退去強制令書発付処分等取消請求事件
昭和42年(行ウ)第14号
原告:A、被告:法務大臣・札幌入国管理事務所主任審査官
札幌地方裁判所
昭和49年3月18日

判決
主 文
被告札幌入国管理事務所主任審査官が昭和四二年三月七日付で原告に対してなした退去強制令書発付処分はこれを取消す。
被告法務大臣が同年三月三日付で原告に対してなした原告の出入国管理令第四九条第一項に基づく異議の申出を棄却する旨の裁決はこれを取消す。
訴訟費用は被告らの負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告の請求の趣旨
主文と同旨
二 被告らの請求の趣旨に対する答弁
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告が来日するに至つた経緯および来日後の生活居住関係の概要
 来日の経過
 原告は、大正九年三月一二日、父B、母Cの長男として朝鮮慶尚南道山清郡新安面新安里で生れた。
家は代々農業を営んでおり、祖父までは自作農であつたが、朝鮮が日本に併合された後、土地は全部日本人に取られ、原告が出生した頃には日本人の地主に使用されている朝鮮人の監督の下で小作農をしていた。
耕作地は田畑合計三ないし五反程度で、収穫の五割は小作料として収納され、現金収入はほとんどなく、収穫時期を除いては麦、小麦、よもぎその他の野草を採取して食糧としなければならない程の極貧状態であつた。
 このような状況の下で、原告は、八才で丹城公立普通学校(六年制小学校)に入学した。
そして、五年半位通学したが、家が貧困で授業料が支払えなくなり、卒業することはできなかつた。一方原告が同校三年生のころ、父は祖父母、妻子を残して単身渡日した。これは農業では一家の生計が成り立たず、しかも朝鮮では他に仕事もなく、やむを得ず日本に働く場所を求めたものであつて、渡日後父は愛知県瀬戸市で土方などをして生活をしていた。
父の渡日後、家では残された家族で農業を営んでいたが、原告は、村では生活のあてもなく、日本には父が居るので中学校へ上げてくれるのではないかと思い、生きる道を求めて渡日することを決意し、父から旅費を送つてもらつて、昭和八年五月一五日下関に上陸した。
 来日してから終戦まで原告は、来日後、間もなく瀬戸物工場で雑役夫として働くようになつた。原告は、中学校へ入学して勉強したいと思つて来日したのであつたが、土方をしている父の生活は苦しく、学校へ入れてもらえるどころではなかつた。工場の仕事は七尺の板の上にセトモノを乗せて、かついで歩く重労働で、しかも勤務時間は普通は朝六時から夜九時までであつたが、夜明かしして仕事をすることもしばしばであつた。賃金は、安く、一生懸命働いても同じ労働をする日本人の賃金よりは三割から五割位低かつた。
 この工場には約二年間働いたが、民族差別がはげしく、朝鮮人はいつまでたつても雑役ばかりで良い仕事をやらせてもらえず、親方からは何かにつけて朝鮮人のくせにとどやされ、工員には殴られたりしたので、他に移つて技術を覚えたいと思つてそこをやめ、その後二〇才になるまで瀬戸物工場を四、五ケ所変つて働いた。労働条件は最初の工場とほとんど同じでようやく最後に働いた工場で流し込み作業をすることができ、そこで土瓶や急須を作ることを覚えることができた。
 来日当時原告は、瀬戸市で働いていた他の朝鮮人と同じように山すその堀立小屋に父とともに住んでいた。原告の来日後しばらくして、母が妹と祖母を連れ、朝鮮に祖父だけ残して来日した。母の来日後、一家は小さな家を借りて一緒に暮したが、生活は苦しく一家の者は皆働きに出かけ、当時七、八才だつた妹は、小学校にも入れず、瀬戸物工場で朝六時から晩六時まで仕上の作業をして働いていた。
 原告は、来日の目的であつた中学入学は達せられなかつたが、向学心を捨てず、独学で普通文官試験をとろうと考え、三年間通信教育を受け、工場の仕事が終つてからと、月二日の休日には外へも出ないで勉学に励んだ。しかし朝鮮人が普通文官試験に合格しても日本では官吏には採用されず、朝鮮の警察官に採用されても巡査部長止りにしかなれないことがわかつた。このため、原告はこの試験を受けることに希望を失つた。そこで、原告は、朝鮮人の生きる道は商売をする以外にないと思い、昭和一五年冬に、それまでに苦労して貯めた金で自転車を一台買い、茶碗や皿を籠に積んで田舎へ行つて売る行商をはじめた。
朝早くから三時間も四時間もかかる田舎へ出かけて行き、夜遅くまで働いた。このようにして働くうちに、収入は工場のときより少しは良くなり、将来にようやく希望を持つことができるようになつた。
 そして、原告は、翌年、瀬戸市にD商店という屋号の店をかまえることができた。この仕事は発展して、朝鮮や満洲へ瀬戸物等を卸売するようになつた。ところが、原告は昭和一八年秋太平洋戦争が激化するとともに、名古屋の三菱航空機株式会社の工場に徴用され、航空機の機体製造の流しこみの重労働に従事させられた。昭和一九年、空襲がはげしくなつたため一家は朝鮮の郷里へ引掲げたが、原告は、徴用されていて引揚げることもできず、一人日本で終戦を迎えた。
 終戦から今日まで戦争終了直後、徴用をとかれた原告は、名古屋で友人達とE株式会社を設立して常務となつた。この会社は建設を業として、名古屋市の復興事業に従事し、戦災のあとかたずけ、建設工事砂利採取等をしていた。また、原告は、昭和二二年にはガイシ等を製造するF株式会社も設立して常務となつた。
原告は昭和二三年、戦争未亡人であつた日本人Gと結婚した。そしてようやく人並みの安定した生活に入ることができるかと思われたが、昭和二五年二つの会社は経営不振になつて解散し、原告は元も子もなくして、妻と二人で放浪生活に入つた。
 原告は、同年、妻の実家のある新潟県三条市へ行き、一年間ほど友人の経営するパチンコ屋の手伝をしていた。その後、茨城県笠間に友人がパチンコ屋を経営していたのでそれを頼つて行き、その手伝をしばらくしたのち、そこで友人から資本金を借入れてパチンコ屋を開き、その後千葉県八日市場などにも店を開いた。
 こうして商売も軌道に乗りはじめたので、原告は北海道へ行つてパチンコ機械の販売をはじめようと考え、北海道のまん中にある旭川を選び、昭和二七年ころ旭川でパチンコ機械の販売をはじめ、その後パチンコ屋を開いた。しかし、その直後繁昌する店を見て是非譲つてくれという日本人があつたので半年位でこの店を譲り、小樽に移つた。そして、昭和二八年小樽でパチンコ屋を開いた。そのころ長女Hが生れた。
 小樽では三年ほど居住していたが、昭和三一年に火事で店が類焼し、元も子もなくしてしまつた。原告は、もう一度店をたてなおしたいと思つたが、地主が承知しなかつたので借地を地主に返して小樽を去つた。
このあと原告は、友人を頼つて東京都隅田区に移り、友人から再び借金をしてパチンコ機械の製造販売をはじめ、七、八人の従業員を使つて経営したがうまく行かず一年位で整理し、秋田県横手市に移つて二年ほどパチンコ屋を経営した。
 原告は昭和三四年友人が多い函館に移り、パチンコ屋「I会館」を経営し、その後「J商会」という名称でパチンコ機械の販売をはじめ、札幌市にもその営業所を設けて経営し現在に至つている。現在J商会の従業員数は函館四人、札幌五人である。
原告は、函館に来てすぐ、推されて在日朝鮮人総連合会函館支部役員となり、昭和三八年からは同支部委員長となり、在日同胞の生活と権利を守るために活動してきた。
2 本件退去強制令書発付処分がなされるまでの経緯
 原告の弟K(戸籍上の名称はK’)は昭和三九年朝鮮高麗大学文科大学史学科を卒業し、教授になることを希望していたが、教授になるためには外国に留学し、学位をとることが必要であつたので日本に留学したいと考え、その旨政府に許可申請をしたが拒絶された。
そこで弟は、何度も原告に手紙をよこし、自分の希望する学者の道を達成するためには、どうしても、日本に留学したいが政府は許可してくれない。韓国の大学では水準が低く先進国の大学へ行かなければ十分な勉強はできない、留学したいのは単なる自分の欲望だけでなく、これは国民に対する自分の義務であると考えるので是非日本へ行きたいと熱烈な希望を訴えてきた。原告は、初めそれが不可能である旨を伝えていたが、肉身の情として、弟の希望は何とかかなえてやりたいとは思つていた。ところが、たまたま釜山と日本を往復している貿易船の船長を知り、それがきつかけで弟の日本入国に援助を与えたのである。
