難民認定をしない処分取消等請求事件
平成15年(行ウ)第271号
原告:A、被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:鶴岡稔彦・清野正彦・進藤壮一郎)
平成17年8月31日

判決
主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告が平成14年7月8日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。
2 被告が平成15年1月31日付けで原告に対してした、出入国管理及び難民認定法(平成16年法律
第73号による改正前のもの)61条の2の4に基づく異議申出に理由がないものと認める決定を取
り消す。
第2 事実の概要
 1 争いのない事実
 原告は、1978年(昭和53年)にアフガニスタンにおいて出生した同国籍を有する外国人女性
である。
 原告は、平成12年8月7日、大阪入国管理局関西空港支局の特別審理官より在留資格を短期
滞在、在留期間を90日とする上陸許可を受け、本邦に上陸した。
 原告は、被告に対し、同年10月10日、東京入国管理局において難民認定申請をした(以下「本
件難民認定申請」という。)。
 被告は、原告に対し、同申請について、平成14年7月8日付けで、難民の認定をしない処分
をし、同月30日、これを告知した(以下「本件処分」という。)。
同処分に係る通知書(乙8の1)には、「あなたの『人種』、『宗教』及び『特定の社会的集団の
構成員であること』を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明されず、難民
の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する『人種』、
『宗教』及び『特定の社会的集団の構成員であること』を理由として迫害を受けるおそれは認め
られないので、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」との理由が附記されてい
る。
 原告は、被告に対し、同年8月5日、本件処分を不服として異議の申出をした。
 被告は、原告に対し、同申出について、平成15年1月31日付けで、同異議申出に理由がない
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ものと認める決定をし、同年2月7日、これを告知した(以下「本件決定」という。)。
同決定に係る通知書(乙11)には、「貴殿の難民認定申請につき再検討しても、難民の認定を
しないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に、貴殿が難民条約上の難民に該当するこ
とを認定するに足りるいかなる資料も見出し得なかった。」との理由(以下「本件決定理由」と
いう。)が附記されている。
 原告は、同年4月24日、本件処分及び本件決定の取消しを求めて提訴した。
2 当事者の主張の骨子
 本件は、原告が被告に対し、本件処分及び本件決定の取消しを求めた事案である。
原告は、本件処分時において原告は出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による
改正前のもの、以下「法」という。)2条3号の2並びに難民の地位に関する条約(以下「難民条
約」という。)1条及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条所定の難
民に該当するから本件処分は違法であり、また、本件決定には、行政不服審査法(以下「行服法」
という。)48条、41条1項所定の理由が附記されていないから固有の瑕疵があり違法であると
主張した。
 これに対し、被告は、原告の難民該当性を争うとともに、本件決定理由は行服法の求める理
由附記に欠けるところはないと主張した。
3 争点
 原告の難民該当性
 本件決定理由の適否
4 争点に関する当事者の主張
 争点(原告の難民該当性)について
(原告の主張)
ア 原告がハザラ人、シーア派、女性であることを理由として迫害を受ける可能性が大きいこ

原告がアフガニスタンに帰国した場合、次のとおり、原告はハザラ人、シーア派、女性であ
ることを理由として迫害を受ける可能性が大きい。
ア タリバン政権の下においてハザラ人、シーア派、女性は迫害されており、現在において
もタリバンがアフガニスタンの支配を回復する可能性が大きいこと
次のとおり、アフガニスタンにおいては、タリバン政権の下においてハザラ人、イスラ
ム教シーア派(以下「シーア派」という。)、女性が迫害されており、現在においてもなおタ
リバンがアフガニスタンの支配を回復する可能性が大きいのであるから、原告がアフガニ
スタンに帰国した場合、原告はハザラ人、シーア派、女性であることを理由として迫害を
受ける可能性が大きい。
a タリバン政権の下における人権の抑圧状況
 タリバンは1996年(平成8年)にアフガニスタンの首都カブールを制圧した。タリ
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バンは、イスラム原理主義者の中でも最も厳格にシャリアと呼ばれるイスラム法を解
釈し執行する急進主義者の団体であって、他のイスラム社会や西欧社会、国連機関等
との一切の妥協を拒否し、タリバンの政策やイスラム法の解釈に対する議論や批判を
許さない集団である。タリバンは、彼らの解釈によるイスラム法制度に基づく場当た
り的な支配組織を確立し、その支配地域を厳しく統治した。
 タリバンは、テレビ放送、スポーツなどの娯楽活動を禁止し、拷問や公開の死刑、鞭
打ち刑、四肢切断刑等の残虐な刑罰を執行した。
 タリバンはアフガニスタンの最大民族であるパシュトゥーン人を主体として構成さ
