公務執行妨害被告事件
昭和46年(う)第3326号
控訴人:被告人A
東京高等裁判所刑事第2部
昭和47年4月15日

判決
主 文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理 由
(控訴の趣意)
本件控訴の趣意は、弁護人吉川孝三郎、同伊藤まゆがそれぞれ提出した控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検事金吉聡提出の答弁書記載のとおりであるから、いずれもこれを引用する。
(当裁判所の判断)
弁護人吉川孝三郎の控訴趣意(事実誤認の主張)について。
所論は、原判決は、「被告人が、B警備官の職務を妨害するため、同人の後方からこれに飛びかかり、同人の首に被告人の右腕を巻きつけたり、同警備官の胸部を殴打するなどの暴行を加えた」との事実を認定しているが、被告人は、B警備官に対し、右のような暴行はまったく行なっていないのであるから、原判決には事実を誤認した違法がある、と主張する。
しかしながら、《証拠略》によると、原判示のとおり旅券に上陸許可の証印を受けないで東京丸から晴海埠頭に上陸した米国人Aは、右東京丸出航後、入国警備官らから、収容のため、東京入国管理事務所へ同行を求められたが、これに応ぜず、被告人をふくむ約三〇名くらいの支援者集団に取りかこまれたまま、晴海埠頭の船客待合所を通ってその前の広場にあるバスターミナルの方へ移動して行ったので、そのままの状態を放置するにおいては同人に逃亡の虞れがあると信じた入国警備官Cの発した要急収容の命令により、数名の入国警備官らが右集団の前面に立ちふさがってその移動を阻止し、Aの収容に着手すべく同集団員ともみ合っているうち、入国警備官Bが右集団に割って入り、その中にいたAを収捕しようとしたことが明らかである。
ところで、その際の状況につき、私服警察官である原審証人Dは、「私は、集団のすぐうしろについていました。B警備官は、顔だけは前から知っているんですが、バスターミナルのところでさかんにほかの入管職員といっしょにAの収捕行為、実力行使をやっていました。要するに、逮捕しようと手をのばして捕えようという格好です。そのとき、集団の中にいた被告人は、B警備官の首のところにうしろの方から飛びついていました。うしろから来て右腕で首を巻くような格好で、かなり力がはいっていたと思います。B警備官は、ちょっとうしろにそったようでした。それから被告人の右腕はすぐ払いのけられていました。その右腕でまたB警備官の胸のところを水平にこういう状態で殴っていました。」と、ほぼ原判示にそう趣旨の供述をしている。次に、原審証人Bは、その状況につき、「集団は、船客待合室の中を通りましておもてに出て、おもての方で大部もみ合いました。私が学生風の人たちに割って入りましてAの左腕に私の右腕を巻きつけておりました。その付近で何か私のうしろの方からやられました。首の所に腕を巻かれました。そして引っぱられまして、それで離したんではないかと思うんですが、右手首をかまれたり、足払いをされたり、うしろからこづかれたりしました。首に手を巻かれたのは、私はAの方を向いておりまして、うしろからだったので、その時は誰だかわか
らなかったんです、私がAの腕を抱えていた時に、被告人が私の前に立たれまして「もうやめろよ。」というようなことで、左肩だったと思いますが肩に手をやってきたのを覚えております。私はAの腕を抱えていました。それで「やめろよ。」というようなことを言ったと思います。その後だったと思うんですがやられたのは。そのやったのは誰だかちょっとわかりません。」と供述して同人がAの左腕に自分の右腕を巻きつけて収捕しようとしたとき、後方から首に手を巻かれて引っぱられたために、Aの腕を離すのやむなきにいたった状況を具体的に述べている。このように、同証人は、うしろから首に手を巻いたのが誰であるかはわからないが、その直前に同人の前に立ち、「もうやめろよ。」といって肩に手をかけた者が被告人であることははっきり述べている(被告人は、当日、白ワイシャツの腕をじゃくかんまくり、眼鏡をかけていて、たえず集団の先頭に立って抗議めいた言動をしていた、ということから、Bは、その顔をよくおぼえていたのである。)から、同証人の証言によっても、すくなくとも本件事犯の行なわれた直前ころの時点において、被告人が同証人の身辺まじかにいたばかりでなく、そのAを収捕しようとする行為に対して、抗議的な言動に出ていたことはまちがいないものといわなければならない。また、制服警察官である原審証人Eは、「私は、集団の後尾について船客待合室を抜けて広場に出て、集団は、入管職員とまたそこでなんか口論し合いながら、円陣みたいな格好になっておりました。私は、その横のグリーンベルトの上で見ていました。入管の職員達五〜六名は、その二〜三〇人の中にいっせいになんか強制収容するために割りこんでいった様子でした。その時、被害者である入管職員がその三〇名くらいの中に割りこんでいくときに、被告人がその職員に右手をまわして胸ぐらをつかんでこづいているような様子でした。右手を首のうしろからまわして胸ぐら。
