損害賠償請求事件
平成14年(受)第687号(原審:東京高等裁判所平成13年(ネ)第1165号)
上告人:A、被上告人:国
最高裁判所第一小法廷(裁判官:島田仁郎・深澤武久・横尾和子・甲斐中辰夫・泉徳治)
平成16年1月15日
判決
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
上告代理人三木恵美子、同大貫憲介、同姜文江、同菊地哲也、同近藤博徳、同鈴木雅子、同関守麻紀
子、同毛受久、同矢澤昌司、同山口元一、同井上啓、同金竜介、同小島周一、同渡邉彰悟、同児玉晃一の
上告受理申立て理由について
1 本件は、在留資格を有しない外国人である上告人が、国民健康保険法(平成11年法律第160号
による改正前のもの。以下「法」という。)9条2項に基づき、被上告人横浜市の委任を受けた横
浜市港北区長に対し、国民健康保険の被保険者証の交付を請求したところ、法5条所定の被保険
者に該当しないとして被保険者証を交付しない旨の処分(以下「本件処分」という。)を受けたため、
被上告人国が同条につき誤った解釈を前提とする通知を発し、横浜市港北区長がこれに従ったこ
とにより違法な本件処分がされたと主張して、被上告人らに対し、国家賠償法1条1項に基づき、
損害賠償を請求した事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
 上告人は、昭和27年12月2日、いわゆる在外華僑を父母として大韓民国において出生した。
 上告人は、昭和46年2月26日、親類を頼って短期滞在の在留資格で日本に入国したが、その
際、大韓民国の再入国許可を受けなかったため、同国における永住資格を喪失した。そこで、上
告人は、台湾に出国し、同年9月18日、就学の在留資格で再度日本に入国し、在留期間の更新
を受けながら、専門学校等で勉学を続けたが、卒業後、在留期間が更新される見込みがなくな
ったことから、同50年11月25日、大韓民国に出国した。しかし、大韓民国において永住資格を
回復することはできず、同国での在留期限も迫ったため、上告人は、同51年3月25日、台湾に
入国したが、台湾では国籍が確認されず、言葉も通じないため就職することができなかった。
 上告人は、昭和51年7月2日、上陸時間を72時間とする寄港地上陸許可を得て日本に上陸
し、上陸時間が経過した後も日本に残留して、中華料理店等で調理師として稼働した。上告人
は、同52年3月28日、台湾籍の女性と結婚し、同54年に長男が、同56年に長女がそれぞれ出生
した。妻と2人の子は、在留資格を得るため、日本と台湾との間を往復していたが、同59年7
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月15日に短期滞在の在留資格で日本に入国し、同年10月14日に在留期間を経過した後、そのま
ま日本に残留した。
 上告人は、昭和60年12月ころから平成12年12月まで横浜市港北区内に妻子と共に居住し、
同9年3月21日、横浜市港北区役所において外国人登録をした。この間、上告人は、不法滞在
状態を解消するため、同6年及び同8年に入国管理局に出頭したが、上告人の国籍を確認する
ことができなかったこともあり、違反調査が数回行われただけで、入国管理局からの連絡は途
絶えた。また、上告人は、上記外国人登録をした際、横浜市港北区長に対し、国民健康保険の被
保険者証の交付を請求したが、拒否された。
 上告人は、長男が脳腫瘍に罹患していることが判明した後、平成10年5月1日、妻子と共に
東京入国管理局横浜支局に在留特別許可を求める書面を提出し、同月20日付けで国民健康保険
の被保険者証の交付を請求(以下「本件請求」という。)したが、同年6月9日、本件処分を受け
た。
 外国人に対する国民健康保険の適用については、国民健康保険法施行規則の一部を改正する
省令の施行について(昭和56年11月25日保険発第84号都道府県民生主管部(局)長あて厚生省
保険局国民健康保険課長通知)及び外国人に対する国民健康保険の適用について(平成4年3
月31日保険発第41号都道府県民生主管部(局)長あて厚生省保険局国民健康保険課長通知。以
下、これらを「本件各通知」という。)が発せられている。本件各通知には、ア 国民健康保険の
適用対象となる外国人は、外国人登録法2条1項に規定する者であって、同法に基づく登録を
行っているものであり、入国時において、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)
2条の2の規定により決定された入国当初の在留期間が1年以上であるものであること、イ 
入管法2条の2の規定により決定された入国当初の在留期間が1年未満であっても、外国人登
録法に基づく登録を行っており、入国時において、我が国への入国目的、入国後の生活実態等
を勘案し、1年以上我が国に滞在すると認められる者も国民健康保険の適用対象となることな
どが定められており、在留資格を有しない外国人が国民健康保険の適用対象となることは予定
されていない。本件処分は、本件各通知に従って行われたものである。在留資格を有しない外
国人が国民健康保険の適用対象となるかどうかについては、定説がなく、下級審裁判例の判断
も分かれているが、本件処分当時には、これを否定する判断を示した東京地裁平成6年(行ウ)
第39号同7年9月27日判決・行裁集46巻8・9号777頁があっただけで、法5条の解釈につき
本件各通知と異なる見解に立つ裁判例はなかった。
 上告人及びその妻子は、平成10年11月24日、在留資格を定住者、在留期間を1年とする在留
特別許可を受けた。また、被上告人横浜市は、同月25日付けで、上告人に対し、国民健康保険の
被保険者証を交付した。
3 原審は、上記事実関係等の下において、在留資格を有しない外国人は法5条所定の被保険者に
該当せず、本件処分は適法であるとして、上告人の請求を棄却すべきものとした。
4 法は、国民健康保険事業の健全な運営を確保し、もって社会保障及び国民保健の向上に寄与す
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ることを目的とする(1条)ものであり、市町村及び特別区(以下、単に「市町村」という。)を保
険者とし(3条1項)、市町村の区域内に住所を有する者を被保険者として当該市町村が行う国民
健康保険に強制的に加入させた上(5条)、被保険者の疾病、負傷、出産又は死亡に関して必要な
保険給付を行い(2条)、被保険者の属する世帯の世帯主が納付する保険料(76条)又は国民健康
保険税(地方税法703条の4)のほか、国の負担金(法69条1項、70条)、調整交付金(72条)及び
補助金(74条)、都道府県及び市町村の補助金及び貸付金(75条)、市町村の一般会計からの繰入
金(72条の2)等をその費用に充てるものとしている。そして、法は、上記のとおり被保険者を規
定した上で、その適用除外者を列挙し(6条)、当該市町村の区域内に住所を有するに至った日又
は6条各号のいずれにも該当しなくなった日からその資格を取得する(7条)ものとしている。
昭和56年厚生省令第66号による改正前の国民健康保険法施行規則(昭和33年厚生省令第53号)
1条2号は、「その他特別の理由がある者で厚生省令で定めるもの」を適用除外とする法6条8号
の規定を受けて、「日本の国籍を有しない者。ただし、日本国との条約により、日本の国籍を有す
る者に対して、国民健康保険に相当する制度を定める法令の適用につき、内国民待遇を与えるこ
とを定めている国の国籍を有する者、日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関す
る日本国と大韓民国との間の協定の実施に伴う出入国管理特別法(昭和40年法律第146号)第1
条の許可を受けている者及び条例で定める国の国籍を有する者を除く。」を適用除外者として規
定していたが、難民の地位に関する条約(昭和56年条約第21号)及び難民の地位に関する議定書
(昭和57年条約第1号)が締約されたのを受けて、昭和56年厚生省令第66号によって国民健康保
険法施行規則1条2号ただし書に「難民の地位に関する条約第1条の規定又は難民の地位に関す
る議定書第1条の規定により同条約の適用を受ける難民」が加えられ、さらに昭和61年厚生省令
第6号によって国民健康保険法施行規則1条2号が削除された。
このように、国民健康保険は、市町村が保険者となり、その区域内に住所を有する者を被保険
者として継続的に保険料等の徴収及び保険給付を行う制度であることに照らすと、法5条にいう
「住所を有する者」は、市町村の区域内に継続的に生活の本拠を有する者をいうものと解するのが
相当である。そして、法は、5条において被保険者を定める一方、6条においてその適用除外者を
定めており、日本の国籍を有しない者は、法制定当初は適用除外者とされていたものの、その後、
これを適用除外者とする規定が削除されたことにかんがみれば、法5条が、日本の国籍を有しな
い者のうち在留資格を有しないものを被保険者から一律に除外する趣旨を定めた規定であると解
することはできない。一般的には、社会保障制度を外国人に適用する場合には、そのよって立つ
社会連帯と相互扶助の理念から、国内に適法な居住関係を有する者のみを対象者とするのが一応
の原則であるということができるが、具体的な社会保障制度においてどの範囲の外国人を適用対
象とするかは、それぞれの制度における政策決定の問題であり(最高裁昭和50年(行ツ)第98号
同53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号435頁参照)、法の規定や国民健康保険法施行規
則の改廃の経緯に照らして、法が上記の原則を当然の前提としているものと解することができな
いことは上述のとおりである。また、国民健康保険は、国民の税負担に由来する補助金や一般会
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計からの繰入金等によって費用の一部が賄われているとはいえ、基本的には、被保険者の属する
世帯の世帯主が納付する保険料又は国民健康保険税によって保険給付を行う保険制度の一種であ
るから、我が国に適法に在留する資格のない外国人を被保険者とすることが国民健康保険の制度
趣旨に反するとまでいうことはできない(なお、国民健康保険法(平成11年法律第160号による
改正後のもの)6条8号は、「その他特別の理由がある者で厚生労働省令で定めるもの」を適用除
外とする旨を定め、これを受けて、平成14年厚生労働省令117号による改正後の国民健康保険法
施行規則1条は、「特別の事由のある者で条例で定めるもの」を適用除外者として規定していると
ころ、社会保障制度を外国人に適用する場合には、その対象者を国内に適法な居住関係を有する
者に限定することに合理的な理由があることは上述のとおりであるから、国民健康保険法施行規
則又は各市町村の条例において、在留資格を有しない外国人を適用除外者として規定することが
許されることはいうまでもない。)。
もっとも、我が国に在留する外国人は、憲法上我が国に在留する権利ないし引き続き在留す
ることを要求することができる権利を保障されているものではなく(最高裁昭和50年(行ツ)第
120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁)、入管法及び他の法律に特別の規定が
ある場合を除き、当該外国人に対する上陸許可若しくは当該外国人の取得に係る在留資格又はそ
れらの変更に係る在留資格をもって在留し(入管法2条の2第1項)、各在留資格について法務省
令で定められた在留期間に限って在留することが認められるにすぎない(同法2条の2第3項)。
在留期間の更新を受けようとする外国人は、法務大臣に対し在留期間の更新を申請しなければな
らず(同法21条2項)、法務大臣は、当該外国人が提出した文書により在留期間の更新を適当と認
めるに足りる相当の理由があるときに限り、これを許可することができる(同条3項)。そして、
我が国に不法に入国した者はもとより、寄港地上陸の許可等を受け、又は在留資格を得て適法に
入国した者であっても、旅券又は当該許可書に記載された期間を経過して残留し、又は在留期間
の更新若しくは変更を受けないで在留期間を経過して残留するものについては、我が国からの退
去を強制することができる(同法24条1号、2号、4号ロ、6号等)ものとされている。このよう
な我が国に在留する外国人の法的地位にかんがみると、外国人が法5条所定の「住所を有する者」
に該当するかどうかを判断する際には、当該外国人が在留資格を有するかどうか、その者の有す
る在留資格及び在留期間がどのようなものであるかが重要な考慮要素となるものというべきであ
る。そして、在留資格を有しない外国人は、入管法上、退去強制の対象とされているため、その居
住関係は不安定なものとなりやすく、将来にわたって国内に安定した居住関係を継続的に維持し
得る可能性も低いのであるから、在留資格を有しない外国人が法5条所定の「住所を有する者」
に該当するというためには、単に市町村の区域内に居住しているという事実だけでは足りず、少
なくとも、当該外国人が、当該市町村を居住地とする外国人登録をして、入管法50条所定の在留
特別許可を求めており、入国の経緯、入国時の在留資格の有無及び在留期間、その後における在
留資格の更新又は変更の経緯、配偶者や子の有無及びその国籍等を含む家族に関する事情、我が
国における滞在期間、生活状況等に照らし、当該市町村の区域内で安定した生活を継続的に営み、
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将来にわたってこれを維持し続ける蓋然性が高いと認められることが必要であると解するのが相
当である。
5 これを本件についてみると、前記事実関係等によれば、①上告人は、寄港地上陸許可を得て上
陸し、上陸期間経過後も我が国に残留している外国人であるが、②いわゆる在外華僑として大韓
民国で出生し、同国での永住資格を喪失し、台湾でも国籍が確認されないという特殊な境遇にあ
ったため、やむなく我が国に残留し続け、この間、不法滞在状態を解消するため、2度にわたり、
自ら入国管理局に出頭したものの、上記事情から不法滞在状態を解消することができず、その後
入国管理局からは何の連絡もなかったものであり、③本件処分までの滞在期間は約22年間もの長
期に及び、本件処分当時の居住地である横浜市では、調理師として稼働しながら、約13年間にわ
たって妻と我が国で生まれた2人の子と共に定住して家庭生活を営んできたものであって、④本
件請求時には、横浜市を居住地とする外国人登録をして、在留特別許可を求めており、その約半
年後には、在留資格を定住者とする在留特別許可を受けたというのである。これらの事情に照ら
せば、上告人は、被上告人横浜市の区域内で家族と共に安定した生活を継続的に営んでおり、将
来にわたってこれを維持し続ける蓋然性が高いものと認められ、法5条にいう「住所を有する者」
に該当するというべきである。そうすると、本件処分は違法であるというべきであり、これと異
なる原審の判断は是認することができない。
6 しかしながら、ある事項に関する法律解釈につき異なる見解が対立し、実務上の取扱いも分か
れていて、そのいずれについても相当の根拠が認められる場合に、公務員がその一方の見解を正
当と解しこれに立脚して公務を遂行したときは、後にその執行が違法と判断されたからといっ
て、直ちに上記公務員に過失があったものとすることは相当ではない(最高裁昭和42年(オ)第
692号同46年6月24日第一小法廷判決・民集25巻4号574頁、最高裁昭和63年(行ツ)第41号平
成3年7月9日第三小法廷判決・民集45巻6号1049頁等参照)。
これを本件についてみると、本件処分は、本件各通知に従って行われたものであるところ、前
記4のとおり、社会保障制度を外国人に適用する場合には、そのよって立つ社会連帯と相互扶助
の理念から、国内に適法な居住関係を有する者のみを対象者とするのが一応の原則であると解さ
れていることに照らせば、本件各通知には相当の根拠が認められるというべきである。そして、
前記事実関係等によれば、在留資格を有しない外国人が国民健康保険の適用対象となるかどうか
については、定説がなく、下級審裁判例の判断も分かれている上、本件処分当時には、これを否定
する判断を示した東京地裁平成6年(行ウ)第39号同7年9月27日判決・行裁集46巻8・9号
777頁があっただけで、法5条の解釈につき本件各通知と異なる見解に立つ裁判例はなかったと
いうのであるから、本件処分をした被上告人横浜市の担当者及び本件各通知を発した被上告人国
の担当者に過失があったということはできない。そうすると、被上告人らの国家賠償責任は認め
られないから、上告人の請求を棄却すべきものとした原審の判断は、結論において是認すること
ができる。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。なお、裁判官横尾和子、同泉徳治の
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意見がある。
裁判官横尾和子、同泉徳治の意見は、次のとおりである。
私たちは、本件処分が違法とはいえないとした原審の判断を正当と考える。その理由は、次のとお
りである。
1 国民健康保険制度は、市町村を保険者とし、当該市町村の区域内に住所を有する者を被保険者
としている。今日、国民健康保険制度の維持運営には、国、都道府県及び市町村から相当額の予算
が投入されているとはいえ、同制度は、当該市町村の区域内に住所を有する者を被保険者として
強制加入させて保険団体を形成した上、被保険者の属する世帯の世帯主に保険料又は国民健康保
険税の納付を義務付けて共同の基金を作り、これを主たる財源の一つとして、偶発的に疾病等の
保険事故に遭遇した住民に療養等の保険給付を行い、当該住民個人の経済的負担を市町村の住民
全員で分担するもので、住民の相扶共済の精神に立脚した地域保険である(最高裁昭和30年(オ)
第478号同33年2月12日大法廷判決・民集12巻2号190頁参照)。この地域保険としての性格は、
制度発足以来変わるところがなく、国民健康保険制度の健全な維持運営のためには、住民の強制
加入と、大数の法則、収支均等の原則を基本として算出される保険料等の徴収が不可欠であり、
また、疾病等が発生した場合に初めて加入するという、保険事故の偶発性を排除するいわゆる逆
選択を防止する必要もある。国民健康保険の被保険者を定める法5条の「住所」は、客観的居住の
事実を基礎とし、これに当該居住者の主観的居住意思を総合して認定するべきであるが、国民健
康保険の上記のような地域保険としての性格に照らし、この居住には継続性・安定性が要求され
る。
2 そして、上記の居住の継続性・安定性の要請から、外国人が日本国内に法5条の住所を有する
というためには、入管法により相当の在留資格と在留期間を付与され、法律上も一定期間継続し
て適法に居住し得る地位にあることが必要であるというべきである。在留資格を有しない外国人
は、いつでも日本から退去を強制され得る状態にあり(入管法24条)、処罰の対象ともされている
のであって(入管法70条)、日本国内での居住を保障されておらず、日本国内に生活の本拠を置く
ことが法律上認められていないというべきであるから、その居住地を法5条の住所と評価するこ
とはできない。在留資格を有しない不法滞在外国人は、地域保険たる国民健康保険の被保険者と
なるになじまないものというべきである。
3 上告人は、昭和60年12月ころから、配偶者及び2人の子と共に、いずれも在留資格のないまま
横浜市港北区内に居住していたが、平成10年3月、子の1人が脳腫瘍に罹患していることが判明
し、同年5月1日、東京入国管理局横浜支局において在留特別許可を申請し、同月20日付けで、
横浜市港北区長に対し国民健康保険被保険者証の交付を求める申請をしたところ、被上告人横浜
市の委任を受けた同区長は、同年6月9日、上告人に対し、上告人には在留資格がなく、法5条所
定の被保険者に該当しないことを理由に国民健康保険被保険者証を交付しない旨の本件処分をし
た。同区長が在留資格のない上告人に対し本件処分を行ったことは、上記のような理由により適
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法である。そして、同区長は、上告人が同年11月24日に在留資格を「定住者」、在留期間を1年と
する在留特別許可を取得したのを受けて、翌25日付けで上告人に対し国民健康保険被保険者証を
交付した。すなわち、同区長は、同年5月1日に在留特別許可を申請した上告人が、約半年後に在
留特別許可を付与されたのを待って、その翌日には国民健康保険被保険者証を交付しているので
あるから、本件処分を含めた同区長の上記一連の行為に違法と評価すべきものはない。上告人は、
在留特別許可の申請をした約20日後に国民健康保険被保険者証の交付を申請しているが、このよ
うな場合に国民健康保険被保険者証を直ちに交付すべきものとすれば、前記のいわゆる逆選択を
招くおそれがあるといわなければならない。原審の判断は正当である。
4 法廷意見は、在留資格のない外国人について、外国人登録をしていること及び入管法50条所定
の在留特別許可を求めていることを条件とした上で、当該市町村の区域内で安定した生活を継続
的に営み、将来にわたってこれを維持し続ける蓋然性が高いと認められる場合には、当該外国人
を法5条の「住所を有する者」と認定すべきであるという。法廷意見は、言葉を換えれば、在留特
別許可が与えられる可能性が高い場合は、当該外国人を法5条の「住所を有する者」と認定すべ
きであるというものであり、国民健康保険の保険者たる市町村の長に対し在留特別許可の与えら
れる可能性をあらかじめ判断させ、その判断を誤って国民健康保険被保険者証不交付処分を行え
ば、当該処分は違法の評価を受けるというものである。しかし、在留特別許可の付与は、国家主権
発動の一つとして政府(所管者法務大臣)が一元的に行うものであり、しかも政府の広範な裁量
にゆだねられているものである(最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・
刑集11巻6号1663頁、最高裁昭和34年(オ)第32号同34年11月10日第三小法廷判決・民集13巻
12号1493頁、最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223
頁参照)。このような出入国管理制度の建前に照らし、市町村長に上記のような判断を求めること
は相当でない(むしろ、市町村長は、入管法62条2項の規定により、不法残留者を通報すべき義
務を課せられているのである。)。

退去強制令書発付処分執行停止申立についてした決定に対する抗告事件
平成16年(行ス)第4号(原審:大阪地方裁判所平成15年(行ク)第41号)
抗告人(原審被申立人) :大阪入国管理局主任審査官、相手方(原審申立人):A  
大阪高等裁判所第10民事部(裁判官:下方元子・橋詰均・高橋善久)
平成16年2月2日
決定
主 文
1 本件抗告を棄却する。
2 抗告費用は抗告人の負担とする。
理 由
第1 抗告の趣旨及び理由
1 抗告の趣旨
 原決定中、抗告人が相手方に対し平成15年10月17日付けで発付した退去強制令書に基づく
執行のうち、収容部分の執行を停止した部分を取り消す。
 前項の取消しに係る本件申立てを却下する。
 抗告費用は相手方の負担とする。
2 抗告の理由
別紙「抗告理由書」のとおりである。
第2 抗告に至る経緯
一件記録によれば次の事実が明らかである(以下、出入国管理及び難民認定法を「入管法」と、
行政事件訴訟法を「行訴法」という。)
1 相手方は、平成14年4月9日、在留資格を「就学」とし在留期間を1年として上陸を許可され、
わが国に入国し、和歌山市内に居住して同市内の日本語学校に通い、平成15年3月26日、a大学
に入学を許可され、そのころ、現住所に転居し、同年4月以降同大学に通学するようになった。
2 相手方は、平成15年4月14日、「就学」から「留学」への在留資格の変更及び平成17年4月9日
まで2年間の在留期間を許可された。
3 相手方は、入管法24条4号イ(資格外活動外国人)に該当するとして、平成15年8月21日午前
9時18分、収容令書によって身柄を拘束され、平成15年10月17日、入管法49条5項に基づき、退
去強制令書発付処分(以下「本件処分」という。)を受け、引き続き収容された。
4 相手方は、平成15年10月25日、大阪地方裁判所に対し、本件処分の取消しを求める本案訴訟を
提起するとともに、本件処分の執行の停止を求める本件申立てをした。
5 大阪地方裁判所は、平成15年12月1日、本件処分の送還部分及び収容部分のいずれについて
も、相手方に生じる「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」(行訴法25条2項)と認
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め、かつ、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」又は「本案について理由がない
とみえるとき」(行訴法25条3項)に該当しないと判断し、本件処分全部の執行を停止する旨の決
定をした。
6 なお、相手方は、原決定がされた翌日(平成15年12月2日)午後零時10分、収容を解かれた。
第3 当裁判所の判断
1 事実経過について
一件記録によって認められる本件の事実経過は、原決定「事実及び理由」の「第3 当裁判所の
判断」1項と同じであるからこれを引用する。
2 行訴法25条2項の要件について
 当裁判所も、相手方に生じる「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」ため、本件
処分については、収容部分を含め、その全部の執行を停止すべきものと判断するが、その理由
は、原決定「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」3項と同じであるからこれを引用する。
 抗告人は、原決定が本件処分のうち収容部分の執行まで停止したことを不服とし、その抗告
の理由において、退去強制令書によって身柄を拘束され、その結果わが国での在留活動ができ
なくなることそれ自体は外国人が受忍すべき損害であり、したがって、収容によってa大学に
通学できなくなるとの相手方の不利益は、行訴法25条2項所定の「回復の困難な損害」に該当
せず、原決定は、この要件に関する解釈適用を誤ったと主張する(抗告人は、当該外国人本人又
はその近親者等の生命身体の危険のみが「回復の困難な損害」に該当するというようである。)。
抗告人の主張は、不法在留者に関する事案では理解できないわけではないが、少なくとも、
相手方は、「留学」の在留資格が認められてその在留期間もいまだ経過しておらず、かつ、過去
の通学状況及び学業成績が良好であって、今後とも大学への就学意欲があると認められるので
あって、このような外国人についてまで、抗告人主張の解釈が妥当するかどうかは疑問である。
本件で収容を継続した場合、相手方は、本案訴訟で裁判所の判断を受けるまで(1審判決言
渡しまで)の間、審理が速やかに進行したとしても、少なくとも半年程度は教育課程(単位)を
履修する機会を奪われ留年を余儀なくされることが明らかであり、収容がされなかった場合と
同じ条件で大学に就学する機会は2度と訪れない。しかも、中国とわが国とでは物価水準の違
いが著しいため、留年をした結果わが国での就学年数が増え、学費及び滞在費用の負担が増加
した場合、最終的には相手方が大学卒業を断念せざるをえない事態も十分に発生し得る。
そうすると、収容によって大学への就学が阻害される不利益は、相手方のような外国人にと
っては、後日の金銭賠償によって償うことが困難な損害と認めて差支えがないものと思料され
る。
3 行訴法25条3項該当性について
 一件記録によっても、本件処分の執行を停止した場合に「公共の福祉に重大な影響を及ぼす
おそれがある」とすべき事実関係は何ら認められない。
 また、当裁判所も、相手方が入管法24条4号イ(資格外活動外国人)に該当するとは直ちに

退去強制令書執行停止決定に対する即時抗告事件
平成15年(行ス)第20号(原審:名古屋地方裁判所平成15年(行ク)第17号)
抗告人:名古屋入国管理局主任審査官、相手方:A
名古屋高等裁判所民事第3部(裁判官:青山邦夫・田邊浩典・榊原信次)
平成16年2月2日
決定
主 文
1 本件抗告を棄却する。
2 申立費用は抗告人の負担とする。
理 由
1 抗告の趣旨及び理由
 抗告人の抗告の趣旨は、「1 原決定のうち、収容部分の執行停止を認めた部分を取り消す。2
 上記部分につき相手方の執行停止申立てを却下する。」というものであり、抗告の理由は、別紙
「抗告理由書」のとおりである。
 抗告人の主張に対する相手方の反論は、別紙「準備書面(平成15年12月19日付け)」のとおりで
ある。
2 事案の概要
 相手方は、旧ビルマ連邦(現ミャンマー連邦)において出生した者である。
 相手方は、法務大臣に対し、難民認定申請をしたところ、法務大臣は難民の認定をしない旨の
処分した。
 また、相手方は、特別審査官が、相手方には不法入国の退去強制事由がある旨の入国審査官の
認定に誤りがないと判定したことについて、出入国管理及び難民認定法49条1項に基づき法務大
臣に異議の申出をしたところ、法務大臣は、これを理由がないと裁決した。
 抗告人は、法務大臣の上記裁決に基づいて、相手方に対して平成14年1月18日に退去強制令書
(以下「本件退去強制令書」という。)を発付した。
 そこで、相手方は、法務大臣及び抗告人に対し、相手方は難民の地位に関する条約上の難民に
当たるなどと主張して、上記法務大臣の難民不認定処分、上記裁決及び本件退去強制令書の発付
の取消しを求める訴訟を提起した(名古屋地方裁判所平成14年(行ウ)第19号難民不認定処分取
消等請求事件)。
 相手方は、上記訴えの提起とともに、本件退去強制令書に基づく執行を本案判決確定に至るま
で停止する旨の申立てをした(名古屋地方裁判所平成14年(行ク)第7号執行停止申立事件)と
ころ、同裁判所は、平成14年5月14日、本件退去強制令書に基づく執行は、送還部分に限り、本
案判決の第1審判決の言渡しの日から1か月を経過する日まで停止する旨の決定をした。
- 2 -
 名古屋地方裁判所は、上記訴訟事件につき、平成15年9月25日、法務大臣の上記裁決及び本件
退去強制令書の発付を取り消す旨の判決をした(以下「本件第一審判決」という。)。同判決に対し、
抗告人は、控訴した。
 相手方は、上記執行停止申立事件において、送還部分に限り、本件第一審判決言渡しの日から
1か月を経過する日(平成15年10月25日)まで停止するものとされていたため、本件第一審判決
後、本件退去強制令書に基づく執行は本案判決が確定するまで停止する旨の申立てをした。
 原審は、相手方の上記申立を認容する旨の決定をしたところ、抗告人が、原決定のうち、収容部
分の執行停止を認めた部分の取消しを求めて、即時抗告をした。
3 当裁判所の判断
 「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき(行政事件訴訟法25条2項)の該当性
について
ア 出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)52条5項に定める収容は、強制退去令書の
発付を受けた者について送還可能の時までその者の送還を確実に実施することができるように
するため、入国者収容所等の場所に収容してその身体を拘束するものであり、収容部分の執行
により被収容者が入国者収容所等に収容され、その身体の自由が制限される等の不利益を受け
ることは、法の当然に予定しているところであるというべきである。
そして、このように収容部分の執行により当然に生ずる身体的拘束による自由の制限等の不
利益は、それのみでは、いまだ行政事件訴訟法25条2項にいう「回復の困難な損害」に当たる
ものとはいえず、同項にいう「回復の困難な損害」があるというためには、収容部分の執行に
より当然に生ずる上記のような身体的拘束による自由の制限等の不利益を超え、収容に耐え難
い身体的状況があるとか、収容によって被収容者と密接な関係にある者の生命身体に危険が生
ずるなど、収容自体を不相当とするような特別の損害があることを要するものと解すベきであ
る。
イ 一件記録及び審尋の全趣旨によれば、相手方は、西日本入国管理センターに収容中に、拘禁
反応等により体調を崩すなどしたことから、平成14年6月3日、仮放免許可により収容を解か
れたこと(以下「本件仮放免許可」という。)、その際保証金として50万円を納付したこと、仮放
免の条件として、住所の指定、行動範囲の制限の他に、出頭を命じられた場合には指定された
日時・場所に出頭することという条件が付されていたこと、上記条件に違反したときは、仮放
免を取り消し、保証金の全部又は一部を没収することがあること、仮放免の期間は当初は平成
14年7月2日までとされていたところ、その後、平成16年2月19日まで延長されたことが認め
られる。
上記のとおり、相手方は、西日本入国管理センターに収容中に拘禁反応を起こしたことによ
り、本件仮放免許可を受けたものであるから、再度収容されることになった場合、再度拘禁反
応の症状が発生する可能性が高いと認められる。
収容(拘禁)が違法なものであった場合、それにより被った損害は原則として金銭により賠
- 3 -
償されることになるところ、拘禁反応は精神的なものであり、拘禁反応により精神に変調を来
した場合には、慰謝料等により損害を償うとしても、精神状態について回復をもたらすわけで
はなく、しかも精神的なものであるから、かかる損害は回復困難な損害に該当すると認めるの
が相当である。
なお、相手方は、上記のとおり仮放免の許可を受けているが、それによって、収容処分の執行
停止の申立てをする利益・必要性がなくなるものではない。
ウ よって、相手方が収容された場合には、相手方は「回復の困難な損害」を被ると認められる。
 「本案について理由がないとみえるとき」及び「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある
とき」(行政事件訴訟法25条3項)の該当性について
ア 行政事件訴訟法25条3項は、「本案について理由がないとみえる」ことを、執行停止申立ての
消極的要件として規定するが、同規定は、申立人の法的利益の救済と行政目的ないし公共の利
益の保持との均衡を図る趣旨に出たものと解すべきであるから、上記「本案について理由がな
いとみえるとき」とは、「勝訴の見込みがないとき」や「敗訴に見込みがあるとき」を意味する
ものではなく、執行停止の申立てについての審理において疎明されたところから、本案につい
ての申立人の主張が一応理由がないと認められるときをいうものと解される。
本件においては、本件第一審判決において、本件退去強制令書の発付が取り消されていると
ころ、一件記録によっても、同判決が明らかに誤りであるとまでは認められないから、本案に
ついての申立人の主張が理由がないと認めることはできない。
イ また、本件において本件退去強制令書に基づく執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を
及ぼすおそれがあるとの事情をうかがわせる十分な疎明はない。
 抗告人の主張について
抗告人は、相手方は、50万円の保証金を納付して、本件仮放免許可を受けているところ、執行
停止決定が出されたことによって、今度、抗告人が相手方に対して出頭を求めることは許される
のか、延長期間を超えた場合にはいかなる措置を講じるべきか、保証金を没収することが可能で
あるか等の実務上様々な問題が生じる旨主張する。
しかし、法54条に基づく仮放免の手続と行政事件訴訟法25条に基づく執行停止の手続は、別個
の手続であり、仮放免の許可を受けている者について行政事件訴訟法25条に基づく執行停止の申
立てを否定する規定はなく、これを否定する合理的理由もない。
したがって、抗告人の主張は理由がない。
4 よって、原決定は結論において正当であり、本件抗告は理由がないから棄却することとし、主文
のとおり決定する。

