退去強制令書発付処分等取消請求事件
昭和42年(行ウ)第14号
原告:A、被告:法務大臣・札幌入国管理事務所主任審査官
札幌地方裁判所
昭和49年3月18日

判決
主 文
被告札幌入国管理事務所主任審査官が昭和四二年三月七日付で原告に対してなした退去強制令書発付処分はこれを取消す。
被告法務大臣が同年三月三日付で原告に対してなした原告の出入国管理令第四九条第一項に基づく異議の申出を棄却する旨の裁決はこれを取消す。
訴訟費用は被告らの負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告の請求の趣旨
主文と同旨
二 被告らの請求の趣旨に対する答弁
原告の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告が来日するに至つた経緯および来日後の生活居住関係の概要
 来日の経過
 原告は、大正九年三月一二日、父B、母Cの長男として朝鮮慶尚南道山清郡新安面新安里で生れた。
家は代々農業を営んでおり、祖父までは自作農であつたが、朝鮮が日本に併合された後、土地は全部日本人に取られ、原告が出生した頃には日本人の地主に使用されている朝鮮人の監督の下で小作農をしていた。
耕作地は田畑合計三ないし五反程度で、収穫の五割は小作料として収納され、現金収入はほとんどなく、収穫時期を除いては麦、小麦、よもぎその他の野草を採取して食糧としなければならない程の極貧状態であつた。
 このような状況の下で、原告は、八才で丹城公立普通学校(六年制小学校)に入学した。
そして、五年半位通学したが、家が貧困で授業料が支払えなくなり、卒業することはできなかつた。一方原告が同校三年生のころ、父は祖父母、妻子を残して単身渡日した。これは農業では一家の生計が成り立たず、しかも朝鮮では他に仕事もなく、やむを得ず日本に働く場所を求めたものであつて、渡日後父は愛知県瀬戸市で土方などをして生活をしていた。
父の渡日後、家では残された家族で農業を営んでいたが、原告は、村では生活のあてもなく、日本には父が居るので中学校へ上げてくれるのではないかと思い、生きる道を求めて渡日することを決意し、父から旅費を送つてもらつて、昭和八年五月一五日下関に上陸した。
 来日してから終戦まで原告は、来日後、間もなく瀬戸物工場で雑役夫として働くようになつた。原告は、中学校へ入学して勉強したいと思つて来日したのであつたが、土方をしている父の生活は苦しく、学校へ入れてもらえるどころではなかつた。工場の仕事は七尺の板の上にセトモノを乗せて、かついで歩く重労働で、しかも勤務時間は普通は朝六時から夜九時までであつたが、夜明かしして仕事をすることもしばしばであつた。賃金は、安く、一生懸命働いても同じ労働をする日本人の賃金よりは三割から五割位低かつた。
 この工場には約二年間働いたが、民族差別がはげしく、朝鮮人はいつまでたつても雑役ばかりで良い仕事をやらせてもらえず、親方からは何かにつけて朝鮮人のくせにとどやされ、工員には殴られたりしたので、他に移つて技術を覚えたいと思つてそこをやめ、その後二〇才になるまで瀬戸物工場を四、五ケ所変つて働いた。労働条件は最初の工場とほとんど同じでようやく最後に働いた工場で流し込み作業をすることができ、そこで土瓶や急須を作ることを覚えることができた。
 来日当時原告は、瀬戸市で働いていた他の朝鮮人と同じように山すその堀立小屋に父とともに住んでいた。原告の来日後しばらくして、母が妹と祖母を連れ、朝鮮に祖父だけ残して来日した。母の来日後、一家は小さな家を借りて一緒に暮したが、生活は苦しく一家の者は皆働きに出かけ、当時七、八才だつた妹は、小学校にも入れず、瀬戸物工場で朝六時から晩六時まで仕上の作業をして働いていた。
 原告は、来日の目的であつた中学入学は達せられなかつたが、向学心を捨てず、独学で普通文官試験をとろうと考え、三年間通信教育を受け、工場の仕事が終つてからと、月二日の休日には外へも出ないで勉学に励んだ。しかし朝鮮人が普通文官試験に合格しても日本では官吏には採用されず、朝鮮の警察官に採用されても巡査部長止りにしかなれないことがわかつた。このため、原告はこの試験を受けることに希望を失つた。そこで、原告は、朝鮮人の生きる道は商売をする以外にないと思い、昭和一五年冬に、それまでに苦労して貯めた金で自転車を一台買い、茶碗や皿を籠に積んで田舎へ行つて売る行商をはじめた。
朝早くから三時間も四時間もかかる田舎へ出かけて行き、夜遅くまで働いた。このようにして働くうちに、収入は工場のときより少しは良くなり、将来にようやく希望を持つことができるようになつた。
 そして、原告は、翌年、瀬戸市にD商店という屋号の店をかまえることができた。この仕事は発展して、朝鮮や満洲へ瀬戸物等を卸売するようになつた。ところが、原告は昭和一八年秋太平洋戦争が激化するとともに、名古屋の三菱航空機株式会社の工場に徴用され、航空機の機体製造の流しこみの重労働に従事させられた。昭和一九年、空襲がはげしくなつたため一家は朝鮮の郷里へ引掲げたが、原告は、徴用されていて引揚げることもできず、一人日本で終戦を迎えた。
 終戦から今日まで戦争終了直後、徴用をとかれた原告は、名古屋で友人達とE株式会社を設立して常務となつた。この会社は建設を業として、名古屋市の復興事業に従事し、戦災のあとかたずけ、建設工事砂利採取等をしていた。また、原告は、昭和二二年にはガイシ等を製造するF株式会社も設立して常務となつた。
原告は昭和二三年、戦争未亡人であつた日本人Gと結婚した。そしてようやく人並みの安定した生活に入ることができるかと思われたが、昭和二五年二つの会社は経営不振になつて解散し、原告は元も子もなくして、妻と二人で放浪生活に入つた。
 原告は、同年、妻の実家のある新潟県三条市へ行き、一年間ほど友人の経営するパチンコ屋の手伝をしていた。その後、茨城県笠間に友人がパチンコ屋を経営していたのでそれを頼つて行き、その手伝をしばらくしたのち、そこで友人から資本金を借入れてパチンコ屋を開き、その後千葉県八日市場などにも店を開いた。
 こうして商売も軌道に乗りはじめたので、原告は北海道へ行つてパチンコ機械の販売をはじめようと考え、北海道のまん中にある旭川を選び、昭和二七年ころ旭川でパチンコ機械の販売をはじめ、その後パチンコ屋を開いた。しかし、その直後繁昌する店を見て是非譲つてくれという日本人があつたので半年位でこの店を譲り、小樽に移つた。そして、昭和二八年小樽でパチンコ屋を開いた。そのころ長女Hが生れた。
 小樽では三年ほど居住していたが、昭和三一年に火事で店が類焼し、元も子もなくしてしまつた。原告は、もう一度店をたてなおしたいと思つたが、地主が承知しなかつたので借地を地主に返して小樽を去つた。
このあと原告は、友人を頼つて東京都隅田区に移り、友人から再び借金をしてパチンコ機械の製造販売をはじめ、七、八人の従業員を使つて経営したがうまく行かず一年位で整理し、秋田県横手市に移つて二年ほどパチンコ屋を経営した。
 原告は昭和三四年友人が多い函館に移り、パチンコ屋「I会館」を経営し、その後「J商会」という名称でパチンコ機械の販売をはじめ、札幌市にもその営業所を設けて経営し現在に至つている。現在J商会の従業員数は函館四人、札幌五人である。
原告は、函館に来てすぐ、推されて在日朝鮮人総連合会函館支部役員となり、昭和三八年からは同支部委員長となり、在日同胞の生活と権利を守るために活動してきた。
2 本件退去強制令書発付処分がなされるまでの経緯
 原告の弟K(戸籍上の名称はK’)は昭和三九年朝鮮高麗大学文科大学史学科を卒業し、教授になることを希望していたが、教授になるためには外国に留学し、学位をとることが必要であつたので日本に留学したいと考え、その旨政府に許可申請をしたが拒絶された。
そこで弟は、何度も原告に手紙をよこし、自分の希望する学者の道を達成するためには、どうしても、日本に留学したいが政府は許可してくれない。韓国の大学では水準が低く先進国の大学へ行かなければ十分な勉強はできない、留学したいのは単なる自分の欲望だけでなく、これは国民に対する自分の義務であると考えるので是非日本へ行きたいと熱烈な希望を訴えてきた。原告は、初めそれが不可能である旨を伝えていたが、肉身の情として、弟の希望は何とかかなえてやりたいとは思つていた。ところが、たまたま釜山と日本を往復している貿易船の船長を知り、それがきつかけで弟の日本入国に援助を与えたのである。
 弟は、昭和三九年九月日本に入国し、翌年五月北海道大学教育学部に研究生として入学して近代教育史の研究に励み、同大学教育学部修士課程入学試験に合格し、昭和四一年四月から大学院生になることになつていた。ところが、同人は、大学院入学を機会に、同年四月はじめ、歴史の勉強も兼ねて関西方面に旅行に出かけたところ、出入国管理令違反で逮捕された。
 原告は、同年四月一七日、商用で函館から飛行機で羽田空港に着いたところ、同空港で逮捕され、弟が逮捕されたことをはじめて知つた。原告は、神戸に護送され、犯人蔵匿罪で勾留されたが、四月二九日、出入国管理令違反幇助罪で罰金五万円の略式命令をうけ、同日釈放された。
 原告は、釈放された後数回神戸入国管理事務所の収容所にいた弟に面会に行つたが、同年六月中旬ころ面会に行つた際、神戸入管で出入国管理令第二四条四号ル該当事由ありということで調べられ、その後ひきつづいて札幌入管でも右同様の理由で取調べを受けた。その結果、同年一一月七日、同入管入国審査官は原告に対し実弟の入国を助けた行為が前記二四条四号ルに該当する旨認定をした。そこで、原告は、直ちに右認定を不服として特別審理官による口頭審理の申立をしたが、右認定に誤りがない旨判定を受けた。原告はさらにこれを不服として昭和四一年一一月七日法務大臣に異議の申出をしたところ、法務大臣は、昭和四二年三月三日、右申出を棄却する旨の裁決(以下本件裁決という。)をし、右裁決は、同年四月一七日、原告に告知されたが、被告札幌入管主任審査官は、同年三月七日原告に対し退去強制令書を発付(以下本件令書発付処分という。)するに至つた。右令書発付は、同年四月一七日原告に告知された。
 本件裁決および本件令書発付処分は、左記の理由により、いずれも違法であるから、取消されるべきである。
3 昭和二七年法律第一二六号該当者に出入国管理令を適用した重大な誤りと本件各処分の違法性
原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者であるところ、右該当者に対しては出入国管理令は適用できないものであるから、同令に基づいてなされた本件裁決および本件令書発付処分は、法律適用の誤りをおかした違法なものであつて無効であるかまたは取消さるべきものである。
 現行出入国管理令の建前
現行出入国管理令(以下、管理令という。)は、外国人の入国を許可するにあたつて、一定の「在留資格」と「在留期間」を定め、当該外国人が本邦で活動する場合の目的と期間に規制を加えている。そして、外国人が資格外の活動をしたり、在留期間を徒過したり、その他管理令二四条に定める事由に該当したときは、本邦からの退去を強制できるものとしている(管理令二四条四号イ、ロ、四条、一九条、二〇条、二一条等参照)。すなわち、「在留資格」と「在留期間」は、外国人が本邦で生活する場合、必須不可欠の二大基本要素をなすものであつて、これを抜きにして外国人の「在留」を考えることはできない。管理令の各法条も、ひつきようこの二大要素に関する細目を定めたものといえる。
 昭和二七年法律第一二六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」̶在日朝鮮人に関する特別法̶昭和二七年法律第一二六号は、その第二条第六項で、「日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる」と規定している。
これは、主として、戦前から引き続いて本邦で居住生活してきた在日朝鮮人につき、「在留資格」と「在留期間」という管理令上の二大要素がなくとも本邦で居住生活できることとしたものであつて、在日朝鮮人の過去の歴史的特殊事情を考慮して、出入国管理令の規制対象からはずし、本邦での居住につき何等その「資格」や「期間」を規制しないことを定めたものである。いわば、管理令が、一般外国人を法規制の対象とする一般法の位置を占めるのに対し、法律第一二六号は、戦前から引き続いて居住する在日朝鮮人を法規制の対象とする特別法の位置を占めるものである。昭和八年五月、本邦に渡来して以来、今日まで三六年間引き続いて本邦で居住生活してきた原告は、右法律第一二六号該当者の典型であるということができる。
 在日朝鮮人の居住権
前掲昭和二七年法律第一二六号が特別に立法されたことは、まさに、在日朝鮮人のもつ過去の歴史的特殊事情が立法に反映した結果にほかならない。現在、日本には約六〇万人の朝鮮人が居住し、その大半は法律第一二六号該当者であるが、これらの人達は、自ら好んで故郷朝鮮を捨てて日本に住みついたものでなく、明治四三年の「日韓併合」以来の旧大日本帝国の朝鮮に対する植民地収奪政策により、祖先伝来の土地と生業を失い。生きんがために「日本内地」に流入し、あるいはまた、日本の戦争政策遂行の過程で徴兵徴用によつて強制的に連行され、何十年もの日本での生活により日本に定着するに至つた人達とその子孫なのである。これら在日朝鮮人は、日本の敗戦に至るまで、「大日本帝国臣民」として生きることを強制されてきた。また、かれらの多数は、日本で生れ、日本の学校で日本の言語と歴史地理を学び、「半日本人」として育成されてきた。かように、戦前三六年間に及ぶ植民地支配の時代を通じて、在日朝鮮人は受難の道を歩んできたのである。右法律は、このような、歴史的特殊事情に基づき、在日朝鮮人の処遇について立法により特別の配慮をし、在日朝鮮人を一般外国人と区別してその居住権を保障したものである。
 管理令適用の不合理性̶その立法の沿革昭和二七年四月二八日、サンフランシスコ講和条約発効に併う国内法整備にあたり、一般外国人を規制の対象とし、広範な退去強制事由を規定している現行出入国管理令をそのまま機械的に在日朝鮮人に適用することは不適法であることから、在日朝鮮人を一般外国人と峻別し、その特殊な地位を法的に明らかにしたのが前掲法律第一二六号である。したがつて、管理令は、法律第一二六号該当者には適用の余地がないものであり、いわんや、法律第一二六号該当者に対し管理令二四条を適用して退去強制処分を行なうことは許されない。このことは、占領期間中一般外国人の出入国が禁止されていたが故に主として在日朝鮮人を適用対象としていた(旧)外国人登録令(昭和二二年勅令第二〇七号)が、現行管理令の規定する広範な退去強制事由をどれ一つとして規定せず、わずかに外国人登録令の「登録手続違反」を唯一の退去強制事由として定めているにすぎなかつたという立法の沿革から考えても明らかである。また、現行管理令二四条の退去強制事由の一つ、たとえば「貧困者、放浪者、身体
障害者等で生活上国又は地方公共団体の負担になつているもの」(同条四号ホ)との条項を、法律第一二六号該当者に機械的に適用して退去強制することが不合理であることは明白である。すなわち、多年本邦に居住していた在日朝鮮人が、たまたま生活保護を受け、あるいは、身体障害者となつたため社会保障を受けた、という一事によりこれに対し、親兄弟、妻子等ときりはなし、一切の生活環境を根底から破壊してしまう強制送還をなすことはあまりに不当である。このことは立法過程における国会審議において、政府が、法律第一二六号該当者に対しては将来日本における永久居住権を与えることになつており、同法二条六項に「別に法律で定めるところ」とは「永久居住権を与える法律」の趣旨であると答弁しているところからも裏づけられる。かようにして在日朝鮮人は、他の外国人と異り、いわば過去の歴史的特殊事情そのものから当然に居住をみだりに犯されない地位を保有しているものであつて、それは、管理令で予定している「在留」なる観念になじまないものといわなければならないのである。
4 出入国管理令第二四条四号ルの解釈適用の誤り
本件各処分は、原告に対して、誤つて出入国管理令第二四条四号ルを適用した違法がある。
 同条四号ルは、「他の外国人が不法に本邦に入り、又は上陸することをあおり、そそのかし、又は助けた者」を退去強制事由のひとつにあげている。しかし、右にいう「助けた者」というのは、不法入国の幇助を業とするもの、またはこれに準ずる程度にその正常な外国人出入国管理に対する危険性が高度のものを指すものと解すべきである。
 出入国管理令第二四条所定の退去強制事由は、A不法入国者、B在留資格外活動や在留期間をこえて残留した者、C国または地方公共団体の負担となつている者、D刑罰法令その他法令違反者、E治安攪乱者の五種に大別しうる。ルは、ヘ、ト、チ、リ、ヌとともに、Dのなかに含まれる。ところで、リは、無期または一年をこえる実刑に処せられた者と定めており、一般の刑罰法令違反については、実刑一年をこえる刑にあたる重い反社会的行為を退去強制事由の基準として設定している。この基準を中心にして、少年については、
一般に長期三年をこえる実刑を受けた者と定めてその基準を厳格にしト、外国人登録令違反については、禁錮以上の実刑を受けた者と定めてその基準をゆるめヘ、麻薬犯罪については、有罪の判決を受けたものと定めてさらにその基準をゆるめている。売淫関係ヌと不法入国を「あおり、そそのかし、又は助けた者」ルについては、さらに有罪判決の要件をもはずしている。
しかし、Dの種類にはいる五つの退去強制事由は、あくまで無期または一年をこえる実刑に処せられた程度の重い反社会的行為リを中心にして解釈されるべきであり、これとあまりにかけはなれた結果となるような解釈がされてはならない。さらに、売淫についてはもつぱら「売いんに直接に関係がある業務に従事する者」ヌにしぼつていることと考えあわせるならば、不法入国を「あおり、そそのかし又は助けた者」ルという要件もまた不法入国幇助を業をするか、またはそれによつて利得をえることを目的とする者にしぼられるも
のと解すべきである。
 「あおり、そそのかし、又は助けた者」という場合、「あおり」または「そそのかす」行為には一定の積極性が予定されている。しかし、「助けた」という場合には、その行為の態様は千差万別である。積極的なものもあれば、消極的なものもあり、不法入国に不可欠な行為に対する幇助もあれば、些少な便宜の供与にとどまる場合もある。それらをひつくるめて、単に「助けた」というだけで長い日本在住に伴う権益を一律に剥奪することを許すものと解するのは明らかに不合理である。その「助け方」については、構成要件の上で隠され
た限定が加えられているものと解するのが合理的である。
 同条四号ルは、不法入国者と幇助者との間に親子、夫妻、兄弟姉妹などの関係がある場合に、幇助者に対して適用されないと解すべきである。刑法一〇五条、刑事特別法三条の二などは犯人蔵匿罪などについては親族間の特例をみとめ、免刑の規定を設けている。刑法二四四条は親族相盗の特例を定め、同条は詐欺罪、横領罪、賍物罪などの財産犯にひろく準用されている。親族間の情義を併う内部的事実に対して国権が譲歩し、法が干渉をひかえるという原則は、単に財産犯についてだけでなく、公益にも及んでいるのである。
この原則は古くローマ法以来のもので、諸外国にもあまねくその立法例をみるところである。刑事訴訟法一四七条、民事訴訟法二八〇条が一定の親族の不利益に帰する証言について拒絶権をもうけているのも同じ理由に基づくのである。この原則は、ひとつの条理として退去強制事由の解釈にあたつても適用されるものというべきである。
昭和二九年七月一四日、衆議院法務委員会、外国人の出入国に関する小委員会は、全会一致で「不法入国者取扱について」の決定を採択したが、そのなかで在留許可を与えるべき基準として、「現に日本に居住する夫婦、親子、兄弟姉妹等近親関係の一方が、他方を朝鮮、台湾から呼び寄せた場合」にその呼び寄せられた者に対して在留許可を与えるように要請した。
呼び寄せられた者についてさえ、右のように措置されることが望まれているのに、呼び寄せた者の方が退去強制される理由はない。
5 正義と人道に反しかつ裁量権を濫用した違法な処分
被告らの原告に対する本件各処分はいずれも著しく裁量を誤つた違法がある。
 自由裁量権の行使といえども法的拘束から全く自由なわけではなく、法律が行政庁に裁量を認めたその趣旨、目的や条理から裁量の許される範囲にはおのずから限界があるのであつて、行政庁がその裁量の範囲を逸脱したり、裁量権を濫用した場合には、違法の問題を生ずることは学説判例の一般に認めるところである。
 退去強制令書発付処分は、まず国際法や国内法に違反することが許されない。例えば政治犯罪人や政治的難民をその本国へ退去強制することは国際法に反するし、逃亡犯罪人引渡法二条に定める者を引渡請求国に引渡すこと(実質的な退去強制)は同法に違反するものである。
 その他法の趣旨、目的や条理に反する場合あるいは人道に反する等の事由がある場合には、右裁量は権利の濫用であつて違法たるを免れがたい。
 外国人の追放は慎重になすべきであつて、権利の濫用は許されない。
 外国人の追放は、A 公安上の危険から自国を守る場合等の極端な場合においてのみ、かつB 追放を受ける者を不必要に苦しめない様な方法でのみ行なわれるべきであつて、右要件に該当しない追放は権利の濫用である。
イ 国際法上外国人の入出国は、原則として国家の自由な規律に任されると言われてきた。しかし、国際慣行ならびに国際判例学説上は、多くの場合追放に関する国の主権的機能を行使の際の目的と具体的行使の態様の二点において考察し、一般国際法上認められている追放の制度が適正に適用されたか否かを判断し、それに反する追放を権利の濫用としてきた。
ロ 外国人が、その国(滞在国)で今までどおり生活できるか、追放されるかは、基本的人権に関する問題である。世界人権宣言第九条は「何人もほしいままに……追放されることはない」と宣言し、昭和二七年四月二八日発効の対日平和条約前文において、国は「……あらゆる場合に国際連合憲章の原則を尊守し世界人権宣言の目的を実現するために努力……」することを宣言したことが斟酌されるべきである。
ハ 昭和四一年一二月一六日、国連総会において国際人権規約が成立した。その市民的政治的諸権利に関する規約一三条には、外国人の追放は、国家の安全保障の必要がある場合の外、法律に基づく決定に準拠し、かつ適正な手続の下においてのみ行なうべき旨を規定する。
このことは、国の権利とされ、国の自由な規律にまかされていた外国人追放の権能に対し、右のような制限に服すべき国際法上の義務が課されたことを意味するものである。かくして、人権の保障は、今や国内管轄事項ではなくなり、国は、自国領域内に居住する者の人権を保障すべき国際法上の義務を負うに至つた。したがつて、右規約に言う「法律に基づく」決定も単に形式的な「法律」に定められているという意味ではなく、実質的にも追放することが真にやむを得ないと考えられる理由に該当する場合に限定されたというべきである。この意味で従来、国際慣行ないし国際上の判例とされていた外国人追放に際しての前記要件は法的効力を持つに至つたと解すべきである。
 原告の行為は、外国人追放が許容される場合の要件に該当しない。
イ 原告は、日本に適法に居住する外国人である。
原告は、前述したとおり、来日以来今日まで三十数年間、艱難辛苦の末今日の生活を築き上げたものである。ところで、原告が戦前来日した当時においては朝鮮は日本の植民地統治下にあり、したがつて原告を含む朝鮮人も「大日本帝国臣民として扱われていたことは周知のところである。それゆえ、原告の来日も法制的には「外国人としての入国」ではなく「自国内における居住の移転」と観念され、また「日本内地における居住」も「外国における在留」ではなかつたのである、在日朝鮮人について、日本政府が公式に外国人としての在留規制を打出したのは昭和二二年の旧外国人登録令以後であるが、他方においては、日本政府は、従来一貫して「在日朝鮮人が日本国籍を離脱したのはサンフランシスコ講和条約発効の日すなわち昭和二七年四月二八日である」との観点から前記法律第一二六号を制定し、在留資格と在留期間について格別の定めをするに至つた。
このように、原告が「外国人」になり日本での居住が「外国への在留」とされたのは全く日本政府の人為的な法律的操作に依るものである。この点日本政府の承認を得て日本に戦後入国する一般外国人とは根本的に「在留」の性質を異にする。したがつて、その既得居住権を事後的立法によつて奪うことは、さらに一段と慎重でなければならないことに特に留意すべきである。
ロA 原告の行為は、前述したとおり、韓国にいた実弟柳沢烈が日本における勉学を熱望していたが合法的に渡日する手段がなかつたのでやむなくその渡日を援助したというものである。したがつて、それは、利益を目的としたのではなく、肉身の情にまけて、唯一回その密航を援助したものにすぎない。
B 原告の右行為は、国の公安に害があるとか、国家の重大な利益を害するとかいうものでないことはいうまでもない。ちなみに、原告は多年日本の社会において平穏かつ善良な市民として生活してきたものである。
C 原告の右行為は、管理令二四条四号ルが予定する構成要件の定型には該当しないと解すべきこと前述のとおりであるが、形式的にはこれに該当するとしても、その違法性、反規範性は極めて軽微であつて、それによつて国家の重大な利益が害されるおそれはなかつた。前述した国際人権規約一三条の趣旨からみても軽微な事由に基づいて、外国人を追放することは許されないのである。とくに原告が一般外国人に比して特殊な地位および資格を有すること(前記イ)を考慮すればなおさらである。
 被告らの本件各処分は、原告の右行為に比して不当に苛酷であり、人道に反するものであつて、取消さるべきである。
 原告の行為は、すでに述べたとおり、単純かつ軽微な内容のものである。それに、反社会的利益を目的としたのではなく、また日本国の利益を害するような動機からでたものでもない。実弟の勉学の希望を叶えさせようとして、他に手段がないため、やむなく唯一回、その密航を援助しただけである。そして、本件行為のため、実弟は、すでに退去強制を受け、原告自身も刑事処分を受けているのである。
 しかるに本件各処分の結果、原告は次のごとき重大な、あるいは致命的な損害を蒙ることになる。
イ 原告が、渡日以来三十数年間に築き上げた一切の生活基盤をいつきよに失い、今後における原告一家の生存にも支障を来すことは明かである。
ロ 原告の妻は日本人である。したがつて、原告が追放された場合には、妻子との離別を余儀なくされるし、妻子が原告と同行すれば、妻と子の日本における居住権が侵害されることになる。
 わが憲法に定める国民の基本的人権の承認は、行政権の限界を定めるものである。管理令の作用は、その基礎を憲法の基本的原則におき、その適用においては、憲法の基本的人権を侵してはならない。わが国内にある外国人であつても、国内法上不当に不利益を受けない利益を有する。それは単に管理令に定められた外国人の権利を侵害されないというだけではなく、憲法上の基本的人権の一つである生存権を不当に侵されてはならないということである。特に原告のような特殊な経歴を有する外国人に対しては、日本人に準じた地位を保障すべきである。
 被告らの本件処分の目的は、不純な政治的動機に基づき、在日朝鮮人の正当な居住権を剥奪しようとするものであるから不当である。管理令二四条四号ルによる追放の前例は未だなく、本件各処分は、すでに述べた如く、同令の右条規の立法目的に反して敢て適用されたものである。
昭和四〇年暮、韓国の朴政権と日本政府が、国内外の世論の反対を押し切つて「日韓条約」を強行批准し、「在日朝鮮人の法的地位協定」を締結して以来、にわかに法律第一二六号該当者に対する無法な強制追放の策動が公然となつてきた。本件もその一例であるが、なかには、戦前から日本に居住し、親、兄弟、妻子と日本で共に生活している一在日朝鮮人青年に対し、たまたま自動車事故で相手が死亡し、一年六ケ月の禁錮に処せられたことを理由に、管理令二四条四号リを適用して退去強制処分がなされたという信じ難いほど残酷な「行政処分」がなされた(現在行政訴訟中。)このようなことは今まで全くなかつたことである。かくては、在日朝鮮人は一日として平穏な居住と安定した生活を営むによしなく、在日朝鮮人六〇万人の居住権はいま重大な脅威にさらされている。そして、本件処分は、「日韓条約」成立後、「日韓」親善を国が政策として強調している時に行なわれた。
原告は、その経歴で述べたごとく、在日朝鮮人総連合会函館支部委員長であり、「日韓」両国政府がかねて敵視政策を表明している朝鮮民主主義人民共和国の在外公民としての立場にある。被告らが、右のような時機に、前例のない本項を敢て、右のような立場にある原告に適用して本件処分をしたことは、原告を不当に差別待遇したものであり、著しく不公平かつ苛酷な処分というべきである。
 さらに、以上のような特殊な事情のある原告に対しては、管理令四九条三項の裁決処分がなされるに際し、被告法務大臣の裁量によつて同令五〇条に定める在留の特別許可が与えられるべき場合であつたにもかかわらず、同被告が右特別許可をしなかつたことは、同被告の右裁量権の濫用であり、ひいては同被告のした本件裁決処分を違法ならしめるものであつて取消しを免れない。
6 結論
よつて、被告らに対し、請求の趣旨記載のとおり本件各処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する被告らの認否および主張
(請求原因に対する被告らの認否)
1 原告が来日するに至つた経緯および来日後の生活居住関係の概要について
 (来日の経過)原告がその主張の日に、主張の地で出生したこと、両親の氏名が主張のとおりであることおよび主張の日に来日したことは認めるが、その余の事実は知らない。
 (来日してから終戦まで)原告が来日してから愛知県の瀬戸物工場で働き、昭和一五年から瀬戸物商をしていたことは認めるが、その余の事実は知らない。
 (終戦から今日まで)原告が名古屋のE株式会社の常務となつたこと、日本人Gと結婚(昭和四〇年九月六日婚姻届出)し、長女Hが出生したこと、新潟県三条市に一時居住していたこと、昭和二七年ころ旭川市でパチンコ店を開いたこと、翌年小樽に移りパチンコ店を開いたこと、小樽のパチンコ店が類焼し、上京したこと、秋田県にも一時住んだこと、昭和三四年に函館に移りI会館、J商会の商号でパチンコ店およびパチンコ機械販売業を経営し、札幌にも営業所を設け現在にいたつたこと、および在日朝鮮人総連合会函館支部役員となり、昭和三八年に同支部委員長となつたことは認めるが、その余の事実は知らない。
2 本件退去強制令書発付処分がなされるまでの経緯について
 原告の弟Kが昭和三九年高麗大学校文理大学文学部史学科を卒業したこと、同人より原告に対して手紙で来日の希望を訴えてきたこと、および原告が弟の本邦への不法入国の援助をしたことは認めるが、その余の事実は知らない。
 原告の弟の旅行の目的は知らない。その余の事実は認める。
3 昭和二七年法律第一二六号該当者に出入国管理令を適用した重大な誤りと本件各処分の違法性について
原告の法律上の主張は争う。
4 出入国管理令第二四条四号ルの解釈適用の誤りについて
昭和二九年七月一四日衆議院法務委員会外国人の出入国に関する小委員会において全会一致で「不法入国者取扱いについて」の決議がなされたこと、右決議に「在留許可緩和の基準」として原告主張のような事項があげられていることは認めるが、原告の法律上の主張は争う。
5 正義と人道に反しかつ裁量権を濫用した違法な処分について認める。
 市民的政治的諸権利に関する規約に原告主張の規定が存することは認めるが、それが法的効力を有することおよび原告の追放に関する国際慣行と国際判例学説についての主張は争う。
 なお、管理令二四条四号ル該当者に対して退去強制処分がなされた例は存在する。
(被告らの主張)
1 原告に対して出入国管理令二四条四号ルを適用したことに違法の瑕疵はない。
 原告の出入国管理令二四条四号ル該当の事実
昭和三八年ころから、当時韓国高麗大学校に在学中の原告の弟Kから原告に対して再三手紙で同大学卒業とともにわが国の大学に留学したいので尽力してほしい旨を訴えてきたので、原告は、在日韓国人留学生同盟等について調査したが、合法的に来日させる方法がなかつた。たまたま、昭和三九年四月ころ、同郷の出身で数年来の友人で同業者でもあるL(函館市在住)の弟M(釜山市在住)が韓国小型貿易船に乗り込み度々来日していることを聞きおよび、同人に依頼して弟Kを本邦に不法入国させることを思いつき、Lの協力を得て同年四月ころ神戸に来航したMと電話連絡を行ない、同人の船でKを本邦に不法入国させ、密航手数料二〇万円を神戸で支払う旨を約した。そして、Kに対しては、釜山のM宅に赴き、同人の指図・援助により本邦に不法入国すべき旨を手紙で指示した。Kは右指示に従い、Mの指図どおり同年九月上旬ころ韓国船第○○号に船員として浦項港から乗船し、下関港を経由同月九日神戸港に入港した。事前に連絡を受けた原告は、Lとともに神戸に出迎え、直ちに同船に同乗してきたLの兄Nおよび同船の責任者と目される船員とKの脱船逃亡の手はずについて打ち合せ、不法上陸の便宜を依頼するとともに口止料として現金五万円を支払い、関係当局への届出を遅らせるよう依頼し、同月一二日ころ入国審査官の上陸許可を受けないで、Kを本邦に上陸させ、同人の右犯行を容易ならしめてこれを幇助したものである。
なお、密航手数料については、Nより三〇万円に増額請求されたので一時支払いを保留し、帰函後Lを通じてNに送金した。
以上の原告の行為は、当初は弟Kからの要望に基づいたものであるとはいえ、いまだ必ずしも本邦に不法入国をしようとの確定的な意思をもつていなかつた同人に対して種々奔走して不法入国等の手はずを整え、その方法等を手紙で同人に指示して不法入国の決意を助長し、これを確定的ならしめ、さらに神戸港において種々不法上陸の方法について打合せをして同人を本邦に不法上陸させたものであつて、単にKの不法上陸を容易にし、これに協力したというよりは、その程度を超え、むしろ同人の不法入国又は不法上陸をあおり、そそのかしたものというべきである。少くとも原告の行為は、Kの不法上陸について些少な便宜の供与にとどまるものではなく、その不法上陸に不可欠な幇助にあたるものである。
 出入国管理令二四条四号ルは制限して解釈適用さるべきものではない。
 同号ルにいう「助けた者」は、不法入国の幇助を業とする者、またはこれに準ずる者に限られるべきではない。
原告は、同号ルにいう「助けた者」を不法入国幇助を業とするか、またはそれによつて利得をうることを目的とする者に制限して解すべきであると主張するが同号をかように制限したものと解すべき実定法上の根拠は存しない。すなわち、通常立法例によれば、一定の行為の反復を業とするものを規定する場合には「業」(例えば弁護士法七二条、医師法一七条、出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律二条七条)あるいは「業務」(例えば、出入国管理令二四条一項四号ヌ、司法書士法一九条、公認会計士法四七条の二)等明規するのが通例であつて、かかる明文の規定がないにもかかわらず、当然そのような構成要件がかくされているものと解すべきだとする原告の主張は、立法の用語例にも反した解釈といわねばならない。
さらに文理解釈のみならず実体的にみても同号ルを原告主張のように制限的に解すべき理由は存しない。出入国管理令二四条は退去強制事由を規定するものであるが、同条四号の各事由のうち、原告の分類するところに従えば、刑罰法令その他法令違反者(ヘないしル)は、出入国管理に対する危険性の強弱に応じてその基準を定めているのである。まずリ一般刑罰法令違反については一年をこえる実刑(ただしト少年法犯罪については長期三年をこえる実刑)、ヘ外国人登録令違反については禁錮以上の実刑、チ麻薬犯については有罪判決、ヌ売いん関係およびル不法入国のあおり、そそのかし、助けた者については有罪判決の要件をもはずしている。要するにその犯罪が、わが国の公共の利益の維持、治安の確保のため外国人の出入国及び在留を管理するという出入国管理行政の目的にてらして、の危険度が高まるに応じて基準を軽減して該当者を退去強制しうることとしているのである。しかして、不法入国等を教唆、助長するような行為は、出入国および在留の公正な管理の根本目的に反し、国家の重大な利益を害するものであるから、たとえ一回限りの行為であつてもかかる行為をなす者は、もはや本邦における在留を許すことができないと解すべきである。
そして不法入国等を教唆・助長する行為は、売いん関係法令違反に比してさらに出入国管理に対する危険性の強いものであるから、後者が業とする者に限つているからといつて、不法入国等を教唆・助長する行為についてもこれと同一に考えなければならない理由はない。
 同号ルにいう「助けた者」は不法入国者と親子、夫婦、兄弟姉妹などの関係のある者に対しても適用される。
私的自由処分の許されている財産関係の犯罪行為については、親族相盗例が適用されて法的制裁が行なわれていないけれども、この思想は、公益犯にまで当然に拡張されているわけではなく、わずかに犯人蔵匿罪について一定の身分関係者に特則を認めているにとどまる。その趣旨も「親族互ニ相扶ケ相憐ムハ人情ノ自然ニシテ斯ノ如キ場合デモ処罰スルハ酷ニ失スル嫌アル」ため例外的に認められたものであり、無制限のものではなく、右趣旨に則つた当然の制約を受け、右庇護の自由を認めることに対応して、同時に「何人モ他人ヲ教唆シテ犯罪ヲ実行セシムルコトヲ得サルハ言ヲ俟タサル所ナレハ縦令親族タル犯人ヲ庇護スル目的ニ出タリトスルモ他人ヲ教唆シテ犯人隠避ノ罪ヲ犯サシムルカ如キハ所謂庇護ノ濫用ニシテ法律ノ認ムル庇護ノ範囲ヲ逸脱シタルモノト謂ハサルヲ得サルニヨリ犯人隠避教唆ノ罪責ニ任セサルベカラサル」ものであるから(昭和八年一〇月一八日大審院判決、刑集一二巻一八二〇頁)既遂者の庇護にとどまることなく、あらたに何らかの犯罪を犯すについて教唆ないし幇助せんとする類型の行為は、いかに親族間におけるにせよ、もはや法の庇護の限りではなく、当然にその罪責に任ずべきである。いわんや本件のように出入国の公正な管理という国家利益を侵害する行為を誘発助長せんとする行為について、親族間なるが故の免責的特例を解釈上認める余地の全くないことは明らかである。
 昭和二七年法律第一二六号二条六項該当者に対しても出入国管理令は適用される。朝鮮人、台湾人は、昭和二七年法律第一二六号ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸命令の措置に関する法律二条六項にいう「日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力の発生の日において日本の国籍を離脱する者」として同日以後外国人(出入国管理令二条二号)となり、出入国管理令の対象となつたが、法律第一二六号は、戦前からの特殊事情を考慮して、わが国が降伏文書に調印した昭和二〇年九月二日以前から引き続き本邦に在留する者について出入国管理令二二条の二第一項の規定にかかわらず、同該当者については別に法律で定めるまでの当分の間は引き続き在留資格を有すること
なく本邦に在留することができることとしたのである(なお、同法律第一二六号二条六項にいう「法律」は現在までのところ制定されていない。)。このことは、右条項の規定自体から明かなように、あくまで出入国管理令二二条の二の特則たるにとどまり、同令全般の、まして二四条四号の適用を排除せんとする法意では全くありえない(もつとも在留期間および在留資格を前提とする同号イ、ロが適用される余地はない。)。
以上のことは、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定三条ならびに同協定の実施に伴う出入国管理特別法六条が法律第一二六号二条六項該当者に出入国管理令二四条が適用されることを当然の前提として退去強制の基準の緩和を定めていることからも明らかである。
したがつて、昭和二七年法律第一二六号二条六項該当者には出入国管理令は適用されない
との原告の主張は理由がない。
2 本件処分には裁量権の逸脱、濫用の瑕疵はない。
元来外国人の入国ならびに在留の許否は、国際慣習法または特別の条約が存しない限り当該国家の自由に決しうるところであつて、出入国管理令五〇条に基づき在留の特別許可を与えるかどうかは法務大臣の自由裁量に属するものである(最高裁判所昭和三四年一一月一〇日判決、民集一三巻一二号一四九三頁)。しかも右許可は、国際情勢、外交政策等をも考慮の上行政権の責任において決定さるべき恩恵的措置であり、裁量の範囲のきわめて広いものであつて法務大臣がその責任において裁量した結果については充分尊重されて然るべきものであり、被告法務大臣の本件裁決処分には原告主張のような違法は全くない。
そしてまた、被告法務大臣の右裁決がなされると、被告札幌入国管理事務所主任審査官は、これに従つて原告に対して退去強制令書を発付する以外裁量の余地はないのであるから、同被告の処分にも何らの違法はない。
なお、被告法務大臣は、原告の出入国管理令四九条一項に基づく異議の申出が同令施行規則三五条一ないし四号のいずれにも該当しないものであり、かつ原告が同令二四条四号ルに該当することが明らかなものであつたため右申出を理由がないとして棄却の裁決をしたが、右裁決にあたつては、同被告は、原告が同令五〇条一項各号の一に該当するかどうかについても考慮し、原告がそのいずれにも該当しないと判断したものである。
第三 証拠《省略》
理 由
一 原告は、大正九年三月一二日朝鮮で出生し、昭和八年五月一五日来日して以来今日まで日本に居住する在日朝鮮人であるところ、昭和四一年一一月七日札幌入国管理事務所入国審査官から実弟の不法入国を助けた行為が出入国管理令(以下、管理令という)。二四条四号ルに該当するとの認定を受け、直ちに口頭審理の請求をしたが特別審理官により右認定に誤りがないとの判定を受け、さらに同日被告法務大臣に対して異議の申出をしたが、昭和四二年三月三日、同大臣は、異議を棄却する旨の裁決をし、同月七日、被告主任審査官より原告に対し、退去強制令書が発付されたことは、いずれも当事者間に争いがない。
二 原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者である原告には管理令の適用がないこと(請求原因第3項)および同令二四条四号ルの解釈適用に誤りがあること(同第4項)を理由として本件裁決および本件令書発付処分の違法を主張する。
ところで、本件裁決の性質を考えてみるに、管理令四七条ないし四九条によれば、法務大臣は、特別審理官の判定に対する異議につき、第一次的には原処分である「特別審理官によつて誤りがないと判定されたことによつて維持された入国審査官の認定」の当否を審査し、これにつき裁決すべきものであるが、それのみでなく、同令五〇条および同令施行規則三五条によれば、法務大臣は、裁決にあたり、異議の申出が理由がないと認める場合でも、一定の要件が存するときは、容疑者に特別在留の許可をすることができるのであるから、異議を棄却する裁決は、原処分を相当とするとの判断に基づいて異議を排斥する処分であるばかりでなく、右特別在留許可をすべき場合にも該当しないとしてその許可を付与しない処分としての性質をも有するものというべきである。したがつて、右裁決は、原処分である入国審査官の認定との関聯においては、行政事件訴訟法一〇条二項にいう審査請求を棄却した裁決にほかならず、しかも、右認定に対しては、抗告訴訟の提起を禁じた別段の規定は存しないから、かかる裁決に対しては、同条項により、右入国審査
官の認定の違法を理由としてその取消しを求めることができないものというべきである。
しかし、請求原因第3項および第4項の各事由は、いずれも本件裁決に対する原処分である入国審査官の認定を違法とする事由にほかならないから、かかる理由をもつて本件裁決の取消しを求めることは、結局原処分の違法を理由として本件裁決を攻撃するものであつて、右条項により許されないものであることがあきらかである。
しかしながら、管理令五〇条にいう特別在留の許可をすることは、法務大臣にのみ認められた固有の権限であるから、右の許否に関する点につき瑕疵を主張して裁決の取消しを求めることは行政事件訴訟法一〇条二項の禁止にふれるものではなく、法務大臣が在留を特別に許可しなかつたことにつき何らかの違法が認められる場合には、右の許可を与えることなく異議申出を棄却した裁決は違法として取消しを免れないものである。
さらに、管理令四九条五項によると、法務大臣に対する異議の申出を理由なしとする裁決があつたときは、主任審査官はすみやかに退去強制令書を発付しなければならないものとされ、主任審査官はこれを発付するかどうかにつき裁量の自由を有しないと解されるから、法務大臣の右裁決が違法と認められれば、これに基づいてなされた右令書発付処分もまた当然に違法なものというべきである。
また、管理令二四条に該当する場合ではないのに、入国審査官においてこれに該当するとの認定をしたときは、その違法はこれを是認する特別審理官の判定、さらにこれに対する異議を棄却する法務大臣の裁決にも及びひいては一連の手続の最終段階においてなされる退去強制令書発付処分(同処分においては、先行処分たる法務大臣の裁決の当不当を判断する余地のないことは前記のとおりである。)もまたその違法を承継し、瑕疵のある処分といわざるを得ないのであり、しかも右の点を理由として右令書発付処分の取消しを求めることは、前記行政事件訴訟法一〇条二項による禁止に触れるものではないと解すべきである。
以上の次第であるから、請求原因第3項および第4項の主張は、本件裁決に関する違法事由としては判断のかぎりでないが、本件令書発付処分に関しては右主張を妨げられるものではないから、まず右主張の当否について判断する。
1 昭和二七年法律第一二六号該当者に管理令が適用されるかどうかについて
昭和二七年法律第一二六号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外務省関係諸法令の措置に関する法律」は、その二条六項において「日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二〇年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二〇年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。」と規定するところ、原告は、前記認定のとおり、戦前から今日まで引き続いて日本に居住している朝鮮人であるから、右条項に該当する者であることが明らかである。
しかして、右条項は、在留資格と在留期間を在留の要件とする管理令の基本原則(同令四条、一九条参照)に対し、暫定措置としてではあるがその例外をなすものであるが、その文言自体からして日本国籍離脱者等に離脱等の日から六〇日間に限り在留資格なしに在留を認める同令二二条の二第一項の特則であるにすぎないことが明らかであつて、これを同令全体の特別法たる性格をもつものと解すべき特段の根拠はなく、また、右条項該当者には同令二四条の適用が排除されると解する余地もないといわざるをえない。このことは、昭和四〇年に発効した「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(いわゆる日韓条約)に伴い成立した「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」がその五条において「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、出入国及び居住を含むすべての事項に関し、この協定で特に定める場合を除くほか、すべての外国人に同様に適用される日本国の法令の適用を受けることが確認される。」旨規定して永住許可を受けた大韓民国国民にも出入国管理令が適用されることを確認したうえ、その三条において「第一条の規定に従い日本国で永住することを許可されている大韓民国国民は、この協定の効力発生の日以後の行為により次のいずれかに該当することとなつた場合を除くほか、日本国からの退去を強制されない。」旨規定して退去強制事由を管理令二四条四号のそれよりも狭め、また、昭和四〇年法律第一四六号「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法」もその七条において「第一条の許可を受けている者の出入国及び在留については、この法律に特別の規定があるもののほか、出入国管理令による。」とし、その六条において右協定三条と同様の規定をおき、右協定一条および右特別法一条に定める永住許可を受けた者についても、退去強制処分が発せられうることを前提として退去強制事由を管理令二四条のそれよりも限定していることからも明らかである。
この点に関し、原告は、同令が適用されないとの主張の根拠として、在日朝鮮人の地位、生活等に関する歴史的諸事情およびその居住権等につきるる主張するが、戦前から終戦時にかけて在日朝鮮人がおかれた特殊な地位に着目すれば、戦後外国人となつたこれらの在日朝鮮人の法的地位は一般外国人の場合とは必ずしも同一に論じられない面があることは否定できないとしても、原告主張の事実から直ちに、日韓条約によつて日本国が承認した大韓民国の国民であつて前記昭和二七年法律第一二六号に該当する在日朝鮮人についても右にみたとおり退去強制がなされる場合があるとされていることとの撞着を度外視し、右法律第一二六号二条六項の文理を排して、右法律の適用を受ける者に対しては管理令の適用がなく、およそ退去強制をすることができないものと解することは到底できないといわなければならない。
2 管理令二四条四号ルの解釈適用に誤りがあるか否かについて
原告は、まず第一に、同令二四条四号ルにいう不法入国を「助けた者」とは不法入国の幇助を業とするものまたはこれに準ずる程度に出入国管理行政に害を及ぼす危険性の高度のものを指すと主張するが、一般に、一定の行為の反復継続を要件とする場合は、「業」あるいは「業務」等の文言によりこれを表現するのが法文における通常の用法であるところ、同号ルにはそのような文言がないから、その文理からみて原告主張のようには解し難いのみならず、同号のイからヨまでの各退去強制事由、ことにルと同種の刑罰法令その他の法令違反者を対象としたヘからヌまでの各事由との比較においても、ルは、不法入国等を教唆または幇助する行為を出入国管理の根本目的に反する行為としてとくに重視し、有罪判決を受けたこと等の要件を設けずにこれを退去強制事由としたものであつて、原告主張のように一定の態様のもののみに限定したも
のとは解されないから、原告の右主張は採用することができない。
次に、原告は、同号ルは不法入国者と幇助者との間に親子、夫婦、兄弟姉妹等の親族関係がある場合には、その適用を除外されると主張するが、これも同号ルの文理からも実質的な観点からも採ることができない。すなわち、原告の指摘する犯人蔵匿罪に関する刑法一〇五条、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法三条二項、財産犯に関する刑法二四四条等および証言拒絶権に関する刑事訴訟法一四七条、民事訴訟法二八〇条などの各規定は、いずれも親族間の人情に着眼し、当該犯罪の保護法益、態様等との関聯において、立法政策上刑の免除ないし軽減等の利益を与えるのを相当とする場合につき特に設けられた例外的な規定であるから、このような効果は原則として明文のある場合にのみ認められると解すべきところ、管理令二四条四号ルについては右のような格別の規定はなく、また、原告主張のよ
うな親族関係がある場合に、右規定の適用を排除しなければ著しく親族間の情誼を軽視し、ないしは、前記各明文の存する場合との権衡を失するということもできないからである。
しかして、成立に争いのない甲第六三ないし六五号証、乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし三、第四号証および原告本人尋問の結果によれば、原告は、朝鮮在住の実弟Kの渡日の希望を実現させるため、昭和三九年初めころ、その方法につき、原告の友人Lに相談したところ、同人から同人の弟で、日頃日韓を往復しているMを紹介され、同年四月ころ、同人に対し、自己において経費を負担するとの約束をしたうえKを船によつて渡日させることにつき一切を任せ、同時にKに対しそのことを知らせたこと、KがLの兄Nとともに韓国船第○○号に船員として乗船し、同年九月九日神戸港に着いたので、原告は、これを出迎え、入国審査官の上陸許可を受けないで同人を脱船上陸させたこと、同人は、有効な旅券または乗員手帳を所持せずに不法に日本に入国したものであり、原告はこれを知りながら右のように同人を上陸させたこと、以上の事実を認めることができ、右事実によれば、原告の右行為が管理令二四条四号ルに該当することは明らかである。
3 以上のとおりであつて、原告は、昭和二七年法律第一二六号該当者であるけれども、これに管理令二四条を適用したことにつき原告主張のような違法はなく、また、同条四号ルの解釈適用にもその主張のような違法はないのであるから、本件令書発付処分が右各主張のごとき理由によつて違法な処分であると目することはできない。
三 そこで次に、管理令五〇条にいう特別在留許可を与えなかつた被告法務大臣の判断が違法なものであるか否かについて判断する。
1 原告の生いたちと本件令書発付処分がなされるまでの経緯
前記甲第六三ないし六五号証、乙第一号証の一、二、第二号証の一ないし六、第三号証の一ないし三、第四号証および証人Oの証言ならびに原告本人尋問の結果によると、以下の事実を認めることができる。
 原告は、大正九年三月一二日、朝鮮慶尚南道山清郡新安面新安里で出生し、八歳のとき地元の丹城公立普通学校(六年制小学校)に入学した。ところが当時の朝鮮における小学校教育は義務教育ではなく、貧しい小作農家であつた原告の実家は、その授業料の支払もままならない有様であつた。このため、原告の父は、朝鮮における生活に見切りをつけて単身で渡日した。原告は、右のような状況のもとで六年間の課程を終了したとき、朝鮮においてさらに上級の学校に入ることはとうていできないものと思い、日本にいる父のもとで中学校に入ることを期待して昭和八年五月一五日渡日した。
しかし日本における父の生活も極めて貧しく、原告は中学校入学の希望を実現できないままやむなく愛知県瀬戸市の瀬戸物工場で働くようになつたが、朝鮮人であるため日本人に比べて賃金が低く、長時間の重労働に耐えなければならなかつた。その間においても、原告は、官吏になる希望を抱いて約三年間普通文官試験受験のための通信教育を受けたが、やがて朝鮮人が日本で生きる道は商売しかないと思うようになり、三、四ケ所瀬戸物工場を転転した後独立して瀬戸物の行商や卸問屋を始め、生活もいくらか向上した。そして、しばらくは父および原告の後を追つて渡日した原告の母、妹および祖母さらにその後日本で出生した弟K(通称K’、以下Kという。)とともに家族一緒に生活したが、やがて太平洋戦争が激しくなり、原告の家族は、昭和一九年に一家をあげて朝鮮に帰郷した。しかし、原告は、その前年に名古屋市の軍需工場に徴用されていたため帰郷することができず、一人日本に残つて終戦まで同工場で労働に従事した。
太平洋戦争の終結とともに徴用を解かれた原告は、同市において、友人と共同で建設会社および碍子等を製造する会社を設立したところ、当初両会社の営業は順調であつた。そして、昭和二四年には日本人であるGと結婚した。ところが、まもなく右二つの会社が倒産したため、原告は、妻の実家を頼つて新潟県三条市へ行き、知人の経営するパチンコ屋の手伝をするようになつた。しかし、ここでの生活は長続きせず、原告は妻とともに茨城県笠間、千葉県茂原等を転転とした後、昭和二七年ころ旭川市に移り住んだ。同市では、パチンコ屋を開き、営業は順調であつたが、やがて家主から営業を譲つてほしいといわれたので、原告は、
これに応じて、昭和二八年ころ旭川を去つて小樽に移り住んだ。原告は、小樽においてもパチンコ屋を開いたところ、経営は順調に進み、そのころGとの間に長女Hが生れ、親子三人の生活が約三年間続いたが、昭和三一年火災に遭つて店の大半を焼失したため、小樽を去つた。次いで、原告は、知人を頼つて東京都墨田区や秋田県横手市等を転転とした後、ようやく昭和三四年八月ころに現在の住所である函館市に落ち着き、約一〇年間にわたる流浪の生活に終りを告げた。そして同市において、原告は、パチンコ屋の経営のほかにパチンコ機械の販売をはじめるようになつたが、同年一〇月には在日朝鮮人総連合会函館支部に入り、昭和三八年には同支部委員長となつた。そして、同会の仕事が忙しくなるにつれて、パチンコ屋
の経営を事実上妻に任せ、パチンコ機械の販売業も中止して現在に至つた。
なお、原告は、日本の敗戦によつて日本人としての地位を離脱し、旧外国人登録令の適用を受ける外国人となつたため、昭和二二年ころ外国人登録証明書の交付を受けたが、日本国との平和条約が発効した昭和二七年四月二八日以降本件令書発付処分がなされるまでの間(なお、右処分に関しては、札幌地方裁判所昭和四二年(行ク)第四号退去強制処分執行停止申立事件につき、同年七月一六日執行停止決定がなされている。)、前記昭和二七年法律第一二六号二条六項に基づいて日本における在留を許されていたものである。
 原告は、昭和三八年の暮に朝鮮に居住するKから学者になるため日本に留学したいとの希望を述べた手紙を受けとつた。Kは、昭和一三年に瀬戸市で出生し、前記のとおり同市で原告およびその家族と同居していたが、昭和一九年に原告の父母、妹および祖母とともに朝鮮に帰国した。そして、のち京城の高麗大学史学科を卒業し、日本の大学で勉強する希望を強く抱いていた。そこで、原告は、Kを来日させる方法について検討したところ、その当時日本と朝鮮との間に国交が樹立されていなかつたために合法的にKを渡日させる方法がないことを知り、その旨を同人に伝えた。しかし、その後も同人からはたびたび同趣旨の手紙が届いたので、原告は、同人の来日の希望を何とか実現させようと思案していたところ、たまたま、昭和三九年初めころ、原告の友人で同業者であるL(函館市在住)と会つてKの渡日方法について相談をしたとき、Lから、同人の弟Mが貿易船で日本と朝鮮との間を往復しているので、これを利用すればKを渡日させることができるかもしれない旨告げられ、さらに同年四月ころ、Mから電話でKを日本に上陸させる方法はあるが費用として二〇万円ほどかかる旨連絡を受けた。そこで、原告は、Kの上陸を不法入国により実現させることも止むを得ないと考え、Mに対し、Kの渡日を援助してくれるように依頼するとともに、費用は必ず支払う
旨告げ、他方、Kに対してはMを紹介する手紙を書いた。その後MやKから別段の連絡はなかつたが、同年九月上旬になつて突然Kから下関に到着したとの電話を受けたので、原告は直ちに函館を発つて、同月九日、神戸港に入港した船に乗つていた同人を出迎えた。
原告は、Kを乗船させてきたLの兄Nらから、Kが韓国船第○○号に船員として渡航してきたものであることを聞き知り、船員たちに対し、Kの入国が外部に漏れないように堅く口止めをしたうえ、入国審査官の上陸許可を受けないで同人を脱船上陸させ、直ちに同人を連れて函館に帰り、自宅に同人をかくまつた。そして、原告は、手数料としてNから要求された三〇万円を帰函後Lを通じてNに送金した。
原告は、一時は、早い時期にKの密入国を自首させることを考えたが、同人が北海道大学の大学院に入る等の素地を造つたうえで自首させる方が何らかの形で一時在留を認められる公算が大きいのではないかと期待し、同人が同大学院に入るまではできるだけ同人が人目に触れないようにとりはからい、同人を函館から札幌へ移住させる等して同人をかくまつていたところ、昭和四一年三月、同人が同大学院の入学試験に合格したのでようやく同人を自首させる気持になつた。ところが、同年四月初め、同人は、たまたま危篤状態にあつた原告のおじの病気見舞を兼ねて関西方面に旅行に出かけたところ、神戸の浜坂海岸において管理令違反の容疑で逮捕された。
原告は、同月一七日、商用で函館から東京へ向つたところ、羽田空港において逮捕され、その場でKがすでに逮捕されていることをはじめて聞いた。
原告は、直ちに羽田から神戸に護送され、弁護人の選任も思うにまかせないまま犯人蔵匿罪の容疑で一三日間身柄を拘束された後、同月二九日、管理令違反の幇助罪で罰金五万円の略式命令を受け、同日釈放された。
原告は、右の刑の確定によつて前記行為に関する制裁措置はすべて終了したと思つていたところ、同年五月九日、神戸入国管理事務所の収容所に抑留中のKに面会した際、同事務所において管理令二四条四号ル該当の疑いで取調べを受けた。その後、函館および札幌の各入国管理事務所において再三にわたり取調べがなされた結果、前記認定のとおりの経緯で本件裁決および本件令書発付処分がなされるにいたつた。
なお、Kは、逮捕されてから約一年数ケ月間収容された後国外へ追放され、現在は朝鮮民主主義人民共和国において新聞記者をしている。
以上の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。
2 裁量権の逸脱ないし濫用の有無
管理令四九条に基づく異議を棄却する旨の法務大臣の裁決は、同令五〇条に定める在留の特別許可をしない旨の処分でもあつて、これを許可しないことにつき何らかの違法が存する場合には、裁決は違法たるを免れないものであり、右の瑕疵を理由として裁決の取消しを求めることが行政事件訴訟法一〇条二項の禁止にふれるものでないことは、いずれも前述のとおりである。そして、管理令五〇条によれば、法務大臣は、当該容疑者が永住許可を受けているとき、かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき、その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるときのいずれかに該当するときは、その在留を特別に許可することができるものとされているのであつて、右規定の体裁自体からみても、また、他には右特別許可を与える場合の基準ないし要件を定めた規定が存しないことからしても、右特別許可を与えるかどうかは、法務大臣の自由な裁量に委ねられているものと解される。しかし、その裁量も全く無制限なものではなく、それが著しく人道に反するとか、甚しく正義の観念にもとるというような例外的な場合には、日本国憲法前文および一三条の趣旨に鑑み、裁量権の逸脱ないし濫用があつたものとして取消しの対象となるものといわなければならない。
これを本件についてみると、前記認定事実からすれば、原告は、もと日本の国籍を有し、朝鮮で小学校を卒業して間もない昭和八年に生活の手段を求めて、先に来日していた父の後を追つて来日し、爾来今日まで約四〇年もの長い間本邦に居住し、日本人と結婚してその間に一子をもうけ、戦前、戦争中および戦後を通じて日本の社会に融合し、自己の労働と能力によつて一家の生計を維持し、営営として今日の生活を築きあげてきたものであること、一方、原告がその実弟の不法入国を助けた行為が前記のとおり管理令二四条四号ルに該当するものであることは否定できないが、本件令書発付処分に先だち、原告の受けた前記管理令七〇条違反の幇助罪の刑罰は五万円の罰金であつて、これは、右犯罪につき、その法定刑として最高三年までの懲役または禁錮刑が選択刑として規定されていることからみて必ずしも重い処罰を受けたものと
はいえず(同令七〇条一号、三条、刑法六三条参照)、むしろ、裁判所において管理令七〇条違反の罪としては比較的軽いものと評価されたことがこれによつて窺われること、また、原告の行為は、妻子等本来同居すべき家族の一員を呼び寄せた場合と異なるけれども、実弟の勉学の希望をかなえてやりたいという肉親の情から出たものであつて、営利目的や国益を害する目的から行なわれたものではなく、その幇助行為の態様も必ずしも悪質なものとはいえないこと、さらに、原告は渡日以来約四〇年もの間平穏に善良な市民として生活してきたものであつて、駐車違反等の軽微な法規違反行為が数回あつたほかは前科や非行歴も全くなく(これは前記乙第一号証の二および原告本人尋問の結果により認められる。)原告を従前どおり日本に居住させることにより、国益に害を与えるおそれがあるものとは認め難いこと、他方、本件令書発付
処分により原告が国外に追放されると、渡日以来約四〇年にわたつて築きあげた原告の生活基盤が失なわれ、さらに、日本人である原告の妻との別居を余儀なくされることも考えられ、妻子の生存にも重大な影響を与えること、以上のように考察される。
右のような諸般の事情を考慮すれば、原告の右管理令違反行為に対して退去強制処分をもつてのぞむことは、原告の右違反行為によつて侵犯された法益が甚しく重大なものではなく、また今後、原告によつて同種の行為が反復されるおそれがあるわけではないのに比し、原告に対しては、長期間にわたつて築き上げた日本における安定した生活をいつきよに奪うものであつて、極めて苛酷な措置であり、甚しく正義の観念にもとり、人道にも反するものといわざるをえないから、ひつきよう、原告に対し管理令五〇条にいう特別在留許可を与えなかつた被告法務大臣の処分(裁決)には、その裁量の範囲を逸脱し、ないしは裁量権を濫用した違法があるものといわなければならない。
四 結論
以上によれば、被告法務大臣が原告に対し、特別在留許可を与えることなく異議の申出を棄却した本件裁決は、その裁量の逸脱ないし濫用があるものとして取消しを免れず、また、右裁決に基づいてなされた被告主任審査官の本件令書発付処分も、前記のとおり右裁決の瑕疵を承継して違法であるからこれまた取消しを免れない。
よつて、右裁決および処分の各取消しを求める原告の本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