れ、その多くはイスラム教スンニ派であり、少数民族であるハザラ人、タジク人、ウズ
ベク人を迫害したほか、特にシーア派に属するハザラ人に虐殺や強制移住等の厳しい
弾圧を加えた。
 タリバンは、女性の就労や教育のみならず、近親者の男性の付き添いなく女性が外
出することを禁止し、女性が外出する場合にはブルカで身を包まなければならないも
のとした。女性は公式に学校に出席することを禁じられ、適切な医療を受ける権利を
侵害され、移動の自由を制限され、さらに、自由に発言する機会を制限された。女性は
子供とともに誘拐を含め人身売買の対象とされており、女性に対しては殴打、レイプ、
強制結婚、失踪、誘拐、殺害を含む暴力が繰り返されていた。
b タリバンがアフガニスタンにおいて支配を回復する可能性
アフガニスタンにおいては、2001年(平成13年)12月22日に暫定行政機構が発足した
が、次のとおり、同機構又は移行政権は永続的なものとはいえないし、タリバンはアフ
ガニスタンにおいて崩壊しておらず、現在もなおいつ支配を回復してもおかしくない状
況である。
 暫定行政機構はアフガニスタン全体を統治しているわけではなく、実効支配してい
るのは首都カブールを中心とする全国の2割程度の地域にすぎない。残る地域は内戦
時代の旧ゲリラ勢力(地方軍閥)が群雄割拠しているのが現状である。暫定行政機構
内部における利害の対立も激しく、政権はいつ内部から崩壊してもおかしくない政治
的緊張状態に置かれている。このような緊張状態は、2002年(平成14年)4月に元国
王ザヒル・シャーが帰国したことで一層深刻化している。
 タリバン政権の崩壊と暫定行政機構の樹立は、アメリカを中心とする多国籍軍の圧
倒的な軍事力により達成されたものであり、憲法に基づく民主的で平和な方法で行わ
れたものではない。同年6月に新憲法制定のための緊急国民大会議(ロヤ・ジルガ)
の代表者の選任及び会議が開催されたが、軍閥司令官及び指揮官による不正や虐待、
脅迫により本来の目的が損なわれており、真に自由で民主的な選挙に基づく政権は確
立していない。
 現在アフガニスタンの治安は悪化しており、タリバン政権以前に戻ったといわれて
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いる。警察は専門技術を欠き、資源の不足及び地方武装勢力の支配により多くの場合
有効に機能していない。警察組織自体が腐敗し、拷問や恣意的拘禁を行っており、警
察に対する国民の信頼は極めて低水準である。カブールに展開する国際治安支援部隊
(ISAF)は武装勢力により度重なる攻撃にさらされており、地方都市においてもロケ
ット弾や爆弾によるテロ行為が頻繁に繰り返されている。基本的生計を営むための諸
権利や社会的インフラの整備も立ち後れている状況である。このような情勢の中で、
アフガニスタンに帰還した多くの避難民が再び出国したり国内避難民になったといわ
れている。2003年(平成15年)以降のアフガニスタンへの帰還民の数は著しく減少し
ている。
 このように、アフガニスタンにおいては復興が遅々として進まず、一般住民の生活
状況の改善も見込めないことから、多くの人々が南東部及び東部地方で再び勢力を盛
り返したタリバンなどの過激武装組織に身を投じて、現政権と外国の支持勢力への失
望を表している。タリバン兵のうち降伏したのはごく一部であり、多数が中央や地方
の市民の中に身を潜めているといわれている。
 アフガニスタンにおいては2004年(平成16年)1月に新憲法が採択されたが、イス
ラム保守派の要求を受け入れ、その前文に「全ての法律はイスラム教の信仰に反して
はならない。」と明記された。
イ 暫定行政機構の下においても、ハザラ人、シーア派、女性は迫害されていること
仮に、タリバンがアフガニスタンの支配を回復する見込みがないとしても、次のとおり、
暫定行政機構の下においてハザラ人、シーア派、女性は迫害されているのであるから、原
告がアフガニスタンに帰国した場合、原告はハザラ人、シーア派、女性であることを理由
として迫害を受ける可能性が大きい。
a 暫定行政機構の主要ポストを掌握している北部同盟各派は、かつてハザラ人と敵対し
激しい戦闘と迫害を加えた集団である。
b タリバン政権時代より状況が改善されたとはいえ、女性は引き続き広範囲の差別に直
面している。女性の教育や労働を禁止するタリバンの政策は撤廃されたが、社会や家庭
では女性や少女の活動を極端に規制し続けている。強制結婚も広く認められており、多
くの少女が早い年頃で結婚させられている。軍閥や警察は、女性に対しタリバンと同様
の態度を取っており、警察による性的暴力の被害者の救済も期待できない。兵士や警察
官自身が強姦の加害者となることも少なくない。女性は、現政権下においても、引き続
き移動の自由を制限され、学校においては性別により生徒が分離され、女児のための教
師すら不足している状態である。
イ 原告が元婚約者の兄から結婚を強制され、これを拒否した場合名誉殺人の被害者となる可
能性が大きいこと
ア 原告は、カブールで両親や他の兄弟とともに生活していたが、1999年(平成11年)3月
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から5月頃、タリバンの兵士がやってきて、原告の父に対し、タリバン軍の上の人が原告
を気に入り嫁にほしいと言っているとして結婚の承諾を追った。原告の父が原告には婚約
者があるとしてこれを断ったところ、兵士は、たまたま同席していた原告の婚約者B(サ
イード族、シーア派)を連れ去った。そこで、原告一家はこれ以上カブールに止まることに
危険を感じ、その翌日、カブールを離れ、バスを乗り継ぐなどしてパキスタンのペシャワ
ールに避難した。
イ 原告はその後来日したが、タリバン兵に連れ去れたBは、新政権が成立した後も行方が
分からないままであり、死亡したであろうという見方が確実になったため、婚約者が死亡
