国家賠償等請求(追加的併合)事件
平成14年(行ウ)第116号
原告:A、被告:国
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・鶴岡稔彦・廣澤諭)
平成15年4月9日
判決
主 文
1 被告は、原告に対し、金950万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分
の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求(その余の主位的請求及び予備的請求1、2)をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを6分し、その1を原告の、その余を被告の各負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主位的請求
被告は、原告に対し、金1177万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5
分の割合による金員を支払え。
2 予備的請求1
被告は、原告に対し、金1000万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5
分の割合による金員を支払え。
3 予備的請求2
被告は、原告に対し、金420万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分
の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、法務大臣による難民不認定処分及び退去強制手続における異議申出棄却裁決、並びに
東京入国管理局成田空港支局主任審査官による退去強制令書発付処分を受けたため、これらの処
分の取消しを求める訴訟を提起し、これらの処分を争っていたところ、その後、難民認定及び在
留特別許可を受けるに至った原告が、「法務大臣による上記難民不認定処分等は、事実誤認に基づ
く違法な処分であり、これによって損害を被った。」などと主張して、国家賠償法に基づく損害賠
償(主位的請求)、憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償(予備的請求1)、憲法40条の類推
適用に基づく損失補償(予備的請求2)、及び上記各金員に対する平成14年3月29日(訴状送達
の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがない(なお、処分経過等を時系列的に示すと別紙「処分経過等」
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に記載のとおりとなる。)。
1) 原告は、昭和47年(1972年)《日付略》、ミャンマーにおいて生まれ、ミャンマー国籍を有す
る外国人である。
2) 第1回上陸申請
原告は、平成8年9月2日、A名義の旅券を所持してタイ国経由で新東京国際空港に到着し、
出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)6条所定の上陸の申請(以下)「第1回上陸申請」
という。)をしたが、法7条1項2号に適合しないとして退去命令を受け、同日、バンコクに向
け出国した。
3) 第2回上陸申請
 原告は、平成9年12月26日、上記退去後にミャンマーにおいて新たに発給されたA名義の
旅券に、平成10年2月23日付けで在ミャンマー大使館の査証を受けた上、同年3月29日、タ
イ国バンコク経由で新東京国際空港に到着し、東京入国管理局成田空港支局(以下「成田空
港支局」という。)入国審査官に対し、法6条所定の上陸の申請(以下「第2回上陸申請」とい
う。)をしたが、入国審査官は、原告が法7条1項所定の上陸のための要件に適合していると
認定できないとして、原告を特別審理官に引き渡した。
 特別審理官は、同日、原告に対し、法10条に基づく口頭審理を実施した結果、原告は、法7
条1項2号に適合しない旨の認定をして、原告にこれを通知し、原告から所定の期間内に異
議の申出がされなかったことから、同年4月2日、原告に対して退去命令書を交付し、出国
便を日本航空717便(バンコク向け)と指定した。しかしながら、原告は、出国を拒否した上、
同日、法61条の2第1項所定の難民認定申請をした(なお、原告が第2回上陸申請当初から
難民であるとの主張をしていたのかどうかについては当事者間に争いがある。この点につい
ては、後に検討する。)。
そして、原告は上記のとおり上陸を拒否された一方で、難民認定申請をして出国を拒否し
たことから、同日以降、新東京国際空港内の上陸防止施設において起居をするようになった
(以下、これを「本件上陸防止措置」という。なお、これが強制収容に当たるかどうかについ
ては、後に検討する。)。 
4) 難民不認定処分及び退去強制令書発付処分の経緯
 難民不認定処分の経緯
ア) 東京入国管理局難民調査官は、同年4月6日及び同月7日、成田空港支局において、原
告に対する事情聴取を行うなどし、法務大臣は、同年6月9日、原告について難民認定を
しない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし、同月12日、原告に対し、その旨の告知
をした。
イ) 原告は、翌13日、法務大臣に対して本件不認定処分に対する異議の申出をしたが、同年
10月5日、異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件難民裁決」という。)を受けた。
 退去強制令書発付処分の経緯
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ア) 他方、成田空港支局入国審査官は、同年4月20日、成田空港支局入国警備官に対し、原
告について法24条5号の2該当の容疑があるとの通報をした。入国警備官は、調査の結果、
原告には法24条5号の2に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同月21日、
成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け(以下「本件収容令書発付処分」とい
う。)、翌22日、これを執行して、原告を成田空港支局収容場に収容した上、同日、原告を法
24条5号の2該当の容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。
イ) 成田空港支局入国審査官は、同日及び同月30日に違反調査を行った上、同月30日、原告
は法24条5号の2に該当する旨の認定をし、原告にこれを告知した。これに対し、原告は、
口頭審理の請求をしたため、成田空港支局特別審理官は、同年5月12日、口頭審理を実施
した上、同日、入国審査官の上記認定に誤りがない旨の判定をし、原告にこれを告知した。
原告は、同月13日、法務大臣に対し、異議の申出をした。
ウ) 成田空港支局入国警備官は、同年6月1日、原告を東日本入国管理センターに移収した。
エ) 法務大臣は、同月12日、原告の上記異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件退
去裁決」という。)をした。そして、同裁決の通知を受けた成田空港支局主任審査官は、同日、
原告に本件退去裁決の告知をするとともに、原告をミャンマーに送還する旨の退去強制令
書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。また、東日本入国管理センター入国警
備官は、同日、退去強制令書を執行し、原告を引き続き収容した。
5) 原告による訴訟の提起とその後の経緯
 原告は、平成10年7月27日、法務大臣及び成田空港支局主任審査官を被告として、本件
退去裁決及び本件退令発付処分の取消しを求める訴訟(東京地方裁判所平成10年(行ウ)第
148号。以下「退令関係訴訟」という。)を提起するとともに、同年11月18日には、再審査情
願をし、また、平成11年1月8日には、法務大臣を被告として、本件不認定処分の取消しを
求める訴訟(同裁判所平成11年(行ウ)第1号。以下「難民関係訴訟」といい、退令関係訴訟
と併せて「別件訴訟」という。)を提起した。