難民認定をしない処分取消請求事件(平成12年事件)
平成12年(行ウ)第33号 
退去強制令書発付処分取消等請求事件(平成13年事件)
平成13年(行ウ)第277号
退去強制令書発付処分無効確認請求追加的併合事件(平成15年事件)
平成15年(行ウ)第608号 
原告:A、平成13・15年事件被告:東京入国管理局主任審査官、全事件被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・廣澤諭・新谷祐子)
平成16年2月19日
判決
主 文
1 被告法務大臣が原告に対し平成10年8月25日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
2 被告東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成13年7月9日付けでした退去強制令書発付
処分を取り消す。
3 原告の本件訴えのうち、被告法務大臣が原告に対し平成13年6月22日付けでした出入国管理
及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決の取消し及び無効確認
を求める部分を却下する。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主文第1項、第2項同旨
2 被告法務大臣が平成13年6月22日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1
項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
3 被告法務大臣が平成13年6月22日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1
項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
本件は、ミャンマー国籍を有する外国人である原告が平成9年2月3日付けでした出入国管理
及び難民認定法(以下「法」という。)61条の2に基づく難民認定申請(以下「本件申請」という。)
に対し、被告が、原告は難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び難民の地位に関
する議定書(以下「難民議定書」という。)にいう難民と認められないとして、平成10年8月25日
に難民に認定しない処分(以下「本件不認定処分」という。)をしたことから、原告が、自らが難民
条約及び難民議定書にいう難民に該当するのに難民に該当しないとしてした本件不認定処分が違
法である旨主張し、本件不認定処分の取消しを求めるものである(平成12年事件)。原告は、被告
- 2 -
が本件不認定処分の後である平成13年7月9日に、原告の法49条1項に基づく異議申出に理由
がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、原告に対し退去強制令書発付処分(以下「本件
退令発付処分」という。)を行ったことから、平成13年10月9日に、本件裁決及び本件退令発付処
分の取消訴訟を提起し(平成13年事件。なお、この事件において当初から本件裁決の取消しが求
められていたか否かについては、後記のとおり、当事者間に争いがある。また、同事件は、難民の
認定をしない処分取消請求事件と弁論併合されている。)、平成15年10月31日には本件裁決の無
効確認を求める訴えを提起した(平成15年事件)。
2 判断の前提となる事実(認定根拠を掲記しない事実は、当事者間に争いがないか当裁判所に顕
著な事実である。)
 原告は、昭和40年《日付略》、ミャンマー(当時はビルマ連邦)ヤンゴン(当時はラングーン、
以下年代を問わず「ヤンゴン」という。)において出生したミャンマー国籍を有する外国人であ
る(乙1)。
 原告は、平成元年11月18日、新東京国際空港に到着し、東京入国管理局(以下「東京入管」と
いう。)成田支局入国審査官に対し、渡航目的「観光」、日本滞在予定期間「15日間」とそれぞれ
外国人入国記録の所定の欄に記入して上陸申請をし(乙2)、同日、平成元年法律第79号による
改正前の法4条1項4号所定の在留資格及び在留期間を30日とする上陸許可を受け、本邦に入
国した(乙1)。
 原告は、在留期間の更新又は在留資格の変更の許可を受けることなく、前記上陸許可の在留
期限である同年12月18日を超えて本邦で不法残留することとなった(乙1参照)。
 原告は、平成5年3月26日、平成6年5月19日、同年12月12日及び平成8年4月24日に、
それぞれ在京ミャンマー大使館において、原告名義の旅券の有効期間の延長許可を受けた(乙
1)。
 原告は、平成9年2月3日、東京入管において、被告法務大臣に対し難民認定申請をした(乙
3)。
 原告は、平成10年5月14日、新宿区長に対して、東京都新宿区《住所略》を居住地として外
国人登録申請をした(乙4)。
 東京入管難民調査官は、平成10年5月18日及び同年6月1日、原告から事情を聴取するなど
の調査をした(乙5、6)。
 被告法務大臣は、平成10年8月25日、「特定の社会的集団の構成員であること」及び「政治的
意見」のために迫害を受けるおそれがあるという申立てについては、これを立証する具体的な
証拠がないので、原告は難民条約第1条A及び難民議定書第1条2に規定する「特定の社会
的集団の構成員であること」及び「政治的意見」を理由として迫害を受けるおそれは認められず、
難民条約及び難民議定書にいう難民とは認められないとして、本件不認定処分をし、同年10月
2日、原告に対し本件処分を告知した(乙7)。
 原告は、平成10年10月7日、被告に対し、本件不認定処分について異議の申出をした(乙8)。
- 3 -
 東京入管難民調査官は、平成10年11月18日、東京入管第二庁舎において、原告から事情を聴
取するなどの調査をした(乙9の1、2)
 被告は、平成11年9月10日、の異議申出については、原告の難民認定申請につき再検討し
ても、難民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に、原告が難民条約上
の難民に該当することを認定するに足りるいかなる資料も見出し得なかったとして、理由がな
い旨の裁決をし、平成12年1月7日、原告に告知した。
 東京入管入国警備官は、平成10年9月21日違反調査を実施した結果(乙11)、原告が法24条
4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同月29日、東京入管主任審査官か
ら収容令書の発付を受け、同年10月2日、同令書を執行し、原告を法24条4号ロ該当容疑者と
して東京入管入国審査官に引渡した。
 被告主任審査官は、平成10年10月2日、原告の請求に基づき、原告に対し仮放免を許可した。
 東京入国審査官は、平成10年10月2日及び同年11月5日、原告について違反審査をし、その
結果、同日、原告が法24条4号ロに該当する旨の認定をし、原告にこれを通知したところ(乙
17)、原告は、同日、口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成11年3月17日、口頭審理を実施し(乙18)、その結果、特別審理
官は、同日、入国審査官の前記認定に誤りがない旨判定し、原告にこれを通知したところ(乙
19)、原告は、同日、被告法務大臣に異議の申出をした(乙20)。
 被告法務大臣は、平成13年6月22日、原告からの上記の異議の申出については、理由がな
い旨裁決し(本件裁決、乙21)、同裁決の通知を受けた被告主任審査官は、同年7月9日、原告
に本件裁決を告知するとともに、本件退令発付処分をした(乙23)。
3 当事者の主張
 原告
ア 難民条約の解釈基準
ア 難民認定手続を正しく運用するためには、「難民」の定義、立証基準、立証責任、信憑性
などの諸原理について正しい解釈を得なければならない。しかし、我が国の難民認定手続
を定める入管法には、これらの諸原理に関する明文の規定がなく、これらの諸原理を解明
するためには入管法の解釈を要するところであるが、入管法の難民認定制度に関する諸規
定は、我が国が難民条約及び難民議定書を批准したことによりこれらを国内法化するため
に制定されたものであり、その解釈は全面的に難民条約及び難民議定書の解釈に依拠する
ものである。
ことに、難民の意義については、入管法上の「難民」と難民条約及び難民議定書が定める
「難民」とは全くの同義であり、かつ、難民の意義について締約国は何らの留保を付するこ
とも認められていない(難民条約42条1項)から、我が国は難民条約及び難民議定書の定
める難民を「そのまま難民として」認定する義務を負っている。したがって、「難民」の意
義の解釈や、いかなるものを難民として認定すべきかの基準については、全て難民条約及
- 4 -
び難民議定書の解釈によって導かれなければならない。
以上の理由から、難民条約の解釈は不可欠な作業となる。
イ 難民条約解釈のルール
条約を含む国際法規は、これを批准した締約国間に共通の法規であって、締約国間に客
観的に存在し、締約国を等しく拘束する法秩序となる。したがって、国際法規は締約国ご
との区々の解釈がされるべきではなく、個々の締約国の政策や思惑を超えた国際的に統一
された解釈がされる必要がある。
このような観点からすれば、難民認定手続における諸原理を難民条約の解釈によって導
出するに際しても、その解釈が締約国ごとに独自なものであることは許されず、各締約国
において共通に運用される、統一的かつ普遍的な解釈がされることが難民条約それ自体の
要請であることは明らかである。
「条約法に関するウィーン条約」(以下「条約法条約」という。)31条及び32条は、条約そ
の他の国際法の解釈基準を定めており、同条約がそれまで国際慣習法として成立した解釈
基準を確認したものであるから、難民条約もそれにより定められる解釈基準により解釈さ
れるべきものである。そして、条約法条約31条は、文言解釈ないし文理解釈と称される原
則に依拠し、条約の文言が明らかに不合理な結果や条約の他の部分との整合性を有しない
結果を来したり、締約国の意図するところを明らかに逸脱する場合を除いては、用語の通
常の意味に解釈しなければならないものとし、同32条では、31条の規定による解釈では意
味があいまい又は不明瞭である場合、明らかに常識に反した不合理な結果がもたらされる
場合には、条約の準備作業段階の事情や条約に基づく判例法、同種の他の条約又は類似の
条項に関する裁判例を補足的手段として、解釈を行うべきであると定める。
以上によれば、難民条約は、その条約文や締約国間でされた難民条約の関係合意である
「最終文書の規定」さらには、難民の人権の広範な保障という難民条約の趣旨・目的に照ら
し、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の見解や難民条約を実施する各国の先例等をも
解釈の準則として解釈を行うべきである。
イ 難民認定の要件
ア 難民の定義
難民として認定され、保護されるための該当条項に係る要件は、①本国の外にあること、
②十分に理由のある恐怖、③迫害、④理由であり、これら全ての要件を合わせ満たす必要
があるが、以下、本件で問題となる「国外にいること」以外の3要件につき検討する。
イ 十分に理由のある恐怖
この要件は、「恐怖」という主観的要素と、「十分に理由のある」という客観的要素の双方
を明示的に求めており、当事者の内心及びこれを合理的に裏付ける客観的な事情の両方の
要素が考慮されなければならないが、難民の認定が覊束的なものであることからすれば、
客観的な要素を確定し、その内容を予め明確にすることが必要であり、その指標として、
- 5 -
申請者の個別的状況、出身国の人権状況、過去の迫害、同様の状況におかれている者の事
情などが考慮されるべきである。
ウ 迫害
迫害とは「国家の保護の欠如を伴う基本的人権に対する持続的若しくは系統的危害」で
あり、迫害の認定をするに当たっては広く、経済的・社会的・精神的自由に対する抑圧や
侵害も検討されなければならず、そのように迫害を広く捉える解釈が、条約法条約の解釈
手法、難民条約「前文」との間での整合性を有するものといえる。
エ 理由
迫害の理由として列挙されている、人種、宗教、国籍、特定の社会的集団の構成員である
こと、政治的意見は、これらのうちいずれか一つ以上があれば足り、このうちの1つであ
るのかいくつの理由を組み合わせるのか、どの1つに該当するのかといったことは申請者
において特定する必要はない。
ウ 立証責任・立証基準
ア 難民認定手続は、申請者の難民該当性に関する事実認定及びあてはめ作業を内容とする
手続であるから、証明に関するルールが明らかにされる必要がある。そして、難民認定申
請を行ったものが本国を捨て、保護の確証のない外国で手続を行うものであること、本来、
対立当事者間の武器対等を前提とした対審構造が予定されたものではなく、非対審構造が
予定されていること、訴訟が過去の事実を認定する手続であるのに対し、難民認定手続は
将来予測的な事実の証明を行うものであること、難民認定機関は、認定者であると同時に
申請者に対する協力者であることが求められていることによれば、訴訟手続における証明
のルールをそのまま導入することは妥当なものではないというべきである。そして、その
証明のルールを検討する際には、締約国各国の判例や先例が重要な参考資料となり、それ
らを重視して、検討を行うべきである。
イ 立証責任
難民認定手続における立証責任の問題は、訴訟手続における立証手続とは異質のもので
あり、訴訟手続における立証責任の概念は妥当しない。そして、我が国の難民認定制度立
法過程での国会の審議における当時の法務省入国管理局長の答弁や法61条の2の3の規
定によれば、同条は、難民認定申請者には身分事項、経歴、迫害の根拠とされる事由につい
ての説明、活動歴、自己又は同じ集団に属する他人若しくは集団自体に対する過去の迫害
の事実、出国から入国の経過、入国後申請に至るまでの経過、入国後の活動状況について
事実を提供する義務を負い、一方で、出身国情報や、申請者が記憶する過去の事件の有無・
内容、同種の理由による我が国への難民認定申請の有無、同種の理由による他国への難民
認定申請事例の有無、申請者の活動を裏付ける資料の収集や申請者の知人・親族等からの
事情聴取などを積極的に行うべきである。
ウ 立証基準
- 6 -
我が国の難民認定制度は、条約上の難民をそのまま難民として認定することが義務付け
られており、いかなるものが難民として認定されるべきかは、難民条約に従って、その規
定及び解釈により決せられるべきものであり、難民認定の目的は、紛争の解決や法的安定
性の確保ではないから、それらを目的とする訴訟制度のルールを導入する合理的基盤はな
いし、その証明対象は、主観的要素を含み、将来予測を含むものであり、訴訟手続と異なっ
ており、また、判断の誤りにより侵される法益は重大であり、事後的な回復は不可能であ
るから、難民認定手続の立証基準は、訴訟手続との対比からではなく、難民条約の文言に
基づき決せられるべきものであり、難民条約の内容や難民保護の目的、各締約国の運用実
務からみれば、難民性の立証基準としての「十分に理由のある恐怖」とは、客観的な迫害の
可能性ではなく、主観的な「恐怖」に十分な理由があることであり、その「十分な理由」とは、
当該申請者がおかれた状況に、合理的な勇気を有するものが立ったときに、「帰国したら迫
害を受けるかもしれない」と感じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評価し得る場合
に、その恐怖に「十分な理由」があるということができる。
エ 信憑性判断
ア 難民認定手続は、難民であることを有権的に確定する行為であるから、認定機関は、個々
の外国人が難民に該当する事実を具備しているか否かを誤りなく判断することが要求され
る。そして、この事実の確定作業において、申請者の申請・供述の信憑性の判断は決定的
な要素となるものである。そして、申請者が証言の全てを裏付ける物証や書証を提出し得
ることがむしろ例外的であるという難民認定手続の特殊性をかんがみれば、信憑性評価の
重要性は一層増すこととなる。
イ このような難民認定手続が取り扱う保護法益の重要性、難民認定における信憑性判断の
もつ重要性から、難民認定機関においては信憑性判断を誤りなく行うことが求められ、難
民認定における信憑性判断の有する、①申請者及び難民認定機関の双方で証拠収集が制限
されているという物理的要因の特殊性、②申請者が本国において現実に迫害を受けてきた
か、あるいは潜在的に迫害の危険を有していることから、しばしば申請者の心的作用に障
害が認められることがあり、また、官憲に対する不信感・警戒心、出身国に残る家族や知
人に危害が及ぶことを避けようとする意識等が存するという心理的要因の特殊性、③申請
者が言語的障害・文化的相違をもち、申請者の言語や概念について審査官の解釈が常に合
致しているとは限らないという文化的要因の特殊性、④難民認定手続について対審構造が
採られていないという構造的特殊性といった特殊性により、信憑性判断は困難で専門的な
作業となっており、これらの特殊性を十分念頭におかねばならず、信憑性判断が無原則な
ものとなれば、難民認定行為の覊束性は無に帰することとなる。
ウ そして、各締約国の信憑性判断の経験上、注意すべき点の共通点をまとめると①疑わし
きは申請者の利益に(灰色の利益の原則)。この原則は、主張の実質的本案審議と申請者の
信憑性評価の両方に適用される。②信憑性についての懸念を申請者や証人に提示し、釈明
- 7 -
の機会を与えなければならない。③信憑性についての否定的な判定には、証拠中に適当な
根拠がなければならず、申請者の供述は、単なる憶測や推測により排除されるべきではな
い。理由を説明せずに申請者の話を「あり得ない」とするだけでは不十分であり、なぜそ
の証言が合理的にあり得ることと明らかに矛盾するか説明できなければならない。特に矛
盾しない証言を排除する際には注意を払うべきである。④信憑性についての否定的な判定
は、申請の重要な面に基づいて行われるべきである。ただし、主要でないことに関する矛
盾でも、それが重なると申請者の信憑性に疑問を投げかけることになる。⑤証拠を全体と
して、また客観的で偏見のない目で考慮することが重要である。⑥矛盾のない、信憑性の
ある説明については独立した裏付けは必要ではない。⑦信憑性の欠如が理由で認めらない
証拠があっても、必ずしも申請の却下につながるとは限らない。⑧矛盾を見つけるのに過
度の熱意を示してはならない。認定者は矛盾点や信憑性がない証拠などを探し、結果とし
て申請者の信憑性を攻撃するために証拠を調べてはならない。⑨信憑性を評価する際には
事情に通じていなければならない。証言の信憑性と価値は申請者の出身国の状況や法等に
ついて一般的に知られている事実に照らし合わせて評価されなければならない。⑩信憑性
について明確な判定をし、それについて適切な理由が付されなければならない。認定者は
供述の中で信憑性がないようにみえる部分を明確に指摘し、その結論に至った理由も明確
に伝える義務を負う。⑪不真実表示・事実隠ぺいや証言内容の変遷は、信憑性評価に影響
を及ぼすものであるが、人が嘘をつく背景には様々な動機があり得、それ自体は申請の却
下を意味しないし、逆に、申請者の主張の信憑性を裏付ける証拠にもなり得る。⑫常識と
は、歴史的に構築されたものであり、文化によって決定され、それゆえ普遍的でないから、
その評価は重視されるべきではない。⑬手続の特徴を考慮に入れるべきである。難民認定
手続はしばしば迅速で形式張らず、本質的に探求的であり、口頭の証拠のほとんどは通訳
というフィルターを通している結果、認定過程は誤解の可能性に満ちている。申請者の緊
張、トラウマや文化的相違も混乱や誤解を作り出すことがある、⑭信憑性判断の要素とし
て証人の様子に頼るのは避けるべきである。⑮申請の遅延は、そのこと自体決定的な要素
とはならず、申請が遅れた背景事情を追求しなければならない。といったものが挙げられ
る。
オ 難民認定手続と適正手続
行政手続においても憲法上、適正手続の保障があることが認められており、難民認定手続
においても適正手続の保障が及ぶというべきであるところ、我が国の難民認定手続において
は、事後手続としての異議申立ては認められるものの、難民不認定処分を出す前に申請者に
釈明の機会が与えられていない点、処分書に要求されるべき理由が明記されていない点、判
断の主体が直接手続に関与していない点(直接主義違背)において、適正手続を欠くものと
いわざるを得ない。
カ 原告の難民該当性
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ア 原告の供述の信憑性
前記ウウの信憑性評価の注意点に加え、供述の信用性に関する一般原則を勘案すれば、
供述の信憑性の評価に当たっては、些末な事項についていちいち細かい点をとらえて表現
の違いを問題としたり、ましてや、最初からあら探しをするような態度で供述を吟味する
ことは妥当でなく、全体的な供述の自然性や一貫性、重要な部分についての供述の詳細さ、
客観的証拠との符合などに重きをおいて供述をみるべきである。
このような観点から原告の供述をみるに、原告の供述は、基本的な流れにおいて一貫し
ており、とりわけ不自然という点もみられない。特に、原告が仕事を辞めて学生達の民主
化運動に加わる決意をした事件の様子、インセイン刑務所で受けた尋問の様子、原告がデ
モ参加中に発砲を受けた様子などについての供述は、自ら体験したものでなければ語り得
ない具体性、迫真性がある。
さらに、客観的証拠との符合という観点でも、原告のビルマにおける活動の内容は、民
主化運動の歴史的経緯と合致しており、原告の日本における民主化運動の参加についての
供述も客観的証拠により裏付けられている。
被告は、原告の供述の信憑性を疑うべき事情を縷々述べるが、いずれも、前記ウウの注
意点に背を向けて独自の信憑性評価原則に固執し、その信憑性評価を誤ったものというほ
かない。
イ 原告の難民該当性
a 出身国の外にあること
原告はビルマ出身であり、現在日本に在留し当該国の外にある。
b 迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖
原告は、民主化運動の活動家として、1988年に民主化運動に公然と参加し、一度は逮
捕され、拷問を受けたこともある。また、原告が日本におけるビルマ民主化運動の中心
的活動家の一人であることは明らかである。
かかる人物についての迫害の危険性についてみると、ビルマの当時の状況やビルマに
おける民主活動家に対する逮捕・拘禁そして拷問等の迫害の実態にかんがみ、原告がビ
ルマに継続してとどまっていたならば、原告の自由と権利が危害を被る客観的可能性は
十分に認められたというべきであるし、我が国における活動の継続を経た本件不認定処
分時、本件退令発付処分時において、原告がビルマに帰国すれば、逮捕や殺害の危険を
はじめとして、原告の自由と権利が危害を被る客観的可能性は十分に認められたという
べきである。
少なくとも、原告がおかれた状況に合理的勇気を有するものが立ったときに、「帰国し
たら迫害を受けるかもしれない」と感じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評価し
得ることは明白である。
したがって、原告には、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」は
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優に認められる。
c 迫害
原告に及ぶ危害の内容が生命及び身体の自由への脅威を含んでいることは、1988年
以降のビルマにおける民主化に対する弾圧の内容をみれば明らかである。
d 理由
原告は、ビルマにおいても、日本においても、ビルマの現軍事政権に反対し、民主化を
求めて活動してきた結果として、迫害の危険にされされている。したがって、原告には、
政治的意見を理由とする根拠がある。
キ 本件不認定処分の違法
前記アないしカによれば、原告は難民として認められること、及び十分な理由の附記を欠
いている点のいずれからしても本件不認定処分は違法であり取り消されるべきものである。
ク 本件裁決の違法及び無効
ア 前記アないしカのとおり、迫害及び拷問のおそれが認められる原告については、難民条
約33条1項及び拷問及びその他の残虐な非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰
を禁止する条約3条1項に違反しないために、また、人道上の見地からも、被告法務大臣
は、原告に対し在留特別許可をすべきであった。しかし、被告法務大臣はこれをせず、原告
に対して、本件裁決をした。これは、処分の前提たる事実に誤認があったものであり、同裁
決は、取り消されるべきものであり、その瑕疵の重大性にかんがみれば、本件裁決は無効
であるともいえる。
イ 平成13年事件の請求の趣旨の記載について
原告は、平成13年事件訴状において、被告法務大臣を被告とする本件裁決の取消訴訟を
提起したのであるが、請求の趣旨において、その旨の記載が脱漏していた。
事件名を退去強制令書発付処分等取消請求事件と「等」を付していること、当事者目録
において被告主任審査官と列記して法務大臣を被告としていること、訴状の請求原因にお
いて「行政処分の存在」の項で本件裁決の告知を受けたことについて述べていること、請
求原因4項の表題が「本件裁決及び退去強制令書発付の違法性」となっていること、同項
の表題も「原告に対する本件裁決・退去強制令書発付の是非」としていることから、こ
れが単なる脱漏にすぎず、訴状において既に原告が本件裁決の取消しを求めていること
は、一見明白である。
ケ 本件退令発付処分の違法
本件裁決が違法であることにより、本件退令発付処分も当然に取り消されることになる
が、本件退令発付処分は、難民条約33条1項及び拷問等禁止条約3条1項のノンルフールマ
ン原則に違反して、送還先を本国と指定しており、本件退令発付処分は、難民条約及び拷問
等禁止条約に違反する違法なものである。
 被告ら
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ア 難民・迫害の意義
ア 法に定める「難民」とは、難民条約1条又は難民議定書1条の規定により難民条約の適
用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2)、同規定によれば、難民とは、「人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受け
るおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であっ
て、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために国
籍国の保護を受けることを望まないもの及び(中略)常居所を有していた国の外にいる無
国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐
怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」とされている。
そして、その「迫害」とは、「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫
であって、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し、また、上記のように「迫害を受
けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには、「当該人が迫害
を受ける恐れがあるという恐怖を抱いていたという主観的な事情のほかに、通常人が当該
人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的な事情が存在していること」
が必要である。
イ そして、ここにいう客観的な事情があるというためには、単に迫害を受ける恐れがある
という抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず、当該申請者について
迫害を受ける恐れがあるという恐怖を抱くような個別的かつ具体的な事情が存することが
必要である。すなわち、ある国の政府によって民族浄化が図られていることが明らかな場
合はともかく、そうでなければ、当該政府が特に当該難民認定申請者を迫害の対象とした
ことが明らかになる事情が存在しなければならないのである。そのことは、難民条約及び
議定書が集団全体を一個の難民として認定する手法を採用していないこと、原告が頻繁に
引用するUNHCR作成の難民認定ハンドブックにおいても「各個人の状況はそれぞれの事
案ごとに評価されなければならない」(43項)、「ある特定の人種的集団に属するという事
実のみでは、通常、難民の地位の申請を裏付けるのに十分とはいえない」(70項)、「ある特
定の宗教的社会に属するという事実のみでは、通常、難民の地位の申請を裏付けるのに十
分とはいえない」(73項)、「特定の社会的集団に属するという事実のみでは、通常、難民の
地位の申請を裏付けるのに十分とはいえない」(79項)、「政治犯罪人が難民に該当するか
否かを決定するに当たっては次のような要素が考慮に入れられなければならない。即ち、
申請人の人格、政治的意見、犯罪の動機、犯された行為の性質、訴追の性質及び動機、そし
て最後に訴追がなされる基礎となっている法律の性質がこれである」(86項)とされてい
ることからも明らかである。
イ 難民であることの立証責任は原告にあり、真偽不明な場合は難民とは認定されないこと
ア いかなる手続きを経て難民の認定手続がされるべきかについては、難民条約に規定がな
く、難民条約を締結した各国の立法政策にゆだねられているところ、我が国において法61
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条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請が
あったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定(以下「難民の認
定」という。)を行うことができる。」と定め、申請者に対し申請資料として「難民に該当す
ることを証する資料」の提出を求めている(法施行規則55条1項)。この法令の文理からす
れば、難民であることの資料の提出義務と立証責任が申請者に課されていることは明らか
である。
このように、難民不認定処分は、申請者が自ら難民であることを立証できなかったため
に行われる処分であることから、その提出した資料等からも難民ではないと確認される場
合と、難民であるとも難民でないとも確定的には確認できない(真偽不明)場合との双方
を含む概念である。
イ このことは、難民認定処分の処分としての性質からも明らかである。
すなわち、難民認定処分は、当該難民認定申請者(以下単に「申請者」という。)が難民条
約所定の「難民」であるか否かを申請者から提出された資料に基づいて確認し、処分時に
おいて難民であることを認定する行為である。このように難民認定処分は本質的には事実
の確認であるが、法務大臣により難民認定を受けていることが、他の利益的取扱いを受け
るための法律上の要件となっており(法61条の2の5、61条の2の6、61条の2の8)、こ
の点からすると、難民認定処分は、その処分自体が申請者に対して直ちに何らかの権利を
付与するものではないものの、授益処分とみるべきである。
授益処分については、一般に、申請者側に処分の基礎となる資料の提出義務と立証責任
があると解されているのであって、このような難民認定処分の性質からみても、難民認定
の資料は、授益者となるべき申請者が提出すべきものである。
ウ さらに、このことは、難民認定のための資料との距離という観点からみても、合理的で
ある。
すなわち、難民であると認められるためには、前記のとおり、「人権、宗教、国籍若しく
は特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあ
るという十分に理由のある恐怖を有する」ことが立証される必要があり、このような難民
該当性の判断の対象とされる諸事情は、事柄の性質上、外国でしかも秘密裏にされたもの
であることが多い。このような事実の有無及びその内容は、それを直接体験した申請者こ
そが最もよく知ることができる立場にあって、申請者においてこれを正確に申告すること
は容易である。しかも、これらの事実は難民認定を受けるための積極的な事実であって申
請者に有利な事実である。
これに対し、法務大臣は、それらの事実につき資料を収集することがそもそも困難であ
り、ましてや、難民該当性を基礎付ける事実の不存在を立証する資料の収集は不可能に近
い。
仮に、法務大臣にこうした資料収集の義務を負わせるとすると、法務大臣に難民認定手
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続上の過重な負担を負わせ、適正な難民認定ができなくなる恐れが生じる。このような観
点からも、法は、申請者に自らが難民であることを証明する資料を提出する義務を負わせ、
真偽不明な場合には難民不認定処分を行うことができるとしたものと解される。 
ウ 難民認定されるための立証の程度
ア 原告は、難民認定されるための立証の程度は、争訟手続と同様に解することができず、
我が国の訴訟制度において採用されている「合理的疑いを容れない程度の証明」である必
要はない旨を主張するところ、原告の同主張が、難民認定手続において、行政庁である法
務大臣が難民認定申請者の難民該当性を判断する際に当該申請者が尽くすべき立証の程度
を指すものか、不認定処分の取消しを求めた訴訟手続において、原告として尽くすべき立
証の程度を指しているのかは必ずしも明らかではない。
しかしながら、本件においては、原告を難民と認定しなかった被告の判断の適否、すな
わち、原告が本件不認定処分当時において難民と認められるに必要な「十分に理由のある
迫害の恐怖」を有していたかが訴訟の場において争われているのであるから、原告がこの
点について「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしなければならないのは当然である。
すなわち、民事訴訟における「証明」とは、裁判官が事実の存否について確信を得た状態
をいい、合理的な疑いを容れることができないほど高度の蓋然性があるものでなければな
らないが、通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信で足りる。行
政事件について行政事件訴訟法に定めがない事項については民事訴訟の例によるから、上
記の民事訴訟法の原則は、特段の定めがない限り、行政訴訟における実体上の要件に該当
する事実の証明についても当然当てはまるものである。
以上のような民事訴訟における事実の証明は、実体法の定める全ての要件に共通するも
のであり、特別の定めがないにもかかわらず、特定の類型の事件若しくは特定の事件の特
定の要件に該当する事実に限って証明の程度を軽減することは許されない。しかるとこ
ろ、難民認定手続について、難民条約及び難民議定書には、難民認定に関する立証責任や
立証の程度についての規定は設けられておらず、難民認定に関しいかなる制度及び手続を
設けるか否かについては、締約国の立法政策にゆだねられているが、我が国の法は、難民
認定手続やその後の訴訟手続について、立証責任を緩和する旨の規定は存しない。そうで
ある以上、難民認定手続やその後の訴訟手続について、立証責任を緩和する旨の規定は存
しない。そうである以上、難民認定されるための立証の程度は、難民認定手続においても、
その後の訴訟手続においても、通常の民事訴訟における原則に従うべきであり、難民認定
申請者は、自己が難民であることについて、「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしな
ければならない。
イ この点に関し、原告は、いわゆる灰色の利益論を主張するが、原告の主張が独自の法解
釈に基づくもので到底現行法の解釈とし採り得ないことは明らかである。原告の主張する
難民認定手続の特殊性については、いずれも各事案において自由心証の枠内で当該裁判所
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が考慮すべきかどうか検討すれば足りるものであり、法解釈として難民認定の立証基準や
立証責任を原告側に緩和すべき理由はない。現に裁判例をみても、一般の民事訴訟と同様
の立証責任と立証の程度を求めている。
エ 原告が難民とは認められないこと
前記アないしウのとおり、本件不認定処分が違法であるとしてこれを取り消すためには、
原告において、自らが難民であることにつき「合理的な疑いを容れない程度の証明」をしな
ければならないが、本件においては、次の諸点からすると(被告らは、当初他の事情を指摘し
ていたが、口頭弁論終結時に陳述した準備書面においては、次のアないしエを指摘するに
とどまっている。)、このような立証責任論を持ち出すまでもなく、原告が難民でないことは
明らかというべきである。
ア ミャンマー政府が原告を迫害の対象としているとはおよそ考え難いこと
原告は、ミャンマー政府が原告を迫害の対象としているという根拠として、1988(昭和
63)年3月に反政府活動に参加するようになり、デモや集会に参加し同年6月に当局に約
1週間拘束されたこと、同年10月には当局による再度の拘束を恐れてインドへ逃れたこ
と、1989(平成元)年1月に帰国した後もビラを配るなどの反政府活動に従事したこと、
反政府活動家としてリストに登載されていることなどを主張する。
しかしながら、これらを裏付ける客観的な証拠はなく、その指摘する出来事はいずれも
にわかに信じ難いものばかりである上、1989(平成元)年10月10日、本国政府から原告名
義の有効な旅券の発券を受け、同年11月には何の問題もなく出国し、タイを経由して来日
しているばかりか、その際、成田空港において、在日ミャンマー大使館員の息子の出迎え
を受け、平成5年から平成8年までに入国時に使用した旅券の更新手続を4回にわたって
在東京ミャンマー大使館において行っている。原告が、ミャンマー大使館において旅券の
更新手続を行っていることは、原告が本国政府に対して庇護を求めていること、迫害を受
けるおそれや恐怖心など抱いていないこと、本国政府から敵視されていないことの現れで
ある。本国では、原告の両親も平穏に生活していることがうかがわれ、平成10年6月には、
原告が交際していた日本人女性に会うために来日し、無事帰国している。したがって、ミ
ャンマー政府が原告を迫害の対象としていたなどとはおよそ考え難く、「迫害を受けるお
それがあるという十分に理由のある恐怖」を原告が有していたとは到底認め難いというべ
きである。
イ 原告の来日目的は本邦での不法就労であること
被告らも、申請人が就労活動をしたからといって直ちに難民性を失うとまで主張するも
のではないが、原告は、本法入国の動機として日本の先端技術にあこがれており、電気関
係の技術を学びたかったとも供述し、来日した約1週間後には、栃木県芳賀郡《地名略》所
在の会社で溶接工として不法就労を開始し、その後、都内のそば屋や清掃員、ラーメン店、
居酒屋等で稼働するなどしていたが、来日後7年余り、その間、難民認定申請することも、
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我が国に対して庇護を求めることもなかったものであって、原告の本邦への真の入国目的
は、不法就労にあったものと推認せざるを得ない。
ウ 原告が反政府活動等に従事していたとは考え難いこと
原告は、自らが反政府活動をしていたことを裏付ける一つの出来事として、1988年に他
の学生とともにアウンサンスーチー女史(以下「スー・チー女史」という。)に会いに行き、
直接、武装闘争を訴えて同人に反対されたなどと主張する。
反政府活動の重要人物と目されるスー・チー女史と直接対話したことがあるということ
は、本邦において難民認定申請をする者が自己の難民性を裏付ける有力な事情として強調
する傾向があることが顕著にみられるものであるものの、平成9年2月3日に原告によっ
て作成された難民認定申請書において、この点は何ら触れられていない。原告は、難民調
査官の質問の仕方が原因でこの事実が記載されなかった旨述べるが、そもそも、スー・チ
ー女史と対話したことがあるなどということは、本件各事件の訴状や執行停止事件にかか
る疎明資料等のいずれにおいても何ら主張されていなかったのである。一方で、原告は、
難民認定申請時には、この旨を全て代理人に話した旨述べていたというのであるが、これ
が事実とすれば訴状等に記載されていないこと自体が不可解である。結局、本件難民認定
申請後6年以上も経過した、平成15年6月3日付け原告の供述録取書において初めて、上
記のような陳述を始めたものと認められ、なぜ当初からその点の供述がされなかったかに
ついて、何ら合理的な説明はされていないのである。
以上の事情にかんがみると、原告自身がスー・チー女史と会って武装闘争の話をしたと
する供述自体疑わしい。
こうした点に加え、原告は、本国での迫害をおそれ一時インドに逃れたなどと主張して
いるが、インドに3か月ほど滞在したものの、体の不調を来して帰国したなどと、本国政
府から迫害を受けてインドに逃れた者とは考えられない供述をするなどしていることに照
らしても、原告が反政府活動をしていたとも考え難い。
エ 原告が不自然な供述を繰り返したこと
a 原告は、原告の両親が来日したことがある旨を述べていたが、本人尋問においては、
この事実を否定し、原告の父親のみが1回来日したことがあるにすぎないなどと供述し
たり、一転してさらにこれを翻したりするなど、いかにも場当たり的な供述に終始した。
また、原告は、両親が来日する際、盗聴等をおそれ、両親との連絡は、全て交際中であ
った日本人女性が行った旨述べるが、同人は、英語の会話能力もミャンマー後の会話能
力もほとんどないことを自認しているのであるから、原告の両親と来日に関わる連絡を
全て日本人女性が行ったとの原告の供述はもとより信用できず、原告が本国の家族との
間の手紙が没収されることや電話が盗聴されることを恐れていると述べていることも信
用できない。
b 原告は、本国の家族構成につき、難民認定申請書に父母及び5人の姉妹を記載し、原
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告以外に家族で来日歴があるのは両親だけである旨述べ、被告らが入国歴がある旨指摘
したBは、原告の姉とは全く別人である旨供述している。しかしながら、原告の難民認
定申請書には、姉妹としてBとの記載がある上、原告の外国人登録証明書写しの表面に
世帯主として記載されている人物名と同一である。そして、Bが供述した家族関係は、
原告以外の家族については原告が難民認定申請書に記載した家族関係と一致している
上、本国の住所も一致していることからすると、原告らは姉弟であるにも関わらず、こ
とさらにこれを隠そうとして虚偽の供述をしていることは明らかである。また、原告に
はCという妹が本国におり、同人が来日したことはない旨述べるところ、原告及びBと
本国における住所を同じくするCなる人物が平成7年12月11日に本邦に入国し、同人
の外国人入国記録の連絡先として原告及びBの外国人登録をした住所が記載されてい
る。そして、Cは、原告と同様、Bを世帯主及び同人の妹として、前記住所を居住地とし
て外国人登録を行っており、その際のCの父母の氏名及び本国の住所は、原告及びBの
父母の氏名や本国の住所と一致しており、原告は、姉妹関係や妹の来日歴を殊更に隠し
ているというほかない。
なお、Cは、在留期限である平成8年3月10日を超えて本邦内にとどまった後、在東
京ミャンマー大使館において平成11年5月28日付け旅行文書となる身分証明書の発給
を受け、同年6月1日、東京入管に出頭し、不法残留事実を申告した。東京入管主任審査
官は、同日、送還先をミャンマーとした退去強制令書を発付し、Cは、関西空港から送還
された。
オ 小括
以上から判断すると、結局、原告は、本邦で専ら稼働することを目的に入国し、在留資格
を得るための口実として、難民認定申請をしたものと推認せざるを得ず、ミャンマー政府
が原告を迫害の対象としていたなどとはおよそ考え難く、「迫害を受けるおそれがあると
いう十分に理由のある恐怖」を原告が有していたとは到底認め難い。
オ 本件裁決取消の訴えについて
ア 本件裁決取消しの訴えについて
原告は、平成13年事件の平成14年1月29日付け訴状の訂正申立書及び平成15年11月7
日付けの原告準備書面において、請求の趣旨に本件裁決の取消しを求める訴えの記載が
欠落していたとして、これを訂正する旨の申立てをしているが、請求の原因を記載した部
分にも、本件裁決の取消しを求める旨の記載はなく、これを単なる記載漏れとして処理す
ることは許されない。原告の上記申立てを善解すれば、平成14年1月29日付けでされた訴
えの追加的併合の申立てと解するのが相当であるが、被告法務大臣が原告に対して本件裁
決の告知をしたのは、平成13年7月9日であるから、出訴期間を明らかに徒過しており、
本件裁決の取消しを求める訴えは不適法というほかない。
イ 本件裁決の適法性
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原告が難民であると認め難いことは、前記エのとおりであり、在留特別許可を付与すべ
き積極的な理由が原告にあるとは到底考えられないから、在留特別許可を付与することな
くされた本件裁決が適法であることは明らかである。
カ 本件退令発付処分の適法性
退去強制手続において、法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通
知を受けた場合、主任審査官は、速やかに退去強制令書を発付しなければならず、この点に
ついて裁量の余地はない。
また、主任審査官の送還先に関する判断にも誤りはない。 
したがって、本件退令発付処分は適法である。
第3 争点及び争点に関する当裁判所の判断
本件の争点は、①本件裁決の取消訴訟の適法性(争点1)、②本件不認定処分及び本件退令発付
処分の適法性であり、②の前提として、原告の難民該当性(争点2)が問題となる。
1 争点1(本件裁決の取消訴訟の適法性)
 法49条1項の異議の申出に対する裁決の処分性
ア 法49条1項の異議の申出を受けた法務大臣は、同異議の申出に理由があるかどうかを裁決
して、その結果を主任審査官に通知しなければならず(法49条3項)、主任審査官は、法務大
臣から異議の申出に理由があるとした旨の通知を受けたときは、直ちに当該容疑者を放免し
なければならない一方で(同条4項)、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の
通知を受けたときは、速やかに当該容疑者に対しその旨を知らせるとともに、法51条の規定
による退去強制令書を発付しなければならないこととされている(法49条5項)。
このように、法は、法務大臣による裁決の結果につき、異議の申出に理由がある場合及び
理由がない場合のいずれにおいても、当該容疑者に対してではなく主任審査官に対して通知
することとしている上、法務大臣が異議の申出に理由がないと裁決した場合には、法務大臣
から通知を受けた主任審査官が当該容疑者に対してその旨を通知すべきこととする一方、法
務大臣が異議の申出に理由があると裁決した場合には、当該容疑者に対しその旨の通知をす
べきことを規定しておらず、単に主任審査官が当該容疑者を放免すべきことを定めるのみで
あって、いずれの場合も、法務大臣がその名において異議の申出をした当該容疑者に対し直
接応答することは予定していない(なお、平成13年法務省令76号による改正後の法施行規則
43条2項は、法49条5項に規定する主任審査官による容疑者への通知は別記61号の2によ
る裁決通知書によって行うものとすると定めているが、この規定はあくまで主任審査官が容
疑者に対して通知する方式を定めたものにすぎず、法の定め自体に変更がない以上、この規
則改正をもって法務大臣が容疑者に直接応答することとなったとは考えられない。)。こうし
た法の定め方からすれば、法49条3項の裁決は、その位置づけとしては退去強制手続を担当
する行政機関内の内部的決裁行為と解するのが相当であって、行政庁への不服申立てに対す
る応答行為としての行政事件訴訟法3条3項の「裁決」には当たらないというべきである。
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イ このことは、法の改正の経緯に照らしても明らかである。すなわち、法第5章の定める退
去強制の手続は、法の題名改正前の出入国管理令(昭和26年政令319号)の制定の際に、その
さらに前身である不法入国者等退去強制手続令(昭和26年政令第33号)5条ないし19条の規
定する手続を受け継いだものと考えられ、同手続令においては、入国審査官が発付した退去
強制令書について地方審査会に不服申立てをすることができ(9条)、地方審査会の判定にも
不服がある場合には中央審査会に不服の申立てをすることができ(12条)、中央審査会は、不
服の申立てに理由があるかどうかを判定して、その結果を出入国管理庁長官(以下「長官」と
いう。)に報告することとされ、報告を受けた長官は、中央審査会の判定を承認するかどうか
を速やかに決定し、その結果に基づき、事件の差戻し又は退去強制令書の発付を受けた者の
即時放免若しくは退去強制を命じなければならないものとされていた(14条)もので、この
長官の承認が、法49条3項の裁決に変わったものと考えられる。そして、長官の承認は、中
央審査会の報告を受けて行われるものとされていて、退去強制令書の発付を受けた者が長官
に対して不服を申し立てることは何ら予定されておらず、長官の承認・不承認は、退去強制
手続を担当する側の内部的決裁行為にほかならない。したがって、同制度を受け継いだもの
と考えられる法49条3項の裁決についても、退去強制令書の発付を受けた者の異議申出を前
提とする点において異なるものの、その者に対する直接の応答行為を予定していない以上、
基本的には同様の性格のものと考えるのが自然な解釈ということができる。
ウ また、前記の解釈は、法49条1項が、行政庁に対する不服申立てについての一般的な法令
用語である「異議の申立て」を用いずに、「異議の申出」との用語を用いていることからも裏
付けられる。すなわち、昭和37年に訴願法を廃止するとともに行政不服審査法(昭和37年法
第160号)が制定されたが、同法は、行政庁に対する不服申立てを「異議申立て」、「審査請求」
及び「再審査請求」の3種類(同法3条1項)に統一し、これに伴い、行政不服審査法の施行
に伴う関係法律の整理等に関する法律(昭和37年法律第161号)は、それまで各行政法規が
定めていた不服申立てのうち、行政不服審査法によることとなった行政処分に対する不服申
立ては廃止するとともに、行政処分以外の行政作用に対する不服申立ては前記3種類以外の
名称に改め、そうした名称の一つとして「異議の申出」を用いることとした。
他方、法の対象とする外国人の出入国についての処分は行政不服審査の対象からは除外さ
れている(同法4条1項10号)とはいえ、前記のとおり行政不服審査法の制定に際して個別
に不服申立手続について規定する多数の法令についても不服申立てに関する法令用語の統一
が図られたのに、法49条1項に関しては、従前どおり「異議の申出」との用語が用いられた
まま改正がされず、法についてはその後も数次にわたって改正がされたにもかかわらず、や
はり法49条1項の「異議の申出」との用語については改正がされなかった。そして、現在に
おいては、法令用語としての「異議の申出」と「異議の申立て」は通常区別して用いられ、「異
議の申出」に対しては応答義務さえないか、又は応答義務があっても申立人に保障されてい
るのは形式的要件の不備を理由として不当に申出を排斥されることなく何らかの実体判断を
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受けることだけである場合に用いられる用語であるのに対し、「異議の申立て」は、内容的に
も適法な応答を受ける地位、すなわち手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申
立権を認める場合に用いられる用語として定着しているということができる。したがって、
数次にわたる改正を経てもなお「異議の申出」の用語が用いられている法49条1項の異議の
申出は、これにより、法務大臣が退去強制手続に関する監督権を発動することを促す途を拓
いているものではあるが、同異議の申出自体に対しては、被告の応答義務がないか、又は、応
答義務があっても、形式的要件の不備を理由として不当に申出を排斥されることなく何らか
の実体判断を受けることが保障されるだけであり、申出人に手続上の権利ないし法的地位と
しての申請権ないし申立権が認められているものとは解されない(最高裁第1小法廷判決昭
和61年2月13日民集40巻1号1頁は、土地改良法96条の2第5項及び9条1項に規定する
異議の申出につき、同旨の判示をしている。)。
よって、法49条1項の異議の申出に対してされる法49条3項の「裁決」は、不服申立人に
そうした手続的権利ないし地位があることを前提とする「審査請求、異議申立てその他の不
服申立て」に対する行政庁の裁決、決定その他の行為には該当せず、行政事件訴訟法3条3
項の裁決の取消しの訴えの対象となるということはできない。
エ さらに、法49条1項の異議の申出については、前記のとおり、申出人に対して法の規定に
より手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申立権が認められているものと解す
ることはできないのであるから、異議の申出に理由がない旨の裁決がこうした手続上の権利
ないし法的地位に変動を生じさせるものということはできず、同裁決が行政事件訴訟法3条
2項の「処分」に当たるということもできない(前記ウの最1小判参照。)。
オ 以上によれば、法49条1項の異議の申出に対する法務大臣の裁決は内部的決裁行為という
べきものであり、行政事件訴訟法3条1項にいう公権力の行使には該当しないというべきも
のである。
 退去強制令書発付処分における主任審査官の裁量及び比例原則の適用
ア 法24条は、同条各号の定める退去強制事由に該当する外国人については、法第5章に規定
する手続により、「本邦からの退去を強制することができる」と定めている。そして、いかな
る場合において行政庁に裁量が認められるかの判断において、法律の規定が重要な判断根拠
となることに異論はないというべきであり、法律の文言が行政庁を主体として「……するこ
とができる」との規定をおいている際には、その裁量の内容はともかく、立法者が行政庁に
一定の効果裁量を認める趣旨であると解すべきものであって、同条が退去強制に関する実体
規定として、退去強制事由に該当する外国人に対して退去を強制するか否かについてはこれ
を担当する行政庁に裁量があることを規定しているのは明らかであり、法第5章の手続規定
は、主任審査官の退去強制令書の発付に至る手続を規定しているにすぎないことからすれ
ば、退去強制について実体規定である法24条の認める裁量は、具体的には、退去強制に関す
る前記手続規定を介して主任審査官に与えられ、その結果、主任審査官には、退去強制令書
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を発付するか否か(効果裁量)、発付するとしてこれをいつ発付するか(時の裁量)につき、
裁量が認められているというべきである。
このような解釈は、行政法の解釈において伝統的に認められる行政便宜主義、すなわち権
力発動要件が充足されている場合にも行政庁はこれを行使しないことができるとの考え方
や、警察比例の原則、すなわち、警察法分野においては、一般に行政庁の権限行使の目的は公
共の安全と秩序を維持することにあり、その権限行使はそれを維持するため必要最小限なも
のにとどまるべきであるとの考え方ばかりか、憲法13条の趣旨等に基づき、権力的行政一般
に比例原則を認める考え方によっても肯定されるべきものである。
イ なお、法47条4項、48条8項及び49条5項は、いずれも「主任審査官は……(中略)……退
去強制令書を発付しなければならない。」と規定しており、その文言は、上記の解釈に反する
ようにみえないでもない。
しかし、退去強制手続は、原則として容疑者である外国人の身柄を収容令書により拘束し
ていることを前提としているため、その手続を担当する者が何の考慮もないままに手続を中
断し、放置することを許さないように、法47条1項、48条6項及び49条4項において、それ
ぞれ容疑者が退去強制事由に該当しないと認められる場合に「直ちにその者を放免しなけれ
ばならない」ことを定めるとともに、法47条4項、48条8項及び49条5項においては、退去
強制に向けて手続を進める場合においても、「退去強制令書を発付しなければならない」とし
て主任審査官の義務としての規定をおいたものと解され、これらの規定と法24条をあわせて
解釈すれば、実体規定である法24条において退去強制について前記効果裁量及び時の裁量を
認めている以上、主任審査官において、そうした裁量の判断要素について十分考慮してもな
お退去強制手続を進めるべきであると判断した場合には、放免又は退去に至らないまま手続
を放置せず、法の定める次の手続に進む(退去強制令書を発付する)べきことを定めたもの
と解すべきである。このように法の各規定をその位置づけに応じて解釈すれば、主任審査官
に退去強制令書発付についての裁量を認めることは、法47条4項、48条8項及び49条5項の
各規定と何ら矛盾するものではない。
ウ また、退去強制事由に該当する外国人には比例原則において警察権の行使と対比されるべ
き権利利益が存在せず、退去強制令書の発付には、法の定める要件適合性以外に比例原則違
反の有無が問題となる余地がないとの考え方もないではない。
しかし、たとえ正規の在留資格を有しない外国人であっても、その性質が許す限り基本的
人権を享有するのであって、退去強制手続に当たっても、このことと外国人の出入国の公正
な管理という公益上の要請とを調和させる必要があることはいうまでもないことであり、上
記の考え方は、当該外国人の人権を全く無視するに等しく、到底採用できない。
なお、退去強制令書の発付は、これまでの訴訟実務上は行政処分として扱われているが、
これに応じない者に対しては直ちに実力を持って執行することが可能なものであることから
すると、むしろ義務の賦課という段階を伴わない即時強制(又は即時執行)手続とみるべき
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ものであって(このように解しても、その実力行使の継続性からして取消訴訟の対象となる
ことには問題がない。)、それが、行政処分という義務の賦課にとどまるものに比べて、より
直接的かつ強力な権力行使の手段であることからして、比例原則のより厳格な適用が求めら
れるべきであり、このことは学説上も異論がないものと思われる。すなわち、法は、退去強制
事由を定めているが、それらは一般的かつ抽象的にみて比例原則を満たすことが多いと考え
られる類型にすぎないのであるから、それらに該当することのみをもって比例原則上の問題
がないとは到底いえず、現に退去強制令書を発付するに当たっては、それが比例原則に違反
しないか否かにつき、当該外国人の個別具体的事情など当該事案に即した個別的かつ具体的
な検討を要するのであり、退去強制令書の発付が、このような検討を全く経ないでされた場
合や、考慮すべき事情を考慮せず、考慮すべきでない事情を考慮するなどして社会通念上著
しく不当な判断をした場合には、当該令書の発付は、比例原則に反する違法なものになると
いうべきである。
エ そのほか、上級行政機関である法務大臣の意思決定を同大臣の指揮監督を受ける下級行政
機関である主任審査官が、その独自の判断に基づいて覆し、あるいはその適用時期を考慮で
きるとすることは行政組織法上の観点から想定し難いとの考え方もないではないが、前記の
とおり裁決は、行政処分ではなく単なる行政機関内部における決裁手続にすぎないと解すべ
きであるから、その決裁の趣旨が退去強制令書の発付を命じる趣旨であるとしても、それは
組織法上の義務を生じさせるにとどまり、それにより当該発付処分が適法となるのではな
く、客観的に裁量違反ないし比例原則違反の事実がある場合には当該処分は違法といわざる
を得ない。このことは処分庁が事前に上級行政庁の決裁を受けて行政処分をした場合一般に
生じることであり、そのような決裁が行われたとしても、裁量権行使の主体は、あくまでも
当該行政処分を行う行政庁であり、上級行政庁となるわけではないのである。
 以上を前提とすれば、法49条1項の異議の申出に対する裁決につきその取消しを求める訴訟
は、対象の処分性を欠く不適法なものといわざるを得ないこととなり、前記のとおり、退去
強制令書発付処分につき効果裁量、時の裁量が認められていることによれば、退去強制令書発
付処分の取消し等を求める訴訟において、退去強制事由の有無に加え、その裁量の逸脱濫用に
ついても同処分の違法事由として主張し得ると解すべきである。このような解釈によれば、前
記判示の解釈により法49条3項の法務大臣の裁決につき独立して適法に取消訴訟を提起する
ことができなくなるが、法49条3項の裁決の取消訴訟で問題とされた法務大臣の裁量権行使の
適否は、退去強制令書発付における主任審査官の裁量権行使の適否においてもほぼ同一の内容
で審理の対象となるべきものであって、外国人が退去を強制されることを争う機会を狭めるも
のとはならない。むしろ、在留特別許可をするか否かの判断がたまたま法49条の裁決に当たっ
てされるとの制度が採用されていることのみを捉え、本来全く別個の制度である在留特別許可
の判断(法50条3項は、在留特別許可が、専ら退去強制事由に該当するか否かを判断してされ
る法49条の裁決とは本来的に異なる制度であることから、在留特別許可がされた場合には、あ
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えて、それを法49条4項の適用につき異議の申出に理由がある旨の裁決とみなす旨を定めてい
る。)の当否を法49条3項の裁決の違法事由として主張し得ることを認めるという無理のある
解釈を採用する必要がなくなるものである。
 そうすると、本件訴状の請求の趣旨において裁決の取消しを求める旨の記載が欠けていたこ
とについて、仮に、原告の主張するとおり、請求の趣旨の脱漏であり、当初から裁決の取消しを
求めるものであったと評価するとしても、同請求に係る訴えは、もとより、原告が追加的に申
し立てた同裁決の無効確認の訴えもまた、行政事件訴訟法3条において取消しを求める対象と
して挙げられた処分その他の公権力の行使に当たる行為や審査請求、異議申立てその他の不服
申立てに対する行政庁の裁決、決定その他の行為に該当しないものを対象としている点におい
て不適法なものといわざるを得ないこととなる。

退去強制令書発付処分執行停止申立についてした決定に対する抗告事件
平成16年(行ス)第8号(原審:大阪地方裁判所平成15年(行ク)第45号)
抗告人(原審被申立人):大阪入国管理局主任審査官、相手方(原審申立人):A
大阪高等裁判所第10民事部(裁判官:下方元子・橋詰均・高橋善久)
平成16年2月20日
決定
主 文
1 本件抗告を棄却する。
2 抗告費用は抗告人の負担とする。
理 由
第1 抗告の趣旨及び理由
1 抗告の趣旨
 原決定中、抗告人が相手方に対し平成15年10月30日付けで発付した退去強制令書に基づく
執行のうち、収容部分の執行を停止した部分を取り消す。
 前項の取消しに係る本件申立てを却下する。
 申立費用及び抗告費用は相手方の負担とする。
2 抗告の理由
別紙のとおりである。
第2 抗告に至る経緯
一件記録によれば、次の事実が認められる(以下、出入国管理及び難民認定法を「入管法」と、
行政事件訴訟法を「行訴法」という。)。
相手方は、昭和45年(1970年)《日付略》、タイ王国(以下「タイ」という。)において出生した、
タイ人である母親のB(以下「B」という。)とタイ人男性との間の娘である。
Bは、日本人男性C(以下「C」という。)と交際し、昭和60年(1985年)《日付略》、タイにおいて、
Cとの間の娘D(以下「D」という。)を出産した。CはBと婚姻しておらず、Dを認知しなかった
ため、Dは出生後現在までタイ籍を有する外国人である。
相手方は、Dの姉であるが、年が15歳も離れていることやBがタイを離れて我が国に居ること
が多かったこともあり、Bに代わって幼いDの面倒をみる期間が長かった。
もっとも、Dは、平成7年中にCに引き取られ、現在もCによって監護されており、「定住者」
の在留資格で我が国に居住している。
3 Bは、Cと別れた後、平成3年ころ以降、日本人男性E(以下「E」という。)と交際し、平成5
年9月28日、やはりタイにおいて、Eとの間の娘F(以下「F」という。)をもうけた。EはFを認
知し、Fは日本国籍を取得した。また、EとBとは、平成7年2月6日婚姻し、BとFは、平成7
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年中に我が国に入国し、Eと同居することになった。
4 相手方は、タイにおいて大学を卒業し就職したが、平成9年(1997年)《日付略》、タイ人男性
G(以下「G」という。)との間の娘H(以下「H」という。)を出産した。
5 相手方とHは、母子とも、平成10年10月8日、「短期滞在」の在留資格及び90日の在留期間を許
可されて我が国に入国し、在留期間を更新しないまま我が国に在留した。
また、相手方は、不法滞在中の平成11年(1999年)《日付略》、我が国において、Gとの間の娘I
(以下「I」という。)を出産した。
6 Bは、平成13年5月28日、Fの親権者をBと定めてEと協議離婚し、以後、単独でFを監護し
ており、「定住者」の在留資格を許可されて我が国で生活している。
7 相手方、H及びIの母子3名(以下「相手方ら」という。)の不法在留の事実は平成14年7月23
日に発覚し、相手方らは、平成15年1月27日、入管法違反事実の調査のため収容令書の執行を受
けたが、同日、直ちに仮放免許可を受け、以後、在宅での調査を受けた。
しかし、相手方は、平成15年10月21日、指定住居条件に違反したことを理由として仮放免許可
の取消し処分を受けて収容された(H及びIの仮放免許可は取り消されなかった。)。
8 相手方らは、平成15年10月30日、入管法49条5項に基づき、退去強制令書発付処分(以下「本
件処分」という。)を受け、これによる収容の執行を受けた。
H及びIは、同日、直ちに仮放免許可を受け、実際には身柄を拘束されなかったが、相手方につ
いては仮放免許可がされず、同日以降も収容が継続された。
9 相手方らは、大阪地方裁判所に対し、本件処分の取消しを求める本案訴訟を提起し、平成15年
11月11日、本件処分の執行の停止を求める本件申立てをした(H及びIはその後申立てを取り下
げた。)。
10 大阪地方裁判所は、平成15年12月24日、本件処分の送還部分及び収容部分のいずれについて
も、相手方に生じる「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」(行訴法25条2項)と認
め、かつ、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」又は「本案について理由がない
とみえるとき」(行訴法25条3項)に該当しないと判断し、本件処分全部の執行を停止する旨の決
定をした。
第3 当裁判所の判断
1 行訴法25条2項の要件について
 当裁判所も、相手方に生じる「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」ため、本件
処分については、収容部分を含め、その全部の執行を停止すべきものと判断するが、その理由
は、原決定「事実及び理由」の「第2 当裁判所の判断」2項と同じであるからこれを引用する。
 抗告人は、原決定が本件処分のうち収容部分の執行まで停止したことを不服とし、その抗告
の理由において、退去強制令書によって身柄を拘束されることそれ自体は外国人が受忍すべき
損害であり、したがって、相手方の収容によって相手方ら母子が分離された結果発生する不利
益は、一般に、行訴法25条2項所定の「回復の困難な損害」に該当せず、原決定は、この要件に
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関する解釈適用を誤ったと主張する。
しかし、H及びIが幼児であって、児童心理学の学問的知見に照らせば、収容部分の執行に
よる長期間の母子分離は、H及びIの心身の健全な発達に重大な悪影響をもたらすおそれがあ
るといわざるをえないのであり、その不利益は、後日の金銭賠償によって償うことが困難な損
害であり、行訴法25条2項所定の「回復の困難な損害」に該当する。
 なお、抗告人は、Bに健康上の問題があってその監護能力に不安があり、そのため小学生の
FにH及びIの監護の負担がかかっている旨の原決定の事実認定を争う主張をしている。
しかしながら、原審記録中の疎甲第28及び第29号証(保育所の保母及び小学校の教諭の陳述
書)によれば、相手方が収容された後、小学4年生のFが毎日のようにH及びIの保育所への
送り迎えを担当していること、小学校の担任教諭の目にも、Fには両幼児の面倒をみることが
重荷になっていると看取されていることが明らかであり、Fに監護の負担がかかっている事案
は動かし難いように思われる。この点は、抗告人が当審で提出した疎乙第31号証(Fが平成15
年10月から12月までの3か月間に、家事都合という理由で小学校を合計8日欠席しているこ
とが記載されている。家事都合による欠席は9月中にも3日あるが、そのような欠席は8月以
前にはみられない。)とも符合しているのである。
また、Bが悪性リンパ腫を患い、高血圧症、自律神経失調症、C型慢性肝炎.変形性頸椎症、
変形性腰椎症により通院加療を継続していること自体は原審記録に照らして明らかである。
したがって、仮に、抗告人が当審で提出した疎乙第21及び第22号証のとおり、Bの疾患が直
ちに入院治療が必要なほど重篤ではないとしても、Bに健康上の不安があってその監護能力が
脆弱であること及びFに監護の負担がかかっていることは明らかであって、原決定の上記事実
認定は何ら誤りではない。
 また、抗告人は、Bの実の娘Dが我が国に在留しているから、Dの援助があれば相手方の収
容の執行を停止する必要がないかのように主張しているが、前記第2の2のとおり、DはCの
監護下にあるし、BとCとの間にDとの面接交渉を巡る紛争さえ存在したことは原審記録(疎
甲第7号証の1、2)に照らして明らかであって、DがBの日常生活を援助することが可能な
状況にあるのかどうかは極めて疑わしい。
2 行訴法25条3項該当性について
当裁判所も、本件処分の執行を停止した場合に「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあ
る」とは認められないし、本件については「本案について理由がないとみえるとき」には該当しな
いものと判断するが、その理由は、原決定「事実及び理由」の「第2 当裁判所の判断」3項及び
4項と同じであるからこれを引用する。
3 結論
よって、原決定は相当であり本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとお
り決定する。
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別紙
抗告人は、本書面において、抗告理由を明らかにする。
なお、略称等については、本書面で新たに用いるもののほか、原決定における抗告人の意見書の例
による。
第1 事案の概要
1 基礎となる事実関係
タイ国籍を有する相手方は、本国よりも豊かな生活を求めて、平成10年10月8日にタイ国籍の
内縁の夫及び同人との間にもうけた長女とともに、関西国際空港から在留資格「短期滞在」、在留
期間「90日」で入国後、在留期間の更新又は在留資格の変更を受けることなく不法残留をした上、
不法就労をしながら生活をしていた(疎乙第14号証)。その間、平成11年《日付略》に本邦におい
て次女を出産した。
平成14年7月23日、相手方は、稼働先のbにおいて、大阪入管入国警備官に摘発され、法違反
が発覚したが、相手方は幼児2人を養育中であることから、在宅にて調査を受けることとなり、
同時点では内縁の夫の存在は判明していなかった。その後、大阪入管入国警備官の違反調査を経
て、平成15年8月7日、大阪入管入国審査官により、違反審査が行われ、その結果、同入国審査官
が法24条4号ロに該当する旨認定したところ、相手方は、口頭審理を請求し、同年9月12日、大
阪入管特別審理官が上記認定に誤りはない旨判定したが、相手方は、同日、法務大臣に対し異議
の申出をした。なお、相手方は、平成15年1月27日に実母宅(大阪市《住所略》)を指定居住地と
して収令仮放免許可を受けていた(その後、指定居住地は同区《住所略》に変更された。)。
平成15年10月21日、大阪入管入国警備官は、住吉警察署と合同で、大阪市《住所略》にある相
手方の内縁の夫宅において内縁の夫を摘発した際、相手方及び同人らの実子である2人の幼児が
同居しているのを発見した。そして、相手方及び内縁の夫も同所で同居していたことを自認した
ことから、仮放免許可の指定居住地について、あらかじめ抗告人の承認を受けることなく変更し
ていたとして、同日、仮放免許可を取り消し、相手方を大阪入管に収容した。なお、相手方は、そ
の後、同年11月25日、入国者収容所西日本入国管理センター(以下「西日本センター」という。)
に移送された。また、相手方の実子2人については、仮放免許可を取り消されることなく、相手方
の実母であるBに預けられた。
法務大臣から委任を受けた大阪入管局長は、同年10月24日、異議の申出に理由がない旨の裁決
(本件裁決)をし、抗告人は、同月30日、相手方に対して退去強制令書を発付した(本件処分)。
本件の本案事件は、相手方に対する本件処分について、相手方の実子2人、実母(在留資格「定
住者」、在留期間「3年」)及び実母の実子(日本国籍)に過度の負担を強いるもので、このような
家族の事情を考慮し在留特別許可を与えなかったことが、裁量権を逸脱ないし濫用したものであ
って違法であるなどと主張して本件処分の取消しを請求している事案であるところ、本件申立て
は、本件処分の執行を本案判決言渡し後30日を経過するまで停止するように求めた事案である。
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2 原決定は、平成15年12月24日、本件処分に基づく執行について、送還部分のみならず、収容部
分をも含め、本案事件の第一審判決の言渡しの日から30日を経過するまでの間停止したため、相
手方は、同日、西日本センターを出所した。
3 しかし、本件申立てが収容部分の停止をも求めることについては、行政事件訴訟法(以下「行訴
法」という。)25条2項に定める「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」との執
行停止の要件を満たさないにもかかわらず、原決定にはその判断を誤った違法があるから、原決
定のうち収容部分の執行停止を認めた部分を取り消した上、速やかに同部分に係る本件申立てを
却下すべきである。
第2 「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要がある」とはいえないこと
1 回復の困難な損害の意義
 行政処分を定める行政実体法は、行政目的達成のために行政処分をする権限を行政庁に付与
するものであり、その立法に当たっては、当該処分の相手方に生じる損害を十分に想定した上、
それでもなお当該行政目的達成のために行政処分をすることが必要であると判断されたもので
あることからすると、当該行政処分又は行政処分の執行自体により通常発生する損害は、受忍
限度内のものとして予定されており、これが行訴法25条2項にいう「回復の困難な損害」に該
当しないことは明らかである。
 退去強制に関しては、法が、本邦において、在留資格を有せず、入国管理局の管理下にないよ
うな外国人の存在を予定していないことに留意する必要がある。すなわち、退去強制手続は、
我が国に好ましくない外国人を強制力をもって国外に排除するという国内秩序維持のための
手続に伴うものであり、国家の有する主権の本質的な一作用として高度な公益性を有するもの
である。その中で退去強制令書の執行による収容は、法24条各号所定の退去強制事由に該当す
る外国人に対して行われるものであって、単に送還のために身柄を確保するのみならず、退去
強制令書の発付を受けた者を隔離し、その者の我が国におけるこれ以上の在留活動を禁止する
趣旨をも含むものである(東京高裁昭和52年12月13日決定・訟務月報23巻13号2274ページ)。
退去強制令書の執行による収容は、このような行政目的を念頭に置いて設けられた制度である
から、法は、同収容により、被収容者の移動の自由が制限され、それに伴って精神的苦痛等の不
利益が生ずることも当然に予定しているというべきである。
なお、退去強制令書の発付を受け、その執行により収容された外国人について、その収容を
継続することが妥当性を欠くなどの事態に至った場合のために、法は仮放免の制度を定めてい
るが(法54条)、同制度は、入国者収容所長又は主任審査官が、300万円を超えない範囲内で保
証金を納付させるなどし、かつ、住居及び行動範囲の制限、呼出しに対する出頭の義務、その他
必要と認める条件を付して在留活動を制限し、期限付きで行われる例外的措置にすぎないもの
である(同条2項)。それにもかかわらず、行訴法25条によって、退去強制令書発付処分の収容
部分の執行が停止された場合には、在留資格を有しない外国人が我が国において活動するとい
う、本来、法の予定しない状態が発生するのであるから、「回復の困難な損害を避けるため緊急
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の必要がある」として、行訴法25条に基づく執行停止をせざるを得ない場合があるとしても、
その要件は、自ずと厳格に解されなければならない。
 以上のような退去強制制度の趣旨にかんがみると、退去強制令書に基づく収容の執行停止を
求める申立てにおいて、行訴法25条2項にいう「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要が
あるとき」に該当するというためには、単に、収容によって移動の自由が失われるとか、仮放免
された家族との交流が妨げられるといった程度の不利益を受けるだけでは不十分というべきで
あって、収容に耐え難い身体的状況にあるとか、収容によって被収容者と密接な関係にある者
の生命身体に重大な危険が生じるおそれがあるなど、金銭賠償による回復をもって満足するこ
とはできない著しい損害が生ずるおそれがあり、退去強制令書の執行による収容に伴って相手
方が被る損害が、上記のような退去強制令書の行政目的を達成する必要性を勘案しても、なお
収容の継続を是認することができないような特別な場合に限って、「回復の困難な損害を避け
るため緊急の必要がある」との要件を肯定できるというべきである。
2 本件処分によって相手方が被る損害について
 原決定の判断
原決定は、「申立人の収容が継続されることにより、申立人の子や家族らの生活・発育等に深
刻かつ重大な影響が生じかねず、……これらは……申立人にとっても重大な損害というべきも
のである。」として、申立人に「回復の困難な損害」が生じることを肯定する。
 原決定の判断の問題点について
ア 相手方の実母Bの健康状態及び相手方による介護の必要性について
ア 相手方は、実母Bの健康状態から同女の介助を要する旨主張し、原決定もその点を、回
復し難い損害を認定する一要素としている。
イ しかしながら、Bが悪性リンパ腫の治療を開始したのは、平成14年6月26日(疎甲第9
号証)で、高血圧症等で通院加療を始めたのは、平成13年8月3日である(疎甲第10号証)。
それにもかかわらず、相手方は、平成14年8月19日の調査では、Bが通訳の仕事等をして
いることから、今後その援助を受けて生活していく旨(疎乙第5号証7枚目)、平成15年8
月7日の違反審査の際には、Bと同居して、その通訳料と生活保護で生計を立てていた旨、
それぞれ述べて(疎乙第7号証7ページ)、同女の健康に不安がある等の申告は一切してい
なかったことに加えて、B自身も平成14年9月6日の取調べにおいては、「私の健康状況
についても特に問題はありません。」と供述していたもので(疎乙第17号証8枚目)、これ
らの事情からすると少なくともその当時、取り立てて同女に対する介護が必要な事情はな
かったものと認められる。
ウ さらに、Bの出入国状況や主治医の陳述によれば、現在に至るまでも取り立てて介護の
必要がないと認められる。
すなわち、Bは、その出入国記録(疎乙第21号証)によれば、平成8(1996)年3月12日
から平成14(2002)年8月29日にかけて、高血圧症等による通院治療や悪性リンパ腫に対
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する治療の開始後も含めて、頻繁に本邦とタイを行き来していることが明らかであるとこ
ろ、そのためには、少なくとも6、7時間は機内で、窮屈な状態に耐えなければならないの
であるから、このような長時間の搭乗に耐えられる程度に体調は安定しているということ
になり、Bの主治医も、平成14年9月に診断書(疎甲第8号証)を発行した当時は、入院が
必要と判断したものの、その後の通院による経過観察の過程では、同女の症状は安定した
状態にある旨陳述している(疎乙第22号証)。
これらの事情からすると、「現にB(実母)は食事を作ることすら殆どできず、体調が悪
い時には歩くことすらできない程である」(申立書7ページ)という状態であるとの相手方
の主張は、にわかには信じ難いというべきである。
仮に、Bの健康状態が、介護が必重な程度に悪化しているというのであれば、その場合
には入院が必要な状態といえるのであって、入院ということになれば、むしろ相手方の介
護は必要がないといわざるを得ないし、どうしても近親者の介護が必要ということであっ
ても、Bには前夫と婚姻する以前に付き合っていた日本人男性との間にもうけた18歳の子
があり、同人は大阪府池田市内に在住していること(疎乙第23号証)から、同人のサポー
トを受けることも可能である。加えるに、相手方の従姉妹であり、永住者の在留資格を持
つBの姪が、B宅とそう遠くない東大阪市に在住している(疎乙第24号証)。
エ ところで、上記出入国記録のとおり、Bは、相手方が本邦に入国した平成10年10月8日
の後も、相手方を本邦に置いて、本邦とタイとの行き来を繰り返しており、Bの実子(F)
もこれに同行して本邦とタイとの間を行き来している(疎乙第25号証)。
また、法違反者摘発結果報告書(疎乙第13号証)、摘発後の申立人の供述調書(疎乙第14
号証)、内縁の夫の審査調書(疎乙第15号証)等によれば、相手方らが内縁の夫であるGと
《住所略》で一緒に暮らしていたことが明らかであり、Bとは別世帯を構成していたのであ
るから、原決定が指摘するように、相手方の実子の通っていた保育園と実母の家が近く、
ときおり相手方ら親子がBを頼っていた等の交流があったとしても、本件処分による相手
方の収容が継続することで、Bやひいては相手方自身が社会通念上受忍すべき範囲を超え
る損害を受けるといえるほどの密接な関係であったかどうかは極めて疑わしい。
なお、この点について原決定は、相手方の提出した疎明資料(疎甲第23ないし第25号証)
により、「申立人及び同幼児らが上記指定住居(引用者注;B宅)に現在することも多いこ
とが認められ」るとするが、相手方やその実母であるBは、相手方の内縁の夫が、不法残留
で法24条4号ロの退去強制事由に該当し、不法就労していたことを承知しながら、抗告人
にその旨を隠して虚偽の生活状況を述べていたこと、さらに、内縁の夫の摘発をより困難
にするために、《住所略》に転居しながら、生活用品の一部をB宅に置いて、同居を装おう
としていたこと(疎乙第14号証5、6枚目)等、本邦における在留を継続するために画策
していたのであるから、Bの陳述書を始めとする相手方の提出に係る疎明資料は、容易に
信用できないものというべきである。
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オ 以上によれば、相手方の提出する疎明資料から、Bが「症状増悪時には家事・育児に困
難を来たし、他者の介護を要する状態」であり、かつ、相手方がその介護に従事する必要が
あるとは認められないというべきである。
イ 相手方の実子の養育上の問題について
原決定は、相手方の実子について、「人格形成において重要な幼児期において長期間母親の
監護から離れることは、同幼児らの身体的及び精神的発達に重大な影響を与えかねない。」と
し、「特に、4歳のIにおいては、現在、母親と離れていることによる不安感等には大きいも
のがあ」るとしている。
しかし、上記のとおり、収容による自由の制限や精神的苦痛等の不利益が収容の結果通常
発生する範囲にとどまる限りは、「回復の困難な損害」に該当せず、被収容者が受ける損害は、
社会通念上金銭賠償による回復をもって満足することもやむを得ないものというべきである
というのが確定した裁判例であり、東京高等裁判所平成15年9月18日決定(疎乙第30号証)
において、強制退去のため収容されている者が養育している未成年者との関係について、「そ
の父母とともに生活することが望ましいということはいえるが、諸般の事情により父母によ
る直接の監護を受けられない子のすべてが、当然に、その人格の発達に障害を来すものとは
いえない。」と判示されていることに照らしても、本件処分の収容部分の執行により相手方の
子や家族の同居生活が制限されることによる損害が、社会通念上金銭賠償による回復をもっ
て満足されるべき精神的損害を超えて存在すると認めることはできないというべきである。
この点をおくとしても、相手方の実子2人は、現在、相手方の実母であるBがその養育監
護に当たっているところ、上記のとおり、同女は、高血圧症や悪性リンパ腫に罹患している
ものの、通院治療を受けることによって、その健康状態は安定していると認められるのであ
るから、申立人とその実子とが一時期、一緒に生活できなかったとしても、Bがその間の世
話をすることによって実子らの養育に悪影響を及ぼすことは少ないと考えられる。
ウ 以上に述べたとおり、相手方の実母Bの病状は、差し迫って介護が必要な状況ではなく、
他に養育すべき近親者も存在している状況にかんがみると、相手方が実母の面倒を見なけれ
ばならない切迫した必要性はなく、相手方の実子の養育の問題についても、Bが身近にいる
ことにより、母親による直接の監護を受けられないことによる影響も少なくなると思料され
る。そもそも、本件は、相手方が実子との生活を強く望むのであれば、速やかに実子とともに
本国に帰国すれば済む事案である。
したがって、本件処分の収容部分の執行により相手方の子や家族の同居生活が制限される
ことによる損害が、社会通念上金銭賠償による回復をもって満足されるべき精神的損害を超
えて存在すると認めることはできない。
3 本件における行政処分たる収容の必要性について
 前記第1の経過から明らかなとおり、相手方が法24条4号ロに該当することは明白であり、
退去強制事由があることは動かし難い。
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 原決定は、相手方に対する仮放免許可の際の指定住居が「生活の本拠地である可能性が全く
ないわけではない。少なくとも、申立人が許可なく住居を変更したことで、入管当局において
申立人との連絡が困難となったり、身柄の確保に困難が生じるなど、仮放免許可において指定
住居を定めた趣旨に反して重大な支障が生じたとは認め難いところである。本件退去強制令書
に基づく執行のうち収容部分について停止したとしても、申立人が逃走するなどして将来退去
強制が不可能又は著しく困難となるおそれは少ない」としている。
しかし、上記判断は、相手方が、前記3アエのとおり、内縁の夫との関係について虚偽の内
容を申告していただけでなく、内縁の夫の摘発を免れるために、居住状況を偽装工作するなど、
入管当局に対して極めて非協力的な態度を取っていたことをあえて無視したものといわざるを
得ない。そして、相手方の内緑の夫がタイに退去強制させられた現在、収容部分の執行を停止
しても相手方が逃走するおそれがないということはできない。
また、原決定の上記判断は、仮放免許可についての認識をも誤っているというべきである。
そもそも仮放免を許可するに際しては、遵守すべき条件を設けており、その条件に違反すれば
仮放免許可を取り消されることとなる(法55条1項)。相手方は、その条件である指定居住地以
外で居住していたことが客観的に認められ、かつそのことを自認した(疎乙第13、14号証)こ
とから仮放免許可を取り消されたのであり、その結果相手方が収容されるに至ったこと自体、
何ら瑕疵はないのである。付言するに、本来であれば相手方は、最初に摘発された平成14年7
月23日に収容されるべきところ、相手方には養育している幼児2人がいたことを考慮して、人
道的措置として、仮放免許可にしたのである。それに対して、相手方は仮放免許可の遵守条件
を破り、しかも内縁の夫について虚偽の供述をした上、仮放免許可の遵守条件である指定居住
地での居住について偽装工作までしていたのであり、正に適正な出入国管理行政を妨げていた
のである。すなわち、相手方は大阪入管の配慮を逆手に取って背信的な行為に及んだために、
仮放免許可が取り消されて収容されるという事態を自ら招来したにほかならない。したがっ
て、この期に及んで、相手方を収容・退去強制することについて、家族の事情を理由に人道上
許されないなどと主張することは、相手方の置かれた家庭環境を考慮に入れても、あまりに身
勝手な言い分である。
第3 結語
以上のとおり、本件申立てのうち、本件処分の収容部分の停止を求める点については、「回復の
困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」の要件を具備しないものであるから、原決定中、
収容部分の執行停止を容認した部分は、速やかに取り消され同取消しに係る本件申立ては却下さ
れるべきである。

