難民認定をしない処分等取消請求事件
平成14年(行ウ)第45号
裁決取消請求事件
平成14年(行ウ)第47号
原告:A、被告:法務大臣・名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:加藤幸雄・舟橋恭子・平山馨)
平成16年3月18日
判決
主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求(1、2及び4が45号事件、3が47号事件に係る請求である。)
1 被告法務大臣が、原告に対して平成14年3月11日付けでした難民の認定をしないとの処分を
取り消す。
2 被告法務大臣が、原告に対して平成14年6月4日付けでした出入国管理及び難民認定法61条
の2の4に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
3 被告法務大臣が、原告に対して平成14年6月5日付けでした出入国管理及び難民認定法49条
1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
4 被告名古屋入国管理局主任審査官が、原告に対して平成14年6月5日にした退去強制令書の発
付を取り消す。
第2 事案の概要(以下、年号は、本邦において生じた事実については元号を先に、本邦外において生
じた事実については西暦を先に表記し、日付については現地時間に基づく。また、国名は、慣用例
により適宜略記する。)
本件は、アフガニスタン国籍を有する原告が、被告法務大臣(以下「被告大臣」という。)に対し
て難民認定申請をしたところ、同被告が難民の認定をしない処分をした上、これに対する異議の
申出も理由がないとの裁決をし、次いで、原告に不法入国の退去強制事由がある旨の入国審査官
の認定に誤りがないとの特別審理官の判定に対してした異議の申出も理由がないとの裁決をした
ため、同被告に対してこれらの取消しを求め、さらに、後者の裁決に基づいて、被告名古屋入国管
理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)が原告に対する退去強制令書を発付したため、
同被告に対してその取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実等(証拠等による認定事実の場合は、末尾にその根拠となった当該証拠等を掲
記する。)
 アフガニスタンの国情
- 2 -
ア 1990年代の内戦までの経緯
アフガニスタンは、パシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人その他の少数民族
から成る多民族国家であり、1919(大正8)年に英国保護領から独立した後、1973(昭和48)
年に王制から共和制に移行し、さらに共産主義政権が成立したが、政局は安定せず、1979
(昭和54)年の旧ソ連軍の軍事介入とこれに反発するイスラム教徒から成るムジャヒディー
ン(イスラム聖戦士たち)各派によるゲリラ戦、1989(平成元)年の旧ソ連軍の撤退を経て、
1992(平成4)年、ムジャヒディーンが同政権を打倒し、ブルハヌディン・ラバニ(以下「ラ
バニ」という。)が大統領に就任した。しかし、ほどなくして、ムジャヒディーン各派が覇権
を巡って抗争を繰り返すようになり、内戦状態となった。
イ タリバーンの台頭と国土制圧
混乱の中、相対的多数派民族であるパシュトゥン人によって主に構成され、ムッラー・ム
ハマド・オマル(以下「オマル」という。)の指導の下でスンニ派イスラム原理主義政権の樹
立を目指すタリバーン(「求道者たち」あるいは「神学生たち」を意味する。)が、1994(平成6)
年ころから台頭し、1996(平成8)年9月末には首都カブルを制圧して暫定政権の樹立を宣
言し、その後も軍事攻勢によって勢力拡大を続けた。
これに対し、ラバニ派(タジク人中心)、カリリ派(ハザラ人中心)、ドスタム派(ウズベク
人中心)などの反タリバーン勢力は、北部の都市マザリ・シャリフを拠点に北部同盟を結成
して抵抗したが、タリバーンは、1998(平成10)年8月ころ、同市に大攻勢をかけて陥落さ
せ(その直後にハザラ人を中心に多数の者が虐殺された。)、その後も攻勢に出て1999(平成
11)年までに国土の大半を支配するに至った。
ウ タリバーン政権の崩壊と新政権の樹立
2001(平成13)年9月11日、米国でいわゆる同時多発テロ事件が発生したのを契機に、米
英軍は、同年10月7日、その首謀者と目されたウサマ・ビンラディンの引渡しを拒否したタ
リバーン政権に対して、軍事攻撃を開始し、北部同盟も米国の支援を受けて攻勢に転じた。
タリバーン政権は、同年11月13日には首都カブルを放棄して組織としては事実上崩壊し、
これを受けて、国連主導により同月27日から同年12月5日にかけてドイツのボンで開催さ
れたアフガニスタン代表者会合の結果、同月22日、ハミド・カルザイ(以下「カルザイ」とい
う。)を議長とするアフガニスタン暫定行政機構が発足し、さらに、2002(平成14)年6月に
開催された緊急ロヤ・ジルガにおいて、カルザイ暫定政権議長が国家元首である大統領に選
出されて、ハザラ人の閣僚を含むアフガニスタン・イスラム移行政権(以下「カルザイ政権」
という。)が樹立された。
 原告の身上と本邦への入国