した場合にその兄弟が代りに結婚するというアフガニスタンの慣習に従い、Bの兄であっ
たCが原告の父に原告との結婚の承諾を求め、父はこれを承諾してしまった。
ウ 原告がアフガニスタンに帰国した場合、原告は、Cや原告の父から結婚を強制されるこ
とが確実である。そして、原告がこれを拒絶した場合、アフガニスタンにおいては、女性が
慣習等により定められた男性との結婚を拒絶した場合は男性の名誉が傷つけられたとして
女性を自分の名誉のために殺害すること(名誉殺人)が黙認されており、原告はその被害
者となる可能性が大きい。現に、Cは、原告の家族に対し、原告の所在を明らかにするよう
求め、見つけ次第殺害すると述べている。
ウ 小括
したがって、原告は、上記ア又はイのいずれの観点からも難民と認定されるべきである。
(被告の主張)
ア 難民該当性の判断基準等
ア 法に定める難民とは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること
又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する
ために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又
はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいう
ところ、ここにいう「迫害」とは、通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし
圧迫であって、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味する。また、「迫害を受けるおそ
れがあるという十分に理由のある恐怖を有する」に当たるためには、難民該当性を主張す
る者が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている主観的事情のほかに、通常人が
その者の立場に置かれた場合にも同様の恐怖を抱くような客観的事情が存在していること
が必要である。そして、これらの立証責任は、難民認定申請者に難民認定のための資料の
提出を義務付ける法61条の2第1項の規定に照らしても、また、証拠との距離、立証の難
易等に照らしても、難民該当性を主張する者の側にあると解すべきである。
イ また、「社会的集団」とは、一般的に、共通の社会的背景、習慣、社会的地位を有し、かつ、
一定の結合関係を有し同一の集団に帰属しているとの認識ないし考え方を有する複数の者
を表す言葉であるから、このような一般的語義に照らしても、女性であることは、上記「特
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定の社会的集団の構成員であること」に当たらないものと解すべきである。
ウ さらに、難民制度は、国籍国による保護を受けられない者に対し国籍国に代わって条約
締結国が条約所定の保護を与えるものであるから、迫害の主体は国籍国政府に限られると
解すべきである。
イ 原告がハザラ人、シーア派、女性であることを理由として迫害を受ける可能性が大きいと
の原告主張について
ア タリバン政権下の状況を根拠として迫害の可能性が大きいとする原告主張が失当である
こと
a タリバン政権の下におけるハザラ人の状況
タリバン政権下におけるアフガニスタン国内の宗教及び民族対立の主要な要因は、宗
教への加入又は民族的特性によるものではない。非戦闘員に対する残虐行為のほとんど
は、内戦下における対立組織の支配地域を占領した際に報復の意図で行われたものであ
る。このように、アフガニスタンにおいては民族浄化といった現象は全く存在しなかっ
た。タリバン自体、パシュトゥーン人全体を代表する団体ではなかったし、タリバンが
ハザラ人を迫害の対象とする旨の公式見解を出したとの報告は、いかなる国際機関等か
らも示されてはいない。タリバンがハザラ人を虐殺したとする被害の実態、被害者数等
も判然としていない。諸外国政府においても、申請者がおよそハザラ人であることのみ
をもって難民と認定するという取扱いはなされていない。
b タリバンが既に崩壊していること
2001年(平成13年)9月11日の米中軸同時多発テロを受けて、米英が同年10月7日に
アフガニスタン空爆を開始し、米英の支援を受けた北部同盟が同年11月9日にマザリシ
ャリフを、同月13日にカブールを制圧し、タリバン政権は崩壊への道を辿った。その後、
国際連合の主導の下にアフガニスタン代表者会議が開催され、アフガニスタン暫定行政
機構(以下「暫定行政機構」という。)が緊急国民大会議まで国政を担当することとなった。
タリバンは同年12月7日、本拠地カンダハルから撤退し、政権としても組織としても壊
滅した。
その後、暫定行政機構の下において復興や治安回復が着々と進展し、平成14年3月以
降8月10日までの間に、153万人のアフガニスタン避難民が本国に帰還した。平成16年
5月の発表では、アフガニスタン避難民の帰還者は330万人を超えており、UNHCRも
「明らかに多くのアフガン人が、故郷の多くの地域の状況が改善され帰還が可能になっ
たと判断している。一部には治安の問題があるものの、その他の地域では治安の向上と
経済機会拡大が保障されている。」と報告している。
暫定行政機構の政情に不安定な面が全くないとはいえないものの、同機構の下、大局
的にはアフガニスタンの国内秩序は安定的に回復したものというべきである。
このように、本件処分当時、タリバンは名実共にアフガニスタンの実効支配を失い、
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これを回復する見込みもなかった。
イ 暫定行政機構の下においても迫害の可能性が大きいとの原告主張が失当であること