退去強制令書発付処分取消請求(追加的併合)事件(第1事件)
平成14年(行ウ)第2号
難民認定をしない処分無効確認等請求事件(第2事件)
平成14年(行ウ)第88号
裁決取消請求(追加的併合)事件(第3事件)
平成14年(行ウ)第90号
原告:A、第1事件被告:東京入国管理局主任審査官、第2・第3事件被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・新谷祐子・加藤晴子)
平成16年2月26日
判決
主 文
1 原告の被告法務大臣が原告に対し平成13年12月27日付けでした裁決の取消しを求める訴えを
却下する。
2 被告法務大臣が原告に対し平成13年11月20日付けでした難民の認定をしない処分が無効であ
ることを確認する。
3 被告東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成13年12月27日付けでした退去強制令書発付
処分を取り消す。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告東京入国管理局主任審査官が原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
2 被告法務大臣の原告に対する出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申出
は理由がない旨の裁決を取り消す。
3 (主位的請求)
被告法務大臣が原告に対して行った難民の認定をしない処分が無効であることを確認する。
(予備的請求)
被告法務大臣が原告に対して行った難民の認定をしない処分を取り消す。
第2 事案の概要
原告は、平成13年7月ころ、本邦に不法入国した者であるところ、同年10月3日、東京入国管
理局(以下「東京入管」という。)の違反調査を受け、同月23日に出入国管理及び難民認定法(以
下「法」という。)24条1号に該当する旨の認定がされ、同年11月8日に同認定に誤りがない旨が
判定されたため、同日被告法務大臣に対し、異議の申出をしたが、同年12月27日、被告法務大臣
は、上記異議の申出に理由がない旨の裁決をし(以下「本件裁決」という。)、被告東京入管主任審
査官(以下「審査官」という。)は、同日、原告に対し、退去強制令書(以下「退令」という。)を発
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付した(以下「本件退令発付処分」という。)。また、原告は、平成13年8月27日、難民認定申請を
したところ、被告法務大臣は、同年11月20日、原告について難民の認定をしない旨の処分をした
(以下「本件不認定処分」といい、本件裁決、本件退令発付処分と合わせて「本件各処分」という。)。
本件は、原告が、イスラム教シーア派に属するハザラ人であり、本件各処分当時、アフガニスタ
ンにおいて、タリバン勢力から迫害を受けていたから難民の地位に関する条約(以下「難民条約」
という。)上の難民に該当する等と主張して、本件裁決及び本件退令発付処分について取消しを、
本件不認定処分について主位的に無効確認、予備的に取消しを求めるものである。
1 前提となる事実(括弧内に認定根拠を掲げた事実のほかは、当事者間に争いのない事実か、弁
論の全趣旨により容易に認定できる事実である。)
 原告は、1974(昭和49)年《日付略》に出生した、アフガニスタン国籍を有するイスラム教シ
ーア派に属するハザラ人である(甲1の10、乙7の1)。
 原告は、平成13年7月ころ、船籍船名不詳の貨物船で横浜港に入り、本邦に不法入国し、本
邦入国後、千葉県佐倉市《住所略》の自動車解体現場敷地内に居住している。
 原告は、平成13年8月22日、千葉県佐倉市長に対し、同市《住所略》を居住地として外国人
登録の新規登録申請をした。
 原告は、平成13年8月27日、東京入管において、被告法務大臣に対し、難民認定申請をした
(以下「本件難民申請」という。)。
 東京入管入国警備官は、平成13年10月3日、原告について、違反調査を実施し、原告が法24
条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、被告審査官から収容令書(以下「本
件収令」という。)の発付を受けた(乙7の1ないし7の3、乙9)。なお、原告は、同月19日、
当庁に収容令書発付処分の取消しを求める訴えを提起したが(当庁平成13年(行ウ)第287号
事件)、平成14年9月25日、この訴えを取り下げた。
 東京入管入国警備官は、平成13年10月22日及び同年11月7日、原告について、違反調査を実
施した(乙7の4、7の5)。
 東京入管入国審査官は、平成13年10月5日、同月17日及び同月23日、原告について、違反
審査を実施し(乙11の1ないし11の3)、同日、原告が法24条1号に該当する旨を認定し(乙
12)、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、東京入管特別審理官に対し、口頭審理を請
求した。
 東京入管特別審理官は、平成13年11月8日、B弁護士の同席の下で原告について口頭審理を
実施し(乙13)、入国審査官の上記認定に誤りがない旨を判定したところ(乙14)、原告は、同日、
被告法務大臣に対し異議の申出をした(以下「本件異議申出」という。乙15)。
 被告法務大臣は、平成13年11月20日、原告からの本件難民申請について、不認定とする旨の
本件不認定処分をしたところ(乙17)、原告は、同月30日、同被告に対し、異議の申出をした。
 被告法務大臣は、平成13年12月27日、本件異議の申出について理由がない旨の本件裁決をし
(乙19)、被告審査官は、同日、原告に本件裁決を告知するとともに(乙20)、本件退令発付処分
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をした(乙21)。
 原告は、平成14年1月4日、被告審査官に対し、本件退令発付処分の取消しを求める訴え(第
1事件)を提起し、同年2月25日、被告法務大臣に対し、主位的に本件不認定処分の無効確認
を、予備的にその取消しを求める訴え(第2事件)及び本件裁決の取消しを求める訴え(第3事
件)を提起した。
2 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、本件各処分の適法性であり、その内容は原告の難民該当性である。なお、原告は、
従前、各処分の手続違反の主張をしていたが、第3準備書面において、主要な争点は原告の条約
難民該当性の有無であることを主張し、平成13年1月30日付け意見書において、手続的瑕疵等の
諸問題については主要争点と捉えていない旨を、同年2月13日付け意見書において、原告の難民
該当性以外の争点については、第一審において争わない旨を重ねて明らかにした上、本件第10回
口頭弁論期日において、「(処分の手続的瑕疵について言及した)第12準備書面は、本件処分の手
続違反の主張をするものではない」旨を陳述したことが、当裁判所に明らかである。
 被告らの主張
ア 本件不認定処分の適法性について
原告は、「人種」及び「宗教」を理由に、国籍国において迫害を受けるおそれがあり、国籍国
の保護を受けることができないとして本件不認定処分の取消しを求めているが、原告の主張
は、以下のとおり理由がない。
ア 難民、迫害の意義について
法に定める「難民」とは、難民条約1条又は難民議定書1条の規定により難民条約の適
用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2)、同規定によれば、難民とは、「人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受け
るおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であっ
て、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにそ
の国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍
者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を
有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」とされている。そし
て、その「迫害」とは、「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であ
って、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し、また、上記のように「迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには、「当該人が迫害を受
けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の
立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要で
ある(東京地裁平成元年7月5日判決・行裁例集40巻7号913頁、東京高裁平成2年3月
26日判決・行裁例集41巻3号757頁)。
ある者が難民条約所定の難民に該当するか否かを確認する難民の認定は、上記難民の定
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義に照らし、申請者各人につき、その申請内容の信ぴょう性等も吟味し、各人の個別の事
情に基づいてされるべきであるところ、難民であることの立証責任は、申請者が負うべき
である。つまり、いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては、難民条
約に規定がなく、難民条約を締結した各国の立法政策にゆだねられているところ、我が国
においては、法61条の2第1項において、被告法務大臣は、申請者の「提出した資料に基
づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる」と規定し、法61条の2の3にお
いて、被告法務大臣は、申請者により「提出された資料のみでは適正な難民の認定ができ
ないおそれがある場合その他難民の認定又は取消しに関する処分を行うため必要がある場
合には、難民調査官に事実の調査をさせることができる」と規定していることからも明ら
かなとおり、難民認定申請者が、まず自ら条約に列挙された事由を理由として迫害を受け
るおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情があり、かつ、通常人が当該人
の立場におかれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情も存在していることを認め
るに足りるだけの資料を提出することが求められている。外国人である申請人が難民であ
るか否かを判断する資料を、我が国が有権的に当然に把握できるものではない。
イ シーア派・ハザラ人に属することのみをもって、難民該当性が認められることがないこ

a ラバニ政権成立(1992(平成4)年)以降のアフガニスタンにおいて、ハザラ人を基盤
とし、又はハザラ人が含まれるグループとして、イスラム統一党マザリー派(ハリリ派)、
同アクバリー派、イスラム運動、イスラム国民運動党、タリバンがある。そして、各グル
ープは、それぞれ複雑な対立構造の下に抗争を繰り返しており、タリバン台頭以前のア
フガニスタン情勢は、ラバニ大統領派とヘクマティール首相派の双方にハザラ人を主体
とするグループとパシュトゥーン人を主体とするグループの双方が属し、ハザラ人同
士、パシュトゥーン人同士の抗争を含め複雑多岐にわたる抗争関係が存在しており、ア
フガニスタン全土が混沌とした内戦状態だったものであるから、特定の民族や集団につ
いて、常に当該民族や集団等が一方的に被害者であった等と断じることはできない。
b 次に、タリバン台頭後のアフガニスタンに関しても、シーア派・ハザラ人であること
のみで難民該当性が認められるものではない。 
すなわち、被告提出の書証(乙29、142、143、147)等に記載されているとおり、タリ
バン政権下において発生した人権侵犯の主要な要因は、宗教的又は民族的特性というよ
りも、むしろタリバンに対し、軍事的又は政治的に対立する者であったか又はそのよう
に解されたことによると評価することが適当である。
そして、タリバンが、ハザラ人を迫害の対象とすることを意図する旨の公式見解を出
したとの報告はいかなる国際機関等からも示されていない(乙29、142、143)。さらに、
タリバンは、パシュトゥーン人全体を代表するものでもないのであって(乙138、144、
145)、タリバンと対峙する北部同盟側にも多くのスンニー派又はパシュトゥーン人がい
- 5 -
たという事実からは、むしろ、タリバンと北部同盟との間の対立構造が、宗教的又は民
族的背景によるものというよりは、むしろ軍事的又は政治的な背景によるものであった
ことをうかがわせるものである。
c 原告は、ハザラ人迫害の根拠として、マザリシャリフ、バーミヤン等における虐殺事
件を指摘するが、これらについては、虐殺された被害者の数やその実態等について判然
としない上、これらの虐殺は、北部同盟との戦闘地域に集中しており、両陣営の軍事衝
突に伴い互いの報復行為として行われた側面が強いものといえる(乙139、142)。
d 諸外国政府においても、およそハザラ人に属することのみをもって難民認定を行うと
いった取扱いは行われておらず、申請者の迫害に係る個別の具体的事情等を考慮した上
で難民認定の可否が判断されている(乙146の1ないし6)。
ウ 原告が迫害されたとする事実は客観的事実に反すること
a 原告は、2001(平成13)年にアフガニスタンのαにおいてタリバンに捕まったことを
挙げる。
原告の供述によれば、タリバンに捕まった時期について、陳述書(甲4)、原告本人尋
問第1日目においては同年3月か4月とするものの、平成15年7月23日に実施された
原告本人尋問第3日目においては、あいまいな供述を繰り返しており、これらの供述を
まとめると、原告は、2000(平成12)年11月7日に本邦を出国してからドバイ及びペシ
ャワールに1、2か月滞在し、同年12月末から2001(平成13)年1月初めの間にαに戻
り、そこで2か月か4か月暮らした後タリバンに捕まったことになる。
しかしながら、在ドバイの日本国総領事館に提出された査証申請書(乙160)、同申請
書に添付された原告名義の旅券に貼付されたUAE滞在査証の記載と、原告本人の供述
を合わせると、原告は、同滞在査証の発行日である2001(平成13)年3月13日ころまで
の間にUAEにおいて査証申請を行っていたことが推認され、上記供述と矛盾すること
となる。この点について、原告は合理的な説明をしていない上、UAEの滞在査証更新の
事実について、原告が本人尋問第3日目に至るまで供述していなかった点等を合わせる
と、原告のこの点の供述を信用することはできない。
b 次に、原告は、1998(平成10)年8月、マザリシャリフにタリバンが攻めてきた1週
間後にタリバンに拘束されたが、1週間後に逃げ出すことができ、友人や親戚の家を1
か月ほど渡り歩いた後、アフガニスタンからパキスタンに出国した旨を主張する。そう
すると、原告がパキスタンに出国した時期は、早くとも同年9月20日ころとなるはずで
ある。
しかしながら、原告は、1998(平成10)年8月27日付けでアラブ首長国連邦(以下
「UAE」という。)の在ドバイ日本総領事発行の渡航証明書を取得しており(乙157)、原
告が自ら査証を取得したことを認めていること(原告本人3日目23ないし26項)からす
ると、原告がタリバンに拘束され、逃れた時期にはUAEにいたことになるはずである。
- 6 -
この点に関する原告の供述や、その変遷に照らせば、原告のこの主張を信用することは
できない。
エ 原告の供述に不自然な変遷が認められること
a 原告は、とりわけ本人尋問第3日目において、迫害の事実に関する質問に対し、全体
としてあいまいな供述に終始し、従前の供述が客観的事実と矛盾することを指摘される
と、はぐらかして回答する(同65項等)等した。そして、原告の陳述書(甲4)の内容と
本人尋問の回答が齟齬する点を指摘されると、陳述書の内容や従前の供述は通訳の誤り
であること等を供述した。
b さらに、原告は、原告と同一場所で摘発された訴外C(以下「C」という。)との兄弟関
係の有無について、原告本人尋問第1日目で問われた際には親戚である可能性を否定し
ていたものの、DNA鑑定の結果が出た後になって、前記本人尋問の際にも、親戚である
と供述した等と述べており、原告の供述には不自然な変遷が見られ、全体として信用す
ることはできない。
オ 原告の真の目的は不法就労であること
a 原告は、D社の取締役であり(乙149添付資料1及び3)、1995(平成7)年1月22日
の入国を初めとして、今回の入国までに計6回の入国歴があり、そのいずれも渡航目
的を「Business」としている(乙148)。そして、原告がタリバンから迫害されたとする
1998(平成10)年8月のマザリシャリフへのタリバン侵攻の後にも4度にわたり本邦に
入国するものの、この間、一時庇護を求めたり、難民認定申請をすることなく本邦に滞
在しているのであるから、原告には、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のあ
る恐怖があったとは到底考えられない。
b 原告は、本邦滞在期間中、一貫して中古車部品取引に専念し、現在も継続しているの
であり、結局原告の真の目的は本邦での不法就労活動にあったというほかない。
カ 本件が組織的背景を有する不法入国事案であること
a 原告は、C及びE(以下「E」という。)と同一場所で摘発されており、Cについては、
D社の従業員であるC’ と同一人であるほか(乙161)、原告と兄弟関係にあることも判
明しており、同様にEについては、D社の従業員であるE’ と同一人であることが判明
している(乙162)。そして、そもそも原告は、D社において取締役であって、社員に対し
て身元保証書を発行できる立場にあり、原告とC及びEは、過去の本邦入国時の外国人
登録上の居住地及び本邦に在留していた時期が重なること(原告本人2日目211、234
項、乙152の1)、Cの査証申請の際、原告が2度にわたり身元保証書に署名しているこ
と(原告本人2日目204ないし208項、乙164)から、原告が本邦入国前に両名と面識を
有していたことは明らかである。
b 原告は2001(平成13)年3月19日付けで(乙160)、Cは同年1月16日付けで(乙115
の1)、Eは2000(平成12)年10月2日付けで(乙154)、それぞれ査証申請をしたものの、
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いずれも査証が発給されなかったため、本邦における中古自動車部品販売に関する業務
遂行は困難となった。そのため、原告、C及びEは、難民認定されることにより従前どお
りの業務を遂行しようと考え、難民認定され易いように、不法入国が組織的、集団的な
ものであることを隠蔽する必要から、原告、C及びEの3名が親戚関係にあること、同
一会社に属していること等を秘匿し、C及びEは、過去の入国歴を隠蔽するため偽名を
使用し、それぞれ難民認定申請したものである。
c そして、原告を含む中古自動車販売業に係わる一定のアフガニスタン人が難民認定申
請をするに当たり、F(以下「F」という。)が不可欠の役割を果たしたことは、同人の証
人尋問の結果等から明らかである。なお、Cは、原告との兄弟関係についてDNA鑑定の
ため検体を採取した後、急遽本国に帰国した旨を述べ、鑑定結果が明らかになる以前に
本国に帰国し(乙134、135)、Eは、原告との血縁関係について被告らが鑑定申出書を提
出した後、訴えを取り下げて帰国した(乙170の1ないし178)。
キ 以上によれば、原告が迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する
とは到底認めることができないから、本件不認定処分は適法にされたものというべきであ
る。
イ 本件裁決の適法性について
原告は、2001(平成13)年7月初めころ、釜山港から船名船籍等不詳の貨物船で出発し、
横浜港に到着して本邦に不法入国した者であり(乙7の1及び2)、法24条1号所定の退去
強制事由に該当すると認められ、特別審理官の判定には何らの誤りもない。
そして、原告が難民に該当しないことは、前記アのとおりであり、その他に原告に対し在
留特別許可を付与するか否かの判断において格別積極的に斟酌しなければならない事情は見
当たらず、アフガニスタンにおいては、避難民の帰還が進んでおり、原告が本国に帰国して
生活することに支障はないから、法務大臣が在留特別許可を付与せずにした本件裁決に裁量
権を逸脱濫用した違法があるということはできない。
ウ 本件退令発付処分の適法性について
退去強制手続において、法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通
知を受けた場合、主任審査官は、速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであっ
て、退去強制令書を発付するにつき裁量の余地はないから、本件裁決が適法である以上、本
件退令発付処分も当然に適法であるというべきである。
エ 以上のとおり、本件不認定処分、本件裁決、本件退令発付処分はいずれも適法であるから、
原告の各請求はいずれも棄却されるべきである。
 原告の主張
被告法務大臣は、原告が難民であるにもかかわらず、原告のした難民認定申請を認めなかっ
たのであるから、本件不認定処分は違法なものであって、無効又は取り消されるべきである。
また、被告法務大臣は、原告の法49条1項の異議の申出に対して、在留特別許可を認めずに異
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議の申出に理由がない旨の本件裁決をしたが、原告の難民該当性を看過した同被告の判断には
重大かつ根本的な事実誤認による裁量権の逸脱があって、本件裁決は違法であるから、本件裁
決は取り消されるべきである。さらに、本件退令発付処分は、送還先をアフガニスタンとする
点で、難民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じた難民条約33条1項、法53条3項の
ノン・ルフールマン原則に違反しており、被告審査官独自の裁量権についても濫用があり違法
なものであるから、取り消されるべきである。
ア 難民認定の際の立証基準の解釈の在り方
ア 我が国の難民認定制度においては、難民条約上の難民をそのまま難民として認定するこ
とが義務付けられているから、いかなる者が難民として認定されるべきかは、難民条約の
規定及び解釈により決せられるべきである。そして、難民認定の目的が、紛争解決や法的
安定性の確保という一般の争訟の目的と異なること、難民認定制度は、証明対象を一般の
争訟手続と異にすること、判断の誤りにより侵害される法益は重大であり、事後回復が不
可能であることからすれば、難民認定手続における立証基準は、これまでの同手続の実務
において形成されてきた様々なルール(例えば、後記の供述の信ぴょう性に関する議論や、
灰色の利益のルール等)に共通する「難民の可能性のある者の取りこぼしをせず、できる
だけ広く保護の網をかぶせる」という姿勢を念頭において検討されるべきである。
イ 上記を前提とすると、難民条約締結国における判例で示された解釈も、難民認定手続に
おける立証の在り方を考える重要な手がかりとなる。そして、アメリカ合衆国においては、
「十分に理由のある恐怖」については、迫害を受ける可能性が50パーセント以下であって
も、その者が抱く恐怖には十分に理由があるといえると判断されている(カルドサ・フォ
ンセカ事件に関する1987年連邦最高裁判所判決)。また、カナダにおいては、同文言の解
釈に際しては、迫害を受ける合理的見込み、あるいはそう信じる十分な基盤があれば足り
る旨が示されている(アジェイ事件に関する1989年1月27日ブリティッシュコロンビア
州バンクーバー連邦控訴裁判所判決)。さらに、英国においても、同文言は、客観的な状況
ではなく本人の立場に立った状況を前提に判断すべきである旨が示されているほか(シヴ
ァクラマン事件に関する1987年10月12日控訴裁判所判決)、オーストラリアにおいても、
迫害発生率がたとえ50パーセント以下であっても十分に理由のある恐怖になり得ること
が明らかにされている(チャン事件における1989年最高裁判所判決、オーストラリア難民
再審査委員会1995年8月11日決定及び同委員会1997年9月17日決定等)。
このように、諸外国の判例等は、「十分に理由のある恐怖」の立証について、極めて緩や
かな判断基準を用いている。
ウ 以上の検討によれば、「十分に理由のある恐怖」とは、客観的な迫害の可能性ではなく、
主観的な恐怖に十分な理由があることであり、十分な理由とは、当該申請者がおかれた状
況に合理的な勇気を有する者が立ったときに、帰国したら迫害を受けるかもしれないと感
じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評価し得る場合を指すものというべきである。
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イ 難民認定における信ぴょう性判断の在り方について
ア 難民認定における信ぴょう性判断は、難民問題の特殊性や種々の要因(例えば、証拠収
集が困難であるという物理的要因、申請者の心的ストレスによる記憶の変容等の心理的要
因、言語的障害等の文化的要因、対審構造が取られていないことに由来する構造的要因)
等にかんがみ、慎重な検討が必要である。
イ したがって、難民認定手続に際しては、証拠の一部が信ぴょう性に欠けるとしても全て
の証拠を検証すべきであり、信ぴょう性を否定する場合には、合理的な理由に基づかなけ
ればならない。また、申請者の供述に一貫性や誠実性が認められる場合には、補強証拠が
なくとも信ぴょう性を認めるべきであるほか、仮に証拠の一部に矛盾や不整合、証言内容
の変遷等があってもそれを絶対視すべきではなく、申請者の証言にほとんど信ぴょう性が
見いだせない場合であっても、出身国情報等から難民として認定される可能性があるとい
うべきである。
ウ さらに、前記アの特殊性にかんがみれば、難民認定に際しては、「疑わしきは申請者の利
益に」という原則(いわゆる「灰色の利益」の原則)が妥当するというべきであり、同原則は、
カナダ、ニュージーランド、オーストラリア等の実務・判例で採用されている。
エ そして、以上のような信ぴょう性判断の在り方は、難民認定行為をする機関のみにとど
まらず、その処分の妥当性を判断する裁判所にも妥当するものである。
ウ アフガニスタン一般情勢について
ア ハザラ人は、2300年以上前から現在のアフガニスタン地域に居住する先住民族であり、
1880年代までは現在のアフガニスタン中央部に広がるハザラジャットという山岳地帯で
完全な自治を確立していたものの、1890年代に王位についたパシュトゥーン人の王によ
って決定的な変容を迫られ、以後3回にわたり反乱を起こすも失敗に終わり、それ以降ハ
ザラ人は社会的、経済的に社会の最下層として差別を受けている。
イ 1980年代から1990年代前半にかけて、ハザラ人は様々な政党を結成し、連合、解散を繰
り返して来たが、1890年代に入り、ヘズベ・ワハダット党とその指導者であるマザリ師を
中心として結束した。しかし、ヘズベ・ワハダット党は、ナジブラ政権崩壊後に成立した
暫定政権から閉め出され、暫定政権はペシャワールを拠点とするムジャヒディンにより構
成されたため、結局のところシーア派ハザラ人は無視され、1993(平成5)年2月には、西
カブールのアフシャール地区において数百人のハザラ人がラバニ大統領とその司令官マス
ードの命令により虐殺されるという事件が起きた。
ウ ヘズベ・ワハダット党(以下「イスラム統一党」ということもある。)は、1995(平成7)
年2月、マスード部隊の攻撃に対処するため、当時勢力を増大していたタリバンと停戦協
定を結び、タリバンが西カブールの前線に入ることを許可したものの、タリバンはヘズベ・
ワハダット党を援助することなく、政府軍の攻撃に耐えられず撤退する際に、マザリ師を
連行する等して同党を裏切った。その後マザリ師は死体で発見されたことから、シーア派
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ハザラ人の活発な活動と苦闘は終局し、ハザラ人は、以後タリバン政権下で迫害を受ける
こととなった。
エ タリバンは、アフガニスタンの最大民族であるパシュトゥーン人を主体とするイスラム
原理主義の急進主義者であり、1995(平成7)年以降、急激に勢力を増大すると、1996(平
成8)年9月にはアフガニスタンの首都カブールを占拠した。これに対しムジャヒディン
各派は、反タリバン勢力として統一戦線(以下「北部同盟」ということがある。)を結成し、
その後タリバン政権が崩壊するまで、両者の間の内戦が継続した。北部同盟は、タジク人
を主体とするラバニ・マスード派、ウズベク人を主体とするアフガニスタン・イスラム運
動、ハザラ人を主体とするイスラム統一党を中心としていた。
少数民族であるハザラ人、タジク人、ウズベク人は、タリバン政権下において迫害対象
になっていた。とりわけ、ハザラ人は、多くがイスラム教シーア派に属することから、タリ
バンによる組織的な殺害を含む迫害の対象とされ、1998(平成10)年8月8日にタリバン
がマザリシャリフを攻略したときには、何千人ものハザラ人の一般市民が、計画的かつ組
織的に虐殺され、生き残ったシーア派に対しては、改宗か死かの選択が迫られた。1998(平
成10)年9月には、バーミヤンにおいて、同様にハザラ人の一般市民が虐殺された上、同
年には、ヘズベ・ワハダット党の支持者ないし党員と疑われた700人以上のハザラ人が投
獄されたこと等が報道されている。
オ 2001(平成13)年12月、タリバンは、アフガニスタンにおいて統治機能を喪失し、同月
22日には、かつての北部同盟を中心とする暫定政権が発足したと報道された。しかし、ア
フガニスタンにおけるハザラ人迫害はタリバン誕生前からのものであり、タリバンが崩壊
したとの報道のみでハザラ人に対する迫害の危険がなくなったと判断するのは早計にすぎ
る。同暫定政権において、ハザラ人勢力は、重要性の低い5つのポストを与えられたのみ
であり、北部同盟内部についても、分裂が危惧される状況にあった。
カ 上記オのような不安定な状況においては、タリバン崩壊及び暫定政権の発足という事実
のみによりハザラ人迫害の歴史に本質的な変化が生じたと認めることはできない。したが
って、本件各処分当時、シーア派ハザラ人は、シーア派ハザラ人であることのみをもって
アフガニスタンにおいて、人種及び宗教を理由に迫害を受けるおそれがあったと認められ
る。実際に、諸外国においても、シーア派ハザラ人であることを理由として難民該当性が
認められた例は数多く存在し、とりわけオーストラリアに関しては、128件の決定例を調
査したところ、調査した期間内において、アフガニスタン国籍のハザラ人のうち、難民と
認定されなかった者はいなかった。また、東京弁護士会からUNHCRへの照会に対する回
答(以下「UNHCR回答」という。甲14の3)においても、UNHCR本部が、2001年8月に
各国事務所に対して発したガイドラインには、「特定地域出身の少数民族(主にシーア派)
のアフガン人大多数については迫害の危険性が高いため(1998年のタリバンによるマザ
リシャリフの制圧がよい例である。)、同様の背景を有するアフガン人男性を集団別に集団
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認定に近い形での認定が正当化される」旨の記載がある。
キ 被告らは、国際機関等から、およそシーア派ハザラ人であれば殺害されるという報告は
されておらず、タリバン支配地域の非パシュトゥーン人について、民族浄化は経験されな
かった旨を主張する。
しかしながら、被告らがその主張の根拠とする連合王国の2001(平成13)年4月に公表
された「アフガニスタンアセスメント」(乙29)においても、1998(平成10)年8月に、タ
リバンがマザリシャリフにおいて、「シーア派マイノリティ、ハザラ人屠殺作戦」あるい
は「ハザラ人を根絶するための作戦」と評される虐殺をしたこと、ハザラ人少数民族が、
主として拘束の標的とされた旨の報告がされたことが明記されている。また、デンマーク
移民サービス局の「アフガニスタンにおける治安及び人権状況検討のためのパキスタン
視察団報告」(乙142)によれば、ハザラ人は、その民族のために反タリバン勢力であるワ
ーダット党への加盟を疑われ、イスラム教シーア派を信仰しているためにも攻撃を受け
る旨が記載されており、また、ワーダット党とのつながりを疑われるという理由で、その
疑いの客観的な根拠もなく暴力が行われる場合もあるとの記載が認められる。さらに、前
記UNHCR回答(乙14の3)からも、およそシーア派・ハザラ人であれば殺害されるとい
う報告がされたと解されるのであって、民族浄化が経験されなかったとする被告らの主張
は、文献資料の恣意的な引用に基づく不当なものであるといわざるを得ない。被告らは、
東京入管難民調査部門入国審査官の報告書(乙147)を引用して、実際に平成13年6月に
カブールを訪れた際、特にハザラ人であることから迫害されている様子は確認されなかっ
た旨を主張するが、実質的な調査期間がわずか2日間であったこと、同審査官の訪問の目
的は現地NGO視察であって、人権状況調査ではなかったこと、判断の根拠もカブール西
部地区を車で通過した際に、ハザラ人が店舗を並べていたこと等内実に乏しいものである
ことからすると、このような資料に何ら証拠価値を見いだすことはできない。
被告らは、タリバンにはハザラ人も含まれていたことを指摘するが、確固たる情報源に
よるものではなく、また仮に含まれていたとしても、取るに足りない程度の勢力であった
ことが明らかである。また、被告らは、マザリシャリフ、バーミヤン、ヤカウラン等で行わ
れた虐殺は、報復行為として行われた側面が強いことを指摘するが、仮にそのような側面
があったとしても、その背景に宗教的・民族的な要因があったことは、前記に指摘した被
告ら提出の書証の記載等からも明らかであり、シーア派ハザラ人に対する民族的・宗教的
な理由に基づく迫害の事実を否定することはできない。
エ 原告の難民性について
ア 原告は、アフガニスタン国籍を有するシーア派ハザラ人であり、本件各処分当時、タリ
バンによる迫害の対象となっていたから、難民条約上の難民に該当することは、前記のと
おりである。そして、原告の供述によれば、原告及びその家族は、個別的にもタリバンによ
る迫害を受けたことが認められるから、原告は難民条約上の難民に該当する。
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イ 原告の個別的迫害の状況は、以下のとおりである。
a 原告は、2歳のころからカブールに居住していたが、1992(平成4)年、ムジャヒディ
ン間の内戦が激化し、マスード派に属する者により父が連行されそうになり、従兄弟な
どの親戚が内戦で死亡し、原告の家もマスード派のロケット攻撃により破壊される等の
事件が起きたことがあった。これを契機に、原告は、βへ転居し、さらに内戦のさらなる
激化を受けて、同年のうちにマザリシャリフに転居した。
b 原告は、1997(平成9)年5月、タリバン侵攻の情報を聞いて、イスラム統一党の拠点
の存在するマザリシャリフのγ地区から、δ地区に避難した。しかし、原告の両親は、γ
地区の自宅に家財を残していたことから、同地区に戻っていた際、夜間にタリバンが侵
入して原告の父が連行されそうになる事件が起きた。また、このころタリバンにより原
告のγ地区の自宅が荒らされ、家財道具がほとんどなくなってしまった。 
c 原告は、1998(平成10)年8月、タリバンが再びマザリシャリフに侵攻したことから、
γ地区からδ地区に再び避難した。そのころ、原告は、タリバンから機関銃を突きつけ
られて連行され、同地区の空き家の地下室で、約1週間にわたり、約20人のハザラ人の
若者とともに監禁されるという迫害を受けた。原告は、タリバンに拘束されて約1週間
の後、タリバンが早朝の礼拝をしている間に、隙を見て逃走したため無事であった。
d 原告は、2001(平成13)年3月か4月ころ、就寝中に突然やって来たタリバンの兵士
により、タリバンの駐在地に連行され、他のハザラ人の若者とともに拘禁された。原告
は、この際、タリバンの兵士から暴行を受けたり、武器や金員を要求されたりしたが、約
1週間後、村の長老を通じて母がタリバンに400ドルを支払ったことから、釈放された。
さらに原告が釈放されてから1週間後、再びタリバン兵士が原告の自宅に来たが、原
告は、自宅の裏口から付近の親戚の家に逃げ、かくまってもらったため無事であった。
しかし、このとき原告の父は、タリバンに連行され、父の連行を止めようとした妹Gは、
タリバンの銃でこめかみを殴られ、2日後に死亡した(父は現在も所在不明である。)。
タリバンの来た翌日に家に戻った原告は、この状況を知り、母から安全な国に行くよう
に勧められたため、アフガニスタンを出国して、難民認定申請することを決意した。
ウ 以上の原告の主張する事実は、いずれも具体的かつ詳細に供述され、アフガニスタンの
客観的状況とも一致するほか、概ね一貫していると認められるから、十分信用することが
できる。そして、これらの事実に照らせば、原告が、本件各処分当時アフガニスタンに帰国
した場合、人種及び宗教を理由に迫害を受けるおそれがあると信じる相当な理由が認めら
れるから、原告は難民条約上の難民に該当するというべきである。
エ 以上に対し、被告らは、原告の供述には信用性が認められないと主張する。しかしなが
ら、被告らの主張は以下のとおり理由がない。
a 被告らは、原告が、Cと兄弟であることについて虚偽の供述をしていたと指摘する。
しかし、原告は、Cと幼少時から離れて生活しており、必ずしも兄弟と認識していなか
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った上、偽名を用いて来日歴を秘匿して難民認定申請していたCから、原告とCとは関
係がないといわれていたのであるから、原告が、Cと兄弟であることを否定していたこ
とには合理的な理由がある。
b 次に、被告らは、1997(平成9)年9月のタリバンによるマザリシャリフ侵攻に原告
が言及しなかったことから、原告は当時マザリシャリフに居住していなかった可能性を
指摘する。しかし、1997(平成9)年9月のマザリシャリフ侵攻の際、マザリシャリフ市
内は混乱状態にあったのみで、タリバンに陥落されることはなかったものであるし、原
告は同年5月のタリバンによる第1回侵攻の後も、タリバンが遠方から町を破壊したこ
と等に言及していることが認められる。
c また、被告らは、原告が仮に1998(平成10)年8月にタリバンにより拘束されていた
としても、原告が3度目の日本入国(同年11月)後も難民認定申請をすることなくマザ
リシャリフに戻ったことからすれば、原告がタリバンから迫害を受ける恐怖を有してい
たとは認められないと主張する。しかし、原告は、当時日本で難民認定申請をしなかっ
た理由について、アフガニスタンの情勢が好転する希望を持っていたことや、マザリシ
ャリフに家族が居住していたこと等を述べており、これらは十分に首肯できる理由であ
るといえる。
d さらに、被告らは、原告が2001(平成13)年3月13日付けでUAEの3年間の居住資格
を延長し、同月19日付けで在ドバイ総領事において査証申請手続をしたことについて、
原告の供述に変遷が見られ、これらの事実に照らせば、原告は同年3月当時原告がUAE
に滞在していたことがうかがわれるとして、同年3月から4月ころにεでタリバンに連
行されたという原告の供述には信用性が認められないと主張する。しかし、原告は、居
住資格延長を否定したのは、UAEに退去強制されることを恐れたためである旨供述して
おり、供述の変遷には合理的な理由があるといえるし、原告が居住資格の延長をした時
期が同年3月19日ころであったとしても、同月か同年4月であったとする原告の主張と
必ずしも矛盾するものではない。
e その他、被告らは、原告の今回の入国経緯に関する供述の変遷や、原告や原告の家族
が迫害を受けた時期等に関する原告の供述に見られる曖昧な点を捉えて、原告の主張に
信用性がない旨を指摘する。しかし、原告が今回の入国経緯に関して、ブローカーに口
止めされていたため虚偽の供述をしていたと説明する点は、合理的な理由であると認め
ることができるし、その他の時期の供述に関する曖昧な点や変遷は、原告の母国で、イ
スラム暦が使用されていたという事情等からやむを得ないものというべきである。そし
て、難民認定申請者は、迫害の体験又は危険に起因して心理的作用に障害が及ぶことが
あり、2001(平成13)年11月21日に原告の精神状態を診断したH医師は、原告には難民
特有の心的外傷が存在することを指摘しており、そもそも本質的でない部分の供述の食
い違いは、信用性を否定する根拠にはなり得ないというべきであるから、被告の指摘は
- 14 -
当たらないというべきである。
f なお、被告らは、本件が組織的な不法入国事案であり、原告は、難民認定制度に乗じて
就労目的で入国した旨を主張する。しかし、難民条約上の難民に該当すれば、原告の入
国の態様が組織的背景を有する不法入国事案であるか否かは原告の難民該当性に何の影
響も与えないというべきであるし、就業の動機と難民認定申請の意思は併存し得るもの
である。また、原告と同時期に不法入国を摘発された者の中には、原告と類似した迫害
の事実を主張する者もいるが、これをもって不自然であるということはできないし、原
告の難民認定申請の際にも通訳等を務めたFが、実は日本におけるブローカーの手引を
しており、中古車自動車販売業に関わるアフガニスタン人の難民認定申請について積極
的に主導した可能性がある等とする部分は、単なる憶測を述べているにすぎず、到底事
実と認めることはできない。したがって、被告らの主張には、いずれも理由がないとい
うべきである。
第3 争点に関する判断
1 法49条1項の異議の申出に対する裁決の処分性
 法49条1項の異議の申出を受けた法務大臣は、同異議の申出に理由があるかどうかを裁決し
て、その結果を主任審査官に通知しなければならず(法49条3項)、主任審査官は、法務大臣か
ら異議の申出に理由があるとした旨の通知を受けたときは、直ちに当該容疑者を放免しなけれ
ばならない一方で(同条4項)、法務大臣から異議の申出に理由がないと裁決した旨の通知を受
けたときは、速やかに当該容疑者に対しその旨を知らせるとともに、法51条の規定による退去
強制令書を発付しなければならないこととされている(法49条5項)。
このように、法は、法務大臣による裁決の結果につき、異議の申出に理由がある場合及び理
由がない場合のいずれにおいても、当該容疑者に対してではなく主任審査官に対して通知する
こととしている上、法務大臣が異議の申出に理由がないと裁決した場合には、法務大臣から通
知を受けた主任審査官が当該容疑者に対してその旨を通知すべきこととする一方、法務大臣が
異議の申出に理由があると裁決した場合には、当該容疑者に対しその旨の通知をすべきことを
規定しておらず、単に主任審査官が当該容疑者を放免すべきことを定めるのみであって、いず
れの場合も、法務大臣がその名において異議の申出をした当該容疑者に対し直接応答すること
は予定していない(なお、平成13年法務省令76号による改正後の法施行規則43条2項は、法49
条5項に規定する主任審査官による容疑者への通知は、別記61号の2様式による裁決通知書に
よって行うものとすると定めているが、この規定はあくまで主任審査官が容疑者に対して通知
する方式を定めたものにすぎず、法の定め自体に変更がない以上、この規則改正をもって法務
大臣が容疑者に直接応答することとなったとは考えられない。)。こうした法の定め方からすれ
ば、法49条3項の裁決は、その位置づけとしては退去強制手続を担当する行政機関内の内部的
決裁行為と解するのが相当であって、行政庁への不服申立てに対する応答行為としての行政事
件訴訟法3条3項の「裁決」には当たらないというべきである。
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 このことは、法の改正の経緯に照らしても明らかである。すなわち、法第5章の定める退去
強制の手続は、法の題名改正前の出入国管理令(昭和26年政令319号)の制定の際に、そのさら
に前身である不法入国者等退去強制手続令(昭和26年政令第33号)5条ないし19条の規定する
手続を受け継いだものと考えられ、同手続令においては、入国審査官が発付した退去強制令書
について地方審査会に不服申立てをすることができ(9条)、地方審査会の判定にも不服がある
場合には中央審査会に不服の申立てをすることができ(12条)、中央審査会は、不服の申立てに
理由があるかどうかを判定して、その結果を出入国管理庁長官(以下「長官」という。)に報告
することとされ、報告を受けた長官は、中央審査会の判定を承認するかどうかを速やかに決定
し、その結果に基づき、事件の差戻し又は退去強制令書の発付を受けた者の即時放免若しくは
退去強制を命じなければならないものとされていた(14条)もので、この長官の承認が、法49
条3項の裁決に変わったものと考えられる。そして、長官の承認は、中央審査会の報告を受け
て行われるものとされていて、退去強制令書の発付を受けた者が長官に対して不服を申し立て
ることは何ら予定されておらず、長官の承認・不承認は、退去強制手続を担当する側の内部的
決裁行為にほかならない。したがって、同制度を受け継いだものと考えられる法49条3項の裁
決についても、退去強制令書の発付を受けた者の異議申出を前提とする点において異なるもの
の、その者に対する直接の応答行為を予定していない以上、基本的には同様の性格のものと考
えるのが自然な解釈ということができる。
 また、前記の解釈は、法49条1項が、行政庁に対する不服申立てについての一般的な法令用
語である「異議の申立て」を用いずに、「異議の申出」との用語を用いていることからも裏付け
られる。すなわち、昭和37年に訴願法を廃止するとともに行政不服審査法(昭和37年法第160
号)が制定されたが、同法は、行政庁に対する不服申立てを「異議申立て」、「審査請求」及び「再
審査請求」の3種類(同法3条1項)に統一し、これに伴い、行政不服審査法の施行に伴う関係
法律の整理等に関する法律(昭和37年法律第161号)は、それまで各行政法規が定めていた不
服申立てのうち、行政不服審査法によることとなった行政処分に対する不服申立ては廃止する
とともに、行政処分以外の行政作用に対する不服申立ては前記3種類以外の名称に改め、そう
した名称の一つとして「異議の申出」を用いることとした。
他方、法の対象とする外国人の出入国についての処分は行政不服審査の対象からは除外され
ている(行政不服審査法4条1項10号)とはいえ、前記のとおり行政不服審査法の制定に際し
て個別に不服申立手続について規定する多数の法令についても不服申立てに関する法令用語の
統一が図られたのに、法49条1項に関しては、従前どおり「異議の申出」との用語が用いられ
たまま改正がされず、法についてはその後も数次にわたって改正がされたにもかかわらず、や
はり法49条1項の「異議の申出」との用語については改正がされなかった。そして、現在にお
いては、法令用語としての「異議の申出」と「異議の申立て」は通常区別して用いられ、「異議の
申出」に対しては応答義務さえないか、又は応答義務があっても申立人に保障されているのは
形式的要件の不備を理由として不当に申出を排斥されることなく何らかの実体判断を受けるこ
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とだけである場合に用いられる用語であるのに対し、「異議の申立て」は、内容的にも適法な応
答を受ける地位、すなわち手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申立権を認める
場合に用いられる用語として定着しているということができる。したがって、数次にわたる改
正を経てもなお「異議の申出」の用語が用いられている法49条1項の異議の申出は、これによ
り、法務大臣が退去強制手続に関する監督権を発動することを促す途を拓いているものではあ
るが、同異議の申出自体に対しては、被告の応答義務がないか、又は、応答義務があっても、形
式的要件の不備を理由として不当に申出を排斥されることなく何らかの実体判断を受けること
が保障されるだけであり、申出人に手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申立権
が認められているものとは解されない(最高裁第一小法廷判決昭和61年2月13日民集40巻1
号1頁は、土地改良法96条の2第5項及び9条1項に規定する異議の申出につき、同旨の判示
をしている。)。
よって、法49条1項の異議の申出に対してされる法49条3項の「裁決」は、不服申立人にそ
うした手続的権利ないし地位があることを前提とする「審査請求、異議申立てその他の不服申
立て」に対する行政庁の裁決、決定その他の行為には該当せず、行政事件訴訟法3条3項の裁
決の取消しの訴えの対象となるということはできない。
 さらに、法49条1項の異議の申出については、前記のとおり、申出人に対して法の規定によ
り手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申立権が認められているものと解する
ことはできないのであるから、異議の申出に理由がない旨の裁決がこうした手続上の権利ない
し法的地位に変動を生じさせるものということはできず、同裁決が行政事件訴訟法3条2項の
「処分」に当たるということもできない(前記の最1小判参照。)。
 以上によれば、法49条1項の異議の申出に対する法務大臣の裁決は内部的決裁行為というべ
きものであり、行政事件訴訟法3条1項にいう公権力の行使には該当しないというべきもので
ある。
2 原告の難民該当性について
原告は、本件不認定処分は、原告が難民条約上の難民に該当するにもかかわらず、これを看過
してされた処分であるから無効あるいは取り消されるべきであり、本件退令発付処分は、送還先
をアフガニスタンとしたことが、難民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じた難民条約
33条1項、法53条3項のノン・ルフールマン原則に違反し取り消されるべきである旨を主張す
る。そこで原告の難民該当性について検討する。
 歴史的沿革
本件各証拠(甲1の20ないし30、乙38の1、38の2、39、40、49、53、137、142ないし145)
によれば、アフガニスタンの歴史的沿革について、以下の事実が認められる。
ア アフガニスタンは、イラン系のパシュトゥーン人やタジク人、モンゴロイド系のウズベク
人やハザラ人等の民族が混在する多民族国家である。このうち、パシュトゥーン人が最大の
民族グループで、人口の約35パーセントを占め、次に多いのがタジク人で約25パーセント、
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ハザラ人は約19パーセント、ウズベク人は約6パーセントを占める。
イ アフガニスタンには、1979(昭和54)年12月、ソ連軍が侵攻し、ソ連の支援の下で、共産
主義のカルマル政権が成立したが、イスラム原理主義を中心とするムジャヒディン(イスラ
ム聖戦士達)がソ連及びカルマル政権に対する抵抗運動を開始し、以後、内戦状態が続いた。
ウ 政権は、1986(昭和61)年5月にカルマルからナジブラへと引き継がれ、1989(平成元)
年2月にはジュネーブ合意に基づき、ソ連軍が撤退し、1992(平成4)年4月には、ナジブラ
政権は崩壊してムジャヒディン各派による連立政権が誕生したが、各派間での主導権争い等
により、国内の内戦は激化した。
エ 1994(平成6)年末には、イスラム教スンニ派のパシュトゥーン人を中心としたタリバン
と呼ばれるイスラム原理主義勢力が台頭し、イスラム原理主義政権の樹立を目指して勢力を
拡大し、1996(平成8)年末には、タリバンが首都カブールを制圧して暫定政権の樹立を宣
言した。これ以降、タリバンに反対するムジャヒディン各派、すなわち、タジク人中心のイス
ラム協会(ラバニ派)、パシュトゥーン人中心のイスラム党(ハクマチヤル派)、イスラム教シ
ーア派のハザラ人中心のヘズベ・ワハダット党(イスラム統一党、ハリリ派等)、ウズベク人
中心のイスラム国民運動党(ドストム派)の四大勢力の統一戦線(通称北部同盟)とタリバン
との内戦が続いた。統一戦線は、タリバンによりカブールを追われた政府であるアフガニス
タン・イスラム国(旧政府)を支持しており、旧政府の最高指導者であるグルバディン・ラ
バニが形式上の最高指導者とされていた。
オ タリバンは、1998(平成10)年夏には、マザリシャリフ及びイスラム統一党の拠点である
バーミヤンを陥落させ、2001(平成13)年10月ころには、国土の9割を掌握し、アフガニス
タンを実質的に支配していた。
カ アメリカ合衆国におけるいわゆる同時多発テロを契機とした米英軍の空爆と統一戦線によ
る攻撃により、2001(平成13)年12月には、タリバンは統治機能を喪失した。
そして、同月22日には、アフガニスタン暫定政権が発足し、日本は、同政権を承認した。暫
定政権は、パシュトゥーン人のハミド・カルザイ元外務次官を首相に相当する議長とする合
計30人の閣僚で構成され、うち11人がパシュトゥーン人、8人がタジク人、5人がハザラ人、
3人がウズベク人、その他が3人であった。
キ 暫定政権成立以後のアフガニスタンについては、パキスタン等の隣国に逃れていた避難民
の大量帰国を報じる新聞報道もある一方で、治安の悪化を懸念する報道もされており、さら
には、暫定政権の成立に向けた交渉過程で、ラバニ元大統領派のタジク人が政権の要職を占
めつつあったことに反発して、ウズベク人の指導者であるドスタム将軍やクルド人の指導者
であるイスマイル・カーン司令官が暫定行政機構への参加を一時見送ろうとしたことや、暫
定行政機構の中心となっているパシュトゥーン人については、以前にあった部族有力者らの
腐敗と権力闘争が再燃するおそれがあること等から、暫定行政機構には全土統一を達成でき
るだけの軍事力もなく、カリスマもイデオロギーもないとして、タリバンによる政権掌握前
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の内戦状態に後戻りすることを危惧する報道もされていた。
 アフガニスタンにおけるハザラ人の状況
ア 本件各証拠(甲1の2、1の3、1の5ないし1の8、1の18、1の19、2、乙29、30、47
の1ないし3、48、49、53、137、142)によれば、アフガニスタンにおけるハザラ人の状況
については、以下の事実を認めることができる。
ア ハザラ人は、アフガニスタンに存在する最も古い移住民族の1つであり、今から2300年
以上前に今日ハザラジャットとして知られる地域に移住し、1880年代までは、完全に自治
を確立し、同地域を支配していた。
イ しかしながら、アブドゥル・ラーマンがアフガニスタンの王位に就いた1890(明治23)
年から1901(同34)年にかけて、ハザラ人は、宗教上の理由及び民族的理由により、同王
による迫害の対象とされ、3度の反乱を起こしたが失敗に終わり、以後1970年代まで社会
的経済的差別の対象とされ、厳しい政治的抑圧を受けた。
ウ 1980年代から1990年代前半にかけて、ハザラ人は、政党を結成し、連合や解散を繰り返
してきたが、1990年代に入ると、ヘズベ・ワハダット党とその指導者であるマザリ師を中
心として結束した。ハザラ人は、1992(平成4)年までにカブールのほとんどの地域に住
むようになり、西カブールは、シーア派ハザラ人の居住地域として国内最大のものとなっ
ていた。しかしながら、ナジブラ政権崩壊後、ムジャヒディンにより構成された暫定政権
から、ヘズベ・ワハダット党は完全に閉め出され、シーア派ハザラ人は無視された。1993
(平成5)年2月11日には、西カブールのアフシャール地区で、数百人のハザラ人が、ラバ
ニ大統領とその主任司令官マスードの命令により虐殺されるという事件が起きた。
エ その後、ヘズベ・ワハダット党は、1995(平成7)年2月、当時勢力を増大していたタリ
バンと停戦協定を結び、タリバンが西カブールの前線に入ることを許可したものの、タリ
バンは同党を裏切り、同党の指導者であるマザリ師等を連行した。その後、マザリ師は死
体で発見されるに至った。
オ タリバンは、1996(平成8)年にカブールを制圧し、1998(平成10)年8月8日、マザリ
シャリフを奪取したが、その際、わずか3日間に数千人(最大8000人ともいわれる。)のハ
ザラ人の民間人が殺害された。また、タリバンは、同年9月には、当時ヘズベ・ワハダット
党の根拠地であり、ハザラ人のホームランドとして同党に支配されていたバーミヤンを制
圧した。これに対し、北部同盟は、1999(平成11)年4月21日、バーミヤンを奪還したが、
翌5月9日には、同市は再びタリバン勢力下に戻った。タリバンによるバーミヤン地方の
ヤカオラン奪取直後には、多くのハザラ人の一般市民が殺害された。また、タリバンは、
2000(平成12)年12月、同地域において数百人に上る一般市民を即決処刑した。
イ 被告らは、アフガニスタンにおけるハザラ人は、タリバン台頭前においては、複雑な対立
構造の下に抗争を繰り返しており、常に一方的な被害者であったと認めることはできないと
主張し、また、タリバン台頭後については、ハザラ人に対する人権侵害の主要な要因は、宗教
- 19 -
的又は民族的特性によるものではなく、むしろタリバンに対立する者であったか、そのよう
に解されたことによるものであるから、本件各処分当時、シーア派ハザラ人が、その民族又
は宗教のみを根拠に迫害を受けた事実は認められない旨を主張する。
ウ そこで検討するに、本件各証拠中には、被告らの主張に沿うものとして、以下の記載があ
ることが認められる。
ア 民族に基づく深刻な虐待行為は、反タリバン派も犯してきた。例えば、1999(平成11)
年4月21日から5月9日の3週間に、バーミヤンを制圧しようとした反タリバン勢力は、
新しく移ってきたパシュトゥーンの人々や、タリバンの協力者の疑いのある人々を激しく
殴ったり、何人もの民間人を恣意的に拘束したり、それら家族にひどい仕打ちをしたとい
われる(1999年1月付けUNHCR資料・甲1の5、4頁)。
イ タリバンによる処刑は、2000(平成12)年12月、反タリバン勢力イスラム統一党との激
しい戦闘の末、ヤカオランを奪還した直後に行われた。今回の処刑は、この地域を征服す
る際にタリバンが被った被害に対する報復だと見られている。反タリバンと見られる13歳
から70歳までのすべての男性を殺害するようタリバン司令官が命じたと伝えられている。
イスラム統一党も、この地域を支配していたときにタリバンに協力したと見なされた
人々を虐待してきたと報告されている(アムネスティ発表国際ニュース2001年1月23日・
甲1の7、1頁)。
ウ 1997(平成9)年5月末、およそ3000人のタリバン兵士の捕虜が、マザリシャリフ周辺
で、アブダル・マリク・パラワン司令官指揮下の軍によって略式処刑された。また、同軍は、
同年1月5日、空からカブールの住宅街にクラスター爆弾を投下した。通常爆弾も使われ
たこの無差別空襲により、市民の間に死傷者が数名出た(ヒューマンライトウォッチレポ
ート(2001年10月5日付け)甲1の19)。
エ 発生した侵害の主要な要因は、宗教への加入又は民族的特性によるとは限らず、むしろ、
タリバンに対し、実際に反対者であったか又はそのように解されたことによる。 
1998(平成10)年8月に、タリバンはマザリシャリフを占拠した。約5000人(たいてい
はハザラ民族の民間人)が占拠後にタリバンにより虐殺されたとの報告があった。タリバ
ンは、1997(平成9)年に、ハザラ人及び他の戦闘員が彼らに敵対し、彼らの側の約2000
人を虐殺したことに対する報復をすることに集中していたとされる(連合王国における「国
別評価 アフガニスタン アセスメント2001年4月」(以下「連合王国アセスメント」と
いう。)・乙29、訳文1・2頁)。
オ 宗教的少数派の状況は、地元のタリバン指導者がその権限をどう行使するかによる。一
部地域では宗教的少数派も平和に暮らし、自分たちの宗教を奉じることができるが、他の
地域では彼らへの嫌がらせや迫害の事件が起こっている。
国連幹部情報筋や多くの国際・国内NGO等、いくつかの情報筋は、タリバンの少数民
族に対する対応は、反対勢力との接触の疑いがあるためで、主に政治的な動機によると強
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調した。これはつまり、戦闘地域及び衝突の恐れのある地域の少数民族が特に危険である
ということである。
ある中央の国連情報筋は、ハザラ人はその民族のために組織的に迫害されているわけで
はないが、特に戦闘年齢の男性は、戦闘地域や反対勢力が形作られている地域では、反対
勢力とのつながりを疑われている(デンマーク移民サービス局によるアフガニスタンにお
ける治安及び人権状況検討のためのパキスタン視察団報告(2001年1月18日から29日、
以下「デンマーク報告書」という。)・乙142)。
カ 上記アないしオの各記載からは、ハザラ人を中心とするイスラム統一党等は、タリバン
に協力したとみなされた者に暴行等の虐待を加えたことがあり、タリバンにより1998(平
成10)年8月に行われたマザリシャリフの大虐殺や、1999(平成11)年に行われたバーミ
ヤンにおける虐殺は、これらの反タリバン勢力による虐殺行為に対する報復として、反タ
リバン勢力に対する協力者、あるいは反タリバンとみなされた者を対象としてされた側面
のあることが認められ、タリバンは、ハザラ人を含む少数民族に対し、主に戦闘地域にお
いて反対勢力との接触の疑いのある場合に殺害や連行等の迫害を行ったことが認められ
る。
エ 他方で、被告がその主張の根拠として引用する連合王国アセスメントやデンマーク報告書
には、以下のような記載があることが認められる。
ア まず、連合王国アセスメントには、以下の記載がある。
 継続した紛争等による人権侵害の状況下では、アフガニスタンで、誰が危険で、誰が
そうでないかについて明確に区別する法則はない。しかしながら、人権侵害の主要な標的
の中には、以下のような者が含まれているといえる。タリバンと関係しない非パシュトゥ
ーン民族のメンバー、宗教的マイナリティーグループ等(訳文1頁)。
イ また、デンマーク報告書にも、以下のような記載がある。
a 「宗教的及び民族的少数者に対する状況について」と題する箇所
中央の国連情報筋、アフガニスタン協働センター(CCA)、多くのNGO等いくつかの
情報筋は、全体としてアフガニスタン少数民族の政治的迫害や追放は一般的ではなかっ
たが、それは彼らがどこに住んでいるかによると述べた。しかし、戦闘地域又は衝突の
恐れのある地域の少数民族は極めて危険である。この情報筋は、衝突のある地域数は、
1997(平成9)年以来増加しており、ハザラジャットとアフガニスタン西部での政治的
不安定を伴っていると述べた。
ある国連幹部情報筋は、戦闘が行われている地域、特に北部及びハザラジャットの少
数民族の状況は、現在非常に悪いため、彼らを非常に特別な危険状態にあると見なされ
なければならないと報告した。ハザラ人は特に迫害を受けやすいグループで、1998(平
成10)年以来そうである。
国連幹部情報筋や多くの国際・国内NGO等は、タリバンと非パシュトゥーン人少数
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民族の間で民族分化が行われていると説明した。ある情報筋は、ハザラ人の「二重の少
数派」であるために苦しんでいると付け加えた。ハザラ人は、その民族のためにハザラ
人をベースとする反対勢力ワーダット党への加盟を疑われ、イスラム教シーア派を信仰
しているためにも攻撃を受けるからである。
全ての情報筋は、少数民族への攻撃は組織的ではなく、恣意的なものだと述べた。
CCAは、1997(平成9)年にカンダハルの刑務所を、また1998(平成10)年末にバグラ
ン州ナハリン地区の刑務所を訪れることができたが、タリバンが「政治犯」とする多く
の拘留者が、実際には少数グループの普通の労働者または農民で、街で捕らえられたも
のだと報告した。
b 「紛争の宗教的様相の拡大」と題する箇所
これまで述べたように、いくつかの情報筋は、タリバンの少数民族への対応は、反対
勢力とのつながりの疑いによる主に政治的動機によるものだと確信していた。
しかし、国連幹部情報筋や、CCA、アフガニスタン救済団体調整局(ACBAR)等の多
くの情報筋は、最近数年、宗教的要素が戦争に加わってきたと述べた。これは、タリバン
が多くの外国人イスラム教スンニ派原理主義者を自軍に組み込み、彼らが非スンニ派を
殺害することを自分たちの宗教的使命と見なしているからである。同様に最近、戦闘の
実施に関して、強い反シーア派的声明が発されている。
c 「民族的少数者に対する状況」のうちハザラ人に関する箇所
ある中央の国連情報筋は、ハザラ人はその民族のために組織的に迫害されているわけ
ではないが、特に戦闘年齢の男性は、戦闘地域や反対勢力が形作られている地域では、
反対勢力とのつながりを疑われていると報告した。タリバンが脅威を感じると、彼らは
ハザラ人に恣意的な逮捕等を押しつけて反応し、少数ながら処刑も行われた。この情報
筋は、ハザラ人を基盤とするワーダット党とのつながりを疑われるという理由で、その
疑いの客観的根拠もなく暴力が行われる場合もあると述べた。
CCAは、タリバンは脅威を感じると、カブールとマザリシャリフでいつもハザラ人と
ウズベク人を逮捕すると報告した(訳文19頁)。
d 「宗教的少数者に対する状況」と題する箇所
ある中央の国連情報筋は、反対勢力とのつながりを疑われることが少数民族への迫害
の主な理由だが、これは宗教的な迫害の点でも連鎖反応を招くと指摘した。例えば、シ
ーア派教徒は、反対勢力に属していると疑われることがあるという(訳文22頁)。
ウ 以上の被告らがその主張の根拠とする資料中、被告らが引用していない部分の記載から
は、タリバンによるハザラ人に対する暴行や殺害等の迫害は、必ずしも組織的に行われた
ものではないとしても、現実には、ハザラ人がその民族及び宗教的信仰のゆえに、タリバ
ンから反対勢力に属することを疑われ、その疑いの客観的証拠がなくとも暴行や殺害等を
受けることが相当の頻度であったことや、少なくとも一部のタリバン勢力が、非スンニ派
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を殺害することを宗教的使命とみなしていたことが認められる。
オ さらに、本件各証拠には、以下のような記載もある。
ア アムネスティ・インターナショナルによれば、多数の非戦闘員が、タリバンの警備兵に
よって、故意にかつ恣意的に殺害されている。1998(平成10)年9月、アムネスティ・イ
ンターナショナルは、同年8月8日のマザリシャリフの奪取において、タリバンの軍隊が
街中及び市場で一般市民が逃げようとすると無差別に発砲したことを報告した。タリバン
は、その後直ちに各家の捜索を行い、タジク人、ウズベク人及びハザラ人の男性と10代の
少年を拘禁し、街中又は家で度々ハザラ人を射殺した。
上記マザリシャリフの奪取について、アフガニスタンにおける国連人権特別報告官は、
タリバンが、主にシーア派ハザラ人を標的とした殺人的狂乱の中で、広範かつ無差別な発
砲を行ったと報告している。(中略)タリバンは、路上で動く者を見ると、自分の家の窓や
ドアから覗いていただけかもしれない人も含め、誰であっても発砲した。
住民の中で攻撃と迫害を受ける特別の可能性があった、又は可能性がある集団として
は、彼らに敵対的な軍事的指導者に支配された地域にいる特定の民族的、宗教的又は政
治的集団が含まれ、政治的又は民族的に対立した集団に属している、あるいは属してい
ると疑われた武装していない一般市民は、人権侵害の標的となっている旨の記載がある
(UNHCR資料・甲1の2、5頁、同11頁)。
イ 何千人ものハザラ人系住民が、1998(平成10)年にタリバンにより殺害されたと推定さ
れている。また、民族的な理由による市民の強制追放も行われた形跡がある。1999(平成
11)年中、新たにタリバンの支配下に入った地域から、ハザラ系やタジク系の住民が強制
的に追放されたとする複数の報告がされている。そして、ハザラ系住民は、パシュトゥー
ン系であるタリバンによる民族的出自を理由とした攻撃の対象となっていると伝えられて
いる(アメリカ合衆国国防省による2000年2月25日公表の1999年国別人権状況報告書・
甲1の3、20頁、同31頁)。
ウ タリバンが1998(平成10)年8月にマザリシャリフを軍事的に制圧してから数日間、数
千人のハザラの民間人がタリバン警備兵に意図的かつ組織的に殺害されたという報告が相
次いだ(アムネスティ・インターナショナルの「アフガニスタン:マイノリティの人権」
と題する資料・甲1の5)。
エ 1999(平成11)年5月にタリバンが前回ヤカオランを奪取した際に多くのハザラ民族の
一般市民が、侵入してきたタリバン警備隊の組織的殺害の標的とされたと報告されている
(アムネスティ発表国際ニュース(2001年1月23日)・甲1の7)。
オ タリバンは、1998(平成10)年8月のマザリシャリフ制圧及び同年9月のバーミヤン制
圧に際し、ハザラ人を虐殺したと伝えられているが、1つの動機は、1997(平成9)年5月
にマザリシャリフを制圧しようとした際にタリバン側に死傷者が出たことに対する報復で
あったが、もう1つの動機は、シーア派ムスリムのハザラ人に対する宗派的憎悪であった
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と思われる。
デンマーク移民局は、1997(平成9)年11月にアフガニスタンを訪問し、タリバン支配
領土でも問題なくハザラ人が生きていけると報道担当者は述べているが、幅広い国連の情
報筋やアフガニスタン内外のNGOはすべてハザラ人が迫害を受けやすい人々であるとの
見解を示したと報告した。(中略)情報源によれば、ハザラ人が、イスラム統一党に属して
いるという容疑、軍への徴発、捕虜とされているタリバン側の者との交換用として収容さ
れているとのことである。1日に20人から50人のハザラ人がカブールで拘束されている
との報告がある(オーストラリア難民再審査審判書の決定・甲1の12、訳文6頁)。
カ 以上の各証拠中の記載を総合的に考慮すると、被告らの主張するように、タリバンによっ
て行われたハザラ人の虐殺行為には、反タリバン勢力の攻撃に対する報復という側面があっ
たこと自体は否定できないし、タリバンも公式には組織的かつ日常的にハザラ人を迫害する
ことを肯定していたものでもないが、実際には、少なくともアフガニスタンの一定の地域(例
えば、戦闘地域であったマザリシャリフやバーミヤンのほか、元々ハザラ人が多数居住して
いる地域等)において、その地に臨んだタリバン兵から、ハザラ人が、ハザラ人であること、
あるいはシーア派であることのために、客観的な理由なく反タリバン勢力に属するものと見
なされて積極的暴行を受けたり、あるいは宗教的憎悪の対象とされて、迫害を受けることが
頻繁にあったと認めることができる。そうであるとすると、同じくシーア派に属するハザラ
人であっても、比較的平和な地域に居住していて自らはもとより周辺に居住する者もタリバ
ンによる暴行等の被害に遭うことがなかった者については、その者がシーア派でありハザラ
人であることのみによって難民に該当するとは評価できず、被告らの主張もこの限度では正
当であるが、原告のように元々ハザラ人が多数居住する地域に住む者が、自ら又は周辺に住
む者についてタリバンから客観的な理由もなく暴行や拘禁などの被害を受けた経験を有し、
それが繰り返されるおそれがあった場合には、客観的にみても、その者がシーア派ハザラ人
であることを理由とする迫害を受けるおそれがあると認めることができる。
なお、被告らは、タリバンによるハザラ人に対する暴行等がより限定的なものにすぎなか
った旨主張し、2001(平成13)年6月に入国審査官がカブール市内においてハザラ人が何ら
迫害を受けずに生活している状況を現認した旨の報告書(乙147)を証拠として提出してい
る。しかし、上記認定は、タリバンが公式に組織的かつ日常的にハザラ人に対して迫害を行
うことを肯定しているというものではなく、むしろ、タリバンも公式にはそのようなことは
否定しているものの、タリバンの支配が十分に浸透していない地域においては、現地に臨ん
だタリバン兵が恣意的に上記のような行動に出ることが一般化しているというものであるか
ら、カブールの中心街に近く、タリバンが確実に制圧している地域における白昼の状況に関
する上記報告書の記載は、上記の認定を左右するものではない(なお、上記報告書中には、カ
ブール西部の状況を報告したものとの記載があるが、カブールの市街地が同報告書添付の地
図よりさらに西側に広がっていることは、当裁判所に顕著な事実であり、同地図には原告の
- 24 -
供述中に現れるカブール西部の地名が全く現れていないことからすると、原告が居住してい
た地域付近についても調査が行われたか否か明らかでない。)。
キ そして、本件退令発付処分は、タリバン政権崩壊後、アフガニスタン暫定政権が成立した
わずか5日後にされているところ、前記のとおり暫定政権の基盤自体について、非常に脆弱
なものであるとの評価がされ、タリバン政権前の内戦状態に後戻りすることも危惧される旨
の報道がされていたこと、前記の各資料中の記載からは、ハザラ人に対する差別意識は、タ
リバン政権により初めて生じたものとは考えられず、民族的・宗教的な背景を持つものと認
められることからすれば、タリバン政権が崩壊した事実のみをもって、直ちにハザラ人に対
する迫害の状況に変化が生じたものとは到底認めることができないし、本件全証拠からも、
このような事実は認められない。したがって、本件退令発付処分当時においても、タリバン
政権下においてハザラ人の置かれた状況に特段の変化は認められないものというべきであ
る。

