退去強制発令書発付処分取消等請求事件
平成19年(行ウ)第357号
原告:A、被告:東京入国管理局長・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第38部(裁判官:杉原則彦・品田幸男・島村典男)
平成21年3月6日

判決
主 文
1 東京入国管理局長が原告に対して平成18年12月4日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
2 東京入国管理局主任審査官が原告に対して平成18年12月4日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要
本件は、ミャンマー連邦(ミャンマー連邦は、平成元年に改称した後の国名であるが、以下、改称の前後を区別することなく、同国を「ミャンマー」という。)の国籍を有する外国人である原告が、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国審査官から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)24条4号ロ(不法残留)に該当し、かつ、出国命令対象者に該当しない旨の認定を受け、東京入管特別審理官から同認定は誤りがない旨の判定を受け、東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)から入管法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を受け、東京入管主任審査官から退去強制令書の発付処分を受けたため、自分は日本人を父に持つ日系人であり、そのことを考慮せずにされた上記の裁決及び退去強制令書発付処分は違法であるなどと主張して、これらの各取消しを求める事案である。
1 前提事実
本件の前提となる事実は、次のとおりである。証拠により容易に認めることができる事実等は、その旨付記した。その余の事実は、当事者間に争いがない。
 原告及び関係者の身分事項等
ア 原告は、昭和《日付略》にミャンマーで生まれた、ミャンマー国籍を有する外国人の男性である。
イ Bは、大正《日付略》に広島県で生まれ、昭和《日付略》に同県で死亡した、日本人の男性である。(乙11、22)
ウア 原告に係るミャンマー連邦身分証明カード(平成2年6月1日発行)には、父親として「B’」、民族として「日本+ビルマ」とそれぞれ記載されている。
イ 原告に係るミャンマーのメイ市の出生登録書(平成13年8月23日登録)には、父親として「B’’」と記載されている。
ウ 原告に係るミャンマーのメイ市の住民登録票には、父親として「B’’」、民族として「日本+ビルマ人」とそれぞれ記載されている。(乙11)
 原告の入国及び在留の状況
ア 原告は、平成5年7月6日、新東京国際空港(現在の成田国際空港)に到着し、東京入管成田支局(現在の成田空港支局)入国審査官から、入管法所定の在留資格「短期滞在」、在留期間「90日」の上陸許可を受けて本邦に上陸したが、在留資格の変更又は在留期間の更新を受けることなく、在留期限の同年10月4日を超えて本邦に不法残留するに至った。
イ 原告は、平成10年7月15日、居住地を東京都墨田区(以下「墨田区」という。)《住所略》とする外国人登録法3条1項に基づく新規登録を受けた。
 原告に係る退去強制手続
ア 警視庁本所警察署警察官は、平成18年10月18日、原告を入管法違反容疑で現行犯逮捕した。
イ 東京入管入国警備官は、平成18年10月19日、原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け、原告に対し、同令書を執行した。
ウ 東京入管入国警備官は、平成18年10月19日、原告に係る違反調査をし、原告を入管法24条4号ロ該当容疑者として、東京入管入国審査官に引渡した。
エ 東京入管入国審査官は、平成18年10月20日及び同年11月2日、原告に係る違反審査をし、その結果、同日、原告が入管法24条4号ロに該当し、かつ、出国命令対象者に該当しない旨の認定をし、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。
オ 東京入管主任審査官は、平成18年11月16日、原告の収容期間を同年12月17日まで延長し、東京入管入国警備官は、同年11月16日、原告に収容令書を提示した。
カ 東京入管特別審理官は、平成18年11月20日、原告について口頭審理を行い、その結果、入国審査官の前記エの認定に誤りはない旨の判定をし、原告にその旨通知したところ、原告は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした。