 東日本入国管理センター所長は、平成11年3月4日、原告に対し、仮放免の許可をした。
 法務大臣は、平成14年2月20日、別件訴訟の審理の結果、原告が難民であることが判明し
たとして、本件不認定処分を取消し、同月23日、その旨の通知書を原告に郵送し、更に、東京
入国管理局難民調査官の調査を経た上、同年3月14日、原告を難民と認定し(以下「本件認
定処分」という。)、翌15日、難民認定証明書を原告に交付した。
 また、法務大臣は、同月14日、原告の再審査情願に基づく再審査を行った結果であるとし
て、原告に対し法61条の2に基づく在留特別許可(以下「本件在留特別許可」という。)をし
た。この通知を受けた成田空港支局主任審査官は、同日、本件退令発付処分を取り消し、同月
18日、これを原告に告知した。法務大臣は、同日、原告に対し、本件在留特別許可の告知をす
るとともに、在留資格証明書を交付した。
 原告は、同年3月4日、別件訴訟に本件国家賠償請求訴訟を追加する旨の訴えの追加的併
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合を申し立て、その後の同年7月19日、別件訴訟に係る訴えを、いずれも取り下げた。
6) 被告による本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由
被告は、本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由として、「原告は、諸般の証拠等に照
らし、平成8年12月9日及び10日の両日、a大学付近で発生した学生デモの指導的立場にあ
り、そのため、ミャンマーの治安当局の追及を受けている可能性が多分にあり、本件不認定処
分時において、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあったものと認められる。」と主張し
ている(被告準備書面)。この主張事実は、原告が、別件訴訟係属当時から一貫して主張して
いた事実と主要な点において一致しており、原告が、上記のような事由により難民と認められ
るべき者であることは、本訴においては、当事者間に争いのない事実となっている。
第3 争点と争点に関する当事者双方の主張
本件の争点は、①被告は、原告に対し、国家賠償義務を負うかどうか、具体的には、難民不認定
処分、本件退去裁決、本件退令発付処分、本件収容令書発付処分、及び本件上陸防止措置(以下、
これらをまとめて「本件各処分等」ということがある。)が違法かどうか、違法である場合、担当
公務員に過失があるかどうか、損害の有無と額の各点、②被告は、原告に対し、憲法29条3項の
類推適用に基づく損失補償義務を負うかどうか、③被告は、原告に対し、憲法40条の類推適用に
基づく補償義務を負うかどうかであり、これらの点に関する当事者双方の主張の概略は、次のと
おりである。
1 国家賠償義務の有無について
1) 原告
 本件不認定処分の違法性と法務大臣の過失
ア) 難民該当性の認定のあり方について
ア 我が国は、難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書(以下、前者を「難
民条約」、後者を「難民議定書」といい、両者を併せて「難民条約等」という。)を批准し
ており、難民を庇護すべき国際的な義務を負っている。法の難民認定に関する規定等は、
このような国際的な義務を果たすために制定されたものなのであるから、その解釈に当
たっては、難民条約等の定めの趣旨に適合するような解釈が要求されることはいうまで
もないところである。
ところで、難民の意義については、難民条約1条A及び難民議定書1条2項が明確に
定めているところであり、難民条約等の締約国は、上記規定の定める難民に該当する者
に対しては、庇護をすべき義務を負うのであって、国内法の定めにより、庇護すべき難
民の範囲を限定してしまうようなことは許されないものというべきである。難民条約等
は、難民認定手続をどのようなものにするかについての定めを置いておらず、各締約国
が、各国の実情に応じた手続規定を置くこと(立法裁量)を許容しているものというべ
きであるが、これは、あくまでも認定「手続」についての立法裁量を許容しているのにす
ぎず、難民についての実体的要件を変容させることを許容しているものではない。また、
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上記の趣旨に照らしてみれば、締約国としては、難民に対し、難民該当性について過度
の立証責任を課する等、難民に対して不当な不利益を課する手続規定を置くことによっ
て、本来難民であるはずの者が、難民認定を受けることができないような事態を恒常的
にもたらすような手続規定を置くことも、実質的に見れば、難民の範囲を限定する措置
にほかならず、許されないというべきであり、法の解釈においても、このような観点か
らの配慮が要求されるものというべきである。
さらに、難民に対する庇護は、国際連合難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」とい
う。)と協力し、締約国が協調して行わなければならないものなのであるから、締約国が
難民の庇護に関する法律を制定し、それを解釈運用するに当たっても、UNHCRの勧告
等や、他の締約国、とりわけ先進各国における庇護の状況等を十分に考慮する必要があ
ることもいうまでもないところである。
イ ところで、難民条約1条A及び難民議定書1条2項によれば、難民とは、「人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受け
るおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であ
って、その国籍国の保護をうけることができないもの又はそのような恐怖を有するため
にその国籍国の保護をうけることを望まないもの」等を意味するものとされている。
そして、UNHCRによる難民条約等の解釈や、先進各国における先例等も考慮すると、
上記の要件のうち、「迫害」と「十分に理由のある恐怖」の要件については、次のように
解すべきである。すなわち、まず、「迫害」については、生命、身体に対する侵害がこれに
当たることは当然であるが、それに限られるものではなく、経済的・社会的自由に対す
る侵害や、精神的自由に対する侵害も、それ自体が迫害に当たるか、迫害を構成する重
要な要素の一つになるものというべきであるし、また、個々の侵害行為は、それ自体と
してみれば、迫害とまではいえないようなものであっても、そのような侵害行為が積み
重なることによって重大な法益侵害がもたらされ、「迫害」状況が生ずる可能性も十分に
あり得ることに配慮すべきである。また、「十分に理由のある恐怖」にいついては、難民
認定申請者の個別的状況、出身国における人権状況、過去の迫害、同様の状況に置かれ
ている者の事情等を十分に考慮して認定すべきものであり、また、当該申請者が属する
集団に対する一般的迫害状況があれば、当該申請者に対しても同様の迫害が行われる可
能性は十分にあり得るのであるから、このような場合にも、当該申請者に対する迫害が
存在するものと認めるべきであることにも配慮する必要がある。
ウ また、法61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務省令で定める手
続により申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認
定を行うことができる。」旨を定めており、この規定は、難民認定申請者において難民で
あることを立証すべき旨を定めているように見えるが、①アにおいて指摘したとおり、
難民認定申請者に対し、過度の立証責任を課することによって本来難民であるはずの者
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が難民認定を受けられないような事態が生ずることは避けなければならないのであり、
そうであるからこそ、法も61条の2の3第1項において、法務大臣は、難民認定申請者
が提出した資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合等には、難民調
査官に事実の調査をさせることができる旨を定め、補充調査を要求しているものと解さ
