難民認定をしない処分等取消請求控訴事件
平成17年(行コ)第43号(原審:大阪地方裁判所平成14年(行ウ)第81号)
控訴人・被控訴人:A、被控訴人・控訴人:法務大臣
大阪高等裁判所第7民事部(裁判官:竹中省吾・竹中邦夫・久留島群一)
平成18年6月27日

判決
主 文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用中、一審原告の控訴に関する部分は一審原告の、一審被告法務大臣の控訴に関する部
分は一審被告法務大臣の、各負担とする。
事実及び理由
第1 申立て
1 一審原告
 原判決を次のとおり変更する。
 一審被告法務大臣が一審原告に対し平成12年2月10日付け通知書により同月23日に通知し
た難民の認定をしない処分を取り消す(原判決認容・主文第1項)。
 一審被告法務大臣が一審原告に対し平成14年3月7日付け通知書により同月18日に通知し
た出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「法」という。)
61条の2の4第1号の規定による異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す(原判決訴え却
下・主文第2項)。
 一審被告法務大臣が一審原告に対し平成14年3月18日付け裁決通知書により同日に通知し
た法49条1項の規定による異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す(原判決棄却・主文第
3項)。
 一審被告主任審査官が一審原告に対し平成14年3月18日付けでした退去強制令書発付処分
を取り消す(原判決棄却・主文第3項)。
2 一審被告法務大臣
 原判決中、主文第1項及び第2項を取り消す。
 一審原告の請求をいずれも棄却する。
第2 事案の概要
次のとおり改めるほかは、原判決「第2 事案の概要」の記載を引用する。
 10頁アの1行目冒頭から11頁イの上の行までを、次のとおり改める。
「ア 難民であると認められる根拠となった事由が消滅したため、国籍国の保護を受けるこ
とを拒むことができなくなった場合には、難民条約の適用は終止する。しかし、そのためには、
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出身国における状況の変化が抜本的、かつ、永続することが必要であり、それは難民が出身国
において機能する法及び司法システムによって保護されるかという観点から判断されると解す
べきである。これは、送還が問題となった時点において難民としての要件を満たすか否かの判
断とは異なるレベルの判断である。
本件においては、前記(一審原告の主張)イの諸事情のうち、確かに、タリバン政権が打倒
され、タリバンがマザリ・シャリフを含むアフガニスタン全土を掌握するという状況は変化し
た。しかし、その後成立した政府も、各地方に実効的な支配を及ぼしているとはいえず、各地方
の軍閥による人権侵害が行われている。タリバンもまた、関係者が周辺諸国からアフガニスタ
ンに多数入っているため、勢力を強めている。現在の政府に、軍閥やタリバンの行為を止める
力はない。
そのような状況からすると、一審原告が難民であると認められる根拠となった事由が消滅し
たとはいえない。
また、難民と認定されながら在留資格を付与されず退去を余儀なくされた例はなく、本件退
去裁決は、これと異なる取り扱いであり平等原則に違反するともいえる。
仮に、一審原告が本件退去裁決時に難民に当たらないとしても、上記のことからは、一審原
告には、なお生命、身体又は自由に対する相当大きな脅威が存在していたといえる。
したがって、本件退去裁決は、難民条約、日本国憲法(以下「憲法」という。)13条、14条、市
民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)6条、7条、9条、26条の各規
定に違反するし、仮に、そうでないとしても、これらの規定の趣旨に照らせば、一審被告法務大
臣の裁量権の範囲を大きく逸脱した違法なものというべきである。」
 12頁の上に次のとおり加える。
「一審原告は、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンの状況について、さまざまな主張をする
が、これらは、いずれも、一般的な治安の問題というべきであり、難民条約や法にいう難民であ
ることを基礎付けるとはいえない。」
第3 当裁判所の判断
