難民認定をしない処分取消等請求事件
平成12年(行ウ)第13号
原告:A、被告:法務大臣
大阪地方裁判所第7民事部(裁判官:山下郁夫・山田明・小泉満理子)
平成15年3月27日
判決
主 文
1 被告が、原告に対し、平成11年6月10日付け通知書で通知した難民の認定をしない旨の処分を
取り消す。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主文1項同旨
2 被告が、原告に対し、平成11年12月6日付け通知書で通知した原告の出入国管理及び難民認定
法61条の2の4による異議申出を理由なしとした裁決を取り消す。
第2 事案の概要
本件は、アフガニスタン出身の原告が、難民不認定処分及びこれに対する異議申出を理由なし
とした裁決を不服として、その取消しを求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)
 原告は、アフガニスタン出身の男性である。
 アフガニスタンは、イラン系のパシュトゥーン族やタジク族、モンゴロイド系のウズベク族
やハザラ族等の民族が混在する多民族国家であり、1979年(昭和54年)12月、ソ連軍の軍事介
入のもとカルマル社会主義政権が誕生し、1986年(昭和61年)5月にはナジブラが書記長に就
任して政権を引き継いだが、イスラム教徒民兵組織であるムジャヒディーンがゲリラ戦を展開
し、ソ連軍は、1989年(平成元年)2月、ジュネーブ合意に基づきアフガニスタンから完全に撤
退し、1992年(平成4年)4月、ムジャヒディーンの軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊した。
ムジャヒディーンには、タジク族中心のイスラム協会(ラバニ派)、パシュトゥーン族中心のイ
スラム党(ヘクマチヤル派)、イスラム教シーア派のハザラ族中心のイスラム統一党(ヘビス・
ワハダット、ハリリ派等)、ウズベク族中心のイスラム国民運動党(ドストム派)が属し、1993
年(平成5年)1月、イスラム協会の最高指導者ラバニが大統領に就任したが、各派間の主導権
争いが激化し、全土が内戦状態に巻き込まれることとなった。1994年(平成6年)末、イスラ
ム教スンニー派のパシュトゥーン族を中心としたタリバーンと呼ばれるイスラム原理主義勢力
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が台頭し、イスラム原理主義政権の樹立を目指して勢力を拡大し、1996年(平成8年)9月末
にはラバニ派を中心とする政権が支配していた首都カブールを制圧し、暫定政権の樹立を宣言
した。これに対し、ラバニ派、ハリリ派、ドストム派等の各派は、北部マザリ・シャリフを中心
に反タリバーン同盟(通称北部同盟)を結成し抵抗を続けたが、1998年(平成10年)夏には、マ
ザリ・シャリフ及びイスラム統一党の拠点バーミヤンが陥落し、ハザラ系市民2000人以上が
大量虐殺された旨の報道等がなされた(甲7、8、10の1、10の2、乙3)。
 原告の所持するA名義の旅券(以下「本件旅券」という。)は、1994年(平成6年)8月29日、
カブール中央旅券事務所で発行され、1996年(平成8年)12月12日、アフガニスタンのバルフ
で有効期間が延長されたもので、生年には1968年(昭和43年)と記載されている(乙10の1、
10の2)。原告は、本件旅券を所持して、1995年(平成7年)1月から1997年(平成9年)9月
まで合計5回、いずれも短期滞在の在留資格(在留期間90日)で日本に入国した(乙2)。更に
原告は、1998年(平成10年)6月28日、短期滞在の在留資格(在留期間90日)で日本に入国し、
同年8月24日、被告に対し出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2に基
づく難民認定の申請をし、在留期間更新許可申請を行いその許可を受けていたが、被告は、難
民の認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)を行い、原告に対し、1999年(平成11年)
6月10日付け通知書で通知し、上記通知書は、同月30日、原告に交付され、原告の平成11年6
月21日付け在留期間更新許可申請も同年7月12日に不許可とされた(乙2)。原告は、同月6
日、被告に対し、入管法61条の2の4に基づき本件処分について異議の申出を行ったが、被告
は、異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を行い、原告に対し、1999
年(平成11年)12月6日付け通知書で通知し、上記通知書は、同月7日、原告に交付され、同日、