原告は、1974(昭和49)年1月4日、カブルで出生したアフガニスタン国籍を有する外国人
で、平成13(2001)年10月14日、旅券を所持することなく東京付近の港に到着し、本邦に入っ
た。
- 3 -
 本邦における原告の行政関係等の手続
ア 難民認定申請と不法入国容疑事件の立件
原告は、平成13(2001)年11月7日、大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)において、
同人がハザラ人であるために、アフガニスタンを実効支配していたタリバーン政権によって
迫害を受けるおそれがあることを理由として、被告大臣に対し、出入国管理及び難民認定法
(以下、法律名を示すときは「入管難民法」と、章名又は条文を示すときは単に「法」という。)
61条の2第1項に基づく難民の認定を申請した(甲1、2の1・2、乙13、16。以下「本件難
民申請」という。)。
他方、大阪入管入国警備官は、同月12日、原告を法24条1号(不法入国)該当容疑で立件
した(乙13)。
イ 難民調査官による調査と難民不認定処分
被告大臣は、平成13(2001)年11月16日、同年12月13日及び平成14(2002)年1月8日の
大阪入管難民調査官による3度の調査(乙1ないし3)を経て、同年3月11日付けで、原告
に対して難民の認定をしないとの処分をした(甲5、乙13、17。以下「本件不認定処分」とい
う。)。
ウ 大阪入管による退去強制事由の調査と名古屋入国管理局(以下「名古屋入管」という。)へ
の移管
大阪入管入国警備官は、平成14(2002)年1月28日及び同年2月26日、同入管茨木分室に
おいて不法入国容疑で原告の違反調査をした(乙6、7、13)が、原告は、前後する同月21
日、居住地を大阪府堺市から愛知県安城市に移して、同市に外国人登録の申請をした(乙14、
15)。
大阪入管は、同年3月8日、原告に対する上記容疑事件を名古屋入管に移管した(乙13)。
エ 退去強制容疑に基づく収容と退去強制事由の認定
名古屋入管入国警備官は、平成14(2002)年4月10日、法39条1項に基づき、原告が法24
条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当な理由があるとして、被告主任審査官か
ら発付を受けた同月9日付け収容令書を執行して、原告を名古屋入管収容場に収容する(乙
20)とともに、違反調査を実施し(乙8)、翌11日、法44条に基づき、調書及び証拠物ととも
に原告を名古屋入管入国審査官に引渡した(乙21)。
名古屋入管入国審査官は、同月12日及び同月25日、上記容疑事実について審査した(乙9、
10)結果、同日付けで原告が法24条1号に該当する旨認定し、そのころ、これを原告に通知
した(乙13、22)。
オ 原告の不服申立て等と被告大臣の裁決
ア 本件不認定処分は、前後する平成14(2002)年4月10日、原告に通知されたが、原告は、
これを不服として、同日、法61条の2の4に基づき、被告大臣に対して異議を申し出た(甲
5、乙13、17、18。以下「本件難民異議申出」という。)。
- 4 -
イ また、原告は、同月25日付けの法24条1号に該当する旨の名古屋入管入国審査官の認定
を不服として、同日、法48条1項に基づき、名古屋入管特別審理官に対し口頭審理を請求
した(乙10)ので、同特別審理官は、同年5月10日、口頭審理を行い(乙11)、その結果、上
記認定は誤りがない旨判定し、これを原告に通知した(乙23)ところ、原告は、同日、法49
条1項に基づき、被告大臣に対して異議を申し出た(乙13、24。以下「本件退去異議申出」
という。)。
ウ 被告大臣は、本件難民異議申出について、同年5月9日及び同月21日に行われた名古屋
入管難民調査官による調査(乙4、5)を受けて、同年6月4日付けで理由がない旨裁決し
(甲7、乙19。以下「本件不認定裁決」といい、本件不認定処分と併せて「本件不認定処分等」
という。)、同月5日、これを原告に通知した(乙13)。
エ また、被告大臣は、本件退去異議申出について、前後する同年5月21日の名古屋入管特
別審理官による口頭審理の補充調査(乙12)の結果、法49条3項に基づき、同年6月5日
付けで理由がない旨裁決した(以下「本件退去裁決」という。)上、法務省入国管理局長、名
古屋入国管理局長を経由してこれを被告主任審査官に通知した(乙13、25)。
カ 退去強制令書の発付と執行
被告主任審査官は、平成14(2002)年6月5日、本件退去裁決を原告に通知する(甲8、乙
13、26)とともに、原告に対して、送還先をアフガニスタンとする退去強制令書を発付し(以
下「本件発付処分」といい、本件不認定処分等及び本件退去裁決と併せて「本件各処分」とい
う。)、名古屋入管入国警備官が、同日、これを執行して原告を収容し、同年7月3日、入国者
収容所西日本入国管理センターに移収した(乙13、27)。
キ 仮放免
原告は、平成14(2002)年8月ころを含め、数度にわたり仮放免を申請した(甲9ないし
14、弁論の全趣旨)ところ、同年9月3日の45号事件の提起及び同月5日の47号事件に係る
請求の追加的併合(当裁判所に顕著な事実)後である同年10月29日、これを許可された。
2 本件の争点及びその前提問題
(前提問題)
判決自体の条約適合性の要否(本件各処分の適否の判断基準時)
(争点)
