兇器準備集合被告事件
昭和44年(あ)第1453号
上告人:被告人Aほか2名
最高裁判所第一小法廷
昭和45年12月3日

決定
主 文
本件上告を棄却する。
理 由

弁護人杉本昌純、同北村哲男の上告趣意第一点について。
所論は、憲法三一条、二一条違反をいうが、所論のごとく、兇器準備集合罪の規定が処罰の実質的根拠に乏しく、その規制が広範に過ぎ、兇器等の文言が極めてあいまい不明確な概念を内容とするものということはできず、また、本件被告人らの所為が単に集団的表現の自由にかかわる事例にすぎないということはできないから、論旨は、前提を欠き、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(原判示長さ一メートル前後の角棒は、その本来の性質上人を殺傷するために作られたものではないが、用法によつては人の生命、身体または財産に害を加えるに足りる器物であり、かつ、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に害を加える目的をもつてこれを準備して集合するにおいては、社会通念上人をして危険感を抱かせるに足りるものであるから、刑法二〇八条の二にいう「兇器」に該当するものと解すべきである。)。

同第二点について。
所論は、単なる法令違反、事実誤認の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない(刑法二〇八条の二にいう「集合」とは、通常は、二人以上の者が他人の生命、身体または財産に対し共同して害を加える目的をもつて兇器を準備し、またはその準備のあることを知つて一定の場所に集まることをいうが、すでに、一定の場所に集まつている二人以上の者がその場で兇器を準備し、またはその準備のあることを知つたうえ、他人の生命、身体または財産に対し共同して害を加える目的を有するに至つた場合も、「集合」にあたると解するのが相当である。また、兇器準備集合罪は、個人の生命、身体または財産ばかりでなく、公共的な社会生活の平穏をも保護法益とするものと解すべきであるから、右「集合」の状態が継続するかぎり、同罪は継続して成立しているものと解するのが相当である。)。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