キ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は、平成18年12月4日、前記カの異議の申出に対し、原告の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、同日、東京入管主任審査官に本件裁決を通知した。
ク 前記キの通知を受けた東京入管主任審査官は、平成18年12月4日、原告に本件裁決を告知するとともに、退去強制令書を発付し(以下「本件退令処分」という。)、東京入管入国警備官は、同日、同令書を執行した。
ケ 原告は、平成19年1月31日、入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収された。
コ 東日本センター所長は、平成19年10月11日、原告に対し仮放免を許可し、原告は、同日、東日本センターを出所した。原告は、現在仮放免中である。
 原告の妻の出入国及び退去強制手続
昭和《日付略》生まれのミャンマー人の女性であり、原告と平成3年4月25日にミャンマーで婚姻した妻であるC(以下「訴外妻」という。)は、同9年6月12日、入管法所定の在留資格「短期滞在」、在留期間「90日」の上陸許可を受けて本邦に上陸したが、在留資格の変更又は在留期間の更新を受けることなく、在留期間の同年9月10日を超えて本邦に不法残留し、その後、同18年10月9日、出国命令を受けて出国した。(乙11、19)
 本件訴えの提起
原告は、平成19年6月4日、本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)
2 争点
 本件裁決の適法性
東京入管局長は、原告につき在留を特別に許可すべき事情があるとは認められないと判断して本件裁決をしているが、原告については、原告がBを父とする日系人であること等を考慮して在留特別許可が付与されるべきであって、東京入管局長の上記判断は、その裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用した違法なものであるということができるか。
 本件退令処分の適法性
東京入管主任審査官のした本件退令処分は、違法な本件裁決を前提とするものとして、又は東京入管主任審査官の裁量権の範囲を逸脱し、若しくは濫用したものとして、違法であるということができるか。
3 当事者の主張の要旨
 争点(本件裁決の適法性)について
ア 原告の主張
ア 在留特別許可の許否の判断に当たっての法務大臣及び同大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下、併せて「法務大臣等」という。)の裁量権は、出入国の公正な管理という入管法の目的の範囲内でのみ認められる。そして、外国人は、退去強制された場合には著しい不利益を受けることになるのであるから、法務大臣等が在留特別許可の許否を判断するに当たっては、比例原則の観点から、事実を正確に把握した上で、各種通達、先例、出入国管理基本計画、国際的な準則等の示すところに従い、慎重な検討をすべきであり、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断をした場合、又はその
判断が合理性を持つものとして許容されない場合には、当該裁決は、法務大臣等の裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があったものとして、違法になる。
イ Bは、昭和31年ころから同39年ころまで、D株式会社(以下「D」という。)の従業員として、当時Dがミャンマー南部のメルギー群島で行っていた真珠養殖事業のため、同群島に赴任していたところ、その間に知り合ったミャンマー人の女性であるEと事実上の夫婦関係となった。原告は、BとEとの間の子である。
本件裁決は、原告がBの子であるという事実を前提としていないところ、同事実は、入管法が日系人に対して手厚い保護を与えていることなどからすると、在留特別許可の許否の判断に当たり、大きく考慮されなければならない重要なものであり、同事実を考慮すれば、原告については当然に在留特別許可が付与されるべきであった。
ウ したがって、本件裁決は、考慮すべき事項を考慮せずに判断がされたものであり、東京入管局長の裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があったものとして、違法である。
イ 被告の主張
ア 在留特別許可は、退去強制事由に該当することが明らかで、当然に本邦から退去を強制されるべき者に対し、在留を特別に認める処分であって、その性質は恩恵的なものである。