 本件不認定処分等の手続的適否
 本件不認定処分等の実体的適否
ア 「迫害を受けるおそれ」の意義
イ 原告の難民性の有無
 本件退去裁決の適否
 本件発付処分の適否
3 争点及び前提問題に関する当事者の主張
- 5 -
 前提問題−判決自体の条約適合性の要否(本件各処分の適否の判断基準時)について
(原告の主張)
訴訟の口頭弁論終結時において、難民が送還先において迫害を受けるおそれがあるという十
分に理由のある恐怖を有する客観的状況がある場合、退去強制令書発付の適法性を追認し、当
該難民を送還させることになる判決は、それ自体がいわゆるノン・ルフルマン原則を定めた難
民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)33条1項に違反するものとして違法である。
したがって、仮に本件各処分時においてそれらが適法であったとしても、アフガニスタンに
おいては、2003(平成15)年8月ころからタリバーンによる事件が相次いでおり、国連難民高
等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)等の非武装中立の組織に対しても攻撃を拡大させ
るなど、タリバーンが組織として復活を遂げたのが確実であるほか、カルザイ政権もその懐柔
に動いているような不安定な状況にある口頭弁論終結時にあって、本件各処分を追認し、原告
を同国に送還させることになる判決は違法である。
このような場合、事情判決との対比において、主文においては本件各処分の適法性を確認し
つつ、請求を認容してこれらを取り消すことも可能というべきである。
 本件不認定処分等の手続的適否(争点)について
(原告の主張)
ア 難民性の立証責任の所在
難民認定手続において、難民であることの立証責任は、難民性を主張する者が全面的に負
うとされているが、難民認定申請者は、命をかけて着の身着のままで逃れ来る者で、生きる
ことそれ自体の確保を優先させなければならず、また、国籍国との決別の表明である難民認
定申請は最後の最後まで遅らせるのが通常であるから、転々とする間にも生活必需品以外は
ほとんど喪失するなり処分するなりしてしまい、難民性立証のための資料としては本人の窮
状そのもの以外にはないことが常態である。被告らは、我が国が資料を収集することの困難
性を主張するが、そのような事情は申請者としても同様であり、むしろ、行政側が発達した
通信機構を利用したり、国際機構を通じたり、多数の職員を動員して情報を収集し分析でき
ることと比較すれば、申請者の方がより困難というべきである。
また、申請者は、異国の法制度や行政手続に関する知識を持たず、高度の立証活動に対応
できるはずもなく、特に我が国の難民認定申請期間が60日に制限されている下では十分な立
証資料を収集することが期待できないこと、難民認定官(被告ら及び難民調査官)は、難民の
国籍国(無国籍者の場合には常居所国。以下併せて「国籍国等」という。)にまず行ったこと
がなく、その国の事情に疎いのが通常で、迫害を実感してもらうのが非常に困難であること
からすれば、申請者に対して難民該当性を完全に証明する証拠の提出を求めるのは、結局ほ
とんど不可能を強いるものである。
申請者は、資料収集能力、法律その他の知識、立証活動能力のあらゆる点において、行政側
と比べて圧倒的に劣っているのであり、弾劾的当事者構造を強調するのは実質的には難民を
- 6 -
保護しないに等しいから、難民性の立証責任は、難民認定手続の構造に沿った形で、通常の
裁判におけるそれよりも緩和されるべきである。
したがって、申請者の陳述により、申請者がその主観において迫害の下にあると一応うな
ずけるだけの立証がされれば、これを覆すに足りる明白な根拠が示されない限り、難民性を
否定することは許されず、疑わしきは申請者の利益に帰せしめるのが相当である。仮に申請
者の陳述以外の資料の不足により真偽不明の状態が生じた場合、これを申請者の不利益に帰
せしめることは許されない。
なお、本来難民でない者まで難民扱いすることになる可能性は、難民条約及び難民の地位
に関する議定書(以下「難民議定書」といい、難民条約と併せて「難民条約等」という。)を締
結したことの合理的コストとして甘受すべきものである。
イ 原告の言語能力と通訳の不適正
ハザラギ語は、一般にはアフガニスタンの公用語であるダリ語の方言とされるが、類似点
は5割程度ともいわれており、文字表記はなく口伝のみで継承されていることから、部族単
位でも多種多様に異なる。原告は、ハザラギ語を母語とし、他民族の者との会話による実用
を通じてダリ語も話すことはできるが、教育を受けていないため敬語表現のダリ語は話せ
ず、ペルシア語は、話し方にもよるものの、ある程度聞いて理解することはできても、発話能
力はほとんど無い。
本件難民申請に係る原告に対する調査は、すべてペルシア語で発問され、原告がダリ語で
回答する方式で行われたものであるが、ペルシア語通訳人が仕事欲しさにダリ語も通訳可能
と述べる場合も見受けられるといわれているところ、本件でも通訳人が原告の発するダリ語
を理解し得たかは疑問が残り、供述内容に照らしても誤訳したとしか考えられない部分も多
く、原告の供述を録取したものとはいえない。
また、本件難民異議申出に係る調査においては、ペルシア語より若干原告が理解しやすい