 弟は、昭和三九年九月日本に入国し、翌年五月北海道大学教育学部に研究生として入学して近代教育史の研究に励み、同大学教育学部修士課程入学試験に合格し、昭和四一年四月から大学院生になることになつていた。ところが、同人は、大学院入学を機会に、同年四月はじめ、歴史の勉強も兼ねて関西方面に旅行に出かけたところ、出入国管理令違反で逮捕された。
 原告は、同年四月一七日、商用で函館から飛行機で羽田空港に着いたところ、同空港で逮捕され、弟が逮捕されたことをはじめて知つた。原告は、神戸に護送され、犯人蔵匿罪で勾留されたが、四月二九日、出入国管理令違反幇助罪で罰金五万円の略式命令をうけ、同日釈放された。
 原告は、釈放された後数回神戸入国管理事務所の収容所にいた弟に面会に行つたが、同年六月中旬ころ面会に行つた際、神戸入管で出入国管理令第二四条四号ル該当事由ありということで調べられ、その後ひきつづいて札幌入管でも右同様の理由で取調べを受けた。その結果、同年一一月七日、同入管入国審査官は原告に対し実弟の入国を助けた行為が前記二四条四号ルに該当する旨認定をした。そこで、原告は、直ちに右認定を不服として特別審理官による口頭審理の申立をしたが、右認定に誤りがない旨判定を受けた。原告はさらにこれを不服として昭和四一年一一月七日法務大臣に異議の申出をしたところ、法務大臣は、昭和四二年三月三日、右申出を棄却する旨の裁決(以下本件裁決という。)をし、右裁決は、同年四月一七日、原告に告知されたが、被告札幌入管主任審査官は、同年三月七日原告に対し退去強制令書を発付(以下本件令書発付処分という。)するに至つた。右令書発付は、同年四月一七日原告に告知された。
 本件裁決および本件令書発付処分は、左記の理由により、いずれも違法であるから、取消されるべきである。
3 昭和二七年法律第一二六号該当者に出入国管理令を適用した重大な誤りと本件各処分の違法性
原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者であるところ、右該当者に対しては出入国管理令は適用できないものであるから、同令に基づいてなされた本件裁決および本件令書発付処分は、法律適用の誤りをおかした違法なものであつて無効であるかまたは取消さるべきものである。
 現行出入国管理令の建前
現行出入国管理令(以下、管理令という。)は、外国人の入国を許可するにあたつて、一定の「在留資格」と「在留期間」を定め、当該外国人が本邦で活動する場合の目的と期間に規制を加えている。そして、外国人が資格外の活動をしたり、在留期間を徒過したり、その他管理令二四条に定める事由に該当したときは、本邦からの退去を強制できるものとしている(管理令二四条四号イ、ロ、四条、一九条、二〇条、二一条等参照)。すなわち、「在留資格」と「在留期間」は、外国人が本邦で生活する場合、必須不可欠の二大基本要素をなすものであつて、これを抜きにして外国人の「在留」を考えることはできない。管理令の各法条も、ひつきようこの二大要素に関する細目を定めたものといえる。
 昭和二七年法律第一二六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」̶在日朝鮮人に関する特別法̶昭和二七年法律第一二六号は、その第二条第六項で、「日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」と規定している。
これは、主として、戦前から引き続いて本邦で居住生活してきた在日朝鮮人につき、「在留資格」と「在留期間」という管理令上の二大要素がなくとも本邦で居住生活できることとしたものであつて、在日朝鮮人の過去の歴史的特殊事情を考慮して、出入国管理令の規制対象からはずし、本邦での居住につき何等その「資格」や「期間」を規制しないことを定めたものである。いわば、管理令が、一般外国人を法規制の対象とする一般法の位置を占めるのに対し、法律第一二六号は、戦前から引き続いて居住する在日朝鮮人を法規制の対象とする特別法の位置を占めるものである。昭和八年五月、本邦に渡来して以来、今日まで三六年間引き続いて本邦で居住生活してきた原告は、右法律第一二六号該当者の典型であるということができる。
 在日朝鮮人の居住権
前掲昭和二七年法律第一二六号が特別に立法されたことは、まさに、在日朝鮮人のもつ過去の歴史的特殊事情が立法に反映した結果にほかならない。現在、日本には約六〇万人の朝鮮人が居住し、その大半は法律第一二六号該当者であるが、これらの人達は、自ら好んで故郷朝鮮を捨てて日本に住みついたものでなく、明治四三年の「日韓併合」以来の旧大日本帝国の朝鮮に対する植民地収奪政策により、祖先伝来の土地と生業を失い。生きんがために「日本内地」に流入し、あるいはまた、日本の戦争政策遂行の過程で徴兵徴用によつて強制的に連行され、何十年もの日本での生活により日本に定着するに至つた人達とその子孫なのである。これら在日朝鮮人は、日本の敗戦に至るまで、「大日本帝国臣民」として生きることを強制されてきた。また、かれらの多数は、日本で生れ、日本の学校で日本の言語と歴史地理を学び、「半日本人」として育成されてきた。かように、戦前三六年間に及ぶ植民地支配の時代を通じて、在日朝鮮人は受難の道を歩んできたのである。右法律は、このような、歴史的特殊事情に基づき、在日朝鮮人の処遇について立法により特別の配慮をし、在日朝鮮人を一般外国人と区別してその居住権を保障したものである。
 管理令適用の不合理性̶その立法の沿革昭和二七年四月二八日、サンフランシスコ講和条約発効に併う国内法整備にあたり、一般外国人を規制の対象とし、広範な退去強制事由を規定している現行出入国管理令をそのまま機械的に在日朝鮮人に適用することは不適法であることから、在日朝鮮人を一般外国人と峻別し、その特殊な地位を法的に明らかにしたのが前掲法律第一二六号である。したがつて、管理令は、法律第一二六号該当者には適用の余地がないものであり、いわんや、法律第一二六号該当者に対し管理令二四条を適用して退去強制処分を行なうことは許されない。このことは、占領期間中一般外国人の出入国が禁止されていたが故に主として在日朝鮮人を適用対象としていた(旧)外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)が、現行管理令の規定する広範な退去強制事由をどれ一つとして規定せず、わずかに外国人登録令の「登録手続違反」を唯一の退去強制事由として定めているにすぎなかつたという立法の沿革から考えても明らかである。また、現行管理令二四条の退去強制事由の一つ、たとえば「貧困者、放浪者、身体
障害者等で生活上国又は地方公共団体の負担になつているもの」(同条四号ホ)との条項を、法律第一二六号該当者に機械的に適用して退去強制することが不合理であることは明白である。すなわち、多年本邦に居住していた在日朝鮮人が、たまたま生活保護を受け、あるいは、身体障害者となつたため社会保障を受けた、という一事によりこれに対し、親兄弟、妻子等ときりはなし、一切の生活環境を根底から破壊してしまう強制送還をなすことはあまりに不当である。このことは立法過程における国会審議において、政府が、法律第一二六号該当者に対しては将来日本における永久居住権を与えることになつており、同法二条六項に「別に法律で定めるところ」とは「永久居住権を与える法律」の趣旨であると答弁しているところからも裏づけられる。かようにして在日朝鮮人は、他の外国人と異り、いわば過去の歴史的特殊事情そのものから当然に居住をみだりに犯されない地位を保有しているものであつて、それは、管理令で予定している「在留」なる観念になじまないものといわなければならないのである。
4 出入国管理令第二四条四号ルの解釈適用の誤り
本件各処分は、原告に対して、誤つて出入国管理令第二四条四号ルを適用した違法がある。
 同条四号ルは、「他の外国人が不法に本邦に入り、又は上陸することをあおり、そそのかし、又は助けた者」を退去強制事由のひとつにあげている。しかし、右にいう「助けた者」というのは、不法入国の幇助を業とするもの、またはこれに準ずる程度にその正常な外国人出入国管理に対する危険性が高度のものを指すものと解すべきである。