難民認定をしない処分等取消請求事件
平成14年(行ウ)第45号
裁決取消請求事件
平成14年(行ウ)第47号
原告:A、被告:法務大臣・名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:加藤幸雄・舟橋恭子・平山馨)
平成16年3月18日
判決
主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求(1、2及び4が45号事件、3が47号事件に係る請求である。)
1 被告法務大臣が、原告に対して平成14年3月11日付けでした難民の認定をしないとの処分を
取り消す。
2 被告法務大臣が、原告に対して平成14年6月4日付けでした出入国管理及び難民認定法61条
の2の4に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
3 被告法務大臣が、原告に対して平成14年6月5日付けでした出入国管理及び難民認定法49条
1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
4 被告名古屋入国管理局主任審査官が、原告に対して平成14年6月5日にした退去強制令書の発
付を取り消す。
第2 事案の概要(以下、年号は、本邦において生じた事実については元号を先に、本邦外において生
じた事実については西暦を先に表記し、日付については現地時間に基づく。また、国名は、慣用例
により適宜略記する。)
本件は、アフガニスタン国籍を有する原告が、被告法務大臣(以下「被告大臣」という。)に対し
て難民認定申請をしたところ、同被告が難民の認定をしない処分をした上、これに対する異議の
申出も理由がないとの裁決をし、次いで、原告に不法入国の退去強制事由がある旨の入国審査官
の認定に誤りがないとの特別審理官の判定に対してした異議の申出も理由がないとの裁決をした
ため、同被告に対してこれらの取消しを求め、さらに、後者の裁決に基づいて、被告名古屋入国管
理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)が原告に対する退去強制令書を発付したため、
同被告に対してその取消しを求めた事案である。
1 争いのない事実等(証拠等による認定事実の場合は、末尾にその根拠となった当該証拠等を掲
記する。)
 アフガニスタンの国情
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ア 1990年代の内戦までの経緯
アフガニスタンは、パシュトゥン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人その他の少数民族
から成る多民族国家であり、1919(大正8)年に英国保護領から独立した後、1973(昭和48)
年に王制から共和制に移行し、さらに共産主義政権が成立したが、政局は安定せず、1979
(昭和54)年の旧ソ連軍の軍事介入とこれに反発するイスラム教徒から成るムジャヒディー
ン(イスラム聖戦士たち)各派によるゲリラ戦、1989(平成元)年の旧ソ連軍の撤退を経て、
1992(平成4)年、ムジャヒディーンが同政権を打倒し、ブルハヌディン・ラバニ(以下「ラ
バニ」という。)が大統領に就任した。しかし、ほどなくして、ムジャヒディーン各派が覇権
を巡って抗争を繰り返すようになり、内戦状態となった。
イ タリバーンの台頭と国土制圧
混乱の中、相対的多数派民族であるパシュトゥン人によって主に構成され、ムッラー・ム
ハマド・オマル(以下「オマル」という。)の指導の下でスンニ派イスラム原理主義政権の樹
立を目指すタリバーン(「求道者たち」あるいは「神学生たち」を意味する。)が、1994(平成6)
年ころから台頭し、1996(平成8)年9月末には首都カブルを制圧して暫定政権の樹立を宣
言し、その後も軍事攻勢によって勢力拡大を続けた。
これに対し、ラバニ派(タジク人中心)、カリリ派(ハザラ人中心)、ドスタム派(ウズベク
人中心)などの反タリバーン勢力は、北部の都市マザリ・シャリフを拠点に北部同盟を結成
して抵抗したが、タリバーンは、1998(平成10)年8月ころ、同市に大攻勢をかけて陥落さ
せ(その直後にハザラ人を中心に多数の者が虐殺された。)、その後も攻勢に出て1999(平成
11)年までに国土の大半を支配するに至った。
ウ タリバーン政権の崩壊と新政権の樹立
2001(平成13)年9月11日、米国でいわゆる同時多発テロ事件が発生したのを契機に、米
英軍は、同年10月7日、その首謀者と目されたウサマ・ビンラディンの引渡しを拒否したタ
リバーン政権に対して、軍事攻撃を開始し、北部同盟も米国の支援を受けて攻勢に転じた。
タリバーン政権は、同年11月13日には首都カブルを放棄して組織としては事実上崩壊し、
これを受けて、国連主導により同月27日から同年12月5日にかけてドイツのボンで開催さ
れたアフガニスタン代表者会合の結果、同月22日、ハミド・カルザイ(以下「カルザイ」とい
う。)を議長とするアフガニスタン暫定行政機構が発足し、さらに、2002(平成14)年6月に
開催された緊急ロヤ・ジルガにおいて、カルザイ暫定政権議長が国家元首である大統領に選
出されて、ハザラ人の閣僚を含むアフガニスタン・イスラム移行政権(以下「カルザイ政権」
という。)が樹立された。
 原告の身上と本邦への入国
原告は、1974(昭和49)年1月4日、カブルで出生したアフガニスタン国籍を有する外国人
で、平成13(2001)年10月14日、旅券を所持することなく東京付近の港に到着し、本邦に入っ
た。
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 本邦における原告の行政関係等の手続
ア 難民認定申請と不法入国容疑事件の立件
原告は、平成13(2001)年11月7日、大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)において、
同人がハザラ人であるために、アフガニスタンを実効支配していたタリバーン政権によって
迫害を受けるおそれがあることを理由として、被告大臣に対し、出入国管理及び難民認定法
(以下、法律名を示すときは「入管難民法」と、章名又は条文を示すときは単に「法」という。)
61条の2第1項に基づく難民の認定を申請した(甲1、2の1・2、乙13、16。以下「本件難
民申請」という。)。
他方、大阪入管入国警備官は、同月12日、原告を法24条1号(不法入国)該当容疑で立件
した(乙13)。
イ 難民調査官による調査と難民不認定処分
被告大臣は、平成13(2001)年11月16日、同年12月13日及び平成14(2002)年1月8日の
大阪入管難民調査官による3度の調査(乙1ないし3)を経て、同年3月11日付けで、原告
に対して難民の認定をしないとの処分をした(甲5、乙13、17。以下「本件不認定処分」とい
う。)。
ウ 大阪入管による退去強制事由の調査と名古屋入国管理局(以下「名古屋入管」という。)へ
の移管
大阪入管入国警備官は、平成14(2002)年1月28日及び同年2月26日、同入管茨木分室に
おいて不法入国容疑で原告の違反調査をした(乙6、7、13)が、原告は、前後する同月21
日、居住地を大阪府堺市から愛知県安城市に移して、同市に外国人登録の申請をした(乙14、
15)。
大阪入管は、同年3月8日、原告に対する上記容疑事件を名古屋入管に移管した(乙13)。
エ 退去強制容疑に基づく収容と退去強制事由の認定
名古屋入管入国警備官は、平成14(2002)年4月10日、法39条1項に基づき、原告が法24
条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当な理由があるとして、被告主任審査官か
ら発付を受けた同月9日付け収容令書を執行して、原告を名古屋入管収容場に収容する(乙
20)とともに、違反調査を実施し(乙8)、翌11日、法44条に基づき、調書及び証拠物ととも
に原告を名古屋入管入国審査官に引渡した(乙21)。
名古屋入管入国審査官は、同月12日及び同月25日、上記容疑事実について審査した(乙9、
10)結果、同日付けで原告が法24条1号に該当する旨認定し、そのころ、これを原告に通知
した(乙13、22)。
オ 原告の不服申立て等と被告大臣の裁決
ア 本件不認定処分は、前後する平成14(2002)年4月10日、原告に通知されたが、原告は、
これを不服として、同日、法61条の2の4に基づき、被告大臣に対して異議を申し出た(甲
5、乙13、17、18。以下「本件難民異議申出」という。)。
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イ また、原告は、同月25日付けの法24条1号に該当する旨の名古屋入管入国審査官の認定
を不服として、同日、法48条1項に基づき、名古屋入管特別審理官に対し口頭審理を請求
した(乙10)ので、同特別審理官は、同年5月10日、口頭審理を行い(乙11)、その結果、上
記認定は誤りがない旨判定し、これを原告に通知した(乙23)ところ、原告は、同日、法49
条1項に基づき、被告大臣に対して異議を申し出た(乙13、24。以下「本件退去異議申出」
という。)。
ウ 被告大臣は、本件難民異議申出について、同年5月9日及び同月21日に行われた名古屋
入管難民調査官による調査(乙4、5)を受けて、同年6月4日付けで理由がない旨裁決し
(甲7、乙19。以下「本件不認定裁決」といい、本件不認定処分と併せて「本件不認定処分等」
という。)、同月5日、これを原告に通知した(乙13)。
エ また、被告大臣は、本件退去異議申出について、前後する同年5月21日の名古屋入管特
別審理官による口頭審理の補充調査(乙12)の結果、法49条3項に基づき、同年6月5日
付けで理由がない旨裁決した(以下「本件退去裁決」という。)上、法務省入国管理局長、名
古屋入国管理局長を経由してこれを被告主任審査官に通知した(乙13、25)。
カ 退去強制令書の発付と執行
被告主任審査官は、平成14(2002)年6月5日、本件退去裁決を原告に通知する(甲8、乙
13、26)とともに、原告に対して、送還先をアフガニスタンとする退去強制令書を発付し(以
下「本件発付処分」といい、本件不認定処分等及び本件退去裁決と併せて「本件各処分」とい
う。)、名古屋入管入国警備官が、同日、これを執行して原告を収容し、同年7月3日、入国者
収容所西日本入国管理センターに移収した(乙13、27)。
キ 仮放免
原告は、平成14(2002)年8月ころを含め、数度にわたり仮放免を申請した(甲9ないし
14、弁論の全趣旨)ところ、同年9月3日の45号事件の提起及び同月5日の47号事件に係る
請求の追加的併合(当裁判所に顕著な事実)後である同年10月29日、これを許可された。
2 本件の争点及びその前提問題
(前提問題)
判決自体の条約適合性の要否(本件各処分の適否の判断基準時)
(争点)
 本件不認定処分等の手続的適否
 本件不認定処分等の実体的適否
ア 「迫害を受けるおそれ」の意義
イ 原告の難民性の有無
 本件退去裁決の適否
 本件発付処分の適否
3 争点及び前提問題に関する当事者の主張
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 前提問題−判決自体の条約適合性の要否(本件各処分の適否の判断基準時)について
(原告の主張)
訴訟の口頭弁論終結時において、難民が送還先において迫害を受けるおそれがあるという十
分に理由のある恐怖を有する客観的状況がある場合、退去強制令書発付の適法性を追認し、当
該難民を送還させることになる判決は、それ自体がいわゆるノン・ルフルマン原則を定めた難
民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)33条1項に違反するものとして違法である。
したがって、仮に本件各処分時においてそれらが適法であったとしても、アフガニスタンに
おいては、2003(平成15)年8月ころからタリバーンによる事件が相次いでおり、国連難民高
等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)等の非武装中立の組織に対しても攻撃を拡大させ
るなど、タリバーンが組織として復活を遂げたのが確実であるほか、カルザイ政権もその懐柔
に動いているような不安定な状況にある口頭弁論終結時にあって、本件各処分を追認し、原告
を同国に送還させることになる判決は違法である。
このような場合、事情判決との対比において、主文においては本件各処分の適法性を確認し
つつ、請求を認容してこれらを取り消すことも可能というべきである。
 本件不認定処分等の手続的適否(争点)について
(原告の主張)
ア 難民性の立証責任の所在
難民認定手続において、難民であることの立証責任は、難民性を主張する者が全面的に負
うとされているが、難民認定申請者は、命をかけて着の身着のままで逃れ来る者で、生きる
ことそれ自体の確保を優先させなければならず、また、国籍国との決別の表明である難民認
定申請は最後の最後まで遅らせるのが通常であるから、転々とする間にも生活必需品以外は
ほとんど喪失するなり処分するなりしてしまい、難民性立証のための資料としては本人の窮
状そのもの以外にはないことが常態である。被告らは、我が国が資料を収集することの困難
性を主張するが、そのような事情は申請者としても同様であり、むしろ、行政側が発達した
通信機構を利用したり、国際機構を通じたり、多数の職員を動員して情報を収集し分析でき
ることと比較すれば、申請者の方がより困難というべきである。
また、申請者は、異国の法制度や行政手続に関する知識を持たず、高度の立証活動に対応
できるはずもなく、特に我が国の難民認定申請期間が60日に制限されている下では十分な立
証資料を収集することが期待できないこと、難民認定官(被告ら及び難民調査官)は、難民の
国籍国(無国籍者の場合には常居所国。以下併せて「国籍国等」という。)にまず行ったこと
がなく、その国の事情に疎いのが通常で、迫害を実感してもらうのが非常に困難であること
からすれば、申請者に対して難民該当性を完全に証明する証拠の提出を求めるのは、結局ほ
とんど不可能を強いるものである。
申請者は、資料収集能力、法律その他の知識、立証活動能力のあらゆる点において、行政側
と比べて圧倒的に劣っているのであり、弾劾的当事者構造を強調するのは実質的には難民を
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保護しないに等しいから、難民性の立証責任は、難民認定手続の構造に沿った形で、通常の
裁判におけるそれよりも緩和されるべきである。
したがって、申請者の陳述により、申請者がその主観において迫害の下にあると一応うな
ずけるだけの立証がされれば、これを覆すに足りる明白な根拠が示されない限り、難民性を
否定することは許されず、疑わしきは申請者の利益に帰せしめるのが相当である。仮に申請
者の陳述以外の資料の不足により真偽不明の状態が生じた場合、これを申請者の不利益に帰
せしめることは許されない。
なお、本来難民でない者まで難民扱いすることになる可能性は、難民条約及び難民の地位
に関する議定書(以下「難民議定書」といい、難民条約と併せて「難民条約等」という。)を締
結したことの合理的コストとして甘受すべきものである。
イ 原告の言語能力と通訳の不適正
ハザラギ語は、一般にはアフガニスタンの公用語であるダリ語の方言とされるが、類似点
は5割程度ともいわれており、文字表記はなく口伝のみで継承されていることから、部族単
位でも多種多様に異なる。原告は、ハザラギ語を母語とし、他民族の者との会話による実用
を通じてダリ語も話すことはできるが、教育を受けていないため敬語表現のダリ語は話せ
ず、ペルシア語は、話し方にもよるものの、ある程度聞いて理解することはできても、発話能
力はほとんど無い。
本件難民申請に係る原告に対する調査は、すべてペルシア語で発問され、原告がダリ語で
回答する方式で行われたものであるが、ペルシア語通訳人が仕事欲しさにダリ語も通訳可能
と述べる場合も見受けられるといわれているところ、本件でも通訳人が原告の発するダリ語
を理解し得たかは疑問が残り、供述内容に照らしても誤訳したとしか考えられない部分も多
く、原告の供述を録取したものとはいえない。
また、本件難民異議申出に係る調査においては、ペルシア語より若干原告が理解しやすい
といえるダリ語が使用されたこともあったが、その際に通訳人として充てられたBはパシュ
トゥン人であるところ、原告を迫害してきたタリバーンを構成する民族の通訳人を付けれ
ば、原告としては話すべきことを話せないのは当然である。しかるに、被告らは、同氏がパシ
ュトゥン人であることを告知した上で通訳人としてよいかを原告に尋ねておらず、通訳人の
排除請求権も告知しなかったため、原告は、平成14(2002)年5月10日の特別審理官による
口頭審理の際にBがパシュトゥン人に偏した発言をし、原告に賄賂を要求するまで、同人が
パシュトゥン人であることに気付かなかった。これらの事実は、正しい通訳が行われなかっ
たとの疑いを抱かせ、難民認定手続全体の信頼性を疑わしめるものである。
本件難民申請に係る手続は、行政手続の性質に応じて適正手続の保障を及ぼす憲法31条に
明らかに反し、違法であるから、本件不認定処分等は取り消されるべきである。仮に、同条に
違反しないとしても、その際の供述の信用性や証拠価値は著しく減殺され、調書類はすべて
証拠として採用すべきでなく、殊に原告に不利に用いることは許されない。
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ウ 合理的調査の欠如
被告大臣は、迫害を受けるおそれについて「立証する具体的な証拠がない」などと説明す
るが、日本国政府は、難民認定申請者に証拠収集する機会を与えることもなく、いたずらに
長期にわたる拘禁を続けている現状について、UNHCRから懸念を表明されているほどであ
る。法61条の2の3によれば、国家は、その後見的作用によって難民性の立証を緩和すべき
であるところ、原告は、本件難民申請時から、一貫してハザラ人であると供述し、証拠として
提出できるものはすべて提出しているにもかかわらず、被告らは、原告の難民該当性の判断
に際していかなる合理的調査を尽くしたかについて明らかにすることを拒んでおり、被告大
臣が合理的な調査を行ったことの立証はない(本件不認定処分等の後に作成された証拠を、
本件不認定処分等の適法性を基礎付けるために援用することは許されない。)から、本件不認
定処分等は違法である。
エ 理由付記の欠如
難民条約等に基づく国の義務を履行するための難民認定手続において、行政庁の判断の慎
重・合理性を担保し、申請者の争訟提起の便宜を図るという目的の理由付記の程度について
は、被告大臣に裁量判断の余地はなく、その判断を誤った場合には申請者の生命、身体、自由
に重大な危険を生じさせ、言わば死刑判決を下すような結果を生じさせるから、種々の行政
処分の中でも刑事手続に準じた慎重な判断が必要であり、これを担保するために手続的保障
が要請され、具体的な理由が明示されるべきである。
しかして、その程度としては、特段の事情がない限り、判断の根拠となった法条及び具体
的事実を示し、さらに、当該具体的事実を裏付ける証拠資料の有無、証拠資料がある場合は
そこから事実を導いた評価手法や推論の過程、証拠資料がない場合は証拠資料を獲得すべく
行った調査の具体的内容(目的、期間、程度その他)を明らかにすべきである。
したがって、単に「迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明され」ないとした本件
不認定処分や、「難民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に、貴殿が
難民条約上の難民に該当することを認定するに足りるいかなる資料も見出し得なかった」と
する本件不認定裁決には、「難民条約上の難民に該当しない」と判断された具体的理由が実質
的に何ら明示されていないから、憲法13条、31条の要請する程度の理由の付記がされていな
い違法がある。
(被告らの主張)
ア 難民性の立証責任の所在
原告の主張アのうち、難民認定手続において、法61条の2第1項の申請の立証責任が難民
認定申請者にあることは認めるが、その余は争う。
いかなる手続を経て難民の認定がされるべきかについては、難民条約等にも規定がないこ
とから、これらを締結した各国の立法政策に委ねられていると解されるところ、我が国の難
民認定手続を規定する法61条の2第1項が、被告大臣は、申請者の「提出した資料に基づき」
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難民認定を行うことができると定め、法61条の2の3第1項が、被告大臣は、申請者より「提
出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合その他……必要がある
場合には、難民調査官に事実の調査をさせることができる。」と定めていることから明らかな
とおり、難民認定申請者は、まず、自ら難民条約等に列挙された事由を理由として、「迫害を
受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」ことを認めるに足りるだけの資
料を提出することが必要である。このことは、難民認定を受けていることが他の利益的取扱
いを受けるための要件となっていて(法61条の2の5、61条の2の6、61条の2の8)、難
民認定処分は授益処分とみるのが相当であること、難民該当性の判断の対象とされる諸事情
が、事柄の性質上、外国でしかも秘密裡にされたものであることが多く、その事情を我が国
が有権的かつ当然に把握できるものではなく、その資料の収集は不可能に近いことからも明
らかである。
イ 通訳の適正
原告の主張イは争う。 
難民認定に係る事実の調査を行うために通訳人が必要とされる場合、名古屋入管において
は、能力及び人物評価をして選んだ名簿等の中から、過去数年間の実績を調査し、申請者と
利害関係のない者等適当な通訳人を選定した上、申請者から当該通訳人を忌避する旨の申立
てがない限り通訳人として使用することとしており、本件難民異議申出に係る事実調査に際
しても、同様の手続により選定したアフガニスタン人の通訳人Bについて、調査日の10日以
上前に原告に確認して問題ない旨の回答を得たし、その後も忌避する旨の申立てがなかった
ことから、同人を通訳人としたものである。したがって、名古屋入管難民調査官は、通訳人の
選定につき適正な手続を踏んでいる。
しかも、Bは、純粋のパシュトゥン人ではなく、パシュトゥン人と他の民族を親に持つ混
血のアフガニスタン人で、また、既に20年以上も我が国に在留していてタリバーンと関係が
あるとは考えられない上、調査を実施した平成14(2002)年5月9日当時のアフガニスタン
は、後述のとおりタリバーンが崩壊している状況でもあったから、このような状況の下で、
タリバーンと無関係のパシュトゥン人を通訳人として使用しても、本件難民異議申出に係る
事実の調査手続に何の問題も生じない。
原告は、Bが原告に金品まで要求している旨主張するが、同人による各調査当日に原告が
その旨を申し立てなかったことからすれば、かかる金品要求の事実があったとは認められな
いし、後日にされた要求であるとすれば、通訳の適正とは無関係であって、何ら調査手続の
適法性を損なうものではない。
本件難民異議申出に係る事実調査は、Bと別の日本人通訳人を介して2回行っており、供
述内容も同一であるから、Bを通訳としたことによる本件不認定裁決の結果への影響も全く
なかったことは明らかであって、通訳人の選定について、何ら手続的違法はない。
ウ 調査実施の裁量性
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原告の主張ウのうち、UNHCRから庇護希望者の拘禁に関する懸念が表明されたことは認
めるが、その余は争う。
そもそもUNHCRの懸念の表明には法的拘束力がなく、我が国が庇護希望者を収容したか
らといって難民条約等に違反することにはならない(原告の場合については、国際法及び国
内法に従った適切な措置であった。)。
申請者の立証が十分でないとして難民の認定をしないこととなるのは、合理的な調査を十
分に尽くしても難民該当性が判然としないような場合であるが、法61条の2の3が事実の調
査権限を被告大臣に付与しているのは、無資格者を誤って難民と認定すれば、事実確認を基
礎とする制度の意義を失わせることになりかねないため、一定の限度で実体的真実を解明す
ることが適正な処分を行うために必要と考えられるところ、申請者が自己に不利益な資料を
進んで提出することは想定できないことから、専門的知識を有する難民調査官において、申
請書や提出資料について申請者に説明を求めるなどし、その供述態度をも直接確認して心証
を得るための権限を法的に明確にしたものであって、難民調査官に調査をさせる職務上の法
的義務を被告大臣に課したものではない。
原告についても、以上の意味において十分に合理的な調査を尽くした結果、難民該当性が
認められなかったものである。
エ 理由付記の十分性
原告の主張エのうち、法律が行政処分に理由付記を要求しているのは、処分庁の判断の慎
重・合理性を担保してその恣意を抑制するとともに、処分の理由を相手方に知らせて不服の
申立てに便宜を与える趣旨に出たものであることは認めるが、その余は争う。
理由付記に当たり、どの程度の記載をすべきかは、処分の性質と理由付記を命じた各法律
の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべきものであるところ、難民不認定処分の場合、難民
性の立証責任は申請者が負うと解されるから、処分の前提として明らかにすべき一定の事実
関係が存在せず、申請者の申立てを立証する具体的な証拠がないとの理由付記しかできない
場合もあり得るのであり、事実関係を認定する心証形成経過まで付記することを法が要求し
ているとは解されない。
しかして、本件不認定処分の理由は、原告に交付された通知書の理由欄の記載を見れば、
難民該当性について立証する具体的証拠がないというものであったことが明白であり、何ら
不明確なものではなく、処分庁の恣意を抑制し、原告に対して不服申立ての便宜を提供する
という要請を満たしていると認められるから、理由付記の程度としては十分であって、何ら
の違法もない。本件不認定裁決についても、その理由中で、被告大臣が、原告から本件難民異
議申出を受けて、本件難民申請について再検討し、本件不認定処分における判断に誤りがな
いと認定し、さらに異議申出以後に提出されたその他の資料について検討しても、原告の主
張する難民該当性を立証するいかなる資料もなかった旨判断しており、その結論に達した過
程を明らかにしているから、違法はない。
- 10 -
 「迫害を受けるおそれ」の意義(争点ア)について
(原告の主張)
国籍制度が世界全体で認められたのは、人はその国籍国においてこそ最もよく保護され、人
権等の保障を受けられるという思想に合理性があったからであり、難民としても、「迫害」がな
くなれば国籍国等に帰りたいと望む者がほとんどである。にもかかわらず、難民は「迫害」ゆえ
に国籍国等にいたくともいられなくなり、難民認定申請という形で国籍国等との決別を表明せ
ざるを得なかったことに照らすと、難民条約上の「迫害」の判断に際しては、まずもって当該申
請者の主観に重きを置くことが肝要であって、このことは、同条約が「恐怖」という極めて主観
的な概念を用いていることからも裏付けられる。人種等を理由とする生命又は自由に対する脅
威が常に「迫害」に当たると推論されるのみならず、それ自体としては(辞書にあるような意味
での)「迫害」といえないような様々な事情(差別、一般的な不安定な雰囲気)を総合考慮した
結果、申請者の内心に累積された根拠により迫害の存在を正当化できることも十分にある。
したがって、「迫害」の定義を論ずるに当たって、被告らの主張するように、「通常人が申請者
の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情」は不必要であり、その受忍限
度内の人権抑圧であるとのそれ自体あいまいな一事をもって、難民の救済を否定するのは明ら
かに非人道的であって、申請者なりに合理的な根拠をもって迫害の恐怖を感じているにもかか
わらず、かかる客観的事情がないとして難民として扱わず、国籍国等に送還するのは新たな人
権侵害である。
また、難民不認定処分は、その判断を誤った場合、被処分者の生命、身体、自由への侵害を招
く特質を有するから、迫害の「おそれ」は、現実的な危険性までは要求されず、抽象的なもので
足りると理解すべきであって、具体的なおそれを要求するのは、本来難民とされるべき者を国
籍国等へ送還する結果となりかねない危険な解釈であることは明白である。
(被告らの主張)
原告の主張は争う。
入管難民法に定める「難民」とは、難民条約等上の難民をいう(法2条3号の2)ところ、難
民条約にいう「迫害」とは、通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であ
って、生命、身体、自由への侵害又は抑圧を国家機関が行う場合をいい、私人によるこれらの行
為を国家が容認又は黙認する場合をも含むが、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由
のある恐怖を有する」というためには、当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱い
ているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱
くような客観的事情が存在していることが必要と解すべきである。
原告の主張によれば、客観的に全く迫害を受けるおそれがないような場合であっても、申請
者が主観的に迫害を受けるおそれがあると思いさえすれば当該申請者を難民と認めなければな
らないという不合理な事態が生じることとなるから、その主張は全く不当である。
 原告の難民性の有無(争点イ)について
- 11 -
(原告の主張)
ア アフガニスタンにおけるハザラ人迫害の歴史
19世紀末に現れたパシュトゥン人の王アブドゥル・ラフマンは、当時の人口の約2パー
セントに当たる12万人の他民族を殺害したところ、中でも最大の抵抗勢力であり、シーア派
に属するハザラ人への敵視は際立ち、その残虐な行為によって同民族の自治と産業は壊滅的
な打撃を受けた。そのため、ハザラ人は、地位的、経済的に劣位に置かれ、その反乱と抵抗が
失敗するたびにパシュトゥン人の王の怒りを買う結果となって、劣位は決定的なものとなっ
た。さらに、この時代に引き続く1929(昭和4)年から1978(昭和53)年にかけて、ハザラ人
に対する政治的抑圧が行われ、完全に二流市民扱いされた結果、ハザラ人はロバの代わりに
荷物を運搬するような仕事しかできない状態に陥った。かかる扱いが長く続くことにより、
民間にまで差別意識が浸透して定着するに至るのは歴史が教えるところであり、こうした経
緯は、アフガニスタンで「ハザラ」の語が広くおとしめや否定的な意味で使われることにも
見ることができる。
その後、ハザラ人は、イスラム統一党を指導したマザリ師が精神的支柱となって一時中興
したが、同師は、1995(平成7)年にタリバーンとの融和を企図する過程で捕らえられ、処刑
された。
上記のようなハザラ人に対する蔑視、差別感は、長年にわたり既成事実化したもので、ア
フガニスタンの諸民族の脳裏に焼き付いており、特に同民族がシーア派を捨てないことが、
スンニ派に属する他の諸民族の怒り、敵意、差別感を醸成している。
イ 原告の民族性と体験
原告は、ハザラ人集住地域であるカブル西部の《地名略》地区で出生したハザラギ語を話
すシーア派のハザラ人で、10歳のころから父の手伝いをしていたが、2年後の1986(昭和
61)年ころ、父がムジャヒディーンと疑われたため、ハザラ人集落のあるダレ・トルクマン
に退避していたところ、翌年、父は旧ソ連軍の空爆により死亡した。原告は、1988(昭和63)
年、《地名略》に戻り、ハザラ人を守るために結成されたイスラム統一党に対して資金面で協
力するなどしていたが、1992(平成4)年ころ、同党への攻撃が行われた際、銃撃戦に巻き込
まれて左脇腹を貫通する銃創を負って入院し、翌年には母も空爆で死亡した。原告は、1995
(平成7)年、タリバーンの攻撃によりイスラム統一党が西カブルから敗走したことに恐怖を
感じて家を出た末、イランのテヘランに行ったが、兵役に服するか国外退去するかを迫られ
たため、同所のアフガニスタン大使館で旅券を入手した上、トルクメニスタン、ロシア、タジ
キスタンを経由して、イスラム統一党が支配するアフガニスタン国内のマザリ・シャリフに
赴き、そこで自動車部品を販売して過ごしていたところ、1997(平成9)年5月にタリバー
ン軍が来襲した。このときは、同軍の敗退に終わったものの、原告は恐怖でホテルから一歩
も出られなかったし、報復があるとの噂も信じて恐怖を抱いたため、街を出ることを決意し、
店を捨ててパキスタンのペシャワールに渡った。
- 12 -
原告がハザラ人であるとは認められないとの被告らの主張のうち、原告の相貌がモンゴル
系ハザラ人と相違していることは認めるが、ハザラ人も純血主義を採っていたわけではな
く、トルクメン系、シンハリ系などタジク人に近い相貌である者や、ガズティス系、ベセス系
といった者もいるから、これを理由に原告のハザラ人性を否定する被告らの主張は失当であ
る。なお、原告が、調査段階において、カブルで生まれ育ったために、背も高くなったと思う
とか、ハザラギ語でなくダリ語を話していたなどと供述したとの事実は否認する。調査段階
における原告の供述の変遷は、専ら調査の際に使用された言語に係る言語能力に起因するも
のであるし、それゆえにまた、その変遷を理由に原告の供述全体の信ぴょう性を否定すべき
でもない。
また、被告らの主張のうち、原告がハザラ人性を証明する身分証明書等を所持していない
ことは認めるが、ハザラ人内部で生活してきた原告にそうした証明書を取得し携帯すること
は必要でなかったばかりでなく、かえってこれを携帯することは迫害を呼び寄せるものでし
かないのであるから、証明書の提出を要求する被告らの主張も失当である。
ウ 原告の抱く迫害の恐怖
確かにタリバーン政権は、米軍の爆撃等によって組織としては崩壊したが、至るところに
その残党と思われるものがいまだに多く残存している上、タリバーン政権崩壊を機に亀裂の
深まった各軍閥は、これらタリバーンの残党を利用、吸収して抗争、内戦を続けると考えら
れる。すべてのハザラ人がパシュトゥン人から殺害される状況にあったとはいえないとして
も、ハザラ人の迫害の歴史からも明らかなように、アフガニスタンにおいては、民族と宗教
とは強固に結び付いており、ハザラ人であれば、シーア派であると当然視されるところ、近
い将来においてアフガニスタンから同民族に敵対するタリバーンの影響がぬぐい去られるこ
とは想定し難い。原告の母は、確かに内戦に巻き込まれて死亡したが、この内戦は、民族間の
対立を原因として起こったのであり、サヤフ派などがハザラ人に対して攻勢に出ている時に
その戦闘で母を亡くした以上、原告が、その死はハザラ人ゆえであったと考えるのは当然で
ある。また、原告の家族は、タジク人男性とハザラ人女性との結婚に原告の父と親戚が反対
してから、タジク人家族との仲が悪くなっている(小規模の部族対立に発展する可能性もあ
った。)ほか、タジク人がタジク人捕虜とハザラ人の遺体との交換を押し付けたり、タジク人
に捕らわれたハザラ人捕虜が奴隷扱いを受けたり、タジク人地区に入ると捕まって拷問を受
けるなどの体験等から、タジク人に対しても迫害される恐怖を抱いている。そして、パシュ
トゥン人でありながら諸民族の融和を唱えていたカディル副大統領が暗殺されたり、カルザ
イ大統領自身の暗殺未遂事件が発生するなどの状況の下では、原告がアフガニスタンで際立
った宗教活動をしていなかったことが事実であるとしても、それが迫害を受けるおそれを否
定する資料とはなり得ない。
このことは、西欧諸国がタリバーン政権崩壊後も、少なくなっているとはいえ数多くの難
民認定申請を認めていることや、日本の外務省が、邦人に対し、首都カブル等のいくつかの
- 13 -
都市については渡航延期勧告を、それ以外の場所は退避勧告を継続していることからも明ら
かである。
以上のとおり、原告が、再びパシュトゥン人がばっこしてハザラ人を迫害し始めるとの懸
念を抱いたとしても無理はなく、また、アフガニスタン北部、西部におけるドスタム将軍と
イスマイル・カーンによる人権弾圧、南部におけるあへん栽培とそれを巡る利権争い、南東
部における反政府武装闘争などの現状に照らすと、タリバーンの残党又は軍閥による原告に
対する報復、略奪その他の迫害は十分に考えることができるから、原告は、迫害を受けるお
それがあるという十分に理由のある恐怖を有するというべきである。
エ その余の被告らの主張に対する反論
ア 不法就労目的の不存在
被告らは、原告の本邦入国の目的が不法就労活動にあった旨主張するところ、確かに原
告は、ペシャワールでパキスタンの査証を取った後、生計を立てるべく、同所におけるシ
ーア派の拠点であるパークホテルで知り合ったハザラ人に紹介され、2000(平成12)年ま
でに5回、査証を取得した上で日本に赴いたことはある。しかし、原告は、同年11月に6
回目の日本の査証を申請して拒否されたのと同じころに、ハザラ人と外貌の似たウズベク
人が20名ほど逮捕されたのを目撃して、タリバーン政権への引渡しを想起し、また、同ホ
テルから出ない生活を6か月以上続け、限界に近付くうちに、2001(平成13)年5月ころ、
韓国経由での日本への入国を援助してくれる者がいるのを友人から聞き付けたため、同年
6月末にパークホテルを出て、難民認定申請を行うべく、来日したのである。
被告らは、実際に迫害の対象となっていれば、可及的速やかに本国を出国し、他国にお
いて難民認定申請するのが当然の行動である旨主張するが、難民の立場になって考える
と、自らが難民であると表明することは、故国との絶縁という重大な結果をもたらすばか
りか、それ自体に危険を伴う行為であるから、平穏に在留できている限りは難民であるこ
とを秘匿しておいて、これを維持できなくなって初めて、言わば最後の手段として難民で
あることを理由に保護を求めるのも無理からぬものと考えられるところ、原告が当初逃亡
していたイランでは、アフガニスタンからの難民は認定しておらず、その方法も分からな
かった上、当面の安全も確保できており、いったんアフガニスタンに帰国した後、入国し
たパキスタンのパークホテルでも当面の安全を確保していて、そのころ初めて、生計の立
てやすい日本で難民認定申請するよりほか迫害の危険を避ける手段のない状態に追い込ま
れたのであるから、原告は、期待される最も早い時期に難民認定申請をしたものである。
また、被告らは、原告が密入国船で不法入国したことを不法就労目的の根拠の一つとす
るところ、なるほど、原告は、6000米ドルを支払ってC港から船に乗り、平成13(2001)
年10月14日に日本に上陸したが、単に不法就労目的ならば、その先行投資のリスクに見合
うだけの成果が得られるとは限らないことからして、これだけの金員を払うほど迫害を受
ける恐怖を抱いていたとみるべき性質のものである。
- 14 -
以上のとおり、原告に不法就労目的がなかったことは明らかである。
イ 難民帰還の状況との整合性
被告らは、タリバーン政権崩壊後に国連を中心として難民帰還政策が推進されている旨
主張するが、同政策については、もともとパキスタンがタリバーン政権崩壊をこれ幸いと
して難民を追い返している事実があるなど、どれほどの難民が自主的に帰還したのか定か
ではない上、我が国において難民認定申請を取り下げた者は、被告ら提出の証拠を見る限
り、わずか1名で、その理由も、アフガニスタンが安全になったと考えたからにすぎない
のであり、こうした個人の見方を尊重するなら、原告の見方も尊重すべきである。
オ 小括
前記のハザラ人弾圧の歴史に照らせば、カルザイ政権が全民族を平等に扱うと突如宣言し
たとしてもアフガニスタン国民の完全な理解と納得を得られるものではなく、タリバーンの
残党や、それを吸収した軍閥間の抗争等の内戦状態が収まるはずもない。カルザイ政権の基
盤は盤石とはほど遠く、アフガニスタンの国土を実効支配しているどころか、カブル周辺を
除いてその支配力は極めて微弱であって、さらに、同政権がタリバーンの政権内への取り込
みを図っていることが、政権内のタジク人勢力の反発を招くとともに、ハザラ人にとっては、
かつてハザラ人を虐殺したタジク人が政権の中枢にいることとも比べものにならないほど不
信と恐怖の対象となっているのである。本件不認定処分等の時において、カルザイ政権に、
前述したような境遇にある原告を保護する能力はなかったし、原告も、国籍国の保護を決し
て望んでいない。
なお、本件不認定処分等の時点において、国際治安支援部隊(以下「ISAF」という。)の駐
留していたカブルについては、ハザラ人に対して直ちに積極的な攻撃が行われる状態であっ
たとまではいえないと思われるが、カブルのみに閉じこもって生活することなどできない
し、また、周辺の地域情勢が悪化した場合、まずカブルが狙われるところ、その安全性はアフ
ガニスタン全体を見渡して初めて判断できるのであるから、迫害のおそれを論じるに当たっ
て、カブルだけを切り離して考えることは失当である。
以上のとおり、原告は、難民条約1条A及び難民議定書1条の規定により同条約の適用
を受ける難民(以下「議定書難民」という。)に当たり、入管難民法に定める難民に該当する
から、本件不認定処分は明らかに違法であり、また、本件難民異議申出に理由があるのに同
処分を取り消さず、難民には原則的に日本での在留を認めるべき旨を規定したものと解する
のが相当な法61条の2の8を、単なる確認規定の意味しかないものにおとしめ、原告に在留
特別許可を与える根拠とならなかった本件不認定裁決も、違法である。
(被告らの主張)
原告の主張のうち、原告が民族的にハザラ人であることは知らない。その余は否認な

退去強制令書執行停止申立事件
平成16年(行タ)第12号
申立人:A・B、相手方:東京入国管理局主任審査官
東京高等裁判所第19民事部(裁判官:鬼頭季郎・小池信行・任介辰哉)
平成16年3月19日
決定
主 文
1 相手方が、申立人Aに対し、平成14年6月21日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、
その収容部分及び送還部分について、本案事件(当庁平成15年(行コ)第263号退去強制令書発付
処分取消等請求控訴事件)の控訴審判決の言渡しまで停止する。
2 相手方が、申立人Bに対し、平成14年6月21日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、
その収容部分及び送還部分について、本案事件(当庁平成15年(行コ)第263号退去強制令書発付
処分取消等請求控訴事件)の控訴審判決の言渡しまで停止する。
3 申立人らのその余の申立てを棄却する。
4 申立費用は、これを2分し、その1を申立人らの負担とし、その余を相手方の負担とする。
理 由
第1 本件申立ての趣旨及び理由は、別紙「執行停止申立書」のとおりである。これに対する相手方の
主張は、別紙「意見書」のとおりである。
第2 当裁判所の判断
1 申立人らの申立ての理由は、要するに、第1審判決後に、申立人Aが日本人男性と婚姻し、申立
人Bも同男性と養子縁組をしたこと、申立人Bはソウル大学への推薦入学が決まっており、その
実現のためには日本において高校を卒業しなければならないこと、申立人Bが高校を卒業すれば
申立人らは帰国する意思であることという基礎的事情に大きな変化があったとの理由があるた
め、申立人Bが高校を卒業する平成17年3月末日まで、申立人らに対する収容及び送還の執行停
止をしないと回復困難な損害が生ずるというものである。
そこで、検討するに、在留特別許可を付与すべきかどうかが法務大臣の裁量に委ねられている
としても、法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いたと認められるような場合に
は、法務大臣が在留特別許可を与えなかったことが違法と判断される余地があるし、処分後の事
情であるからといって上記違法事由にまったく該当しないと言い切れるかどうかも含めて、なお
審理を尽くす必要があるというべきであるので、双方から提出された疎明資料に照らしても、現
段階において、本件裁決及び本件令書が違法であるとの申立人らの主張が、本案事件の第2審の
審理を経る余地がないほど本案について理由がないとみえるとまでは認めることができない。