といえるダリ語が使用されたこともあったが、その際に通訳人として充てられたBはパシュ
トゥン人であるところ、原告を迫害してきたタリバーンを構成する民族の通訳人を付けれ
ば、原告としては話すべきことを話せないのは当然である。しかるに、被告らは、同氏がパシ
ュトゥン人であることを告知した上で通訳人としてよいかを原告に尋ねておらず、通訳人の
排除請求権も告知しなかったため、原告は、平成14(2002)年5月10日の特別審理官による
口頭審理の際にBがパシュトゥン人に偏した発言をし、原告に賄賂を要求するまで、同人が
パシュトゥン人であることに気付かなかった。これらの事実は、正しい通訳が行われなかっ
たとの疑いを抱かせ、難民認定手続全体の信頼性を疑わしめるものである。
本件難民申請に係る手続は、行政手続の性質に応じて適正手続の保障を及ぼす憲法31条に
明らかに反し、違法であるから、本件不認定処分等は取り消されるべきである。仮に、同条に
違反しないとしても、その際の供述の信用性や証拠価値は著しく減殺され、調書類はすべて
証拠として採用すべきでなく、殊に原告に不利に用いることは許されない。
- 7 -
ウ 合理的調査の欠如
被告大臣は、迫害を受けるおそれについて「立証する具体的な証拠がない」などと説明す
るが、日本国政府は、難民認定申請者に証拠収集する機会を与えることもなく、いたずらに
長期にわたる拘禁を続けている現状について、UNHCRから懸念を表明されているほどであ
る。法61条の2の3によれば、国家は、その後見的作用によって難民性の立証を緩和すべき
であるところ、原告は、本件難民申請時から、一貫してハザラ人であると供述し、証拠として
提出できるものはすべて提出しているにもかかわらず、被告らは、原告の難民該当性の判断
に際していかなる合理的調査を尽くしたかについて明らかにすることを拒んでおり、被告大
臣が合理的な調査を行ったことの立証はない(本件不認定処分等の後に作成された証拠を、
本件不認定処分等の適法性を基礎付けるために援用することは許されない。)から、本件不認
定処分等は違法である。
エ 理由付記の欠如
難民条約等に基づく国の義務を履行するための難民認定手続において、行政庁の判断の慎
重・合理性を担保し、申請者の争訟提起の便宜を図るという目的の理由付記の程度について
は、被告大臣に裁量判断の余地はなく、その判断を誤った場合には申請者の生命、身体、自由
に重大な危険を生じさせ、言わば死刑判決を下すような結果を生じさせるから、種々の行政
処分の中でも刑事手続に準じた慎重な判断が必要であり、これを担保するために手続的保障
が要請され、具体的な理由が明示されるべきである。
しかして、その程度としては、特段の事情がない限り、判断の根拠となった法条及び具体
的事実を示し、さらに、当該具体的事実を裏付ける証拠資料の有無、証拠資料がある場合は
そこから事実を導いた評価手法や推論の過程、証拠資料がない場合は証拠資料を獲得すべく
行った調査の具体的内容(目的、期間、程度その他)を明らかにすべきである。
したがって、単に「迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明され」ないとした本件
不認定処分や、「難民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に、貴殿が
難民条約上の難民に該当することを認定するに足りるいかなる資料も見出し得なかった」と
する本件不認定裁決には、「難民条約上の難民に該当しない」と判断された具体的理由が実質
的に何ら明示されていないから、憲法13条、31条の要請する程度の理由の付記がされていな
い違法がある。
(被告らの主張)
ア 難民性の立証責任の所在
原告の主張アのうち、難民認定手続において、法61条の2第1項の申請の立証責任が難民
認定申請者にあることは認めるが、その余は争う。
いかなる手続を経て難民の認定がされるべきかについては、難民条約等にも規定がないこ
とから、これらを締結した各国の立法政策に委ねられていると解されるところ、我が国の難
民認定手続を規定する法61条の2第1項が、被告大臣は、申請者の「提出した資料に基づき」
- 8 -
難民認定を行うことができると定め、法61条の2の3第1項が、被告大臣は、申請者より「提
出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合その他……必要がある
場合には、難民調査官に事実の調査をさせることができる。」と定めていることから明らかな
とおり、難民認定申請者は、まず、自ら難民条約等に列挙された事由を理由として、「迫害を
受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ことを認めるに足りるだけの資
料を提出することが必要である。このことは、難民認定を受けていることが他の利益的取扱
いを受けるための要件となっていて(法61条の2の5、61条の2の6、61条の2の8)、難
民認定処分は授益処分とみるのが相当であること、難民該当性の判断の対象とされる諸事情
が、事柄の性質上、外国でしかも秘密裡にされたものであることが多く、その事情を我が国
が有権的かつ当然に把握できるものではなく、その資料の収集は不可能に近いことからも明
らかである。
イ 通訳の適正
原告の主張イは争う。 
難民認定に係る事実の調査を行うために通訳人が必要とされる場合、名古屋入管において
