出入国管理及び難民認定法違反被告事件
平成14年(わ)第225号
広島地方裁判所刑事第2部(裁判官:小西秀宣)
平成14年6月20日
判決
主 文
被告人に対し刑を免除する。
理 由
(罪となるべき事実)
被告人は、アフガニスタンの国籍を有する外国人であるところ、有効な旅券又は乗員手帳を所持し
ないで、平成13年6月10日、アラブ首長国連邦から大韓民国を経由して航空機で福岡市○○区○○所
在の福岡空港に到着して本邦に不法に入国し、同所に上陸した後、引き続き同14年2月27日まで山口
県内等に居住するなどして本邦に不法に在留したものである。
(証拠の標目)
《省略》
(法令の適用)
《省略》
(刑を免除した理由)
1 当裁判所は、弁護人の主張を入れ、出入国管理及び難民認定法(以下、単に「法」という。)70条の
2を適用して、被告人に対して刑を免除することとしたので、以下、その理由を説明する。
まず、前記各証拠のほか、《省略》によれば、以下の事実を認めることができる。
 被告人は、1972年、アフガニスタンの《地名略》県で出生したハザラ族(以下、「ハザラ人」と
もいう。)であり、イスラム教シーア派に属するアフガニスタン人である。
ハザラ族は、アフガニスタンにおける少数民族であり、宗教的にも少数派であるシーア派であ
って、民族的及び宗教的に多数派であるスンニ派のパシュトゥン人とは民族的、宗教的に対立関
係にあり、また後述の内戦後は、同じくスンニ派のタジク人とも対立関係にあると考えられる。
また、ハザラ人は、アフガニスタン国内で経済的に最も困窮している部族であると言われている。
 被告人は、1991年にA大学経済学部を卒業後、1992年にハザラ族シーア派の政治団体である
イスラム統一党(ヘズベ・ワフダッテ・エスラーミー)に入党して文化委員会に所属し、主とし
て通訳や広報関係の活動を行っていた。
また、1992年、ナジブラ政権が崩壊してアフガニスタンが内戦状態になった後、カブール市西
部のコテサンギやアフシャールにおいて、パシュトゥン人勢力であるタリバンやタジク人のグル
ープがハザラ人に対して軍事攻撃を行った際には、被告人は、これに対抗するための軍事活動に
も従事したが、1995年3月、タジク人グループがカブール市西部のデフマザングからカルテセー
に向けて、ハザラ人に対する軍事攻撃を行った際、カブールから逃走することを余儀なくされ、
パキスタンのペシャワールに逃れた。
その後、被告人は、安全にアフガニスタンに入出国することができなくなった。
 他方、被告人は、1994年に自動車中古部品の売買を業とするBに雇用され、カブールとパキス
タンのペシャワールを往来して自動車中古部品売買の仕事をするとともに、イスラム統一党の活
動も行っていた。
そして、上記のように1995年にペシャワールに逃れた後は、ペシャワールに居住して、Bの業
務に従事するとともに、イスラム統一党の活動も行っていた。また、被告人は、1996年に結婚し、
1男1女をもうけている。
1997年には、上記Bの経営者が、アラブ首長国連邦(U.A.E、以下「UAE」という。)にC中古自
動車部品貿易会社(以下、「C社」という。)を設立したため、被告人も同国のシャージャに居住し
て同社の仕事をするようになり、妻子は、アフガニスタン北部のマザリシャリフで被告人の両親
と同居するようになった。なお、C社は、2001年1月にD自動車中古部品貿易会社(以下、「D社」
という。)と改称された。
また、被告人は、B等のために、1995年(平成7年)から2000年(平成12年)まで、8回にわたり、
我が国に適法に入国して、自動車中古部品の買付けや輸出等の業務を行うとともに、シンガポー
ルや韓国にも渡航して、同様の業務を行ってきた。なお、被告人は、英語に通じ、日本語で日常的
な会話をすることができる。
 1995年3月のカブール市西部における戦闘の後、被告人の両親及び弟はアフガニスタン北部
のマザリシャリフに逃れていたが、1998年8月にマザリシャリフがパシュトゥン人勢力である
タリバンによって征服された際には、ハザラ人多数が殺害されたと言われており、被告人の弟も
その際死亡したものと思われ、消息が不明となっている。被告人の両親や被告人の妻子は、その
後アフガニスタン東部の《地名略》県に逃れた。
そして1999年に被告人は、《地名略》県の両親のもとにいた妻子をUAEのシャージャに連れ帰
った。
 2001年4月7日ころ、被告人は、《地名略》県の両親に会うため、UAEからパキスタンのペシャ
ワールに赴き、更にアフガニスタンに入国したが、アフガニスタン国内のおじ宅に寄ったところ、