弁護人の上告趣意
第一点 原判決は、憲法第三一条の解釈を誤つたものであつて判決に影響をおよぼすことが明らかであるから破棄されなければならない。
一、原判決は、第一審判決を破棄自判し被告人等を有罪としたが、凶器準備集合罪を定めた刑法第二〇八条の二第一項の規定は、正当な法定手続を保障した憲法第三一条に違反した違憲無効のものであり、従つて違憲無効の同条項を適用して有罪を認定した原判決は、憲法第三一条の解釈を誤つたものというべく、またそれが判決に影響をおよぼすこと明らかであるから破棄されなければならない。
二、凶器準備集合罪を法定する刑法第二〇八条の二の規定は憲法第三一条等に違反して無効である。
 問題の所在
1 本件は、端的にいえば、学生運動戦線内部の分裂を利用したベトナム反戦運動等に対する権力の弾圧である。その法的根拠とされているものは、凶器準備集合罪の規定であるが、それは、今、或は佐藤首相の訪米阻止或は米原子力空母エンタープライズ号寄港阻止、或は成田空港阻止、或は米野戦病院開設阻止等々の諸斗争弾圧の極めて有力な法的武器として、都公安条例、公務執行妨害罪等とともに猛威をふるつている。
エンタープライズ寄港阻止斗争における飯田橋での「予防検束」、博多駅での「所持品検査」は、そのひとつの典型的な適例である。
昭和四三年一月一五日午前八時すぎ、エンタープライズ寄港阻止斗争の一環として、現地佐世保に赴くべく、法政大学から飯田橋に向つて出発した学生二〇〇名の行く手を、警視庁機動隊は“凶器” 検問所を作つてさえぎり、わずか七分間のうちに、右学生中一三一名を、学生等のプラカードの所持を理由に凶器準備集合罪等で検挙した(毎日新聞一月一五日夕刊)。
他方、翌一六日博多駅では、右飯田駅での大量検挙に呼応するかのように、午前六時四五分着の急行「西海・雲仙」号でエンタープライズ阻止斗争のため同駅に到着した学生一人ひとりに対し、福岡県警機動隊は同駅改札口を十重二十重に取り囲んで“凶器” 発見のため徹底した所持品検査を行なうという事態が発生した。しかし、“凶器” は遂に発見されなかつた。
これは、一例にすぎない。凶器準備集合罪は、まさにこのような形で、即ち反政府反権力斗争圧殺の強力な法的武器として現実に機能しているのである。
2 本件でも、形態は異なるが凶器準備集合罪適用の基本的性格は全く同断である。
検察官も容認するように、本件集会はベトナム戦争反対、小選挙区制粉砕を目的とする全国学生統一行動として開催されたものであつた。学生運動の意義、それが現実に反戦斗争等で果している役割は、幾多の批判があるにせよ、既成左翼政党の沈滞した運動の中で、重要なものであり、佐藤自民党政府を中心とする日本の支配階級がこれを忌み嫌つていることも明白な事実である。
乱斗事件それ事体は極めて不幸な事態といわねばならないが、問題は、このいわゆる乱斗事件を口実に、警察権力が集会に公然と介入し、多数の集会参加者を検挙して弾圧し、しかもそこで凶器準備集合罪が̶̶暴行傷害でなく̶̶その弾圧の法定根拠とされているということである。
3 そもそも凶器準備集合罪はどのようなものとして制定されたものなのか。このような反権力的な斗争に対して適用することが果して許されるのか。
凶器準備集合罪を規定する刑法二〇八条の二は、第二八回国会に「刑法の一部を改正する法律案」として内閣から提出され、昭和三三年法第一〇七号として成立を見たものである。
凶器準備集合罪は、二人以上の者が、他人の生命、身体または財産に対する共同加害の目的をもつて集合した際、①凶器を準備した者、②その準備あることを知つて集まつた者について成立し、これらの者を「二年以下の懲役、二万五〇〇〇円以下の罰金」に処することとしている。後述するように、このような犯罪類型は、既に立法当初から多くの重大な疑問をもたれたものであつた。そこでは、「集合」が基本的な構成要件要素とされている。多衆人の集合は、具体的には労働争議や政治的な集会の場合に多く見られる。ところで、前者は争議権として憲法第二八条が、後者は集団による表現の自由として憲法第二一条がそれぞれ保障するところのものである。この国民の基本的人権が、本罪の制定によつて不当に侵されることにならないか。これが識者の根本的な疑問であつた。政府・当局は、繰り返し、繰り返し、当時発生した別府事件、小松島事件といつたような暴力団同士の殺傷事件を未然に効果的に取締るためのものであつて、労働争議や大衆運動に適用することを目的とするものではない旨述べたが、暴力行為等処罰に関する法律の例もある。この点に質疑も集中されたといつても過言ではない。(後に詳述)。このような点に鑑み、同法案成立に際しては、自由民主党および日本社会党共同提案による付帯決議案が出され全会一致で可決されている。
「本改正案の実施にあたつては、政府は、検察権、警察権の濫用を厳に戒め、政治活動を阻害し、或は労働運動を抑圧することのないように留意し、なお、斡旋収賄罪については、将来所謂第三者供賄に関し、十分検討すべきである。右決議する。」
この決議の趣旨は無視され、国会の審議で提出された危惧は、前述のとおり現実と化した。
政治的な責任の問題はともかく、ここでの法的な問題は、争議権ないし集団的表現の自由として保障される憲法上の基本的自由ないし権利が、本罪の或はその規制の広さのために、或は犯罪構成要件のあいまい不明確さのために、不当に侵害される虞れがないか、このような観点から凶器準備集合罪の規定それ自体の憲法上の効力があらためて問いかえされるべきではないかという点にある。
 凶器準備集合罪の規定は、処罰の実質的根拠に著るしく乏しく、あるいは少くともその規制が広範に過ぎ憲法第三一条等に違反して無効である。
1 法理(基本的視点)
国民の基本権を制限する法律(ないし規定)が合意であるためには、第一にその立法規制を必要とする事実(立法事実)が存在しており、第二に立法目的達成の具体的規制方法が憲法上の権利に対する必要にしてやむを得ない最少限度のものでなければならない。
或る法律が合憲でありうるためには右の二つの要件を満たしていなければならないとする考えは、米連邦最高裁判所において既に確立した判例である。連邦最高裁判所は、① 先ずマツトレスその他に再生毛糸を用いることを絶対的に禁止しているペンシルバニア州法の合憲性が争われたWeaver V. Palmer Bros Company事件(270U.S.402(1926)において、再生毛糸にはバクテリアが含まれており、これをマツトレス等に使用すると病気が伝染し、健康に有害であるという立法事実が存在し、この害悪に対処するために全面的使用禁止という方策が採られたが、しかし再生毛糸の製造過程で滅菌を行なつた滅菌再生毛糸を使用しさえすれば健康には有害ではないという立法事実が認められるので、滅菌しない毛糸の使用を禁じさえすれば州の目指す目的の達成は可能なのであるから、再生毛糸の使用を全面的に禁止する法は不合理な規制で適法手続条項に反すると判示し、② また、Schneider V. Irvington事件308U.S.147(1939)において街路に紙屑をまきちらすことを防止する目的のため、よろこんで受取る人に街路で文書を配布することまで禁ずる法律は、目的達成のための具体的方策が広きに失すると判断し、紙屑がまきちらされることを防止する方策としては街路に現に紙を投げすてることを処罰すれば十分であると判示し、③ 更にビラ配布の場合、印刷者、配布者の氏名、住所の記載のないビラを配布すると配布の状況場所のいかんを問わず処罰するロスアンジエルス市条例の効力の争われたTally V.California事件U.S.60(1960)では詐欺、虚偽広告及び名誉毀損の責任者確認のためという目的達成のための方策としては同条例は広きに失すると判示した。