原告は収容された。原告は、2000年(平成12年)2月14日、郵送で第2次難民認定申請を行い、
同月17日、仮放免され、同月28日、本件処分及び本件裁決の取消しを求めて本訴を提起した。
なお、その後原告は、2002年(平成14年)5月20日、Bと婚姻の届出を行った。
 入管法が定める難民とは、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定
又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定より難民条約の適用
を受ける難民をいうところ(入管法2条3号の2)、上記各規定によれば、難民とは、人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそ
れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国
籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために、その国籍国の保
護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該
常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居
所を有していた国に帰ることを望まないものをいう。
2 争点
本件の争点及びこれに関する当事者の主張は、次のとおりである。
 本件処分の違法性
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ア 難民該当性
ア 立証責任等
(原告)
難民性の立証責任が原則として申請者にあるとしても、反対の十分な理由のない限り、
申請者は灰色の利益を与えられるべきというのが国際原則である(国連難民高等弁務官事
務所(以下「UNHCR」という。)難民認定基準ハンドブック)。そして、UNHCRは、2001
年(平成13年)7月、原告を難民条約上の難民と認定して被告担当者に通知し、難民とし
ての保護を要請した。難民認定、保護の国際的専門機関であるUNHCRが、慎重な調査等
の結果難民として認定している以上、立証責任は転換されているとみるべきで、被告が難
民性否定事由の積極的立証責任を負うと解すべきである。
(被告)
難民条約及び難民議定書には、難民認定に関する立証責任や立証の程度に関する規定は
なく、各国の立法政策に委ねられており、我が国においては、入管法によれば、難民である
ことの立証責任は申請者にある。UNHCRの難民認定基準ハンドブックは、立証責任等に
関し法的拘束力はなく、難民条約の補足的手段にも当たらず、国際原則とはならず、灰色
の利益があるとする原告の主張は失当である。原告は、UNHCRからマンデート(責務)難
民の認定を受けているようであるが、マンデート難民の認定はUNHCR事務所規程所定の
責務(マンデート)に基づいて独自に実施されるもので、難民条約所定の保護を与えるこ
とを目的とする締結国による難民認定とは目的及び対象を異にしており、締結国に難民認
定を求めるものではないことからすれば、締結国とUNHCRとで難民該当性の判断が食い
違うことも十分あり得るところで、マンデート難民の認定をもって原告を難民と認めるこ
とはできない。
イ 難民事由
(原告)
原告Aは、1991年(平成3年)17歳のころから、従兄弟のCと共に、イスラム統一党の
マザーリ派ゲリラ兵士として内戦に参加し、主として、ハザラ族の多いカブール市内のア
フシャル及びホシャルハン地区で、パシュトゥーン族やタジク族系のエテハテ・サヤフと
いうゲリラ組織との市街戦に加わった。1992年(平成4年)、アフシャル地区の原告の実
家がエテハテ・サヤフに破壊され、原告とCの家族は、カブールを出て最終的にマザリ・
シャリフに逃れたが、同市陥落後、パキスタン等に逃れて現在離散状態にある。原告とC
は、イスラム統一党ゲリラとしてカブールに残ったが、1993年(平成5年)、ラバニ派のマ
スード派ゲリラとの戦闘に敗北し、アフシャル、ホシャルハンのハザラ族500人近くが虐
殺され、1994年(平成6年)、アフシャル、ホシャルハンでエテハテ・サヤフとの戦闘に敗
走し、非戦闘員が虐殺され、原告のおじで非戦闘員であるDとEがエテハテ・サヤフに連
行され、連絡がとれなくなり、殺害されたと伝えられた。原告は、戦闘が嫌になり、ラバニ
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派に本件旅券を発行してもらい、パキスタンのペシャワールに脱出し、父Fの会社の中古
自動車、部品の輸出入等の仕事を手伝い、日本に買付けに来るなどした。エテハテ・サヤ