おばから、タリバンが被告人を逮捕するために、《地名略》県の被告人の両親宅にやってきたとこ
ろ、被告人が見つからないので、代わりに父を逮捕して行ったことを聞き、身の危険を感じて直
ちにペシャワールに戻った。
そして被告人は、日本に亡命することを決意し、ペシャワールでおじに密航ブローカーを紹介
してもらい、UAEのシャージャでその準備が整うのを待っていた。また、妻子は《地名略》県の母
の元に戻らせるため、パキスタンに赴かせた。
 他方、被告人は、1999年(平成11年)ころから、C社の業務として、山口県にある中古自動車部
品の売買等を業とする有限会社E工業所(以下、「E工業所」という。)と取引をするようになり、
また2000年(平成12年)7月18日には、被告人が取締役となって、広島県《住所略》に本店を置
くF有限会社(以下、「F社」という。)の設立登記をした。
そして、被告人はE工業所の信用を得るようになり、2000年(平成12年)9月には、E工業所
を連帯保証人として、山口県《住所略》にある工場(以下、「G工場」という。)をF社名義で借り
受け、その一部をE工業所が使用することとなった。また、そのころ、被告人は、E工業所の専務
取締役であるHから、同社で働かないかと誘いを受け、上記Hは同年11月ころ、UAEに渡航して
ドバイのD社を訪れ、同社の経営者との間で、E工業所が被告人を雇用する旨の取決めをした。
Hは、日本に帰った後、同年12月1日に、E工業所の従業員を被告人の代理人として広島入国
管理局岩国出張所に法7条の2に基づく被告人の在留資格認定証明書交付申請を行ったが、この
申請に対する判断がなかなか出なかった(同交付申請に対しては、翌年6月19日付けで不交付通
知書が発出されている。)ため、被告人に対して、ドバイの日本総領事に対して短期ビザを申請す
るように指示し、被告人は、2001年(平成13年)4月14日、ドバイの日本総領事に対して査証発
給申請を行った。しかし、この申請に対する判断もすぐには出なかった(この申請については同
年10月2日に外務本省からドバイ総領事に対して査証発給を拒否する旨の指示が発出されてい
る。)。
 そして、同年5月になって、前記密航ブローカーから被告人に連絡があり、被告人は、5月30
日にUAEのドバイから出国し、香港経由で6月1日に大韓民国のソウルに入国し、更にプサンに
行き、6月10日、プサンから航空機で福岡空港に到着し、オランダ国籍の「I」という偽名の偽造
旅券によって本邦に入国した。
本邦入国後、被告人は、G工場に居住し、E工業所の関係者には、短期ビザで入国したと偽って、
従前同様、D社のために自動車部品の買付けや輸出等を行っていた。
 被告人は、同年6月下旬ころには、Hから、前記在留資格証明書不交付通知がなされたことを
知った。Hは、上記不交付通知の理由が、被告人のUAEにおける住居が不安定なためであると聞
き、D社から被告人についての証明書等を、また在東京のUAE大使館から被告人の同国における
在住許可証についての証明書を取寄せる等して、同年8月6日、再度、被告人の代理人として広
島入国管理局に在留資格認定証明書交付申請を行ったが、これについては同年10月10日付けで
不交付通知書が発出されている。
 被告人は、上記在留資格証明書の発給がなされないため、難民認定申請をすることを決意し、
難民の支援活動をしている大阪のカトリック教会に相談し、福岡のカトリック教会の紹介を受
け、その関係者の協力の下に、同年9月12日、福岡入国管理局に対して、難民認定申請を行った。
もっとも、被告人は、この申請をするに当たっては、「J」という偽名を名乗り、また上陸年月日
は平成13年8月22日である旨偽っており、またタリバンの発行した「J」に対する拘束令状の写
しを提出している。
その後、被告人は、9月23日に大阪のカトリック教会に電話し、同教会で難民支援活動をして
いるKに対し、福岡において偽名で難民認定申請をしていることを打ち明けて相談した結果、大
阪において本名で難民認定申請をすることとし、Kの勧めに従って、同年11月7日に至り、大阪
入国管理局に対して、本名で難民認定申請を行った。もっとも、この申請においても、被告人は、
ペシャワールから韓国経由で同年8月22日に船舶で横浜港に上陸した旨、入国日及びその経路を
偽っている。なお、この申請に対しては、平成14年2月27日付けで不認定通知書が発出されてい
る。
また、この申請の際に、被告人は入管当局に対して、福岡において偽名で難民認定申請をして