 出入国管理令第二四条所定の退去強制事由は、A不法入国者、B在留資格外活動や在留期間をこえて残留した者、C国または地方公共団体の負担となつている者、D刑罰法令その他法令違反者、E治安攪乱者の五種に大別しうる。ルは、ヘ、ト、チ、リ、ヌとともに、Dのなかに含まれる。ところで、リは、無期または一年をこえる実刑に処せられた者と定めており、一般の刑罰法令違反については、実刑一年をこえる刑にあたる重い反社会的行為を退去強制事由の基準として設定している。この基準を中心にして、少年については、
一般に長期三年をこえる実刑を受けた者と定めてその基準を厳格にしト、外国人登録令違反については、禁錮以上の実刑を受けた者と定めてその基準をゆるめヘ、麻薬犯罪については、有罪の判決を受けたものと定めてさらにその基準をゆるめている。売淫関係ヌと不法入国を「あおり、そそのかし、又は助けた者」ルについては、さらに有罪判決の要件をもはずしている。
しかし、Dの種類にはいる五つの退去強制事由は、あくまで無期または一年をこえる実刑に処せられた程度の重い反社会的行為リを中心にして解釈されるべきであり、これとあまりにかけはなれた結果となるような解釈がされてはならない。さらに、売淫についてはもつぱら「売いんに直接に関係がある業務に従事する者」ヌにしぼつていることと考えあわせるならば、不法入国を「あおり、そそのかし又は助けた者」ルという要件もまた不法入国幇助を業をするか、またはそれによつて利得をえることを目的とする者にしぼられるも
のと解すべきである。
 「あおり、そそのかし、又は助けた者」という場合、「あおり」または「そそのかす」行為には一定の積極性が予定されている。しかし、「助けた」という場合には、その行為の態様は千差万別である。積極的なものもあれば、消極的なものもあり、不法入国に不可欠な行為に対する幇助もあれば、些少な便宜の供与にとどまる場合もある。それらをひつくるめて、単に「助けた」というだけで長い日本在住に伴う権益を一律に剥奪することを許すものと解するのは明らかに不合理である。その「助け方」については、構成要件の上で隠され
た限定が加えられているものと解するのが合理的である。
 同条四号ルは、不法入国者と幇助者との間に親子、夫妻、兄弟姉妹などの関係がある場合に、幇助者に対して適用されないと解すべきである。刑法一〇五条、刑事特別法三条の二などは犯人蔵匿罪などについては親族間の特例をみとめ、免刑の規定を設けている。刑法二四四条は親族相盗の特例を定め、同条は詐欺罪、横領罪、賍物罪などの財産犯にひろく準用されている。親族間の情義を併う内部的事実に対して国権が譲歩し、法が干渉をひかえるという原則は、単に財産犯についてだけでなく、公益にも及んでいるのである。
この原則は古くローマ法以来のもので、諸外国にもあまねくその立法例をみるところである。刑事訴訟法一四七条、民事訴訟法二八〇条が一定の親族の不利益に帰する証言について拒絶権をもうけているのも同じ理由に基づくのである。この原則は、ひとつの条理として退去強制事由の解釈にあたつても適用されるものというべきである。
昭和二九年七月一四日、衆議院法務委員会、外国人の出入国に関する小委員会は、全会一致で「不法入国者取扱について」の決定を採択したが、そのなかで在留許可を与えるべき基準として、「現に日本に居住する夫婦、親子、兄弟姉妹等近親関係の一方が、他方を朝鮮、台湾から呼び寄せた場合」にその呼び寄せられた者に対して在留許可を与えるように要請した。
呼び寄せられた者についてさえ、右のように措置されることが望まれているのに、呼び寄せた者の方が退去強制される理由はない。
5 正義と人道に反しかつ裁量権を濫用した違法な処分
被告らの原告に対する本件各処分はいずれも著しく裁量を誤つた違法がある。
 自由裁量権の行使といえども法的拘束から全く自由なわけではなく、法律が行政庁に裁量を認めたその趣旨、目的や条理から裁量の許される範囲にはおのずから限界があるのであつて、行政庁がその裁量の範囲を逸脱したり、裁量権を濫用した場合には、違法の問題を生ずることは学説判例の一般に認めるところである。
 退去強制令書発付処分は、まず国際法や国内法に違反することが許されない。例えば政治犯罪人や政治的難民をその本国へ退去強制することは国際法に反するし、逃亡犯罪人引渡法二条に定める者を引渡請求国に引渡すこと(実質的な退去強制)は同法に違反するものである。
 その他法の趣旨、目的や条理に反する場合あるいは人道に反する等の事由がある場合には、右裁量は権利の濫用であつて違法たるを免れがたい。
 外国人の追放は慎重になすべきであつて、権利の濫用は許されない。
 外国人の追放は、A 公安上の危険から自国を守る場合等の極端な場合においてのみ、かつB 追放を受ける者を不必要に苦しめない様な方法でのみ行なわれるべきであつて、右要件に該当しない追放は権利の濫用である。
イ 国際法上外国人の入出国は、原則として国家の自由な規律に任されると言われてきた。しかし、国際慣行ならびに国際判例学説上は、多くの場合追放に関する国の主権的機能を行使の際の目的と具体的行使の態様の二点において考察し、一般国際法上認められている追放の制度が適正に適用されたか否かを判断し、それに反する追放を権利の濫用としてきた。
ロ 外国人が、その国(滞在国)で今までどおり生活できるか、追放されるかは、基本的人権に関する問題である。世界人権宣言第九条は「何人もほしいままに……追放されることはない」と宣言し、昭和二七年四月二八日発効の対日平和条約前文において、国は「……あらゆる場合に国際連合憲章の原則を尊守し世界人権宣言の目的を実現するために努力……」することを宣言したことが斟酌されるべきである。
ハ 昭和四一年一二月一六日、国連総会において国際人権規約が成立した。その市民的政治的諸権利に関する規約一三条には、外国人の追放は、国家の安全保障の必要がある場合の外、法律に基づく決定に準拠し、かつ適正な手続の下においてのみ行なうべき旨を規定する。
このことは、国の権利とされ、国の自由な規律にまかされていた外国人追放の権能に対し、右のような制限に服すべき国際法上の義務が課されたことを意味するものである。かくして、人権の保障は、今や国内管轄事項ではなくなり、国は、自国領域内に居住する者の人権を保障すべき国際法上の義務を負うに至つた。したがつて、右規約に言う「法律に基づく」決定も単に形式的な「法律」に定められているという意味ではなく、実質的にも追放することが真にやむを得ないと考えられる理由に該当する場合に限定されたというべきである。この意味で従来、国際慣行ないし国際上の判例とされていた外国人追放に際しての前記要件は法的効力を持つに至つたと解すべきである。
 原告の行為は、外国人追放が許容される場合の要件に該当しない。
イ 原告は、日本に適法に居住する外国人である。
原告は、前述したとおり、来日以来今日まで三十数年間、艱難辛苦の末今日の生活を築き上げたものである。ところで、原告が戦前来日した当時においては朝鮮は日本の植民地統治下にあり、したがつて原告を含む朝鮮人も「大日本帝国臣民として扱われていたことは周知のところである。それゆえ、原告の来日も法制的には「外国人としての入国」ではなく「自国内における居住の移転」と観念され、また「日本内地における居住」も「外国における在留」ではなかつたのである、在日朝鮮人について、日本政府が公式に外国人としての在留規制を打出したのは昭和二二年の旧外国人登録令以後であるが、他方においては、日本政府は、従来一貫して「在日朝鮮人が日本国籍を離脱したのはサンフランシスコ講和条約発効の日すなわち昭和二七年四月二八日である」との観点から前記法律第一二六号を制定し、在留資格と在留期間について格別の定めをするに至つた。
このように、原告が「外国人」になり日本での居住が「外国への在留」とされたのは全く日本政府の人為的な法律的操作に依るものである。この点日本政府の承認を得て日本に戦後入国する一般外国人とは根本的に「在留」の性質を異にする。したがつて、その既得居住権を事後的立法によつて奪うことは、さらに一段と慎重でなければならないことに特に留意すべきである。
ロA 原告の行為は、前述したとおり、韓国にいた実弟柳沢烈が日本における勉学を熱望していたが合法的に渡日する手段がなかつたのでやむなくその渡日を援助したというものである。したがつて、それは、利益を目的としたのではなく、肉身の情にまけて、唯一回その密航を援助したものにすぎない。
