退去強制令書発付処分無効確認等、難民認定をしない処分取消請求控訴事件
平成16年(行コ)第221号(原審:東京地方裁判所平成14年(行ウ)第75号、第80号)
控訴人:法務大臣・東京入国管理局成田空港支局主任審査官、被控訴人:A
東京高等裁判所第14民事部(裁判官:西田美昭・小池喜彦・森高重久・西田美昭)
平成17年5月31日

判決
主 文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人の請求(ただし、被控訴人の控訴人法務大臣が被控訴人に対し平成13年8月29日付け
でした裁決の取消しを求める予備的訴えを除く。)をいずれも棄却する。
3 被控訴人の、控訴人法務大臣が被控訴人に付し平成13年8月29日付けでした裁決の取消しを
求める予備的訴えを却下する。
4 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
 原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。
 前項の取消しにかかる被控訴人の請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
本件控訴をいずれも棄却する。
第2 事案の概要等
1 事案の概要
控訴人は、平成13年7月2日に本邦に不法入国した者であるところ、同日、東京入国管理局(以
下「東京入管」という。)成田空港支局入国警備官の違反調査を受け、同月6日に同支局入国審査
官により出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)24条1号に該当する旨の認定がされ、
同月17日に同認定に誤りがない旨が判定されたため、同日控訴人法務大臣に対し、異議の申出を
したが、控訴人東京入管成田空港支局主任審査官(以下「控訴人審査官」という。)は、同年8月
29日に控訴人法務大臣が上記異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし
たとして、翌30日、被控訴人に対し、退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)
また、被控訴人は、同年7月3日、東京入管成田空港支局において、難民協定申請をしたところ、
控訴人法務大臣は、同年8月29日、被控訴人について難民の認定をしない旨の処分をした(以下
「本件不認定処分」といい、本件裁決、本件退令発付処分と合わせて「本件各処分」という。)
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本件は、被控訴人が、イスラム教シーア派に属するハザラ人であり、反タリバン勢力であるa
の元司令官及び中央委員会のメンバーであるため、本件各処分当時、アフガニスタンにおいて、
タリバン勢力から迫害を受けており難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)上の難
民に該当する等と主張して、本件裁決の不存在確認(予備的に本件裁決の無効確認ないし取消し)
及び本件退令発付処分について無効確認(原審・平成14年(行ウ)第75号事件)を、本件不認定
処分について取消し(原審・平成14年(行ウ)第80号事件)を求めるものである。
原審は、本件裁決は行政機関の内部的決裁行為というべきものであって、行政事件訴訟法3条
1項にいう公権力の行使に該当しないとし、本件裁決の不存在確認等を求める主位的訴え並びに
本件裁決の無効確認及び同裁決の取消を求める予備的訴えをいずれも却下したが、被控訴人は難
民条約にいう難民に該当するとして、その余の本件退令発布処分の無効確認を求める請求及び本
件不認定処分の取消を求める請求を認容した。
控訴人は、請求認容部分、訴え却下部分を不服として控訴した。
2 前提となる事実
本件の前提となる事実は、原判決事実及び理由の「第2 事案の概要」欄の1項に記載のとお
りであるから、これを引用する。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、本件裁決の存否及び本件各処分の適法性であり、後者の争点における主要な内
容(争点)となっているものは被控訴人の難民該当性である。
上記争点に関する当事者双方の主張は、原判決28頁8行の「作成した」を「作成して」に改める
ほか、原判決事実及び理由の「第2 事案の概要」欄の2項及びに記載のとおりであるから、
これを引用する。
第3 当裁判所の判断
1 本件裁決の裁決該当性について
 本件裁決がされた経緯は、前記前提となる事実(原判決の引用)に記載のとおりであり、その
概要は以下のとおりである。すなわち、被控訴人は、平成13年7月2日、便名等不祥の航空機
により新東京国際空港(以下「成田空港」という。)に到着して本邦に不法入国した。東京入管
成田空港支局入国審査官は、同月3日、同月4日及び同月6日、被控訴人に対し違反審査を実
施した上で、同月6日、被控訴人が法24条1号に該当する旨を認定し、被控訴人にこれを通知
したところ、被控訴人は、同日、同支局特別審理官に対し口頭審理を請求した。東京入管成田空
港支局特別事理官は、同月17日、被控訴人について口頭審理を実施し、入国審査官の上記認定
に誤りがない旨を判定したところ、被控訴人は、同日、控訴人法務大臣に対し異議の申出をし
た(以下「本件異議の申出」という。)控訴人法務大臣は、同年8月29日、本件異議の申出につ
いて理由がない旨の裁決(本件裁決)をし、その旨を控訴人審査官に通知し、控訴人審査官は、
翌30日、被控訴人に本件裁決がされたことの通知があったことを告知した。
 一方、入国警備官による違反調査の結果、収容された容疑者に対する退去強制手続の概要及
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びこれに関連する法の規定は、以下のとおりである。
ア 入国審査官は、法44条の規定により容疑者の引渡しを受けたときは、容疑者が法24条各号
の一に該当するかどうかをすみやかに審査し(法45条1項)、審査の結果、容疑者が法24条
各号のいずれにも該当しないと認定したときは、直ちにその者を放免しなければならず(法