暫定行政機構は、国連を含む国際社会の支援を受けて成立し、ハザラ人の閣僚が計5
名選出されており、ハザラ人、シーア派の国民に対して迫害を開始するような事態は想
定できない。
暫定行政機構においては、ハザラ人女性であるシーマ・サマルが副議長兼女性問題担
当相に任命され、女性の権利の尊重を盛り込んだ施政方針が発表されるなど、女性問題
への新たな取組みがなされている。その結果、アフガニスタン移行政権は平成15年3月
5日に女子差別撤廃条約を批准し、平成16年1月4日に採択された憲法においても、男
女の法の下における平等等が謳われている。
このように、暫定行政機構の下において、原告がハザラ人、シーア派、女性であること
を理由として迫害を受けるおそれはない。
ウ 元婚約者の兄による結婚強制及び名誉殺人に関する原告主張について
元婚約者の兄による結婚強制及び名誉殺人に関する原告主張は、その枢要部分に供述の変
遷があり一貫性がない。そもそもBなる人物が実在することを裏付ける証拠すら存在しない
し、仮に実在するとしても同人がタリバン兵に連行されたことを裏付ける証拠も存在しな
い。原告の姉は、カブールの自宅周辺に戦火が及んできたためにパキスタンに避難した旨陳
述しており、原告の主張は不自然といわざるを得ない。
また、Bが実在するとしても、同人が死亡したということすら疑わしく、その兄であるC
が原告に結婚を申し入れてきたという事実も何らの裏付けもないものである。原告は、一方
でCが原告を性の対象にしていると供述しながら、他方でCが原告の殺害を決意していると
述べるなど、その主張は場当たり的で信憑性がない。
仮に、原告の主張が事実であったとしても、それは婚約を巡る民事家事上の争いにすぎず、
アフガニスタン政府が結婚強制や名誉殺人を是認し放置していることを明確に示す証拠は提
出されてないのであるから、これを根拠に原告の難民該当性を肯定することはできないとい
うべきである。
 争点(本件決定理由の適否)について
(原告の主張)
本件決定には、行服法の求める理由の附記がなく、違法である。
(被告の主張)
行服法48条、41条1項による理由附記の趣旨は、処分庁の再度の判断を慎重ならしめてその
恣意を抑制するとともに、決定の理由を明示することによって、不服申立人に対し原処分に対
する取消訴訟の提起に関して判断資料を与えるところにある。このような趣旨に照らし、本件
決定には理由附記の不備はないというべきである。
第3 当裁判所の判断
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1 事実認定
前記争いのない事実に証拠等(各項目の末尾に掲記した。)を総合すると、次の事実が認められ
る。
 原告の家族関係等
ア 原告は、1978年(昭和53年)《日付略》、アフガニスタンの《地名略》においてハザラ人、シ
ーア派の両親の二女として出生した。両親は原告を含め1男6女をもうけたが、原告が10歳
の頃に一家でカブール市《地名略》に転居した。
イ 原告の父は、原告によれば同市において養護院院長を務めていたとのことであり、原告の
姉D(以下「D」という。)の夫E(以下「E」という。)によれば、原告の父は我が国の労働省
に相当する機関に勤務する公務員でトップから3番目の人物とのことである。いずれにせ
よ、原告の父は、一般のアフガニスタン国民よりも相当程度裕福で安定した生活をしていた。
(甲35、43、乙1、7、10、原告本人、証人E)
 タリバン侵攻とカブールからの避難等の経緯
ア 1989年(平成元年)2月にアフガニスタンからソ連軍が撤退し、同年4月にムジャヒディ
ン(イスラム聖戦士)による政権が樹立されたが、ムジャヒディン各派や国内新興勢力によ
る権力闘争が開始され、国士は内戦状態に陥った。最も有力であったラバニ大統領のタジク
人政権がカブールとその周辺を支配し、西部3州はイスマイル・ハン派により占められ、東
部のパシュトゥーン3州は軍司令官の評議会の支配下にあった。北部6州はウズベク人軍閥
ドスタム将軍が支配し、中央部はハザラ人がバーミヤン州を支配しその後もこれらの勢力に
よる合従連衡が繰り返された。
イ タリバン(イスラム神学校学生及び神の道を求める者たちの意)は、代表を名乗るムハン
マド・ウマルらによって1994年(平成6年)春頃に結成された。タリバンは、上記のように
ムジャヒディン各派により繰り返される権力闘争を否定し、「真のイスラム国家」をアフガニ
スタンに樹立することを目指し、ムジャヒディン各派の解散と武装解除を掲げて宣戦を布告
した。
タリバンは、パキスタン政府からの援助及び長年の内戦状態に疲労した民衆の支持を背景
として、1996年(平成8年)頃からアフガニスタン南部より勢力を拡大し、1998年(平成11
年)夏頃には国土の約3分の2、2001年(平成13年)初旬には国土の約9割を掌握するに至
った。
ウ タリバンは、8名で組織される最高決議機関シューラ(評議会)の合議制により運営され、
厳格なイスラム法による統治を実施した。各支配地で女性の就労禁止、女児の通学禁止、外
出時における女性のヴェール(ブルカ、チャドラー)着用が義務づけられたほか、音楽、テレ
ビ、ギャンブル、スポーツ等を禁止し、違反者に懲罰を科するなどした。加えて、タリバンは、
ウサマ・ビン・ラーディンなど国際的テロリストの身柄引渡しを拒否したり、中央山岳地帯
バーミヤンの大仏立像を破壊するなどの行為に及び、国際的に強い非難を浴び、国連の制裁
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決議が発動されるなどして国際的に孤立していった。
エ 上記イのとおり、原告の家族はカブール市において比較的裕福な生活を送っていたが、
内戦状態が悪化し、自宅にロケット弾が着弾する事態となったことから、戦禍を免れるため、
1999年(平成11年)、一家でパキスタンのペシャワールに避難した。