うしろ向きになったような状態でした。入管職員のうしろから右手を首のあたりにまわし、右手で胸ぐらをつかんで倒すような格好でした。その職員は一生懸命振りほどこうとしておりました。振りほどけました。もうそのときには公妨の対象になるので、いっせいに私たち警察官がまわりに行ったからだと思います。その被告人に暴行を受けた入管職員はBさんです。私は、被告人が二〜三〇人の中へまた飛びこもうとしたのでうしろからベルトをつかんで引っぱり出すようにしました。そして、私とF巡査部長とで被告人を逮捕しました。」と述べ、同人は被告人がBのうしろからその首に右手をまわし、胸ぐらをつかんだり、こづいたりするのを現認した旨を明言しているのである。そして、これらの証人のほかにも、なお、原審証人Gは、B警備官その他が首をしめられるような状況を目撃したと述べているし、また、当審証人Cは、Bがうしろからはがいじめされるのを現認した旨を供述しているのである。したがって、以上の各供述をふくむ原判決挙示の関係証拠を総合すると、B警備官に対して原判示のような暴行を加えた者がほかならぬ被告人本人であることをじゅうぶん肯認することができる。
なるほど、前記各証言によると、被告人は、当日その集団の中では最も積極的な言動に出ており、はためにつきやすい状況であったことが窺われるが、それだからといって、右証人らが、他人の所為を被告人の所為であると思いちがいしたり、あるいは故意に被告人を陥し入れるために虚偽の供述をしたものとは思われない。(ちなみに、この点は、たとえば、前記B証人が、前方から「もうやめろよ。」と言って肩に手をかけたのはまちがいなく被告人であるが、その直後うしろから首に手を巻いた者は、その顔を見ていないから、誰であるかわからない、とはっきりけじめをつけて述べているところによっても、十分信をおきうるものと考えられる。)また、当審証人Hの証言によると、被告人は、集団から離れてその前方を一人で歩いていた、というのであるが、同証言によっても、集団が入管職員によって阻止されてからは、被告人も集団中に押しつけられて、集団全体が混乱状態に陥いったことが窺えるし、同証人も、「その後のことはわかりません。」と言っているのであるから、その混乱中に被告人がB警備官の身辺に近づくという可能性もありうるわけである。なお、前記E証言中には、被告人とB警備官とが向き合っていて、被告人がBの首に右手をまわしたように述べている部分もあるけれども、もしそうだとすると、Bは、被告人から首に手を巻かれたことを当然確認できたはずであるのに、同人自身がそのようには供述していないところからみると、Eの右証言部分は記憶ちがいと思
われる。けだし、原審証人Gも述べているとおり、Aを支援する集団と、同人を収捕しようとする入管職員とがもみ合いながらバスターミナルの方へ移動していたのであるから、同じ関係位置に固定していたわけではなく、各人入り乱れて時点、時点によって各自関係位置が変化していたことが当然推察できるのであり、したがって、その目撃地点や方向のいかんによって、現認した状況とされるものの間に相違の生ずることは免かれ難いところであるばかりでなく、混乱にとりまぎれてその関係位置等を見誤るということもありうるものと思われるから、各証人の証言相互間におけるじゃくかんのくいちがいや、また、関係証人の細部にわたる記憶の不鮮明な点をとらえて、その証言の立証趣旨の根幹そのものについての信用性を否定しようとする所論には、にわかに賛同することができない。所論にかんがみあらためて一件記録を精査検討しても、原判決には所論のいうような事実誤認のかどは認められず、また、この点は、当審における事実取調べの結果によっても変わるところはないから、論旨は理由がない。
弁護人伊藤まゆの控訴趣意(法令違背の主張)について。