は、能力及び人物評価をして選んだ名簿等の中から、過去数年間の実績を調査し、申請者と
利害関係のない者等適当な通訳人を選定した上、申請者から当該通訳人を忌避する旨の申立
てがない限り通訳人として使用することとしており、本件難民異議申出に係る事実調査に際
しても、同様の手続により選定したアフガニスタン人の通訳人Bについて、調査日の10日以
上前に原告に確認して問題ない旨の回答を得たし、その後も忌避する旨の申立てがなかった
ことから、同人を通訳人としたものである。したがって、名古屋入管難民調査官は、通訳人の
選定につき適正な手続を踏んでいる。
しかも、Bは、純粋のパシュトゥン人ではなく、パシュトゥン人と他の民族を親に持つ混
血のアフガニスタン人で、また、既に20年以上も我が国に在留していてタリバーンと関係が
あるとは考えられない上、調査を実施した平成14(2002)年5月9日当時のアフガニスタン
は、後述のとおりタリバーンが崩壊している状況でもあったから、このような状況の下で、
タリバーンと無関係のパシュトゥン人を通訳人として使用しても、本件難民異議申出に係る
事実の調査手続に何の問題も生じない。
原告は、Bが原告に金品まで要求している旨主張するが、同人による各調査当日に原告が
その旨を申し立てなかったことからすれば、かかる金品要求の事実があったとは認められな
いし、後日にされた要求であるとすれば、通訳の適正とは無関係であって、何ら調査手続の
適法性を損なうものではない。
本件難民異議申出に係る事実調査は、Bと別の日本人通訳人を介して2回行っており、供
述内容も同一であるから、Bを通訳としたことによる本件不認定裁決の結果への影響も全く
なかったことは明らかであって、通訳人の選定について、何ら手続的違法はない。
ウ 調査実施の裁量性
- 9 -
原告の主張ウのうち、UNHCRから庇護希望者の拘禁に関する懸念が表明されたことは認
めるが、その余は争う。
そもそもUNHCRの懸念の表明には法的拘束力がなく、我が国が庇護希望者を収容したか
らといって難民条約等に違反することにはならない(原告の場合については、国際法及び国
内法に従った適切な措置であった。)。
申請者の立証が十分でないとして難民の認定をしないこととなるのは、合理的な調査を十
分に尽くしても難民該当性が判然としないような場合であるが、法61条の2の3が事実の調
査権限を被告大臣に付与しているのは、無資格者を誤って難民と認定すれば、事実確認を基
礎とする制度の意義を失わせることになりかねないため、一定の限度で実体的真実を解明す
ることが適正な処分を行うために必要と考えられるところ、申請者が自己に不利益な資料を
進んで提出することは想定できないことから、専門的知識を有する難民調査官において、申
請書や提出資料について申請者に説明を求めるなどし、その供述態度をも直接確認して心証
を得るための権限を法的に明確にしたものであって、難民調査官に調査をさせる職務上の法
的義務を被告大臣に課したものではない。
原告についても、以上の意味において十分に合理的な調査を尽くした結果、難民該当性が
認められなかったものである。
エ 理由付記の十分性
原告の主張エのうち、法律が行政処分に理由付記を要求しているのは、処分庁の判断の慎
重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服の
申立てに便宜を与える趣旨に出たものであることは認めるが、その余は争う。
理由付記に当たり、どの程度の記載をすべきかは、処分の性質と理由付記を命じた各法律
の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべきものであるところ、難民不認定処分の場合、難民
性の立証責任は申請者が負うと解されるから、処分の前提として明らかにすべき一定の事実
関係が存在せず、申請者の申立てを立証する具体的な証拠がないとの理由付記しかできない
場合もあり得るのであり、事実関係を認定する心証形成経過まで付記することを法が要求し
ているとは解されない。
しかして、本件不認定処分の理由は、原告に交付された通知書の理由欄の記載を見れば、
難民該当性について立証する具体的証拠がないというものであったことが明白であり、何ら
不明確なものではなく、処分庁の恣意を抑制し、原告に対して不服申立ての便宜を提供する
という要請を満たしていると認められるから、理由付記の程度としては十分であって、何ら
の違法もない。本件不認定裁決についても、その理由中で、被告大臣が、原告から本件難民異
議申出を受けて、本件難民申請について再検討し、本件不認定処分における判断に誤りがな
いと認定し、さらに異議申出以後に提出されたその他の資料について検討しても、原告の主
張する難民該当性を立証するいかなる資料もなかった旨判断しており、その結論に達した過
程を明らかにしているから、違法はない。
- 10 -
 「迫害を受けるおそれ」の意義(争点ア)について
(原告の主張)
国籍制度が世界全体で認められたのは、人はその国籍国においてこそ最もよく保護され、人
権等の保障を受けられるという思想に合理性があったからであり、難民としても、「迫害」がな
くなれば国籍国等に帰りたいと望む者がほとんどである。にもかかわらず、難民は「迫害」ゆえ
に国籍国等にいたくともいられなくなり、難民認定申請という形で国籍国等との決別を表明せ