フは、その後タリバーンに合流しており、1995年(平成7年)、タリバーンがカブール市内
のデリブに侵攻し、同年3月、イスラム統一党指導者マザーリ師が虐殺され、ゲリラ基地
にあったイスラム統一党ゲリラの写真付き軍部身分証明書(ワハダットカード)がタリバ
ーンの手に渡り、以後、ハザラ族ゲリラ残党の捜査資料に使われている。原告は、タリバ
ーンの支配が確立するにつれ、パキスタンが危険になったため、アラブ首長国連邦(以下
「UAE」という。)のドバイでおじGが経営する会社Hで自動車の輸出入等の仕事を手伝い、
UAEの居住権も得た。原告は、1998年(平成10年)6月28日、Hの仕事のため日本に入国
したが、同年7月からタリバーンの大攻勢が始まり、パキスタンの知人から電話でタリバ
ーンに原告とCの軍部身分証明書や関係書類が渡っており空港等でチェックされていて危
険であると聞き、Gからも電話でドバイも危険で旅券の更新ができない旨聞いた。同年8
月、マザリ・シャリフが陥落し、原告は、生命、自由への強度の危険を感じ、このような状
況下ではもやは本国には帰れないとドバイでの居住権も放棄して、同月24日、Cと共に難
民認定申請をして保護を求めたものである。その後も、ハザラ族の拠点であるバーミアン
もタリバーンに制圧され、ハザラ系住民が大量に虐殺され、同年9月、またいとこのIが
軍部身分証明書を基にパキスタンで拉致、逮捕されてアフガニスタンに強制送還された。
Iの生死は不明であるが、ほぼ殺害されたものに間違いない。タリバーンは、ハザラ族に
対する迫害を継続しており、原告が帰国すれば、外見から一目でハザラ族と判明し、本件
旅券もラバニ派の発行したもので、軍部身分証明書によりイスラム統一党兵士として戦闘
参加の確認もされ、Iと同様処刑されてしまう。このように原告には、ハザラ族という人
種、イスラム教シーア派という宗教及びイスラム統一党という特定の社会的集団の構成員
であることを理由に迫害を受けるおそれがあり、難民に該当する。
(被告)
アフガニスタンにおいて、およそイスラム教シーア派又はハザラ族であれば迫害を受け
る客観的おそれを認める証拠はなく、イスラム教シーア派又はハザラ族の人口に照らして
も、イスラム教シーア派又はハザラ族がすべて殺害等される状況にないことは明らかであ
る。本件証拠からは、原告がイスラム統一党に所属していた事実、マザーリ派ゲリラ兵士
として戦闘に参加していた事実を認めることはできない。原告がイスラム統一党ゲリラに
参加していた際のものとして提出する写真は、撮影されている者が原告とは認め難いもの
か、又は、兵士の姿を演出したり内戦当時の撮影年月日を写し込むことが可能なものであ
り、マザーリ師に関する写真もイスラム統一党構成員でなければ入手できないものではな
く、これらの写真により原告がイスラム統一党兵士として活動していた事実を認めること
はできない。イスラム統一党軍部身分証明書(以下「本件証明書」という。)も、鑑定結果に
より写真が貼り替えられていることが認められ、他の証明書等も原告がFとJの子である
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A(以下、かぎ括弧を付して「A」という。)であることを証明するものではない。Lの証言
は、資料の入手経路について不自然な点があって信用できず、原告の供述は、旅券の有効
期間の延長手続、姉妹の存在、生年月日に関連する事項等について不自然極まりない供述
の変遷等があり、信用できるものではない。旅券の有効期限延長の際、パキスタンとの国
境カイバル峠にあるトルカムのアフガニスタン出入国管理事務所から公式の出国許可を
受けていることは、原告又は「A」が元イスラム統一党兵士として追及されていなかった
ことを裏付けるものである。仮に原告が主張するように、原告がイスラム統一党に加入し
戦闘に従事した事実があるとしても、時期からしてその相手はタリバーンではなく、相手
が専らパシュトゥーン人であったとは考え難く、タリバーンがその台頭前にパシュトゥー
ン系部隊と戦闘した者すべてを迫害の対象とする根拠はなく、タリバーンが上記戦闘の事
実を把握している証拠もないのであって、タリバーンが原告を危険視するとは考えられな
い。原告は、本国を出国した後、パキスタン、UAE滞在中、両国政府その他国際機関等に庇
護を求めることは何らしておらず、その合理的理由もない。原告には、アフガニスタンに
おいてタリバーンから具体的に迫害を受けるおそれがある状況はない。
イ 手続違法性
(原告)
原告の母国語はハザラ語であり、アフガニスタンの公用語はダリ語とパシュトン語であ
る。原告は、ダリ語は理解できるが、英語や日本語はほとんど理解できない。ダリ語は、ペル
