判断したことは何ら違法でない。)、第三点は、事実誤認の主張であつて、いずれも抗告適法の理由とならない。
司法警察員の抗告趣意について。
司法警察職員は、事件を検察官に送致した後においては、当該事件につき司法警察職員がした押収に関する処分を取消しまたは変更する裁判に対して抗告を申し立てることができないものと解すべきである。したがつて、司法警察員の本件抗告の申立は不適法として棄却すべきものである。
よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

特別抗告申立書
国学院大学映画研究会代表者

右の者の申立に基づき、被疑者Bに対する騒擾、建造物侵入、威力業務妨害、公務執行妨害被疑事件について、東京地方裁判所刑事第一三部が本月二二日付でなした、司法警察員Cが同月二〇日東京簡易裁判所裁判官磯部喬の発した捜索差押許可状により、東京都渋谷区東四の一〇二八国学院大学若木会館内映画研究室(映画研究会室の誤記と認む)でした差押処分を取消す旨の裁判のうち、別添一差押目録中番号四の一六ミリフイルムに関する部分に対し、別紙理由により、特別抗告を申し立てる。

昭和四三年一一月二七日
東京地方検察庁
検事正代理次席検事 高橋正八
最高裁判所 御中
(別紙)
理 由
被疑者Bは、昭和四三年一一月七日公務執行妨害罪により現行犯人として逮捕され、同月一一日勾留、引続き取調べを受けていたが、同月一九日に至り、東京地方検察庁検察官Dに対し、被疑者は国学院大学映画研究会の構成員であるが、一〇月二一日の国鉄新宿駅における騒擾事件に際しては、革マル派全学連の学生らと行動をともにし、同駅構内に侵入してこれを占拠し、国鉄の業務を妨害するなどして右騒擾に参加し、その際右映画研究会の構成員が事件現場で一六ミリ映画フイルムおよび三五ミリ写真を撮影し、被疑者は連絡係としてこれに加わつたもので、右フイルムなどは東京都渋谷区《住所略》a荘一八号室(右映画研究会構成員の居室)または国学院大学内映画研究会室に存在する筈である旨自供した。
そこで、前記検察官は、右フイルムなどの証拠としての重要性を考慮し、かつ、革マル派の構成員である右研究会の構成員が同証拠物を任意に提出することは到底期待し得ないと判断し、司法警察員Cに対し、右証拠物の差押方を指揮し、Cは、即日被疑者に対する別添二の騒擾助勢、威力業務妨害、公務執行妨害の被疑事実に関し頭書の場所において捜索差押を行なうため、東京簡易裁判所裁判官に対し、許可状の発付を求めて同日付同裁判所裁判官磯部喬発付の捜索差押の許可状を得、これに基づき、同月二〇日司法警察員Cは、前記映画研究会室において捜索を行ない、別添一差押目録記載の各物件を差押えた。
一方被疑者については、同月一九日取調中の公務執行妨害罪の事件につきこれを釈放し、同日、あらためて警察において右騒擾助勢等被疑事件による逮捕状を得て同人を逮捕のうえ、同月二一日検察官に対する事件送致がなされた。
ところで、右差押物件中本特別抗告がとりあげた別添一差押物件目録四の一六ミリフイムルは、次のようなものである。すなわち、右フイルムは、被疑事実となつている騒擾事件に際して、その騒擾主体の一つである革マル派全学連に属する国学院大学映画研究会の構成員が、革マル派の学生集団と行動をともにし、事件当日革マル派約一,〇〇〇名が、ヘルメツトをかぶり、角材多数を林立させて拠点校である東京大学を出発する状況、新宿に至る前千代田区麹町警察署前で機動隊に阻止され同機動隊および同署に対し、執拗な投石をくり返して攻撃する状況、さらに反転して新宿駅に向け行進する状況、同駅構内へ侵入したうえホーム上その他の警察官、駅施設に対し、集団として激しく投石する状況などを詳細に撮影したものであり、これを新宿における騒擾事件を中心としてみれば、すべての画面が、同事件における騒擾主体の暴力的企図、共同暴行脅迫意思の形成過程、多衆暴行の具体的様相等を何よりも如実に再現しているもので、すでに収集されている多数の証拠と相まち、事件全体の真相を究明するためにも、また被疑者の本件への加担程度、情状等を認定するためにも、証人の供述をもつては到底表現し難い内容を有し、極めて証拠価値の大きい重要な証拠物である。事件の実相を活写している点では、その一貫性とともに、おそらく、これまでに収集し得た写真、映画フイルムよりも一段と優れたものといつても過言ではないであろう。
しかるに、同月二一日国学院大学映画研究会代表者Aより本件捜索差押許可の裁判および差押処分の取消し等を求める準抗告の申立があり、東京地方裁判所刑事第一三部は、右準抗告のうち、後者を認容し、本件差押処分を全部取消す旨の決定をなすに至つた。
原決定は、別添差押目録番号四の本件一六ミリフイルムにつき、これが被疑者の被疑事実との間に関連性のあることを認めながら、第三者の所有する物について押収する場合は、捜査の必要性と押収される第三者のもつ利益との比較衡量が必要であるとの前提のもとに、「本件についてみるに右フイルムは被疑者の具体的な犯行状況を内容とするものではなく、他の共同者の行為を内容とするもので、その罪責に対する影響、被疑者の役割りの軽重の判定、その他被疑者の罪を立証すると思われる作用は極めて低いと思われ、本件被疑者の被疑事実との関係で考える限り、第三者が適法に撮影し所持している右フイルムを押収する必要はさほど強いものとは言えず、右フイルムを押収されることの、その所持者たる映画研究会に与える不利益(その一つとして、彼らはこれを期日の迫つた学園祭に上映する目的を有すること等)とを比較衡量してみた場合には、右フイルムの強制的な差押までは許されない」としている。
しかしながら、原判決は以下詳論するとおり、憲法の解釈に誤があるのみならず刑事訴訟法に規定する物の押収に関する捜査官の権限行使を甚だしく制約し、その立場を無視する極めて不法な裁判であつて、決定に影響を及ぼすべき法令の違反及び重大な事実の誤認があり、これを取消さなければ著しく正義に反するものであるから到底取消しを免れないものと思料する。
第一点 原決定は、憲法第三五条、第一二条の解釈適用を誤りその法意に著しく反している。
原決定は、本件差押物件に関し、捜査官(検察官、検察事務官、司法警察職員の意で以下これに同じ)がその裁量権の範囲内で、裁判官により正当な理由があるとして適法合憲に発付された令状に基づいて実施し、手続上もなんらの法的瑕疵のない、差押処分を事後的に審査し当該物件のもつ犯罪との関連性を認めながら、あえて捜査上の必要性と物件所持者らの利益の程度を比較衡量して強いて差押処分を不当としてこれを取消したのであるが、右の判断は捜査官の行なう差押について実質的必要性(信用性、証拠価値の程度、代替性の程度、他の証拠との量的関係、捜査の発展状況その他の広汎な情況の意義で以下これに同じ)についてまで裁判所が無制約に審査判断できるとの誤解に基づいて、憲法第三五条にいわゆる「正当な理由」に基づいて発せられた令状による適法な差押処分を取消したものであつて、これは憲法第三五条の法意に反し、一方差押物件所持者などの利益を不当に高く評価してこれを捜査上の必要性に対し極度に優先させ、基本的人権が公共の福祉のため利用されるべきことを定めている憲法第一二条の精神に著しく反する結果を招来している。
一、そもそも憲法第三五条が捜索、差押は原則として令状によつて行なうべきこととしているのは、基本的人権を尊重し、国家権力の行使を適正な範囲および手段に限定するものであると同時に、一方捜査によつて犯人を発見し証拠を収集して事案の真相を明らかにし、刑罰法令の適正迅速な適用実現を図り、もつて公共の福祉の維持増進を期そうとする目的の達成を図つているものである。
故に、同条は右各要請を調和させるように解釈すべきで、このような観点から考えると、同条第一項は「正当な理由」に基づいて令状が発せられるべきことを定めているが、ここに「正当な理由」とは犯罪の嫌疑があること、捜査差押の目的物が右犯罪と関連性を有することを内容とするもので、それ以上の理由を含むものではないと解される。
また、すべての国民は公共の福祉のために捜査に協力することを期待されており、そのため刑事訴訟法第二二三条が規定されているほか、同第二二六、二二七条に証言義務も課せられているのであつて、犯罪捜査に必要がある物の所持者はこれを任意に捜査の用に供することを法は期待しているものと解され、その期待に反し法定の理由がないのに協力が得られないことが合理的に推測される状況下において、捜索すべき場所と差押の目的物を特定して差押えることは、当該物の所持者の基本的人権をなんら不当に制約することとなるものではない。憲法がその第三五条で実現しようとしている人権保障の目的は、差押が右の理由と方式を備えていることによつて十分に満足されているものと言わなければならない。従つて、同条は裁判所が差押許可状の発付、或いは差押処分の審査にあたり右の各要件以上の事項について実質的に審査することを当然に認めているものではなく、わけても差押の実質的必要性特に捜査の必要と物件所持者などの利益との比較衡量をなすべき権能を定めているものでもない。
二、捜査における差押手続の主体はあくまで捜査官であつて、その差押の実質的な必要性の判断は捜査官の裁量によることは自明の理であり、右の裁量権への安易な干渉は捜査上の手続形成そのものを麻痺させるおそれがある。すなわち捜査の遂行の権限と責任を有しない裁判官が差押の実質的必要性の有無について広く審査、判断をすることは、捜査そのものに関与することに帰するのである。
右のことは三権分立を基本的原理とするわが憲法の基本的立場からしても言いうるところであつて、要するに憲法第三五条第二項は裁判官に行政権の作用である捜査に実質的に関与するがごとき差押の実質的な必要性についての判断権を無制約に与えたものと解することは許されないものといわなくてはならない。
故に憲法第三五条は裁判所に対し差押の実質的必要性の有無を審査判断する権能を与えたものではなく、また、後記のように刑事訴訟法上もまた、かかる権限は認められていないのである。
しかるに本準抗告裁判所が無制限に右必要性について判断したことは憲法第三五条が目的とした基本的人権の尊重と公共の福祉の維持増進の調和を破り、捜査機関の裁量権を著しく阻害するものであり、きわめて失当といわなければならない。
三、原決定の申立人は、憲法上保障された基本的人権に反する差押は許されないと主張し、原決定は、差押の必要性を判断することができるとして、その必要性の判断に当り、申立人の主張を容認したのではないかと思料されるのであるが、かかる憲法上の解釈は、いずれの点からも認めることができない。
例えば憲法第二一条第二項の通信の秘密に関する物件といえども、刑事訴訟法第一〇〇条の規定により差押を行なうことができるし、また報道機関についても、刑事訴訟法第一四九条の証言拒絶権に関する最高裁判所昭和二七年八月六日大法廷判決(刑集六巻八号九七四頁)の判旨によつて明らかなように、刑事訴訟法第一〇五条に制限的に列挙される業務に報道機関が含まれていないことを留意すべきである。まして、後述するように本件フイルムの撮影は犯行集団の一員として同集団の側に立つて、その活動を記録しようとしたものであつて、報道を目的としたものとは認められず(被疑者調書参照)客観的にも報道の自由の範囲内のものとして特別に取扱うべき公共性を具備しないことは明らかである。
さらに、学問、研究の自由との関係についてみても、本件撮影行為およびその利用行為は「真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動にあたる行為をする場合」(最高裁判所昭和三八年五月二二日大法延判決、刑集一七巻四号三七〇頁)であつて、これを「大学の学生が学問の自由を享有しうる場合」とみることは到底できない。(この点申立人Aに対する決定は、本件フイルムを学園祭において上映する目的を有していた旨述べているが、被疑者の供述によつても右の目的は認められず、かりに上映の目的が右のようなものであつたとしてもこれをもつて直ちに捜査の必要に優先すべき利益とは認められない。)。以上述べたように、原決定が捜査上の必要と所持者らの利益を比較衡量したうえ、後者が優先すべきものと判断したのは、結局基本的人権の濫用をいましめ、基本的人権を公共の福祉のために利用すべきことを定めた憲法第一二条の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。
第二点 原決定は、刑事訴訟法第一条ならびに第二一八条の解釈を誤つたものであつて同法第四一一条にいう重大な法令の違反がある。
一、原決定は、適法に発付された令状に基づき、かつ、その実施についてもなんらの瑕疵がない本件差押処分について、当該差押物件のもつ犯罪との関連性を容認しながら、あえて捜査上の必要性と第三者の利益との比較衡量にまで立ち入つて判断し、差押処分を不当としてこれを取消したのであるが、右判断は明らかに刑事訴訟法第一条ならびに第二一八条の解釈を誤つたものである。
二、本件差押えにかかる物件は、前述のごとくきわめて証拠価値が高く、かつ代替性を有しない証拠物であるが、捜査機関としては、真実を発見して公共の福祉を維持し、刑罰法令の適正かつ迅速な適用をはかるためには、これらの物的証拠をできるだけ迅速かつ豊富に収集しなければならず、このことはとりもなおさず公判審理の長期化を避け、刑事被告人に迅速適正な裁判を保障することとなるのである。
従つて自由の偏重を避けつつ真実を発見するためいわゆる科学的捜査を遂行することが要請されている現行刑事手続においては、とくに右のような証拠価値の高い物的証拠を収集することが可能なかぎり担保されていることを要するのであり、一方すべての国民は原則として捜査に協力することを法は期待しているのであつて(たとえば刑法訴訟法第二二三条、第二二六条、第二二七条)、その期待に反し正当な理由がないのに協力が得られない場合、法定の手続によつて捜索、差押を行なうことは当該物件の所持者の基本的人権をなんら不当に制約するものでなく、刑事訴訟法第一条は右の条理を明示したものというべきである。しかるに原決定が、本件証拠物によつて同法第一条に定めるところの事案の真相を明らかにし、捜査及び公判審理の期間を短縮し刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現しうる点を無視して、その必要性が少ないとの判断をなしたことは刑事訴訟法第一条の法理に背反するものといわざるを得ない。
三、刑事訴訟法第二一八条第一項は、捜査機関が「犯罪の捜査をするについて必要があるときは裁判官の発すれ令状により」差押、捜索をすることができる旨規定しているが、その必要性の判断は一にかかつて捜査機関の権限に属するものであり、一見明白な瑕疵がなく、あるいは著しく合理性を逸脱していないかぎり、裁判官は必要性につき立ち入つて判断することはできないものと解される。いわんや捜査上その必要性が明らかな場合に第三者の利益との比較衡量をするごときは、明らかに裁判官としての権限を逸脱した判断であるといわざるを得ず、このことは以下論述するところによつて明らかである。
いうまでもなく、捜査権は行政機関である検察官、司法警察職員等の専権に属し、かつ捜査の遂行はきわめて流動的かつ発展的でありまたとくに迅速に行なわれることを要するのである。かかる本質を有する刑事手続にあつては、捜査の必要性の判断は、捜査機関の裁量にかかるものであることは当然の事理であつて、裁判官が前述の限界をこえて必要性、相当性の判断をなすことは、本来の捜査それ自体に関与することとなり法の建前を破るのみならず、実際問題として流動的に発展する捜査過程における処分の必要性の判断は、その衝に当る捜査機関のみがよくなしうるものといわなくてはならない。
また逮捕状についての刑事訴訟法第一九九条第二項の規定は、昭和二八年における改正にあたり、その以前においては、裁判官が令状発付につき、必要性の審査権又は審査義務を有するか否かについて解釈の分れるところがあつたので、差押、捜索よりも基本的人権に影響するところの大である逮捕について裁判所に必要性の審査義務を課したのであるが、同時に同項は「明らかに逮捕の必要がないと認めるとき」でないかぎり裁判官は逮捕状を発すべきことを定めているものである。よつて前述の一部改正の際においてその他の差押、捜索、検証の処分に関する裁判官の審査義務についてはなんらふれることなく従来の規定を存置した経緯に照らすならば、差押の実質的必要性に関する裁判官の裁判権は基本的にはなくきわめて例外的に制約されたわく内でのみ認められるものといい得るのである。
故に,すでに令状発付裁判官の判断を経て正当に発付された令状に基づいてなされた差押処分に関し前述のごとき立つ入つた事後判断をなすことは明らかに法の解釈を誤つたものである。 
なかんずく原決定は、「押収する必要性はさほど強いものとはいえない」旨の判断をなし、相当性の有無に関してまで言及していることは明らかに捜査権に容かいするものであつて、準抗告裁判所としての判断の限界を著しく逸脱したものというべきである。
さらに原決定は、本件フイルムは「被疑者の具体的な犯行状況を内容とするものではなく、他の共同者の行為を内容とするもので、その罪責に対する影響、被疑者の役割の軽重の判定、その他被疑者の罪を立証すると思われる作用は極めて低いと思われる」旨述べている。前述のごとくかかる判断を加えること自体失当であるのみならず、本件フイルムは被疑者に関する直接証拠として、自白を補強するほとんど唯一の証拠物であり、かりに被疑者自身の映像が写つていないとしても、被疑者が騒擾現場における連絡係をしていた点などから、撮影者とともに行動していることが認められるのである。さすれば本件フイルムは現場における被疑者の行動、位置関係を明らかにし、共同暴行の意思、加担の程度などを明らかにするうえで不可欠の証拠であるのみならず、フイルムに写つている革マル派集団の状況すなわちその行動状況が過激的であるか否かは、同集団に属する被疑者の犯情を確定するうえでも重要な事情となるものである。
また原決定は、あたかも差押の必要性が、被疑者との関連においてのみ判断されるべき問題で
あるごとく述べているが、およそ証拠物は共同犯行者全体、すなわち本件の場合は騒擾事件の全被疑者との関連において共通の証拠価値を有するものであつて、たまたま被疑者が一名であることをとらえて証拠物自体の有する証拠価値を過少に評価することは右の原則を忘れたものといわざるを得ない。
以上の次第で原決定は、刑事訴訟法第二一八条の解釈を誤り、不当に必要性に関する判断をなしたものであつて明らかに失当である。
第三点 原判決は、刑事訴訟法第四一一条にいう重大な事実の誤認がある。
捜査官の行なう証拠物の差押処分について、その適否を判断する準抗告裁判所に、差押の必要性についてまで実質的な審査権限がないと解すべきことは前述したとおりであるが、かりにこれら必要性について裁判所に審査権限があるとしても、原決定は、これらの判断をなすにあたり重大な事実の誤認をなし、その結果捜査官にとつて全く容認し難い結論を導くに至つたものである。
原決定は、捜査の必要性と押収される第三者のもつ利益との比較衡量をなすにあたり、一方で、本件フイルムは被疑者の具体的な犯行状況を内容とするものではなく、他の共同者の行為を内容とするもので、その罪責に対する影響、被疑者の役割りの軽重の判定、その他被疑者の罪を立証すると思われる作用はきわめて低い、との誤つた判断を示し、他方でも本件フイルムは、第三者が適法に撮影し所持するものとの独断をなしている。しかしながら、本件騒擾事件のごとく、数千人にのぼる暴徒が長時間暴行脅迫を逞しくした事案においては、各種多量の証拠を比較検討し、本件全体の様相とその間における個々の被疑者の加担程度等を総合的に認定把握すべきもので、しかもそれにはかなりの長時間の努力を要するものであり、個々の被疑者の行為を認定するにあたり、準抗告裁判所のように各種の証拠を別個分断し、しかも短時間一見したのみで評価するごときは、およそ捜査官の日夜をわかたぬ努力には程遠いものがある。原決定は、本件フイルムは被疑者の具体的な犯行状況を内容とするものではない、とするが、被疑者が右フイルムに撮影されている革マル派学生集団と行動をともにしていた疑いが濃い以上、まさにそこにあらわれている映像の如く共同行動をとつた疑いもまた濃いのであつて、他の共同者の行為は、すなわち被疑者の役割りを判定するうえに無視できないのみならず、これらフイルムの画面に被疑者が写つているか否かは、被疑者の取調担当官が被疑者の人相、着衣から挙措動作の特徴に至るまで十分に理解把握してようやく発見するに至る場合があり、さらに、本件フイルムと他の多くのフイルムなどを比較検討することによつて、相互の関連や、被疑者自体、およびその属した集団の行動の連鎖を見出す例も多く、現に本件騒擾事件で起訴した被告人中には、勾留取調を行なうこと二〇日近くにして、ようやく証拠写真中より、その犯行の決定的瞬間(放火行為の後姿)を見出した例も存するのである。結局、原決定は、群衆犯罪ないし多数共犯者ある場合の犯罪の事実認定にあたり、証拠は、当該被疑者のみならず全被疑者との関係においてその必要性を判断すべきことを知らず、また本件被疑者のみにつき、本件フイルムのみをみても、そこにあらわれている革マル派ら学生集団の行動如何が本件被疑者の犯罪の成否、情状の認定に密接に関連しきわめて必要性の高いことをみようとしないものというほかない。
さらに、原決定は、本件フイルムが第三者によつて適法に撮影されたものとしているが、右撮影者たる同学院大学映画研究会員が従来から集団暴力をくり返してきた革マル派に属し、本件当日も右集団と行動をともにしたものであつて、暴徒集団の外にあつた第三者でないこと、被疑者とは共同犯行者たる関係にあることの疑いが濃いこと、撮影の場所も、新宿駅構内に集団とともに不法に侵入したうえ暴徒集団の中に身をおいていたと認められる場合が多いこと、フイルム購入資金を被疑者も負担しているなどにかんがみれば、到底適法に撮影したとは認められないこと、これらの実情から映画研究会として自己の利益を主張する根拠のないことすでにる説したとおりであつて、この点においても原決定は明らかに事実を誤認している。(押収しないときの隠滅の危険も考慮しなくてはならない)
以上の事実誤認はすべて本件証拠物差押の必要性につき誤つた判断をする際の基礎となつているものであつて、原決定の結論に決定的な影響を及ぼしていることはきわめて明白である。
以上の諸点よりして、原決定が本件差押の必要がないと判断したことは失当であり、今後憲法第三五条および関係法令の解釈運用に影響するところが多大と考えられ、刑事訴訟法第四三三条にいわゆる同法第四〇五条の理由があるのみならず同法第四一一条一号および三号の事由があつて、原決定を破棄しなければ著しく正義に反することが明らかなる場合に該当するものと信ずるので、御審理のうえ前記東京地方裁判所刑事第一三部のなした本件差押処分取消決定を取消し、相当な裁判を求めるため特別抗告の申立をなした次第である。
(付言)

退去強制令書に基づく収容の執行停止申請事件
昭和44年(行ク)第56号
申請人:AことA’、被申請人:東京入国管理事務所主任審査官
東京地方裁判所(裁判官:渡部吉隆・中平健吉・渡辺昭)
昭和44年9月20日
決定
主 文
 被申請人が申請人に対し、昭和四四年九月一一日付で発付した収容令書に基づく収容は当裁判所昭
和四四年(行ウ)第一九四号収容令書発付処分取消請求事件の判決確定に至るまでこれを停止する。
 訴訟費用は被申請人の負担とする。
理 由
一 申請人の申請の趣旨ならびに申請の理由は、別紙一記載のとおりであり、これに対する被申請人
の意見は、別紙二記載のとおりである。
二 当裁判所の判断
出入国管理令三九条が、入国警備官が退去強制事由該当容疑者を収容するには、その者に右の容
疑があることを疑うに足りる相当の理由があると認められるほか、所属官署の主任審査官の発付す
る収容令書によらなければならない旨規定しているのは̶̶もつとも、司法官憲の発する令状によ
らしめていない点において、違憲の問題が生ずるであろうが、この問題はしばらくおくこととし、
少なくとも̶̶収容すべきかどうかを主任審査官の判断に委ねることによつて、容疑者の人身の自
由を保障せんとする趣旨に出たものというべきである。したがつて、主任審査官は、収容令書の発
付にあたつては、単に容疑者が退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当の理由があるかどうか
を判断するばかりでなく、さらに収容の必要の有無についても判断をなすべきであり、収容を必要
とする合理的理由の認められない場合又はその理由が消滅するに至つたと認められる場合において
は、当該収容又は収容の継続は、それが収容令書によつてなされているとはいえ、違法たるを免か
れないものと解するのが相当である。もつとも、収容の必要の有無の判断にあたつては、外国人と
いう特殊性と違反調査の円滑な遂行を考慮しうることは、いうまでもない。被申請人は、同令四五
条を引用して違反調査にあたつては容疑者を収容することが法の建前であるかのように主張する。
しかし、入国審査官が同令四五条に基づいて行なう審査も、容疑者の身柄を拘束していなければ進
められないものではないので、被申請人の主張をもつて右の解釈を左右するに足る資料とは到底な
しえない。
疎明によれば、申請人は、米国籍を有し、B大学在学中、一たん州兵となつたが、その後兵役の登
録にあたり兵役につくことを忌避し、その代替的義務として三年間キリスト教宣教師たる活動を選
択し、昭和三六年一〇月一〇日日本に入国し、C等においてキリスト教の宣教に従事していたが仏
- 2 -