損害賠償請求事件
昭和45年(ワ)第5739号
原告:A、被告:国
東京地方裁判所
昭和49年7月15日

判決
主 文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第一 申立
一 原告
1 被告は原告に対し、金九六万円およびこれに対する昭和四五年六月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 第1項につき、仮執行宣言。
二 被告
1 主文同旨
2 仮執行免脱宣言。
第二 主張
(請求原因)
一 事実経過
1 原告はアメリカ合衆国の国籍を有する外国人であるが、昭和四四年九月四日、日本において英語会話教師として稼働する目的をもつて沖縄から客船「とうきよう」丸で来日し、東京港内の同船上で入国(旅行)目的を「TO TEACH」と記載して上陸の申請をしたところ、入国審査官Bは同日同船上で右申請につき審査した結果、原告が日本における雇傭関係を証する資料として提示したC学院(以下、C学院という。)、D株式会社との間の各雇傭契約書の記載に疑義があり、申請にかかる在留資格が虚偽のものでないことが認められないとして出入国管理令(以下、単に令という。)七条一項二号に規定する上陸のための条件に適合していないと認定し、原告を特別審理官Eに引渡した。
2 同特別審理官は同月四、五日の両日に亘つて同船上で口頭審理を行い、D株式会社、F美術連盟およびC学院の責任者の出頭を求めて証人尋問をしたうえ、申請にかかる在留資格が虚偽のものでないことが認められたとして、令七条一項二号所定の上陸のための条件に適合しているものと認定し、令一〇条六項により原告の所持する旅券に在留資格四―一―一六―三(令四条一項一六号、昭和二七年外務省令一四号「特定の在留資格及び在留期間を定める省令」一項三号に該当する者として法務大臣が特に在留を認める者としての在留資格をいう。以下同じ)、在留期間一八〇日の上陸許可の証印をしようとしたが、原告は右一八〇日の期間を不服としてこれを拒絶した。
3 東京入国管理事務所審査第二課長Gは、同月六日、同船上で原告と在留期間について話合いをしたが、同日午前一一時頃、話合いを打切り下船した。
4 そこで、原告らは友人らと共にバスターミナルへ向つたところ、入国警備官は原告が令二四条二号の上陸許可の証印を受けないで上陸した者に明らかに該当し、かつ収容令書の発布をまつていては逃亡のおそれがあると信ずるに足りる相当の理由がある場合にあたるとし、同月六日午後零時四〇分、令四三条により原告を要急収容し、その理由を主任審査官に報告し、収容令書の発布を請求した。主任審査官Hは右要急収容を是認して収容令書を発布した。入国審査官は同月八日、違反調査をした入国警備官から原告の引渡を受け、同月一一日に審査を行い、原告が令二四条二号に該当すると認定し、その旨原告に告知した。原告は同月一二日特別審査官に対し口頭審理の請求をし、特別審理官Iは同月一七日原告に対し口頭審理を行つた結果、入国審査官の前記認定には誤りがないと判定し、その旨原告に告知した。原告は同日、右判定について法務大臣に対し異議の申出を行つたところ、法務大臣は同年一〇月九日異議申出は理由がない旨裁決し、その旨主任審査官に告知し、主任審査官Hは同月一四日原告に対し前記裁決を告知するとともに退去強制令書を発布した。入国警備官は、同日後記のとおり仮放免されていた原告に対し退去強制令書を執行し、収容した。
5 外務大臣は、同月一四日右退去強制令書の発布に伴つて、原告の旅券に付与された昭和四三年二月六日在パリ日本大使館発行の四八か月数次有効の特定査証を取消した。 
6 原告は前記要急収容により収容されて以来、同年九月一七日から法務大臣の前記裁決告知のあつた同年一〇月一四日までの間および同月一五、一六日の両日、仮放免を許されたほかは横浜入国者収容所等に収容されていたのであるが、同月一六日退去強制令書発布処分取消請求訴訟を東京地方裁判所に提起するとともに右令書の執行停止の申立をしたところ、同月一八日右退去強制令書の執行を国外送還の部分に限り停止する旨の決定がなされ、同年一一月一八日決定は確定した。また、原告は同年一〇月二三日外務大臣を被告として査証取消処分取消請求の訴を東京地方裁判所に提起したのであるが、同年一一月二五日主任審査官に対し令五二条四項の自費出国の許可と同五四条一項の仮放免の許可を求めたところ、主任審査官は東京地方裁判所から前記執行停止決定の取消決定を得たうえで同月二八日仮放免を、同年一二月一日自費出国をそれぞれ許可した。そこで原告は同月七日アメリカ合衆国へ向けて自費出国し、なお、その後昭和四五年七月前記査証取消処分取消請求訴訟を取下げた。
二、三、四《省略》
(請求原因に対する認否)《省略》
(被告の主張)《省略》
第三 証拠関係《省略》

理 由
一 原告が退去強制令書の発布を受け出国するまでの経緯
1 請求原因一については当事者間に争いがない。
2 右争いのない事実と《証拠略》および弁論の全趣旨を総合すると右1において示した事実のうち、原告が要急収容されるに至るまでの経緯の具体的な事実関係は次のとおり認めることができる。
 原告はアメリカ合衆国の国籍を有する外国人であるが、昭和四三年二月六日在パリ日本大使館から、その所持する旅券に東京所在のC学院において英語会話教師として稼働し日本に滞在することを目的とする申請に基づく四八か月数次有効の特定査証(予定滞在期間一年)の発給を受け、同年四月一九日に来日し、横浜港において入国(旅行)目的を「TO TEACH」とし、C学院との間の雇傭契約書を提示して上陸のための審査を受けた結果、在留資格四―一―一六―三を有する者と認定され、在留期間一年の上陸許可の証印を受けて上陸し、その後はC学院、J大学などにおいて英語会話教師をし、昭和四四年四月二八日在留期間の更新(一年)手続をし、引き続き在留していた。
 原告は右滞在の間に「外国人べ平連」に所属し、ベトナム戦争反対の集会等に参加したりなどしていたが、昭和四四年六月一二日、米国人Kらとともに長崎港からヨツト「フエニツクス」号で中国大陸に向けて出国したところ同月二〇日頃、中国大陸沿岸海上において中華人民共和国官憲から入国を拒絶されたため、同月二四日長崎港に帰港し、翌二五日、入国(旅行)目的を「TO TEACH」と記載して上陸の申請をした。
 ところで、原告は中国に赴くにあたり、帰国時期が不明であつたため、C学院との間において、雇傭関係を一旦終了させたうえ、後日再来日したときには再雇傭を考慮する旨互いに了承し合つていたところ、法務省入国管理当局は、右の情報を入手し、右事実関係のもとでは在留資格四―一―一六―三の実体が消滅したことになるとし、再来日、上陸の申請の際には、調査を充分に行わせる趣旨で、同年六月頃原告を「査証要経伺」として取扱うべきことを決定し、その旨関係方面に指示していた。そこで、原告の長崎港における前記上陸申請に対して入国審査官は右の指示に基づいて、在留資格の実体を重点として審査した結果、原告はC学院との雇傭関係を立証することができなかつたため令七条一項二号所定の上陸のための条件に適合していないものと認め、前同日特別審理官に引渡し、特別審理官は、同日、原告に対し口頭審理を行つた結果、同一の認定に達し、その旨原告に告知した。原告は、同月二六日右認定につき法務大臣に対し異議の申出を行つたところ、法務大臣は同年七月二日、出国準備として原告に対し令一二条の上陸特別許可(在留資格四―一―一六―三、在留期間六〇日)を与える旨の裁決をしたので、原告は上陸許可の証印を受けて上陸した。しかして、原告は、その後在留資格の実体を回復するため、C学院との間において再雇傭契約を結んだほか、D株式会社等との間においても英語会話教師として稼働する旨の雇傭契約あるいはその予約を締結し、再び来日して、上陸許可を新たに取得すべく、同年八月三〇日、東京港から出国の証印を受けたうえ、当時アメリカ合衆国の施政権下にあつた沖縄に向けて出国した。
 次いで、原告は同年九月四日、客船「とうきよう」丸で沖縄から来日し、東京港晴海埠頭に接岸した同船上において入国(旅行)目的を「TO TEACH」、予定滞在期間を一年として上陸の申請をした。右申請に対し、前記入国審査官は、原告が前示のとおり「査証要経伺」の取扱を受けているものであつたところから、特に前示の在留資格の実体の存否に留意して審査にあたり、原告が日本における雇傭関係を証する資料として提示した雇傭契約書のうち、C学院との間のものは、同年八月一八日付で、雇傭期間も同月二九日から同年九月一九日までの極めて短期間のものであり、C学院と原告との雇傭関係は原告の中国行き計画とともに終了しているとの前示のような情報からみて、右契約書のみでは記載内容の真実性の立証が不充分であると判断し、また、D株式会社との間のものは、原告に対して発給された査証の前提となつた雇傭関係とは別のものであるのみならず、作成日付が同年八月二九日であるのに雇傭期間は同年一〇月一日から一年とされていたことから、同様、右記載を信用するには足りないと考え、申請にかかる在留資格(「TOTEACH」)が虚偽のものでないと認めるには不充分であつて、令七条一項二号に規定する上陸のための条件に適合していると認定するに足りず、更に慎重に審査する必要があるものと認めて、原告を特別審理官に引渡した。
前記特別審理官は、同日同船上で口頭審理を開始し、原告が在留資格四―一―一六―三(「TOTEACH」)に適合した活動を行うかどうか調査するため、従前の在日中の諸活動について、その政治的活動をも含めて質問し、また、原告が提示した前記C学院およびD株式会社との契約の疑問点を質し、原告が他の雇傭先として付加したF美術連盟を含め、その責任者を翌日証人として尋問して真偽を確認することにして当日の手続を打切つた。なお、同特別審理官(同特別審理官は主任審査官にも指定されている。)は、上陸許可の証印ないし仮上陸の許可がないかぎり上陸することは許されない関係上、原告に便宜を与えるため、審査手続の間仮上陸の許可を与え、審理は東京入国管理事務所において行う用意がある旨告げたが、原告が右許可に伴う稼働禁止の条件を受け容れることができないというので、結局右許可を与えるに至らなかつた。
同特別審理官は翌五日、船上口頭審理を続行し、令一〇条五項に基づき、職権でD株式会社、F美術連盟およびC学院の責任者を証人として喚問し、原告との雇傭契約の成立の有無および契約内容について尋問したところ、C学院との雇傭契約は、原告の中国行き計画に伴い、一旦終了したが、その後、原告の懇請により、前示契約書どおりに短期間のものとして締結したこと、またF美術連盟、D株式会社との間においても雇傭契約はいずれも締結されており、雇傭期間は前者について六か月、後者について一年であるが、D株式会社との雇傭関係は同年一〇月一日から開始するものであることをそれぞれ確認し、以上の口頭審理の結果に基づき、原告の申請にかかる在留資格が虚偽のものでないことは認められたが、在留期間については申請および査証に記されている一年としてはこれを認めることができず、一八〇日しか与えられないとし、右の趣旨で上陸許可の証印をする旨告げた。原告はこれに対し、前回来日したときには申請および査証のとおりの一年の在留期間をもつて上陸許可が与えられているのに、今回一八〇日の在留期間をもつてしか上陸許可がなされないということは従来の在留中の政治活動を理由とする違法な差別待遇であつて認めるわけにはゆかないとして、右許可の証印のために旅券を提示するのを拒絶し、申請のとおり一年の在留期間を認めることを要求し、もし、要求が認められないのであれば、一旦沖縄に戻り、外交的手段に訴えて抗議するつもりである旨述べたが、同特別審理官は右要求を容れず、在留期間については一八〇日が当局としての最終的判断であり、後日、在留期間を更新するという方法も残されているのであるから、右許可を受けいれるか否かよく考慮するよう告げて、審査手続を終了した。
 東京入国管理事務所の前記審査第二課長は、通訳を介して翌六日朝、同船上において原告に対し、一八〇日の在留期間をもつて上陸許可の証印を受けるか否か確認したところ、原告が依然として一年の在留期間の要求を固執して譲らなかつたため、入国管理当局の指示に従つて、原告に対する説得を打切り、原告に対して「バイ、バイ」といつて他の係員とともに下船した。この間、原告に対する通訳を勤めていた同課事件係長は、原告に対し、下船するようなことがあると収捕されることになるから、そのようなことをしないようにと警告を与えたうえ、下船しようとタラツプにかかつたところ、原告はその傍らをすり抜けて下船し、同日
午前一一時一〇分頃、晴海埠頭に上陸し、先行していた前記課長に追いすがつたが、同課長はこれにとりあわず、去つてしまつた。原告は、その後、船に戻ろうとせず、同埠頭の船客待合室内の階段付近にすわり込んだり、あるいは埠頭に出て、出迎えの学生ら支援者に向つて経過報告したりしており、この間前記特別審理官や、前記事件係長、入国警備官らが原告に対し再三、再四帰船するように促し、帰船しない場合には収捕される事態になる旨を告げて警告を与え、特に現場で指揮をとつていた入国警備官が一八〇日の在留期間で上陸許可を受ける余地も未だ残されている旨告げ、再考を求めたりしたのであるが、原告はこれらの説得に一切耳をかそうとせず、単に「席がないから戻れない。」とか「ポリスを呼べ。」とか言うのみで、出港時間の追つている同船に再び乗り込む手続もとらなかつた。このような状況の下で、原告を残したまま「とうきよう」丸が出港するかもしれないと予想した原告の友人の一人が、船内に残されていた原告の荷物を原告のもとに持参している。
「とうきよう」丸は、同日正午過ぎ頃、そのまま出港し、原告が帰船する余地がもはやなくなつたので、入国警備官は、原告が形式的には勿論、実質的にも令二四条二号に該当するものと判断し、原告に対し容疑者として東京入国管理事務所まで、入国警備官とともに、任意に出頭することを再三求めたのであるが、原告および支援学生らは「ナンセンス」などと呼んで全くとりあわず、かえつて、右の支援者らが自分らにおいて原告を入国管理事務所まで出頭させると称して、原告を集団の中に囲み込んだまま、入国警備官らの近づくことを許さず、船客待合室を通つてバスターミナルの方へ移動し、これを妨げようとする入国警備官や、その援助にあたつた警察官らの職務を妨害し、折からターミナルに入つてきたバスに乗車しようとして走り出した。
このような事態に直面し、入国警備官は配置されている警備官が少数でもあり、このまま原告の身柄を多数の支援者の手に委ねていては、原告が逃亡してしまう虞があり、収容令書の発布を待つ時間的余裕もないものと判断し、同日午後零時三五分頃、警察官の援助を受けて、支援者らの妨害を実力で排除し、令四三条に該当する者として原告を要急収容して、拘束し、直ちに理由を主任審査官に報告して、収容令書の発布を請求したところ、東京入国管理事務所の前記主任審査官は要急収容を是認してまもなく収容令書を発布し、右令書は同日午後一時四五分原告に示された。
前掲《証拠略》のうち、以上の認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
二 以上の事実関係に基づき、原告の主張の当否について判断する。
1 上陸審査行為の違法性の有無について
 上陸審査手続に要する時間について
前掲《証拠略》によると、一般に外国人の我国への上陸のための審査手続は、円滑に行われた場合、通常五分以内程度で終了する取扱であることが認められる。
しかしながら、審査手続は外国人の上陸申請に対して当該外国人が令七条一項一ないし四号に定められている上陸のための条件に適合しているかどうかを認定するためのものであり、当該外国人も入国審査官に対し、申請にかかる在留資格が虚偽のものでないことなど条件に適合することを自ら立証しなければならない(同条二項)ものであり、在留資格は令四条一項の各号に定められているものに限定されているところである。しかして、右の各在留資格を有する者として上陸する外国人の我国に与える影響は、その活動の内容、在留期間に伴い多様であるから上陸審査の方法も、在留活動の態様、在留期間の長短等によつて相応の差を生ずるのは当然のことというべきであるし、真実の在留目的が申請にかかる在留資格に基づく在留目的と異なつているのではないかと疑われるときはそれに応じた審査が行われることも合理的であり、法の当然予定しているところである。したがつてこれらの個別的事情を無視して、上陸審査があらゆる場合につき一律に前示のごとき短時間でなければならないということはできないものというべきである。
ところで、原告のように、語学学校(各種学校)で教師として稼働しようとする者に対して与えられる在留資格は在留資格四―一―一六―三であるところ、前掲《証拠略》、弁論の全趣旨を総合すると、在留資格四―一―一六―三に基づいて入国しようとする外国人については、査証発給の段階において、在外公館の査証官かぎりの判断で発給に応ずることはなく、外務省に経伺し、さらに同省から法務省に協議し、同省入国管理局において、当該外国人が各種学校において教師として稼働することを目的としているときには、特定の施設との間に有効な雇傭契約が成立しているか否か等につき調査し、その入国が我国の利益になると認め、入国を許可する方針である旨を外務省に回答した場合にかぎり査証が発給される取扱であることおよび右のような外国人が来日して上陸の申請をしたときは、施行規則四条の二の三号の定めるところに従い、特定の雇傭先との雇傭契約書を提示して申請にかかる在留資格が虚偽のものでないことを立証するものとされていることが認められる。もつとも、前掲《証拠略》および弁論の全趣旨によると、右のような場合には、実質的には、査証発給の際に審査した事項につき上陸審査の際に再び審査する結果となるので、上陸審査の際には煩を避けるため、法務大臣が当該外国人の入国について事前承認を与えている旨の記号を確認することにより手続の円滑化を図る取扱がなされていることが認められるが、右のような場合であつても、査証発給後、何らかの理由で上陸に際して申請されるであろう在留資格の実体が失われたのではないかとの疑いがある場合には、査証発給後であるに拘らず、上陸審査を慎重ならしめるため「査証要経伺」に指定していることが認められ、したがつて、かかる者に対する審査には当然相応の時間を必要とすることとなるのが例である。
これを本件についてみると、前示のとおり原告はC学院において稼働することを目的として数次有効の特定査証の発給を受けたうえ、上陸許可を受けたことのある者であるところ、法務省入国管理局当局により、原告が中国へ行くことを企てて日本を出国した際、C学院との雇傭関係が終了したとの情報に基づき、将来予想される再来日の際の上陸審査にあたつては、在留資格の実体の有無について慎重に審査することを必要とするとの趣旨で「査証要経伺」とされており、しかも、先の長崎港における上陸審査においては、C学院との雇傭関係を立証することができなかつたものであるのに、今回の上陸申請に際しては、C学院との間の雇傭期間が一か月に満たない短期の契約書と、D株式会社との間の雇傭期間の始期未到来の契約書を新たに提示したのであるから、右の状況のもとにおいては上陸審査に慎重を期する必要のあることはいうまでもないことであつて、前記入国審査官および特別審理官が前示のように九月四、五日の両日に亘つてなした上陸審査および口頭審理の手続はその内容において相当であり、したがつてまた不当に長時間を費したとはいい得ないものというべきである。
なお、特別審理官の行つた証人尋問は、原告の在留資格の基礎であるC学院以外の雇傭先についてまで行われているが、右調査は次段に説明するとおり、在留期間を定めるにあたり付随的に考慮する他の雇傭関係に関連する調査として、原告にとつてむしろ有利な手続である。
 在留期間の判断について
在留資格四―一―一六―三に与えられる在留期間は三年を越えない範囲内で法務大臣が指定する期間とされており(令四条一項一六号、二項、前記省令一、二条各三号)、前掲《証拠略》、弁論の全趣旨を総合すると、原告のように各種学校で教師として稼働することを目的とする場合の在留期間については、査証発給の際に審査した特定の稼働先との有効な契約に基づく雇傭関係が現に存在していることを前提とし、右雇傭期間を基準として、長期は一年を限度とし、短期は通常一八〇日を原則とすること、右以外の雇傭関係が併存するときには、当該雇傭関係を容認することが我国にとつて利益であると認められる場合にかぎり、その雇傭期間をも斟酌して決定する取扱であることが認定される。
本件において、原告とC学院との契約期間は、一か月に満たず、F美術連盟との雇傭契約の期間は六か月であり、そのほかD株式会社との間の雇傭契約は契約期間こそ一年であるが、始期は一か月先に到来するものであることは前示のとおりであり、右事実および《証拠略》によると、前記特別審理官は、D株式会社との契約はその始期が到来していないので今回の上陸許可の際の考慮の対象とせず、C学院との契約に、F美術連盟との契約を付随的に考慮して在留期間を一八〇日と決定したものであつて、D株式会社との関係は、将来在留期間の更新が行われるときに考慮して調整できるものと考えたものであることが認められる。
してみれば、同特別審理官の右の在留期間の決定をもつて違法ということのできないことは明らかというべきである。
原告は、各種学校教師に与える在留期間は一年とする慣習があると主張するが、前示認定のとおりであつて、右の主張事実を認めるに足りる証拠はない。
 原告は前記入国審査官、特別審理官、審査第二課長らは、原告が政治的行動を理由として「査証要経伺」の取扱を受けていたために、原告を不当に差別し、上陸をさせないか、もしくは困難にさせようとの意図のもとに前示各行為をした旨の主張をするが、右主張の失当であることは前示認定に徹し説明の要をみないというべきである。
以上のとおりであつて、右各担当官の前示各行為に関し、原告主張の違法は存しないから、原告の主張二1は採用することができない。
2 前記審査第二課長の行為の違法性の有無について
同課長の前示認定のごとき突然の下船が、同課長において「査証要経伺」である原告を退去強制するために「わな」をかける意図のもとになされたものであるとの原告主張事実は、前示認定事実に照らしてまつたく認められないのみならず、そもそも同課長の下船した行為と原告の下船、収容との間には法律上、因果関係を肯定することもできないものである。すなわち、前示認定のごとき同課長が下船するに至つた経緯からすれば、同課長が下船したのは原告に対する説得を打切つたためであると判断することは容易なことであり、かつ原告は船上において下船しないように警告され、下船後も帰船するよう重ねて警告を受けているうえ、原告は以前の手続において、仮上陸許可ないし上陸許可の証印を受けることなしに下船してはならないことを充分に理解していたものと認められるのであるから、原告が更に同課長と話合いを続行しようと考え下船したものとしても、結局、原告は同課長の態度の意味を了解していながら警告を無視し、むしろ危険を承知のうえで下船、上陸し、あえて帰船しなかつたものといわざるを得ず、そうとすれば、原告が収容されるに至つた結果は自ら招いたものというほかなく、前記課長の行為との間に関連性を認めるわけにはゆかないのである。したがつて、原告の主張二2は採用することができない。
3 要急収容の違法性の有無について
原告は、「とうきよう」丸からの下船について前記特別審理官から承認を得ているとの事実を前提として、原告の行為は令二四条二号に該当しない旨主張する。
しかしながら、原告の下船、上陸と収容に至る経緯は前示のとおりであつて、かえつて、同特別審理官が原告に対し帰船するよう警告を与えたことが認められこそすれ、原告主張のように下船の承認を与えたことは到底認めることができない。
原告主張に沿う前掲《証拠略》は採用できず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
してみれば、原告の右主張はその前提とする事実において既に失当というべきであり、本件においては原告がその所持する旅券に入国審査官から上陸許可の証印を受けないで下船、上陸したことは事実関係の前提となつているところであるから、原告の行為が令二四条二号に該当することは明白といわざるをえない。
原告は、また要急収容の必要が存しなかつたとの主張をしているのであるけれども、前示事実関係のもとにおいては、入国警備官が要急収容の必要があるとした判断は充分これを是認するに足りるものというべきであつて、原告主張のごとき原告の生活状態等の事実関係は右のような急迫した事情のもとにおける右の判断にあたつては斟酌することを要求し得べくもないことというべきである。
そうとすれば、前記入国警備官が原告の行為をもつて令二四条に該当すると認定し、要急収容したことは相当であつて、右処分およびその後の主任審査官の収容令書の発布、入国審査官の認定、特別審理官の判定、法務大臣の裁決、主任審査官の退去強制令書の発布等の各処分について原告主張の事実誤認の違法は存しないものというべきである。 
 したがつて、原告の主張二3は採用することができない。
4 司法官憲の発する令状に基づかずに身体を拘束した行為および弁護人選任権を告知せず、選任申出を拒否した行為の過失と違法性の有無について 原告は、右各行為が憲法三一条、三三条および三四条に違反し、前記各担当者および法務大臣に憲法遵守の注意義務あるいは指揮監督上の注意義務を怠つた過失がある旨主張して損害賠償請求をするのであるけれども、右各公務員の右各行為はいずれも令の定めるところに依拠するものであり、かつ令の規定が明白に憲法に違反するものとはいい得ないから、右各公務員が右各行為をなすにつき過失があつたものとはいい難いというべきである。
そうとすれば、原告の憲法違反を理由とする損害賠償請求は、右のごとき過失を理由とするかぎりにおいては、失当であつて認容し得ないというほかない。
 のみならず、右各行為が憲法の前記規定に違反するとの主張も次の理由によつて採用し得ないところである。
 憲法三一条、三三条について
令所定の収容令書および退去強制令書に基づく身体の拘束は、外国人の退去強制という行政目的を達成するための手段としての行政手続というべきところ、行政手続であるとの一事のみをもつてしては直ちに被告の主張するごとく憲法の右規定の適用が排除されるとはいい難いものというべきである。しかしながら、右のごとき退去強制という行政目的が国家間において必要なものとして肯認され、それ自体憲法に反するものともいい得ない現状においては、右の目的を達成するための手段たる意義を有している行政手続に関しては、当該手続が目的に適合する必要なものであつて、手続の全体的構造において明らかに不合理と目すべき点が存在せず、かつ事後的にせよ究極的には司法裁判所による救済の方途が存置されているかぎり、右の具体的手続をいかに定めるかについては立法府の裁量的権限に属し、法律の定めるところに委ねられているというべきであつて、右の範囲内に属する事項に関しては違憲の問題は生じないと解するのが相当である。しかして、この理は外国人の出入国に関する身体の拘束についても妥当するものというべきである。
ところで、令は、収容令書あるいは退去強制令書を主任審査官が発布するものと定めているのであるが(令三九条、四三条、四七ないし四九条)、収容令書による収容は、退去強制事由(令二四条各号)に該当する容疑のある外国人につき、身体を拘束しなければ容疑の有無についての審査のためにする出頭を確保し難い状況がある場合であることを前提とし、審査の円滑な進行のために必要な限度で、当該外国人の身体を拘束しておく手続であり、また、退去強制令書による収容は、行政上の審査手続が終了し、当該外国人について退去強制事由の存在することが認められた後において、送還先に退去を強制する前段階として暫時その身体を確保しておく手続であつて、いずれも我国の外国人に関する出入国管理行政遂行に伴つて生ずる行政的手続として、その必要性は否定し得ないところである。しかして、収容令書による拘束と併行して行われる退去強制事由の容疑についての審査は、入国警備官による違反調査、入国審査官による審査、特別審理官による口頭審理、法務大臣の裁決等、行政手続としては可能なかぎりの審査段階を設け、かつ証拠の収集、提出に関しても当該外国人の権利保護を配慮して慎重、公平な手続によつて行なわれるよう規定されており、これら審査手続に対応する事前、事後の保全措置ともいうべき収容令書または退去強制令書はその執行を直接行う入国警備官とは別個の職務権限を有する独任制官庁である主任審査官が、要件を審査のうえ発するものとされているのである。なお、本件のごとき要急収容は、収容令書発布前に身体の拘束がなされたものであるが、これは前示のごとき緊急の場合における特例であり、右の緊急性についても主任審査官が審査のうえ、是認し得るときにかぎり、収容令書を発布するものであるから、全体的にみれば収容令書に基づく収容と択ぶところがないということができる。しかも、これら収容令書の発布の当否については、司法判断を求めることも当然にできるものである。更に、収容は身体の自由の拘束を意味するが、前示の目的を越えるものであつてはならないことは当然であり、令六一条の七、被収容者処遇規則(昭和二六年外務省令第二一号)により、処遇には特段の注意が加えられることになつているのであつて、処遇が前示目的を越え、必要以上に外国人の自由を制限するものであるときは、司法救済を求め得ることはいうまでもないし、一定の条件下で仮放免も認められているものである(令五四条以下)。
右に述べた点を総合して判断すれば、収容令書、退去強制令書に基づいて身体を拘束することは、前示説示に照らし、立法事項の範囲に属するものとして是認すべきことであつて、憲法の前記規定に違反するところはないといわなければならない。
 憲法三一条、三四条について
憲法三四条所定の弁護人を依頼する権利は、直接的には刑事手続における身体の拘束の際の適用を予定したものとは解されるが、拘禁状態において保護に任ずべき者の援助の機会と方法を保障するという右規定の実質的意義からすると、身体の自由の拘束を伴う行政手続に、行政手続であるという理由のみによつて、右規定による保障が及ばないとすることは相当でないというべきである。
ところで、収容令書による収容およびその前後の審査手続が、外国人の出入国の適正な管理という行政目的のための手続であることは前示のとおりであるが、右の審査手続は容疑者の側からみれば、身体の直接的拘束および退去強制を免れるために、退去強制事由に該当しないことを自ら立証する手続(令四六条)であるから、そのための資料を収集提出し、不利な資料を弾劾し、弁論の準備を行う等の活動をするための手段として、自己以外の特に法律専門家の援助を受ける機会を必要最少限度は保障する必要があると解するのが相当である。令は、収容された外国人について口頭審理が行われる場合、当該外国人またはその者の出頭させる代理人は口頭審理に当つて、証拠を提出し、および証人を尋問することができる旨定め(四八条五項、一〇条三項)、当該外国人が代理人を依頼し得ることを当然の前提としており、かつ口頭審理前に代理人を依頼することが禁止されていると解すべき理由はなく当該外国人はいつでも代理人を選任する権利が与えられているものというべきであるが、右の代理人には弁護士たる資格を有する者がこれにあたることを妨げるべき事由は何ら存しないから、令所定の代理人の制度は実質的には憲法の前記規定の趣旨を
満たすものと解することができるものというべきである。もつとも、令には刑事訴訟法における弁護人選任権の告知のように代理人選任権の告知に関する定はないけれども、憲法三四条は弁護人を選任する機会と方法とが実質的に保障されていることを要求する趣旨と解され、選任権の告知を定めることにより右趣旨に沿う所以ではあつても、定めがないからといつて直ちに右趣旨に背反するとは解されないのみならず、《証拠略》および弁論の全趣旨によれば、本件において原告は弁護士三宅能生に弁護を依頼し、同弁護士は原告のため東京入国管理事務所長との間で交渉を行うなどの弁護活動をしたほか、原告に対する口頭審理への立会を求めたことが認められるから、原告は代理人の選任権のあることを告知されなかつたとしても、そのこと自体によつては何ら権利を侵害されたものでないことも明らかである(なお、右代理人の制度は行政手続による身体拘束についても適用されるものと解される「日本国とアメリカ合衆国との間の友好通商航海条約」二条二項に定める要求をも最小限度は満たし得るものと解される。)。
以上によれば、入国警備官、入国審査官、特別審理官が弁護人に依頼する権利のあることを告げず、また特別審理官が弁護人選任の申出を拒絶したことは当事者間に争いがないところであるが、右各担当官の右各行為をもつて違法ということはできないというべきである。
但し、口頭審理の手続において、前記特別審理官は原告および弁護士三宅能生が同弁護士を原告の弁護人として立会わせることを要求したのに対して、規定がないとの理由でこれを拒絶し、単に令一〇条四項による知人としての立会を許したにとどまつたものであることは当事者間に争いがないところ、同特別審理官の右処置は、特別審理官としては右のごとき申出があつた場合には、右申出を令所定の代理人の申出として解し、相応の教示をして然るべき取扱をするのが事務上とるべき当然の措置というべきことは言を俟たないところであるのに、右のごとき措置をとらず、結果として代理人の選任を拒否した点において違法の謗りは免れ難いものといわざるを得ない。しかし、前示認定の事実関係によれば、原告は令二四条二号に該当するものであることが極めて明白であるといわざるを得ず、たとえ口頭審理において代理人が選任され、その活動が充分に行われたとしても、本訴訟手続に顕われた証拠以上に有利な証拠が提出され得たとは考え難いところであつて、所詮、令二四条二号に該当しないとの立証が成功する余地はなかつたものということができるから、右の違法は判定の結果に影響を及ぼすことはないというほかなく(施行規則三五条一
号参照)、そうとすると、特別審理官の判定についての法務大臣の裁決は適法であつて、右裁決に基づく主任審査官の退去強制令書の発布も適法というべきである。また、右の手続違背は、適法に発付された収容令書に基く収容自体を違法とする事由ともなり得ないものというべきである。
したがつて、原告の主張二4はいずれにしても採用することができない。
5 査証取消処分の違法性の有無について
査証に関する事務は外務省の所管するところであり、その権限行使に関し外務大臣は令に定める入国拒否事由、退去強制事由等を斟酌しつつ、その裁量により査証を発給し、またはこれを取消すことができるものと解されるところ、外務大臣の原告に対する前示査証取消処分の契機となつた退去強制令書発布の基礎事実(令二四条二号該当)に誤りはないことは前示したところであり、またたとえ原告が前示の退去強制令書発布処分取消訴訟を維持していたとしても、勝訴し得る状態にあつたものと認める余地もなく、原告主張のごとく、外務大臣において右訴訟の勝敗に拘らず原告の上陸を妨げることを意図して右取消処分の挙に出たことを認めるには足りないから、いずれにせよ外務大臣の査証取消処分を違法ということはできない。
 したがつて、原告の主張二5は採用することができない。
三 以上によれば、原告の主張二を理由とする三の損害についてはいずれもその賠償請求を認容するに由ないものといわなければならない。
四 よつて、原告の本訴請求はすべて失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

在留期間更新不許可処分取消請求控訴事件
昭和48年(行コ)第25号
控訴人(被告):法務大臣、被控訴人(原告):A
東京高等裁判所
昭和50年9月25日

判決
主 文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事 実
控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張および証拠関係は左に付加するほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
控訴代理人の主張
別紙昭和四八年七月二六日付準備書面
  同年九月一七日付 同
 昭和四九年一〇月一七日付 同
  同年一二月一〇日付 同
のとおりである。
被控訴代理人の主張
別紙昭和四九年一〇月一七日付準備書面
 第二、第三項
のとおりである。
証拠《省略》
理 由
一 本件処分にいたる経緯
被控訴人がアメリカ合衆国国籍を有する外国人で、昭和三四年ハワイ大学(教育学等専攻)を卒業し、ハワイ州立学校の教師、米国船舶局職員をした後、昭和四一年米国平和奉仕団の一員として韓国に渡り、英語教育に従事したが、昭和四四年四月二一日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証をうけたうえで、本邦に入国し、同年五月一〇日下関入国管理事務所入国審査官により、出入国管理令(以下たんに令という)四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号に該当する者としての在留資格をもつて、在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸したこと、被控訴人は入国後東京都内に居住し当初はB語学学校(以下Bという)に、その後は財団法人C(以下Cという)に英語教師として勤務して生計をたてるかたわら、琵琶をDに師事して週二回、琴をEに師事して週一回それぞれ習い、その研究を続け、ゆくゆくはアメリカのアジア音楽部門を有する大学で琵琶、琴などの教授をしたいと志していたこと、そこで被控訴人が昭和四五年五月一日さらに日本での英語教育及び琵琶、琴などの研究を継続する必要があるとして控訴人に対し、右を理由として一年間の在留期間の更新を申請したところ、控訴人は同年八月一〇日「出国準備期間として同年五月一〇日から同年九月七日まで一二〇日間の在留期間更新を許可する。」との処分(本件処分)をしたこと、そこで被控訴人はさらに同年八月二七日控訴人に対し、同年九月八日から一年間の在留期間の再更新を申請したところ、控訴人は同年九月五日付で、被控訴人に対し右更新を許可しないとの処分(本件処分)をしたこと、以上の事実はすべて原判決の理由に示すとおりにこれを認めることができるので、原判決の右部分を引用する(原判決二一枚目表三行目から裏一〇行目まで)。
二、本件処分の適否
被控訴人は控訴人のした本件処分は違法であるとしてその取消を求めるものである。よつて以下これについて判断する。
 およそ本邦(以下わが国または日本ともいう)に在留する外国人の地位は、日本国民が本邦において生来固有する法的地位と全く同一のものでありえないことは勿論である。自国内に外国人を受入れるか否かは基本的にはその国の自由であり、国は自国および自国民の利益をまもるため、これに支障があると思料する外国人の受入れを拒否しうべく、そのための基準を定めることもまた自由である。今日国際社会において国際協調、文化交流、平和共存の傾向が強まり、外国人受入れの規制は逐次緩和されているとはいえ、その基本は変ることはなくわが国についても同様である。すなわち本邦に入国、上陸、在留しようとする外国人は権利として右のごとき入国等を要求しうるものではなく、国はその自ら定める基準である出入国管理令所定の各規定に照らし当該外国人の資格審査をし、その結果に基づき特定の資格により一定の期間を限つて(外交関係及び永住許可の場合を除く)、入国、上陸、在留を許可するのである。もつとも、いつたん適法に在留を許可された外国人は、その在留期間内は令二四条に定める退去強制事由に該当しない限り、
その活動は原則として自由であり、人権、人種、信条、性別によつて差別されることはなく、思想、信教、表現の自由等基本的人権の享受においても、おおむね日本国民に準じて劣るところはない。
さらに仮りにその言動がわが国、その友好国ないし当該外国人の母国の政策を批判し、その動向に影響を及ぼす等いわゆる政治的活動であつても、それが本来外国人としての礼譲にかなうかどうかの批判はありえても、それ自体が退去強制事由に該当しない以上、その在留期間中は、法律上とくだんの不利益を受けることはないのである。しかしひとたびこの外国人に在留期間の更新を許すべきかどうかとなれば、問題はおのずから別である。すなわち、適法に在留する外国人はその定められた在留期間内に在留目的を達成して自ら国外に退去するのがたてまえであり、国は自ら在留を許した外国人には、その在留期間内に限つて活動を保証すれば足りるのである。たまたま在留外国人が期間内にその目的を達成しがたい等によつて在留期間の延長の必要が生じたときは、当該外国人は令二一条によつて期間の更新を受けることができるとしているが、その更新の申請に対しては、法務大臣は更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができるのであつて、その相当の理由の有無については法務大臣の自由な裁量による判断に任されているものというべく、このことは外国人の受入れが基本的には、受入国の自由であることに由来する。法務大臣は許否の決定に当つては申請者の申請事由の当否のみならず、当該外国人の在留期間中の行状、国内の政治、経済、労働、治安などの諸事情及び当面の国際情勢、外交関係、国際礼譲など一切の事情をしんしやくし、窮極には高度の政治的配慮のもとにこれを行なうべきこととなる。したがつて法務大臣が在留期間更新の申請を拒否するには令五条一項一一号ないし一四号の上陸拒否事由、あるいは令二四条の退去強制事由に準ずる事由がなければならないと論ずることは妥当ではない。
しかしこの法務大臣の処分といえども、それが処分の理由とされた事実に誤認があり、または事実に対する評価が何人の目からみても妥当でないことが明らかである等裁量権の範囲を逸脱し権利の濫用である場合にはその処分は違法となること一般の行政処分と異なるものではなく、ただ事実上法務大臣の判断が第一次的に高度に尊重されなければならないというだけである。そして在留期間の更新申請を違法に却下された外国人は、当該処分の名宛人であり、法律上保護される利益を害された者としてその取消を裁判所に求めうべきものと解するのが相当である。
 そこで本件の場合について按ずるに、この点について控訴人が本件処分をし、次いで本件処分をし、結局被控訴人の在留期間更新の申請について、被控訴人の申請事由はともかく、更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるものとせず、これを許可しなかつたのは、被控訴人の在留期間中の無届転職と、いわゆる政治的活動の故であることは、控訴人の自ら主張するところである。しかしその無届転職すなわち被控訴人がBからCに勤務を変更したことのみをもつて右不許可の理由としたものとすればその間の事情に即していささか問題であろう(その消息については原判決二三枚目表一〇行目から二五枚目裏三行目まで)。しかし本件処分理由はこれのみでないこと前記のとおりであるから、ここで右転職のみを理由としてその適否を決することは相当でない。よつてさらに控訴人のいういわゆる政治活動の点について検討する。
まず、控訴人が本件訴訟においてはじめて右のごとき処分理由を追加して主張することの差支えないことの判断および被控訴人がしたいわゆる政治的活動の目的、態容についての当裁判所の認定は、原判決のそれと同一であるから、原判決二八枚目表三行目から二九枚目裏五行目までを引用する。
右に引用した原判決判示の認定事実によれば、被控訴人は外国人ベ平連(昭和四四年六月在日外国人数人によつてアメリカのベトナム戦争介入反対、日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対、在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対の三つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるベ平連からは独立しており、また、会員制度をとつていない)に所属し、昭和四四年六月から一二月までの間、九回にわたりその定例集会に参加し、七月一〇日左派華僑青年等が同月二日より一三日まで国鉄新宿駅西口付近において行なつた出入国管理法案粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビラを通行人に配布し、九月六日と一〇月四日ベ平連定例集会に参加し、同月一五、一六日ベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム戦争に反対する目的で抗議に赴き、一二月七日横浜入国者収容所に対する抗議を目的とする示威行進に参加し、翌四五年二月一五日朝霞市における反戦放送集会に参加し、三月一日同市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月一五日ベ平連とともに同市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラを配布し、五月一五日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のため赴き、同月一六日、五・一六ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、六月一四日代々木公園で行なわれた安保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、七月四日清水谷公園で行なわれた東京動員委員会主催の米日人民連帯、米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月七日には羽田空港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行なうなどの政治的活動を行なつたものである。
右のごとき一連の政治活動も、これが在留米国人によつてその在留期間内になされたのであれば、さきにみたように外国人にも許される表現の自由の範囲内にあるものとして格別不利益を強制されるものではなく、また、それ自体で退去強制事由を構成するものとするのも困難であろう。
しかし外国人の在留期間がその所定期間の経過によりもはや本邦に在留しえなくなるにさいしなされる在留期間更新の申請に対し、法務大臣が更新を認めるに足りる相当の理由があると判断すべきか否かの問題となれば、その評価はおのずから異なるべきことは、前記のとおりである。従つて、右のごとき被控訴人の一連の行動に対し法務大臣がこれを前記のような高度の政治的配慮のものに判断をするに当り、これを消極的資料としてとりあげたとしても、やむをえないものといわなければならないのであつて、たんに在留期間中は適法になしえたというだけで、右のごとき法務大臣の評価を非難することはできない。
とくに憲法上外国人は参政権を認められず、わが国の政治、外交など日本国民が自主的に主権の行使として決定すべき事項に関し、純粋な学問上の見地からする批評や在留外国人が国際的礼譲の立場から許容される論評行為であればともかく、その域を越えて、これに干渉的言動を弄するがごときは、なんぴとの目にも本来望ましい事柄と見えるものとは必らずしもいいえないであろう。被控訴人の右の行動のうち、昭和四四年七月一〇日と一二月七日の行動はわが国の出入国管理政策に対する非難行動であり、その他のものはアメリカの極東政策̶ベトナム戦争反対、カンボジア侵入反対̶ひいて日米安保条約に対する抗議行動であつて、その主張の趣旨の是非は別として、わが国の外交政策を非難し、また、わが国と友好関係にあるアメリカ合衆国が国策としているところを非難するものであり、日米間の国際友好関係に影響なしとしえないものに属する。
これらの行動が被控訴人によつて現実に行なわれた以上、既述のごとき高度の政治的判断のもとに出入国管理行政を行なうべきものとされている法務大臣が、これをもつて日本国及び国民のために望ましいものとせず、その在留期間更新の許否を決するにつき消極の事情と判断したとしても、それはその時点におけるその権限の行使として、まかされた裁量の範囲におけるものというべく、これをもつて違法とすることはできないといわなければならない。これら個々の行動が、具体的にわが国の国益をそこなうような実害を発生せしめるものではないとか、また、そのようなおそれがないからといつてすでに法務大臣がその高度の政治的判断によりわが国及び国民の利益に適しないとする以上、それがなんぴとの目からも妥当としえないことが明白であるとすべき事情のない本件では、右裁量を非難するのは相当でない。
その他に本件処分が違法であることについてはこれを認めるに足る資料はない。
三、結論
しからば、控訴人のした本件処分が違法であることを前提としてその取消を求める被控訴人の本訴請求は失当として棄却を免れないものというべく、これと異なる原判決はこれを取消すこととし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