一、所論は、原判決は、入国警備官Bの行なった公務執行の違法性の判断につき、その基礎となる法律の解釈に誤りがあり、その結果、同人の違法な職務執行に対し公務執行妨害罪の成立を認めた違法がある、と主張し、その理由として出入国管理令(以下たんに令という。)四三条二項は「前項の収容を行ったときは、入国警備官は、すみやかにその理由を主任審査官に報告して収容令書の発付を請求しなければならない。」と規定し、収容令書は入国警備官の所属官署の主任審査官、いわば身内の者によって発付されることとなっていること。主任審査官が収容令書を発付する要件として、同令三九条一項は「容疑者が第二四条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、」と規定するのみで、収容の必要性についてはこれを要求していないこと、被拘束者に対し自己の権利防禦のために弁護人の依頼権が認められていないこと、を指摘し、同令の退去強制手続は憲法三一条、三四条に違反し無効であるから、同令に基づくB警備官の職務執行は適法要件を欠き、これに対し公務執行妨害罪は成立しない、と主張する。
そこで、以下右各所論について検討を加える。
 所論の指摘する令四三条二項の収容令書を発付するものが、要急収容をした入国警備官と同じ官署所属の主任審査官であることは所論のいうとおりである。そして、刑事手続に関しては憲法三三条が、「何人も現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となっている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。」と規定し、そのいわゆる「司法官憲が裁判官を指称するものであることはいうまでもない。しかし、前記令三九条、四三条による要急収容は、あくまでも一つの行政処分に過ぎないのであるから、刑事手続におけるほど厳格な憲法上の制約に服せしめることを必要とするものではないことにかんがみると、収容令書の発付者が要急収容を行った者と同一官署に属したとしても、それぞれ別個の職務権限を担当する者であるかぎり、憲法三三条はもちろん、同法三一条にも違反するものとはいえない(もとより、被収容者が、その収容処分の取消しを求める訴を司法裁判所に起こしうることはいうまでも
ない。)。
 不法上陸者の収容についての同令の規定に収容の必要性のことが明記されていないことは所論のとおりであるが、収容の必要性は別段これを明文上規定していなくても、立法の趣旨に照らし、当然収容の必要性の存在を前提とするものと解すべきであって、あえて明文がないから違憲であるとするのは当たらない。そして、このことは、逮捕につき、その必要性が要件であることを、消極的な形ではあるが、あらためて条文上明らかにした逮捕状に関する刑事訴訟法一九九条の改正に関する経緯に照らしても、十分それを肯認することができる。
 弁護人の依頼権に関し、憲法三四条は刑事手続において逮捕に続く抑留又は拘禁につき、弁護人に依頼する権利を与えられなければならないことを規定するものであって、これは行政処分である収容についても弁護人に依頼する権利を与える趣旨のものとまでは解せられない。したがって、同令の収容手続につき弁護人の依頼権が認められないからといって、憲法三四条ないし同三一条に違反するものとはいえない。
おもうに、外国人の入国、および在留の許否は、原判決も説示するとおり、現在における国際慣習法上、当該国家の主権に基づき、その自由裁量によって禁止、または制限することができるものと解するのを相当とするから(昭和三二年六月一九日最高裁判所大法廷判決参照。なお所論が指摘する人権に関する世界宣言一三条も、外国人の入国の自由までも認める趣旨ではない。)現行の出入国管理令が外国人の入国資格、在留期間、ないしその入国手続等につき、一定の制限を設けたことそれ自体は、別段憲法の禁ずるところとは思われない。(しかし、もとより、その個々の規定については、時運の進展に応じて、絶えずその当否を検討し、一党一派の利害にとらわれることなく、ひろくわが国の国家的利益を伸長するために必要と認められる改正を怠ってはならないことは、いうまでもない。)したがって、同令に違反して本邦に不法入国したものに対し、日本国民、あるいは正当に入国した外国人とすべて同一の人権が保障されるものとはかぎらない。たとえば、憲法二二条の居住、移転の自由が不法入国者に与えられないことは当然これを認めなければならない。しかし、憲法三一条は、元来、何人も法律の定める手続によらなければ、生命、もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられないことを保障する規定であるから、その点からみると、不法入国者といえども、もとよりその権利を享有するものといわなければならない。