退去強制令書発付処分取消請求事件
昭和44年(行ウ)第14号
原告:A、被告:名古屋入国管理事務所主任審査官
名古屋地方裁判所
昭和45年7月28日

判決
主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第一、申立
(原告の求める裁判)
被告が昭和四三年九月二四日付でした原告に対する退去強制令書発付処分はこれを取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
(被告の求める裁判)
主文同旨の判決。
第二、主張
(請求原因)
一、原告は昭和一八年(一九四三年)六月二一日日本で出生し、爾来日本に居住する朝鮮人で、「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸令の措置に関する法律」(以下「法律一二六号」という。)第二条第六項の該当者である。
二、ところで原告は昭和四二年一一月三〇日名古屋地方裁判所において強姦罪等により懲役二年四月の刑に処せられ、同年一二月六日右判決が確定したため福井刑務所に収容され服役していたが、昭和四三年六月一一日名古屋入国管理事務所入国審査官より出入国管理令第二四条第四号リに該当するとの認定をうけたので、同日右認定に異議ありとして口頭審理を請求したが、同所特別審理官は同年七月四日口頭審理を行い、右認定に誤まりがないと判定した。そこで原告は更に法務大臣に異議申出をしたところ、法務大臣は同年九月一一日右異議申出を棄却した。
三、そこで被告は原告に対し、昭和四三年九月二四日退去強制令書発付処分(以下「本件処分」という。)をなし、昭和四四年三月一四日原告が前記刑務所を仮釈放により出所したので、同日入国警備官が本件処分を告知し、その執行をして名古屋入国管理事務所に収容し、同月一八日大村入国者収容所に移送した。
四、しかしながら本件処分には次のような違法がある。
 出入国管理令は法律一二六号第二条第六項該当者には適用されないから、同令に基づきなされた本件処分は違法である。即ち 現在日本には約六〇万人の朝鮮人が居住しているが、これらの人達は一九一〇年(明治四三年)の「日韓併合」以来の旧大日本帝国の朝鮮に対する植民地収奪政策により祖先伝来の土地と生業を失つたため、日本内地に流入し、或いは日本の戦争政策遂行のための徴兵、徴用により強制的に連行され、何十年もの間の日本での生活により日本に定着するに至つた人達とその子孫であるが、太平洋戦争終了前の三六年間に及ぶ植民地支配の時期に、これら在日朝鮮人の歩んだ受難の道は、関東大震災における大虐殺「内鮮一体化」の名のもとに行われた朝鮮民族の民族文化の抹殺、「皇民化」と称して行われた朝鮮人の姓名まで奪い取る「創氏改名」、「国民精神総動員」「大東亜共栄圏」の美名の下に行われた「強制連行、奴隷狩り」、「徴兵、徴用」等枚挙に暇がない。
 かような歴史的特殊事情からみれば、日本の敗戦を契機として在日朝鮮人が「外国人」となつたからといつて、一般外国人と同視してその居住の権利を剥奪制限することは許されない。かような見地から、在日朝鮮人に対し日本での居住上の利益を保護するために設けられたのが法律一二六号である。
 法律一二六号第二条第六項は「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日までに出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二二条の二、第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。」と規定し、在日朝鮮人については「在留資格」と「在留期間」という出入国管理令上の二大要素がなくても、本邦に居住生活できるとして、在日朝鮮人を同令の適用外に置いている。 
 従つて、法律第一二六号該当者である原告に対し、同令第二四条第四号リに該当するとしてなした本件処分は違法である。
 本件処分には裁量権の濫用ないし逸脱の違法がある。すなわち出入国管理令第二四条は「左の各号の一に該当する外国人については……本邦からの退去を強制することができる」と規定し、退去強制令書を発付するか否かは行政庁の裁量に委している。
 そして右裁量の基準としては、まず同条第四号ヨが「イからカまでに掲げる者を除く外、法務大臣が日本国の利益又は公安を害する行為を行つたと認定する者」と規定していることからも明らかな如く、「日本国の利益又は公安を害する行為を行つた者」であることが第一であり、基準の第二は、外国人の追放は、一般人の正義感情に適合した、追放を受ける者を不必要に苦しめない様な方法でのみ行なわれるべきだという条理である。
 ところで原告は、昭和一八年六月三一日Bを父としCを母として山口県小野田市に出生し、昭和三一年山口県《地名略》D小学校、昭和三四年同中学校、昭和三八年《地名略》E朝鮮高級学校を卒業し、同年四月東京都小平市朝鮮大学校に入学したが、翌年七月事情により同校を中退し、以来父方の叔父である名古屋市《住所略》F方に寄宿して、同人経営の鉄工所に自動車運転手として勤務していたのであり、何ら日本国の利益又は公安を害する行為を行つた者ではないのである。
 また、原告の父は昭和二三年に死亡したので、原告の母は昭和二六年Gと再婚して山口県《地名略》に居住しているが、右Gは土木請負業を営むかたわら、在日朝鮮人総連合山口県《地名略》支局財政部長の職にある。そして右G、母C、異父弟妹H、I、J、K、Lの七名は、昭和四二年七月一三日赤十字社臨時帰還業務対策本部長あてに朝鮮民主主義人民共和国(以下単に「共和国」という。)への帰国申請をなしたが、帰国業務うち切りのため未だ帰還できず、また原告も朝鮮人学校で民族教育を受けたものとして、同共和国への帰国を希望し、その旨の上申書を法務大臣等に提出している。ところで本件退去強制令書の送還先の記載は「朝鮮」となつているが、大韓民国は承認しているが、共和国とは国交を結んでいない日本国政府の
態度から考えれば、「朝鮮」とは「大韓民国」(以下単に「韓国」という。)を指すものであるところ、もし原告が送還されることになれば、当然共和国に帰還することが不可能になるばかりか、原告が共和国系であることに基づき処罰される可能性もあるから、韓国への送還は原告に不必要な苦痛を与えるものである。また原告は「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」第一条第一項に該当するので、韓国籍を取得すれば日本に永住しうるのであるが、原告は共和国公民たることに強い誇りを持ち、韓国籍を取得する意思をもたず、永住権の申請も行わなかつたため、本件処分をうけたものである。従つて本件処分は実質的には原告の国籍選択の自由を奪い、韓国籍の取得を強要すると同じ効果をもつものである。
 以上の如く本件処分は前記裁量の基準第一に合致しないのみならず、第二の条理にも反するものであるから、本件処分は違法である。
 仮にしからずとしても、出入国管理令第五〇条一項によれば、法務大臣は同令第四九条三項の異議の申出について裁決するに当つて、特別審理官の判定の適否のみならず、特別在留許可
を与えるか否かについても判断したうえ右裁決をなすべきであるところ、本件処分の先行行為たる右裁決には原告に対する特別在留許可を与えるか否かの裁量につき、裁量権の濫用、逸脱があるので、本件処分は違法である。すなわち 原告の経歴、原告および母Cの家族七名が共和国に帰還を希望していること、本件令書記載の送還先が「朝鮮」となつていることは前述のとおりである。
 ところで、日本政府が共和国と国交を結んでいない現在、原告は韓国に送還される虞れが非常に強いことは前記のとおりであるが、韓国政府が共和国の存在を認めず、これを敵視し、共和国を支持、承認するものは勿論「南北統一」を少しでも口にする者は反逆者として死刑をもつて臨んでいる今日、原告がもし韓国に送還されれば、朝鮮国籍を堅持し、共和国への帰国の意思を公然に表明している原告に対して、刑罰が課される危険が極めて大である。
 仮に出入国管理令第五二条第四項に定める共和国へ自費出国する方法があるとしても、原告には右費用がないため自費出国の方法をとり得ない。従つて原告は大村収容所に永久に収容されるか、韓国へ送還されるかのどちらかである。
 か様な事情がある以上、法務大臣が原告に対し特別在留許可を与えなかつたのは裁量権の濫用ないし逸脱があつたものというべきである。従つて、かかる違法な裁決を前提としてなされた本件処分も違法なものとして取消を免れない。
 本件処分は確立された国際法規、憲法第九八条第二項に違反する。すなわち 外国人追放に関する国際法規の存在「人権に関する世界宣言」第九条は「何人もほしいままに逮捕され、拘禁され、又は追放されることはない」と定めており、昭和四一年一二月一六日国連総会において成立した「国際人権規約」のうち、市民的政治的諸権利に関する規約第一三条は、外国人の追放は、国家の安全保障の必要がある場合のほか、法律に基づく決定に準拠し、かつ適正な手続の下において行われるべき旨規定した。
これは、「その国の公序と公安に対してその外国人の存在が重要な脅威を与えること」が平時における外国人追放の正当な理由であるとする国際慣習法が明文をもつて諸国家の承認を得たことを意味する。
 離散家族の保護についての国際慣習法の存在一九五一年一一月インドニユーデリで開かれた国際赤十字第一九回国際会議において、戦争、内乱その他政治的な紛争で生じた離散家族を再会させる決議が採択され、このことからも離散家族を再会させること、離散家族を生じさせないようにすることが確立された国際慣習法となつていることが明らかである。
 ところで、原告の存在が日本国の公序と安全に対して重要な脅威を与えるものでないことは前記の事情から明らかであり、また原告が国外に退去させられる時は、原告の母、異父弟妹達と離散することになるのである。
 従つて本件処分は右確立された国際法規に違反するのみならず、右の遵守を規定した憲法第九八条第二項に違反するものである。
三、よつて本件処分の取消を求める。
(被告の答弁)
一、請求の原因第一項ないし第三項記載の事実は認める。
二、第四項記載の事実は争う。
三、第四項記載の事実のうち、の原告の経歴は認める。但し原告が出生したのは山口県《地名略》であり、朝鮮大学校を中退したのは昭和三九年九月で、その後名古屋市《住所略》の叔父M方に身を寄せてトラツク助手(四カ月)となり、次いでパチンコ店々員(一〇カ月)となり、自動車運転手となつたのは昭和四一年四月以降である。またの事実のうち原告の家族関係、日本赤十字社が行つていた帰還業務が現在行われていないこと、原告が法務大臣等に原告主張の上申書を提出していること、本件令書記載の送還先が「朝鮮」となつていることは認めるが、Gらが共和国への帰還申請をなしていることは知らない。その余の事実はすべて争う。
四、第四項記載の事実のうち、Cの家族七名が共和国への帰還を希望していることは知らないがその余の事実は認める。ないしの事実は争う。
五、第四項記載の事実のうち、「人権に関する世界宣言」「国際人権規約」に原告主張の如き規定があること、原告主張の国際赤十字第一九回国際会議において、原告主張の決議が採択されたことは認めるが、その余の事実は争う。
(被告の主張)
本件処分には何らの違法はない。
一、法律一二六号第二条六項該当者に対しても、出入国管理令は適用される。すなわち、朝鮮人は、法律第一二六号第二条第六項にいう「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力の発生の日において日本の国籍を離脱する者」として、同日以降外国人(出入国管理令第二条第二号)となり、同令の対象となつたが、法律一二六号は戦前からの特殊事情を考慮して、わが国が降伏文書に調印した昭和二〇年九月二日以前から引続き本邦に在留する者について、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず、右該当者については別に法律で定めるまで当分の間は引続き在留資格を有することなく本邦に在留することができるとしたものであつて、あくまで同令第二二条の二の特則にとどまり、同令全般の、まして同令第二四条第四号の適用を排除しようとする決意ではない。このことは、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定第三条並びに同協定の実施に伴う出入国管理特別法第六条が、法律一二六号第二条第六項該当者に出入国管理令第二四条が適用されることを当然の前提として、退去強制の基準の緩和を定めていることからも明らかである。
従つて法律一二六号第二条第六項該当者には出入国管理令は適用されないとの原告の主張は全く理由がない。
二、本件処分には裁量権の逸脱、濫用はない。すなわち、出入国管理令第二四条は「左の各号の一に該当する外国人については……退去を強制することができる」と規定しているが、これは退去強制処分を行う行政庁の権能を規定したにとどまり、当該行政庁に処分を行うについての裁量の権限を与えていないいわゆる覊束行為であることは、同令第二九条から第四九条までの規定から明らかである。すなわち入国警備官は、同令第二四条各号の一に該当する疑のある者があれば、その者を収容して当該違反事実につき調査をなしたうえ、これを入国審査官に引渡さなければならない(同令二七条、第三九条、第四四条)ものであり、入国審査官は右引渡を受けた事件につき、容疑者が同令第二四条各号のいずれかに該当するか否かを審査し認定する(同令四五条第一項)ことを要し、また当該容疑者が右認定を不服として口頭審理の請求をしたときは、特別審理官は口頭審理を行い、右認定に誤まりがないか否かを判定(同令第四八条第三項第六項第七項)しなければならず、更に容疑者が右判定に対し異議の申出をなした場合には、法務大臣は右異議申出が理由あるか否かを審理し、裁決することを要する(同令第四九条第三項)ものとされている。か様に入国審査官の認定、特別審理官の判定および法務大臣の裁決は、いずれも容疑者が同令第二四条各号の一に該当するものであるか否かの点のみを審査し決定するよう義務づけられているのであつて、同令第二四条各号の一に該当する者につき、事案の軽重その他の事情を考慮する余地は全くなく、しかも主任審査官は、右の認定、判定、裁決の確定次第必ず退去強制令書発付処分をしなければならず(同令第四七条第四項、第四八条第八項、第四九条第五項)、令書発付処分をするか否かの裁量の余地はないのである。従つて主任審査官に自由裁量権があることを前提とする原告の主張は失当である。
三、法務大臣が原告に対し特別在留許可を与えなかつたことにつき、裁量権の逸脱、濫用はない。すなわち、出入国管理令五〇条に基づき特別在留許可を与えるか否かは法務大臣の自由裁量に属するものであり、しかも右許可は、国際情勢、外交政策等をも考慮のうえなされる恩恵的措置であり、裁量の範囲が極めて広いものである。ところで原告は、強姦、傷害罪という兇悪犯罪により懲役二年四月の刑に処せられた者であり従つて同令第二四条第四号リに該当することは疑問の余地のないところである。
また、本件令書記載の送還先は「朝鮮」となつているが、右は朝鮮半島を指すものであり、調査の結果韓国籍を有することが判明したときは、本人の意思いかんに拘らず原則として韓国に送還するか、韓国籍を有しないことが判明した場合においては、本人が韓国政府の管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島の地域に送還を希望する時は、その地域に送還することとなつている。原告は朝鮮人であり、右地域に送還されることを希望しているが、わが国は同地域と国交を持つていないので、同令第五二条第三項本文によつて右地域に直接原告を送還することはできない。しかし原告は同条第四項に基づき、主任審査官の許可を受けて、自らの負担により本邦を退去する、いわゆる自費出国の方法によつてその目的を達することができる。そして右地域への自費出国を希望した朝鮮人に対し、主任審査官が自費出国を不許可にした事例は存しないのである。また自費出国の費用は、ソビエト連邦の船舶を利用する場合は横浜、ナホトカ間ツーリストクラスCで二万一,二〇〇円、その他の船舶を利用する場合には、大阪港、南浦港間は数万円程度である。原
告は右費用を負担する能力がない旨主張するが、原告の義父Gは山口県《地名略》において土木負請業を営んでおり、また身元引受人の叔父Fは《地名略》において製紙原料商を営んでいるのであるから、その援助を得れば、負担に堪えられないとは思われない。
以上の事情を勘案すれば、法務大臣が原告に対し特別在留許可を与えなかつたことにつき、何ら裁量権の逸脱、濫用はない。
四、本件処分は確立された国際法規並びに憲法第九八条第二項に違反するものではない。すなわち、原告主張の世界人権宣言は、条約として締結されたものではなく、国際法上の拘束力を持たないものである。このことは、これら宣言が何ら具体的実体法的な規定ではなく、抽象的基本法則から成り立つていることも明らかである。
また、国際人権規約は、一九六六年一二月一六日第二一回国連総会において採択されたものであり、批准国はコスタリカ一カ国のみで、いまだ発効していない。従つて右規約の批准も行なわれず、加入もしていないわが国は国際法上その法的拘束力を受けるものではない。
更に国際赤十字の離散家族を再会させる決議はあくまでモラルの次元のもので、確立した国際的意識に支えられているものではない。
か様に確立された国際法規は存しないのであるから、従つて本件処分が憲法九八条第二項に違反しないことは云うまでもない。
第三、証拠《省略》
理 由
一、原告が日本国に居住する朝鮮人であつて、法律第一二六号第二条第六項該当者であること、原告は昭和四二年一一月三〇日名古屋地方裁判所において強姦、傷害罪により懲役二年四月の刑に処せられ、同年一二月六日右判決が確定したため、福井刑務所に収容されたこと、原告は昭和四三年六月一一日名古屋入国管理事務所入国審査官より、出入国管理令第二四条第四号リに該当するとの認定をうけ、同日口頭審理を請求したが同所特別審理官は昭和四三年七月四日口頭審理を行い右認定に誤りがないとの判定をしたので、原告は更に法務大臣に異議申出をしたところ、同年九月一一日棄却の裁決がなされたこと、被告は昭和四三年九月二四日本件処分をなしたこと、昭和四四年三月一四日原告が前記刑務所を仮釈放により出所したので、名古屋入国管理事務所入国警備官が本件退去強制令書を執行し、原告を同事務所に収容し、同月一八日大村入国者収容所に収容したこと、本件令書の送還先の記載は「朝鮮」となつていること、原告は父B、母Cの間に昭和一八年六月二一日山口県下で出生し、その主張の日に小、中学校、朝鮮高級学校を卒業し、朝鮮大学校に入学したが、その後中退して自動車運転手をしていたこと、原告の父は死亡したので、母CはGと再婚し、山口県《地名略》に原告の異父弟妹五名と共に居住していること、Gは土木請負業を営むかたわら、在日朝鮮人総連合山口県《地名略》支局財政部長の職にあること、原告は法務大臣等に共和国へ帰還したい旨の上申書を提出していることは、いずれも当事者間に争いがない。
二、そこで原告主張の本件処分の違法原因につき順次判断する。法律第一二六号第二条第六項該当者には出入国管理令が適用されないとの主張について、原告が法律第一二六号第二条第六項該当者であることは前記の如く当事者間に争いない。
そして法律第一二六号第二条第六項は、「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む)は、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその昔の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」と規定しているが、右条項はその立言自体からしても出入国管理令第二二条の二第一項の適用を除外する趣旨にすぎないものであり、同令全体の適用を排除するものでないことは明らかである。このことは、「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」第三条並びに同協定に伴う出入国管理特別法(昭和四〇年法律一四六号)第六条が法律一二六号第二条第六項該当者にも出入国管理令第二四条の規定の適用あることを前提として、退去強制事由の縮減をはかつていることに徴し、いよいよ明白である。よつて原告の右主張は採用することができない。
 本件処分に裁量権の濫用ないし逸脱の違法があるとの主張について。出入国管理令第二四条は「左の各号の一に該当する外国人については……本邦からの退去を強制することができる」と規定しているが、入国審査官、特別審理官、法務大臣は、認定、判定、裁決をなすにつき、同令第二四条該当の容疑者が同条の各号の一に該当するか否かを審査し決定しうるのみで、右該当者につき事案の軽重その他の事情を考慮する余地は全く存しないものであり、また主任審査官は認定、判定、裁決が確定するや直ちに退去強制令書の発付をなさねばならないことは、同令に規定する退去強制の手続の構造に照らし明らかであつて、裁量の適否が問題になる余地はないというべく、従つて右行政官庁に自由裁量権があることを前提とする原告の主張は採用できない。
なお、原告は、国が本邦からの退去を強制しうる外国人は、出入国管理令第二四条第四号ヨの規定からも明らかな如く「日本国の利益又は公安を害する行為を行つた者」でなければならないと主張するが、右規定は同条第四号のイからカまでに該当しない者であつても、法務大臣が日本国の利益又は公安を害する行為を行つたと認定する者に対しては、退去を強制しうる旨定めたにすぎないのであつて、同条第四号のイからカに該当する外国人に対しては当然退去を強制しうるのである。
また原告は、外国人の追放は追放をうける者を不必要に苦しめないような方法でなされるべきところ、もし原告が韓国に送還されることになれば、当然共和国へ帰国することが不可能になるばかりか、原告が共和国系であることに基づき処罰される可能性もあるから、韓国への送還は原告に不必要な苦痛を与えると主張するが、原告は同令第五二条第四項により自費出国によつて共和国へ帰還する方法もあるのであるから韓国へ必然的に送還されることを前提とした原告の主張は失当である。
 特別在留許可を与えなかつたことにつき法務大臣に裁量権の濫用逸脱ありとの主張について、前記認定の諸般の事情を綜合すれば、法務大臣が原告に対し特別在留許可を与えなかつたことにつき、裁量権の逸脱、濫用であるとは到底認められないから、この点に関する原告の主張もまた失当である。
 確立された国際法規、憲法第九八条第二項違反の主張について、「人権に関する世界宣言」第九条および市民的政治的権利に関する国際規約第一三条は、これらが日本国を拘束する国際法規であるか否かの点は別としても、いずれも外国人の追放が正当な理由および適正な手続に拠つてなされるべきことを定めたものであるところ、本件処分は出入国管理令に則つてなされているのであるから、本件処分が右第九条、第一三条に違反しているものとはいえない。
また国際赤十字の第一九回国際会議における「戦争、内乱その他政治的な紛争で生じた離散家族を再会させる決議」は直接本件とかかわるところがないのみならず、その成立の過程、形式からも明らかであるように、あくまで道義の次元に位置するものにすぎず、確立した法意識に支持されて、国際法規にまで高められたものということは到底できない。よつて原告の右主張も採用できない。 
三、以上の理由により原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

上陸不許可処分執行停止却下決定に対する即時抗告申立事件
昭和45年(行ス)第21号
抗告人(申請人):A、相手方(被申請人):羽田入国管理事務所特別審理官
東京高等裁判所(裁判官:石田哲一・杉山孝・小林定人)
昭和45年11月25日

決定
主 文
原決定を取り消す。
相手方が抗告人に対し昭和四五年一〇月三一日付でした口頭審理認定処分の効力は、東京地方裁判所昭和四五年(行ウ)第二一四号口頭審理認定処分取消請求事件の本案確定に至るまでこれを停止する。
申立費用は原審抗告審とも相手方の負担とする。
理 由
抗告代理人は、主文同旨の裁判を求め、その理由とするところは、別紙抗告理由書及び同補充記載のおりである。相手方指定代理人の意見は別紙意見書記載のとおりである。
右に対する当裁判所の判断は、次のとおりである。
一、認定処分の性質について
抗告人が本件執行停止申立において効力の停止を求める口頭審理認定処分は、その実質において上陸不許可処分の性質を有し、抗告訴訟の対象となる行政処分であると解するのが相当である。即ち、口頭審理の結果、特別審理官のなす出入国管理令(以下令という。)第七条一項各号に規定する上陸のための条件に適合していないとの認定は、単に行政庁の内部的確認行為にとゞまるものではなく、これを上陸申請をした外国人に通知することにより、上陸申請に対する不許可を告知するものである。上陸の申請に対する許否の処分は、上陸許可の証印もしくは退去命令によつてなされ、その前提となる認定は、行政処分ではないとの考え方も首肯しえないではないが、退去命令が本邦外への退去を下命するという積極的な効力を有する点よりすれば、その前提となる認定に不許可処分としての効力を認めることも不合理ではない。かように考えれば、異議の申出は退去命令にとつては事前審査であるが、上陸不許可処分にとつては事後審査となるのであつて、異議の申出と文辞を改正したのも、右手続が上級庁である法務大臣に対するものであつて、この点において処分庁に対してなす行政不服審査法による異議の申立とは性質を異にするから、混乱を避けるためとも考えられるのであつて、相手方の主張するように異議の「申出」の文書を用いたことが必ずしも事前審査手続であることを明らかにするためとばかりとは考えられないのである。(まず、異議の申出を事前審査手続であると解釈してそれを理由に口頭審理認定を行政処分ではないとする相手方の主張は
その点においては本末転倒の議論であるとの感が免れない。)
二、認定処分の効力の停止の申立の利益について
上陸に関する令の規定は、船舶等の内で上陸申請の審査を受け、上陸の許可を受けた者のみが本邦に上陸することができ、不許可処分を受けた者は船舶等に留まり、船舶等の出港によつて本邦から退去せざるをえなくなるのが、規定の建前である。しかしながら、航空機によつて入国した場合には機内で上陸の申請の審査を行なうことは不適当であるので、上陸申請者を審査前にもかゝわらず降機させ、ターミナルビル内に設置された審査場所において審査を行なうこととしているため、外国人が上陸の申請の審査を受けるために航空機を降り、指定された通路を通つて審査場所に至り、審査手続が終了するまでその場所に留まることになり、事実上は本邦内の陸上に留まつているわけであるが、令の運用上からは事柄の性質上未だ本邦に上陸したものとは解せられないのであつて、さらに審査手続が口頭審査、異議の申出、裁決と順次行なわれて即日終了しないときに、審査場所の範囲をその最至近距離内にある特定のホテル内の特定箇所にまで拡張して、当該ホテルに止宿させる場合についても同様に解することができる。しかしながら、以上はあくまで上陸の申請の審理のためになされるものであるから、上陸申請の審査手続が退去命令の発出により終了すれば、もはやかかる取扱いをする必要もなくなるので、退去命令に指定された乗船予定日を経過しても依然として滞留する場合には、上陸許可の証印を受けないで本邦に上陸した者として、令第二四条第一
項第二号に規定する不法上陸者に該当すると解するのも一つの考え方であり、現に相手方はそのように主張している。
そうだとするならば、本件口頭審理認定処分の効力が停止されれば、上陸申請の審査手続がまだ終了していないことになり、抗告人が審査場所又はその範囲を拡張されたホテル内に滞留することは、いまだ本邦に上陸したものとはみなされないことになり、不法上陸を理由に抗告人に対して国外退去を強制しえなくなる、かかる意味において抗告人に対して本件申立をなす利益があるというべきである。(当裁判所としては退去命令に強制力を与えず、上陸の申請をした外国人の任意退出を期待した令の建前とその考え方の合理性を思うと、退去命令に従わなかつたときには、退去強制の理由として挙げられているいわゆる不法上陸者に該当すると解することは法律解釈としては誤つていると考える。
そうだとするならば認定処分の効力の停止を求めなくても不法上陸を理由として退去を強制されることはないので停止を申立てる利益がないことになる。 
しかしながら退去命令に従わなかつた外国人をそのまゝ本邦内に滞留させておいてよいとは云えず、むしろ退去させる方法を考えるのが当然だというべきであるので、令の解釈として相手方の主張するような考え方も無下に否定し去る訳にも行かず、それ故に停止の申立の利益ありと解するもので、要は令の改正問題として早急に立法によつて解決されるのが適当と考える。)
三、本件についての事実認定(申立の要件の具備について)
 本件記録によれば、抗告人に対して相手方が上陸不許可処分をなすに至つた経緯は、すべて原決定摘示のとおりであることが疎明される。そして抗告人が本件執行停止申立事件の本案訴訟における不服の理由は、抗告人の申請した観光という在留資格が虚偽のものではないとは認められず、かつ、令第四条第一項各号所定の在留資格の一に該当しないとした口頭審理認定処分の事実誤認による違法を主張するにあることは本件記録に基づきうかゞうことができる。
一般的に外国人の入国の規制は、国際法上国家の自由な決定に委ねられ、原則として国家は外国人の入国を許すべき義務を負うものではなく、外国人は入国する権利を有するものではない。
これは国際法上確立された慣習法であると解されている(条約による制約についても、わが国と抗告人の本国であるアメリカ合衆国との間の友好通商航海条約においても、相互の国民が、外国人の入国及び在留に関する法令の認めるその他の目的をもつて、他方の締約国の領域に入り、在留することを許される̶第一条IC̶と規定するにすぎない)。国際交通の自由の原則は好ましいにしても、現行法上においては、あくまで理想にすぎないのである。わが国においては、出入国管理令が外国人の在留資格を定め、外国人は在留資格を有しなければ本邦に上陸することはできない(第四条第一項)と規定しているのであるが、右規定の趣旨、上陸を許すべき外国人の資格を限定し、従つて、そのいずれにも該当しない外国人は上陸を許さないとしているものと解すべきであつて、令の規定する在留資格は単に上陸しようとする外国人を分類し、その在留を規制するための技術的手続的規定にすぎず、上陸しようとする外国人は、すべていずれかの在留資格に該当し、上陸の拒否事由(令第五条)に該当しない限り入国が許されるものと解することはできない。従つて同じく旅券に証印を受けることを要するといつても、出国の証印(令第二五条)と入国の証印(令第九条)とではその性質を異にし、前者は、外国人が本来的に出国の権利を有している点よりして管理の適正を期するための技術的手続的制約にすぎないけれども、後者は、外国人は、本来的に入国の権利を有せず、これによりはじめて本邦に上陸し、在留する法的地位を付与されるのである。抗告人は、かように解すれば、法の定めない上陸拒否の事由を設けるに等しいと主張するが、在留資格の規定(令第四条)と上陸拒否の規定(令第五条)とは規制の面を異にし、第五条の規定は、形式的に第四条に該当しても第五条に規定する拒否事由があれば、本邦に上陸できないというのであつて、第五条に該当しない者はすべて第四条のいずれかの規定に該当し、在留資格があるというわけではない。在留資格のいずれかの一に該当しない者が上陸を許されないのは現行制度上当然であつて、上陸拒否以前の問題である。抗告人のこの点に関する主張は令に規定する在留資格についての立法論としてなら格別、令の解釈論としては理由がない。
令第四条第一項第四号に規定する観光客の行なうべき観光の概念の内容、範囲は、同項のその他の各号に規定する者の行なうべき活動が、主として経済、商業、文化芸術、教育研究、宗教等積極的な活動を内容としているのに比較して必ずしも明確であるとはいい難く、在留資格の規定について改正の要ありと考えられるが、そうだからといつて現行法上その内容を広く解して、他の各号に該当しないものはすべてこれに含まれると解しえないことは、前記のとおり、出入国管理令はすべての外国人の入国を許す建前とはなつていない点、また同項が包括規定(第一六号)をおいている規定の体裁からしても明らかである。従つて観光の概念は限定的であるべきであつて、以上の点よりして、同号にいう観光客の行なうべき観光とは、文言通り名所、旧跡、景観等の見物等狭義の観光を規定したものというべきでそのほか、休養、娯楽、近親友人訪問、並びにこれらに類する活動を含めても差支えないと解するのが相当である。右観光客の概念如何は別として、ある活動が右にいう観光の概念に含まれるか否かということと観光客がその活動をすることが出入国管理令の上から許されるか否かということとは別異に考えるべきであつて、当該活動が仮りに観光の概念に含まれないとしても他の在留資格に属する者の行なうべき活動でないかぎり、観光客が観光に伴なつて、あるいは従としてその活動をすることは、現行法上令の規制の対象とはならないものと解する。(令第二四条も資格外活動のうち他の在留資格に属する者の行なうべき活動のみをとりあげて退去強制事由に掲げる、なお在留資格の変更についての規定の中に観光客は除外されていることも合せ考えるべきである)。以上のことは、上陸申請にかゝる在留資格が虚偽のものでないか否かを判断するにあたつても同様に解すべきである。
よつて抗告人の申請にかゝる観光の在留資格が虚偽のものではないと認められるか否かについて検討するに、抗告人の今回の本邦への入国は、その実質において沖縄旅行以前の本邦での在留の継続とみなすべきであるから、右在留中の抗告人の活動は、今回の上陸目的を検討するについて判断の資料となるものというべきである。本件記録によれば、抗告人が昭和四五年七月二日から同年一〇月二四日まで本邦に在留中東京及びその周辺、京都、大阪、奈良、広島岩国およびそれらの周辺、九州についていわゆる狭義の観光を行つていることが疎明されるが、また他方その宗教的反戦の信念から岩国、福岡、佐世保において米軍兵士に反戦に関するカウンセリングを行なうほか、センパー・フアイ等の機関紙あるいはビラの配布、マイクで反戦を呼びかけ、広島においてデモ行進に参加する等の活発な反戦活動(これらの活動の多くは観光の概念には含まれないと解せられる。)をしたことが疎明される、さらに抗告人は、口頭審理において来日の目的は、すでに反戦の信念を持つているできるだけ多くの日本人と、如何にすれば米軍基地に関して日本人が最も良く反戦活動を続けられるかということについて語り合うことであり、また、日本の秋も楽しみたいと供述しており、さらに法務大臣に対する異議申立書には、本邦各地の観光旅行の計画をもつていることを述べてあることが疎明される。これらの事実によれば本件停止申立事件としては相手方の主張するように抗告人の上陸目的がその主張にもかゝわらず、観光は単なる名目的形式的なものにすぎず、真の目的はもつぱらあるいは主として反戦活動を行なうにあり、従つて、申請にかゝる在留資格は虚偽のものではないとは認められないと断定することは困難であり、右の点は本案訴訟における主張、立証にまつべきものと考える。従つて本案の審理を経ない現段階では本件口頭審理認定処分の適法であることが疑いを容れる余地のないほど明白であるといい難く、本件申立はその本案が理由がないとみえる場合にあたらないというべきである。
よつて右と判断を異にし抗告人の申請に係る在留資格が虚偽のものでないと認められないと判断した認定処分を違法とはいえないとした原決定は失当であり、この点において本件抗告は理由があり、抗告人の本件申立は行訴法二五条の要件を欠くものではない。
 抗告人の本件執行停止申立について他の法定要件である回復困難な損害を避ける緊急の必要の有無について判断する。抗告人は、本件処分の効力を維持されると本邦より出国せざるをえず、さらに退去強制処分により身柄を拘束され、本国へ送還されるおそれも生ずる。(当裁判所としては退去強制の処分が許されないと解することは前にも述べたとおりであるが、相手方は現に右処分をしようとしていることは明かであるので、事実上上記おそれのあるものと云える)かくては、本件処分の取消しを求める本案訴訟の維持が事実上不能となつて、裁判上の救済の途が閉されるばかりではなく、今後一年間は、本邦への入国は許されなくなる(令第五条第一項第九号)。従つて抗告人は、回復困難な損害を蒙るおそれがあり、これを避けるため右処分の効力の停止を求める緊急の必要があるというべきである。
四、よつて、原決定を取消し、抗告人の申立を容認することとし、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第四一四条、第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(別紙)
抗告理由書
一、原決定は、「……以上認定に係る事実関係のもとにおいては、被申請人が申請に係る在留資格が虚偽のものでないとして行なつた本件上陸不許可処分をもつて敢えて違法と断ずることは許されないものというべきである。」として本件申立ては、行訴法二五条所定の執行停止の要件を欠くものであるとしたがこれは同法二五条の三項に定める執行停止の決定は「本案について理由がないと見えるときは、することができない」との解釈を誤まるものである。
即ち同項は執行停止の消極的要件を定めたものではあるが、申立人は執行停止の段階では問題の処分が違法であることまでも疎明する必要はないことを明らかにしたものであるから、本件においても申立人は本件上陸不許可処分が違法であることまで疎明する必要がないことは明白である。
したがつて原判決の右の如き解釈は申立人に極めて難きを強いて執行停止制度の趣旨を没却する誤つた解釈であることは明白である。(杉本「行政事件訴訟法の解説」八九頁参照)
本件においても問題とさるべきは、本案の処分が違法かどうかではなく「本案について理由がないと見える」かどうかであつて、本件全証拠ならびに以下に述べるところを総合するならば、この段階で本件申立てが、その本案について理由がないと見える場合にあたらないことは明白である。
二、原決定は、抗告人の在留資格は「観光客」であるところ、既に一二〇日間の在留期間が与えられたのであるから、観光の目的は一応達せられていたものと認められるとしている。
しかしながら、抗告人に対してそうであるように観光目的の外国人に対して数次往復査証が与えられた場合には、観光客としての在留資格を有する外国人は長期間の間に何回でも我国への入国ができ、結局は相当長期にわたつて我国に在留できる資格が与えられている。
このような査証が、入管令にいう「観光客」に与えられている所以は、後述するように入管令にいう「観光」なるものが、単に「名所旧蹟もしくは景観等を見物すること」を意味するに止まらず、広くその国の色々の人々との交流までを含むものであり、その目的のためには、かなり自由な、ある程度長期の滞在を許すのが望ましいからである。
のみならず、狭義の観光についても当面の具体的な観光のスケヂユールの終了ということがあつても、さらに新しい所を見物したいとか、もう一度見物したいということが十分考えられ、観光の目的の達成というものは極めて主観的なものであるというところからも右のような数次往復査証が与えられるのである。
そして本件においても、抗告人は現に四八ケ月間に何回でも入国可能な査証を与えられており、抗告人の狭義の観光目的も、その具体的な旅行計画に照して明らかなように、未だ達成されていないのである。従つて一度数次往復査証を与えておきながら、二度目の観光はその必要がないというのは極めて不当な見解といわざるを得ないのである。
三、原決定は、入管令四条一項四号の「観光」とは必ずしも厳格な意味において本邦内の名所旧蹟もしくは景観等を見物することだけを意味するものではないとしながらも、抗告人の以前の我国における良心的戦争反対者としての行動を、これと対立するものとして評価している。
、しかしながら、入管令の原文である英文の法案によれば、「観光」「観光客」は「tourism」「tourist」となつており、「sightseeing」となつておらず、そこには、広く旅行をしながらその国の人々と全人格的な接触、交流を図ることを意味する概念が使用されている。
この点からして、入管令にいう「観光」とは、広く人々との全人格的交流をも意味するものとして解釈さるべきである。
それ故、現に著名な文化人の文化活動、国際的平和運動家の平和運動のための来日は、そのほとんどは「観光客」としての在留資格によつており、原水爆禁止世界大会等に出席する外国代表も、まさに平和運動の目的のみで入国することが客観的に明らかな状況下で観光客として入国が許されているのである。
仮に抗告人の以前の我国における平和運動的行動が「観光」と対立するものであるとすれば、右のような明白に平和運動を目的とする外国人の入国の場合は、観光客としての在留が許されないのは勿論、入管令四条一項の各号の在留資格のいずれにも該当しない者として、その一切の入国が許されないということになる。
とすれば、我国は外国人の出入国管理において、国際的規模での平和運動に関係する外国人の入国を全く許さないということとなり、憲法がその柱とする国際主義の精神に明白に反することとなる。
このような事態は、「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」(憲法前文)日本国民としては、到底許されないことであり、かかる事態を生ぜしめる法解釈は、その結果の不当性を照しても許されないといわなければならない。
、そもそも抗告人の反戦のための行動は、クエーカー教徒としての深い戦争反対の信念に支えられたものであつて、その具体的行動は合法的、平和的な表現活動であり、抗告人の人々に対する全人格的働きかけとして、抗告人のtourismにおける日常生活の一部をなしているものである。
我々は、ともすれば、市民としての隣人等に対する自己の思想、良心の表現、働きかけを日常生活とは切り離して、あたかも職業として活動の如き独立の活動として評価しがちであり、反戦の訴え等というと、市民の日常生活とは異質の特殊な活動と考えがちである。
しかしながら、一市民の宗教、思想の表現活動をその日常生活から切り離し、特別視することは、政治家、評論家の職業人としてではなく、一市民として、思想を表現しようとする者を、何もしない者とは異つた特殊の人として評価し取扱うことにほかならず、それは国民一人一人がその日常生活の中において政治、社会を考え、自己の思想を表現することその中心としている民主主義の精神に反するものといわなければならない。
加えて、抗告人の如きクエーカー教徒にとつてはその良心の表現は、伝導師ならずとも日常生活の一部なのである。
要するに、前回の旅行中における抗告人の反戦のための行動を、その旅行から切り離してtourismとは異なるものとして評価することはtourismの意義の解釈、抗告人の行動の評価を誤まつたものといわなければならないのである。
四、原決定は、その結論部分において、抗告人が東京̶サンフランシスコ間の航空券と本邦の観光に必要な可成の費用を所持しているとしても、その摘示する事実関係のもとにおいては、抗告人の申請に係る在留資格が虚偽のものでないとは認められないとする処分は違法と断ずることはできないとしている。
、しかしながら、入管令施行規則四条の二は、その二号において我国に観光客の在留資格で入国しようとする外国人は、出発国等までの船舶等の切符、我国における在留期間等を通じて有効な旅券ならびに我国の観光に必要と認められる費用の三点を所持していることを立証すれば、観光客の在留資格が虚偽のものではないことを立証したこととされる旨規定している。
これは、在留資格の立証といつても異国において将来の活動予定という主観的意図を内容とする事柄について迅速かつ十分に立証をすることは困難であるところから、一種の法定証拠主義を採用し、入国の際は、客観的証拠によるチエツクのみに止め、入国後現実に在留資格外活動をもつぱら行なうに至つたときに、退去強制事由に該当する者として追放することとしたものである。
従つて観光客として入国しようとする外国人が前記三点の所持を立証したときは、その入国を認めなければならないのであつて、入管当時が在留資格が虚偽であると主張することはできない。
前回の我国滞在中のの活動を理由に当該外国人の入国を拒否し、当該外国人に対し、今回は真実である旨の立証をさらに要求することは酷を強いるもので許されないというべきである。
しかして、東京̶サンフランシスコ間の航空券、一九七五年六月二四日まで有効な旅券、我国の観光に必要十分と認められる六四〇ドル余りの金を所持していることの立証をなしている抗告人としては、その申請に係る在留資格が虚偽でないことの立証を尽しているのであるから、抗告人の上陸申請は許可さるべきなのである。
、なお施行規則四条の二は、入管令七条二項を受けて、その内容を明らかにしたものであるが、それが仮に法定証拠主義を採用した規定ではないとしても外国人に規則四条の二の規定する定型的な証拠以上の立証を要求することは前述のとおり困難であるから入管令七条二項は入国しようとする外国人に、入国条件に適合しているか否かの点についての実質的挙証責任を課したものではなく、いわゆる形成的挙証責任を負わしたに止まると解すべきである。
五、原決定は、その理由の第四丁表において、申請人は被申請人の口頭審理において「今回の入国目的
は、すでに反戦の信条を抱いている一人でも多くの日本人と話合い彼らの在日米軍基地に関する反戦活動を支援したいということです……」と申述した旨を認定しているが、右認定は疎乙第四号証についての被申請人の誤つた翻訳にもとづくものであつて重大な事実誤認をおかすものである。
原文の正確な訳は「今度の私の来日の目的は日本の人々が米軍基地に関して、どうすれば最も良く反戦活動を続けることができるか、という信念を既に持つている日本人とできるだけ沢山語り合うことです。」というのであり、「彼らの在日米軍基地に関する反戦活動を支援したいということです」などということを抗告人が述べた事実は全くないのである。
(別紙)
抗告理由補充書