いることを告げ、同申請を取り下げている。
2 以上の事実関係を元に、まず被告人の難民該当性及び難民であることと不法入国・不法在留との
因果関係について検討するに、前記のとおり、被告人は、ハザラ族シーア派のアフガニスタン人で
あり、ハザラ族は、民族的にも宗教的にも少数派であって、民族的かつ宗教的に多数派であるシー
ア派のパシュトゥン人とは対立関係にあり、1992年以降のアフガニスタンにおける内戦において、
ハザラ人はパシュトゥン人やタジク人のグループから軍事攻撃を受けており、ハザラ人がアフガニ
スタンにおいて迫害されるおそれのある状態であったことは、明らかというべきである。
そして、被告人の公判供述や手紙によれば、前記のとおり、被告人は、ハザラ人の政治団体である
イスラム統一党の党員であり、1992年以降のアフガニスタン内戦において、ハザラ人がパシュトゥ
ン人やタジク人のグループから軍事攻撃を受けた際、これに対抗するための軍事活動に従事してい
るため、両グループから迫害されるおそれがあったものであり、かつ、現にパシュトゥン人勢力で
あるタリバンが被告人を逮捕しようとしていたことが認められる。
なお、検察官は、以上のような被告人の供述の信用性を争うのであるが、被告人の供述は、詳細か
つ具体的であり、内容もほぼ一貫していて格別不自然なところはなく、また、被告人がイスラム統
一党員であったことを示す特別身分証明書の存在も窺われるところであって、信用することができ
るものである。
そして、被告人が今回、不法入国及び不法在留をした動機についてみるに、前記認定事実及び被
告人の公判供述によれば、被告人は、2000年(平成12年)11月には、D社からE工業所に転籍して
雇用されることになり、E工業所の関係者を介して来日のための在留資格認定証明書交付申請を行
っていたのであるが、その後2001年4月に、タリバンが被告人を逮捕するために捜索していること
を聞いて、タリバンの影響力の強いパキスタン及びUAEから亡命することを決意するとともに、亡
命先として日本を選択したものと認められる。
なお、被告人が亡命先として日本を選択したことについては、前記のように、これまで来日経験
があり、日常的な会話能力があることのほか、E工業所に雇用されることが決まっていて、日本で
就業できるということも、その動機の一つであることは明らかであるが、他方で、被告人が、本国で
あるアフガニスタン並びに本国を支配していたタリバンの影響力の強いパキスタン及びUAEで迫
害されるおそれがあるために、日本への亡命を決意したという動機も認められるのであって、就業
という動機が並存しているからといって、これが亡命の意思を認めることの妨げになるものとはい
えない。
また、前記認定のとおり、被告人は、本邦に入国した後も、E工業所の関係者を介して在留資格認
定証明書の交付申請を行っていて、直ちに難民認定申請を行っておらず、また自動車部品の買付け
等の営業活動を行っている。この点について被告人は、在留資格認定証明書が交付されれば、不法
に入国していても日本での滞在が合法的になると思ったからであり、営業活動を行っていたのは、
生活するためであると述べるところ、日本での滞在が合法的になると思ったとの点は、容易には理
解し難いところではあるが、被告人は、これまで8回にわたり適法に入国して自動車部品の買付け
等を行っているのであるし、関係証拠(省略)によれば、今回の入国後も、被告人は、自己が取締役
になっているF社名義や被告人名義の銀行口座を利用し、またE工業所や他の取引先とも本名で取
引を行い、G工場に居住しており、ことさら自己の所在を隠したり、氏名を偽ったりはしていない
ことが認められるのであって、そのような事実からすれば、被告人が不法在留のまま営業活動を継
続しようとしていたものとは考えられず、上記のような、やや不可解な供述内容も、不法入国・不
法在留をしている被告人の、自己の立場を少しでも有利にしておきたいという心情の表れとして理
解できないものではないというべきである。
さらに、前記認定のとおり、被告人は、入国日及び入国経路を偽って難民認定を申請しているの
であるが、被告人の供述によれば、入国日を偽った点については、難民認定を受けるためには、本
法に上陸した日から60日以内にその申請をしなければならないと聞いていたからであり、入国経路
を偽っていた点については、危険な地域から直接来たという話をしなければ難民認定に不利である
と思ったからであり、また前記密航ブローカーから、難民認定を受けるためには、空路で入国した