これらは立法目的達成のため憲法上の権利の必要にして最少限度やむを得ない規制を超えて、本来規制することが許されない行為まで禁止するような具体的方策は、広きに失して不合理であるとして、その点から当該法律を違憲とするのである。(Unconstitutionality dueto Overbroadness)。
アメリカ憲法におけるこのような考え方は、「生命、自由及幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」との規定(憲法第一三条)及び米連邦憲法修正五条と同趣旨の規定(憲法第三一条)を有する日本国憲法のもとにおいても、基本権と他の法益の衝突を調整する法理としてまさしく妥当する。
現にわが国の最高裁判所も、そのいくつかの判例においてその理を認めている。
① 労働基本権の制限が問題となつたいわゆる全逓中郵事件に関する昭和四一年一〇月二六日大法廷判決(刑集二〇巻九〇一頁)において「労働基本権の制限は、労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量として、両者が適正な均衡を保つことを目途として決定すべき
であり、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は合理性の認められる必要最少限度のものにとどめられなければならない。
労働基本権の制限は、勤労者の提供する職務または業務の性質が公共性の強いものであり、したがつてその職務又は業務の停廃が国民生活全体の利益を害し、国民生活に重大な障害をもたらすおそれのあるものについて、これを避けるために必要やむを得ない場合について考慮されるべきである。」と判示し、② HS式無熱高周波療法があん摩はり師きゆう師及柔道整復師法に違反するかが問題となつた昭和三五年一月二七日大法廷判決(刑集一四巻一号三三頁)が、「……医業類似行為を業とすることが公共の福祉に反するのは、かゝる業務行為が人の健康に害を及ぼす虞があるからである。それ故前記法律が医業類似行為を業とすることを禁止処罰するのも人の健康に害を及ぼす虞のある業務行為に限局する趣旨と解しなければならない」とし、③ 更に団体等規正令の行政調査のために呼出に応じないのに対して一〇年以下の懲役又は禁錮を科する規定は不当に重く憲法三三条、三八条、三一条等に違反して無効であるとする昭和三六年一二月二〇日大法廷判決(刑集一五巻一一号一九四〇頁)の趣旨も、この理論に立脚するものというべきである。
2 凶器準備集合罪の立法事実(本罪の判定が必要とされた事情)
凶器準備集合罪の新設を含む「刑法の一部を改正する法律案」は、前述のとおり、第二八回国会に内閣から提出され、昭和三三年三月一九日には参議院本会議で、翌同月二〇日には衆議院本会議でそれぞれ提案理由が説明された。
岸内閣総理大臣は、右法案が、汚職・暴力・貧乏の三悪追放という岸内閣の基本的な施政方針に基づくものであることを強調し、唐沢法務大臣は、その提案理由に触れて次のように説明した。
「……いわゆる持凶器集合罪でありますが、この規定が誤つて適用されれば、あるいは労働運動その他の大衆運動に適用されるおそれはないかというお考えのようでございますが、これは御承知のように、たとえば、別府事件とか、小松島事件というような、暴力団が凶器を持つて相対峙しまして、そして非常な殺傷事犯を起した、これを取締ることを目途といたしまして立案いたしたものでございまして、労働運動等について、これを適用する意図は全然ございませんし、これは条文をごらん下さいましてもさようなおそれはないと信じております。」
また竹内寿平政府委員(法務省刑事局長)は、衆・参法務委員会で次のように説明している。
「……次に、第二百八条の二でございます。第二〇八条の二は、他人の生命等に害を加えることを目的とする凶器の準備を処罰する趣旨の規定でございます。最近いわゆる暴力団等の勢力争い等に関連いたしまして、なぐり込みなどのために相当数の人員が集合し、人身に著るしく不安の念を抱かしめ、治安上憂慮すべき事態を惹起した事件が相次いで発生いたしたのでありますが、これを検挙、処罰すべき適切な規定がございませんため、その取締に困難を来している実情にかんがみまして新設したものでございます」(33・3・24参院法務委員会、33・3・25衆院法務委員会)
さらに詳細に次のように述べる。
「……その一つは、取締上すこぶる困難であるという点の解決でございまして、これは、今御指摘の持凶器集合罪とも申すべき、いわゆる集合罪の規定であります。もう一つは緊急逮捕の問題でございます。集合罪を処罰しなければならぬ理由は、最近、組織的な親分子分の関係をもつてつながつております暴力団とも称すべきものの組織上のなわ張り争い、出入り、そういつたような傾向が顕著に現われてきております。この別府事件のようなものを見ましても、あるいは最近の小松島事件等にいたしましても、その他こういう数十名が相対峙して武器を用意し、武器を持つて集まる、こういう事態が、現在の治安状況のもとにおいて一般の人に想像もつかないような状態が現にあるわけでございます。こういう事犯につきましては、以前は行政執行法あるいは警察犯処罰令等によつて、そういう事態に至らない前において検束処分あるいは勾留処分といつたような手当ができたのでございます。また、その検束処分に対して反抗しまする者は、公務執行妨害罪というもので手当ができたのでございますがそういうものが、なくなりました今日におきましては、結局、別府事件で一般の人が知つておりますように、数十名が二つの宿舎に相分れて、刀を廊下に立てかけて、そうして今やまさに一触即発というような状態にまで参りませんと、解散に応じないというあの刑法の百七条の規定を適用することができないということなんでございまして、こういうことで、犯罪になるような情勢ができるまでの間は手をこまねいて見ておつて、そうしていよいよ血の雨が降るという瞬間に初めて警察権力が発動するということでありましては、今の犯罪予防の観点から申しましても、とうてい目的に沿わないものでございます。その意味からいたしまして、この法の不備を補いますために持凶器集合罪のような規定を設けたのでございます。……」この法案についての質疑の焦点は、暴力団のなわ張り争い出入りの取締りを名目としながらも、その実労働争議、大衆運動の弾圧を担つたものではないか、仮りにそうではないとしても、結果的には、暴力行為等処罰に関する法律が正にそうであつたように(参照、第五一帝国議会における江木翼司法大臣の「此法律目的トシテ、労働運動デアルトカ、或ハ小作運動デアルトカ、若ハ水平運動デアルトカ云フガ如キモノヲ取締ルト云フ目的ハ、毛頭持ツテ居ラヌノデアリマス」、博徒とかそういう類種の暴力団を取締るものであるとの立法理由にもかかわらず、現実には労働運動等の取締に多く適用され、弾圧の法的武器となつていることは統計上からも明らかである)、労働運動等に主として適用され弾圧の根拠となるのではないか、規制対象の広汎さ、“凶器” という概念のあいまいさ、不明確さはそのことを保障するものではないかということにあつた。