B 原告の右行為は、国の公安に害があるとか、国家の重大な利益を害するとかいうものでないことはいうまでもない。ちなみに、原告は多年日本の社会において平穏かつ善良な市民として生活してきたものである。
C 原告の右行為は、管理令二四条四号ルが予定する構成要件の定型には該当しないと解すべきこと前述のとおりであるが、形式的にはこれに該当するとしても、その違法性、反規範性は極めて軽微であつて、それによつて国家の重大な利益が害されるおそれはなかつた。前述した国際人権規約一三条の趣旨からみても軽微な事由に基づいて、外国人を追放することは許されないのである。とくに原告が一般外国人に比して特殊な地位および資格を有すること(前記イ)を考慮すればなおさらである。
 被告らの本件各処分は、原告の右行為に比して不当に苛酷であり、人道に反するものであつて、取消さるべきである。
 原告の行為は、すでに述べたとおり、単純かつ軽微な内容のものである。それに、反社会的利益を目的としたのではなく、また日本国の利益を害するような動機からでたものでもない。実弟の勉学の希望を叶えさせようとして、他に手段がないため、やむなく唯一回、その密航を援助しただけである。そして、本件行為のため、実弟は、すでに退去強制を受け、原告自身も刑事処分を受けているのである。
 しかるに本件各処分の結果、原告は次のごとき重大な、あるいは致命的な損害を蒙ることになる。
イ 原告が、渡日以来三十数年間に築き上げた一切の生活基盤をいつきよに失い、今後における原告一家の生存にも支障を来すことは明かである。
ロ 原告の妻は日本人である。したがつて、原告が追放された場合には、妻子との離別を余儀なくされるし、妻子が原告と同行すれば、妻と子の日本における居住権が侵害されることになる。
 わが憲法に定める国民の基本的人権の承認は、行政権の限界を定めるものである。管理令の作用は、その基礎を憲法の基本的原則におき、その適用においては、憲法の基本的人権を侵してはならない。わが国内にある外国人であつても、国内法上不当に不利益を受けない利益を有する。それは単に管理令に定められた外国人の権利を侵害されないというだけではなく、憲法上の基本的人権の一つである生存権を不当に侵されてはならないということである。特に原告のような特殊な経歴を有する外国人に対しては、日本人に準じた地位を保障すべきである。
 被告らの本件処分の目的は、不純な政治的動機に基づき、在日朝鮮人の正当な居住権を剥奪しようとするものであるから不当である。管理令二四条四号ルによる追放の前例は未だなく、本件各処分は、すでに述べた如く、同令の右条規の立法目的に反して敢て適用されたものである。
昭和四〇年暮、韓国の朴政権と日本政府が、国内外の世論の反対を押し切つて「日韓条約」を強行批准し、「在日朝鮮人の法的地位協定」を締結して以来、にわかに法律第一二六号該当者に対する無法な強制追放の策動が公然となつてきた。本件もその一例であるが、なかには、戦前から日本に居住し、親、兄弟、妻子と日本で共に生活している一在日朝鮮人青年に対し、たまたま自動車事故で相手が死亡し、一年六ケ月の禁錮に処せられたことを理由に、管理令二四条四号リを適用して退去強制処分がなされたという信じ難いほど残酷な「行政処分」がなされた(現在行政訴訟中。)このようなことは今まで全くなかつたことである。かくては、在日朝鮮人は一日として平穏な居住と安定した生活を営むによしなく、在日朝鮮人六〇万人の居住権はいま重大な脅威にさらされている。そして、本件処分は、「日韓条約」成立後、「日韓」親善を国が政策として強調している時に行なわれた。
原告は、その経歴で述べたごとく、在日朝鮮人総連合会函館支部委員長であり、「日韓」両国政府がかねて敵視政策を表明している朝鮮民主主義人民共和国の在外公民としての立場にある。被告らが、右のような時機に、前例のない本項を敢て、右のような立場にある原告に適用して本件処分をしたことは、原告を不当に差別待遇したものであり、著しく不公平かつ苛酷な処分というべきである。
 さらに、以上のような特殊な事情のある原告に対しては、管理令四九条三項の裁決処分がなされるに際し、被告法務大臣の裁量によつて同令五〇条に定める在留の特別許可が与えられるべき場合であつたにもかかわらず、同被告が右特別許可をしなかつたことは、同被告の右裁量権の濫用であり、ひいては同被告のした本件裁決処分を違法ならしめるものであつて取消しを免れない。
6 結論
よつて、被告らに対し、請求の趣旨記載のとおり本件各処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する被告らの認否および主張
(請求原因に対する被告らの認否)
1 原告が来日するに至つた経緯および来日後の生活居住関係の概要について
 (来日の経過)原告がその主張の日に、主張の地で出生したこと、両親の氏名が主張のとおりであることおよび主張の日に来日したことは認めるが、その余の事実は知らない。
 (来日してから終戦まで)原告が来日してから愛知県の瀬戸物工場で働き、昭和一五年から瀬戸物商をしていたことは認めるが、その余の事実は知らない。
 (終戦から今日まで)原告が名古屋のE株式会社の常務となつたこと、日本人Gと結婚(昭和四〇年九月六日婚姻届出)し、長女Hが出生したこと、新潟県三条市に一時居住していたこと、昭和二七年ころ旭川市でパチンコ店を開いたこと、翌年小樽に移りパチンコ店を開いたこと、小樽のパチンコ店が類焼し、上京したこと、秋田県にも一時住んだこと、昭和三四年に函館に移りI会館、J商会の商号でパチンコ店およびパチンコ機械販売業を経営し、札幌にも営業所を設け現在にいたつたこと、および在日朝鮮人総連合会函館支部役員となり、昭和三八年に同支部委員長となつたことは認めるが、その余の事実は知らない。
2 本件退去強制令書発付処分がなされるまでの経緯について
 原告の弟Kが昭和三九年高麗大学校文理大学文学部史学科を卒業したこと、同人より原告に対して手紙で来日の希望を訴えてきたこと、および原告が弟の本邦への不法入国の援助をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。
 原告の弟の旅行の目的は知らない。その余の事実は認める。
3 昭和二七年法律第一二六号該当者に出入国管理令を適用した重大な誤りと本件各処分の違法性について
原告の法律上の主張は争う。
4 出入国管理令第二四条四号ルの解釈適用の誤りについて
昭和二九年七月一四日衆議院法務委員会外国人の出入国に関する小委員会において全会一致で「不法入国者取扱いについて」の決議がなされたこと、右決議に「在留許可緩和の基準」として原告主張のような事項があげられていることは認めるが、原告の法律上の主張は争う。
5 正義と人道に反しかつ裁量権を濫用した違法な処分について認める。
 市民的政治的諸権利に関する規約に原告主張の規定が存することは認めるが、それが法的効力を有することおよび原告の追放に関する国際慣行と国際判例学説についての主張は争う。
 なお、管理令二四条四号ル該当者に対して退去強制処分がなされた例は存在する。
(被告らの主張)
1 原告に対して出入国管理令二四条四号ルを適用したことに違法の瑕疵はない。
 原告の出入国管理令二四条四号ル該当の事実
昭和三八年ころから、当時韓国高麗大学校に在学中の原告の弟Kから原告に対して再三手紙で同大学卒業とともにわが国の大学に留学したいので尽力してほしい旨を訴えてきたので、原告は、在日韓国人留学生同盟等について調査したが、合法的に来日させる方法がなかつた。たまたま、昭和三九年四月ころ、同郷の出身で数年来の友人で同業者でもあるL(函館市在住)の弟M(釜山市在住)が韓国小型貿易船に乗り込み度々来日していることを聞きおよび、同人に依頼して弟Kを本邦に不法入国させることを思いつき、Lの協力を得て同年四月ころ神戸に来航したMと電話連絡を行ない、同人の船でKを本邦に不法入国させ、密航手数料二〇万円を神戸で支払う旨を約した。そして、Kに対しては、釜山のM宅に赴き、同人の指図・援助により本邦に不法入国すべき旨を手紙で指示した。Kは右指示に従い、Mの指図どおり同年九月上旬ころ韓国船第○○号に船員として浦項港から乗船し、下関港を経由同月九日神戸港に入港した。事前に連絡を受けた原告は、Lとともに神戸に出迎え、直ちに同船に同乗してきたLの兄Nおよび同船の責任者と目される船員とKの脱船逃亡の手はずについて打ち合せ、不法上陸の便宜を依頼するとともに口止料として現金五万円を支払い、関係当局への届出を遅らせるよう依頼し、同月一二日ころ入国審査官の上陸許可を受けないで、Kを本邦に上陸させ、同人の右犯行を容易ならしめてこれを幇助したものである。