一、特別審理官の認定は行政処分である。
相手方は、特別審理官の口頭審理認定処分は行政処分ではなく、行政処分のなされる以前の単なる内部手続にすぎないと主張する。
しかしながら特別審理官の口頭審理は入国審査官が上陸許可の証印をする場合を除いて、当該外国人を特別審理官に引渡しをした場合に行われるものであるが(令第九条四項、第一〇条一項)、この場合には、特別審理官は、口頭審理に関する記録を作成しなければならず、当該外国人はその代理人は証拠を提出し、かつ証人を尋問する権利が与えられている。そして、右の口頭審理の結果、当該外国人が、令七条第一項の条件に適合していると認定したときには、上陸許可の証印をしなければならない一方、右条件に適合していないと認定したときには、当該外国人に対してすみやかに理由を示してその旨を知らせるとともに、法務大臣に対する異議申し出をなすことができる旨を告知しなければならないのである。
口頭審理認定処分が相手方のいう如く行政庁の最終的行政処分(退去命令又は上陸特別許可)に至る全くの内部的手続であるとするならば、その中間段階の結果が行政庁の外部の者すなわち当該外国人に告知されるということは考えられないし、その中間段階の行政の結果に対して外国人から異議申立てが出来るということも考えられないことである。
確かに口頭審理認定処分→異議→法務大臣の裁決という過程をふむことは行政を慎重に行うためのものとはいえようが、それが相手のいう如く行政の内部手続であるならば、これを法律を以つて定める必要はなく、省令あるいは内部規則ですむことであるし、右の手続が法律で定められているということは、行政庁と国民との間の関係を定めるものであることの何よりの証左というべきである。従つて行政の慎重ということから直ちに入管令一〇条の規定を無視して口頭審理認定処分を行政庁の全くの内部手続と解するのは正当な解釈とはいえない。
相手方は更に行政不服審査法の制定に際して、令の一部改正がなされ、それまで使用されていた「異議の申立」という用語が「異議の申立」という用語に変更されたことを以つて、特別審理官の口頭審理認定処分に対する異議申出は行政不服審査法四条二項にいう「別に法令で定める不服申立て」の制度ではないと主張する。
確かに相手方主張のような変更がなされたことは事実であるが、本件で問題となるのは、特別審理官の口頭審理認定処分に対する異議の申出が行政不服審査法第四条二項にいう「別の不服申立制度」であるか否かではなくて、口頭審理認定処分が行政事件訴訟法二五条にいう処分であるか否かなのであるから、相手方の右の主張は特に意味のあるものとは解されない。又、外国人の出入国に関する処分が行政不服審査法の適用を受けないとされても、そのことから直ちに本件口頭審査認定処分の行政処分性が否定されることにはならない。
右の手続きは、まさに別に法令で定められた「当該処分の性質に応じた不服申立ての制度」というべきであつて、右の如き用語の変更が生じたのは、行政不服審査法による不服申立てについては、審査請求、異議申立て、再審査請求という用語に統一する一方で、行政不服審査法の適用されない不服申立てについては、右の三つの名称を使わないという観点からの整理が行われたためであつて、(ジユリスト二六六号、研究会「行政不服審査法」一二頁参照)、このことが口頭審理認定処分の行政処分性を否定することにならないことは明白である。
二、我国の査証が与えられた場合の外国人の地位について̶上陸審査の性質
我が出入国管理令はその九条一項において、同令七条一項一ないし四号にかかげる上陸のための条件に適合した外国人に対しては裁量の余地なく義務的に上陸許可の証印を与えなければならないと定めている。
従つて七条一項一〜四号の条件を満たす外国人は、他の理由を以つて入国を拒否されることはなく、その限りで我国への入国を認められる権利を有するものである。
しかるに本件においては抗告人が右一号(有効な旅券及び査証を有すること)三号(申請にかかる在留期間が法務省令の規定に適合すること)及び四号(令五条所定の上陸拒否事由に該当しないこと)の各条件を満たしていることについては当事者間に争いがない。問題は二号の定める申請に係る在留が虚偽のものでなく、且つ四条一項各号の一に該当するか否かのみであり、相手方は抗告人がこの条件を満たしていないとするのである。
抗告人がこの条件を満たしているとする点については、既に主張しているように、少なくとも「本案について理由がないとみえるとき」に当らないことは明白であるが、この点についての抗告人の主張が容れられて本件口頭審理認定処分の執行停止がなされた場合には、相手方は速かに上陸許可の証印をして抗告人の上陸を認めなければならないのである。
何故かならば、上陸申請がなされた場合、入国審査官及び特別審理官は速かにその審査をして上陸の許否を決めなければならず、かつ、上陸審査は、前述の如く七条一項各号の点にのみ限定されているので、右各号の条件を満たす限り、外国人に我国への上陸を認めなければならないのであるから、ひとたび上陸拒否処分に違法の疑いあり(即ち、本案について理由がないと見えるときにあたらない)とされて、これが執行の停止をされ、同一の処分を反覆することが許されぬ以上、上陸申請に対して速かに上陸の許可をするより他ないからである。 
尚、相手方は、抗告人が外国人に数次往復査証が与えられている場合には、観光客としての在留資格を有する外国人は査証の有効期間中何回でもわが国へ入国でき、結局相当長期にわたつて我国に在留することができると主張したのに対して、査証及び入国審査の性質をあげて種々論じているが、抗告人が主張したのは、数次往復査証が与えられている場合には、通常その期間中何回でも我国へ入国できるから通算すれば事実上長期の滞在ができることになると述べただけのことであつて入国の都度上陸審査が行われるのを否定する趣旨ではないから、相手方の反論はあたらない。
三、「観光客」について
、相手方は、入管令四条一項四号にいう「観光客」とは、入国目的が狭義の観光、娯楽、休養、宗教的巡礼等であつて、収益を目的としないものに限定される旨主張し、その根拠として法四条一項八号、一〇号の存在を挙げている。
しかしながら、法四条一項八号は「芸術上又は学術上の活動を行おうとする者」を在留資格としているため、「芸術」「学術」とまでは言えない一般市民レベルの思想・文化の交流については、その適用が考えられず、また入管行政の実際においても右在留資格は厳格に運用されている。
さらに同項一〇号は、宗教活動を行うために「外国の宗教団体により本邦に派遣される者」と規定しているため、宗教団体からの派遣とは無関係の布教活動については、適用外とされている。
そして「芸術」「学術」とまではいえない一般市民レベルの思想・文化活動・あるいは宗教団体とは無関係の宗教活動、さらにはスポーツの興業(四条一項九号)とはいえないアマ・スポーツのための入国等については、我国の入管がそれを否定しているとは考えられないのであるから、同項四号の「観光客」‖touristとしての在留資格による入国に包含されるものと解するほかはない。
、加えて出入国管理行政の実際においても「観光客」としての在留資格は広く解釈され、右の如き思想・文化活動等も含まれるものとして運用されている。
すなわち、いわゆる原水爆禁止大会への参加や、各種文化活動の国際会議への出席あるいは学術、文化の講演等をもつぱらの目的とする著名な外国人の来日の多くは、「観光客」としての在留資格によつて入国を許可されている。
のみならず、我国の政党の大会へ外国代表として出席することを主たる目的としていることが明らかな各国の政党、政治的組織の関係者も、「観光客」として入国が許可されている。例えば昭和四〇年二月の民社党第七回大会に出席した国際社会主義同盟代表、同年一二月の民社党第八回大会に出席したドイツ社会民主党代表、昭和四三年三月の民社党第一〇回大会に参加したインド人民社会党代表、さらに本年四月の民社党一三回大会に参加しかつ演説したマレーシア民主行動党代表などがその例である。
加えて、本年夏に東京で開かれた世界反共大会への諸外国からの参加者の多くも「観光客」の在留資格で入国しているもののようである。(何故なら、「観光客」でないとすれば、該当する在留資格は他に考えられないからである。)
右のような政党ないし政治的組織の関係者、あるいは世界反共大会の参加の例ではカストロの妹などの著名人の来日は、その入国前に来日が公に報道されるか少なくとも入管当局を含む政府機関にはその情報が伝わつているのが通常であるから右外国人の入国目的が、もつぱら前記大会等へ参加することにあることが明らかであるにもかかわらず、前記外国人に対し、入管当局が「観光客」としての入国を許可してきたという事実は、入管当局が入管令四条一項四号の「観光客」の概念を抗告人と同様あるいはそれ以上に広く解釈し運用していることの証左にほかならない。
なお、ちなみに米軍の岩国基地における軍事法廷の弁護人としての活動のためのみに来日した米国人弁護士B夫妻も「観光客」としての在留資格により入国しているし、在日米軍の軍人家族の本国との往復についても、ツーリストのためのマルテイプル・エントリー・ビザが与えられて、「観光客」としての在留資格により入国が許されている例がかなり多数存在している。
、以上要するに、入管令にいう「観光客」という在留資格は、他の在留資格が厳格かつ限定的なものであるため、それらに該当しない者を広く包含することが期待されているのでもあるから、その意味内容は前述したごとく広く解釈さるべきであり、抗告人が狭義の観光をしながら、自己の宗教的信念を中心とする反戦平和の思想に基き平和的、合法的な表現活動を行い平和を訴えることは当然「観光客」としての活動に含まれると言うべきである。
四、「在留資格が虚偽」であるということについて
相手方は、抗告人は「……もつぱら反戦活動を行う目的で入国しようとするのであるから「観光客」としての在留資格は虚偽である」と主張する。
、しかしながら、そもそも「外国人といえどもわが国の法令を忠実に遵守するかぎり、その出入、滞留を自由に認めるを理想とし、ただ本来わが国の統制下にない外国人であるため、その統制に服せしめる必要上その出入、滞留につき一定の手続制限を付したものと認むべきで」あつて(東京高裁昭和四四年一二月一日決定、判例時報五七六号一六頁)、外国人の出入国等に関する手続、制限は技術的なもので、外国人を、国民と本質的に異るものとしてその活動を制限しようとするものではないといわなければならない。
従つて、入管令上の「在留資格」の制度も、右のような観点から解釈さるべきであつて、入管令が他に積極的に上陸拒否事由を規定していること(入管令五条参照)に鑑みると、入管令四条一項に定める在留資格なるものは、その全てが厳格なもので、限定的に解釈された各在留資格に該当しなければ(実質的には何ら入国を拒否する理由はなくても)入国を許さないというような消極的入国拒否事由の如き性質のものではなく、いわば入国しようとする外国人の分類ともいうべきものであり、入国目的に対応した在留期間を決定し(入管令四条二項同施行規則三条)、それに応じた一定のコントロールをするための手がかりともいうべきものである(逆に相手方の如く「在留資格の虚偽」を解することは、実質的には令五条にない上陸拒否事由を勝手に設けることになるのである)。
従つて、一定の証明書(四条三項参照)が要求され、あるいは長期の在留期間が予定されている在留資格についてはともかく、少くとも短期の在留を予定しており、かつその定義自体不明確な「観光客」という在留資格は他の在留資格には該当しない外国人を包含すべき在留資格として特に広く解釈さるべきである。
、このように「在留資格」なるものは、外国人の入国目的によつて、その在留期間、在留中のコントロールを区別するための技術的制度であるから、入管令七条一項二号に規定する「在留資格が虚偽のもの」ではないとの入国要件も、右に述べた「在留資格」制度の趣旨に照して解釈さるべきである。
すなわち、「在留資格の虚偽」とは、在留資格制度の趣旨を没却させるような場合を意味すると解釈すべきであつて、当該在留資格の活動を全く行う意思がなく「他の在留資格に属する者の行うべき活動」を行う意図であるにもかかわらず、より長期の在留期間を得るために、あるいは四条三項の証明書の所持の要件を潜脱するために、積極的に在留資格を偽わつた場合等を指すものといわなければならない。
従つて、少なくとも、当該在留資格の活動を行う意思がある限り虚偽ということは問題とならないのである。
ちなみに当該在留資格の活動にも含まれず、「他の在留資格に属する者の行うべき活動」にも含まれない活動があり、その活動を行う意思も併せ持つて入国しようとする外国人がいたとしても、それは他の在留資格の活動を行おうとするのではないから、在留資格制度の前記趣旨を否定するものではないし、入管当局としては当該在留資格の外国人として分類把握し、在留期間を決定し、在留中のコントロールをして、在留資格制度の目的を達することができるのであるから、そのような場合に在留資格を「虚偽」としてその入国を拒否することはできないのである。
これは、入管令二四条がその四号イにおいて、「当該在留資格以外の在留資格に属する者の行うべき活動をもつぱら行つていると明らかに認められる」ことを、退去強制事由として規定しており、単純に「当該在留資格に属する者の行うべき活動以外の活動をもつぱら行つていると明らかに認められる者」とは規定していないことに照しても首肯できるところである。(これに対し、昭和四四年三月第六一通常国会に上程された出入国管理法案は、その二三条二項、二五条等において「他の在留活動者が行うべき在留活動」を禁止するとともに、単なる「在留活動以外の活動」については許可を受けることなく職業につき、あるいは報酬を受けることのみを禁止して、それ以外の単なる「在留活動以外の活動」は、現行入管令と同様に禁止していないのである。)
、以上要するに、入国しようとする外国人が、ある在留資格の活動を行う意思を少くとも有しており、そのため、当該外国人を一定の在留資格を有するものとして分類・把握できる限り、他の在留資格における活動以外の合法的活動を行うことも自由なのであり、そのような自由である活動を併せ行うことを目的として入国しようとする者に対し、それをもつて在留資格が虚偽であると云うことはできないのである。
従つて、仮に抗告人の反戦平和のための活動が、入管令上の「観光客」としての活動に含まれないとしても、抗告人は狭義の観光の意思を明らかに有しているのであるから、抗告人の「観光客」としての在留資格が虚偽であるとすることは許されない。
、なお、相手方は、抗告人が、「もつぱら」反戦活動を行う目的で入国しようとしているのであるから、その観光としての在留資格は虚偽である旨主張するが、抗告人の今回の入国目的は、真実狭義の観光にあるので、まずこの点で誤りであるのみならず、当該在留資格が虚偽であるかどうかを決するについて、「もつぱら、他の活動を行う目的」であるかどうかを基準とした点についても誤りを犯すものである。
すなわち、「もつぱら」という基準は、それ自体極めて暖昧な概念であるうえに、退去強制事由のような過去の行動に基づく判断についてならともかくとして、その判断対象が本件の如く将来の活動に関する入国の許否の判断における基準であるということになると、その判断が恣意的になることは必至であり、その結果は入国しようとする外国人の地位を著しく不安定ならしめることとなるから、それを「在留資格が虚偽」か否かを決する基準とすることは許されないというべきである。

兇器準備集合被告事件
昭和44年(あ)第1453号
上告人:被告人Aほか2名
最高裁判所第一小法廷
昭和45年12月3日

決定
主 文
本件上告を棄却する。
理 由

弁護人杉本昌純、同北村哲男の上告趣意第一点について。
所論は、憲法三一条、二一条違反をいうが、所論のごとく、兇器準備集合罪の規定が処罰の実質的根拠に乏しく、その規制が広範に過ぎ、兇器等の文言が極めてあいまい不明確な概念を内容とするものということはできず、また、本件被告人らの所為が単に集団的表現の自由にかかわる事例にすぎないということはできないから、論旨は、前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(原判示長さ一メートル前後の角棒は、その本来の性質上人を殺傷するために作られたものではないが、用法によつては人の生命、身体または財産に害を加えるに足りる器物であり、かつ、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に害を加える目的をもつてこれを準備して集合するにおいては、社会通念上人をして危険感を抱かせるに足りるものであるから、刑法二〇八条の二にいう「兇器」に該当するものと解すべきである。)。

同第二点について。
所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(刑法二〇八条の二にいう「集合」とは、通常は、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備し、またはその準備のあることを知つて一定の場所に集まることをいうが、すでに、一定の場所に集まつている二人以上の者がその場で兇器を準備し、またはその準備のあることを知つたうえ、他人の生命、身体または財産に対し共同して害を加える目的を有するに至つた場合も、「集合」にあたると解するのが相当である。また、兇器準備集合罪は、個人の生命、身体または財産ばかりでなく、公共的な社会生活の平穏をも保護法益とするものと解すべきであるから、右「集合」の状態が継続するかぎり、同罪は継続して成立しているものと解するのが相当である。)。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