れること、②難民認定手続における難民性の立証の負担は、訴訟における立証責任とは
異なるものというべきであること、③難民認定申請者は、迫害を避けるため、十分な資
料も整えられないまま国籍国を脱出するのがむしろ通常であり、このような者に対して
客観的、具体的な資料の提出を厳格に要求するのは不可能を強いるものであること、④
難民認定申請者が、難民該当性の立証ができないとして出身国に送還された場合には、
取り返しのつかない事態が発生することとなるのであるから、このような事態を避ける
ためにできるだけの配慮が必要であることなどの事情に照らしてみれば、上記条項は、
難民認定申請者に対し、難民該当性について訴訟でいう意味での立証責任を課したもの
と解すべきではなく、難民認定権者においても、難民性の有無に関する積極的かつ十分
な補充調査等を行う義務があるものというべきである。また、上記の点を考慮すると、
調査の結果、当該申請者が置かれた状況に合理的な勇気を有する者が立ったときに、「帰
国したら迫害を受けるかも知れない」と感じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評
価し得るような状況が認められる場合には、「迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖を有する」と認めるべきものであり、通常の立証責任に関する考え方を
形式的にあてはめて、「迫害を受けるおそれについての蓋然性が認められないから難民
には該当しない。」といった判断をするのは相当ではない。
イ) 原告の難民該当性と法務大臣の行為の違法性及び過失について
ア 原告の難民該当性
a) 原告は、1972年《日付略》に、本国の《地名略》に生まれ、イスラム式のロヒンギャ
民族名として、A’ を名乗っていた。なお、原告が属するロヒンギャ民族は、現軍事政
権下においては、同国の国民ではなく不法に滞在する外国人であるとされており、市
民権を与えられないことはもちろんのこと、移動の自由を制限されている上、度々強
制労働を強いられ、土地や財産を没収されるなど各種の迫害を受けている。
また、原告の民族名は、上記のとおりA’ であるが、大学に進学したころから、級友
らからロヒンギャ民族名は発音しにくいなどといわれたため、Aという名も使用する
ようになった。そして、1995年11月ころ、身分証明書である国民調査カードの申請を
したところ、担当者から、ロヒンギャ民族のA’ 名ではカードを発行することはできな
いが、他の民族名で申請すれば発行すると言われたため、カマン民族のA名でカード
の申請をし、その発行を受けることができたため、以後、身分証明書上の氏名はAと
なったものである。
b) 原告は、高校を卒業した1988年、《地名略》出身でa大学生のBが帰郷し、学生連盟
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《地名略》支部を組織したことがきっかけとなって民主化運動に参加するようになり、
同支部の組織部長や財政部長として活動に加わった。しかしながら、同年9月18日に
現在の軍事政権がクーデターによって政権を握ると民主化運動参加者に対する捜査を
始め、原告の家にも警察が来たため、半年ほど隠れ住んでいたが、その後、活動家に対
する捜査が落ち着いたため、自宅に戻り、1990年には、ロヒンギャ民族出身の学生を
構成員とするb党を組織したほか、同年に行われた総選挙において、b党として独自
の候補者を擁立するとともに、民主化等を主張する国民人権民主党の候補者を支援す
るなどの活動を行った。
c) 原告は、1991年11月、c大学理学部に入学し、2年間の過程を終えた後、ヤンゴン
にあるa大学理学部の専門課程に進学することとなった。c大学理学部在学中は、政
治活動に参加することはなかったものの、1993年11月20日、a大学進学のため飛行
機でヤンゴンに向かおうとした際、空港での警察の手荷物検査において、所持してい
たノートにロヒンギャ民族の大量難民流出事件に関することや、原告の政治活動、政
治的意見等が記載されているのを発見されたことから、ロヒンギャ民族の活動家であ
るとして警察に連行され、さらに、軍情報部に引き渡されて13日間留置され、全身を
拳や棒、ベルトなどで殴られるなどの暴行を受け、大学の恩師の尽力によってようや
く解放してもらうという事件に巻き込まれた。
d) 原告は、a大学理学部進学後、勉強に専念していたが、1995年に入ったころから、
同理学部の学生であるC、D、E、Fら(以下、原告を含む上記5名を「原告ら5名」
ということがある。)とともに民主化運動を行うようになり、同年7月10日にアウン
サウンスーチーが解放された後は、同人宅前の集会に参加を始め、そのうち、同人と
の面会も許され、同人から学生の間での組織作りや民主化運動のあり方についてアド
バイスを受けるようになった。同人との面会は、3、4回に及んだ。ところが、同年8
月中旬ころ、原告は、夜中に突然現れた軍情報部員によって連行され、2晩留置され、
殴る蹴るの暴行を受け、どんな団体と連絡を付けて活動しようとしているのかなどの
尋問を受けた挙げ句、もう政治活動はしない旨のA’ 名義の誓約書を書かされてよう
やく解放された。
e) 原告ら5名は、その後も活動を続け、同年8月下旬か9月ころには、ビルマ学生戦
線(Burma Students Front。後に、学生民主戦線̶Students Democratic Front̶に
名称変更。以下、前者を「BSF」、後者を「SDF」という。)を組織し、民主化、逮捕され
た学生や政治家の解放、学生の権利の確立等を目的とした活動を行うようになり、次
第に組織を拡大させていったが、同年12月、軍事政権と、国民民主連盟(NLD、アウ
ンサウンスーチーを代表とするミャンマー議会の野党第一党)との対立が深刻化し、
軍事政権による政党政治家への逮捕拘束が始まり、翌年1月には、それが学生活動家
にも及ぶようになったため、身の危険を感じてNLD副議長であるGに相談をしたと
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ころ、国外へ出た方が良いとして、日本行きを進められたため、ブローカーを通じて
パスポートとビザを入手し、1996年9月2日、日本に向かって出国した(なお、他の
4名は、パスポート等を入手する資金がなかったため、国境地帯等へ逃亡した。)。
これが原告の第1回上陸申請であるが、原告は日本への入国を許されず、空港で難
民申請をすることができることも知らなかったため、出国を余儀なくされ、バンコク
まで飛行機で帰った後、タイ南部のラノーンという町から、出稼ぎ労働者にまぎれて
帰国した。なお、タイまで戻った際、そこで出会ったHというロヒンギャ民族の人物
から、日本では、空港でも難民申請ができるが、それをした場合には、長期間身柄を拘
束されてしまうこと、日本にはロヒンギャ民族のグループが存在することなどを教え
られた。
f) 同年12月2日から、ヤンゴン工科大学の学生が中心となって、民主化等を要求する
デモが開始された。原告ら5名は、このデモに参加しようと考え、SDFの代表として、
ヤンゴン工科大学の学生らと話合いを進め、同月6日、7日には、a大学構内で、ビラ
配りやオルグ活動、デモ等を行って民主化要求運動への参加者を募った。そして、同
月9日、10日には、SDFが中心となってヤンゴン市内のレーダン交差点において、学
生連盟の結成、学生自治の実現、逮捕されている学生の釈放、民主化を要求するデモ、
座り込みを行った。10日午後4時ころ、治安部隊がやってきて原告らに対して解散命
令を発令し、同日午後10時ころ、解散命令に応じず、スクラムを組んでいた原告ら約
100名の学生に対し、放水を浴びせ、警棒で殴った上、学生をごぼう抜きにして次々と
逮捕していった。
原告も逮捕され、ヤンゴンの衛星都市である《地名略》にある軍の駐屯地に連行さ
れ、2日間にわたって尋問を受けることとなった。当初は、他の学生らと共に尋問を
受けていたが、尋問を受けていた学生の1人が、原告がリーダーであると言ったため、
別室で尋問を受けることとなった。そして、携帯していた学生証から以前にも逮捕さ
れた経歴があるA’ であることが発覚してしまい、政治活動をしないという誓約書に
サインをしているのに、再び政治活動をしたことを咎められた上、「誰の指示を受けて