損害賠償請求控訴事件
昭和49年(ネ)第1778号
控訴人:A、被控訴人:国
東京高等裁判所
昭和50年11月26日

判決
主 文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事 実
控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、金九六万円およびこれに対する昭和四五年六月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張及び証拠関係は、つぎの通り付加する他原判決事実摘示のとおりであるから、それをここに引用する。(但し原判決請求原因二3を二3と訂正する。)
控訴代理人は次のとおり述べた。
原判決が控訴人のB学院との雇用関係のみを在留資格の基礎としているのは誤りである。控訴人の在留資格の基礎はあくまでも語学学校において教師として稼動することであり、B学院でなければならないということはない。C株式会社、D等で稼働することも同等に考察して在留期間を判断すべきである。
被控訴代理人は次のとおり述べた。
特別審査官が控訴人に対し在留資格を四―一―一六―三、在留期間を一八〇日と決定したのは、控訴人とB学院との契約期間は二二日であること、E連盟との雇用契約の期間は六ケ月であること及びC株式会社との間の雇用契約は始期が到来していないこと等の事情を検討した結果によるものであるから、この点に関する控訴人の主張は失当である。
《証拠関係略》
理 由
一 当裁判所も、控訴人の本訴請求は失当であると判断するものであつて、その理由は、次のとおり付加、削除もしくは訂正するほか、原判決理由の説示と同一であるからここにこれを引用する。
1 《証拠関係略》
2 《証拠関係略》
3 同三七枚目表三行目の次に「しかも、旅券に日本の在外領事館等が一定の期間を定め、査証を与えたとしても、入国審査官は独自に在留期間を決定しうるものであるところ(令九条三項、一〇条六項)」を、同五行目(五一ページ上段一九行目)「在留期間については、」の次に、「単に語学校の教師をするという抽象的一般的な目的のみを審査するのでなく、具体的に」を、それぞれ加える。
4 同三八枚目裏五行目の末尾(五一ページ下段末行「……前示各行為に関し、」)に「当審における控訴人提出の各証拠によつても前記認定を覆えすに足りない」を、加える。
5 《証拠関係略》
6 同四二枚目裏七行目(五三ページ上段二一行目)冒頭に「司法官憲の発する令状に基づかず、主任審査官の発布する」を、加える。
7 同四五枚目裏一〇行目(五四ページ下段七行目)から四九枚目裏五行目(五六ページ上段四行目)までを「前記口頭手続において、特別審理官は、弁護人選任権を告知せずかつ選任申立を拒否したのが違法であると主張するからこの点について判断すると、控訴人および弁護士三宅能生が同弁護士を控訴人の弁護人として立会わせることを要求したのに対して特別審理官が規定がないとの理由でこれを拒絶し、単に令一〇条四項による知人としての立会を許したにとどまつたものであることは当事者間に争いがない。憲法三四条所定の弁護人を依頼する権利は、直接的には刑事手続における身体の拘束の際の適用を予定した規定であつて、前記認定の如き外国人の出入国の適正な管理という行政目的のための手続である収容令書による収容およびその前後の審査手続には適用がないと解すべきであるから、入国警備官、入国審査官、特別審理官によつて弁護人に依頼する権利を告げられず、口頭審理に際し、特別審理官が控訴人および弁護士三宅能生が同弁護士を控訴人の弁護人として立会わせることを要求したのに対し規定がないとの理由で拒絶したからといつて、右各処置を違法ということはできない。なお、令一〇条三項は、前記口頭審理手続において身体を拘束されている者について弁護人を依頼する権利を定めた規定とは解し得ず、右規定は主として本人が代理人を出頭させることができ、代理人が出頭したときは、本人と同様の立証活動が認められる趣旨の規定と解すべきであるから、右令一〇条三項に基き弁護人としての立会の要求を拒否したからといつて、違法とはいえず、本件においては控訴人が自ら出頭し、なお弁護士が令一〇条四項の知人として口頭審理への立会を認められている以上、控訴人の保護に欠くるところはなかつたといわざるを得ない。」と訂正する。
二 よつて、原判決は相当であつて、本件控訴は理由がないから、これを棄却すべく、民事訴訟法第三八四条第一項第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

保釈取消決定に対する抗告事件
昭和50年(く)第204号
東京高等裁判所第11刑事部(裁判官:石田一郎・柳原嘉藤・小林曻一)
昭和50年12月24日
決定
刑事訴訟法第九六条第一項本文が、裁判所は各号所定の事由がある場合には「……保釈……を取り
消すことができる。」旨規定していることからも明らかなように、同条項各号所定の取消事由が生じた
場合に必ず保釈を取り消さなければならないものではなく、取り消すかどうかは裁判所の裁量に委ね
られている。もっとも裁量といっても、それは恣意的なものではなく、また純粋な意味での自由裁量
を許すものでもなく、保釈および保釈取消制度の趣旨、とくに同項第一号に関しては被告人が召喚を
受けながら出頭するに至らなかった具体的事情、不出頭の回数など諸般の事情を十分に参酌して、慎
重に決定すべきであり、右裁量が客観的相当性に反する場合には右保釈取消は違法として取消しを免
れない。この観点に立ち、原裁判所の前記裁量が客観的相当性に反するか否かを改めて考察するに、
被告人の不出頭は前記のとおり弁護人の指示に基くものである。そして岡弁護人は、本件公判期日の
指定から期日変更申立却下決定に対する異議申立の却下決定に至るまでの経緯、とくに被告人不出頭
の場合には保釈の取消しもありうる旨の説明を受けていたことにかんがみ、これらの点に十分配慮し
て被告人を出頭させるべきかどうかを熟慮し、少くとも被告人に不出頭を指示するような態度には出
るべきでなかったこと、ことに本件保釈取消決定がなされるや、被告人が直ちに他の弁護人五名を選
任して本件抗告の申立をなしていることを合わせ考えると、本件公判期日にも他の弁護人を選任して
出頭させ期日を進行させることも不可能ではなかったことが窺われないではなく、しかるに岡弁護人
は自己が右公判期日に出頭できないことの一事で、しかも前記異議申立に対する決定のなされる前
に、被告人に対し公判期日への不出頭を指示し、原裁判所をして右公判期日の変更を余儀なくさせて、
さきになされた原裁判所の期日変更申立却下決定を実質的に無意味ならしめるような行動に出たこと
はかなり責められるべきである(所論は、原裁判所が憲法の保障する弁護人選任権を侵害したと論難
するが、前記のような経緯に徹すれば、原裁判所の手続には所論のような違憲のかどは全く存在しな
い。)。しかし、岡弁護人に右のような責めらるべき事情があることと、保釈を取り消すべきかどうか
とは一応別個に考えるべきである。すなわち、一般に被告人の弁護人、ことに私選弁護人に対する信
頼感および本件被告人が法律的知識に乏しい素人であることに加え、前記のとおり被告人の住居が遠
隔地であるという特殊事情などに徴すれば、被告人が岡弁護人の指示どおり「不出頭届」を提出すれ
ば、出頭しなくともよいと考えたとしても、あながち無理からぬところというべきであり、岡弁護人
に前記のような責むべき事情があるの故をもって、被告人の不出頭による責任の全部を同人自身に帰
せしめることは酷に失するものといわなければならない(もっとも、被告人が「不出頭届」を投函した
のは、前記のように一一月二五日の公判期日の午後であるから、もし被告人において万全を期すると
すれば、投函前、開廷時である午前一〇時前に原裁判所の担当書記官に対し電話をもって、不出頭の
- 2 -
旨およびその旨の届を郵送した旨を連絡できたとも考えられないではないが、岡弁護人に対する前記
信頼感等に徴すれば、被告人にそこまでの手配方を要求するのは無理というべく、従って同人が右の
ような電話をしなかった点について責任を問うことは相当ではない。)。そして、前記のような被告人
不出頭の事情、保釈後の不出頭が一回だけであり、しかも前記のように右公判期日の二日後ではある
が、被告人から「不出頭届」が提出されていること、また被告人自身にはことさら審理を延ばそうとす
る意図は認められず、今後の公判期日における出頭の態度も窺われることなどの諸事情をも考慮に加
えると、原裁判所が、被告人が前もって届け出することなく、一回出頭しなかった故をもって直ちに
保釈を取り消したことは、結局その裁量が客観的相当性に反したものというのほかなく、そうとすれ
ば、原決定は刑事訴訟法第九六条第一項(第一号)の解釈・適用を誤ったものとして取消しを免れない。
この点において論旨は理由がある。

道路交通法違反、公務執行妨害被告事件
昭和50年(あ)第146号
最高裁判所第三小法廷
昭和51年3月16日

決定
主 文
本件上告を棄却する。
理 由
弁護人大野悦男の上告趣意のうち、憲法三三条違反をいう点は、実質は単なる法令違反の主張に過ぎず、その余の点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、すべて刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
なお、所論にかんがみ職権により判断すると、原判決が公務執行妨害罪の成立を認めたのは、次の理由により、これを正当として支持することができる。
一 原判決が認定した公務執行妨害の事実は、公訴事実と同一であつて、「被告人は、昭和四八年八月三一日午前六時ころ、岐阜市美江寺町二丁目一五番地岐阜中警察署通信指令室において、岐阜県警察本部広域機動警察隊中濃方面隊勤務巡査A(当時三一年)、同B(当時三一年)の両名から、道路交通法違反の被疑者として取調べを受けていたところ、酒酔い運転についての呼気検査を求められた際、職務遂行中の右A巡査の左肩や制服の襟首を右手で掴んで引つ張り、左肩章を引きちぎつたうえ、右手拳で同巡査の顔面を一回殴打するなどの暴行を加え、もつて同巡査の職務の執行を妨害したものである。」というにある。
二 原判決が認定した事件の経過は、被告人は、昭和四八年八月三一日午前四時一〇分ころ、岐阜市東栄町二丁目一三番地先路上で、酒酔い運転のうえ、道路端に置かれたコンクリート製のごみ箱などに自車を衝突させる物損事故を起し、間もなくパトロールカーで事故現場に到着したA、Bの両巡査から、運転免許証の提示とアルコール保有量検査のための風船への呼気の吹き込みを求められたが、いずれも拒否したので、両巡査は、道路交通法違反の被疑者として取調べるために被告人をパトロールカーで岐阜中警察署へ任意同行し、午前四時三〇分ころ同署に到着した、被告人は、当日午前一時ころから午前四時ころまでの間にビール大びん一本、日本酒五合ないし六合位を飲酒した後、軽四輪自動車を運転して帰宅の途中に事故を起したもので、その際顔は赤くて酒のにおいが強く、身体がふらつき、言葉も乱暴で、外見上酒に酔つていることがうかがわれた、被告人は、両巡査から警察署内の通信指令室で取調べを受け、運転免許証の提示要求にはすぐに応じたが、呼気検査については、道路交通法の規定に基づくものであることを告げられたうえ再三説得されてもこれに応じず、午前五時三〇分ころ被告人の父が両巡査の要請で来署して説得したものの聞き入れず、かえつて反抗的態度に出たため、父は、説得をあきらめ、母が来れば警察の要求に従う旨の被告人の返答を得て、自宅に呼びにもどつた、両巡査は、なおも説得をしながら、被告人の母の到着を待つていたが、午前六時ころになり、被告人からマツチを貸してほしいといわれて断わつたとき、被告人が「マツチを取つてくる。」といいながら急に椅子から立ち上がつて出入口の方へ小走りに行きかけたので、A巡査は、被告人が逃げ去るのではないかと思い、被告人の左斜め前に近寄り、「風船をやつてからでいいではないか。」といつて両手で被告人の左手首を掴んだところ、被告人は、すぐさま同巡査の両手を振り払い、その左肩や制服の襟首を右手で掴んで引つ張り、左肩章を引きちぎつたうえ、右手拳で顔面を一回殴打し、同巡査は、その間、両手を前に出して止めようとしていたが、被告人がなおも暴れるので、これを
制止しながら、B巡査と二人でこれを元の椅子に腰かけさせ、その直後公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕した、被告人がA巡査の両手を振り払つた後に加えた一連の暴行は、同巡査から手首を掴まれたことに対する反撃というよりは、新たな攻撃というべきものであつた、被告人が頑強に呼気検査を拒否したのは、過去二回にわたり同種事犯で取調べを受けた際の経験などから、時間を引き延して体内に残留するアルコール量の減少を図るためであつた、というのである。
三 第一審判決は、A巡査による右の制止行為は、任意捜査の限界を超え、実質上被告人を逮捕するのと同様の効果を得ようとする強制力の行使であつて、違法であるから、公務執行妨害罪にいう公務にあたらないうえ、被告人にとつては急迫不正の侵害であるから、これに対し被告人が右の暴行を加えたことは、行動の自由を実現するためにしたやむをえないものというべきであり、正当防衛として暴行罪も成立しない、と判示した。原判決は、これを誤りとし、A巡査が被告人の左斜め前に立ち、両手でその左手首を掴んだ行為は、その程度もさほど強いものではなかつたから、本件による捜査の必要性、緊急性に照らすときは、呼気検査の拒否に対し翻意を促すための説得手段として客観的に相当と認められる実力行使というべきであり、また、その直後にA巡査がとつた行動は、被告人の粗暴な振舞を制止するためのものと認められるので、同巡査のこれらの行動は、被告人を逮捕するのと同様の効果を得ようとする強制力の行使にあたるということはできず、かつ、被告人が同巡査の両手を振り払つた後に加えた暴行は、反撃ではなくて新たな攻
撃と認めるべきであるから、被告人の暴行はすべてこれを正当防衛と評価することができない、と判示した。
四 原判決の事実認定のもとにおいて法律上問題となるのは、出入口の方へ向つた被告人の左斜め前に立ち、両手でその左手首を掴んだA巡査の行為が、任意捜査において許容されるものかどうか、である。
捜査において強制手段を用いることは、法律の根拠規定がある場合に限り許容されるものである。しかしながら、ここにいう強制手段とは、有形力の行使を伴う手段を意味するものではなく、個人の意思を制圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段を意味するものであつて、右の程度に至らない有形力の行使は、任意捜査においても許容される場合があるといわなければならない。
ただ、強制手段にあたらない有形力の行使であつても、何らかの法益を侵害し又は侵害するおそれがあるのであるから、状況のいかんを問わず常に許容されるものと解するのは相当でなく、必要性、緊急性なども考慮したうえ、具体的状況のもとで相当と認められる限度において許容されるものと解すべきである。
これを本件についてみると、A巡査の前記行為は、呼気検査に応じるよう被告人を説得するために行われたものであり、その程度もさほど強いものではないというのであるから、これをもつて性質上当然に逮捕その他の強制手段にあたるものと判断することはできない。また、右の行為は、酒酔い運転の罪の疑いが濃厚な被告人をその同意を得て警察署に任意同行して、被告人の父を呼び呼気検査に応じるよう説得をつづけるうちに、被告人の母が警察署に来ればこれに応じる旨を述べたのでその連絡を被告人の父に依頼して母の来署を待つていたところ、被告人が急に退室しようとしたため、さらに説得のためにとられた抑制の措置であつて、その程度もさほど強いものではないというのであるから、これをもつて捜査活動として許容される範囲を超えた不相当な行為ということはできず、公務の適法性を否定することができない。したがつて、原判決が、右の行為を含めてA巡査の公務の適法性を肯定し、被告人につき公務執行妨害罪の成立を認めたの
は、正当というべきである。
よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

弁護人大野悦男の上告趣意
一、原判決が公務執行妨害罪について有罪と認定したのは明らかに憲法第三三条刑事訴訟法一九八条第一項に違反するものであり、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄されなければならない。
二、原判決はA巡査長の行為は逮捕行為でなく捜査の必要性緊急性からして任意捜査の限界を越えたものでないとして、右警察官の行為は適法行為とし右警察官に対する暴行は公務執行妨害罪が成立すると認定した。しかし右認定は明らかに事実を誤認し、憲法三三条刑事訴訟法一九八条第一項に違反するものである。
以下その理由を述べる。
三、A巡査は被告人が任意同行ということで岐阜中警察署に出頭しているものだから何等逮捕する権限がないのに被告人の退室を引きとめようとして、その左斜め前から両手で同人の左手を掴むなどした一連の制止行為に対抗してなされたものであるから右制止行為は任意捜査の限界を越え、実質上の逮捕行為であり強制力の行使というべきである。
従つて職務の執行として違法であるから公務執行妨害の構成要件該当性を欠くのみならず、A巡査の行為は被告人にとつては急迫不正の侵害と認められるのでこれに対して被告人としてはこの侵害を排除するためにとつた必要やむを得ざる行為であるので正当防衛として無罪である。四、被告人は岐阜中警察署へは自ら進んで任意同行したものであつて、逮捕されていたものではないからいつでも自由に退室しどこへでも自由に行動することができる。
それにもかかわらず午前四時三〇分頃から午前六時頃まで約一時間半にわたりせまい通信指令室(間口約二・八メートル奥行約五・九メートルの南北に長く東西両側がコンクリート製の壁に面し、北側に窓が出入口は南側に一ケ所しかない部屋)へとじこめ、被告人がマツチを取りに行こうとしたら被告人の左手をA巡査が両手でしつかり握り出て行かせないようにしたのは明らかに逮捕監禁に該当する行為である。
五、この点に関し原判決は「右A巡査の行為は被告人の飲酒検知拒否に対し翻意を促すための説得手段として任意捜査の範囲内の客観的に相当な実行行使と認めるべきである」としている。
しかしA巡査の被告人の左手を握つた行為はいかなる言葉をもちいようと明らかに事実上の逮捕行為であるといえる。
なぜならA巡査としてはなんとしても被告人を通信指令室から出すまいとしその決意の表れとして被告人の左手を両手でつかんだのであり、客観的状勢からしても説得行為といえず、事実上どうしても被告人が退室しようとしても退室できる状態ではなかつた。このことはA巡査の公判廷の証言からも判るのである。
「小走りでしたので逃げるのではないかと思いました。」(第一審第二回公判調書二七頁八行目)
「若し被告人がふりほどいて逃げようとしたらどのようにしようと思いましたか。」という質問に対し、「その場で飲酒運転の疑いで逮捕ということも考えられないことはないと思いました。」(右同二八頁八行目)
「証人は何としても被告人を事務所から出さないようにしようと思つたのですか。」という質問に対し「そのようにとれるかもしれません。」(右同二八頁一三行目)
「風船を膨らますまでは通信指令室から出ては困るという気持があつたわけですか。」という質問に対し「そうです。」
「どうしても」という質問に対し「はい」(第二審第二回公判調書第一二〇、一二一項)
B巡査の公判廷における証言からも判るのである。
「被告人が逃げると思いましたか。」という質問に対し「思いました」(第一審第三回公判調書二五頁四行目)
「仮に逃げようとしたらどうするつもりでしたか」という質問に対し「止めるのです」(右同二五頁七行目)
「証人としてはどうしても風船をふくらますようにしようと思つたのですか」「はい」(右同二五頁一〇行目)
以上AB両巡査の証言から判るように被告人をなんとかしても飲酒検知するまでは通信指令室を一歩も出すまいとして,マツチを取りに行こうとする被告人の左手を両手で強く掴んだのである。これはいかなる意味においてももはや説得でなく事実上の逮捕監禁であることはいうまでもない。
仮に被告人が暴行に及ばなかつたとしてもおそらく飲酒検知をするまでは一歩も通信指令室を出ることができなかつたことは容易に推定できるのである。これが逮捕監禁でなかつたら何であろうか。 
六、原判決はA巡査の手を掴んだ行為が説得行為であるとする重要な根拠として被告人の左手を軽く掴んだ程度で翻意をうながす程度であつたと判示しているが、A巡査は通信指令室から絶対出すまいとして逃亡を防ぐため強く掴んだものである。
このことはA巡査の前述した目的からして到底手を軽く握つたとは思えない。
又軽く握つては逃亡するのを阻止する目的が達しないのである。検察官はA巡査が軽く握つた根拠として簡単に被告人が左手をふりほどいたことを挙げている。
しかし実際は被告人が手をふりほどいたのでなくそのままA巡査が被告人の手を握つておりA巡査が被告人を押し返すために任意に手をはなしたのである。
このことはA巡査自身が認めている。
「ちよつと握つた瞬間に何を思つたものか急に私の左の肩の肩章のところを右手で引つ張つて……私が左手を握つておりましたから右手だと思います……」(第二審第二回公判調書四九頁)
「どういうときに手を離したのかということは記憶ありませんか」という質問に対し「それは肩章が取られ胸ぐらをつかまれてボタンがちぎれたと同時に何するんやということで止めましたので、そのときに手は離れておつたと思います。」(右同調書五三頁)
「そうするとあなたは右手で肩章をちぎられた理由として左手を握つていたから右手で肩章をちぎられたんだろうということですね」という質問に対し「はいそうです」
「そうすると肩章をちぎられるときはまだ左手をにぎつていたんですね」という質問に対し「そうですね」
「そのことも今日初めて聞いたんですがそれは間違いないですね」という質問に対し「間違いないと思います。」
「するとまだ両手でにぎつていたわけですね」という質問に対し、「そうですね、まあ軽く持つておつたと思います。」
「それであなたが手を離したのは肩章をちぎられたから、何をするんだといつて両手で押したから離したというような証言をなさいましたね」という質問に対し「はい」
「ということになると振りほどかれたんではなくて、あなたが手を離したというふうに聞いていいですか」という質問に対し「そうですね。私が離したということですね」
「振りほどかれたわけでなく離したということですね」という質問に対し「そういうことですね」(右同調書第一〇六項乃至一一三項)
以上のようにA巡査は自分自身で認めている。
この点一審ではこれと異なる事実をA巡査は証言しているが、肩章がちぎられた関係等考慮して具体的に述べているので信用できるのである。一審においても「肩章がちぎられるとき被告人の手を握つたままではありませんか」という質問に「わかりません」と答えている。(第一審第五回公判調書三二頁三行目)
「もみ合う中に顔面を殴られたのですか」という質問に「私の手が離れたときに殴られた」(右同調書一七頁九行目)
この点原判決は事実誤認している。さすれば手を軽く握つたとする根拠はまつたく失われかえつて肩章をちぎられるまで継続して握つていたことはかなり強く握つていたものであるといえる。
被告人がふりほどこうとしたり蹴つたりしたのに手がふりほどけなかつたのだからかなり強く握つていたものといえる。
「振りほどこうとしたり蹴つたりしました」(A巡査の第一審第二回公判調書六行目)
七、更にA巡査は被告人の左手を両手で握るのと同時に左斜前に出て出口を塞ぐように立ちはだかつたのである。
被告人としては外に出ようとすればどうしてもA巡査を押しどけなければ出られない状態である。
このことはB巡査の証言からも窺知れるのである。
「Aさんは被告人の手を握つた段階で被告人の斜前に立つたのではありませんか」という質問に対し
「あとから斜前に出ました」
「出口を塞ぐような格好でしたか」
「はい」
「被告人はAさんをどけなければ外へ出られませんね」という質問に対し
「廻れば行けます」
「直接行けばぶつかりますね」という質問に
「はい、無理ですね」(第一審第三回公判調書第二六頁九行目乃至第二七頁六行目)
このように被告人が事実上通信指令室を退去できないような行為であつてもなお説得行為だといえるのであろうか。
なお説得行為であるならば口で言えば足りることでせいぜい肩に手をかける程度で足りるのであつて何も両手で左手を握り更に出口を塞ぐ必要はまつたくないのである。
八、原判決は更に被告人がA巡査の両手を振り払つた後加えた一連の暴行は、その当時の状況、被告人の暴行の性質程度に徴し、同巡査から手首を掴まれたことに対する反撃というよりも新たな攻撃と認めるべきであると認定しているが、これは事実の真相をよく見きわめないで概念的に判断したもので事実誤認であることは明確である。
殴打行為は不正な逮捕監禁に対し排除しようとする一連の行為である。
肩章をちぎり殴打に致るまで一瞬の行為であり、殴打行為の時はいまだA巡査が出口をふさいでおり両手で被告人を押し戻しているのである。これに対し当然に抵抗できるのは当然のことである。いまだもみあつている状態であるので新らたな攻撃とはいえない。
このことはAB両巡査の証言からも判る。
「押し返した後に顔を殴られたのですか」という質問に対し
「はい」(A巡査の第一審第二回公判調書第三三頁二行目)
「瞬間的でありボタンがちぎれ次いで殴つてきました」
「被告人ともみ合つていたのですか」という質問に対し
「そのような状態でした」(右同調書一七頁七行目)
「両手を前にして広げて押し出すようにしました」
「被告人は押されて戻りましたか」という質問に対し
「はい戻つてから私に向つて来て殴りました」(A巡査の第一審第五回公判調書二五頁)
以上のようにいまだ被告人に対する侵害行為は続いていたものでありそれを排除しようとした一連の行為である。
九、原判決は任意捜査の手続においては強制にわたることは許されないのは当然であるとしながらも、具体的事案においては通常の方法によつては初期の説得の効果があげない状況が存しかつ捜査上緊急の必要性が認められる場合はある程度実力行使は認められるとし、そして本件の場合に該当するとしている。
しかしながら現行犯として逮捕されていない以上令状なくしていかなる事情があろうとも逮捕等強制力の行使ができないのである。(憲法三三条)
憲法三三条は捜査機関よりの市民の基本的人権の侵害を守る最後のとりでである。かかる規定をゆるやかに解釈し、右原則の趣旨を事実上なしくずしにすることは絶対に許されないのである。
捜査は市民の基本的人権を守りつつ、刑事訴訟法の規則を守つて捜査すべきでありそのために仮に犯人を逃すようなことがあつても市民の基本的人権は守られねばならないのである。
従つて捜査の緊急性必要性利益衡量の概念の入る余地はないのである。
原判決は具体的事案にとらわれすぎ、市民の基本的人権が侵せられつつあることを黙認するものである。
このような事件は表面に表れるのはごく一部であり氷山の一角である。
本件事件は被告人一人に及ぼすのみならず、一般社会に及ぼす影響は多大なものがあるといえる。
なぜなら裁判所が捜査機関のかかる行為を許すということになれば増々刑事訴訟法を守らず事実上令状なくして市民を強制力の行使するからである。
いかに飲酒検知の目的とはいえ、被告人が飲酒検知を拒否しているのに約二時間にわたり押しつけるのは妥当であろうか。
本件警察官の行為が適法とするならば警察官が何時間も事実上ひきとめておいてこれにたえかねて何らかの挙動に出れば積極的な反撃であれ消極的な逃避であれそれを口実にして「公務執行妨害の現行犯」として逮捕することになりかねない。これでは市民はうかばれない。
原判決は捜査の緊急必要性からある程度の実力行使は許されるとしているがその限界は非常にあいまいでその判断によつては憲法三三条の趣旨は踏みにじられることになる。
原判決は捜査の必要性を強調しているが約二時間もあるのだから何等かの適切な処置がとれたはづである。
なお飲酒検知について飲酒検知拒否罪はあるにしても無理矢理に強制的にできないのである。
一〇、仮に本件両巡査の行為が正当な公務執行であるとしても、被告人は逮捕されておらずいつでも自由に退室できると思つていたのであるから、それに対して退室できないように両手で左手を掴み出口に立ち塞いだものであるから、これは違法な公務執行であると被告人は思い、防衛したものであるからやはり正当防衛となり無罪である。

退去強制令書執行停止事件
昭和51年(行ク)第10号
申立人:A、被申立人:神戸入国管理事務所主任審査官
神戸地方裁判所
昭和51年8月6日

決定
主 文
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
理 由
一 本件申立の趣旨及び理由は別紙一のとおりであり、これに対する被申立人の意見は別紙二のとおりである。
二 一件記録によると、被申立人は申立人に対し昭和四一年二月一五日退去強制令書を発付し、申立人は昭和四九年一二月一二日右令書の執行を受け神戸入国管理事務所収容場に収容されたが、帰国準備等の理由で仮放免を請求し、同所主任審査官は期間を限つて仮放免を許可した。以後、数回ににわたり右期間の延長が行われてきたところ、申立人は被申立人に対し退去強制令書の無効確認訴訟(当庁昭和五一年(行ク)第一六号行政処分無効確認請求事件)を提起すると共に右退去強制令書に基づく執行の停止を求める申立(昭和五一年(行ク)第九号強制執行停止申立事件)を当庁に提起し、右令書に基づく執行をその送還部分に限り本案訴訟(右無効確認訴訟)確定に至るまで停止する旨の決定を受けた。申立人は被申立人に対し昭和五一年七月二一日、「右決定により送還部分の執行停止が認められたので本案判決確定まで仮放免を許可されたい」旨の仮放免期間延長の願出をなしたが、被申立人はこれを認めず同日仮放免期間満了と共に申立人を神戸入国管理事務所収容場に収容し、翌日、横浜入国者収容場に移送した。申立人は被申立人が申立人に対してなした「仮放免期間延長請求を不許可とする処分」の取消を求める訴(当庁昭和五一年(行ウ)第一九号行政処分取消請求事件)を当庁に提起すると同時に本件執行停止の申立をした。以上の事実が認められる。
三 行政処分の執行停止の制度は、行政庁の処分に対し不服を有する者が、当該行政庁を被告として右処分の取消しを求める訴を提起した場合に、勝訴してもその実効を期し難い虞れがあるので(行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為については民事訴訟法の仮処分が排除され、また行政庁の処分に対する取消の訴の提起は、右処分の効力、処分の執行、手続の続行を妨げないとされているため)、かような事態を防止するため、本案判決の確定に至るまで一定の要件のもとに当事者間の法的状態につき暫定的な安定を図り、不服申立人の権利保全及び損害防止を目的として設けられているものである。従つて、行政庁の処分に対し執行停止が許されるのは、その執行停止が認容された場合に、その直接の効果として申立人の権利保全が図られ、これによつて損害の発生、拡大が防止され得る場合に限られるといわねばならない。 
ところで、本件については、仮に申立人の本件申立が認容されるとしても、それは本件不許可処分がなされなかつたと同一の状態、即ち、仮放免期間延長請求がなされたにすぎない状態が現出されるにとどまり、これによつて期間延長の効力は生じないのであるから、本件申立によつては、その直接の効果として申立人主張の損害の発生ないし拡大を防止することは不可能である。
 因みに、仮放免期間の延長といわれているものの法的性質は、期間の満了により仮放免の許可は当然に失効し、又新たに仮放免の許可を与える行為であると解され、従つて仮放免期間延長請求もその実質は出入国管理令五四条一項の仮放免の請求であると解されるが、そのことは前記判断に影響を及ぼさない。
そうすると、本件申立はその利益を欠くので不適法として却下せざるを得ず、申立費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。
別紙一
申立の趣旨
昭和五一年七月二一日申立人がなした仮放免の期間延長請求につき同日被申立人がこれを不許可とした処分による執行は本案訴訟判決の確定に至るまでこれを停止する。
申立費用は被申立人の負担とする。
との決定を求める。
申立の理由《略》
別紙二
第一 意見の趣旨
本件申立を却下する。
申立費用は申立人の負担とする。
との決定を求める。
第二 意見の理由
一 退去強制令書発付処分の理由並びにそれに至るまでの経緯《略》
二 本件収容に至る経緯《略》
三 申立の利益の欠除
令は、入国警備官は、退去強制令書(以下「退令」という。)を執行する場合において退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送還可能のときまで、一定の場所に収容することができ(五二条五項)、その場合、収容されている者等は入国者収容所長又は主任審査官に対し、仮放免を請求することができる(五四条一項)、そして、右請求があつたときは入国者収容所長又は主任審査官は、収容されている者の情状及び仮放免の請求の理由となる証拠並びにその者の性格、資産等を考慮し、保証金を納付させ、かつ「必要と認める条件」を附してその者を仮放免することができるものとする(五四条二項)。
実務上、仮放免の許可に当たつては、仮放免の期間を設けているが、これは右の令の規定によれば「必要と認める条件」を附したこととなるものである。したがつて、条件成就即ち期間の満了をもつて当然に仮放免の許可は効力を失ない、もとの収容されている状態(退令の収容部分が執行されている状態。以下同じ。)に復するのである。(この点、仮放免の取消(令五五条)のように特別の手続を要しない。)そして、仮放免の期間の延長も実務上行われるが、これは、仮放免の許可に附した条件を一部変更するものであつて、延長がなされれば、元来、当初の期間の経過により仮放免の許可が効力を失い、もとの収容されている状態に復すべきものであるところ、延長された期間だけ右許可が効力を有するに至るものである。
申立人は、被申立人が右の期間を延長しなかつたことをもつて、「仮放免期間延長請求却下処分」をなしたものとして、その執行停止を求めているものであるが、期間延長の右のような性格からして、仮に被申立人の「却下処分」の執行を停止したとしても、当然に期間延長がなされたこととなるものではなく、当初の期間の経過により、仮放免の許可は当然に効力を失い、もとの収容されている状態に復すものであつて、申立人の意図するように、本案判決(右「却下処分」の取消判決)が確定するまで、仮放免されたままの状態でいられるわけではないので、執行停止の申立てをする利益はないものといわざるを得ない。(なお、許認可等の拒否処分については、執行停止を求めることができないとするのが通説、判例である。例えば、雄川「行政争訟法」法律学全集二〇〇ページ、今村「執行停止と仮処分」行政法講座三巻三一一ページ、判例については疎乙一〇号ないし七)
仮に仮放免期間の延長の申立てが令五四条に基づく仮放免の(新たな)請求であると解釈する余地があるとしても同様である。右請求がなされているという理由のみで退令に基づく収容の執行がなされ得ないとか、請求中の仮放免の許否が決せられるまで引続き仮放免が継続されるべきとする根拠は全くない。
実務上も仮放免期間満了とともに退令収容され、かりにその後に至り、請求中の仮放免が許可されれば、その後再び解除されるのである。
もつとも、右「却下処分」の執行停止をすれば、「仮放免期間延長請求」の手続は未了となるが、右手続を未了の状態に置く法的利益がある。換言すれば、「仮放免期間延長請求」をなした申立人の(請求人たるの)地位が法的保護に値するものであるとして、なお、本件申立ての、申立ての利益を肯定する余地があるかのようにも考えられる。殊に、法務大臣の「在留期間更新不許可処分」についての効力の停止を認めた東京地裁決定昭和四五年九月一四日判例時報六〇五号二四頁の例からして、本件申立てについても同様に効力の停止が認められるべきではないかと考える者があるかも知れない。
しかし、前述のような、仮放免についての令の規定並びに実務上行われている仮放免の期間の延長の性格からして、期間延長の請求の如きものは全く考えられないし、在留期間の更新の場合には、従来適法に在留活動が認められていたのであるから、更新の申請がなされ、これに対する行政庁の許否の応答のない限り、不法残留者として取扱われることが適当でないといえる余地があるとしても、仮放免の期間延長の場合には、もともと退令の発付により在留活動の禁止が確定して収容され、その後期間を限つて仮放免(収容の一時的解除)がなされたものであるから期間経過後の期間延長請求人たるの地位が法的保護に値いするものでないことは明らかである。

退去強制令書発付処分等取消請求事件
昭和49年(行ウ)第26号
原告:A、被告:東京入国管理事務所主任審査官・法務大臣
東京地方裁判所
昭和52年10月18日

判決
主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 被告東京入国管理事務所主任審査官が昭和四八年一一月二二日付で原告に対してした退去強制令書の発付処分を取り消す。
2 被告法務大臣が昭和四八年一〇月三〇日付原告に対してした原告の出入国管理令第四九条第一項の規定に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決
二 被告ら
主文と同旨の判決
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和二二年一二月一二日韓国慶尚南道において、父Bと母Cとの間の長男として出生した外国人であるが、昭和四七年九月下旬有効な旅券を所持しないで大阪港に上陸し、本邦に不法入国した。
2 原告は、東京入国管理事務所入国審査官により出入国管理令(以下「令」という。)第二四条第一号に該当すると認定されたので、口頭審理の請求をしたところ、特別審理官は入国審査官の認定には誤りがない旨の判定をした。
そこで、原告は、被告法務大臣に対し令第四九条第一項の規定による異議の申出をしたところ、被告法務大臣は昭和四八年一〇月三〇日付で右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、次いで、被告東京入国管理事務所主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)は同年一一月二二日付で原告に対し外国人退去強制令書(以下「本件令書」という。)を発付(以下「本件令書発付処分」という。)した。
3 しかしながら、本件裁決及び令書発付処分は、次の理由によりいずれも違法である。
 (送還先に関する違法)
 本件令書には、送還先として「朝鮮」と記載されている。
しかしながら、退去強制令書には送還先として特定の国を記載しなければならないものである(令第五一条、令施行規則第三八条、令第五三条)ところ、「朝鮮」という国は存在しない、また、「朝鮮」という用語は、いかなる意味においても特定の国家の表示とはいえないから、本件令書は送還先として特定の国の記載がなく、かつ、送還先の特定を欠くものである。
したがつて、本件令書発付処分は違法である。
 本件令書には、送還先として「朝鮮」と記載されているが、「朝鮮」なる国は存在しないから、「朝鮮」なる国に強制送還することは執行上不能であり、かかる内容を有する本件令書発付処分は違法である。
 本件令書発付処分は、原告を韓国に送還しようとする目的でされたものであり、このことは韓国に送還する目的で設置されている大村入国者収容所に原告を収容していることによつても明らかであるが、右発付処分は次の理由によつても違法である。
1 朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」ともいう。)の国籍法(一九六三年一〇月九日公布)には、次の規定がある。
第一条 朝鮮民主主義人民共和国公民は次のとおりである。 
一 朝鮮民主主義人民共和国創建以前に朝鮮の国籍を所有していた朝鮮人とその子女で、本法の公布日までにその国籍を放棄しなかつた者
二 (以下略)
2 原告の父Bは右規定によつて北朝鮮の国籍を有し、原告は前記1のとおり昭和二二年一二月一二日父Bの長男として出生したが、いまだ北朝鮮の国籍を放棄したことはない。
したがつて、原告は北朝鮮の国籍を有する者である。
3 よつて、原告を韓国に送還しようとする本件令書発付処分は、令第五三条第一項の「退去強制を受ける者は、その者の国籍又は市民権の有する国に送還されるものとする。」の規定に違反し無効である。
 本件令書発付処分が、原告を北朝鮮へ送還するものであるとしても、わが国と北朝鮮とは現在国交がないため、実力をもつて原告を北朝鮮に送還する方法がないから、右処分は執行不能であり、かかる内容を有する右処分は違法である。
なお、令第五二条第四項は、自費出国について規定しているが、右自費出国の方法はいわゆる直接強制にあたらないし、右の方法によつても北朝鮮の承認がない限り入国は不可能である。また、原告が右の自費出国を希望していないものである以上、北朝鮮への送還は不能である。
 (確立された国際法規ないし憲法九八条第二項違反)
 難民の地位に関する条約は、政治難民すなわち、政治的意見の相違の理由をもつて迫害を受ける十分な根拠があり、そのため外国に居てこれらの恐怖により自国の保護を受けられないか、又は、それを望まない者(同条第一条A項参照)を、その生命及び自由が脅かされている国へどのような方法を使用するにしろ追放又は強制送還してはならないと定めている(同条約三三条参照)。
わが国は、前記条約を批准していないが、世界三九か国がこの条約を批准しており、この条約は、難民保護の歴史に照らしても、すでに国際間で慣習法となつていたものが成文化されたものであるから、憲法九八条第二項にいう「確立された国際法規」にあたるものである。
 原告は、右条約にいう政治難民である。
1 韓国は、勝共統一を叫ぶ反共国家であり、一九六〇年公布の国家保安法は反国家団体の不法支配下にある地域と往来した者は五年以下の懲役に処する(第六条)と定め、また、一九六一年七月公布の反共法は国外の共産系列の活動を讃揚、鼓舞またはこれに同調した者は七年以下の懲役に処する(第四条)と定め、国外の共産系列の構成員と会合し、通信し、金品の提供を受けた者は七年以下の懲役に処する(第五条)と定め、かつ、これらの罪を犯した者を知りながら捜査機関に告知しなかつた者は五年以下の懲役又は一〇万ウオン以下の罰金に処するという不告知罪の規定(国家保安法第九条、反共法第八条)を置いている。
そうして、韓国では、朝鮮民主主義人民共和国を反国家団体であると規定し、また、在日本朝鮮人総聯合会(以下「朝鮮総聯」という。)は反共法にいう国外の共産系列にあたると解されている。
2 原告の父Bは、昭和一二年ごろ朝鮮から日本に来たものであるが、同三二年から大阪でパチンコ業を営み、同三三年D組合理事となり、次いで同副理事長、同組合長を歴任し、さらに同四三年E会長に就任し、今日に至るまで在日朝鮮人の権利擁護のために闘つてきたもので、朝鮮総聯創立以来の活動家であり、同四八年一〇月二〇日から同年一二月八日までの間、E祖国訪問団に加わり、北朝鮮を訪問した。
3 原告が韓国に送還されるときは、原告は、父Bと会合連絡し、金品の提供を受けたこと及び朝鮮総聯の主張に同調したことの故をもつて、前記国家保安法及び反共法により処罰される虞がある。
 したがつて、本件裁決、政治難民である原告を迫害の待つ韓国に送還することになるものであるから、確立された国際法規ないし憲法第九八条二項に違反するもので無効である。
また、本件令書発付処分は、右裁決を前提としたものであるから、その前提を欠くことになり違法である。
 (裁量権の範囲の逸脱又はその濫用)
 仮に、政治難民を迫害の待つ国に強制送還してはならないことが国際慣習法とまではいえないとしても、このことは正義・人道にかなうものとして国際法上の法の一般原則ないし条理となつている。
 原告は、本件裁決及び令書発付処分により韓国に強制送還されることになると、前記のとおり国家保安法等により重い刑に処せられる危険がある。
 日本国政府は、第四一回国会衆議院法務委員会(昭和三七年八月二四日)において、前記のの難民の地位に関する条約に関し、「日本としてもその条約の趣旨には賛成でございますので、これに入る入らないを問わず、人道を尊重するというその原則で行動すべきことは当然でございます。」と答弁した。
 日本に在留する朝鮮人については、その歴史的経過及び人道上の配慮などから、一般外国人と異なる法的地位が認められている。
法務大臣は、朝鮮人が肉親を頼つて不法入国した場合、事情に応じ特別在留許可を与える取扱いをしてきており、昭和四八年には朝鮮からの不法入国者五三〇名に対し、三五四名に特別在留許可が与えられ、昭和三九年から同四八年までの一〇年間に、朝鮮人のうち九六四六名に対し特別在留許可を付与している。そうして、右在留許可を受けた者の数は、在日朝鮮人六十四万八千余人のうち二万二〇〇〇人にも及んで居り、特別在留許可は不法入国の朝鮮人に対し高い比率で与えるというのが行政先例ないし行政慣行である。
 原告は、父Bを頼つて入国したものであり、韓国には肉親はおらず、また、強制送還されれば再び実父に再会できる機会はおそらく一生無くなつてしまうことになる。
 以上に述べた諸事情が存するものであるから、被告法務大臣は本件裁決をするに際し、令第五〇条第一項に基づき原告に対して特別在留許可を与えるべきであるのに、これを付与することなく本件裁決をしたものであるゆえ、同裁決は裁量権の範囲を逸脱したか、又は裁量権を濫用したものであつて違法である。
また、被告主任審査官のした本件令書発付処分も、右裁決を前提としてなされたものであるから違法である。
よつて、原告は本件裁決及び令書発付処分の各取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1及び2の事実は認める。
2 請求原因3ののうち、本件令書の送還先欄に「朝鮮」と記載されていることは認め、その余は争う。3の及びの主張は争う。
3 請求原因3のについて
のうち「難民の地位に関する条約」に原告主張のような規定があること、わが国が右条約を批准していないことは認め、同条約が「確立された国際法規」であることは争う。
の1は不知。2のうち原告の父Bが大阪でパチンコ業を営み、現在E会長の職にあり、昭和四八年一〇月二〇日から同年一二月八日までの間、再入国許可を受けて、親族訪問、経済事情視察のため出国したことは認め、その余は不知。3は争う。
の主張は争う。
4 請求原因3のについて。の主張は争う。の事実は否認する。の事実は認める。のうち、原告が父を頼つて入国したことは認め、その余は争う。
三 被告らの主張
(請求原因3のに対し)
1 本件令書は、送還先欄に「朝鮮」と記載されているが、この記載は何ら違法でない。
 原告は朝鮮半島出身者であり、朝鮮半島のうち韓国の支配する地域から本邦に不法入国した者であるところ、韓国政府発給の旅券又はこれに代わる国籍を証明する公的文書を所持しておらず、にわかに韓国の国籍を有する者と認定できないので、被告主任審査官は、本件令書の送還先欄に朝鮮半島全域を表示する「朝鮮」と記載し、原告を朝鮮半島に送還するものであることを表示した。
 このような場合において、令書の発付を受けた者が、韓国への送還を希望するときは韓国に、また韓国政府の有効な支配及び管轄権が及んでいない朝鮮半島のその余の地域への送還を希望するときはその地域に、それぞれ送還するものとしており、さらにその者が朝鮮半島のいずれの地域にも送還されるのを希望せず、他の第三国への送還を希望するときは、自らの費用で当該希望する国に退去することも可能(令第五二条第四項)である。
 令第五三条にいう国は、「国家」を指す場合と未承認国や朝鮮半島のように「地域」を指す場合があると解すべきであるから、この意味では「朝鮮」も同条にいう国にあたるものである。
 したがつて、本件令書の送還先欄の「朝鮮」の記載は、朝鮮半島を指すものとして送還先が特定されているのみならず、朝鮮半島という送還の地域を韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいる地域とするか、あるいはそれ以外の地域とするかについては、原告が選択特定することができるものである。
(請求原因3のに対し)
2 原告は、本件令書発付処分が、原告を韓国に送還するものであるとして、本件裁決及び右令書発付処分の違法を主張するが、右1記載のように本件令書により原告はその国籍の属する国に送還されることになるものであり、原告が韓国への送還を希望する場合は別として、本件令書発付処分により原告は必ずしも韓国に送還されるものではないから、原告の右主張は前提を欠き失当である。
(請求原因3のに対し)
3 本件令書発付処分を受けた原告が、送還先として朝鮮半島のうち韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない地域に送還されることを希望した場合には、その地域に送還することが可能である。
わが国は、右地域とは国交をもたないので、令書第五二条第三項本文により、右地域に被退去強制者を直接送還することはできないが、同条第四項に基づき、被退去強制者が主任審査官の許可を受けて自らの負担により、自ら本邦を退去することができ、これも退去強制令書の執行の一形態であり(令第五二条第三項、第四項)わが国の港から右地域に向けて出発する船舶等を利用して本邦から退去することもでき、この方法により退去強制令書を執行することが可能である。
なお、原告が韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島のその余の地域に送還を希望し、かつ、令第五二条第四項の規定による自費出国の許可申請をしないときは、送還先についての選択権を放棄したものとして、朝鮮半島のいずれの地域にも送還が可能となるものであるから、本件令書発付処分が執行不能とはならない。
(請求原因3のに対し)
4 難民に関する条約は、いまだ国際的に法規範としての意識に支えられ、国際慣習法として確立しているものではないから、右条約は憲法九八条第二項にいう「確立された国際法規」に当らない。
なお、右条約は、不法入国者に在留を許可すべき義務を締約国に課しているものではなく、単に他国内への入国許可を得るための相当の期間及びすべての必要な便宜を与える義務を負わせるにすぎない(同条約第三一条参照)ものである。
 原告は、勉学のためわが国に在留する父を頼つて韓国から不法入国したもので、その不法入国の動機や本国における状況等において、全く政治的背景はない。
また、原告の父Bが、E会長の職にあり、昭和四八年一〇月E祖国訪問団に加わり、北朝鮮を訪問したことを目し、その子である原告がこの理由のみで、本国において政治的迫害を受けるとは到底考えられない。したがつて、本件裁決及び令書発付処分は憲法第九八条第二項に違反するものではない。
(請求原因3のに対し)
5 被告法務大臣の本件裁決には裁量権の範囲の逸脱又はその濫用はない。
 政府の第四一回国会衆議院法務委員会(昭和三七年八月二四日)における答弁は、人道を尊重するという原則を述べたものに過ぎず、原告主張の答弁に引き続いて法務大臣は難民に関する条約に加入していないわが国は同条約に規定するような国際法上の義務を負うものではないことを明言している。
 令第五〇条に基づき、在留の特別許可を与えるかどうかは法務大臣の自由裁量に属するものである。
法務大臣が令第五〇条に基づき、在留の特別許可を与えるかどうかは、当該外国人の主観的個人的事情だけでなく、送還事情、国際関係、内政外交政策等の客観的事情をも総合的に考慮のうえ、これを決する恩恵的措置であり、その裁量の範囲はきわめて広い、そうして右客観的事情は時代と共に変遷するものであるから、単に統計上の在留の特別許可件数、入国時期、家族状況のみを比較して、本件裁決の違法をいうのは失当である。
 原告は、韓国慶尚南道において出生し、二四歳に達するまで父から直接の養育を受けることなく韓国で生育し、韓国の大学を中退後兵役にも服したもので、わが国に父が居住しているが、姉二人及び叔父ら近親者の多くが韓国で平穏に生活している。また原告のわが国での生活は不法入国から本件令書発付処分まで僅か一年余に過ぎないものであり、原告は成人にも達し、自活能力を有しており、父の扶養を必要としないもので、生活の本拠がわが国にあるものとは認められず、その経歴、家族状況等からみても、原告に在留許可をすべき特別の事情は全く見当らない。
したがつて、被告法務大臣が原告に対し在留の特別許可を与なかつたことについては、何ら裁量に誤りはない。
第三 証拠《省略》
理 由
一 請求原因1及び2の事実は当事者間に争いがなく、同1の事実によれば、原告が令第二四条第一号の規定に該当することは明らかである。
二 そこで、本件令書発付処分及び本件裁決が違法であるとする原告の各主張について順次判断する。
1 (本件令書の送還先について)
 原告は第一に本件令書には送還先として「朝鮮」と記載されているところ、「朝鮮」という国は存在しないから右記載は特定の国家の表示といえず、かつ送還先の特定を欠くもので、本件令書発付処分は違法であると主張する。
先ず、本件令書には、送還先として「朝鮮」と記載されていることは当事者間に争いがない。
次に、前記一の争いのない事実、原本の存在及びその成立に争いない乙第九、一〇号証、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、昭和二二年一二月一二日韓国慶尚南道において、父Bと母Cとの間に出生し、同四九年九月下旬有効な旅券を所持しないで韓国釜山市から本邦に入国したが、韓国政府発給の有効な旅券又はそれに代わる国籍証明書を所持していなかつた。そこで、被告主任審査官は、原告が韓国の国籍を有する者かどうかについて容易に認定できなかつたので、本件令書の送還欄に「朝鮮」と記載して右令書を発付した、以上の事実を認めることができる。
また、弁論の全趣旨によれば、右のような経緯により送還先として「朝鮮」と記載した退去強制令書が発付された場合、被退去強制者の送還については、被退去強制者が韓国への送還を希望するときは韓国に、また、韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島のその余の地域への送還を希望するときはその地域に、それぞれ送還することにしていることが認められる。
令第五一条、令施行規則第三八条が退去強制令書に送還先を記載すべきことを定めた趣旨は、退去強制令書発付の段階で送還先を定め、これをあらかじめ被退去強制者に知らしめることにあるものと解せられる。
そして、送還先につき定めた令第五三条にいう国とは、一般的には「国家」を指称し、退去強制令書に記載する送還先は「国家」名をもつて表示するのが通例といえようが、未承認国の国籍を有する者の退去を強制する場合等を考慮すると、必ずしも「国家」名をもつて表示しなければならないものではなく、一定の「地域」名をもつて特定し表示することを妨げず、右の国とは「地域」をも含むものと解するのが相当である。けだし、そのように解するのでなければ、未承認国の国籍を有する者に対しては退去強制を命ずることが不可能となつてしまうし、またそのように解しても退去強制令書に送還先を記載することにしたのは法の趣旨に違背するところはないからである。
更に、ある一定の地域全体につき主権を主張してはいるが、そのうち一部の地域については有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない承認国があり、被退去強制者が右一定の地域の出身者ではあるが、右承認国の国籍を有するものとは断定し難い場合には、その一定の地域全体の「地域」名をもつて送還先を定め、これを表示することも許容されると解するのが相当である。けだし、右のように国籍を断定し難い場合に、承認国の「国家」名又は右承認国の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない地域の「地域」名のいずれか一方をもつて送還先を定めるときは、令第五三条第一項に牴触する送還先を定めたこととなる虞があり、かつ右のように一定の地域全体の「地域」名を表示した退去強制令書の執行につき、被退去強制者の自由な意思による選択により、承認国又はその有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない地域のいずれかに送還がされるという運用がはかられているならば、退去強制令書に送還先を記載することとした法の趣旨に違背することはないし、また被退去強制者の利益も何ら害することがないからである。
本件の場合、原告は朝鮮半島の出身者ではあるが、韓国の国籍を有するものとは断定し難い場合であり、また送還先を「朝鮮」と表示した退去強制令書の執行の運用として、被退去強制者の自由な意思による選択により、韓国又は韓国政府の有効な支配及び管轄権が現実に及んでいない朝鮮半島のその余の地域のいずれかに送還するものとされていることは前記認定のとおりである。
したがつて、「朝鮮」という「地域」を表示した本件令書の送還先の表示は令第五一条、令施行規則第三八条、令第五三条に違反することもないし、送還先の特定を欠くものでもない。
 原告は第二に「朝鮮」という国は存在しないから、送還先を「朝鮮」と表示した本件令書は執行上不能であると主張するがその理由のないことは、右から明らかである。
 原告は、第三に、本件令書発付処分は、原告を韓国に送還するものであることを前提とし、原告は北朝鮮の国籍を有する者であるから、原告が韓国に送還されることになる本件令書発付処分は、令第五三条第一項の規定に違反し無効である旨主張する。
しかしながら、本件令書発付処分は、原告を必ずしも韓国に送還するものでないことは、前記で述べたとおりであり、したがつて本件令書発付処分により、原告がその国籍を有しない国に送還されることになるものでないから、原告の右主張は前提を欠き、本件令書発付処分が令第五三条第一項の規定に違反するということはできない。
 原告は、第四に、本件令書発付処分が原告を北朝鮮に送還するものであるとしても、わが国と北朝鮮とは現在国交がないから、その執行は不能であり、右処分は内容の実現不能なものとして違法である旨主張する。
たしかに、令第五三条第三項本文の規定による退去強制令書の執行としては、退去強制を受けた者をわが国と現在国交を有しない北朝鮮に直接送還することは現時点においてできないといえるけれども、しかし、退去強制を受けた者が自己の負担により、主任審査官の許可を受けて本邦を退去することもできることは同条第四項により明らかであり、これも退去強制令書の執行の一つである。したがつて、本件令書発付処分について、その内容が実現不能であるとすることはできないというべきである。
なお、原告は、いわゆる自費出国を原告が希望していない以上、北朝鮮への送還は不能であると主張するが、その場合は、原告が選択権を行使しないのであるから、原告を前記のいずれの地域にでも送還し得るものと解するのが相当であり、結局本件令書発付処分はその内容が実現不能であるということは到底できない。
2 (国際法規ないし憲法九八条第二項違反の主張について)
原告は、本件裁決及び令書発付処分は政治難民である原告を迫害の待つ韓国に送還することになるものであるから、確立された国際法規ないし憲法第九八条第二項に違反すると主張するが、政治難民をその意思に反して迫害の待つ国に引渡してはならないことが国際慣習法として確立しているものとは認められず、また本件令書発付処分は、原告を必ずしも韓国に送還するものではないことは前記1で述べたとおりであるから、右主張は主張自体失当であるのみならず、原告が政治難民に該当しないことは以下認定のとおりである。
 成立に争いのない乙第九、一〇号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は後記3ののとおり日本に居住する父Bを頼り、日本で勉学する目的でわが国に不法入国したことが認められ、証人Fの証言及び原告本人尋問の結果中、原告は韓国でKCIAから取調べを受けるようになつたため、これを悩み、日本に密航を考えたとの部分は、前掲乙第九、一〇号証と対比して信用しない。その他原告が右不法入国前に韓国で政治活動をしていたことないしは特定の政治的意見を有していたことを認めるに足りる証拠は何もない。
 証人B、Fの各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると,原告の父Bは昭和三〇年朝鮮総聯が結成されるとこれに加入し、北朝鮮支持の立場をとり、朝鮮総聯と関係のあるD組合の理事長などの役職についたほか、E会長の地位にあり、同四八年にはEの祖国訪問団の副団長として再入国許可を得て北朝鮮に入国し、四十五、六日にわたつて滞在したこと、原告はわが国に入国後父Bから生活費の支給を受けていたことを認めることができ(BがE会長の地位にあり、昭和四八年に再入国許可を受けて出国したことは当事者間に争いがない)、この認定に反する証拠はない。
しかしながら、原告がわが国に入国後政治活動ないし朝鮮総聯などに関係する活動をしたと認められる証拠が全くないことからすれば、原告が仮に韓国に送還されたとしても、原告の父に関する右事実により、原告が同国の国家保安法及び反共法により処罰されることが確実であると認めることはできないし、他に右処罰の確実性を肯認するに足りる的確な証拠はない。 
してみると、原告は、政治的理由によつて韓国において迫害を受ける十分な根拠があり、この恐怖のためわが国に入国したものないしは在留しているものということはできないから、難民の地位に関する条約にいう政治難民には該当しないというべきである。
したがつて、原告が政治難民であることを前提とする原告の前記主張は、その前提を欠くものであつて失当である。
3 (裁量権の濫用又は逸脱の主張について)
 法務大臣が令第五〇条に基づき与える特別在留許可は、単に異議申出人の個人的事情だけでなく、国際関係、内政外交諸政策をも総合的に考慮のうえ、個別的に決定さるべき恩恵的措置であるから、その裁量の範囲はきわめて広いといわなければならない。
 成立に争いのない甲第九号証、第一七号証、原本の存在及びその成立に争いのない甲第一八号証、乙第九、一〇号証、証人B、Fの各証言及び原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。
原告の父Bは、昭和一四年ごろ来日し、土木の仕事に従事していたが、終戦後の同二二年妻のCは夫を日本に残し、子供二人を伴い韓国に帰り、同年一二月一二日韓国で原告を出生した。
原告は、韓国の高校から大学に進学したが、一年で中退し、次いで韓国陸軍に入隊し、兵役に服したのち同四七年九月下旬日本に居住する父Bを頼り、日本で勉強する目的で大阪港に上陸し、本邦に不法入国した。
原告の父Bは、大阪市でパチンコ店等を経営し、日本人女性と内縁関係にあり、その間に出生した二人の子供らと同居しており、原告は、九月下旬日本に入国し父の家に一旦落ち着いた。原告は、翌一〇月下旬上京し、叔父にあたるF方に同居して日本語の勉強をし、同四九年四月昭和薬科大学に入学した。
原告の母は、昭和四三年四月に死亡したが、結婚した姉二人及び母の兄弟七、八人は現在も原告の本籍地で生活しており、また、母が所有していた住家は現在も釜山に残つている。
以上の事実を認めることができる(原告が韓国で出生し、大阪港に上陸して、本邦に不法入国したこと、Bが大阪でパチンコ店を経営していることは当事者間に争いがない。)。
原告は、原告が韓国に送還されると、再び実父と再会できる機会は一生涯なくなつてしまう旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。
右認定の事実によれば、原告はこれまでもつぱら韓国で生活してきたものであり、日本に実父が居住していることを除いては、わが国の生活の基盤を有するものとはいえない。
 原告は、政治難民の迫害の待つ国に強制送還してはならないことは、国際法上の法の一般原則ないし条理となつていると主張するが、そのような一般原則ないし条理の存在は認められないし、原告が政治難民に該当しないことも前記2で判断したとおりである。
 原告は、原告が韓国に強制送還されると国家保安法等により重刑に処せられる危険がある旨主張するが、前記二の1で述べたように、原告は本件令書発付処分により必ずしも韓国に送還されることとなるものでないのみならず、韓国に送還された場合でも右主張のような重刑に処せられる客観的な確実性があるものとすることができないことも、前記2で判断したとおりである。
 原告は、肉親を頼つて不法入国した朝鮮人に対しては事情に応じ特別在留許可が与えられ、不法入国の朝鮮人に対し高い比率で特別在留許可が与えられている旨を主張するところ、仮に右主張のように事実があるとしても、前記のように特別在留許可が恩恵的措置であつて、その裁量の範囲はきわめて広いことからすれば、右、に認定のような事情にある原告に対し特別在留許可を与えなかつたことについて裁量権の範囲の逸脱又はその濫用があつたとは到底認められないから、本件裁決についてのそのような違法及び本件裁決の右違法を前提とする本件令書発付処分の違法をいう原告の主張はいずれも失当である。
三 よつて原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