退去強制令書発付処分取消等請求控訴事件
平成15年(行コ)第247号(原審:東京地方裁判所平成12年(行ウ)第211号)
控訴人:法務大臣、被控訴人:Aほか3名
東京高等裁判所第8民事部(裁判官:村上敬・矢尾渉・岡崎克彦)
平成16年3月30日
判決
主 文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人らの控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審とも、被控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
主文と同旨の判決を求める。
二 被控訴人ら
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人らの負担とする。
との判決を求める。
第二 事案の概要
一 本件は、控訴人法務大臣から出入国管理及び難民認定法(平成元年法律第79号による改正後の
もの。以下「法」という。)49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の各裁決(以下「本件各裁
決」という。)を受け、控訴人東京入国管理局主任審査官(以下「控訴人主任審査官」という。)か
ら、退去強制令書の各発付処分(以下「本件各退令発付処分」という。)を受けた被控訴人らが、本
件各裁決には、控訴人法務大臣が裁量権の範囲を逸脱し又は濫用して在留特別許可を付与などの
違法があり、本件各裁決を前提としてされた本件各退令発付処分も違法であるとして、本件各裁
決及び本件各退令発付処分の取消しを求める事案である。
二 前提となる事実(証拠を掲記しない事実は、当事者間に争いがない。)
1 当事者
被控訴人A(《日付略》生。以下「被控訴人夫」という。)はイラン・イスラム共和国(以下「イ
ラン」という。)国籍を有する男性であり、被控訴人B(《日付略》生。以下「被控訴人妻」という。)
は同国国籍を有する女性であって、両人は、夫婦である。被控訴人C(《日付略》生。以下「被控
訴人長女」という。)及び被控訴人D(《日付略》生。以下「被控訴人二女」という。)は、いずれ
も被控訴人夫と同妻の間に生まれた女児であり、同国国籍を有する者である。
- 2 -
2 被控訴人らの入国及び在留の経緯
 被控訴人夫は、平成2年5月21日、イランのテヘランからイラン航空機で成田空港に到着
し、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田支局入国審査官に対し、外国人入国記録
の渡航目的の欄に「Business」等と、日本滞在予定期間の欄に「9 DAYS」と記載して上陸申
請を行い、同入国審査官から法(平成元年法律第79号による改正前のもの)4条1項4号に
定める在留資格及び在留期間90日の許可を受け、我が国に上陸した。
被控訴人夫は、在留資格の変更又は在留期間の更新の許可申請を行うことなく、在留期限
である平成2年8月19日を超えて我が国に不法残留している。
 被控訴人妻及び被控訴人長女は、平成3年4月26日、シンガポールからシンガポール航空
機で成田空港に到着し、東京入管成田支局審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に
「TOURIST」、日本滞在予定期間の欄に「one week」と記載して上陸申請を行い、それぞれ同
入国審査官から法別表第1に規定する在留資格「短期滞在」及び在留期間90日の許可を受け、
我が国に上陸した。
被控訴人妻及び被控訴人長女は、在留資格の変更又は在留期間の更新の許可申請を行うこ
となく、在留期限である平成3年7月25日を超えて我が国に不法残留している。
 被控訴人妻及び被控訴人長女は、平成6年1月5日、埼玉県本庄市長に対し、居住地を埼
玉県本庄市《住所略》として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同年1月24日、外
国人登録証明書の交付を受けた。
被控訴人夫は、平成7年4月11日に埼玉県本庄市長に対し、居住地を埼玉県本庄市《住所
略》として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同年5月17日外国人登録証明書の
交付を受けた。
 被控訴人二女は、《日付略》、群馬県藤岡市所在のa医院において、被控訴人夫及び同妻の
間に出生したが、在留資格の取得の申請を行うことなく出生から60日を経過した《日付略》
を超えて我が国に在留し、不法残留している。
 被控訴人二女は、平成9年5月22日に群馬県藤岡市長に対し、居住地を群馬県藤岡市《住
所略》として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同日、外国人登録証明書の交付を
受けた。
 被控訴人妻は、平成8年10月31日、群馬県藤岡市長に対し、居住地を藤岡市《住所略》と
して、外国人登録法に基づく居住地変更登録をした(乙20)。
 被控訴人夫は、平成11年1月13日及び同年11月17日に、埼玉県本庄市長及び群馬県藤岡
市長に対し、居住地をそれぞれ埼玉県本庄市《住所略》及び群馬県藤岡市《住所略》として、
外国人登録法に基づく居住地変更登録をした。
被控訴人長女は、平成11年11月25日、群馬県藤岡市長に対し、居住地を藤岡市《住所略》
として、外国人登録法に基づく居住地変更登録をした(乙38)。
3 被控訴人らの退去強制手続の経緯
- 3 -
 被控訴人らは、平成11年12月27日、東京入管第2庁舎に出頭し、不法残留事実について申
告した。
 被控訴人夫
 東京入管入国警備官は、平成12年1月27日被控訴人夫について、違反調査を実施した結
果、同被控訴人が法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由がある
として、同年2月22日、控訴人主任審査官から収容令書の発付を受け、同月24日、同令書
を執行して、同被控訴人を東京入管収容場に収容し、同被控訴人を法24条4号ロ該当容疑
者として東京入管入国審査官に引き渡した。控訴人主任審査官は、同日、同被控訴人に対
し、請求に基づき仮放免を許可した。
 東京入管入国審査官は、平成12年2月24日及び同年3月7日被控訴人夫について違反
審査をし、その結果、同日、同被控訴人が法24条4号ロに該当する旨の認定をし、同被控
訴人にこれを通知したところ、同被控訴人は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理
を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成12年4月24日、被控訴人夫について、口頭審理をし、その
結果、同日、入国審査官の前記認定は誤りがない旨判定し、同被控訴人にこれを通知した
ところ、同被控訴人は、同日、控訴人法務大臣に対し、異議の申出をした。
 控訴人法務大臣は、平成12年6月26日、被控訴人夫からの異議の申出については理由が
ない旨裁決し、同裁決の通知を受けた控訴人主任審査官は、同月30日、同被控訴人に同裁
決を告知するとともに、退去強制令書を発付した。
 被控訴人妻
 東京入管入国警備官は、平成12年1月27日及び同年2月15日、被控訴人妻について違反
調査を実施した結果、同被控訴人が法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる
相当の理由があるとして、同月22日、控訴人主任審査官から収容令書の発付を受け、同月
24日、同令書を執行して、同被控訴人を東京入管収容場に収容し、同被控訴人を法24条4
号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引き渡した。控訴人主任審査官は、同日、同
被控訴人に対し、請求に基づき仮放免を許可した。
 東京入管入国審査官は、平成12年2月24日及び同年3月15日被控訴人妻について違反
審査をし、その結果、同日、同被控訴人が法24条4号ロに該当する旨の認定をし、同被控
訴人にこれを通知したところ、同被控訴人は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理
を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成12年4月26日、被控訴人妻について、口頭審理をし、その
結果、同日、入国審査官の前記認定は誤りがない旨判定し、同被控訴人にこれを通知した
ところ、同被控訴人は、同日、控訴人法務大臣に対し、異議の申出をした。
 控訴人法務大臣は、平成12年6月26日、被控訴人妻からの異議の申出については理由が
ない旨裁決し、同裁決の通知を受けた控訴人主任審査官は、同月30日、同被控訴人に同裁
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決を告知するとともに、退去強制令書を発付した。
 被控訴人長女及び同二女
 東京入管入国警備官は、被控訴人長女及び同二女について違反調査を実施した結果、被
控訴人長女が法24条4号ロ(不法残留)に、同二女が法24条7号にそれぞれ該当すると疑
うに足りる相当の理由があるとして、平成12年2月22日、控訴人主任審査官から収容令書
の発付を受け、同月24日、同令書を執行して、同被控訴人らを東京入管収容場に収容し、
被控訴人長女を法24条4号ロ該当容疑者、被控訴人二女を法24条7号該当容疑者として
東京入管入国審査官に引き渡した。控訴人主任審査官は、同日、同被控訴人らに対し、請求
に基づき仮放免を許可した。
 東京入管入国審査官は、平成12年2月24日及び同年3月15日被控訴人長女及び同二女
について違反審査をし、その結果、同日、被控訴人長女が法24条4号ロに、被控訴人二女
が法24条7号にそれぞれ該当する旨の認定をし、同被控訴人らにこれを通知したところ、
同被控訴人らは、同日、東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成12年4月26日、被控訴人長女及び同二女について、口頭審
理をし、その結果、同日、入国審査官の前記認定は誤りがない旨判定し、同被控訴人らにこ
れを通知したところ、同被控訴人らは、同日、控訴人法務大臣に対し、異議の申出をした。
 控訴人法務大臣は、平成12年6月26日、被控訴人長女及び同二女からの異議の申出につ
いては理由がない旨裁決し、同裁決の通知を受けた控訴人主任審査官は、同月30日、同被
控訴人らに同裁決を告知するとともに、退去強制令書を発付した。
三 争点
1 本件各裁決の適法性について
 被控訴人らの主張
 在留特別許可を付与しなかった判断の違法性について
ア 在留特別許可に関する法務大臣の裁量権の範囲
日本国憲法は、国会を国権の最高機関と定めていることから、国家の裁量は、第一義
的には国会に属するものとして立法裁量に現れることとなる。その立法裁量の結果とし
て、特定の場合には外国人に入国・在留を許可すべく行政庁に義務付けをすることもあ
り、行政庁に裁量を与えつつ、許可内容に制約を付すこともある。そして、憲法の精神や
「法律による行政の原理」からすれば、行政庁に全くの自由裁量が付与されることなどあ
り得ないのであって、一定の裁量権が与えられたとしても、その根拠となる法律の目的
及び趣旨等によって覊束裁量となるのである。この点、法は、「出入国の公平な管理」を
目的としており(1条)、「出入国の公平な管理」とは、国内の治安や労働市場の安定など
公益並びに国際的な公正性、妥当性の実現及び憲法、条約、国際慣習、条理等により認め
られる外国人の正当な利益の保護を図るための管理を意味する。法50条1項の趣旨も、
この公益目的と外国人の正当な権利・利益の調整を図ることにあり、法務大臣の裁量権
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もこの趣旨の範囲内で認められるにすぎない。
法務大臣の裁量権は、法の目的及び法50条1項の趣旨に覊束されるものであり、法も
平成元年の法改正によって各在留資格に関する審査基準を省令で定めて交付し、行政の
裁量の幅を減少させようとしているところであり、在留特別許可の制度に恩恵的な面が
あるとしても、そこから法務大臣の「極めて広範な裁量権」が導かれるものではない。
イ 本件における裁量権の逸脱又は濫用の存在
ア 帰国した場合の被控訴人らの不利益
被控訴人夫は、イランでの生活を維持するのが困難になり、やむなく来日したもの
であり、イランはいまだ政情も経済状況も不安定(イラン国内の失業率は25%を超え
ることが確実であるとされる。)であり、同国を10年以上も離れていた被控訴人夫が
同国で新たな職を得るのは極めて困難である。また、女性の社会進出が困難である同
国において、被控訴人妻が職を得ることは更に困難であって、そうすると、被控訴人
ら一家は帰国すれば路頭に迷うこととなる。さらに、日本で十数年生活した被控訴人
夫婦が、イランに帰った場合にイランの環境に適応できなくなっている可能性もあ
る。
イ 帰国による控訴人長女及び同二女への影響
イランは、1979年のイスラム革命以後、イスラム教の聖典であるコーランが最高法
規となるなど、イスラム教文化という我が国とはかけ離れた文化をもち、イスラム教
国の中でも特に厳格な規律を重んじる国であって、基本的人権の保障においても、強
い制約が存在し、特に女性は男性と比較して差別された地位に置かれている。
一方、被控訴人二女は出生時より、被控訴人長女も物心付かない2才の時から我が
国に居住し続け、日本語を使用し、日本の文化になじんだ人格形成を行い、我が国の
憲法で保障された男女平等、平和主義、自由主義に基づく教育を受けているところで
あり、言語、生活習慣、文化等の点で我が国とあまりにもかけ離れたイランでの生活
になじむことが非常に困難であることは明白である。被控訴人長女は、日本語を用い
た学習により、その教育制度に適応してその中で優秀な成績を上げ、さらには高等教
育を受けることを望み、その将来においては通訳等の職業に就くことを思い描いてい
るものであり、被控訴人長女がイランに帰国した場合、上記のような困難な事態が生
ずるために、被控訴人長女が学習を継続することは不可能であり、そのために被控訴
人長女は精神的に危機的状態に置かれ、自殺の危険さえ生じかねない。
ウ 長期間平穏かつ公然と在留している事実の評価
被控訴人らは、入国後、本件各退令発付処分の原因となった法違反以外には何ら法
を犯すことはなく、善良な市民として地域社会にとけ込んだ生活を送ってきたもので
あり、被控訴人らの我が国における在留資格を認めることによって、日本の善良な風
俗・秩序に好影響を与えることこそあれ、悪影響を及ぼすことは想定し難い。すなわ
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ち、被控訴人らは形式的には法違反という違法性を帯びた行為を行ってはいるもの
の、実質的な法益侵害に及んだ事実はなく、自ら入国管理局に出頭して違反事実を申
告したものであり、このような者に在留資格を付与すること自体が直ちに在留資格制
度の根幹を揺るがすとは考えられない。また、外国人をいわゆる「単純労働」を行う労
働力として受け入れる必要性は高く、アメリカ、フランス、イタリアといった諸外国
も非正規滞在者の大規模な正規化を行っているところであり、被控訴人らに在留資格
を認めないことによって保護されるべき国の利益は何ら存在しないといえる。
エ 被控訴人らの居住の自由の侵害
日本国憲法22条1項は、居住・移転の自由(恣意的に住居の選択を妨害されない権
利)を定めているところ、外国人であっても日本国にあってその主権に服している者
については、居住・移転の自由の保障が及ぶから、在留資格を有しない者も、退去強
制の合理性の判断なしに恣意的に住居の選択を妨害されない権利を憲法上保障されて
いるというべきである。ところが、控訴人法務大臣による本件各裁決は、被控訴人ら
が日本に生活の基盤を有して住居を構えている事実を考慮に入れておらず、居住の自
由を侵害する違法なものであり、この点に裁量権の逸脱又は濫用がある。
オ 児童の権利に関する条約違反
児童の権利に関する条約3条は、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、
公的若しくは私的な社会施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行わ
れるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と規定し
ているところ、日本の自由な社会で人格形成を行い、日本文化を身につけた控訴人長
女及び同二女の状況にかんがみれば、控訴人らに在留特別許可を認めなかった本件各
裁決は、控訴人長女及び同二女の「最善の利益」を全く考慮しておらず、児童の権利に
関する条約3条に違反する。
カ 公平原則違反
被控訴人らに先立ち、平成11年9月11日に在留特別許可を求めて集団出頭した外
国人家族の中には、被控訴人らと同様、小学6年に在学中の長女と5才の長男を含む
イラン人家族が含まれており、この家族には平成12年2月に法務大臣より在留特別許
可がされているところ、家族構成や日本での滞在期間等条件がほぼ同じ被控訴人らに
ついて異なった判断をすることは、公平の原則に反する。
 裁決書の不作成について
出入国管理及び難民認定法施行規則(平成13年法務省令第76号による改正前のもの。以
下「規則」という。)43条は、「法第49条第3項に規定する法務大臣の裁決は、別記第61号
様式による裁決書によって行うものとする。」と定めている。同条は、単に口頭で行われた
裁決の存在を確認・記録することを求めているのではなく、裁決が裁決書という書面によ
ってされなくてはならないこと、つまり、裁決が書面による様式行為であることを定めて
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いるのである。
とすると、裁決書が作成されていない本件各裁決には極めて重大かつ明白な手続上の瑕
疵があり、本件各裁決の取消しは免れない。
 控訴人らの主張
 在留特別許可を付与しなかった判断の適法性について
ア 在留特別許可に関する法務大臣の裁量権の範囲
憲法上、外国人は、我が国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろ
ん、在留の権利ないし引き続き我が国に在留することを要求する権利を保障されている
ものでもない。在留特別許可を与えるか否かも外国人の出入国に関する処分であるか
ら、法務大臣の自由裁量にゆだねられているものと解すべきである。法務大臣は、異議
の申出に対する裁決に当たって、異議の申出に理由がないと認める場合でも、特別に在
留を許可すべき事情があると認めるときは、その者の在留を特別に許可することができ
るところ(法50条1項3号)、このような在留特別許可は、退去強制事由に該当すること
が明らかで、当然に我が国からの退去を強制されるべき者に対し、特別に在留を認める
処分であって、その性質は、恩恵的なものである。そして、在留特別許可の判断をするに
当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会
等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮
すべきものであることから、在留特別許可に係る法務大臣の裁量の範囲は極めて広範な
ものであり、当該裁量権の行使が違法となるのは、法務大臣がその付与された権限の趣
旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情がある場合等、
極めて例外的な場合に限られる。
イ 本件における裁量権の逸脱又は濫用の不存在
被控訴人夫、同妻及び同長女は、イランで出生、生育し、来日するまで我が国とは何ら
のかかわりのなかった者であったが、渡航目的を偽って我が国に上陸し、被控訴人夫及
び被控訴人妻は、その後間もなく不法就労を開始しているところ、不法残留に至った経
緯は極めて計画的であって、不法就労を行った期間も長く、出入国管理行政上看過し難
いものがある。被控訴人夫及び同妻の親兄弟は、イラン本国に在住し、本件各裁決当時
には、不法就労で得た金銭で本国に自宅まで購入しているのであって、被控訴人らがイ
ランに帰国したとしても本国での生活に支障はない。また、被控訴人長女及び同二女は、
未だ可塑性に富む年代にあり、仮に当初は言語や生活習慣の面で多少の困難を感じるこ
とがあるとしても(現地での生活を経験することが言語や生活習慣を身につける最善の
方法であり、両親の我が国からの退去がやむを得ないものである以上、その年齢にかん
がみると、一刻も早い帰国が望まれるというべきである。)、両親とともに帰国するのが
子の福祉又は最善の利益に適うところであることは明らかであり、他の親族の在住する
イランでの生活に慣れ親しむことは十分に可能であると見込まれるのであって、被控訴
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人らについて、我が国への在留を認めなければならない特別な事情が存在するとは認め
られない。
確かに、被控訴人らは、我が国に不法に残留する間に一定の安定した生活状態を形成
したものといえなくもないが、そもそも不法残留は、処罰の対象となる違法行為であり、
被控訴人夫及び同妻が我が国において長期間不法就労活動を行ったという事実は、違法
行為が長期間に及んだことを意味するものであるから、控訴人法務大臣が被控訴人らの
在留特別許可の可否を判断する上で、当該事実を有利な事情と解しなければならない理
由はないのであり、むしろ、長期にわたる不法残留事実や不法就労事実等が在留特別許
可の判断において消極的要素として評価されるべきものである。
以上のような諸事情を考慮すれば、控訴人法務大臣が本件各裁決に当たって付与され
た権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情が存
在するとは認められない。
ウ 被控訴人らの主張に対する反論
ア 被控訴人らの出身国であるイランの教育や福祉等に係る状況をみても、児童の生育
上特段の問題があると認められず、被控訴人長女及び同二女を送還することが在留特
別許可の権限を法務大臣に認めた趣旨に反する非人道的なものであるといった事情は
何ら存しないばかりか、被控訴人らは、イランに自宅を購入した時期までは、イラン
に帰国する意思を有していたが、当時小学校2年生であった被控訴人長女が帰国した
がらなかったため、そのまま不法残留を継続するに至ったのであり、帰国を前提とし
た生活設計をしていたというべきである。
イ 国際連合は、平成2年12月18日「すべての移住労働者とその家族構成員の権利保護
に関する国際条約」を採択し、その30条は、移住労働者の子が公立学校で教育を受け
る権利を有することを定め、そのような権利は、移住労働者である両親又は子の滞在
が適法でないことを理由に拒否又は制限されない旨の規定を置いているが、同条約に
ついては受け入れ国側の懸念が強く、採択から10年以上経過した平成14年末におい
ても、未だ批准国が20か国に達していないため効力の発生にも至っておらず、しかも、
そのような条約でさえ、上記30条のような規定は不法に滞在する子の在留の適法化に
関する権利を含むものと解してはならないとしているのであるから(同条約35条)、
国際的にも不法就労者の子女が流入先の国において教育を受ける利益を得ているとし
ても、流入先の国がこれを理由に当該不法就労者及びその子女の在留を適法化すべき
であるなどという合意がされている状況が存在しないことは明らかである。
ウ イスラム社会においても、男性の場合とは異なり、女性の性器切除(女性割礼)をイ
スラム教徒の義務とする見解はごく少数であり、女性割礼は北東アフリカ、西アフリ
カ、アラビア半島やマレーシアの一部などに限定された習慣であるとされ、イランの
国内情勢に関する英国移民局の報告書は、「児童の虐待について知られた類型はない」
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とし、女性割礼について何ら触れていないのであるから、イランにおいて女性割礼が
法的又は社会的に義務とされている状況があるとは認め難い。
エ 被控訴人らと同様、出頭申告当時小学生だった子を有する不法残留外国人の家族に
ついて在留特別許可がされた例はあるが、他方、被控訴人らとともに、平成11年12月
27日に東京入管に出頭申告した不法残留中のイラン人5家族については被控訴人ら
を含む4家族が在留特別許可を受けることなく退去強制令書発付処分を受けている。
そもそも、在留特別許可は諸般の事情を総合的に考慮した上で個別的に決定される
べき恩恵的措置であって、その許否を拘束する行政先例ないし一義的、固定的基準な
るものは存在しないのであって、類似事例において在留特別許可がされているからと
いって、直ちに本件各裁決が違法になるとはいえない。また、仮に、本件各裁決が実務
に反するものであるとしても、前記アの裁量の本質が実務によって変更されるもので
はなく、原則として当不当の問題が生ずるにすぎない。
オ 不法残留者を中心とする不法就労者が我が国に多数存在するのは事実であるが、そ
れは多数の不法就労者が新たに発生し続けている結果であって、不法就労活動が我が
国の社会に容認されているからでもなければ、厳格な取締りが行われていないからで
もない。被控訴人らの居住地である群馬県でも不法就労活動が容認されているなどと
いう事実はなく、平成12年の群馬県議会においては「大量の不法滞在者が存在すると
いうことは、来日外国人による犯罪の温床となっている。」、「入国管理局との合同取締
りということに重点を置いて」いるとして、平成11年には41人を、平成12年には11月
末までに366人を摘発して不法滞在者の定着化の阻止と減少を図っていることが報告
されており、平成12年に全国で警察に検挙された法違反者は5862人である。群馬県
において法違反者の摘発が積極的に行われていないことはない。また、平成12年に退
去強制手続を採った不法就労者4万4190人中、群馬県で稼働していたものは1769人、
平成13年に退去強制手続を採った不法就労者3万3508人中、群馬県で稼働していた
者は1448人となっており、いずれも全国都道府県中8位となっている。さらに、平成
14年11月に全国の地方入国管理官署が行った法違反外国人の一斉摘発において摘発
された法違反者855名中、群馬県で摘発された者は58名であり、これは、大阪、東京、
埼玉に次いで全国都道府県中4位という高い順位となっているのであり、中小企業・
零細企業を中心に「単純労働者」を望む声が強く、日本政府は厳格な形で外国人労働
者による不法就労の取締りを行っていないということはない。
エ 以上のとおり、控訴人法務大臣が本件各裁決に当たって付与された権限の趣旨に明ら
かに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情が存在するとは認められ
ないから、本件各裁決に何らの違法性もない。
 裁決書の不作成について
本件各裁決に当たり、裁決書は作成されていないが、このことは、退去強制手続におけ
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る控訴人法務大臣への異議の申出に対する裁決の効力に影響するものではない。
すなわち、法は、法49条3項の裁決を行うに当たり、文書によって行うべきことを規定
しておらず、法49条3項の裁決については、外部への表示は、主任審査官による容疑者の
放免(法49条4項)又は主任審査官が容疑者に対して法務大臣が異議の申出は理由がない
と裁決した旨を知らせること(法49条5項)によって行われるのであって、裁決はこれに
より有効に成立している。規則43条においては、「法第49条3項に規定する法務大臣の裁
決は、別記第61号様式による裁決書によって行うものとする。」とされているが、これは法
49条3項の裁決に当たっての意思決定における内部的手続を定めたものにすぎず、その不
作成は、法49条3項の裁決自体の効力には何らの影響を及ぼすものではない。
2 本件各退令発付処分の適法性について
 被控訴人らの主張
 本件各裁決の違法を承継することによる違法
前記のとおり、本件各裁決が違法である以上、これに基づいてされた本件各退令発付処
分も違法である。
 本件各退令発付処分固有の違法
ア 退去強制令書発付処分が裁量行為であること
ア 法24条の規定
法24条は「次の各号のいずれかに該当する外国人については、次章に規定する手続
により、本邦からの退去を強制することができる。」と規定し、これらは、単に退去強
制事由を列挙したにすぎないと解するのは相当でなく、具体的な担当行政庁の権限行
使のあり方をも同時に規定しているととらえるべきである。
そして、同条の文言が「することができる」と規定されていることによれば、裁量の
幅がいかなるものかはともかく、24条各号に該当する外国人について、退去強制手続
を開始し最終的に退去強制令書を発付するかについては、立法者が行政庁に対して一
定の幅の効果裁量を認めたものというほかない。また、本件各退令発付処分のように
侵害的行政行為であって、第三者に対する関係でも受益的な側面をもたないものにつ
いては、裁量の範囲自体は当該行政行為の目的等に従って自ずと定まるにしても、上
記の法律の文言を裁量を示すものと解することに何ら支障がない。
イ 行政法の伝統的解釈からの説明
行政法の解釈においては、伝統的に権力発動要件が充足されている場合行政庁はこ
れを行使しないことができるとの考え方(行政便宜主義)が一般的であり、特に、外国
人の出入国管理を含む警察法の分野においては、一般に行政庁の権限行使の目的は公
共の安全と秩序を維持することにあるから、その権限行使はこれを維持するための必
要最小限度にとどまるべきであると考えられている(警察比例の原則)ところであり、
退去強制令書発付について担当行政庁に裁量が与えられるということは、伝統的な解
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釈に沿うものである。
ウ 退去強制令書発付処分についての裁量の必要性
退去強制令書の発付について裁量権を認めないと、本国及び市民権のある国に送還
することができず、しかも第三国への入国許可を受けていない外国人など退去強制令
書を発付しても執行が不能であることが明らかな場合にも、主任審査官は退去強制令
書を発付しなければならないという背理を生ずる。
エ 手続の実際
法第5章の手続規定を見ると、主任審査官の行う退去強制令書の発付が、当該外国
人が退去を強制されるべきことを確定する行政処分として規定されており(法47条4
項、48条8項、49条5項)、退去強制についての実体規定である法24条の認める裁量
は、具体的には、退去強制に関する上記規定を介して主任審査官に与えられていると
いうべきである。
オ 他の機関の裁量との関係
退去強制の各段階で、統計上「中止処分」や「その他」といった分類がされる事案が
存在するとおり、退去強制手続が開始されたからといって、必ずしも退去強制令書発
付など法の定める終局処分を行わなくてもよい場合があり、違反調査の段階、違反審
査の段階、口頭審理の段階、裁決の段階といった退去強制手続の各段階において、そ
れぞれの担当者が裁量権を有していることは明らかである。そして、退去強制手続に
おいては、退去強制の執行方法や送還先の指定を初めて行い、我が国から退去すべき
義務を具体的に確定するものと解される点で、一連の手続において法が各行政庁に対
して与えた裁量が集約しているものであるということができる。
これらの事情によれば、退去強制手続を進行させるかどうかについては、国家の裁
量権があり、その各段階においても担当者に裁量権があることから、その最終段階で
ある退去強制令書の発付の段階でも主任審査官に裁量があることは明らかである。主
任審査官には、退去強制令書を発付するか否か(効果裁量)、発付するとしてこれをい
つ発付するか(時の裁量)につき、裁量が認められており、比例原則に違反してはなら
ないとの規範も与えられているのである。
イ 比例原則違反
ア 比例原則
比例原則違反は、法治国家原理、基本権の保障等を根拠とする憲法上の法原則であ
り、過剰な国家的侵害から私人の法益を防御することにあり、我が国でも、その根拠
には諸説あるものの、権力行政一般について適用されることについては異論がないと
されている。具体的には、適合性の原則(目的を達成するための手段が意図した目的
達成の効果を持ちうること)、必要性の原則(目的を達成するための手段が当事者にと
って最も負担の少ないものでなければならないこと)、狭義の比例性(手段と目的との
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均衡が取れていること、要するに、当該手段を用いることによって得られる利益が当
該手段によって損なわれる利益を上回っていること)等が内容となる。
イ 本件における比例原則違反
a 本件各退令発付処分により損なわれる利益
本件各退令発付処分により、被控訴人らが政情も経済状況も不安定なイランに帰
国し極めて困難な生活を強いられること、被控訴人長女及び同二女が物心ついてか
ら慣れ親しんだ我が国の文化とはかけ離れたイランでの生活を行うこととなること
等、本件各退令発付処分により損なわれる利益は極めて大きい。
b 本件各退令発付処分により得られる利益
前記のとおり、被控訴人らは、入国後、本件各退令発付処分の原因となった法違
反以外には何ら法を犯すことはなく、善良な市民として地域社会にとけ込んだ生活
を送ってきたものであり、被控訴人らの我が国における在留資格を認めることによ
り、日本の善良な風俗・秩序に好影響を与えることこそあれ、悪影響を及ぼすこと
は想定し難く、被控訴人らに在留資格を認めないことによって保護されるべき国の
利益は何ら存在しない。
c 小括
以上によれば、本件各退令発付処分によって損なわれる利益と得られる利益とを
比較衡量すると、前者の方がはるかに大きいのは明らかであり、本件各退令発付処
分には比例原則違反があるといえる。
 控訴人らの主張
退去強制手続において、法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通知
を受けた場合、主任審査官は、退去強制令書を発付するにつき裁量の余地はないから、本件各
裁決が違法であるといえない以上、本件各退令発付処分も適法である。
在留特別許可の判断をするに当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の
国内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事
情を総合的に考慮すべきものであることは前記のとおりであるから、法務大臣から「異議の申
出は理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた主任審査官は、時機を逸することなく、速
やかに退去強制令書発付処分をしなければならず、そうであるからこそ、法49条5項も「すみ
やかに当該容疑者に対し……退去強制令書を発付しなければならない」とするものであって、
退去強制令書の発付時期について主任審査官に裁量権があるとはいえない。
法は、法務大臣が在留特別許可の権限を行使するか否かの判断を行う過程においてのみ、退
去強制事由に該当する外国人の在留を例外的に認める裁量を認めており、異議の申出を受けた
法務大臣が、在留特別許可に関する権限を発動せず、異議の申出に理由がないとの裁決を行っ
た場合には、それは我が国が国家として当該外国人を退去強制すべきとする最終的な意思決定
をしたことを意味するものであって、上級行政機関である法務大臣の意思決定を同大臣の指揮
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監督を受ける下級行政機関である主任審査官が、その独自の判断に基づいて覆し、あるいはそ
の適用時期を考慮できるとすることは行改組織法上の観点からして考えられず、法がこのよう
な立法政策を採用しているとは考えられない。また、法は、在留資格のない外国人が我が国に
適法に在留することは、明文で定められた例外を除いて予定していないところ、主任審査官が
裁量により退去強制令書を発付しない場合に、当該外国人が引き続き我が国に在留するための
法的地位を定める手続規定は存在しないのであって、法は、主任審査官の裁量により退去強制
令書を発付しないという事態を想定していないというべきである。
したがって、主任審査官に退去強制令書を発付するか否かに係る裁量権限がある旨の被控訴
人らの主張には理由がないというべきである。
第三 当裁判所の判断
一 本件各裁決の取消しを求める訴えの適否について
1 行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)は、抗告訴訟につき、「行政庁の公権力の行使に関
する不服の訴訟をいう。」と規定し(3条1項)、その具体的な類型として、「行政庁の処分その
他公権力の行使に当たる行為」の取消しを求める訴え(行訴法3条2項)、「審査請求、異議申立
てその他の不服申立てに対する行政庁の裁決、決定その他の行為」の取消しを求める訴え(行
訴法3条3項)等を定めている。
そして、行訴法3条2項にいう「公権力の行使に当たる行為」とは、行政庁がその優越的地位
に基づき公権力の発動として行う行為であって、国民の権利義務、法律上の地位に直接具体的
な影響を与えるものをいい、行訴法3条3項にいう「裁決」とは、行政庁の処分その他公権力の
行使に関し相手方その他の利害関係人が提起した審査請求、異議申立てその他の不服申立てに
対して、行政庁が義務として審理判定した行為をいうものと解されるところ、この「裁決」には、
行政不服審査法で定める審査請求及び再審査請求に対する裁決並びに異議申立てに対する決定
のほか、他の法令で定める特別の不服申立てに対する義務的な応答行為も含まれるものという
べきである。
2 ところで、退去強制手続において入国審査官、特別審理官及び法務大臣がそれぞれ行う認
定、判定及び裁決に関する法の規定は、次のとおりである。
 入国審査官は、法44条の規定により容疑者の引渡しを受けたときは、容疑者が法24条各
号の一に該当するかどうかをすみやかに審査し(法45条1項)、審査の結果、容疑者が法
24条各号のいずれかにも該当しないと認定したときは、直ちにその者を放免しなければな
らず(法47条1項)、逆に、法24条各号のいずれかに該当すると認定したときは、すみやか
に理由を付した書面をもって、主任審査官及びその者にその旨を知らせなければならない
(同条2項)。
 上記通知を受けた容疑者は、上記認定に異議があるときは、通知を受けた日から3日以
内に、口頭をもって、特別審理官に対し、口頭審理の請求をすることができ(法48条1項)、
特別審理官は、口頭審理の結果、同認定が事実に相違すると判定したときは、直ちにその
- 14 -
者を放免しなればならず(同条6項)、逆に、同認定に誤りがないと判定したときは、すみ
やかに主任審査官及び当該容疑者にその旨を知らせるとともに、当該容疑者に対し、法49
条の規定により異議を申し出ることができる旨を知らせなければならない(同条7項)。
 上記通知を受けた容疑者は、上記判定に異議があるときは、通知を受けた日から3日以
内に、法務省令で定める手続により、不服の事由を記載した書面を主任審査官に提出して、
法務大臣に対し異議を申し出ることができ(法48条1項)、法務大臣は、その異議の申出を
受理したときは、異議の申出が理由があるかどうかを裁決して、その結果を主任審査官に
通知しなければならない(同条3項)。
 主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由があると裁決した旨の通知を受けたとき
は、直ちに当該容疑者を放免しなければならず(同条4項)、異議の申出が理由がないと裁
決した旨の通知を受けたときは、すみやかに当該容疑者に対し、その旨を知らせるととも
に、法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない(同条5項)。
 上記のとおり、法44条の規定により引渡しを受けた容疑者が法24条各号のいずれかに該
当する旨の入国審査官の認定は、私人を名宛人とし、退去強制という強度の侵害作用の要件
である退去強制事由を認定するものであり、これを受けた容疑者は、以後、すみやかに退去
強制令書を発付され、実力をもって退去を強いられることとなるのであるから、上記認定は、
入国審査官がその優越的地位に基づき、公権力の発動として行う行為であって、容疑者の法
律上の地位に直接具体的な影響を与えるものとして、抗告訴訟の対象となる行政庁の処分そ
の他公権力の行使に当たる行為に該当するものというべきである。
また、口頭審理の請求を受けた特別審理官による判定は、入国審査官の認定に対する不服
申立てに対して義務として応答するものであるから、行訴法3条3項の「裁決」に当たるも
のというべきである。
そして、法49条1項の異議の申出を受けた法務大臣による裁決も、特別審理官の判定に対
する不服申立てに対して義務として応答するものであるから、やはり、行訴法3条3項の「裁
決」に当たるものというべきである。
3 もっとも、前記のとおり、法49条3項の法務大臣の裁決の結果は、法49条1項の異議の申
出に理由がある場合及び理由がない場合のいずれにおいても、直接当該容疑者に対して通知
するのではなく、主任審査官に対して通知すべきものとされており(法49条3項)、法務大臣
がその名において異議の申出をした当該容疑者に対し直接応答すべきものとはされていな
い。
しかし、法は、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由があると裁決した旨の通知
を受けたときは、直ちに当該容疑者を放免しなければならず(法49条4項)、法務大臣から異
議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、すみやかに当該容疑者に対し、
その旨を知らせるべきこととしている(同条5項)のであり、これらは、法49条3項の法務
大臣の裁決があったことを告知する行為にほかならず、処分権者と通知者とが異なるという
- 15 -
にすぎないのであって、この点を理由に法49条3項の法務大臣の裁決が行訴法3条3項の裁
決に該当しないということはできない。
 また、法49条1項は、法48条7項の特別審理官の判定についての法務大臣に対する不服申
立てについて、行政不服審査法上の用語である「異議の申立て」を用いずに、「異議の申出」
との用語を用いている。
しかし、前記のとおり、行訴法3条3項の「裁決」には、行政不服審査法で定めている審査
請求及び再審査請求に対する「裁決」、異議申立てに対する「決定」のほか、他の法令で定め
る特別の不服申立てに対する応答行為も含まれるのであり、その応答行為が行訴法3条3項
の「裁決」に該当するかどうかは、当該不服申立ての名称によって決まるものではなく、行政
庁の処分その他公権力の行使に閲し、相手方その他の利害関係人が提起した不服申立てに対
して、行政庁が義務として審理判定した行為といえるかどうかという性質によって決まると
いうべきである。
そして、外国人の出入国に関する処分は、行政不服審査法の対象外とされていること(同
法4条1項10号)にも照らすと、法49条1項が法48条7項の特別審理官の判定についての法
務大臣に対する不服申立てについて、「異議の申出」という用語を用いているからといって、
それが行政不服審査法にいう異議申立て、審査請求又は再審査請求と性質を異にするもので
あり、それに対する応答行為が行訴法3条3項の裁決に当たらないということはできないも
のというべきである。
 なお、法には、在留特別許可について容疑者の申請権を認める規定は存しない。しかし、在
留特別許可は、法49条3項の裁決をするに当たってされるものではあるが、同項の裁決その
ものではなく、それとは別個の処分であるから、在留特別許可について申請権が認められて
いないからといって、法49条1項の異議の申出が行訴法3条3項の「審査請求、異議申立て
その他の不服申立て」に当たらないということはできず、したがって、それに対する法務大
臣の裁決が同項の裁決に当たらないということはできない。
 本件各裁決について、裁決書が作成されていないことは、当事者間に争いがない。しかし、
一般に、裁決書が作成されなければ行訴法3条3項の裁決に当たらないということはでき
ず、このことから、法49条3項の法務大臣の裁決が行訴法3条3項の裁決に当たらないとい
うことはできない。
4 以上によれば、法49条3項の法務大臣の裁決は、行訴法3条3項の裁決に当たり、取消訴訟
の対象となるというべきである。
二 本件各裁決の適法性について
1 在留特別許可を付与しなかった控訴人法務大臣の判断の適否に

在留特別許可不許可処分等取消請求事件
平成14年(行ウ)第144号
原告:Aほか3名、被告:大阪入国管理局長・大阪入国管理局主任審査官
大阪地方裁判所第2民事部(裁判官:山田知司・田中健治・小野裕信)
平成16年4月7日
判決
主 文
1 被告大阪入国管理局長が平成14年7月18日付けで原告らにした出入国管理及び難民認定法49
条1項に基づく原告らの異議申出は理由がない旨の各裁決をいずれも取り消す。
2 被告大阪入国管理局主任審査官が平成14年7月18日付けで原告らに対してした各退去強制令
書発付処分をいずれも取り消す。
3 訴訟費用は、被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同旨
第2 事案の概要
本件は、中国の国籍を有する外国人である原告らが、出入国管理及び難民認定法(以下「法」と
いう。)24条1号ないし2号に該当する旨の大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)入国審査
官の認定及び同認定に誤りがない旨の大阪入管特別審理官の判定を受け、被告大阪入国管理局長
(以下「被告入管局長」という。)に対し異議の申出をしたところ、被告入管局長が原告らの異議の
申出は理由がない旨の各裁決(以下「本件各裁決」という。)をし、これを受けて被告大阪入国管
理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)が原告らに対し退去強制令書を発付した(以
下「本件各退令発付処分」という。)ため、被告入管局長のした本件各裁決及び被告主任審査官の
した本件各退令発付処分はいずれも違法であるとして、その各取消しを求めた事案である。
1 前提となる事実等
 在留資格に関する法の定め等
ア 法2条の2は、本邦に在留する外国人の在留資格について、法別表第1及び第2の上欄に
掲げるとおりとしている。法別表第2は、このうち、在留資格「日本人の配偶者等」について、
本邦において有する身分又は地位を、日本人の配偶者若しくは民法817条の2の規定による
特別養子又は日本人の子として出生した者とし、また、在留資格「定住者」について、本邦に
おいて有する身分又は地位を、法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居
住を認める者としている。
イ 法7条1項2号は、定住者について、法務大臣があらかじめ告示をもって定める旨規定し
- 2 -
ており、これを受けて、「出入国管理及び難民認定法第7条第1項第2号の規定に基づき同
法別表第2の定住者の項の下欄に掲げる地位を定める件」(平成2年5月24日法務省告示第
132号。以下「本件告示」という。)が定められている。
本件告示は、法別表第2の定住者の項の下欄に掲げる地位であらかじめ定めるものは、以
下のとおりとする旨規定している。
第1号 アジア諸国に一時滞在しているインドシナ難民関係(省略)
第2号 ヴィエトナム在住のヴィエトナム人関係(省略)
第3号 日本人の子として出生した者の実子(前2号に該当する者を除く。)に係るもの
第4号  日本人の子として出生した者でかつて日本国民として本邦に本籍を有したことが
あるものの実子の実子(前3号に該当する者を除く。)に係るもの
第5号  日本人の配偶者等の在留資格をもって在留する者で日本人の子として出生したも
の又は1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留する者
(この号に該当する者として上陸の許可を受けた者で当該在留期間中に離婚したも
のを除く。)の配偶者(第1号から前号までに該当する者を除く。)に係るもの
第6号  次のいずれかに該当する者又はその配偶者で日本人の配偶者等若しくは永住者の
配偶者等の在留資格をもって在留するものの扶養を受けて生存するこれらの者の未
成年で未婚の実子(第1号から第4号までに該当する者を除く。)に係るもの
イ 日本人
ロ 永住者の在留資格をもって在留する者
ハ 削除
ニ 1年以上の在留期間を指定されている定住者の在留資格をもって在留する者
ホ及びヘ 削除
ト  日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例
法(平成3年法律第71号)に定める特別永住者
第7号 省略
(甲37号証、乙4号証)
 当事者
原告らは、いずれも中国福建省において出生した中国の国籍を有する外国人である。
原告A(夫。1957年1月9日生。以下「原告A」という。)と原告B(妻。1959年11月29日生。
以下「原告B」という。)は夫婦であり、原告C(1982年12月1日生。以下「原告C」という。)
及び原告D(1987年11月27日生。以下「原告D」という。)は、原告A及び原告Bの子である。
原告Bの母は、E(以下「E」という。)である。
(当事者間に争いのない事実)
 原告らの入国及び在留経緯等
ア 原告Bについて
- 3 -
ア 原告Bは、平成6年3月24日、広島入国管理局において、法務大臣に対し、元日本人で
大正11年(1922年)11月15日日本国籍を喪失したFことF’(以下「F」という。)が自分
の祖母であり、同女と同居することを目的に、氏名を「B’」とする在留資格認定証明書の
交付申請をした。法務大臣は、同申請に対し、平成6年7月14日、在留資格「定住者」の在
留資格認定証明書を交付した。
(乙2号証、3号証、5号証、81号証、当事者間に争いのない事実)
イ 原告Bは、平成6年8月19日、名古屋空港に到着し、名古屋入国管理局名古屋空港出張
所入国審査官にB’ 名義の中国旅券を提示した上、上陸申請をし、同入国審査官から、在留
資格「定住者」及び在留期間1年とする上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
(乙6号証、当事者間に争いのない事実)
ウ 原告Bは、本邦上陸後、以下のとおり、大阪入管において、法務大臣に対し、B’ 名で在
留期間の更新許可をし、法務大臣は、同申請に対し、在留期間1年又は3年とする在留期
間の更新を許可した。
a 申請 平成7年(1995年)7月25日
  許可 同年11月13日 在留期間1年
b 申請 平成8年(1998年)7月12日
  許可 同年8月15日 在留期間1年
c 申請 平成9年(1997年)8月7日
  許可 同年10月1日 在留期間1年
d 申請 平成10年(1998年)7月16日
  許可 平成11年(1999年)4月12日 在留期間3年
(乙7号証ないし10号証)
エ 大阪入管入国審査官は、平成13年1月24日、原告Bについて、法7条1項2号に規定さ
れた上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして、平成6年8月19日付けで行
われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに、原告Bに通知した。法務大
臣も、平成13年1月24日、ウ記載の各在留期間更新許可をそれぞれ取り消し、これを原告
Bに通知した。
原告Bは、これらの取消しにより、平成6年8月19日、入国審査官から上陸の許可を受
けないで本邦(名古屋空港)に上陸したこととなった。
(乙11号証、12号証、当事者間に争いのない事実)
イ 原告Aについて
ア 原告Aは、平成7年12月3日、大阪入管天王寺出張所において、法務大臣に対し、妻で
ある原告Bと同居することを目的に在留資格認定証明書の交付申請をした。法務大臣は、
同申請に対し、平成8年6月3日、在留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。
(乙13号証、14号証)
- 4 -
イ 原告Aは、平成8年7月28日、原告C及び原告Dとともに関西国際空港に到着し、大阪
入管関西空港支局入国審査官に上陸申請をし、同入国審査官から、在留資格「定住者」及び
在留期間1年とする上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
(乙15号証、当事者間に争いのない事実)
ウ 原告Aは、本邦上陸後、以下のとおり、大阪入管において、法務大臣に対し、在留期間の
更新許可をし、法務大臣は、同申請に対し、在留期間1年又は3年とする在留期間の更新
を許可した。
a 申請 平成9年7月4日
  許可 同年10月1日 在留期間1年
b 申請 平成10年7月16日
  許可 平成11年4月12日 在留期間3年
(乙16号証、17号証)
エ 大阪入管入国審査官は、平成13年2月16日、原告Aについて、法7条1項2号に規定さ
れた上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして、平成8年7月28日付けで行
われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに、原告Aに通知した。法務大
臣も、平成13年2月16日、ウ記載の各在留期間更新許可をそれぞれ取り消し、これを原告
Aに通知した。
原告Aは、これらの取消しにより、平成8年7月28日、入国審査官から上陸の許可を受
けないで本邦(関西国際空港)に上陸したこととなった。
(乙18号証、19号証、当事者間に争いのない事実)
ウ 原告Cについて
ア 原告Cは、平成7年12月3日、大阪入管天王寺出張所において、法務大臣に対し、母で
ある原告Bと同居することを目的に、氏名を「C’」、生年月日を「1983年10月23日」とす
る在留資格認定証明書の交付申請をした。法務大臣は、同申請に対し、平成8年6月3日、
在留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。
(乙20号証、21号証)
イ 原告Cは、平成8年7月28日、原告A及び原告Dとともに関西国際空港に到着し、大阪
入管関西空港支局入国審査官にC’ 名義の中国旅券を提示した上、上陸申請をし、同入国審
査官から、在留資格「定住者」及び在留期間1年とする上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
(乙22号証、当事者間に争いのない事実)
ウ 原告Cは、本邦上陸後、以下のとおり、大阪入管において、法務大臣に対し、在留期間の
更新許可をし、法務大臣は、同申請に対し、在留期間1年又は3年とする在留期間の更新
を許可した。
a 申請 平成9年7月4日
  許可 同年10月1日 在留期間1年
- 5 -
b 申請 平成10年7月16日
  許可 平成11年4月12日 在留期間3年
(乙23号証、24号証)
エ 大阪入管入国審査官は、平成13年2月16日、原告Cについて、法7条1項2号に規定さ
れた上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして、平成8年7月28日付けで行
われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに、原告Cに通知した。法務大
臣も、平成13年2月16日、ウ記載の各在留期間更新許可をそれぞれ取り消し、これを原告
Cに通知した。
原告Cは、これらの取消しにより、平成8年7月28日、入国審査官から上陸の許可を受
けないで本邦(関西国際空港)に上陸したこととなった。
(乙25号証、26号証、当事者間に争いのない事実)
エ 原告Dについて
ア 原告Dは、平成7年12月3日、大阪入管天王寺出張所において、法務大臣に対し、母で
ある原告Bと同居することを目的に、氏名を「D’」、生年月日を「1988年6月8日」とする
在留資格認定証明書の交付申請をした。法務大臣は、同申請に対し、平成8年6月3日、在
留資格「定住者」の在留資格認定証明書を交付した。
(乙27号証、28号証)
イ 原告Dは、平成8年7月28日、原告A及び原告Cとともに関西国際空港に到着し、大阪
入管関西空港支局入国審査官にD’ 各義の中国旅券を提示した上、上陸申請をし、同入国審
査官から、在留資格「定住者」及び在留期間1年とする上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
(乙29号証、当事者間に争いのない事実)
ウ 原告Dは、本邦上陸後、以下のとおり、大阪入管において、法務大臣に対し、在留期間の
更新許可をし、法務大臣は、同申請に対し、在留期間1年又は3年とする在留期間の更新
を許可した。
a 申請 平成9年7月4日
  許可 同年10月1日 在留期間1年
b 申請 平成10年7月16日
  許可 平成11年4月12日 在留期間3年
(乙30号証、31号証)
エ 大阪入管入国審査官は、平成13年1月24日、原告Dについて、法7条1項2号に規定さ
れた上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして、平成8年7月28日付けで行
われた上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに、原告Dに通知した。法務大
臣も、平成13年1月21日、ウ記載の各在留期間更新許可をそれぞれ取り消し、これを原告
Dに通知した。
原告Dは、これらの取消しにより、平成8年7月28日、入国審査官から上陸の許可を受
- 6 -
けないで本邦(関西国際空港)に上陸したこととなった。
(乙32号証、33号証、当事者間に争いのない事実)
 原告らに対する退去強制令書発付に至る経緯
ア 原告Bについて
ア 大阪入管入国警備官は、原告Bについて、平成13年8月27日、法24条1号に該当する
と疑うに足りる相当の理由があるとして、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上
で、同月29日収容令書を執行し、同日、大阪入管入国審査官に引き渡した。
原告Bは、同日、仮放免許可された。
(乙34号証、35号証)
イ 大阪入管入国審査官は、原告Bについて、平成13年11月19日、法24条1号に該当する旨
の認定を行い、原告Bにこれを通知したところ、原告Bは、同日、口頭審理を請求した。
(乙36号証、37号証)
ウ 大阪入管特別審理官は、平成14年6月18日、入国審査官のイ記載の認定には誤りがない
旨判定し、原告Bにこれを通知したところ、原告Bは、同日、法務大臣に対し異議の申出を
した。
(乙38号証、39号証、当事者間に争いのない事実)
エ 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成14年7月17日付けで、原告Bの
異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中、原告Bにかかるもの)をした。被告主任
審査官は、同裁決を受けて、同月18日、原告Bに同裁決を告知すると共に、退去強制令書
を発付(本件各退令発付処分中、原告Bにかかるもの)し、大阪入管入国警備官は、同日、
これを執行した。
原告Bは、同日、仮放免許可された。
(乙40号証ないし42号証、当事者間に争いのない事実)
イ 原告Aについて
ア 大阪入管入国警備官は、原告Aについて、平成13年8月27日、法24条2号に該当する
と疑うに足りる相当の理由があるとして、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上
で、同月29日収容令書を執行し、同日、大阪入管入国審査官に引き渡した。
原告Aは、同日、仮放免許可された。
(乙43号証、44号証)
イ 大阪入管入国審査官は、原告Aについて、平成13年11月19日、法24条2号に該当する旨
の認定を行い、原告Aにこれを通知したところ、原告Aは、同日、口頭審理を請求した。
(乙45号証、46号証)
ウ 大阪入管特別審理官は、平成14年6月18日、入国審査官のイ記載の認定には誤りがない
旨判定し、原告Aにこれを通知したところ、原告Aは、同日、法務大臣に対し異議の申出を
した。
- 7 -
(乙47号証、48号証、当事者間に争いのない事実)
エ 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成14年7月17日付けで、原告Aの
異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中、原告Aにかかるもの)をした。被告主任
審査官は、同裁決を受けて、同月18日、原告Aに同裁決を告知すると共に、退去強制令書
を発付(本件各退令発付処分中、原告Aにかかるもの)し、大阪入管入国警備官は、同日、
これを執行し、原告Aを西日本入国管理センターに収容した。
(乙49号証、50号証、当事者間に争いのない事実)
ウ 原告Cについて
ア 大阪入管入国警備官は、原告Cについて、平成13年8月27日、法24条1号に該当する
と疑うに足りる相当の理由があるとして、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上
で、同月29日収容令書を執行し、同日、大阪入管入国審査官に引き渡した。
原告Cは、同日、仮放免許可された。
(乙51号証、52号証)
イ 大阪入管入国審査官は、原告Cについて、平成13年11月19日、法24条1号に該当する旨
の認定を行い、原告Cにこれを通知したところ、原告Cは、同日、口頭審理を請求した。
(乙53号証、54号証)
ウ 大阪入管特別審理官は、平成14年6月27日、入国審査官のイ記載の認定には誤りがない
旨判定し、原告Cにこれを通知したところ、原告Cは、同日、法務大臣に対し異議の申出を
した。
(乙55号証、56号証、当事者間に争いのない事実)
エ 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成14年7月17日付けで原告Cの
異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中、原告Cにかかるもの)をした。被告主任
審査官は、同裁決を受けて、同月18日、原告Cに同裁決を告知すると共に、退去強制令書
を発付(本件各退令発付処分中、原告Cにかかるもの)し、大阪入管入国警備官は、同日、
これを執行した。
原告Cは、同日、仮放免許可された。
(乙57号証ないし69号証、当事者間に争いのない事実)
エ 原告Dについて
ア 大阪入管入国警備官は、原告Dについて、平成13年8月27日、法24条1号に該当する
と疑うに足りる相当の理由があるとして、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上
で、同月29日収容令書を執行し、同日、大阪入管入国審査官に引き渡した。
原告Dは、同日、仮放免許可された。
(乙80号証、61号証)
イ 大阪入管入国審査官は、原告Dについて、平成13年11月19日、法24条1号に該当する旨
の認定を行い、原告Dにこれを通知したところ、原告Dは、口頭審理を請求した。
- 8 -
(乙37号証、62号証)
ウ 大阪入管特別審理官は、平成14年6月18日、入国審査官のイ記載の認定には誤りがない
旨判定し、原告Dにこれを通知したところ、原告Dは、同日、法務大臣に対し異議の申出を
した。
(乙63号証、64号証、当事者間に争いのない事実)
エ 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成14年7月17目付けで、原告Dの
異議の申出は理由がない旨の裁決(本件各裁決中、原告Dにかかるもの)をした。被告主任
審査官は、同裁決を受けて、同月18日、原告Dに同裁決を告知すると共に、退去強制令書
を発付(本件各退令発付処分中、原告Dにかかるもの)し、大阪入管入国警備官は、同日、
これを執行した。
原告Dは、同日、仮放免許可された。
(乙65号証ないし67号証、当事者間に争いのない事実)
 原告らの本邦での生活状況等
ア 原告Bについて
原告Bは、平成6年8月に本邦に入国した後、同年9月ころから平成7年12月ころまでは
金属加工業を営む会社に勤務(時給950円)し、その後、平成12年6月ころまで、日本料理店
で皿洗いの仕事に従事した(時給800円)。原告Bは、平成13年2月ころに人材派遣会社に登
録し、食品加工の仕事を行うようになり(時給960円)、その後中華料理店の店長として働い
ている(時給800円)。
(乙37号証、70号証)
イ 原告Aについて
原告Aは、平成8年7月に本邦に入国した後、工員として働いており、1か月に二十数万
円程度の収入を得ていた。
なお、原告Aは、平成14年7月18日以降も西日本入国管理センターに収容されている。
(甲38号証、乙46号証、50号証、74号証)
ウ 原告Cについて
原告Cは、平成8年7月に本邦に入国した後、大阪市立a中学校に編入し、平成11年4月
には大阪府立b高校に入学した。その後、平成14年3月に同高校を卒業して、同年4月c大
学に入学した。
(乙37号証、54号証、56号証、当事者間に争いのない事実)
エ 原告Dについて
原告Dは、平成8年7月に本邦に入国した後、大阪市立d小学校に編入し、同小学校卒業
後は大阪市立e中学校に通っている。
(乙64号証、当事者間に争いのない事実)
 Eの就籍許可審判の関係
- 9 -
Eは、平成15年3月に本邦に入国した後、大阪家庭裁判所に就籍許可の審判を申し立てた。
大阪家庭裁判所は、同年9月29日、以下のとおりEが就籍することを許可する審判(以下「本
件就籍許可審判」という。)をし、同審判は同年10月16日確定した。
本籍     大阪市《住所略》
氏名     E’
生年月日   大正15年12月9日
父の氏名   不詳
母の氏名   G
父母との続柄 女
(甲16号証、45号証、46号証、49号証、50号証、当事者間に争いのない事実)
2 争点
本件の争点は本件各裁決及び本件各退令発付処分の違法性の有無である。
(原告らの主張)
 本件各裁決の違法性
ア 児童の権利に関する条約(以下「児童の権利条約」という。)等に対する違反
ア 本件各裁決時、原告Cは19歳の大学2年生であり、中学校1年生から本邦で教育を受け
ていた。また、原告Dは14歳の中学2年生であり、小学校3年生から本邦で教育を受けて
いた。この子らを退去強制に付すにあたっては、退去強制が子らに与える影響を慎重に判
断し、子らに与える不利益を考慮してもなおかつ退去強制に付さなければならない公益上
の理由が必要であったと考えられるが、本件の退去強制手続においてはこのようなことが
考慮された形跡は皆無である。これは手続的にも、内容的にも、子どもの権利と家族の保
護を定めた国際規範に反する。
イ 国際人権規約は、条約に特別の定めのある場合や、規定の文書、内容に照らして外国人
又は市民(国民)にのみ特定の権利が保障されている場合を除き、在留資格の有無を問わ
ず、締約国の領域内、管轄下にあるすべての者に差別なく適用されなければならない。
また、児童の権利条約も、その2条1項で、締約国は、その管轄の下にある児童に対し、
いかなる差別もなしに同条約に定める権利を尊重し、及び確保する旨規定しており、同条
約上の権利は我が国の管轄下にあるすべての子どもに保障される。
ウ 児童の権利条約3条1項は、子どもに関するすべての措置をとるに当たっては、公的若
しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるも
のであっても、子どもの最善の利益が主として考慮されるものとする旨定めている。この
子どもの最善の利益原則は、退去強制等の出入国管理手続にも適用される。本件各裁決の
可否を判断するにあたっても、子どもの最善の利益原則が適用されなければならず、本件
各裁決が法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長の自由裁量に基づくものであると
いうことはできない。
- 10 -
さらに、児童の権利条約は、締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分
離されないことを確保する旨定めている(同条約9条1項)。また.同条約10条は、上記9
条1項の規定に基づく締約国の義務に従い、家族の再統合を目的とする児童又はその父母
による締約国への入国又は締約国からの出国の申請については、締約国が積極的、人道的
かつ迅速な方法で取り扱う、締約国は、さらに、同申請の提出が申請者及びその家族の構
成員に悪影響を及ぼさないことを確保する旨規定している。この規定は、家族の統合の維
持のための申請、すなわち、退去強制に対する異議申立てや在留特別許可の申請にも適用
されると解される。
エ また、出入国管理制度の運用の過程においては、家族の保護に充分な配慮が払われなけ
ればならず、一定の状況下においては、家族への恣意的・不当な干渉からの保護(市民的
及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)17条1項)及び家族に対する
保護(B規約23条)を含むB規約の規定にしたがって、出入国管理分野における行政裁量
が制約される場合がある。
オ なお、我が国は未批准であるが、国連において1990年に採択された「すべての移住労働
者およびその家族構成員の権利の保護に関する国際条約」の規定(同条約69条)からも、
在留特別許可を含む正規化の過程で、特に家族に係わる事項を適切に考慮することが義務
づけられているところ、当該規定は、出入国管理制度の運用において家族の保護が重視さ
れなければならないという国際合意を反映したものと評価できる。
イ 本件各裁決の検討
以下記載のように本件各裁決は被告入管局長による事実誤認の結果されたものである。以
下の各事情にかんがみれば、原告らに在留特別許可を付与すべきであり、本件各裁決は違法
である。
ア 原告Bの母Eの国籍
a 事実関係
 E(日本名E’)は、1926年(大正15年)に静岡県で生まれた。Eの実母は日本人で
あるG(以下「G」という。)である。Gは、同年ころ、静岡県でH(以下「H」という。)
と結婚した。
しかしながら、Eの実の父は、Hではなく、日本人の男性であった。同男性は、Gが
Eを妊娠して2か月くらいのときに行方が知れなくなったものである。このことは、
Gが死去する間際にEに話したものであり、信憑性は高い。
 HとGは、Eが5歳くらいのころ、Eらと共に、中国福建省に渡った。
 Eは、17歳のとき(1943年)、中国人男性(I)と最初の婚姻をしたが、同人は死亡
した。
 Eは、29歳のとき(1955年)、中国人男姓(J)と2回目の婚姻をした。原告Bは、
両名の子として出生した。
- 11 -
b Eの国籍の評価
 a記載のとおり、Eは、日本人母(G)の婚外子であるから、旧国籍法(明治32年
制定のもの。以下同様)によっても、出生の時日本国籍を取得している。
仮に、Eの父がHであったとしても、GとHとの婚姻について婚姻届の事実は確認
できない以上、同婚姻は事実婚と解するのが相当である。そして、当時、正式な婚姻は
日本人女性にあっては親の承諾が絶対的な条件とされていたが、中国人に対する偏見
の厳しかった当時にあって、Gの親が正式な結婚を承諾したと考えるのは困難である
ことから、実際にもGとHとの婚姻届は出されていないものと推測される。当時、日
本人女性が中国人男性と法律上の結婚をすると、日本人女性は日本国籍を失うことに
なったことも、婚姻届に消極的になる理由となったと考えられる。
 被告らは、Hによる認知によりEが日本国籍を失ったと推認される旨主張する。
まず、HがEについて戸口上の届出をしているとする点については、中華民国民法
1085条が適用されるのは中華人民共和国成立以前であるところ、中華人民共和国に
おいて初めて戸口登記条例が制定されたのは1958年1月9日のことである。したが
って、仮にHがEについて戸口上の届出を行った事実があるとしても、中華民国民法
1065条が適用される余地はない。
また、Eが日本にいる間に認知の効力を有する戸籍上の出生届等を一切行わなかっ
たことは考えがたいとの点についても、Hがこのような届出を行った証拠は皆無であ
り、被告らの主張は失当である。
 また、Eが5歳のときに中国に渡った時点で、養父のHによって中国人の子として
中国政府に届けられた可能性があり、これが帰化に該当する可能性があるので検討す
る。この点、昭和59年改正前の国籍法8条は、日本国民は自己の志望によって外国の
国籍を取得したときは日本の国籍を失う旨規定していた。ここにいう自己の志望によ
ってとは、外国国籍の志望取得の形式が採られただけでは足らず、真に志望取得の意
思をもってされたものであることが必要と解すべきところ、E本人が真に志望取得の
意思をもって中国国籍の取得を申請した事実はなく、また、形式的にせよ本人自身に
よる申請さえも全く存しない。
したがって、帰化による日本国籍喪失も考えられない。
 Eの最初の婚姻は、a記載のとおりであるところ、この当時中国において適用さ
れる中華民国国籍法2条1号は、中国人の妻となった外国人は元の国籍を維持しない
限り、中国国籍を取得する旨規定していた。他方、旧国籍法18条は、日本人が外国人
の妻となり、夫の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う旨規定していた。
上記は有効な婚姻を前提とするところ、平成元年改正前の法例は、婚姻の実質的成
立要件は各当事者の本国法により、形式的成立要件(方式)は、婚姻挙行地法によると
していた。そして、婚姻挙行地法である中華民国民法982条は、婚姻の方式として、結
- 12 -
婚は、公開の儀式及び2人以上の証人があることを要する旨規定していた。
しかしながら、Eは貧しく、結婚式のようなものは全く挙げていないとのことであ
り、上記最初の婚姻は、中華民国民法の婚姻についての方式をみたしておらず、法律
上有効な婚姻とはみなされない。
したがって、最初の婚姻によって、Eが日本国籍を喪失することはない。
 Eの2回目の婚姻は、a記載のとおりであるところ、この時は既に中華人民共和
国政府が成立している。中華人民共和国の国籍法は、1980年にいたってようやく制定
され、それ以前は、政府の通達等によって国籍の取得が決定されていた。それによる
と、中国国籍の取得を希望する外国人は、国籍取得の申請をしなければならないとさ
れていた。
しかしながら、Eが2回目の婚姻の際、このような国籍取得の申請をした形跡は皆
無であり、Eは日本国籍を失っていないと考えられる。
c 以上から、Eは残留邦人として、原告ら家族はその実子及びその家族として本来適法
に本邦に入国しうる地位にあった。
また、Eの国籍を措いても、原告らは、本件告示第3号ないし第6号に該当するもの
であり、原告らは、本来適法に本邦に入国することが可能であったものである。
イ 原告らによる入国の経緯
a 原告Bは、12歳まで祖母Gと一緒に暮らすことが多かったが、Gから日本での生活等
を聞かされ、また、Gが日本に帰りたがっていたが、国交がないため残念に思っていた
ことも知っていた。
b 1972年に日本と中国が国交を回復し、その後しばらくして中国における文化大革命
が収束したことから、中国残留邦人は公然と肉親探しができるようになった。また、原
告BやEが住んでいた地域においても知り合いの日本人が日本に帰国するようになっ
た。
このような状況の中、Eも日本の両親と戸籍を探したいと思うようになり、母Gの願
いであった日本に帰るということを叶えるため、母の遺骨を日本の土に埋めてあげるこ
とがEの最大の願いとなった。
c Eは、日本に帰国することとなったK(以下「K」という。)に肉親探しを依頼したり、
人に頼んで北京の日本大使館や日本の役所に手紙を書いてもらうなど懸命に肉親探しを
し、現地を訪れたジャーナリストに頼んだりもした。
しかしながら、Eは、母Gの形見である日本から来た手紙や写真などほとんど全てを
火事で失っていたため、戸籍判明につながる具体的な手がかりを提供することはでき
ず、手紙の返事も来なかった。
d 上記のような状況の中で、原告Bは原告Aの漁業仲間に母Eの戸籍調査のことを相談
していたところ、Fの家族に混じって日本に来る方法が見つかった。原告Bは、日本に
- 13 -
行きさえすれば母の戸籍を探し出すことができると考え、中国のお金では大金である
100万円を支払って日本に来ることとした。
e 原告Bは、本邦に入国したものの、日本語は分からない、地理も分からないという中
での肉親探しは至難の業であった。しかも、Fの家族に偽装して入国したところ、肉親
探しをすると偽装の事実が分かってしまうとのことで、その家族からは肉親探しをする
ことを反対されていた。
f こうした中、原告Bは日本での生活も少し落ち着き、夫と子らを日本に呼び寄せ、家
族一緒に肉親探しをしたいと考えるようになった。もちろん、家族と別れて暮らしてい
る寂しさや、豊かな日本の生活を家族にもさせてあげたいという気持ちが働いていたの
も事実であろうが、母や祖母の肉親探しは日本に来た目的であり、原告Bがこの目的を
簡単にあきらめることはできなかった。
g 原告Bは、原告Aら家族を呼び寄せた後、原告Aと共にKやLに相談したり、留学生
に相談したりした。また、Mなる人物に肉親探しを依頼したりもした。
h 以上のように、原告Bが本邦に入国した目的は、もっぱら肉親探しにあったし、また、
原告Aら家族を呼び寄せた点も、戸籍探しがうまく進まない状況下において、家族で一
緒に肉親探しをしたいという気持ちが強かったからである。
i これに対し、被告らは、原告Bが日本人の子孫であるとの申立てに対し、はなから予
断を持って偽装日系人が発覚したための作り事と見ていたことは明らかである。そのた
め、被告らはより慎重な調査を怠ったものである。
ウ 原告らの生活基盤が本邦に存すること
a 本件各裁決時の原告らの本邦での在留期間は、原告Bが約8年、他の原告らが約6年
の長期に及んでおり、原告らの生活基盤は本邦内にあり、中国には全くない。なお、原告
Aは、中国で営んでいた漁業の権利を既に譲渡している。
b 原告Cは、本邦入国後、大阪市立a中学校、大阪府立b高校と進み、現在はc大学に在
籍している。
また、原告Dは、本邦入国後、大阪市立d小学校、同a中学校と進み、現在同中学校に
在籍している。
このように、原告Cは、ほとんど本邦の学校で高等教育を受けており、中国へ帰って
も教育に適応できない。また、原告Dは、ほとんど本邦の学校でしか教育を受けておら
ず、同様に中国に帰っても教育に適応できない。
エ Fの親族と偽装して本邦に入国したことについて
a 原告らがFの親族と偽装して本邦に入国したことが、我が国の出入国管理政策を紊乱
させる点は、被告ら主張のとおりであろう。
しかしながら、イ記載のとおり、原告Bが、帰国を願いながら失意のうちに亡くなっ
た祖母Gや、その遺骨を日本に持ち帰りたいという母Eの気持ちをくみ取り、他に肉親
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探しの手段がない中で、偶然見つけた日本入国の手段に飛びついたことは緊急避難的な
措置と解する余地があると思われる。
b 被告らは、原告らが他人の不法入国幇助に加担していることを本件各裁決の適法性
の理由に付け加えている。
 しかしながら、被告らの上記主張は、最終準備書面で初めてなされたものであると
ころ、この事実関係は違反調査の当初から判明していた事情であり、被告らがこれに
ついて主張するにつき障害は何もなかった。このような主張を、訴訟の最終段階で、
しかも予定されていた結審が延期された状況の中で持ち出すことは時機に遅れた攻撃
防御であり、許されない。
 の点をさておいても、の点を本件各裁決の理由として過大視するのは相当では
ない。すなわち、原告Bは、原告Aら家族を呼び寄せる手続を自分ですることはでき
ず、Nに依頼するほかなかったものであり、原告らと関係のない2人を家族として入
国させるといわれたとき事実上拒否することが不可能な弱い立場にあったものであ
る。
 本件各退令発付処分の違法性
記載のとおり、原告らに在留特別許可を付与しなかった本件各裁決が違法である以上、本
件各退令発付処分も違法である。
(被告らの主張)
 本件各裁決の適法性
ア 在留特別許可についての基本的な考え方
ア 国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない
限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条
件を付するかは、当該国家が自由に決定することができるものである。児童の権利条約に
おいても、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではないなどの国際慣習法を否定す
る規定は見当たらず、むしろ父母の一方が退去強制等の措置に基づき、父母と児童とが分
離される場合があることを予定した規定が置かれている(同条約9条4項)ことからする
と、同条約も、当然、外国人の入国及び在留の拒否について国家に自由な決定権があるこ
とを当然の前提としているものと解される。
イ 我が国の憲法上も、外国人は、本邦に入国する自由を保障されているものでないことは
もちろん、在留の権利ないし引き続き在留することを要求し得る権利を保障されているも
のでもない(最高裁昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁)。法もかかる基
本的な考え方を当然の前提としているのであって、外国人に対し法50条1項の在留特別許
可を与えるか否かは、法務大臣の自由裁量に委ねられていると解すべきである(最高裁昭
和34年11月10日第三小法延判決・民集13巻12号1493頁)。
さらに、在留特別許可は、外国人の出入国に関する処分で、その判断をするに当たって
- 15 -
は、諸般の事情を総合的に考慮すべきものであることから、同許否にかかる裁量の範囲は
極めて広範なものというべきで、しかも、他の一般の行政処分と異なり、その性質は恩恵
的なものである。
そして、裁判所が法務大臣の裁量権の行使としてされた在留特別許可の許否についての
判断の適法性を審査するに当たっては、法務大臣の第一次的な裁量判断が既に存在するこ
とを前提として、その判断が、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を付与した目的を
逸脱し、これを濫用したと認められるかどうかを判断すべきであり、そのような逸脱、濫
用が認められてはじめて、違法との評価がなされうるのであって、かかる濫用、逸脱が認
められない以上は、その裁量権の範囲内にあるものとして、法務大臣の決定が違法となる
ことはない。
さらに、法50条1項の在留特別許可の許否についての裁量権の範囲は、その判断が法24
条各号所定の退去強制事由に該当する容疑者を対象とするものであって、それらの者には
在留特別許可の申請権も認められておらず、また、法文上も、在留特別許可について定め
た法50条1項3号では、単に「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に許可す
ることができると規定し、在留特別許可を付与すべき要件が何ら具体的に規定されていな
いことなどにかんがみると、在留特別許可の付与に関する法務大臣の裁量権の範囲は、在
留期間の更新許可等の場合に比して格段に広範なものと解すべきである。
したがって、在留特別許可を付与しない旨の法務大臣の判断が裁量権の逸脱又は濫用と
して違法となるのは、法務大臣がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行
使したものと認め得る特別の事情がある場合等、極めて例外的な場合に限られると解すべ
きである。