いるのか。」、「組織の活動目的は何か。」などの点について尋問を受けた。その際には、
殴る蹴るの暴行に加え、食事は2日間で1度しか与えられず、眠ることも許されない
などといった虐待を受けた。
このような尋問の挙げ句、再び、政治活動をしないという誓約書に署名をさせられ
た上で釈放された。原告は、この際にも、A’ 名で署名をしたため、以後、A’ の名を使
用することをおそれ、A名を日常的にも使用するようになった。
g) 上記のデモから間もない同年12月ころ、ガバーエーパゴダで政府要人を狙った爆弾
テロ事件が起こり、翌1997年4月にも、軍事政権の幹部であるティンウー第2書記宅
で爆弾テロ事件が起きた。軍事政権側は、学生活動家がこれらの事件に関与している
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のではないかと疑い、学生活動家に対する大量摘発を始め、4月の事件の後には、原
告と共に活動していたCを逮捕した。更に、同年、ミャンマーがASEANに加盟したの
をきっかけに、上記デモ後閉鎖されていた大学を再開する方針が決定されたが、それ
に先立ち、学生運動が再燃するのを防止するため、デモに参加していた学生を取り締
まろうという動きも始まり、同年12月ころからは、上記デモ参加者らに対する摘発が
開始されるという動きもあった。
このようなことから、原告も身の危険を感じ、Gに相談をした結果、再び日本へ脱
出することを考えるようになり、同年10月ないし11月ころ、ブローカーにパスポート
の手配を依頼するなど出国のための工作を始めた。そうしているうち、1998年1月、
Dが逮捕されるに至り、同人の母親から、逮捕に来た官憲の人間は、上記のデモにつ
いて聞きたいといっていたこと、Dに対し、原告の居場所を知っているかと尋ねてお
り、同人は知らないと答えたことなどを聞かされたため、危機感を強め、空港からの
出国に便宜を図ってくれる人間を捜すなどの工作を本格化させた。同年3月中旬に
は、原告が一時身を寄せていた親戚宅に対しても捜索が行われる(原告は、たまたま
不在であった。)という事態も発生した。
このような状況の中で、原告は、同年3月28日に出国し、翌29日、第2回上陸申請
に至ったのである。
h) 以上のとおりであって、原告は、ロヒンギャ民族の一員として、また、民主化運動
の学生活動家としてもミャンマー軍事政権からの迫害にさらされてきたのであり、難
民に該当することは明らかである。そして、被告も、現在では、原告が、民主化運動の
学生活動家であって難民に当たることを認めるに至っているものである。
イ 法務大臣の行為の違法性及び過失について
a) 原告は、難民認定申請の当初から、上記のような事情を一貫して供述しており、そ
の供述内容は、十分に信用に値するものであったから、原告に対しては、当然に難民
認定がされるべきであった。しかしながら、難民調査官らの難民認定担当者は、当初
から原告が不法入国を試みていると決めつけ、原告の供述内容を真摯に検討しようと
せず、必要な補充調査も行わず、供述内容の間の些細な矛盾や変遷をあげつらい、し
かも、その矛盾や変遷について原告に弁解の機会を与えることもないまま、違法な本
件不認定処分をするに至ったものである。このような行為は、難民認定事務を担当す
る公務員としての法的義務に違反したものであって、その行為は違法であり、かつ過
失も認められることは明らかである。
被告らは、「原告の供述には、様々な矛盾点や疑問点があり、難民認定申請当時にお
いては、到底信用し得るようなものではなく、別件訴訟における審理等において判明
した事情や、仮放免された後の原告の我が国における活動内容等の事情により、初め
て原告が難民であることが判明した。」という趣旨の主張をする。しかしながら、次に
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述べるとおり、被告の主張は、極めて根拠の乏しいものといわざるを得ない。
b) まず、被告が、原告の供述内容の矛盾点や疑問点として主張している点は、後記2)、
、イ)、アのとおりであるが、これらはいずれも、矛盾や疑問などと評価するに足り
ない些細な問題点ばかりであって、原告の供述内容が虚偽であると疑うに足りるよう
なものであるとは到底いい難い。しかも、供述内容に矛盾点や疑問点があるというの
であれば、その点を原告に問い質し、原告がどのような弁解をするのかを見極めた上
で、供述内容の真否を判断するというのが調査の基本的なあり方のはずであるにもか
かわらず、難民調査官らは、このような作業を一切行っていないのである。このよう
な調査姿勢は、難民該当性の有無を調査検討しようというのではなく、難民該当性を
否定する理由を見付けるためにあら探しをしているとしかいいようのないものであ
り、難民認定事務を担当する公務員としての法的義務に違反するものであったといわ
ざるを得ない。
c) また、被告が、処分後において判明した難民該当性を基礎付ける事情と主張してい
るのは、①原告が、別件訴訟において、1996年12月9日、10日のデモの内容について
詳細な供述をし、その内容は、我が国での新聞報道等とも合致していたこと、②別件
訴訟において、原告の出国後、原告の自宅や親戚宅に官憲の捜査が行われた事実が判
明したこと、③1996年12月のデモに参加し、それを理由に身の危険を感じていたにも
かかわらず、1998年3月に至って初めて出国したというのは不自然といわざるを得
なかったところ、別件訴訟において初めて、この点に関する合理的な説明がされるに
至ったこと、④迫害を受けている者が、自由にミャンマーを出国できたという点にも
疑問があったところ、原告がA’ 名とA名を使い分けていた事情の詳細が判明し、この
点に関する疑問も氷解したこと、⑤原告は、仮放免後、在日ビルマロヒンギャ協会の
中心メンバーとして活動するようになり、この事実は、原告が上記デモの中心メンバ
ーであったことを裏付けるに足りる事情であったことの5点である。 
しかしながら、これらの事情のうち、①、③、④の点は、難民調査官らにおいて、詳
細な事情聴取を行っていれば容易に事情が判明し、あるいは疑問が氷解する類の問題
であって、新たに判明した事情といえるようなものではない。また、②、⑤は新たに判
明した事情とはいい得るものの、これらによって原告の難民該当性の有無が決定され
るという性質のものではなく、精々補完的な事情という評価を与えられる程度のもの
でしかない。
このように考えていくと、被告の主張は、極めて根拠薄弱であるといわざるを得ず、
新たな事情として、この程度の事情しか指摘できないということは、当初の調査がい
かに杜撰なものであったかを自白しているのに等しいものというべきである。
d) なお、難民認定手続においても適正手続の要請が働くことは当然であり、この観点
からすると、①難民認定申請者に対して釈明の機会が与えられること、②処分に当た
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っては理由の付記がされること、③直接主義(難民認定の判断を行う者が、直接調査
に当たること)、④難民問題に関する専門的知識を有した上で調査に当たること、⑤手
続の透明性が図られることが重要であるといわなければならない。しかしながら、原
告に対して釈明の機会が与えられなかったことは既に再三主張したとおりであるし、
そればかりか、難民調査官は、身分を名乗って調査の目的を明確にすることも、原告
の供述内容は秘密にされることを告げることもなく、原告が犯罪者であるかのような
高圧的な態度で尋問を行い、原告が自由に供述をすることができるような雰囲気を作
る配慮さえもしなかったのであって、原告が、自由に言い分を述べ、疑問点に対する
釈明を行えるような手続が行われなかったことは明らかである。また、処分理由も、
難民とは認められないという結論を記載したものにすぎず、処分に当たり、慎重な検
討がされたとは到底いえないようなものであった。更に、直接主義、専門性、手続の透
明性に対する配慮も極めて不十分であったのであり、このような適正手続の要請に反
する難民認定のあり方が、本件のような、恣意的で杜撰な判断をもたらしていること
も指摘しておく。
 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失