シャ語系言語で使用文字はペルシャ語と同じであるが、現在ではペルシャ語と発音、意味、
語順等が異なるものが多々あり、原告は、ペルシャ語でも十分な意思疎通ができない。本件
処分は、ハザラ語やダリ語の通訳を付さずに、便宜ペルシャ語の通訳をつけるなどして行わ
れ、原告と十分な意思疎通ができずに行われたものである。本件処分及び本件裁決に当たっ
て作成された調書には、通訳の誤りか、原告の申請事実を把握しないまま難民調査官が不適
切な質問をしてなされた記載が多々存在する。本件処分の通知書も日本語と英語で記載した
のみで原告の母国語を使用しておらず、本件処分は違法な手続によってなされたものであ
る。
(被告)
ダリ語は、ペルシャ語のアフガニスタン方言にすぎず、ペルシャ語の通訳人とダリ語が話
せる原告とは、十分に意思疎通が可能であった。1998年(平成10年)9月11日の難民調査官
による調査は、ダリ語が使用されている。被告は、ペルシャ語の通訳人を介して通知書に記
載された内容を口頭で告知して通知書を交付している。本件処分の手続に何ら違法な点はな
い。
 本件裁決の違法性
(原告)
本件裁決も、本件処分同様、ペルシャ語の通訳を付しただけで調査を行い、通知書に日本語
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と英語による記載がされただけのもので、違法な手続によりなわれたものである。
(被告)
本件処分同様、被告は、本件裁決に当たって、ペルシャ語の通訳人を付して調査を行い、通知
書もペルシャ語の通訳人を介して口頭で告知しており、何ら手続に違法な点はない。
第3 争点に対する判断
1 本件処分の違法性について
 難民該当性について
ア 立証責任等について
原告は、UNHCR難民認定基準ハンドブックにいう灰色の利益が申請者に与えられるべき
であるというのが国際原則である旨主張する。しかし、難民条約及び難民議定書には、難民
認定に関する立証責任や立証の程度に関する規定はなく、各締結国の立法政策に委ねられて
いると解されるところ、UNHCR難民認定基準ハンドブックは、各国政府に指針を与えるこ
とを目的とするものであって、それ自体に法的拘束力を認めることはできず、これを理由に
難民認定の立証責任や立証の程度に関して申請者に灰色の利益を与えるべきであると解する
ことはできない。また、原告は、UNHCRが原告を難民として認定したことから立証責任が
転換される旨主張し、第2回調査嘱託の結果によれば、原告がUNHCRからマンデート難民
の認定を受けた事実が認められる。しかしながら、UNHCRによるマンデート難民の認定は、
UNHCR事務所規程所定の責務に基づいて独自に実施されるもので、難民条約所定の保護を
与えることを目的とする締結国による難民認定とは目的及び対象を異にし、その認定資料も
異なるものであって、マンデート難民の認定がなされたことが難民認定の一資料となること
はともかくとして、これにより立証責任の転換等の効力を認めることはできない。
イ 難民事由について
ア 証明書(甲62の1)によれば、「A」は、アフガニスタン国籍のFとJの子として1974年
(昭和49年)《日付略》、アフガニスタンカブールで出生し、姉K(《日付略》生)、兄L(《日
付略》生)、姉M(《日付略》生)、姉N(《日付略》生)、弟O(《日付略》生)及び妹P(《日付略》生)
の兄弟姉妹がいることが認められる。また、本件証明書(甲11の1)、イスラム統一党作成
の他の証明書等(甲12の1、31の1、32の1、44の1の1、44の1の2、45の1、47の1、
48の1)によれば、「A」がイスラム教シーア派、ハザラ族で、イスラム統一党兵士であっ
たことが認められる。
イ 原告本人は、自分が「A」であり、イスラム教シーア派、ハザラ族に属し、イスラム統一
党の兵士として、1991年(平成3年)から1994年(平成6年)までアフガニスタンの内戦
に参加し、パシュトゥーン族を中心とする組織であるエテハテ・サヤフ等と戦った経歴を
有する旨供述する。
原告が「A」であるとする点については、①原告が「A」として旅券の取得、期間延長を
行い、同旅券によりパキスタン、UAE、日本の各国に入国していること、②本件難民申請
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手続等において、前記の「A」の生年月日や家族関係をほぼ正確に供述していること、③証
人Lも原告を自らの弟の「A」である旨供述していること、以上の事実に照らして、信用し
得るものというべきである。
また、原告がイスラム統一党兵士として内戦に参加して戦ったという点については、武