仮放免期間延長申請不許可処分取消請求事件
昭和51年(行ウ)第19号
原告:A、被告:神戸入国管理事務所主任審査官
神戸地方裁判所
昭和52年11月11日

判決
主 文
一 本件訴を却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 原告が昭和五一年七月二一日なした仮放免の期間延長請求に対し、被告が同日これを不許可とした処分を取消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨の判決及び本案につき「1、原告の請求を棄却する。2、訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 被告は原告に対し、昭和四一年二月一五日、退去強制令書を発付したので、原告は、右退去強制令書発付処分の無効確認訴訟(当庁昭和五一年(行ウ)第一六号行政処分無効確認請求事件)を提起して現に係属中である。また、同日右行政処分執行停止の申立(当庁昭和五一年(行ク)第九号)をもなした。
2 被告は、原告に対し、同四九年一二月一二日出入国管理令(以下、令という。)五四条により仮放免を許可し、その後一か月ないし一〇日間の期間を定めて仮放免の期間延長を認めてきた。
3 ところが、同五一年七月二一日、原告が被告に対し、右仮放免の期間延長の請求をしたのに対し、被告は、特段の理由もなく、これを不許可とし、即日、原告を神戸入国管理事務所(以下、神戸入管という。)に収容した。
しかし、被告の右仮放免期間延長不許可処分は次の事由により違法であつて取消されるべきである。
 憲法一八条、三一条違反
原告に対する退去強制令書に基づく執行は、その送還部分につき、同五一年七月一〇日、前記行政処分執行停止申立事件における当庁の決定により、本案判決(前記退去強制令書発付処分の無効確認訴訟)確定まで停止されているので、本案判決確定までは送還が不可能である。にもかかわらず、原告を収容することは、原告を社会生活から隔離し、原告の提起した前記訴訟の遂行に関与することを認めないことになる。原告が裁判所に出頭するか否かは本人の自由意思に委ねられているとはいえ、その意思がある以上何人といえどもこれを拒否できない筈のものである。たとえ代理人が委任されていても、原告が収容されている場合には、代理人のみが出頭しても、原告は訴訟の内容を十分に知り得る機会を持てないし、しかも、
収容所の中で、常に被告側より訴の取下を強要される虞れが十分あるとともに、社会関係から隔離されたことに伴う精神的苦痛から、訴訟を断念して帰国を決意せざるを得ない状況におかれているともいえるのである。かくては、右不許可処分は、原告の裁判を受ける権利を実際上保障しないことになり、むしろ、これを原告から奪うものである。
また、原告の妻子に対しても退去強制令書が発付されたが、同人らに対しては、その執行が収容部分をも含めて大阪高等裁判所の決定により停止されているにもかかわらず、原告を仮放免することなく収容することは、夫婦親子の生活をも踏みにじることにもなる。被告は、原告が病気の治療を要する状態になつても、三か月以上も放置した後、代理人が人身保護の請求をする段階になつて、ようやく、病気治療を理由とする仮放免の許可をしたものである。
原告を仮放免することなく収容することは奴隷的拘束ともいえるのである。
よつて、本件仮放免不許可処分は、憲法一八条、三一条に違反している。
 覊束裁量違反
令五二条各項の規定の趣旨からして、退去強制令書に基づく収容処分は、送還が一時的に不可能な場合に、将来送還が可能になるときまで一時的に身柄を収容する処分であり、仮放免は、送還が長期間不可能な場合に送還が可能となるときまで身柄を収容することは酷であり、また長期間社会生活から隔離することは人道上許されないことから、送還可能となつた場合、直ちに収容できるように行動範囲の制限を設けてなされるものである。そして、仮放免には、住居、行動範囲の制限、呼出に対する出頭の義務、その他必要と認める条件を付することができるけれども、その眼目は逃亡の防止と送還が可能となつた場合に収容が容易にできるためにあることが明らかであつて、在留活動を禁止する規定はなく、現行法上、収容処分は送還のための身柄確保を唯一の目的とするものである。
ところで、令五二条六項は、「退去強制を受ける者を送還することができないことが明らかになつたとき」は「入国者収容所長又は主任審査官は」、「その者を放免することができる。」と規定しているが、これは、送還できない者を収容することは人道上許されないとの趣旨から規定されたものであり、仮放免につき規定された令五四条の特別規定である。右規定は、主任審査官に右権限が与えられていることを指摘したのにすぎないものであつて、人道上の見地から規定である以上、これをもつて自由裁量とはいえない。現実には令五二条六項の放免制度は適用されず、収容者の申請による仮放免許可の形になつているのであるから、たと
え令五四条の仮放免の形をとつても、令五二条六項の趣旨から同項の条件に該当する場合には、すなわち本件においては、退去強制令書の送還部分の執行停止決定がなされているのであるから、このような場合には、送還することができないことが明らかであるから、被告は原告を仮放免すべき法的義務を負うものというべきであつて、これは覊束裁量である。本件仮放免不許可処分は右義務に違反している。
 自由裁量権の濫用
仮に、被告の原告に対する本件仮放免不許可処分が自由裁量であるとしても、被告の右処分については次のような事情がある。
 本件収容が原告の前記訴訟提起に対する報復的措置であること。
原告は、昭和四九年一二月一二日から同五一年七月二一日まで仮放免の許可を受けていたものであるが、同五〇年三月から身障者らに貴金属加工の技術指導をしており、被告もこれを熟知していたし、原告が同年九月に有限会社Bを設立したときには、その登記簿謄本を被告に提出していたものであつて、被告は、これらを黙認して仮放免許可を継続してきた。これらの事実からしても、被告は、原告に帰国意思がないことを熟知して仮放免してきたことは明らかである。被告は、同五一年七月二一日に原告を収容したが、それは、その時点で、原告の仮放免許可申請の理由がそれまでの「帰国準備」から「送還部分の執行停止により本案判決確定までの仮放免」という理由に変わつたことを奇貨として、報復的措置として収容したものであつて、原告に帰国意思がないことがその時点で被告に明らかになつたためではない。すなわち、被告は、当庁における前期執行停止申立事件についての前記決定がなされるや、退去強制令書の収容部分につき執行停止決定がなされなかつたことおよび前記のように仮放免許可申請の理由が変更したことを奇貨として、本件仮放免期間延長請求につき、これを不許可として、原告の右訴訟提起に対する報復的措置をとつたものにほかならない。
 原告が収容に耐えない状態であることを被告は熟知していたこと。
原告は、前期執行停止申立事件において、原告が左変形性股関節症の治療にあたつており、手術治療を要する状態であつて、収容に耐えない虞れがあることを主張し、医師の診断書も添付していたから、被告は、右事実を熟知していた。それにもかかわらず、被告は、仮放免不許可処分をなし、原告を収容したため、右病状は悪化し、収容に耐えない状態になつた。しかも被告は、原告を三か月以上仮放免をせず、収容を継続して放置したため、原告は、約六か月の手術治療を要する状態となつたものである。
 原告の収容により身障者の生存権を否定する結果となること。
原告は、有限会社Bにおいて、従業員の身障者三名に対し、貴金属加工の技術指導をしていたが、原告が収容されたため、残された身障者らは必死に職場を守つているものの、右会社は赤字経営となり、何時倒産するかもしれない状態に追いこまれている。貴金属加工は、身障者の職場の拡大に大きな意義を持つており、原告が身障者のためにその指導を継続することは、公共の福祉にも合致しているものであつて、その成功を社会福祉関係の団体も期待していた。神戸市議会や兵庫県知事も、原告が収容される前から、原告が社会福祉に貢献している事実を指摘して、原告のために特別在留許可をするよう嘆願書を法務大臣に提出している次第である。したがつて、原告を収容することは、とりもなおさず身障者の社会福祉に目をつぶることであり、身障者の生存権を否定することにほかならないものである。
 高等裁判所の決定を待たずに原告を収容したこと。
原告は、前期執行停止申立事件において、退去強制令書の送達部分に限り執行停止決定があつたことを不服として、大阪高等裁判所に即時抗告していた。したがつて、被告は、原告を収容するか否かについては、同裁判所の決定を待つべきであつたにもかかわらず、原告を苦しめるのに性急で、右決定を待つことなく、原告を昭和五一年七月二一日収容した。
ところが、同裁判所では、原告の妻子について、退去強制令書の収容部分についても執行停止決定がなされたため、夫婦親子が引離されるという人道上ゆゆしき状態を招来した。
しかしながら、被告は、原告を仮放免せずに収容するという非人道的な行為を継続した。
 原告は、仮放免の期間中、その許可条件に違反したこともなく、その生活状況全般につ
き新たな変化があつたわけでもなく、また、令五五条一項に定める仮放免取消の事由に該当する事情もなかつた。
以上のような事情のもとで、被告の本件処分が自由裁量権の濫用となるか否かは、本件処分によつて得られる被告の利益と、収容されることによつて被る原告の不利益の比較考量であり、後者の不利益が著しい場合に自由裁量権の濫用となるというべきところ、原告を収容することによつて得られる被告の利益は、原告を社会生活関係から隔離し、原告に帰国を間接的に促し得る利益であり、他方、収容されることによつて被る原告の不利益は、社会生活関係から隔離される苦痛のほか、左股関節の悪化による激痛であり、夫婦親子の別離であり、身障者三名の生存権の破壊である。収容されることにより被る原告の不利益は、被告の前記利益に比し、著しいものがある。本件不許可処分は、被告の自由裁量権の著しい濫用であり、その裁量の範囲を著しく逸脱濫用したものというべきであるから、違法として取消されるべきものである。
二 本案前の抗弁
原告は、新たに、昭和五二年三月二六日、横浜入国者収容所長から、仮放免許可を受けて、現在、仮放免中であるので、本訴は訴の利益を欠くものというべきである。
原告は、昭和五二年三月二六日付の仮放免の許可には、許可後速やかに神戸大学医学部付属病院において手術するため入院すること、収入を得る活動に従事しないことの二つの条件が付されているとして、これを理由として本訴に訴えの利益があると主張するが、理由がない。すなわち、仮放免の期間延長の法的性質は、単純な期間の延長ではなく、期間満了により仮放免の許可は当然に失効し、また新たに仮放免の許可を与える行為であると解されるので、仮放免の期間延長請求も、その実質は令五四条一項の仮放免の請求であると解される。したがつて、仮放免の期間延長に際し、主任審査官は新たに適当な条件を付することができるのであつて、仮に、裁判所において、本件仮放免の期間延長不許可処分が取消されたとしても、当然には「収入を得る活動に従事したいこと。」等の条件の付せられていない無条件の許可が受けられることにはならないから、従来の仮放免許可には条件が付せられていないにもかかわず、右仮放免許可に前記条件が付せられていることをもつて、本訴につき訴の利益があるということはできない。
また、退去強制令書に基づく収容が認められる趣旨は、送還のための身柄確保のためのみならず、令により本邦における在留活動が許容されない外国人を隔離してその在留活動を禁止し、かつ、送還に至るまでの間に同人が新たな社会経済活動をするなどして、日本国内における定着度を増し、あるいは、新たな利害関係を生じて送還をより困難にすることのないようにする点にあるから、既に退去強制令書が発付されて在留資格を有しない者が仮放免の許可を受けた場合に、新たに経済活動をすること等これにもとる活動が許されないことは、仮放免許可書に条件として記載されているか否かにかかわらず当然のことである。同五二年三月二六日付の仮放免許可書に前記条件が明示的に記載してあるのは、前回仮放免許可を受けていた際の原告の行動にかんがみ、その趣旨を一層徹底させるためである。同五一年七月二一日までの仮放免許可の期間が前記条件を付せられないまま延長されたとしても原告の利益に差異はない。
したがつて、右の仮放免許可に前記条件が付せられていても、仮放免が許可された以上、本訴に訴の利益がないものである。
三 請求原因に対する認否
1 請求原因1、2の事実は認める。
2 同3のうち、同五一年七月二一日、原告が仮放免期間延長請求をなしたのに対し、被告がこれを不許可とし、即日原告を神戸入国管理事務所に収容したこと、同月一〇日、同五一年(行ク)第九号事件につき、原告主張の執行停止決定がなされたことは認め、その余は争う。
四 被告の主張(本件不許可処分の適法性)
1 本件不許可処分に至る経緯
 原告に対する退去強制令書発付に至る経緯
 原告は、昭和一三年一一月二八日中国台湾省台北県《住所略》において中国人父C、同母Dの四男として出生した中国人である。
原告は、台北市所在のE学校を一七歳の時に卒業後、同市所在のF(工業原料貿易商)に約八年間勤務した。その間同三六年一二月にG(同一三年三月一七日生)と結婚し、同女との間に長男H(同三七年七月一〇日生)、長女I(同三九年一一月三日生)をもうけた。
 原告は、前記Fの社員の身分を有したまま、同三九年八月一一日、東京オリンピツク見物と、業務を兼ねて本邦に入国し、神戸市《住所略》に居住の妻の叔父Jの許に寄寓したが同四〇年四月一一日神戸港から沖繩に出国した。
 同四〇年六月二四日大阪入国管理事務所伊丹空港出張所入国審査官から令四条一項一六号、特定の在留資格及び在留期間を定める省令一項三号に該当する者としての在留資格と、その在留期間三〇日の認定のもとに、その旅券に上陸許可の証印を受けて再び本邦に上陸し、前回同様前記Jの許に寄寓し、同年七月一九日法務大臣に対し、右在留期間の更新を申請したが、同年八月四日右申請を不許可とされ、その旨の通知を受けた。
 神戸入管入国警備官は、同四〇年八月五日原告が令二四条四号ロに該当する容疑のあることを知つたので違反調査を行つたが、原告は、船室予約証を提出して同年九月三日神戸港から基隆向けの船舶で出国する旨申立てた。そこで神戸入管所長は原告に対し同年九月一日までに予約船に乗船し出国するよう勧告した。しかし、原告は、同年八月二六日左変形股関節症のため神戸医科大学附属病院整形外科六〇六号室へ入院したので違反調査は一たん中止された。その後同人は、同年一二月七日同病院を退院した。
 神戸入管入国警備官は、同四一年一月一七日右違反調査を再起し、同年一月二一日神戸入管入国審査官に事件を引渡した。神戸入管入国審査官は、同年二月一五日審査の結果原告が令二四条四号ロに該当すると認定し、同日原告及び主任審査官にその旨を知らせたところ、原告は同日その認定に服し口頭審査を請求しない旨の文書に署名した。そこで主任審査官は、即日退去強制令書を発付し、神戸入管入国警備官は、退去強制令書を原告に示しこれを執行し原告を神戸入管収容場に収容した。
 退令発付後の経緯
 同四一年二月一五日神戸入管主任審査官は、原告の請求により、同人の左変形性股関節症の治療のため、同日原告の仮放免を許可した。
 ところが原告は、右の仮放免中の同四二年六月ころ、本件退令の執行を免れるべく逃亡したため、同年六月二〇日当時仮放免を所管していた福岡入国管理事務所主任審査官は、原告の仮放免を取消した。
 同四九年一二月一〇日、原告は、神戸市生田警察署警察官から、台湾・本邦間の金及び服飾品の密貿易容疑により捜査を受けるや、同月一二日神戸入管に出頭して、前記のように仮放免中逃亡した事件を申告したので、神戸入管入国警備官は、同日原告に対し仮放免が取消されている旨を告げ、かつ、本件退令の写を示して神戸入管収容場に収容したが、原告は、神戸入管入国警備官に対し、本邦に存留することが認められなければ帰国する、同居中の妻子らは同五〇年三月ころには帰国させる旨供述したうえ、「妻子のいる台湾に帰国したいが、帰国のための入境証取得並びに家事整理の都合がある」との理由により入境許可が下り次第自分から進んで出国する旨を誓約して、仮放免の請求をしたので、被告は、同日入境証の取得並びに身辺整理のため、同月二五日までの期間を限つて原告の仮放免を許可した。
 原告は、同四九年三月以来、K店との間に交した技術提供に関する契約に基き同店で稼働していたところ、同五〇年八月右K店が破産したとして、原告は神戸入管から会社を設立してその責任者となることは適当でないとの警告を受けていたにもかかわらず同年九月「有限会社B」を設立し、その代表取締役に就任した。
神戸入管は、事業・家事などを整理のうえ早期に出国するよう口頭による指示をし、同五一年五月七日には、審査第二課長は「速やかに自費出国すること、そうしないときは、仮放免期間延長が認められず収容・送還されることもある」旨警告した。これに対し原告は、同年三月三〇日ころ、旅券交付申請のため在大阪亜東関係協会大阪弁事処に赴き右手続を開始したものの、その後は旅券交付申請・入境許可証取得などの手続を進めたと認められなかつたので、被告は、同年五月二六日以降は、仮放免の期間をそれまでのおおむね一か月であつたのを二〇日ないし一〇日に短縮して許可したところ、原告は同年六月再び前記亜東関係協会大阪弁事処へ赴いたが旅券交付等の申請を行つたとは認められなかつたのみならず、原告は「収容されてもやむを得ない」旨供述し、自ら出国する意志のないことを表明するに至つた。 
そして、原告は、同五一年六月二一日当庁に対し行政処分無効確認請求(当庁昭和五一年(行ウ)第一六号)を提起し、同時に行政処分執行停止申立(当庁昭和五一年(行ク)第九号)をした。
その後も原告が帰国準備を理由に仮放免期間延長の申請をしたので、被告は原告の真意をはかるためこれを許可した。
 しかるに原告は、その後前期執行停止申立事件の決定により、本件退去強制令書の送還部分の執行が停止されたことを奇貨として、同年七月二一日「神戸地裁より、送還部分の執行停止が認められましたので、本案判決確定まで引続き仮放免許可されたい」との理由により仮放免の期間の延長を願い出たが、被告は、原告の右願出の理由を検討し、従前の期間延長の状況、その理由並びに原告の態度を考え合わせて、仮放免の期間延長は相当でないと判断し、これを認めないこととして同日原告にその旨口頭で通知した。
そして神戸入管入国警備官は、同日午前一一時仮放免許可期間満了とともに原告を神戸入管収容場に収容し、その翌日原告を横浜入国者収容所へ移送した。
 因みに原告の妻及び長男・長女は(以下「原告の家族」という。)同四九年九月四日大阪入国管理事務所伊丹空港出張所入国審査官から、令四条一項四号に該当する者としての在留資格(在留期間六〇日)でその渡航証明書に上陸許可の証印を受けて本邦に上陸し、原告と同居するに至つた。
原告の家族らは二回にわたつて右在留期間の更新許可を受けたのち、同五〇年二月二六日法務大臣に対し第三回目の在留期間更新許可申請をしたが、これを不許可とされ、同年三月一一日その旨の通知を受けた。
神戸入管入国警備官は、昭和五〇年三月一一日原告の家族らが令二四条四号ロに該当する容疑のあることを知つたので違反調査を行い、同月二五日神戸入管入国審査官に事件を引渡した。神戸入管入国審査官は同年四月九日審査の結果、原告の家族らはいずれも令二四条四号ロに該当すると認定したところ、同人らは同日口頭審理を請求した。そこで神戸入管特別審理官は、同月二五日口頭審理の結果、右認定に誤りがないと判定したが、原告の家族らは、同日法務大臣に対し、異議の申出をした。
法務大臣は、同年七月一日右異議の申出は理由がない旨裁決し、これを神戸入管主任審査官に通知したので、神戸入管主任審査官は原告の家族らにその旨を告知して同年七月二八日退去強制令書を発付した結果、原告の家族らは即日神戸入管収容場に収容されたが、代理人からの仮放免の請求があつたので神戸入管主任審査官は、原告の家族らの仮放免を許可した。
2 本件処分の適法性
 仮放免の自由裁量性
令が定めている在留資格制度においては、外国人は、入国審査官等から在留資格が与えられない限り、本邦において在留活動することができないものである。
したがつて、不法入国者等退去強制事由に該当し退令を発付された外国人は、在留資格を有しないので在留活動が許容される余地はない。
令五二条五項のいわゆる退令収容が認められる趣旨は、送還のための身柄確保のみならず、法令上本邦における在留活動が許容されない退令の発付された外国人を隔離して、その在留活動を禁止し、かつ、送還に至るまでの間に同人が新たな社会・経済活動をするなどして日本国内に定着度を増し、あるいは新たな利害関係を生じ、送還をより困難にすることのないようにする点にある。
このような退令収容の趣旨からして、令五四条に規定する仮放免は、実際上「退去強制令書の発付を受けた者が自らの負担により、自ら本邦を退去しようとするとき」、若しくは、その準備のため、又は病気治療のため等特別な事情のある場合に一時的かつ例外的に認められるものであつて、仮放免の許否は、入国者収容所長または主任審査官の自由裁量によるものである。
このことは、令第五章に定めた退去強制手続が、令三九条、四四条、四五条一項及び五二条五項に規定するごとくその身柄を収容して行うのを原則としていること、並びに令五四条二項の文言に徴しても明らかである。
 本件処分の正当性
前記のような諸事情、殊に原告が令二四条四号ロ(不法残留者)に該ることは明らかであり、かつ、いわゆる特別在留許可を与えるべき事情は存しないこと。
 原告は、昭和四二年六月ころ、仮放免中に逃亡し、七年余りの間行方をくらましていたこと。
 原告は、オリンピツク見物と業務を兼ねて入国し、その後漫然と残留を続けたものであつて、地縁、血縁、その他本邦に残留しなくてはならない特段の理由はなかつたこと。
 昭和四九年一二月ころには、本邦に在留することが認められなければ、妻子ともども、自ら進んで出国する旨申し立て、「帰国のための入境証取得並びに家事整理の都合」を理由に仮放免を請求してその許可を受け、その後は同様の理由で仮放免の許可(仮放免期間の延長)を再三にわたつて受けたのに、「入境証の取得」の手続も、「家事整理」も行わなかつたこと。
 また、それのみならず、その間の昭和五〇年九月ころには、神戸入管当局の警告を無視して、会社を設立し、その代表取締役に就任するなどして、新たな社会・経済活動を開始し、昭和五一年六月ころには、自ら出国する意思のないことを表明するに至つたこと。
 原告には、現時点では、従来原告が仮放免の請求の理由としていたところの、「入境証の取得」並びに「家事整備」その他の出国準備をする意思は全くないこと。
 このように自ら出国する意思もなく、仮放免中に新たな社会・経済活動さえ開始した原告に従来通りの在留活動を認めると、地域社会への定着度を増し、新たな利害関係をも生じることとなり、将来退令の執行により送還することとなつた場合に、送還に支障を来たすことともなりかねないこと。
 原告の現在の社会的地位、営業、生活の基盤は、当初は逃亡中に昭和四九年一二月以降
は、自らも出国する旨の意思表示をなし、出国準備のために許された仮放免期間中に、しかも入管当局の警告を無視して築かれたものであつて、その背信性は強度で、保護に値しないものであること。
 今回の仮放免申請の理由は神戸地方裁判所で、退去強制令書の送還部分の執行停止が認められたので、本案判決確定まで引続き仮放免を許可されたいというものであつて、従来の申請の理由とは全く異なるものであるだけでなく、前記のような退令収容並びに仮放免の趣旨、性格からして、本来的に仮放免の理由とはなり得ないものであること。
 などの事実並びに前記退令収容、仮放免の趣旨性格等からして、本件不許可処分が正当なものであり、裁量権の逸脱、濫用はないことは明らかである。
五 本案前の抗弁に対する原告の主張
原告が、昭和五二年三月二六日に仮放免許可を受けて現在仮放免中であることは認める。しかしながら、まだ、原告は、次の理由により本件仮放免不許可処分の取消により回復すべき法律上の利益を有するので、本訴につき訴の利益を有するものである。すなわち、原告は、本件仮放免不許可処分により横浜入国者収容所に収容されたが、代理人の仮放免許可の交渉にもかかわらず収容が継続されたところ、原告の左股関節の悪化により手術を要する状態に至つた。そこで、同所所長は、原告に対し仮放免を許可したが、その際、許可後速やかに神戸大学医学部付属病院において手術するため入院すること。収入を得る活動に従事しないことの二つの条件が付された。原告は、右条件に反対したが、早急に手術が必要な緊急状態にあつたため、やむなく右条件に応じた。原告は、現在同病院に入院中であるが、将来退院した後には、右条件からすれば再度収容される可能性が十分に存在する。また、仮に仮放免が継続されるとしても、収入を得る活動に従事しないことという条件が付せられているのであるから、家族の生活を維持するための収入活動
ができないこととなつて生存権を侵害されることが明らかであるし、右条件に違反して収入活動に従事すれば収容されるという不利益を被ることになる。したがつて、原告が現在仮放免を受け
ているとはいえ、前記不利益が現存する以上、同五一年七月二一日の原告の仮放免許可申請に対し、これを不許可とした処分を取消して、被告において継続して仮放免を継続すべき義務の存在が確認されるのでなければ、原告の不利益は救済されないというべきである。原告は、行政事件訴訟法九条かつこ書により依然として訴の利益を有する。
六 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1ののないしは認める。同1のののうち原告が認定に服した点は否認。原告が口頭審理を請求しない旨の文書に署名したことは認めるが、原告は文書の内容を知らずに署名したものである。その余は認める。
2 同1のの、は認める。同1のののうち、原告が自ら神戸入管に出願したこと、被告が昭和四九年一二月二五日までの期間を限つて原告の仮放免をしたことは認める。その余は不知。なお原告が神戸市生田警察署警察官から密貿易容疑により捜査を受けたことは否認する。
右捜査を受けたのはLであり、原告は無関係である。
3 同1のののうち、神戸入管から、原告が会社を設立してその責任者となることは適当でないとの警告を受けていたこと、事業家事を整理のうえ早急に出国するよう口頭による指示を受けていたこと、昭和五一年五月七日、審査第二課長が被告主張の警告をしたことは不知。その余は認める。
4 同1のの、は認める。
5 同2のは争う。
6 同2ののないしについて、原告に特別在留許可を与えるべき事情は存しないことは否認する。その存否は、被告の退去強制令書発付処分の違法を争う本案の判決を待たねばならず、軽々に断ずべきではない。原告は日本において親子四人で平和に生活していること、以前から有する金属加工技術を利用して身障者の社会福祉に貢献しており、身障者に引続き技術指導をする必要があること、台湾に帰国した場合に政治犯として処罰される可能性が強いこと等の事実を右訴訟において指摘して被告の処分の違法性を争つており原告の主張は十分理由があるものである。
7 同2ののないしについては、原告が従来「帰国のための入境証取得並びに家事整理の都合」を仮放免申請の理由としていたことは認めるが、これは被告の都合によるものであり、原告の意思とは無関係である。被告が仮放免を許可する場合には、予め申請人に申請の理由の書き方を指示指導し、申請人は言われた通りに書くのが常である。被告の仮放免許可の期間は一年八か月にも及ぶし、昭和五〇年一〇月頃から、身障者はじめ多くの人々が原告の在留の嘆願をしていたのであるから、原告に帰国意思がないことは明らかであり、被告も右事実を十分承知のうえで仮放免してきたものである。
8 同2ののの本件仮放免申請の理由が被告主張の通りであることは認める。本件不許可処分が正当であるとの被告の主張は争う。
第三 証拠《略》
理 由
一 原告は本訴において「請求の予備的追加」として、「昭和五一年七月二一日原告がなした仮放免申請につき、同日被告がこれを不許可とした処分を取消す。」旨の判決を求めて、一見予備的請求のようにみられる請求の趣旨を掲げている。しかしながら、仮放免許可はその限定されている期間満了によつて当然に失効し、また新たに仮放免の許可を与える行為が、いわゆる仮放免期間延長にほかならないと解されるから、いわゆる仮放免期間延長請求も、その性質は令五四条一項の仮放免の請求と同一であると解することができる。したがつて、原告の言う「請求の予備的追加」にかかる請求の趣旨は、本訴における当初の請求の趣旨と全く同一のものにほかならなく、原告は注意的に表現を変更したものと解して以下判断する。
二 被告が原告に対し、原告が令二四条四号ロに該当するとして昭和四一年二月一五日付退去強制令書を発付したところ、原告が同五一年六月二一日右退去強制令書発付処分の無効確認を求める訴訟(当庁同五一年(行ウ)第一六号)を提起し、現に当庁に係属中であること、同時に、原告が同訴訟事件を本案とする右処分の執行の停止を求める申立(当庁同年(行ク)第九号)をなしたこと、被告が原告に対し、同四九年一二月一二日令五四条により仮放免の許可をなし、その後一か月ないし一〇日間の期間を定めていわゆる仮放免期間延長を認めてきたこと、原告が同五一年七月二一日前記行政処分執行停止申立事件において当庁により前記強制退去令書の送還部分の執行停止決定がなされたことを理由にいわゆる仮放免期間延長請求をしたところ、被告が同日付をもつてこれを不許可とし、同日、原告を神戸入管に収容したこと、その後原告は横浜入国者収容所に移されて収容されていたが、原告の左股関節の悪化により手術を要する状態となつたため、同所所長が原告に対し、同五二年三月二六日、許可後速やかに神戸大学医学部付属病院において手術をすること、収入を得る活動に従事しないこと、の二つの条件を付して仮放免を許可し、現在原告が仮放免中であることの各事実は当事者間に争いがない。
してみると、本訴は、被告が昭和五一年七月二一日付でした原告のいわゆる仮放免期間延長請求(仮放免の請求)に対する不許可処分の取消を求めるものであるところ、被告が昭和五二年三月二六日原告の仮放免を許可したことによつて、被告の右不許可処分は、現在その効果がなくなつたというべきであるから、原告がその後においてもなお右不許可処分を取消すことによつて、原告がその処分によつて侵害された権利ないし法律上の利益の回復を求め得るのでないかぎり、本訴は訴の利益を欠くものというべきである。
ところで原告は、前記昭和五二年三月二六日の仮放免許可について、許可後すみやかに神戸大学医学部付属病院において手術するため入院すること、収入を得る活動に従事しないこと、という二つの条件が付せられているために、現在神戸大学医学部付属病院に入院中であるが、将来同病院を退院した際に再度収容される可能性が十分に存するし、また、家族の生活を維持するための収入活動ができなくなり生存権が侵害され、右条件に違反して収入活動に従事すれば収容されるという不利益を受ける虞れがあるので、本訴において同五一年七月二一日付の仮放免不許可処分を取消して、被告において継続して仮放免すべき義務の存在が確認されるのでなければ、原告の不利益は救済されないから、原告は仮放免中といえども本訴において訴の利益を有すると主張する。
しかしながら、本訴は、原告のいわゆる仮放免期間延長の請求に対する被告の昭和五一年七月二一日付の不許可処分の取消を求めるものであるから、本訴が認容されて原告勝訴の判決が確定した場合、前記原告のいわゆる仮放免期間延長請求に対する被告の不許可処分は、違法として遡及的に効力を失い、当初から処分そのものがなかつたのと同様の状態が現出するにすぎないものであつて、原告のいわゆる仮放免期間延長請求がなされた状態となるにとどまるものである。したがつて、被告は右勝訴判決の趣旨にしたがい改めて請求に対する処分をしなければならないが、被告が原告に対して無条件の仮放免の許可をしなければならないものではなく、もとより、右勝訴判決によつて当然に仮放免の期間延長の効力が発生するわけでもなければ、まして無条件に被告が原告に対して今後継続して仮放免すべき義務を負うことが確認されるわけでもないのである。そして、前記昭和五二年三月二六日の仮放免許可の際の前記条件からすれば、将来原告が神戸大学医学部付属病院を退院し病状が回復すれば、再度収容されるという事態が生じることは
十分考えられるし、また、条件に違反して収入活動に従事すれば再度収容されるという不利益を受ける虞れもあり得るわけであるが、本訴において原告の請求が認容され、昭和五一年七月二一日付の仮放免不許可処分が違法なものとして取消されたとしても、そもそも仮放免はその時々の原告の置かれた状況、諸般の事情を考慮してなされるものである以上、将来状況が変われば、その時点において仮放免不許可処分が適法になされることは当然あり得ることであつて、将来における仮放免不許可処分は、本訴における昭和五一年七月二一日付の不許可処分とは実質的にも形式的にも何らの関係もない全く別個独立の処分であり本訴に勝訴しても、その判決の効力とか拘束力が将来における仮放免不許可処分に及ばないのはいうまでもない。そもそも将来における仮放免不許可処分は、その発生自体が不確定的なものである。原告が主張するように、再度の仮放免不許可処分による収容の虞れの存在をもつて訴の利益(予防的利益)を存するということはできない。もし将来原告主張のような再度の仮放免不許可処分がなされた場合には、その取消を求める訴訟を提起することのほうが、より直截的で有効な救済手段であるというべきである。 
以上のとおり、原告の主張はいずれの点からみても失当であつて、本訴においては、原告が既に仮放免が許可された後においても、なお被告のなした昭和五一年七月二一日付の仮放免不許可処分を取消すのでなければ回復されない権利ないし法律上の利益が原告にあるものとは認められないから、原告の本訴請求は訴の利益を欠くというべきである。
三 よつて、原告の本件仮放免不許可処分の取消を求める本訴請求は、訴の利益を欠き不適法であるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