なお、密航手数料については、Nより三〇万円に増額請求されたので一時支払いを保留し、帰函後Lを通じてNに送金した。
以上の原告の行為は、当初は弟Kからの要望に基づいたものであるとはいえ、いまだ必ずしも本邦に不法入国をしようとの確定的な意思をもつていなかつた同人に対して種々奔走して不法入国等の手はずを整え、その方法等を手紙で同人に指示して不法入国の決意を助長し、これを確定的ならしめ、さらに神戸港において種々不法上陸の方法について打合せをして同人を本邦に不法上陸させたものであつて、単にKの不法上陸を容易にし、これに協力したというよりは、その程度を超え、むしろ同人の不法入国又は不法上陸をあおり、そそのかしたものというべきである。少くとも原告の行為は、Kの不法上陸について些少な便宜の供与にとどまるものではなく、その不法上陸に不可欠な幇助にあたるものである。
 出入国管理令二四条四号ルは制限して解釈適用さるべきものではない。
 同号ルにいう「助けた者」は、不法入国の幇助を業とする者、またはこれに準ずる者に限られるべきではない。
原告は、同号ルにいう「助けた者」を不法入国幇助を業とするか、またはそれによつて利得をうることを目的とする者に制限して解すべきであると主張するが同号をかように制限したものと解すべき実定法上の根拠は存しない。すなわち、通常立法例によれば、一定の行為の反復を業とするものを規定する場合には「業」(例えば弁護士法七二条、医師法一七条、出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律二条七条)あるいは「業務」(例えば、出入国管理令二四条一項四号ヌ、司法書士法一九条、公認会計士法四七条の二)等明規するのが通例であつて、かかる明文の規定がないにもかかわらず、当然そのような構成要件がかくされているものと解すべきだとする原告の主張は、立法の用語例にも反した解釈といわねばならない。
さらに文理解釈のみならず実体的にみても同号ルを原告主張のように制限的に解すべき理由は存しない。出入国管理令二四条は退去強制事由を規定するものであるが、同条四号の各事由のうち、原告の分類するところに従えば、刑罰法令その他法令違反者(ヘないしル)は、出入国管理に対する危険性の強弱に応じてその基準を定めているのである。まずリ一般刑罰法令違反については一年をこえる実刑(ただしト少年法犯罪については長期三年をこえる実刑)、ヘ外国人登録令違反については禁錮以上の実刑、チ麻薬犯については有罪判決、ヌ売いん関係およびル不法入国のあおり、そそのかし、助けた者については有罪判決の要件をもはずしている。要するにその犯罪が、わが国の公共の利益の維持、治安の確保のため外国人の出入国及び在留を管理するという出入国管理行政の目的にてらして、の危険度が高まるに応じて基準を軽減して該当者を退去強制しうることとしているのである。しかして、不法入国等を教唆、助長するような行為は、出入国および在留の公正な管理の根本目的に反し、国家の重大な利益を害するものであるから、たとえ一回限りの行為であつてもかかる行為をなす者は、もはや本邦における在留を許すことができないと解すべきである。
そして不法入国等を教唆・助長する行為は、売いん関係法令違反に比してさらに出入国管理に対する危険性の強いものであるから、後者が業とする者に限つているからといつて、不法入国等を教唆・助長する行為についてもこれと同一に考えなければならない理由はない。
 同号ルにいう「助けた者」は不法入国者と親子、夫婦、兄弟姉妹などの関係のある者に対しても適用される。
私的自由処分の許されている財産関係の犯罪行為については、親族相盗例が適用されて法的制裁が行なわれていないけれども、この思想は、公益犯にまで当然に拡張されているわけではなく、わずかに犯人蔵匿罪について一定の身分関係者に特則を認めているにとどまる。その趣旨も「親族互ニ相扶ケ相憐ムハ人情ノ自然ニシテ斯ノ如キ場合デモ処罰スルハ酷ニ失スル嫌アル」ため例外的に認められたものであり、無制限のものではなく、右趣旨に則つた当然の制約を受け、右庇護の自由を認めることに対応して、同時に「何人モ他人ヲ教唆シテ犯罪ヲ実行セシムルコトヲ得サルハ言ヲ俟タサル所ナレハ縦令親族タル犯人ヲ庇護スル目的ニ出タリトスルモ他人ヲ教唆シテ犯人隠避ノ罪ヲ犯サシムルカ如キハ所謂庇護ノ濫用ニシテ法律ノ認ムル庇護ノ範囲ヲ逸脱シタルモノト謂ハサルヲ得サルニヨリ犯人隠避教唆ノ罪責ニ任セサルベカラサル」ものであるから(昭和八年一〇月一八日大審院判決、刑集一二巻一八二〇頁)既遂者の庇護にとどまることなく、あらたに何らかの犯罪を犯すについて教唆ないし幇助せんとする類型の行為は、いかに親族間におけるにせよ、もはや法の庇護の限りではなく、当然にその罪責に任ずべきである。いわんや本件のように出入国の公正な管理という国家利益を侵害する行為を誘発助長せんとする行為について、親族間なるが故の免責的特例を解釈上認める余地の全くないことは明らかである。
 昭和二七年法律第一二六号二条六項該当者に対しても出入国管理令は適用される。朝鮮人、台湾人は、昭和二七年法律第一二六号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律二条六項にいう「日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力の発生の日において日本の国籍を離脱する者」として同日以後外国人(出入国管理令二条二号)となり、出入国管理令の対象となつたが、法律第一二六号は、戦前からの特殊事情を考慮して、わが国が降伏文書に調印した昭和二〇年九月二日以前から引き続き本邦に在留する者について出入国管理令二二条の二第一項の規定にかかわらず、同該当者については別に法律で定めるまでの当分の間は引き続き在留資格を有すること
なく本邦に在留することができることとしたのである(なお、同法律第一二六号二条六項にいう「法律」は現在までのところ制定されていない。)。このことは、右条項の規定自体から明かなように、あくまで出入国管理令二二条の二の特則たるにとどまり、同令全般の、まして二四条四号の適用を排除せんとする法意では全くありえない(もつとも在留期間および在留資格を前提とする同号イ、ロが適用される余地はない。)。
以上のことは、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定三条ならびに同協定の実施に伴う出入国管理特別法六条が法律第一二六号二条六項該当者に出入国管理令二四条が適用されることを当然の前提として退去強制の基準の緩和を定めていることからも明らかである。
したがつて、昭和二七年法律第一二六号二条六項該当者には出入国管理令は適用されない
との原告の主張は理由がない。
2 本件処分には裁量権の逸脱、濫用の瑕疵はない。
元来外国人の入国ならびに在留の許否は、国際慣習法または特別の条約が存しない限り当該国家の自由に決しうるところであつて、出入国管理令五〇条に基づき在留の特別許可を与えるかどうかは法務大臣の自由裁量に属するものである(最高裁判所昭和三四年一一月一〇日判決、民集一三巻一二号一四九三頁)。しかも右許可は、国際情勢、外交政策等をも考慮の上行政権の責任において決定さるべき恩恵的措置であり、裁量の範囲のきわめて広いものであつて法務大臣がその責任において裁量した結果については充分尊重されて然るべきものであり、被告法務大臣の本件裁決処分には原告主張のような違法は全くない。
そしてまた、被告法務大臣の右裁決がなされると、被告札幌入国管理事務所主任審査官は、これに従つて原告に対して退去強制令書を発付する以外裁量の余地はないのであるから、同被告の処分にも何らの違法はない。