装した原告を撮影したと認められる写真(甲6の写真番号1ないし3及び5)によって裏
付けられ、信用し得る。被告は、これらの写真が演出によるものである可能性や虚偽の撮
影年月日の写し込みの可能性を指摘するが、これらの写真がことさら作出されたことをう
かがわせるものはなく、被告の主張は具体的裏付けを欠き採用できない。
以上によれば、原告の前記供述は信用性があり、原告は、「A」であり、イスラム教シー
ア派、ハザラ族に属し、イスラム統一党の兵士として、対立するパシュトゥーン族の組織
と戦った経歴を有すると認められる。
ウ 前提事実及び証拠(甲24、乙4、5、10の1、10の2、12、原告本人)によれば、次の事
実が認められる。
a 原告は、1994年(平成6年)、アフシャル、ホシャルハンでイスラム統一党の兵士とし
てエテハテ・サヤフと戦ったが敗れ、原告のおじで非戦闘員であるCとEがエテハテ・
サヤフに連行された。原告は、イスラム統一党から離脱し、本件旅券の発行を受けて、パ
キスタンのペシャワールに脱出した。
b アフガニスタンでは、パシュトゥーン族を中心としたイスラム原理主義勢力のタリバ
ーンが次第に台頭し、エテハテ・サヤフもタリバーンに合流した。タリバーンは、1996
年(平成8年)9月には、首都カブールを制圧し、暫定政権の樹立を宣言した。
原告は、パキスタンで父の会社の仕事を手伝っていたが、タリバーンの勢力拡大に伴
い、パキスタンも危険になってきたと感じ、UAEのドバイにいるおじを頼って入国し、
1997年(平成9年)3月には同国の滞在ビザ(期間3年)を取得した。ただし、出国後半
年以内に帰国しないときは同ビザは無効となるとされていた。
c タリバーンに反対する諸勢力は、反タリバーン同盟(北部同盟)を結成して抵抗し、原
告が所属していたイスラム統一党ハリリ派もこれに加わっていたが、タリバーンはこれ
らの勢力に対する攻勢を強めていった。そして、原告が1998年(平成10年)6月28日に
日本に入国した後の同年8月、反タリバーン同盟の拠点であったマザリ・シャリフがタ
リバーンの攻勢により陥落した。また、このころ、原告は、ドバイのおじから、ドバイの
アフガニスタン大使館はタリバーンが実権を握り、ハザラ族に対しては、同大使館での
旅券の期間延長を認めず、カブールに行って手続をするよう求めているため、旅券の期
間延長は困難であるとの情報を得た。
このため、原告は、タリバーンが支配するアフガニスタンに帰国することはできず、
また、パキスタンやUAEにもタリバーンの勢力が及んで危険であると考え、同月24日、
本件難民認定申請をした。 
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その後、同年9月にイスラム統一党の拠点バーミヤンが陥落し、ハザラ系市民2000人
以上が大量虐殺された旨の報道がされた。
以上によれば、原告は、自分が反タリバーン同盟に属するハザラ族であり、かつて、イ
スラム統一党の兵士としてパシュトゥーン族の集団と戦った経歴を有することから、タ
リバーンの支配するアフガニスタンに帰国すれば、迫害を受けるおそれがあるとの恐怖
を抱いて本件難民認定申請に及んだものであり、かつ、原告がそのような恐怖を有する
ことには十分理由があると認められる。したがって、原告は、本件処分時において、難民
に該当するというべきである。
エ 被告は、原告と「A」の同一性には疑義があり、原告及びLの供述は信用できない旨主
張する。そして、鑑定嘱託の結果によれば、「A」名義の本件証明書(甲11の1)の台紙と
写真上の割印は、同一のインクによるものではなく、円画線が連続せず、同一の押印行為
によるものではないことが認められ、これによれば、本件証明書の原告の写真は貼り替え
られたもので、本件証明書が当初原告とは別の人間に対し発行された疑いを否定できな
い。原告は、イスラム統一党作成の他の証明書等(甲12の1、31の1、32の1、44の1の
1、44の1の2、45の1、47の1、48の1)を提出するが、写真に撮影された原告が「A」
であることを確認して上記各証明書等が作成された事実を認める証拠はなく、これらの証
明書により上記疑いを直ちに払拭することはできない。また、本件旅券には「A」の生年が
1968年と記載されており、原告が、申請当初は1968年(昭和43年)生であることを前提と
した経歴を述べていること(乙4、12、13、原告本人)、「A」の両親や兄弟姉妹は健在で、
姉妹から資料等の送付を受けたと述べながら、両親や兄弟姉妹と音信等があることを窺わ
せる客観的証拠が提出されていないことを併せ考慮すれば、原告と「A」が同一人である
ことには疑義が残るといわざるを得ない。
しかしながら、原告がイスラム教シーア派、ハザラ族でイスラム統一党ゲリラ兵士であ