ざるを得なかったことに照らすと、難民条約上の「迫害」の判断に際しては、まずもって当該申
請者の主観に重きを置くことが肝要であって、このことは、同条約が「恐怖」という極めて主観
的な概念を用いていることからも裏付けられる。人種等を理由とする生命又は自由に対する脅
威が常に「迫害」に当たると推論されるのみならず、それ自体としては(辞書にあるような意味
での)「迫害」といえないような様々な事情(差別、一般的な不安定な雰囲気)を総合考慮した
結果、申請者の内心に累積された根拠により迫害の存在を正当化できることも十分にある。
したがって、「迫害」の定義を論ずるに当たって、被告らの主張するように、「通常人が申請者
の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情」は不必要であり、その受忍限
度内の人権抑圧であるとのそれ自体あいまいな一事をもって、難民の救済を否定するのは明ら
かに非人道的であって、申請者なりに合理的な根拠をもって迫害の恐怖を感じているにもかか
わらず、かかる客観的事情がないとして難民として扱わず、国籍国等に送還するのは新たな人
権侵害である。
また、難民不認定処分は、その判断を誤った場合、被処分者の生命、身体、自由への侵害を招
く特質を有するから、迫害の「おそれ」は、現実的な危険性までは要求されず、抽象的なもので
足りると理解すべきであって、具体的なおそれを要求するのは、本来難民とされるべき者を国
籍国等へ送還する結果となりかねない危険な解釈であることは明白である。
(被告らの主張)
原告の主張は争う。
入管難民法に定める「難民」とは、難民条約等上の難民をいう(法2条3号の2)ところ、難
民条約にいう「迫害」とは、通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であ
って、生命、身体、自由への侵害又は抑圧を国家機関が行う場合をいい、私人によるこれらの行
為を国家が容認又は黙認する場合をも含むが、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由
のある恐怖を有する」というためには、当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱い
ているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱
くような客観的事情が存在していることが必要と解すべきである。
原告の主張によれば、客観的に全く迫害を受けるおそれがないような場合であっても、申請
者が主観的に迫害を受けるおそれがあると思いさえすれば当該申請者を難民と認めなければな
らないという不合理な事態が生じることとなるから、その主張は全く不当である。
 原告の難民性の有無(争点イ)について
- 11 -
(原告の主張)
ア アフガニスタンにおけるハザラ人迫害の歴史
19世紀末に現れたパシュトゥン人の王アブドゥル・ラフマンは、当時の人口の約2パー
セントに当たる12万人の他民族を殺害したところ、中でも最大の抵抗勢力であり、シーア派
に属するハザラ人への敵視は際立ち、その残虐な行為によって同民族の自治と産業は壊滅的
な打撃を受けた。そのため、ハザラ人は、地位的、経済的に劣位に置かれ、その反乱と抵抗が
失敗するたびにパシュトゥン人の王の怒りを買う結果となって、劣位は決定的なものとなっ
た。さらに、この時代に引き続く1929(昭和4)年から1978(昭和53)年にかけて、ハザラ人
に対する政治的抑圧が行われ、完全に二流市民扱いされた結果、ハザラ人はロバの代わりに
荷物を運搬するような仕事しかできない状態に陥った。かかる扱いが長く続くことにより、
民間にまで差別意識が浸透して定着するに至るのは歴史が教えるところであり、こうした経
緯は、アフガニスタンで「ハザラ」の語が広くおとしめや否定的な意味で使われることにも
見ることができる。
その後、ハザラ人は、イスラム統一党を指導したマザリ師が精神的支柱となって一時中興
したが、同師は、1995(平成7)年にタリバーンとの融和を企図する過程で捕らえられ、処刑
された。
上記のようなハザラ人に対する蔑視、差別感は、長年にわたり既成事実化したもので、ア
フガニスタンの諸民族の脳裏に焼き付いており、特に同民族がシーア派を捨てないことが、
スンニ派に属する他の諸民族の怒り、敵意、差別感を醸成している。
イ 原告の民族性と体験
原告は、ハザラ人集住地域であるカブル西部の《地名略》地区で出生したハザラギ語を話
すシーア派のハザラ人で、10歳のころから父の手伝いをしていたが、2年後の1986(昭和
61)年ころ、父がムジャヒディーンと疑われたため、ハザラ人集落のあるダレ・トルクマン
に退避していたところ、翌年、父は旧ソ連軍の空爆により死亡した。原告は、1988(昭和63)
年、《地名略》に戻り、ハザラ人を守るために結成されたイスラム統一党に対して資金面で協
力するなどしていたが、1992(平成4)年ころ、同党への攻撃が行われた際、銃撃戦に巻き込
まれて左脇腹を貫通する銃創を負って入院し、翌年には母も空爆で死亡した。原告は、1995
(平成7)年、タリバーンの攻撃によりイスラム統一党が西カブルから敗走したことに恐怖を
感じて家を出た末、イランのテヘランに行ったが、兵役に服するか国外退去するかを迫られ