退去強制命令等取消請求控訴事件
昭和51年(行コ)第31号(原審:神戸地方裁判所昭和48年(行ウ)第11号)
控訴人:A・B、被控訴人:法務大臣ほか1名
大阪高等裁判所(裁判官:山内敏彦・高山晨・大出晃之)
昭和53年11月30日
判決
主 文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事 実
一 控訴人ら代理人は、「原判決を取消す。被控訴人神戸入国管理事務所主任審査官が昭和四八年四
月二三日付で控訴人らに対してした退去強制令書発付処分を取消す。被控訴人法務大臣が同年三月
二〇日付で控訴人らの出入国管理令四九条一項に基づく異議の申出を棄却する裁決を取消す。訴訟
費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は主文同旨の
判決を求めた。
二 当事者双方の主張及び証拠関係は、次に付加するほか、原判決事実摘示のとおりである(但し、原
判決四枚目裏八行目の「五日、」の次に「有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく」を挿入し、
同五枚目表八行目の「三〇日」を「二三日」と、同九枚目裏一一行目「不国者」を「入国者」と各訂正
する。)から、ここにこれを引用する。
(控訴人らの主張)
1 一八九二年国際法協会が採決した「外国人の入国許可及び退去強制に関する国際規則」におい
ては、各国は「自国領土に外国人の入国を許可するか、強制退去させるかを定める権利」を保有す
るが、その行使に当つては、自国の安寧と両立する範囲で外国人の権利と自由を尊重しなければ
ならず、公共の利害及び極めて重大な理由によるほかはこれを一般的に禁止することはできない
とされている。世界人権宣言及びこれを具体化した一九六六年一二月一六日第二一回国連総会で
採択された国際人権規約は国際法的確信をもつて支持される国際法規(国際慣習法)を形成して
いて、これによると各国は、国家の安全保障の必要がある場合のほか、法律に基づく決定に準拠
し、かつ、適正手続の下においてのみ外国人の追放を行なうべきである(規約一三条)。以上のほ
か、一九五七年一〇月国際赤十字第一九回国際会議で採択され、確立した国際法意識で支えられ
た「離散家族再会に関する決議」の存在からして、日本としてもすでに在留する外国人の在留権
は人道と正義によりこれを尊重しなければならず、本件控訴人らに対してなされたように、客観
的、合理的な理由なく外国人を強制退去させることは確立された国際法規に反し、ひいては憲法
九八条二項に違反する。
2 行政処分、行政不服審査手続においても、憲法三一条に定める適正手続の保障が要請され、行
政処分、裁決の基礎とされる事実の確定手続において被処分者、審査請求者に対し係争事実につ
いて主張、立証の機会を与えるべきである(昭和四六年一〇月二八日、同四九年四月二五日、同
年七月一九日、同五〇年五月二九日の各最高裁判決、同四五年五月二〇日東京高裁判決、同五〇
年九月三〇日大阪高裁判決など参照)。しかるに、被控訴人法務大臣(以下法務大臣という。)は、
控訴人らに対し、出入国管理令五〇条による特別在留許可をするべきかどうかを決定するに当つ
て、当然に存在するべき裁量権の行使(許可)基準を明らかにせず、これについて控訴人らに自己
の特別在留許可を得るために主張、立証する機会を全く与えなかつたことは法務大臣がした本件
裁決手続の適正さをそこなうもので、右裁決は違法として取消を免れない。
3 出入国管理令五〇条による特別在留許可処分は法務大臣の裁量処分に委ねられるが、それは何
らの制限がないものではなく、裁量が平等原則、比例原則あるいは著しく正義に反する場合とか、
その目的を逸脱する場合には違法となるといわなければならない。
 前記1において指摘した国際規則、世界人権宣言、規約などが国際慣習法として確立するに
至らないとしても、少なくとも文明国が認めた法の一般原則に該当し、国際法上の条理ともい
うべきで、法務大臣は前記裁量権の行使に当つて一つの基準としてこれを尊重しなければなら
ない。この点からして、次に述べる控訴人らの日本での在留歴、家族状況などを考慮すると、法
務大臣の本件裁決は極めて苛酷な措置で、甚しく正義の観念にもとり、人道に反するもので、
裁量権の範囲をこえあるいはこれを濫用した違法がある。
控訴人らは、昭和二七年法律一二六号(ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に
基く外務省関係諸命令の措置に関する法律)二条六項に該当する者の子であつて、同二七年外
務省令一四号(特定の在留資格及びその在留期間を定める省令)により在留資格を有する者で
あり、出生後その過半の期間を日本で生活し、韓国語を自由に話すこともできず、同国では定
職を持つことができなかつた。控訴人らは少年時に父から一時帰国すると言われ、韓国に帰つ
たもので、父の意思はともかく、本人らの意思を尊重すると、控訴人らは韓国では生活基盤は
なく、実母がいて生存の容易な日本で生活したい一心で入国したもので、日本の国益に害を与
えるおそれはない。
 法務大臣は、出入国管理令五〇条による在留特別許可をするかどうかを決定するに当つて、
それまでに形成された客観的基準(行政先例ないし慣行)に反することは許されず、控訴人ら
とほぼ同様の状況下のCに対しては特別在留許可がなされている(同人は昭和二六年七月二八
日大阪で出生し、その後母と韓国に渡り、母が行方不明となり、同四四年二月頃日本の父を頼
つて密入国し、同四九年頃発覚したが、同五〇年三月二五日在留特別許可がなされた。)ことと
比較して、控訴人らに対する法務大臣の本件裁決は極めて偏頗で、裁量権の濫用がある。
 出入国管理令はいわゆる在日韓国人を除く外国人の出入国を公正に管理することを目的とす
るもので、同四〇年に締結された日韓法的地位協定前文にあるように、日本と在日韓国人との
特別な関係を考慮して在日韓国人に対してはその余の外国人と異なり、同令を形式的に適用す
ることなく、原則的には在留を認めることが正義及び条理に合するというべきであり、この意
味においても法務大臣の本件裁決は著しく正義に反するといわなければならない。
(被控訴人らの主張)
控訴人らの前記主張三中、控訴人らが昭和二七年法律一二六号二条六項に該当する者の子
で、同法施行の日以降日本で出生した者であり、昭和二七年外務省令一四号一項二号に基づき出
入国管理令四条一項一六号の在留資格を、昭和四三年一〇月一五日に出国するまで保有していた
ことは認める。しかし、その在留資格は一たん日本から出国した場合は同令二六条の再入国許可
を受けるときを除き(控訴人らはこの許可を受けていない。)消滅する。その余の控訴人らの前記
主張はすべて争う。
(証拠関係)《省略》
理 由
一 控訴人Aは昭和二七年一一月二二日、同Bは同三〇年八月一日にいずれも大阪市で出生した韓
国国籍を有するものであるが、控訴人両名は、同四三年一〇月一五日父Dらと韓国に帰国したが、
同四七年一二月一五日有効な旅券又は乗員手帳を所持することなく、貨物船マリーナ号により日
本に入つたこと、神戸入国管理事務所入国審査官は同四八年一月一二日控訴人両名の密入国行為
について出入国管理令二四条一号に該当すると認定し、控訴人両名は同日口頭審理を請求した
が、同事務所特別審理官は同月二四日右認定に誤りがないと判定したこと、控訴人両名は右判定
に対し同日法務大臣に対し異議の申出をしたが、法務大臣は同年三月二〇日右異議の申出は理由
がない旨の裁決をし、前記事務所主任審査官(以下主任審査官という。)にその旨通知し、主任審
査官は同年四月二三日控訴人両名に対し送還先を韓国とする本件退去強制令書を発付したことは
当事者間に争いがない。
右の事実によると、控訴人両名は、「有効な旅券又は乗員手帳を所持しなければ本邦に入つては
ならない。」と定める出入国管理令三条の規定に違反して本邦に入つたものというべく、同令二四
条一号に該当することは明らかであり、この点についての前記神戸入国管理事務所入国審理官の
認定、特別審査官の判定及び法務大臣の裁決はいずれも正当である。
二 控訴人らは、法務大臣の本件裁決及び主任審査官の退去強制令書発付の各処分は国際法及び憲
法九八条二項に違反すると主張するが、控訴人らが主張するような内容の国際法規(国際慣習法)
が存在するとは認められず、右主張は採用しえない。
三 法務大臣は、出入国管理令四九条一項の規定による容疑者の異議の申出があつたときは、それ
が理由があるかどうか裁決し、その結果を主任審査官に通知しなければならない(同令同条三
項)。法務大臣から容疑者の異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けた主任審査官は、
法律上当然に、当該容疑者に対し同令五一条の規定による退去強制令書を発付することを義務づ
けられている(同令四九条五項)から、法務大臣の裁決に瑕疵がありこれが違法であるときは、こ
れに続く主任審査官の退去強制令書発付処分は裁決の違法を承継し、違法性を帯びると解すべき
である。
そうして、法務大臣は同令四九条三項の裁決に当つて容疑者の異議の申出が理由がないと認め
る場合でも、特別に在留を許可すべき事情があると認めるときなど一定の事由があるときは、在
留を許可することができ(同令五〇条一項)、この許可は同令四九条三項の適用については異議の
申出が理由がある旨の裁決とみなされる(同令五〇条三項)。これらの出入国管理令の規定と同施
行規則三五条の規定とにかんがみると、同令四九条五項にいう「異議の申出が理由がないとの裁
決」においては、①容疑者の異議の申出に対応して特別審理官の判定を審査し、その結果これを
是認する判断と、②不服審査とは別個に職権をもつて容疑者の在留を特別に許可すべきかどうか
検討し、裁量の結果これを許可しない判断とがなされ、申立事項と職権事項とについての二つの
判断が不可分的に一体となつて一個の裁決が成立するものと解すべく、後者の判断に違法の瑕疵
があるときは、右裁決全体が違法となるといわざるをえない。したがつて容疑者は、その申立事
項に属しないところの、法務大臣の職権事項についての違法を理由として裁決の取消を訴求し得
べき法的利益ないし資格を有するものと解すべきである。
ところで、国際慣習法上国家は、特別の条約を締結していない限り、自国内に外国人を受入れ
るかどうかを自由に決定することができるというべきであるが、このことと出入国管理令一条、
二四条、四九条、五〇条の各規定によると、法務大臣は同令五〇条一項の容疑者の在留を特別に
許可するかどうかをその自由な裁量によつて決定することができるというべきである。そして、
その裁量の範囲は広汎であつて、法務大臣は容疑者の同令違反の態様、容疑者の経歴、家族関係
などの容疑者に関する事情のほか、国内外の政治、経済事情、外交関係などをしんしやくし、特別
在留の許可、不許可を決定し得るものである。
たとえ、この裁量権の行使が今日までの行政事例上おのずから形成された判断基準に反すると
しても、それが違法判断の法律上の基準でない以上、当不当の問題が生ずるにすぎず、当然適違
法の問題が生ずるものではない。この点に関する控訴人らの当審における前記3の主張は採用
しない。
控訴人らが主張する国際人権規約などは未だ国際慣習法として確立されるに至つていないこ
と既に判示したところであり、またこれらが国際法上の法源たる条理となるに至つているとも認
められず、法務大臣が出入国管理令五〇条一項による特別在留許可処分をするについての裁量権
の行使において右規約などに反する点があつたとしても、それだけで違法があるとまではいえな
い。
日本国と韓国とが歴史的に特別な関係にあつたものであり、また昭和二七年にポツダム宣言の
受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律(一二六号)が
制定され、昭和四〇年には日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と
大韓民国との間の協定(条約二八号)が結ばれ、右協定の実施に伴う出入国管理特別法(昭和四〇
年法律一四六号)が制定され、韓国国民について特別な法的地位が認められているが、これら法
律、条約に基づくほか、本邦への出入国に関し韓国国民とその余の外国人との間に差等をもうけ
るべきとする国際慣習法は存在せず、出入国管理令の規定の解釈上もこれを是認し得べき合理的
な理由はない。この点に関する控訴人らの当審における主張3も採用しない。
しかし、法務大臣の特別在留許可をするかどうかの裁量は、前述の法務大臣のしんしやくすべ
き諸般の事情にかんがみ、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠く
ことが明白である場合に限り、その裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法と
なるというべきである。
四 次に、控訴人らは、法務大臣は出入国管理令五〇条一項の特別在留許可をするかどうかを決定
するに当つて当然に存在するべき裁量権の行使基準を控訴人らに明示せず、これについて主張、
立証する機会を与えなかつたことは憲法三一条に反すると主張する。
しかし、法務大臣が同令五〇条一項によつて特別在留許可をするかどうかは、前述の諸般の事
情をしんしやくし、その自由な裁量によつて決定すべきものであり、同令四九条一項による異議
申出者に許可申請権は認められておらず、法務大臣が職権をもつてする特別在留許可の手続に特
に聴聞の機会を与える余地はないというべきである。控訴人らの右主張は採用できない(控訴人
ら主張のような特段の裁量基準が定められていることを認め得る証拠はない)。
五 そこで、法務大臣が控訴人両名に対し本件裁決をする際、出入国管理令五〇条一項の特別在留
許可をしないと判断したことに裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたかについて検討する。
前記当事者間に争いのない事実《証拠略》によると次の事実が認められる。
1 控訴人Aは昭和二七年一一月二二日、同Bは同三〇年八月一日、Eは同三三年四月一九日い
ずれも大阪市で、父D、母Fの非嫡出子として出生した。Dは韓国慶尚南道《住所略》に本籍を
有し、昭和二五年七月二九日韓国においてGと婚姻し、その間にH(同一五年三月三一日生)、
I(同一七年五月一一日生)、J(同二〇年二月一一日生)をもうけた。Dはその後来日し、同
二六年頃F(同七年二月一五日生)と内縁関係を結び、その間に控訴人らをもうけた。Dは同
四一年九月一二日A、B、EをいずれもGとの間の嫡出子として戸籍の届出をした。
2 控訴人両名、D、Fら家族は、昭和二七年頃から大阪市、岡山市、京都市などで居住し、同
四三年に高松市内に移転した。控訴人Aは同年四月に中学校を卒業し、経理専門学校へ入学し、
同Bは同市内の中学校に通学していた。
Dは同年八月頃Fに控訴人ら子供三名を連れて韓国へ帰国することを話したが、反対され、
かねてから不和であつた両名の関係がますます険悪となり、Fはその頃家を出て別居した。D
はその後Fに連絡することなく、同年一〇月一五日控訴人ら三名の子供と韓国へ帰国した。
控訴人らは、昭和二七年法律一二六号二条六項に該当する者の子であつて、同施行の日以降
日本で出生した者で、同二七年外務省令一四号により在留資格を有していた(この点は当事者
間に争いがない。)が、右帰国の際出入国管理令二六条の再入国許可を受けなかつた。
3 控訴人らは、帰国後Dとソウル特別市内のGのもとで前記Hらと同居したが、Gらとの関係
に円満を欠き、やがて同女らと別居した。
控訴人Aは昭和四四年頃からは日本語の家庭教師や日本人観光客の案内などをして或る程度
の収入を得るようになり、同Bは同年九月同市内の中学校を卒業し、高等学校に入学した。と
ころがDが同四五年一〇月二七日に死亡した後は控訴人らとGらとの関係がさらに悪化し、A
が前記Iといさかいを起したことから、控訴人両名は同四七年四月頃から本籍地で父の兄弟の
家に身を寄せることになつた。その頃には控訴人らは韓国語の会話には著しい不自由はなかつ
た。
4 そうする間控訴人両名は母のいる本邦で生活したいとの希望を抱くようになり、昭和四七年
一〇月頃Fが来韓して再会し、ますますその気持が強くなつたが、Gらの話では正式の手続を
とつて来日することは極めて困難であつたので、同年一二月本邦に密入国を企てるに至つた。
控訴人両名は、今後本邦に居住し、母F及びその七名位の親族の援助を得て生活していくこ
とを望んでいる。韓国には弟のEが前記Gらの監護ないし援助の下で生活している。
以上の事実が認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
右の事実によると、控訴人両名、E、Fが、控訴人らの主張するような難民あるいはこれに準
ずべきものとか、いわゆる離散家族であるとは認められないのはもちろんであつて、控訴人ら
が母と別れて韓国へ帰国したのはもつぱら父と母との不和など家族の事情によると認めるほか
ない。控訴人らは出生以来本邦に居住し、教育を受けてきたもので、帰国後の韓国での生活は
従前に比べて困難なものがあつたであろうことは推認しうるところであるが、控訴人らはすで
に約四年間韓国で生活していたものであつて、自らの努力によつて、韓国で普通の生活を維持
することができる状況にあつたというべきである。控訴人らは本邦で母と共に暮すことを願望
しているが、弟Eは韓国で生活しており、その願望は特にしんしやくすべき事情にあたらない。
してみると、法務大臣が控訴人両名に対し特別在留許可を与えなかつたことについて裁量権
の範囲をこえ又はその濫用があつたものということはできない(他に、法務大臣が右裁量権の
範囲をこえ又はその濫用をしたものと認め得べき事実を肯認するに足りる証拠は何もない)。
六 以上の次第で、被控訴人らの本件裁決及び退去強制令書発付の各処分が取消し得べきものとは
いえず、控訴人らの本訴請求はすべて理由がないというべく、これを棄却した原判決は相当であ
り、本件控訴は理由がないから、失当としてこれを棄却することとし、行政事件訴訟法七条、民訴
法八九条、九三条、九五条を適用し、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分等取消請求事件
昭和50年(行ウ)第34号
原告:Aほか3名、被告:法務大臣ほか1名
東京地方裁判所(裁判官:佐藤繁・中根勝士・佐藤久夫)
昭和54年2月19日
判決
主 文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた判決
一 請求の趣旨
1 被告法務大臣が昭和五〇年三月一四日原告らに対してした出入国管理令四九条一項に基づく
異議の申出を棄却する旨の裁決をいずれも取り消す。
2 被告東京入国管理事務所主任審査官が昭和五〇年三月一四日付で原告らに対してした退去強
制令書発付処分をいずれも取り消す。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告A(大正九年生)と原告B(昭和五年生)は夫婦であり、原告Cはその二女(昭和三二年
生)、原告Dはその三男(昭和三九年生)であつて、いずれも日本国籍を有しない者である。
2 原告Aは、昭和四八年九月一二日出入国管理令(以下「令」という。)四条一項四号に該当す
る者としての在留資格(在留期間六〇日)を付与されてラオスから日本に入国し、その後五回
にわたつて在留期間の更新を受けて日本に在留していた。
また、原告B、同C、同Dは、昭和四八年三月一九日令四条一項一六号、特定の在留資格及び
在留期間を定める省令一項三号に該当する者としての在留資格(在留期間九〇日)を付与され
てラオスから日本に入国し、その後三回にわたつて在留期間の更新を受けて日本に在留してい
た。
3 ところが、原告B、同C、同Dは昭和四九年三月八日、原告Aは同年一〇月一九日、それぞれ
の在留期間更新申請につき被告法務大臣から不許可処分(以下「本件各更新不許可処分」とい
う。)を受け、在留期間の経過をまつて東京入国管理事務所入国審査官から令二四条四号ロに該
当すると認定されたので、同所特別審理官に口頭審理の請求をしたところ、入国審査官の認定
はいずれも誤りがない旨判定された。
そこで、原告らは、被告大臣に対し令四九条一項に基づく異議の申出をしたところ、同被告
は昭和五〇年三月一四日右異議の申出をいずれも棄却する旨の裁決(以下「本件各裁決」とい
う。)を原告らに通知し、更に、被告東京入国管理事務所主任審査官は同日付で原告らに対し退
去強制令書を発付した(以下「本件各令書発付処分」という。)。
4 しかしながら、次に述べる諸事情からすれば、被告大臣が本件各更新不許可処分をし、更に、
原告らの異議申出につき令五〇条一項の在留特別許可を与えることなく本件各裁決をしたこと
は、憲法一三条に違反し、また、裁量権の行使を誤つたものというべきである。
 原告らは、もと中国国籍を有し、台湾で暮していたが、原告Aの勤務(航空会社の技術者)
の都合で昭和四〇年ベトナムに移住し、更に昭和四四年にはラオスに移住した。しかし、イ
ンドシナ半島の戦乱がますます激化してきたうえ、原告Bが婦人病と高血圧症に悩まされ、
ラオスでは治療が不可能であつたため、同原告は、日本にいる親族訪問、病気治療を目的と
して、前記のとおり昭和四八年三月一九日原告C、同Dとともに日本に入国した。原告Aは
ラオスに残つたが、以前たまたま中華人民共和国の映画を同僚と見たことが台湾政府情報部
に知られ、右同僚が台湾に連行されたまま音信不通になつたり、台湾政府が同原告に対し再
三帰国を催促してきたことなどから、危険が感じられるようになり、更に、昭和四八年八月
には勤務先の航空会社が解散して失業し、罹患していた十二指腸潰瘍等の病気を治療する必
要もあつたので、前記のとおり昭和四八年九月一二日原告Bらのいる日本に入国した。
なお、これより先、原告A夫婦の長女Eと二男Fは既に日本に在留しており、また、長男G
も昭和四九年一二月日本に入国し、ここに原告ら一家全員が日本で生活することとなつた。
 原告Aは、日本において十二指腸潰瘍、糖尿病の検査及び治療を受け(昭和四九年二月に
は十二指腸潰瘍の手術を受けた。)、現在も安静加療を要するかなりの重症で、もとより働く
ことはできない。原告Bも、入国後、慢性胃炎、高血圧症、子宮筋腫の病名で入院及び通院治
療を受け、現在も毎週通院している。
 原告Bは、昭和四八年四月に購入した中野区野方の土地建物で中華料理店を経営していた
が、昭和五〇年三月経営がいきづまつてこれを人手に渡してからは、遠戚の者が経営する中
華食料品販売店の手伝いをして収入を得、そのほか、日本に帰化している同原告の兄、姉、妹
の三名からの援助と貯金(現在は香港に一〇〇〇万円、日本に三〇〇万円)の払戻しを合わ
せて一家の生活を維持している。このように、原告らにとつては、日本では親族からの経済
的援助も期待できるので、一家が生活していく見込みがあるし、また、原告C、同Dは日本で
勉学を継続したい強い希望をもつている。
これに対し、台湾には原告Aの親族はおらず、台湾で就職できる見込みもなく、そのうえ、
台湾に帰れば前記の映画見物の件により台湾政府から責任を追及されるおそれが大きい。原
告Bの母と弟一人は台湾にいるが、いずれからも経済的援助を期待できる状況ではない。
 原告らの入国事情、在留状況は右のとおりであるから、いま原告らを日本から退去させる
ことは、病気の原告A、同Bにとつて生命の危険を伴うばかりでなく、やつと再会できた一
家を離散させ、その生活を破壊し、病気の治療や勉学の継続を不可能ならしめるものであつ
て、著しく人道に反するというべきである。
特に、原告らは旧日本領であつた台湾の住民であるから、日本国としては、その在留に関
して他の一般外国人と異なる特別の保障をすべき法的義務があるものといわなければならな
い。また、原告Aは、前記の映画見物の件で台湾政府から責任追及を受けるおそれがあるた
め日本に入国してきたいわば政治的難民でもあり、政治的難民に対して在留を認めることは
国際的な傾向である。
 ところで、令四九条一項に基づく異議の申出に対して裁決がされた者のうち、被告大臣が
在留特別許可を与えた者は、昭和四七年において一一五〇人中九六二人(八三・七パーセン
ト)、昭和四八年において八九八人中七〇八人(七八・八パーセント)、昭和四九年において
七四五人となつており、在留特別許可を与えないほうがむしろ例外であつて、しかも、在留特
別許可を与えられた者のうちでは韓国・朝鮮人、中国人が圧倒的多数を占めているのであり、これら
の者に対しては在留特別許可を与えることが実務慣行となつている。
5 以上のとおりであつて、本件各更新不許可処分には憲法一三条違反及び裁量権行使の誤りが
あるから、これを前提としてされた本件各裁決及び各令書発付処分も当然に違法である。
仮に本件各更新不許可処分が適法であつたとしても、本件においては原告らに対して在留特
別許可を与えるべきであり、これを与えることなく本件各裁決をしたことは、右同様に違憲、
違法である。しかも、右在留特別許可の実際の運用をみても、これを与えるか否かはなんらの
具体的基準なくして決定されているのであるから、その決定は、杜撰かつ不公平であるととも
に非民主的、独善的なものとして、裁決を違法ならしめるものというべきである。したがつて、
右各裁決を前提としてされた本件各令書発付処分もまた違法である。
更に、原告らは、本件各令書発付処分後である昭和五一年八、九月に、いずれも中国国籍を離
脱し、無国籍となつた。その結果、中国には原告らの送還を受け入れる義務がなくなり、他の第
三国に原告らの送還を受入れさせることも不可能となつたから、本件各令書発付処分は全体と
して執行不能により取り消されるべきである。
6 よつて、本件各裁決及び各令書発付処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の冒頭の主張は争う。のうち、原告らの居住関係と原告ら及びその余の家族の入国及
び在留の事実は認めるが、原告らの入国目的がその主張のとおりであることは否認する。の
病気の程度は争う。のうち、原告Bが中野区野方の土地建物を購入し、その後これを手離し
たこと、同原告の身内が日本に帰化していることは認めるが、台湾では生活を維持できないと
の点は否認する。、はいずれも争う。
3 同5の違法の主張は争う。
三 被告らの主張
1 本件各裁決及び各令書発付処分の前提となつた本件各更新不許可処分は、次のとおり適法で
ある。
 原告Aについては、観光客としての在留資格で入国を認め、在留期間を二度更新したとこ
ろ、昭和四九年二月一八日に提出された更新申請からは、病気加療という理由で申請がされ
るようになつたので、帰国のための旅行に差支えない程度に治療がされるまでの間やむをえ
ず観光客の資格のままでの在留期間の更新を許可してきたが、その後、同原告の病状が航空
機による旅行にはなんら支障のないことが判明したので、昭和四九年八月一九日に更新を許
可した際には、今回限りであることを明示し、許可された在留期間の満了する同年九月七日
までには帰国するよう指導したのである。しかるに、同原告は同年八月二九日病気加療を理
由に更に在留期間の更新を申請してきたのであるが、真実は病気加療のためではなく日本で
の永住が目的であると認められた。そこで、当時既に同原告の妻及び子供二名について後述
のように在留期間の更新が認められず不法残留者として退去強制手続中であつたことから、
同原告の右更新申請を不許可としたのである。もともと、同原告の入国目的は、当初から日
本に永住して妻とともに中華料理店を経営することにあつたのに、これを申し立てると上陸
を許可されないために、あえて虚偽の申請をして入国したものであり、このような者につい
てわが国での在留を認めるべきではない。
また、原告Bについては、在日の姉夫婦と留学中の子供の訪問並びに診察の目的で査証申
請があり、かつ、許可された在留期間内に帰国する旨の誓約があつたので、右在留資格と在
留期間九〇日に限つて入国を認めたのであり、その後の在留期間更新についても病気治療の
ためこれを許可してきたのである。しかし、その後に審査したところ、右入国目的は事実と
相違し、真実の入国目的は日本において飲食店を経営し永住することにあることが判明し
た。すなわち、同原告は、昭和四八年に入国する以前にも数回日本に観光客として入国して
いたが、その当時から将来の日本永住のための準備として、入国の都度香港から日本の銀行
へ預金を移したり、不動産業者に家屋の物色を依頼するなどしたうえ、昭和四八年三月一九
日に真の入国目的を偽つて入国するや、直ちに中野区野方に土地建物を購入し、同年七月か
ら中華料理店を経営する一方、原告Cを都立高校定時制に、同Dを小学校にそれぞれ入学さ
せているのである。このように同原告らの営業及び在学自体が虚偽の申立てに基づく法的在
留活動であつて、右の事実があることをもつて在留期間の更新を認めることはできない。
 原告らは、一家全員が日本に在留していると主張している。しかし、右家族のうちで正規
に在留が認められたのは、長男、長女、二男だけで、長男及び二男はその後に在留期間を経過
して不法残留者となつており、長女も勉学のために在留特別許可が与えられているものであ
つて、学業が終了すれば帰国すべきことが予定されているものである。このように家族全員
の日本在留は一時的にたまたま作り出されたものにすぎない。
 原告A、同Bの健康状態が良好でないとしても、帰国のための旅行は可能であり、また、日
本でなければ治療ができない病気でもない。原告らには相当の資産があるのであるから、原
告らにその意思さえあれば、台湾等において治療を受け、生計を立て、更に勉学を続けるこ
とは不可能ではないのである。
2 被告大臣のする在留特別許可の許否と異議申立に対する裁決とはそれぞれ別個独立のもので
あるから、在留特別許可を与えなかつたことが裁決の違法事由となる余地はない。
仮にそうでないとしても、本件において被告大臣が原告らに対し在留特別許可を与えなかつ
たことは裁量権の範囲内である。すなわち、在留特別許可は、異議申出人の個人的事情のみな
らず、国際情勢、外交政策等一切の事情を総合的に考慮したうえで決定されるべき恩恵的措置
であつて、その裁量の範囲は極めて広いものであるところ、既に述べたとおり、原告らは出入
国管理制度を悪用し脱法行為により日本在留を図つているものであることからすれば、これに
対して在留特別許可を与えるべき理由はまつたくない。
第三 証拠《省略》
理 由
一 請求原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
二 原告らは、本件各裁決及び各令書発付処分の取消事由として、まず、これらに先行する本件各
更新不許可処分が違憲、違法であると主張する。しかし、右更新不許可が違法なものであつても、
それが無効であるか又は取り消されていない以上、その違法は当然には爾後の令四九条に基づく
異議申出に対する裁決と令書発付処分を違法ならしめるものではないから、本件においては、右
各更新不許可処分自体の適否を論ずる必要はない。
三 原告らは、次に、被告大臣が原告らに対し在留特別許可を与えることなく本件各裁決をしたこ
とは、憲法一三条に違反し、裁量権の行使を誤つたものであるから、右各裁決及びこれを前提と
する本件各令書発付処分は取り消されるべきであると主張する。
1 令四九条一項に基づく異議申出に対する被告大臣の裁決は、特別審理官によつて誤りがない
と判断された入国審査官の認定の当否を重ねて審査・判断するものであるが、令五〇条及び令
施行規則三五条によれば、被告大臣は、裁決にあたり、異議の申出が理由がないと認める場合
でも一定の要件が存するときは、異議申出人に在留特別許可をすることができるのであるか
ら、異議を棄却する被告大臣の裁決は、右入国審査官の認定を相当とするとの判断に基づいて
異議を排斥する処分であると同時に、在留特別許可をすべき場合にも当たらないとしてこれを
付与しない処分としての性質をも併せ有するものというべきである。そうすると、裁決に際し
在留特別許可を与えなかつた被告大臣の判断に違法がある場合には、異議の申出を棄却した裁
決は違法となるものであり、右裁決に基づいてされた令書発付処分もまた当然に違法となるこ
とを免れない。
2 そこで、本件各裁決に際し在留特別許可を与えなかつた被告大臣の判断の適否について検討
する。 
前記当事者間に争いのない事実と、《証拠略》を総合すると、次の事実を認めることができる。
 原告らは、長く台湾で暮していたが、航空会社の整備技術者をしている原告Aの勤務の都
合により、昭和四〇年ごろベトナムに移住し、更に同四四年にはラオスに移住した(右居住
関係については当事者間に争いがない。)。この間昭和四二年ごろ、原告Bが、日本に居住し
ている兄、姉らを訪問するため子供を連れて日本に入国し、しばらく滞在したのち長男Gと
長女Eを日本に残してベトナムに帰国したところ、右長男、長女について在留特別許可が与
えられた(長男はその後出国)ことから、原告ら一家は、戦乱の激しいインドシナ半島を離れ
て日本に住みたいと考えるようになつた。このため、原告Bは、その後しばしば観光客の資
格で来日した機会に、香港等にあつた預金を日本の銀行に移したり、将来日本で住む場合の
住居の物色を不動産業者に依頼したりしたうえ、昭和四八年三月、日本にいる長女及び二男
F(昭和四七年来日)らの訪問と自分の病気診察を理由として、未成年の子である原告C、同
Dを伴い日本に入国した。そして、翌四月中野区野方に土地建物を購入してこれに居住する
とともに(右購入の事実は当事者間に争いがない。)、同年七月からは自己の名で営業許可を
得て中華料理店を経営し、また、右未成年の子二人を高校と小学校に入学させた。
一方、原告Aは、同年七、八月ごろ勤務先の航空会社が解散して失業し、カナダへの移住を
計画したものの結局実現できなかつたので、家族とともに日本で生活すべく、同年九月観光
を理由として日本に入国し、右中華料理店の手伝いなどをしていた。その後、同原告の長男
Gも来日し、中野区野方の住居で家族全員が共同生活をすることになつた(長男、長女、二男
の在留の事実は当事者間に争いがない。)。
昭和四九年原告らに対して本件退去強制手続が開始されたのであるが、右長男及び二男に
対しても、在留期間経過を理由に退去強制令書が発付された(両名が右令書発付処分の取消
訴訟を東京地方裁判所に提起し、その後これを取り下げたことは、当裁判所に顕著な事実で
ある。)
 原告Aは、来日後、十二指腸潰瘍、肝機能障害、糖尿病を患い、昭和四九年二月ごろ一か月
くらい入院したが、その後は一、二週間に一回通院して診察と投薬を受けている。また、原告
Bは、高血圧症と子宮筋腫の病気があり、前者については時折症状が重くなるので継続して
通院投薬を受けており、後者については本件令書発付処分後である昭和五二年九月ごろに手
術を受けた。しかし、両名とも送還に堪えられないほどの症状ではなく、また、台湾その他の
国においても治療を受けることが可能である。
 原告らの親族としては、原告Bの兄、姉、妹が日本におり、経済的援助を期待できるが、原
告ら自身も相当の資産を有しており、日本を離れると直ちに生活ができなくなるとか、必要
な医療や教育を受けることができなくなるという状態ではない。
このように認められ、原告A、同B各本人尋問の結果中右認定に抵触する部分は採用しが
たく、他に右認定を動かすに足りる証拠はない。なお、右原告両名は、原告Aがかつてラオス
で中華人民共和国大使館の貼り出した写真を見ていたのを台湾政府に知られたため同政府か
ら責任を追及されるおそれがある旨供述するが、右責任追及を受けるとの点は憶測の域を出
ず、十分な根拠をもつものとは認めがたい。
以上認定の諸事実に加え、原告らは入国後約一年ないし一年半ほどで本件各更新不許可処
分及び退去強制手続を受けるに至つた者であり、日本社会との結びつきもいまださほど密接
なものではなかつたと考えられることなどを総合勘案すると、本件において原告らの在留を
認めることなくその退去を強制することが、著しく苛酷であつて正義に反するということは
できない。原告らの本国である台湾が旧日本領であつたとの事実は、右の判断を左右するも
のではない。
原告らは、韓国・朝鮮人、中国人に対しては在留特別許可を与えることが実務慣行となつ
ていると主張するが、外国人に在留特別許可を与えるかどうかは、被告大臣の広汎な裁量に
委ねられており、その決定にあたつては、当該外国人の個人的事情のみならず、わが国にお
ける社会・経済事情、国際情報、外交政策等の諸般の事情をも斟酌し、時宜に応じた的確な
判断をしなければならないものであることを考えると、従前の在留特別許可の付与状況が仮
に原告らの主張のとおりであつたとしても、そのことから直ちに、右の主張のような実務慣
行が存在しているものと認めることはできない。また、かかる在留特別許可の性格からすれ
ば、その裁量判断の具体的基準があらかじめ定められていないというだけでは、当然にその
判断が杜撰、不公平その他原告らの主張するような瑕疵を帯びることになるとすることはで
きない。
そうすると、被告大臣が原告らに対して在留特別許可を与えなかつたことにつき憲法一三
条違反あるいは裁量権行使の誤りがあつたとはいえないから、右違憲、違法のあることを前
提として本件各裁決及び各令書発付処分の違法をいう原告らの主張は失当である。
四 また、原告らは、本件各令書発付処分後に原告ら全員が中国国籍を離脱し無国籍となつたこと
により送還先がなくなつたから、右処分は執行不能として取り消されるべきであると主張する。
しかし、無国籍者に対する退去強制処分が執行不能でないことは令五三条の規定からも明らかで
あり、右主張は採用することができない。
五 以上のとおりであるから、原告らの本件各請求はいずれも理由がないものとしてこれを棄却す
ることとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、
主文のとおり判決する。

詐欺、出入国管理令違反、旅券法違反被告事件
昭和55年(う)第24号
控訴人:被告人A
東京高等裁判所刑事第3部(裁判官:小松正富・寺沢栄・宮嶋世)
昭和55年5月14日
判決
主 文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の刑に算入する。
理 由
本件控訴の趣意は、弁護人白取勉が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引
用する。
所論は、量刑不当を主張するものである。
そこで、原審記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、本件は、原判示
のとおり、自己名義の旅券では米国に入国を許されないことから、不正な行為によって他人名義の一
般旅券の発給を受け、二回にわたり有効な旅券に出国の証印を受けないで出国し、また、出国に先立
ち、真実そのような事実がないのに、自己が米国で経営する美容院に働く日本人美容師を募集するた
めに帰国したと偽り、渡米を承諾した美容師六名から、同人らの旅券発給手続などのために必要な費
用の一時預託又は寸借名下に合計六八〇万円を騙取し若しくは財産上不法の利益を得、また、英国の
航空会社であるA社の日本代理店責任者に就任できるように取り計ってやると申し欺き、預り金名下
に現金五〇〇万円を騙取し、更に、米国旅行を計画している者から米国のビザ取得手続に必要である
と偽り、預託金名下に現金合計四〇万円を騙取した、という事案であって、その各犯行の態様は計画
的で、手口も巧妙というべきで、詐欺の被害総額は一二二〇万円に上るのに、原判示第四を除くその
余の被害者に対してはいまだに全く弁償ができていないことよりすれば、犯情は甚だ悪質といわなけ
ればならない。所論指摘のように、被告人が本件犯行に及んだ動機は、先きに渡米した際Bなる者か
ら多額の金員を騙取されたことを無念に思い、所在不明の同人を探し出し民事上及び刑事上の責任を
追及するために渡米する必要があり、かつ、これに要する費用等を得ようとして敢行したというので
あるから、事ここに至った被告人の心情を理解できないわけではないが、しかし、それだからといっ
て、その各犯行が正当化され、若しくは犯情が軽くなるというものでもなく、また、被告人がかつて被
害者の立場で味ったと同じように、多大の財産的損失と精神的苦痛を蒙った本件詐欺の被害者らがそ
れで納得するという筋合のものでもなく、本件は、ひっきょう、被告人の自己中心的な考え方から出
発した法無視の態度に由来するものといわざるを得ないのであって、被告人の刑事責任は重く、それ
相応の科刑は免れないところである。
被告人が、現在では十分反省し、被害者らに謝罪する気持があり、原判示第四の被害者に対しては
被害弁償と謝罪金の合計四五万円を支払うこと(うち、一九万七四九一円は支払ずみ。)で同人の宥恕
を得ていること、被告人には前科、前歴のないことなど、所論の訴え、かつ、当審において取り調べた
証拠によって認められる諸事情をも含め、被告人に有利に十分参酌してみても、本件は刑の執行猶予
を相当とする事案とは認められず、被告人に対し懲役三年の実刑をもって臨んだ原判決の量刑は、そ
の刑期の点においても相当であって、重過ぎて不当であるとは認められない。論旨は理由がない。
なお、旅券法二三条一項一号の不正な行為によって旅券の交付を受ける所為と、出入国管理令六〇
条二項、七一条の有効な旅券に出国の証印を受けないで出国する所為とは、その罪質上通例手段結果
の関係にあるとはいえないから、刑法四五条の併合罪の関係にあると解するのを相当とする。したが
って、これが同法五四条一項後段の牽連犯の関係にあるとした原判決は、法令の適用を誤ったもので
あるが、右各罪は、刑の重い各詐欺の罪と同法四五条前段の併合罪の関係にあるので、処断刑の範囲
に差異を生ずるものではなく、結局、この誤りは判決に影響を及ぼさないことが明らかである。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条により当審における未決勾留日数中
一二〇日を原判決の刑に算入し、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分等取消請求事件
昭和57年(行ウ)第84号
原告:A、被告:法務大臣・大阪入国管理局主任審査官
大阪地方裁判所(裁判官:青木敏行・古賀寛・梅山光法)
昭和59年7月19日
判決
主 文
被告法務大臣が昭和五七年九月八日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法四九条一項
に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
被告大阪入国管理局主任審査官が昭和五七年九月一三日付けで原告に対してした退去強制令書発付
処分を取り消す。
訴訟費用は被告らの負担とする。
事 実
一 当事者の求めた裁判
 (原告)
 主文と同旨の判決
 (被告ら)
 原告の請求をいずれも棄却する、訴訟費用は原告の負担とする、との判決
二 原告の請求原因
1 原告は、昭和二九年二月七日父Bと母C’ ことCとの間に出生した韓国人であるが、昭和四八年
二月初め頃有効な旅券を所持せずに韓国から本邦に入国した。
原告は、右入国の事実が発覚したため、昭和五七年八月九日大阪入国管理局入国審査官により
出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)二四条一号に該当すると認定され、口頭審理の
請求をしたところ、同月一六日同局特別審理官により右認定は誤りがない旨の判定を受けた。そ
こで、原告は同日被告法務大臣(以下「被告大臣」という。)に異議の申出をしたが、同年九月八日
被告大臣は右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、同月一三日被
告大阪入国管理局主任審査官は原告に対し退去強制令書を発付した(以下「本件処分」という。)。
2 しかしながら、本件裁決及び本件処分は以下に述べる理由によつていずれも違法であるから、
取り消されるべきである。
 原告は、大阪市において出生し、両親の養育を受けながらA’ という氏名で五歳位まで日本に
居住していたが、その頃両親が別れたために、妹と共に父に連れられて韓国へ渡り、その後は
父に育てられることになつた。ところが、原告が高校二年生の時に父が交通事故で死亡し、父
の本妻やその子供達とは疎遠で居所も不明の状態であり、頼るべき身寄が全く無かつたことか
- 2 -
ら、原告は、父が働いていた寺の人に面倒をみてもらつたり、日本の母から送金してもらつた
りして、昭和四七年三月ようやく高校を卒業することができた。
原告は、母との離別が原告の意思に基づくものではなかつたこと及び父が死亡したことか
ら、原告と母との間の文通の中で、日本へ入国して母と生活する意思のある旨を明らかにし、
これに対し母も原告の入国を望んだ。そこで、原告は母親に対する思慕の情押え難く、昭和
四八年二月初め頃密航という手段で日本へ入国した。 
原告は日本に入国後、他に身寄もなく女一人生活保護を受けて苦労しながら暮らしていた母
のために、一〇年近くの間懸命に働き、婦人服縫製の技術を身につけ、その結果、自宅にミシン
三台を置いて母とともに婦人服縫製の下請けの仕事ができるようになり、取引先の信頼を得て
毎月三〇万円位の収入を得、母も生活保護を受けなくてすむようになつた。また、この間の預
貯金も二〇〇万円位できて、今後とも独立して生計をたてていく見通しが立ち、さらに原告自
身が母の名義で市・府民税を納付するまでになつた。
原告の母は昭和九年日本に入国し、その後引続き在留し、永住許可を得ているが、高令であ
つて、苦労の連続のためか慢性関節リウマチを罹患して通院を続けており、今後共原告が面倒
を見る必要がある。原告が頼るべき親族は韓国にはいず、妹Dは結婚して米国に居住している。
 本件裁決及び本件処分は、原告親子を離別させ、約一〇年に及ぶ平穏な生活を破壊し、はか
り知れない苦痛と不利益を与えるものであり、確立された国際法規というべき世界人権宣言九
条、国際赤十字第一九回国際会議における離散家族の再会に関する決議、難民の地位に関する
条約、国際人権規約のB規約九条、一三条に違反し、ひいては憲法九八条二項に違反するばか
りか、直接憲法前文及び一三条にも違反する。
 本件裁決及び本件処分は、原告に対して何ら納得のいく合理的な理由を示すことなくなされ
たものであり憲法三一条に違反する。
 前記のような事情、特に原告の生い立ち、密航に不法目的のないこと、在日中の生活態度、母
親の病状、親族状況等を考えると、被告大臣は原告に対し人道的見地から配慮をすべきであつ
たのに、法五〇条一項所定の在留特別許可(以下「特在許可」という。)を付与することなく本
件裁決をしたものであるから、本件裁決には裁量権の範囲を逸脱したか又は裁量権を濫用した
違法がある。
 被告大臣に対する異議申出者の七割以上の者に特在許可が与えられているという実態、日本
にいる親を頼つて不法入国した子に対しては特在許可がなされることが多いという行政先例の
存在に照らして、何ら特段の事情が存しないにもかかわらず原告に対して特在許可を付与しな
かつた本件裁決は、憲法一四条、国際人権規約B規約二六条の平等原則に違反する。
3 よつて、原告は本件裁決及び本件処分の取消しを求める。
三 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実中、本件裁決及び本件処分がいずれも違法であるとの主張は争う。同の事実中、
- 3 -
原告の父の帰国の動機、その死亡の原因、原告が父の死後父の稼働先の寺の人に面倒をみてもら
つていたことは知らず、原告が父の本妻やその子供達とは全く疎遠で同人らの居所も不明であ
り、頼るべき身寄が全くなかつたことは否認し、その余は認める。
四 被告らの主張
1 法四九条三項に基づく法務大臣の裁決は、容疑者が該当するとされた退去強制事由の有無を判
断の内容とするものであり、また、法務大臣が異議の申出は理由がない旨裁決した場合には、主
任審査官は必ず退去強制令書を発付しなければならず、そこには何ら裁量の余地は存しないので
あるから、本件裁決及び本件処分はいずれも裲束処分であり、そこには何ら違法な点は存しない。
退去せしめられる不法入国者がその在留を否定され、ひいては在留からもたらされる諸利益を
失うとしても、右の在留及び諸利益は、もともと違法なものであるか、そうでなくても違法状態
の上に築かれたものとして、退去強制に当たつては法的保護の対象となるものではない。
2 世界人権宣言は、全ての人類と全ての国とが達成すべき共通の基準として布告されたものであ
るから、それ自体が国際法規範としての拘束力を有するものではなく、離散家族の再会に関する
決議は、非政府団体の勧告以上のものではなく、あくまで道義の次元のものである。
また、難民の地位に関する条約は、難民であるとの認定を受けて始めてその適用があり、B規
約九条、一三条は手続規定である。更に、憲法前文の文言は極めて抽象的な内容であつて、そこに
裁判規範性を認めることはできず、原告のような事情にある不法入国者を退去強制することが直
ちに個人の尊厳に反すると言えるものでないことも明らかであつて憲法一三条に違反しない。
3 本件手続は原告が不法入国者であるという明確な事実を挙示してなされたものであり、また、
特在許可の許容の判断は法務大臣の自由裁量に属するものであるから、その判断の理由は、特に
これを示すべきであるとする法律の規定がない以上何ら示す必要はないのであつて、原告の憲法
三一条違反の主張も理由がない。
4 特在許可の許否の判断は、法務大臣の自由裁量に属し、しかも、特在許可は、当該外国人の個人
的事情のみならず、国際情勢、外交政策等の客観的事情を総合的に考慮したうえ決定される恩恵
的措置であつて、その裁量の範囲は極めて広く、仮に、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用が違法
事由になる場合があるとしても、本件については、原告に対して特在許可を与えなかつたことに
裁量権の範囲の逸脱又はその濫用の違法はない。
五 証拠《省略》
理 由
一 請求原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 被告は、本件裁決及び本件処分がいずれも覊束処分であり、何ら違法な点は存しないと主張する。
しかしながら、法務大臣は裁決に当たり異議の申出が理由がないと認める場合でも一定の事由に該
当するときはその者の在留を特別に許可することができるとされ(法五〇条一項)、退去強制が著し
く不当であることを理由として異議を申し出る場合には、その資料を提出すべきものとされている
- 4 -
(法施行規則四二条四号)ことなどからすれば、異議の申出が理由がないとする裁決は、入国審査官
の認定を相当としてこれを維持するのと同時に、特在許可を付与しないとの判断を示した処分にほ
かならないというべきである。したがつて、特在許可を付与しないことが違法であれば、この点を
違法事由として裁決の取消しを求めることができ、さらに、主任審査官は退去強制令書の発付につ
いて裁量の自由を有しないが(法四九条五項)、法務大臣の裁決の違法性は後行処分たる退去強制令
書発付処分に承継されるものというべきである。そして、特在許可を与えるか否かは、諸般の事情
を総合的に考慮したうえで決定されるべき事柄であり、法務大臣の広範な自由裁量に委ねられてい
るが、特在許可を与えないことが、裁量権の範囲を逸脱し又は裁量権を濫用してされたものと認め
られる場合には、特在許可を与えないことは違法というべきである。よつて、被告大臣が原告に対
し特在許可を付与しなかつたことにそのような違法があるか否かについて、以下判断する。
三 成立に争いのない甲第三、四号証、第八、九号証、第一一号証、乙第一号証、第一三ないし第一八
号証、証人Cの証言により真正に成立したと認められる甲第五及び第一二号証、証人Cの証言並び
に原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。
1 原告の母C(旧称C’)は、昭和九年現在の韓国済州道から大阪市に来て、しばらく働いた後、昭
和一三年にEと結婚して一女を儲けたが、Eが暴力を振うことから昭和一六年頃同人と離別した
(なお、同人は長女を連れて韓国に帰つた後に死亡しており、長女の行方は判明しない。)。終戦後、
原告の母はBと同棲するようになり、原告を懐妊したが、Bが韓国に本妻と三人の子供がいるか
らもう子供はいらないと言つて原告の母に乱暴するので、原告の母はBと別れて、昭和二九年二
月七日、知人の家で原告を出産した。その約二年後にBは原告の母の住居を探し出し、大阪市城
東区内の家屋を購入してそこで親子三人暮らすようになり、昭和三二年三月三〇日には原告の妹
Dが生まれた。その後、Bは、借金に追われて右家屋を売り払い転居したが、昭和三四年四月末頃、
原告(当時五歳)と妹を連れて韓国へ帰つた。原告の母は、Bが相変らず暴力を振うことや韓国に
はその本妻がいることから、一緒に行つても苦労するだけであろうと考えて、日本に留まつた。
2 韓国に帰国後、原告の父は、原告の妹を本妻宅に預け、原告を連れて僧侶のような仕事をしな
がら韓国済州道内の寺院等を転々としたので、原告は国民学校を三度、中学校を一度それぞれ転
校して、高校に進学した。原告は、日本の母のことを噂等で聞いており、父も原告が高校を卒業し
たら正式な手続で原告を日本の母の許へ行かせてやる旨話していたので、一度日本へ行つてみよ
うと思つていたところ、昭和四五年四月一日父が交通事故で死亡した。原告はこれまで父の本妻
や異母兄弟と一緒に暮らしたことがなく、文通すらしていなかつたので、頼るべき身寄がなくな
り、日本の母に父が死んだので母の許へ行きたい旨連絡したところ、母から来日するように言わ
れた。原告は、寺院の世話になりながら母からの送金によつてどうにか高校を卒業したので、是
非とも日本の母の許へ行こうという気持を強めた。
原告は、高校卒業後釜山市へ行き、アルバイトをしながら密航の機会を窺つていたが、昭和
四八年二月初め頃その機会を得、木造鮮魚運搬船に三日間潜んで九州の某地に上陸し、そのまま
大阪市内の母の許に行つた。
- 5 -
3 原告は母の遠戚であるF方に住み込んで紳士服の縫製見習いとして働くようになり、休日等に
時々母方に泊る等しながら、昭和五二年夏頃まで見習いを続けた。その後、母方から通つて婦人
服縫製の仕事等をしていたが、昭和五四年四月から母の許で自立して婦人服縫製業を営むことと
なつた。原告の不法入国が発覚した頃には、原告はミシン三台を有して、母と二人、多忙な時には
アルバイトを雇つて働き、月収三〇万円位を得、貯金も二〇〇万円位になつていた。
また、原告は不法入国者であるので、母名義で市・府民税を納付してきた。
4 原告が不法入国した頃、母は生活保護を受けていたが、約二年後にはこれを受けなくてすむよ
うになつた。しかし、原告が収容されたために、慢性関節リウマチを患つている母は、昭和五七年
一〇月一六日から再び生活、住宅及び医療扶助を受けるに至つた。母の左右指関節はふしくれ立
つてくの字形に変形しており伸長できず、右腕関節はやや扁平に変形し、左右膝関節にはいわゆ
る水が溜りこれを医師に抜いてもらつている。
なお、原告は健康な独身者で、まだ婚約者はおらず、妹Dは米国人と結婚して、米国に居住して
おり、母の両親は既に死亡しており、原告の義兄夫婦と母の妹が韓国済州市に居住しているが、
原告との交際はほとんどなかつた。原告の母は、一九一九年五月一一日生れで、昭和五七年四月
三〇日法附則七項一号による永住許可を受けており、旧称のC’ はBと同棲当時に同人が勝手に
その名前で外国人登録の手続をしていたものであり、昭和五八年七月二八日戸籍どおりの氏名に
登録訂正がされている。
5 原告は、不法入国の事実が発覚したため、昭和五七年七月八日外国人登録法違反により大阪地
方裁判所に公訴を提起され、同年九月八日に懲役八月、執行猶予二年の判決を言い渡され、右判
決は確定している。
四 以上認定の事実、特に、原告は日本で出生した者であるところ、わずか五歳の頃父母の別離のた
め本人の意思とは無関係に韓国へ渡らざるをえなかつたこと、本邦への不法入国の動機も父と二人
で遍歴の生活をした後一六歳の頃に父を失い、韓国に親しい身寄もいなかつたので、母と共に生活
をしたいとの母を想う肉親の情にあつたこと、来日後原告は努力して婦人服縫製の技術を身につ
け、やつと独立して一家の家計を維持する者として母を養いつつ貯えも可能になつた頃に不法入国
が発覚したこと、原告は来日後九年余真面目に働き、母と二人で平穏な生活を営んでおりこのまま
本邦に居住させたとしても国益を害するおそれは認められないこと(なお、被告らは、不法入国者
の在留及び失うことになる諸利益はもともと違法なものであるから保護に値しないと主張するが、
原告については、その出生及び出国の事情に照らすと、そのようにいうことは酷であり、本件には
被告らの右主張は当てはまらないというべきである。)、原告の母が永住許可を得ており、老令に加
えて現在病気で苦しみ、原告の物心両面の援助を必要としていること等の事情を勘案すると、原告
に対して被告大臣が特在許可を付与せず、その結果原告と母とを引き裂き、彼らの築きあげた平穏
な生活を破壊することは、これをもやむを得ないとする特段の事情が存しない限り、人道に悖る苛
酷な行為であり正義に反するというべきである。しかるところ、本件においては右特段の事情は何
ら窺えないので、結局、被告大臣が原告に対し特在許可を付与しなかつたことについては、その裁
量権の行使を誤つた違法があるというべきであり、したがつて、本件裁決は違法なものとして取り
消されるべきであり、その後行処分たる本件処分も違法として取り消されるべきものである。
五 してみると、原告の本訴各請求はいずれも理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につい
て行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分等取消請求事件
昭和60年(行ウ)第184号
原告:A、被告:法務大臣・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所(裁判官:鈴木康之・太田幸夫・塚本伊平)
昭和61年9月4日
判決
主 文
一 被告法務大臣が昭和六〇年一一月二二日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法
四九条一項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
二 被告東京入国管理局主任審査官が昭和六〇年一一月二六日付けで原告に対してした退去強制令
書発付処分を取り消す。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
主文同旨
二 被告ら
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件の各処分に至る経緯
 原告は、イラン政府発行の旅券を取得し、昭和五六年八月一三日、出入国管理令(昭和五六
年法律八六号により出入国管理及び難民認定法に改正。以下「法」という。)四条一項一六号、
特定の在留資格及び在留期間を定める省令(昭和五六年法務省令五四号出入国管理及び難民
認定法施行規則(以下「規則」という。)により廃止。)一項三号に該当する在留資格(規則二
条三号に該当する在留資格に同じ。以下「在留資格四―一―一六―三」という。)により本邦
への上陸を許可された。
 原告は、昭和六〇年八月一五日在留期間更新の許可申請をしたところ、被告法務大臣は、
同年一〇月八日、右申請を不許可とする旨の処分(以下「本件更新不許可処分」という。)をし、
この旨原告に通知した。
 原告は、東京入局管理局入国審査官により、同月二四日、法二四条四号ロ(不法残留)に該
当すると認定され、これに対し、同日、口頭審理の請求をしたところ、同局特別審理官は、同
年一一月六日、右認定は誤りがない旨の判定をした。
 原告は、同日、被告法務大臣に法四九条一項に基づく異議の申出をしたが、被告法務大臣
は、同月二二日、右異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。
 被告東京入国管理局主任審査官は、同月二六日、原告に対し退去強制令書を発付(以下「本
件退令発付処分」という。)した。
2 本件裁決及び本件退令発付処分の違法性
 原告とBとの婚姻関係の存在
 原告は、昭和五九年初め、日本人Bと知り合い、両名は、同年一一月ころから同棲し、夫
婦と同様の生活をしていた。
 原告とBは、昭和六〇年一一月八日、法律上の婚姻をするために婚姻届を渋谷区役所に
提出した。
 右婚姻届は、同年一二月一二日に正式に受理された。
 よつて、原告は、本件裁決時には、Bと婚姻関係が成立していたこととなり、法四条一項
一六号、規則二条一号に該当する在留資格を有している。
 原告がイラン難民であること
 原告は、昭和五五年ころ、イランにおける反政府組織であるムジヤヘデインに加入し、
その活動をしていた。
 原告は、イランにおいてイラクとの戦争が激しくなつてきたため、前記のとおり昭和
五六年八月、当時婚姻していた日本人Cの本国である本邦に上陸したが、その直後、イラ
ン政府軍は、原告がムジヤヘデインに所属していることをつきとめ、原告の家宅捜査を行
つた。
 現在、イランでは反政府組織のムジヤヘデインに所属していることがわかれば捕えら
れ、直ちに処刑されてしまうという状況にある。
 よつて、原告は、難民の地位に関する条約一条A「特定の社会的集団の構成員である
こと又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがある」者に該当する難民である。
 長女Dとの面接権の侵害
原告には、Cとの間に生まれた現在四歳になる長女Dがおり、イランに強制送還されると
同人との面接権を喪失することになる。
 原告は、過去一三回にわたり在留期間更新の許可がされているが、その間一回も在留期間
を徒過した後にその更新の申請をしたことはない。
 以上のとおりであるところ、本件裁決は、まず、右の事実を看過したものであつて、法四
条一項一六号、規則二条一号に違反し、両性の自由な合意に基づいてなされる婚姻及び婚姻
生活を保障する憲法二四条及び一三条に違反し、次に、右の事実を看過したものであつて、
難民の地位に関する条約の精神に反し、また、右の事実を考慮しないものであつて、憲法
一三条に違反し、更に、右の事実を不当に無視している。
本件裁決は、右各事実を正当に評価しなかつたため、原告に対し法五〇条一項三号の在留
特別許可(以下「在特許可」という。)を与えなかつた点において裁量権の行使を誤つた違法
なものであり、したがつて、これに基づいてされた本件退令発付処分もまた違法である。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の各事実は認める。
2 同2について
のうち、原告と日本人であるBが昭和五九年初めに知り合い、その後同居したことは認
めるが、その余の事実は不知。及びの各事実は認める。のうち、本件裁決時に原告とBと
の婚姻が成立していたこととなることは認めるが、その余の主張は争う。
の事実は不知。のうち、原告がその主張の月、日本人のCと婚姻関係にあつて本邦に
上陸したことは認めるが、その余の事実は不知。の事実は不知。は争う。
のうち、原告に長女Dがいることは認めるが、主張は争う。
の事実は認める。
は争う。
三 被告の主張
1 本件更新不許可処分に至る事情
 原告は、米国の大学に留学中の昭和五五年二月ころ日本人Cと知り合い、同年五月末同地
のイスラム教の教会で結婚式を挙げ、同年六月ころ大学を中退し、Cを伴つてイランの両親
のもとに帰国し、同年七月七日、同地でCとの婚姻の届をした。
 Cは、妊娠による体調不良等もあつて、昭和五六年六月四日、日本に帰国していたところ、
原告は、Cを追つて来日し、請求原因1のとおり、同年八月一三日、在留資格四―一―一六
―三及び在留期間九〇日の上陸許可を付与されて本邦に上陸した。その後Cは、同年九月
一二日長女Dを出産した。
 その後、原告は、二回在留期間更新の申請をし、被告法務大臣は、いずれも右在留資格でこ
れを許可したが、昭和五七年八月ころから、原告とCは別居するようになつたので、被告法
務大臣は、婚姻関係は破綻しているものと判断し、同年一一月一五日の在留期間更新の申請
に対しては、出国準備期間と許可証に明示して三月の在留期間の更新を許可した。
 しかし、原告は、昭和五八年二月一四日、東京入国管理局(以下「同局」という。)において
難民認定申請を行つたため、右難民認定申請中であることを考慮し、被告法務大臣は、都合
七回の在留期間更新の申請についてこれを許可した。
 原告は、昭和五八年一月ころから日本人Eと同棲を始め、同年二月二五日には同局におけ
る事情聴取の際、係官に対しCと離婚後はEと結婚する旨言明していた。また、原告は、同年
五月ころCを相手方として離婚調停を申し立てた。原告は、昭和五九年三月ころにはEとの
同棲を解消し、同年六月ころから前記Bと肉体関係を持つようになつていた。
 同年一〇月四日被告法務大臣が原告の前記難民認定申請について難民と認定しない旨決定
し、これに対し、原告は異議の申出をしなかつた。しかし、Cとの離婚調停が係属中であつた
ので、被告法務大臣は、以後三回の在留期間更新の申請についてこれを許可した。
 ところが、原告が昭和六〇年八月一五日にした在留期間更新の申請は、Cに対する離婚判
決についての再審提訴中を理由とするものであつたので、被告法務大臣は、在留期間更新を
適当と認めるに足りる相当な理由はないと判断して、本件更新不許可処分をしたものであ
る。
2 本件裁決の適法性
 原告は、本件更新不許可処分により、法二四条四号のロの規定による不法残留者となつた
ことは明らかであるから、右法条該当性を肯認した本件裁決は、適法である。
 在特許可について
在特許可を与えるか否かの判断は、被告法務大臣の自由裁量に属するものであり、当該外
国人の個人的事情のみならず、国際情勢、外交政策等の客観的事情を総合考慮したうえ、そ
の責任において決定されるべき恩恵的措置であつて、その裁量の範囲も極めて広い。したが
つて、当該裁量が違法とされるのは、裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があつた場合に限
られるものであるところ、原告の主張は、以下ないしに述べるとおり失当であつて、本
件裁決における被告法務大臣の在特許可を与えないとした判断には、裁量権の範囲の逸脱又
はその濫用はない。
 原告とBとの婚姻関係について
原告とBとの婚姻については、原告が本件更新不許可処分を受け、収容されて後で、しか
も、同局特別審理官の判定が行われた後になつて、婚姻届が提出されたものである。原告の
収容後も、Bは、当初は同局係官に対し原告との婚姻意思がないことを明らかにしていたも
のであり、その後しばらくして弁護士立会いのうえ、結婚が放免の手段ではないこと、きち
んと扶養すること、暴力をふるわないこと、女性とのトラブルを家庭に持ち込まぬことの四
条件をつけて婚姻を承諾するに至つたものであるが、このようなことは社会通念上到底考え
られないことである。その他、原告とBの年歳差(一九歳)や同棲に至つた経緯などの事実を
総合的に判断すれば、原告とBの婚姻は、少なくとも原告において、原告が本邦在留期間許
可を得るために行つた仮装のものであることが明らかであり、原告の主張はその前提を欠き
失当である。
仮にそうでなくても、原告とBの婚姻は、原告が退去強制事由に該当する者として収容さ
れた後に手続がされたものであり、その後退去強制されるという事態になるということは十
分予測しえたはずであるから、原告の退去強制により、相当期間の離別等の不利益を被るこ
とがあるとしても、それはやむを得ないことである。
仮に原告とBが婚姻生活を真実望むのであれば、Bには現在わが国において同居のうえ扶
養しなければならない近親者はいないのであるから、Bが原告の本国であるイランに行つて
一諸に生活することも可能であり、また、原告が将来再入国したり、Bがイランへ渡航する
ことも必ずしも不可能ではないのであるから、原告とBとが永久的に離別を強いられるわけ
ではない。
なお、外国人が日本人と結婚したからといつて、当然本邦に在留が認められるものではな
く、右外国人に対して在留を認めないからといつて、そのことが憲法一三条、二四条に違反
するものではなく、また、法四条一項一六号、規則二条一号に違反するものでもない。
 原告がイラン難民であるとの主張について
原告は、前記のとおり難民認定の申請をし、これが認められなかつたことについて異議の
申出を行つていない。原告が本邦に入国したのは、前記のとおりCと同居するためであつて、
イランにおいて迫害を受けるおそれがあつたためではない。また、入国後においても、原告
は、本邦において迫害の原因となるようなイラン政府に対する反政府活動などを行つたとい
う事実は認められない。更に、原告の母と弟は、何らの制約もなくイラン政府より正規の旅
券の発給を受けて昭和六〇年六月二七日にイランから本邦に入国して再びイランに帰国して
いるのである。
右事実によれば、原告の主張は理由がないことは明らかである。
 長女Dとの面接権について
Dは、現在Cの監護のもとにあつて、原告と没交渉であること、原告とCの離婚の経緯、原
告がDの養育費を全く負担していないことなどからして、原告にDとの面接権が容認される
状況にないことは明らかである。
3 本件退令発付処分の適法性
右2のとおり、本件裁決は適法であるから、これに基づいてされた本件退令発付処分は適法
である。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1について
、の各事実は認める。
のうち、原告のその後二回の在留期間更新の申請に対し、被告法務大臣が右在留資格でこ
れを許可したこと、昭和五七年八月ころから原告とCが別居するようになつたこと、同年一一
月一五日の在留期間更新の申請に対し三月の在留期間更新の許可がされたことは認め、その余
は争う。
の事実は認める。
のうち、原告が昭和五八年二月二五日に当局における事情聴取の際、係官に対しCと離婚
後はEと結婚する旨言明していたとの事実は否認し、その余の各事実は認める。
の事実は認める。
のうち、本件更新不許可処分がされたことは認める。
2 被告の主張2のうち、ないしは争う。
なお、難民不認定の決定に対し原告が異議の申出をしなかつたのは、原告が当時病に伏して
おり、全快してから異議を申し出ようとしていたところ、手続を十分理解していなかつたため、
異議申出期間を経過してしまつたことによるのである。
第三 証拠《省略》
理 由
一 請求原因1の各事実(昭和五六年八月一三日原告が在留資格四―一―一六―三で本邦への上陸
を許可されたこと、昭和六〇年一〇月八日本件更新不許可処分が同年一一月二二日本件裁決が、
同月二六日本件退令発付処分がそれぞれされたこと等)は、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件裁決が、原告に対し在特許可を与えなかつた点に裁量権の範囲の逸脱又はその濫
用があつたかどうかについて判断する。
1 本件更新不許可処分に至るまでの事情
被告の主張1(本件更新不許可処分に至る事情)の各事実中、、の各事実(Cとの婚姻と
本邦上陸の経緯等)、のうち、原告が本邦に上陸後二回の在留期間更新の申請に対し、被告法
務大臣が右在留資格でこれを許可したこと、昭和五七年八月ころから原告とCが別居するよう
になつたこと、及び、同年一一月一五日申請の在留期間更新の申請に対し三月の在留期間の更
新が許可されたこと、の事実(昭和五八年二月一四日の難民認定申請とその後の在留期間更
新許可)、のうち、原告が、同年一月ころからEと同棲を始め、同年五月ころCを相手方とし
て離婚調停を申し立て、昭和五九年ころにはEとの同棲を解消し、同年六月ころからBと肉体
関係を持つようになつていたこと、の事実(同年一〇月四日の難民不認定決定とその後の在
留期間更新許可)は、いずれも当事者間に争いがない。
2 原告とBとの関係
 請求原因2(原告とBとの婚姻関係の存在)の各事実中、のうち、原告と日本人である
Bが昭和五九年初め知り合い、その後同居したこと、、の各事実(昭和六〇年一一月八日
婚姻届提出、同年一二月一二日その受理)、のうち、本件裁決時に原告とBとの婚姻が成立
していたことになることは、いずれも当事者間に争いがなく、この争いのない事実並びに前
記一及び右1の争いのない事実に、成立に争いのない甲第二、第八号証、乙第四、第五、第七、
第一〇号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第一五号証、証人Bの証言及び原告本人尋
問の結果並びに弁論の全趣旨を合せ考えれば、以下の事実が認められる。すなわち、原告は、
高田馬場等で英語を教えたりして生計を立てていたとろ、昭和五九年二月ころから、Bの子
であるFが米国に留学することになつたため同人に英語を教えていたが、Fの留学後B自身
にも英語を教えることになり、やがてBのマンションでも教えたりするうち、同年六月ころ
からBと原告との間に男女関係ができ、同年一一月ころからBのマンションで同棲すること
になつた。そして、その後Cとの離婚調停が不調となり、Cから提訴された離婚請求を認容
する判決が昭和五九年一一月一六日にあつたが、同判決が公示送達によるものであつたの
で、原告は、応訴する機会を奪われたとして再審請求をしていたところ(なお、昭和六〇年九
月五日に同請求を取り下げた。)同年八月一五日にした在留期間更新の申請については、同年
一〇月八日本件更新不許可処分がなされた。原告は、同日収容され、収容中には、Bも同局係
官から事情を聴取されたが、Bは、収容直後の同月一一日には原告との婚姻意思がないと言
明していた。原告は、同月二四日同局入国管理官により不法残留と認定され、同年一一月六
日に同局特別審理官の右認定に誤りがない旨の判定がなされた。ところでBは、同年一〇月
一八日ごろになつて、前記婚姻意思がない旨の供述を翻し、四条件(結婚が放免の手段でな
いこと、きちんと扶養すること、暴力をふるわないこと、女性とのトラブルを家庭に持ち込
まぬこと)を示して、これを原告が誓約、実行するならばということで原告との婚姻意思を
表明するようになり、また、原告もBが示した右提案を受け入れ、同年一一月八日Bが原告
との婚姻届を渋谷区役所に提出した。しかし、原告の本国であるイランの大使館における婚
姻要件の審査のため、右婚姻届は、直ちには受理されず、同年一二月一二日に正式に受理さ
れ、右届出の時に原告とBとの婚姻が成立していたことになつた。その間の同年一一月二二
日に本件裁決がされた。
以上のとおり認められる。
 そこで、まず、原告とBとの両名にそれぞれ真実の婚姻意思があるかどうかにつき判断す
る。
証人Bの証言によれば、Bは、本件更新不許可処分当時、離婚した前夫から仕送りを受け
る身であり独身で他に男女関係がなかつたが、昭和一六年生まれで当時四四歳であり、原告
がBより一九歳も年下の昭和三五年生まれで当時二五歳であつて、しかも、女性関係で相当
に問題があり、また暴力をふるうといつたBにとつて極めて不安な側面が存することなどの
点から当時の時点で原告と正式に婚姻することを必ずしも真剣に考えていたものではなか
つたこと、もつとも、Bが当初同局係官に原告との婚姻意思がないと言明したのは、同局係
官に対し自己のプライバシーを詮索されているかのように誤解して、反感と敵意を抱き、必
ずしも真実の意思を述べたものでなかつたこと、その後事態の深刻さを認識するに及んで、
原告に存する前記の不安かつ問題のある側面を除去できるような前記の四条件の誓約、実行
を提示したところ、これが原告に受入れられたので、原告と正式に婚姻する意思を固めるに
至つたことが認められ、前記認定のとおり、原告とBと知り合つてから約一年半、男女関
係が出来てから約一年の期間があつたことを考慮するならば、Bが原告との婚姻意思を表明
し、婚姻届を提出したのが、婚姻を仮装するものであるとか、専ら原告を強制送還から免れ
させるための便宜的な意思によるものであるとかと断定することは困難であり、その間に多
少は原告が強制送還されることを避けたいとの便宜的な意思が介在していないとはいえない
が、そうであるとしても、これをもつて右婚姻意思が真意に基づくものであることの障害と
なるものではないというべきである。
また、原告本人尋問の結果によれば、原告も、Bが婚姻に応じてくれる以上、同人との婚姻
を真に望んでいることが認められ、前記認定のとおり、原告は女性関係で相当に問題があ
ると認められるが、本件全証拠によるも、当時B以外に女性関係があつたことを窺うに足り
ず、右認定の原告の婚姻意思についても、Bの場合と同様その間に多少は強制送還を避ける
ためといつた便宜的な意思が含まれていないとはいえないが、なお、右婚姻意思が真意に基
づくものであることを否定することはできないというべきである。
 以上のとおり、本件更新不許可処分の当時、原告とBとの婚姻意思は固まつてはいなかつ
たものであるが、本件裁決の時点では、既に原告とBとの真意に基づく婚姻意思は実質的に
も固まり、またこれが婚姻届の提出という形で外部にも表明され、しかもその後の右届の受
理により原告とBとの婚姻が成立していたことになつたものである。したがつて、本件裁決
は、右の事実を前提にしてされることを要するというべきである(もつとも、右婚姻が成立
したからといつて、原告は、法四条一項一六号、規則二条一号を根拠として、当然に本邦に在
留できることになるわけでない。)。
3 原告とイラン難民
 右1の争いのない事実に、前掲乙第四号証、証人Gの証言及び原告本人尋問の結果を合せ
考えれば、原告は、昭和五五年六月にCを伴つてイランに帰国した後、間もなく友人を通じ
てイランの反政府組織であるムジヤヘデインに所属するに至り、武器を運ぶ等の活動をして
いたこと、原告は、昭和五六年八月にCを追つて本邦に上陸したが、昭和五八年ころからイ
ランでは、ムジヤヘデイン等の反政府組織に対する取締りが強化され、そこに所属していた
と思われる原告の知人の何名かが政府に処刑されるなどとの事態も生じ、また、イラン警察
がイランの原告の両親の家を捜索したり、原告の父親、弟などが右警察に原告の行方等につ
き事情聴取されたことが認められ、右各証拠に原本の存在及び成立に争いのない甲第一一な
いし第一六号証、第一九、第二〇号証、成立に争いのない甲第一八号証並びに弁論の全趣旨
によれば、現在イランでは、ムジヤヘデインに所属している者に対する取締りは、弾圧とも
いえる程度に達ており、なかには正式な裁判も経由せずに直ちに処刑されてしまうことがあ
るとされていることが認められる。
 なお、証人Gの証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告が本邦に滞在中の昭和五九年
中には、原告の母親と弟がイランから本邦に入国し、無事帰国したこと、原告の右の弟とは
別の弟であるGも昭和六一年六月にイランから本邦に入国していることが認められるが、本
件全証拠によるも、ある者がムジヤヘデインに所属していると、その者だけでなく、その親、
兄弟等までもが特段の不利益を受けるものであるといつた事実を認めることはできず、そう
である以上、右認定の事実は、前記の認定を覆すに足りるものではない。 
また、原告は、前記のとおり、昭和五八年二月に難民認定申請をし、これが昭和五九年一〇
月に退けられたところ、原告はこれに対し異議の申出をしなかつたものであるが、まず、難
民認定申請が退けられたからといつて、当然に原告が難民性を有しないということにはなら
ず(難民不認定決定が本件に関し拘束力を有しないことはいうまでもない。)、次に、原告が
難民不認定決定に対し異議の申出をしなかつたからといつて、当然に原告が自ら難民性を有
しないことを自認したものといえないから、右難民認定に係る事情も、前記の認定を覆す
ものではない。
更に、乙第一二号証中のCの供述中には、Cは夫であつた原告がムジヤヘデインに所属し
ていたことを知らなかつた旨の部分があるが、夫が反政府組織に所属していることを妻が知
らないということもあり得ないことではないと考えられるから、やはり右部分をもつて前記
の認定を覆すに充分ではない。
しかして、他に前記の認定を覆すに足りる証拠はない。
 以上のとおり、原告は、イランに帰国すれば、ムジヤヘデインに所属したことより格別の
不利益を受けるおそれが強く、場合によつては処刑される可能性もないではないということ
ができるものであり、前掲乙第四、第五号証によれば、原告はこのことを同局の事情聴取の
際にも供述していたことが認められる。したがつて、本件裁決は、原告の右事情を前提とし
てされることを要するというべきである。
4 考察
原告の主張するところは、要するに、本件事実関係のもとにおいて、被告法務大臣が原告に
対し在特許可を与えなかつたことは違法であるというに尽きる。
ところで、在特許可を与えるか否かの判断は、被告法務大臣の自由裁量に属するものであつ
て、当該外国人の個人的事情のみならず、国内事情、国際情勢、外交政策等の諸般の事情を総合
考慮のうえ、その責任において決定されるべきものであり、その裁量権の範囲が極めて広汎で
あることは、被告らの指摘するとおりである。しかしながら、その裁量権は、もとより無制限な
ものではなく、被告法務大臣の右判断が、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くときは、裁量
権の範囲を逸脱し又はその濫用があつたものとして、違法となるのを免れないというべきであ
る。
右の見地に立つて考えるに、前記3で認定したところによると、原告はイランにおいて反政
府組織に所属したことのゆえに、同国に帰国すれば格別の不利益を受けるおそれが相当に強
く、生命にも危険が及びかねないものと認められるし、この事情を前提とすれば、前記2で認
定した原告とBとの真意に基づく婚姻意思の実現(しかも、それは正規の届出を経た法律上の
婚姻関係である。)としての両名の平穏な婚姻生活を同国において送ることは、不可能ないし極
めて困難であると考えざるを得ない。そして、前記1によれば、原告は昭和五六年八月以来本
邦に在留を継続していること、前記2によると、未だ婚姻意思は固まつていなかつたとはいえ
約一年間Bと同棲生活を続けていて、今後それを婚姻生活に改めることが予定されていること
などの事情が認められるところである。以上の諸事情を合せ考えると、原告を本件退令発付処
分によりイランに送還することは、原告に対し生命に危険の及ぶ可能性を含む格別の不利益を
与える蓋然性が相当に強いとともに、原告及びBから平穏な婚姻生活を送る機会をも奪うもの
というべきであり、他方、原告を従来どおり本邦に在留させたとしても、原告とBの現在の婚
姻意思に変更をきたすなどといつた事情変更のない限り、我が国の国益を具体的に損うとも考
え難い。
そうすると、本件に現れた諸事情のもとでは、被告法務大臣が原告に対し在特許可を与えな
かつたことは、他に特段の事情につき立証のない本件では、社会通念に照らし著しく妥当性を
欠くものと評価するほかはない。
よつて、本件裁決は、原告に対し在特許可を与えなかつた点において、裁量権の範囲を逸脱
し又はその濫用があつたものとして、違法なものというべきであり、その取消しを免れない。
三 本件退令発付処分の適法性
右二4のとおり、本件裁決が違法であるから、本件裁決に基づく本件退令発付処分もまた違法
なものというべきであつて、その取消しを免れない。
四 よつて、原告の本訴請求は、いずれも理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担について
行訴法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