47条1項)、法24条各号の一に該当すると認定したときは、すみやかに理由を付した書面を
もって、主任審査官及びその者にその旨を知らせなければならない(同条2項)。この場合に
おいて、容疑者がその認定に服したときは、主任審査官は、すみやかに法51条による退去強
制令書を発布しなければならない(同条4項)。
イ 一方、同通知を受けた容疑者は、同認定に異議があるときは、その通知を受けた日から3
日以内に、口頭をもって、特別審理官に対し口頭審理の請求をすることができ(法48条1項)、
特別審理官は、口頭審理の結果、同認定が事実に相違すると判定したときは、直ちにその者
を放免しなければならず(同条6項)、同認定が誤りがないと判定したときは、すみやかに主
任審査官及び当該容疑者にその旨を知らせるとともに、当該容疑者に対し、法49条の規定に
より異議を申し出ることができる旨を知らせなければならない(法48条7項)。この場合に
おいても、容疑者がその認定に服したときは、主任審査官は、すみやかに法51条による退去
強制令書を発布しなければならない(同条8項)。
ウ 上記同通知を受けた容疑者が、特別審理官の判定に異議があるときは、その通知を受けた
日から3日以内に、法務省令で定める手続により、不服の事由を記載した書面を主任審査官
に提出して、法務大臣に対し異議を申し出ることができ(法49条1項)、法務大臣は、同異議
の申出を受理したときは、異議の申出が理由があるかどうかを裁決して、その結果を主任審
査官に通知しなければならない(同条3項)。
エ 主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由があると裁決した旨の通知を受けたとき
は、直ちに当該容疑者を放免しなければならず(同条4項)、異議の申出が理由がないと裁決
した旨の通知を受けたときは、すみやかに当該容疑者に対し、その旨を知らせるとともに、
法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(法49条5項)。
 ところで、行政事件訴訟法3条2項にいう「行政庁の処分」とは、公権力の主体たる行政庁が
行う行為のうちで、その行為により直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定すること
が法律上認められているものをいうところ(最高裁昭和30年2月24日第一小法廷判決・民集
9巻2号217頁、最高裁昭和39年10月29日第一小法廷判決・民集18巻8号1809頁参照)、上記
の規定によれば、法24条各号の一に該当する旨の入国審査官の認定を受けた容疑者について
は、以後すみやかに退去強制令書が発布され、実力をもって本邦からの退去が強制されること
になるから、入国審査官の認定は、私人を名宛人とし、退去強制という強度の侵害作用の要件
である退去強制事由を認定するものであり、行政庁がその優越的な地位に基づき、公権力の発
動として行う行為であって、私人の権利義務、法律上の地位に直接具体的な影響を与えるもの
であるといえるから、上記の「行政庁の処分」に当たるといえる、また、口頭審理の請求を受け
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た特別審理官による判定は、入国審査官の認定に対する不服申立てに対し義務として応答する
ものであるから、行政事件訴訟法3条3項の「裁決」に当たるというべきである。さらに、法49
条1項の異議の申出に対しては、同条3項において、「法務大臣は、第1項の規定による異議の
申出を受理したときは、異議の申出が理由があるかどうかを裁決して、その結果を主任審査官
に通知しなければならない。」と規定されていることからすれば、法務大臣は異議の申出につき
判断することが義務付けられており、その判断結果は、放免行為(同条4項)ないし主任審査官
からの通知(同条5項)によって、申出人に対して通知されることになるから、法49条の規定
からみて、法務大臣に異議の申出に対する応答義務があることは明らかである。そして、法務
大臣に応答義務がある以上、法49条1項が、容疑者に対し、特別審理官の判定に対して「異議
の申出」という名の不服申立権を認めているというべきであるから、法47条2項所定の入国審
査官の認定に対する法48条所定の特別審理官の判定が行政事件訴訟法3条にいう「裁決」に当
たる以上、認定に誤りがない旨の判定に対する法49条所定の裁決も、当該判定に対する「異議
の申出」という不服申立ての応答として、行攻事件訴訟法3条3項にいう「裁決」に当たるとい
うべきである。
なお、法49条3項によれば、法務大臣は、同条1項の異議の申出に対して主任審査官に応答
することを規定するにすぎず、当該容疑者に対して直接応答することは予定していないが、法
務大臣の異議の申出に理由がないと裁決した場合には、主任審査官を通じて速やかに本人に告
知することとされているのであって(法49条6項)、処分権者と告知者が異なるというにすぎ
ないというべきであるから、法務大臣による異議の申し出に対する応答が直接当該容疑者に対
してなされるものでないという点は、行政事件訴訟法3条3項の「裁決」該当性を否定する理
由になり得ない。また、上記のとおり、法49条の趣旨は、判断権者と裁決の通知事務の担当者
を分けたにすぎないものであって、法49条3項の裁決を内部的決裁行為と解することも相当で
はない。さらに、法49条3項が同条1項の異議の申出に対する応答義務を法務大臣に課してい
ることは文理上明らかであり、法務大臣に応答義務がある以上、法49条1項にいう「異議の申
出」が容疑者に対して特別審査官の判定に対する不服申立権を認めたものであることも明らか
であるというべきであるから、法が「異議の申出」という用語を用いていることも「裁決」該当
性を否定する根拠とはならない。
 以上のとおりであるから、本件裁決は行政事件訴訟法3条3項及び4項にいう「裁決」に該
当するというべきである。
2 被控訴人の難民該当性について
被控訴人は、本件不認定処分は、被控訴人が難民条約上の難民に該当するにもかかわらず、こ
れを看過してされた処分であるから取り消されるべきであり、本件退令発付処分は、送還先をア
フガニスタンとしたことが、難民を迫害のおそれのある国に送環することを禁じた難民条約33条