そして、在留特別許可の許否の判断に当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の国内の政治、経済、社会等の諸事情、当該外国人の本国との外交関係、我が国の外交政策、国際情勢等の諸般の事情を総合的に考慮すべきものである。
このように、在留特別許可に係る法務大臣等の裁量の範囲は極めて広範なものであって、極めて例外的にその判断が違法となり得る場合があるとしても、それは、法律上当然に退去強制されるべき外国人について、なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど、在留特別許可の制度を設けた入管法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限られる。
イ 原告は、自分はBの子であると主張するが、これを裏付ける客観的かつ明確な資料が存在しない以上、その事実を認めることはできない。
ウ 仮に原告がBの子であったとしても、後記のとおり、それは原告に在留を特別に許可しなければならない積極的な理由とはならず、そのほか、在留特別許可の制度を設けた入管法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情はない。
すなわち、まず、原告は、Bから認知されていないのであるから、入管法所定の在留資格「日本人の配偶者等」には該当しないし、当然に在留資格「定住者」に該当するものでもない。
また、原告は、1歳のころにBと離別してから本邦に入国するまで、ミャンマーにおいて、我が国とは全くかかわりのない生活をしていたもので、我が国との関係は希薄であり、他方、ミャンマーには妻及び長男がいるのであるから、帰国したとしても生活に特段の支障はない。
そして、原告は、平成5年7月に本邦に入国して間もなく不法就労を開始し、同9年6月にはミャンマーから妻を呼び寄せて、同18年10月に摘発されるまでの長期間にわたり、夫婦共に不法就労にいそしんでいたのであって、その在留状況は悪質であり、我が国の出入国管理行政上看過することはできない。
エ したがって、本件裁決は適法である。
 争点(本件退令処分の適法性)について
ア 原告の主張
ア 前記アのとおり、本件裁決は違法であるから、これに基づく本件退令処分も違法である。
イ 入管法24条は、同条各号の退去強制事由に該当する外国人については、5章に規定する手続により本邦からの退去を強制「することができる」と定め、他方、入管法5章の各規定は退去強制令書の発付に至る手続を定めたものにすぎないことからすると、主任審査官には、退去強制令書を発付するか否か、発付する場合それをいつにするかについて、裁量が認められているというべきである。
本件において、東京入管主任審査官は、東京入管局長による本件裁決と同様に、原告がBの子であるという考慮すべき事項を考慮せずに本件退令処分をしているので、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用がある。
ウ したがって、本件退令処分は違法である。
イ 被告の主張
ア 退去強制手続において、法務大臣等から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合、主任審査官は、速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって、退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はない。
イ したがって、本件裁決が前記イのとおり適法である以上、本件退令処分も当然に適法である。
第3 当裁判所の判断
1 争点(本件裁決の適法性)について
 法務大臣等の裁量権等について
入管法50条1項柱書きは、入管法49条1項所定の異議の申出を受理したときにおける同条3項所定の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、法務大臣は在留を特別に許可することができるとし、入管法50条3項は、この許可をもって異議の申出が理由がある旨の裁決とみなす旨定めているところ、この在留特別許可を付与するか否かの判断は、法務大臣の極めて広範な裁量にゆだねられていると解すべきである。しかし、このような法務大臣の在留特別許可の許否の判断であっても、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には、法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものとして、違法というべきものである。そして、このことは、法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長である東京入管局長についても同様に当てはまるところというべきである。