離婚請求事件
昭和61年(オ)第260号
上告人:A、被上告人:B
最高裁判所大法廷(裁判官:矢口洪一・伊藤正己・牧圭次・安岡満彦・角田礼次郎・島谷六郎・長島敦・高島益郎・
藤島昭・大内恒夫・香川保一・坂上寿夫・佐藤哲郎・四ツ谷巌・林藤之輔)
昭和62年9月2日
判決
右当事者間の東京高等裁判所昭和六〇年(ネ)第一八一三号離婚請求事件について、同裁判所が昭
和六〇年一二月一九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があり、
被上告人は上告棄却の判決を求めた。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主 文
原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。
理 由
上告代理人菊地一夫の上告理由について
所論は、要するに、上告人と被上告人との婚姻関係は破綻し、しかも、両者は共同生活を営む意思を
欠いたまま三五年余の長期にわたり別居を継続し、年齢も既に七〇歳に達するに至ったものであり、
また、上告人は別居に当たって当時有していた財産の全部を被上告人に給付したのであるから、上告
人は被上告人に対し、民法七七〇条一項五号に基づき離婚を請求しうるものというべきところ、原判
決は右請求を排斥しているから、原判決には法令の解釈適用を誤った違法がある、というのである。
一1 民法七七〇条は、裁判上の離婚原因を制限的に列挙していた旧民法(昭和二二年法律第
二二二号による改正前の明治三一年法律第九号。以下同じ。)八一三条を全面的に改め、一項一
号ないし四号において主な離婚原因を具体的に示すとともに、五号において「その他婚姻を継
続し難い重大な事由があるとき」との抽象的な事由を掲げたことにより、同項の規定全体とし
ては、離婚原因を相対化したものということができる。また、右七七〇条は、法定の離婚原因が
ある場合でも離婚の訴えを提起することができない事由を定めていた旧民法八一四条ないし
八一七条の規定の趣旨の一部を取入れて、二項において、一項一号ないし四号に基づく離婚請
求については右各号所定の事由が認められる場合であっても二項の要件が充足されるときは
右請求を棄却することができるとしているにもかかわらず、一項五号に基づく請求については
かかる制限は及ばないものとしており、二項のほかには、離婚原因に該当する事由があっても
離婚請求を排斥することができる場合を具体的に定める規定はない。以上のような民法七七〇
条の立法経緯及び規定の文言からみる限り、同条一項五号は、夫婦が婚姻の目的である共同生
活を達成しえなくなり、その回復の見込みがなくなった場合には、夫婦の一方は他方に対し訴
えにより離婚を請求することができる旨を定めたものと解されるのであって、同号所定の事由
(以下「五号所定の事由」という。)につき責任のある一方の当事者からの離婚請求を許容すべ
きでないという趣旨までを読みとることはできない。
他方、我が国においては、離婚につき夫婦の意思を尊重する立場から、協議離婚(民法七六三
条)、調停離婚(家事審判法一七条)及び審判離婚(同法二四条一項)の制度を設けるとともに、
相手方配偶者が離婚に同意しない場合について裁判上の離婚の制度を設け、前示のように離婚
原因を法定し、これが存在すると認められる場合には、夫婦の一方は他方に対して裁判により
離婚を求めうることとしている。このような裁判離婚制度の下において五号所定の事由がある
ときは当該離婚請求が常に許容されるべきものとすれば、自らその原因となるべき事実を作出
した者がそれを自己に有利に利用することを裁判所に承認させ、相手方配偶者の離婚について
の意思を全く封ずることとなり、ついには裁判離婚制度を否定するような結果をも招来しかね
ないのであって、右のような結果をもたらす離婚請求が許容されるべきでないことはいうまで
もない。
2 思うに、婚姻の本質は、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をも
って共同生活を営むことにあるから、夫婦の一方又は双方が既に右の意思を確定的に喪失する
とともに、夫婦としての共同生活の実体を欠くようになり、その回復の見込みが全くない状態
に至った場合には、当該婚姻は、もはや社会生活上の実質的基礎を失っているものというべき
であり、かかる状態においてなお戸籍上だけの婚姻を存続させることは、かえって不自然であ
るということができよう。しかしながら、離婚は社会的・法的秩序としての婚姻を廃絶するも
のであるから、離婚請求は、正義・公平の観念、社会的倫理観に反するものであってはならな
いことは当然であって、この意味で離婚請求は、身分法をも包含する民法全体の指導理念たる
信義誠実の原則に照らしても容認されうるものであることを要するものといわなければならな
い。
3 そこで、五号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら責任のある一方の当事者(以
下「有責配偶者」という。)からされた場合において、当該請求が信義誠実の原則に照らして許
されるものであるかどうかを判断するに当たっては、有責配偶者の責任の態様・程度を考慮す
べきであるが、相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、離婚を認め
た場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子、殊に未成熟の子
の監護・数育・福祉の状況、別居後に形成された生活関係、たとえば夫婦の一方又は双方が既
に内縁関係を形成している場合にはその相手方や子らの状況等が斟酌されなければならず、更
には、時の経過とともに、これらの諸事情がそれ自体あるいは相互に影響し合って変容し、ま
た、これらの諸事情のもつ社会的意味ないしは社会的評価も変化することを免れないから、時
の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないのである。
そうであってみれば、有責配偶者からされた離婚請求であっても、夫婦の別居が両当事者の
年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、その間に未成熟の子が存在しない場
合には、相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等
離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない
限り、当該請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもって許されないとすることはで
きないものと解するのが相当である。けだし、右のような場合には、もはや五号所定の事由に
係る責任、相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等は殊更に重視されるべきものでな
く、また、相手方配偶者が離婚により被る経済的不利益は、本来、離婚と同時又は離婚後におい
て請求することが認められている財産分与又は慰藉料により解決されるべきものであるからで
ある。
4 以上説示するところに従い、最高裁昭和二四年(オ)第一八七号同二七年二月一九日第三小
法廷判決・民集六巻二号一一〇頁、昭和二九年(オ)第一一六号同年一一月五日第二小法廷判
決・民集八巻一一号二〇二三頁、昭和二七年(オ)第一九六号同二九年一二月一四日第三小法
廷判決・民集八巻一二号二一四三頁その他上記見解と異なる当裁判所の判例は、いずれも変更
すべきものである。
二 ところで、本件について原審が認定した上告人と被上告人との婚姻の経緯等に関する事実の概
要は、次のとおりである。
上告人と被上告人とは、昭和一二年二月一日婚姻届をして夫婦となったが、子が生まれなか
ったため、同二三年一二月八日訴外乙山春子の長女夏子及び二女秋子と養子縁組をした。上告
人と被上告人とは、当初は平穏な婚姻関係を続けていたが、被上告人が昭和二四年ころ上告人と
春子との間に継続していた不貞な関係を知ったのを契機として不和となり、同年八月ころ上告人
が春子と同棲するようになり、以来今日まで別居の状態にある。なお、上告人は、同二九年九月七
日、春子との間にもうけた一郎(同二五年一月七日生)及び二郎(同二七年一二月三〇日生)の認
知をした。被上告人は、上告人との別居後生活に窮したため、昭和二五年二月、かねて上告人か
ら生活費を保障する趣旨で処分権が与えられていた上告人名義の建物を二四万円で他に売却し、
その代金を生活費に当てたことがあるが、そのほかには上告人から生活費等の交付を一切受けて
いない。被上告人は、右建物の売却後は実兄の家の一部屋を借りて住み、人形製作等の技術を
身につけ、昭和五三年ころまで人形店に勤務するなどして生活を立てていたが、現在は無職で資
産をもたない。上告人は、精密測定機器の製造等を目的とする二つの会社の代表取締役、不動
産の賃貸等を目的とする会社の取締役をしており、経済的には極めて安定した生活を送ってい
る。上告人は、昭和二六年ころ東京地方裁判所に対し被上告人との離婚を求める訴えを提起し
たが、同裁判所は、同二九年二月一六日、上告人と被上告人との婚姻関係が破綻するに至ったの
は上告人が春子と不貞な関係にあったこと及び被上告人を悪意で遺棄して春子と同棲生活を継続
していることに原因があるから、右離婚請求は有責配偶者からの請求に該当するとして、これを
棄却する旨の判決をし、この判決は同年三月確定した。上告人は、昭和五八年一二月ころ被上
告人を突然訪ね、離婚並びに夏子及び秋子との離縁に同意するよう求めたが、被上告人に拒絶さ
れたので、同五九年東京家庭裁判所に対し被上告人との離婚を求める旨の調停の申立をし、これ
が成立しなかったので、本件訴えを提起した。なお、上告人は、右調停において、被上告人に対し、
財産上の給付として現金一〇〇万円と油絵一枚を提供することを提案したが、被上告人はこれを
受けいれなかった。
三 前記一において説示したところに従い、右二の事実関係の下において、本訴請求につき考える
に、上告人と被上告人との婚姻については五号所定の事由があり、上告人は有責配偶者というべ
きであるが、上告人と被上告人との別居期間は、原審の口頭弁論の終結時まででも約三六年に及
び、同居期間や双方の年齢と対比するまでもなく相当の長期間であり、しかも、両者の間には未
成熟の子がいないのであるから、本訴請求は、前示のような特段の事情がない限り、これを認容
すべきものである。
したがって、右特段の事情の有無について審理判断することなく、上告人の本訴請求を排斥し
た原判決には民法一条二項、七七〇条一項五号の解釈適用を誤った違法があるものというべきで
あり、この違法が判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、この趣旨の違法をいうも
のとして論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、右特段の事情の
有無につき更に審理を尽くす必要があるうえ、被上告人の申立いかんによっては離婚に伴う財産
上の給付の点についても審理判断を加え、その解決をも図るのが相当であるから、本件を原審に
差し戻すこととする。
よって、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官角田礼次郎、同林藤之輔の補足意見、裁判官佐藤哲
郎の意見があるほか、裁判官全員一致で、主文のとおり判決する。
裁判官角田礼次郎、同林藤之輔の補足意見は、次のとおりである。
我々は、多数意見とその見解を一にするものであるが、離婚給付について、若干の意見を補足して
おくこととしたい。
多数意見は、民法七七〇条一項五号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら責任のある有
責配偶者からされた場合に、当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判
断する一つの事情として、離婚を認めた場合における相手方配偶者の経済的状態が斟酌されなければ
ならないとし、相手方配偶者が離婚により被る経済的不利益は、離婚と同時又は離婚後において請求
することが認められている財産分与又は慰藉料により解決されるべきものであるとしている。
しかし、右の経済的不利益の問題について、これを相手方配偶者の主導によって解決しようとして
も、相手方配偶者が反訴により慰藉料の支払を求めることをせず、また人事訴訟手続法(以下「人訴法」
という。)一五条一項による財産分与の附帯申立もしない場合には、離婚と同時には解決されず、ある
いは、経済的問題が未解決のため離婚請求を排斥せざるをえないおそれが生ずる。一方、経済的不利
益の解決を相手方配偶者による離婚後における財産分与等の請求に期待して、その解決をしないまま
離婚請求を認容した場合においては、相手方配偶者に対し、財産分与等の請求に要する時間・費用等
につき更に不利益を加重することとなるのみならず、経済的給付を受けるに至るまでの間精神的不安
を助長し、経済的に困窮に陥れるなど極めて苛酷な状態におくおそれがあり、しかも右請求の受訴裁
判所は、前に離婚請求を認容した裁判所と異なることが通常であろうから、相手方配偶者にとって経
済的不利益が十全に解決される保障がないなど相手方配偶者に対する経済的配慮に欠ける事態の生ず
ることも予測される。したがって、相手方配偶者の経済的不利益の解決を実質的に確保するためには、
更に検討を加えることが必要である。
そこで、財産分与に関する民法七六八条の規定をみると、同条は、離婚をした者の一方は相手方に
対し財産分与の請求ができ、当事者間における財産分与の協議が不調・不能なときは当事者は家庭裁
判所に対して右の協議に代わる処分を請求することができる旨を規定しているだけであって、右規定
の文言からは、協議に代わる処分を請求する者は財産分与を請求する者に限る趣旨であるとは認めら
れない。また、人訴法一五条一項に定める離婚訴訟に附帯してする財産分与の申立は、訴訟事件にお
ける請求の趣旨のように、分与の額及び方法を特定してすることを要するものではなく、単に抽象的
に財産分与の申立をすれば足り(最高裁昭和三九年(オ)第五三九号同四一年七月一五日第二小法廷
判決・民集二〇巻六号一一九七頁参照)、裁判所に対しその具体的内容の形成を要求すること、いいか
えれば裁判所の形成権限の発動を求めるにすぎないのであって、通常の民事訴訟におけるような私法
上の形成権ないし具体的な権利主張を意味するものではないのであるから、財産分与をする者に対し
て、その具体的内容は挙げて裁判所の裁量に委ねる趣旨でする申立を許したとしても、財産分与を請
求する側において何ら支障がないはずである。更に実質的にみても、財産分与についての協議が不調・
不能な場合には、財産分与を請求する者だけではなく、財産分与をする者のなかにも一日も早く協議
を成立させて婚姻関係を清算したいと考える者のあることも当然のことであろうから、財産分与につ
いて協議が不調・不能の場合における協議に代わる処分の申立は財産分与をする者においてもこれを
することができると解するのが相当というべきである。
以上のような見地から、我々は、人訴法一五条一項による財産分与の附帯申立は離婚請求をする者
においてもすることができると考える。そしてこのように解すると、有責配偶者から離婚の訴えが提
起され、相手方配偶者の経済的不利益を解決しさえすれば請求を許容しうる場合において、相手方配
偶者が、たとえ意地・面子・報復感情等のために、慰藉料請求の反訴又は人訴法一五条一項による財
産分与の附帯申立をしようとしないときは、有責配偶者にも財産分与の附帯申立をすることを認め、
離婚判決と同一の主文中で相手方配偶者に対する財産分与としての給付を命ずることができることに
なり、相手方配偶者の経済的不利益の問題は常に当該裁判の中において離婚を認めるかどうかの判断
との関連において解決され、さきに我々が憂慮した相手方配偶者の経済的不利益の問題の解決を全う
することができることになるのではないかと思うのである。
裁判官佐藤哲郎の意見は、次のとおりである。
私は、多数意見の結論には賛成するが、その結論に至る説示には同調することができない。
一 民法七七〇条一項五号は、同条の規定の文言及び体裁、我が国の離婚制度、離婚の本質などに
照らすと、同号所定の事由につき専ら又は主として責任のある一方の当事者からされた離婚請求
を原則として許さないことを規定するものと解するのが相当である。
同条一項一号から四号までは、相手方配偶者に右各号の事由のある場合に、離婚請求権がある
ことを規定しているところ、同項五号は、一号から四号までの規定を受けて抽象的離婚事由を定
め、右各号の事由を相対化したものということができるから、五号の事由による離婚請求におい
ても、一号から四号までの事由による場合と同様、右事由の発生について相手方配偶者に責任あ
るいは原因のある場合に離婚請求権があることを規定しているものと解するのが相当である。法
律が離婚原因を定めている目的は、一定の事由の存在するときに夫婦の一方が相手方配偶者に対
して離婚請求をすることを許すことにあるが、他方、相手方配偶者にとっては一定の事由のない
限り自己の意思に反して離婚を強要されないことを保障することにもあるといわなければならな
い。我が国の裁判離婚制度の下において離婚原因の発生につき責任のある配偶者からされた離婚
請求を許容するとすれば、自ら離婚原因を作出した者に対して右事由をもって離婚を請求しうる
自由を容認することになり、同時に相手方から配偶者としての地位に対する保障を奪うこととな
るが、このような結果を承認することは離婚原因を法定した趣旨を没却し、裁判離婚制度そのも
のを否定することに等しい。また、裁判離婚について破綻の要件を満たせば足りるとの考えを採
るとすれば、自由離婚、単意離婚を承認することに帰し、我が国において採用する協議離婚の制
度とも矛盾し、ひいては離婚請求の許否を裁判所に委ねることとも相容れないことになる。法は、
社会の最小限度の要求に応える規範であってもとより倫理とは異なるものであるが、正義衡平、
社会倫理、条理を内包するものであるから、法の解釈も、右のような理念に則してなされなけれ
ばならないこと勿論であって、したがって信義に背馳するような離婚請求の許されないことはす
べからく法の要求するところというべきであり、離婚請求の許否を法的統制に委ねた以上、裁判
所に対して右の理念によってその許否の判定をするよう要求することもまた当然といわなければ
ならない。右のような見地からすれば、民法七七〇条一項五号は、離婚原因を作出した者からの
離婚請求を許さない制約を負うものというべきである。
実質的にみても、婚姻は道義を基調とした社会的・法的秩序であるから、これを廃絶する離婚
も、道義、社会的規範に照らして正当なものでなければならず、人間としての尊厳を損い、両性の
平等に悖るものであってはならないというべきである。また、婚姻は両性の合意のみに基づいて
成立するものであることからすると、それを廃絶する離婚についても基本的には両性の合意を要
求することができるから、夫婦の一方が婚姻継続の意思を喪失したからといって、相手方配偶者
の意思を無視して常に当該婚姻が解消されるということにはならないこともいうまでもない。そ
して、離婚が請求者にとっても相手方配偶者にとっても婚姻を廃絶すると同時に新たな法的・社
会的秩序を確立することにあることからすると、相手方配偶者の地位を婚姻時に比べて精神面に
おいても、社会・経済面においても劣悪にするものであってはならないが、厳格な離婚制度の下
においては離婚給付の充実が図られるものの、反対に、安易に離婚を承認する制度の下において
は相手方配偶者の経済的・社会的保障に欠けることになるおそれがあることにも思いを致さなけ
ればならない。有責配偶者からの離婚請求を認めることは、その者の一方的意思によって背徳か
ら精神的解放を許すのみならず、相手方配偶者に対する経済的・社会的責務をも免れさせること
になりかねないことをも考慮しなければならないであろう。
そもそも、離婚法の解釈運用においては、その国の社会制度、殊に家族制度、経済体制、法制度、
宗教、風土あるいは国民性などを無視することができないが、吾人の道徳観や法感情は、果たし
て自ら離婚原因を作出した者に寛容であろうか、疑問なしとしない。 
以上の次第で、私は、婚姻関係が破綻した場合においても、その破綻につき専ら又は主として
原因を与えた当事者は原則として自ら離婚請求をすることができないとの立場を維持したいと考
える。
二 しかし、有責配偶者からの離婚請求がすべて許されないとすることも行き過ぎである。有責配
偶者からされた離婚請求の拒絶がかえって反倫理的であり、身分法秩序を歪める場合もありうる
のであり、このような場合にもこれを許さないとするのはこれまた法の容認するところでないと
いわなければならない。
有責配偶者からされた離婚請求であっても、有責事由が婚姻関係の破綻後に生じたような場
合、相手方配偶者側の行為によって誘発された場合、相手方配偶者に離婚意思がある場合は、も
とより許容されるが、更に、有責配偶者が相手方及び子に対して精神的、経済的、社会的に相応の
償いをし、又は相応の制裁を受容しているのに、相手方配偶者が報復等のためにのみ離婚を拒絶
し、又はそのような意思があるものとみなしうる場合など離婚請求を容認しないことが諸般の事
情に照らしてかえって社会的秩序を歪め、著しく正義衡平、社会的倫理に反する特段の事情のあ
る場合には、有責配偶者の過去の責任が阻却され、当該離婚請求を許容するのが相当であると考
える。
三 以上のとおり、私は、有責配偶者からされた離婚請求が原則として許されないとする当審の判
例の原則的立場を変更する必要を認めないが、特段の事情のある場合には有責配偶者の責任が阻
却されて離婚請求が許容される場合がありうると考える。そして、本件においては、被上告人の
離婚拒絶についての真意を探究するとともに、右阻却事由の存否について審理を尽くさせるため
に、本件を原審に差し戻すのを相当とする。
上告代理人菊地一夫の上告理由
原判決は、民法第七七〇条第一項五号の適用解釈を誤り、理由不備の違法があり、その違法は判決
に影響を及ぼすことは明らかであって破棄さるべきものである。
一、すなわち、原判決は、本件の「破綻の原因は、原告(上告人)が訴外甲野春子と同居するように
なり、前記離婚判決後もその同居を継続してきたためで、一方、被告(被上告人)はこれといった
落度はなく、破綻の責任は専ら原告にある」とし、いくつかの事情を列挙した上、「このような特
別の事情のある本件においては、専ら婚姻関係の破綻を招来したものとして有責配偶者である原
告(上告人)の本訴離婚請求を認めることは信義誠実の原則に徴し相当でないといわざるを得な
い。」と判示している。
二、その特別事情の一つとして、被上告人の生活基盤が必ずしも安定したものとはいえないのに対
し、上告人は経済的には安定していながら「離婚に伴う相応の財産給付をなす意思に乏しく、別
居が継続している間被告(被上告人)に対する経済援助を全くすること」がなかった旨認定して
いる。
しかしながら、他方同じく原判決が認定しているとおり、被上告人は、「原告(上告人)及び被
告(被上告人)が居住に使用していた原告(上告人)名義の建物(これは土地及び建物の誤りであ
る―上告人注)を金二四万円で売却し、その代金を受領して実兄丙川松男方に転居し、右代金を
生活費に充ててきて」いるのである。
記録から窺えるとおり右土地及び建物は当時の上告人のいわば全財産であったものであり、上
告人は別居に伴い自分の所有する全財産を既にその時に被上告人に分与したのであって、当時の
上告人の経済状態から見れば最大限の償いをしたと評価し得るのであり、原判決の如く「被告(被
上告人)に対する経済的援助を全くしなかった」というのは全く事実に反している。
換言すれば、上告人は、別居の際に、既に「離婚に伴う相応の財産給付」に相当するものを被上
告人に分与していたのである。
この財産給付の事実は離婚請求の認否の判断上の重要な要素に係わるものであって、給付それ
自体を認定しつつその給付の意義を全く無視した点において原判決は理由に齟齬ないし不備があ
るものと言わざるを得ない。
三、次に、自己の背徳行為により勝手に夫婦生活破綻の原因をつくりながら、それのみを理由とし
て相手方に離婚を強制することは、婚姻秩序や性秩序あるいは道徳観念よりして許されるべきこ
とではないとの法理に基き、有責配偶者の離婚請求を排斥してきた判例の集積は上告人も是認す
るところである。
しかしながら、他方において離婚請求者に有責的行為がある場合には安易に離婚を棄却しがち
な傾向も厳に慎むべきである。
なぜならば、そもそも民法第七七〇条第一項五号の「婚姻を継続し難い重大な事由」とは、いわ
ゆる破綻主義の立法化に外ならず、婚姻関係が深刻に破綻し婚姻の本質に応じた共同生活の回復
の見込みがない場合を云うものとされ、元来不治的に破綻した婚姻は当事者の責任を問わずその
解消を認めるという原則に立脚し、また有責配偶者の離婚請求を拒否したとしても婚姻関係の復
元が可能になるわけではないことから、有責配偶者の離婚請求を余りに厳格に否定して適用すべ
きではないからである。
四、この点に関するリーディングケースとしては最判昭和二七年二月一九日(民集六―二―一一〇)
が挙げられる。
これは、夫が婚姻中に他の女性と情交関係を結び子供も産ませ、別居わずか五年後に婚姻関係
破綻を理由に妻に対し離婚を請求した事案である。
このような事実関係においては、「本訴の如き請求が法の認める処なりとして当裁判所におい
て是認されるならば、戦後に多く見られる男女関係の余りの無軌道に拍車をかける結果を招致す
る虞が多分にある。前記民法の規定は相手方に有責行為のあることを要件とするものでないこと
は認めるけれども、さりとて前記の様な不徳義・得手勝手な請求を許すものではない。」として余
りにも相手を無視した身勝手な請求を排斥したものであり、その点にリーディングケースとして
価値があるものである。
五、これに対して本件においては、昭和二四年から三五年余の極めて長期間に亘って別居生活が継
続されてきており、子供もなく、その間夫婦の行き来も全くなく、夫婦ともに婚姻の本質に応じ
た共同生活を継続する意思を全く欠いており、婚姻関係は単に戸籍上のみでその実体は全く破綻
し形骸化しているものである。
この長期間の破綻状態・形骸化の過程において、夫婦の年令も七〇才前後に達し、上告人の当
初の有責性はいわば風化していると言い得るのである。このような状態にある現時点においても
なお数十年前の破綻原因をつくった責任を負わせ続けることは妥当なのであろうか。
前記判決の余りにも身勝手な請求と同視し本件と同一に論ずることが社会正義に適うものであ
ろうか。
被上告人の生活基盤は必ずしも安定したものではないであろうが、さりとて離婚が認容されて
も直ちに生活に著しい変化が生じるとも考えられないこと、また前述のとおり上告人は別居の際
に当時の全財産を被上告人に与えていること、夫婦間には子供がないこと、そして右のとおり長
年の経過により上告人の有責性が風化していること、を考え合わせるならば、三五年余にも及び
破綻し形骸化した婚姻関係はお互いに整理した上で、それぞれが平穏な余生を過ごせるように取
り計らうのが法の理念に合致すると言うべきである。
原判決も触れているとおり「夫婦間の婚姻関係が全く形骸化して久しいような場合においては
有責配偶者からの離婚請求であることの一事をもってただちにその請求を排斥するのは相当でな
い」のであり、その請求が「不徳義・得手勝手」な事情がある場合にそれを許さないとするのが婚
姻秩序・道徳観念に最もよく合致する正しい解釈であると信ずるものである。
六、この点に関して、破綻後の原告の有責行為は問わない旨判示した最判昭和四六年五月二一日(民
集二五―三―四〇八)のコメントとして、「右の判例を相当期間の別居に重点をおいて離婚を認め
る判例のはしりとして、評価したい。右の判例を契機として、最高裁が、婚姻破綻の徴表としての
相当期間の別居がある場合には、別居前に原告側に有責行為があるときにも離婚を認める、とい
うように理論を展開していくことを期待する。別居後の有責行為を問わないとするなら、別居前
の有責行為も問わないはずだからである。」(島津一郎・「別冊ジュリスト家族法判例百選((新版・
増補))」七六頁、同「破綻主義」続判例展望別冊ジュリスト三九号一三六頁)との見解が示されて
いるが、本件ケースは正に右見解を適用すべき事案である。
よって、原判決は法の適用解釈を誤った違法があり、これは判決に影響を及ぼすことは明らか
であるので、破棄を免れないものである。 

在留資格変更許可申請不許可処分取消請求事件
平成2年(行ウ)第67号
原告:A、被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:鈴木康之・石原直樹・深山卓也)
平成2年12月18日
判決
主 文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が原告に対して平成二年三月二九日付けでした在留資格変更不許可処分を取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
(本案前の答弁)
主文と同旨
(本案に対する答弁)
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和三七年三月三日、中国(台湾)において出生した中国籍を有する外国人であるが、
昭和六二年一一月二五日、東京入国管理局成田支局入国審査官から、出入国管理及び難民認定
法(平成元年法律第七九号による改正前のもの。以下「法」という。)四条一項四号に該当する
者としての在留資格及び九〇日の在留期間の決定を受けて、上陸を許可され、本邦に入国した。
2 原告は、昭和六三年二月六日に、日本語の修得等を目的として、被告から、法四条一項一六号、
出入国管理及び難民認定法施行規則(平成二年法務省令第一五号による改正前のもの。以下「法
施行規則」という。)二条三号に該当する者としての在留資格(以下「在留資格四―一―一六―三」
という。)への変更許可(在留期間六月)を受け、さらに、その後三度にわたって、被告から、在
留期間更新許可(いずれも在留期間六月、最終在留期限平成二年二月六日)を受けた。
3 原告は、平成二年一月二五日、被告に対し、養父B(以下「B」という。)との養子縁組(平成
元年一〇月一一日養子縁組届出)を理由として、法四条一項一六号、法施行規則二条一号に該
当する者としての在留資格(以下「在留資格四―一―一六―一」という。)への在留資格変更許
可申請(以下「本件申請」という。)をした。これに対し、被告は、同年三月二九日付けで「資格
変更を許可するに足る相当の理由が認められない。」として本件申請を不許可(以下「本件不許
可処分」という。)とした。
なお、原告は、本件不許可処分を受けたことから、平成二年四月一三日、被告に対し、在留期
間更新許可申請をし、同日、被告より出国準備期間として、在留期間を三月(在留期限平成二年
五月六日)とする更新を許可された。
4 しかしながら、本件不許可処分は、次のとおり違法であるからその取消しを求める。
 原告は、昭和六三年四月ころより、工務店を経営するBのもとにアルバイトに行ったり、
遊びに行ったりするようになり、平成元年二月末ころからは同人と同居するようになった。
Bは、昭和五九年に中国(台湾)人と婚姻し、同じ時期に原告の実父と知り合っていたことか
ら、原告がBのもとにアルバイト等に行くようになったものである。
 ところで、Bは、子供がなく、高齢でもあって老後の生活に不安があったことから、日本人
の養子を迎えようと努力していたが奏効しなかったところ、原告と同居し、その性格、仕事
ぶりをみて、原告を養子にして自己の老後の生活を託したいと考えるようになり、平成元年
一〇月一一日、原告との養子縁組の届出をした。
 Bは、原告に自己の経営する工務店を継がせるべく、仕事を教え込んだ結果、現在では、原
告は、Bの経営する工務店の実質的責任者となり、Bにとってなくてはならない存在となっ
た。また、それにもまして二人の間は親子のきずなで固く結ばれており、お互いになくては
ならない存在である。
 しかし、原告の在留資格四―一―一六―三では長期間日本に滞在することができないた
め、原告は、本件申請に及んだものである。
 右のような事情があるにもかかわらず、本件申請を不許可とした本件不許可処分は、憲法
一三条が保障する幸福追求権、とりわけ人間として最も基本的な親子の情愛を全く無視する
ものであるから、被告が裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用してしたものとして違法で
ある。
二 被告の本案前の主張
法は、本邦に上陸しようとする外国人は、有効な旅券、査証を有し、上陸申請を行い、入国審査
官の審査を受け(法六条)、上陸の条件に適合していると認められた上で(法七条)上陸許可の証
印を受け、再入国許可を受けている場合及び難民旅行証明書を所持している場合を除いて、在留
資格及び在留期間を決定されなければならない(法九条一項、三項)旨規定している。このような
規定の仕方からみると、外国人が、再入国許可を受けることなく難民旅行証明書も所持しないで、
出国した場合には、当該外国人が出国前に有していた在留資格及び在留期間は喪失するものと解
される。
しかして、原告は、平成二年五月六日、再入国許可を受けることなく本邦から出国し、これによ
りそれまで有していた在留資格、在留期間を喪失したものであるから、仮に、本件不許可処分が
判決により取り消されたとしても、被告としてはおよそ将来本件申請に基づく在留資格変更許可
処分をする余地が存しないこととなるから、本件訴えは、訴えの利益を欠く不適法なものとして
却下されるべきである。
三 被告の本案前の主張に対する原告の認否及び反論
1 被告の本案前の主張のうち、原告が平成二年五月六日に本邦から出国したことは認め、その
余は争う。
2 被告は、原告が既に本邦から出国していることを理由に訴えの利益がない旨主張するが、原
告が出国したのは、次のとおり已むを得ざる事情によるものである。
すなわち、原告は、本件不許可処分後、在留期限が平成二年五月六日までとされ、これを経過
して本邦に留まれば、不法残留者として退去強制処分ないしは刑事罰を受けるという著しい不
利益を被る可能性があり、右不利益を避けるためにいわば緊急避難的に出国せざるを得なかっ
たのである。かかる事情のもとで出国した者に対し、本邦に残留していないという一事をもっ
て訴えの利益を否定するならば、原告としては、退去強制処分ないしは刑事罰を受けることを
覚悟して不法に本邦に残留した上で訴訟を維持せざるを得ないことになり、実質上裁判を受け
る権利を奪われるに等しいことになる。 
また、仮に原告が右の危険を覚悟の上で本邦に残留したとしても、被告としては退去強制令
書を執行してしまえば、訴えの利益を失わせることができるという極めて不合理な結果をもた
らすことになる。
したがって、本件においては、本邦に残留しているか否かにかかわらず、原告には当然に訴
えの利益が認められるべきである。
3 本件申請は、当然のこととして、在留資格四―一―一六―一の新たな取得申請を伴うもので
あるから、被告は、本件申請を判断するに当たっては、原告について新たに在留資格四―一―
一六―一を付与するべきか否かを判断することとなる。
そこで、本件不許可処分が判決により取り消された場合には、被告は、改めて原告に対し新
たな在留資格を付与することが相当か否かを判断し、付与が相当と判断した場合には、原告に
これを告知するなどして、原告に対して新たな在留資格取得に必要な諸手続を履践する機会を
与え、原告が右諸手続を履践した場合には、新たな在留資格を付与するべきであって、被告に
おいてかかる措置をとることは優に可能というべきである。
すなわち、平成元年法律第七九号による改正後の出入国管理及び難民認定法(以下「現行法」
という。)は、上陸審査基準の明確化と手続の簡易・迅速化を目的として、入国に先立って本人
又は代理人の申請があれば、事前に在留資格の認定が受けられる制度を導入し、予め上陸を認
めるための条件に適合していることを証明する「在留資格認定証明書」を交付することができ
ることとしている(現行法七条の二)。かかる制度の導入は、在留資格の取得若しくはその変更
が、当該申請人が必ずしも適法に入国していることを必要不可欠の条件としてはいないことを
当然の前提としていることは疑いのないところである。
よって、原告が本邦から出国しても、原告には本件不許可処分の取消しを求める訴えの利益
があるというべきである。
四 請求原因に対する認否及び被告の主張
1 請求原因1ないし3は認める。
2 同4について、は不知。のうち、平成元年一〇月一一日Bと原告とが養子縁組の届出を
したことは認め、その余は不知。は不知。は認める。は争う。
3 原告は、本件処分が違法である旨主張するが、右主張は以下のとおり失当である。
 外国人の入国及び滞在の許否は、当該国家が自由に決し得るものであって、条約による特
別の取決めがない限り、国家は外国人の入国又は在留を許可する義務を負うものではないと
いうのが国際慣習法上の原則である。そして、法は、本邦に在留する外国人は、法一三条から
一八条の二までに規定する上陸の許可を受けている場合を除き、それぞれ、当該外国人に対
する上陸許可若しくは当該外国人の取得に係る在留資格又はそれらの変更に係る在留資格を
もって在留するものと定め(法一九条一項)、その在留資格の変更は、法務大臣がこれを適当
と認めるに足りる相当の理由があると判断した場合に限り許可することとしている(法二〇
条一項、三項)から、法においても、在留資格の変更が権利として保障されているものではな
いことは明らかである。
 法が、在留資格変更申請について、被告がこれを適当と認めるに足りる相当の理由がある
と判断した場合に限り許可することとしているのは、被告に、当該外国人の在留資格変更の
必要性、相当性等を審査させて在留の許否を決定させようとする趣旨に出たものであり、在
留資格変更の判断基準が特に定められていないのは、在留資格変更事由の有無の判断を被告
の裁量に委ね、その裁量権の範囲を広範なものとする趣旨からである。したがって、在留資
格の変更の許否についての処分が違法となるのは、法の認める裁量権の範囲を越え又はその
濫用があった場合に限られるのであり、さらに、右裁量権の性質上、違法とされるのは処分
に係る判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである
場合に限るというべきである。
 このことは、日本人養父との養子縁組を理由とする在留資格四―一―一六―一への在留資
格変更の許否を決定する場合も同様であり、外国人が日本人の養子になれば必ずその変更が
許可されるものではなく、その変更の許否は、もっぱら被告の裁量によるのである。すなわ
ち、養子縁組を理由とする在留資格変更許可申請の場合にも、養子縁組制度の理念や外国人
の出入国及び在留等のいわゆる出入国管理行政上の見地からその必要性及び相当性を総合的
に判断して許否を決定する必要があり、当該外国人の本邦への上陸の目的、その後の行状は
もちろん、養子となるに至った目的、動機及び経過、養子の年齢並びに養親の婚姻状況、養親、
その配偶者及び実子の年齢、養子縁組の経緯、養子縁組が未成年のうちになされているか否
か、養子の扶養能力の有無、同居の有無、国益や外交関係等を総合的に判断し、許否を決定し
ているのである。
 以上の点を本件についてみると、原告は、平成二年一月一五日に養子縁組を理由として本
件申請を行ったものであるが、被告においてこれを審査したところ、原告をBの養子とする
縁組届出が平成元年一〇月一一日になされているものの、当時原告は二七歳に達していたほ
か、養親であるBは四九歳で、同年一一月一四日に婚姻した四五歳の中国(台湾)人妻がいる
こと等から、被告は、在留資格の変更を許可するのが適当と認めるに足りる相当の理由があ
るものとは認められないと判断して、本件不許可処分をしたものであって、本件不許可処分
が被告の裁量権の範囲内の適法な処分であることは明らかである。
五 被告の主張に対する原告の認否
すべて争う。
第三 証拠《略》
理 由
一 被告の本案前の主張について
1 請求原因1ないし3の事実及び原告が平成二年五月六日に本邦から出国したことは当事者間
に争いがなく、《証拠略》によれば、原告は、右出国の際、再入国許可を受けておらず、難民旅行
証明書も所持していなかったことが認められる。
2 被告は、原告が本邦から出国したことによりそれまで有していた在留資格、在留期間を喪失
し、仮に本件不許可処分が判決により取り消されたとしても、被告としてはおよそ将来本件申
請に基づく在留資格変更許可処分をする余地が存しないから、本件訴えは、その利益を欠き不
適法であると主張するので、まずこの主張について検討する。
一般に、在留資格変更不許可処分が判決によって違法であるとして取り消され、その判決が
確定した場合、被告は、改めて在留資格変更許可申請に対する判断をしなければならないこと
となり、原告には、右申請に対する新たな判断において申請どおりの処分を得る可能性が回復
されるという法的な利益があるのであって、このような法的な利益の存在が在留資格変更不許
可処分取消しの訴えの法律上の利益を基礎付けるものと理解することができる。
ところで、在留資格は、外国人が本邦において一定の活動を行うことができる者あるいは一
定の身分状態を有する者として本邦に入国し在留することを認められる法的資格であり(法四
条一項)、上陸申請手続において、入国審査官の審査を受けた上、上陸許可に際して在留期間と
ともに決定されるものである(法六条二項、七条、九条一項、三項)。したがって、在留資格は、
外国人が本邦に上陸する際備えなければならない資格であるとともに、外国人が本邦に在留し
ている事実を前提とした上で、一定の活動あるいは身分状態の範囲においてその在留を法的に
許容するものであるということができる。このような在留資格の法的性格からすれば、本邦外
にある外国人に対して在留資格を付与する余地はなく、また、一旦在留資格を付与された外国
人であっても出国により本邦に在留している事実がなくなった場合には、再入国許可を受けて
いる等の例外的な場合を除き、在留資格及び在留期間は当然に消滅することとなる。
しかるところ、在留資格変更許可申請は、在留資格の付与を受けて本邦に在留する外国人が
現に有する在留資格とは異なる在留資格をもって本邦に引き続き在留するため、在留資格の変
更を求める申請であるが、原告は、右1のとおり、本件申請後の平成二年五月六日に本邦から
出国してしまったのであるから、これにより、現に有する在留資格は当然に消滅して在留資格
変更の前提である在留資格が失われ、仮に本件不許可処分が判決により違法であるとして取り
消されたとしても、被告において改めて本件申請に対する許可をする余地はなくなったものと
いわざるを得ない。
そうすると、本件訴えは、原告の出国により、その法律上の利益が消滅するに至ったものと
いうべきである。
3 これに対して、原告は、原告の出国は、不法残留者として退去強制処分ないし刑事罰を受け
るという著しい不利益を回避するという已むを得ざる事情によるものであるから、訴えの利益
は認められるべきであると主張するが、原告主張の不利益が現に切迫したものであったとはい
い難いのみならず、出国の動機いかんが、右2の判断を左右するものではないから、右主張は
失当である。
4 また、原告は、本件不許可処分が判決により取り消され、被告が改めて原告に対して新たな
在留資格を付与することを相当と判断した場合には、原告が在留資格取得に必要な諸手続を履
践すれば、被告は、原告に新たな在留資格を付与すべきであって、かかる措置を採ることが可
能であることは、現行法が導入した在留資格認定証明書制度において、本邦に入国していない
外国人にも在留資格の取得又は変更が可能であることを前提としていることからも明らかであ
るので、原告には本件不許可処分の取消しを求める訴えの利益があると主張する。
しかしながら、行政事件訴訟法三三条二項によれば、申請を却下し又は棄却した処分が判決
により取り消されたときは、その処分をした行政庁は、判決の趣旨に従い、改めて申請に対す
る処分をしなければならないが、この場合に、行政庁が改めて行う処分は、当該取消訴訟に係
る申請に対するものであり、本件処分が判決により取り消されたとしても、被告は、それによ
って法的には、原告がする新たな申請に対して判断をするに当たりいかなる拘束も受けるもの
ではない。
また、現行法の在留資格認定証明書制度は、法の在留資格証明書の制度(法四条三項)を拡
充発展させたものであると解されるが、本邦に上陸しようとする外国人の上陸前の申請に基づ
き、法務大臣が、当該外国人により申請された活動が虚偽のものではなく、在留資格について
現行法別表第一に記載された活動に該当すること等を証明する文書(在留資格認定証明書)を
交付することによって、新規に上陸許可を受ける外国人の便宜も考慮して上陸申請時における
審査手続の簡易・迅速化を図ったにすぎないものであるから、在留資格認定証明書制度がある
からといって、本邦に在留しない外国人に対し、在留資格の取得や変更を認めたものと解し得
ないことは明らかである。
 したがって、原告の右主張は理由がない。
二 よって、本件訴えは、不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担について、行
政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