弁護人の上告趣意
第一点 原判決は、憲法第三一条の解釈を誤つたものであつて判決に影響をおよぼすことが明らかであるから破棄されなければならない。
一、原判決は、第一審判決を破棄自判し被告人等を有罪としたが、凶器準備集合罪を定めた刑法第二〇八条の二第一項の規定は、正当な法定手続を保障した憲法第三一条に違反した違憲無効のものであり、従つて違憲無効の同条項を適用して有罪を認定した原判決は、憲法第三一条の解釈を誤つたものというべく、またそれが判決に影響をおよぼすこと明らかであるから破棄されなければならない。
二、凶器準備集合罪を法定する刑法第二〇八条の二の規定は憲法第三一条等に違反して無効である。
 問題の所在
1 本件は、端的にいえば、学生運動戦線内部の分裂を利用したベトナム反戦運動等に対する権力の弾圧である。その法的根拠とされているものは、凶器準備集合罪の規定であるが、それは、今、或は佐藤首相の訪米阻止或は米原子力空母エンタープライズ号寄港阻止、或は成田空港阻止、或は米野戦病院開設阻止等々の諸斗争弾圧の極めて有力な法的武器として、都公安条例、公務執行妨害罪等とともに猛威をふるつている。
エンタープライズ寄港阻止斗争における飯田橋での「予防検束」、博多駅での「所持品検査」は、そのひとつの典型的な適例である。
昭和四三年一月一五日午前八時すぎ、エンタープライズ寄港阻止斗争の一環として、現地佐世保に赴くべく、法政大学から飯田橋に向つて出発した学生二〇〇名の行く手を、警視庁機動隊は“凶器” 検問所を作つてさえぎり、わずか七分間のうちに、右学生中一三一名を、学生等のプラカードの所持を理由に凶器準備集合罪等で検挙した(毎日新聞一月一五日夕刊)。
他方、翌一六日博多駅では、右飯田駅での大量検挙に呼応するかのように、午前六時四五分着の急行「西海・雲仙」号でエンタープライズ阻止斗争のため同駅に到着した学生一人ひとりに対し、福岡県警機動隊は同駅改札口を十重二十重に取り囲んで“凶器” 発見のため徹底した所持品検査を行なうという事態が発生した。しかし、“凶器” は遂に発見されなかつた。
これは、一例にすぎない。凶器準備集合罪は、まさにこのような形で、即ち反政府反権力斗争圧殺の強力な法的武器として現実に機能しているのである。
2 本件でも、形態は異なるが凶器準備集合罪適用の基本的性格は全く同断である。
検察官も容認するように、本件集会はベトナム戦争反対、小選挙区制粉砕を目的とする全国学生統一行動として開催されたものであつた。学生運動の意義、それが現実に反戦斗争等で果している役割は、幾多の批判があるにせよ、既成左翼政党の沈滞した運動の中で、重要なものであり、佐藤自民党政府を中心とする日本の支配階級がこれを忌み嫌つていることも明白な事実である。
乱斗事件それ事体は極めて不幸な事態といわねばならないが、問題は、このいわゆる乱斗事件を口実に、警察権力が集会に公然と介入し、多数の集会参加者を検挙して弾圧し、しかもそこで凶器準備集合罪が̶̶暴行傷害でなく̶̶その弾圧の法定根拠とされているということである。
3 そもそも凶器準備集合罪はどのようなものとして制定されたものなのか。このような反権力的な斗争に対して適用することが果して許されるのか。
凶器準備集合罪を規定する刑法二〇八条の二は、第二八回国会に「刑法の一部を改正する法律案」として内閣から提出され、昭和三三年法第一〇七号として成立を見たものである。
凶器準備集合罪は、二人以上の者が、他人の生命、身体または財産に対する共同加害の目的をもつて集合した際、①凶器を準備した者、②その準備あることを知つて集まつた者について成立し、これらの者を「二年以下の懲役、二万五〇〇〇円以下の罰金」に処することとしている。後述するように、このような犯罪類型は、既に立法当初から多くの重大な疑問をもたれたものであつた。そこでは、「集合」が基本的な構成要件要素とされている。多衆人の集合は、具体的には労働争議や政治的な集会の場合に多く見られる。ところで、前者は争議権として憲法第二八条が、後者は集団による表現の自由として憲法第二一条がそれぞれ保障するところのものである。この国民の基本的人権が、本罪の制定によつて不当に侵されることにならないか。これが識者の根本的な疑問であつた。政府・当局は、繰り返し、繰り返し、当時発生した別府事件、小松島事件といつたような暴力団同士の殺傷事件を未然に効果的に取締るためのものであつて、労働争議や大衆運動に適用することを目的とするものではない旨述べたが、暴力行為等処罰に関する法律の例もある。この点に質疑も集中されたといつても過言ではない。(後に詳述)。このような点に鑑み、同法案成立に際しては、自由民主党および日本社会党共同提案による付帯決議案が出され全会一致で可決されている。
「本改正案の実施にあたつては、政府は、検察権、警察権の濫用を厳に戒め、政治活動を阻害し、或は労働運動を抑圧することのないように留意し、なお、斡旋収賄罪については、将来所謂第三者供賄に関し、十分検討すべきである。右決議する。」
この決議の趣旨は無視され、国会の審議で提出された危惧は、前述のとおり現実と化した。
政治的な責任の問題はともかく、ここでの法的な問題は、争議権ないし集団的表現の自由として保障される憲法上の基本的自由ないし権利が、本罪の或はその規制の広さのために、或は犯罪構成要件のあいまい不明確さのために、不当に侵害される虞れがないか、このような観点から凶器準備集合罪の規定それ自体の憲法上の効力があらためて問いかえされるべきではないかという点にある。
 凶器準備集合罪の規定は、処罰の実質的根拠に著るしく乏しく、あるいは少くともその規制が広範に過ぎ憲法第三一条等に違反して無効である。
1 法理(基本的視点)
国民の基本権を制限する法律(ないし規定)が合意であるためには、第一にその立法規制を必要とする事実(立法事実)が存在しており、第二に立法目的達成の具体的規制方法が憲法上の権利に対する必要にしてやむを得ない最少限度のものでなければならない。
或る法律が合憲でありうるためには右の二つの要件を満たしていなければならないとする考えは、米連邦最高裁判所において既に確立した判例である。連邦最高裁判所は、① 先ずマツトレスその他に再生毛糸を用いることを絶対的に禁止しているペンシルバニア州法の合憲性が争われたWeaver V. Palmer Bros Company事件(270U.S.402(1926)において、再生毛糸にはバクテリアが含まれており、これをマツトレス等に使用すると病気が伝染し、健康に有害であるという立法事実が存在し、この害悪に対処するために全面的使用禁止という方策が採られたが、しかし再生毛糸の製造過程で滅菌を行なつた滅菌再生毛糸を使用しさえすれば健康には有害ではないという立法事実が認められるので、滅菌しない毛糸の使用を禁じさえすれば州の目指す目的の達成は可能なのであるから、再生毛糸の使用を全面的に禁止する法は不合理な規制で適法手続条項に反すると判示し、② また、Schneider V. Irvington事件308U.S.147(1939)において街路に紙屑をまきちらすことを防止する目的のため、よろこんで受取る人に街路で文書を配布することまで禁ずる法律は、目的達成のための具体的方策が広きに失すると判断し、紙屑がまきちらされることを防止する方策としては街路に現に紙を投げすてることを処罰すれば十分であると判示し、③ 更にビラ配布の場合、印刷者、配布者の氏名、住所の記載のないビラを配布すると配布の状況場所のいかんを問わず処罰するロスアンジエルス市条例の効力の争われたTally V.California事件U.S.60(1960)では詐欺、虚偽広告及び名誉毀損の責任者確認のためという目的達成のための方策としては同条例は広きに失すると判示した。
これらは立法目的達成のため憲法上の権利の必要にして最少限度やむを得ない規制を超えて、本来規制することが許されない行為まで禁止するような具体的方策は、広きに失して不合理であるとして、その点から当該法律を違憲とするのである。(Unconstitutionality dueto Overbroadness)。
アメリカ憲法におけるこのような考え方は、「生命、自由及幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」との規定(憲法第一三条)及び米連邦憲法修正五条と同趣旨の規定(憲法第三一条)を有する日本国憲法のもとにおいても、基本権と他の法益の衝突を調整する法理としてまさしく妥当する。
現にわが国の最高裁判所も、そのいくつかの判例においてその理を認めている。
① 労働基本権の制限が問題となつたいわゆる全逓中郵事件に関する昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻九〇一頁)において「労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量として、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべき
であり、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は合理性の認められる必要最少限度のものにとどめられなければならない。
労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがつてその職務又は業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。」と判示し、② HS式無熱高周波療法があん摩はり師きゆう師及柔道整復師法に違反するかが問題となつた昭和三五年一月二七日大法廷判決(刑集一四巻一号三三頁)が、「……医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かゝる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならない」とし、③ 更に団体等規正令の行政調査のために呼出に応じないのに対して一〇年以下の懲役又は禁錮を科する規定は不当に重く憲法三三条、三八条、三一条等に違反して無効であるとする昭和三六年一二月二〇日大法廷判決(刑集一五巻一一号一九四〇頁)の趣旨も、この理論に立脚するものというべきである。
2 凶器準備集合罪の立法事実(本罪の判定が必要とされた事情)
凶器準備集合罪の新設を含む「刑法の一部を改正する法律案」は、前述のとおり、第二八回国会に内閣から提出され、昭和三三年三月一九日には参議院本会議で、翌同月二〇日には衆議院本会議でそれぞれ提案理由が説明された。
岸内閣総理大臣は、右法案が、汚職・暴力・貧乏の三悪追放という岸内閣の基本的な施政方針に基づくものであることを強調し、唐沢法務大臣は、その提案理由に触れて次のように説明した。
「……いわゆる持凶器集合罪でありますが、この規定が誤つて適用されれば、あるいは労働運動その他の大衆運動に適用されるおそれはないかというお考えのようでございますが、これは御承知のように、たとえば、別府事件とか、小松島事件というような、暴力団が凶器を持つて相対峙しまして、そして非常な殺傷事犯を起した、これを取締ることを目途といたしまして立案いたしたものでございまして、労働運動等について、これを適用する意図は全然ございませんし、これは条文をごらん下さいましてもさようなおそれはないと信じております。」
また竹内寿平政府委員(法務省刑事局長)は、衆・参法務委員会で次のように説明している。
「……次に、第二百八条の二でございます。第二〇八条の二は、他人の生命等に害を加えることを目的とする凶器の準備を処罰する趣旨の規定でございます。最近いわゆる暴力団等の勢力争い等に関連いたしまして、なぐり込みなどのために相当数の人員が集合し、人身に著るしく不安の念を抱かしめ、治安上憂慮すべき事態を惹起した事件が相次いで発生いたしたのでありますが、これを検挙、処罰すべき適切な規定がございませんため、その取締に困難を来している実情にかんがみまして新設したものでございます」(33・3・24参院法務委員会、33・3・25衆院法務委員会)
さらに詳細に次のように述べる。
「……その一つは、取締上すこぶる困難であるという点の解決でございまして、これは、今御指摘の持凶器集合罪とも申すべき、いわゆる集合罪の規定であります。もう一つは緊急逮捕の問題でございます。集合罪を処罰しなければならぬ理由は、最近、組織的な親分子分の関係をもつてつながつております暴力団とも称すべきものの組織上のなわ張り争い、出入り、そういつたような傾向が顕著に現われてきております。この別府事件のようなものを見ましても、あるいは最近の小松島事件等にいたしましても、その他こういう数十名が相対峙して武器を用意し、武器を持つて集まる、こういう事態が、現在の治安状況のもとにおいて一般の人に想像もつかないような状態が現にあるわけでございます。こういう事犯につきましては、以前は行政執行法あるいは警察犯処罰令等によつて、そういう事態に至らない前において検束処分あるいは勾留処分といつたような手当ができたのでございます。また、その検束処分に対して反抗しまする者は、公務執行妨害罪というもので手当ができたのでございますがそういうものが、なくなりました今日におきましては、結局、別府事件で一般の人が知つておりますように、数十名が二つの宿舎に相分れて、刀を廊下に立てかけて、そうして今やまさに一触即発というような状態にまで参りませんと、解散に応じないというあの刑法の百七条の規定を適用することができないということなんでございまして、こういうことで、犯罪になるような情勢ができるまでの間は手をこまねいて見ておつて、そうしていよいよ血の雨が降るという瞬間に初めて警察権力が発動するということでありましては、今の犯罪予防の観点から申しましても、とうてい目的に沿わないものでございます。その意味からいたしまして、この法の不備を補いますために持凶器集合罪のような規定を設けたのでございます。……」この法案についての質疑の焦点は、暴力団のなわ張り争い出入りの取締りを名目としながらも、その実労働争議、大衆運動の弾圧を担つたものではないか、仮りにそうではないとしても、結果的には、暴力行為等処罰に関する法律が正にそうであつたように(参照、第五一帝国議会における江木翼司法大臣の「此法律目的トシテ、労働運動デアルトカ、或ハ小作運動デアルトカ、若ハ水平運動デアルトカ云フガ如キモノヲ取締ルト云フ目的ハ、毛頭持ツテ居ラヌノデアリマス」、博徒とかそういう類種の暴力団を取締るものであるとの立法理由にもかかわらず、現実には労働運動等の取締に多く適用され、弾圧の法的武器となつていることは統計上からも明らかである)、労働運動等に主として適用され弾圧の根拠となるのではないか、規制対象の広汎さ、“凶器” という概念のあいまいさ、不明確さはそのことを保障するものではないかということにあつた。
衆院では、法務省特別顧問小野清一郎、都立大学教授戒能通孝、日弁連会長島田武夫の諸氏が、参院では、弁護士植松圭太、同森長英三郎、一橋大学教授植松正、東京大学教授団藤重光、最高検検事安平政吉、日本労働組合総評議会法規対策部長神島日吉の諸氏が、それぞれ各法務委員会で参考人として意見を述べているが、結局、前述のような決議を付した上昭和三三年法第一〇七号として凶器準備集合罪は新設されたのである。
3 凶器準備集合罪の規定は、処罰の実質的根拠に著るしく乏しく、少くともその規制が広きに過ぎる。
 本罪の立法事実(制定を必要とした事実)は、要するに暴力団同志の出入等殺傷事犯の効果的な取締りということに帰する。問題は、第一に、政府当局は右のような事犯に際しこれを検挙処罰すべき適切な規定がないというのであるが果してそうか。第二に、本罪の新説によつてその立法目的を充分達成することが可能か。第三に、本罪の犯罪構成要件の定め方は、規制目的からして必要最少限度のものといえるか。他の正当な法益、即ち争議権(憲法第二八条)、集団による表現の自由(憲法第二一条)を不当に侵害する虞れはないか等の点にある。
 政府当局は、別府事件等に際し、その検挙・処罰の効果的な法的根拠がないという。
しかし、まさに別府事件等においては、「刀」・「拳銃」が武器として用いられているのであり、その点で銃砲刀剣類所持等取締法の適用が充分可能である。これに対して竹内政府委員は「……現行法におきましては、御承知のように、百七条の不解散罪というのがございますが、別府の暴力団の事件など見ましても、神戸から、あるいは京阪神から暴力団が逐次集まつて応援に行つておりますし、また北九州その他から、いわゆる暴力団の一味の者が、これまた他の一方を応援するために、別府へ乗り込んでおります。ところが、そのような事情はすべて治安当局にわかつておるのでございますけれども、いまだ手のつけようがな
い。現実に凶器を持つておりさえすれば、銃砲等所持禁止令に触れる場合もありますが、その刀が登録した刀でございますと、そういうものを持つていても差しつかえないと大審院の判例も出ておるような始末で、そういうふうに集まつていく場合を傍観していなければならない。そしていよいよ別府に着きまして、二つのよりどころにそれぞれ勢ぞろいをして刀は床の間に幾振りも並べてある、拳銃もあるといつたような状態であるにかかわらず、これを市民の大きな不安を醸成しないうちに解散させるというわけにもいかぬというので、そういう今や血の雨の降ろうとするその直前に至るまで手をこまぬいて見ていなければならないというのは、現行法のはなはだしい不備でございます。」
などと答弁している(33・4・2衆院法務委員会での志賀義男議員の質問に対する答弁)。
集合自体の段階で取締りたいというのが、政府当局の本音とも読みとれる答弁であるが(前述の「行政執行法あるいは警察犯処罰令……」の説明、そして凶器準備集合罪の現実の運用等を併せ考えるならば充分うなづける)、それが許されないこと勿論である。しかし「刀」や「拳銃」を所持している場合は、集合の段階であろうと、事情は自ら異る。政府委員は、それらが「登録」されていると合法的な所持だから「傍観」する外はない、とするのだが、それは全く理由にならない。登録の有無こそ、その前提的な問題であり、そのために警職法第二条の質問によつて警察権が介入することは充分可能なのであつて、登録がなければ銃砲刀剣類所持等取締法によつて現行犯逮捕することができるのである(博多駅での所持品検査を見よ。国会審議での政府当局は、むしろ暴力団の人権の擁護者としてある)。
「二つのよりどころにそれぞれ勢ぞろいをして、刀は床の間に幾振りも並べてある、拳銃もあるといつた」状態に至れば、右銃砲刀剣類所持等取締法による取締はより容易であること明らかである。
暴行、傷害、殺人に至る蓋然性が極めて強いときは、刑法一〇七条の不解散罪成立の要件がなくとも警職法第五条による制止も不可能ではなく、場合によつては殺人予備罪(刑法第二〇一条)の適用も可能である。また政府委員が説明するような事案であれば「決斗罪に関する件」(明治二二年法律第三四号)の適用も可能であり、国会審議でも屡々指摘されたように不解散罪(刑法第一〇七条)を適用する方法もあるのである(なお「刀」等については、軽犯罪法第一条第二号、爆発物、火薬等が用いられる場合には、それぞれ爆発物取締罰則、火薬類取締法がある)。
このように見てくるならば、既存の法令の下でも、少くとも「今や血の雨の降ろうとするその直前に至るまでも手をこまぬいて見ていなければならない」等の事態の招来は到底考えることができないといわなければならない。亀田得治議員等が鋭く指摘しているように、別府事件等を警察当局が拱手傍観した真の原因は、長年にわたる暴力団と警察との馴れ合いではなかつたか。
新たな法的根拠の必要、それは行政執行法等に代るものを求めての取締の便宜に出たものではなかつたのか。
 暴力団同志の出入等の殺傷事犯に有効な法的措置の必要が仮に認められるとしても、本罪は果してその目的達成に効果的なものといえるか否かが次に問われなければならない。
都立大教授戒能通孝参考人は、「……凶器の範囲というものがきわめて不明瞭であるという点におきましても問題が残つていくと思つております。凶器というものの中には、性質上の凶器と用法による凶器という二種があり得ると思います。ところが、性質上の凶器になりますと、これは隠したり、それから人に見えないようにしたりする道がずいぶんございます。たとえば拳銃あるいはあいくちというものになりますと、懐中あるいは胴巻というふうなものに隠してしまうことができるのでございます。従つて、そうした拳銃やあいくちなど持つた人物を集めましても、そんなことは知らぬと言つてしまえばおしまいになりはしないかと思います。……」
(33・4・8衆院法務委員会)等と述べ、また総評の法対部長神鳥日吉参考人も「……凶器の認定や、それから凶器を持つておるこういつた暴力団やぐれん隊が集まるにいたしましても、昔のように凶器をかついだり、あるいは竹やりや、それからなぎなたを持つてやつてきたりするような暴力団の集合というものが、現在あり得るのかどうか、私はこういうことはおそらく何年に一回か、あるいはあるかもしれませんけれども、そう
いうものは、今の世の中でありますから存在し得ない。持つているか持つていないかということについて……の認定は、先に立つておる警官が主観的にそれを判断をして措置することになれば、集合したそのものが、一つの犯罪の構成要件になつていることについては、今後の私ども組合運動について非常に危惧するものであります。……」(33・4・15参院法務委員会)等と供述している。
即ち、凶器準備集合罪は、その立法理由とする暴力団の暴力対策としては、それが凶器を持つて集合するような場合には、拳銃、あいくち等性質上の凶器を、それも秘匿するなど外部から見えないような形で行なうであろうから、取締の実効を期待しがたい、むしろプラカード等警察権力の独断と恣意によつて用法上の凶器と見なし得るような秘匿不能のものを利用する労働運動、大衆運動こそが暴力団に代つて取締の主たる対象とされる虞れが強いというのである。
凶器準備集合罪が、暴力団対策の法的措置として実効性を現実にも余り持ち得なかつたことは刑法改正作業の中でも報告されている。
「10 凶器準備集合(第二八一条)
本条は、現行刑法第二〇八条の二と同内容である。本条の審議に際しては、最近の暴力団のいわゆるでいりにおいては、本条の適用を免れるため凶器を秘匿して集合する傾向があり、暴力団同士の集団斗争を未然に防止するという立案の目的を達するのが困難になつてきている実情が紹介され……」
(亀山継夫「刑法改正作業レポート」傷害及び暴行の罪、決斗の罪、ジユリスト393号、105頁)
因に前述の決斗罪ニ関スル件についてはどうか。右引用のレポートは「……一方、現行の決斗罪ニ関スル件ノ諸規定が暴力団同士の果たし合い等の事案に多く適用され、暴力団対策として効果をあげているという実情もあるので……」(前掲105〜106頁)と指摘している。
 本罪の犯罪構成要件の定め方は、規制目的からして必要最少限度のものといえるか。
冒頭に指摘したように、本罪は「集合」を構成要件要素としている。多数人が集合する形態は、今日の社会では、或は労働争議等の労働運動、或はデモ等の政治的な集団行動の場において多く見られるところである。そして、これらにおける旗、プラカード等の携帯、所持は、右諸行動に不可欠な一体不可分の要素といつても過言ではない。旗・プラカードがもし用法上の凶器とされるならば、右集団行動等は、つねに凶器準備集合罪適用の恐怖にさらされることになるといわなければならない。前述のように暴力団等が秘匿しやすい拳銃、あいくち等の性質上の凶器を秘匿して集合する限り、秘匿しがたいこれらのものこそが取締の主目標たりやすいことも理の当然である。ところで、それらは、争議権、表現の自由として、それぞれ憲法によつて保障された基本的人権(自由)の範疇に属する。規制が、その目的からして必要最少限度のものとされなければならない所以である。本罪の犯罪構成要件は右必要最少限度のものといいうるであろうか。
本罪の立法事実は、前に述べたとおり、暴力団同士の出入り殴り込み等による殺傷事犯の未然の効果的な防止(検挙、処罰)にある。
そうだとすれば、第一に先づ主体が特定されるべきであり、そもそも名称も例えば「暴力団取締法」等と立法事実に相応しいものとし特別法の形にすべきではなかつたか。政府当局は、「……これも一つのお考えだと思います。ただ立法技術の上からいつてもなかなか暴力団を、これはただ一つの俗称であり、……立法の技術として作る上においても私は困難があるのではないかと思います。……」(岸内閣総理大臣33・4・16参院法務委員会)等と立法技術の困難の問題にすりかえ答弁にかえている。成程、「暴力団」という用語は、犯罪構成要件としては不明確な概念を内容とするものであり、立法事実に適した規定を法文化するには確かに技術的な困難もあろう。しかし、少くとも特別法の形にするならば、他の多くの立法例がそうであるように、立法の目的を第一条にかかげ、また用語の定義を掲げ、或は適用除外例を規定する等の方法によつて取締当局の恣意的判断、権限濫用を抑制する次善の方法を講じ得たはずである。何故、刑法の一部を改正するという形で本罪の新設が提案されたのか(後述)。
第二に、立法事実からすれば、「凶器」はいわゆる性質上の凶器に限定されるべきである。暴力団等がその出入り等に携帯するのは、刀剣、あいくち、拳銃等本来人の殺傷のためにある性質上の凶器だからである。例えば、軽犯罪法第一条第二項は、「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」と具体的に規定している(参照、銃砲刀剣類所持等取締法、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条ノ二)。何故にこのような規定の仕方を採らないのか。この点につき政府委員は次のように答える。例えば、軽犯罪法第一条第二項の文言を置きかえてみると「おそろしく重複してわけのわからないような規定になるように思う……刑法の規定といたしましては、簡潔に書くということで……」(竹内政府委員、33・4・16参院法務委員会)。即ち、他の刑法規定の用語の釣合上ということである。
では何故に刑法典の一部として規定する必要があるのか。
竹内政府委員は答える。
「この刑法の規定は、自然犯と申しますか、何人が犯す場合におきましても、反道徳的な、反倫理的な要素を持つておる罪を刑法の中に書き込むのが通常の立法政策でございます。
ここに掲げましたような暴力立法、たとえば集合罪の規定にいたしましても……、この種の問題はいずれも自然犯的な犯罪であるというふうな考え方をいたしておるのでございます。従いまして、これはいかなる人が犯しましようとも、このようなことは今の自然犯的な意味におきまして処罰に値するものであるという理解のいたし方をいたしておるのでございます。ただいま御疑問の点の、労働運動の場合は除外をする、特に職業的なゆすりその他をやつておる連中だけが犯罪の主体となる、つまり一種の身分犯的な考え方を入れる
べきではないかということでございますが、そうなりますると特別法で考えるか何かしなければならないのでございますが、今回の立法の構成要件をしさいに御検討いただきたいと思いますが、これらの行為は、身分犯をもつて律すべきものではなくして、自然犯として、何人も処罰に値するものというふうに理解される犯罪形態のものでございますので、そのような身分犯的な考えを入れて立法を考えたことはないのでございます」(33・4・1衆院法務委員会)。
何と本罪の提案理由から飛躍していることであろうか。別府事件等暴力団同士の殺傷事犯の取締りということが立法目的ではなかつたか。集合罪=自然犯とすることは恐るべき独断である。暴力団の取締が、立法の目的である限り、規制対象は「暴力団」でなければならない。規制が集団行動等基本的人権にかかわる場合には、その方法は必要最少限度のものでなければならないからである。規制対象を、右の等号関係を前提とし、規制対象を「暴力団」から「何人」へと一挙に拡大することは前述の法理からして到底許されないといわなければならない。
現実がまさにそうなのだが、権力が権限を濫用して本罪を労働運動、集団行動に適用した場合、これらの運動そのものに反道徳的、反倫理的との烙印を押すことを企図するものと非難されても弁解のしようがないであろう。
第三に、生命・身体のみならず「財産」までも保護法益として規定していることである。
一体、財産までを保護法益として規定する必要は、立法事実からしてどこにあるのか。政府当局の提案理由に引用された別府事件にしろ、小松島事件にしろ暴力団同士の殺傷事犯ではないか。
また暴力行為等処罰に関する法律はその第一条で「兇器」を示して「第二百六十一条ノ罪」を犯した者を処罰することとしている。本罪で可罰の対象となるのは、例えば「つるはしを以て建造物を損壊する場合」などであろうか。このようなケースを処罰するための規定をわざわざ刑法典におく必要性にいたつてはますます疑問といわなければなるまい。
さらに「財産」という用語の概念自体が極めてあいまい、不明確なものであるが(後述)、例えば争議権の行使である労働争議は、そもそも使用者に財産上の損害を与える行為であるが故に、本罪のような形で「財産」を保護法益として規定することは、労働基本権に対する侵害を容易にする虞れを意味するものであり、立法事実からしてその規制の方法が広きに過ぎるというべきである。そして、またこのことは、財産に対する加害行為という点から「凶器」の概念を自ら広くする傾向を生むものであることが正しく指摘されなければな
らない。
以上の諸点からして、本罪は処罰の実質的根拠に著るしく乏しく、少くともその規制が広きに過ぎ憲法第三一条に違反して無効と断ぜられるべきである。仮に、刑法第二〇八条の二の規定それ自体が違憲とされないとしても本件のような正に集団的表現の自由にかかわる事例について本罪を適用することは、右立法事実からして違憲(いわゆる適用上の違憲)といわなければならない。
 本罪の「凶器」等の文言は極めてあいまい不明確な概念を内容とするものであつて、その点でも憲法第三一条等に違反して無効とされなければならない。
1 法理(基本的視点)
憲法三一条の趣旨とする罪刑法定主義は、犯罪構成要件の一義的明確性を要求する。それは二つの側面を有する。
第一は、刑罰法規の裁判規範としての側面である。法を適用する裁判官の恣意的主観的判断が介入する余地をなくし、その法規が適用される個々の事件によつて被告人に不公平な結果をもたらすことのないよう、犯罪構成要件が判断基準として法規の中に一義的明確に具体化されなければならない。
第二は刑罰法規の行為規範としての側面である。それは裁判規範としての機能の他にすべての人に対する行為規範を含んでおり、人が将来の行為を決するに当つての指標たる機能を有する。従つて、犯罪構成要件は通常人がその法規の意味と適用可能性を理解し、何が許され何が許されないのかの明確な基準が法規自体から分るようなものでなければならない。通常人の右判断が区々に異なり、その適用可能性と意味を一義的に認識することができないような規定は、行為規範としては余りに漠然としていて合憲たり得ないというべきである。
このことは、取締当局の取締り、即ち逮捕、制止、起訴等公権力の̶̶司法裁判にいたる間の̶̶行使の基準の問題につらなる。憲法第二一条、第三八条等で保障される自由(権利)に属する「集合」自体を構成要件要素とする本件にあつては、刑罰法規の行為規範性の反面ともいうべきこの点は、とりわけ重要である。労働争議中の集合や、政治的な集団示威運動等が、本罪に該当するとして、参加者が検挙され、起訴され或は警職法第五条によつて制止され、争議行為ないし集団行動それ自体が圧殺された場合、仮に起訴者が司法裁判所で無罪判決を受けても、その蒙つた損害の回復ないし救済は殆んど不可能というべきだからである。
犯罪構成要件は、公権力行使の基準としても当該法規上に一義的明確に具体化されたものでなければならない。
2 本罪の犯罪構成要件は「凶器」をはじめ極めてあいまい不明確で多義的な概念を内容とするものである。
 その中心的なものは、いうまでもなく「凶器」である。立法の国会審議においても、ここに論点の一つが集中された。「凶器」は通常、性質上の凶器と用法上の凶器とに分けて論ぜられているが、問題は用法上の凶器である。用法上の凶器とは、本来の性質上は凶器ではないが用法によつては凶器としての効用をもつものをいうとされる(例えば、注釈刑法、106頁)。この用法上の凶器が全て「凶器」に含まれるとするならば、それは前述のとおり、立法事実からしてその規制は広きに過ぎるといわねばならないが、そもそも用法上の凶器という概念は、抽象的、多義的できわめてあいまい不明確なものというほかはない。
志賀義男議員は「共産党員が持てばマツチ一本でも凶器となる」との木村篤太郎元法務総裁の言をひいて「凶器」という文言のもつ危険性を指摘しているが、これに類したことは挙げれば本当にきりがないであろう。タオル、ハンカチですら用法の如何によつては人をたやすく殺すことも可能である。かがみ餅が殺人の手段として用いられることすら考えられよう(松本清張「凶器」黒い画集所収)。野球のバツトで人を殺した実例もある。石や棒も杖も然りである。集団示威に不可欠なプラカードも使用方法の如何によつて人を傷つけるに充分である。殺人はともかく傷害ということになれば、それこそ用法の如何によつては、ありとあらゆる物体の全てが「凶器」となりうることになるといつても決して過言ではあるまい。
 凶器については、旧刑法時代の判例が参照されるべきものとして国会審議の中でも挙げられている。
例えば、旧刑法第三七〇(持凶器窃盗)に関する大判明39・4・12(刑録12・443)、旧衆議院議員選挙法第九三条第一項「人ヲ殺傷スルニ足ルヘキ物件」に関する大判大14・5・26(刑集4・325)等である。後者は「其前段ニ例示シタル銃砲槍戟竹槍棍棒ト同視スヘキ程度ニ在ル用法上ノ兇器ニシテ社会ノ通念ニ照ラシ人ノ視聴上直チニ危険ノ感ヲ抱カシムルニ足ルモノタルコトヲ要ス」
というものであり、「この見解は、刑法上の凶器について多くの共鳴を得ている」とされるが(前掲106〜107頁)、このような規定をもつてしても、裁判規範としての側面においてすら一義的に解釈される保障はない。行為規範の側面における一義的な明確の欠如は勿論である。
 本件との関係で、用法上の凶器に関するプラカードに焦点をあてて見よう。
先づ東大教授団藤重光参考人は、「……で、凶器というのが、一体どの範囲のものをさすのか、これによつていろいろ問題が出てくると思うのでありますが、同じ一本の棒でありましても、その使い方によつては凶器になる、使い方によつては凶器とは考えられないということもあるので、この凶器というものを純粋に客観的に限界づけるということは、私の考えではかなり困難があるように思うのであります。ある程度その行為者の主観的なものを考えませんというと、凶器の限界がはつきり出てこないのじやないか、……同じ一つの物体でありましても、それをどういうふうに使う意図を持つているかということによつて、凶器になるという関係があると思うのであります。」(33・4・15参院法務委員会)
 と述べ、かかる同教授の見解は現在も維持されている(「凶器には性質上のものと用法上のものとがあるが、後者については具体的な事案において客観的および主観的要素をもとにしてあたるかどうかを判断する以外にない」団藤・刑法各論、法律学全集239頁)。
そして、検察官が論告で指摘する通り、東京地裁刑事第一六部40・11・26判決は、角材(棒)を「凶器」とし、その他木刀、竹刀や、鍬の柄までを「凶器」とする下級審の判例があることも事実である。
しかし、国会審議の段階では、プラカード等を本罪の「凶器」とすることについては政府当局をはじめおおむね否定的であつた。
竹内刑事局長(政府委員)は、「そういうもの(注、通常の形における竹ざお、旗ざお)やプラカードの棒であるとか、そういうふうなものは凶器になろうはずがない。一見、社会通念上、危険の感を抱せるものではございませんので、そういうものは凶器に当らない、かように解釈をいたしております」(33・4・21参院法務委員会)と断言している。
また小野清一郎参考人は、従来の判例にふれ「……たとえば、一つの判例にはなたを持つて入つた場合、一つの判例は出刃ぼうちようとそれをとぐやすりとを持つて入つたという例、これはいずれも凶器であるとされております。ここまでは、性質上の凶器ではなくても、用法による凶器と言えることは、これらの判例の傾向を見ても明らかでありますが、こん棒とかプラカード、こういうものは私はこの凶器には入らないと思います。もつとも、特にたとえば日本刀の格好をしたこん棒というものもあるのでありますから、それはまた別でありますけれども、普通の野球のバツトとかプラカードのたぐいは、これは用法上の凶器でもない、凶器であると解釈されるおそれはまずないと思つております」(33・4・8衆院法務委員会)
 とその見解を述べている。植松正、戒能通孝、島田武夫、森長英三郎、神鳥日吉等の参考人も、それぞれの立場から、ニユアンスの相異はあるが、用法上の凶器を「凶器」とすることに疑問を呈し、旗竿、プラカード、ステツキ等につき権力の濫用をおそれているのである。
 これらの事実は、本罪の「凶器」の解釈にあたつて極めて重要な資料といわなければならない。しかし、本論で重要なことは、このような政府当局や学識者の立法当時の見解にもかかわらず、裁判規範の側面でもこれらに反する下級審判例が現われ、われわれが最も重視する警察・検察の公権力の判断基準としての側面では、これらと真向から反する見解・運用が公然と行なわれ集団示威運動等の自由を不当に侵害しているという事実である。
エンタープライズ阻止斗争に際しては、例えば、北折篤信原空寄港警備本部長は、警備本部を設置した直後の記者会見でも「プラカードは凶器とみなす」と言明し(東京新聞43-18)、政府当局もくりかえし同趣旨の見解を発表していることは公知の事実である。そして、現実の運用は、問題の所在として述べた通りである。「凶器であると解釈されるおそれはまずない」との小野清一郎法務省特別顧問の期待は、現実には無残にも打ち砕かれているのである。この原因は何か。いうまでもなく、「凶器」という文言の多義的な不明確性に決定的に基づくものといわなければならない。「財産」等についても全く同様である。
それは、前述の法理からして憲法第三一条の問題であるが、同時に表現の自由、争議権を侵害する虞れをもつものというべきであるから憲法第二一条、第三一条の問題でもある。こうして、刑法第二〇八条の二の規定は、憲法の右諸規定に違反して違憲無効とされなければならない。
第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、破棄しなければ著るしく正義に反する。
一、原判決は「被告人七名は、いずれも角棒を所持するに至つた時点において、それぞれ兇器を準備して集合したと認めざるを得ない」(原判決七丁裏)
 と認定しているが、その反面、各被告人がいつ角棒を所持するに至つたかという点になると必ずしも明確でない。
「被告人七名を含め、本件現場に参集した都学連派学生の中にはプラカードを携行するものはあつたが、各自角棒を予め準備携行したものとは認められない」(原判決六丁裏)
「被告人らが本件現場に参集する以前、各自角棒を携行した事実は確認できない」(原判決六丁裏)などと認定し、各個人については、A・B・Cについては乱斗直前に所持するに至つたと判断しているが、D・E・F・Gの四名については、乱斗の際所持していたことのみ認定し、いつどこで所持するに至つたかは詳かでない旨原判決自体が認めているところである(原判決七丁裏)。しかるに、前記の如き、証拠上認定できないところの「所持するに至つた時点」において刑法208-2の成立を認めることは、法令の適用のずさんとしか云いようのない重大な誤りである。
すなわち、右判決に従うと、D・E・F・Gについては、角棒の所持は乱斗の際持つていたこと以外認定のしようがないのであるから、乱斗の際所持するに至つたとしても、兇器準備集合罪の成立を認めることになるのである。実行行為段階で兇器を所持していたとして、そのことから直ちに兇器準備集合罪の成立を認めるには、結局、実行行為の着手と準備行為の着手が同時に行われ得るという解釈、又は加害行為時まで兇器準備集合罪が継続しているという解釈を事実認定が行われてはじめて成り立つ論理である。
ところで、この論理が、原判決では加害行為と準備行為は別個独立の犯罪であり、両者は併合罪の関係になるという最高裁決定(昭三八・一〇・三一)の解釈から正当づけているのである。
しかし、右の原判決が引用した最高裁決定および継続犯の論理が直ちに本件に適用できない例であること̶̶すなわち、構成要件的情況の消滅の理論は単に解釈の問題ではなく事実認定の問題でもある。原判決は、前記の如く認定した事実に誤つた判例および解釈を適用して結論を導き出しているといわざるを得ないことである。
さらに、原判決で奇妙な点は、継続犯であるから、加害行為があつても兇器準備集合罪は存続かつ継続しているという論理と、加害行為段階まで準備罪は継続していると解しながら、七名の各被告について、いつから継続しているかについての認定をしていないことである。原判決は「……乱斗が行われた際、各自角棒を携行して右都学連派学生の集団に参加した事実は明らかである」
 と認定し、前記のとおり被告人七名の各自が所持するに至つた時点を明らかにしないまま、少くとも、「所持するに至つた時点」で兇器準備集合罪は成立したとするのである。
さらに原判決が引用する最高裁決定は「兇器準備集合罪が成立した場合でも、それが発展して、その目的とした加害行為が実行の段階に至つた時は本罪と加害行為の罪とは併合罪となる」として兇器準備集合罪の成立を疑いのない前提とした上での解釈であるが、本件は右の兇器準備集合罪の成立の有無そのものを争つている事案である。
そうだとすると、原判決の判例の引用は適切でなく、結局「実行行為と準備行為が同時に存在(すでにあるものが存続する)することがあり得る」との右最高裁決定の趣旨をさらに拡張して「実行行為と準備行為が同時に発生する」との解釈が可能にならない限り本件への適用は困難であると思われる。
さらに、一審判決の「構成要件的情況の消滅」の理論̶̶実行行為に至つた時はその準備行為たる兇器準備行為は終了している̶̶について、本件が継続犯であることを理由にして排斥しているが、刑法208-2が継続犯であるということと、継続状態の発展的消滅ということは明らかに異なる概念であるのに、原判決は、ただ継続犯であることと右最高裁の決定とを結びつけて一審判決の判断を排斥していることはまさしく不当なこじつけであり、法令の解釈・適用を誤つたものと云わざるを得ない。
二、右の解釈について、北海道大学教授木暮得雄氏の論文が次のように指摘する。
「本件のふくむ第一の問題点は、すでに指摘したごとく、激突の時点における構成要件的状況の消滅という論理である。判旨によれば、乱斗場面はまさに目的とされた加害行為の実行そのものであつて、加害目的をもつて集合した状態ではない。たとえ集合体として兇器準備集合罪の成立をみたばあいでも、すすんで乱斗状態にいたつたときは、もはや同罪の前提する構成要件的情況は失われたことになる。したがつて角棒を携えて乱斗に加わつた事実は、ただちに同罪の成立と結びつかない、と。たしかに、乱斗状態における角棒の準備ないし加害目的の存在を結論しえないことは、判旨の説くとおりであろう。その間の結びつきは通常高度の蓋然性があるとしても、証拠調をつくした末、事実審として確信の形成にいたらなかつた以上、その判断を尊重するほかない」(ジユリストNo.433・一二八ページ)
右論旨は、第一審の判旨を支援するようで結局「本件のように隣りあう集合が一触即発の危険をはらみながら長時間にわたつて継続し、その間、緊張が昂ずればおのずと激突におよび、といつた状況のもとにおいては、個々の乱闘場面を包摂しつつ、むしろ全体として、加害目的をともなう兇器準備集合の継続とみとむる余地が十分に存するであろう」として、結局原判決に近い結論にみちびかれるのであるが、右論旨は判断の前提となる事実について証拠にもとづかない想定がある。もちろん、右論文の如き事実があつたとすれば、まさに兇器準備集合状態の継続であつて、その間に行われる個々の実行行為は、兇器準備集合とは別個の独立の犯罪と評価され、両者は併合罪の関係に立つことになることは、適切な法解釈であろうと思われる。原判決のとおり、前記最高裁決定と継続犯であることが結びつき兇器準備集合罪の成立が認められることになろう。
三、しかし、右解釈を本件にただちに適用することがあやまりであることは、次の理由により明らかである。
すなわち、本件が午後三時五二分乱闘に至り、全連派の大部分は公園外に追い出された。都学連派はもとの集合場所に引き揚げ全学連も追い追いその一部が集り反撃の構えを見せた。ここで待機中の機動隊が同派間に割つて入り午後三時五五分頃検挙活動をした。(原判決四丁表)
右事実は、原判決が認定したとおりのものであるが、右の事実をみると、前記木暮論文の想定した前提事実と異ることはもちろん、前記最高裁決定が兇器準備集合罪と加害行為が別個独立に成立し、両者併合罪の関係になるとした事例とは明らかに異なるものである。すなわち、集合罪と加害行為が併存する情況は、ごく常識的な想定としては考えうるのであるが、少なくとも本件では、第一回の全体的乱闘状況において準備的情況̶̶凶器準備集合罪の構成要件的情況̶̶は消滅したと解釈することが正しい事実判断である。
さらに、第一回の衝突の直後、待機中の機動隊が介入していることも考え併わせると、介入後しかも機動隊を面前においての多少の混乱は、兇器̶実行行為という刑事的評価をする程度のものではなく、集会内の小ぜり合いと考える方が適切である。従つて、原判決の引用した最高裁決定(昭三八・一〇・三一)および、継続犯であるとの解釈が正しいものとの前提に立つても、その解釈を本件が適用することは、明らかに前提事実を誤認し、その結果法律の解釈・適用を誤つたものというべきである。
四、次に共同加害目的の有無について原判決は、「両派学生間の一触即発の緊迫した客観的状況があつたこと」「両派学生が集団として乱闘を行つたこと」「被告人七名はいづれも角棒を所持して右乱闘中の都学連派学生の集団が加わり、共同して全学連派の学生を角棒で殴打し……兇器の用法に従つてこれを使用して攻撃的行動をした」(原判決八丁裏)
 の三点の客観的状況および被告人らの行動を総合して角棒を所持するに至つた時点において同加害意思を認定しているが、共同加害目的の成立には、原判決も引用しているとおり(原判決九丁裏〜一〇丁表)角棒を所持するに至つた時点における共同加害目的ではなく、乱闘状態に入る前の段階において共同加害目的が必要である。原判決によると、角棒を所持するに至つた時点は不明確で結局乱闘時と同時点となることにより、兇器準備集合罪と加害行為とを混同することになる。
さらに、共同加害の目的につき、「共同加害の目的という以上、加害行為が他人と共同して達成しようと意欲する対象でなければならない」(原判決九丁表)
 との第一審判決の判旨は、適切な解釈である。そして、本件では右の加害目的が準備段階で確認できないことは原判決も直認するところである。さらに、実行行為の段階に至つても、はたして共謀以上の共同加害意思が、原判決の認定した前記の情況から推認しうるか否か疑問である。
五、以上のとおり、原判決は兇器準備集合罪の規定の解釈を誤り、前提事実を誤り、その結果法令の適用を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことは明らかであり破棄しなければ著るしく正義に反するものである。