衆院では、法務省特別顧問小野清一郎、都立大学教授戒能通孝、日弁連会長島田武夫の諸氏が、参院では、弁護士植松圭太、同森長英三郎、一橋大学教授植松正、東京大学教授団藤重光、最高検検事安平政吉、日本労働組合総評議会法規対策部長神島日吉の諸氏が、それぞれ各法務委員会で参考人として意見を述べているが、結局、前述のような決議を付した上昭和三三年法第一〇七号として凶器準備集合罪は新設されたのである。
3 凶器準備集合罪の規定は、処罰の実質的根拠に著るしく乏しく、少くともその規制が広きに過ぎる。
 本罪の立法事実(制定を必要とした事実)は、要するに暴力団同志の出入等殺傷事犯の効果的な取締りということに帰する。問題は、第一に、政府当局は右のような事犯に際しこれを検挙処罰すべき適切な規定がないというのであるが果してそうか。第二に、本罪の新説によつてその立法目的を充分達成することが可能か。第三に、本罪の犯罪構成要件の定め方は、規制目的からして必要最少限度のものといえるか。他の正当な法益、即ち争議権(憲法第二八条)、集団による表現の自由(憲法第二一条)を不当に侵害する虞れはないか等の点にある。
 政府当局は、別府事件等に際し、その検挙・処罰の効果的な法的根拠がないという。
しかし、まさに別府事件等においては、「刀」・「拳銃」が武器として用いられているのであり、その点で銃砲刀剣類所持等取締法の適用が充分可能である。これに対して竹内政府委員は「……現行法におきましては、御承知のように、百七条の不解散罪というのがございますが、別府の暴力団の事件など見ましても、神戸から、あるいは京阪神から暴力団が逐次集まつて応援に行つておりますし、また北九州その他から、いわゆる暴力団の一味の者が、これまた他の一方を応援するために、別府へ乗り込んでおります。ところが、そのような事情はすべて治安当局にわかつておるのでございますけれども、いまだ手のつけようがな
い。現実に凶器を持つておりさえすれば、銃砲等所持禁止令に触れる場合もありますが、その刀が登録した刀でございますと、そういうものを持つていても差しつかえないと大審院の判例も出ておるような始末で、そういうふうに集まつていく場合を傍観していなければならない。そしていよいよ別府に着きまして、二つのよりどころにそれぞれ勢ぞろいをして刀は床の間に幾振りも並べてある、拳銃もあるといつたような状態であるにかかわらず、これを市民の大きな不安を醸成しないうちに解散させるというわけにもいかぬというので、そういう今や血の雨の降ろうとするその直前に至るまで手をこまぬいて見ていなければならないというのは、現行法のはなはだしい不備でございます。」
などと答弁している(33・4・2衆院法務委員会での志賀義男議員の質問に対する答弁)。
集合自体の段階で取締りたいというのが、政府当局の本音とも読みとれる答弁であるが(前述の「行政執行法あるいは警察犯処罰令……」の説明、そして凶器準備集合罪の現実の運用等を併せ考えるならば充分うなづける)、それが許されないこと勿論である。しかし「刀」や「拳銃」を所持している場合は、集合の段階であろうと、事情は自ら異る。政府委員は、それらが「登録」されていると合法的な所持だから「傍観」する外はない、とするのだが、それは全く理由にならない。登録の有無こそ、その前提的な問題であり、そのために警職法第二条の質問によつて警察権が介入することは充分可能なのであつて、登録がなければ銃砲刀剣類所持等取締法によつて現行犯逮捕することができるのである(博多駅での所持品検査を見よ。国会審議での政府当局は、むしろ暴力団の人権の擁護者としてある)。
「二つのよりどころにそれぞれ勢ぞろいをして、刀は床の間に幾振りも並べてある、拳銃もあるといつた」状態に至れば、右銃砲刀剣類所持等取締法による取締はより容易であること明らかである。
暴行、傷害、殺人に至る蓋然性が極めて強いときは、刑法一〇七条の不解散罪成立の要件がなくとも警職法第五条による制止も不可能ではなく、場合によつては殺人予備罪(刑法第二〇一条)の適用も可能である。また政府委員が説明するような事案であれば「決斗罪に関する件」(明治二二年法律第三四号)の適用も可能であり、国会審議でも屡々指摘されたように不解散罪(刑法第一〇七条)を適用する方法もあるのである(なお「刀」等については、軽犯罪法第一条第二号、爆発物、火薬等が用いられる場合には、それぞれ爆発物取締罰則、火薬類取締法がある)。
このように見てくるならば、既存の法令の下でも、少くとも「今や血の雨の降ろうとするその直前に至るまでも手をこまぬいて見ていなければならない」等の事態の招来は到底考えることができないといわなければならない。亀田得治議員等が鋭く指摘しているように、別府事件等を警察当局が拱手傍観した真の原因は、長年にわたる暴力団と警察との馴れ合いではなかつたか。
新たな法的根拠の必要、それは行政執行法等に代るものを求めての取締の便宜に出たものではなかつたのか。
 暴力団同志の出入等の殺傷事犯に有効な法的措置の必要が仮に認められるとしても、本罪は果してその目的達成に効果的なものといえるか否かが次に問われなければならない。
都立大教授戒能通孝参考人は、「……凶器の範囲というものがきわめて不明瞭であるという点におきましても問題が残つていくと思つております。凶器というものの中には、性質上の凶器と用法による凶器という二種があり得ると思います。ところが、性質上の凶器になりますと、これは隠したり、それから人に見えないようにしたりする道がずいぶんございます。たとえば拳銃あるいはあいくちというものになりますと、懐中あるいは胴巻というふうなものに隠してしまうことができるのでございます。従つて、そうした拳銃やあいくちなど持つた人物を集めましても、そんなことは知らぬと言つてしまえばおしまいになりはしないかと思います。……」
(33・4・8衆院法務委員会)等と述べ、また総評の法対部長神鳥日吉参考人も「……凶器の認定や、それから凶器を持つておるこういつた暴力団やぐれん隊が集まるにいたしましても、昔のように凶器をかついだり、あるいは竹やりや、それからなぎなたを持つてやつてきたりするような暴力団の集合というものが、現在あり得るのかどうか、私はこういうことはおそらく何年に一回か、あるいはあるかもしれませんけれども、そう