たため、同所のアフガニスタン大使館で旅券を入手した上、トルクメニスタン、ロシア、タジ
キスタンを経由して、イスラム統一党が支配するアフガニスタン国内のマザリ・シャリフに
赴き、そこで自動車部品を販売して過ごしていたところ、1997(平成9)年5月にタリバー
ン軍が来襲した。このときは、同軍の敗退に終わったものの、原告は恐怖でホテルから一歩
も出られなかったし、報復があるとの噂も信じて恐怖を抱いたため、街を出ることを決意し、
店を捨ててパキスタンのペシャワールに渡った。
- 12 -
原告がハザラ人であるとは認められないとの被告らの主張のうち、原告の相貌がモンゴル
系ハザラ人と相違していることは認めるが、ハザラ人も純血主義を採っていたわけではな
く、トルクメン系、シンハリ系などタジク人に近い相貌である者や、ガズティス系、ベセス系
といった者もいるから、これを理由に原告のハザラ人性を否定する被告らの主張は失当であ
る。なお、原告が、調査段階において、カブルで生まれ育ったために、背も高くなったと思う
とか、ハザラギ語でなくダリ語を話していたなどと供述したとの事実は否認する。調査段階
における原告の供述の変遷は、専ら調査の際に使用された言語に係る言語能力に起因するも
のであるし、それゆえにまた、その変遷を理由に原告の供述全体の信ぴょう性を否定すべき
でもない。
また、被告らの主張のうち、原告がハザラ人性を証明する身分証明書等を所持していない
ことは認めるが、ハザラ人内部で生活してきた原告にそうした証明書を取得し携帯すること
は必要でなかったばかりでなく、かえってこれを携帯することは迫害を呼び寄せるものでし
かないのであるから、証明書の提出を要求する被告らの主張も失当である。
ウ 原告の抱く迫害の恐怖
確かにタリバーン政権は、米軍の爆撃等によって組織としては崩壊したが、至るところに
その残党と思われるものがいまだに多く残存している上、タリバーン政権崩壊を機に亀裂の
深まった各軍閥は、これらタリバーンの残党を利用、吸収して抗争、内戦を続けると考えら
れる。すべてのハザラ人がパシュトゥン人から殺害される状況にあったとはいえないとして
も、ハザラ人の迫害の歴史からも明らかなように、アフガニスタンにおいては、民族と宗教
とは強固に結び付いており、ハザラ人であれば、シーア派であると当然視されるところ、近
い将来においてアフガニスタンから同民族に敵対するタリバーンの影響がぬぐい去られるこ
とは想定し難い。原告の母は、確かに内戦に巻き込まれて死亡したが、この内戦は、民族間の
対立を原因として起こったのであり、サヤフ派などがハザラ人に対して攻勢に出ている時に
その戦闘で母を亡くした以上、原告が、その死はハザラ人ゆえであったと考えるのは当然で
ある。また、原告の家族は、タジク人男性とハザラ人女性との結婚に原告の父と親戚が反対
してから、タジク人家族との仲が悪くなっている(小規模の部族対立に発展する可能性もあ
った。)ほか、タジク人がタジク人捕虜とハザラ人の遺体との交換を押し付けたり、タジク人
に捕らわれたハザラ人捕虜が奴隷扱いを受けたり、タジク人地区に入ると捕まって拷問を受
けるなどの体験等から、タジク人に対しても迫害される恐怖を抱いている。そして、パシュ
トゥン人でありながら諸民族の融和を唱えていたカディル副大統領が暗殺されたり、カルザ
イ大統領自身の暗殺未遂事件が発生するなどの状況の下では、原告がアフガニスタンで際立
った宗教活動をしていなかったことが事実であるとしても、それが迫害を受けるおそれを否
定する資料とはなり得ない。
このことは、西欧諸国がタリバーン政権崩壊後も、少なくなっているとはいえ数多くの難
民認定申請を認めていることや、日本の外務省が、邦人に対し、首都カブル等のいくつかの
- 13 -
都市については渡航延期勧告を、それ以外の場所は退避勧告を継続していることからも明ら
かである。
以上のとおり、原告が、再びパシュトゥン人がばっこしてハザラ人を迫害し始めるとの懸
念を抱いたとしても無理はなく、また、アフガニスタン北部、西部におけるドスタム将軍と
イスマイル・カーンによる人権弾圧、南部におけるあへん栽培とそれを巡る利権争い、南東
部における反政府武装闘争などの現状に照らすと、タリバーンの残党又は軍閥による原告に
対する報復、略奪その他の迫害は十分に考えることができるから、原告は、迫害を受けるお
それがあるという十分に理由のある恐怖を有するというべきである。
エ その余の被告らの主張に対する反論
ア 不法就労目的の不存在
被告らは、原告の本邦入国の目的が不法就労活動にあった旨主張するところ、確かに原
告は、ペシャワールでパキスタンの査証を取った後、生計を立てるべく、同所におけるシ
ーア派の拠点であるパークホテルで知り合ったハザラ人に紹介され、2000(平成12)年ま
でに5回、査証を取得した上で日本に赴いたことはある。しかし、原告は、同年11月に6
回目の日本の査証を申請して拒否されたのと同じころに、ハザラ人と外貌の似たウズベク
人が20名ほど逮捕されたのを目撃して、タリバーン政権への引渡しを想起し、また、同ホ
テルから出ない生活を6か月以上続け、限界に近付くうちに、2001(平成13)年5月ころ、
韓国経由での日本への入国を援助してくれる者がいるのを友人から聞き付けたため、同年
6月末にパークホテルを出て、難民認定申請を行うべく、来日したのである。