公務執行妨害被告事件
昭和46年(う)第3326号
控訴人:被告人A
東京高等裁判所刑事第2部
昭和47年4月15日

判決
主 文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理 由
(控訴の趣意)
本件控訴の趣意は、弁護人吉川孝三郎、同伊藤まゆがそれぞれ提出した控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検事金吉聡提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
(当裁判所の判断)
弁護人吉川孝三郎の控訴趣意(事実誤認の主張)について。
所論は、原判決は、「被告人が、B警備官の職務を妨害するため、同人の後方からこれに飛びかかり、同人の首に被告人の右腕を巻きつけたり、同警備官の胸部を殴打するなどの暴行を加えた」との事実を認定しているが、被告人は、B警備官に対し、右のような暴行はまったく行なっていないのであるから、原判決には事実を誤認した違法がある、と主張する。
しかしながら、《証拠略》によると、原判示のとおり旅券に上陸許可の証印を受けないで東京丸から晴海埠頭に上陸した米国人Aは、右東京丸出航後、入国警備官らから、収容のため、東京入国管理事務所へ同行を求められたが、これに応ぜず、被告人をふくむ約三〇名くらいの支援者集団に取りかこまれたまま、晴海埠頭の船客待合所を通ってその前の広場にあるバスターミナルの方へ移動して行ったので、そのままの状態を放置するにおいては同人に逃亡の虞れがあると信じた入国警備官Cの発した要急収容の命令により、数名の入国警備官らが右集団の前面に立ちふさがってその移動を阻止し、Aの収容に着手すべく同集団員ともみ合っているうち、入国警備官Bが右集団に割って入り、その中にいたAを収捕しようとしたことが明らかである。
ところで、その際の状況につき、私服警察官である原審証人Dは、「私は、集団のすぐうしろについていました。B警備官は、顔だけは前から知っているんですが、バスターミナルのところでさかんにほかの入管職員といっしょにAの収捕行為、実力行使をやっていました。要するに、逮捕しようと手をのばして捕えようという格好です。そのとき、集団の中にいた被告人は、B警備官の首のところにうしろの方から飛びついていました。うしろから来て右腕で首を巻くような格好で、かなり力がはいっていたと思います。B警備官は、ちょっとうしろにそったようでした。それから被告人の右腕はすぐ払いのけられていました。その右腕でまたB警備官の胸のところを水平にこういう状態で殴っていました。」と、ほぼ原判示にそう趣旨の供述をしている。次に、原審証人Bは、その状況につき、「集団は、船客待合室の中を通りましておもてに出て、おもての方で大部もみ合いました。私が学生風の人たちに割って入りましてAの左腕に私の右腕を巻きつけておりました。その付近で何か私のうしろの方からやられました。首の所に腕を巻かれました。そして引っぱられまして、それで離したんではないかと思うんですが、右手首をかまれたり、足払いをされたり、うしろからこづかれたりしました。首に手を巻かれたのは、私はAの方を向いておりまして、うしろからだったので、その時は誰だかわか
らなかったんです、私がAの腕を抱えていた時に、被告人が私の前に立たれまして「もうやめろよ。」というようなことで、左肩だったと思いますが肩に手をやってきたのを覚えております。私はAの腕を抱えていました。それで「やめろよ。」というようなことを言ったと思います。その後だったと思うんですがやられたのは。そのやったのは誰だかちょっとわかりません。」と供述して同人がAの左腕に自分の右腕を巻きつけて収捕しようとしたとき、後方から首に手を巻かれて引っぱられたために、Aの腕を離すのやむなきにいたった状況を具体的に述べている。このように、同証人は、うしろから首に手を巻いたのが誰であるかはわからないが、その直前に同人の前に立ち、「もうやめろよ。」といって肩に手をかけた者が被告人であることははっきり述べている(被告人は、当日、白ワイシャツの腕をじゃくかんまくり、眼鏡をかけていて、たえず集団の先頭に立って抗議めいた言動をしていた、ということから、Bは、その顔をよくおぼえていたのである。)から、同証人の証言によっても、すくなくとも本件事犯の行なわれた直前ころの時点において、被告人が同証人の身辺まじかにいたばかりでなく、そのAを収捕しようとする行為に対して、抗議的な言動に出ていたことはまちがいないものといわなければならない。また、制服警察官である原審証人Eは、「私は、集団の後尾について船客待合室を抜けて広場に出て、集団は、入管職員とまたそこでなんか口論し合いながら、円陣みたいな格好になっておりました。私は、その横のグリーンベルトの上で見ていました。入管の職員達五〜六名は、その二〜三〇人の中にいっせいになんか強制収容するために割りこんでいった様子でした。その時、被害者である入管職員がその三〇名くらいの中に割りこんでいくときに、被告人がその職員に右手をまわして胸ぐらをつかんでこづいているような様子でした。右手を首のうしろからまわして胸ぐら。
うしろ向きになったような状態でした。入管職員のうしろから右手を首のあたりにまわし、右手で胸ぐらをつかんで倒すような格好でした。その職員は一生懸命振りほどこうとしておりました。振りほどけました。もうそのときには公妨の対象になるので、いっせいに私たち警察官がまわりに行ったからだと思います。その被告人に暴行を受けた入管職員はBさんです。私は、被告人が二〜三〇人の中へまた飛びこもうとしたのでうしろからベルトをつかんで引っぱり出すようにしました。そして、私とF巡査部長とで被告人を逮捕しました。」と述べ、同人は被告人がBのうしろからその首に右手をまわし、胸ぐらをつかんだり、こづいたりするのを現認した旨を明言しているのである。そして、これらの証人のほかにも、なお、原審証人Gは、B警備官その他が首をしめられるような状況を目撃したと述べているし、また、当審証人Cは、Bがうしろからはがいじめされるのを現認した旨を供述しているのである。したがって、以上の各供述をふくむ原判決挙示の関係証拠を総合すると、B警備官に対して原判示のような暴行を加えた者がほかならぬ被告人本人であることをじゅうぶん肯認することができる。
なるほど、前記各証言によると、被告人は、当日その集団の中では最も積極的な言動に出ており、はためにつきやすい状況であったことが窺われるが、それだからといって、右証人らが、他人の所為を被告人の所為であると思いちがいしたり、あるいは故意に被告人を陥し入れるために虚偽の供述をしたものとは思われない。(ちなみに、この点は、たとえば、前記B証人が、前方から「もうやめろよ。」と言って肩に手をかけたのはまちがいなく被告人であるが、その直後うしろから首に手を巻いた者は、その顔を見ていないから、誰であるかわからない、とはっきりけじめをつけて述べているところによっても、十分信をおきうるものと考えられる。)また、当審証人Hの証言によると、被告人は、集団から離れてその前方を一人で歩いていた、というのであるが、同証言によっても、集団が入管職員によって阻止されてからは、被告人も集団中に押しつけられて、集団全体が混乱状態に陥いったことが窺えるし、同証人も、「その後のことはわかりません。」と言っているのであるから、その混乱中に被告人がB警備官の身辺に近づくという可能性もありうるわけである。なお、前記E証言中には、被告人とB警備官とが向き合っていて、被告人がBの首に右手をまわしたように述べている部分もあるけれども、もしそうだとすると、Bは、被告人から首に手を巻かれたことを当然確認できたはずであるのに、同人自身がそのようには供述していないところからみると、Eの右証言部分は記憶ちがいと思
われる。けだし、原審証人Gも述べているとおり、Aを支援する集団と、同人を収捕しようとする入管職員とがもみ合いながらバスターミナルの方へ移動していたのであるから、同じ関係位置に固定していたわけではなく、各人入り乱れて時点、時点によって各自関係位置が変化していたことが当然推察できるのであり、したがって、その目撃地点や方向のいかんによって、現認した状況とされるものの間に相違の生ずることは免かれ難いところであるばかりでなく、混乱にとりまぎれてその関係位置等を見誤るということもありうるものと思われるから、各証人の証言相互間におけるじゃくかんのくいちがいや、また、関係証人の細部にわたる記憶の不鮮明な点をとらえて、その証言の立証趣旨の根幹そのものについての信用性を否定しようとする所論には、にわかに賛同することができない。所論にかんがみあらためて一件記録を精査検討しても、原判決には所論のいうような事実誤認のかどは認められず、また、この点は、当審における事実取調べの結果によっても変わるところはないから、論旨は理由がない。
弁護人伊藤まゆの控訴趣意(法令違背の主張)について。
一、所論は、原判決は、入国警備官Bの行なった公務執行の違法性の判断につき、その基礎となる法律の解釈に誤りがあり、その結果、同人の違法な職務執行に対し公務執行妨害罪の成立を認めた違法がある、と主張し、その理由として出入国管理令(以下たんに令という。)四三条二項は「前項の収容を行ったときは、入国警備官は、すみやかにその理由を主任審査官に報告して収容令書の発付を請求しなければならない。」と規定し、収容令書は入国警備官の所属官署の主任審査官、いわば身内の者によって発付されることとなっていること。主任審査官が収容令書を発付する要件として、同令三九条一項は「容疑者が第二四条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、」と規定するのみで、収容の必要性についてはこれを要求していないこと、被拘束者に対し自己の権利防禦のために弁護人の依頼権が認められていないこと、を指摘し、同令の退去強制手続は憲法三一条、三四条に違反し無効であるから、同令に基づくB警備官の職務執行は適法要件を欠き、これに対し公務執行妨害罪は成立しない、と主張する。
そこで、以下右各所論について検討を加える。
 所論の指摘する令四三条二項の収容令書を発付するものが、要急収容をした入国警備官と同じ官署所属の主任審査官であることは所論のいうとおりである。そして、刑事手続に関しては憲法三三条が、「何人も現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。」と規定し、そのいわゆる「司法官憲が裁判官を指称するものであることはいうまでもない。しかし、前記令三九条、四三条による要急収容は、あくまでも一つの行政処分に過ぎないのであるから、刑事手続におけるほど厳格な憲法上の制約に服せしめることを必要とするものではないことにかんがみると、収容令書の発付者が要急収容を行った者と同一官署に属したとしても、それぞれ別個の職務権限を担当する者であるかぎり、憲法三三条はもちろん、同法三一条にも違反するものとはいえない(もとより、被収容者が、その収容処分の取消しを求める訴を司法裁判所に起こしうることはいうまでも
ない。)。
 不法上陸者の収容についての同令の規定に収容の必要性のことが明記されていないことは所論のとおりであるが、収容の必要性は別段これを明文上規定していなくても、立法の趣旨に照らし、当然収容の必要性の存在を前提とするものと解すべきであって、あえて明文がないから違憲であるとするのは当たらない。そして、このことは、逮捕につき、その必要性が要件であることを、消極的な形ではあるが、あらためて条文上明らかにした逮捕状に関する刑事訴訟法一九九条の改正に関する経緯に照らしても、十分それを肯認することができる。
 弁護人の依頼権に関し、憲法三四条は刑事手続において逮捕に続く抑留又は拘禁につき、弁護人に依頼する権利を与えられなければならないことを規定するものであって、これは行政処分である収容についても弁護人に依頼する権利を与える趣旨のものとまでは解せられない。したがって、同令の収容手続につき弁護人の依頼権が認められないからといって、憲法三四条ないし同三一条に違反するものとはいえない。
おもうに、外国人の入国、および在留の許否は、原判決も説示するとおり、現在における国際慣習法上、当該国家の主権に基づき、その自由裁量によって禁止、または制限することができるものと解するのを相当とするから(昭和三二年六月一九日最高裁判所大法廷判決参照。なお所論が指摘する人権に関する世界宣言一三条も、外国人の入国の自由までも認める趣旨ではない。)現行の出入国管理令が外国人の入国資格、在留期間、ないしその入国手続等につき、一定の制限を設けたことそれ自体は、別段憲法の禁ずるところとは思われない。(しかし、もとより、その個々の規定については、時運の進展に応じて、絶えずその当否を検討し、一党一派の利害にとらわれることなく、ひろくわが国の国家的利益を伸長するために必要と認められる改正を怠ってはならないことは、いうまでもない。)したがって、同令に違反して本邦に不法入国したものに対し、日本国民、あるいは正当に入国した外国人とすべて同一の人権が保障されるものとはかぎらない。たとえば、憲法二二条の居住、移転の自由が不法入国者に与えられないことは当然これを認めなければならない。しかし、憲法三一条は、元来、何人も法律の定める手続によらなければ、生命、もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないことを保障する規定であるから、その点からみると、不法入国者といえども、もとよりその権利を享有するものといわなければならない。
しかし、令による収容は、前記のとおり、刑罰ではなく、行政処分に過ぎないものであるから、不法入国者が同令によってその自由を奪われることがあったとしても、そのこと自体がただちに憲法三一条に違反するとはいえない。したがって、原判決が、不法入国者に対しては、一律に、憲法三一条所定の基本的人権に関する保障がない、としている点には賛同することができないが、不法入国者に対する収容手続を規定した令の諸条項は、その規定内容の点からみても、格別、憲法三一条の精神にもとるほどの違法なものとはいえない、とする原判決の結論は、相当である。
二、所論は、入管当局がAに対し一年の在留許可の証印を与えなかったことは、裁量権の濫用であって違法な行政処分であるから、それに基づくB警備官の職務執行は違法であり、これに対し公務執行妨害罪は成立しない、とし、同罪の成立を認めた原判決には法令の解釈適用の誤りがある、と主張する。
しかし、旅券に日本の在外領事官等が一定の期間を定め査証を与えたとしても、入国審査官、あるいは特別審理者は、独自の判断から在留期間を決定することができるものであるから、(令九条三項一〇条六項)(この場合、査証は、あくまでも一種の推薦《レコメンデーション》ないし参考、としての意味をもつに止まる。)たとえ、Aの数次旅券に一年の査証があったとしても、調査の結果、後記するような事情で一年の存留期間を認めず、一応、一八〇日に限って同人の在留を許可しようとしたことをもって、ただちに裁量権を濫用した違法の処分ということはできない。所論は、入管当局は、被告人が米国の遂行しているベトナム戦争に反対である旨の意思表示をしたことを理由に政治的意図からAの入国を拒否しようとしたものである、という。しかし、本件記録によっては、いまだ当局側がそのような意図をもって、Aに対して無理難題をもちかけ、これによって、故意にその上陸を拒否しようとしたとまでは、これを推量することができない。《証拠略》を総合すると、Aは、かつて、J学院における英語教育を目的として入国していた間に、その入国目的に反し、米国人Iらとヨットにより中国本土に入国を企てたが、入国を拒否されて本邦へ再入国をはかったことで、当時新聞等に報道されて問題を起したことがあったため、昭和四四年六月ころから入管当局によっていわゆる査証要経伺と指定されていた結果、今次の入国の際にはその入国資格、したがって、また、その在留期間等について慎重な審理をすることとなり、東京入国管理事務所当局では、同事務所東京港出張所所長特別審理官Gが同人の口頭審理を行ない、雇用契約を結んでいるというJ学院ほか二か所の関係者を証人として喚問した結果、いずれもその雇用期間が六か月以内(J学院ほか一か所は六か月、他の一か所は一か月未満。)であることを確かめた(この審理には、もちろん、Aも立ち会っていたが、別段代理人を出頭させたいという申出はなかった、とのことである。)。もっとも、それらの契約書のうちには、雇傭期間が終了した場合に当事者、双方に異議がなければ、自動的に期間が延長されるという条項があるものもあったので、結局前記G所長は、これらの点を勘案のうえ、令一四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号、二項三号によりAに対し、一応一八〇日の存留許可を与えることとし、将来のことは後日更新の申請があった際にあらためて考慮する旨の腹づもりでいたところ(なお、行政事件におけるAの本人調書とう
本には、当時、同人は、K大学とも雇傭契約を結んでいた旨の記載があるけれども、他にこれを窺うに足りる証跡がないばかりでなく、前記G所長も「AがK大講師の資格をもっていることは全然知らなかった。」と述べている。)、Aはかつて在留期間の更新を受けた経験もあり、更新の許される場合のあることはもとより十分承知しており、また現に、今回の接渉の際にもしきりにそのことをいわれたにもかかわらず、あくまでも査証記載の一年の期間を固執してG所長の申出に応じなかったため、ついに話合いが決裂して、上陸許可の証印が得られなかった経緯を認めることができる。所論は、当初、入管当局は、Aに対して、三か月の在留許可を与えるといい、Aが強く一年を主張すると、こんどは六か月と言い出した、といい、Aの前記本人調書とう本にはこれにそう趣旨の記載があるが、これを前記GおよびL両証人の供述と対比して検討してみると、にわかに納得し難いふしがある。三か月の許可などというのならば、九月五日にわざわざ証人を三人も呼んで尋問する必要もない筈である、と思われるし、とくに、L証人の言うところによると、九月五日における説得の経過において、G所長が、証人尋問後、Aに対して一八〇日在留許可の件を切り出したところ、Aが強く一年を主張して譲らないので、G所長は、以前Aが長崎で九〇日間の上陸許可を受けたことがあったのを話題にとりあげたところが、それについて、Aは、「いや、あれは、九〇日を受けたのかはっきりしないんで、ミステークであった。」と答えて、笑話になったことが認められるから、あるいは、Aは、この件をなにか誤解か思いちがいしているのではないかと思われるのである。したがって、叙上認定の経緯をあれこれ勘案すると、本件記録についてみるかぎりにおいては、入管当局が、Aに対し、同人が希望する一年の在留許可を与えることをあくまでも拒否し、一八〇日の在留許可を認めようとするに止まった、というその措置が、たとえ将来における更新のことを考慮に入れたうえでのことであるにしても、はたして最善のものであったかどうかということについては、おのずから意見の分れる余地もありうるとは思われるが、すくなくとも、これをもって、所論のいうように同当局が、Aをして下船して上陸することをあきらめさせようとした下心によってその裁量権を濫用した違法な行政処分である、とまでは認めることができない。したがって、また、この点に関連して、ただちに、B警備官の職務の執行が違法であるという結論を導き出すわけにもいかない。
三、所論は、原判決が本件要急収容が適法であるとした前提事実につき誤認があり、ひいてB警備官の違法な職務執行を適法な職務行為であると判断するにいたった誤りがある、と主張し、その理由として、 Aは、上陸直後、G特別審理官に対し、東京入国管理事務所に行きさらに入国問題につき話し合いを継続したい旨述べたところ、同人は、これを承諾し、かつAがその友人達といっしよに同事務所に任意出頭してもよいとの諒解を与えた、という。
しかし、《証拠略》によると、特別審理官Gは、九月四日東京丸船中でAに対し、同船が六日正午には沖繩へ向け出港するから、口頭審理のため仮上陸を許可し、同人の事務所へ出頭することを求めたところ、その際、仮上陸中は稼働してはならないとの条件を附したため、Aがこれを拒否した事実はあったが、その後、GがAに対し東京入管事務所で話合いをすることを申出たり、又はこれを諒解したりした事実は認められない。Gは、九月五日、東京丸で、前記Lらを同席させ、証人を喚問するなどして口頭審理をした結果、Aに対し一八〇日の在留期間を認め、それに応ずるよう夜間にいたるまで説得したが、同人が応じないため、会談は物別れとなり、翌六日午前中、Gが他の船の入国審査事務に従事しているうち、東京丸の出港まじかになって迎えがきたので同船におもむいたところ、すでにAは、上陸して埠頭の船客待合室にいたのを発見して近づき、「あなたは上陸の許可を受けていないから船に帰らなければならない。もし帰えらない場合には不法上陸ということになるので、抑留されることになる。」という趣旨のことを英語で話しかけて注意したけれども、同人は右勧告に応じないばかりか、「ポリスマンといっしょに行ってもかまわない。」などと言っていたので、その後はAを不法上陸者として、同人に対する措置は、入国警備官の手にまかせ、GとAとの間に話し合いの場面はなかったことが認められるのであって、この点は、《証拠略》によっても十分裏づけられているものと思われる。Aの前記本人調書とう本中の供述記載を他の証拠と対比し、し細に検討してみても右の認定はくずれない(ちなみに、Aも、タラップからおりてG所長と話したとき、最初は「船に戻るように」と言われたことを認めているのである。)。 
 所論は、Aは、東京入国管理事務所審査第二課長Mが、東京丸サロンでの話し合いの途中、理由も告げずに「バイバイ。」という言葉を残して下船したため、同人との話合いを続ける考えで同人の後を追って下船したものであり、その際、入管当局の誰からも制止されることがなかったから、不法上陸の意思はなかったという。しかし、《証拠略》によると、九月六日前記Mと入国審査官Lとは、Aに一八〇日の在留期間に応ずる意思があるかどうかを確認するため東京丸のサロンで同人と会ったのであるが、同人が依然としてそれに応ずる気配がないので、Mは、いったんサロンを出て電話で関係当局と連絡したうえ、勧告を打ち切ることとし、サロンのドアをあけてAと話をしていたLに引上げ方を指示するとともに、Aに対しては「バイバイ」と言って、手をふり、合図して下船のため立ち去ったので、Lは、最後にAに対し、証印を受けずに上陸すると不法上陸になる旨説明して注意を与え、サロンを出てタラップをおりようとしたとき、うしろから来たAが、いきなり同人の左横側をすり抜けるようにしてあたふたとタラップをおりてM課長の後を追って行ったので、Lおよびその付近にいた入国警備官の制止するいとまもなかった状況であったことがわかるのである。そして、このようにして下船したAは、船客待合室入口付近で追いついたM課長に旅券のようなものを手にしながら何ごとかを話しかけているようなしぐさをしていたが、同課長がこれをとりあわないで立ち去ってしまってからは別段その後を追おうともしないで、船客待合室の入口から入り税関を経て二階へのぼる階段のあたりに、数名の支援者らと共に止まっていたので、成行きを懸念した前記G、C、およびLらの入管職員らが、こもごも、船へ戻るように指示したが、Aは、これに応じようともせず、とくに、Lに対しては「ポリスを呼べ。」とひらきなおるようなことを言ったり(なお、G所長に対しても、「ポリスマンといっしょに行ってもかまわない。」などと申し向けていることは、さきにもふれたとおりである。)、また、船に戻らない理由を尋ねられると、「席がないから戻れない。」などと答えていたことが認められる(《証拠略》)。したがって、このような経過からみると、Aは、その際、証印を受けずに上陸すれば不法上陸に問われることを十分承知のうえで、しかも、なお、あえて、上陸したことが明らかであり、しかも、入国審査官(特別審査官)との交渉を続けるため、その諒解のもとに自然な経過で上陸したものでないこともおのずから判明するわけであって、Mがなお話合いの余地を残したとか、Aをわなにかけたなどという事情は到底認めることができないばかりでなく、Aが東京丸出航前埠頭まで行っていながらそれに乗りこまなかったり、「席がないから船に戻れない。」などと言っているところからすると、はたして、同人が、当初から、東京丸でそのまま沖繩へ戻るつもりであったかどうかも同人がスーツケースを船中に残したままでいそいで下船して行ったということを念頭において考えてみても、なお、必ずしも明らかではないように思われる。
 所論は、仮りにAが令二四条二号に該当するとしても、同人に逃亡の虞れはまったくなかったのであるから、原判決が本件要急収容を適法と判断したのは誤りである、と主張する。しかし、《証拠略》によると、C、Bらの入国警備官は、Aが上陸許可の証印を受けないで不法上陸したことをG、Mらの係官から告げられたので、同人が令二四条二号に該当する者と思料し、同人を退去強制するため、一応東京入国管理事務所まで任意同行することを求め、用意した庁用自動車の方につれて行こうとしたが、Aを支援する三〇名くらいの集団が同人を取りかこんで警備官に対し、「ナンセンス。」などと叫んで、入管当局の措置を非難攻撃し、入国警備官らがAに近づくことを許さず、自分らの手でAを品川入管につれて行くといって、同人を集団の中にかこみこんだまま、船客待合室を通って前の広場を横切りバスターミナルの方へ移動して行くので、C警備官は、相手が氏名・身許もまったく不明の者であり、その人数は警備官をはるかにうわまわる多数であるばかりでなく、また、前記のような状況からしても、もしこれをこのまま放置するにおいては、警備官として、不法上陸者であるAの身柄を自己の責任をもって確保しておくことができず、かくては、たとえ、A自身には入管に出頭する意思があったにしても、また、その他の集団員各自の真意がどこにあったかは別として、勢いのおもむくところ、あるいはAが、右多数者のため他処へつれ去られる危険もあると考え、要急収容の措置に踏み切ったことが認められるのであって、C警備官のこの判断は、その当時における四囲の情勢からみて、主観的にも、はたまた、客観的にもけっして不相当なものであったということはできない。したがって、右措置は令四三条一項に違反するところはない。
以上のとおりであるから、B入国警備官の本件職務の執行は、権限ある者による正当な職務の執行であって、右の結論は当審の事実取調べによっても変わらないから、これに対し公務執行妨害罪の成立することは疑いがない。論旨はいずれも理由がない。 
よって本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