面会不許可処分取消等、同附帯請求事件
昭和63年(行ツ)第41号
上告人:国、被上告人:A
最高裁判所第三小法廷(裁判官:園部逸夫・坂上壽夫・貞家克己・佐藤庄市郎・可部恒雄)
平成3年7月9日
判決
主 文
原判決中上告人敗訴の部分を破棄する。
第一審判決中上告人敗訴の部分を取り消す。
前項の取消部分に関する被上告人の請求を棄却する。
第一項の破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却する。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
理 由
上告代理人菊池信男、同森脇勝、同金子泰輔、同小林義弘、同大田黒昔生、同中山弘幸、同山口晴夫、
同山田文夫、同澤村佳夫、同富山聡、同森幸夫の上告理由について
一 原審の確定した事実関係は、次のとおりである。
1 被上告人は、爆発物取締罰則違反等により起訴され、昭和五〇年七月から東京拘置所(以下「拘
置所」といい、その長を「所長」という。)に勾留されているが、昭和五四年一一月一二日第一審で
死刑の判決を、昭和五七年一〇月二九日控訴審で控訴棄却の判決を受けた。
2 被上告人は、昭和五八年四月一四日、岩手県に居住するBと養子縁組をした。右養子縁組は、死
刑廃止運動に賛同したBが被上告人を自己の養子にしたいと決意しその旨を申し入れたことから
成立した。したがって、被上告人とB一家とは従前生活を共にしたことはないが、それぞれが可
能な範囲・方法で接触を保つように努力しており、現にB及びその長女Cは何回となく被上告人
に面会に来ていた。
3 ところで、従来、拘置所では、在監者と一四歳未満の者(以下「幼年者」という。)との面会をか
なり広く認めていた。しかし、昭和五三年後半ころ、特定の事件の支援者らが、子供を同伴した上
在監者と接見し、その後子供と共に拘置所内でシュプレヒコール等をしたので、拘置所側がこれ
を排除しようとしたところ、子供の身体に危険が生じたことがあった。そこで、拘置所は、そのこ
ろから在監者と幼年者との面会を全面的に禁止した。昭和五四年八月二日、拘置所は、この取扱
いを改め、在監者と幼年者との面会は、ア在監者の処遇上必要がある場合、及び、イ勾留が長期に
わたっていること、面会の相手が在監者の実子であること、進学、進級等子供の教育上必要があ
るか配偶者の病気、入院等子供の成育上必要があるなど特別の事情があること、年二回程度であ
ることという条件をすべて具備した場合、にのみこれを許可することとした。そして、同日以降
この取扱いが定着し、幼年者との面会を希望する在監者は、事前に所長に対し面会の許可の申請
をしている。
4 被上告人は、養子縁組の成立前からCの長女D(昭和四八年八月二六日生)と文通をしていた
ので、何回となく所長に対しDとの面会の許可申請をし、その申請書に被上告人とDとの関係、
被上告人がDに面会したい理由等を記載したが、毎回不許可となった。被上告人は、昭和五八年
五月三〇日、同年四月二七日にしたDとの面会許可申請が不許可となったので、その取消しを求
めて法務大臣に情願書を提出し、B、C及びDは、所長に上申書を提出するなどした。
5 被上告人は、昭和五九年四月二七日、所長に対し、Dとの面会の許可の申請をしたところ、所長
は、翌二八日監獄法施行規則(以下「規則」という。)一二〇条によりこれを許可しない旨の決定(以
下「本件処分」という。)をし、同年五月二日被上告人に対し本件処分を告知した。
そして、Dは同月四日、七日母Cと共に所長に対し当時未決勾留中であった被上告人との面会
の許可の申請をしたが、所長はDと被上告人との面会を許さなかった。
二 右事実関係の下において、原審は、所長のした本件処分につき裁量権の範囲を超え又はこれを濫
用した違法があり、かつ、国家賠償法一条一項にいう「過失」があると判断した上、被上告人の請求
のうち慰謝料五万円及びこれに対する昭和五九年五月四日から支払済みまで民法所定の年五分の
割合の遅延損害金の支払を求める部分を認容した第一審判決を相当であるとして控訴を棄却し、か
つ、被上告人の附帯控訴に基づき弁護士費用一万円の支払請求を認容し、その余の請求を棄却した。
三 しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
1 未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、被疑者又は
被告人の居住を監獄内に限定するものである。そして、未決勾留により拘禁された者(以下「被勾
留者」という。)は、ア逃亡又は罪証隠滅の防止という未決勾留の目的のために必要かつ合理的な
範囲において身体の自由及びそれ以外の行為の自由に制限を受け、また、イ監獄内の規律及び秩
序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右
の障害発生の防止のために必要な限度で身体の自由及びそれ以外の行為の自由に合理的な制限を
受けるが、他方、ウ当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての
自由を保障される(最高裁昭和四〇年(オ)第一四二五号同四五年九月一六日大法廷判決・民集
二四巻一〇号一四一〇頁、同昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集
三七巻五号七九三頁参照)。
2 ところで被勾留者の接見に関する法律の定めは、次のとおりである。
 刑事訴訟法八〇条は、勾留されている被告人は弁護人等同法三九条一項に規定する者以外の
者と法令の範囲内で接見することができるとしている。
 そして、監獄法(以下「法」という。)四五条一項は、「在監者ニ接見センコトヲ請フ者アルト
キハ之ヲ許ス」と規定し、同条二項は、「受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル
者ト接見ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス」と規定し、「受
刑者及ビ監置ニ処セラレタル者」以外の在監者である被勾留者の接見につき許可制度を採用す
ることを明らかにした上、広く被勾留者との接見を許すこととしている。
右に前記1で説示したところを併せ考えると、被勾留者には一般市民としての自由が保障さ
れるので、法四五条は、被勾留者と外部の者との接見は原則としてこれを許すものとし、例外
的に、これを許すと支障を来す場合があることを考慮して、ア逃亡又は罪証隠滅のおそれが生
ずる場合にはこれを防止するために必要かつ合理的な範囲において右の接見に制限を加えるこ
とができ、また、イこれを許すと監獄内の規律又は秩序の維持上放置することのできない程度
の障害が生ずる相当の蓋然性が認められる場合には、右の障害発生の防止のために必要な限度
で右の接見に合理的な制限を加えることができる、としているにすぎないと解される。この理
は、被勾留者との接見を求める者が幼年者であっても異なるところはない。
 これを受けて、法五〇条は、「接見ノ立会……其他接見……ニ関スル制限ハ命令ヲ以テ之ヲ定
ム」と規定し、命令(法務省令)をもって、面会の立会、場所、時間、回数等、面会の態様につい
てのみ必要な制限をすることができる旨を定めているが、もとより命令によって右の許可基準
そのものを変更することは許されないのである。
3 ところが、規則一二〇条は、規則一二一条ないし一二八条の接見の態様に関する規定と異なり、
「十四歳未満ノ者ニハ在監者ト接見ヲ為スコトヲ許サス」と規定し、規則一二四条は「所長ニ於テ
処遇上其他必要アリト認ムルトキハ前四条ノ制限ニ依ラサルコトヲ得」と規定している。右によ
れば、規則一二〇条が原則として被勾留者と幼年者との接見を許さないこととする一方で、規則
一二四条がその例外として限られた場合に監獄の長の裁量によりこれを許すこととしていること
が明らかである。しかし、これらの規定は、たとえ事物を弁別する能力の未発達な幼年者の心情
を害することがないようにという配慮の下に設けられたものであるとしても、それ自体、法律に
よらないで、被勾留者の接見の自由を著しく制限するものであって、法五〇条の委任の範囲を超
えるものといわなければならない。
原審は、規則一二〇条(及び一二四条)は幼年者の心情の保護を目的とするものであり、これに
対する具体的な危険を避けるために必要な範囲で監獄の長が幼年者と被勾留者との接見を制限す
ることを認めた規定であるという限定的な解釈を施した上、法はそのような制限を容認している
と解する余地があるとして、右各規定が法五〇条の委任の範囲を超え、無効であるということは
できないと判断した。しかし、前記のとおり、被勾留者も当該拘禁関係に伴う一定の制約の範囲
外においては原則として一般市民としての自由を保障されるのであり、幼年者の心情の保護は元
来その監護に当たる親権者等が配慮すべき事柄であることからすれば、法が一律に幼年者と被勾
留者との接見を禁止することを予定し、容認しているものと解することは、困難である。そうす
ると、規則一二〇条(及び一二四条)は、原審のような限定的な解釈を施したとしても、なお法の
容認する接見の自由を制限するものとして、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものというほ
かはない。
そうだとすれば、規則一二〇条(及び一二四条)は、結局、被勾留者と幼年者との接見を許さな
いとする限度において、法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものと断ぜざるを得ない。
4 以上によって本件をみるのに、原審の確定した事実関係によれば、被上告人とDとが接見した
としても、ア被上告人が逃亡し又は罪証を隠滅するおそれが生ずるとも、イ監獄内の規律又は秩
序が乱されるおそれが生ずるとも認められないというのであるから、所長は、法四五条の趣旨に
従い、被上告人とDとの接見を許可すべきであったといわなければならない。ところが、所長は、
本件処分をし、これを許可しなかったのであるから、本件処分は法四五条に反する違法なものと
いわなければならない。
これと異なる見解に立つ上告理由第一点は、採用することができない。
5 そこで、進んで、国家賠償法一条一項にいう「過失」の有無につき検討を加える。
思うに、規則一二〇条(及び一二四条)が被勾留者と幼年者との接見を許さないとする限度に
おいて法五〇条の委任の範囲を超えた無効のものであるということ自体は、重大な点で法律に違
反するものといわざるを得ない。しかし、規則一二〇条(及び一二四条)は明治四一年に公布され
て以来長きにわたって施行されてきたものであって(もっとも、規則一二四条は、昭和六年司法
省令第九号及び昭和四一年法務省令第四七号によって若干の改正が行われた。)、本件処分当時ま
での間、これらの規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挟む解釈をされたことも裁判上と
りたてて問題とされたこともなく、裁判上これが特に論議された本件においても第一、二審がそ
の有効性を肯定していることはさきにみたとおりである。そうだとすると、規則一二〇条(及び
一二四条)が右の限度において法五〇条の委任の範囲を超えることが当該法令の執行者にとって
容易に理解可能であったということはできないのであって、このことは国家公務員として法令に
従ってその職務を遂行すべき義務を負う監獄の長にとっても同様であり、監獄の長が本件処分当
時右のようなことを予見し、又は予見すべきであったということはできない。
本件の場合、原審の確定した事実関係によれば、所長は、規則一二〇条に従い本件処分をし、被
上告人とDとの接見を許可しなかったというのであるが、右に説示したところによれば、所長が
右の接見を許可しなかったことにつき国家賠償法一条一項にいう「過失」があったということは
できない。
上告理由第二点は、所長に国家賠償法一条一項にいう「過失」がなかったことを主張する限り
において理由がある。
6 以上によれば、前記のとおり被上告人の請求を一部認容すべきものとした原審の判断には、法
令の解釈適用を誤った違法があり、その違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであ
る。そして、右に説示したところによれば被上告人の請求は理由がないから、原判決中上告人敗
訴の部分を破棄し、第一審判決中上告人敗訴の部分を取消した上、右取消部分に関する被上告人
の請求を棄却し、かつ、右破棄部分に関する被上告人の附帯控訴を棄却すべきである。
よって、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見
で、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分取消請求事件
平成2年(行ウ)第9号
原告:A、被告:福岡入国管理局主任審査官
福岡地方裁判所第1民事部
平成4年3月26日

判決
主 文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が平成元年一二月一日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は中華人民共和国(以下「中国」という。)国籍を有する外国人であるが、平成元年九月二七日、有効な旅券を所持せずに本邦に入国した。
 原告は、平成元年当時、中国福建省に住んでいたが、同年中に中国で生じた民主化運動に共鳴し、同年六月三日、同省福州市において民主化運動に参加していわゆるデモ行進やカンパを行い、同月四日に中国政府が右運動を武力鎮圧したいわゆる天安門事件が発生した後中国政府により右運動参加者に対する追求が行われたため、右追求を恐れて中国から日本へ脱出したものである。
2 原告の右入国の事実が発覚したため、出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第七九号による改正前のもの。以下「法」という。)所定の手続に従って、別紙経過表に記載のとおりの経緯により、被告は原告に対し、平成元年一二月一日、退去強制令書を発付した(以下「本件処分」という。)。
3 本件処分の違法性
 退去強制手続における適正手続の保障
法の規定する退去強制の手続は、容疑者の意思に反して身柄を収容・拘束しつつ退去強制事由の有無の審査をし、その結果如何によっては国外退去を強制するもので、身体の自由を拘束し、又はこれを奪う手続であるから、刑事手続に準ずるものであり、憲法三一条の適正手続の保障の原則に則って遂行運用されるべきものである。
 違反調査の違法
入国警備官は、法二四条各号の一に該当すると思料する外国人があるときは、当該外国人(容疑者)につき、違反調査をすることができる(法二七条)が、その違反調査手続は、右の適正手続の要請から、容疑者に対する対面調査により、退去強制手続の概略、手続上の諸権利を告知した上で、入国に至る経緯、動機、退去強制事由の有無を取り調べ、右の点に関して容疑者の主張や弁明の機会を付与すべきである。にもかかわらず、本件における当局入国警備官B(以下「B警備官」という。)がした違反調査は、原告に対面せず、専ら書面によるものであったために、右手続の概略及び手続上の諸権利の告知がされず、入国の経緯、動機、とりわけ原告の政治的難民として保護を求める意思等も確認されず、原告に主張や弁明の機会を与えることなく実施されたものであるし、違反調査書の作成に当たっても、原告が入国当時作成した質問書(これには、原告が中国を脱出して日本へ来るに際しての迫害的要因として、民主化運動に関わる前記の原告の政治的立場を反映して、「精神的圧迫」と記載されている。)についてその内容を吟味することもされなかったのであるから、本件の違反調査は違法である。
 入国審査の違法
入国審査官による審査手続(法四五条)においても、入国審査官は、右の適正手続の要請から、容疑者に対する対面調査により、また、十分な語学能力を有するとともに法の定める手続について十分な知識を有する通訳を介して、退去強制の手続の概略、手続上の諸権利を告知した上で、入国に至る経緯、動機、退去強制事由の有無を取り調べ、右の点に関して容疑者に主張や弁明の機会を付与すべきであるし、更に、右以外にも救済手段として別に難民認定申請手続(法六一条の二以下)があることを告知する必要がある。にもかかわらず、本件における当局入国審査官C(以下「C入国審査官」又は「C審査官」という。)が平成元年一一月九日にした入国審査では、原告に対する右手続の概略や手続上の諸権利の告知もなく、通訳のD(以下「D通訳」という。)は語学能力及び法の定める手続についての知識ともに不十分であり、パスポート等を所持していなければ本国へ強制送還するしかないとの前提に立脚しての退去強制事由の有無の審査のみに終始し、入国の経緯等に関する原告の主張や弁明、とりわけ前記質問書に記載された「精神的圧迫」の意味について十分に問い質されることもなく、また、難民認定申請手続という救済手段があることも告知されずに行われたものであるから、右入国審査は違法である。 
なお、原告が難民認定申請手続の存在について知ったのは、本件処分後の平成元年一二月一五日である。
 口頭審理請求権の告知手続における違法
入国審査官は、審査の結果、容疑者が法二四条各号の一に該当すると認定したときは、容疑者に対し、理由を付した書面をもって通知するとともに、口頭審理を請求することができる旨を告知しなければならず(法四七条二項、三項)、しかも、右告知をするについては、容疑者の理解できる言語で、かつ、容疑者の能力等に充分配慮しながら、口頭審理請求権の存在・内容はもちろんであるが、それのみでなく、口頭審理を経ることを前提とする異議の申出(法四九条)及び特別在留許可制度(法五〇条)の存在について、口頭審理請求権の行使、不行使によって生じる法的効果の差異など、同請求権を行使するかどうかを決定することに
つき実質的かつ十分な判断ができるだけの情報を提供することが必要である。にもかかわらず、C審査官は、原告に対し、平成元年一一月九日、単に「次の審査を請求できる。」と告げたのみで、右の意味での告知を十分にしなかった違法がある。
 口頭審理請求権の放棄手続における違法
法は、入国審査官が法二四条各号の退去強制事由に該当すると認定をし当該容疑者が右認定に服したときは、入国審査官が行った審査手続が適正なものかどうかをチェックさせ、かつ、当該容疑者が口頭審理請求権及びその放棄の意義について十分理解した上で任意にかつ真意に基づいて口頭審理を請求するための熟慮期間を放棄して手続の早期確定を求めるのかどうか等を確認させる趣旨で、入国審査官から右認定の通知を受けた「主任審査官」において、右容疑者に対し、口頭審理の請求をしない旨を記載した文書(以下「放棄書」という。)に署名させる旨定めている(法四七条二、四項)。にもかかわらず、本件においては、入国審査手続を担当した「入国審査官」であるC審査官が、前述した同審査官の違法な手続の結果口頭審理請求権の意義すら理解しないまま同審査官が繰り返し申し向けたとおりにもはや国外退去を強制されるしかないと思い込んでいた原告に対し、平成元年一一月九日、放棄書に署名させたのであるから、本件口頭審理請求権放棄書は、権限なき入国審査官により作成された違法文書であり、右審査官の行為は、明白なる違法措置である。
 国際人権規約等の違反による違法
いわゆる天安門事件の発生により、本件処分当時中国から同国政府の追求を逃れて相当多数の政治的難民が日本にやって来ることが予見されたところ、我が国も批准している市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権規約」という)、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)並びに難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)等に照らせば、中国からの入国者に対して、予め退去強制手続に関する何らかの規定方針を定めて処理にあたることは許されない。しかるに、被告は、原告と同時に日本に入国した中国人はいずれもベトナム難民を装う「偽装難民」であり国外退去させるべきであるとの方針のもとに、前述したような違法な形式的かつ画一的な処理を行ったのであって、右は前記各条約に反する違法なものである。
 一時庇護のための上陸の不許可通知の違法
一時庇護のための上陸の許可(法一八条の二)、不許可は、右許可申請をした申請人に対する各個別の処分であるから、その不許可処分の告知も各申請人ごとにされるべきである。しかるに、本件における同処分においては、原告らを含む二〇〇名の中国人に対する同不許可処分の告知について右全員に対して包括的に一括してされたにすぎないから、原告に対する適法な不許可処分の告知があったとはいえない。したがって、被告は、原告のした右許可申請につき、適法な不許可処分及びその通知をしないままの状況で、すなわち、一時庇護のための上陸の許可申請が存続する状況のまま、退去強制の手続を実施し本件処分を行った違法がある。
4 よって、原告は、本件処分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1のの事実は認める。
 同の事実のうち、平成元年六月四日に中国においていわゆる天安門事件が発生したことは認めるが、その余は知らない。
2 同2の事実は認める。
3 同3のは争う。
 同のうち、当局のB警備官が原告に対する違反調査手続を対面調査によらず書面により行ったことは認めるが、その余は否認ないし争う。
 同のうち、C入国審査官が原告に対する入国審査をし、D通訳がその通訳をしたことは認めるが、原告が難民認定申請手続の存在を知ったのが平成元年一二月一五日であったことは知らず、その余は否認ないし争う。
 同のうち、C入国審査官が原告に対して口頭審理請求権の告知として「次の審査を請求できる。」と告げたことは認めるが、その余は否認ないし争う。
 同のうち、原告の放棄書への署名がC審査官の面前でされたことは認めるが、その余は否認ないし争う。
C審理官が原告に対し、「強制送還しかない。」旨繰り返し述べた事実はない。原告は、自ら不法入国者であることを認め、不服申立てをする必要がないと判断して放棄書に署名したものである。
 同は否認ないし争う。
 同は否認ないし争う。
三 被告の主張(本件処分の適法性)
1 本件処分は、別紙経過表記載のとおりの経緯により、法の規定に基づいて行われたものであり、適法である。
2 原告の主張に対する反論
 適正手続の保障について
憲法三一条は、本来刑罰を科する法手続の適正を要請しているものである。これに対して、退去強制の手続は、本邦に入国し、又は本邦から出国するすべての人の出入国の公正な管理を図る目的(法一条)をもって、わが国社会にとって好ましくない外国人を国外に退去させんとする出入国管理行政上の手続であるから、本件退去強制手続には、憲法三一条は適用されない。
仮に、退去強制の手続に同条が準用されるとしても、法は同条の適正手続の要請を充たした退去強制の手続を規定しているから、本件処分が法所定の手続に従って行われたか否かを問題とすれば足りる。
 違反調査について
違反調査手続においては、容疑者に対し、対面調査が義務付けられていないし(法二九条一項)、退去強制手続の概略や手続上の諸権利を告知した上で違反事実についての主張、弁解を聴取して供述調書を作成することを義務付けた規定もない。また、同調査手続は、退去強制事由の有無を明らかにするために行われるものであり、容疑者が政治的難民として保護を求める意思を有するかどうかを確認するなど、在留を希望する事情を明らかにすることを目的とするものではない。
本件の違反調査においては、B警備官が、法所定の手続に従って、前記質問書及び原告作成の陳述書など関係書類によって退去強制事由の有無を調査しているから、何ら違法はない。また、右関係書類をみると、原告は入国目的を経済的困窮から免れるためと述べており、政治的理由による迫害を受けたとする具体的事情や政治的難民としての保護を求める意思を表明していないから、当局入国警備官が対面調査をしなかったことをもって原告の政治的難民としての保護を求める機会と権利を奪ったことにはならない。
 入国審査について
入国審査手続においても、退去強制手続の概略や手続上の諸権利、難民認定申請手続の告知を義務付けた規定はない。
本件の入国審査手続は、中国語に堪能なD通訳を介して原告に審査内容を理解させた上で慎重に実施されたものであり、右手続に何ら違法はない。
また、原告は、右審査において難民認定が受けられるような事情を全く述べていないのであるから、C入国審査官が難民認定申請手続を教示しなかったとしても、原告の政治的難民としての保護を求める機会を奪ったとはいえない。
 口頭審理請求権の告知について
法は、口頭審理請求権の告知(法四七条三項)の他に、法務大臣に対する異議の申出(法四九条)や法務大臣の裁決による特別在留許可制度(法五〇条)を教示することまで要求してはいない。口頭審理の請求は、法二四条各号の一に該当する旨の認定に不服がある場合にとられる手続であり、特別在留許可を請求するための手続ではない。しかも、特別在留許可制度は、法務大臣による例外的な恩恵的措置であり、原告にそれを求める請求権があるわけではない。
本件においては、C入国審査官は、通訳を介して原告に対し「違反認定に服するならば、強制送還されることになるが、違反認定に不服がある場合には、三日以内に特別審理官に対し口頭審理の請求(口頭審理の請求については、原告に理解しやすいように、『次の審査』、通訳は中国語で『再審』と述べた。)ができる。」と伝え、原告も右内容を理解していた。したがって、口頭審理請求権については十分告知されている。
 口頭審理請求権の放棄について法四七条四項は、主任審査官に対し、口頭審理の請求をしない容疑者に対するすみやかな退去強制令書発付義務を課したものであって、主任審査官自ら口頭審理放棄書に署名させることを目的としているわけではない(容疑者が認定に服したとの事実は、同人が放棄書に署名したことで確認できるから、ことさら主任審査官自らが放棄書に署名させる必要性もない。)と解すべきであるから、入国審査官が原告に対して放棄書に署名させたとしても、同条項に違反しない。
それに、容疑者は、認定の通知を受けた日から三日を経過すれば口頭審理の請求ができなくなり認定に服したことになって、主任審査官は容疑者に対して放棄書に署名させるまでもなく退去強制令書を発付することになるところ、本件では、原告が認定通知を受けた日から二二日後に本件処分がされているから、そもそも原告の放棄書署名が不要な事案である。
 国際人権規約等違反について
原告らが国籍を偽ったいわゆる偽装難民であることは慎重な違反調査及び入国審査によって明らかになったものであり、原告らについて当初から本国送還の方針のもとに形式的に退去強制手続を実施したことはない。
また、昭和五〇年四月のベトナム戦争終結後船舶等により同国を脱出したいわゆるベトナム難民については、同年一二月の国際連合総会決議により、これら難民を保護する権限が国連難民高等弁務官事務所に与えられ、昭和五四年七月、各国政府及び民間団体が、近隣沿岸国がベトナム難民に一時的庇護を与え、最終的には先進諸国などの第三国に定住させることに合意したものである。我が国も国際的合意や人道的立場から、ベトナムからのいわゆるボート・ピープルに対して庇護を与えることとしたものである。ゆえにこれら難民と中国国籍を有する原告らとの取扱いを異にしても違法な差別とはいえない。なお、これらベトナムか
らのいわゆるボート・ピープルについても、平成元年九月一二日、閣議了解により、難民条約一条に規定する「難民」又は難民議定書一条の規定により難民条約の適用を受ける「難民」としての蓋然性の有無を審査するためのいわゆるスクリーニング制度が導入されているのであって、ベトナム人からの入国者であることから当然に入国が認められるわけではない。
 一時庇護上陸の不許可通知について
本件における一時庇護のための上陸の許可申請に対する不許可通知の実際の処理としては、申請人各人ごとに通知書が作成され、それが原告らを含む各申請人に交付されている。
それに、そもそも一時庇護のための上陸の許可申請に対する不許可の告知方法については、法に定めがなく、包括的な一括告知が禁止されているわけではないから、仮に、原告の主張するような告知方法がなされたとしても、違法とはいえない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張1のうち、本件処分に至るまでの経緯が別紙経過表記載のとおりであることは認めるが、その余は争う。
2 同2は争う。
第三 証拠《省略》
理 由
一 当事者間に争いのない事実
原告は中国国籍を有する外国人で、平成元年九月二七日、有効な旅券を所持せずに本邦に入国したこと、その後、被告が原告に対して同年一二月一日に本件処分をするまでの経緯が別紙経過表記載のとおりであることについては当事者間に争いがない。
二 本件処分の適法性について
1 右争いのない事実及び証拠《書証番号略》、証人C、同D、同B、原告本人)によれば、次の事実が認められる。
 原告は、平成元年当時福建省に両親とともに住んでいたが、同年中に中国で生じたいわゆる民主化運動に共鳴し、同年六月三日には同省福州市においてデモ行進に参加し、募金にも協力したが、同月四日に中国政府が右運動を鎮圧したいわゆる天安門事件が生ずると、右運動から離れた。その後は、いったん自宅に帰る等して動向が目立たないようにしていたが、中国政府による右運動参加者への追求が迫っていると感じ、折から集団で船により日本へ向かう動きがあると聞き及んで、日本への脱出を決意した。
 原告は、他の二三〇名とともに、平成元年九月二四日、中国福建省《地名略》から木造船に乗船し、同月二七日、沖縄県那覇市所在の那覇新港に到着した。そして、日本に上陸するために、当局那覇支局の入国審査官に対し、法一八条の二に基づく一時庇護のための上陸の許可申請を行った。同支局の主任審査官は、右許可申請の審査のため仮上陸を許可し、同月二九日、原告を指定住居である大村難民一時レセプションセンターに入所させていたが、同年一〇月一二日、当局入国審査官は、原告の右一時庇護のための上陸の許可申請に対して、これを不許可として、同月一七日、その旨を原告に通知した。
 この間、当局那覇支局側は、原告に対し、予め用意した質問書用紙(平成元年九月二七日付け)に身分や入国目的に関する事項等を記載させ、同支局長宛に提出させた(《書証番号略》)。これには、日本へ入国するに際しての迫害要因として、「精神的圧迫。仕事がない。生活できない。」と記載されている。
 当局入国警備官は、右のとおり原告らの一時庇護のための上陸の許可申請が不許可とされたことを受けて、原告に法二四条一号の退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当な理由があるとして、当局主任審査官が平成元年一〇月一三日付けで発付した収容令書(法三九条)に基づき、平成元年一〇月一八日、原告を大村入国者収容所に収容した。
原告は、その収容の際、報道機関による取材を受け、平成元年六月に中国で発生した天安門事件に関与したため中国政府の迫害をおそれて日本に脱出してきたと述べ、同年一一月五日、その取材内容がテレビ放映された。
 原告とともに入国した二三〇名の者のうち原告ら中国人二〇〇名(以下「本件グループ」という。)の違反調査を担当する入国警備官ら(五名程度であった。)は、打合せの結果、これらの者について収容後四八時間以内に違反調査を行って容疑者を入国審査官に引き渡す(法四四条)ためには、通例に従いそれぞれ対面による調査をして供述調書を作成する時間的余裕はないとの判断のもとに、原則としてリーダー格以外の者については法施行規則が定める書式にない陳述書をもって代用することに決め、原告にも収容翌日の平成元年一〇月一九日付けで陳述書(《書証番号略》)を作成させた。そして、B入国警備官は、同月一九日、原告の右陳述書や前記質問書、それに本件グループのリーダー格であった二名に対する事情聴取書(《書証番号略》)およびボート・ピープル名簿(《書証番号略》)の五通の書面を資料とした書面調査により違反調査書を作成し、同月二〇日、当局入国審査官に対し、右書類とともに原告を引渡した。
 原告ら二〇〇名の入国審査については、大村入国者収容所の管轄に属する入国審査官だけでは対処できないので、その管轄外からも入国審査官が応援として事務処理に当たることとされ、事務処理に当たる入国審査官は約七名となった。そして、平成元年一一月六日、同所で、口頭により、今回の入国審査の実施の要領として、容疑者が認定に服した場合にはその場で放棄書を作成するよう指示、説明が行われた。
 C入国審査官は、当局鹿児島出張所の所属であり、右のとおり応援として大村入国者収容所での事務処理にあたることとなったが、同月九日、D通訳を介して、原告が理解できる北京語で、直接対面による入国審査(法四五条)を実施した。審査の冒頭、同審査官は、「違反審査を始めます。私は、入国審査官です。」と告げ、まず、原告に紙を渡して身上関係を書いてもらってこれを確認し、前記違反調査書記載の法二四条一号違反の有効な旅券・乗員手帳を所持せずに入国したとの容疑事実を読み聞かせた。その上で、前記の質問書と陳述書が原告作成であることを確認した後、違反調査において作成された前記五つの資料(前記)に照らして、容疑事実があるか否か及び入国の経緯、動機等について、原告に質問を発しながらその事情を聴取した。しかし、前記質問書に入国に際しての迫害的要因として記載されていた「精神的圧迫」の文言には特に注意を払わず、その意味について原告に対して問い質しはしなかった。また、同審査官は、平成元年一一月五日にテレビ放映された原告の「天安門事件に関係し、日本政府の保護を求める。」旨の報道機関に対する発言を審査当時は知らなかったとして、その点に関する原告の主張や弁明も尋ねてはいない。
原告は、同審査官の問いに対し、容疑事実については「間違いない。」旨を、入国の動機については「生活が苦しかったから。日本に行けばお金を稼げる。職がたくさんある。」旨を話した。同審査官は、原告に法二四条一号に該当しないことの立証責任がある(法四六条)ことを説明するために、原告に対し、「不法入国者ではないことの説明ができますか。」と尋ねたところ、原告は、「説明できない。」と答えた。
以上のような審査の結果、同審査官は、原告を法二四条一号に該当すると認定した。
 右認定後直ちに、C入国審査官は、原告に対し、認定に服する場合は本国に強制送還される旨告げ、また、認定に不服な場合に関しては、予め書式の用意されていた認定通知書(《書証番号略》)に不動文字として記載されている文言のとおりに「認定に不服があるときは、この通知を受けた日から三日以内に、特別審理官に対し口頭審理の請求をすることができる。」と告知した(法四七条三項)。もっとも、同審査官は、「口頭審理の請求」をそのまま直訳しただけでは、日本の出入国制度を知らない原告にとって理解できないと判断して、原告に分かりやすいようにとの配慮から、「次の審査を請求できる。」、更には、「もう一度話しができる。」旨の表現で説明し、D通訳は、「口頭審理」を「再審」と訳して原告に伝えた。原告は、同通訳に対し、「旅券や乗員手帳など何も持たないから、口頭審理の請求をしても一緒じゃないですか。以後の手続は必要ありません。送還されるのならば、早く中国へ帰してください。」との趣旨の答えをした。同通訳は、C審査官に対して、原告が認定に服する旨と送還されるのなら早く中国に帰してほしい旨とを述べていると告げた。そこで、C入国審査官は、原告に、前記の予めした実施要領の打合せに従って、口頭審理放棄書(《書証番号略》)に署名・指印させた。
 C審査官は、以上の審査(約一時間程度を要した。)の結果を審査調書(《書証番号略》)に記載して、原告にその内容を読み聞かせ、間違いないと述べたので、原告に、右調書の末尾にその署名・指印をさせた。
そして、同審査官は、認定書(《書証番号略》)及び認定通知書(《書証番号略》)を作成し、原告及び主任審査官に通知した(法四七条二項)。
なお、同審査官の審査態度は威圧的なものではなく、また、他に原告がその意思に反して発言等を行った事実もない。
 被告は、平成元年一二月一日、原告に対して本件処分を行い、同処分は、同月一六日に執行され、原告は、引続き大村入国収容所に収容された(法五二条五項)。
 なお、原告は、平成元年一二月一五日に、本件原告訴訟代理人と初めて面会し、同日口頭による難民認定申請(法六一条の二)を行い、また、平成元年一二月二〇日には、改めて書面による難民認定申請を行ったが、法務大臣は、平成二年六月一三日、「原告は難民条約一条A及び難民議定書一条二に規定する『政治的意見』を理由に迫害を受けるおそれがあるものとは認めず、右条約等にいう難民とは認められない。」との理由で、難民認定をしない処分をし、その旨を原告に通知した。これに対して、原告は、同月二五日、法務大臣に対し、異議の申出をしたが、法務大臣は、同年九月三日、理由がない旨決定し、その旨を原告に通知した。
2 右事実を前提にして、以下本件処分の適法性について検討する。
 退去強制手続に関する適正手続の保障について退去強制の手続は、法二四条所定の退去強制事由の有無を明らかにして最終的には行政処分である退去強制処分を行うことを目的とする手続であるから、刑事責任追求を目的とする手続に適用される憲法三一条は当然には適用されない。しかし、退去強制の手続がその過程においては容疑者の身体の自由を拘束し最終的には退去強制処分という容疑者の身体の自由
に重大な影響を与える不利益処分を実施するための手続であることからすれば、憲法三一条が刑罰という同じく身体の自由等に重大な影響を与える不利益処分を行うについて適正な手続によるべきであると規定した趣旨は、退去強制の手続においても十分に生かされるべきである。
ところで、本件において、原告は、退去強制の手続について法の規定するところを運用するに当たって、法に明文の根拠がなくても憲法三一条の精神に照らし一定の義務が生ずると主張するので、以下検討する。
 違反調査手続について
原告は、違反調査手続においても容疑者に対面調査して容疑者の弁明、主張等を聴取、確認するなどすべきである旨主張する。
ところで、違反調査手続に関する法二七条ないし三八条の規定に照らし、違反調査は退去強制事由の存在が疑われる外国人について同事由の有無を明らかにするための証拠を収集するという目的で実施されるものと解すべきところ、法は、「入国警備官は、違反調査の目的を達するために必要な取調べをすることができる。」(法二八条一項)、その取調べの一方法として、「入国警備官は違反調査をするため必要があるときは、容疑者の出頭を求め、当該容疑者を取り調べることができる。」(法二九条一項)と規定しているのである。 
このように、法は、違反調査に際して必ず容疑者に対して対面調査することを要求し、義務付けてはおらず、また、実際にも、容疑者との対面調査以外の適当な方法により違反調査の目的を達成し得る場合も考え得るから、違反調査の方法として、入国警備官が容疑者との対面調査をすることは必須とまではいえない。
前記二、1に認定の事実によれば、原告についての違反調査を担当したB入国警備官は、原告作成の質問書や陳述書などの関係書類によって違反調査をしているが、右が法の予定した調査方法を逸脱したものとまでは認め難い。
なお、右質問書(《書証番号略》)には原告が日本に入国する際の迫害的要因として「精神的圧迫」との記載があるが、右文言に続いて「仕事がない。生活できない。」と記載されていることも考慮すると、「精神的圧迫」との文言のみでは、いまだ直ちに原告がその主張するような事情により難民として日本政府の保護を求める意思を有していたとは読み取り難く、同入国警備官が右の点について対面調査により原告に確認しなかったからといって、必ずしもなすべき義務を怠ったとまでは断じ難い。
以上のとおり、原告に対する違反調査は適法なものであり、憲法三一条の精神に照らしても違法とはいえない。
 入国審査手続について
原告は、入国審査手続においても、担当の入国審査官が容疑者と対面審査をして、退去強制の手続の概略や別途の救済手段として難民認定申請手続があること等を説明した上で、容疑事実等に関して容疑者の弁明や主張を聴くべきであったと主張する。
ところで、入国審査手続に関する法四五条ないし四七条の規定に照らし、入国審査は容疑者について退去強制事由の有無を認定するという目的で実施されるものと解すべきところ、その審査に当たり、容疑者との対面審査を義務付けた明文の規定はない。これについても、容疑者との対面審査以外の適当な方法により入国審査の目的を達成し得る場合が考え得るから、入国審査の方法として、入国審査官が容疑者との対面審査をすることは必須とまではいえないと解すべきである。もっとも、前記二、1に認定の事実によれば、原告に対する入国審査は原告と直接対面して実施されているから、原告の主張をいずれに解するにせよ、結論には影響を与えない。
問題となるのは、対面審査を行う場合の容疑者に対する手続の概要等についての事前告知義務の存否等であるが、この点に関しては、右のような告知等を義務付ける法の明文の根拠はないものの、まず、前述した退去強制手続の性格及び同手続中における入国審査の第一審的な審判手続としての機能や位置付けに照らし、容疑者の主張、弁解の機会を適正に保障するという観点から、入国審査官は、その冒頭において、容疑者に対して少なくともこれから始まる入国審査手続の目的及びそれの結果としてもたらされる効果を理解させ、容疑者に十分な主張、弁解を行う機会を与えるべきものと解するのが相当である。
これに対して、難民認定申請手続は退去強制事由の有無にかかわらず一定の事由の認められる者に日本への在留を許可する手続であり、退去強制手続とは法体系上別個の目的に立脚する手続と見るのが相当である。したがって日本への外国人の出入国に関する法体系について必ずしも十分な知識を有しているとは限らない退去強制手続上の容疑者に対して日本の法体系の概要についての理解を提供することは、将来不利益処分を受けるかもしれない同人の地位を考慮すると望ましいこととは考えられるものの、退去強制手続上の入国審査において、難民認定申請手続の存在及びその概要等について当然に告知義務が存するとまで解するのは困難というべきである。
ただし、入国審査の過程において、当該容疑者に難民認定の対象となり得る事由の存在が明らかに窺われ、容疑者としても難民認定申請手続の存在について知識があればこれを行うであろうことを窺わせる相当の事情がある場合には、単に外国人の日本の法体系についての知識の不足のみを理由に難民認定申請を行う機会を奪う結果となることは、同手続の基礎となっている難民条約等に我が国も加盟しておりその遵守義務も負っていることに照らして公正とはいえないから、当該入国審査官は、右の告知をすべき法律上の義務を負担する場合もあると解される。
本件においては、前記二1、に認定の事実によれば、審査の冒頭、C入国審査官は、「違反審査を始めます。私は、入国審査官です。」と告げた後、違反調査書記載の容疑事実を読み聞かせ、容疑事実に関連して原告の入国経緯や動機等について事情聴取したほか、原告に対して「(原告が)不法入国者に該当しないことの説明ができるか。」と尋ねていることが認められ、他方、原告の供述に照らせば、原告は右審査においては原告の日本への在留資格の有無が問題とされており、これが認められなければ不法入国者に該当するものとして中国へ送還されることになると認識していたことが明らかである。したがって、原告に入国審査手続の目的及び効果を理解させ、十分な主張、弁明の機会を与えるべきとの要請は満たされていたものというべきである。
加えて、前記二、1に認定の事実によれば、本件の入国審査に際しては、原告自身、自分が「難民」であることを窺わせる事情を当局入国審査官には一切訴えてはおらず、かえって入国の動機につき、経済的困窮を免れるためである旨話していること、そして、前に述べたとおり原告作成の質問書に日本入国に際しての迫害的要因として「精神的圧迫」と記載されてはいたが、それのみでは、いまだ直ちに原告がその主張のような事情により日本政府の保護を求める意思を有していたとは読み取り難いこと、平成元年一一月五日にテレビ放映された原告の「天安門事件に関係し、日本政府の保護を求める。」旨の発言については、同審査官
が当時これを認識していたと認めるに足りる確たる証拠がないこと、むしろ、原告は、帰国後に生じる不安や恐怖から、退去強制手続の段階では、当局に対しては自分が政治的難民であることを明らかにすることをはばかり、消極的に振る舞ってき、難民であることによる救済を積極的に求めたり、その契機となるべきものを当局に陳述したりしたことは全くなかったこと(原告本人、《書証番号略》)、以上の諸事情に照らすと、原告に対する入国審査過程で原告が政治的難民であることを窺わせる事情が明らかになっていたものとは認め難く、右状況下においては、同審査官に、原告に対して難民認定申請手続の存在等を告知すべき法律上
の義務が発生していたことまでは認め難い。
また、仮に、そうでないとしても、原告はその後難民認定の申請手続を行っており(前記二、1)、実質的に同認定申請権は行使されているから、適正手続の保障の観点からしても、同認定申請に関する告知をしなかったことをもって本件審査手続に瑕疵があったものとすることはできない。
更に、原告は、原告に対する入国審査に立ち会ったD通訳の適性にも疑問を呈する趣旨の主張もするが、証拠(《書証番号略》、証人D)によれば、D通訳は、中国国籍を有し、その居住する《地名略》市主催の中国語講座の講師を約二年間担当したり、刑事事件や本件に関連した中国人ボートピープルの違反審査約一五〇名の通訳をするなどの経験を持つものであり、通訳としての能力は一応備えていたと認められ、原告自身も同通訳が北京語を理解でき、同審査官の質問と自分の回答を正確に通訳してくれているものと信頼していたこと(原告本人)に照らせば、右主張は採りえない。
以上のとおりであり、原告に対する入国審査は適法なもので、憲法三一条の精神に反するとはいえない。
 口頭審理請求権の告知について
原告は、口頭審理請求権の告知として法四七条三項が求めるのは、右請求権の存在、内容の告知はもちろんとして、それに加えて、口頭審理を経ることを前提とする異議の申出(法四九条)及び特別在留許可制度(法五〇条)の存在並びにこれらに関して口頭審理請求権の行使・不行使によって生じる法的効果の差異の説明など口頭審理請求権を行使するかどうかを決定するのに実質的かつ十分な判断ができるだけの情報を提供することが必要である旨主張する。
法は、容疑者が入国審査官がした認定に対して異議がある場合は、通知を受けた日から三日以内に特別審理官に対して口頭審理の請求ができる旨規定し(法四八条)、入国審査官の退去強制事由の有無に関する認定に対する不服申立ての権利を認める。
この口頭審理の請求は、右請求を行わせるために法務大臣が特に指定した入国審査官たる特別審理官(法二条一二号)が、必ず容疑者に対面し、その面前で容疑者に弁解、防御の機会を与えて行うべきものとされている(法四八条三項)。したがって、口頭審理請求権を告知するには、少なくとも、特別審理官が容疑者に直接対面して弁解、防御の機会を与えつつ入国審査官の認定の当否を審理する不服申立手続である程度のことは説明を要するものと解される。
これに対し、口頭審理の結果下された判定に対する不服申立手続である異議の申出及び右異議の申出に対する法務大臣の裁決に際して例外的に適用されることのある特別在留許可制度については、口頭審理請求権告知の段階においてこれを容疑者に告知するよう義務付ける明文の規定はないものの、必ずしも我が国の法手続について詳しい知識を有しているとは限らない外国人の容疑者に対して、手続の全体像に対する理解を深めさせることによって、その主張、弁解の機会を適正に保障することを確保するという観点からは、これらについても早い時期に理解の機会が与えられることが望ましいものと言する。
しかし、これらの手続については、口頭審理の結果下される判定に対する不服申立手続又はこれに付随する手続として、口頭審理請求が行われた後にその手続内で告知の機会を確保することでも、前記の手続的保障の趣旨は満たされると考えられるし、そもそも特別在留許可制度は、口頭審理請求やそれに対する異議申出を経てもなお退去強制事由が存在するものと認められる場合においても、他の例外的な特殊事情を考慮して日本への在留を特別に許可するという最後の恩恵的な救済制度であり、その性質上、在留許可を与えるか否かは法務大臣の自由裁量に委ねられていると解されることから、同制度について容疑者に手続的な請求権が存すると見るのは困難であることも考慮すると、右制度を含む口頭審理手続以後の手続についてまで告知しなければ口頭審理請求権の告知としては不十分であるとまで解するのは困難である。
もっとも、法務大臣の特別在留許可を受け得る利益は、容疑者の手続上の地位の一つに含まれていると考えられ、この利益を現実に受け得るようになるには、口頭審理を経ること及びその結果としての判定が不利な場合には異議の申出をすることが手続的前提として要求されているから、入国審査の過程において、容疑者が特別在留許可を受けることも考えられるような特殊事情の存在が相当程度濃厚に窺われるような場合には、容疑者の法手続に対する単なる知識の不足ゆえに前記のような容疑者の手続上の地位に付随する利益を喪失させることが公正に反することもあると考えられるので、このような場合には、入国審査手続を主宰する入国審査官は後見的立場から、右制度を含む以後の手続につき告知・説明すべき義務が生ずることもあると解する余地もある。
本件においては、まず、前記二1、に認定の事実によれば、C入国審査官により、原告に対し、同審査官の認定に不服があるならば、認定の通知を受けた後三日以内に請求すれば、本件入国審査官とは別人の特別審理官の面前で、もう一度弁解や話を聴いてもらえる趣旨のことは伝わっていたことが認められ、口頭審理請求権の告知として最低限要請されるところは知らされていたというべきである。
他方、前記のとおり、その入国審査の過程において、原告が特別在留許可を受けることも考えられるような特殊事情が存したことを窺わせるような発言等が行われ、又は同旨の客観的状況があったと認め得る事情も発見し難いから、右入国審査官において口頭審理請求権告知の段階で、口頭審理以後の手続である異議の申出や特別在留許可制度まで告知すべき法律上の義務が発生したと見ることは困難である。
以上のとおり、原告に対する口頭審理請求権の告知は適法であり、適正手続の保障の精神にもとることはない。
 口頭審理請求権放棄手続について
原告は、法四七条四項にいう口頭審理の請求の放棄手続は、入国審査官から認定の通知を受けた「主任審査官」において、当該容疑者が口頭審理請求権及びその放棄の意義について十分理解した上で任意にかつ真意に基づいて放棄するものであることを確認の上で放棄書に署名をさせて行うべきである(法四七条四項)のに、本件においては、権限のない「入国審査官」が原告に同放棄書に署名させたもので違法である旨主張する。
 右のうち、原告の口頭審理請求権及びその放棄に関する意義の理解に問題が存したとはいい難いことは、前項で説示のとおりである。
 ところで、法四七条四項は、「第二項の場合において、容疑者がその認定に服したときは、主任審査官は、その者に対し、口頭審理の請求をしない旨を記載した文書に署名させ、すみやかに第五一条の規定による退去強制令書を発付しなければならない。」と規定するが、入国審査官が容疑事実の存在を認定した後に主任審査官に対して容疑者の身柄を引き渡すべき旨の規定は存しないのであって(法四七条二項は、認定したとき、主任審査官に対してその旨を告知する義務を定めるに止まる。)、法四七条四項の解釈上容疑者に口頭審理の放棄書への署名をさせるのは主任審査官の面前においてに限られると当然に解すべきかは疑問が存するところである。
しかしながら、法は、退去強制手続(第五章)において、違反調査及び容疑者の身柄の確保、収容令書及び退去強制令書の執行権限を「入国警備官」に、入国審査の権限を「入国審査官」(特別審理官を含む。)に、収容及び退去強制令書の発付権限を「主任審査官」に、それぞれ付与している。つまり、法は、入国審査、令書交付及び令書の執行を、それぞれが独立の機関と目すべき異なる担当者に委ね、それら各々の権限と定めている。この法の趣旨は適正手続の保障の理念と基盤を同じくするものであり、審理機関、令書発付機関及びその執行機関を別個の主体とすることによって適正手続を担保し、機関相互間にチェック機
能が作用することを期しているものと理解される。
したがって、法四七条四項、五一条が退去強制令書の発付権限を入国審査官とは異なる主任審査官に与えている趣旨も、右令書の発付が、通常の場合には当該容疑者に対する終局処分となることを踏まえ、退去強制事由の有無の認定に当たった入国審査官とは別の主体であり、かつ、その上級者から指定される主任審査官をして、発付の当否や現実にどのような時期、形で退去強制を発付すべきかについて判断させるとしたものと考えるのが相当であり、その立場上、入国審査官のした認定についてのチェック的役割を果たすことも期待されているものと見ることができる。
そして、容疑者が入国審査官の認定に服したとして口頭審理の放棄書に署名するに当たり、これを当該容疑者に対する入国審査の実施に当たった入国審査官自らが行うことを許容すると、自己の認定を押しつける結果ともなって適正でなく、また仮にその入国審査の手続及び認定に問題があったとしても、口頭審理の放棄書の作成により認定は確定することとなって、主任審査官に期待された適正手続保障のためのチェック機能が働かなくなる。
本件においては、前記二1、及びに認定の事実のとおり、本件口頭審理請求権の放棄は、原告に対する入国審査を担当したC入国審査官において、入国審査の前に主体不詳の者から包括的な指示を受けて(C証言によっても、それに被告たる主任審査官が関与していたとは認め難い。)、その入国審査終了直後に原告に口頭審理の放棄書に署名させるという形で行われたのであり、このような口頭審理の放棄手続は、叙上の法の趣旨に違背するものというべきである。
 もっとも、前記のとおり、原告の口頭審理請求及びその放棄の意義の理解については特に問題は認め難いし、前記二1、に認定の事実、ことに、原告は、入国審査において入国の動機として経済的理由のみを述べ、また、不法入国者ではないとの説明は出来ない、中国に早く送還して欲しい旨述べるなど容疑事実を全面的に自認している事実に照らせば、原告が法二四条一号に該当することが明白であったものといえることなどからすれば、原告は、右理解に基づいて任意にかつ真意に従って口頭審理の放棄書に署名・指印したと認められるのである。加えて、本件退去強制令書は、原告が本件認定通知を受けた日から口頭審理申立期間(三日間)をはるかに経過した二二日目に発付されているものであるから、結果的には本件の右放棄書はその本来の機能、効用に従って使用されなかったことになる。
これらからすると、本件における口頭審理請求権放棄手続には前述した瑕疵が存在したことは否めないけれども、この瑕疵が本件退去強制手続における原告の容疑事実の認定ひいては本件退去強制令書の発付という結果に影響を及ぼしてはいないものと理解される。
それゆえ右瑕疵をもってしても、適正手続保障の趣旨が実質的に侵害されたとはいえず、これをもって本件処分の取消を必要とすべき程度の違法な瑕疵であると判断することはできない。
 国際人権規約等との関係について
原告は、本件処分当時、中国から同国政府の追求を逃れて政治的難民が日本にやって来ることが予見されたところ、原告についてはベトナム国籍を偽った「偽装難民」として本国に送還するべきであるとの方針のもとに退去強制手続を実施して本件処分を行ったのであり、我が国も批准している国際人権規約等に違反する違法が存する旨主張する。
しかしながら、前記二、1の認定に用いた証拠によれば、原告及び原告と同時に入国した中国国民が当初ベトナム国籍を偽る考えを有しており、当局からいわゆる「偽装難民」との位置付けのもとに退去強制手続が進められたこと、及び一時に多人数が入国したため事務処理の効率化のため退去強制の手続を実施要領についての申合せが行われたことが認められるものの、更に進んで、原告らをその事情のいかんを問わず入国当初から本国に送還するとの方針のもとに右の退去強制手続が実施されたとまで認めるに足りる証拠はない。
 一時庇護のための上陸の不許可通知について
原告は、一時庇護のための上陸の不許可処分の告知は右許可申請をした申請人ごとにされるべきであるのに、本件においては、原告を含む二〇〇名の中国人に対する包括的な告知がされたにすぎないから、結局、原告に対する適法な不許可処分及びその通知があったとはいえず、このような状況で原告に対して退去強制の手続を実施して被告が本件処分を行ったことは違法である旨主張する。
しかしながら、証拠(《書証番号略》、弁論の全趣旨)によれば、右不許可の通知はその申請者各人ごとに各通知書をもって行われていることが認められるから、右主張はその前提を欠くものである。
仮にそうでなくても、法は、一時庇護のための上陸の許可申請に対する不許可の告知方法について明記しているわけでなく、その告知方法としては、不許可と決定したことを原告に適宜の方法で周知させれば足りると解されるところ、主張のように包括的な告知でされていたとしても、直ちに違法な告知とはいえず、したがって、本件処分も違法とはいい難い。
三 なお、原告は、既に摘示、判断したところのほかにも、平成元年一二月一五日に初めて本件原告訴訟代理人と面会した後、当局等によって面会を拒否されたり、身柄を大村、福岡、東京、横浜などの各収容所に不必要に移収されたりしたことを問題として指摘する。
なるほど、本件記録によれば、このような事情も存在し、本訴を含めて右代理人の訴訟活動に支障を招来したことが窺われ、その措置の当否には疑念をさし挟む余地もある。しかし、これらのことは、本件処分後に生じた事実で、同処分の違法事由に影響を与えるものではないことは明らかである。
また、原告は、平成三年八月一四日に行われた原告の本国に対する送還(右事実については争いがない。)が、原告の裁判を受ける権利を侵害するものであり、政治的難民ないしは事実上の難民の生命又は自由を脅威にさらす難民条約等に違反するものである等と主張するが、右事実も、本件審理に支障を生じるなど問題はあったが、法の手続に則つて行われたものであり、かつ、本件処分の後に発生した事実であるから、その当否は別として、本件処分の違法事由とはなりえないものである。
四 よって、原告の本訴請求は、理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について行訴訟七条、民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。 