しかし、令による収容は、前記のとおり、刑罰ではなく、行政処分に過ぎないものであるから、不法入国者が同令によってその自由を奪われることがあったとしても、そのこと自体がただちに憲法三一条に違反するとはいえない。したがって、原判決が、不法入国者に対しては、一律に、憲法三一条所定の基本的人権に関する保障がない、としている点には賛同することができないが、不法入国者に対する収容手続を規定した令の諸条項は、その規定内容の点からみても、格別、憲法三一条の精神にもとるほどの違法なものとはいえない、とする原判決の結論は、相当である。
二、所論は、入管当局がAに対し一年の在留許可の証印を与えなかったことは、裁量権の濫用であって違法な行政処分であるから、それに基づくB警備官の職務執行は違法であり、これに対し公務執行妨害罪は成立しない、とし、同罪の成立を認めた原判決には法令の解釈適用の誤りがある、と主張する。
しかし、旅券に日本の在外領事官等が一定の期間を定め査証を与えたとしても、入国審査官、あるいは特別審理者は、独自の判断から在留期間を決定することができるものであるから、(令九条三項一〇条六項)(この場合、査証は、あくまでも一種の推薦《レコメンデーション》ないし参考、としての意味をもつに止まる。)たとえ、Aの数次旅券に一年の査証があったとしても、調査の結果、後記するような事情で一年の存留期間を認めず、一応、一八〇日に限って同人の在留を許可しようとしたことをもって、ただちに裁量権を濫用した違法の処分ということはできない。所論は、入管当局は、被告人が米国の遂行しているベトナム戦争に反対である旨の意思表示をしたことを理由に政治的意図からAの入国を拒否しようとしたものである、という。しかし、本件記録によっては、いまだ当局側がそのような意図をもって、Aに対して無理難題をもちかけ、これによって、故意にその上陸を拒否しようとしたとまでは、これを推量することができない。《証拠略》を総合すると、Aは、かつて、J学院における英語教育を目的として入国していた間に、その入国目的に反し、米国人Iらとヨットにより中国本土に入国を企てたが、入国を拒否されて本邦へ再入国をはかったことで、当時新聞等に報道されて問題を起したことがあったため、昭和四四年六月ころから入管当局によっていわゆる査証要経伺と指定されていた結果、今次の入国の際にはその入国資格、したがって、また、その在留期間等について慎重な審理をすることとなり、東京入国管理事務所当局では、同事務所東京港出張所所長特別審理官Gが同人の口頭審理を行ない、雇用契約を結んでいるというJ学院ほか二か所の関係者を証人として喚問した結果、いずれもその雇用期間が六か月以内(J学院ほか一か所は六か月、他の一か所は一か月未満。)であることを確かめた(この審理には、もちろん、Aも立ち会っていたが、別段代理人を出頭させたいという申出はなかった、とのことである。)。もっとも、それらの契約書のうちには、雇傭期間が終了した場合に当事者、双方に異議がなければ、自動的に期間が延長されるという条項があるものもあったので、結局前記G所長は、これらの点を勘案のうえ、令一四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号、二項三号によりAに対し、一応一八〇日の存留許可を与えることとし、将来のことは後日更新の申請があった際にあらためて考慮する旨の腹づもりでいたところ(なお、行政事件におけるAの本人調書とう
本には、当時、同人は、K大学とも雇傭契約を結んでいた旨の記載があるけれども、他にこれを窺うに足りる証跡がないばかりでなく、前記G所長も「AがK大講師の資格をもっていることは全然知らなかった。」と述べている。)、Aはかつて在留期間の更新を受けた経験もあり、更新の許される場合のあることはもとより十分承知しており、また現に、今回の接渉の際にもしきりにそのことをいわれたにもかかわらず、あくまでも査証記載の一年の期間を固執してG所長の申出に応じなかったため、ついに話合いが決裂して、上陸許可の証印が得られなかった経緯を認めることができる。所論は、当初、入管当局は、Aに対して、三か月の在留許可を与えるといい、Aが強く一年を主張すると、こんどは六か月と言い出した、といい、Aの前記本人調書とう本にはこれにそう趣旨の記載があるが、これを前記GおよびL両証人の供述と対比して検討してみると、にわかに納得し難いふしがある。