 争点に対する判断の基礎となる事実関係について
ア 証拠(該当箇所に掲記したもの)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実を認めることができ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
ア B及びEの事実上の夫婦関係並びにEの出産等
a Bは、昭和31年ころ、Dの従業員として、当時Dがミャンマー南部のメルギー群島においてミャンマー企業と合弁で行っていた真珠養殖事業のため、同群島内にあるマルコム島に赴任し、潜水夫の仕事をしていた。Bには日本人の妻及び養子がおり、両名を日本に残しての単身赴任であった。ところが、Bは、同36年ころ、ミャンマー人の女性であるE(なお、当時は「E’」と呼ばれていた。)と事実上の夫婦関係となり、マルコム島において同居するようになった。やがてEは懐胎し、Bをマルコム島に残し、マルコム島の北にある都市であるメイに移動して、出産に備えた。
b Fは、昭和32年7月、Dの従業員としてマルコム島に赴任し、真珠貝を管理する仕事をしており、Bとは同僚及び友人として交流があった。
Fは、前記aのとおりEがメイで出産に備えていたころ、ちょうど同地に滞在していたので、Bから、Eの出産の折にはよろしく頼むと言われていた。そこで、Fは、Eが産気づいた時に、Eを病院まで車で搬送した。
そして、Eは、昭和《日付略》、メイの病院において原告を出産した。
c ミャンマーでは、昭和37年に起こった軍事クーデターによって樹立された新政府の方針で、Dを含む外国会社の事業が接収されることになった。そこで、B、FらDの従業員は、同38年12月、マルコム島からメイに移動し、数箇月間そこに留め置かれた後、同39年3月にヤンゴン経由で日本に帰国した。なお、Bは、上記のとおりメイに留め置かれていた間に、同地に家を新築又は購入し、E及び前記bのとおり同女が出産した原告と共に居住していたが、同人らを残して単身で帰国した。
d B及びFは、日本に帰国して約1年後、Dの真珠養殖事業のため、今度はフィリピンに赴任した。Bは、フィリピンにおいて、Eが産んだ子供が日本に来たいと言ったら受け入れるつもりである旨をFに話し、また、E及び原告のことを気にかけていた。(甲1の1ないし3、5、11、12、19の1ないし7、20、22から24まで、28から32までの各1及び2、33、34、36から38まで、乙11、23、証人F)
イ 原告のミャンマーでの生活状況等
a 原告は、前記アのとおり、メイで生まれ、同地で成育した。原告は、幼少の頃より、母親であるEから、父親がBという名前の日本人であることや、その父親が原告を「A’ ちゃん」と呼んでいたことを聞かされていた。また、原告の生家にはBが写った写真が複数あり、原告は、就寝前にそれらの写真の一部(甲5の番号⑨、⑩、⑭)に向かってひざまずき、祈りをささげていた。しかし、原告には父親についての直接的な記憶はない。(甲2、3、5、18、27、乙9、11、23、原告本人)
b 原告は、高校在学中であった昭和55年11月、東京都内の「G」という女性及びDのマネージャーにあてて、それぞれ手紙を出した。その内容は、自分はEと「B’」又は「B’’」という日本人(Bを指すものと考えられる。)の間の子であるが、自分が幼いときにその父親は日本に帰国したため、連絡が途絶えてしまったことを告げ、父親と連絡を取る方法を尋ね、父親からの返信を請うものであった。しかし、上記各手紙は、いずれも転居先不明のため原告に返送された。(甲8、9、27、乙9、11、原告本人)
c 原告は、昭和56年ころ、ミャンマーで戦死した日本人を慰霊するためにメイを訪れていたHら複数名の日本人(同人らは、「I会」という名称の団体を構成していた。)と知り合い、同人らに対し、自分の父親は日本人であり、その父親を捜してほしいとか、日本に行きたいというような話をした。原告とI会の構成員との交流はその後も続き、その構成員は、原告が来日する際の身元保証人になったり、来日直後の原告を約1週間自宅に滞在させたりしたほか、平成15年ないし同16年ころには、I会の行事である旅行に原告を招いたこともあった。(甲4、7、27、乙8、9、11、原告本人)
d Eは、昭和《日付略》、ヤンゴンの病院において、《病名略》のため死亡した。(甲27、乙6、原告本人)
e 原告は、昭和57年、ミャンマー国籍を選択する手続をした上で、同年3月にメイの高校を卒業し、その後、共同組合省に勤務する公務員となって、その仕事を平成4年ころまで続けていた。(甲27、乙6、9、原告本人)