1項、法53条3項のノン・ルフールマン原則に違反し無効である旨を主張するので、以下、被控
訴人の難民該当性について検討する。
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 まず、法に定める難民とは、難民条約1条又は難民の地位に関する議定書1条の規定により
難民条約の適用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2)、同規定によれば、この難民とは、
「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害
を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいるもので
あって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにそ
の国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者で
あって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するた
めに当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」である。そして、「迫害」とは、一
般に、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧並びにその他の人権の重大な侵害を意味するものと
解せられるが、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というた
めには、当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほか
に、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在して
いることが必要であると解すべきである。
そして、法の定める難民を上記のとおり解することからすれば、当該人に係る難民該当性の
判断は、当該人の出身国の状況を認定した上で、当該人の迫害のおそれを基礎付ける個々の事
情に関する供述の信用性の判断を行い、その上で、このように認定された出身国の状況に当該
人の個々の事情を合わせかんがみることにより、当該人がその出身国に戻ったとすれば、迫害
を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているか否かという主観的事情の存否及び通常人が当
該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的、事情の存否の判断を行い、さ
らに、これら主観的及び客観的事情が肯認された場合に、そのような恐怖が難民条約等に規定
された人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由
とするものであるかを認定するという方法で行うのが相当といえる。
 しかるところ、アフガニスタンの歴史的沿革に関する認定は、原判決事実及び理由の「第3
 争点に関する判断」欄の2項(原判決33頁15行目から35頁20行目まで)に記載のとおりで
あるから、これを引用する。ただし、原判決33頁16行目の「甲1、」の次に「5、」を加え、同頁
21行目から22行目にかけての「人口の約35パーセントを占め」を「1990年代の数字で人口の
約38パーセントを占め」に改め、同34頁6行目の「タジク人」の前に「①」を加える。
また、アフガニスタンにおけるハザラ人の状況についての認定及びその状況に関する各種の
報告書の記載は、原判決事実及び理由の「第3 争点に関する判断」欄の2項ア(原判決35
頁22行目から同37頁9行目まで)、イ及びウアないしオ(原判決37頁10行目から同39頁14行
目まで)、エア及びイ(原判決39頁25行目から同42頁7行目まで)、オアないしオ(原判決42頁
16行目から同44頁16行目まで)に記載のとおりであるから、これを引用する。
 一方、被控訴人は、本人尋問及び被控訴人代理人作成の聴取報告書(甲79)において、被控訴
人がシーア派ハザラ人であること、aの司令官等としてタリバンに反対する活動をしたために
タリバンから指名手配を受けたこと等を供述するところ、その要旨は、以下のとおりである。
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ア 被控訴人は、イスラム教シーア派に属するハザラ人であり、1979(昭和54)年にソ連がア
フガニスタンに侵攻していたことや、ハザラ人やイスラム教シーア派が迫害を受けていたこ
とから、1981(昭和56)年ころからaのメンバーとして活動を開始し、《地名略》担当の第○
情報部門の責任者に任命され、情報収集などを行うようになったが、他方で、そのころ、アフ
ガニスタンの事業許可を取得し、中古自動車部品の貿易・販売事業で生計を立てるようにな
った。
イ 被控訴人は、1982(昭和57)年ころ、当時のカルマル政権により上記のaにおける活動を
理由として逮捕され、1か月以上身柄を拘束された。
ウ 被控訴人は、その後も事業で得た利益でaを経済的に支援したり、同党の広報に携わる等
の政治活動をしていたが、aの最高司令官であるB(以下「B」という。)からの依頼を受け、
カブールに潜入していたBBCのイギリス人ジャーナリストからインタビューを受け、現地を
案内する等したため、1989(平成元)年ころ、当時のナジブラ政権により再び逮捕され、裁判
で2年間の懲役を命じられたが、6か月後に恩赦により釈放された。被控訴人は、上記身柄
拘束の際、金属製ケーブルで身体を殴られたり、電気ショックを受けさせられ、熱した棒を
左腕に押しつけられる等の拷問を受けた。
エ 被控訴人は、その後もaのメンバーとしてaに経済的支援をしたほか、重要なミーティン
グ等に参加していたが、その間、1992(平成4)年3月ないし4月ころ、aを含むムジャヒデ
ィンがカブールを制圧し、ナジブラ政権を崩壊させたものの、その後ムジャヒディン間で内
戦が始まり、当時aの副最高司令官の地位にあった被控訴人の長兄Cが、この内戦で殺害さ
れた。被控訴人は、同人の弟であったため、他のaのメンバーから信頼を受け、同年5月こ