なお、被告法務大臣は、原告の出入国管理令四九条一項に基づく異議の申出が同令施行規則三五条一ないし四号のいずれにも該当しないものであり、かつ原告が同令二四条四号ルに該当することが明らかなものであつたため右申出を理由がないとして棄却の裁決をしたが、右裁決にあたつては、同被告は、原告が同令五〇条一項各号の一に該当するかどうかについても考慮し、原告がそのいずれにも該当しないと判断したものである。
第三 証拠《省略》
理 由
一 原告は、大正九年三月一二日朝鮮で出生し、昭和八年五月一五日来日して以来今日まで日本に居住する在日朝鮮人であるところ、昭和四一年一一月七日札幌入国管理事務所入国審査官から実弟の不法入国を助けた行為が出入国管理令(以下、管理令という)。二四条四号ルに該当するとの認定を受け、直ちに口頭審理の請求をしたが特別審理官により右認定に誤りがないとの判定を受け、さらに同日被告法務大臣に対して異議の申出をしたが、昭和四二年三月三日、同大臣は、異議を棄却する旨の裁決をし、同月七日、被告主任審査官より原告に対し、退去強制令書が発付されたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者である原告には管理令の適用がないこと(請求原因第3項)および同令二四条四号ルの解釈適用に誤りがあること(同第4項)を理由として本件裁決および本件令書発付処分の違法を主張する。
ところで、本件裁決の性質を考えてみるに、管理令四七条ないし四九条によれば、法務大臣は、特別審理官の判定に対する異議につき、第一次的には原処分である「特別審理官によつて誤りがないと判定されたことによつて維持された入国審査官の認定」の当否を審査し、これにつき裁決すべきものであるが、それのみでなく、同令五〇条および同令施行規則三五条によれば、法務大臣は、裁決にあたり、異議の申出が理由がないと認める場合でも、一定の要件が存するときは、容疑者に特別在留の許可をすることができるのであるから、異議を棄却する裁決は、原処分を相当とするとの判断に基づいて異議を排斥する処分であるばかりでなく、右特別在留許可をすべき場合にも該当しないとしてその許可を付与しない処分としての性質をも有するものというべきである。したがつて、右裁決は、原処分である入国審査官の認定との関聯においては、行政事件訴訟法一〇条二項にいう審査請求を棄却した裁決にほかならず、しかも、右認定に対しては、抗告訴訟の提起を禁じた別段の規定は存しないから、かかる裁決に対しては、同条項により、右入国審査
官の認定の違法を理由としてその取消しを求めることができないものというべきである。
しかし、請求原因第3項および第4項の各事由は、いずれも本件裁決に対する原処分である入国審査官の認定を違法とする事由にほかならないから、かかる理由をもつて本件裁決の取消しを求めることは、結局原処分の違法を理由として本件裁決を攻撃するものであつて、右条項により許されないものであることがあきらかである。
しかしながら、管理令五〇条にいう特別在留の許可をすることは、法務大臣にのみ認められた固有の権限であるから、右の許否に関する点につき瑕疵を主張して裁決の取消しを求めることは行政事件訴訟法一〇条二項の禁止にふれるものではなく、法務大臣が在留を特別に許可しなかつたことにつき何らかの違法が認められる場合には、右の許可を与えることなく異議申出を棄却した裁決は違法として取消しを免れないものである。
さらに、管理令四九条五項によると、法務大臣に対する異議の申出を理由なしとする裁決があつたときは、主任審査官はすみやかに退去強制令書を発付しなければならないものとされ、主任審査官はこれを発付するかどうかにつき裁量の自由を有しないと解されるから、法務大臣の右裁決が違法と認められれば、これに基づいてなされた右令書発付処分もまた当然に違法なものというべきである。
また、管理令二四条に該当する場合ではないのに、入国審査官においてこれに該当するとの認定をしたときは、その違法はこれを是認する特別審理官の判定、さらにこれに対する異議を棄却する法務大臣の裁決にも及びひいては一連の手続の最終段階においてなされる退去強制令書発付処分(同処分においては、先行処分たる法務大臣の裁決の当不当を判断する余地のないことは前記のとおりである。)もまたその違法を承継し、瑕疵のある処分といわざるを得ないのであり、しかも右の点を理由として右令書発付処分の取消しを求めることは、前記行政事件訴訟法一〇条二項による禁止に触れるものではないと解すべきである。
以上の次第であるから、請求原因第3項および第4項の主張は、本件裁決に関する違法事由としては判断のかぎりでないが、本件令書発付処分に関しては右主張を妨げられるものではないから、まず右主張の当否について判断する。
1 昭和二七年法律第一二六号該当者に管理令が適用されるかどうかについて
昭和二七年法律第一二六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸法令の措置に関する法律」は、その二条六項において「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。」と規定するところ、原告は、前記認定のとおり、戦前から今日まで引き続いて日本に居住している朝鮮人であるから、右条項に該当する者であることが明らかである。
しかして、右条項は、在留資格と在留期間を在留の要件とする管理令の基本原則(同令四条、一九条参照)に対し、暫定措置としてではあるがその例外をなすものであるが、その文言自体からして日本国籍離脱者等に離脱等の日から六〇日間に限り在留資格なしに在留を認める同令二二条の二第一項の特則であるにすぎないことが明らかであつて、これを同令全体の特別法たる性格をもつものと解すべき特段の根拠はなく、また、右条項該当者には同令二四条の適用が排除されると解する余地もないといわざるをえない。このことは、昭和四〇年に発効した「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(いわゆる日韓条約)に伴い成立した「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」がその五条において「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、出入国及び居住を含むすべての事項に関し、この協定で特に定める場合を除くほか、すべての外国人に同様に適用される日本国の法令の適用を受けることが確認される。」旨規定して永住許可を受けた大韓民国国民にも出入国管理令が適用されることを確認したうえ、その三条において「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、この協定の効力発生の日以後の行為により次のいずれかに該当することとなつた場合を除くほか、日本国からの退去を強制されない。」旨規定して退去強制事由を管理令二四条四号のそれよりも狭め、また、昭和四〇年法律第一四六号「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」もその七条において「第一条の許可を受けている者の出入国及び在留については、この法律に特別の規定があるもののほか、出入国管理令による。」とし、その六条において右協定三条と同様の規定をおき、右協定一条および右特別法一条に定める永住許可を受けた者についても、退去強制処分が発せられうることを前提として退去強制事由を管理令二四条のそれよりも限定していることからも明らかである。
この点に関し、原告は、同令が適用されないとの主張の根拠として、在日朝鮮人の地位、生活等に関する歴史的諸事情およびその居住権等につきるる主張するが、戦前から終戦時にかけて在日朝鮮人がおかれた特殊な地位に着目すれば、戦後外国人となつたこれらの在日朝鮮人の法的地位は一般外国人の場合とは必ずしも同一に論じられない面があることは否定できないとしても、原告主張の事実から直ちに、日韓条約によつて日本国が承認した大韓民国の国民であつて前記昭和二七年法律第一二六号に該当する在日朝鮮人についても右にみたとおり退去強制がなされる場合があるとされていることとの撞着を度外視し、右法律第一二六号二条六項の文理を排して、右法律の適用を受ける者に対しては管理令の適用がなく、およそ退去強制をすることができないものと解することは到底できないといわなければならない。