で主張したとおり、原告は、難民であることが明らかであったのであるから、法61条の
2の8に基づき、在留特別許可が与えられるべきであった。しかしながら、法務大臣は、記
載のとおり、難民認定担当者としての義務に違反した結果、誤った本件不認定処分を行い、
その結果、法61条の2の8の適用を考慮して在留特別許可を与えることもないまま本件退去
裁決を行ったものであるから、この行為も公務員としての義務に違反するものであって違法
であり、そのことについては過失があったものというべきである。
 本件退令発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失
法49条5項は、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知
を受けたときは、退去強制令書を発付しなければならない旨を定めているが、この規定は、
退去強制令書の発付を義務付けたものではなく、主任審査官には、退去強制令書を発付する
かどうかについての裁量が認められているものと解すべきである。そうすると、成田空港支
局主任審査官としては、本件退去強制令書発付に当たり、改めて原告の難民該当性について
検討をすべきであったものであり、に記載した事情に照らしてみれば、この段階において、
原告が難民に該当すると判断し、退去強制令書の発付を断念するのが当然であったといえ
る。したがって、この点を看過したまま本件退令発付処分を行ったのは違法であり、そのこ
とについては過失があったものというべきである。
また、仮に同主任審査官には裁量がなく、本件退令発付処分を発令するほかはなかったと
しても、難民である原告を、国籍国であるミャンマーに送還することは許されなかった(法
53条3項参照)。しかしながら、主任審査官は、本件退令発付処分において送還先をミャンマ
ーと指定したのであり、に記載した点に照らしてみれば、この点には公務員の基本的義務
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に違反する違法があり、そのことについては過失があったものというべきである。
 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失
本件収容令書発付処分は、平成10年4月21日に発令されたものであった。
ところで、難民条約31条2項は、難民認定申請をした者に対しては、原則として身柄の収
容を行ってはならない旨を定めたものと解すべきあるから、第2回上陸申請当初から難民認
定の申請を行っていた原告に対しては、身柄の収容を行うべきではなかった。
仮にそのようにいうことはできないとしても、同月6日、7日には、難民調査官によるイ
ンタビューが行われており、この時点で得られた情報を基にし、正しい事実調査が行われて
いれば、上記両日の時点で原告が難民であることが明らかになっていたものというべきであ
り、難民である原告に対しては、難民条約31条2項に基づき、身柄の拘束が許されなかった
ことは明らかである。
したがって、本件収容令書発付処分はいずれにしても違法であり、で指摘した点に照ら
してみれば、成田空港支局主任審査官は、公務員としての基本的な義務に違反した結果、こ
のような違法な処分を行ったものであり、そのことについては過失があったものというべき
である。
 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失
原告は、同年3月29日に入国を拒否されてから同年4月21日に収容令書を執行されるま
での24日間、上陸防止措置を採られた結果、新東京国際空港内の上陸防止施設に収容され、
部屋には外から鍵がかけられて自由に外に出ることはできず、シャワーは週に1回許される
のみで運動をすることもできず、インタビュー等で外に出る場合には、手錠を掛けられると
いう処遇を受けており、これは身柄の拘束にほかならない。
ところで、原告は、第2回上陸申請当初から難民であることを申し立てていたのであるか
ら、このような難民認定申請者に対し、身柄の拘束を行うことは許されなかったものという
べきである。また、原告の申立ては、法18条の2所定の一時庇護のための上陸許可の申立て
と解釈することが十分に可能なものであったのであるから、原告の申立てを受けた入国審査
官や特別審理官としては、一時庇護のための上陸許可をすべきであったにもかかわらず、原
告の申立てを一切無視し、単に不法入国を企図した者として扱ったのであり、このような取
扱いは、公務員としての義務に違反するものであり、そのことについて過失もあったものと
いうべきである。
また、特別審理官は、同年4月2日、原告に対し退去命令書(乙7)を交付しているが、そ
の期限は同日限りとされ、しかも、その後、法13条の2所定の施設にとどまることの許可も
されていなかったのであるから、同月3日以降における上陸防止施設における収容は、法律
上の根拠のない違法な身柄拘束であったことが明らかであり、このような法律上の根拠のな
い身柄拘束を行ったことについては、担当公務員の義務に違反する違法があり、かつ過失も
あるものというべきである。また、原告は、上陸防止施設において、上記のような違法な処遇
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を受けたものであるところ、上陸防止施設の管理者は被告なのであるから、その処遇が被告
の担当者の指示に基づいて行われたものであるかどうかを問わず、その責任は被告が負うも
のというべきであるから、この面においても、被告の責任は免れないものというべきである。
 原告の損害と損害額
原告は、上記のような違法行為によって、①平成11年3月4日に仮放免を許可されるまで
の間、身柄の拘束を受けたばかりではなく、仮放免許可後も、平成14年3月14日に本件在留
特別許可を受けるまでの間、移動の自由を制限されるなど活動の制限を受け、②我が国にお
いて民主化活動を行う自由を侵害され、また、収容中、国会議員に充てて自らの窮状を訴え
る手紙を送付しようとしたところ、検閲を受け、内容を削除されるなど表現の自由も侵害さ
れ、③ミャンマーに送還されるのではないか、あるいは、再収容されるのではないかという
恐怖にさらされ、精神的打撃を受けた。また、本件不認定処分や、その後の難民裁決に至る
調査の過程で適正な処遇を受けられず、犯罪者扱いされたことによっても精神的打撃を受け
た。
これらによって生じた精神的打撃には著しいものがあり、これを慰謝するための慰謝料の
額は1000万円を下らないものというべきである。また、原告は、本件訴訟の提起を原告訴訟
代理人らに委任したものであるところ、そのための弁護士費用の額は177万円が相当である。
したがって、被告は、原告に対し、上記の損害賠償金合計1177万円及び遅延損害金を支払
う義務がある。
2) 被告
 本件不認定処分の違法性及び法務大臣の過失の主張について
ア) 法務大臣の行為の違法性の判断基準
ア 国家賠償法上の違法とは、民事上の不法行為における違法(権利侵害)とも、行政処分
の取消訴訟における違法とも異なり、公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対し
て負担する職務上の法的義務に違反することを意味するものであり(最高裁判所第一小
法廷昭和60年11月21日判決、民集39巻7号1512頁参照)、そのような意味での違法が
あったかどうかを判断するに当たっては、当該公権力の行使がされた時点において当該
公務員が収集していた資料や、当該公務員に対して通常要求される調査等をすれば収集
し得た資料を総合勘案し、それに基づく合理的な判断過程を経た場合には、当該公権力
の行使をすべきではなく、それにもかかわらず当該公権力の行使をしたことが、当該公
務員の職務上の注意義務に違反したものといえるかどうかという観点から判断がされる
べきものである。
したがって、本件においても、本件不認定処分が結果的に違法であったからといって、
直ちに法務大臣に国家賠償法上の違法行為があったということはできず、上記のような
意味での職務上の法的義務違反があったと認められるかどうかを判断する必要がある。
イ ところで、法61条の2第1項は、法務大臣は、難民認定申請があった場合、「その提出