f 前記bのとおり日本にあてた手紙が転居先不明で返送されてきた後、原告は、ミャンマー国内のDの関係先からの情報により、Dの新しい住所を突き止めた。そして、原告がDにあてて平成2年2月8日付けで手紙を出したところ、元従業員であるJから、同月27日付けの返信があった。その内容は、Bが既に18年前に死亡していることを知らせるとともに、DにおけるBの知人として、F外4名を原告に紹介するものであった。原
告は、この手紙によって、既にBが死亡していることを初めて知った。(甲10、27、乙9、原告本人)
g 原告は、平成3年4月25日、訴外妻と婚姻し、同《日付略》、同人との間に長男をもうけた。(甲27、乙6、11、原告本人)
ウ 原告の来日後の生活状況等
a 原告は、来日して約2箇月後である平成5年9月ころから東京都内で清掃作業員として稼働し始め、前記第2の1アのとおり同18年10月18日に現行犯逮捕されるまでそれを続け、月額約17万5000円の収入を得ていた。また、原告は、不法残留中に、同のとおり、訴外妻をミャンマーから呼び寄せ(なお、長男はミャンマーに残った。)、東京都内で同居して、訴外妻においても不法就労により月額約14万円の収入を得ていた。(甲27、乙9、11、原告本人)
b 原告は、来日後間もなく、I会の助力を得て、Fと初めて対面し、その後も、後記の平成7年の墓参りまでの間に、Fを始めとするDにおけるBの知人と複数回会っていた。
当初は、原告が十分な日本語能力を有していなかったことから、あいさつ程度のやり取りしかなかったが、その後、原告は、Fに対して、Bの墓参りに行きたいと述べるようになっていった。(証人F)原告は、平成7年5月10日、Fと共に広島県竹原市(以下「竹原市」という。)を訪れ、初めてBの墓参りをした。 
また、原告は、平成14年1月にも、訴外妻と共に竹原市を訪れ、Bの墓参りをした。
原告と、Fを始めとするDにおけるBの知人及びI会の構成員との間の交流は、現在も続いている。(甲1の1及び2、4から6まで、19の1ないし3、21、25の1及び2、27、乙9、11、23、証人F、原告本人)c 原告は、来日後、行政書士らに認知の手続について相談するなどしていた。そして、原告は、前記第2の1ウイのミャンマーのメイ市の出生登録書が戸籍法41条の証書(認知証書)に該当するとして、平成14年10月17日、竹原市長に対し、Bによる原告についての認知事項記載の申出をしたが、同市長は、同16年1月14日、上記申出を不受理とした。
原告は、竹原市長の前記不受理処分を不服として、広島家庭裁判所呉支部に対し、前記の認知事項記載の申出を受理すべきことを同市長に命じる旨の審判を求める申立てをした(同裁判所平成○年(家)第○号市町村長の処分に対する不服申立事件)。これに対し、同裁判所は、平成18年9月22日付けで、①日本の民法は、非嫡出親子関係のうち父子関係の成立について認知主義を採用しているところ、Bと原告の父子関係を成立させる日本の方式による認知の届出はなく、裁判認知もない、②ミャンマーにおいては、非嫡出親子関係の成立について事実主義を採用していると考えられるから、前記出生登録書を戸籍法41条の証書(認知証書)とみることはできないなどとして、原告の上記申立てを却下する旨の審判をした。(乙11、21から23まで)
イ 前記アの各事実によれば、Eが出産した子供である原告は、BとEとの間にできた子であると認めることが相当であり、この認定を左右するに足りる証拠はない(この認定は、前記第2の1ウの各文書の記載内容や、Fを始めとして、生前のBを知る複数の者が、原告がBとよく似ているという感想を持っている事実(甲19の1、証人F)とも符合するものである。)。
したがって、原告はBの血縁上の子である(ただし、原告はBから認知されていない。(乙22、弁論の全趣旨))。
 争点に対する判断
ア 前記第2の3イイのとおり、被告は、原告がBの血縁上の子であることを認めていないので、本件裁決は、同事実を考慮せずにされたものと考えられる。そうすると、前記の判断の枠組みによれば、本件裁決の適法か否かは、東京入管局長が同事実を考慮しなかったことをもって、本件裁決の判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、東京入管局長が裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものであるといえるか否かによることになる。
イ そこで検討するに、入管法上、「日本人の配偶者等」の在留資格をもって在留する者は、日本人の配偶者若しくは民法817条の2の規定による特別養子又は日本人の子として出生した者という身分を有する者としての活動を行うことができ(入管法2条の2第2項、別表第二)、別表第一で規定されている各在留資格をもって在留する者とは異なり、本邦在留中に行うことができる活動に制限はない。したがって、入管法は、上記の各身分を有する者に対し、本邦への在留について高度の保護を与えているものということができる。