三か月の許可などというのならば、九月五日にわざわざ証人を三人も呼んで尋問する必要もない筈である、と思われるし、とくに、L証人の言うところによると、九月五日における説得の経過において、G所長が、証人尋問後、Aに対して一八〇日在留許可の件を切り出したところ、Aが強く一年を主張して譲らないので、G所長は、以前Aが長崎で九〇日間の上陸許可を受けたことがあったのを話題にとりあげたところが、それについて、Aは、「いや、あれは、九〇日を受けたのかはっきりしないんで、ミステークであった。」と答えて、笑話になったことが認められるから、あるいは、Aは、この件をなにか誤解か思いちがいしているのではないかと思われるのである。したがって、叙上認定の経緯をあれこれ勘案すると、本件記録についてみるかぎりにおいては、入管当局が、Aに対し、同人が希望する一年の在留許可を与えることをあくまでも拒否し、一八〇日の在留許可を認めようとするに止まった、というその措置が、たとえ将来における更新のことを考慮に入れたうえでのことであるにしても、はたして最善のものであったかどうかということについては、おのずから意見の分れる余地もありうるとは思われるが、すくなくとも、これをもって、所論のいうように同当局が、Aをして下船して上陸することをあきらめさせようとした下心によってその裁量権を濫用した違法な行政処分である、とまでは認めることができない。したがって、また、この点に関連して、ただちに、B警備官の職務の執行が違法であるという結論を導き出すわけにもいかない。
三、所論は、原判決が本件要急収容が適法であるとした前提事実につき誤認があり、ひいてB警備官の違法な職務執行を適法な職務行為であると判断するにいたった誤りがある、と主張し、その理由として、 Aは、上陸直後、G特別審理官に対し、東京入国管理事務所に行きさらに入国問題につき話し合いを継続したい旨述べたところ、同人は、これを承諾し、かつAがその友人達といっしよに同事務所に任意出頭してもよいとの諒解を与えた、という。
しかし、《証拠略》によると、特別審理官Gは、九月四日東京丸船中でAに対し、同船が六日正午には沖繩へ向け出港するから、口頭審理のため仮上陸を許可し、同人の事務所へ出頭することを求めたところ、その際、仮上陸中は稼働してはならないとの条件を附したため、Aがこれを拒否した事実はあったが、その後、GがAに対し東京入管事務所で話合いをすることを申出たり、又はこれを諒解したりした事実は認められない。Gは、九月五日、東京丸で、前記Lらを同席させ、証人を喚問するなどして口頭審理をした結果、Aに対し一八〇日の在留期間を認め、それに応ずるよう夜間にいたるまで説得したが、同人が応じないため、会談は物別れとなり、翌六日午前中、Gが他の船の入国審査事務に従事しているうち、東京丸の出港まじかになって迎えがきたので同船におもむいたところ、すでにAは、上陸して埠頭の船客待合室にいたのを発見して近づき、「あなたは上陸の許可を受けていないから船に帰らなければならない。もし帰えらない場合には不法上陸ということになるので、抑留されることになる。」という趣旨のことを英語で話しかけて注意したけれども、同人は右勧告に応じないばかりか、「ポリスマンといっしょに行ってもかまわない。」などと言っていたので、その後はAを不法上陸者として、同人に対する措置は、入国警備官の手にまかせ、GとAとの間に話し合いの場面はなかったことが認められるのであって、この点は、《証拠略》によっても十分裏づけられているものと思われる。Aの前記本人調書とう本中の供述記載を他の証拠と対比し、し細に検討してみても右の認定はくずれない(ちなみに、Aも、タラップからおりてG所長と話したとき、最初は「船に戻るように」と言われたことを認めているのである。)。 
 所論は、Aは、東京入国管理事務所審査第二課長Mが、東京丸サロンでの話し合いの途中、理由も告げずに「バイバイ。」という言葉を残して下船したため、同人との話合いを続ける考えで同人の後を追って下船したものであり、その際、入管当局の誰からも制止されることがなかったから、不法上陸の意思はなかったという。