仮放免申請不許可処分取消請求事件
平成14年(行ウ)第183号
原告:A、被告:入国者収容所西日本入国管理センター所長
大阪地方裁判所第2民事部(裁判官:山田知司・田中健治・小野裕信)
平成16年4月7日
判決
主 文
1 被告が原告に対し平成14年12月5日付けでした仮放免申請不許可処分を取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同旨
第2 事案の概要
本件は、中国の国籍を有する外国人であり、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)24
条2号に該当するとしてされた退去強制手続において、大阪入国管理局主任審査官により発付さ
れた退去強制令書の執行として、入国者収容所西日本入国管理センター(以下「西日本センター」
という。)に収容されている原告が、被告に対してした仮放免許可申請(以下「本件申請」という。)
に対し被告が平成14年12月5日した仮放免の不許可処分(以下「本件処分」という。)の取消しを
求めた事案である。
1 前提となる事実等
 当事者
原告(《日付略》生)は、中国福建省において出生した中国の国籍を有する外国人である。
原告の妻はB(《日付略》生。以下「B」という。)であり、原告とBとの間には、C(《日付略》生。
以下「C」という。)及びD(《日付略》生。以下「D」という。)の2人の子がいる。
Bの母は、E(以下「E」という。)である。
(当事者間に争いのない事実)
 原告の入国及び在留経緯等
ア Bは、平成6年8月19日、元日本人FことF’(以下「F」という。)の孫と偽って、本邦に
入国した。
(当事者間に争いのない事実)
イ 原告は、平成7年12月3日、大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)天王寺出張所にお
いて、法務大臣に対し、妻であるBと同居することを目的に在留資格認定証明書の交付申請
をした。法務大臣は、同申請に対し、平成8年6月3日、在留資格「定住者」の在留資格認定
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証明書を交付した。(弁論の全趣旨)
ウ 原告は、平成8年7月28日、C及びDとともに関西国際空港に到着し、大阪入管関西空港
支局入国審査官に上陸申請をし、同入国審査官から、在留資格「定住者」及び在留期間1年と
する上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
(乙1号証、当事者間に争いのない事実)
エ 原告は、本邦上陸後、以下のとおり、大阪入管において、法務大臣に対し、在留期間の更新
許可をし、法務大臣は、同申請に対し、在留期間1年又は3年とする在留期間の更新を許可
した。
ア 申請 平成9年7月4日
許可 同年10月1日 在留期間1年
イ 申請 平成10年7月16日
許可 平成11年4月12日 在留期間3年
(乙2号証、3号証)
オ 大阪入管入国審査官は、平成13年2月16日、原告について、法7条1項2号に規定された
上陸の条件に適合していなかったことが判明したとして、平成8年7月28日付けで行われた
上陸許可を上陸の日にさかのぼって取り消すとともに、原告に通知した。法務大臣も、平成
13年2月16日、エ記載の各在留期間更新許可をそれぞれ取り消し、これを原告に通知した。
原告は、これらの取消しにより、平成8年7月28日、入国審査官から上陸の許可を受けな
いで本邦(関西国際空港)に上陸したこととなった。
(乙4号証、5号証、当事者間に争いのない事実)
 原告に対する退去強制令書発付に至る経緯
ア 大阪入管入国警備官は、原告について、平成13年8月27日、法24条2号に該当すると疑う
に足りる相当の理由があるとして、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた上で、同月
29日収容令書を執行し、同日、大阪入管入国審査官に引き渡した。
原告は、同日、仮放免許可された。
(乙6号証、7号証、当事者間に争いのない事実)
イ 大阪入管入国審査官は、原告について、平成13年11月19日、法24条2号に該当する旨の認
定を行い、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、口頭審理を請求した。
(当事者間に争いのない事実)
ウ 大阪入管特別審理官は、平成14年6月18日、入国審査官のイ記載の認定には誤りがない旨
判定し、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、法務大臣に対し異議の申出をした。
(当事者間に争いのない事実)
オ 法務大臣から権限の委任を受けた大阪入管局長は、平成14年7月17日付けで、原告の異議
の申出は理由がない旨の裁決をした。大阪入管主任審査官は、同裁決を受けて、同月18日、
原告に同裁決を告知すると共に、退去強制令書(以下「本件令書」という。)を発付し、大阪入
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管入国警備官は、同日、これを執行し、原告を西日本センターに収容した。
(乙8号証、当事者間に争いのない事実)
 原告、B、C及びD(以下「原告ら4名」という。)は、平成14年10月15日、当裁判所に対し、
法49条1項に基づく原告ら4名の異議申出は理由がない旨の大阪入管局長の裁決及び大阪入
管主任審査官が原告ら4名に対してした退去強制令書発付処分の各取消しを求める訴え(以下
「別件訴訟」という。)を提起した。
(当事者間に争いのない事実)
 本件処分に至る経緯
原告(代理人空野佳弘)は、平成14年11月14日、被告に対し、仮放免許可申請(本件申請)を
した。本件申請の身元保証人にはG及び原告代理人空野佳弘がなっている。被告は、同年12月
5日、本件申請に対し、仮放免を不許可と決定した(本件処分)。
(当事者間に争いのない事実)
 Eの就籍許可審判の関係
Eは、平成15年3月に本邦に入国した後、大阪家庭裁判所に就籍許可の審判を申し立てた。
大阪家庭裁判所は、同年9月29日、以下のとおりEが就籍することを許可する審判(以下「本
件就籍許可審判」という。)をし、同審判は同年10月16日確定した。
本籍 大阪市《住所略》
氏名 H
生年月日 大正15年12月9日
父の氏名 不詳
母の氏名 I
父母との続柄 女
(乙26号証、48号証、49号証、57号証、58号証、当事者間に争いのない事実)
2 争点
本件の争点は本件処分の違法姓の有無である。
(原告の主張)
 法所定の収容制度の目的と仮放免の許否の判断基準
ア 憲法18条、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)違反
ア 自由が原則であること
原告には、人としての身体の自由が憲法上保障されている(憲法18条)。
B規約9条1項も、「すべての者は、身体の自由及び安全についての権利を有する。何人
も、恣意的に逮捕され又は抑留されない。」と定めており、このような権利は当然に原告に
も保障されている。
イ 退去強制令書による収容の目的・効果
このような全ての人に保障されている、極めて重大な権利である人身の自由を制限する
- 4 -
ためには、目的がやむを得ず、かつ、その手段たる収容が目的達成のために必要かつ最小
限なものでなくてはならない。
そして、退去強制令書に基づく収容は、あくまで強制送還を円滑に進めるために身柄を
確保するためのもの、言い換えれば逃亡防止を目的とするものであって、退去強制される
者の在留活動を禁止することまでも目的とするものではない。
なぜなら、退去強制令書の発付を受ける者は、在留資格がない場合(法24条4号ロ)だ
けではなく、在留資格がありながら資格外活動を行った者(同号イ)など、一定範囲の在留
活動は認められている者も含まれる。そうすると、退去強制令書の発付によって、許可さ
れている在留活動まで禁止されるいわれはない。
また、在留資格がない者について、身体の自由を完全に奪って一切の在留活動を禁止す
ることは、その目的との関連性で、明らかに過度な制約である。
さらに、退去強制令書に基づく収容がされたときでも、仮放免が認められているし(法
54条2項)、法52条6項は、入国者収容所長等は、退去強制を受ける者を送還することが
できないことが明らかになったときは、必要条件を付した上でその者を放免することがで
きる旨定めている。もし、在留資格がない者が、一切の人としての在留活動を禁じられる
というのであれば、これらの規定によって収容を解かれた者が一定の在留活動が認められ
ることになるのであるが、その正当性を説明できない。
加えて、仮放免された者が逃亡し、逃亡すると疑うに足りる相当の理由があり、正当な
理由がなく呼出に応じなかった場合に仮放免が取り消され収容される(法55条)ことから
すると、収容はあくまでも逃走防止のための手段と解するほかない。
法自体も、仮放免の合理的行使により、収容が不当なものとならないようにすることを
予定していると解される。
そして、在留活動の禁止も収容の目的に含まれるとすると、法の収容制度は、B規約9
条1項の「恣意的」拘禁に該当し、法令無効ということになる。すなわち、同項にいう「恣
意的」という概念は、「違法」ということとは必ずしも同義ではなく、不適切や正義に反す
るという要素をも含む広い概念であり、事案の全状況に照らし、逃走や証拠隠滅を防止す
る場合以外の収容は「恣意的」なものとなる。
以上から、法の収容の目的は、逃亡を防止することのみにあり、在留活動の禁止という
ことは含まれない。
イ 被告主張の全件収容主義、自由裁量論への反論
ア 現行の法の収容に関する規定は、その前身である出入国管理令を引き継いだものである
ところ、同令の立法者意思は、収容謙抑主義に立つものであった。したがって、同令の規定
を概ね承継した法が収容謙抑主義に立つことは明らかである。
イ 法28条は、「強制の処分は、特別の規定がある場合でなければすることができない」旨定
め、任意の調査が原則であることを明らかにしているところ、収容という強制的な国家権
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力の発動を正当化するには、明示的な授権規範が存在しなくてはならない。人身の自由が
あるのが大前提であり、それを制限するのは例外であるという憲法の大原則からすれば、
それが当然の解釈である。被告が掲げる法44条、45条、47条、48条には、全件収容主義に
ついての明文規定は存せず、これら規定から全件収容主義を正当化することはできない。
ウ 要急収容を認める法43条1項は、「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞があると信ず
るに足りる相当の理由」を要件とするところ、これは、収容の基盤が逃亡の防止にあるこ
とを示している。同項は、収容においては容疑のみならず逃亡のおそれが必要であること
を前提に、容疑及び逃亡のおそれの双方につき、通常以上の明白性、切迫性がある場合に、
収容令書の発付を待たずに収容することができるとしたものである。
そして、同条3項は、主任審査官が事後的に収容令書発付の審査をすることを定めると
ころ、主任審査官による事後的審査において審査される要件は、退去強制事由該当容疑だ
けでなく、「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞があると信ずるに足りる相当の理由」
も審査されることは文言上明らかである。このように主任審査官は、逃亡のおそれの程度
を判断する権能を有している。
仮に被告の主張するように退去強制手続において退去強制事由該当容疑者を全件収容す
るのが法の建前であるとするなら、退去強制事由に明らかに該当する者について何故にさ
らに逃亡のおそれがあるか否かを審査するのか説明に窮する。
さらに、この場合に釈放される者は、退去強制事由に明らかに該当する者であっても、
「収容令書の発付をまっていては逃亡の虞があると信ずるに足りる相当の理由」が認めら
れない者を含むのであるから、法は退去強制事由に該当するとして容疑を受けながら収容
されない者があることを明らかに許容している。
エ 法44条は、収容の期間を最小限にすべき趣旨から、収容した場合の時間の制限を規定し
たものであり、法45条は、同様の趣旨から、収容状態で引渡しを受けた場合には、すみや
かに審査しなければならない旨定めたものである。これらはいずれも、入国警備官及び入
国審査官に、その権限行使にあたり守らなければならない手続(この場合は時間的制約な
ど)を定める手続規範であり、容疑者を収容する場合において、容疑者の人権に配慮して
手続を定めようとしたものである、収容しない場合には、そのような配慮は必要がないか
ら、詳細な定めがないにすぎない。
被告は、入国警備官が容疑者を収容しないで(在宅のままで)違反事件を入国審査官に
引き渡す手続について定めた規定は存しない旨主張する。しかしながら、法44条、45条の
引渡しの対象は「容疑者」であり、身体拘束の権限が移転する趣旨であって、もともと違反
事件の引渡しの手続を定めた規定など収容した場合にも存在しない。
オ 被告は、法47条が容疑者が全て収容されていることを前提としている旨主張するが、同
条は、法45条を引き継ぎ、容疑者が収容された場合について規定したものであるにすぎな
い。
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カ 被告は、法48条3項に出頭要求の規定のないことを、口頭審理の段階では容疑者は全て
収容されている前提であることの根拠とするが、口頭審理は容疑者が当事者として請求す
る審理であって取調べではないことから、出頭要求という規定の体裁をとらなかったもの
と解される。時刻と場所の通知によって、呼出はなされる。
被告の主張は、あたかも、口頭審理は収容場に身体拘束された者に対してのみなしうる
かのような主張であるが、言うまでもなく、仮放免されている者も、口頭審理を受ける。
キ 法64条2項は、「当該外国人に対し収容令書又は退去強制令書の発付があったときは」
と規定し、収容令書が発付されない場合のあることを明らかにしており、これは収容前置
主義と矛盾する。
ク 被告は、法は、収容の必要性の有無にかかわらず全件収容主義を採用しているとの立場
に立っている。しかしながら、収容の必要性は、別段これを法が明文上規定していなくて
も、立法の趣旨に照らし、当然これを前提とするものと解すべきである。
ケ 仮放免制度においては、保証金をもって逃亡防止を担保する手段としている。そして、
法54条2項からすると、仮放免の全件につき、保証金を課すこととなっている。これはま
さしく、収容された者は逃亡の可能性のある者であることを前提としている。裏を返せば、
逃亡のおそれのない者が収容されることは予定していないのである。
仮放免制度について、身体拘束の必要性がない場合には仮放免を義務的になすのでなけ
れば、身体拘束に最小限性を要求する憲法31条及びB規約9条に適合するということはで
きない。しかるに、主任審査官等は、仮放免を自由裁量行為であるとして運用している。
仮放免が合理的に運用され、実際の身柄拘束が収容の必要性のある場合に限られるので
あれば、法はかろうじて憲法及びB規約と整合性を保つことができる。しかし、現在のよ
うに運用されている限り、その違法性は顕著と言わざるを得ない。
 本件処分の検討
以下の各事情に照らせば、本件処分は違法である。
ア 原告に逃亡の危険がないこと
原告については、Gと原告代理人が身元保証人になっている。
また、原告ら4名は、収容されるまでの間、大阪市《住所略》の住居で、親子4名で平穏に
生活しており、仮放免中のB及び子ら2名は現在も同所で生活している。そして、Cは近畿
大学に、Dは大阪市立中学校にそれぞれ在籍し、まじめに通学している。
原告が、このような家族を放置して、あるいは家族と共に、逃亡するようなおそれは全く
存在しない。
原告ら家族が、違反調査が始まって以来、大阪入国管理局の指示に従ってきちんと出頭し
てきたことも、逃亡の意思のないことを示している。原告ら家族は、あくまで、Eが日本人で
あることを裁判の中で証明しようとしているのであり、逃亡などは考えたこともない。
イ 原告及び妻の健康状態が良くないこと
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ア 原告は、収容前から、十二指腸潰瘍を患っており、中国から送ってもらう漢方薬をずっ
と服用していた。日本の病院で施薬された薬が体に合わなかったからである。ところが、
収容に伴い漢方薬の差し入れは禁止された。また、収容に伴うストレスは、十二指腸潰瘍
の治療に障害となっている。
さらに、原告はB型肝炎ウイルスのキャリアであるが、その発症を防ぐための定期経過
観察が必要とされている。しかし、収容状態ではそれは困難である。そのような医療体制
は整っていない。B型肝炎は発症すれば肝癌に移行する可能性が高く、定期経過観察を怠
ることは許されない。また、西日本センターは、原告代理人からの情報に基づき、原告を感
染防止のためいったん単独室に移し、その後、a病院の診断により感染の可能性が低いと
いう結果が出た段階で、原告の要請もあり、再度雑居室に移したが、原告が使用するカミ
ソリ等は他の同室の者には使わせないよう原告に指示している。しかし、このことは他の
同室の者には言ってはいけないと原告に指示しており、西日本センターは原告がB型肝炎
キャリアであることを他の収容者には秘匿している。このことからすると、感染の可能性
は低いとはいえ、否定することはできず、現在の収容状態は適正でない。また、単独室での
長期収容は原告に多大な精神的苦痛をもたらすので許されるべきではない。
イ 原告の妻Bは、平成12年2月に卵巣摘出手術をし、また慢性の変形性腰痛症に罹患して
おり、健康状態が良くない。こうした状態で2人の子らの養育に1人であたるのは困難で
ある。
ウ 平等原則(憲法14条、B規約3条)違反
妻B並びに子のC及びDについては、平成14年7月18日に仮放免が許可され、その後も延
長が許可され続けているのに対し、生計を同じくする夫の原告のみに仮放免が許可されない
ことについては、なんら合理性は見出せず、明らかに平等原則に反する。
エ 拷問を禁ずる条約の違反
本件処分は、拷問等を禁じたB規約7条、及び、平成11年7月29日に日本でも発効した「拷
問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約」(以下「拷
問等禁止条約」という。)に違反する。
すなわち、B規約7条は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける
取扱い若しくは刑罰を受けない」と定めている。また、その禁止を徹底するため、より詳細な
規定を定めた拷問等禁止条約は、「身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人
に重い苦痛を故意に与える行為であって、(中略)本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要
することその他これらに類することを目的として」行われるものを「拷問」と定義づけ(1条
1項)、締約国に対し、「自国の管理の下にある領域内において拷問に当たる行為が行われる
ことを防止するため、立法上、行政上、私法上その他の効率的な措置をとる」べきものと定め
ている(2条1項)。
しかるところ、ウ記載のような不平等な本件処分の真の意図は、原告のみに対する収容を
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長期間継続して、妻及び2人の子らと隔離し続け、原告ら4名に精神的な苦痛を与え続ける
ことによって、原告ら4名が提起している別件訴訟の遂行を断念させ、帰国に追い込もうと
いうところにあると考える以外に説明はつかない。
そうすると、本件処分は、原告ら4名に対し、帰国を強要する目的で重い苦痛を故意に与
えるものであるから、B規約7条及び拷問等禁止条約2条1項に反する。
 Eの国籍と本件処分に与える影響
ア Eの国籍に関する事実関係
ア E(日本名H)は、1926年(大正15年)に静岡県で生まれた。Eの実母は日本人であるI
(以下「I」という。)である。Iは、同年ころ、静岡県でJ(以下「J」という。)と結婚した。
しかしながら、Eの実の父は、Jではなく、日本人の男性であった可能性が高い。同男性
は、IがEを妊娠して2か月くらいのときに行方が知れなくなったものである。このこと
は、Iが死去する間際にEに話したものであり、信憑性は高い。
イ JとIは、Eが5歳くらいのころ、Eらと共に、中国福建省に渡った。
ウ Eは、17歳のとき(1943年)、中国人男性(K)と最初の婚姻をしたが、同人は死亡した。
エ Eは、29歳のとき(1955年)、中国人男性(L)と2回目の婚姻をした。Bは、両名の子
として出生した。
イ Eの国籍の評価
ア アア記載のとおり、Eは、日本人母(I)の婚外子であるから、旧国籍法(明治32年制定
のもの。以下同様)によっても、出生の時日本国籍を取得している。
仮に、Eの父がJであったとしても、IとJとの婚姻について婚姻届の事実は確認でき
ない以上、同婚姻は事実婚と解するのが相当である。そして、当時、正式な婚姻は日本人女
性にあっては親の承諾が絶対的な条件とされていたが、中国人に対する偏見の厳しかった
当時にあって、Iの親が正式な結婚を承諾したと考えるのは困難であることから、実際に
もIとJとの婚姻届は出されていないものと推測される。当時、日本人女性が中国人男性
と法律上の結婚をすると、日本人女性は日本国籍を失うことになったことも、婚姻届に消
極的になる理由となったと考えられる。
イ 被告は、Jによる認知によりEが日本国籍を失ったと推認される旨主張する。
まず、JがEについて戸口上の届出をしているとする点については、中華民国民法1065
条が適用されるのは中華人民共和国成立以前であるところ、中華人民共和国において初め
て戸口登記条例が制定されたのは1958年1月9日のことである。したがって、仮にJがE
について戸口上の届出を行った事実があるとしても、中華民国民法1065条が適用される
余地はない。
また、Eが日本にいる間に認知の効力を有する戸籍上の出生届等を一切行わなかったこ
とは考えがたいとの点についても、Jがこのような届出を行った証拠は皆無であり、被告
の主張は失当である。
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ウ Eの最初の婚姻は、アウ記載のとおりであるところ、この当時中国において適用される
中華民国国籍法2条1号は、中国人の妻となった外国人は元の国籍を維持しない限り、中
国国籍を取得する旨規定していた。
他方、旧国籍法18条は、日本人が外国人の妻となり、夫の国籍を取得したときは、日本
の国籍を失う旨規定していた。
上記は有効な婚姻を前提とするところ、平成元年改正前の法例は、婚姻の実質的成立要
件は各当事者の本国法により、形式的成立要件(方式)は、婚姻挙行地法によるとしていた。
そして、婚姻挙行地法である中華民国民法982条は、婚姻の方式として、結婚は、公開の儀
式及び2人以上の証人があることを要する旨規定していた。
しかしながら、Eは貧しく、結婚式のようなものは全く挙げていないとのことであり、
上記最初の婚姻は、中華民国民法の婚姻についての方式をみたしておらず、法律上有効な
婚姻とはみなされない。
したがって、最初の婚姻によって、Eが日本国籍を喪失することはない。
ウ 以上のとおり、原告の妻Bの母Eは日本国籍を有し、あるいは、少なくとも日本人母の子
であり、また、これを裏付ける本件就籍許可審判が存する。この点は、収容の必要性に関し、
重要な意味を有するものである。
(被告の主張)
 法所定の収容制度の目的と仮放免の許否の判断基準
ア 退去強制手続について
退去強制事由に該当する外国人に対する退去強制手続は以下のとおりである。
すなわち、法24条は、「次の各号のいずれかに該当する外国人については、次章に規定する
手続により、本邦からの退去を強制することができる。」と退去強制処分をする行政庁の機能
を定めており、入国警備官は同条各号の一に該当する疑いがある外国人(以下「容疑者」とい
う。)があれば、これを調査した上、すべて身柄を収容して、当該容疑者を入国審査官に引き
渡さなければならず(法27条、39条、44条)、入国審査官は、当該容疑者が同条各号の一に該
当するか否かを速やかに審査の上、認定することを要し(法45条、47条)、また、当該容疑者
が同認定に服さず、口頭審理を請求(容疑事実は認めるが、在留特別許可を求める場合を含
む。)したときは、特別審理官は、口頭審理をした上で認定に誤りがないかどうかを判定しな
ければならず(法48条)、さらに当該容疑者が同判定に服さず異義を申し出たときは、法務大
臣は、その異義の申出に理由があるかどうかを裁決し、その結果を主任審査官に通知するも
のとしている(法49条)。そして、この退去強制手続において、容疑者が法24条各号の一に該
当するとの入国審査官の認定若しくは特別審理官の判定に容疑者が服したとき又は法務大臣
から異議の申出は理由がない旨の裁決の通知を受けたときには、主任審査官は、当該容疑者
に対する退去強制令書を発付しなければならない(法47条4項、48条8項、49条5項)。
イ 原則収容主義について
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ア ア記載のような一連の退去強制手続において、容疑者の身柄を拘束して行うのが原則
(収容前置主義、原則収容主義)である(法39条1項、41条1項、52条5項)。
すなわち、法39条は、入国警備官が収容令書に基づいて容疑者を収容する権限があるこ
とを定め、法44条は、入国警備官が容疑者を収容した場合には、48時間以内に入国審査官
に引き渡すこととし、引渡しを受けた入国審査官は容疑者が法24条各号に該当するかどう
かをすみやかに審査しなければならないとされている(法46条)が、入国警備官が容疑者
を収容しないで(在宅のままで)違反事件を入国審査官に引き渡す手続について定めた規
定は存しない。また、法47条1項が入国審査官は、審査の結果、容疑者が法24条各号のい
ずれにも該当しないと認定したときは、直ちにその者を放免しなければならないと定め、
法48条1項による口頭審理の請求があったときに、特別審査官が行う口頭審理において、
容疑者に対して出頭を求める規定がなく(違反調査における法29条1項参照)、かえって、
同条6項が、特別審査官は、口頭審理の結果、法47条2項の認定が事実に相違すると判定し
たときは直ちにその者を放免しなければならないとしていることは、入国審査官による審
査及び特別審査官による口頭審理の時点で、容疑者がすべて収容されていることを前提と
した規定と解される。
イ この収容の目的は、第1に送還のための身柄確保の必要にあるが、これにとどまらず、
第2に、元来、不法入国者のみならず、不法上陸者及び不法残留者は、本邦において在留活
動をすることは許されないのにかかわらず、身柄を収容し在留活動を禁止しなければ、事
実上在留活動を容認することになり、在留資格制度の根底を紊乱することになるから、在
留活動を禁止するためでもある。
第2の点をふえんすると、法は、外国人の入国及び在留管理の基本となる制度として在
留資格制度を採用した。すなわち、在留資格制度とは、法において、外国人が本邦に入国し
在留して特定の活動を行うことができる法的地位又は特定の身分若しくは地位を有する者
としての活動を行うことができる地位を「在留資格」として定め、外国人の本邦において
行おうとする活動が、在留資格に対応して定められている活動のいずれかに該当しない限
りは入国及び在留を認めないこととして、この在留資格を中心に外国人の入国及び在留の
管理を行う方法をいい、この制度を外国人の入国及び在留管理の基本として採用した(法
2条の2)のである。そして、退去強制とは、国家が自国にとって好ましくないと認める外
国人を強制力をもって国外に排除する作用をいう。このような作用を有する退去強制令書
を発付したにもかかわらず、在留資格制度の下、容疑者を収容せず本邦内において事実上
在留活動を認めることは背理であることは明らかであって、収容の目的の一つが、在留活
動を禁止するためにあることは自明の理である。
この点、原告は、仮放免制度(法54条2項)や特別放免(法52条6項)を挙げ、これらの
場合、在留資格のない者も在留活動をなしうるのであるから、在留活動を禁止するために
収容されるのだとの立論は説明がつかないと主張する。
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しかしながら、これらの制度は、原則収容主義の下での例外的措置として身柄の拘束が
解かれるにすぎず、その者の地位が退去強制令書を発付された者であることに変わりはな
く、その付された条件範囲内で一定の社会的活動(日常生活を送る等の活動)が許容され
るのは、仮放免あるいは特別放免により在留資格が付与され、又は復活するのではなく、
これらの特別な制度の枠内における管理によるものであり、在留資格のない者は在留活動
をなしえないのは何ら変わりなく、原告の主張は失当である。
また、原告は、仮放免の取消理由は、逃走等に限られているとし、収容はあくまで逃走防
止の手段と解するほかないと主張する。
しかしながら、法55条によれば、「仮放免に附された条件に違反したとき」も仮放免の取
消理由になるのであり、仮放免の取消しとなるのは、逃亡やそれに類似した事由に止まら
ない上、仮放免の取消理由から収容の目的が直ちに導かれるか疑問であって、原告の立論
は論理に飛躍がある。
さらに、原告は、逃走や証拠隠滅を防止する以外の収容はB規約9条1項にいう「恣意
的」抑留となるとし、収容の目的の一として在留活動の禁止を含ませることは「恣意的」で
あって、収容の目的に含まれるとすると、法に定める収容制度はB規約に反し、制度その
ものが無効となるとする。
しかしながら、退去強制令書に基づく収容は、国際法上国家の権利として認められてい
る外国人の退去強制の実施を目的とし、外国人を国外に退去強制するという行政目的を達
成するための不可欠の手続として、原則収容主義を採用しているのであり、かかる収容が
B規約9条1項にいう「恣意的」抑留に当たらないことは明らかである。
ウ 仮放免について
イ記載のように、退去強制手続は容疑者の身柄を収容して行うのが原則であるが、その例
外的措置として、法54条は、収容令書若しくは退去強制令書の発付を受けて収容されている
者について仮放免の制度を設け、退去強制令書の発付を受けて収容されている者に関して
は、自費出国又はその準備のため若しくは病気治療のため等、身柄を収容するとかえって円
滑な送還の執行が期待できない場合、その他人道上配慮を要する場合等特段の事情がある場
合に一定の条件を付したうえで一時的に身柄の解放を認めるものである。したがって、法64
条2項の規定の体制をもあわせ考慮すると、仮放免の許否の判断については、入国者収容所
長等に上記の目的的見地からする広範囲の自由裁量に委ねられているというべきである。
したがって、仮放免許否の判断については、入国者収容所長等に裁量権の逸脱ないし濫用
があった場合に限り、違法と評価されるというべきである。
 本件処分には裁量権の逸脱濫用はないこと
ア 原告は、本件申請において、仮放免理由の1つとして、原告が十二指腸潰瘍とB型肝炎キ
ャリアであり、精神的、治療の面でも収容は避けるべきであるとする。
しかしながら、a病院所属のM内科医は、平成14年10月4日に行った採血による検査結果
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等から、原告の病状について、「HBウイルスDNAも陰性であり、感染症や活動性は極めて低
い。肝機能も正常」と診断している。また、原告の主張する漢方薬の服用についても、原告の
申出に基づき、その都度服用を認めるなど適切に対応している。
イ 原告は、妻と在学中の子2人の4人家族であって、逃走の危険がないとはいえない。確か
に、原告は、違反調査が始まって以来、大阪入管の指示に従って出頭してきているが、かよう
な行動は、最終的には法務大臣の在留特別許可を期待していたものと推察される。しかしな
がら、原告に対して退去強制令書が発付されたことにより、この期待は消失し、逃走しない
という保障はなくなったといわざるを得ない。
また、子らが大学と中学校に在籍している点も、子らは在留資格を有していないのである
から、当然に就学の在留活動はできないのであって、理由とはならない。
ウ 原告は、妻子に対して仮放免が許可されたのに、原告のみが許可されないことについて合
理性はなく、平等原則に違反する旨主張する。
しかしながら、仮放免の許可は入国者収容所長等の自由裁量によるものであるところ、
個々の仮放免対象者を取り巻く諸事情は様々であり、仮に同一家族で申請理由が同一の場合
でも全く同じということはない。入国者収容所長等は、その自由裁量により、個々の仮放免
対象者につき仮放免請求理由を含む諸般の事情を総合的に考慮し仮放免の許否を決定しうる
のであり、単に同一所帯の構成員であることの故をもって、原告の妻子に対し仮放免許可を
する場合に原告に対しても仮放免許可しなければ平等原則に反するとして、許可する義務を
負うものではない。
エ 原告は、本件処分がB規約7条及び拷問等禁止条約2条1項に違反する旨主張する。
しかしながら、原告の収容は、法に従った正当な措置である上、収容にある程度の負担や
苦痛が伴うとしても、それは通常収容に伴うやむを得ないものであって、「拷問」に当たらな
いことは明らかである。
 Eの国籍と本件処分に与える影響
ア 前述のように、仮放免の許否は入国者収容所長等の自由裁量に委ねられているところ、本
件において仮処分が許可されなかったのは、仮放免すべき特段の事情がなかったからであ
る。
すなわち、被告は、原告からの仮放免許可申請書及び添付書類並びに証拠書類の提出を受
け、原告の主張する個々の事情等をも考慮の上で仮放免の許否を総合的に判断した結果、仮
放免を認めるべき事情がないと判断したものである。
したがって、本件処分の後に、原告の妻の母Eに本件就籍許可審判があったからといって、
何ら本件処分が違法となるものではない。
また、仮にEが日本国籍を有していたとの事実が認められたからといって、直ちに原告に
在留資格が認められるものでもないから、この点からも、就籍の事実が本件処分の効力に影
響を与えるものではないというべきである。

退去強制令書執行停止申立事件
平成16年(行ク)第31号
申立人:A、相手方:東京入国管理局横浜支局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:鶴岡稔彦・新谷祐子・加藤晴子)
平成16年4月14日
決定
主 文
1 相手方が平成15年10月30日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、平
成16年4月15日午後3時以降、本案事件(当庁平成16年(行ウ)第45号退去強制令書発付処分取
消等請求事件)の第一審判決の言渡しまでの間、これを停止する。
2 申立費用は相手方の負担とする。
理 由
第1 申立の趣旨
主文同旨
第2 申立の理由
本件申立の要点は、申立人は、難民の地位に関する条約第1条A(昭和56年条約第21号。以下
「難民条約」という。)及び出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)61条の2に規定する
難民に該当するところ、法務大臣が、法60条の2の8(難民に関する法務大臣の裁決の特例)に
よって在留特別許可をすることなく、申立人がした法49条1項の異議の申出に対して同異議の申
出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、これを受けて相手方が退去強制令書
発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)をしたのは違法であり、本件裁決及び本件退令発
付処分は取り消されるべきであるから、本件は「本案について理由がないとみえるとき」(行政事
件訴訟法25条3項)に当たらず、申立人には本件退令発付処分による回復困難な損害を避けるた
めに執行停止を求める緊急の必要性があるというものである。
相手方は、本件執行停止申立は、執行停止を許さないとする要件である行政事件訴訟法25条3
項に定める「本案について理由がないとみえるとき」、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ
があるとき」に該当し、かつ、執行停止の要件である同条2項に定める「回復の困難な損害を避け
るため緊急の必要があるとき」に該当しないから、理由がないと主張する。
第3 当裁判所の判断
1 執行停止の必要性(行政事件訴訟法25条2項)について
 送還部分について
本件退令発付処分の送還部分が執行された場合、申立人は、その意思に反して本国に送還さ
れることとなり、それ自体が申立人にとって重大な損害になる上に、仮に申立人が本案事件に
- 2 -
おいて勝訴判決を得ても、送還前に置かれていた原状を回復する制度的な保障はないことに加
え、申立人自身が法廷において尋問に応ずることが不可能となって立証活動に著しい支障を来
し、また、訴訟代理人との間で訴訟追行のための十分な打ち合わせができなくなるなど、申立
人が本案事件の訴訟を追行することも著しく困難となるおそれがあるものというべきであるか
ら、「回復の困難な損害を避けるための緊急の必要」があるものというべきである。
 収容部分について
ア 次に収容部分について検討する
本件は、適法な在留期間を超えて本邦に在留していた申立人が、法24条4号ロに該当する
ものとして、退去強制令書の発付処分を受けた事案であり、一件記録によれば、申立人が《日
付略》に短期滞在の在留資格で本邦に入国したこと、申立人は、本邦入国後、一度も在留資格
の更新を受けることなく、現在まで本邦に在留していることが認められることからすれば、
申立人は、法24条4号ロの退去強制事由に該当する。
相手方は、申立人は在留期間を途過して本邦に在留する者であって、そもそも本邦に在留
を許される者ではないことは明らかであり、申立人に対する本件退令発付処分の執行を停止
し、申立人を釈放することは、法が予定していない在留外国人を作り出すことになるから、
安易に認められるべきではないこと、在留資格を有しない外国人を収容することは、退去強
制令書の発付に伴って当然に予定されている事柄であり、このことによって当該外国人に生
じる損害は、行政処分の執行に従って通常発生する損害であり、執行停止の要件とされる回
復困難な損害には当たらないと主張している。
イ ところで、相手方の主張を前提としても、適法な在留資格を得て本邦に在留中の外国人が
誤って在留資格を取り消された場合には、当該外国人は本来であれば依然として本邦に適法
に在留し、活動する資格を有していたはずであったといえるのであるから、このような外国
人の地位は、なお十分保護に値するというべきであり、このような者が違法な退令発付処分
によって収容された場合は、本来保護されるべきであった本邦における活動の利益が奪われ
た上、さらに、身柄が収容されることそれ自体で重大な不利益が生じるのであり、これは一
般的には金銭賠償によって救済することは困難であるというべきことからすると、当該外国
人には回復困難な損害が生ずるということができる。
他方、上記のように適法に取得した在留資格が取り消されたような場合とは異なり、もと
もと適法な在留資格を有さないことが明らかな者(不法入国者や在留期間途過が明らかな不
法在留者など)については、これらの者を収容したとしても、本来本邦における活動が許さ
れていないのであるから、これらの者の自由な活動を認めることは法の予定するところでは
ないといい得るのであり、これらの者が身柄を収容されることによって生じる不利益を考慮
しても、なおこれらの者に対しても本邦において活動を許すべき特別の事情(収容された状
態では受けられない手術の予定があるなど)がない限り、やはり回復困難な損害に当たると
いうことは困難であり、この点は相手方の指摘するとおりである。
- 3 -
しかしながら、法は、61条の2の8において、難民認定を受けている者については、 退去
強制事由に該当する場合でも法務大臣の裁量によって在留を特別に許可することができるこ
とを明文で定めているから、本邦に不法に滞在していた者であっても、その者が難民認定を
受けている者であれば、当該外国人は、その難民性が適切に考慮されることにより適法な在
留資格を付与されるべき者であるということができるから、このような外国人については、
単純な不法入国者や不法在留者と同視することは許されず、むしろ、本来本邦における適法
な在留を許されるべき者が、誤って収容を受けたものとして、 上記のような適法な在留資格
を誤って取り消された者と同視することができるというべきである。
また、上記のように手続上の難民認定を受けていない者であっても、 本来難民として認定
されるべき事情を備えていると認められる者であれば、本来であれば難民認定を受けること
によって実際に難民認定を受けた者と同じ扱いを受けるべき者であったといえるのであるか
ら、こうした者についても、本来本邦における適法な在留を許されるべき者が誤って収容さ
れたものとして上記の場合と同視することができるというべきである。
ウ 以上をまとめると、退去強制令書の発付に伴う収容は、外国人の身柄を拘束してその自由
な活動を禁止するものであるから、それ自体重大な不利益であり、一般的には金銭賠償によ
って救済することは困難であるというべきであるが、当該外国人が適法な在留資格を付与さ
れていない者、また付与されるべき者でもない場合は、こうした者は本来本邦における自由
な活動が許されていない者であるから、これらの者の身柄を拘束して退去強制手続を行う間
収容を継続したとしても、本来有しているわけではない利益が与えられなかったにすぎない
のであるから、原則として回復困難な損害が生じるものとはいえないのに対し、本来適法な
在留資格が取り消されるべきではないあるいは新たに付与されるべき者である相当程度の
蓋然性が認められる場合には、これらの者を収容することによって本邦における活動の自由
を全面的にはく奪することについては、やはり回復困難な損害を生じさせるというべきであ
る。
エ このような理解を前提に、一件記録から窺われる申立人の個別事情を検討する。
ア 申立人は、《日付略》《地名略》において出生したイラン国籍を有する男性であり、平成《日
付略》、正規のパスポートでイランを出国し、同月《日付略》、短期滞在(《日数略》)の資格
で本邦に入国した。なお、申立人は、それまでに本邦に入国したことはない。
申立人は、在留期間の更新手続を経ることなく、平成《日付略》までの在留期間を超えて
現在まで本邦に在留している(乙4)。
イ 申立人は、平成《日付略》、法務大臣に対し難民認定の申請を行ったが、平成《日付略》、
難民不認定処分を受け、同日異議の申出を行ったが、平成《日付略》、理由なしとする裁決
がなされ、同月《日付略》、申立人に告知された。
申立人は、難民認定の申請をしたことから、平成《日付略》、法24条4号ロ該当容疑者と
して立件され、平成《日付略》発付の収容令書によって同月《日付略》収容されたが、即日
- 4 -
仮放免を許可されるとともに、上記退去強制事由該当の認定通知を受けた。
申立人は、同日口頭審理を請求し、平成《日付略》、口頭審理が行われ、その結果認定に
誤りなしと判定されたことから、同日法務大臣に対して異議を申し出た。
平成《日付略》、法務大臣によって異議申出にかかる理由なしとする本件裁決がなされ、
同月《日付略》、申立人は、被告から本件裁決の告知を受けるとともに、本件退令発付処分
を受けた。同日、申立人は、入国管理局《地名略》収容場に収容され、同年《日付略》、東日
本入国管理センターに移収された(以上乙1)。
ウ 申立人は、イラン在住時には、政府に対する反感を有していたものの、政治的な活動を
行ったことはなく、本邦入国後もしばらくは政治活動を行っていなかった。申立人は、平
成3年ころ、イラン国籍のB党支持者と知己になったことをきっかけに政治活動に参加す
るようになり、平成4年には《国名略》に本部を置くCに加入し(疎甲1)、年に数回にわ
たり同党が発行する機関誌等にペンネームを使ってイラン政府を批判する内容の寄稿を
し、同党に支援金を送金したほか、本邦内の外国人労働者組合(D組合の外国人組合分会)
の活動にも参加し、本邦で行われた外国人問題に関するデモあるいは反戦デモ等において
イラン政府に反対する意見表明をするなど積極的な政治活動を行っていることが一応認め
られる(疎甲2、7、8の1、2)。
また、申立人は、平成7年ころには、イラン国籍の友人とCの日本支部(E)を結成し、
イラン政府を批判する内容の機関誌(日本語版)を数回発行する活動も行っていたが、当
該友人との間に不和が生じたため、現在はその活動を停止している(疎甲3ないし6)。
エ 申立人は、難民申請手続あるいは退去強制手続において、本邦におけるイラン国籍の知
人が申立人の本邦における政治活動の内容をイラン国大使館あるいは本国政府に密告した
こと原因となって、イラン在住の申立人の兄が10年以上前の罪によって身柄を拘束され、
莫大な罰金を科せられた事実があると述べ、申立人がイランに帰国すれば、 本邦において
反政府活動を行った者として身柄を拘束され、死刑を含む重大な刑罰を科されるほか、拷
問や虐待を受けることになり、生命に危険が生じると述べている(乙11、16の1、17の7)。
オ イランにおける反政府活動者に対する扱い
英国・米国政府の報告書(疎甲10、乙23)、アムネスティの報告書(疎甲9)によれば、イ
ランおいては、海外から帰国した者に対して、海外で反政府活動に関わった証拠の探索を目
的として、政府当局による検査と徹底した尋問が行われること、申立人の加入しているCは
英国政府発行のイラン国別評価2002年4月版(乙23)に国内で活動を許されていない反政府
グループのひとつとして記載されていること、イランにおいては、イランの憲法の原理であ
るイスラム教聖職者の最高性に対する公的な反対は許容されておらず、反政府活動を行う者
がしばしば誘拐され、殺害されることがあること、政府に異議を唱えることを犯罪とする法
律が存在すること、海外に在留する反政府活動者に対しても、政府命令により国外で暗殺が
行われることがあること、国内の政治犯に対する裁判手続は恣意的な面があり適正な手続が
- 5 -
保障されているとは言い難いこと、身柄を拘束された者に対しては官憲による広範な拷問、
虐待が行われていることが報告されている。
カ 申立人の上記個別事情にイランにおける反政府活動者に対する扱いについての報告内容を
総合すると、現段階の疎明資料及び立証資料によれば、申立人がイランに帰国した場合、申
立人の有する政治的意見(共産主義者としての思想)及び活動(本邦内における反政府活動)
のために、身柄を拘束され、拷問、虐待を受けるほか、場合によって生命に危険が生じる蓋然
性があり、申立人には、政治的意見の故に迫害を受けるおそれがあるとして難民条約上の難
民に該当するとされる蓋然性が相当程度あるということができる。
キ そうすると、申立人は、本来難民として認定されることにより、本邦に適法に在留し、本邦
において活動する利益を有する者である蓋然性があるから、このような申立人を収容するこ
とは申立人が有する利益を不当にはく奪するものであり、申立人に回復困難な損害を生じさ
せるものであるといわざるを得ない(なお、本件各疎明資料によれば、申立人が法61条の2
第2項に定める期間内に難民認定申請を行ったといえるかどうかには疑問の余地があるもの
といわざるを得ないが、これによって原告が難民としての庇護を受ける利益を放棄したとは
いえないのであるから、この点を重視して、回復困難な損害が生じていないというのは相当
ではない。)。
よって、本件申立における個別事情に照らせば、本件申立については、収容部分について
も、回復困難な損害を避けるための緊急の必要があり、執行停止の必要性があるものという
べきである。
2 「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法25条3項)の要件に該当するか否か
について
現段階においては、申立人が、難民条約上の難民に該当し、適法な在留資格を付与されるべき
者である蓋然性が相当程度あることは1記載のとおりであり、仮にそのような立証がなされれば
本件裁決及び本件退令発付処分は申立人の難民性を考慮せずになされた違法なものとして取り消
されることも十分あり得るから、本件申立は本案について理由がないとみえるときには該当しな
いことは明らかである。
3 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に該当する
かどうかについて
相手方が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとして主張するところは、 執行停止に
よる一般的な影響をいうものであって具体性がなく、本件において、本件退令発付処分に基づく
送還及び収容の執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの事情をうか
がわせる疎明はない。
なお、申立人は、《日付略》、他人の自転車に乗っていたという事実により占有離脱物横領容疑
で警察署まで任意同行された事実が認められるが、この件は、被害回復によって微罪処分となり、
申立人は身柄引受人とともに帰署したというのであるから(以上乙10)、このことをもって申立
- 6 -
人を収容しなければ公共の福祉に重大な影響があることを根拠付けるものとはいえない。
4 結論
よって、本件申立は、理由があるからこれを認容することとし、申立費用の点について、行政事
件訴訟法7条、民事訴訟法61条を適用して、主文のとおり決定する。