いうものは、今の世の中でありますから存在し得ない。持つているか持つていないかということについて……の認定は、先に立つておる警官が主観的にそれを判断をして措置することになれば、集合したそのものが、一つの犯罪の構成要件になつていることについては、今後の私ども組合運動について非常に危惧するものであります。……」(33・4・15参院法務委員会)等と供述している。
即ち、凶器準備集合罪は、その立法理由とする暴力団の暴力対策としては、それが凶器を持つて集合するような場合には、拳銃、あいくち等性質上の凶器を、それも秘匿するなど外部から見えないような形で行なうであろうから、取締の実効を期待しがたい、むしろプラカード等警察権力の独断と恣意によつて用法上の凶器と見なし得るような秘匿不能のものを利用する労働運動、大衆運動こそが暴力団に代つて取締の主たる対象とされる虞れが強いというのである。
凶器準備集合罪が、暴力団対策の法的措置として実効性を現実にも余り持ち得なかつたことは刑法改正作業の中でも報告されている。
「10 凶器準備集合(第二八一条)
本条は、現行刑法第二〇八条の二と同内容である。本条の審議に際しては、最近の暴力団のいわゆるでいりにおいては、本条の適用を免れるため凶器を秘匿して集合する傾向があり、暴力団同士の集団斗争を未然に防止するという立案の目的を達するのが困難になつてきている実情が紹介され……」
(亀山継夫「刑法改正作業レポート」傷害及び暴行の罪、決斗の罪、ジユリスト393号、105頁)
因に前述の決斗罪ニ関スル件についてはどうか。右引用のレポートは「……一方、現行の決斗罪ニ関スル件ノ諸規定が暴力団同士の果たし合い等の事案に多く適用され、暴力団対策として効果をあげているという実情もあるので……」(前掲105〜106頁)と指摘している。
 本罪の犯罪構成要件の定め方は、規制目的からして必要最少限度のものといえるか。
冒頭に指摘したように、本罪は「集合」を構成要件要素としている。多数人が集合する形態は、今日の社会では、或は労働争議等の労働運動、或はデモ等の政治的な集団行動の場において多く見られるところである。そして、これらにおける旗、プラカード等の携帯、所持は、右諸行動に不可欠な一体不可分の要素といつても過言ではない。旗・プラカードがもし用法上の凶器とされるならば、右集団行動等は、つねに凶器準備集合罪適用の恐怖にさらされることになるといわなければならない。前述のように暴力団等が秘匿しやすい拳銃、あいくち等の性質上の凶器を秘匿して集合する限り、秘匿しがたいこれらのものこそが取締の主目標たりやすいことも理の当然である。ところで、それらは、争議権、表現の自由として、それぞれ憲法によつて保障された基本的人権(自由)の範疇に属する。規制が、その目的からして必要最少限度のものとされなければならない所以である。本罪の犯罪構成要件は右必要最少限度のものといいうるであろうか。
本罪の立法事実は、前に述べたとおり、暴力団同士の出入り殴り込み等による殺傷事犯の未然の効果的な防止(検挙、処罰)にある。
そうだとすれば、第一に先づ主体が特定されるべきであり、そもそも名称も例えば「暴力団取締法」等と立法事実に相応しいものとし特別法の形にすべきではなかつたか。政府当局は、「……これも一つのお考えだと思います。ただ立法技術の上からいつてもなかなか暴力団を、これはただ一つの俗称であり、……立法の技術として作る上においても私は困難があるのではないかと思います。……」(岸内閣総理大臣33・4・16参院法務委員会)等と立法技術の困難の問題にすりかえ答弁にかえている。成程、「暴力団」という用語は、犯罪構成要件としては不明確な概念を内容とするものであり、立法事実に適した規定を法文化するには確かに技術的な困難もあろう。しかし、少くとも特別法の形にするならば、他の多くの立法例がそうであるように、立法の目的を第一条にかかげ、また用語の定義を掲げ、或は適用除外例を規定する等の方法によつて取締当局の恣意的判断、権限濫用を抑制する次善の方法を講じ得たはずである。何故、刑法の一部を改正するという形で本罪の新設が提案されたのか(後述)。
第二に、立法事実からすれば、「凶器」はいわゆる性質上の凶器に限定されるべきである。暴力団等がその出入り等に携帯するのは、刀剣、あいくち、拳銃等本来人の殺傷のためにある性質上の凶器だからである。例えば、軽犯罪法第一条第二項は、「正当な理由がなくて刃物、鉄棒その他人の生命を害し、又は人の身体に重大な害を加えるのに使用されるような器具を隠して携帯していた者」と具体的に規定している(参照、銃砲刀剣類所持等取締法、暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条ノ二)。何故にこのような規定の仕方を採らないのか。この点につき政府委員は次のように答える。例えば、軽犯罪法第一条第二項の文言を置きかえてみると「おそろしく重複してわけのわからないような規定になるように思う……刑法の規定といたしましては、簡潔に書くということで……」(竹内政府委員、33・4・16参院法務委員会)。即ち、他の刑法規定の用語の釣合上ということである。
では何故に刑法典の一部として規定する必要があるのか。
竹内政府委員は答える。
「この刑法の規定は、自然犯と申しますか、何人が犯す場合におきましても、反道徳的な、反倫理的な要素を持つておる罪を刑法の中に書き込むのが通常の立法政策でございます。
ここに掲げましたような暴力立法、たとえば集合罪の規定にいたしましても……、この種の問題はいずれも自然犯的な犯罪であるというふうな考え方をいたしておるのでございます。従いまして、これはいかなる人が犯しましようとも、このようなことは今の自然犯的な意味におきまして処罰に値するものであるという理解のいたし方をいたしておるのでございます。ただいま御疑問の点の、労働運動の場合は除外をする、特に職業的なゆすりその他をやつておる連中だけが犯罪の主体となる、つまり一種の身分犯的な考え方を入れる
べきではないかということでございますが、そうなりますると特別法で考えるか何かしなければならないのでございますが、今回の立法の構成要件をしさいに御検討いただきたいと思いますが、これらの行為は、身分犯をもつて律すべきものではなくして、自然犯として、何人も処罰に値するものというふうに理解される犯罪形態のものでございますので、そのような身分犯的な考えを入れて立法を考えたことはないのでございます」(33・4・1衆院法務委員会)。
何と本罪の提案理由から飛躍していることであろうか。別府事件等暴力団同士の殺傷事犯の取締りということが立法目的ではなかつたか。集合罪=自然犯とすることは恐るべき独断である。暴力団の取締が、立法の目的である限り、規制対象は「暴力団」でなければならない。規制が集団行動等基本的人権にかかわる場合には、その方法は必要最少限度のものでなければならないからである。規制対象を、右の等号関係を前提とし、規制対象を「暴力団」から「何人」へと一挙に拡大することは前述の法理からして到底許されないといわなければならない。