(なお、原告は、この出国の経緯について、その頃、タリバン兵士が原告宅を訪れ、原告の
父に対し原告をタリバン軍人と結婚させる承諾を追ったが、父が原告には婚約者があること
を理由にこれを拒絶したところ、タリバン兵士はその場に同席していた婚約者Bを連行した
ことから、原告父はその翌朝家族とともにアフガニスタンを出国してペシャワールに避難し
た旨主張する。しかしながら、①原告はその出国時期について、本件訴え当初は同年7月頃
と主張していたものを原告本人尋問後に同年3ないし5月と訂正している。また、②原告は、
婚約者が連行された経緯について、本件難民認定申請段階において上記のように主張してい
たところ(乙7)、その後これを変更し、タリバン兵士が当初来たときは婚約者は同席してお
らず、その2、3日後に来たときは「婚約者はもういないからいいだろう。」と告げられたの
で、出国することとしたという具体的な陳述をした(甲35)。ところが、この点も、原告本人
の際に再度供述を上記のとおり変更するに至った。原告が住み慣れた母国・自宅を捨てて国
外に避難するという重大な出来事に関する印象的な事柄でありながら、このように主張・供
述がたやすく変遷するのは不自然といわざるを得ない。加えて、③原告の姉Dは、原告一家
は内戦が激化し自宅にロケット弾が着弾する事態に至ったためパキスタンに避難したと陳述
しているところ(乙72)、原告がその主張・供述において自宅の被弾に一切触れないで出国
の経緯を説明しようとすることも不自然の観を否めない。Dの陳述には特段不自然な点も見
当たらず、同人が原告の姉で現在原告と同居しているという立場上、殊更原告に不利な陳述
をするとも認め難いことから、その陳述内容には信用性があり、結局のところ、原告の出国
の理由が婚約者の連行にあったという原告の主張には疑問を抱かざるを得ず、出国の経緯は
上記のとおり認定するのが相当である。)
オ 原告は、1999年(平成11年)以降ペシャワールに滞在していたが、Dが本邦在住のEと婚
姻して来日し、現地の日本人支援者からも来日を勧められたことから、同年6月8日、在パ
キスタンのアフガニスタン大使館(当時はタリバン政権)より正規の旅券を取得し、2000年
(平成12年)8月7日、台湾・台北を経由して関西国際空港から本邦に上陸した。
カ 原告は、来日後の同年11月10日、被告に対し本件難民認定申請をした。その申請書には、
原告が難民と考える理由として、①原告がハザラ人・シーア派であること、②タリバンは自
分たちの民族・宗教の男性と結婚させること、③女性は外に出られず全身をヴェールで隠さ
なければならないことなどが記載されている。
(甲1、2、4、5、9、27、35、86、109ないし112、乙1ないし7、13、14、21ないし32、
42ないし44、46、47、60ないし62、66、68、71、72、原告本人)
 米中軸同時多発テロとタリバン政権の崩壊
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2001年(平成13年)9月1日、米中軸同時多発テロが発生したことを受けて、米英軍が同年
10月7日、アフガニスタン空爆を開始し、同年11月10日、米英の支援を受けた北部同盟がマザ
リシャリフを陥落させ、同月13日、カブールを制圧した。更に同月18日にはラバニ大統領がカ
ブール入りして勝利宣言をした。
タリバン政権は、同年12月7日頃、最後の支配地域である本拠地カンダハルから撤退し、名
実共に崩壊した。
(乙12、弁論の全趣旨)
 アフガニスタンにおける新政権の樹立及び復興に向けた取組み
ア アフガニスタンにおける新政権樹立の経緯(本件処分後の事情を含む。)は、次のとおりで
ある。
ア 2001年(平成13年)11月27日、ドイツ連邦共和国のボン郊外でアフガニスタン代表者会
議が開催され、暫定政権樹立のための協議が開始された。12月5日には、国連特使の仲介
の下に暫定行政機構が成立し、また、上記代表者会議において、①緊急国民大会議(緊急ロ
ヤ・ジルガ)を暫定政権発足後6か月以内に招集して正式政権が樹立されるまで統治に当
たる移行政権を発足させること、②移行政権発足後18か月以内に正式の国民大会議を招集
することの合意に達した。
同月22日に暫定行政機構が正式に発足し、日本を含め、世界各国がこれを承認した。式
典においては、同機構のカルザイ議長が国民に平和と法をもたらすことを誓い、言論と信
教の自由や女性の権利尊重、教育の復興、テロとの戦いなどを盛り込んだ13項目の施政方
針を発表した。
暫定行政機構の閣僚のうちハザラ人の閣僚は5名を占め、副議長兼女性問題担当相には
ハザラ人女性のシーマ・マサルが就任した。
イ また、2002年(平成14年)1月21及び22日にはアフガニスタン復興支援閣僚会合が東京
で開催され、具体的な援助約束及び拠出の表明によってアフガニスタンの復興支援に対す
る国際社会の援助約束が示された。
同会合の共同議長最終文書には、「紛争と抑圧の主たる犠牲者であった女性の権利を回
復し、女性のニーズに対処することが核心であることが強調された。女性の権利及びジェ
ンダーの問題は、復興プロセスにおいて十分に反映されるべきである。」との内容が盛り込
まれている。
これを受けて、日本政府は、アフガニスタンの女性の地位向上に向けた制度・政策作り
を支援するため、アフガニスタンに専門家を派遣し、同国から本邦に研修生を受け入れる
ほか、同年2月からは内閣官房長官の懇談会として「アフガニスタンの女性支援に関する
懇談会」が開催され、女性のニーズに配慮した支援の在り方について検討が行われている。
ウ 1月15日には国連安全保障理事会において、タリバンはもはやアリアナ・アフガン航空
を所有、賃借、運航、管理等していないとの判断に基づいて、アフガニスタンに対する制裁