1 原判決「第3 当裁判所の判断」の記載を引用する。ただし、47頁下から3行目の「理由に」を「理
由の少なくとも一つとして」と改める。
2 補足説明
 本件不認定処分時における法所定の迫害のおそれについて
ア 本件の証拠の中には、シーア派を信仰するハザラ人が、その事実だけで、迫害されるとす
るかのようなものもある(甲11、甲32及び33に挙げられた報告の一部など)。
しかし、これまで認めた事実、証拠(乙33、57、68)及び弁論の全趣旨によれば、平成10年
9月28日に一審原告とともに日本に入国したBは、アフガニスタン国籍を有するハザラ人で
あり、日本への出入国歴は多いが、日本において難民の認定を申請していないこと、一審原
告も、1997年(平成9年)にタリバンがマザリ・シャリフ又はその近郊を一時占領しハザラ
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人を相当数殺害していたのに(そして、地理的状況からみて、一審原告がその事実をそのこ
ろ知っていたと推認できる。)、マザリ・シャリフは安全であると考え平成10年6月13日ま
での日本滞在中に難民の認定を申請していないこと、諸外国でも、シーア派を信仰するハザ
ラ人であるという理由だけで当然に難民であると認めているわけではなく、難民と認める場
合には、個別事情が併せて考慮されることが認められる。これらの事実及び証拠(乙44、49、
65)によれば、アフガニスタンにおいて、ハザラ人やシーア派というだけの理由で法所定の
迫害がされるわけではないことが認められる。
イ 一審原告の個別事情につき、一審被告法務大臣は、一審原告の供述や陳述書又は供述録取
書の記載の内容に変遷など不自然な点が多く、一審原告が提出する手紙についても、その内
容どおりの事実があったとは認められないと主張する。
たしかに、一審原告の供述録取書(乙33から40)をも考慮すると、次の点は、不自然であり、
一審原告に対する迫害のおそれがさほどのものでないことを基礎付けるともいえる。
ア 一審原告の兄らがタリバンに拘束されたことにつき、難民認定申請書(乙13)、難民に該
当することを主張する陳述書(乙14)、甲1、2及び5の手紙などには、そのような記載が
あるが、平成11年2月3日付け供述録取書(乙33)では、「兄弟からの送金がないので家族
の安否が非常に心配です。」としながらも「逮捕された兄弟達はない」という趣旨の記載が
あり、一貫しない。
イ 1992、1993年(平成4、5年)ころにされたという暴行内容も、当初の供述になかった
銃での殴打が後で加わり、一審原告は、本人尋問では、当初供述していたむちで打たれた
ということはなかったように供述する。
ウ 電話について、甲1の手紙には店の電話は無事であるという趣旨の記載があるが、他方、
一審原告は、本人尋問において、1998年(平成10年)8月下旬にペシャワールからマザリ・
シャリフの家族に電話したが連絡できなかったと供述し、甲16にも、固定電話用の電話回
線が徹底的に破壊されたという記載がある。そうすると、上記の甲1の手紙の内容に疑問
が生じるといえなくもない。なお、一審原告は、マザリ・シャリフには国際電話がないと
も供述しており(乙33)、そうであれば、一審原告がパキスタンのペシャワールからマザ
リ・シャリフに電話したとの供述もその真否は疑問であるともいえる。
エ 住所について、渡航証明書(乙2から5)に記載された住所では、カブール市内の地名や
ペシャワールのパークホテルが記載されている。これらは、証拠(甲36)及び弁論の全趣
旨により、一審原告の意思に基づき記載されたと認められる。しかし、これらは、一審原告
がマザリ・シャリフに1996年(平成8年)2月ころから居住した(したがって、1998年〈平
成10年〉夏の時点では2年半程度経過した。)とのこととは一貫しないようでもある。一審
原告の陳述書(甲36)には、これにつき、カブールのホシャルハンが本来の住居でありマ
ザリ・シャリフは借家で仮住まいという意識があったとの記載があるが、これは、一審原
告の本人尋問におけるカブールに帰れないという趣旨の供述(調書25頁)と整合しないか
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のようでもある。
オ 平成10年9月末の入国後に行われることになっていたという兄から一審原告への送金
について、同年10月12日までに送金する約束があったという供述もあれば(乙36の4頁)、
期日が決まっていなかったという供述もあり(乙33の5頁、本人尋問〈調書54頁〉)、兄か