現実がまさにそうなのだが、権力が権限を濫用して本罪を労働運動、集団行動に適用した場合、これらの運動そのものに反道徳的、反倫理的との烙印を押すことを企図するものと非難されても弁解のしようがないであろう。
第三に、生命・身体のみならず「財産」までも保護法益として規定していることである。
一体、財産までを保護法益として規定する必要は、立法事実からしてどこにあるのか。政府当局の提案理由に引用された別府事件にしろ、小松島事件にしろ暴力団同士の殺傷事犯ではないか。
また暴力行為等処罰に関する法律はその第一条で「兇器」を示して「第二百六十一条ノ罪」を犯した者を処罰することとしている。本罪で可罰の対象となるのは、例えば「つるはしを以て建造物を損壊する場合」などであろうか。このようなケースを処罰するための規定をわざわざ刑法典におく必要性にいたつてはますます疑問といわなければなるまい。
さらに「財産」という用語の概念自体が極めてあいまい、不明確なものであるが(後述)、例えば争議権の行使である労働争議は、そもそも使用者に財産上の損害を与える行為であるが故に、本罪のような形で「財産」を保護法益として規定することは、労働基本権に対する侵害を容易にする虞れを意味するものであり、立法事実からしてその規制の方法が広きに過ぎるというべきである。そして、またこのことは、財産に対する加害行為という点から「凶器」の概念を自ら広くする傾向を生むものであることが正しく指摘されなければな
らない。
以上の諸点からして、本罪は処罰の実質的根拠に著るしく乏しく、少くともその規制が広きに過ぎ憲法第三一条に違反して無効と断ぜられるべきである。仮に、刑法第二〇八条の二の規定それ自体が違憲とされないとしても本件のような正に集団的表現の自由にかかわる事例について本罪を適用することは、右立法事実からして違憲(いわゆる適用上の違憲)といわなければならない。
 本罪の「凶器」等の文言は極めてあいまい不明確な概念を内容とするものであつて、その点でも憲法第三一条等に違反して無効とされなければならない。
1 法理(基本的視点)
憲法三一条の趣旨とする罪刑法定主義は、犯罪構成要件の一義的明確性を要求する。それは二つの側面を有する。
第一は、刑罰法規の裁判規範としての側面である。法を適用する裁判官の恣意的主観的判断が介入する余地をなくし、その法規が適用される個々の事件によつて被告人に不公平な結果をもたらすことのないよう、犯罪構成要件が判断基準として法規の中に一義的明確に具体化されなければならない。
第二は刑罰法規の行為規範としての側面である。それは裁判規範としての機能の他にすべての人に対する行為規範を含んでおり、人が将来の行為を決するに当つての指標たる機能を有する。従つて、犯罪構成要件は通常人がその法規の意味と適用可能性を理解し、何が許され何が許されないのかの明確な基準が法規自体から分るようなものでなければならない。通常人の右判断が区々に異なり、その適用可能性と意味を一義的に認識することができないような規定は、行為規範としては余りに漠然としていて合憲たり得ないというべきである。
このことは、取締当局の取締り、即ち逮捕、制止、起訴等公権力の̶̶司法裁判にいたる間の̶̶行使の基準の問題につらなる。憲法第二一条、第三八条等で保障される自由(権利)に属する「集合」自体を構成要件要素とする本件にあつては、刑罰法規の行為規範性の反面ともいうべきこの点は、とりわけ重要である。労働争議中の集合や、政治的な集団示威運動等が、本罪に該当するとして、参加者が検挙され、起訴され或は警職法第五条によつて制止され、争議行為ないし集団行動それ自体が圧殺された場合、仮に起訴者が司法裁判所で無罪判決を受けても、その蒙つた損害の回復ないし救済は殆んど不可能というべきだからである。
犯罪構成要件は、公権力行使の基準としても当該法規上に一義的明確に具体化されたものでなければならない。
2 本罪の犯罪構成要件は「凶器」をはじめ極めてあいまい不明確で多義的な概念を内容とするものである。
 その中心的なものは、いうまでもなく「凶器」である。立法の国会審議においても、ここに論点の一つが集中された。「凶器」は通常、性質上の凶器と用法上の凶器とに分けて論ぜられているが、問題は用法上の凶器である。用法上の凶器とは、本来の性質上は凶器ではないが用法によつては凶器としての効用をもつものをいうとされる(例えば、注釈刑法、106頁)。この用法上の凶器が全て「凶器」に含まれるとするならば、それは前述のとおり、立法事実からしてその規制は広きに過ぎるといわねばならないが、そもそも用法上の凶器という概念は、抽象的、多義的できわめてあいまい不明確なものというほかはない。
志賀義男議員は「共産党員が持てばマツチ一本でも凶器となる」との木村篤太郎元法務総裁の言をひいて「凶器」という文言のもつ危険性を指摘しているが、これに類したことは挙げれば本当にきりがないであろう。タオル、ハンカチですら用法の如何によつては人をたやすく殺すことも可能である。かがみ餅が殺人の手段として用いられることすら考えられよう(松本清張「凶器」黒い画集所収)。野球のバツトで人を殺した実例もある。石や棒も杖も然りである。集団示威に不可欠なプラカードも使用方法の如何によつて人を傷つけるに充分である。殺人はともかく傷害ということになれば、それこそ用法の如何によつては、ありとあらゆる物体の全てが「凶器」となりうることになるといつても決して過言ではあるまい。
 凶器については、旧刑法時代の判例が参照されるべきものとして国会審議の中でも挙げられている。
例えば、旧刑法第三七〇(持凶器窃盗)に関する大判明39・4・12(刑録12・443)、旧衆議院議員選挙法第九三条第一項「人ヲ殺傷スルニ足ルヘキ物件」に関する大判大14・5・26(刑集4・325)等である。後者は「其前段ニ例示シタル銃砲槍戟竹槍棍棒ト同視スヘキ程度ニ在ル用法上ノ兇器ニシテ社会ノ通念ニ照ラシ人ノ視聴上直チニ危険ノ感ヲ抱カシムルニ足ルモノタルコトヲ要ス」
というものであり、「この見解は、刑法上の凶器について多くの共鳴を得ている」とされるが(前掲106〜107頁)、このような規定をもつてしても、裁判規範としての側面においてすら一義的に解釈される保障はない。行為規範の側面における一義的な明確の欠如は勿論である。
 本件との関係で、用法上の凶器に関するプラカードに焦点をあてて見よう。
先づ東大教授団藤重光参考人は、「……で、凶器というのが、一体どの範囲のものをさすのか、これによつていろいろ問題が出てくると思うのでありますが、同じ一本の棒でありましても、その使い方によつては凶器になる、使い方によつては凶器とは考えられないということもあるので、この凶器というものを純粋に客観的に限界づけるということは、私の考えではかなり困難があるように思うのであります。ある程度その行為者の主観的なものを考えませんというと、凶器の限界がはつきり出てこないのじやないか、……同じ一つの物体でありましても、それをどういうふうに使う意図を持つているかということによつて、凶器になるという関係があると思うのであります。」(33・4・15参院法務委員会)