所得税法違反被告事件
昭和44年(あ)第734号
上告人:被告人A
最高裁判所大法廷
昭和47年11月22日

判決
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
弁護人山内忠吉、同岡崎一夫、同増本一彦、同陶山圭之輔、同根本孔衛の上告趣意(昭和四四年六月二五日付上告趣意書記載のもの。なお、その余の上告趣意補充書は、いずれも趣意書差出期間経過後に提出されたものであり、これを審判の対象としない。)
第一点について。
所論は、昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法(以下、旧所得税法という。)七〇条一〇号の罪の内容をなす同法六三条は、規定の意義が不明確であつて、憲法三一条に違反するものである旨主張する。
しかし、第一、第二審判決判示の本件事実関係は、被告人が所管川崎税務署長に提出した昭和三七年分所得税確定申告書について、同税務署が検討した結果、その内容に過少申告の疑いが認められたことから、その調査のため、同税務署所得税第二課に所属し所得税の賦課徴収事務に従事する職員において、被告人に対し、売上帳、仕入帳等の呈示を求めたというものであり、右職員の職務上の地位および行為が旧所得税法六三条所定の各要件を具備するものであることは明らかであるから、旧所得税法七〇条一〇号の刑罰規定の内容をなす同法六三条の規定は、それが本件に適用される場合に、その内容になんら不明確な点は存しない。
所論は、その前提を欠き、上告適法の理由にあたらない。
同第二点について。
所論のうち、憲法三五条違反をいう点は、旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定が裁判所の令状なくして強制的に検査することを認めているのは違憲である旨の主張である。
たしかに、旧所得税法七〇条一〇号の規定する検査拒否に対する罰則は、同法六三条所定の収税官吏による当該帳簿等の検査の受忍をその相手方に対して強制する作用を伴なうものであるが、同法六三条所定の収税官吏の検査は、もつぱら、所得税の公平確実な賦課徴収のために必要な資料を収集することを目的とする手続であつて、その性質上、刑事責任の追及を目的とする手続ではない。
また、右検査の結果過少申告の事実が明らかとなり、ひいて所得税逋脱の事実の発覚にもつながるという可能性が考えられないわけではないが、そうであるからといつて、右検査が、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものと認めるべきことにはならない。けだし、この場合の検査の範囲は、前記の目的のため必要な所得税に関する事項にかぎられており、また、その検査は、同条各号に列挙されているように、所得税の賦課徴収手続上一定の関係にある者につき、その者の事業に関する帳簿その他の物件のみを対象としているのであって、所得税の逋脱の他の刑事責任の嫌疑を基準に右の範囲が定められているのではないからである。さらに、この場合の強制の態様は、収税官吏の検査を正当な理由がなく拒む者に対し、同法七〇条所定の刑罰を加えることによつて、間接的心理的に右検査の受忍を強制しようとするものであり、かつ、右の刑罰が行政上の義務違反に対する制裁として必ずしも軽微なものとはいえないにしても、その作用する強制の度合いは、それが検査の相手方の自由な意思をいちじるしく拘束して、実質上、直接的物理的な強制と同視すべき程度にまで達しているものとは、いまだ認めがたいところである。国家財政の基本となる徴税権の適正な運用を確保し、所得税の公平確実な賦課徴収を図るという公益上の目的を実現するために収税官吏による実効性のある検査制度が欠くべからざるものであることは、何人も否定しがたいものであるところ、その目的、必要性にかんがみれば、右の程度の強制は、実効性確保の手段として、あながち不均衡、不合理なものとはいえないのである。
憲法三五条一項の規定は、本来、主として刑事責任追及の手続における強制について、それが司法権による事前の抑制の下におかれるべきことを保障した趣旨であるが、当該手続が刑事責任追及を目的とするものでないとの理由のみで、その手続における一切の強制が当然に右規定による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。しかしながら、前に述べた諸点を総合して判断すれば、旧所得税法七〇条一〇号、六三条に規定する検査は、あらかじめ裁判官の発する令状によることをその一般的要件としないからといつて、これを憲法三五条の法意に反するものとすることはできず、前記規定を違憲であるとする所論は、理由がない。
所論のうち、憲法三八条違反をいう点は、旧所得税法七〇条一〇号、一二号、六三条の規定に基づく検査、質問の結果、所得税逋脱(旧所得税法六九条)の事実が明らかになれば、税務職員は右の事実を告発できるのであり、右検査、質問は、刑事訴追をうけるおそれのある事項につき供述を強要するもので違憲である旨の主張である。
しかし、同法七〇条一〇号、六三条に規定する検査が、もつぱら所得税の公平確実な賦課徴収を目的とする手続であつて、刑事責任の追及を目的とする手続ではなく、また、そのための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有するものでもないこと、および、このような検査制度に公益上の必要性と合理性の存することは、前示のとおりであり、これらの点については、同法七〇条一二号、六三条に規定する質問も同様であると解すべきである。そして、憲法三八条一項の法意が、何人も自己の刑事上の責任を問われるおそれのある事項について供述を強要されないことを保障したものであると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二七年(あ)第八三八号同三二年二月二〇日判決・刑集一一巻二号八〇二頁)とするところであるが、右規定による保障は、純然たる刑事手続においてばかりではなく、それ以外の手続においても、実質上、刑事責任追及のための資料の取得収集に直接結びつく作用を一般的に有する手続には、ひとしく及ぶものと解するのを相当とする。しかし、旧所得税法七〇条一〇号、一二号、六三条の検査、質問の性質が上述のようなものである以上、右各規定そのものが憲法三八条一項にいう「自己に不利益な供述」を強要するものとすることはできず、この点の所論も理由がない。
なお、憲法三五条、三八条一項に関して右に判示したところによつてみれば、右各条項が刑事手続に関する規定であつて直ちに行政手続に適用されるものではない旨の原判断は右各条項についての解釈を誤つたものというほかはないのであるが、旧所得税法七〇条一〇号、六三条の規定が、憲法三五条、三八条一項との関係において違憲とはいえないとする原判決の結論自体は正当であるから、この点の憲法解釈の誤りが判決に影響を及ぼさないことは、明らかである。
同第三点について。
所論のうち、憲法一四条、一九条、二一条、一二条違反をいう点は、第一、二審判決の判示にそわない事実関係を前提とする主張であつて、いずれも上告適法の理由にあたらない。
所論は、また、憲法二八条違反を主張するが、同条が、使用者対勤労者の関係にたつ者の間におい
て勤労者の団結権および団体行動権を保障した規定であると解すべきことは、当裁判所大法廷の判例(昭和二二年(れ)第三一九号同二四年五月一八日判決・刑集三巻六号七七二頁)とするところであつて、被告人の判示検査拒否の所為が、右団体行動権の行使とは認められないとした原判断は相当であるから、この点の所論は理由がない。
同第四点および第五点について。
所論は、憲法三五条違反をいうような点もあるが、実質はいずれも事実誤認または単なる法令違反の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。
なお、記録を調べても刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない(原判決中、第一審判決を破棄するにあたり適用した法条に「刑事訴訟法第三九七条、第三八一条」とあるのは、「刑事訴訟法第三九七条、第三八〇条」の単なる誤記と認める。)。
よつて同法四一〇条一項但書、四一四条、三九六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
弁護人山内忠吉、同岡崎一夫、同増本一彦、同陶山圭之輔、同根本孔衛の上告趣意(昭和四四年六月二五日付)
第一点 原判決は憲法第三十一条の解釈を誤つたものであつて破棄を免れない。
昭和四〇年三月三十一日法律第三十三号による改正前の所得税法(以下旧所得税法という)第七〇条十号の罪の構成要件である同法第六十三条はその規定が極めて不明確であり、憲法第三十一条に違反するという弁護人の主張に対し、原判決は同法第六十三条の規定には趣旨明確を欠くところは認められず憲法第三十一条違反を主張する論旨は失当であると判示した。
しかしながら旧所得税法第六三条にいう所得税に関する調査とは所得税の何を、どういう目的で、どういう範囲で、如何なる調査をすることをいうのか、又、その調査とは、同法四五条にいう調査のみを指しているのか、国税通則法一六条一項一号所定の税務署長の調査と、どういう関係にあるのか極めてあいまいである。又、同条にいう「調査に関し必要ある時」というのは、収税官吏が主観的に必要だと考えただけではいけないことは当然であるが、その必要性を定める客観的基準について何らの規定もおいていないことは、収税官吏の濫用に大きく道をひらくものであつて国民の人権保障に対する配慮を全く欠いたものである。同条は、又質問検査権の相手方として「納税義務者」「納税義務があると認められる者」等をあげているが、ここにいう納税義務者とは何かについても明らかにされていない。同法一条所定の者全てを指すのだとすると国税通則法一六条一項一号と明らかに矛盾することとなる。
およそ、国民に対し、刑罰を課する場合は、何が犯罪とされるかについて、明確に構成要件を規定してこれを予告すること、又、犯罪として処罰することについての客観的な合理性を有することが必要である。ところが旧所得税法六三条の規定は、以上のとおり不明確であり、あたかも収税官吏に類推拡大して解釈適用することのできる余地を大幅に認め、犯罪となるべき行為の態様、類型が明確に限定されていない。これは刑罰法規の保障機能、法的安全性を著しく害し、人民の基本的権利を侵害するものであつて憲法第三一条に違反する。原判決がこれを看過したことは憲法三一条の解釈を誤つたもので破棄を免れない。
第二点 原判決は憲法第三五条及第三八条一項の解釈を誤つたもので破棄を免れない。
原判決は、旧所得税法第七〇条一〇号、同第六三条が憲法第三五条及第三八条に違反するとする弁護人の主張は採用し難いと判示した。
憲法第三五条は住居の不可侵を同第三八条一項は自己に不利益な供述を強要されない権利を保障している。ところで旧所得税法第六三条の質問検査権は裁判所の令状なくして行使するものであるから、相手方本人の同意承諾が必要である。これは憲法第三五条の直接の要請である。しかるに同法第七〇条一〇号は、検査に同意承諾しなかつた時は一年以下の懲役又は二十万円以下の罰金に処すると規定している。これは裁判所の令状なくして強制的に検査することを許す結果となるものであつて明らかに憲法第三五条に違反する。又、同法第七〇条一二号は質問に対する不答弁に対しても同様の罰則を設けているが、これは憲法の保障する黙秘権を真向から侵害するものであつて憲法第三八条一項に違反する。原判決は憲法第三五条、第三八条は、刑事手続に関する規定であつて行政手続に適用されるものではないと判示した。しかしながら犯罪調査と行政調査とは、その調査を受ける国民の立場にとつては、どちらも同じである。旧所得税法第六九条は偽り、その他不正な行為により所得税を免れた場合は懲役三年以下又は五百万円以下の罰金に処する規定している。ところで同法第六三条の質問検査権は右の場合における調査にも適用される。従つて行政調査の目的による調査であるといつてみたところで、この質問検査の結果、所得税を免れた事実が明らかにされれば税務職員は捜査機関に告発できるのであつて、国民は刑事訴追を受けるおそれのある供述乃至は資料の提出を刑罰により強制され、或いは、令状によらずして物の捜索がなされることに変りはないのである。従つて旧所得税法第七〇条一〇号、一二号、同第六三条の規定が仮りに行政調査だけを目的としているものだとしても右規定は憲法第三五条、第三八条一項に違反するといわねばならない。原判決が弁護人の右見解を採用しなかつたのは憲法第三五条、第三八条一項の解釈を誤つたもので破棄は免れない。
第三点 原判決は、憲法第二八条、第二一条、第一二条の解釈を誤り、又第一四条、第一九条に違反した誤りがあり破棄を免れない。
原判決は憲法第二八条の保障する団結権及び団体行動権は、使用者対被使用者の関係にある者に対してのみ適用があるのであつて、被告人が所属する川崎民主商工会には憲法第二八条の団体行動権は認められないと判示した。しかしながら、憲法第二八条の団体行動権は使用者対被使用者の関係にない一般勤労者に対してもひろくこれを認めるべきである。
川崎民主商工会は川崎市内の零細商工業者が、自からの生活を守り、自分達の金融、営業、生活面での切実な要求を実現するため、又、税務相談、税制の民主化、記帳実務指導などのために団結してつくつた団体である。戦後の税務行政は昭和二四年のドッジラインといわれる日本独占資本の再建政策を契機に、国民の税負担率は最高のものとなり、前池田総理大臣が「中小企業者の五人や十人が自殺しても仕方がないことである」旨、放言するようなきびしい税収奪が行われるようになつた。中小零細商工業者はその頃自からの生活を守るため不当な税制や税務行政に反対して立ち上つた。川崎、中原の民主商工会も昭和二四年に、このような情勢の中で結成された。全国各地の商工会は昭和二六年には全国的組織を結成したが、これが全国商工団体連合会(全商連)である。全商連は七万名の会員を擁する大組織となり、常に非民主的な税制や税務行政に反対するだけでなく、日本の軍国主義化に反対し、民主的な憲法を改悪することに反対するなど、民主的な政治勢力の重要な一部分を担う勢力になつた。昭和三六年一〇月全商連は箱根で大会を開き、会員倍化を決議したが、昭和三八年六月には、右決議による会員倍化は見事に達成された。
このような全商連の活発な活動とその発展とを注目していた木村国税庁長官は、全国の民主商工会の団結弱化、壊滅を企図し、その方法として昭和三八年五月、全国各国税局長に対し、全国各地の民主商工会に対する一斉の税務調査を徹底して行うことを指令した。右指令に基き東京国税局は当時直税部長であつたBを指揮者として、傘下各税務署長宛に所轄税務署内の民主商工会に対する徹底した一斉調査を命じこれを開始せしめた。而もその調査たるや通常の調査とは異つた異常のものであつたことは原審で取調べたBの証言調書によつても明らかである。即ち「右調査は、民商について特別の枠を作つた特別計画で行つた」「調査のやり方で従来の違いといえば、事前通知をやらなかつたことである」「各署の状況がその日その日によつて変つてくるので、それらの状況をおりこんでそれに対し我々のとるべき態度を随時指示した」「調査の結果は各署から報告が来ていました」「私共の方としては、ただいわれた方題では職員に調査しろということもできませんので異例のことではありますが、こちらでも納税者に訴えるというビラの折り込みもやつたし、或は民商の会員に対しても自覚を訴えるような文書も出ましたし、異例な措置をとつた」「署の方でビラをまいたのは九万か十万か、はつきり分りませんが新聞の折込みでやりました。やつたのは川崎と藤沢市だけです。」「昭和三八年九月以降の調査にもとずき、川崎の民商会員が相当に減つたということは聞いています」と同証人は証言しているが、右証言によつても、東京国税局が川崎税務署に命じ民商会員であるが故に調査せしめたものであること、特別の計画をつくつてなした調査であること、調査の方法が東京国税局が具体的に指導、指示してなさしめたものであること、一切事前通知をなさずに行つた調査であることが分る。又一般納税者や、民商会員にビラ、その他の方法で呼びかけ民商に対する税務署の見解を説明したというのであるから、民商に対する中傷を一般市民に対してなしたこと、会員に対しては脱会工作をなしたこ
とを自認したものということができる。一審証人Cの証言調書によると、川崎の商工会員で昭和三八年九月二日以降、調査を受けた会員は三五〇人にも達した。而も一軒の家に十三回とか十六回もつづけてくる。その際税務官吏は一人ではなく必ず二人、三人、或は四人、七人、ときには十三人もの係員が押しかけてくることがある。而も必ず事前に通知することもなく突然に来て、お客への配達、或いは仕入れなどがあつて、別の日にしてくれと要求しても強引に調査を迫るというひどいやり方であつたことが明らかとされている。右調査に当つては従前認められていた帳簿の記帳をも担当している民商事務局員の立会を一切認めなかつた。又、川崎税務署の庁舎玄関には民商の事務局員は一切署内に入つてはいけないという「貼紙」を張り出し、民商事務局員及会員の出入を禁じ、たとえその人達が個人として用事があつた場合でも、その人達が民商会員である限り、庁舎内に立入ることを阻止されるという異常なやり方であつた。
川崎民主商工会は同年九月三日、川崎税務署所得税課長に対し、「このような政治的意図をもつた調査はやめてもらいたい、早く正常な状態に戻してもらいたい、そうすれば調査に協力したい」旨を申入れたが、何の返事も得られなかつた。こうして同年九月六日には川崎税務署長は記者会見を行い「商工会員の調査の結果五割の過少申告が発見された」と発表している。しかし、当の本人にはその後数ケ月たつても何の通告も行われなかつた。通常の調査では、その場で本人に対し、申告にいくらの間違いがあるから、修正申告を出して下さいとか、更正決定をしますとか、いうのが慣例である。そういうことは一つもしないで、本人も知らないうちに新聞記者にこのような発表を行うが如きは、その意図が民主商工会に対する弾圧の意図をもつて行われた調査であることを明白に物語るものである。
本件は、このような不当な民商弾圧の意図の下に行われた一斉調査の一環としておきた事件である。しかし、このように特定の団体の会員のみを他と区別して行つた調査は憲法第十四条の法の下の平等の保障を侵害した違法な調査であるし、又、民主商工会員の思想を嫌悪しこれを排撃せんとしてなされた調査という意味で憲法第十九条にも違反する。更に憲法第二一条結社権を侵害する調査ということもできる。このような税務当局の権利侵害に対しては、これに抵抗し、侵害を排除する権利を国民は保障されていると解すべきである。憲法第十二条が国民は基本的人権は不断の努力によつて保持しなくてはならないと規定しているのは基本的人権の侵害に対しては国民がこれに抵抗する権利を保障したものである。結社の権利を侵害した税務当局に対する抗議として民商ならびにその会員が団結して必要な団体行動にでることは憲法第二八条の団体行動権としても保障されると解すべきである。
本件の場合、被告人は違法な税務調査に対し正当な抗議を行つただけであり、これは憲法第十二条に沿う行動というべきである。原判決が右見解を採用しなかつたのは憲法の前記各条の解釈を誤つたもので破棄を免れない。
第四点 原判決は旧所得税法第六三条の解釈を誤つた違法があり破棄を免れない。
原判決は、第一審が認定した罪となるべき事実の認定をそのまま是認した。しかし、第一審判決は収税官吏が被告人に対しなさんとした検査の必要性については何らの判示もしていないのである。旧所得税法第六三条は「所得税に関する調査について必要あるとき」はじめて質問検査権の行使ができることを規定している。従つて右の調査の必要性は同法第七〇条十号の構成要件事実にあたる。然るに原判決の援用する第一審判決には、右の必要性について何らの判示もない。このことは必要性を構成要件事実とは考えていないことを物語つている。
しかしながら、国民は憲法第三五条により書類及び所持品につき令状なくしては捜索、押収を受けることのない権利を保障されている。従つて令状によらないで罰則を以つて強制される検査をなし得る為には、その検査が公益の為に必要やむを得ない場合に限ると解すべく、しかもその必要性の存在は厳格な証拠によつて立証される必要があると共に、罪となるべき事実の中に明示せねばならない。
しかるに本件においては検査の必要性についての厳格な証言はなされていないばかりでなく罪となるべき事実の判示にも全然明示されていない。しかも第一審証人Dは、調査の必要性について「税法上恩典のある青色申告を三七年度からやめていて、それは所得の把握を困難にするためやつたのではないかと思われますし、三六年分の青色申告の必要経費中に相当額の減価償却費があり、それに関し、家屋の増築費一五〇万円の出所がはつきりしなかつた点等がありました」と供述している。しかしながら青色申告をやめて白色になつたことが、あたかも税金をごまかすためであるかの如き供述自体極めて悪質ないいがかりである。D証人自身、青色申告をやめたことから何故被告人を調査する必要性が生じたのかについて具体的事実は一言も供述していないのである。原判決が調査の必要性を構成要件事実と解することなく、漫然と第一審の判決が認定した事実をそのまま採用したのは、法律の解釈を誤つたものであつて破棄を免れない。
第五点 原判決には事実誤認及び質問検査権の解釈を誤つた違法があり破棄を免れない。
原判決の是認した第一審判決の罪となるべき事実は「……収税官吏Dが被告人に対する昭和三七年度分所得税確定申告調査のため帳簿書類等の検査をしようとするに際し」と認定している。第一審判決が証拠としてあげている証人Dの供述によると、「所得税の調査に来ましたと被告人に告げたが、三七年度分とはいいませんでした」というのである。これでは被告人のなした昭和三七年度分の所得税の確定申告の課税標準のどこがどのように過少申告の疑いがあるのか、従つて被告人に如何なる点を明らかにするよう要求しているのか、又それを記載している何年度の、どの帳簿書類の呈示を求めているのか、などは、全然明らかにされていないのである。
先に述べた通り、調査の必要性は厳格に限定されなければならないとする立場からいつても又自主申告制度を採用し、納税義務者が自ら課税標準ならびに税額を算出することを権利として認めている税制の上からいつても、罰則を背景として検査受忍義務を負担させ得るのは必要性のある帳簿書類に限られると解すべきである。しかるに原審は申告の内容の当否を的確に調査するためには調査の対象たる年度の前後の年分における実績をも調査勘案する必要があり、その為の資料の検査もできると判示している。しかし、このように対象を限定することなく無制限に、罰則を以つて強制される検査を認めるが如き解釈は、憲法第三五条に対する配慮を欠く違法な解釈である。