ろ、長兄を継いで《地名略》でスカッド・ミサイルの防衛を担当する第○部隊の司令官になり、
650人から800人くらいの部下を率いて活動を行うようになるとともに、aの中央委員会の
メンバーに任命され、ヘクマティアルらのパシュトゥーン人のムジャヒディン勢力と戦った
ところ、これらの活動が評価されBから感謝状を受けた。
また、被控訴人は、1993(平成5)年8月、ムジャヒディン間の内戦が一時的に停止した時
期にBとともに停戦維持に関する任務に従事し、代表団の安全確保を行うなどしたところ、
1994(平成6)年1月にはアフガニスタン・イスラム国の第○部隊の司令官に任命された。
オ 1994年(平成6)年には、アフガニスタン南部で誕生したタリバンが、次第にカブールに
勢力を伸ばし、翌年にはカブールを攻撃するようになったが、被控訴人は、1995(平成7)年
10月、aの軍事部門の情報管理・規律維持の責任者に任命された。また、1996(平成8)年
ころには、イスラム統一党の指導者であるマザリがタリバンに殺害されたことを契機とし
て、イスラム協会、イスラム統一党、aの反タリバン連合部隊が形成され、被控訴人は、同年
5月、カブールで、各組織の衝突の防止及び治安維持のための部隊の司令官に任命され、600
名の部下を率いて活動した。
しかし、1996(平成8)年9月27日、タリバンがカブールを制圧したため、被控訴人は北
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カブール、トルクマンへと戦闘をしながら退避することになり、約3か月間戦闘を続けた後、
自分や家族の命を守るためにアフガニスタンを出国することを決意した。
カ 被控訴人は、1996(平成8)年12月ないし翌年1月ころ、パシュトゥーン人に500万アフ
ガニを支払い、パキスタンのペシャワールへ逃走した。被控訴人は、身元を隠すため、パシュ
トゥーン人の服装をし、頭に布を巻いて被控訴人と分からないようにしたほか、身元が判明
する書類は所持しないようにしたが、被控訴人の妻子も被控訴人とは別行動でカブールから
ペシャワールへ移り、妻が被控訴人の書類やパスポートを運び被控訴人に渡した。被控訴人
は、ペシャワールに到着した後、生計を立てるために他のアフガニスタン人2人と共同で貿
易事業を行うことにし、1997(平成9)年2月ころ、日本の会社を紹介されて来日した。被控
訴人の妻子は、その後カブールに帰り妻の実家で暮らすこととなった。
キ 被控訴人は、日本からパキスタンに帰国後、UAEに滞在することにし、1997(平成9)年
7月ころ、他の2人のアフガニスタン人とUAEの《地名略》に貿易事業の会社を設立したが、
その後Bからアフガニスタン国内のaメンバーに経済的支援をする任務を与えられ、UAEに
おける責任者として活動するようになり、UAE国内に滞在するaのメンバーや支援者らへの
連絡、会議等を開催してアフガニスタンの状況を話したりするほか、イランやパキスタンに
滞在するメンバーと連絡を取っていた。
ク 被控訴人は、1997(平成9)年8月から翌年7月までの間、5回にわたりいずれも短期滞
在の在留資格を取得して来日し、中古自動車部品の貿易事業に従事しつつ、1998(平成10)
年春ころには、aのミーティングに参加するためタジキスタンを経由し、アフガニスタン北
部のタハールに入ったり、1999(平成11)年初め及び2000(平成12)年初めには、カブール
で地下活動を行うaのメンバーを支援するため、危険を冒してタリバン支配下のカブールに
潜入して、経済的支援をしたりする等の活動を継続していた。被控訴人のこのような活動が
評価され、被控訴人は、2000(平成12)年3月ころ、aの中央委員会のメンバーに再度登録
された。
ケ 2001(平成13)年3月ころ、当時アメリカを訪問していたBが、イランのマシャドに滞在
することになり、aの中央委員会のメンバーによる会議が開催されたため、被控訴人も参加
した。その際、被控訴人はaの週刊誌であるbのインタビューに応じ、被控訴人はタリバン
に批判的な内容を述べたところ、被控訴人のこのインタビューを掲載した同週刊誌は、《日付
略》に発行された。
また、被控訴人は、同年5月ころ、伯母の葬儀のために《地名略》の親戚を訪ね、その際、《地
名略》の日刊紙であるcの記者のインタビューに応じたが、その中で被控訴人は、タリバン
に批判的な発言をしたところ、同インタビューが掲載された日刊紙が《日付略》に発行され
てしまった。
コ 被控訴人は、上記のような反タリバン活動をしていたため、タリバンの諜報機関に個別に
把握されることとなり、被控訴人がUAEに滞在していた2001(平成13)年6月中旬ころに
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は、《地名略》に居住していた妻の親戚であるDから、被控訴人の従兄弟であるEが連行され
たと聞いたほか、同月19日、Bから、タリバンが被控訴人の指名手配書をパキスタン大使館、
UAE大使館に送付しており、被控訴人に身柄拘束の危険が迫っている旨の連絡を受けた。さ
らに翌20日には、UAEに駐在するタリバンの大使館から、被控訴人の会社に対し、被控訴人
にアブダビの大使館に来るようにとの電話があった。被控訴人は、これらの連絡を受け、自
らの身柄拘束の危険が迫っていると感じ、同月23日ころ、UAEからパキスタンのペシャワー
ルへと出国した。
サ 被控訴人がペシャワールに入ったころ、被控訴人は、パキスタンに滞在する親戚から、タ
リバンが伯母の葬儀を行った親戚の自宅を2度訪れ、被控訴人の所在場所を尋ねたことを聞
かされたほか、aの情報部門に所属するGからも、被控訴人の従兄弟であるEが連行された
旨を聞かされた。さらに、被控訴人が中央カブールに有していた店舗及び被控訴人の《地名
略》の自宅がタリバンに没収されて他人に売却されたほか、被控訴人の《地名略》の自宅もタ
リバンにより破壊され敷地内に地雷が埋められた旨を聞かされた。
また、被控訴人は、妻の兄であるFやGから、被控訴人が指名手配された旨が記載されて
いるタリバンの指名手配書(甲74)や、d紙(甲70)、被控訴人のインタビューの掲載された
c紙(甲69)を受け取った。
シ 被控訴人は、パキスタンにおいてもタリバンの捜索を受けるようになったため、安全な国