 と述べ、かかる同教授の見解は現在も維持されている(「凶器には性質上のものと用法上のものとがあるが、後者については具体的な事案において客観的および主観的要素をもとにしてあたるかどうかを判断する以外にない」団藤・刑法各論、法律学全集239頁)。
そして、検察官が論告で指摘する通り、東京地裁刑事第一六部40・11・26判決は、角材(棒)を「凶器」とし、その他木刀、竹刀や、鍬の柄までを「凶器」とする下級審の判例があることも事実である。
しかし、国会審議の段階では、プラカード等を本罪の「凶器」とすることについては政府当局をはじめおおむね否定的であつた。
竹内刑事局長(政府委員)は、「そういうもの(注、通常の形における竹ざお、旗ざお)やプラカードの棒であるとか、そういうふうなものは凶器になろうはずがない。一見、社会通念上、危険の感を抱せるものではございませんので、そういうものは凶器に当らない、かように解釈をいたしております」(33・4・21参院法務委員会)と断言している。
また小野清一郎参考人は、従来の判例にふれ「……たとえば、一つの判例にはなたを持つて入つた場合、一つの判例は出刃ぼうちようとそれをとぐやすりとを持つて入つたという例、これはいずれも凶器であるとされております。ここまでは、性質上の凶器ではなくても、用法による凶器と言えることは、これらの判例の傾向を見ても明らかでありますが、こん棒とかプラカード、こういうものは私はこの凶器には入らないと思います。もつとも、特にたとえば日本刀の格好をしたこん棒というものもあるのでありますから、それはまた別でありますけれども、普通の野球のバツトとかプラカードのたぐいは、これは用法上の凶器でもない、凶器であると解釈されるおそれはまずないと思つております」(33・4・8衆院法務委員会)
 とその見解を述べている。植松正、戒能通孝、島田武夫、森長英三郎、神鳥日吉等の参考人も、それぞれの立場から、ニユアンスの相異はあるが、用法上の凶器を「凶器」とすることに疑問を呈し、旗竿、プラカード、ステツキ等につき権力の濫用をおそれているのである。
 これらの事実は、本罪の「凶器」の解釈にあたつて極めて重要な資料といわなければならない。しかし、本論で重要なことは、このような政府当局や学識者の立法当時の見解にもかかわらず、裁判規範の側面でもこれらに反する下級審判例が現われ、われわれが最も重視する警察・検察の公権力の判断基準としての側面では、これらと真向から反する見解・運用が公然と行なわれ集団示威運動等の自由を不当に侵害しているという事実である。
エンタープライズ阻止斗争に際しては、例えば、北折篤信原空寄港警備本部長は、警備本部を設置した直後の記者会見でも「プラカードは凶器とみなす」と言明し(東京新聞43-18)、政府当局もくりかえし同趣旨の見解を発表していることは公知の事実である。そして、現実の運用は、問題の所在として述べた通りである。「凶器であると解釈されるおそれはまずない」との小野清一郎法務省特別顧問の期待は、現実には無残にも打ち砕かれているのである。この原因は何か。いうまでもなく、「凶器」という文言の多義的な不明確性に決定的に基づくものといわなければならない。「財産」等についても全く同様である。
それは、前述の法理からして憲法第三一条の問題であるが、同時に表現の自由、争議権を侵害する虞れをもつものというべきであるから憲法第二一条、第三一条の問題でもある。こうして、刑法第二〇八条の二の規定は、憲法の右諸規定に違反して違憲無効とされなければならない。
第二点 原判決には、判決に影響を及ぼすべき法令の違反があり、破棄しなければ著るしく正義に反する。
一、原判決は「被告人七名は、いずれも角棒を所持するに至つた時点において、それぞれ兇器を準備して集合したと認めざるを得ない」(原判決七丁裏)
 と認定しているが、その反面、各被告人がいつ角棒を所持するに至つたかという点になると必ずしも明確でない。
「被告人七名を含め、本件現場に参集した都学連派学生の中にはプラカードを携行するものはあつたが、各自角棒を予め準備携行したものとは認められない」(原判決六丁裏)
「被告人らが本件現場に参集する以前、各自角棒を携行した事実は確認できない」(原判決六丁裏)などと認定し、各個人については、A・B・Cについては乱斗直前に所持するに至つたと判断しているが、D・E・F・Gの四名については、乱斗の際所持していたことのみ認定し、いつどこで所持するに至つたかは詳かでない旨原判決自体が認めているところである(原判決七丁裏)。しかるに、前記の如き、証拠上認定できないところの「所持するに至つた時点」において刑法208-2の成立を認めることは、法令の適用のずさんとしか云いようのない重大な誤りである。
すなわち、右判決に従うと、D・E・F・Gについては、角棒の所持は乱斗の際持つていたこと以外認定のしようがないのであるから、乱斗の際所持するに至つたとしても、兇器準備集合罪の成立を認めることになるのである。実行行為段階で兇器を所持していたとして、そのことから直ちに兇器準備集合罪の成立を認めるには、結局、実行行為の着手と準備行為の着手が同時に行われ得るという解釈、又は加害行為時まで兇器準備集合罪が継続しているという解釈を事実認定が行われてはじめて成り立つ論理である。
ところで、この論理が、原判決では加害行為と準備行為は別個独立の犯罪であり、両者は併合罪の関係になるという最高裁決定(昭三八・一〇・三一)の解釈から正当づけているのである。
しかし、右の原判決が引用した最高裁決定および継続犯の論理が直ちに本件に適用できない例であること̶̶すなわち、構成要件的情況の消滅の理論は単に解釈の問題ではなく事実認定の問題でもある。原判決は、前記の如く認定した事実に誤つた判例および解釈を適用して結論を導き出しているといわざるを得ないことである。
さらに、原判決で奇妙な点は、継続犯であるから、加害行為があつても兇器準備集合罪は存続かつ継続しているという論理と、加害行為段階まで準備罪は継続していると解しながら、七名の各被告について、いつから継続しているかについての認定をしていないことである。原判決は「……乱斗が行われた際、各自角棒を携行して右都学連派学生の集団に参加した事実は明らかである」
 と認定し、前記のとおり被告人七名の各自が所持するに至つた時点を明らかにしないまま、少くとも、「所持するに至つた時点」で兇器準備集合罪は成立したとするのである。
さらに原判決が引用する最高裁決定は「兇器準備集合罪が成立した場合でも、それが発展して、その目的とした加害行為が実行の段階に至つた時は本罪と加害行為の罪とは併合罪となる」として兇器準備集合罪の成立を疑いのない前提とした上での解釈であるが、本件は右の兇器準備集合罪の成立の有無そのものを争つている事案である。