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措置のうち同航空の外国乗り入れの禁止を全面解除する決議が全会一致で採択された。ま
た、2月には、20年以上もの間郵便機能が麻痺していたアフガニスタンにおいて、閉鎖さ
れた郵便局が次々に再開された。
エ 日本政府は、2月19日に日本大使館をカブールに再開した。
オ 3月18日には川口外相がカブールを訪問して復興活動を視察し、4月24には、我が国が
国民大会議開催に向けて270万ドルの支援金拠出を決定した。5月には同外相とシーマ・
マサル副議長兼女性問題担当大臣が女性問題の重要性等について会談を行った。
カ 6月15日、アフガニスタンの最高意思決定機関である緊急国民大会議が開催され、国家
元首となる移行政権の長に暫定政権のカルザイ議長を選出し、これを受けて暫定政権議長
は、同月19日、緊急国民大会議で暫定政権を継ぐ移行政権の閣僚名簿を発表し、大統領に
就任した。同大統領は、その就任演説において、テロとの戦いの継続と民族対立や軍閥の
解消、武器回収や天然資源保護などを表明した。暫定政府の女性問題相には、国民大会議
招集委員会の副議長を務めた女性マフブーバ・フクコマルが起用され、その後、ハザラ人
女性であるハビーバ・サロービーに代わった。また、保健相にもタジク人女性ソヘイラ・
スイッディーキーが就任した。
キ 12月16日には閉鎖中であった在日アフガニスタン大使館が5年ぶりに再開された。
ク 同月22日、カブールにおいて、周辺6か国(パキスタン、中国、タジキスタン、ウズベキ
スタン、トルクメニスタン及びイラン)とG8諸国、インド、国連、OICイスラム諸国会議
機構)らの代表が集まり、アフガニスタンとその周辺地域の安定に関する会合が開催され、
同月24日にはカブール宣言が採択された。同宣言においては、暫定政権及びアフガニスタ
ンの周辺国が、長年の紛争を乗り越えて治安、繁栄、民主主義及び人権を享受すべきであ
ることを決意し、アフガニスタン周辺地域の平和と安定に向けた協調関係、テロリズム・
麻薬・イスラム過激主義との闘争、アフガニスタン暫定政権の歓迎、平和確立のための相
互信頼・友好・内政不干渉や復興支援などが謳われ、同宣言を国連安全保障理事会に付託
することが決定された。
ケ 2003年(平成15年)1月8日、テヘランでアフガニスタン・イラン・インド貿易会議が
開催され、向こう5年間アフガニスタンのトラックやバスのイランへの乗り入れを認める
協定が成立した。同月12日、アフガニスタン政府は、民族配分に配慮しつつ、武装解除と
国軍編成の4委員会を創設した。同月14日、アフガニスタンとイランとの間で、翌年にヘ
ラートへ電力供給を可能とする合意書が署名された。
コ 同年3月5日、アフガニスタン政府は、女子差別撤廃条約を批准した。また、平成16年
1月4日には国民大会議において新憲法が採択された。同憲法においては男女の平等が謳
われ、女子の教育、識字率の向上の義務が規定されている。
イ 本件処分時における暫定行政機構の取組状況については、次のとおりである。
ア 本件処分時(平成14年7月8日付け、告知日は同月30日)において、タリバン政権は名
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実共に完全に崩壊しており、暫定政権がアフガニスタンの全土を支配していた。その政権
内に種々の不安定要因があったことは否定できないものの、その後の経緯(上記ア)に照
らしても、大局的には復興や安定に向けた一貫した取組みがなされていたことは明らかで
あり、同政権がアフガニスタンにおける唯一の正当的政権として国際的にも承認されてい
た。
イ アフガニスタンは32の州に分かれ、各州が更に細かい行政区画に区分されているとこ
ろ、それぞれの行政区には警視長が置かれ、警視長には州の警視長への報告義務がある。
アフガニスタン警察法(1973年)によれば、警察官は、警察と憲兵の総司令官、州の警視長、
州の憲兵司令官、地元の警察官等により構成されるものと定められ、例えばカンダハール
市には約3000人の警察官が配備されていた。
また、2002年(平成14年)1月に東京で開催されたアフガニスタン復興支援閣僚会合に
おいて、ドイツ政府は、暫定行政機構の要請を受けて、アフガニスタン警察の再建を援助
することにつき中心的役割を果たすことで合意した。ドイツ政府のアフガニスタン警察支
援計画(ドイツ計画)は、重要な経済的・技術的支援と専門知識とを提供するものである。
ドイツ計画は、構造及び組織に対する助言、再建された警察学校における訓練、警察車両
及び捜査器具の提供を含めた支援、他の支援国の警察関連支援活動の調整等からなってい
る。その結果、内務省内の警察行政の再構築、警察官訓練のカリキュラムの作成を含む警
察学校の再建に向けた取組等がなされ、同年8月には警察学校が1500名の生徒をもって
再開した。
これらの諸点に加え、上記アの経緯を併せ考慮すると、アフガニスタン国内にいて散発
的なテロが繰り返され、地方によっては必ずしも治安が良好でない地域もあり、また、時
として警察官の不祥事が問題となっていたことは否定できないものの、大局においては、
アフガニスタンにおいて治安が回復しつつあったものと認められる。特に、カブールには
国連治安支援部隊(ISAF)及び米軍が展開し、比較的良好な治安が保たれていた。
ウ また、女性問題担当相には女性閣僚が充てられ、国際的な支援の下、女性の地位向上に
向けた検討が行われ、それが女子差別撤廃条約の批准、男女平等を規定した新憲法の採択
といった結果に結実していることに照らしても、暫定政権下においては、本件処分時にお
いても、女性の地位向上に向けた一貫した取組みがなされ、女性の地位が相当程度改善し
ていたものと認められる。
エ さらに、暫定行政機構に5名のハザラ人閣僚が就任し、民族対立や軍閥の解消に向けた
取組みがなされていたことに照らしても、本件処分において、ハザラ人・シーア派の地位