2 管理令二四条四号ルの解釈適用に誤りがあるか否かについて
原告は、まず第一に、同令二四条四号ルにいう不法入国を「助けた者」とは不法入国の幇助を業とするものまたはこれに準ずる程度に出入国管理行政に害を及ぼす危険性の高度のものを指すと主張するが、一般に、一定の行為の反復継続を要件とする場合は、「業」あるいは「業務」等の文言によりこれを表現するのが法文における通常の用法であるところ、同号ルにはそのような文言がないから、その文理からみて原告主張のようには解し難いのみならず、同号のイからヨまでの各退去強制事由、ことにルと同種の刑罰法令その他の法令違反者を対象としたヘからヌまでの各事由との比較においても、ルは、不法入国等を教唆または幇助する行為を出入国管理の根本目的に反する行為としてとくに重視し、有罪判決を受けたこと等の要件を設けずにこれを退去強制事由としたものであつて、原告主張のように一定の態様のもののみに限定したも
のとは解されないから、原告の右主張は採用することができない。
次に、原告は、同号ルは不法入国者と幇助者との間に親子、夫婦、兄弟姉妹等の親族関係がある場合には、その適用を除外されると主張するが、これも同号ルの文理からも実質的な観点からも採ることができない。すなわち、原告の指摘する犯人蔵匿罪に関する刑法一〇五条、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法三条二項、財産犯に関する刑法二四四条等および証言拒絶権に関する刑事訴訟法一四七条、民事訴訟法二八〇条などの各規定は、いずれも親族間の人情に着眼し、当該犯罪の保護法益、態様等との関聯において、立法政策上刑の免除ないし軽減等の利益を与えるのを相当とする場合につき特に設けられた例外的な規定であるから、このような効果は原則として明文のある場合にのみ認められると解すべきところ、管理令二四条四号ルについては右のような格別の規定はなく、また、原告主張のよ
うな親族関係がある場合に、右規定の適用を排除しなければ著しく親族間の情誼を軽視し、ないしは、前記各明文の存する場合との権衡を失するということもできないからである。
しかして、成立に争いのない甲第六三ないし六五号証、乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし三、第四号証および原告本人尋問の結果によれば、原告は、朝鮮在住の実弟Kの渡日の希望を実現させるため、昭和三九年初めころ、その方法につき、原告の友人Lに相談したところ、同人から同人の弟で、日頃日韓を往復しているMを紹介され、同年四月ころ、同人に対し、自己において経費を負担するとの約束をしたうえKを船によつて渡日させることにつき一切を任せ、同時にKに対しそのことを知らせたこと、KがLの兄Nとともに韓国船第○○号に船員として乗船し、同年九月九日神戸港に着いたので、原告は、これを出迎え、入国審査官の上陸許可を受けないで同人を脱船上陸させたこと、同人は、有効な旅券または乗員手帳を所持せずに不法に日本に入国したものであり、原告はこれを知りながら右のように同人を上陸させたこと、以上の事実を認めることができ、右事実によれば、原告の右行為が管理令二四条四号ルに該当することは明らかである。
3 以上のとおりであつて、原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者であるけれども、これに管理令二四条を適用したことにつき原告主張のような違法はなく、また、同条四号ルの解釈適用にもその主張のような違法はないのであるから、本件令書発付処分が右各主張のごとき理由によつて違法な処分であると目することはできない。
三 そこで次に、管理令五〇条にいう特別在留許可を与えなかつた被告法務大臣の判断が違法なものであるか否かについて判断する。
1 原告の生いたちと本件令書発付処分がなされるまでの経緯
前記甲第六三ないし六五号証、乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし三、第四号証および証人Oの証言ならびに原告本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。
 原告は、大正九年三月一二日、朝鮮慶尚南道山清郡新安面新安里で出生し、八歳のとき地元の丹城公立普通学校(六年制小学校)に入学した。ところが当時の朝鮮における小学校教育は義務教育ではなく、貧しい小作農家であつた原告の実家は、その授業料の支払もままならない有様であつた。このため、原告の父は、朝鮮における生活に見切りをつけて単身で渡日した。原告は、右のような状況のもとで六年間の課程を終了したとき、朝鮮においてさらに上級の学校に入ることはとうていできないものと思い、日本にいる父のもとで中学校に入ることを期待して昭和八年五月一五日渡日した。
しかし日本における父の生活も極めて貧しく、原告は中学校入学の希望を実現できないままやむなく愛知県瀬戸市の瀬戸物工場で働くようになつたが、朝鮮人であるため日本人に比べて賃金が低く、長時間の重労働に耐えなければならなかつた。その間においても、原告は、官吏になる希望を抱いて約三年間普通文官試験受験のための通信教育を受けたが、やがて朝鮮人が日本で生きる道は商売しかないと思うようになり、三、四ケ所瀬戸物工場を転転した後独立して瀬戸物の行商や卸問屋を始め、生活もいくらか向上した。そして、しばらくは父および原告の後を追つて渡日した原告の母、妹および祖母さらにその後日本で出生した弟K(通称K’、以下Kという。)とともに家族一緒に生活したが、やがて太平洋戦争が激しくなり、原告の家族は、昭和一九年に一家をあげて朝鮮に帰郷した。しかし、原告は、その前年に名古屋市の軍需工場に徴用されていたため帰郷することができず、一人日本に残つて終戦まで同工場で労働に従事した。
太平洋戦争の終結とともに徴用を解かれた原告は、同市において、友人と共同で建設会社および碍子等を製造する会社を設立したところ、当初両会社の営業は順調であつた。そして、昭和二四年には日本人であるGと結婚した。ところが、まもなく右二つの会社が倒産したため、原告は、妻の実家を頼つて新潟県三条市へ行き、知人の経営するパチンコ屋の手伝をするようになつた。しかし、ここでの生活は長続きせず、原告は妻とともに茨城県笠間、千葉県茂原等を転転とした後、昭和二七年ころ旭川市に移り住んだ。同市では、パチンコ屋を開き、営業は順調であつたが、やがて家主から営業を譲つてほしいといわれたので、原告は、
これに応じて、昭和二八年ころ旭川を去つて小樽に移り住んだ。原告は、小樽においてもパチンコ屋を開いたところ、経営は順調に進み、そのころGとの間に長女Hが生れ、親子三人の生活が約三年間続いたが、昭和三一年火災に遭つて店の大半を焼失したため、小樽を去つた。次いで、原告は、知人を頼つて東京都墨田区や秋田県横手市等を転転とした後、ようやく昭和三四年八月ころに現在の住所である函館市に落ち着き、約一〇年間にわたる流浪の生活に終りを告げた。そして同市において、原告は、パチンコ屋の経営のほかにパチンコ機械の販売をはじめるようになつたが、同年一〇月には在日朝鮮人総連合会函館支部に入り、昭和三八年には同支部委員長となつた。そして、同会の仕事が忙しくなるにつれて、パチンコ屋
の経営を事実上妻に任せ、パチンコ機械の販売業も中止して現在に至つた。
なお、原告は、日本の敗戦によつて日本人としての地位を離脱し、旧外国人登録令の適用を受ける外国人となつたため、昭和二二年ころ外国人登録証明書の交付を受けたが、日本国との平和条約が発効した昭和二七年四月二八日以降本件令書発付処分がなされるまでの間(なお、右処分に関しては、札幌地方裁判所昭和四二年(行ク)第四号退去強制処分執行停止申立事件につき、同年七月一六日執行停止決定がなされている。)、前記昭和二七年法律第一二六号二条六項に基づいて日本における在留を許されていたものである。