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した資料に基づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる。」と規定し、法61
条の2の3は、提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合
等には、「難民調査官に事実の調査をさせることができる。」と規定しており、これらの
規定によれば、難民であることの立証責任は、難民認定申請者が負担するものであるこ
とが明らかである。そして、①難民認定処分は、受益処分に当たり、一般論としても、そ
の要件該当性は受益処分を求める難民認定申請者が負うものと解されることや、②難民
であるかどうかを判断するための事情の中には、難民認定申請者本人しか知り得ない事
柄が少なくなくないことなどの事情に照らしてみれば、難民認定申請者が、難民該当性
について立証責任を負うものとすることには合理的な根拠があるものというべきであ
る。原告は、「難民認定申請者に難民該当性についての立証責任を負担させることは不当
であり、難民条約等にも違反する。」という趣旨の主張をするが、難民認定申請者に立証
責任を負わせることが不当ではないことは既に主張したとおりであるし、難民条約等に
おいては、難民認定手続に関する規制は存在せず、どのような認定手続を定めるのかは
締約国の立法裁量に委ねられられているのであるから、上記の規定が難民条約等に違反
するものではないことも明らかである。
もっとも、難民申請者本人の供述や、その提出した資料のみによっては難民該当性の
判断をするためには不十分であることが少なくない。このため、法61条の2の3は、難
民調査官による事実の調査に関する規定を置いているし、実際の難民認定手続において
も、必要な事実調査が行われるのが通常であるが、難民該当性を基礎づける事実の中に
は、当該難民認定申請者本人しか知り得ない事柄が少なくなく、事実の調査に限界があ
ることは否定し難いところなのであるから、当該難民認定申請者本人が、矛盾した供述
や、曖昧な供述を繰り返したり、調査に非協力であったり、必要な資料の収集提出等を
怠ったりした結果、事実の調査を行っても、難民に該当するとの判断に至らないことが
あり得るのはやむを得ない事柄であるといわなければならない。
ウ 以上に指摘した点を考慮すると、法務大臣は、難民認定申請に関する処分を行うのに
当たり、申請者が提出した資料、難民調査官による事実の調査における申請者の供述、
及び処分時までに収集し得た証拠資料に基づき、合理的な方法により難民の認定をすべ
き職務上の法的義務を負担しているものというべきであり、このような法的義務に違反
があった場合には、国家賠償法上の違法があったと評価されるべきであるが、このよう
な意味での法的義務違反があったとは認められない場合には、たとえ難民不認定処分が
結果的に違法と評価されるものであったとしても、違法はないものというべきである。
そして、このような意味での法的義務違反があったと認められるかどうかを判断する
に当たっては、申請者の申請内容や提出資料の内容、事実調査における申請者の供述内
容、法務大臣による証拠収集の難易等の事情を総合考慮した上、法務大臣として要求さ
れる証拠資料の収集を怠り、あるいは明らかに不合理な証拠評価によって事実を誤認す
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るなど、通常の難民認定業務としてはおよそ許容することができない職務上の法的義務
違反があったかどうかが問題にされるべきものである。
イ) 違法性と過失がないことについて
上記の観点から考えた場合、法務大臣が、本件不認定処分を行ったことはやむを得ない
ものであり、違法性や過失はなかったものというべきである。その理由は、次のとおりで
ある。
ア 原告は、「ロヒンギャ族に属し、学生の地下組織に参加していたために帰国すれば逮捕
されて殺される」などとして難民認定申請を行ったものである。
しかしながら、本件不認定処分が行われるまでに収集された資料は、原告による難民
認定申請書(乙8)及び併せて提出された写真2葉(乙76)、平成10年4月6日及び7
日に行われた原告に対するインタビューの結果等難民調査官による事実調査の結果(乙
27、28の1。以下、前者を「4月6日調査」、後者を「4月7日調査」という。)、原告から
追加提出された同月3日及び同月17日の供述録取書(I弁護士作成、乙26の1。以下「第
1回弁護士録取書」という。)、同月27日の供述録取書(同弁護士作成、乙26の2。以下「第
2回弁護士録取書」という。)、「経済社会理事会人権委員会1998年限定配布81改訂文書」
(乙78)、及び「週刊Burma Today」(乙79)であったところ、これらの資料に基づいて
検討してみると、難民であるとする原告の主張には疑問点が多く、到底信用することは
できないものといわざるを得なかった。その理由は次のとおりである。
a) 第1回上陸申請の経緯に関する供述の問題点
原告は、難民調査官に対し、「平成7年11月又は12月にNLDが憲法起草グループか
ら脱退した時に、学生グループの一員が逮捕されたため、自分も逮捕されると思い、
第1回上陸申請に至った。」という趣旨の供述をしていたが(乙28)、原告がミャンマ
ーを出国し、第1回上陸申請をしたのは、危険を感じだしたという時期から約半年も
経過した後であった上、他方で、平成8年6月にはSDFを結成し、組織を拡大させて
いたと述べるなど(乙28)、その行動は、逮捕をおそれている人間の行動とは思えない
ものであり、上記供述には信用性が認められなかった。また、原告は、「日本にはロヒ
ンギャ族のグループがあると聞いているので、それに参加したいと思っていた。」とも
述べていたのであるが、ロヒンギャ族のグループの存在を知った経緯につき、第1回
弁護士録取書においては、「叔父のJが日本にいるので、彼を通じてグループの存在を
知った。」と述べているのに対し(乙26の1)、4月6日調査においては、「第1回上陸
申請が認められず、バンコクに戻された際、バンコクで知り合ったロヒンギャ族のH
に教えられた。」、「叔父とは連絡がつかず、連絡方法もない。」などと供述している。来
日の目的となっているロヒンギャ族のグループを知った経緯は、そのような近接した
時期に思い違いによって誤ることなどあり得ない明白な事実であって、もはや釈明を
求める必要もなく、いずれかの供述は明らかに虚偽のものである。このような虚偽の
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供述がされた以上、法務大臣が原告の来日目的についての供述の信ぴょう性に疑いを
抱くのは合理的である。また、日本にいる叔父との連絡の有無という真実経験した者
にとって誤る余地もない明白な事実について、短期間のうちに矛盾した供述をしてい
たのであり、この点も、原告の供述を疑わせる事情といえた。
b) 第2回上陸申請の経緯に関する供述等の問題点
原告は、難民認定申請目的で来日したと主張していたが、第2回上陸申請当初は、
商用目的で入国しようとしており、入国審査官から入国を拒否されても直ちに難民認
定申請をしようとはせず、また、日本にいる叔父に連絡を取ろうともしなかったもの
であって、その行動は、もともと不信を抱かれても仕方のないようなものであった。
また、原告は、4月7日調査の際、出国を決めた時期につき、「1997年12月頃、漠然
と日本行きを考えていた。そこで、新旅券を取得することに決めた。」と供述する一方
で、「1998年2月初旬に、Dが逮捕され、その母親から自分も逮捕者リストに載せら
れていると聞かされ、出国し、日本での難民認定申請を決意した。」と述べる(乙28)
など、矛盾した供述をしていた上、1997年12月26日には旅券の発給を受け(乙1)、
商用を偽装し、上陸申請をするための書類(原告に対する招聘状等)も同月中には入
手していた(乙23の1ないし8)ことに照らしてみれば、来日の動機については、前
者の供述が客観的事実に合致すると認め、自分が逮捕者リストに載っていると聞いて
身の危険を感じたことが今回の来日の動機である旨の後者の供述は、事実に反するも
のであって、信用のできないものと考えざるを得なかった。
c) 本国における政治活動に関する供述の問題点