らの金員が送金される予定であった口座も、Bの口座(乙35の2頁)なのか自らの口座(一
審原告の本人尋問〈調書53、54頁〉)なのかで変遷がある。
カ 手紙の送付方法も、住所がわからない一審原告への手紙を他人に託するというのは不自
然であるともいえる。甲1の手紙がスンニ派タジク人に託されたというのも、宗派が異な
る者であり危険とも考えられることから、不自然ともいえる。
ウ しかし、次のことも指摘できる。
ア 甲1、2及び5の手紙には、次兄がいったん釈放されたなど、迫害のおそれを減殺する
ような記載も存在する。このことは、やはり無視はできない。
イ 仮に、一審原告が申立時などに兄らが拘束されたかどうか明らかでないのにそのように
述べ、迫害のおそれを作為的に補強しようとしたのであれば、それがその性質上迫害のお
それを強く補強する事実であることをも考慮すると、平成11年2月3日に「誰も逮捕され
たりしませんでした。」などと明らかに矛盾したことを述べる(乙33)とは考えにくい。一
審原告は、上記の時期に家族の安否を心配していたのであるから、日本への入国時におい
ても兄らが拘束されたかもしれないと考えていた可能性が高く、そのことが誤って英訳さ
れ難民認定申請書等に書かれた可能性も否定できない。
ウ これまで認めたとおり(原判決17頁ウ)、タリバンがマザリ・シャリフで激しい戦闘を
し、ハザラ人住民を中心に2000人から8000人殺害されたのは事実であると認められ、証
拠(甲11〈アメリカ合衆国国務省・1998年度アフガニスタンにおける人権状況についての
国別レポート〉、乙50〈デンマーク移民サービス局・アフガニスタンにおける治安及び人
権状況検討のためのパキスタン視察団報告〉)によれば、殺害された者の中には、イラン人
外交官やイラン人ジャーナリストも含まれていたと認められる。これらのすべてがタリバ
ンの敵に協力していたと認めることは困難である。このことは、特に戦闘後の混乱した状
況下で、合理的な根拠がなくても敵対組織と関係するような疑いをかけられ殺害等される
おそれが大きいことを推認させるといえる。そうすると、甲1などの手紙にある一審原告
の兄の拘束や行方不明、死亡について、それが事実である可能性は十分存在する状況であ
ったといえる。
エ 一審原告の供述のうち、一審原告が1992、1993年(平成4、5年)ころパシュトゥーン
人の組織から暴行されたこと、一審原告らが1996年(平成8年)2月ころカブールからマ
ザリ・シャリフに移ったこと、一審原告らが1998年(平成10年)8月ころまではマザリ・
シャリフは安全だと考えていたこと、日本への入国時には商用が主目的であって難民認定
を申請する意思はなかったこと、その後送金がないことなどから不安になったことなどに
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ついては、一貫しているといえる。
オ 手紙の送付方法が不自然であるとのことについては、一審原告が日本に行くことが既に
決められたことなのであれば、一審原告の家族が日本宛てに手紙を発信することはあり得
ないことではなく、アフガニスタン人同士の人的なつながりを頼って複数回発信すること
も、タリバンと北部同盟との戦闘が続く中では、全く不自然とまではいえない。一審原告
の妻がスンニ派タジク人に手紙を託したことが不自然であるとのことについては、そもそ
も、シーア派ハザラ人であることだけを理由として当然に迫害されるおそれがあるわけで
はなく、近くの住民の間では、宗派が異なっていても相当の信頼をすることがあり得ない
とはいえない。
エ 以上のとおり、一審原告の供述等については、確かに不自然ともいえる変遷やそれに沿う
事実が認めがたい部分はあるが、アフガニスタンの客観的な情勢に照らして矛盾なく説明で
きる部分、供述自体が一貫している部分も相当程度存在するといえるし、不自然性を基礎付
ける事情が決定的なものとまでいいがたい部分もあるといえる。また、供述録取書の記載に
ついては、その内容から、担当者による要約録取がされたことが推認され、そこでの内容や
ある事項の記載の存否を決定的な資料とすることには慎重であるべきである。そうすると、
一審原告の供述の主要部分については信用性があるといえるし、一審原告の手紙について
も、真正な成立が認められ、少なくともタリバンの関係者が来て、一審原告の兄を拘束した
り、一審原告によるCの支援に関する文書を奪っていったり、一審原告の妻子がパキスタン
に移り住んだという部分については、信用性が認められるといえる。