ところで、上記の各身分のうち「日本人の子として出生した者」とは、日本人の実子、すなわち、日本人の嫡出子又は認知された非嫡出子を指すものと解される。したがって、日本人男性の血縁上の子であるというだけでは「日本人の子として出生した者」に該当するものではない。
しかし、日本人男性の血縁上の子は、認知された非嫡出子となるための前提というべき身分であって、同男性から認知を受けさえすれば非嫡出子となり、同男性が認知をしないときは、認知の訴え(民法787条)を提起して認容判決を受けることにより、非嫡出子の身分を取得することができるのであるから、日本人男性の血縁上の子であるという事実は、非嫡出子という身分の中核と評価されるべきものというべきである。
さらに、国籍法3条1項は、「父又は母が認知した子で20歳未満のもの(日本国民であった者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であった場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であったときは、法務大臣に届け出ることによって、日本の国籍を取得することができる。」と規定している。したがって、日本人男性の血縁上の子は、20歳未満であり、同男性から認知を受ければ、届出によって日本国籍を取得することまでも可能なのであるから、我が国との強い結び付きを有する者ということができる。
以上によれば、日本人男性の血縁上の子であるという事実は、入管法上在留について高度の保護を与えられている「日本人の子として出生した者」の中核と評価されるべきものとして、また、その者と我が国との強い結び付きを示すものとして、在留特別許可の許否を判断するに当たり、重要なな積極的事情として考慮されなければならないものというべきである。そして、同事実は、原告のように、出訴期間制限(民法787条ただし書)によりもはや認知された非嫡出子となることができない者についても、かつてはそれが可能であったのであり、かつ、血縁上の親子関係に変化はないのであるから、同様に重要な積極的事情としての考慮が求められるべきものである。
ウ ところで、原告は、前記アイのとおり、1歳のころにBと離別してから本邦に入国するまで、ミャンマーにおいて生活していたものであるが、他方において、その間も、Eから、血縁上の父親が日本人のBであることを聞かされ、Bの写真に祈りをささげるなどして成育し、日本にいるBと連絡を取ることを希望して、D等に複数回手紙を出し(うち1回は返信を受領)、I会の構成員との接触を続けてきたのであるから、直ちに我が国との関係が希薄であるということはできない。
また、原告は、前記アウaのとおり、平成5年7月に本邦に入国して間もなく不法就労を開始し、同9年6月にはミャンマーから妻を呼び寄せて、同18年10月に摘発されるまでの長期間にわたり、夫婦共に不法就労を続けていたものであり、このことが、在留特別許可の許否を判断するに当たっての消極的事情として考慮されるべきことは当然であるが、他方、原告は、同bのとおり、Bの墓参りを2回実現させているほか、Fを始めとするDにおけるBの知人及びI会の構成員との交流を続けているのであり、このような、Bの血縁上の子と
しての原告の行動についても、着目する必要がある。
エ そうすると、前記イのとおり、日本人男性の血縁上の子であるという事実が在留特別許可の許否を判断するに当たっての重要な積極的事情であること、及び前記ウで説示したことを総合すれば、本件裁決に当たり、仮に原告がBの血縁上の子であるという事実を考慮していたとしても結論に影響がなかったとは到底考えられないところである。 
したがって、原告がBの血縁上の子であるという事実を考慮しなかった本件裁決は、全く事実の基礎を欠くものといわざるを得ず、東京入管局長が裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したものというべきである。
よって、本件裁決は違法であり、取り消されるべきものである。
2 争点(本件退令処分の適法性)について
本件裁決が違法であることは前記1のとおりであるから、これを前提とする本件退令処分も違法であり、取り消されるべきものである。
第4 結論
よって、原告の請求はいずれも理由があるからこれらを認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。

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