被告らは、実際に迫害の対象となっていれば、可及的速やかに本国を出国し、他国にお
いて難民認定申請するのが当然の行動である旨主張するが、難民の立場になって考える
と、自らが難民であると表明することは、故国との絶縁という重大な結果をもたらすばか
りか、それ自体に危険を伴う行為であるから、平穏に在留できている限りは難民であるこ
とを秘匿しておいて、これを維持できなくなって初めて、言わば最後の手段として難民で
あることを理由に保護を求めるのも無理からぬものと考えられるところ、原告が当初逃亡
していたイランでは、アフガニスタンからの難民は認定しておらず、その方法も分からな
かった上、当面の安全も確保できており、いったんアフガニスタンに帰国した後、入国し
たパキスタンのパークホテルでも当面の安全を確保していて、そのころ初めて、生計の立
てやすい日本で難民認定申請するよりほか迫害の危険を避ける手段のない状態に追い込ま
れたのであるから、原告は、期待される最も早い時期に難民認定申請をしたものである。
また、被告らは、原告が密入国船で不法入国したことを不法就労目的の根拠の一つとす
るところ、なるほど、原告は、6000米ドルを支払ってC港から船に乗り、平成13(2001)
年10月14日に日本に上陸したが、単に不法就労目的ならば、その先行投資のリスクに見合
うだけの成果が得られるとは限らないことからして、これだけの金員を払うほど迫害を受
ける恐怖を抱いていたとみるべき性質のものである。
- 14 -
以上のとおり、原告に不法就労目的がなかったことは明らかである。
イ 難民帰還の状況との整合性
被告らは、タリバーン政権崩壊後に国連を中心として難民帰還政策が推進されている旨
主張するが、同政策については、もともとパキスタンがタリバーン政権崩壊をこれ幸いと
して難民を追い返している事実があるなど、どれほどの難民が自主的に帰還したのか定か
ではない上、我が国において難民認定申請を取り下げた者は、被告ら提出の証拠を見る限
り、わずか1名で、その理由も、アフガニスタンが安全になったと考えたからにすぎない
のであり、こうした個人の見方を尊重するなら、原告の見方も尊重すべきである。
オ 小括
前記のハザラ人弾圧の歴史に照らせば、カルザイ政権が全民族を平等に扱うと突如宣言し
たとしてもアフガニスタン国民の完全な理解と納得を得られるものではなく、タリバーンの
残党や、それを吸収した軍閥間の抗争等の内戦状態が収まるはずもない。カルザイ政権の基
盤は盤石とはほど遠く、アフガニスタンの国土を実効支配しているどころか、カブル周辺を
除いてその支配力は極めて微弱であって、さらに、同政権がタリバーンの政権内への取り込
みを図っていることが、政権内のタジク人勢力の反発を招くとともに、ハザラ人にとっては、
かつてハザラ人を虐殺したタジク人が政権の中枢にいることとも比べものにならないほど不
信と恐怖の対象となっているのである。本件不認定処分等の時において、カルザイ政権に、
前述したような境遇にある原告を保護する能力はなかったし、原告も、国籍国の保護を決し
て望んでいない。
なお、本件不認定処分等の時点において、国際治安支援部隊(以下「ISAF」という。)の駐
留していたカブルについては、ハザラ人に対して直ちに積極的な攻撃が行われる状態であっ
たとまではいえないと思われるが、カブルのみに閉じこもって生活することなどできない
し、また、周辺の地域情勢が悪化した場合、まずカブルが狙われるところ、その安全性はアフ
ガニスタン全体を見渡して初めて判断できるのであるから、迫害のおそれを論じるに当たっ
て、カブルだけを切り離して考えることは失当である。
以上のとおり、原告は、難民条約1条A及び難民議定書1条の規定により同条約の適用
を受ける難民(以下「議定書難民」という。)に当たり、入管難民法に定める難民に該当する
から、本件不認定処分は明らかに違法であり、また、本件難民異議申出に理由があるのに同
処分を取り消さず、難民には原則的に日本での在留を認めるべき旨を規定したものと解する
のが相当な法61条の2の8を、単なる確認規定の意味しかないものにおとしめ、原告に在留
特別許可を与える根拠とならなかった本件不認定裁決も、違法である。
(被告らの主張)
原告の主張のうち、原告が民族的にハザラ人であることは知らない。その余は否認な

お気軽にお問合せください

お電話でのお問合せ

03-5809-0084

<受付時間>
9時~20時まで

ごあいさつ

VISAemon
申請取次行政書士 丹羽秀男
Hideo NIwa

国際結婚の専門サイト

VISAemon Blogです!

『ビザ衛門』
国際行政書士事務所

住所

〒150-0031 
東京都渋谷区道玄坂2-18-11
サンモール道玄坂215

受付時間

9時~20時まで

ご依頼・ご相談対応エリア

東京都 足立区・荒川区・板橋区・江戸川区・大田区・葛飾区・北区・江東区・品川区・渋谷区・新宿区・杉並区・墨田区・世田谷区・台東区・中央区・千代田区・千代田区・豊島区・中野区・練馬区・文京区・港区・目黒区 昭島市・あきる野市・稲木市・青梅市・清瀬市・国立市・小金井市・国分寺市・小平市・狛江市・立川市・多摩市・調布市・西東京市・八王子市・東久留米市・東村山市・東大和市・日野市・府中市・福生市・町田市・三鷹市・武蔵野市 千葉県 神奈川県 埼玉県 茨城県 栃木県 群馬県 その他、全国出張ご相談に応じます