が相当程度改善されつつあったことが認められる。
ウ このように、アフガニスタン国内における治安の回復や復興に向けた動きを背景として、
2001年(平成13年)頃から、パキスタンやイランに逃れていたアフガニスタン避難民が帰還
を始め、その数は同年11月が6900人、同年12月が3万人に達した。
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2002年(平成14年)3月、アフガニスタン国外難民と国内避難民の国連帰還プログラムが
開始され、同月以降8月10日までの間に、約153万人のアフガニスタン人がパキスタン、イ
ラン及び中央アジア諸国から帰還した。2004年(平成16年)5月9日のUNHCRの発表によ
ると、2002年以降のアフガニスタンへの帰還者は330万人を超えており、UNHCRは2004年
の帰還者の予測を50万人に上方修正するとともに、「明らかに多くのアフガン人が、故郷の
多くの地域の状況が改善され帰還が可能になったと判断している。一部には治安の問題があ
るものの、その他の地域では治安の向上と経済機会拡大が保障されている。」と報告した。
(甲21、36、67、74ないし79、87、88、94、96、乙12、15ないし17、34、36ないし41、43、
48ないし59、69、70)
 原告家族の本国帰還等
ア 上記のような状況の中で、原告の父も原告及びD以外の家族(妻及び1男4女)と共にア
フガニスタンに帰還した。原告の父は、その後、元の職業に復職し、かつての自宅において家
族と共に安定した生活を送っている。
イ ところで、原告は、従前はタリバン兵士から結婚を強制されることを本件難民認定申請の
理由として挙げていたところ、本件処分に対する異議申出段階において、Bの兄Cが原告と
の結婚を迫ってきており、原告の父がこれを承諾してしまったために、原告が結婚の申入れ
を拒絶した場合、原告は火をつけられたり殺されたりすると主張するに至った。本件訴訟に
おいては、その理由として、アフガニスタンにおいて婚約者の男性が死亡した場合、その兄
弟が相手女性と婚約する慣習があり、これを女性側が拒絶した場合、男性側の名誉を害した
として殺害(名誉殺人)の対象となるとの主張をしている。
しかしながら、そもそも、原告がBと婚約しており同人がタリバンに連行されたという出
国の経緯自体に疑問があることは既に判示したとおりである。これが仮に事実であったとし
ても、Bが死亡したことについては何ら客観的証拠が示されていない。それゆえ、Bの亡き
後、Cなる人物が原告の父に原告との結婚の承諾を求めたことや、相当程度の地位・身分を
有する原告の父がその要求に屈してこれを承諾したこと、原告がCとの結婚に応じなかった
場合に同人が原告を殺害するであろうことなどの原告主張は、客観的証拠の裏付けを欠く上
に、原告本人の供述にも変遷、予断等が多く、これを採用することは困難であるというほか
ない。
(乙8ないし11、証人E、弁論の全趣旨)
以上の事実が認められる。
2 争点(原告の難民該当性)について
 難民該当性の判断基準
ア 法に定める難民とは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又
は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するため
に、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はその
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ような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」である(法2条
3号の2並びに難民条約1条及び難民議定書1条)。
ここにいう「迫害」とは、通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫で
あって、その者の生命又は自由が脅威にさらされるおそれのあるものをいい(難民条約33条
1項参照)、また、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」とい
うためには、難民該当性を主張する者が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている
主観的事情のほかに、通常人がその者の立場に置かれた場合にも同様の恐怖を抱くような客
観的事情が存在していることが必要であると解される。
そして、そのような迫害は、一般的には国籍国の国家機関によりなされるものであるが、
国家機関以外の主体による迫害行為であっても、それを政府当局が知りながら放置・黙認す
るような場合にも、上記迫害に当たるものと解するのが相当であり、以上の解釈に反する原、
被告の主張は、いずれも採用しない。
イ なお、被告は、女性であることが一般的に「特定の社会的集団の構成員であること」に当た
らないと主張するので、この点について付言する。
「社会的集団」の一般的な語義に照らしても、また、難民条約が何ぴとも人間としての基本
的権利及び自由を差別を受けることなく享受し得るとの理念に立脚していることに照らして
も(同条約前文参照)、女性が一般的に上記特定の社会集団に含まれないとの解釈を採用する
ことは困難であり、他に被告の解釈を裏付けるに足りる根拠を同条約に見出すことはできな
いから、被告の上記主張は失当である。
もっとも、女性が上記社会的集団の構成員に当たり得るとの解釈に立った場合、難民条約
は、特定の社会的集団の構成員である「ことを理由に」迫害を受けるおそれがある者を難民
として保護するものであるから、女性であることを理由に難民該当性が認められるために
は、少なくとも、その迫害行為が女性一般に向けられたものであって、そのような一般的な