へ出国することを決意し、過去に日本滞在の経験があったことなどから、日本へ行くことを
希望し、1万500米ドルと3枚の写真を渡して、ブローカーの手配により、2001(平成13)年
6月28日、ペシャワールからイスラマバードへ行き、イスラマバードから経由地の空港に空
路で移動した後、バンコクと思われる空港をさらに経由し、同年7月2日、成田空港に到着
し、同日、東京入管成田空港支局上陸審査場において、同支局入国審査官に対し、難民認定申
請をしたい旨を述べた。
 以上の被控訴人の供述によれば、被控訴人がアフガニスダンにおいてタリバンから迫害を受
けるおそれがあると認識したのは、被控訴人の反タリバン活動がタリバンの諜報機関に個別に
把握されることとなり、タリバンが指名手配書を発布し、被控訴人に出頭を求めてきたことが
契機となったものといえる。
この点について、被控訴人は、上記タリバンが指名手配書を発布し被控訴人に出頭を求めた
という事情のみが被控訴人の迫害を受けるおそれを基礎付けるものではなく、被控訴人がシー
ア派ハザラ人であり、反タリバンの勢力であるaの司令官及び中央委員会のメンバーとして積
極的に反タリバン活動をしていたという事情から、アフガニスタンにおいて迫害を受けるおそ
れがあったと主張する。
しかしながら、前記引用に係る原判決認定事実及び各種報告書の記載によれば、国際機関
等が、シーア派ハザラ人であることのみを理由に暴行や殺害等の迫害がなされたいう報告をし
たという事実はなく、タリバンも公式には組織的かつ日常的にハザラ人を迫害することを肯定
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していたものではないことが認められるのであって、むしろ、タリバンによって行われたハザ
ラ人の虐殺行為は、宗教的又は民族的特性に帰因するものというよりも、反タリバン勢力の攻
撃に対する報復として、反タリバン勢力に対する協力者、あるいは反タリバンとみなされた者
を対象としてされた側面があるというべきであり、アフガニスタンにおいて、一般にシーア派
ハザラ人が、そのことのみを理由にタリバンによる迫害を受けるおそれがあるものと認めるこ
とは困難であるといわざるを得ない。
もっとも、上記報告書中には、タリバンによるハザラ人に対する暴行や殺害等の迫害は、必
ずしも組織的に行われたものでないにしても、現実には、ハザラ人がその民族及び宗教的信仰
のゆえに、タリバンから反対勢力に属することを疑われ、その疑いの客観的証拠がなくとも暴
行や殺害等を受けることが相当の頻度であったこと、少なくとも一部のタリバン勢力が非スン
ニ派を殺害することを宗教的使命とみなしていたことなどを指摘するものもあるので、まし
て、被控訴人の供述するとおり、被控訴人がシーア派ハザラ人であるというだけでなく、aの
司令官及び中央委員会のメンバーとして積極的に反タリバン活動をしていたというのであれ
ば、そのことによっても、被控訴人がタリバンから迫害を受けるおそれがあると認識していた
ということも想定できないことではない。
しかしながら、以下に述べるとおり、被控訴人が、そのような理由から迫害を受けるおそれ
があると認識していたとは到底認められない。すなわち、前記被控訴人の供述によれば、被控
訴人は、平成4年(1992年)にaの司令官に任命され、その後も司令官等として反タリバン活
動をしてきたというのであるが、証拠(乙43、被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、被控
訴人は、①平成9年(1997年)2月7日から同年5月6日まで、②同年8月8日から同年10月
31日まで、③平成10年(1998年)4月から同年7月1日まで、④平成11年(1999年)1月27日
から同年4月26日まで、⑤同年9月29日から同年12月26日まで、⑥平成12年(2000年)4月
19日から同年7月16日までの6回にわたり、中古自動車部品買付け等の目的で、本邦に入国在
留していたことが認められるのであり、前記引用に係る原判決前提となる事実のとおり、被控
訴人は、7回目になる平成13年7月2日の今回の入国に至って初めて、同月3日、本件難民認
定申請をしているのである。一方、その間のアフガニスタンの状況は、タリバンが平成8年9
月(1996年)9月に首都カブールを陥落し、平成10年(1998年)夏には、マザリシャリフ及び
イスラム統一党の拠点であるバーミヤンを陥落させるなどの事件があり、前記被控訴人の供述
によれば、被控訴人においても、タリバンがカブールを制圧したため、北カブール、トルクマン
へと戦闘をしながら退避することになり、約3か月間戦闘を続けた後、自分や家族の命を守る
ためにアフガニスタンを出国することを決意したというのである。しかるに、被控訴人は、被
控訴人においては、その間に我が国に庇護を求めることも難民認定申請をすることもなかった
ばかりか(被控訴人が同申請をしたことをうかがわせる証拠はない。)、平成9年(1997年)以降、
3回にわたりアフガニスタンに帰国して、aに対する経済的支援を行うなどしてきたというの
であって、仮に、被控訴人がシーア派ハザラ人でaの司令官等であることからタリバンから迫
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害されるおそれがあると認識していたものであったとすると、上記のような被控訴人の行動は
到底理解し難いものといわざるを得ず、むしろ、被控訴人においては、単にハザラ人であるこ
とやaの司令官等であるとの事情のみでは、必ずしもアフガニスタンにおいて迫害を受けるお
それがあるとは認識していなかったものと考えるのが自然である。
以上のとおり、被控訴人がシーア派ハザラ人であり、また、aの司令官等であったという事
情からも、アフガニスタンにおいて迫害を受けるおそれがあったと認識していたとする被控訴
人の主張は採用できないものであり(なお、タリバンが被控訴人の指名手配書を発布し、被控
訴人に出頭を求めてきたということを被控訴人が知ったとする以前において、被控訴人がタリ
バンからaの司令官等として活動していることを個別的に認識されるなり、タリバンが被控訴
人の身柄を探している等といった事実に直面したというような事情は本件全証拠によるも認め