在留期間更新不許可処分取消請求事件
昭和45年(行ウ)第183号
原告:A、被告:法務大臣
東京地方裁判所(裁判官:杉山克彦・加藤和夫・石川善則)
昭和48年3月27日
判決
主 文
一 被告が昭和四五年九月五日付でした原告の在留期間更新の不許可処分を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事 実
第一 当事者の求める裁判
一 原告
主文同旨の判決
二 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」
との判決
第二 原告の請求原因
一 本件処分の存在および経緯
1 原告は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人で、昭和三三年ハワイ大学美術科を卒業し、ハ
ワイ州で公立学校の教師等をした後、アジア平和奉仕団の一員として韓国に渡つたが、同四四
年四月二一日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証を受けたうえ来日し、同年五月
一〇日下関入国管理事務所入国審査官により、出入国管理令(以下単に「令」という。)四条一
項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令(以下単に「省令」という。)一項三
号に該当する者としての在留資格をもつて、在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本
邦に上陸し、入国した。
2 原告は、入国後東京都内に居住し、当初はB語学学校(以下「B」という。)に、その後は財団
法人C(以下「C」という。)に英語教師として生計をたてるかたわら、かねて念願していた琵
琶の修練を日本琵琶協会理事Dに師事して週二回、また、琴の修練を生田流Eに師事して週一
回うけ、日本古来の音楽文化の研究を続けてきたものである。
3 原告は、昭和四五年五月一日さらに日本での英語教育および琵琶、琴等の研究を継続する必
要があつたので、被告に対し、右を理由として一年間の在留期間の更新を申請したところ、被
告は同年八月一〇日「出国準備期間として同年五月一〇日から同年九月七日までの一二〇日間
の在留期間更新を許可する。」との処分(以下「本件処分」という。)をした。そこで、原告は、
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さらに同年八月二七日被告に対し、同年九月八日から一年間の在留期間の再更新を申請したと
ころ、被告は同年九月五日付で、原告に対し右更新を許可しないとの処分(以下「本件処分」
という。)をした。
二 本件処分の違法性
しかし、本件処分は、次の理由により違法である。
1 令二一条三項所定の在留期間の更新の許可は、「更新を適当と認めるに足りる相当の理由が
あるときに限り」されるのであるが、日本国憲法の前文および九八条は、国際協調主議を建前
としており、また、令二一条一項は、日本在留の外国人に対し在留期間の更新をうける権利を
与えており、いつたん入国を許可された以上、令五条一項各号の要件がないものと認められて
いるのであり、さらに、法定の各在留期間は、各在留資格の下での各在留目的に照らして、極
めて短期間にすぎるのであるから、日本に適法に在留している外国人は、在留期間満了後も令
二四条各号の要件またはそれに準ずべき事由その他とくに著しく不適当な事情がある場合を除
いては、原則として在留期間の更新を受けることができるものと解すべきである。ところが、
被告の本件処分においては、原告の在留期間の更新を許可しないことについてなんら合理的
な理由が存しないのであるから、同処分は違法である。
2 また、仮に右主張が容れられないとしても、本件二処分は、次のとおり、法務大臣の裁量権の
範囲を逸脱し、違法である。
 被告は、本件処分の理由として、原告がBの教師としての活動をすることが、その在
留資格であり、かつ、入国許可の要件であつたのに、これに反して転職したことをあげる
が、原告の上陸許可の証印としては、「四−一−一六−」との記載が、また査証には「雇
用のため」との記載があるのみであるから、被告が、右に表示されていない事項を在留資
格として扱い、その資格以外の活動を行なつたことを理由に、在留期間更新の不許可処分
をすることは許されない。
 仮に、原告の在留資格を最も狭く解釈しても、それは英語教師として勤務する資格であ
るというべきところ、原告は、Cに転職した後においても、原告の右資格には全く変動が
ないのであるから、在留資格外の活動をしたことにならないのはいうまでもない。また、
日本国憲法二二条は、外国人に対しても転職の自由を保障しているというべきであるか
ら、原告の同一在留資格内での転職を理由に本件処分のような不利益処分をすることは許
されないのである。
なお、在留外国人が転職して入管当局に許可を求めるとか、通知をするという手続は要
求されていないのであるから、外国人が入管当局に無断で転職することが許されないもの
と解すべき余地はない。
 仮に、Bの英語教師として勤務することが原告の在留資格であつたとしても、原告のB
からCへの転職(以下「本件転職」という。)には、次のような正当な理由があつた。
すなわち、原告は昭和四四年五月一〇日入国後直ちにBに勤務したが、原告は、ハワイ
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や韓国での経験に基づき、自分なりの英語教育方法を有しており、Bの画一的教授方法に
疑問を持ち、生徒に進歩のないのを見て自己の確信する方法で教える必要を感じたが、B
は、放送設備により教師を監視して画一的教授方法を強制するばかりでなく、授業のスケ
ジユールが乱れて、当日にならないと授業担当時間が定まらず、余暇の予定も組めない状
態になつた。さらに、原告に対する給与の支払いが遅れたり、それがBの近辺に支店のな
い銀行払いの小切手でされたうえ、原告が昼休みに当該銀行にその支払いをうけに行つて
授業に五分間遅刻したことをとがめられたりしたことなどの事情が重なつたため、原告は
Bに対し強い不満と不信感とを抱くに至つた。他方、原告は、その頃フルブライト委員会
の人に紹介されて、Cに行き、その教授方法が自己の信ずるとおりのものであることを知
り、同年六月上旬Bを退職してCに勤務するに至つたのである。
なお、Bは、国際的な語学教育機関であるが、日本では設立されてから日も浅いうえ、英
語教育専門機関でないのに対し、Cは、昭和三一年七月学界、財界の有志によつて設立さ
れた日本英語教育研究委員会の事業拡張により同三八年二月設立された財団法人で、この
種の英語教育機関としては、設備、教師、活動、権威等の点で日本では最大の規模のもので
あつて、Bに比してなんら遜色はなく、転職先が不適切といえないことも明らかである。
 また、被告は、本件処分の理由として、①原告が外国人ベ平連に所属し、政治活動に参加
したこと、および②本件処分の前の在留期間の更新たる本件処分が出国準備期間として
されたことをあげている。
 しかし、右の各理由は本件訴訟以前には開示されなかつたものであるところ、本件事案
のように処分の裁量の範囲が大きく、かつ人身に関する処分の場合には、処分の理由を訴
訟において追加、変更することは、被処分者にこの点に関する充分な準備の余裕を与えず
に訴訟進行を強いることになり、司法救済を困難ならしめるから、許されない。
 仮に右のような処分理由の追加が許されるとしても、①のような処分理由に基づいてさ
れた本件処分は違憲、違法なものである。
すなわち、いわゆる「政治活動」の中には狭義のものと広義のものとがあり、前者を行な
う権利(Political rights)は、参政権であつて、具体的には選挙権、被選挙権、公務員就任
権、国民投票権などがこれに包含され、国の主権者たる国民のみが有するものであるのに
対し、後者を行なう権利は、国の政治について意見を表明したり、政治情報を収集したり、
研究、討議などを行なう権利であつて、これらの行動は思想の自由、表現の自由、集会・結
社の自由と結びついた市民生活的行動であり、市民としての権利(civil rights)である。こ
のような思想の自由、表現の自由等は、民主主義社会の健全な発展、維持にとつて不可欠
であるとともに、人間として根源的な自由であり、国家がこれを侵害することは絶対に許
されない天賦の基本的人権であつて、国の政策によつて直接に利益、不利益を受ける在日
外国人に対しても保障されるべきものである(なお、被告は、わが国の特定の政治政策に
影響を与える政治活動を他の政治活動から区別し、また、政治的活動をそうでない表現活
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動から区別して、これらを外国人に憲法上保障されていないものである旨主張するが、こ
のような区別はそもそも根拠がないうえ、区別自体極めて困難であるから、右主張は結局
外国人に対して憲法二一条の適用を全面的に認めないことに帰着し、失当である。)。
原告は、ベトナム侵略戦争を非人道的な許すべからざるものと考え、これに対する反対
の意思表明を、集会、デモ行進、ビラまき、反戦放送などの合理的かつ平和的手段によつて
行なつてきたものであるが、これは、アメリカ合衆国政府の戦争政策に反対する政治的行
為であることはいうまでもないが、同時に人間の良心から出発した思考の末やむにやまれ
ずした表現行為であつて、日本国憲法二一条の保障する基本的人権の行使であるから、こ
れを理由として在留期間更新の不許可処分をすることは許されない。
 また、前記②のような理由に基づく本件処分も違法である。
すなわち、令二一条によると、在留期間更新の許否は申請のあつたときに判断されるべ
きものであつて、事前に次回以降の処分を拘束するような処分は認められていないし、か
つ、そのような処分を認めるべき合理的必要性も全くない。
また、被告主張の出国準備期間という許可処分は、許可処分としての面と不許可処分と
しての面とを併わせもつ、極めて内容の不明確なものであり、かつ、外国人の地位を著し
く不安定にする処分であるから、許されない。さらに、本件処分されても、原告の在留資
格には変更はないというべきであるが、仮にこれが在留資格を変更する処分であるとする
と、令二〇条、二一条所定の在留期間の更新は在留資格の変更を伴わない処分なのである
から、その申請に対して在留資格を変更する処分は許されないはずである。
ところで、本件処分が出国準備期間のためのものであつたとしても、右処分は前記の
とおり、原告の転職、政治活動を理由としてされたものであるから違法なものであるとこ
ろ、これを前提としてされた本件処分も、その違法性を承認するものであるから、違法
である。
 さらに日本国憲法による基本的人権および法の下の平等の保障は、在日外国人について
も合理的な範囲で及ぶものと解すべきところ、本件処分は、原告の前記のような英語教
育、日本古典音楽の研究を途中で断念させることになつて、原告の幸福追求権(憲法一三
条)、学問の自由(同二三条)、居住の自由(同二二条)を侵害することになり、また、原告
と同じくC等に勤務している外国人教師たちの多くが、在留期間の更新を再三許可されて
安定した生活を営んでいるのに対し、原告に対してのみ在留期間の更新を認めないで差別
する合理的事由は何もなく、法の下の平等の原則(同一四条)に反するもので、違法である。
三 よつて、原告は、本件処分が違法であることに基づき、その取消しを求める。
第三 請求原因に対する被告の認否および主張
一 請求原因に対する認否
請求原因一の事実のうち、原告の出身校、米国および韓国における職歴、原告の琵琶・琴の修
練・研究、将来におけるその継続の必要性の各点は不知であるが、その余の事実は認める。請求
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原因二の事実のうち、被告が本件処分の理由として原告主張の各点をあげていることは認める
が、その余の事実は争う。
二 本件処分の適法性についての主張
1 原告は、令二一条一項が在留外国人に対し在留期間の更新を受ける権利を与えている旨主張
するが、在留期間の更新は、令二一条三項により明らかなように法務大臣において当該外国人
が提出した文書により在留期間の更新を適用と認めるに足りる相当な理由があるときに限り許
可されるのであつて、その許否が法務大臣の自由裁量に委ねられているのである(なお、外国
人の入国および在留の許否は、もつぱら当該国家の自由裁量により決定しうるのであつて、特
別の条約がない限りは、国家は外国人の入国または在留を許可する義務を負うものではないと
いうのが、国際慣習法上認められた原則であり、わが国の出入国管理令の各規定にもこの原則
が反映しているのであつて、令二一条は外国人に在留期間の更新を権利として付与したもので
はない。)。そして、法務大臣は、実質的には、在留資格に関する事項を審査するほか、出入国管
理令の定める上陸拒否事由(五条一項)および退去強制事由(二四条)の趣旨に則り、従前の在
留状況をも考慮して、右要件の有無について判断するのであるから、在留期間の更新について
の審査は、在留期間中における退去強制事由の審査とは本質を異にし、従前の在留期間中の退
去強制事由に至らない程度の事由も更新拒否の理由となり得るのであつて、法務大臣の更新の
許否についての裁量の範囲は極めて広いのである。
2 次に、原告は、本件処分が法務大臣に認められた裁量の範囲を逸脱する違法なものである
と主張する。
 しかし、原告のようにわが国において語学教師を行なおうとする者から入国査証の申請が
あつた場合は、教師として勤務する施設が特定しており、かつ、実際に有効な雇用契約が成
立していることを確認したうえで、学校の規模、教師数、経営内容を調査し、当該外国人が真
実、かつ、もつぱら英語教師として活動することが確実であり、わが国の労働市場等も考慮
してその者の入国を許可することがわが国にとつて利益であると認められる場合に限つて、
令四条一項一六号、省令一項三号の法務大臣がとくに在留を認めるものとしての在留資格を
もつて入国を許可しているのが実情である。
ところで、原告は、昭和四四年三月二〇日在韓国日本大使館にBの英語教師として勤務す
るという入国目的で入国査証の申請をし、同年四月二一日右目的のための特定査証の発給を
受けたのであるが、もともと法務大臣が特に在留を認める者に対して与えられる令四条一項
一六号、省令一項三号に定める在留資格は、法務大臣が当該外国人に対しどのような活動を
認めるかによつて、その活動内容が特定されるのであるところ、法務大臣は、原告の右査証
申請に基づき外務大臣から協議をうけた際、本邦における活動はBの英語教師として認める
旨を回答し、それにより前記査証が発給されているのであるから、同査証には「雇用のため」
とのみ記載されていても、これはBに英語教師として雇用されるためのものであり、単に英
語教師として本邦に入国を許可することを表わすものではないのである。したがつて、原告
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のような外国人の英語教師の場合、入国査証申請にかかる勤務先を入国後雇用契約期間中に
変更すると、法務大臣が予め当該外国人に特に在留を認めることとした事由が失われてしま
い、当該外国人は退職により入国目的を失うことになるのであるから、本邦における他の施
設において英語教師として勤務することを希望する場合には、本人の責めによらないで当初
の勤務先で勤務することができなくなつた場合等を除き、原則としていつたん出国し、新た
に入国査証申請からやり直すべきものである。
しかるに、原告は、本邦入国後わずか一七日間でBを退職し、Cに英語教師として就職し
ており、入国を認められた学校における英語教育に従事しなかつたのであるから、法務大臣
がその在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものと認めず、本件各処分
をしたことは適法である。
 また、原告は、被告が本件訴訟において本件処分の新たな理由を追加することは許され
ない旨主張する。しかし、被告が本件処分をするにあたつては、原告が政治活動をしたこ
とが処分の実質的理由の一つとなつていたのであるから、本件処分においてもこれがその
理由に含まれていたものというべきである。
そして、在留期間の更新の許否の処分をするにあたつて、その理由を明示することは法律
上要求されていないから、本件処分に際し、原告の政治活動がその理由となつていること
を原告に告知しないのは当然であつて、本件において、右政治活動が本件処分の理由とな
つている以上、これを訴訟において主張することは許されるべきである(なお、被告は本訴
の最初の口頭弁論期日に答弁権により原告の政治活動を処分理由の一つとして主張している
のであるから、原告がこれに対応して訴訟準備をする余裕も与えられていないということは
ありえない。)。
 およそ、日本国憲法第三章の諸規定による基本的人権が在留外国人に対しても保障され
るかどうかは、当該権利の性質によつて判断すべきものであるが、民主主義政治体制をと
つている日本国憲法下においては、わが国の政治は日本国民の意思により決定されるべき
ものであるから、国民と異なり、わが国と身分上の永続的結合関係を有しない外国人は、
わが国の政治に直接参加する権制(参政権)を有しないばかりでなく、わが国の政治的意
思形成に影響を与える政治活動を行なうことも、権利としては保障されてないものという
べきである(実質的にみても、このような政治活動を許容することは、わが国と単に場所
的結合関係にのみ立つている外国人の無責任な政治活動による弊害をもたらす危険があ
り、また、外国人がわが国を政治活動の場として悪用する危険もないとはいえない。)。し
たがつて、外国人の政治活動の自由には、右のような限界があるのであるから、その範囲
においては憲法二一条の表現の自由の保障は及ばないというべきである。そして、政治活
動の目的・内容からみて、わが国の政治体制の変更を主張する活動、国民の参政権の行使
に直接影響を与える活動、わが国の特定の政策(国内・外交)に影響を及ぼす活動などは、
右の趣旨からして憲法の保障の対象外であると考えるべきである。
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 ところで、原告は、入国後間もなく、米国のベトナム軍事介入反対、日米安保条約反対、
在日外国人の政治活動に対する日本政府の抑圧反対等を主唱し、これらの政治活動を目的
とする組織であるいわゆる「外国人ベ平連」に所属し、昭和四四年六月三〇日外国人ベ平
連定例集会に参加し、それ以来同年一二月二二日まで九回にわたり同集会に参加したほ
か、同年七月一〇日左派華僑青年等が同月二日より一三日まで国鉄新宿西口付近において
行なつた出入国管理法粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビ
ラを通行人に配布し、同年九月六日および一〇月四日ベ平連定例集会に参加し、同月一五
日および一六日にはベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム
戦争に反対する目的で抗議に赴き、同年一二月七日横浜入国者収容所に対する抗議を目的
とする示威行進に参加し、同四五年二月一五日朝霞市における反戦放送集会に参加し、同
年三月一日朝霞市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月
一五日ベ平連とともに朝霞市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラ
を配布し、同年五月一五日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のた
め赴き、同月一六日、五・一六ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカ
ンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、同年六月一四日代々木公園で行なわれた安
保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、同年七月四日清水谷公園で行なわれた東京動員
委員会主催の米日人民連帯米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月七日には羽田空
港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行なうなどの政治的活動を行なつた。これ
ら原告の政治活動は、令五条一項一四号の「日本国の利益」を害する虞れのある行為に該
当し、しかも原告が将来もそのような政治活動を行なう虞れがあるものと認めるに足りる
充分な理由があるのみならず、これらは在留資格の内容となつている活動に附随して行な
われたものというよりは、むしろ政治活動を行なうことを主たる目的として本邦に在留し
ているものと認められるから、実質的には資格外活動に該当するものということができ、
原告については在留期間更新を拒否すべき相当の理由がある。 
よつて、このような理由に基づき被告のした本件処分には裁量権の逸脱はなく、適法
である。
 本件処分は、出国準備のため在留期間を一二〇日とする更新許可であつて、形式的には
その在留資格に変更を加えるものではないが、その実質的な趣旨は、出国の準備をするため
のものであつて、いわば実質上不許可処分に等しいものであるから、さらにこれを更新する
必要は全くないのである。そして、このような許可処分に対する取消訴訟が可能か否かにつ
いては疑問があるが、仮に、これが可能であるとすれば、原告は右許可処分の取消訴訟を提
起すべきであつたのであり、同処分がすでに確定した現在においては、その違法事由をもつ
て、本件処分の取消事由とすることは許されない。したがつて、本件処分には裁量の逸
脱はなく、適法というべきである。
第四 被告の主張に対する原告の認否
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一 被告の本件処分の適法性に関する主張の2の、の各事実は、いずれも争う。
二 同のの事実のうち、外国人ベ平連の目的、昭和四四年七月一〇日のビラ撒きの目的、同年
一二月七日の行為の目的、内容、同四五年三月一五日および五月一六日の各行為はいずれも否認
するが、その余の事実はすべて認める。
第五 証拠関係《省略》
理 由
一 本件処分の経緯
請求原因一の事実(本件処分に至る経緯)は、原告の出身校、米国および韓国における職歴、原
告の琵琶、琴の修練、研究、その将来における継続の必要性の各点を除き、当事者間に争いがなく、
成立について争いのない甲第一四号証、乙第四、第七、第一六号証および原告本人尋問の結果に
よると、原告は昭和三四年ハワイ大学(教育学等専攻)を卒業し、ハワイ州立学校の教師、米国船
舶局職員をした後、昭和四一年米国平和奉仕団の一員として韓国に渡り、英語教育に従事したこ
と、原告はかつてハワイにおいて二年間程琴を習つたことがあり、また、琵琶の演奏に魅了され
たこともあつて、かねてからこれら日本の古典音楽の研究をすることを念願としていたが、昭和
四五年一月ころから琵琶をDに師事して週二回、琴をEに師事して週一回それぞれ習い、その研
究を続けてきたこと、原告は、ゆくゆくはアメリカのアジア音楽部門を有する大学で琵琶、琴な
どの教授をすることを志しており、それには相当長期にわたつて、日本で英語教育に従事するか
たわら、このような古典音楽の研究を続けることが必要であることが認められ、右認定を覆すに
足りる証拠はない。
二 本件処分の違法性の有無
そこで、次に、本件処分が違法か否かについて検討する。
1 令二一条三項によると、本邦に在留する外国人が在留期間の更新を申請した場合には、法務
大臣は「在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」これを許可す
ることができる旨定められているのであるから、原告主張のように、外国人は違法強制事由ま
たはそれに準ずべき事由等が存しない限り在留期間の更新をうける権利を与えられているとい
うことではない(令二一条一項は、同条二、三項等の規定との関連において解釈されるべきこ
とはいうまでもない。)。法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を認め
るに足りる相当な理由があるか否かを判断するに際し、在留の目的、必要性その他在留資格に
関する事項のほか、従前の在留状況等を考慮して更新の許否を決することができるものという
べく、在留期間の更新の許否については、相当広汎な裁量権を有するものと解すべきであるが、
この裁量権も憲法その他の法令上、一定の制限に服するのは当然である。
2 そこで、本件処分が、原告主張のように、法務大臣に与えられた裁量の範囲を逸脱する違
法なものであるかどうかについて、以下に考察する。
 まず、原告が、わが国で英語教師として勤務するかたわら、念願としていた日本古典音楽
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の研究を志して来日し、在留の約一年間、BおよびCで英語教育に従事し、余暇に琵琶、琴の
修練を積んできたが、本件処分当時いまだ日も浅く、そのいずれについても充分な成果を
あげえないでいたことは、前認定のとおりであるから、原告について本件処分当時在留期
間の更新を必要とする相当の理由があつたものということができる。
 被告は本件処分の理由の一として原告の本件転職をあげるので、次にこの点について検
討する。
いずれも成立につき争いのない甲第一号証の二五、二六、第二ないし第六、第一六、第一七
号証、乙第一、第二、第八、第一一、第一六ないし第一八号証、弁論の全趣旨によりその成立
を認める乙第一二号証および証人F、同G、同Hの各証言、原告本人尋問の結果の一部なら
びに弁論の全趣旨を総合すると、原告は、韓国からわが国に入国するにさいし、入国目的を
Bに雇用されることとして査証の申請をし、Bとの雇用契約書およびその身元引受書を提出
したので、被告において入国を許可したが、在韓国日本大使館発行の査証の上では、入国の
目的は単に「雇用されるため」(for employment)と記載され、また法務省入国管理局名義の
下関港における上陸許可の証印にも、在留資格は「四−一−一六−」すなわち、令四条一項
一六号、省令一項三号に基づき法務大臣が特に在留を認める者に該当することの略号が記載
されたにすぎず、また、入国および上陸の許可のさい、原告に対し、その入国目的および在留
資格がBに雇用されることに限定される旨あるいは勤務先を変更するには関係当局の承認を
要する旨等の告知は、なんらされなかつたこと、原告は昭和四四年五月一〇日入国後直ちに
Bに勤務したが、Bの教授方法の効果に疑問をいだき、自己の従前の経験からみて効果的と
確信する方法で教育する必要を感じたものの、放送設備を通じて授業を監視されるため画一
的な教授方法をとることを余儀なくされたほか、同校の日々の授業担当時間が定まらないた
め、生活の予定すら立てられない状態であり、さらに、同校では、給与の支払いが遅れたり、
その支払いを学校附近に支店のない銀行払いの小切手でしたりしたうえ、原告が昼休みに当
該銀行にその支払いをうけに行つて授業に五分ほど遅刻したところ、それをとがめられたこ
となどの事情が積み重なつたため、原告はBに対して強い不満をいだくに至つたこと、他方、
原告は、そのころCの求人を伝え聞き、また、Cが日本人に対する英語の教授方法として最
良の方法を研究しながら教育していることを知り、同年五月末ころBの職員に辞意を告げて
退職し、Cに勤務するようになり、目下これによつて生計を立てていること、Cは昭和三八
年二月に学界、財界の有志によつて設立された財団法人であつて、英語教育機関としては教
師、設備、コースの内容、種類の豊富さ等の点で日本でも屈指のものであり、Bに比して遜色
がなく、Cは原告の生活費、帰国旅費、法規の遵守および情報の提供について保証し、原告の
講師としての在任期間一年間を延長しうるものとしていることを認めることができ、右認定
と原告のBにおける在職期間について符合しない甲第一七号証および原告本人尋問の各一部
は、前掲各証拠に対比して採用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上認定の事実関係によると、原告はBに雇用されることを入国目的として査証の申請を
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し、被告においてこの点を審査したうえで入国を許可したのであるが、前記の査証および上
陸許可の証印上の記載その他原告に対する入国許可の経緯等からは、(被告係官の主観的意
図はともかくとして)とうてい原告の在留資格がBにおける英語教師に限定されているもの
と解することはできず、したがつて、被告の主張するように、原告がBからCに転職したこ
とを把えて、在留資格外の活動を行なつたとか、これによつて入国目的を失つたとかいうこ
とはできない。また、原告がBに就職後三週間足らずで勤務先の責任者に正式に告知するこ
となく転職した行為には、適切さに欠けるところがあるようにみえるが、右転職には前記認
定のような一応の理由があるうえ、転職先は、従前の勤務先と同種のものであり、かつ、これ
に比して遜色がなく、また外国人の在留状況という観点からみて、なんら非難すべき点のな
い勤務先であつて、原告はそれ以来本件処分当時まで同所に引き続き勤務しているのであ
るから、右転職をもつて、出入国管理上の秩序を乱したとはいえず、また、関係当局との信頼
関係を破壊したと解することもできない。
さらに、成立につき争いのない甲第七、第八、第一八、第一九号証、証人Gの証言および弁
論の全趣旨によると、そもそも在留期間更新の申請に対して不許可処分がされることは極め
て少いばかりでなく、原告の同僚その他同種の在留資格の者についても更新の許可をされて
いる例が相当多く、転職者についても更新を許可する例があることが認められ、右認定に反
する証拠はない。
したがつて、以上認定の各事実のほか、現行法の下では転職を希望する在留外国人がその
許可をうけ、あるいはその届出をするなどの手続が全く定められていないことも合わせ考え
ると、被告が本件転職を理由として本件処分をしたことは、社会観念上著しく公平さ、妥
当さを欠くといわなければならない。
 また、被告は、本件処分の第二の理由として原告の政治活動をあげるので、以下この点に
ついて判断する。
 まず、原告は、被告が本件訴訟においてはじめてこのような処分理由を追加することは、
被処分者の充分な訴訟準備を困難にするから許されない旨主張するが、法務大臣が在留期
間の更新の許否の処分をするにあたり、その処分理由を被処分者に告知すべき法律上の義
務はないから、原告が本件処分の理由の一部を知り、他を知らなかつたとしても、それ
は事実上のものにすぎず、また、本件訴訟記録によれば、本件訴訟の第一回口頭弁論期日
において、被告は右のような処分の理由を陳述し、原告はこれを了知したことは明らかで
あるから、この点に関し、原告が訴訟上充分に準備すべき余裕を与えられなかつたという
こともできない。したがつて、原告の右主張は理由がない。
 被告の本件処分の適法性についての主張の2ののの各事実(原告の政治活動)は、
外国人ベ平連の目的、原告の昭和四四年七月一〇日のビラ撒きの目的、同年一二月七日の
行為の目的、内容、同四五年三月一五日および五月一六日の各行為の点を除き、当事者間
に争いがなく、証人Iの証言によりその成立を認める乙第一三号証の二、成立につき争い
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のない乙第二〇ないし第二二、第二四号証および証人Iの証言によると、外国人ベ平連は、
昭和四四年六月在日外国人三〇数人によつて、アメリカのベトナム戦争介入反対、日米安
保条約によるアメリカの極東政策への加担反対、在日外国人の政治活動を抑圧する出入国
管理法案反対の三つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるベ平連からは独立
しており、また、会員制度をとつていないこと、原告の昭和四四年七月一〇日、同年一二月
七日、同四五年三月一五日、同年五月一六日の各行為の目的ないし内容がいずれも被告主
張のとおりのものであること、被告の主張にかかる原告参加の集会、集団示威行進等がい
ずれも平和的かつ合法的行動の域を出ていないことが認められ、原告本人尋問の結果のう
ち右認定と符合しない部分は、前掲各証拠に対比して採用できず、他に右認定を動かすに
足りる証拠はない。
ところで、ひとたび入国を許可された在留外国人の政治活動が在留期間更新の不許可を
相当とする事由に当たるか否かを判断するには、少なくとも令五条一項一一号ないし一四
号に準ずる事由があるか否かを考察すべきであつて、かかる事由もないのにされた更新不
許可の処分は裁量の範囲を逸脱するものと解され、本件においては、原告の行なつた政治
活動が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあると認められるか否かが問題とな
る。
このような観点から本件をみると、原告の行なつた前記のいわゆる政治活動のうちに
は、まず、いわゆるベトナム反戦(米軍のカンボジア介入反対を含む。)を目的とする集会、
集団示威運動および反戦放送への参加があるが、米国のベトナム政策については、人道上、
外交上の見地からの批判が存し、米国内においても反対の意見が少なくないことは公知の
事実であるから、米国人である原告が本国の行ないつつある右政策に対し、滞在地である
日本国内において自己の見解を表明し、主として在日米国人に対して反戦を呼びかける行
為(ロジヤーズ国務長官来日反対の行動も同趣旨に出たものと解される。)は、政治活動と
いうよりは、むしろ一米国人としての自然の思想表現であつて、これをもつてわが国の政
治問題に対する不当な容喙とみることはできず、このために日本国民および日本国の利益
が害される虞れがあるということもできない。
次に、原告の参加した集会、集団示威運動の中には、ベトナム反戦とならんで日米安保
条約反対をも目的とするものがあつたことは前記認定のとおりであるところ、日本国の安
全保障の方策は、もつぱら日本国民が選択決定すべき政治問題であつて、外国人の干渉す
べき事柄ではなく、日本国憲法がこのような問題についての在留外国人の集会や集団示威
運動等の自由を日本国民に対すると同等に保障しているものとみることはできない。しか
しながら、そのような政治活動を行なつた外国人の日本在留を許容するかどうかの裁量に
あたつては、当該外国人の在留が日本国の利益を害する虞れがあるか否かを、その者の行
なつた政治活動の実体に即して判断すべきものである。そして、成立につき争いのない乙
第一六号証、前掲乙第二四号証、証人清水知久の証言および原告本人尋問の結果を総合す
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ると、原告自身は、むしろ日米安保条約を廃棄することは非現実的であるばかりでなく、
そもそもこのような日本の政治問題は日本国民みずからが決定すべきであるとの考えを持
つており、従来、日本の政治に関する発言をさし控えるように努めていたこと、原告が前
記の集会等に参加した意図は、もつぱらベトナム反戦を訴える点にあつたこと、および右
集会等における原告の参加の態様は、指導的または積極的なものではなかつたことが認め
られる。してみると、原告の参加した集会等は、原告が本来意図した目的とは異なる政治
主張をも包含しており、このような集会等に参加したこと自体思慮を欠くものがあつたと
しても、原告の集会等への参加の目的および態様が右のようなものであつたことに鑑みる
ならば、この集会参加のゆえに原告の日本在留が日本国民および日本国の利益を害する虞
れがあるとまではとうてい考えられない。
さらに、原告の前記の入管法案反対ハンスト支援ビラ配布、横浜入国者収容所に対する
抗議の示威運動についてみると、出入国管理法制および入国者収容所の待遇のいかんは、
日本の政治問題であると同時に、在留外国人にとつて直接の利害関係をもつ問題であるか
ら、在留外国人である原告がこの問題について日本国民に呼びかける行為は、日本の政治
に対する干渉というよりは、原告自身の身分上の利害に関して日本政府および日本国民に
善処を訴える行為という性質をもつものということができ、そのさい原告のとつた行動自
体についても、日本国民の政治的選択に不当な影響力を行使し、あるいは国の政策遂行に
支障を与えるようなものがあつたことを認めるに足る証拠はない。とすれば、この行為の
故に原告の日本在留が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあるとみるべきでない
ことは、いうまでもない。 
そして、原告の前記のいわゆる政治活動のすべてを合わせ考えても、それゆえに原告の
日本在留が日本国民および日本国の利益を害する虞れがあるとは考えられず、また、被告
の主張のように、原告の日本在留の主たる目的がこのような政治活動を行なうことにある
との事実を認めるに足りる証拠はないから、原告が実質的に在留資格外の活動に従事した
と断ずることもできない。したがつて、被告が原告の前記のいわゆる政治活動を理由とし
て本件処分をしたことは社会観念上著しく妥当性を欠くものといわなければならない。
 以上認定の諸事情を総合して考察するならば、被告の本件処分は、原告の行なつた本件
転職およびいわゆる政治活動の実体が、なんら在留期間の更新を拒否すべき事由に当たらな
いのに、著しくこの点の評価を誤つたもので、日本国憲法の国際協調主義および基本的人権
保障の理念にかんがみ、令二一条により被告に与えられた裁量の範囲を逸脱する違法の処分
であるといわなければならない。
 被告は、本件処分は、出国準備のための猶予を与えた実質上の更新不許可処分であるか
ら、これをさらに更新する必要はないばかりでなく、仮に右処分が違法であつたとしても、
右処分はすでに確定しているのであつて、その違法事由をもつて本件処分の取消しを求め
ることはできない旨主張する。
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原告が当初一年間の在留期間の更新を申請したところ、被告が出国準備期間として一二〇
日間に限つて更新を許可する旨の本件処分をし、その後原告がさらに一年間の在留期間の
再更新を申請したのに対し、被告はこれを許可しないとの本件処分をしたことは当事者間
に争いがない。
しかしながら、出国準備のための在留期間の更新許可の処分は、従前の在留資格を変更ま
たは消滅せしめるものではなく、従前の在留資格を維持しながら、その更新許可が出国の準
備のため特に付与されたもので、期間満了後はもはや再度の更新を行なわないことを事実上
予告する意味をもつにすぎないから、右のような出国準備のための許可処分があつても、法
律上再度の更新許可申請に対する処分の内容が拘束されるものではないから、再度の許可申
請が却下されたとき、その却下処分を争いうることはいうまでもない。本件において、本件
処分が被告主張の理由に基づいてされ、かかる理由に基づく本件処分が違法であること
はすでに判示したとおりであるから、この点に関する被告の主張は採用できない。
三 結論
以上判示のとおり、本件処分が違法であるとして、その取消しを求める原告の請求は理由が
あるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行訴法七条、民訴法八九条を適用
して、主文のとおり判決する。