しかし、《証拠略》によると、九月六日前記Mと入国審査官Lとは、Aに一八〇日の在留期間に応ずる意思があるかどうかを確認するため東京丸のサロンで同人と会ったのであるが、同人が依然としてそれに応ずる気配がないので、Mは、いったんサロンを出て電話で関係当局と連絡したうえ、勧告を打ち切ることとし、サロンのドアをあけてAと話をしていたLに引上げ方を指示するとともに、Aに対しては「バイバイ」と言って、手をふり、合図して下船のため立ち去ったので、Lは、最後にAに対し、証印を受けずに上陸すると不法上陸になる旨説明して注意を与え、サロンを出てタラップをおりようとしたとき、うしろから来たAが、いきなり同人の左横側をすり抜けるようにしてあたふたとタラップをおりてM課長の後を追って行ったので、Lおよびその付近にいた入国警備官の制止するいとまもなかった状況であったことがわかるのである。そして、このようにして下船したAは、船客待合室入口付近で追いついたM課長に旅券のようなものを手にしながら何ごとかを話しかけているようなしぐさをしていたが、同課長がこれをとりあわないで立ち去ってしまってからは別段その後を追おうともしないで、船客待合室の入口から入り税関を経て二階へのぼる階段のあたりに、数名の支援者らと共に止まっていたので、成行きを懸念した前記G、C、およびLらの入管職員らが、こもごも、船へ戻るように指示したが、Aは、これに応じようともせず、とくに、Lに対しては「ポリスを呼べ。」とひらきなおるようなことを言ったり(なお、G所長に対しても、「ポリスマンといっしょに行ってもかまわない。」などと申し向けていることは、さきにもふれたとおりである。)、また、船に戻らない理由を尋ねられると、「席がないから戻れない。」などと答えていたことが認められる(《証拠略》)。したがって、このような経過からみると、Aは、その際、証印を受けずに上陸すれば不法上陸に問われることを十分承知のうえで、しかも、なお、あえて、上陸したことが明らかであり、しかも、入国審査官(特別審査官)との交渉を続けるため、その諒解のもとに自然な経過で上陸したものでないこともおのずから判明するわけであって、Mがなお話合いの余地を残したとか、Aをわなにかけたなどという事情は到底認めることができないばかりでなく、Aが東京丸出航前埠頭まで行っていながらそれに乗りこまなかったり、「席がないから船に戻れない。」などと言っているところからすると、はたして、同人が、当初から、東京丸でそのまま沖繩へ戻るつもりであったかどうかも同人がスーツケースを船中に残したままでいそいで下船して行ったということを念頭において考えてみても、なお、必ずしも明らかではないように思われる。
 所論は、仮りにAが令二四条二号に該当するとしても、同人に逃亡の虞れはまったくなかったのであるから、原判決が本件要急収容を適法と判断したのは誤りである、と主張する。しかし、《証拠略》によると、C、Bらの入国警備官は、Aが上陸許可の証印を受けないで不法上陸したことをG、Mらの係官から告げられたので、同人が令二四条二号に該当する者と思料し、同人を退去強制するため、一応東京入国管理事務所まで任意同行することを求め、用意した庁用自動車の方につれて行こうとしたが、Aを支援する三〇名くらいの集団が同人を取りかこんで警備官に対し、「ナンセンス。」などと叫んで、入管当局の措置を非難攻撃し、入国警備官らがAに近づくことを許さず、自分らの手でAを品川入管につれて行くといって、同人を集団の中にかこみこんだまま、船客待合室を通って前の広場を横切りバスターミナルの方へ移動して行くので、C警備官は、相手が氏名・身許もまったく不明の者であり、その人数は警備官をはるかにうわまわる多数であるばかりでなく、また、前記のような状況からしても、もしこれをこのまま放置するにおいては、警備官として、不法上陸者であるAの身柄を自己の責任をもって確保しておくことができず、かくては、たとえ、A自身には入管に出頭する意思があったにしても、また、その他の集団員各自の真意がどこにあったかは別として、勢いのおもむくところ、あるいはAが、右多数者のため他処へつれ去られる危険もあると考え、要急収容の措置に踏み切ったことが認められるのであって、C警備官のこの判断は、その当時における四囲の情勢からみて、主観的にも、はたまた、客観的にもけっして不相当なものであったということはできない。したがって、右措置は令四三条一項に違反するところはない。
以上のとおりであるから、B入国警備官の本件職務の執行は、権限ある者による正当な職務の執行であって、右の結論は当審の事実取調べによっても変わらないから、これに対し公務執行妨害罪の成立することは疑いがない。論旨はいずれも理由がない。 
よって本件控訴は理由がないから、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

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