なお、一審被告法務大臣は、一審原告が家族の安否も確認しないでパキスタンから日本に
入国したのはおかしいなどとも主張する。しかし、これまで認めた事実によれば、一審原告
は、パキスタンのペシャワールから家族に電話できたとは認められないし、一審原告は、そ
れでもペシャワールにいるころにはタリバンが撃退されると考えて当初の予定どおり日本に
自動車部品の買い付けのため入国したことなどを供述しているのであり、それが全く不自然
であるとはいえない。また、一審原告がマザリ・シャリフの陥落をいつ知ったかについても、
一審原告の供述が一貫しているとはいえないが、日本入国後一定期間まではタリバンが再度
撃退されると考えていたのであれば、陥落は一時的なものと考えていたこととなり、それが
いつかが重要な問題として意識されないことも十分あり得ることである。
また、一審被告法務大臣は、一審原告の供述に登場するDについて、他事件で真正でない
文書を提出したDと同一であると主張し、それが甲1などの手紙の真正や信用性を疑わせる
一事情であると主張する。たしかに、一審原告の供述の中にも、真正な成立が認められない
文書につき、D宛てに送られてきたかのような供述もある。しかし、一審原告の供述などを
みても、別事件で問題にされたDと同一人物であると断定できるとまではいえない。
これらの事実によると、シーア派のハザラ人であるから当然にタリバンにより法所定の迫
害を受けるおそれがあるというわけではないが、1998年(平成10年)8月から1999年(平成
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11年)ころのマザリ・シャリフにおいては、タリバンによるハザラ人虐殺の可能性が、一般
的に十分あり、特に一審原告のように兄弟が拘束されるなどタリバンから個別的に敵視され
ていると思われる状況があれば、その危険は極めて大きかったということができる。
もっとも、1998年(平成10年)8月ころの虐殺は、これまで認めた事実(原判決16頁イ、
17頁イ、18頁ウ、本判決前記ア)や証拠(乙50、65)によれば、戦闘後の敵に対する報復であ
り、人種や宗教による迫害とはいえないかのようにもみえる。しかし、もともとタリバンは
パシュトゥーン人主体の組織であり、マザリ派などはハザラ人が多い組織であり、これらの
対立の背景には、人種間、宗教間の対立感情も相当程度存在すると推認することができる。
そうすると、人種、宗教という原因だけで迫害が生じるとはいえないが、迫害の背景には、人
種や宗教は相当程度存在するということができ、迫害の理由が法や難民条約所定のものでな
いともいえない。
また、本件不認定処分がされた平成12年2月10日ころは、タリバン政権によるアフガニス
タン全土の支配がされるようになってから若干の時間が経過したという見方もできるし、こ
の時点においてマザリ・シャリフで虐殺等が行われたことを明確に示す証拠があるとはい
えない。しかし、これまで認めたとおり(原判決17頁エ)、北部同盟とタリバンとの戦闘は、
1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけても続いていた。また、証拠(甲18)に
よれば、ドスタム将軍がマザリ・シャリフにおいて北部同盟を指揮していたこと、ドスタム
将軍に指揮された北部同盟が、2001年(平成13年)に入ってからではあるが、アフガニスタ
ン北部において、タリバンの指導者を100人以上拘束したことが認められる。これらの事実
や、それまでタリバンとマザリ派などとの間でマザリ・シャリフの占領と撃退が繰り返され
た経緯に照らせば、一審原告がドスタム将軍の配下ではなかったにせよ、マザリ・シャリフ
やその周辺においてもタリバンと反タリバン勢力との対立関係は厳しかったと推認せざるを
得ず、タリバンと敵対すると疑われる者一般への報復の危険は残り、平成12年2月10日ころ
の段階では、まだ一審原告に対する法所定の迫害のおそれは存在したと推認すべきである。
一審被告法務大臣は、その他さまざまな主張をするが、これらは、いずれも、上記の結論を
左右するとはいえない。
そして、2000年(平成12年)2月10日の時点における一審原告についての法所定の迫害の
おそれの存在は、本件の証拠関係に照らし、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確
信を持ち得るものであることが立証されているともいえる。
 本件退去裁決の違法性について