られないから、aの司令官等であったということを根拠として、被控訴人が迫害を受けるおそ
れがあったと認識していたということはあり得ない。)、被控訴人がアフガニスタンにおいてタ
リバンから迫害を受けるおそれがあると認識したとしても、それは、被控訴人の反タリバン活
動がタリバンの諜報機関に個別に把握されることとなり、タリバンが指名手配書を発布し、被
控訴人に出頭を求めてきたとすることが契機となったものとみざるを得ない。
 ところで、被控訴人の反タリバン活動がタリバンの諜報機関に個別に把握されることとな
り、タリバンが指名手配書を発布し、被控訴人に出頭を求めてきた一連の経緯に関する被控訴
人の供述は前記ケないしサのとおりであるところ、被控訴人は、これらの被控訴人の供述を
裏付ける証拠として甲69ないし71号証、74号証及び75号証を提出する。しかし、以下のとお
り、これらの書証はいずれも偽造ないし内容虚偽の証拠である。すなわち、
ア 甲69号証について
甲69号証は、被控訴人がタリバンにより指名手配された契機となったとするインタビュー
記事が掲載されているc紙であるところ、上記c紙は、紙面左頁右上部には《日付略》を発行
日とする記載がされているにもかかわらず、これと一体の紙面である右頁右上部には同月22
日を発行日とする記載がされていることが認められ、同紙が日刊紙であることからすると、
このような記載は著しく不自然なものといわざるを得ない。また、控訴人らが同紙の発行元
から取り寄せたとする《日付略》を発行日とするc紙(乙44)と甲69号証のc紙は掲載され
ている写真及び掲載記事の見出しがすべて異なっており、他方控訴人らが発行元から取り寄
せたとする同月22日付けの同紙(乙45)と甲69号証を比較すると、掲載されている写真及び
掲載記事の見出しがほぼ一致すると認められるものの、控訴人らの取り寄せた同紙には、被
控訴人のインタビュー内容や被控訴人の写真等、被控訴人に関する記事は何ら掲載されてい
ないことが認められる。さらに、甲69号証には、紙面右頁の中央付近に記載された一体とな
る記事がダリ語で記載されているにもかかわらず、一文の途中からパシュトゥーン語で記載
されている等、通常では考え難い体裁のものとなっており、内容にもつながりのない文章と
なっていることが認められる(乙50)。これらの事実からすると、甲69号証は、被控訴人のイ
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ンタビュー記事を掲載することを目的として意図的に作成された偽造の新聞であるといわざ
るを得ず、少なくとも《日付略》付けのc紙には、被控訴人のインタビュー記事は掲載されな
かったことが認められる。
イ 甲70号証について
甲70号証は、甲69号証のインタビューに関する記事を敷衍したものとして被控訴人が提
出するd紙であるところ、同紙には、「反アフガニスタン・イスラム首長国のプロパガンダを
外国で行っている者の1人がAである。《日付略》、cに反アフガニスタン・イスラム首長国
のプロパガンダを行った。」等と記載されていることが認められるが、上記のとおり、同日付
けのc紙にはそのような記事は掲載されていないことが認められることからすると、この新
聞記事も偽造によるものであるといわざるを得ない。
ウ 甲74号証について
甲74号証は、被控訴人がタリバンによる指名手配を受けたとして提出する指名手配書であ
るところ、同号証には、「Aは、反乱及び犯罪を行う組織の司令官として、反アフガニスタン・
イスラム首長国のプロパガンダを外国の報道機関に行ったものである。」と記載された上、被
控訴人の身柄をアフガニスタンの裁判所に引き渡すよう命じる旨の記載がされている。そし
て、被控訴人が、同指名手配書に記載された「プロパガンダ活動」はパキスタン(《地名略》)
の日刊紙である前記c紙(甲69)への記事掲載を指すものと主張しており、その他に被控訴
人が同時期に外国の報道機関にタリバンに批判的な意見を述べたり、その旨の記事等が掲載
された事実は全証拠によっても認めることができない(なお、被控訴人は、《日付略》ころ、
aの週刊誌であるbにもインタビュー記事を掲載されているが、同週刊誌は「外国の報道機
関」ではないから、bの掲載を理由とするものとは考えられない。)。そうすると、上記指名手
配書の根拠となっている前記c紙(甲69)の記事が偽造である以上、上記指名手配書は偽造
であるといわざるを得ない。
エ 甲71号証について
甲71号証は、タリバンが被控訴人に係る指名手配書を在パキスタン及び在UAEのアフガ
ニスタン大使館に送付したという内容のBからのファックスであるが、上記のとおり甲69の
c紙や甲74の指名手配書自体が偽造なのであるから、上記ファックスも上記c紙等の偽造文
書と併せて作成された内容虚偽の文書であるといわざるを得ない。
オ 甲75号証について
甲75号証は、被控訴人に対するアフガニスタン当局からの呼出状であるところ、上記各証
拠が偽造文書又は内容虚偽の文書であることや、上記呼出状の日付が2001年(平成13年)、
8月14日であるところ、これがUAEから本邦に向けて発送されたのは、本件不認定処分がな
された同月29日の後の同年11月13日であるし(甲76)、上記呼出状は在UAEのタリバン政権
下のアフガニスタン大使館が発行したとされるものであるのに、発行日は西暦で記載されて
いることからすれば(イスラム教を厳格に解釈しイスラム原理主義に立つタリバン政権の大
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使館が、イスラム教徒のアフガニスタン国民に宛てた公文書の発行日の記載にイスラム暦を
使用しないのは不自然である。)、上記呼出状も偽造文書であると判断せざるを得ない。
なお、被控訴人は、前記c紙への被控訴人の関与を否定する供述をするが、被控訴人は、同
紙面に掲載された被控訴人の顔写真を被控訴人自身が新聞記者からの求めに応じて提出した
というのであるから(被控訴人本人・原審第5回口頭弁論調書91項)、被控訴人が主張する
ようなインタビューが実際に行われていたとするなら、上記のような偽造記事に被控訴人が
提供した写真が使用されるはずはなく、また、被控訴人が上記c紙及びd紙を入手した経緯