った事実は、原告が「A」であることを前提とするものではなく、前掲各証拠に照らし、原
告がイスラム教シーア派、ハザラ族でイスラム統一党ゲリラ兵士であった旨の原告の供述
は十分信用できるものであって、原告がイスラム教シーア派、ハザラ族でイスラム統一党
ゲリラ兵士であった事実の認定を覆すものではない。また、原告と「A」の同一性には疑義
が残るとしても、別人であると断定するに足りる証拠はなく、原告が、その身分を偽り難
民認定の申請をしているとまではいえないし、仮に原告が「A」と異なるとしても、難民認
定は、迫害を受けるおそれのある難民としての立場、事情に照らし、適法な入国等を要件
とするものではない上、内戦状態にあった1994年(平成6年)当時のアフガニスタン情勢
に照らせば、原告が、正規の手続により旅券等を取得することが困難であったという事情
は容易に予想でき、「A」名義の本件旅券を取得して以後「A」として生活していた経緯か
ら、「A」として本件難民認定申請を行うことも理解できるところであって、原告の本件難
民認定申請を虚偽の内容による違法なものとして排斥すべきではない。
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オ また、被告は、アフガニスタンにおいて、およそイスラム教シーア派又はハザラ族であ
れば迫害を受けるおそれがあるとはいえず、原告が戦闘した相手はタリバーンではなく、
タリバーンが原告を危険視するとは考えられない旨主張する。しかしながら、イスラム教
シーア派、ハザラ族及びイスラム統一党構成員のすべてが迫害の対象とならないからとい
って、原告に対する迫害の可能性、危険性が否定されるものではなく、タリバーンがイス
ラム教スンニー派のパシュトゥーン族を中心とし、イスラム原理主義政権の樹立を目指し
て勢力を拡大したもので、タリバーンとの対立が民族的、宗教的対立を背景に持つもので
あって、現実にイスラム統一党ハリリ派が反タリバーン同盟に参加して抵抗していること
に照らせば、原告が迫害を受けるおそれがある客観的事情を否定することはできず、上記
被告の主張を採用することはできない。また、被告は、本件旅券の有効期限延長の際、トル
カムで公式の出国許可を受けていることから、原告又は「A」がタリバーンから追及され
ていなかったことが裏付けられる旨主張するが、本件旅券は、当時ラバニ派が支配してい
たカブールで発行されたもので、延長手続も当時反タリバーン同盟が支配していたと認め
られるマザリ・シャリフに近いバルフでなされたものであって、トルカムで出国許可を受
けたことをもって原告又は「A」がタリバーンから追及されていなかったと認められるも
のではない。更に、被告は、原告が、パキスタン及びUAE滞在中に庇護を求めていないこ
とから迫害を受けるおそれを抱いていたとは認められない旨主張するが、原告が、マザリ・
シャリフが陥落し、タリバーンがアフガニスタンの大部分を支配下におきその支配が確立
されたことにより、もはやアフガニスタンには帰ることのできる場所がなく、パキスタン
やUAEでも危険があると考え難民認定を申請するに至ったという経緯は合理的なもので
あって、本件難民認定申請以前に比護を求めた事実がないことにより原告の難民該当性を
否定することはできず、被告の主張を採用することはできない。他に、前記原告の難民該
当性の認定を覆すに足りる証拠はない。
 本件処分の違法性について
以上によれば、本件処分当時、原告が難民であることが認められ、その余の点について判断
するまでもなく、本件処分は違法である。
2 本件裁決の違法性について
原告は、調査の際、ペルシャ語の通訳を付しただけで原告と十分な意思疎通ができなかった旨
主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。原告が指摘する調書の記載内容等は、前記のよ
うな原告の供述の不自然さにも起因すると考えられるもので、部分的に通訳の誤りがあったとし
ても、直ちに通訳に関する手続的な違法を認めることはできない。本件裁決の告知も、原告本人
尋問の結果によれば、原告において通訳により理解していることが認められ、違法な点は認めら
れない。他に、本件裁決固有の違法な点を認めるに足りる証拠はない。
3 結論
以上によれば、原告の本訴請求のうち、本件処分の取消しを求める請求は理由があるから認容
- 10
し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民
事訴訟法64条但書、61条を適用して、主文のとおり判決する。

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