ア 本件退去裁決は、一審被告法務大臣の主張に照らすと、一審原告が本件退去裁決時に法所
定の迫害のおそれを必ずしも有しなかったことを前提にしていると認められる。
イ 2001年(平成13年)12月におけるタリバン政権崩壊後のアフガニスタンの情勢について、
国際連合の2004年(平成16年)9月21日の人権委員会独立専門官報告書(甲18)には、アフ
ガニスタンの人権状況について、首都カブールでは改善されたが、軍閥や地方に割拠する民
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兵組織のリーダーの力が強く、その下で人権侵害が行われていること、また、タリバンも復
活してテロ活動をしていることなどが記載されている。また、そのような内容の複数の報道
記事(甲19)や国際機関等の報告書(甲20、ほか甲32に引用されたもの)がある。外務省海外
安全ホームページは、カブール、ジャララバード、ヘラート、バーミアン、カンダハール、マ
ザリ・シャリフについて、日本人の渡航の延期を勧告し、これらを除くアフガニスタン全土
につき、日本人の退避を勧告しており、平成17年8月16日付けの記事では、タリバン等の武
装勢力が多数パキスタンからアフガニスタンに潜入しているとされているともいう(甲22)。
ウ しかし、次のことも指摘できる。
ア 各項末尾に記載した証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
a 平成12年1月1日から平成18年1月16日までの間に本邦で難民認定申請を行ったア
フガニスタン国籍の者のうち、難民認定申請手続中及び同手続終了後に帰国した者は、
合計60名おり、そのうち53名はハザラ人である。そのハザラ人53名の出国日は、平成13
年11月20日から平成18年1月4日にわたっており、費用負担は、1名を除き、いずれも
自費出国である。本邦入国前の居住地は、ペシャワール(パキスタン)やアラブ首長国連
邦内(ドバイなど)という例がかなりあるが、本邦に上陸する前にカブールやマザリ・
シャリフにいたハザラ人が出国した例もある。なお、平成13年8月29日から平成14年
10月1日までの間に難民と認定しない処分を受け、その処分の取消訴訟を提起したアフ
ガニスタン国籍のハザラ人は、少なくとも37名存在し、原告側の請求が認容されて確定
した例はない。(乙90から92)
b パキスタン等に逃れていたアフガニスタン人がアフガニスタンに帰国する例は、極め
て多く、2004年(平成16年)前半ころには300万人を超えた。(乙75、76、93)
c 各国は、タリバン政権崩壊後に樹立されたアフガニスタン政府に対し、国土復興等の
ため、多額の支援を行っている。日本国も、2001年(平成13年)9月から2003年(平成
15年)ころまでの間に約6億ドルの無償援助をしており、国連とともに、元兵士の武装
解除、動員解除及び社会復帰にも着手している。これにより、幹線道路などの社会資本
が少しずつ整備され、国外に避難していた難民の帰還もあって農業生産も回復しつつあ
る。また、アフガニスタンでは、従前3種類あった紙幣が1種類の紙幣に統一されたが、
それに伴う経済の混乱や物価の上昇などはあまりみられなかった。(乙73から75)
d アフガニスタンにおいては、2004年(平成16年)1月に憲法が採択され、同年10月9
日に大統領選挙の投票が行われた。この選挙は、国際連合や日本国を含むその他の支援
団体により支援され、おおむね公正に行われた。(乙71、72、77から82)
イ 各証拠により示されるタリバンの活動地域は、おおむねパシュトゥーン人が多いアフガ
ニスタン南部やパキスタン国境地帯が中心であり、マザリ・シャリフにおける活動が活発
であることを十分示すだけの証拠は見当たらない。なお、マザリ・シャリフで2002年(平
成14年)前半に地方勢力の間で武力衝突したとの報道がある(甲19〈3304、3336頁〉、甲
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32〈訳文24頁〉)が、これは、ドストム将軍が率いるウズベク人中心のイスラム国民運動党
と、モハマド・アッタ将軍が率いるタジク人中心のイスラム協会又はファヒーム国防相派
のタジク人との衝突であるとされ、ハザラ人が多く関与しているとまでは認めがたい。ま
た、一審原告が挙げる情報にあらわれたテロ活動等の被害者は、非イスラム教国の外国人
が多いということができる。
エ これまで認めたとおり、ハザラ人・シーア派であるから迫害されるというわけではなく、