出入国管理令違反幇助、同教唆被告事件
昭和47年(う)第998号
控訴人:被告人A・B
東京高等裁判所第10刑事部
昭和48年4月26日

判決
主 文
原判決中被告人Aに関する部分を破棄する。
被告人Aを懲役六月に処する。
但し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。
被告人Bの本件控訴を棄却する。
原審における訴訟費用中、証人C、同D、同Eに支給した分を被告人Aの負担とし、証人F、同G、同H、同I、同J、同K、同L、同M、同N(昭和四五年四月二二日の公判期日の分)に支給した分を除きその余の分を被告人両名の連帯負担とする。
理 由
本件各控訴の趣意は被告人両名の弁護人田代博之、同亀井時子、同柴田憲一共同名義の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官太田輝義名義の答弁書に、それぞれ記載してあるとおりであるから、いずれもこれを引用する。
一、控訴趣意第一点について
所論は、原裁判所が証拠として採用したOの検察官に対する供述調書は原審において検察官が、Oは国外にいるため公判期日において供述することができないとの理由で証拠調を請求したものであり、原裁判所がOの公判廷への出頭の可能性の有無について配慮せず、国外に在るということだけで安易にその証拠能力を認め証拠とし採用したことは訴訟手続の法令に違反したものであると主張する。刑訴法三二一条一項二号による検察官の面前における供述を録取した調書の証拠能力を認める条件としての「供述者が国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」とは、供述者が国外いるときはそれだけで条件を充たす意味でないことは所論のとおりであり、記録上見られる、Oの検察官に対する供述調書の証拠決定に至つた経過よりすれば、原裁判所がOの公判廷へ出頭する可能性の有無につき無配慮であつたと断ずることができないが、仮りにそうであつたとしても、当審において弁護人の要望によつて行つた、ソウル特別市大韓民国中央情報部気付、O証人召喚状の送達嘱託に対し、在大韓民国後宮大使より昭和四八年二月二日付外務大臣宛送付された一九七三年一月二六日付ソウル外務部口上書写によれば、Oが弁護人指示の大韓民国中央情報部に勤務したことなく、従つてその所在は不明で召喚状の送達は不能であることを伝えており、原裁判所が同様の措置を採つたとしても同一結果になつたと認められ、現実の状況のもとで他にOの所在を確かめる有効な手段は考えられないので、所論の訴訟手続の法令違反があつても判決に影響を及ぼさず、所論は理由がない。
二、控訴趣意第二点について
所論は、原判決の認定した事実は判決に影響を及ぼすことの明らかな誤認に基くものであると主張するが、原判決の掲げる証拠を総合判断すれば、被告人らの全面的否認にも拘らず、原判示事実を十分認定することができる。所論は認定証拠の主体となるOの検察官に対する供述内容は政治的謀略による虚偽架空のものであつて全く措信できないというが、所論の理由かないことは、原判決が照応する裏付証拠を挙示しながら詳細に説示するとおりであつて、右供述の信憑性を否定すべき証拠はない。所論はまた、原判決が証拠を示さずに被告人らの行動を組織的計画的と認定し、そのことから実体の不明な密出国に用いる船が、Oの乗船予定地秋田県男鹿市戸賀海岸に廻航されてくる可能性を認めたことを指摘して誤認であるというが、Oが名古屋市のP方より東京都を経て男鹿市戸賀海岸まで赴き、二夜廻航船の出現を待機したうえ、結局目的を遂げずに東京都に立戻り、同都内を転々した数日間に、次々と不詳の男が現れて前者より引継ぎを受けてはOを指示誘導しているのであつて、被告人らを含めそれらの者は、相互に関連なく偶然出会つたものとは認められず、背後に働く組織の力により計画されたところ指令されて行動していたと推認し得るのである。それらの一連の行動がOを密出国させるために乗船させる目的であつたことが明らかであるから、現実には出現しなかつたものの、船の廻航が計画、手配されていて乗船の可能性があつたと推認することも不合理ではない。関係証拠によれば原判示戸賀海岸の風引岩附近から、殊に深夜、乗船することが不可能ではないが、容易でないことを認め得るが、もともと乗船の目的が厳禁されている密出国にあるのであるから、秘密を保つ必要上、深夜困難を冒しても通常乗船に用いられない場所を敢えて選ぶことは十分考え得ることである。原判決の認定に、判決に影響を及ぼす誤認があるとは認められない。所論は理由がない。
三、控訴趣意第三点について
所論は、出入国管理令七一条は密出国行為のみならず、密出国企図行為をも処罰の対象としているが、企図罪は密出国の基本的構成要件に該当する犯罪実行々為に着手する以前の準備行為を全て含み、その行為に定型性がなく、無数の態様があり得るから、処罰の対象が無限に拡大されて著しく法的安定性を害するするうえ、刑法の規定する他の予備罪の法定刑が既遂、未遂の場合より軽いのに、密出国罪の既遂と同じ刑をもつて処罰し、他の予備罪との均衡を欠き罪刑法定主義に立つ憲法三一条の精神に違背し、違憲の疑いが強いと論ずる。出入国管理令はその第一条が宣明するとおり、本邦の出入国について公正な管理をすることを目的とするものであり、それが国家の秩序を保持する上に必須であることは論を俟たない。右目的よりすれば密出国の実行々為着手の前段階において規制することも公共の福祉に適うというべきである。密出国罪はその採られる手段によつて犯行の態様が多様であり、これを企てる行為の定型も幅広いものとなるが、このことは他の予備罪の犯行についても同様であり、基本の罪の性質により程度があるに過ぎない。また密出国企図罪が密出国罪と法定刑を同じくし、他の予備罪の場合と異ることは所論のとおりであるが、企図罪と雖も、内心に企図を懐いたのみで処罰されるものではなく、具体的な外部行動からその企図を認定し得る段階に達したときに初めて処罰の対象となることはいうまでもない。そしてその場合密出国の目的に向つて次第に進展する一連の行動経過において密出国の実行々為接着にした段階に在るといい得
るから、処罰について同一法定刑の範囲内において具体的事案に応じた量刑に委ねる規制もあり得ることである。立法論として当否の批判は兎も角、そのために罪刑法定主義に違反し違憲であるとする所論は当らない。
所論は次いで、出入国管理令七一条が合憲としても、刑法六一条一項、六二条一項の教唆、幇助犯の規定は正犯の実行々為の着手を前提として適用されるものであるから、正犯が実行着手前の予備行為に止る場合、右各法条の適用はないと論ずる。密出国企図罪は密出国罪に対しその予備的行為ではあるが、それとして構成要件を備えた独立の犯罪であるから、企図行為の実行着手ありと認められる場合、その教唆、幇助犯の規定の適用を否定する理由はない。所論は更に、教唆、幇助犯の規定は基本的構成要件的行為(実行々為)着手前の予備的行為(企図行為)が独立して処罰される場合であつても、予備罪の教唆幇助行為について特に処罰する規定がない以上、適用はないから原判決が密出国企図罪の教唆罪、幇助罪の成立を認めたことは法令の解釈適用を誤つたものであると主張する。しかし刑法六一条、六二条はいうまでもなく刑法総則規定であり、同法八条によれば、特に刑法総則規定の適用を除外していない出入国管理令の規定する密出国企図罪に適用されるべきことはむしろ当然である。刑法自身が六四条により適用を除外する場合に当らない本件において原判決が密出国企図罪の教唆罪、幇助罪の成立を認めたことに、法令の解釈適用を誤つた違法はなく、所論は理由がない。
四、控訴趣意第四点について
所論の要旨は、原判決の量刑につき、被告人Aに対し懲役六月の実刑を言渡した点を不当に重過ぎると主張するものである。記録によれば、被告人らは本件各自の犯行を全面的に否認し、犯行の動機を明らかにすることができないが、被告人らに教唆、幇助されて密出国を企てたOは懲役八月、二年間刑の執行猶予の判決を受け既に韓国に送還されていることが認められ、被告人Aに前料、非行前歴の見られないこと、幼児を擁した家庭事情等を考慮すれば、同被告人に対する本件による処断としては、今後を戒めて刑の執行を猶予することにより処刑の目的を達し得るものと認められるので、その意味において原判決を破棄すべく、所論は理由がある。以上のとおり被告人Bの本件控訴はその理由がないので刑訴法三九六条によりこれを棄却すべく、被告人Aの本件控訴は理由があるので同法三九七条一項、三八一条により原判決中被告人Aに関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従つて更に自判する。
原判決が適法に確定した罪となるべき事実第一に原判示のとおり法令を適用し、刑の選択をした刑期の範囲内において被告人Aを懲役六月に処し、刑法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。原審における訴訟費用の負担については刑訴法一八一条一項本文、一八二条を適用して、主文のとおり判決する。
弁護人田代博之外二名の控訴趣意
第一点 原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある̶̶採証法則違反。原判決は検察官提出のOの検察官に対する供述調書の証拠能力を認めて証拠として採用し、被告人らを有罪と判定する重要な証拠としている。
しかし、右供述調書は刑事訴訟法第三二一条一項二号の要件を欠き、証拠能力を有しないものである。原審検察官は右供述調書を供述者が国外にいるため公判期日において供述することができないときにあると提出し、原裁判所はそれをそのまま認めたのである。しかし、Oが単に国外にいるからとの理由だけでその供述調書に証拠能力を認めたのは違法である。憲法三七条二項はすべての証人に対する被告人の十分な審問権を保障し、自己の為の証人強制喚問請求権を保障しているのである。右規定が被告人に十分な審問の機会が与えられなかつた伝聞でも絶対に証拠にすることが許されないものでないこと(最高裁昭二三・七・一九判決、集二・八・九五二)、であるとしても被告人から請求があれば可能な限りその機会が与えられるのに与えなかつた証人の供述は証拠能力がないことを定めたものであつて、原則として伝聞証拠を排斥し直接証拠主義をとることを定めたものというべきである。しかるに、原裁判所はOが単に国外にいるというだけの理由で何らその状況を顧慮せず安易に証拠能力を認容している。
しかし、本件起訴事実の罪体に関して本事件の正犯といわれるOの供述は極めて重要である。O自身の外国人登録法違反、出入国管理令違反被告事件においても殆どOの供述のみで昭和四三年一〇月二一日懲役八月、執行猶予二年の判決をうけている。
Oの逮捕状況、弁護人選任の経過、刑事裁判手続の進行等、Oの動きは疑惑につつまれていたが、判決以後の行動だけから考慮しても特異な手続経過をふんでおり、故意に証人として法廷に立つことから逃避し、被告人の反対尋問権の行使を不可能ならしめており、その背景の複雑さを推測させている。
Oは判決の翌日昭和四三年一〇月二二日に東京入国管理事務所に任意出頭し、密入国容疑で違反調査をうけ、審査二課の調査で口頭審理以後の調査手続を放棄し、即時退去強制令書の告知をうけ、翌一〇月二三日、羽田から自己の費用による出国という形で帰国した。
しかし、このようなOに対する東京入管の取扱いは異例の措置である。通常、密入国者で住所不定、身柄引請人もいない場合、判決言渡日には入管の警備官数人が法廷に待機して執行猶予の言渡後直ちに収容令書を執行し手錠つきで入管収容所へ収容している。その時点から違反調査を開始、六〇日以内に退去強制令書を発付告知して長崎県大村市の大村入国者収容所に移送収容して一年に一、二回来る韓国への強制送還船で送還するという手続がとられている。この間、身柄は何ケ月も収容されたままであり、Oのように住所不定、身柄引請人もないまま、釈放されたという事例は正に異例としかいいようがない。自費出国の手続も韓国大使館が身分証明書を発行しただけで金をもつていないというOが大使館から飛行機の切符を買つてもらい大あわてで帰国しているのである。帰国後のラジオ、新聞への登場、おじのPあての中央情報部にオートバイを買つて送つてくれとの手紙等、帰国後の行動も不思議である。
緒方検事も執行猶予判決をうけてその確定もまたずにその二日後に国外に帰国することは異例であるが入管の管轄下であるから検事はどうしようもないと述べているようにすべての情況が通常とは異なる形で進行してきたのである。
既にQが逮捕され、他の数人にも逮捕状が用意されているという捜査側の言により弁護人は本件被告事件の重要証人としてOを確保する必要性からOの刑事裁判中からOの身柄を日本に確保してほしい旨何回も検察庁に申入れてきた。通常の手続移行ならば本事件の証人として出廷しうる余地は十分あつたのである。にも拘らずOがあわてて帰国し、それを韓国大使館が多大な便宜をはかつて推進してきたこと等から考慮することさらにOは本件被告事件の裁判に証人として出頭し、反対尋問にあい事案の真相が明らかにされることから逃れるための工作だつたのではないかと強い疑問をいだかざるを得ない。そして、これを仕組んだ裏には韓国特務情報部CIAがひかえていたと考えざるを得ない。
被告人の反対尋問権の行使を不可能ならしめるような状況をO自らがつくり出しているのである。
このような情況において単に国外にいるとの理由だけで、Oの供述録取書を直ちに証拠として採用することは手続的正義に反し許されるべきではない。
検察官はOが既に韓国に帰国していることを理由として「国外にいるため公判期日において供述することができない」として供述録取書の取調を主張し原裁判所はそれを認めた。しかし、Oが国外にいるとしても、「国外にいること」がすべてそのままこの条件に合致するものではない。本条の供述不可能の場合の事例を広く解釈すると、憲法の保障する被告人の証人尋問権を不当に侵害、奪うことになり、かなり厳格に解釈されていることは判例、学説の認めるところである。「精神、身体の故障」についてもかなり厳格に解されており、「所在不明」についても捜査通常の過程において相当の手段を尽くし、なおその所在が判明しない場合をいうとされており、死亡の場合に準ずるほどのものと解釈されている。
したがつて、「国外にいる」という要件も国外にいれば必ず、これに該当するというものではなく「死亡」に比肩すべきほどの、国外にいるため、裁判所への出頭が絶対不可能だという程度のものと解する。現在、Oの居住するというソウルと東京は各航空会社の飛行機が毎日、何便も往復しており飛行所要時間約一時間半、費用約三万円で往けるのである。同じ日本国内の沖縄県へ飛ぶより所要時間、費用ともずつと少ないのである。しかも、本件事件が前述したように正犯といわれるOを中心に奇々怪々の進展のもとに殆どO一人の供述のもとになりたつているのである。
原裁判所はOの法廷への出頭の可能性の有無について何ら配慮もやらず安易にその供述書を証拠としている。しかし、以上のような状況においてその証人の重要件、外国の遠近等、裁判所は慎重に考慮すべきではなかつたのか。
したがつて、Oの供述調査は証拠能力を欠き、原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある。
第三点 原判決は、法令の適用に誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすこと明らかであるから破棄さるべきである。
一、原判決は、密出国企図罪にいて、密出国そのものの実行着手の有無を問わず、これに対する教唆もしくは幇助行為については、刑法総則どおりそれぞれ教唆犯、幇助犯の成立を論ずるべきもので、これを否定すべき理由はない旨判示し、被告人Aにつき刑法第六一条第一項、被告人Bにつき刑法第六二条第一項をそれぞれ適用して、教唆犯、幇助犯の成立を認めた。しかし、右判示は、明らかに刑法第六一条一項、第六二条第一項の規定の解釈適用を誤つたものである。
二、現行出入国管理令は、連合軍占領下に、アメリカの移民法を基にして占領軍の指導のもとに制定された法令であり、反共治安法色の極めて強い法令である。その一つの特徴として、出入国管理令第七一条が、密出国行為のみならず密出国企図行為をも処罰の対象としている。「企図罪」なるものは、その基本的構成要件に該当する犯罪実行行為に着手する以前の犯罪準備行為を全て含むものであり、その行為に定型性がなく、企図罪の行為は無定型、無限定な行為であり、その態様も種々、雑多であつて、治安的観点から取締、処罰にとつては非常に便利な規定ではあつても、その運用いかんによつては、処罰の対象が限りなく拡大され、人権が侵害される危険があり、著しく法的安定性を害するものである。もともと、刑法上、犯罪の実行行為着手前の予備的段階にある行為は、一般的に、具体的な法益侵害を生じしめる蓋然性は極めて少なく、その危険性も少ないがために、通常可罰性なしとされ、特にその法益が国家的、社会的に高いとされる特殊な犯罪に限つて例外的にこれを処罰の対象としているにすぎない(内乱予備、殺人予備等)。この刑法上の原則からすれば、その法益がさほど高いと評価することのできない単なる出入国に関する行政手続違反にすぎない密出国行為に対して、出入国管理令第七一条がその反共治安的観点から本来の犯罪行為のみならず、その準備段階にある予備的行為まで広く処罰の対象とし、しかも、刑法上処罰の対象とされる他の予備罪(内乱予備、殺人予備等)の法定刑が既逐、未遂の場合に比して極めて軽いのに、密出国企図の場合にもその既遂の場合と同じ法定刑をもつて処罰せんとするのは極めて特異な立法であり、他の犯罪の予備段階にある行為との均衡を著しく欠くものであつて近代刑法の大原則である罪刑法定主義、反共治安立法を許さない憲法第三一条の精神に違背する疑いの強いものである。
三、仮に出入国管理令第七一条の合憲的解釈が可能であるとしても、その密出国企図罪についての教唆犯、幇助の成否については、刑法総則の解釈は厳格に、しかも抑制的になされなければならない。
刑法第六一条第一項が「人を教唆して犯罪を実行せしめたる者」を教唆犯とし、第六二条一項が「正犯を幇助したる者」を従犯とする趣旨は、正犯をして構成要件的行為の実行に着手せしめたる者(教唆犯)、正犯の構成要件的行為の実行を幇助したる者(幇助犯)を意味し、正犯の実行行為を前提にその教唆犯、幇助犯の成立を論ずべきものと解すべきであり、正犯がその実行行為着手前の予備行為に止まる場合は、刑法第六一条第一項、第六二条第一項の適用はないものと解すべきである。予備……企行行為は、前述したとおり、無定型、無限定な行為であり、その処罰の範囲が著しく拡張されるものであり、教唆犯、幇助犯の行為態様もまた無定型、無限定であつてもし、予備段階にある企行行為一般につき刑法第六一条第一項、第六二条第一項を適用して企図罪の教唆犯、幇助犯の成立を認めるとすると、さらに著しく処罰の対象が拡大される危険が大であり、著しく法的安定性を欠く結果を生じるからである。
四、仮に、密出国企図罪も一つの犯罪構成要件であり、その企図行為も実行行為であつてその教唆、幇助行為がありうると解されるとしても、わが刑法は企図罪(特に予備行為にとどまる場合)を処罰の対象としてはいない。刑法は、前述したとおり、予備的行為を処罰の対象とする場合は、明文を設けて処罰の対象としているのと同様に、予備的行為の共犯(教唆、幇助犯)を処罰する場合も明文を設けて処罰の対象とすることを明確にしているのである。例えば、刑法第七八条は、内乱罪の予備罪について特に明文を設けて処罰の対象とすることを明らかにするとともに、同第七九条で、特に、内乱予備罪の幇助行為までも処罰の対象とすることを明定している(爆発物取締罰則第五条も同様の趣旨である)。
五、以上のとおり、いずれにしても、刑法総則の共犯に関する規定(刑法第六一条、六二条)は、基本的構成要件的行為(実行行為)着手前の予備的行為(企図行為)が独立して処罰される場合であつても、当然にその適用はなく、予備罪(企図罪)の教唆行為、幇助行為について特にこれを処罰する法律の規定なき以上処罰の対象とはならないのであるから、原判決の判示するところによつて、いまだ密出国行為そのものの実行の着手前の予備的行為にとどまる被告人らの各行為につき、密出国企図の教唆罪、同幇助罪の成立を認めた原判決は、法律の解釈適用を誤つた違法である。

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