出入国管理及び難民認定法違反被告事件
平成4年(う)第226号
控訴人:被告人A
大阪高等裁判所第5刑事部(裁判官:小瀬保郎・萩原昌三郎・谷口彰)
平成5年7月1日
判決
主 文
本件控訴を棄却する。
理 由
本件控訴の趣意は、弁護人鍋島友三郎、同菅充行、同武村二三夫、同大水勇各作成の控訴趣意書及び
弁護人鍋島友三郎作成の控訴趣意補充書各記載のとおりであり(同弁護人は、同補充書の第一項は陳
述しないと述べた。)、これに対する答弁は、検察官松岡幾男作成の答弁書記載のとおりであるから、
これらを引用する。
第一 弁護人鍋島友三郎の控訴趣意、弁護人菅充行、同武村二三夫の各控訴趣意第一、同大水勇の控
訴趣意一各法令適用の誤りの主張について
論旨は、被告人は出入国管理及び難民認定法(以下「入管難民認定法」という。)二条三号の二
所定の難民に該当する者であるから、同法七〇条の二を適用して刑の免除をすべきであったの
に、これをしなかった原判決には法令適用の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼすことは
明らかである、というのである。
そこで、各所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果及び弁論を参酌して
検討する。
一 原判決が認定した罪となるべき事実は、「被告人は、中国に国籍を有する外国人であるが、有
効な旅券又は船員手帳を所持しないで、平成三年一〇月一九日、中国青島港から中国船于山号
(YUSHAN)に乗船して出国し、同月二五日大阪市港区海岸通三丁目一〇番所在の本邦大阪港第
一突堤に上陸し、もって、不法に本邦に入国したものである。」というのである。この事実自体は
被告人も認めて争わないところである。
そこで、まず、被告人の密入国後の経緯についてみる。関係証拠によると、以下のとおり認める
ことができる。①被告人は、平成三年一〇月二五日ころ、于山号が大阪港第一突堤に接岸するや、
夜になるのを待って上陸し、直ちに、予め用意していた姻戚関係の証拠とする写真等を持って、
姻戚関係にあるという、大阪府八尾市内に居住するBのもとを尋ね、同夜のうちに、同女からの
依頼で、その義弟で大阪市生野区内に居住するC方に一時身を寄せた。②被告人は、Cに働き口
のあっせん等を依頼し、同月二八日午後、同人に、大阪市西区内にある大阪華僑総会に案内され、
同会会長Dと面談した。その際、被告人は、福建省長楽から来たA’ 三二歳と詐称した上、日本に
来て華僑のように成功したい等と述べたが、仕事のあっせんはしてもらえなかった。③大阪府生
野警察署では、同月二八日ころ、Cの娘の通報により、警察官四人がC方を訪れ、被告人を同署に
任意同行し、取り調べた後、原判示罪となるべき事実と同じ被疑事実で通常逮捕した。④被告人
は、逮捕当初しばらくは、氏名・年齢をA’ 三二歳と詐称し、中華民国台湾でみなし子として出生
し、父方の叔母に育てられ、長じて、台湾の大きな都市で働き、本件当時は基隆市に居住していて、
台湾から飛行機で適法に入国したもので、パスポートを同行の者が持ち去ってしまったなどと弁
解し、捜査官から中国本土より密航して来たのではないかとの質問にも頑として否定していた。
⑤被告人が、氏名・年齢等を起訴状記載のとおり述べたのは、一連の捜査官に対する供述調書で
みると、同年一一月一二日の司法警察員に対する供述調書が最初である。なお、その調書におい
て初めて被疑事実を認めている。原審では難民である旨の主張は一切されていない。⑥被告人は、
平成四年二月一〇日原審で刑の執行を猶予する旨の判決を言渡されて勾留が失効し、身柄を大阪
入国管理局に移された後の同年三月六日入国審査官に対して難民認定の申請をした(同年四月六
日仮放免)。
これらの事実は、大阪華僑総会に出掛けた経緯の点は被告人が争うものの、その余の点は被告
人も特に争っているとは思われず、他の客観的証拠とも符合して、明白である。
二 そこで、被告人の中国における経歴、職業、共産党除名の経緯、密入国の動機目的等について検
討する。
1 まず、被告人は、その弁護人宛書簡(当審弁一、二及び六号証)、被告人作成の「難民に該当
することを主張する陳述書」と題する書面(同八号証)のほか、その作成にかかる上申書写し
(同一一号証)や当審公判廷において、大要、以下のとおり述べる(以上を一括して「当審公判
供述等」ということがある。)。被告人の経歴、職業等について、被告人は、中国の福州市で生
まれ育ち、文化大革命のため中学を中退し、一九六九年四月召集されて軍隊に入り、逝江省船
山海軍基地で高射砲の砲手をしていた。一九七一年選抜されて陸海空の情報部員を養成する洛
陽の総参加第一外国語学院で英語を習い、一九七四年同学院を卒業して、福建飛鸞海軍基地情
報処に配属された。その後、技勤三大隊八四分隊において主として「偵聴」の仕事に従事してい
た。「偵聴」という仕事は、台湾本土の艦隊の通信を聞き取る仕事であった。一九七五年共産党
に入党した。一九八二年連級幹部の地位のまま、軍隊から福洲市馬尾港口公安局公安分局の外
輪(外国船)偵察科に転職し、その半年後偵察科の副科長に就いた。一九八四年同公安局は馬尾
区公安局と合併、福州市馬尾経済開発区公安局となった。その仕事は、ソ連を含めた外国船と
か遠洋に行っていた中国籍の船の偵察で、具体的には上部からの資料に基づき船員名簿等に問
題人物が居るかどうかをチェックすることをしていた。被告人が入港した船に乗り込むことは
なかったが、上陸した外国船の船員と接触して飲食遊興を共にすることがあった。被告人は、
一九八四年五月か六月ころ、共産党を除名された。その理由は、除名を通知する書面によれば、
生活上の態度などによる、というのであったが、実際は、職場の幹部と政治観や仕事のやり方
が一致しないという理由によるものであった。除名を決めるために、武装警官によって隔離・
監視され、数箇月に及ぶ審査を受けた。捜査官に対する供述調書では、共産党を任意に脱退し
たようになっているが、そのような供述をしたことは記憶にない。党除名後は、後方勤務に左
遷され、一年間食堂で臨時労働者と一緒に働かされ、思想を改造された。このようにして、いわ
ば試験観察ともいうべき「留用」期間を経て、副科長から降格され、一般幹部として、公安局の
元の職場に復帰した。復帰後は、中央の文書や内部の文書はもとより、一般の党員に連絡され
る政治文書も見られなくなった。一八〇元だった給料が二級下げられ、一六〇元となった。賞
与も取り消された。福利厚生面でも差別待遇を受けた。職場で白眼視され、危険視されて冷遇
を受けた。その結果、心身に非常な打撃を受けた。このような打撃・迫害のため、社会上の地位
も名誉も奪われ、前途の希望も一切絶たれた。これに耐えられず、一九九一年九月二二日職場
から飛出して、出国した。
2 以上については、被告人が上申書等前示の書面や当審で述べるだけで、これを裏付ける客観
的証拠は提出されていない。
しかし、被告人の密入国の動機、目的に関しては、被告人の当審公判供述と捜査段階及び原
審公判供述とでは全く異なる。
まず、被告人は捜査段階において、専ら経済的理由によると供述していたのである。すなわ
ち、「私は、日本に密航すれば、……一年で一〇万人民元が稼げるものと計算して、できるかぎ
り、警察等に捕まることなく、日本で働いて、金儲けする目的で日本に密航して来たのです。」
(検二一号証、司法警察員に対する平成三年一一月一二日付け供述調書一〇項)、「私は今回、警
察に捕まらなければ、多分、家族を捨ててでも、日本で住みつづけるか、予想外に金を儲げママるこ
とができれば、アメリカに移住するつもりでおりました。」(検二二号証、司法警察員に対する
同月一四日付け供述調書二項)、「毛沢東時代にあっては、私達政府役人も働きがいを持って仕
事をしてきましたが、しかし、現在の若者にあっては、これら思想教育学習をおこたる風潮が
あり、このような中国の社会がいやになったことや、私自身の仕事もおもしろくなくなったの
が、日本に密航して来た動機であります。」(検二四号証、司法警察員に対する同月一五日付け
供述調書二項)、「あくまで、私は金儲けが目的で、日本に密航して来ましたので、単なる密航者
で、難民でも政治亡命でもありません。」(検二七号証、司法警察員に対する同月一六日付け供
述調書七項)、「中国にいた時私は公安関係の仕事にたずさわっており近頃では貧富の差も激し
くなり中国での生活が嫌になり日本で働こうと決意したのです。」(検二八号証、検察官に対す
る供述調書)とそれぞれ供述している。
次に、被告人は、原審公判(第二回)において、捜査段階で作成された供述調書については、
いずれも全部、事実を述べ、読み聞かせてもらい間違いないので署名指印したものであると供
述している上、原審弁護人から「生活が苦しいので、日本に来て中国の家族に仕送りをしよう
と思って密入国したのですか。」との質問に対し「そうです。」と答え、裁判官からの「中国での
あなたの生活は、その国では比較的恵まれていたのではないですか。」との質問に対し「二〇数
年働いているのに給料は全然上がらないで、物価はどんどん上がっているので、生活がやって
いけないため、中国を離れ、お金を儲けようと思いました。」と答えているのである。
なお、被告人は、前出Cらに対し、難民に当たる事実を述べた形跡はなく、ただ就職のあっせ
んを依頼しているのみで、被告人を大阪華僑総会に連れて行ったことで、Cと言い争いになり、
同人に対し「俺を売る気か。」と言ったというのである(検二七号証、被告人の司法警察員に対
する同月一六日付け供述調書六項)。また、同供述調書(前同項)によれば、前示(一の2)のと
おり、大阪華僑総会会長と面談した際にも、「日本に来て、華僑のように成功したいのです。」と
述べ、会長から「……あなたが金儲けできるかどうか、単にあなたが、いつ、司法官憲に捕まる
かにかかっている」と言われたというのであり、被告人から更に「私は、もともと、仕事を探し
に日本に来ただけで、他になにも目的がありません。」と言った、というのである。
三 以上の事実や証拠の関係を踏まえ、本件の争点について考察する。
1 入管難民認定法七〇条の二所定の申出(以下「難民の申出」ともいう。)は、不法入国等の罪
を犯した後、遅滞なく入国審査官の面前においてしなければならないところ、被告人の場合、
その申出をしたのは、前示のとおり、平成四年三月二六日のことであって、本邦上陸後四箇月
余りが経過している上、原判決の言渡後でもある。この被告人の申出について、検察官は遅滞
なく行われたものではないと主張する。これに対して、菅及び武村両弁護人の所論(各第一の
五)は、被告人が本邦上陸後四日にして逮捕され、原判決の言渡しを受けるまで捜査当局や大
阪拘置所に身柄を拘束されていた上、大阪入国管理局に収容されるまで、難民認定申請などの
手続があることを知らされていなかったもので、これを知って直ちにこの申出をしたものであ
るから、前同条にいう「遅滞なく」の要件は十分満たされている、と反論する。
そこで、検討するに、確かに、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)三一条一
項が、不法入国等を理由に刑罰を科することができない手続上の要件の中で、難民が遅滞なく
(without delay)出頭し、かつ、不法に入国するなどしたことの理由を示すべき機関として「当
局」(the authorities)と規定しているのに対し、これと同趣旨の規定である入管難民認定法
七〇条の二が、申出を受けるべき機関を「入国審査官」に限定し、その面前ですることを要する
としていることにかんがみると、「遅滞なく」かどうかの判定に当たっては、司法手続により拘
束されていた期間について慎重に扱うべきであって、かりそめにも申出をする者の立場を不当
に害することがあってはならない。しかし、入管難民認定法七〇条の二は、難民認定の行政手
続とは別に、不法入国等につき犯罪の成立自体は否定されないものの、これを理由とする科刑
だけを免除する旨を定めた特別の規定であり、その要件として、難民であることのほか、同条
の二第二号の事由を付加していることにかんがみると、その申出は、通常、逮捕されるまでな
いし捜査段階においてされるべきであり、そうでなくても、刑事裁判手続における一審判決の
言渡しまでになされることを予定している、といわなければならない。また、その申出に当た
っては、具体的手続や法律上の意味や効果を知った上で述べるまでの必要はなく、少なくとも、
入管難民認定法七〇条の二第一ないし第三号所定の事項につきその基礎となる具体的な事実関
係を申し出れば足りるといえる。したがって、たとえ、司法手続により身柄を拘束されていて
も、捜査機関や弁護人にその旨を申述して、申出の手掛かりを作るなり、入国審査官に対する
申出の取次ぎを依頼することも可能であり、こうした機会のあることも無視することができな
い。もっとも、相当の日時が経過していても、やむを得ない事情があるときは、この点も考慮し
て「遅滞なく」かどうかを判定すべきものと解するのが相当である。
これを本件についてみると、前示のように、被告人の申出は、一審の判決後であり、相当の日
時が経過していることは明白である。逮捕されるまでに、身内や大阪華僑総会の会長に会い、
申出の意向だけでも示す機会があり、同人らを通じてでも入国審査官のところへ出頭すること
もできたはずでありながら、そのような形跡はない。捜査官や拘置所職員、国選弁護人に対し
ても同様である。特に、当審取調べの、鍋島友三郎各作成の平成三年一二月二四日付け上申書
(弁三号証)及び同四年一月八日付け書簡(弁四号証)、被告人作成の同年一月一〇日付け大阪
弁護士会訴訟救助申請書(弁五号証)及び同年一月二〇日付け書簡(弁六号証)によれば、被告
人は原審弁護人との間で、原審公判段階、それも第二回公判期日(同年一月一五日)の以前か
ら、すでに第三国への亡命を考え、中国本国への強制送還を回避する方策を検討していたこと
が認められ、そのころになると原審弁護人を介して難民の申出の手続をとる機会があったもの
といえる。そして、平成四年二月一〇日、執行猶予付きの判決により勾留が失効し、身柄が大阪
入国管理局に移されたことによって、申出がよりたやすくなったとみられるのに、その時点か
ら更に申出に至るまで相当の日数が経過している。この点について、被告人は、当審公判にお
いて、「来日前日本に難民認定の手続があることは、詳しくは知らなかった。知っていたのは政
治亡命だけである。」、「難民申請の方法は、入管局で調査官から教えられた。」旨(第四回公判)、
また、警察官に対して、中国へ送り返さないでください、私の来日は政治亡命だからである、大
阪領事館に知らせないでください、とお願いした旨(第三回公判)供述している。しかし、捜査
段階において、被告人が台湾から来たA’ であると詐称していた時期は別として、被告人は、中
華人民共和国から来たAである旨初めて供述した平成三年一一月一二日付け以降作成の供述調
書において、中国に帰れば処罰が厳しいこと、日本で滞在ができるよう取り計らっていただき
たいこと、それが無理なら中華人民共和国以外の国へ出国できるようにしていただきたいと考
え、本当のことを話す気になった(検二一号証、司法警察員に対する一一月一二日付け供述調
書、同旨のものとして、検二三号証、司法警察員に対する同月一四日付け供述調書)、中国では
人民解放軍情報処と公安局に長年勤めていたため、厳罰に処せられるので、中国にだけは送還
されないよう取り計らってください(検二七号証、司法警察員に対する同月一六日付け供述調
書)、中国への強制送還だけはしないでください(検二八号証、検察官に対する同月一八日付け
供述調書)などと供述し、また、日本から強制送還されたベトナム難民偽装の福建省出身者に
言及しながら(検二三号証、司法警察員に対する同月一四日付け供述調書)、あくまで私は金儲
けが目的で日本に来た密航者で、難民でも政治亡命者でもありませんと供述しているのであっ
て(検二七号証、司法警察員に対する同月一六日付け供述調書)、被告人が政治亡命を求めたり、
あるいは本国で迫害を受けていたため出国したとか、我が国に難民としての庇護を求める旨の
供述も全くみられず、むしろ、これらを否定する供述をしているのである。さらに、被告人にお
いて、仮に原審段階で難民の申出の手続を知らなかったとしても、中国を出国した動機や理由
については真実を話すことができたはずであるのに、この点に関し被告人が当審で述べたよう
なことは原審公判で供述しておらず、供述しなかった理由については、当審でも、ほとんど供
述していない。また、被告人の当審公判供述によれば、被告人は、大阪拘置所に勾留されている
とき、大阪のアメリカ領事館に手紙を出して、アメリカに亡命を希望し、また、原審国選弁護人
の手配により、平成四年一月二三日アメリカ大使館員二名と面会し同様の希望を述べたという
のであるところ(第四回公判)、その一週間前の一月一六日に実施された原審第二回公判期日に
おいて、被告人は、「中国に送還されると、中国政府は私を見逃さないと思います。」「今までの
仕事はなくなるし、政治的な過ちを犯したので厳しく処罰されます。しかも、私は今まで公安
局の仕事をしていたので、死刑になるかもしれません。」などと供述しながら、他方では、弁護
人の「生活が苦しいので、日本に来てお金を儲けて中国の家族に仕送りしようと思って密入国
したのですか」との質問に対して、「はい、そうです。」と答えている。
以上のほか、被告人が、当審公判供述等において、前述のような経歴や職歴に加え、外国船員
らと接触する機会があったし、英語にも通じ、密出国も以前から考えていたものである旨供述
していること、後記説示のとおり、被告人につき入管難民認定法七〇条の二第一、二号の事由
が認められないことなどを併せ考えると、被告人は、経済的理由から密出国して来日したもの
の、逮捕される羽目に陥り、公安関係の警察官として出入国管理の一部に関係していたことな
どから、本国への強制送還と処罰を恐れ、第三国への亡命を希望して方策を講じたが、その実
現が思わしくないとみて、ようやく難民の申出に至ったもので、申出に至るまで日時の経過を
要したことが、申出の手続を知らなかったことに由来するものとは到底認められない。もとよ
り、日時の経過につき、やむを得ない事情があったものとも思われない。そうすると、被告人に
ついては、少なくとも中国を不法に出国する以前に生じた事情を理由とするかぎり、本件の申
出が入国審査官に対し遅滞なく行われたものとはいえない。
2 以上のとおり、被告人については、少なくとも中国を不法に出国する以前に生じた事情を理
由とするかぎり、刑を免除するための手続上の要件に欠けているのであるが、この点の判断に
影響するところもあるので、被告人が中国を不法に出国した後の事情のほか、出国する以前に
生じた事情を含め、なお、被告人が入管難民認定法七〇条の二所定の難民に該当するかどうか
について検討する。
ところで、同条にいう難民とは、入管難民認定法二条三号の二により、難民条約一条の規定
又は難民の地位に関する議定書一条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう、と定義
されており、結局、同条約一条A所定の一九五一年一月一日の前後を問わないことから、人
権・宗教・国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を
受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者である
ことを要するといえる。
そこで、所論は、被告人について、その政治的意見又は特定の社会的集団の構成員であるこ
とを理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有しているとし、その具
体的事情をして、更に以下のとおり主張する。
すなわち、被告人は、中国において、その思想的傾向や政治的意見が社会主義体制や中国共
産党にとって好ましくないことのゆえに、一九八四年党を除名され、その後も職場で白眼視さ
れ、危険視され、冷遇され、何らがの口実で罪を着せられ不当な重刑に処せられるなど迫害の
おそれを有していたばかりでなく、中国海軍の情報部や出入国管理を担当する警察官であった
がゆえに、すなわち、こうした特定の社会的集団の構成員であったがゆえに、不法に出国をし
たことがそれ自体職場規律の否定ないし任務違背、ひいては中国の政治体制に対する政治的意
見の表明ないし著しい裏切り行為とみなされるから、中国に送還されれば、死刑を含む不相当
な重罰が科せられ、あるいは不当に長い拘束処分を受けることは確実であり、このような出国
後の事情による難民も「後発的難民」として難民該当性がよく高くなるとともに、迫害の危険
も高度となっている、などというのである。
しかし、被告人が中国を不法に出国した理由については、被告人が当審公判供述等において
述べているだけであり、被告人側で本国領事館への通報を望まないこともあって、その裏付け
となる客観的証拠はなく、むしろ、前示認定のような被告人の本邦上陸後逮捕前における言動
や、捜査段階ないし原審公判における供述に照らし、信用性には疑いが残るといわざるを得な
い。また、たとえ、それがおおむね真実であるとしても、被告人において、社会的集団の構成員
であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を
有するために、中国を不法に出国したとは認められない。すなわち、被告人の当審公判供述を
含む関係証拠をつぶさに検討しても、被告人がどのような政治的意見を有していたのか、それ
が所論のように何故に中国の社会主義体制や中国共産党に好ましくないのか、そのこと自体必
ずしも明らかとはいえない。むしろ、中国共産党除名後の待遇低下等は除名に伴う降格を理由
とする公算が大である上、その除名自体も、被告人の政治的意見を理由とするものではなく、
被告人の勤務態度や生活上の態度を理由とするとみられるのである。このことは、被告人が、
主として当審第三回公判において、「私の仕事は……外人偵察ですが、そこの副科長を担当して
おります関係上、外国の方と接触するチャンスが多くて、……例えばよく一緒にクラブに行っ
て飲んだり遊んだり、そしてコーヒーを一緒に飲みに行ったりとか、お酒を飲んだりすること
もあるんですが、そういった行為に対して、私の上司である局長は、あんまり好意的に思わな
くって、そういう行為に対しての批判だということもありました。」、「私は仕事上……私服を来
て、要するに、港の界隈をこうして仕事をしてたんですが、港へ入ってくる船は日本を含めて
パナマとかソヴィエトとかそういう船も入って来るんですが、そこの船員の方は少し英語がで
きるという感じで、私のような者とはよく、……口をきいたりとかお互いに、私のほうからい
ろんな、ちょっと高級なクラブへ連れて行ったりとか、お酒を飲んだりするんですが、こうい
ったことに関しては局長からは、……私の行為に対して批判したりして。ただどうして局長が
……批判しなければいけないのか……私にはちょっと理解はできません。」、「外国の方とそう
いうふうに、……ちゃらちゃらして遊んだとか、酒飲みに行ったりすること自体が、生活上の
態度がよくないということです。」などと供述していることからも看取することができる。被告
人は、こうした外国人との接触は職務行為上必要であった旨供述しているが、上司の意向に反
してまで行わなければならない理由は、被告人の供述からも明らかではない。そして、難民条
約一条Aにいう「迫害」とは、同所定の理由により本国に在留し若しくは帰国することを不
可能ならしめる程度の生命、身体又は身体の自由に対する脅威や人権に対する深刻な侵害をい
うものと解されるところ、本件において、被告人が迫害を受け又は受けるおそれがあるとして
述べるところは、中国を不法に出国する前の事情に関するかぎり、具体化しているとはいえ、
おおむね所論の域を出ない上、中国共産党を除名されてから不法出国までにおよそ八年近く経
過していることを併せ考えると、被告人につき難民条約一条A所定の迫害を受けるおそれが
あるとは認められない。
次に、いわゆる後発的難民に関する所論について検討するに、本国を不法に出国し、あるい
は本邦入国後に難民の地位が生じる場合のあることを是認するとしても、入管難民認定法七〇
条の二第二号によれば、同条所定の刑の免除については、犯人が難民であることのほか、被告
人が密出国をする前の中国において、すでに、「その者の生命、身体又は身体の自由が難民条約
第一条Aに規定する理由によって害されるおそれのあった」ことを要するものと解されると
ころ、所論のいう後発的難民は本国を不法に出国した後に生じた事情に関するものであって、
右二号の要件を充足するに至らないと思われる。また、被告人の供述する無断職場離脱や密出
国行為の一部は中国領域内で生じたものであるが、被告人が中国へ送還された後、出入国管理
を担当する公安警察官や中国共産党員であったことなどの故に、右の職場離脱や密出国行為の
一部が処罰されることがあるとしても、それが右七〇条の二第二号の要件を充足させるとはい
えない。
以上の点を含め、その他、被告人において、前示迫害を受けるおそれがあるという十分に理
由のある恐怖を有していると認めさせるだけの証拠もない。論旨は理由がない。
第二 弁護人菅充行、同武村二三夫の各控訴趣意第二、同大水勇の控訴趣意第二各量刑不当の主張に
ついて
各所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果も参酌して検討する。本件は、
被告人が金儲けの目的で于山号に乗船して大阪港第一突堤に上陸した、という事案であって、動
機の点に格別しんしゃくすべき点は見当たらず、各所論指摘の点を十分考慮しても、被告人を懲
役一年・三年間執行猶予に付した原判決の量刑(求刑懲役一年)は相当である。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用を負担さ
せないことにつき刑訴法一八一条一項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。

在留期間更新不許可処分取消請求事件
平成5年(行ウ)第98号
原告:A、被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:中込秀樹・橋詰均)
平成6年4月28日
判決
主 文
一 被告が平成五年三月九日付けで原告に対してした在留期間の更新を許可しない旨の処分を取り
消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同旨
第二 事案の概要
一 原告は、中華人民共和国の国籍を有する女性で、本邦に入国後日本人男性と婚姻の届出をした
ことから、「日本人の配偶者等」の在留資格によって本邦に在留していたが、平成四年七月一五日
に被告に対してした在留期間の更新の許可申請(以下「本件申請」という)について、平成五年三
月九日、その更新を適当と認めるに足りる相当の理由がないとしてこれを不許可とする処分(以
下「本件処分」という)を受けた。本件は、原告が、本件処分が違法であるとしてその取消しを求
める事案である。
二 本件に関連する外国人の在留に関する法規制の概要は次のとおりである(以下、平成元年法律
第七九号による改正後の出入国管理及び難民認定法を「法」と、改正前の同法を「旧法」と、平成
二年法務省令第一五号による改正後の出入国管理及び難民認定法施行規則を「規則」と、改正前
の同規則を「旧規則」とそれぞれいう)。
1 本邦に在留する外国人は、特別の規定がある場合を除き、それぞれ当該外国人に対する上陸
許可若しくは当該外国人の取得に係る在留資格又はそれらの変更に係る在留資格をもって在留
するものとされる(法二条の二第一項)。
その在留資格は法別表第一及び第二の各上欄に区別して規定されており、法別表第一の上欄
の在留資格をもって在留する者は、当該在留資格に応じそれぞれ本邦において同表の下欄に掲
げる活動を行うことができ、法別表第二の上欄「永住者」「日本人の配偶者等」「永住者の配偶者
等」「平和条約関連国籍離脱者の子」及び「定住者」の五種類の在留資格をもって在留する者は、
当該在留資格に応じそれぞれ本邦において同表の下欄に掲げる身分若しくは地位を有する者と
しての活動を行うことができる(法二条の二第二項)。
2 「日本人の配偶者等」という在留資格をもってわが国に在留できる外国人は、「日本人の配偶
者若しくは民法(明治二十九年法律第八十九号)第八百十七条の二の規定による特別養子又は
日本人の子として出生した者」という身分を有する者である(法別表第二の下欄)。
在留資格を有する外国人が本邦に在留することのできる期間(在留期間)は法務省令で定め
るものとされ(法二条の二第三項)、その法務省令である規則は「日本人の配偶者等」の在留資
格をもって在留する外国人の在留期間を、三年、一年又は六月とする(規則三条、規則別表第
二)。
3 在留資格及び在留期間の決定は、原則として当該外国人が本邦に上陸する際の入国管理官の
審査によって行われる(法七条、九条)。
4 本邦に在留する外国人は、現に有する在留資格の変更を申請することができるが、その変更
の許可は、被告が申請に際して提出した文書により「在留資格の更新を適当と認めるに足りる
相当の理由があるときに限り」行われる(法二〇条)。日本人と婚姻した外国人が従前の在留資
格を「日本人の配偶者等」に変更することを申請する場合には、当該外国人と日本人との身分
関係を証する書類のほか、日本人配偶者の身元保証書及びその他参考になる資料を提出しなけ
ればならない(規則二〇条二項、規則別表第三)。
また、本邦に在留する外国人は、現に有する在留資格を変更することなく在留期間の更新の
申請をすることができるが、その許可は、被告が申請に際して提出した文書により「在留期間
の更新を適当と認めるに足りる相当の理由があるときに限り」行われる(法二一条)。
三 本件処分に至る経緯に関し当事者間に争いのない事実は次のとおりである。
1 原告は、昭和六三年八月二七日、旧法四条一項一六号、旧規則二条三号に該当する者として
の在留資格により、在留期間六か月として上陸許可を受けて本邦に上陸した。
2 原告は、わが国に入国後、東京都江戸川区《住所略》所在のBハイツに居住し、日本語学校に
就学していたが、同学校卒業のためさらに一年の在学が必要であるとして在留期間の更新の許
可を申請し、平成元年二月一四日、同年八月二七日まで六か月の在留期間の更新許可を受け、
その後、同学校卒業のためさらに在学が必要であるとして二回にわたり在留期間の更新の許可
を申請し、平成元年八月九日と平成二年二月九日、それぞれ六か月の在留期間の更新の許可を
受けた。
原告は、平成二年二月二八日、東京都新宿区《住所略》C荘2A(肩書住所地である。以下「C
荘」という)に転居した。
3 原告は、平成二年五月八日、D(以下「D」という)との婚姻を届け出、その後婚姻を理由と
して在留資格の変更の許可を申請し、同年八月六日、新たな在留資格を法別表第二の上欄の「日
本人の配偶者等」に変更する旨の在留資格の変更許可を受け、同時に六か月の在留期間を許可
された。
Dは、東京都練馬区《住所略》Eビル六一五号(以下「Eビル」という)に居住し、ダンス教師
を職業とする男性である。
4 原告は、平成三年一月二三日に六か月の、同年七月二二日に一年の各在留期間の更新の許可
を受けたが、本件申請に対して本件処分を受けた。
四 争点及び当事者の主張
被告は、本件処分の理由を、原告とDとの婚姻が有効な婚姻意思に基づかない無効なものであ
るか、そうでなかったとしてもその婚姻は本件処分時には既に破綻していたものであるから、い
ずれにせよ、原告には本件処分時に「日本人の配偶者等」という在留資格に該当する要件が欠け
ていたものであって、原告はこの在留資格をもってわが国に在留を継続することはできないとい
う点にあると主張している。
したがって、本件の第一の争点は、原告とDの婚姻が民法上有効なものかどうかという点であ
り、これが無効であるならば、原告には「日本人の配偶者等」という在留資格に該当する要件が欠
けていたことになる。
次に、右婚姻が有効であったが本件処分時には婚姻が破綻したという事実があった場合には、
原告には「日本人の配偶者等」という在留資格に該当する要件が欠けることになるのかどうかが
本件の第二の争点となる。
(争点一について)
原告とDの婚姻が民法上有効かどうかという点についての当事者の主張は次のとおりである。
1 被告の主張
原告とDとの婚姻は、以下のとおり、原告がわが国に継続して在留できるようにするため、
「日本人の配偶者等」という在留資格を付与させることのみを目的として届出がされたもので
あり、真実の婚姻意思を伴うものではないから民法上無効と解すべきである。
 原告は、平成元年一二月二一日、Fと養子縁組をしたことによって在留資格の変更許可を
申請したが、審査担当官の説明によりその許可が得られないことを知るや、平成二年一月九
日、その申請を取り下げたうえ、その直後の同年二月六日には右養子縁組につき協議離縁す
る旨を届け出た。
その後、原告は、平成二年二月九日、同年八月二七日までの六か月の在留期間の更新の許
可を受けたが、就学期間が二年に及ぶことになることから在留期間の更新は今回限りとさ
れ、右期間満了後の在留が困難となる状況に直面していた。そこで、原告は、平成二年三月六
日、通訳・翻訳を職務内容として合資会社G製作所への就職を理由とする転職届の願い出(旧
法下において、在留資格の変更に当たらないが在留目的が変更する場合に出入国管理行政上
本邦における在留の継続を可能とする手続として行われていた取扱いによるものである)を
したが、この願い出は平成二年五月八日不承認となった。
右のように、原告は、就学を理由とする在留の継続が容易でなかったことから継続して在
留するために腐心していたと思われ、原告とDとの婚姻の届出は、まさにこのような時期に
行われていた。
 原告とDが婚姻住所地としているC荘は、Hの名義で賃借され、C荘の電話回線及び電気
供給の契約はHの名義で行われており、NHKの受信、ガス及び水道の供給契約は、原告の前
記養子縁組の際の通称名と考えられる「A’」の名義で行われていた。このように、住居や光
熱水費の契約は、いずれも、真に婚姻生活をしていたならば生計を支える立場にあったと思
われるDの名義で行われてはいない。また、平成五年一月一九日に東京入国管理局担当官が
行った現地調査の際にも、C荘の表札や郵便受にはDの表示はなかったし、C荘のアパート
の住民はC荘にDが出入りしているのを目撃したことはないと供述していた。さらに、Dは、
原告との婚姻届出前から住民であるEビルの賃貸借契約を解約して退去しておらず、ここに
一人で生活していたものである。
右のとおりであるから、原告とDは、婚姻後も同居していないと認められるのである。
ところが、Dの住民登録上の住所は平成二年六月一日以降C荘となっており、住民票上は
原告とDは同居していることになっているという不自然な状況が作出されているのである。
しかも、原告は、C荘で配偶者のDと同居しているとの内容の申請書を提出し、Dと同居し
ているかのように装って本件申請を行ったものである。
 原告は、Dとの婚姻届出の後、親族訪問のために三回にわたり中華人民共和国へ帰国して
いるが、いずれの帰国の際にもDは同伴していない。通常の夫婦であれば、配偶者を自己の
親族に紹介するために同伴帰国すると考えられるから、右のような事態は、原告とDが夫婦
として当然とるであろうような行動をとっていないことを端的に示すものというべきであ
る。
 右のように、原告とDは同居もせず、生計も共にしておらず、夫婦としての行動もとって
はいないのであり、両名の婚姻の届出は、原告が在留資格を取得するという目的の達成のた
めの便法としてされたというべきであり、真に婚姻の意思をもってされたのではない。
2 原告の主張
原告とDは、平成元年八月ころに知合い、互いに好意を抱いて婚姻し、婚姻後は生計を一に
して夫婦として協力して生活していたものであり、この婚姻が真意に基づかなかったものでは
ない。被告が主張する事情は、それが認められるとしてもそれだけでは右婚姻が偽装であった
と認めるには到底足りないものである。
すなわち、養子縁組やその後の離縁は婚姻とは何ら関係のない事柄であり、就職の願い出に
ついては、婚姻後働くには「日本人の配偶者等」という在留資格では足りないとの原告の誤解
に基づいてされたものである。
原告とDは本件処分時には同居していないが、これはDがC荘に帰宅しなくなったというだ
けであり、原告とDは婚姻後同居していたのである。平成五年一月一九日に東京入国管理局担
当官が行った現地調査の後にも、C荘にはDの靴、ゴルフクラブ、ひげそりなどのほか、結婚写
真、夫婦用布団、などがあり、同居が推認されるという報告書が作成されている。被告は、原告
とDとの同居の有無の認定について、C荘のアパートの住民の供述に重きを置いたようである
が、都会のアパート生活者は、近隣住民の動静に対しては時として極端に無関心であるうえ、
Dの帰宅時刻は毎日かなり遅かったから、そのような供述に依拠した事実認定が極めて危険で
あることは明らかである。
(争点二について)
日本人の配偶者との婚姻が破綻した場合には「日本人の配偶者等」という在留資格をもって在
留する外国人は当該在留資格に該当しないことになるのかどうかについての当事者の主張は次の
とおりである。
1 被告の主張
外国人は、必ず何らかの目的を遂行するためにわが国に入国・在留するのであり、法は、こ
の在留の目的が法の定めるところに合致する場合に限り、当該外国人の入国・在留を認めるこ
ととしている。具体的には、法は、外国人が在留中に行う活動を類型化して二七種類の在留資
格を定め、外国人が在留の目的として行おうとする活動がこれらの在留資格のいずれかに該当
する場合に限り、入国・在留が認められることになる。
日本人の配偶者であるとして入国・在留しようとする場合も、当該外国人が「日本人の配偶
者たる身分を有する者としての活動」を行う目的のために入国・在留が許されるものであり、
単に、日本人の配偶者という身分があるというだけで入国・在留が認められるわけではない。
このことは、日本人の配偶者である外国人が「日本人の配偶者等」という在留資格によって入
国しようとする場合や日本人の配偶者となった在留外国人が「日本人の配偶者等」に在留資格
を変更する場合に、その適否の審査に必要な書類として、身分関係を証明する文書のみならず、
日本人の配偶者という身分を有する者としての活動に虚偽がないことを示す書類の提出が要求
されていることからも明らかである。
したがって、「日本人の配偶者等」という在留資格があるというためには、単に婚姻届が行わ
れているというだけでは十分ではなく、この在留資格をもって在留する目的、すなわち、「日本
人の配偶者たる身分を有する者としての活動」を行う目的があることが必要である。「日本人の
配偶者たる身分を有する者としての活動」とは、いうまでもなく、夫婦として同居し、互いに協
力し扶助すること(民法七五二条)がその典型的なものである。日本人と外国人の婚姻が破綻
し、双方がもはや配偶者としての行動をとっていない場合には、当該外国人が日本人の配偶者
として同居・協力・扶助の活動を行う余地はなく、「日本人の配偶者等」という在留資格をもっ
て在留を継続する目的がないことになるから、当該外国人については、この在留資格による在
留がおよそ適当とは考えられない。このような場合には、当該外国人はこの在留資格に該当す
る要件を欠くことになる。
そのように解しなければ、およそ日本人の配偶者としての夫婦生活を行う余地のない外国人
であっても、離婚していない限りわが国に在留すべきこととなり、外国人がわが国で行おうと
する活動の目的によって「日本人の配偶者等」という在留資格を規定した法の趣旨に反する結
果となることが明らかである。
原告とDとの婚姻は、原告の述べるところによっても平成三年一〇月ころには破綻し、本件
処分時においてはもはや原告がDと同居し、協力し、扶助を行う正常な夫婦関係にあるとは到
底いえない状態になっていた。したがって、本件処分時には、原告は「日本人の配偶者等」に該
当する要件を欠いていたことになり、この在留資格をもってわが国での在留を継続することが
できなくなっていたから、本件処分は適法である。
2 原告の主張
原告に「日本人の配偶者等」という在留資格があるというために必要かつ十分な要件は、原
告とDとの間に民法上有効に成立した婚姻関係があるというだけであり、法はそれ以上のもの
を要求していない。
そもそも、婚姻が破綻したという一事によって、日本人の配偶者たる外国人が「日本人の配
偶者等」という在留資格をもってわが国に在留する目的がなくなることはない。相手方の身勝
手な行動によって別居を余儀なくされながら、相手方との同居を期待したり夫婦としての身分
関係の継続を願う一方配偶者はわが国には数多くいると思われる。このような一方配偶者が配
偶者でないわけではなく、このような関係が婚姻関係でないはずもない。被告のような法解釈
によれば、このような状態に陥った日本人の配偶者たる外国人については、わが国での在留の
継続が許されず、相手方との将来の同居の可能性も一切奪われ、結局のところ、被告の認める
ような形態で日本人との夫婦生活を送っている外国人でなければ配偶者として日本で生活でき
ないという不合理な結果となる。このような結果は、本来両性の合意のみによって成立する婚
姻という身分関係に対する国家の不当や介入となることが明らかである。
原告が「日本人の配偶者等」という在留資格に該当しないとした被告の法解釈は誤りであり、
このように誤った法解釈に基づく本件処分は違法である。
第三 争点に対する当裁判所の判断
一 争点一について
1 《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められる。
 原告は、わが国への入国後、Bハイツに居住し日本語学校に通っていたが、平成元年六月
ころ、その従兄弟に当たり日本での身元保証人であるHの紹介でDと知り合った。
Hの父と原告の父I(原告の母と婚姻するまでの旧姓はI’)とは兄弟であり、原告と日本
人であるH及びその弟Fとは、おじと姪の関係に当たる。Dは、原告よりも一一才年長の日
本人男性である。
 原告とDとは、互いに好意を抱くようになり、平成元年八月末ころ以降、Dが仕事の帰り
にBハイツに立ち寄って泊まるようにもなった。原告は、平成元年一一月ころ、Dから結婚
を申し込まれ、これを承諾した。原告とDは、平成二年一月、区役所に婚姻届を提出しようと
したが、窓口の担当者から、原告について在日中国大使館が発行する結婚していないことの
証明書が必要であると説明され、同日には婚姻届が受理されなかった。原告とDは、結局、平
成二年五月八日、書類を整えて婚姻届を提出した。
 原告は、婚姻届に先立つ平成二年二月二八日、Dの仕事場の近くのC荘に転居した。Dは、
平成二年六月一日以降C荘を住所として住民登録をしていたが、Eビルから退去したわけで
はなく、仕事が終わるとC荘に帰って朝まで泊まり、昼間はEビルで仕事の事務連絡等をす
るという生活をしていた。Dがこのような行動をとったのは、仕事柄女性客と対応すること
が多かったことから対外的に独身を装う必要を感じ、仕事に関係する事務連絡などの対応を
Eビルで行うためであった。
 Dは、原告との結婚後暫らくは毎日C荘で寝泊りしていたが、そのうち毎日はC荘に帰宅
しなくなり、平成三年一〇月下旬ころ、女性関係で原告と言い争うようになった。それでも、
Dは、毎日ではないにせよ不規則にC荘で泊まることはあり、原告に対し月二〇万円前後の
生活費を渡していたが、平成四年秋ないし同五年初めころには、C荘に全く出入りしなくな
り、原告に生活費も渡さなくなった。Dは、そのころには、独身の状態の方が仕事がし易いと
いう考え方もあって原告との離婚を希望するようになり、平成五年四月一日には住民登録も
C荘からEビルに移した。
 原告は、Dを相手方として東京家庭裁判所に婚姻費用分担の調停(同裁判所平成五年家イ
六三二四号)を申し立て、平成五年一一月九日成立した調停により、同月分から別居解消ま
での間、毎月Dから七万円の婚姻費用分担金の支払を受けることになった。
原告は、現在でもDと互いに協力して夫婦関係を維持することを望んでいるが、Dが原告
と協力して夫婦生活を維持する気持ちがないことに変わりはなく、近い将来Dが以前のよう
に原告の住居で寝泊りするようになるとは容易に考え難い状況が続いている。しかし、原告
及びDとも、離婚を求める法的手続には着手してはいない。
2 原告とDとの有効な婚姻の成立は、法例一三条によって婚姻挙行地であるわが国の民法によ
ることによるが(原告につき本国法による婚姻障害が存在しないことは、右婚姻の届出が区役
所の審査を経て受理されているとの事実に照して明らかである)、以上の認定事実に照らせば、
原告とDとの婚姻は婚姻意思に基づくものであり、民法上有効なものであって、原告がわが国
に在留することを容易にするための便法として届出だけがされたという偽装の婚姻ではないも
のと認められる。したがって、右婚姻が無効であるという被告の主張は理由がない。
二 争点二について
1 右一の認定事実に照らせば、原告とDとの婚姻は、本件処分時においては、互いに協力して
夫婦生活を維持する実体に欠ける状態にあったというべきである。
しかし、法別表第二の下欄は、日本人と婚姻した外国人に適用することを予想した「日本人
の配偶者等」という在留資格に該当する者の要件としては「日本人の配偶者」と規定するのみ
である。法又は規則の中には「配偶者」という文言を特に定義する規定はないから、ここにいう
「日本人の配偶者」に該当するための要件としては、日本人との有効な婚姻関係が成立している
者(日本法を準拠法とする婚姻にあっては、婚姻意思に基づく婚姻届がされている者)である
という以上のものが求められているわけではない。 
したがって、原告のように日本人との婚姻が必ずしも正常な状態になっていない外国人であ
っても適式の離婚手続によって婚姻関係が解消されない限り、「日本人の配偶者等」という在留
資格に該当する要件に欠けることとなるものではないというべきである。
2 被告は、日本人配偶者との婚姻が破綻した状態の外国人は、わが国において日本人の配偶者
である身分を有する者としての活動を行う余地がないから、このような外国人は「日本人の配
偶者等」という在留資格で在留を継続する目的が欠けるに至ったものとして、その在留資格の
該当性が失われると主張する。
確かに、法及び規則によれば、わが国への上陸や在留資格変更申請をする際、外国人が日本
人との婚姻を理由として「日本人の配偶者等」という在留資格の認定やそれへの変更を求める
場合には、日本人の配偶者という身分を証する書面を担当官に提出するだけでは足りず、日本
人配偶者の身元保証書等の書面の提出が要求されている(法七条、二〇条、規則六条、二〇条二
項、規則別表三)。しかしながら、右のような手続要件は、在留資格の認定を確実に行うため定
められているのであって、このような定めがされているからといって「日本人の配偶者等」と
いう在留資格に該当するためには、日本人の配偶者という身分を有するだけでは足らず、夫婦
として同居・協力・扶助を行うという実質的な婚姻関係が維持されていることが必要であると
いうことに直ちになるものではないことはいうまでもない。
3 もともと「日本人の配偶者等」その他法別表第二所定の在留資格で在留する外国人は、当該
在留資格の基礎となっている身分又は地位を有する者としての活動ができるとされるのであり
(法二条の二)、それ以上に、ある一定の目的に適合した活動だけが許されるというような制限
は加えられていない。そして、日本人の配偶者である外国人において婚姻関係が継続している
間に行う活動には多種多様のものが考えられるのであって、ある一定の活動について、これが
「日本人の配偶者たる身分を有する者としての活動」に当たるか否かを判別することは不可能
である。例えば、夫婦が別居し婚姻生活の実体が失われているとしても配偶者としての関係が
直ちに失われるものとはいえず、なお相手方配偶者から婚姻費用の分担を受け続けることもあ
れば、相手方配偶者との実質的な婚姻関係の復活を期待して働き掛けを続けることもあり、さ
らには相手方との夫婦関係をどのように解消するかをめぐり離婚の話合いが継続することもあ
り得る。法二条の二によれば、このような状態にある婚姻関係のもとにおける生活や活動であ
るからといって、それが「日本人の配偶者たる地位を有する者としての活動」でないと解する
ことはできない。
4 有効に成立した婚姻関係は、協議離婚、調停離婚又は裁判離婚という手続を経ない限り解消
されず、婚姻関係が解消しない限り扶養や相続を受けるべき地位を喪失するものではないので
あって、配偶者である地位はその実質のいかんを問わず、わが国の国内身分法秩序において保
護されているというべきものである。
このような配偶者である地位の保護は、わが国の身分法秩序の維持を目的とするから、わが
国で日本人の配偶者として婚姻生活を送っている外国人についても当然に認められるべきであ
る。そうであるとすれば、例え、日本人との婚姻関係が破綻に瀕しているとしてもなお離婚に
までは至っていない配偶者である外国人が、配偶者たる地位に基づき、わが国で扶養を受けた
り婚姻維持のための働き掛けを行ったりする等の活動をし、生活を維持することが許されない
理由はない。
したがって、法二条の二所定の「日本人の配偶者たる身分を有する者としての活動」を被告
主張のように制限的に理解することは困難であるといわざるを得ず、この点に関する被告の主
張は失当である。
三 結論
以上の次第で、「日本人の配偶者等」という在留資格は、日本人の配偶者との婚姻関係がその実
体を失ったということから直ちにその該当要件がなくなると解すべきものではないから、本件処
分は誤った法の解釈による違法なものとして、これを取り消すこととし、主文のとおり判決する。

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