 原告は、昭和三八年の暮に朝鮮に居住するKから学者になるため日本に留学したいとの希望を述べた手紙を受けとつた。Kは、昭和一三年に瀬戸市で出生し、前記のとおり同市で原告およびその家族と同居していたが、昭和一九年に原告の父母、妹および祖母とともに朝鮮に帰国した。そして、のち京城の高麗大学史学科を卒業し、日本の大学で勉強する希望を強く抱いていた。そこで、原告は、Kを来日させる方法について検討したところ、その当時日本と朝鮮との間に国交が樹立されていなかつたために合法的にKを渡日させる方法がないことを知り、その旨を同人に伝えた。しかし、その後も同人からはたびたび同趣旨の手紙が届いたので、原告は、同人の来日の希望を何とか実現させようと思案していたところ、たまたま、昭和三九年初めころ、原告の友人で同業者であるL(函館市在住)と会つてKの渡日方法について相談をしたとき、Lから、同人の弟Mが貿易船で日本と朝鮮との間を往復しているので、これを利用すればKを渡日させることができるかもしれない旨告げられ、さらに同年四月ころ、Mから電話でKを日本に上陸させる方法はあるが費用として二〇万円ほどかかる旨連絡を受けた。そこで、原告は、Kの上陸を不法入国により実現させることも止むを得ないと考え、Mに対し、Kの渡日を援助してくれるように依頼するとともに、費用は必ず支払う
旨告げ、他方、Kに対してはMを紹介する手紙を書いた。その後MやKから別段の連絡はなかつたが、同年九月上旬になつて突然Kから下関に到着したとの電話を受けたので、原告は直ちに函館を発つて、同月九日、神戸港に入港した船に乗つていた同人を出迎えた。
原告は、Kを乗船させてきたLの兄Nらから、Kが韓国船第○○号に船員として渡航してきたものであることを聞き知り、船員たちに対し、Kの入国が外部に漏れないように堅く口止めをしたうえ、入国審査官の上陸許可を受けないで同人を脱船上陸させ、直ちに同人を連れて函館に帰り、自宅に同人をかくまつた。そして、原告は、手数料としてNから要求された三〇万円を帰函後Lを通じてNに送金した。
原告は、一時は、早い時期にKの密入国を自首させることを考えたが、同人が北海道大学の大学院に入る等の素地を造つたうえで自首させる方が何らかの形で一時在留を認められる公算が大きいのではないかと期待し、同人が同大学院に入るまではできるだけ同人が人目に触れないようにとりはからい、同人を函館から札幌へ移住させる等して同人をかくまつていたところ、昭和四一年三月、同人が同大学院の入学試験に合格したのでようやく同人を自首させる気持になつた。ところが、同年四月初め、同人は、たまたま危篤状態にあつた原告のおじの病気見舞を兼ねて関西方面に旅行に出かけたところ、神戸の浜坂海岸において管理令違反の容疑で逮捕された。
原告は、同月一七日、商用で函館から東京へ向つたところ、羽田空港において逮捕され、その場でKがすでに逮捕されていることをはじめて聞いた。
原告は、直ちに羽田から神戸に護送され、弁護人の選任も思うにまかせないまま犯人蔵匿罪の容疑で一三日間身柄を拘束された後、同月二九日、管理令違反の幇助罪で罰金五万円の略式命令を受け、同日釈放された。
原告は、右の刑の確定によつて前記行為に関する制裁措置はすべて終了したと思つていたところ、同年五月九日、神戸入国管理事務所の収容所に抑留中のKに面会した際、同事務所において管理令二四条四号ル該当の疑いで取調べを受けた。その後、函館および札幌の各入国管理事務所において再三にわたり取調べがなされた結果、前記認定のとおりの経緯で本件裁決および本件令書発付処分がなされるにいたつた。
なお、Kは、逮捕されてから約一年数ケ月間収容された後国外へ追放され、現在は朝鮮民主主義人民共和国において新聞記者をしている。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
2 裁量権の逸脱ないし濫用の有無
管理令四九条に基づく異議を棄却する旨の法務大臣の裁決は、同令五〇条に定める在留の特別許可をしない旨の処分でもあつて、これを許可しないことにつき何らかの違法が存する場合には、裁決は違法たるを免れないものであり、右の瑕疵を理由として裁決の取消しを求めることが行政事件訴訟法一〇条二項の禁止にふれるものでないことは、いずれも前述のとおりである。そして、管理令五〇条によれば、法務大臣は、当該容疑者が永住許可を受けているとき、かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき、その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるときのいずれかに該当するときは、その在留を特別に許可することができるものとされているのであつて、右規定の体裁自体からみても、また、他には右特別許可を与える場合の基準ないし要件を定めた規定が存しないことからしても、右特別許可を与えるかどうかは、法務大臣の自由な裁量に委ねられているものと解される。しかし、その裁量も全く無制限なものではなく、それが著しく人道に反するとか、甚しく正義の観念にもとるというような例外的な場合には、日本国憲法前文および一三条の趣旨に鑑み、裁量権の逸脱ないし濫用があつたものとして取消しの対象となるものといわなければならない。
これを本件についてみると、前記認定事実からすれば、原告は、もと日本の国籍を有し、朝鮮で小学校を卒業して間もない昭和八年に生活の手段を求めて、先に来日していた父の後を追つて来日し、爾来今日まで約四〇年もの長い間本邦に居住し、日本人と結婚してその間に一子をもうけ、戦前、戦争中および戦後を通じて日本の社会に融合し、自己の労働と能力によつて一家の生計を維持し、営営として今日の生活を築きあげてきたものであること、一方、原告がその実弟の不法入国を助けた行為が前記のとおり管理令二四条四号ルに該当するものであることは否定できないが、本件令書発付処分に先だち、原告の受けた前記管理令七〇条違反の幇助罪の刑罰は五万円の罰金であつて、これは、右犯罪につき、その法定刑として最高三年までの懲役または禁錮刑が選択刑として規定されていることからみて必ずしも重い処罰を受けたものと
はいえず(同令七〇条一号、三条、刑法六三条参照)、むしろ、裁判所において管理令七〇条違反の罪としては比較的軽いものと評価されたことがこれによつて窺われること、また、原告の行為は、妻子等本来同居すべき家族の一員を呼び寄せた場合と異なるけれども、実弟の勉学の希望をかなえてやりたいという肉親の情から出たものであつて、営利目的や国益を害する目的から行なわれたものではなく、その幇助行為の態様も必ずしも悪質なものとはいえないこと、さらに、原告は渡日以来約四〇年もの間平穏に善良な市民として生活してきたものであつて、駐車違反等の軽微な法規違反行為が数回あつたほかは前科や非行歴も全くなく(これは前記乙第一号証の二および原告本人尋問の結果により認められる。)原告を従前どおり日本に居住させることにより、国益に害を与えるおそれがあるものとは認め難いこと、他方、本件令書発付
処分により原告が国外に追放されると、渡日以来約四〇年にわたつて築きあげた原告の生活基盤が失なわれ、さらに、日本人である原告の妻との別居を余儀なくされることも考えられ、妻子の生存にも重大な影響を与えること、以上のように考察される。
右のような諸般の事情を考慮すれば、原告の右管理令違反行為に対して退去強制処分をもつてのぞむことは、原告の右違反行為によつて侵犯された法益が甚しく重大なものではなく、また今後、原告によつて同種の行為が反復されるおそれがあるわけではないのに比し、原告に対しては、長期間にわたつて築き上げた日本における安定した生活をいつきよに奪うものであつて、極めて苛酷な措置であり、甚しく正義の観念にもとり、人道にも反するものといわざるをえないから、ひつきよう、原告に対し管理令五〇条にいう特別在留許可を与えなかつた被告法務大臣の処分(裁決)には、その裁量の範囲を逸脱し、ないしは裁量権を濫用した違法があるものといわなければならない。
四 結論
以上によれば、被告法務大臣が原告に対し、特別在留許可を与えることなく異議の申出を棄却した本件裁決は、その裁量の逸脱ないし濫用があるものとして取消しを免れず、また、右裁決に基づいてなされた被告主任審査官の本件令書発付処分も、前記のとおり右裁決の瑕疵を承継して違法であるからこれまた取消しを免れない。
よつて、右裁決および処分の各取消しを求める原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

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