そうだとすると、原判決の判例の引用は適切でなく、結局「実行行為と準備行為が同時に存在(すでにあるものが存続する)することがあり得る」との右最高裁決定の趣旨をさらに拡張して「実行行為と準備行為が同時に発生する」との解釈が可能にならない限り本件への適用は困難であると思われる。
さらに、一審判決の「構成要件的情況の消滅」の理論̶̶実行行為に至つた時はその準備行為たる兇器準備行為は終了している̶̶について、本件が継続犯であることを理由にして排斥しているが、刑法208-2が継続犯であるということと、継続状態の発展的消滅ということは明らかに異なる概念であるのに、原判決は、ただ継続犯であることと右最高裁の決定とを結びつけて一審判決の判断を排斥していることはまさしく不当なこじつけであり、法令の解釈・適用を誤つたものと云わざるを得ない。
二、右の解釈について、北海道大学教授木暮得雄氏の論文が次のように指摘する。
「本件のふくむ第一の問題点は、すでに指摘したごとく、激突の時点における構成要件的状況の消滅という論理である。判旨によれば、乱斗場面はまさに目的とされた加害行為の実行そのものであつて、加害目的をもつて集合した状態ではない。たとえ集合体として兇器準備集合罪の成立をみたばあいでも、すすんで乱斗状態にいたつたときは、もはや同罪の前提する構成要件的情況は失われたことになる。したがつて角棒を携えて乱斗に加わつた事実は、ただちに同罪の成立と結びつかない、と。たしかに、乱斗状態における角棒の準備ないし加害目的の存在を結論しえないことは、判旨の説くとおりであろう。その間の結びつきは通常高度の蓋然性があるとしても、証拠調をつくした末、事実審として確信の形成にいたらなかつた以上、その判断を尊重するほかない」(ジユリストNo.433・一二八ページ)
右論旨は、第一審の判旨を支援するようで結局「本件のように隣りあう集合が一触即発の危険をはらみながら長時間にわたつて継続し、その間、緊張が昂ずればおのずと激突におよび、といつた状況のもとにおいては、個々の乱闘場面を包摂しつつ、むしろ全体として、加害目的をともなう兇器準備集合の継続とみとむる余地が十分に存するであろう」として、結局原判決に近い結論にみちびかれるのであるが、右論旨は判断の前提となる事実について証拠にもとづかない想定がある。もちろん、右論文の如き事実があつたとすれば、まさに兇器準備集合状態の継続であつて、その間に行われる個々の実行行為は、兇器準備集合とは別個の独立の犯罪と評価され、両者は併合罪の関係に立つことになることは、適切な法解釈であろうと思われる。原判決のとおり、前記最高裁決定と継続犯であることが結びつき兇器準備集合罪の成立が認められることになろう。
三、しかし、右解釈を本件にただちに適用することがあやまりであることは、次の理由により明らかである。
すなわち、本件が午後三時五二分乱闘に至り、全連派の大部分は公園外に追い出された。都学連派はもとの集合場所に引き揚げ全学連も追い追いその一部が集り反撃の構えを見せた。ここで待機中の機動隊が同派間に割つて入り午後三時五五分頃検挙活動をした。(原判決四丁表)
右事実は、原判決が認定したとおりのものであるが、右の事実をみると、前記木暮論文の想定した前提事実と異ることはもちろん、前記最高裁決定が兇器準備集合罪と加害行為が別個独立に成立し、両者併合罪の関係になるとした事例とは明らかに異なるものである。すなわち、集合罪と加害行為が併存する情況は、ごく常識的な想定としては考えうるのであるが、少なくとも本件では、第一回の全体的乱闘状況において準備的情況̶̶凶器準備集合罪の構成要件的情況̶̶は消滅したと解釈することが正しい事実判断である。
さらに、第一回の衝突の直後、待機中の機動隊が介入していることも考え併わせると、介入後しかも機動隊を面前においての多少の混乱は、兇器̶実行行為という刑事的評価をする程度のものではなく、集会内の小ぜり合いと考える方が適切である。従つて、原判決の引用した最高裁決定(昭三八・一〇・三一)および、継続犯であるとの解釈が正しいものとの前提に立つても、その解釈を本件が適用することは、明らかに前提事実を誤認し、その結果法律の解釈・適用を誤つたものというべきである。
四、次に共同加害目的の有無について原判決は、「両派学生間の一触即発の緊迫した客観的状況があつたこと」「両派学生が集団として乱闘を行つたこと」「被告人七名はいづれも角棒を所持して右乱闘中の都学連派学生の集団が加わり、共同して全学連派の学生を角棒で殴打し……兇器の用法に従つてこれを使用して攻撃的行動をした」(原判決八丁裏)
 の三点の客観的状況および被告人らの行動を総合して角棒を所持するに至つた時点において同加害意思を認定しているが、共同加害目的の成立には、原判決も引用しているとおり(原判決九丁裏〜一〇丁表)角棒を所持するに至つた時点における共同加害目的ではなく、乱闘状態に入る前の段階において共同加害目的が必要である。原判決によると、角棒を所持するに至つた時点は不明確で結局乱闘時と同時点となることにより、兇器準備集合罪と加害行為とを混同することになる。
さらに、共同加害の目的につき、「共同加害の目的という以上、加害行為が他人と共同して達成しようと意欲する対象でなければならない」(原判決九丁表)
 との第一審判決の判旨は、適切な解釈である。そして、本件では右の加害目的が準備段階で確認できないことは原判決も直認するところである。さらに、実行行為の段階に至つても、はたして共謀以上の共同加害意思が、原判決の認定した前記の情況から推認しうるか否か疑問である。
五、以上のとおり、原判決は兇器準備集合罪の規定の解釈を誤り、前提事実を誤り、その結果法令の適用を誤つたもので、その誤りは判決に影響を及ぼすことは明らかであり破棄しなければ著るしく正義に反するものである。

お気軽にお問合せください

お電話でのお問合せ

03-5809-0084

<受付時間>
9時~20時まで

ごあいさつ

VISAemon
申請取次行政書士 丹羽秀男
Hideo NIwa

国際結婚の専門サイト

VISAemon Blogです!

『ビザ衛門』
国際行政書士事務所

住所

〒150-0031 
東京都渋谷区道玄坂2-18-11
サンモール道玄坂215

受付時間

9時~20時まで

ご依頼・ご相談対応エリア

東京都 足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・大田区・葛飾区・北区・江東区・品川区・渋谷区・新宿区・杉並区・墨田区・世田谷区・台東区・中央区・千代田区・千代田区・豊島区・中野区・練馬区・文京区・港区・目黒区 昭島市・あきる野市・稲木市・青梅市・清瀬市・国立市・小金井市・国分寺市・小平市・狛江市・立川市・多摩市・調布市・西東京市・八王子市・東久留米市・東村山市・東大和市・日野市・府中市・福生市・町田市・三鷹市・武蔵野市 千葉県 神奈川県 埼玉県 茨城県 栃木県 群馬県 その他、全国出張ご相談に応じます