難民認定をしない処分取消等請求事件
平成14年(行ウ)第49号
原告:A、被告:法務大臣・名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:加藤幸雄・舟橋恭子・平山馨)
平成16年4月15日
判決
主 文
1 被告法務大臣が、原告に対して平成13年10月2日付けでした難民の認定をしないとの処分を
取り消す。
2 被告法務大臣が、原告に対して平成12年1月7日付けでした出入国管理及び難民認定法49条
1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決は無効であることを確認する。
3 被告名古屋入国管理局主任審査官が、原告に対して平成12年1月27日にした退去強制令書の
発付は無効であることを確認する。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要(以下、年号は、本邦で生じた事実については元号を先に西暦を後に表記し、本邦外
で生じた事実については西暦により表記する。また、国名は、慣用例により適宜略記する。)
本件は、トルコ(共和国)国籍を有する原告が、同人に不法残留の退去強制事由がある旨の入国
審査官の認定に誤りがないとの特別審理官の判定に対してした異議の申出について、被告法務大
臣(以下「被告大臣」という。)が理由がないとの裁決をし、次いでその裁決に基づいて被告名古
屋入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」といい、名古屋入国管理局を「名古屋入管」と
いう。)が原告に対する退去強制令書を発付したため、同被告らに対してそれらの無効確認を求
め、さらに原告が被告大臣に対して難民認定申請(第2次)をしたところ、同被告が難民の認定を
しない処分をしたため、同被告に対して、その取消しを求めた抗告訴訟である。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)
 原告の入国・在留状況について
ア 原告は、1973年《日付略》、トルコの《地名略》県において出生したトルコ国籍を有する外
国人である(甲1、乙1)。
イ 原告は、平成9(1997)年1月30日、トルコ政府発行に係る本人名義の旅券を所持して、
トルコのイスタンブールからトルコ航空592便で新東京国際空港に到着し、東京入国管理局
(以下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官に対し、渡航目的「for business(商用)」、
- 2 -
日本滞在予定期間「One Week(1週間)」と記載した外国人入国記録を提出して上陸申請を
行い、同入国審査官から、在留資格「短期滞在」、在留期間「90日」とする上陸許可を受け、本
邦に上陸した(甲1、乙1、2)。
原告は、在留期間更新許可申請又は在留資格変更許可申請をすることなく、在留期限であ
る同年4月30日を徒過して本邦に残留した(乙22)。
ウ 原告は、平成9(1997)年8月19日、居住地を愛知県《住所略》として外国人登録申請を行
い、同年9月5日、外国人登録証明書の交付を受け、次いで、平成10(1998)年8月14日、三
重県《住所略》に、平成12(2000)年6月30日、同市《住所略》にそれぞれ居住地変更登録を
している(乙3、4)。
その後、原告は、遅くとも平成15(2003)年9月ころまでに、肩書地に転居している。
 原告の難民認定申請手続について
ア 原告は、平成9(1997)年10月3日、東京入管において、同人がクルド人であるために迫
害を受けるおそれがあることを理由として、被告大臣に対し、出入国管理及び難民認定法(以
下、法律名を示すときは「入管難民法」といい、条文を示すときは単に「法」という。)61条の
2第1項に基づき、難民認定申請をした(以下「第1次申請」という。甲1、乙1、3、5)。
イ 東京入管の担当者は、平成9(1997)年10月7日付けで原告に対して、第1次申請の申請
書上の住所に出頭通知書を郵送したが、転居先不明の理由で返送された。そのため、担当者
は、同住所地に居住する者に電話で出頭要請の伝言を依頼したが、原告は出頭しなかった。
さらに、平成10(1998)年7月22日付けで、原告に対して、外国人登録上の住所地に出頭通
知書を郵送したが、「棟・室番号漏れ」のため返送され、原告は出頭しなかった(乙6の1・
2)。
ウ 被告大臣は、平成10(1998)年10月27日、第1次申請について、法61条の2第2項所定の
期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情は認めら
れないとして、難民不認定処分(以下「第1次不認定処分」という。)をし、同年12月17日、
原告に通知した(甲7、乙3、7)。
エ 原告は、平成10(1998)年12月17日、被告大臣に対し、第1次不認定処分について異議の
申出をしたため、名古屋入管難民調査官は、平成11(1999)年3月31日及び同年4月8日、
原告から事情を聴取するなどの事実の調査を行った(乙3、8ないし10)。
オ 被告大臣は、平成11(1999)年12月17日、原告からの異議申出について、法61条の2第2
項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情
は認められないので、理由がない旨の裁決をし、平成12(2000)年1月6日、原告に告知し
た(乙11)。
カ 原告は、平成12(2000)年2月18日、被告大臣に対し、帰国したクルド人が殺害されたこ
とを知って恐怖感を持った旨の理由を付加して、再度、難民の認定を申請した(以下「第2次
申請」という。甲9、乙3、12)。
- 3 -
キ 被告大臣は、平成13(2001)年8月1日及び同月3日に実施された名古屋入管難民調査官
による調査を経て、同年10月2日、第2次申請について、迫害を受けるおそれは認められず、
難民とは認められないとして不認定処分をし(以下「本件不認定処分」という。)、同年11月
7日、原告に通知した(甲10、乙3、13ないし15)。
ク 原告は、平成13(2001)年11月9日、被告大臣に対し、本件不認定処分について異議の申
出をしたため、同被告は、名古屋入管難民調査官による調査の結果を受けて、平成14(2002)
年5月31日、難民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に難民に該当
することを認定するに足りるいかなる資料も見いだし得なかったとして、原告からの異議の
申出は理由がない旨の裁決をし、同年6月14日、原告にこれを通知した(甲11、12、乙3、
16ないし18)。
 原告の退去強制手続について
ア 名古屋入管入国警備官は、平成9(1997)年9月4日、原告を法24条4号ロ(不法残留)該
当容疑で立件し、平成11(1999)年1月13日、原告について違反調査を行った結果、同容疑
について相当の理由があると判断し、同年2月23日、名古屋入管主任審査官から収容令書の
発付を受け、同月25日、同収容令書を執行して、原告を名古屋入管収容場に収容するととも
に、同日、上記容疑者として名古屋入管入国審査官に引渡した(乙3、19ないし21)。
イ 名古屋入管入国審査官は、平成11(1999)年2月25日、原告について2度の違反調査を行
い、その結果、原告が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い、原告に通知した。なお、原告
は、同日、名古屋入管入国審査官から仮放免を受けた(乙3、22ないし25)。
ウ 原告は、平成11(1999)年2月25日、この認定に異議があるとして、名古屋入管特別審理
官による口頭審理を請求したが、同審理官は、同年4月8日、原告について口頭審理を行っ
た結果、同認定は誤りがない旨判定し、原告に通知した(甲8、乙24、26、27)。
エ 原告は、平成11(1999)年4月8日、被告大臣に対し、この判定について異議の申出をし
たが、同被告は、平成12(2000)年1月7日、原告に対し、上記異議の申出は理由がない旨の
裁決を行い(以下「本件裁決」という。)、同裁決の通知を受けた被告主任審査官は、同月27日、
送還先をトルコとする退去強制令書を発付し(以下「本件発付処分」という。)、同月28日、原
告に本件裁決を告知するとともに、原告を名古屋入管に収容した(乙28ないし31)。
オ 原告は、平成12(2000)年1月28日、被告主任審査官から仮放免を許可されたが、平成14
(2002)年6月17日、仮放免期間延長については許可されず、同日付けの仮放免許可申請も
不許可となって名古屋入管収容場に収容された。
その後、原告から同年7月4日付けで出された仮放免許可申請は、同年8月19日、許可さ
れている(乙3、32ないし35)。
 トルコにおけるクルド人の概況
ア トルコ内には、推定1000万人以上のクルド人(クルド系住民)が居住しており、クルド人
が多数居住するトルコ南東部については開発の遅れが指摘されている。そして、トルコにお
- 4 -
いて、親クルド的政党である人民労働党(HEP)、民主党(DEP)及び人民民主党(HADEP)
が存在していたが、2003年、人民労働党及び民主党が解散を命じられた。また、クルディス
タンのトルコからの分離独立を目指すクルド労働者党(又はクルディスタン労働者党。以下
「PKK」という。)は非合法組織とされている。
イ 国連拷問禁止委員会(CAT)は、1993年11月に、ヨーロッパ拷問防止委員会(CPT)は、
1996年12月に、それぞれ、報告又は声明の中で、トルコ政府に対し、拷問を一掃するための
勧告を行い、「国連の超法規的即決又は恣意的処刑に関する特別報告者」や「国連の強制的失
踪に関するワーキンググループ」は、トルコ政府に対し調査の機会を与えるように要請して
いる。また、アムネスティ・インターナショナルは、1996年6月、トルコにおける現状につ
いての報告書を発表し、トルコ政府による様々な拷問、超法規的処刑などの事案を認定した
上で、その是正のための勧告を行っている。
 難民の定義
入管難民法上の難民とは、「難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)第1条の規
定又は難民の地位に関する議定書(以下「議定書」という。)第1条の規定により難民条約の適
用を受ける難民をいう。」と定義されている(法2条3号の2)ところ、これらの規定による難
民(以下「条約難民」という。)とは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員で
あること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有
するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又
はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの
事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有してい
た国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国
に帰ることを望まないもの」とされている(難民条約1条A及び議定書1条2項)。
なお、「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」とは、当該人が迫
害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているとの主観的な事情のほかに、通常人が当該人
の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的な事情が存在していることを意味す
る。
2 争点
 本件不認定処分は違法か−原告は条約難民に該当するか
ア 立証責任の所在、供述の信ぴょう性判断
イ トルコにおけるクルド人の状況
ウ 原告固有の事情
エ 原告の難民該当性
 本件裁決は無効か。
 本件発付処分は無効か。
3 争点に対する当事者の主張の要旨
- 5 -
 争点(本件不認定処分は違法か−原告は条約難民に該当するか)について
(原告)
原告は、後記アないしエについての原告主張のとおり、条約難民に該当する。それにもかか
わらず、本件不認定処分は、原告が条約難民に該当することを認定するに足りる資料がないと
判断しているが、これは、事実を誤認するものであるか、法令の適用を誤るものであって、違法
である。
(被告ら)
後記アないしエについての被告ら主張のとおり、原告がトルコ政府から迫害を受けていると
いう事実に関する原告の主張ないし供述には整合性も一貫性もないから、原告に対する迫害が
あったと認定できないし、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有すると
認めることもできない。したがって、原告が条約難民に該当する事実について立証はなされて
いないから、本件不認定処分は適法である。
ア 争点ア(立証責任の所在、供述の信ぴょう性判断)について
(原告)
ア 立証責任の所在について
難民認定における立証責任は、原則として難民認定を申請する者が負担しているが、申
請者は、出身国から逃れて来る者であるから、多くの場合、証拠となるものを持ち出す余
裕がなく、最小限度の必需品のみを所持し、身分に関する書類すら携帯しない例もまれで
はない。他国に到着してからも、これらを入手することは困難であり、しかも、誤った不認
定処分がなされれば、難民に極めて深刻な結果をもたらす。このような、申請者にもたら
される極めて深刻な結果と、客観的な証拠を入手することが困難な申請者の置かれた状況
を考慮すれば、立証できない陳述が存在する場合において、申請者の説明が信ぴょう性を
有すると思われるときは、反対の十分な理由がない限り、申請者は、いわゆる灰色の利益
(「疑わしきは申請者の利益に」)を与えられるべきである。
この原則は、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどの各国の実務で採用され、
難民条約35条によって同条約の運用を監督する責務を与えられた国際連合難民高等弁務
官事務所(以下「UNHCR」という。)が発行する「難民認定手続ハンドブック」(以下「ハン
ドブック」という。)にも定められているところ(196、203)、その内容は、条約法に関する
ウィーン条約(昭和56年条約第16号)32条が定める「解釈の補足的な手段」に当たると考
えられるから、その趣旨を十分に尊重すべきである。
イ 信ぴょう性判断について
難民の認定行為は、裁量行為ではなく、難民の要件に該当する事実が備わっていると認
められるときは、羈束的に行われるべき事実の確定行為であるところ、この作業において、
難民申請者の供述の信ぴょう性判断は、申請者が客観的証拠を提出することが例外的であ
るという事情もあって、決定的な要素となり得る。したがって、この判断を行う際には、難
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民申請者特有の心理的要因(心的外傷後ストレス障害、当局職員に対する不信感、残った
親族等に対する配慮等)、文化的要因(文化、言語の相対性)、さらには難民認定手続が対審
構造を採用していないこと(認定機関に権限が集中していること)などを考慮して、慎重
な検討が必要である。
そのため、難民認定手続には証拠法の一般的諸原則がなじまないというべきであり、申
請者の供述そのものに一貫性、信ぴょう性、誠実性が認められる場合には、これを補強す
る客観的証拠を要するものではなく、逆に証拠の一部に矛盾、不整合、変遷が存し、信ぴょ
う性が欠けていたとしても、それを絶対的なものとして扱って直ちに難民でないと判断す
べきではなく、すべての証拠を検討した上で、当該申立て全体を通じての本質的に重大な
証拠の矛盾や不一致が存在するか否かを検証しなければならないし、信ぴょう性について
否定的結論に至るためには、それだけの理論的根拠と有効な反対証拠が実在しなければな
らない。また、出身国に関する情報の収集については、認定機関側の積極的関与がなされ
るべきである。
また、憲法13条、31条は、いわゆる適正手続の原則を表明しているところ、最高裁判所
の判決は、行政手続においても、適正手続の保障が与えられるべきものと判断している。
そして、難民認定手続は、誤った処分がなされた場合に失われる利益の重大性などにかん
がみると、より一層この保障が要請される。したがって、難民認定手続において必要かつ
重要な理念は公平の原則であることが強調されるべきであり、審査官が申請者により提出
された証拠の信ぴょう性に疑いを抱いたときには、申請者にその心証を開示し、その事項
について釈明する機会を付与すべきである。
(被告ら)
原告の主張は争う。
難民条約等は、いかなる手続を経て難民の認定がなされるべきかについて、何らの規定を
設けておらず、これらを締結した各国の立法政策に委ねている。このことは、被迫害者が庇
護を求める権利としての庇護権は、いまだ国際法上確立した概念となっておらず、難民条約
等も、その前文などから明らかなように、難民を受け入れ、保護を与えるか否かは、結局、各
締約国が主権的判断に基づいて決定すべきものとして、上記庇護権を保障するものでないこ
とからも裏付けられる。したがって、難民認定の基準が難民条約等の解釈に還元され、それ
がすべてであるかのような原告の主張は、それ自体失当である。
ア 立証責任の所在について
法61条の2第1項が、申請者の提出した資料に基づいて法務大臣がその者を難民と認定
することができる旨規定し、法61条の2の3第1項が、申請者の提出した資料のみでは適
正な難民の認定ができないおそれがある場合その他難民の認定又はその取消しに関する処
分を行うため必要がある場合には、法務大臣は難民調査官に事実の調査をさせることがで
きる旨規定していることに照らすと、難民該当性の立証責任は申請者に課せられていると
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解すべきである。このことは、そもそも難民認定処分が授益処分であること、実質的に考
えても、およそ難民該当性の判断に必要な出来事は外国でしかも秘密裏にされたものであ
ることが多く、これらの事実の有無及びその内容については、それを直接体験した申請者
が最も良く主張立証し得ることからも裏付けられる。
この点について、原告は、条約法に関するウィーン条約32条を援用するが、同条約31条
1項は文理解釈を原則とすることを定め、解釈の補足的な手段は、①同条約31条の規定の
適用により得られた意味を確認するため(同条約32条本文)、②同条約31条の規定による
解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合における意味を決定するため(同条
約32条)、又は③同条約31条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理
な結果がもたらされる場合における意味を決定するため(同条約32条)に、初めて依拠
することができるものであるから、難民条約等に難民認定手続に関する規定がない以上、
難民認定手続に係る諸原理について、そもそも解釈すべき対象がなく、同条約31条、32条
の適用が問題となる余地はないし、ハンドブックも、難民認定手続について規定しておら
ず、各国で異なった制度が採用されていることを当然の前提としている。
したがって、難民申請者は、一般の民事訴訟におけると同様、その難民性を合理的な疑
いを容れない程度に証明しなければならず、被告大臣に難民認定に関する調査義務を負わ
せ、調査していない事項について法的義務違反を肯定するなど、立証責任を事実上転換す
るに等しい結果を招くのは、法61条の2第1項の解釈を誤るものというべきである。
イ 信ぴょう性判断について
原告は、申請者の供述の信ぴょう性の評価原則について主張するが、これらはいたずら
に難民の認定が独自の法領域である旨強調しすぎるものであって、その引用するハンドブ
ック等もいわば心構えを述べたものにすぎないから、絶対的なものではあり得ない。 
例えば、供述の中に、誇張や一部事実をゆがめた供述、客観的事実に反した供述がある
場合に、その部分を無視して他の供述の信ぴょう性を判断しなければならないとするの
は、供述の信用性判断のプロセスを否定するものであって不合理であり、そのような部分
を含めて供述全体の信用性を判断すべきである。また、供述の信ぴょう性の判断において
は、その一貫性が重要な要素であることは自明であって、難民認定の特殊性を考慮しても、
これを判断要素から排除することは不合理であり、このことは、ハンドブックにおいても
指摘されている。さらに、供述の信ぴょう性を疑う場合に、それが虚偽であることの確た
る証拠が必要であるとするならば、証拠収集が困難と考えられる事項しか供述されない場
合、その供述は信ぴょう性があると判断せざるを得ない結果となり、不合理である。
この点について原告は、「灰色の利益」や「疑わしきは申請者の利益に」の原則を援用す
るが、これらは供述の信ぴょう性の評価原則ではなく、申請者の供述に信ぴょう性が認め
られることを前提として、申請者の立証責任を緩和するものにすぎない。
イ 争点イ(トルコにおけるクルド人の状況)について
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(原告)
原告は、以下のとおり、クルド人であることや政治的意見等を理由として迫害を受ける十
分に理由のあるおそれがある。
すなわち、トルコ政府は、クルド人を「山岳トルコ人」と呼称し、民族の独自性自体を否定
しており、これに抵抗するクルド人に対する弾圧は、その態様があまりに過酷かつ大規模で
あるため、国際社会においても非難を受けているが、トルコ政府は、その迫害の多くが国家
組織によってなされているにもかかわらず、これを放置し、徹底的捜査を行わない結果、ク
ルド人やクルド人の独自性を主張する者に対する迫害状況にはほとんど変化がなく、難民認
定が認められずに帰国したクルド人に対する迫害も続いている。
ア 歴史について
a クルド人
クルド人とは、クルディスタン(トルコ・イラン・イラク・シリアの国境地帯にまた
がる山岳地帯)に居住する民族であり、人種的にはインド・ヨーロッパ系であり、その
言語であるクルド語もインド・ヨーロッパ語族に属する。また、クルド人は、中東第4
位の人口を擁し、国家を持たない世界最大の民族であって、トルコには、推定で1000万
人以上のクルド人が居住している。宗教的には、イスラム教スンニ派に属する者が多い
が、少数派のアレヴィ派(3分の1)もいる。アレヴィ派は、トルコ人の中にもいるが、
スンニ派の正式な要件を遵守せず、セメビと呼ばれる礼拝室で祈りを捧げる。
これに対し、トルコ人はアジア系であり、その言語であるトルコ語もクルド語と共通
点はない。
b 第1次大戦後
第1次対戦後のオスマントルコの処理に関するセーブル条約(1920年締結)では、ク
ルド人を一民族として認め、固有の国家を持つ資格があると認めたが、この条約は、ト
ルコ共和国を築いたムスタファ・ケマル(後のアタチュルク。以下「ケマル」という。)
の反対、イギリスの中東政策の変更等のため発効せず、その独立性は国際的に全く無視
された。
ケマルらは、トルコの分割を画する欧州列強との戦いを祖国解放運動と位置づけ、そ
の原動力として、トルコナショナリズムを標榜した。その結果、トルコ政府は、総人口
の4分の1をも占めるといわれるクルド人などの他民族の存在自体を否定し、少数民
族の独自性を主張するあらゆる行動を弾圧した。このことは、1924年憲法はもちろん
のこと、1982年制定の憲法(以下「1982年憲法」という。)も、前文で「トルコの国家利
益、国家と国土とが不可分であるというトルコの存立の原則、トルコ人であるという歴
史的・精神的価値、アタチュルクの民族主義・原則・改革・文明性に反しては、いかな
る思想も見解も保護されず、」と規定し、14条で「本憲法で定めるいかなる権利及び自由
も、国土と国民とから成る不可分の国家の全体性を破壊し、トルコ国と共和制の存立を
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危うくし、基本的権利と自由を剥奪し、(中略)言語、民族、宗教及び宗派の相違を惹起
すること等のいかなる方途であれ、かかる見解と思考に基づいた国家の秩序を構築する
目的では行使し得ない」と規定していることにも表れている。また、クルド語の使用は、
1924年に公式に禁止され、1930年代にはトルコ語を至上のものとする太陽言語理論が
推進された。
これらの政策に対して、1925年2月のシャイフ・サイドによる反乱、1929年のジェ
ラリー族による反乱、1937年のデルスィムによる反乱など、クルド人は何度も反抗を繰
り返したが、そのたびに、無差別の虐殺など、トルコ政府による過酷な弾圧を受けた。こ
れらの弾圧により、クルド人の部族社会は壊滅し、民族としてのアイデンティティを奪
われた。
c 第2次大戦後
第2次大戦後、トルコは複数政党制の時代を迎えたが、政権は軍の許容する枠内で政
策を実施したにすぎず、軍の許容する枠を超えると、軍はクーデタ(1960年、1971年、
1980年の3回)などの手段で政権を交代させることを繰り返した。その間、トルコ政府
は、ほぼ一貫してクルド民族の存在や分離主義を主張した者を、その主張自体を理由と
して逮捕し、実刑判決を言い渡し、沈黙を強いる政策を実行し、クルド人の多くが居住
するトルコ南東部は、開発から取り残され、社会資本の充実が遅れたまま放置された。
これに対して、クルド人側は、クルディスタン民主党(KDP)やトルコ労働者党(TIP)
の中の革命的東部文化クラブ(DDKO)などを拠点に言論によって抑圧を告発する活動
をしたが、指導者は暗殺や逮捕、起訴されるなどの弾圧を受けた。そのような中で、それ
までクルディスタンの独自性を主張して政治活動をしていたアブド・アッラフ・オジャ
ラン(以下「オジャラン」という。)を中心に、1978年、PKKが設立されると、同党は非
合法でありながら、クルド人の間に支持を広げていった。
d 1980年のクーデタ発生以降
1980年9月12日、トルコ3軍及び憲兵(ジャンダルマ)によるクーデタが発生し(以
下「1980年クーデタ」という。)、その司令部である国家保安評議会(NSC)は、トルコ全
土に非常事態宣言を布告した。この非常事態宣言は徐々に解除され、1984年に民政移管
となったものの、南東部については解除は遅れ、軍司令官の一存で住民の諸権利が奪わ
れる状態が続いた。それ以降の政治体制は、このクーデタによって作られた体制を受け
継いでいる。
1980年クーデタの際、トルコ政府は、PKK党員であるという容疑で1790人を逮捕し、
その多くが有罪判決を受けて受刑し、あるいは長期間勾留された。そのため、PKKは、
1984年、武装闘争の方針を採った。1990年代に入り、PKKは支持を広げ、オザル大統領
の時代には、独立から自治に要求を落とし、一方的に停戦を発表して、トルコ政府に対
して交渉を呼びかけ、オザル大統領もこれに呼応するかのような時期もあった。しかし、
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1993年、同大統領が死亡してからは、トルコ政府軍は攻勢に転じ、衝突が続いている。
その他、クルド人の権利を擁護する政党として、1989年結成の人民労働党があるが、
国会の宣誓式でクルド語を使用しようしたことや党会議での発言を理由に、1992年、憲
法裁判所においてその合憲性が審査され、実質的に閉鎖に追い込まれた。同党の後継政
党として、1993年結成の民主党も、党首の逮捕、議員・党員の暗殺等が相次ぎ、1994年、
憲法裁判所によって閉鎖命令が出され、さらに、同年7月結成の人民民主党も、閉鎖命
令が出されるに至っている。
イ クルド人に関するトルコ共和国の法制度について
a トルコ憲法とクルド語の使用禁止
1982年憲法26条3項は「思想の表現及び伝達において法律で禁止された言語は使用
できない。」と、同法28条2項は「法律で禁止された言語では出版を行い得ない。」と、同
法42条9項は「トルコ語以外のいかなる言語も、教育及び教導の機関においてトルコ国
民に対し母国語として教授されることはない。」とそれぞれ規定し、これを受けた「トル
コ語以外の諸言語での出版に関する法律」(1983年10月19日付け第2932号法)におい
ても、1条ないし3条において、トルコ国民の母国語はトルコ語であり、トルコ語以外
の言語による思想の表現等を禁止する旨規定し、4条ないし6条において罰則を規定し
ている。
b 反テロリズム法の制定
上記2932号法は、1991年4月12日に制定された反テロリズム法の制定に伴い、廃止
されたが、反テロリズム法は、クルド人による独立運動はもちろん、その独自性の主張
などクルド人問題の存在に関する言論を含め一切の活動を排除すべく立法されたもので
あって、テロリズムを広く定義することにより、クルド人の独自性を主張すること自体
を同法の適用対象とし(1条)、一定の犯罪がテロリスト犯罪として行われた場合には一
般の法定刑の1.5倍の刑を科することとし(5条)、反テロリズム法を非難する行為、テ
ロリスト犯罪摘発に従事する公務員の氏名を公表する行為、テロリスト団体の宣言文や
パンフレットを印刷、出版する行為などを重罰金に処することとし(6条)、テロリスト
団体を結成した者等に対して懲役刑及び重罰金刑の併科とし(7条)、トルコ及びその領
土の統一性を破壊することを目的とする宣伝、集会、示威行動を禁止し(8条)、反テロ
リズム法違反の罪は、特別裁判所である国家保安裁判所(SSC)が管轄し(9条)、テロ
リズム犯罪防止のための職務に従事する警察、情報機関等の職員がその職務遂行中の行
為に関して訴追された場合に、懲役刑を免除し、所属機関の費用で3人以下の弁護人を
付する(15条)など、かかる活動を徹底的に封じ込めるためのあらゆる手段を有してい
る上、運用においていくらでも反テロリズム法違反の容疑をかけることが可能な法律で
あった。その結果、いったんその容疑者とされた者は、当局による拷問に対し、トルコ共
和国法上の保護を一切受けられないことになった。そして、反テロリズム法は、国際的
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非難によって何度も改正された(1995年10月25日の改正が比較的大きなものである。)
が、法定刑の上限を下げる程度の内容にとどまり、実質的な改善はなされなかった。
ウ クルド人に対する迫害状況について
クルド人であっても、民族のアイデンティティを公然と又は政治的に主張しなければ、
通常、迫害を受けることはないが、これらを主張したり、公の場でクルド語を話すことを
支持する人は、迫害を受けるリスクを負っている。クルド人に対する迫害状況は、ジャー
ナリストに対するら致や行方不明が多数あるため、実態を正確に把握することが困難であ
るが、政治的意見又はクルド民族であるという理由によって迫害を受けたクルド人の具体
例は枚挙にいとまがない。迫害の主体は、主として、軍、警察又は憲兵であるが、MIT(ミ
ツリー・イステイヒバラット・テシユキリヤートウ)と呼ばれ、普段は民間人として働い
ているように見えながら、実際には、政府の指示を受けて、情報収集や暗殺等の任務を果
たす機関とその構成員も、クルド人への弾圧行為を行うことがある。
その具体例は、政府寄りの新聞であるトルコデイリーニュースの報道からも知ることが
できるが、1980年代後半から発生したクルド人民間活動家に対する暗殺の被害者は、一説
によれば1000名にも達し、村の焼き討ちによる被害者は200万人に上ると推定され、1996
年までに南東部の各地における焼き討ちの際に銃殺された村民の数は1000人を超える。
また、軍、警察、憲兵は、一切の適正手続を無視した暴力的尋問、逮捕、拘禁、拷問を繰り
返し、1991年から96年までの5年間に少なくとも93名が拘束中に死亡し、1995年までに
拘束中に行方不明になった例が100件以上報告されている。以上の事態は、国連の強制的
失踪に関するワーキンググループによる報告(1994年)、アメリカ国務省の国別人権状況
リポート(1999年)、英国移民局の「連合王国における庇護国別評価 トルコ」(2000年)
などの報告によっても裏付けられる。
このような迫害状況は、その後も改善されておらず、現に、トルコにおいて数年にわた
って勾留され、裁判を受けた経験を有し、日本において難民認定を申請していたBは、認
定を受けられる見込みがないため、やむなく帰国したところ、1999年7月ころ、自宅で殺
害されたが、同人はトルコ治安当局によってPKKの日本における責任者とみなされてお
り、その殺害状況の不自然さに照らすと、トルコ政府による謀略に基づく疑いがある。
なお、イスラム教アレヴィ派は、その政教分離論への強い傾斜から、伝統的に左派政党
を支持してきたところ、トルコにおいては、同派は、宗教担当監督庁から財政援助を受け
られず、中学校の宗教教科書にもスンニ派の情報のみが記載されるなど、差別の対象とさ
れてきた。特に、アレヴィ派クルド人であることは、反体制派との疑いを増す要素となっ
ている。
エ 国際的非難について
上記のようなトルコ政府の現状にかんがみ、国連拷問禁止委員会は1993年に、ヨーロッ
パ拷問防止委員会は1996年に、それぞれ報告又は声明の形式で拷問を一掃するための勧
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告を行い、また、同年1月18日、欧州議会は、1995年12月11日のPKKによる停戦の提案
を評価して、トルコ政府に対して民主主義的改革のための政策強化と人権尊重などを求め
たが、トルコ政府は、政治的干渉であるとして反発するばかりであったため、1997年12月
にはクルド人弾圧を主な理由の一つとして欧州連合(以下「EU」という。)加盟対象から外
されている。
トルコへの武器輸出国であるドイツは、1992年、1994年及び1995年に武器輸出を一時
停止することにより抗議の姿勢を表明し、スイスも、1993年、首都においてトルコ大使館
員によるクルド人デモ隊への発砲事件に抗議している。
(被告ら)
原告の主張は争う。
トルコは、以下のとおり、民主的クルド人文化を受容しており、クルド人は、その民族的出
自のみを理由に迫害を受けるおそれがあるとは認められない。
ア 歴史について
原告の主張アのうち、クルド人が主にトルコ、イラン、イラクにまたがる地域に居住し、
その言語がクルド語であり、トルコ内に推定で1000万人以上のクルド人が居住している
こと、トルコにおける1980年クーデタを契機として、非常事態宣言が布告されたところ、
南東部の11県においては、1990年代まで解除されなかったこと、親クルド政党である人民
民主党に対し、その閉鎖を求める提訴がされたこと、以上の事実は認める。
しかし、非常事態宣言は2002年までにトルコ全土の全県で解除され、原告の出身地であ
る《地名略》県においては、既に1986年に解除されているし、憲法裁判所は、人民民主党
に対し、閉鎖を求める提訴がされたものの、1999年4月の総選挙に参加することを許可
し、合法的に活動できることを保障している。
イ クルド人に関するトルコ共和国の法制度について
a トルコの民主化と憲法改正
1982年憲法は、1980年クーデタの影響下で策定されたものであり、国家治安の維持
を重視した内容であったが、1990年代初頭からの治安の安定とともに、1987年、1993
年、1995年、1999年(2回)、2001年と頻繁に憲法改正がなされ、トルコ社会全体が徐々
にクルド人やクルド語を受入れる民主的体制に変容してきている。
2001年10月3日の改正後の憲法(以下「2001年憲法」という。)においては、法律で
禁止された言語の使用禁止条項が削除されるなど、思想、信条、表現の自由が憲法上よ
り明確に保障されるように改められ、2002年8月3日には、クルド語の教育や放送を解
禁する法案を含む14改革法案がトルコ国会で一括可決されている。2001年憲法は、トル
コからの分離独立を目的とする活動を禁止しているが、これは、国家の治安維持を優先
しなければならないような社会状況を背景とし、その後もトルコ社会が分離独立主義を
掲げるPKK等の数多くの非合法組織によるテロ行為の脅威にさらされた経緯にかんが
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みれば、やむを得ないことであって、上記の趣旨も、そのようなテロ行為に象徴される
反社会的行動を禁止するものにすぎず、クルド人の人権に対する制約を許容するもので
ないことは明白である。以上のことは、2001年憲法が、共和制、政教分離、民主主義を
保障し、多様な基本的権利や自由を保障していること、禁止されているのは国家及び国
家体制の根幹を破壊する具体的行為であって、思想、信条の自由が侵害されることはな
い旨確認されていること、トルコの国会にはクルド人議員が多数在籍していることなど
からも明らかである。
なお、2001年憲法は、本件不認定処分直後に成立したものであるが、これにつながる
社会情勢の変化は1990年代から継続的に起こっていたものである。
b クルド語の使用
1991年春には、トルコ国内においてクルド語を使用することを禁止する根拠となっ
ていた法律が廃止され、クルド語の出版物や音楽著作物が合法的に流通し、クルド語に
よる放送が一定の範囲内で事実上認められるようになったこと、トルコ政府は、前記憲
法改正に先立ち、2001年3月、EU加盟に向けた国家プログラムを発表し、EUの政治条
項に調和すべく、2004年までに憲法その他の関連立法について大々的に改正する計画
を立てていること、2002年8月には、クルド語の教育や放送を解禁する法案を含む14の
法案がトルコ国会で一括可決されていることからも明らかである。なお、反テロリズム
法に基づく出版制限についても、テロ行為を奨励し、社会秩序を深刻に損なう思想の表
現を規制するものであるから、テロ行為に無縁なクルド語の出版物が規制を受けるとは
いえない。
c 反テロリズム法
原告は、反テロリズム法自体が人権に対する重大な侵害である旨主張するが、後記エ
ウにおける被告らの主張のとおり、テロリズムの取締りは国家の重要な責務であり、諸
外国に比べ、殊更に過酷な刑罰を法定しているものではなく、手続保障もなされている。
しかも、1995年10月27日の法改正により、具体的な破壊活動を伴うものでなければ
罰せられないことになり、テロ防止のために職務に従事している職員が訴追された場合
に懲役刑を免除する旨の同法15条は削除され、同改正により多数の収監者が減刑された
り、釈放された。
また、2000年12月採択の恩赦法により、表現行為に対する処罰法令に基づく刑罰の執
行は猶予されることになり、多数の有罪判決を受けた者及び未決勾留者が釈放され、テ
ロ組織支援者に対しても、本人の明確な意思に基づいて故意に支援活動を行ったか否か
が重要な点とされ、故意であっても食料を1回提供した程度で刑罰を適用されることは
ないなど、支援活動の動機、程度等を考慮して、処罰されるか否かが決められるように
なった。
ウ クルド人に対する迫害状況について
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a 民族的理由による差別
トルコにおけるクルド人は、その民族的出自のみを理由に迫害を受けるおそれがある
とはいえない。このことは、英国移民局や米国国務省の報告によっても、またUNHCR
の報告によっても支持される。
例えば、英国移民局の報告によれば、トルコ南東部以外では、クルド民族のアイデン
ティティを公然と、又は政治的に主張しないならば、クルド人は迫害や差別を受けない
し、都会のクルド人は、一般にクルド分離主義を支持せず、トルコ人と通婚し、社会的地
位の高い者も相当数存在するとしているし、UNHCRも、本来クルド人であることだけ
に基づいて迫害が存在するとの主張を支持することはできないと述べている。
b 拷問等
トルコ憲法は拷問の禁止を定めており、トルコ政府は、人権に関する国務大臣を置き、
人権委員会(IHD)を設立して、トルコ国内における人権保障の確立に努めている。加え
て、トルコ政府は、警察に対し拷問が容認されないことを指導し、1997年3月には、拷
問の抑止を目的として勾留期間を短縮し、弁護士による接見をより保障する改正を行っ
ている。そして、実際にもトルコにおける状況は改善されており、拷問方法の厳しさは
減少し、かつ、拷問はもはやトルコ政府によって承認ないし許容されているものとはい
えないと報告されている。
c 地域的特殊性等
トルコ南東部のうち、1990年代に非常事態宣言下にあった11県(エラズー、マルディ
ン、ビトリス、ビンギョル、バットマン、シルト、バン、ハッカリ、ディヤルバクル、トゥ
ンジェリ、シルナク)は、歴史的にPKKの活動がもっとも活発であり、治安状況が深刻
であったと考えられるイラン、イラク、シリアとの国境側の地域であるが、原告が出生
した《地名略》県は、それより中央に位置し、1980年代の半ばまでに非常事態宣言が解
除されており、原告が主張するトルコ南東部の事情のすべてを難民性に関する国内情勢
であるということはできない。
また、1999年2月のオジャランの逮捕等によってトルコ人とクルド人の関係が悪化
した時期には、トルコ政府とPKKとの紛争進行中に紛争地域から逃れたクルド人が多数
流入した地域において、PKKとの関係を疑われるクルド人がその他の地域へ定住するこ
とが困難であったとしても、近年においては、そのような緊張は緩み、UNHCRの追跡
調査によっても、送還者の逮捕又は訴追はかなりまれであったと報告されている。
d 帰国者などの状況
原告は、難民申請を取り下げて帰国した者に対する迫害について主張するが、日本に
おいて、クルド人であること等を理由に難民申請をしていた者の多くが、日本において
仕事がないことや迫害のおそれがないことを理由に、自主的に難民申請を取り下げてい
る。このことは、難民申請した者に不法就労目的の偽装難民が多数混じっていたか、あ
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るいは、社会情勢が変化して現在は迫害が消滅したかのどちらかである。
現に、英国を始めとする欧州諸国の大多数の国の裁判所は、クルド人をトルコへ強制退
去させることが、難民条約33条などに違反するものではないと判断している。
エ 国際的非難について
原告の主張エのうち、国連拷問禁止委員会及びヨーロッパ拷問防止委員会が、トルコに
対して拷問を一掃するための勧告を行い、調査の機会を与えるよう要請したこと、ドイツ
が、武器輸出を一時停止したこと、スイスが、1993年、首都においてトルコ大使館員によ
るクルド人デモ隊への発砲事件の捜査のため、外交特権の免除措置をとるよう要請したこ
と、以上の事実は認めるが、その余は知らない。
クルド系トルコ人の民族的出自を理由とする迫害のないことは、各種報告書やUNHCR
関係者の見解にも示されており、国際的認識といってもよい。すわなち、英国移民局の報
告書は、「クルド民族のアイデンティティを公然と、又は政治的に主張するクルド人は、い
やがらせ、虐待及び起訴の危険がある」とする一方で、「トルコ南東部以外では、もし彼ら
がそれらを主張しないならば、クルド人は通常迫害又は官僚的な差別さえも受けず」、「都
会では主として同化され、民族的にほとんど差別されない。彼らの民族的起源を否定しな
い数多くの高い地位のクルド人の中には、前副総理大臣もおり、25パーセントの議員及び
他の政府高官は民族的にはクルド人の背景を有すると見積もられている。」などと述べて
おり、1997年10月付けUNHCR背景報告も、クルド人を迫害されたグループであるとは位
置付けていない。
ウ 争点ウ(原告の個別事情)について
(原告)
ア 原告は、1973(昭和48)年《日付略》、クルド人である父C、同じく母Dの間に生まれた
5人姉弟の3番目の子で、長男でもある。生まれたのはシリア国境の北に当たるトルコ南
東部の《地名略》県にある《地名略》というクルド人の村であった。父は、1980年から《地
名略》県でブティックを経営している。宗教的には、イスラム教アレヴィ派に属している。
原告は、中学を辞めてから、15歳で父の営むブティックを手伝うようになったが、父と
その親族は、町で金持ちとして知られており、原告は、来日前はお金に困ることはなかっ
た。
イ 父の実家に住んでいた叔父は、村にやってきたトルコ軍から、「(クルドの)ゲリラと戦
え。」と言われたが、「銃はいらない。」と断ったため、一家は村から追い出され、町に逃げ
ることを余儀なくされた結果、家は放置されて崩壊した。
また、原告が小学校に入る前、伯父のEの背中にやけどがあるのを見つけ、どうしてで
きたかを聞くと、18歳のころ、ゲリラに食料を供給したことで、令状なしで憲兵の監視下
に山中に連れて行かれ、尋問され、首筋に火のついたビニールを突っ込まれたときにでき
たということであった。
- 16 -
ウ 原告の家族らクルド人は、クルド語を使っているため、町の小学校に入学したころ、ト
ルコ語が分からないことをバカにされて、「クロ(ロバ)」等と言われ、小学校を休学したこ
とがあった。また、原告が、1993年8月30日から1995年1月28日までの間、兵役に服し
ていた際にも、「クロ」、「おまえはどのゲリラの洞くつから来たのだ。」などとからかわれ
たり、ののしられたりした。
エ このような経験から、原告は、次第に自分の言葉、自分の文化を守りたいと思うように
なり、中学校の放課後、友人たちとPKKの勉強をして、共感し、援助しようと決めた。
そこで、原告は、店を手伝い始めたころから、金銭と物資をPKKに供給するようになり、
金銭については、2か月に1度、累計で1万5、6千ドルを、物資については、1か月に2
度、衣料品、食料品、薬をゲリラに渡して援助した。そして、原告は、18歳の時、《地名略》
県中心地で行われたクルド市民の行進に参加したこともあったが、この際、政府批判の言
葉を書いたプラカードを掲げたにすぎないのに、後に爆弾付きのプラカードを掲げたとの
被疑事実で不在逮捕令状等が出されている。その後、原告は、兵役に行くまで年に5、6
回、クルド人に対する虐待を止めることなどを求めた内容のポスターはりを行い、兵役後
も1、2回ポスターはりをした。
なお、原告が17歳の時、憲兵が自宅に来て、原告に対し、「なぜPKKに援助する。うそを
つくな。」と追求し、ヘルメットで目の近辺をたたいたが、そのときは証拠が見つからず、
それ以上の事態にはならなかった。しかし、その後も兵役に行くまで2か月に1回程度、
憲兵の来訪を受けた。
オ 原告は、兵役を終えた後、自宅に戻ったが、この間、《地名略》の大学を中退してゲリラ
になった仲の良い友人が山中で殺され、その弟も行方不明になった話を聞いてショックを
受けた。
さらに、原告は、密かにPKKに対する金銭の提供やポスターはりなどの支援活動をして
いたところ、1995年10月、店に来た警察官に無理矢理連行され、取調中、2人の警察官か
ら腹部、頭部や顔面を殴打されて、「活動しているだろう。あちこちにポスターを貼ってい
るらしいが。」と言われたが、原告はすべて認めなかった。原告は、このときは他に証拠が
無かったので、帰宅を許されたが、怖くて家に帰れなくなり、親戚の家に寝泊まりして、店
に出ることもなくなった。その後、原告は、1996年、久しぶりに家に電話すると、逮捕状
が出たと聞かされたため、現実的な恐怖を感じて、同年12月ころ、最終的に国外に逃げる
ことを決心し、賄賂を使ってブローカーからパスポートを入手することができた1997年
1月、トルコを出国した。
カ 原告は、日本に来てから、PKKに対する支援活動をしたわけではないが、クルド人の伝
統的祭りであるネブルズ祭(3月21日)や、クルド人が初めて政府と戦った日を記念する
「ジョの日(8月25日)」に参加したり、メーデーでクルド人の状況を日本人に訴えるなど
の活動を行っているが、トルコ大使館員は、このような活動の参加者の写真を撮るなどの
- 17 -
情報収集活動をしている。
そして、原告は、第1次不認定処分の後、帰国したクルド人が迫害に遭っていることを
知り、帰国した際の危険性が高まり、帰国について強い恐怖を感じるようになった。
キ 原告に対しては、《地名略》第一審刑事裁判所による管轄外決定及び不在逮捕令状(以下
「本件逮捕状等」という。甲3の1・2)が出されているところ、その犯罪事実として、「辺
地にいるPKKメンバーを助けたり、彼らに食料や衣料を運んだり、市内でチラシを配布し
た」ことのほか、「《地名略》県《地名略》地区のモスクに爆弾仕掛けのプラカードを取り付
けたこと」が記載されているが、後者はでっち上げであり、かかる令状が出されているこ
と自体が、原告に対する危害のおそれを基礎付けている。そして、原告がトルコの親族か
ら取り寄せた住民登録票(以下「本件住民登録票」という。甲5)には、「警察にて捜索中」
との記載があり、本件逮捕状等の記載と符合している。
この点について、被告らは、印字の乱れ、記載事項の不完全性や出国状況を理由に、本
件逮捕状等は偽造であると主張するが、これらは原告の親族が当局から入手したものであ
り、タイプライターによって印字が乱れるのは当然であるし、記載事項の不完全性も、本
件逮捕状等が当局が政治的な意図に基づいて事実に反して発行したものであることからす
れば当然であって、そのような当局のずさんさによる責任を原告が負うべき理由はない。
また、被告らは、本件住民登録票についても、「警察にて捜索中」という記載がされること
がないことを理由に、偽造である旨主張するが、これは、原告の支援者であるFが、難民認
定申請手続とは無関係に、原告を養子にするために取寄せたものであって、信頼性は高い。
(被告ら)
原告の主張は争う。これに沿う同人の供述は、以下のとおり、信用できるものではない。
ア 原告の主張アのうち、原告が、1973年《日付略》、トルコの《地名略》県で出生した事実
は認めるが、その余は知らない。
イ 同イの事実は知らない。
ウ 同ウのうち、クルド人がクルド語を使っている事実は認めるが、その余は知らない。
エ 同エの事実は知らない。
原告がPKKのメンバーか否かという重要な部分について、供述の変遷がある。また、原
告は、PKKの党員又は支持者であると主張していながら、家族は迫害を受けておらず、親
戚の家で平穏に1年間過ごせたのは不自然である。
オ 同オの事実は知らない。
原告が、トルコを出国する際、その行き先が日本であることについて知った時期につい
て、供述の変遷がある。
カ 同カの事実は知らない。
原告は、日本でPKKの支援活動をすれば、原告の住所等が分かり、身の危険を感じると
供述していながら、自分の考えでデモ等に参加していると主張しており、信用できない。
- 18 -
そして、本邦入国後は、全くPKKに経済的援助をしていない。
また、原告は、当初、トルコから出国できれば行き先はどこでもよいと供述しておきな
がら、平成13(2001)年に行われた事実調査においては、日本以外の国に行きたくないと
述べており、一貫しない。
本邦においてクルド人であることを理由に難民申請していたトルコ人が自主的に難民申
請を取り下げ、帰国している例が少なからずあり、自らの迫害に係る供述が虚偽であるこ
とを自認した者や、不認定処分を受けて帰国しながら、トルコで新たに旅券を取得して正
規の手続で出国した例もあり、不法就労目的の偽装難民が横行していることがうかがわれ
る。