本件不認定処分時の一審原告に対する迫害のおそれは、マザリ・シャリフにおいてタリバン
と北部同盟との間で奪回・撃退が繰り返された後の敵側に対する対立感情が大きな要因を占
めていたと認めることができる。しかし、そのタリバンは、これまで認めた事実によれば、ア
フガニスタンの実効支配ができなくなり、各国の援助を受けた暫定政府の成立、活動や相当
数のハザラ人がアフガニスタンに帰国するなどの事実もある。これらの事実からすると、一
般的な治安の問題は残るとしても、タリバン政権の崩壊により、一審原告に対する法所定の
迫害のおそれは、消滅したということができる。
また、それとは別に、地方において軍閥などが存在し、中央政府の実効支配が及ばないと
のことについても、貨幣の交換や武装解除等中央政府の行為の活発化を示す行為もあるこ
と、軍閥等の人権侵害があるとしてもハザラ人やシーア派であることが理由になっていると
まで認めることは困難であること、本邦を出国するアフガニスタン国籍のハザラ人が相当数
存在することからすると、必ずしも一審原告に対する法所定の迫害のおそれを基礎付けると
まではいえない。
なお、帰国者の帰国時期などこれまで認めた事実は、本件退去裁決の後のものも多いが、
難民の帰還や諸外国の支援は、本件退去裁決時にすでに存在したか、平成14年1月に日本で
開催されたアフガニスタン復興支援国際会議等においてそのようにされることが予定されて
いたと認められる(乙73、74、弁論の全趣旨)から、これらも、本件退去裁決の当否の判断に
おいて、本件退去裁決時の状況を推認させる事実として考慮できるというべきである。
以上によると、一審原告については、本件退去裁決の段階で、法所定の迫害のおそれはな
くなっていたと認めるべきである。
オ 一審原告は、終止条項の解釈につき主張し、本件退去裁決が難民条約に反すると主張する。
難民条約1条Cにいう「難民であると認められる根拠となつた事由が消滅した」とは、
一審原告について「迫害を受けるおそれ」をもたらした客観的な状況が解消される基本的な
状況の変化があったことをいうものと解される。そして、本件退去裁決がされた平成14年3
月当時は、アフガニスタンにおいては、既にタリバン政権は崩壊し、ハザラ人閣僚を含む暫
定政権が発足していたことは前記認定のとおりであり、前記認定のその後のアフガニスタン
の状況を併せて考えれば、上記当時、それまでの一審原告の恐怖の根拠となっていたタリバ
ンによるハザラ人であることやシーア派を信仰していることを理由とする迫害の危険性をも
たらす状況は解消されていたものと認めるのが相当である。
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一審原告は、上記終止条項の事情の変化は、抜本的かつ永続的なものでなければならない
旨主張するが、仮にそのように解すべきものとしても、前記認定の本件退去裁決当時におけ
るアフガニスタンの状況及びその後のアフガニスタンの状況に照らせば、一審原告の恐怖の
根拠となった状況については、抜本的かつ永続的な変化があったものと評価することができ
る。一審原告は、終止条項の事情の変化は、難民が出身国において機能する法及び司法シス
テムによって保護されるかという観点から判断されると解すべきである旨主張するが、難民
条約1条Cの文理から、同条項が一審原告主張のような意味まで含むとまで断定すること
には疑問が残る。一般的な治安の問題が残るとしても、それは、人種、宗教等難民条約が定め
る事由による迫害のおそれとは異なるというべきである。
したがって、一審原告の主張は採用できず、本件退去裁決が難民条約に反するとはいえな
い。
カ 平等原則との関係について、仮に一審原告がいうように日本国内において難民認定が取り
消された事例がないとしても、他の難民と一審原告との類似性が必ずしも明らかではないか
ら、平等原則違反を理由として本件退去裁決を違法ということはできない。
キ 一審原告は、本件更新不許可処分の違法性が、本件退去裁決にも承継されるとも主張する
が、これらの処分等は、連続した一連の手続を構成して一定の法律効果の発生を目指すもの
とはいえず、相互に別のものであり、違法性の承継が認められるとはいえない。
ク 一審原告は、その他さまざまな主張をするが、これらは、いずれも、上記の結論を左右する
とはいえない。
3 以上によれば、原判決は、相当である。
よって、主文のとおり判決する。

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