原告は、本国における政治活動について、4月6日調査の際には、「アウンサウンス
ーチーとは面会できなかった。」と話したにもかかわらず(乙27)、第2回弁護士録取
書においては、SDFのメンバーとしてアウンサウンスーチーに面会したと主張し(乙
26)、矛盾した供述をしており、法務大臣は原告の供述に信ぴょう性がないと判断し
た。また、原告は、4月7日調査において、「自分は反政府活動家としてリストアップ
されており、帰国すれば逮捕されたり処罰されたりするおそれがある。」と主張してい
たが(乙28)、仮にそうであるならば、ミャンマー当局から、旅券の取得や出入国につ
いて制限を受けるのが通常であるにもかかわらず、何ら支障なく旅券の発給を受け、
出入国しているのは不自然であり、このことのみをみても原告が難民に該当しないと
考えざるを得なかった。さらに、1996年12月のデモに際しては、いったん逮捕されな
がら2日で解放されたにもかかわらず、それから約1年後の1997年12月になって、デ
モ参加者に対する摘発が行われたとする供述(乙26)も不自然であり、原告への迫害
の危険の存在の理由となるものとは考えられなかった。
d) ロヒンギャ族としての受けた迫害について
また、原告は、ロヒンギャ族に属していることを理由に迫害を受けたとも主張して
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いたのであるが、民族に対する迫害の事実を裏付けるに足りる事実を見出すことはで
きなかった上、原告は、高等教育進学率が5パーセント程度にすぎないミャンマーに
おいて(乙35)、大学に進学するなどむしろ恵まれた境遇にいたことがうかがわれ、原
告個人に対し、ロヒンギャ民族としての迫害が行われた事実も認められないものと判
断をせざるを得なかった。
e) 以上のとおりであって、本件不認定処分当時の資料に基づき、合理的な判断をする
限り、難民であると主張する原告の供述は信用することができないものといわざるを
得なかったのであり、その判断に職務上の法的義務違反や過失が認められないことは
明らかである。原告は、「上記の各疑問点は、原告に釈明の機会を与え、弁解を求めれ
ば直ちに氷解する程度のものにすぎない。」と主張するが、難民調査官は、原告の弁解
も踏まえた上で、不自然な供述と判断し、あるいは、客観的事実に反する供述であっ
て、釈明を求めるまでもないと判断したものであるから、上記主張は失当である。
イ 本件認定処分の根拠について
原告は、「法務大臣は、本件不認定処分以後、特段の事情変更もなく、新たな事実が判
明したこともなかったにもかかわらず、平成14年3月14日になって本件認定処分を行
っていたものであり、この事実自体が、当初の不認定処分が杜撰な調査に基づく、誤っ
たものであったことを示している。」という趣旨の主張をする。しかしながら、以下に述
べるとおり、本件処分後に判明した事実によって初めて、原告の供述の信用性が裏付け
られ、その難民該当性も肯定することができるに至ったのであるから、上記主張は失当
である。
a) 原告は、別件訴訟で実施された本人尋問において、SDFを結成した他のメンバーと
ともに、1996年12月9日、10日に参加したデモの様子を詳細に説明するとともに、ア
ウンサウンスーチーと3、4回面会したことがあるとして、その面会の様子について
も供述をした。これらの供述は、現場にいた者でなければ供述できないような具体的
かつ詳細なものである上、デモの様子に関する供述は、新聞報道等とも合致しており、
また、原告が学生による民主化運動のリーダー的存在であったことも納得させるに足
りるものであった。そして、このような具体的かつ詳細な説明は、上記本人尋問にお
いて初めて行われたものであった。
b) 原告は、上記本人尋問において、「尋問期日の約2週間前に叔父であるJの妻が来
日し、同人から、原告が出国した後、官憲がヤンゴンにある原告の叔母の家や、《地名
略》の父親宅に捜査に入り、父親は2ヶ月間ほど留置されたという話を聞いた。」とい
う趣旨の供述をした。これによって、原告が捜査対象者となっていたことにを具体的
に裏付ける事情が判明したものである。
c) 原告は、上記本人尋問において、「1998年12月になって前年12月の学生デモ参加者
に対する摘発が行われるようになったのは、ミャンマー政府が国際社会の圧力を受け
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て、閉鎖していた大学を再開せざるを得なくなったため、大学再開前に、学生活動家
を摘発し、学生運動の再燃を防ぐことを目的としていたからであろう。」という趣旨の
説明をした。この説明は、デモから参加者の摘発までの間に約1年の間があることに
ついての納得するに足りるものといえたが、このような説明は、上記本人尋問におい
て初めてされたものであった。 
d) 原告は、上記本人尋問において、「アウンサウンスーチーとの面会や、官憲に逮捕さ
れ尋問された際には、A’ 名を使用していたが、旅券の発給を求める際には、A名を使
用した。」と説明し、これによって、官憲から追及を受けていた原告が、旅券の発給を
受けることができても不自然ではないことが判明した。これに対し、4月7日調査の
際には、「反政府活動をするときはミャンマー名を用いていた。」という供述をしてい
たのであるから、本件不認定処分当時においては、原告の供述が不自然なものである
と判断したのはやむを得ないものであった。
e) 原告は、上記本人尋問において、「平成11年3月7日に在日ビルマロヒンギャ協会
に加入し、平成12年には書記長、平成13年には委員長になった。」と供述し、このよう
な活動実績は、他の客観的証拠からも裏付けることができるものであった。そして、
このような我が国における活動実績は、本国において、学生運動の指導者として活動
していても不思議ではないことを示すものと評価することができた。
ウ 適正手続違反の主張について
原告は、「原告に対する調査手続は、適正手続の要請に反するものであった。」という
趣旨の主張をしているが、適正手続の要請に反するような調査は行われておらず、その
主張は失当である。なお、原告は、「難民調査官は、自らの身分や調査の目的も、供述内
容は秘匿されることも説明せず、原告が犯罪者であるかのような高圧的な態度で尋問を
行った。」とも主張するが、これらの主張は、事実に反するものである。
 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失に関する主張について
原告は、原告が難民であるとすれば当然に在留特別許可が与えられるべきであるという前
提に立って、本件退去裁決の違法性や法務大臣の過失に関する主張をしているようである、
しかしながら、法61条の2の8は、「法務大臣は、第49条第1項の規定による異議の申出を
した者が難民の認定を受けている者であるときは、第50条第1項に規定する場合のほか、第
49条第3項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、その者の在留を
特別に許可することができる。」と規定しているのにすぎず、難民であっても当然に在留特別
許可が与えられるものではなく、在留特別許可を付与するか否かは諸般の事情を総合考慮し
て決定されるのであって、難民であっても第三国に送還すれば何ら人道に反しない場合もあ
り得るから、そのような場合には在留特別許可を付与する必要もないこととなる。また、難
民条約等においても、難民は、希望する国に在留する権利があることまで認められているわ
けではないのであるから、上記のような規定を設けることが難民条約等に違反するものでも
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ない。したがって、原告の主張は、その前提において誤りがあり、失当というべきである。
また、法務大臣が原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであった
ことはにおいて主張したとおりであるから、原告の主張はいずれにせよ失当である。
 本件退令発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失に関する主張について
原告は、「本件退令発付処分の発令については、主任審査官の裁量権が認められる。」と主