のではなく、海路で入国したと申請した方が有利である旨聞かされていたからであると述べるとこ
ろ、この点も、被告人の前記のような境遇や心情からすれば、理解できないものではなく、これが難
民該当性や前記因果関係を認定することの妨げになるものとはいえない。
以上のとおり、被告人は、人種ないし特定の社会的集団の構成員であること及び政治的意見を理
由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国であるアフガ
ニスタンの外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができなかったものであり、かつ
そのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものであって、法2条3
号の2にいう難民であると認められるとともに、被告人は、前記おそれがあることにより、本邦に
不法に入国し、かつ不法に在留したものといえる。
3 次に、被告人が、生命、身体又は身体の自由が害されるおそれのある領域から直接本邦に入った
といえるかどうかについて検討するに、国連難民高等弁務官事務所の1999年のガイドラインの難
民の地位に関する条約31条についての解釈をも参考にすると、法70条の2第2号にいう「直接本邦
に入った」とは、出身国から、あるいは庇護希望者の保護、安全や安定が保証されないかも知れな
い他国から直接本邦に入った場合であって、庇護申請をせず、あるいは庇護を受けることなく短期
間で中継国を通過した場合を含むと解すべきである。そして、前記のとおり、被告人は、2001年4
月7日ころ、アフガニスタンからパキスタンを経由していったん当時の居住国であるUAEに戻り、
5月30日にUAEのドバイから出国し、香港経由で6月1日に大韓民国のソウルに入国し、6月10
日、プサンから航空機で福岡空港に到着して本邦に入っているのであるが、パキスタン及びUAEが
当時アフガニスタンの国土のほとんどを支配していたタリバン政権を政府として承認していたこと
は、関係証拠(省略)によって明らかであって、以上の事実関係からすれば、UAEにおいても被告人
が逮捕されるおそれはあったものといえ、かつ、香港及び大韓民国を経由したのは、短期間で中継
国を通過した場合に当たるといえるから、被告人は、前記おそれのある領域から、直接本邦に入っ
たということができる。
4 さらに、被告人が、本邦に不法に入国し、不法に在留した後、遅滞なく入国審査官の面前で難民で
あること等、法70条の2各号の事由に該当することの申出をしたといえるかどうかについて検討す
るに、前記認定のとおり、被告人は、平成13年(2001年)6月10日に本邦に不法に入国し、不法に
在留するに至ったものであるが、難民認定申請を行ったのは、同年11月7日であり(9月12日の福
岡入国管理局に対する偽名での難民認定申請は、同号の申出に当たるとはいえない。)、不法入国後、
難民認定申請までに約5か月を経過していることが明らかである。
しかしながら、その経緯は前記認定のとおりであって、9月下旬に大阪のカトリック教会のKに
相談するまでの約3か月間の期間のほとんどは、Hに依頼していた在留資格認定証明書交付申請の
返事を待っていたものといえ、その心情が理解できないものではないことは、前記のとおりであり、
その後11月7日まで難民認定申請をしなかったのは、Kらの勧めによるものであると認められると
ころ、被告人の難民としての立場や心情等にかんがみると、以上の程度の期間を要したとはいえ、
被告人の難民認定申請は、法70条の2にいう「遅滞なく」なされたものというべきである。
なお、被告人が、上記難民認定申請の際に入国日及び入国経路を偽っていたことは前記のとおり
であるが、難民であることやその原因など、その他の点では被告人は事実を申告しており、入国日
や経路の偽りも、前者については約2か月の差にとどまり、後者についてもUAEでの2か月弱の滞
在を申告しなかったにとどまるもので、そのような偽りを申告した動機をも併せ考えると、この点
が上記認定の妨げになるものとはいえない。
5 以上の次第で、被告人については、法70条の2の各号に該当することの証明があり、かつ、不法
入国・不法在留の後、遅滞なく入国審査官に対して法70条の2の各号に該当することの申出をした
ということができるので、被告人に対しては、その刑を免除することとした。
(求刑懲役1年6か月)

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