について、当初はGが被控訴人の妻の兄に渡し、その後、同人からこれを受け取った旨述べ
ていた(甲78・8頁)が、その後、c紙については、妻の兄弟がGから郵送してもらったもの
を妻の兄弟から直接受け取ったと供述し(被控訴人本人・原審第5回口頭弁論調書98項ない
し101項)、さらに、Gと妻の兄弟が一緒にカブールから持ち込み、妻の兄弟から受け取った
旨の供述をしており(被控訴人本人・原審第2回口頭弁論調書39項ないし40項)、また、d
紙についても、後に、被控訴人がGから直接受け取った旨供述する(被控訴人本人・原審第
2回口頭弁論調書39項ないし41項)など、その供述に変遷がみられることからして、被控訴
人自身が前記c紙の偽造に関与していた疑いが極めて高いといわざるを得ず、さらに、被控
訴人が主張するインタビュー自体の存在も極めて疑わしいといわざるを得ない。
以上によれば、被控訴人の反タリバン活動がタリバンの諜報機関に個別に把握されること
となり、タリバンが指名手配書を発布し、被控訴人に出頭を求めてきたとする一連の経緯に
関する被控訴人の供述は、これを裏付ける上記各証拠がいずれも偽造文書又は内容虚偽のも
のであることからして、その信用性には疑問がある。確かに、被控訴人の主張するように、難
民認定における信ぴょう性判断は、難民問題の特殊性や証拠収集の困難性、申請者の心的ス
トレスによる記憶の変容等の心理的要因、言語的障害等の文化的要因等にかんがみ、慎重に
検討する必要があり、証拠の一部が信ぴょう性に欠けるとしても、これをもって供述全体の
信ぴょう性を否定するのは相当ではなく、その他の証拠の検討、供述全体の自然性、合理性
や一貫性という点を総合的に評価した上で慎重な検討がされなければならないのは当然であ
るが、本件の場合、上記のとおり被控訴人の供述のうち、難民該当性の核心的部分に関する
証拠が偽造文書又は内容虚偽の文書であることにかんがみれば、その供述自体に合理性や一
貫性があったとしても、難民該当性に係る被控訴人の供述の信用性が否定されるのは当然で
ある。
 以上の次第であるから、被控訴人がaの司令官等として反タリバン活動をしていたか否かの
判断は措くとしても(仮に被控訴人がその司令官等として活動していたとしても、それ故に被
控訴人が迫害を受けるおそれがあることを認識していたといえないことは前判示のとおりであ
る。)、本件各処分時において、被控訴人に難民条約にいう「迫害を受けるおそれがあるという
十分に理由がある恐怖を有する」というための、当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐
怖を抱いているという主観的事情の存在を肯認することはできない。
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 さらに、被控訴人の今回の本邦への入国に関しては、以下の事情を指摘することができる。
ア まず、証拠(乙9の1ないし3、38、43、被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、被控
訴人は、UAEでe社を共同経営し、UAE、パキスタン、日本を行き来して中古車部品貿易業
を営んでいた者であり、平成9年2月以降、今回の入国までの間に6回本邦への入国歴があ
り、いずれもその渡航目的を「BUSINESS」又は「CAR BUSINESS」としており、本邦におい
て中古自動車部品の仕入れ等の業務に従事していたこと、しかし、その間、我が国に対し、一
時庇護を求めたり、難民申請を行うことはなかったし、また、その手続を調べたり準備を進
めるようなこともなかったこと、被控訴人は、今回の入国に先立つ平成12年10月18日、渡航
目的を「BUSINESS FOR COMPANY」として、在パキスタン日本国大使館に査証発給申請
を行ったものの、以前は即日か翌日に発給されていた査証が、その際には、係官から結論が
出るまで1か月かかる旨言われたという経緯があったこと、その後、上記申請に係る査証が
被控訴人に対し発給された形跡がないこと、被控訴人は、今回の入国後においても、本邦で
中古自動車部品等の仕入れ資金の送金を受けるために開設してあった口座にUAEのe社か
ら200万円の送金を受け、本邦において中古自動車部品を買い付けてはe社に向けて輸出す
る等の経済活動をしていることが認められる。
イ また、証拠(乙51ないし58)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人が共同経営するeの社
員であったHは、H’ との偽名を使って本邦に6回目の入国をし、平成13年4月9日付けで
自らをaの構成員であるとして難民認定申請をしたが、同人が提出したc紙(タリバンが同
人の財産を没収する等したという内容のもの。)は偽造されたものであることが判明し、難
民不認定処分を受け、異議審査中にアフガニスタンに向けて自費出国をしたことが認められ
る。そして、同人は、上記難民認定申請の際に、自らをaの司令官であるとして、a発行の身
分証明書、感謝状、指令文書、司令官時代の写真を提出し(乙53)、「迫害を受けるおそれがあ
るという十分な理由のある恐怖」を裏付ける資料として偽造されたc紙等を提出しているが
(乙51、52)、c紙等が偽造されたものであることは被控訴人の場合と同様であるし、Hが自
らをaの司令官であるとして提出した上記各書面も、被控訴人が自らをaの司令官であると
して提出した甲53号証、第58号証、第61号証ないし第63号証と上部の定型の記載欄及び書
面下部にされたサインが酷似しているし、甲57号証、第59号証、第64、第65号証についても、
H’ が提出した同種の文書と書式等が酷似している(乙53)のであって、被控訴人が自らを難
民であるとする理由とその根拠として提出された証拠資料は、いずれもH’ の場合と酷似し
ている。
ウ さらに、証拠(乙104、88)及び弁論の全趣旨によれば、平成12年以降、アフガニスタン人
で難民認定申請を行った者のうち、平成16年7月12日時点で既に本邦から帰国している者が
29名(うち28名は自費出国)いるところ、うち25名が中古自動車部品業を営んでいる者であ
ること、また、同年2月19日現在、東京地方裁判所に係属中の難民不認定等取消訴訟等にお
けるアフガニスタン人当事者36名のうち22名が中古自動車部品業を営んでいる者であるこ