張するが、退令発付処分は、法務大臣が、異議の申出に理由がない旨の裁定をした場合、当然
に発令されるべきき束処分であって、主任審査官には裁量の余地がないものであるから、上
記主張は、その前提において失当である。
また、原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことはに
おいて主張したとおりであるから、送還先をミャンマーとしたこともやむを得ないものであ
り、この点について違法性や過失はない。
 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港主任審査官の過失に関する主張について
法39条1項は、「入国警備官は、容疑者が第24条各号の1に該当すると疑うに足りる相当
な理由があるときは、収容令書により、その者を収容することができる。」と定めているとこ
ろ、原告は、上陸が許可されず、退去を命じられたにもかかわらず、速やかに退去しなかった
のであって、法24条5号の2に該当し、収容令書発付のための要件が満たされていたことは
明らかである。したがって、本件収容令書発付処分が違法となる余地はない。
原告は、「難民や難民申請者を収容することは難民条約31条2項に違反する。」という趣旨
の主張をするが、収容令書に基づく収容は、同項にいう「必要な制限」に当たるのであるから、
難民条約上も許容されるものであり、その主張は失当である。
また、原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことはに
おいて主張したとおりであり、この点からしても、原告の主張は失当というべきである。
 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失に関する主張について
原告は、「平成10年3月29日から同年4月21日まで、上陸防止施設に収容され、身柄を拘
束された。」と主張するが、上陸防止施設は、退去命令を受けた者が、実際に退去するまでの
間とどまる仮宿泊施設とでもいうべきものであって、扉に施錠はされず、物品購入も可能な
のであるから、身柄収容施設とはいえない。したがって、原告の主張は、その前提において誤
りがあるものというべきである。
また、原告は、「第2回上陸申請当初から、難民であることを申し立てていた原告の身柄を
収容することは許されず、また、原告の申立てを一時庇護のための上陸許可申請として扱う
べきであったのに、そうしなかったことも違法である。」と主張する。しかし、難民申請をし
ていたからといって身柄の収容が許されなくなるものではないことは既に主張したとおりで
あるし、原告は、第2回上陸申請当初は難民であることを申し立てておらず、同年4月2日
になって初めてその旨を申し立てたものであるから、原告の申立てを一時庇護のための上陸
許可申請として扱わなかったのが違法であるとの主張も、その前提を欠くものである。
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 したがって、原告の主張は、いずれにせよ失当というべきである。
 損害の発生及び損害額の主張について
原告は、「本件不認定処分を受けたことにより、各種損害を被った。」という趣旨の主張を
するが、我が国の法制度における難民認定処分の効果は、難民条約上の各種保護措置との関
係でいえば、難民旅行証明書の発給を申請するための要件となる点にあるにすぎず、その他
の各種保護措置を受けるために難民認定処分が要求されるものではない。また、難民旅行証
明書は、法に基づいて適法に滞在する場合でなければ交付を受けられないものであるとこ
ろ、原告は、本件在留特別許可を受けるまで適法な在留資格を有せず、難民旅行証明書の発
給を受ける余地はなかったものである。したがって、本件不認定処分によっては、原告には
何ら損害が発生していないものというべきである。
また、原告は、身柄の拘束を受けたことや、再度身柄の拘束を受けるかも知れないとの恐
怖感を持たされることによって損害を受けたなどとも主張するが、原告の身柄の拘束は、法
に基づいて行われたものであり、それに伴う苦痛の発生は、法が予定する範囲内のものであ
って、損害との評価に値するものではないといわざるを得ない。
したがって、原告には何ら損害が生じていないものというべきであるから、原告の主張は、
この点においても失当というべきである。
2 憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償義務の有無について
1) 原告
仮に本件各処分等が適法であると認められるとしても、原告は、難民であるにもかかわらず、
本件各処分等によって、身柄の拘束を受け、我が国における活動を制限されるなど既に主張し
たとおりの損害を受けたものであって、これは、公権力の行使によって「特別な損害」を受けた
ものというべきである。そして、憲法29条3項は、直接的には、公権力の行使によって財産権
の侵害を受けた場合に損失補償を行う旨を定めた規定であるものの、侵害を受けた権利が財産
権であるか非財産権であるかによって損失補償の要否が異なるものではないのであるから、非
財産権に対する侵害に対しても、同項の類推適用によって損失補償が認められるべきものであ
る。
そして、既に主張した点に照らしてみれば、原告に生じた損失は1000万円を下回ることはな
いものというべきであるから、被告は、原告に対し、損失補償金1000万円及び遅延損害金の支
払義務がある。
2) 被告
憲法29条3項が、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができ
る。」として損失補償制度を定めているのは、適法な公権力の行使の結果として、国民に財産的
な損害が生じることが当初から予定されており、このような意図された財産的損害の発生は、
正当な補償があって初めて正当化され得ることを考慮しているからにほかならない。このよう
に、憲法29条3項に基づく損失補償制度は、財産権の公的使用制度と密接に結びついたものな
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のであって、本件のような退去強制手続によって身柄の拘束等がされる場合とは局面を異にす
ることは明らかであり、本件について同項を類推適用する余地はないものというべきである。
3 憲法40条の類推適用に基づく損失補償義務の有無について
1) 原告
憲法40条は、人身の自由という基本的人権の重要性にかんがみ、身体を拘束されて起訴され
た者が無罪判決を受けた場合、単に無罪放免するだけでは正義・公平の観念に反することを考
慮し、金銭による事後的救済を与えてその償いをすることにその趣旨がある。そして、人身の
自由の侵害に対する事後的救済が必要であることは、刑事手続の場合に限らず、原告のように
行政手続によって身体の拘束を受けた者に対しても同様にいえる事柄なのであるから、原告に
対しても、同条の類推適用に基づく損失補償が認められるべきである。
そして、上記の点に照らすと、原告に対する補償額は、刑事補償法4条を類推適用して定め
るのが相当であるから、原告が違法な収容を受けた平成10年4月3日から仮放免によって身柄
を解放された平成11年3月4日までの336日に、1日当たり1万2500円を乗じた420万円が相
当である。
したがって、被告は、原告に対し、損失補償金420万円及び遅延損害金の支払義務がある。
2) 被告
憲法40条は、あくまでも刑事手続において「抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたと
き」に補償をする旨を定めているのであるところ、本件のような退去強制手続における身柄の
拘束は、刑事手続とは全く性質を異にするものというべきである。したがって、本件において
憲法40条の類推適用が認められる余地はなく、原告の主張はその前提において失当である。
また、仮に憲法40条の類推適用が認められる余地があり得るとしても、本件における身柄拘
束は退去強制手続に基づく正当なものであって、事後的救済としての補償を要するものではな
いことは既に主張したところから明らかであるから、原告の主張はいずれにせよ失当である。

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