迫害行為の一環としてその者にも被害が及ぶ性質のものでなければならないと解するのが相
当である。すなわち、迫害行為が女性一般に向けられたものではなく、ある特定の女性が自
己の名誉等を害したという行為に着目してその女性に危害を加えるような場合は、その者の
女性であるという社会的地位に着目して女性一般に対する迫害の一環として危害を加えよう
とするものではないから、「特定の社会的集団の構成員であること……を理由に迫害を受け
るおそれがある」場合には当たらないものと解される。
 原告がハザラ人、シーア派、女性であることを理由とする主張について
ア タリバンによる支配が回復する可能性が大きいことを理由とする主張について
原告は、タリバン政権の下において、ハザラ人、シーア派、女性は迫害されており、現在に
おいてもタリバンがアフガニスタンの支配を回復する可能性が大きいから、原告は難民に該
当する旨主張する。
しかしながら、既に判示したとおり(上記1)、タリバン政権は平成13年12月の時点に
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おいて名実共に崩壊しており、暫定行政機構及び暫定政権発足後の本件処分時においてタリ
バンが近い将来アフガニスタンの支配を回復する見込みがあったとは認められない。
したがって、原告の主張には理由がない。
イ 暫定行政機構の下においてもハザラ人、シーア派、女性が迫害されているとの主張につい

原告は、暫定行政機構の下においても、ハザラ人、シーア派、女性というだけで迫害が行わ
れる旨主張する。
しかしながら、既に判示したとおり(上記1イウエ、ウ)、本件処分時においてハザラ人、
シーア派、女性の地位は相当程度改善されており、多数の避難民がアフガニスタンに帰還し
つつあったのであるから、暫定行政機構の下において、上記のような属性のゆえに迫害を受
けるおそれがあったと認めることは困難である。
したがって、原告の主張には理由がない。
ウ 小括
以上のとおり、原告がハザラ人、シーア派、女性であることを理由に迫害を受けるおそれ
があるという十分に理由のある恐怖があるとは認められず、他にこれを認めるに足りる証拠
もないから、この点を根拠に原告の難民該当性を認めることはできないものというべきであ
る。
 結婚強制及び名誉殺人を根拠とする主張について
原告は、本国に帰国した場合、Cから結婚を強制され、これを拒絶した場合名誉殺人の被害
者となる可能性が大きいと主張する。
しかしながら、既に判示したとおり(前記1エ、イ)、上記主張に沿う原告の供述には種々
の疑問があり、上記事実自体たやすく措信し難いものである。
また、強制結婚やその拒否を理由とする名誉殺人は、基本的には私人間の行為であるところ、
既に認定したところによれば、少なくとも本件処分当時のアフガニスタンの暫定行政機構下に
おいて、これらの行為が、社会的慣習に基づく正当な行為であるとして容認されたり、黙認さ
れていたものとは到底考え難いところであり、しかも、原告が帰国した場合、アフガニスタン
でも最も治安の安定しているカブールの自宅において父母と同居することになるものと推認さ
れるところ、本件処分時においても、大局においてはアフガニスタンの治安は回復しつつあっ
たのであるから(上記1ア、イイ)、国家機関・当局等が原告の主張するようなCの行為を放
置・黙認することも想定し難いというべきである。
よって、以上のいずれの観点に照らしても、結婚強制及び名誉殺人を理由として原告の難民
該当性を認めることはできない。
 小括
本件においては、上記及びのほかに原告の難民該当性を裏付ける主張はなされておら
ず、また、これを認めるに足りる証拠もないから、結局原告の難民該当性は否定されることと
- 16 -
なる。
3 争点(本件決定理由の適否)について
本件決定には、「貴殿の難民認定申請につき再検討しても、難民の認定をしないとした原処分の
判断に誤りは認められず、他に、貴殿が難民条約上の難民に該当することを認定するに足りるい
かなる資料も見出し得なかった。」との理由が附記されている。
ところで、本件決定は本件処分に対する行服法上の異議申立てに係る決定との性質を有するも
のであって、同法上理由を附記しなければならない決定であるところ(同法48条、41条1項)、そ
の趣旨は、処分庁の再度の判断を慎重ならしめてその恣意を抑制するとともに、不服申立人に対
し、原処分に対する取消訴訟の提起に関して判断資料を与えるところにあると解される(最高裁
昭和47年3月31日第二小法廷判決・民集26巻2号319頁参照)。
本件決定には上記理由が附記されており、加えて、本件処分においても「あなたの『人種』、『宗
教』及び『特定の社会的集団の構成員であること』を理由とした迫害を受けるおそれがあるとい
う申立ては証明されず、難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1
条2に規定する『人種』、『宗教』及び『特定の社会的集団の構成員であること』を理由として迫害
を受けるおそれは認められないので、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」との
理由が附記されていることを併せ考慮すれば、これらの理由の記載により上記理由附記の目的は
達せられているものということができるから、本件決定理由は行服法の求める理由附記に欠ける
ところはないと解するのが相当である。
4 結論
以上のとおり、本件請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担
につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する

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