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とが認められる。このように、アフガニスタン人のうち特定の職業の者が特定の時期に一斉
に難民認定申請をするということ自体、不自然であるというべきであるが、さらに、証拠(乙
43、84、85、114、被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば、被控訴人の今回の不法入国後
の取引先であるf有限会社の住所「千葉県《住所略》」は、被控訴人と同じく中古自動車輸出
業者であり、かつ東京地方裁判所に難民不認定処分取消請求事件を提起していたアフガニス
タン人Iの仮放免許可の際の指定住居及びアフガニスタン人Jの仮放免許可の際のかつての
指定住居であること、また、過去の被控訴人の外国人登録地である千葉県《住所略》は、同じ
く難民不認定処分等の適否を訴訟で争うK(以下「K」という。)らが摘発された場所である
こと、しかも、Kも中古自動車部品販売業等を営んでいる者であるところ、Kに関しては、本
邦に偽名を使って入国し過去の入国歴を秘して難民認定申請をし、法務大臣の不認定処分に
対しその取消訴訟を提起していたL(以下、「L」という。)が、Kとの兄弟関係が強く推認さ
れる旨のDNA鑑定の結果が出ると、訴えを取り下げて本邦から自費出国したこと、さらに同
じく、氏名生年月日等を偽って入国し過去の入国歴を秘して難民認定申請をし、法務大臣の
不評定処分に対し取消訴訟を提起したMもKとの親族関係を控訴人らに指摘されDNA鑑定
を請求されるや、訴えを取り下げて本邦から自費出国していることが認められることからす
れば、平成12年以降、被控訴人のような中古自動車部品業を営み難民認定申請をしたアフガ
ニスタン人には、相互に関係していることが推認される。
エ 以上によれば、被控訴人による本件難民認定申請は、被控訴人が査証の発給を受けること
が極めて困難と考え、自らがUAEで営むe社の事業を維持し、今後の本邦における中古車部
品貿易業を継続するため、難民を偽装し本邦での在留資格を得ることを目的としたものであ
ることが強く疑われるものであり、被控訴人には、中古車部品貿易業を継続するために本邦
に不法入国する十分な動機があるといえる。
 以上の次第であるから、被控訴人が法2条3号の2、難民条約1条、難民議定書1条にいう
難民に該当すると認めることはできず、被控訴人が本件各処分時にアフガニスタンに帰国すれ
ばタリバンによる迫害を受けるおそれがあるというのは、被控訴人が今後も本邦において中古
車部品貿易業を継続するための口実にすぎないとみるのが相当である。
3 本件裁決の存否並びに本件裁決の不存在確認、無効確認及び取消しを求める訴えの当否につい

 被控訴人は、本件裁決は裁決書が作成されておらず不存在である旨主張する。
しかし、法49条3項の裁決を行うに当たり、文書によって行うべきことは規定されていない
し、一般に、行政処分は、行政庁が意思決定をした後、外部に表示され、対外的に認知される存
在になったときに成立し、その効力は、特段の定めがない限り、意思表示の一般原則に従って、
行政処分が相手方に到達したとき、すなわち、行政処分の告知時に発生するものと解せられる。
そして、法49条3項の裁決については、法務大臣が「異議の申出に理由がある」旨の意思決定
をした場合には容疑者を放免することによって(同条4項)、また法務大臣が「異議の申出に理
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由がない」旨の意思決定をした場合には主任審査官が容疑者にその旨を知らせることによって
(同条5項)それぞれ外部への表示及び告知がなされるのであって、前記引用に係る原判決前提
となる事実のとおり、控訴人法務大臣は、平成13年8月29日、本件異議の申出について理由が
ない旨の本件裁決をし、これを控訴人審査官に通知し、翌30日、控訴人審査官は、本件裁決が
されたことを被控訴人に告知しているのであるから、本件裁決が存在していることは明らかで
ある。
したがって、本件裁決の不存在確認を求める被控訴人の請求は理由がない。
 被控訴人は、予備的に、被控訴人の難民該当性を看過した控訴人法務大臣の判断には重大か
つ根本的な事実誤認による裁量権の逸脱があり、本件裁決は無効ないし取消されるべきである
旨主張する。
しかし、被控訴人は本邦に不法入国した者であるから、法24条1号所定の退去強制事由があ
ることは明らかであり、被控訴人が難民条約にいう難民に該当すると認められない以上、控訴
人法務大臣が法50条により特別に在留を許可すべき事情があるとは認められないから、本件裁
決は適法であって、その無効確認を求める被控訴人の予備的請求も理由がない。
また、前記のとおり、本件裁決は平成13年8月30日に被控訴人に告知されたものであるとこ
ろ、本件裁決の取消しを求める被控訴人の予備的訴えは平成14年2月15日に提起されたもの
であることは記録上明らかであるから、上記予備的訴えは行政事件訴訟法14条1項所定の出訴
期間を徒過した不適法なものである。
4 本件退令発布処分及び本件不認定処分の適法性について
前記のとおり、被控訴人が法2条3号の2、難民条約1条、難民議定書1条にいう難民に該当
すると認めることができないから、本件不認定処分は適法であり、また、被控訴人は、難民に該当
すると認めることができず法20条1号に該当すると認定されているのであり、また、被控訴人が
上記のとおり難民に該当しない以上、本件退令発布処分が法53条3項、難民条約33条1項に違反
しているものとは認められないし、控訴人審査官に裁量権の濫用があるということもできないか
ら、本件退令発布処分を無効とする事由はない。
したがって、本件退令発布処分の無効確認及び本件不認定処分の取消しを求める被控訴人の請
求は、いずれも理由がない。
5 よって、原判決を上記の判断に従って変更することとし(原判決中本件裁決の不存在及び無効
確認を求める訴えを不適法として却下した部分も取り消すものであるが、同部分につき更に弁論
する必要はない。)、主文のとおり判決する。

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