退去強制令書発付処分無効確認等請求事件(第1事件)
平成14年(行ウ)第75号
難民認定をしない処分取消請求事件(第2事件)
平成14年(行ウ)第80号
原告:A、第1事件被告:東京入国管理局成田空港支局主任審査官、両事件被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・新谷祐子・加藤晴子)
平成16年5月27日
判決
主 文
1 原告の被告法務大臣が原告に対し平成13年8月29日付けでした裁決が存在しないことの確認
を求める主位的訴え、同裁決が無効であることの確認及び同裁決の取消しを求める予備的訴えを
いずれも却下する。
2 被告東京入国管理局成田空港支局主任審査官が原告に対し平成13年8月30日付けでした退去
強制令書発付処分が無効であることを確認する。
3 被告法務大臣が原告に対し平成13年8月29日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
(第1事件)
1 (主位的請求)
被告法務大臣の原告に対する出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申出
は理由がない旨の裁決が存在しないことを確認する。
(予備的請求)
 被告法務大臣の原告に対する出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申
出は理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。
 被告法務大臣の原告に対する出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申
出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 主文第2項同旨
(第2事件)
主文第3項同旨
第2 事案の概要
原告は、平成13年7月2日に本邦に不法入国した者であるところ、同日、東京入国管理局(以
下「東京入管」という。)成田空港支局入国警備官の違反調査を受け、同月6日に同支局入国審査
官により出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)24条1号に該当する旨の認定がされ、
- 2 -
同月17日に同認定に誤りがない旨が判定されたため、同日被告法務大臣に対し、異議の申出をし
たが、被告東京入管成田空港支局主任審査官(以下「審査官」という。)は、同年8月29日に被告
法務大臣が上記異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をしたとして、翌
30日、原告に対し、退去強制令書(以下「退令」という。)を発付した(以下「本件退令発付処分」
という。)。また、原告は、同年7月3日、東京入管成田空港支局において、難民認定申請をしたと
ころ、被告法務大臣は、同年8月29日、原告について難民の認定をしない旨の処分をした(以下
「本件不認定処分」といい、本件裁決、本件退令発付処分と合わせて「本件各処分」という。)。
本件は、原告が、イスラム教シーア派に属するハザラ人であり、反タリバン勢力であるハラカ
ット・イスラミの元司令官及び中央委員会のメンバーであるため、本件各処分当時、アフガニス
タンにおいて、タリバン勢力から迫害を受けており難民の地位に関する条約(以下「難民条約」と
いう。)上の難民に該当する等と主張して、本件裁決の不存在確認(予備的に本件裁決の無効確認
ないし取消し)及び本件退令発付処分について無効確認を、本件不認定処分について取消しを求
めるものである。
1 前提となる事実(括弧内に認定根拠を掲げた事実のほかは、当事者間に争いのない事実か、弁
論の全趣旨により容易に認定できる事実である。)
 原告は、1964(昭和39)年《日付略》に出生した、アフガニスタン国籍を有するイスラム教シ
ーア派に属するハザラ人である(甲51、乙9の2)。
 原告は、パキスタン、タイを経て、平成13年7月2日、便名等不詳の航空機により新東京国
際空港(以下「成田空港」という。)に到着して本邦に不法入国した(乙2、7ないし9の1、11
の1)。
 東京入管成田空港支局入国警備官は、平成13年7月2日、原告の違反調査を実施し(乙2)、
原告が法24条1号に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、被告審査官から収容令
書(以下「本件収令」という。)の発付を受けた(乙4)。
 原告は、平成13年7月3日、東京入管成田空港支局において、被告法務大臣に対し、難民認
定申請をした(乙6、以下「本件難民申請」という。)。
 東京入管成田空港支局入国審査官は、平成13年7月3日、同月4日及び同月6日、原告に対
して、違反審査を実施し(乙7ないし9の1ないし9の3)、同日、原告が法24条1号に該当す
る旨を認定し、原告にこれを通知したところ(乙10)、原告は、同日、同支局特別審理官に対し、
口頭審理を請求した(乙9の1)。
 東京入管成田空港支局特別審理官は、平成13年7月17日、原告について口頭審理を実施し
(乙11の1ないし3)、入国審査官の上記認定に誤りがない旨を判定したところ(乙12)、原告
は、同日、被告法務大臣に対し異議の申出をした(乙13、以下「本件異議申出」という。)。
 被告法務大臣は、平成13年8月29日、本件異議の申出について理由がない旨の本件裁決をし
たとして、その旨を被告審査官に通知し(乙15)、被告審査官は、翌30日、原告に本件裁決がさ
れたとの通知があったことを告知するとともに(乙16)、本件退令発付処分をした(乙17)。
- 3 -
 被告法務大臣は、平成13年8月29日、原告からの本件難民申請について、不認定とする旨の
本件不認定処分をしたところ(乙14)、原告は、同日、同被告に対し、異議の申出をしたが(乙
18)、被告法務大臣は、同年12月4日、同異議の申出に理由がない旨を決定し、同月11日、原告
に通知した(乙19)。
 原告は、平成14年2月15日、被告法務大臣に対し、本件裁決の不存在確認(予備的に本件裁
決の無効確認ないし取消し)を求めるとともに、被告審査官に対し、本件退令発付処分の無効
確認を求める訴え(第1事件)を提起し、同月19日、被告法務大臣に対し、本件不認定処分の取
消しを求める訴え(第2事件)を提起した。
 原告は、平成14年3月7日、仮放免許可を受け(乙17)、現在肩書住所地に居住している。
2 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、本件裁決の存否及び本件各処分の適法性であり、後者の内容は原告の難民該当
性である。なお、原告は、従前、各処分の手続違反の主張をしていたが、平成15年2月3日付け意
見書において、主要な争点は原告の条約難民該当性の有無であることを主張するとともに、同月
13日付け意見書において、原告の難民該当性以外の争点については、第一審において争わない旨
を重ねて明らかにしたことが当裁判所に明らかである。
 被告らの主張
ア 本件不認定処分の適法性について
原告は、「人種」、「宗教」及び「政治的意見」を理由に、国籍国において迫害を受けるおそれ
があり、国籍国の保護を受けることができないとして本件不認定処分の取消しを求めている
が、原告の主張は、以下のとおり理由がない。
ア 難民、迫害の意義について
法に定める「難民」とは、難民条約1条又は難民議定書1条の規定により難民条約の適
用を受ける難民をいうところ(法2条3号の2)、同規定によれば、難民とは、「人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受け
るおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であっ
て、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにそ
の国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍
者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を
有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」とされている。そし
て、その「迫害」とは、「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であ
って、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し、また、上記のように「迫害を受ける
おそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには、「当該人が迫害を受
けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の
立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要で
ある(東京地裁平成元年7月5日判決・行裁例集40巻7号913頁、東京高裁平成2年3月
- 4 -
26日判決・行裁例集41巻3号757頁)。
ある者が難民条約所定の難民に該当するか否かを確認する難民の認定は、上記難民の定
義に照らし、申請者各人につき、その申請内容の信ぴょう性等も吟味し、各人の個別の事
情に基づいてされるべきであるところ、難民であることの立証責任は、申請者が負うべき
である。つまり、いかなる手続を経て難民の認定手続がされるべきかについては、難民条
約に規定がなく、難民条約を締結した各国の立法政策にゆだねられているところ、我が国
においては、法61条の2第1項において、被告法務大臣は、申請者の「提出した資料に基
づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる」と規定し、法61条の2の3にお
いて、被告法務大臣は、申請者により「提出された資料のみでは適正な難民の認定ができ
ないおそれがある場合その他難民の認定又は取消しに関する処分を行うため必要がある場
合には、難民調査官に事実の調査をさせることができる」と規定していることからも明ら
かなとおり、難民認定申請者が、まず自ら条約に列挙された事由を理由として迫害を受け
るおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情があり、かつ、通常人が当該人
の立場におかれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情も存在していることを認め
るに足りるだけの資料を提出することが求められている。外国人である申請人が難民であ
るか否かを判断する資料を、我が国が有権的に当然に把握できるものではない。 
イ シーア派・ハザラ人に属することのみをもって、難民該当性が認められることがないこ

a ラバニ政権成立(1992(平成4)年)以降のアフガニスタンにおいて、ハザラ人を基盤
とし、又はハザラ人が含まれるグループとして、イスラム統一党マザリー派(ハリリ派)、
同アクバリー派、イスラム運動(ハラカテ・イスラミ)、イスラム国民運動党(ドストム
将軍派)、タリバンがある。そして、各グループは、それぞれ複雑な対立構造の下に抗争
を繰り返しており、タリバン台頭以前のアフガニスタン情勢は、ラバニ大統領派とヘク
マティール首相派の双方にハザラ人を主体とするグループとパシュトゥーン人を主体と
するグループの双方が属し、ハザラ人同士、パシュトゥーン人同士の抗争を含め複雑多
岐にわたる抗争関係が存在しており、アフガニスタン全土が混沌とした内戦状態だった
ものであるから、特定の民族や集団について、常に当該民族や集団等が一方的に被害者
であった等と断じることはできない。
b 次に、タリバン台頭後のアフガニスタンに関しても、シーア派・ハザラ人であること
のみで難民該当性が認められるものではない。
すなわち、被告提出の書証(乙22、69、74)等に記載されているとおり、タリバン政権
下において発生した人権侵犯の主要な要因は、宗教的又は民族的特性というよりも、む
しろタリバンに対し、軍事的又は政治的に対立する者であったか又はそのように解され
たことによると評価することが適当である。
そして、タリバンが、ハザラ人を迫害の対象とすることを意図する旨の公式見解を出
- 5 -
したとの報告はいかなる国際機関等からも示されていない。さらに、タリバンは、パシ
ュトゥーン人全体を代表するものでもないのであって(乙70、71)、タリバンと対峙す
る北部同盟側にも多くのスンニー派又はパシュトゥーン人がいたという事実からは、む
しろ、タリバンと北部同盟との間の対立構造が、宗教的又は民族的背景によるものとい
うよりは、むしろ軍事的又は政治的な背景によるものであったことをうかがわせるもの
である。
c 原告は、ハザラ人迫害の根拠として、マザリシャリフ、バーミヤン等における虐殺事
件を指摘するが、これらについては、虐殺された被害者の数やその実態等について判然
としない上、これらの虐殺は、北部同盟との戦闘地域に集中しており、両陣営の軍事衝
突に伴い互いの報復行為として行われた側面が強いものといえる(乙66、69)。
d 諸外国政府においても、およそハザラ人に属することのみをもって難民認定を行うと
いった取扱いは行われておらず、申請者の迫害に係る個別の具体的事情等を考慮した上
で難民認定の可否が判断されている(乙73の1ないし6)。
e アフガニスタン国外避難民の本国への帰還については、アフガニスタン暫定行政機構
発足後の平成14年3月に国連帰還プログラムが開始された以降、250万人のアフガニス
タン避難民がパキスタン及びイランから帰国する(乙76)等、帰還が着実に進んでいる。
また、アフガニスタンでは平成16年1月に新憲法が採択される等、復興が着実に進んで
いる(乙80、81)。
ウ 原告が難民に該当しないこと
a 原告がタリバンを批判する意見を発表したため、タリバンから出頭命令を受けたとす
る各証拠が偽造であること
原告は、タリバンから出頭命令を受けたと主張し、その根拠として2001(平成13)年
5月16日付けサハール紙(甲69)に、原告がタリバンを批判するインタビュー記事が掲
載され、この記事を受けて同月23日付けシャリアット・デイリー紙(甲70)に原告を発
見したらタリバンに通報するようにとの記事が掲載されたとする。
しかし、上記サハール紙(甲69)は、紙面左項右上部には2001年5月16日を発行日と
する記載があるのに対し、同紙面の右項右上部には同月22日を発行日とする記載がされ
ており、日刊紙としてあり得ない表記がされている(乙50の2)こと、一体の記事の
一部がダリ語、他の部分がパシュトゥーン語で書かれている上、両者の内容自体が全く
連続していないこと、サハール紙発行元から被告が入手した同月16日付け同紙(乙44)
及び同月22日付け同紙(乙50の2)は、原告の指摘する記事は掲載されていないこと
等から、偽造されたものであることが明らかである(アフガニスタンとの国境に近いパ
キスタン・ペシャワールには、「旅行代理店」を自称するブローカーが多数存在し、旅券
やタリバンによる召喚状等の文書を偽造して売りさばいている実態があるとされており
(乙60)、原告が上記偽造の新聞を提出したことも、こうした実態を背景とするものと考
- 6 -
えられる。)。
上記サハール紙が偽造であるとすると、同紙の記事を受けて作成されたと原告が主張
する2001年5月23日付けシャリアット・デイリー紙(甲70)、同年6月14日付けのタリ
バンの指名手配書(甲74)、同年8月14日付け呼出状(甲75)も偽造であるというほかな
い。
原告が、本人尋問において、上記記事に関して行われたはずの取材の状況について、
その詳細を答えられないこと等からすると、取材が実際に行われたか自体が極めて疑わ
しいものであるし(平成15年9月12日実施の本人尋問(以下「原告本人4日目」という。)
71項以下)、原告の主張するサハール紙及びシャリアット・デイリー紙の入手経路に変
遷がみられることからも、原告の供述には信用性が認められないというべきであり、本
件では、原告自身が甲第69号証の偽造に関与していた疑いが極めて高いこと等からする
と、この事実は原告の供述全体の信用性を揺るがす事実である。
b ハラカテ・イスラミの司令官としてタリバンとの戦闘に従事していたとする各証拠も
偽造であること
原告は、ハラカテ・イスラミの司令官であり、タリバンとの戦闘に参加していたこと
を裏付ける証拠として、甲第51号証ないし第77号証を提出するが、ハラカテ・イスラミ
の任命書、感謝状等の各証拠は、いずれも偽造である疑いが強い。すなわち、原告が経
営者の1人であるUAEに所在する「B」の社員であったCは、C’ との偽名を使って本
邦に6回目の入国をし、ハラカテ・イスラミの構成員であるとして難民認定申請をした
が、同人が提出したサハール紙(タリバンが同人の財産を没収する等したという内容の
もの。)は偽造されたものであることが判明し(乙51、52)、同人は難民不認定処分を受
け、異議審査中にアフガニスタンに向けて自費出国をした。この経緯からは、同人が上
記申請の際に提出した上記各任命書等も偽造であると解されるところ、原告が提出した
甲第53号証、第58号証、第61号証ないし第63号証は、いずれもC’ が提出した書面と各
書面上部の定型の記載欄及び書面下部にされたサインが酷似しているし、甲第57号証、
第59号証、第64、第65号証についても、C’ が提出した同種の文書と書式等が酷似して
いる(乙53)。そして、原告と上記Cが会社の経営者と社員という密接な関係を有するこ
と、両名がいずれも偽造のサハール紙を難民認定申請の証拠として提出していること等
を合わせ考えると、原告の提出した上記各書証も偽造である疑いが強いというべきであ
る。
c 原告の供述に信ぴょう性が認められないこと
 原告の供述には、真にハラカテ・イスラミの司令官であったとすれば、不自然な供
述が多く含まれる上、原告が仮にハラカテ・イスラミの党員であったとしても、原告
は自分の活動内容を「情報収集の仕事」及び「ハラカテ・イスラミの広報活動として
反共産政権のビラ配布など」(乙37)と供述しているから、その内容は軽微なものに
- 7 -
すぎず、期間も1981(昭和56)年の入党から翌年に秘密警察に逮捕されるまでの1年
間と、ハラカテ・イスラミからの要請を断り切れず活動を再開したとする1998(昭和
63)年からナジブラ政権に逮捕された翌年までの1年間であり、合わせてわずか2年
間にすぎないのであるから、このような活動により司令官に任命されたとする原告の
供述には信用性が認められない。原告の活動は、専ら貿易業であったというべきであ
り、ハラカテ・イスラミ党員としての活動実績はほとんど皆無であったというべきで
あるし、原告が2度にわたりカルマル、ナジブラ両政権に逮捕されたと述べる部分に
ついては、仮にこれが事実であったとしても、現在アフガニスタンに共産主義政権は
存在しないのであって、原告の迫害を基礎付けるものとは認められない。
 原告が真実司令官としてタリバンと交戦していたのであれば、なぜ偽造のサハール
紙を証拠として提出しなければならなかったのかが全く不明というほかなく、原告が
ハラカテ・イスラミの司令官としてタリバンとの戦闘に参加していたとすること自
体、疑わしいものといわざるを得ない。
なお、念のため指摘すると、ハラカテ・イスラミの司令官であれば当然に難民とな
るものではなく、迫害を受けるおそれがあるとする事情を個別に検討し、難民該当性
が判断されなければならない。
d 原告の真の目的は本邦での不法就労活動であること
 原告は、UAE所在のB社の共同出資者であり、経営者であるところ(乙37)、平成9
年2月7日の入国を初めとして、今回までに計6回の本邦への入国歴があり、そのい
ずれも渡航目的を「BUSINESS」又は「CAR BUSINESS」としており(乙43)、中古自
動車部品の仕入れ等を行っていた。原告は、平成9年以降、UAEのシャルジャにおい
て在留資格を取得しており(乙41)、経営するB社の営業利益を上げ、生活の拠点とし
ている(乙9、38、41)。また、パキスタンにおいても査証を取得し、正規に出入国を
繰り返して中古自動車部品の販売業を行い(乙9)、在イスラマバード日本大使館にお
いて3回、在ドバイ日本領事館において3回の計6回の本邦への渡航証明書及び査証
の取得申請をしている(乙9)。
このように原告は、平成7年以降、正規の手続を取って日本、パキスタン、UAEの
3カ国を頻繁に行き来し、一貫して中古車部品の商売を行っているところ(乙9)、こ
の間日本を含むいずれの国においても一時庇護を求めたり、難民申請を行うことはな
かったし、またその手続きを調べたり準備を進めるようなこともなかった。
原告は、アフガニスタンの状況が改善される可能性を信じていたため、難民認定申
請等を行わなかった旨を弁解するが(原告本人4日目240項)、原告の最後の本邦出国
である2000(平成12)年7月16日の時点と本邦に不法入国した2001(平成13)年7月
2日の時点を比較して特段、タリバン政権の勢力が伸張したような事実がないのに対
して、むしろ例えば原告の3回目の本邦出国時(平成10年7月1日)と4回目の入国
- 8 -
時(平成11年1月27日)との間に平成10年8月8日マザリシャリフ陥落とパキスタン
などによるタリバン政権の国家承認といった事実が発生しているのであるから、その
時点で難民認定申請を行うあるいは少なくともその準備をするのが合理的であると思
われるのに、原告がしたのは中古自動車部品の商売のみであったもので、原告の弁解
は不合理としかいいようがない。
そして、6回目の出国時と今回の不法入国時との間において、原告の主張するサハ
ール紙の反タリバンプロパガンダ記事掲載から、これを非難するタリバン機関誌シャ
リアット・デイリー紙記事掲載、指名手配書の発付の事実が発生したとのことである
が、これらの事実が偽造証拠による虚偽のものであることは前記のとおりである。
 原告は、今回の不法入国後においても、本邦で中古自動車部品等の仕入れ資金の送
金を受けるために開設してあった口座にUAE所在のB社から200万円の送金を受け
(原告本人4日目60、62項)、本邦において中古自動車部品を買付けてはB社に向け輸
出しているほか、本邦においても中古自動車部品の売買を行って多額の利益を上げて
いる(同56、57項)。
この商売によって原告が得ている収入は、極めて多額であり、現に原告は、UAEに
会社を設立し、パキスタン・ペシャワール屈指の豪邸が立ち並ぶ高級住宅街であるハ
ヤタバードに豪邸を建て裕福な生活を送っていた(乙74、9の3)。
 原告は今回の本邦入国の時点において正規の旅券を所持しており(乙37)、UAEの
滞在許可も有していたのであるから(乙41)、日本以外の第三国に査証を申請するな
りして正規に渡航する選択肢が存在した。特に隣国のイランは、原告の宗教と同じく
イスラム教シーア派を国教とし、言語はダリ語と非常に近いペルシア語であり、多く
のアフガニスタン人が生活し、ハラカテ・イスラミの事務所が存在し(乙37、38)、そ
の支援を受けられるばかりか、原告が真実ハラカテ・イスラミの司令官ならばまさに
司令官として活動するのに最適であることは明白であり、かつ、イランも難民条約の
締約国である等、原告の安全のためにまず第1に検討すべき渡航先であると思われる
ところ、原告は、避難先として何らイランを検討することはなかった(甲79、原告本
人2日目64項)。また、原告が過去に訪れた経験があるという意味ならばドイツも同
様であり、なぜに日本でなければならなかったのか原告から合理的な説明はされてい
ない。原告は、1万500ドルもの多額の費用をかけて日本に不法入国しており、しかも
アフガニスタンから脱出してきた家族を原告が暮らしていけないほど危険なパキスタ
ンにあえて残したことになるが、原告が日本を選んだ真の理由は、日本が中古自動車
部品の仕入れ先であったからにほかならない。
 中古自動車部品商売に従事する原告のようなアフガニスタン人にとって、仕入れ先
である日本に入国できないことは商売における死活問題となることは明らかである。
原告は、平成12年10月18日に在パキスタン日本国大使館に渡航証明書及び査証の申
- 9 -
請を行ったものの(乙9の3)、以前は即日か翌日に発給されたそれらについて、結論
が出るまで1か月かかると言われたこと(原告本人2日目95項、96項)を認めている
が、平成12年から同13年ころ、在パキスタンや在UAEの日本大使館において、少なく
ない数の中古自動車部品業を営むアフガニスタン人の本邦への渡航証明書及び査証の
発給が不許可とされた事情がうかがわれること(乙87)も合わせ考えると、本件は原
告が渡航証明書等の発給が極めて困難と考え、難民を偽装することを計画したものと
みるべきである。
 被告らの調査によれば、渡航証明書及び査証の申請をしながらこれらを交付されず
(あるいは審査中に)本邦に不法入国したアフガニスタン人難民認定申請者が東京地
方裁判所に訴訟係属した者に限っても11名おり(乙87)、平成12年以降、アフガニス
タン人で難民認定申請をした者のうち、既に本邦から退去強制されている21名のう
ち、実に17名が原告と同じ中古自動車部品業を営んでいた者である(乙86)。さらに
現在、東京地方裁判所に係属中の難民不認定等取消訴訟の原告36名のうち、中古自動
車部品業を営んでいた者が22名(乙88)に上る。通常、特定の職業の者が特定の時期
に一斉に難民認定申請をすること自体不自然であり、これらの者が相互に関係してい
ると推認されることからすれば、原告の関係者であったCに限らず、過去の出入国歴
を秘し偽名や偽造と思われる各種書類を提出して難民認定申請を行う手口がアフガニ
スタン人の中古自動車部品業者に浸透していることを推認させるものである。
e 以上によれば、原告が迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有す
るとは到底認めることができないから、本件不認定処分は適法にされたものというべき
である。
イ 本件裁決の適法性について
原告は、本件裁決は裁決書が作成されておらず、不存在である旨を主張するが、この主張
は理由がない。
次に、原告は、パキスタン人ブローカーに1万500米ドルを支払い、同人と共に便名等不
詳の航空機に搭乗し、平成13年6月29日、パキスタン・イスラマバードを出発、名称等不詳
の空港に到着して1泊した後、再び便名等不詳の航空機により、タイ王国(以下「タイ」とい
う。)のバンコクと思われる空港を経由し、同年7月2日、有効な旅券又は乗員手帳を所持せ
ず、かつ、法定の除外事由がないのに成田空港に到着し、もって本邦に不法入国した(乙2、
7ないし9の1、11の1)者であり、法24条1号所定の退去強制事由に該当すると認められ、
特別審理官の判定には何らの誤りもない。
そして、原告が難民に該当しないことは、前記アのとおりであり、その他に原告に対し在
留特別許可を付与するか否かの判断において格別積極的に斟酌しなければならない事情は見
当たらず、アフガニスタンにおいては、避難民の帰還が進んでおり、原告が本国に帰国して
生活することに支障はないから、法務大臣が在留特別許可を付与せずにした本件裁決に裁量
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権を逸脱濫用した違法があるということはできない。
なお、原告が予備的に本件裁決の取消しを求めている点については、被告審査官は、平成
13年8月30日、原告に対し本件裁決の結果を告知するとともに本件退令を発付しているこ
とが明らかであるから、同年12月1日をもって行政事件訴訟法14条1項に定める出訴期間
を徒過しているから、同訴えは不適法なものというべきである。
ウ 本件退令発付処分の適法性について
退去強制手続において、法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通
知を受けた場合、主任審査官は、速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであっ
て、退去強制令書を発付するにつき裁量の余地はないから、本件裁決が適法である以上、本
件退令発付処分も当然に適法であるというべきである。
エ 以上のとおり、本件不認定処分、本件裁決、本件退令発付処分はいずれも適法であるから、
原告の各請求はいずれも棄却されるべきである。
 原告の主張
被告法務大臣は、原告が難民であるにもかかわらず、原告のした難民認定申請を認めなかっ
たのであるから、本件不認定処分は違法なものであって、取り消されるべきである。また、被告
法務大臣は、原告の法49条1項の異議の申出に対して、在留特別許可を認めずに異議の申出に
理由がない旨の本件裁決をした旨を主張するが、本件裁決は裁決書が作成されていないという
重大な方式の瑕疵を有するものであって不存在であり、仮にそうでないとしても、原告の難民
該当性を看過した同被告の判断には重大かつ根本的な事実誤認による裁量権の逸脱があって、
本件裁決は違法であるから、無効ないし取り消されるべきである。さらに、本件退令発付処分
は、送還先をアフガニスタンとする点で、難民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じ
た難民条約33条1項、法53条3項のノン・ルフールマン原則に違反しており、被告審査官独自
の裁量権についても濫用があり違法なものであるから、無効である。
ア 難民認定の際の立証基準の解釈の在り方
ア 我が国の難民認定制度においては、難民条約上の難民をそのまま難民として認定するこ
とが義務付けられているから、いかなる者が難民として認定されるべきかは、難民条約の
規定及び解釈により決せられるべきである。そして、難民認定の目的が、紛争解決や法的
安定性の確保という一般の争訟の目的と異なること、難民認定制度は、証明対象を一般の
争訟手続と異にすること、判断の誤りにより侵害される法益は重大であり、事後回復が不
可能であることからすれば、難民認定手続における立証基準は、これまでの同手続の実務
において形成されてきた様々なルール(例えば、後記の供述の信ぴょう性に関する議論や、
灰色の利益のルール等)に共通する「難民の可能性のある者の取りこぼしをせず、できる
だけ広く保護の網をかぶせる」という姿勢を念頭において検討されるべきである。
イ 上記を前提とすると、難民条約締結国における判例で示された解釈も、難民認定手続に
おける立証の在り方を考える重要な手がかりとなる。そして、アメリカ合衆国においては、
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「十分に理由のある恐怖」については、迫害を受ける可能性が50パーセント以下であって
も、その者が抱く恐怖には十分に理由があるといえると判断されている(カルドサ・フォ
ンセカ事件に関する1987年連邦最高裁判所判決)。また、カナダにおいては、同文言の解
釈に際しては、迫害を受ける合理的見込み、あるいはそう信じる十分な基盤があれば足り
る旨が示されている(アジェイ事件に関する1989年1月27日ブリティッシュコロンビア
州バンクーバー連邦控訴裁判所判決)。さらに、英国においても、同文言は、客観的な状況
ではなく本人の立場に立った状況を前提に判断すべきである旨が示されているほか(シヴ
ァクラマン事件に関する1987年10月12日控訴裁判所判決)、オーストラリアにおいても、
迫害発生率がたとえ50パーセント以下であっても十分に理由のある恐怖になり得ること
が明らかにされている(チャン事件における1989年最高裁判所判決、オーストラリア難民
再審査委員会1995年8月11日決定及び同委員会1997年9月17日決定等)。
このように、諸外国の判例等は、「十分に理由のある恐怖」の立証について、極めて緩や
かな判断基準を用いている。
ウ 以上の検討によれば、「十分に理由のある恐怖」とは、客観的な迫害の可能性ではなく、
主観的な恐怖に十分な理由があることであり、十分な理由とは、当該申請者がおかれた状
況に合理的な勇気を有する者が立ったときに、帰国したら迫害を受けるかもしれないと感
じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評価し得る場合を指すものというべきである。
イ 難民認定における信ぴょう性判断の在り方について
ア 難民認定における信ぴょう性判断は、難民問題の特殊性や種々の要因(例えば、証拠収
集が困難であるという物理的要因、申請者の心的ストレスによる記憶の変容等の心理的要
因、言語的障害等の文化的要因、対審構造が取られていないことに由来する構造的要因)
等にかんがみ、慎重な検討が必要である。
イ したがって、難民認定手続に際しては、証拠の一部が信ぴょう性に欠けるとしてもすべ
ての証拠を検証すべきであり、信ぴょう性を否定する場合には、合理的な理由に基づかな
ければならない。また、申請者の供述に一貫性や誠実性が認められる場合には、補強証拠
がなくとも信ぴょう性を認めるべきであるほか、仮に証拠の一部に矛盾や不整合、証言内
容の変遷等があってもそれを絶対視すべきではなく、申請者の証言にほとんど信ぴょう性
が見いだせない場合であっても、出身国情報等から難民として認定される可能性があると
いうべきである。
ウ さらに、前記アの特殊性にかんがみれば、難民認定に際しては、「疑わしきは申請者の利
益に」という原則(いわゆる「灰色の利益」の原則)が妥当するというべきであり、同原則は、
カナダ、ニュージーランド、オーストラリア等の実務・判例で採用されている。 
エ そして、以上のような信ぴょう性判断の在り方は、難民認定行為をする機関のみにとど
まらず、その処分の妥当性を判断する裁判所にも妥当するものである。
ウ アフガニスタン一般情勢について
- 12 -
ア ハザラ人は、2300年以上前から現在のアフガニスタン地域に居住する先住民族であり、
1880年代までは現在のアフガニスタン中央部に広がるハザラジャットという山岳地帯で
完全な自治を確立していたものの、1890年代に王位についたパシュトゥーン人の王によ
って決定的な変容を迫られ、以後3回にわたり反乱を起こすも失敗に終わり、それ以降ハ
ザラ人は社会的、経済的に社会の最下層として差別を受けている。
イ 1980年代から1990年代前半にかけて、ハザラ人は様々な政党を結成し、連合、解散を繰
り返して来たが、1990年代に入り、ヘズベ・ワハダット党とその指導者であるマザリ師を
中心として結束した。しかし、ヘズベ・ワハダット党は、ナジブラ政権崩壊後に成立した
暫定政権から閉め出され、暫定政権はペシャワールを拠点とするムジャヒディンにより構
成されたため、結局のところシーア派ハザラ人は無視され、1993(平成5)年2月には、西
カブールのアフシャール地区において数百人のハザラ人がラバニ大統領とその司令官マス
ードの命令により虐殺されるという事件が起きた。
ウ ヘズベ・ワハダット党(以下「イスラム統一党」ということもある。)は、1995(平成7)
年2月、マスード部隊の攻撃に対処するため、当時勢力を増大していたタリバンと停戦協
定を結び、タリバンが西カブールの前線に入ることを許可したものの、タリバンはヘズベ・
ワハダット党を援助することなく、政府軍の攻撃に耐えられず撤退する際に、マザリ師を
連行する等して同党を裏切った。その後マザリ師は死体で発見されたことから、シーア派
ハザラ人の活発な活動と苦闘は終局し、ハザラ人は、以後タリバン政権下で迫害を受ける
こととなった。
エ タリバンは、アフガニスタンの最大民族であるパシュトゥーン人を主体とするイスラム
原理主義の急進主義者であり、1995(平成7)年以降、急激に勢力を増大すると、1996(平
成8)年9月にはアフガニスタンの首都カブールを占拠した。これに対しムジャヒディン
各派は、反タリバン勢力として統一戦線(以下「北部同盟」ということがある。)を結成し、
その後タリバン政権が崩壊するまで、両者の間の内戦が継続した。北部同盟は、ハラカテ・
イスラミを含むタジク人を主体とするラバニ・マスード派、ウズベク人を主体とするアフ
ガニスタン・イスラム運動、ハザラ人を主体とするイスラム統一党を中心としていた。
少数民族であるハザラ人、タジク人、ウズベク人は、タリバン政権下において迫害対象
になっていた。とりわけ、ハザラ人は、多くがイスラム教シーア派に属することから、タリ
バンによる組織的な殺害を含む迫害の対象とされ、1998(平成10)年8月8日にタリバン
がマザリシャリフを攻略したときには、何千人ものハザラ人の一般市民が、計画的かつ組
織的に虐殺され、生き残ったシーア派に対しては、改宗か死かの選択が迫られた。1998(平
成10)年9月には、バーミヤンにおいて、同様にハザラ人の一般市民が虐殺された上、同
年には、ヘズベ・ワハダット党の支持者ないし党員と疑われた700人以上のハザラ人が投
獄されたこと等が報道されている。
オ 2001(平成13)年12月、タリバンは、アフガニスタンにおいて統治機能を喪失し、同月
- 13 -
22日には、かつての北部同盟を中心とする暫定政権が発足したと報道された。しかし、ア
フガニスタンにおけるハザラ人迫害はタリバン誕生前からのものであり、タリバンが崩壊
したとの報道のみでハザラ人に対する迫害の危険がなくなったと判断するのは早計にすぎ
る。同暫定政権において、ハザラ人勢力は、重要性の低い5つのポストを与えられたのみ
であり、北部同盟内部についても、分裂が危惧される状況にあった。
カ 上記オのような不安定な状況においては、タリバン崩壊及び暫定政権の発足という事実
のみによりハザラ人迫害の歴史に本質的な変化が生じたと認めることはできない。したが
って、本件各処分当時、シーア派ハザラ人は、シーア派ハザラ人であることのみをもって
アフガニスタンにおいて、人種及び宗教を理由に迫害を受けるおそれがあったと認められ
る。実際に、諸外国においても、シーア派ハザラ人であることを理由として難民該当性が
認められた例は数多く存在し、とりわけオーストラリアに関しては、128件の決定例を調
査したところ、調査した期間内において、アフガニスタン国籍のハザラ人のうち、難民と
認定されなかった者はいなかった。また、東京弁護士会からUNHCRへの照会に対する回
答(以下「UNHCR回答」という。甲89の3)においても、UNHCR本部が、2001年8月に
各国事務所に対して発したガイドラインには、「特定地域出身の少数民族(主にシーア派)
のアフガン人大多数については迫害の危険性が高いため(1998年のタリバンによるマザ
リシャリフの制圧がよい例である。)、同様の背景を有するアフガン人男性を集団別に集団
認定に近い形での認定が正当化される」旨の記載がある。
エ 原告の難民性について
ア 原告は、本件各処分当時、民族的・宗教的な理由によりタリバン勢力から迫害を受けて
いるイスラム教シーア派のハザラ人であり、反タリバン勢力であるハラカテ・イスラミの
元司令官及び中央委員会のメンバーであったため、アフガニスタンに帰国すれば人種、宗
教及び政治的意見を理由として、生命又は身体に迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖を抱いていたと認められ、難民条約上の難民に該当する。
イ 原告の個別的迫害の状況は、以下のとおりである。
a 原告は、イスラム教シーア派に属するハザラ人であり、3、4歳のころから、家族とと
もにカブールで生活するようになった。原告の長兄であるDは、中古自動車部品の貿易・
販売事業で生計を立てていたが、1980(昭和55)年ころから、ハラカテ・イスラミのメ
ンバーとして活動するようになり、原告も1979(昭和54)年にソ連がアフガニスタンに
侵攻していたこと、ハザラ人やイスラム教シーア派が迫害を受けていたことから、アフ
ガニスタンの民主化のためハラカテ・イスラミのメンバーとなる決意をし、1981(昭和
56)年ころからハラカテ・イスラミのメンバーとして活動を開始し、カブール担当の第
5情報部門の責任者に任命され、情報収集などを行うようになった。
他方で原告は、1981(昭和56)年ころ、アフガニスタンの事業許可を取得し、中古自
動車部品の貿易・販売事業で生計を立てるようになった。
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b 原告は、1982(昭和57)年ころ、当時のカルマル政権によりハラカテ・イスラミの活
動を理由として逮捕され、1か月以上身柄を拘束されたが、ハザラ人の100人以上の長
老らが保証人となり、当時のカルマル政権で副首相を務めていたハザラ人のスルタン・
アリ・キシュトマンに釈放を求めたために釈放された。
c その後も原告は、事業で得た利益でハラカテ・イスラミを経済的に支援したり、同党
の広報に携わる等の政治活動をしていたが、ハラカテ・イスラミの最高司令官であるサ
イード・フセイン・アヌワリ(以下「アヌワリ」という。)からの依頼を受け、カブール
に潜入していたBBCのイギリス人ジャーナリストからインタビューを受け、現地を案内
する等したため、1989(平成元)年ころ、当時のナジブラ政権により再び逮捕され、裁判
で2年間の懲役を命じられたが、ナジブラ政権とムジャヒディンが一時的に和平合意を
したために、6か月後に恩赦により釈放された。原告は、これらの身柄拘束の際、金属製
ケーブルで身体を殴られたり、電気ショックを受けさせられ、熱した棒を左腕に押しつ
けられる等の拷問を受けた。
d 原告は、その後もハラカテ・イスラミのメンバーとして同党に経済的支援をしたほか、
同党の重要なミーティング等に参加するようになった。その間、原告は1982(昭和57)
年ころから1991(平成3)年ころまで西ドイツを1年に1度ないし数度の割合で訪問し
て貿易を行う等した。また、原告は、アヌワリ等の司令官からの依頼を受けて、西ドイツ
に滞在するアフガニスタン人への連絡や、西ドイツ政府へハラカテ・イスラミの支援依
頼をする等、当時の共産主義政権に批判的な活動をしたほか、西ドイツのテレビや新聞
等からのインタビューに応じた。
原告は、1990(平成2)年ころ、中央カブールに衣類や日用品等を販売する店舗を他
のアフガニスタン人と共同で購入して利益を2人で分配していたほか、長兄が有してい
た中央カブール等の店舗からも賃料を取得する等して、1992(平成4)年まで、これら
の事業により生計を立て、利益をハラカテ・イスラミへの経済的支援等にも充てていた。
e 1992(平成4)年3月ないし4月ころ、ハラカテ・イスラミを含むムジャヒディンは、
カブールを制圧し、ナジブラ政権を崩壊させたが、その後ムジャヒディン間で内戦が始
まり、当時ハラカテ・イスラミの副最高司令官の地位にあった原告の長兄D(西カブー
ルでスカット・ミサイルの防衛を担当する司令官をしていた。)がこの内戦で殺害され
た。原告は、同人の弟であったため、他のハラカテ・イスラミのメンバーから信頼され、
1992(平成4)年5月ころ、長兄を継いで西カブールでスカッド・ミサイルの防衛を担
当する第34部隊の司令官になり、650人から800人くらいの部下を率いて活動を行うよ
うになるとともに、ハラカテ・イスラミの中央委員会のメンバーに任命され、ヘクマテ
ィアルらのパシュトゥーン人のムジャヒディン勢力と戦ったところ、これらの活動が評
価されアヌワリから感謝状を受けた。
また、原告は、1993(平成5)年8月、ムジャヒディン間の内戦が一時的に停止した時
- 15 -
期にアヌワリとともに停戦維持に関する任務に従事し、代表団の安全確保を行うなどし
たところ、1994(平成6)年1月には、アフガニスタン・イスラム国の第990部隊の司令
官に任命された。
f 原告は、1995(平成7)年10月、ハラカテ・イスラミの軍事部門の情報管理・規律維
持の責任者に任命され、1996(平成8)年5月には、カブールで、各組織の衝突の防止及
び治安維持のための部隊の司令官に任命され、600名の部下を率いて活動したものの、
同年9月27日、タリバンがカブールを制圧したため、約3か月間にわたり北カブール、
トルクマンへと戦闘をしながら退避した後、自分や家族の命を守るためにアフガニスタ
ンを出国することを決意した。
g 原告は、1996(平成8)年12月ないし翌年1月ころ、パシュトゥーン人に500万アフ
ガニを支払い、身元を隠しながらパキスタンのペシャワールへ逃走した後、生計を立て
るために他のアフガニスタン人2人と共同で貿易事業を行うことにし、1997(平成9)
年2月ころ、日本の会社を紹介されて初めて来日した。
h 原告は、日本からパキスタンに帰国後、UAEに滞在することにし、1997(平成9)年
7月ころ、他の2人のアフガニスタン人とUAEのシャルジャに貿易事業の会社を設立
したが、その後アヌワリからアフガニスタン国内のハラカテ・イスラミメンバーに経済
的支援をする任務を与えられ、UAEにおける責任者として活動するようになり、UAE国
内に滞在するハラカテ・イスラミのメンバーや支援者らへの連絡、会議等を開催してア
フガニスタンの状況を話したりするほか、イランやパキスタンに滞在するメンバーと連
絡を取っていた。
原告は、メディアやジャーナリストからのインタビューに応じ、タリバンに批判的な
内容を話したこと等により、ハラカテ・イスラミから感謝状の交付を受けた。
i 原告は、1997(平成9)年8月から翌年7月までの間、5回にわたり短期滞在の在留
資格を取得して来日し、中古自動車部品の貿易事業に従事しつつ、1998(平成10)年春
ころには、ハラカテ・イスラミのミーティングに参加するためタジキスタンを経由し、
アフガニスタン北部のタハールに行ったり、ハラカテ・イスラミに経済的支援をする等、
同党の活動を続けていた。原告の活動は同党から評価され、原告は2000(平成12)年3
月ころ、同党の中央委員会のメンバーに再登録された。
j 2001(平成13)年3月ころ、原告は、ハラカテ・イスラミの中央委員会の会議に参加
した際、同党の週刊誌であるマルドゥムのインタビューに応じ、タリバンに批判的な内
容を述べ、この記事の掲載された同週刊誌は、2001(平成13)年5月14日に発行された。
また、原告は、2001(平成13)年5月ころ、伯母の葬儀のためにペシャワールの親戚の
家を訪ね、その際ペシャワールの日刊紙であるサハールの記者のインタビューに応じた
が、その中でも原告は、タリバンに批判的な発言をし、同記事は同紙に掲載された。
k 原告は、上記のような反タリバン活動をしていたため、タリバンの諜報機関に個別に
- 16 -
把握されることとなり、UAEに滞在していた2001(平成13)年6月中旬ころには、カブ
ールに居住していた妻の親戚であるEから、原告の従兄弟であるFが連行されたと聞い
たほか、同月19日、アヌワリから、タリバンが原告の指名手配書をパキスタン大使館、
UAE大使館に送付しており、原告に身柄拘束の危険が迫っている旨の連絡を受けた。さ
らに翌20日には、UAEに駐在するタリバンの大使館から、原告の会社に対し、原告にア
ブダビの大使館に来るようにとの電話があった。原告は、これらの連絡を受け、自らの
身柄拘束の危険が迫っていると感じ、同月23日ころ、UAEからパキスタンのペシャワー
ルへと出国した。
l 一方、原告がペシャワールに入ったころ、原告は、パキスタンに滞在する親戚から、タ
リバンが伯母の葬儀を行った親戚の自宅を2度訪れ、原告の所在場所を尋ねたことを聞
かされたほか、原告が中央カブールに有していた店舗及び自宅等がタリバンに没収され
たり破壊された旨を聞いた。また、原告は、妻の兄であるG及びHから、原告が指名手
配された旨が記載されているタリバンの指名手配書や、シャリアット・デイリー紙、原
告のインタビューの掲載されたサハール紙を受け取った。さらに原告は、パキスタンに
おいてもタリバンの捜索を受けるようになったため、安全な国へ出国することを決意
し、過去に日本滞在の経験があり、日本語や日本人の性格を多少知っていたことから、
日本へ行くことを希望し、1万500米ドルと3枚の写真を渡して、ブローカーを使って、
2001(平成13)年6月28日、ペシャワールからイスラマバードへ行き、イスラマバード
から経由地の空港に空路で移動した後、バンコクと思われる空港をさらに経由し、同年
7月2日、成田空港に到着し、同日、東京入管成田空港支局上陸審査場において、同支局
入国審査官に対し、難民認定申請をしたい旨を述べた。
ウ 以上の原告の主張する事実は、アフガニスタンの客観的状況とも一致するほか、多数の
客観的証拠及び第三者による供述と細かい部分まで符号しているものであり、その内容も
自然かつ合理的なものであり、現実に事実を体験した者の供述のみが持つ迫真性を有して
おり、その内容にも一貫性が認められるから、原告の供述は高度の信用性を有するものと
いうことができる。そして、これらの事実に照らせば、原告が、本件各処分当時アフガニ
スタンに帰国した場合、人種、宗教及び政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあると
信じる相当な理由が認められるから、原告は難民条約上の難民に該当するというべきであ
る。
エ 被告らは、原告の供述には信用性が認められないと主張する。しかしながら、被告らの
主張は以下のとおり理由がない。
a 被告らは、甲第69号証のサハール紙が偽造されたものであると述べた上、同新聞記事
の掲載を前提として作成されたとする甲第70号証ないし74号証も偽造の疑いがあり、
この事実は原告の供述全体の信用性に影響を与える旨を主張するが、原告は、同新聞が
偽造である旨の指摘をされる以前から、サハール紙のインタビューに際しては、パキス
- 17 -
タン情勢やタリバンとパキスタンとの関係を詳細に述べたにもかかわらず、そのインタ
ビュー内容の多くが削除されているとして、記事の内容が不自然である旨を自ら供述し
ていたものである(原告本人5日目78ないし85項)。そして、原告は上記各書証は、G及
びHから受けとったものであると述べており、同新聞については、Gによる入手経緯は
分からない旨を供述していたことが認められる(同100項)。そして、原告が各書証を両
名から受け取った時期が、アヌワリから危険を知らされてUAEからパキスタンに出国
した時期の直後であることからすると、G及びHが、原告が他国で速やかに難民として
保護を受けられるようにこれらの書類を作成した原告に渡したことも十分に考えられる
のであって、これらの書類が仮に偽造であったとしても、その事実が原告の供述の信用
性に影響を与えるものではないというべきである。
また、真に難民に該当する者であったとしても、供述のみでは信用してもらえないの
ではないかという危惧や、難民であることを速やかに認定してほしいという心情から、
虚偽の書類等を提出して難民認定申請をすることは十分考えられるのであって、このよ
うな事実が仮にあったとしても、そのことのみから申請者の供述の信ぴょう性すべてを
否定するのではなく、申請者が提出した他の書類や出身国情報等のすべてを検討して信
ぴょう性判断がされなければならないことはいうまでもなく、原告の場合には、他の資
料からみて、原告の供述全体の信ぴょう性に疑いを挟む余地はないものというべきであ
る。
b 被告らは、原告がタリバンがカブールを制圧した前後のころ、数度にわたり来日して
いる点を捉えて、部隊の司令官の取るべき行動として現実と乖離している旨を主張する
が、原告は、貿易事業を行いながらハラカテ・イスラミに経済的支援を行うほか、アフ
ガニスタン北部に入ってハラカテ・イスラミのミーティングに参加する等の活動を行っ
ており、ハラカテ・イスラミの幹部として取るべき行動を取ったものと解されるから、
被告らの主張は失当である。
c 被告らは、原告のハラカテ・イスラミのメンバーとしての活動内容はいずれも軽微な
ものであり、その期間もわずかなものであるとして、原告は専ら貿易業に従事していた
ものと主張するが、原告は事業で得た利益でハラカテ・イスラミに経済的支援をしてい
たものであって、広報やミーティングに参加する等積極的に活動していたのみならず、
共産主義政権に2度にわたり身柄を拘束された経験を有するのであり、原告の活動実績
が皆無であるとは到底いうことができない。
d このほかに、被告らは、縷々主張して原告の供述に信ぴょう性がない旨を述べるが、
これらはいずれも失当である。

難民認定をしない処分取消請求事件(第1事件)
平成11年(行ウ)第31号
退去強制令書発付処分等取消請求事件(第2事件)
平成13年(行ウ)第258号
原告:A、両事件被告:法務大臣、第2事件被告:東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第2部(裁判官:市村陽典・丹羽敦子・森英明)
平成16年5月28日
判決
主 文
1 被告法務大臣が平成13年6月26日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1
項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 被告東京入国管理局主任審査官が平成13年6月26日付けで原告に対してした退去強制令書発
付処分を取り消す。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は、平成11年(行ウ)第31号事件について生じたものは原告の負担とし、平成13年(行
ウ)第258号事件について生じたものは被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 平成11年(行ウ)第31号事件(以下「第1事件」という。)
被告法務大臣が平成10年10月5日付けで原告に対してした難民の認定をしない旨の処分を取
り消す。
2 平成13年(行ウ)第258号事件(以下「第2事件」という。)
主文第1項及び第2項と同旨
第2 事案の概要
本件は、ミャンマー連邦の国籍を有する原告が、被告法務大臣に対し、出入国管理及び難民認
定法61条の2第1項の規定に基づき、難民の認定を申請したところ、被告法務大臣から、同条2
項所定の期間を経過した後に上記申請を行ったこと等を理由として難民の認定をしない旨の処
分を受けたことから、同項の規定を適用して上記処分を行ったことが難民の地位に関する条約及
び難民の地位に関する議定書に反するなどと主張して、上記処分の取消しを求めるとともに(第
1事件)、被告法務大臣から同法49条に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を受け、被告東
京入国管理局主任審査官から退去強制令書の発付処分を受けたことから、原告に在留特別許可を
認めなかった上記裁決は、被告法務大臣が与えられた裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法があ
り、上記裁決を前提としてされた上記退去強制令書の発付処分も違法であると主張して、これら
の処分の取消しを求めている(第2事件)事案である。
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1 法令の定め等
(以下、出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。昭和27年法律第126号により同年
4月28日以後法律としての効力を有する。)を「法」という。)
 難民の認定
法61条の2第1項は、本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったとき
は、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる旨規定する。
そして、同条2項は、「前項の申請は、その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民とな
る事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から60日以内に行わなければならない。
ただし、やむを得ない事情があるときは、この限りでない。」と規定する。
(以下において「60日条項」という場合は、難民の認定の申請期間に係る同項の規定をいう。)
 法における難民の意義
ア 法2条3号の2は、法における「難民」の意義について、難民の地位に関する条約(昭和56
年条約第21号。以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(昭和
57年条約第1号。以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難
民をいうと規定している。
イa 難民条約1条Aは、「1951年1月1日前に生じた事件の結果として、かつ、人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受け
るおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であっ
て、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにそ
の国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有し
ていた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有し
ていた国に帰ることを望まないもの」は、同条約の適用を受ける「難民」に該当すると規定
している。
b また、難民議定書1条2は、同議定書の適用を受ける「難民」とは、難民条約1条Aの
規定にある「1951年1月1日前に生じた事件の結果として、かつ、」及び「これらの事件の
結果として」という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべ
ての者をいうと規定し、難民議定書1条1は、上記難民に対し、難民条約2条から34条ま
での規定を適用するとしている。 
ウ したがって、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的
意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍
国の外にいるものであって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような
恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」は、法にいう「難民」に
該当することとなる。
2 前提となる事実(これらの事実は、いずれも当事者間に争いがない。)
 原告の国籍並びに本邦への入国及び在留状況
- 3 -
ア 原告は、1954(昭和29)年《日付略》、当時のビルマ連邦(1974(昭和49)年にビルマ連邦
社会主義共和国、1989(平成元)年にミャンマー連邦と改称され、現在に至る。以下、原則と
して「ミャンマー」といい、ミャンマー連邦と改称される以前における同国を「ビルマ」とい
う。)において出生した、ミャンマー国籍を有する外国人である。
イ 原告は、平成3(1991)年《日付略》、新東京国際空港に到着し、東京入国管理局(以下「東
京入管」という。)成田支局入国審査官に対して、渡航目的「TOURIST」(観光)、日本滞在予
定期間「7 DAYS」(7日間)とそれぞれ外国人入国記録に記入して上陸申請し、同日、法(た
だし、平成3年法律第71号による改正前のもの)別表第1に規定する在留資格「短期滞在」
及び在留期間90日とする上陸許可を受け、本邦に上陸した。
ウ 原告は、本邦に入国して約1週間後から、東京都《地名略》区において、不法就労(水産物
加工)を開始し、在留期間の更新又は在留資格の変更の許可申請をすることなく、在留期限
である平成3年《日付略》を超えて不法残留することとなった。
エ その後、原告は、《地名略》市、東京都《地名略》区等において、建設作業員等として稼働した。
オ 原告は、平成9年2月10日、東京都《地名略》区長に対し、同区《住所略》を居住地として、
外国人登録の新規登録申請をした。
 原告の難民認定申請手続の経緯
ア 原告は、平成9年《日付略》、東京入管において、被告法務大臣に対し、難民認定申請をし
た(以下「本件難民認定申請」という。)。
イ 被告法務大臣は、平成10年10月5日、本件難民認定申請に対し、難民の認定をしない旨の
処分を行い(以下「本件不認定処分」という。)、同年11月18日、原告に告知した。
なお、本件不認定処分の通知書には、本件不認定処分の理由として、「貴殿からの難民認定
申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたもので
あり、かつ、貴殿の申請遅延の申立ては、同項但書の規定を適用すべき事情とは認められな
い。」と記載されている。
 原告の退去強制手続の経緯
ア 東京入管入国警備官は、平成10年10月14日に違反調査を実施した結果、原告が法(ただし、
同年法律第101号による改正前のもの。以下、において同じ。)24条4号ロに該当すると疑
うに足りる相当の理由があるとして、同月26日、被告東京入管主任審査官(以下「被告主任
審査官」という。)から発付された収容令書に基づき、同月29日、同令書を執行し、原告を同
号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引渡した。
イ 被告主任審査官は、平成10年10月29日、原告に対し、請求に基づき、仮放免を許可した。
ウ 東京入管入国審査官は、平成10年10月29日、同年11月27日及び同月30日に、原告につい
て違反審査をした結果、同日、原告が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い、原告にこれ
を通知したところ、原告は、同日、口頭審理を請求した。
エ 東京入管特別審理官は、平成11年4月1日、口頭審理を実施し、その結果、特別審理官は、
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同日、入国審査官の上記認定に誤りがない旨判定し、原告にこれを通知したところ、原告は、
同日、被告法務大臣に異議の申出をした。
オ 被告法務大臣は、平成13年6月13日、原告の上記異議の申出は理由がない旨の裁決をし
(以下「本件裁決」という。)、本件裁決の通知を受けた被告主任審査官は、同月26日、原告に
本件裁決を告知するとともに、退去強制令書を発付し(以下「本件令書発付処分」という。)、
同日、原告を東京入管収容場に収容した。
カ 被告主任審査官は、平成13年9月26日、原告に対し、請求に基づき、仮放免を許可した。
原告は、現在も仮放免中である。
3 当事者双方の主張
(原告の主張)
 本件不認定処分が違法であること
ア 法61条の2第2項と難民条約及び難民議定書の関係
a 難民条約及び難民議定書は、難民の定義及び締約国がとるべき保護措置の概要に関する
規定を設けているものの、難民認定手続に関しては何らの規定も設けておらず、難民認定
の具体的な手続については、円滑かつ的確な難民の認定とその保護のために、締約国に対
して、統治機構の制度と実情に応じた手続を創設することをゆだねたものということがで
きる。
しかしながら、このことは、締約国がその自由な裁量によって難民認定手続を定めるこ
とが許容されることを意味するものではなく、難民条約及び難民議定書で定義する難民
(以下「条約上の難民」という。)をそのまま難民と認定するために、当該締約国の統治制度
上最も適切な認定手続を設けることが求められているのであって、締約国に与えられた難
民認定手続の創設に関する裁量には、このような条約の目的による一定の限界があるとい
うべきである。
b 難民条約及び難民議定書は、締約国に対し、各国の状況に従い、同条約1条A及びこ
れを修正する議定書で定義する条約上の難民を等しく難民として保護すべきことを求めて
いるところ、本邦に上陸した日から60日以内に難民認定申請を行うことを難民の認定の要
件とする法61条の2第2項の規定は、その解釈、運用によっては、条約上の難民のうち一
定の者を難民と認定しない結果をもたらすこととなるから、これによって、条約上の難民
の中に難民条約上の保護措置の利益を享受できない者が生じることとなり、また、締約国
ごとに難民認定の結果に相違が生じることにより、国際条約によって難民を定義しその保
護を各国に要請した意味が失われることとなる。
したがって、難民の認定に係る申請期間を定めた同項の規定を同条約及び同議定書によ
る上記の要請に適合するように解釈するならば、同項の規定が単に申請期間に関する努力
目標を定めたものと解するか、又は、同項ただし書の「やむを得ない事情」をかなり広く解
するほかない。
- 5 -
にもかかわらず、被告法務大臣は、上記「やむを得ない事情」について、病気、交通の途
絶等の客観的事情により入国管理官署に出向くことができなかった場合や、本邦において
難民認定申請をするか否かの意思を決定することが客観的にも困難と認められる特段の事
情がある場合等をいうものとして、極めて限定的に解釈したうえで、同項所定の期間内に
難民認定申請が行われなかったという形式的理由のみによって、原告の難民該当性に関す
る実体判断をしないで本件不認定処分を行ったものであるから、かかる解釈及び運用に基
づいて行われた本件不認定処分は、同条約及び同議定書に違反するというべきである。
また、国連難民高等弁務官事務所の執行委員会(以下「UNHCR執行委員会」という。)
による1979(昭和54)年の「庇護国なき難民の決議」(決議15号。以下「本件UNHCR執行
委員会決議」という。)が、「庇護希望者に対し一定の期限内に庇護申請を提出するよう求
めることはできるが、当該期限を徒過したことまたは他の形式的要件が満たされなかった
ことによって庇護申請を審査の対象から除外すべきでない。」としており、この決議は、同
条約に基づく難民保護の要請の必然的な結果というべきであるから、60日条項を適用して
原告の難民該当性に関する実体判断をせずに本件不認定処分を行ったことは、同条約及び
同議定書に違反する。
さらに、60日条項の期間制限は、被告法務大臣の運用において、実体審査に入る前に満
たされるべき要件とされているところ、このことは、難民の概念に時間的制限を付加する
に等しいから、難民概念について留保ないしは変更を行うものであって、同条約1条A、
42条に違反する。
c 被告法務大臣は、難民認定申請に係る期間制限を定めた60日条項が、難民条約及び難民
議定書の規定及び趣旨に照らして合理的な制度であって、仮に同項の適用により我が国に
おいて難民の認定を受けられない条約上の難民が生じ得るとしても、同条約及び同議定書
に反しないと主張するが、被告法務大臣が同項の期間制限の合理的根拠として主張する点
は、下記ないしのとおりいずれも失当であり、難民認定申請の期間制限に関する諸外
国の制度やその運用の実情に照らしても、60日条項及びその解釈、運用が合理的であると
はいえない。
 被告法務大臣は、難民は恐怖から早期に逃れるため速やかに他国の庇護を求めるのが
通常であるから、我が国の保護を受けるべく難民の認定を申請する者も速やかにその旨
申し出るべきであると主張するが、このような主張は、難民が難民と認定されることに
よって故国と絶縁することをためらったり、難民と認定されない場合にかえって本国に
送還されることを懸念するという現実を無視しており、我が国において難民認定申請に
期間制限があること自体が十分周知されていないことに照らしても、難民認定申請を速
やかにしなかった事実を難民該当性の判断に直結させることは、事実誤認、経験則違反
というほかない。
 被告法務大臣は、難民となる事実が生じてから長期間を経過した後に難民認定申請が
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されると事実関係の把握が困難となり、適正な認定ができなくなるおそれがあるとする
主張についても、一定の期間の経過によって一律かつ定型的に事実関係の確定が不可能
ないし著しく困難になることはなく、事実関係の把握という観点からは、60日の申請期
間の厳守を強固に貫くことには意味が乏しいというべきである。
 被告法務大臣は、我が国の地理的、社会的実情に照らせば、60日の申請期間が十分な
期間であると主張するが、日本語を解さない外国人が実際に難民認定手続をすること
は、情報面でも心理的にも極めて困難であり、実際の申請のほとんどが上記申請期間の
経過後にされていることからも、上記申請期間が十分であるということはできない。
 被告法務大臣は、60日条項が難民認定制度の濫用者による申請を可及的に排除する機
能をも併せ有すると主張するが、真の難民が濫用防止手続のために不認定になるような
ことがあってはならないのであって、このような理由によって申請期間の制限を正当化
することはできない。
 被告法務大臣は、60日の申請期間を経過した後に行われた難民認定申請であっても、
法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」が認められる場合には、上記期間内
に行われた申請と同様に難民性の有無を判断することになることから、60日条項は合理
的であると主張するが、上記「やむを得ない事情」に関する被告法務大臣の厳格な解釈
を前提とすれば、これが認められる事例はほとんどなく、同項ただし書の規定が何の機
能も果たしていないことは明らかである。
d 被告法務大臣は、我が国における難民条約上の保護措置について、難民の認定を受ける
か否かにかかわりなく、当該行政機関等が個別に難民であるか否かを判断することによっ
て付与されるとし(いわゆる個別認定方式)、条約上の難民であれば難民条約上の保護措置
による利益を実質的に享受することが可能であると主張する。
しかしながら、我が国は、難民条約を批准するに当たり、難民の認定という複雑な判断
を各行政機関等がそれぞれの立場でその都度行うことが非効率的であり、判断の不統一も
生じかねないことから、被告法務大臣が難民の認定を統一的に行う方式(いわゆる統一認
定方式)を採ることとし、その旨閣議了解をもって決定されているところである。
そして、難民認定証明書及び難民旅行証明書については、被告法務大臣が難民該当性の
判断を一元的に行い、その判断に基づいて交付されることが明文で規定されているとこ
ろ、このことは、上記各証明書を受けた者に対し、これによって自己が難民であることを
他の各行政機関等に証明する方法を与えた趣旨によるものというべきであって、統一認定
方式が採用されていることを示すものである。
したがって、被告法務大臣の上記主張は、難民該当性に関する個別認定方式を前提とす
る点で失当である。
e また、難民条約上の保護措置を個別的に検討しても、条約上の難民であってもこれらの
保護措置の利益を実質的に享受することができるものではないことは明らかである。
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 教育に関する保護措置
難民条約22条2は、締約国が、難民に対し、初等教育以外の教育に関し、できる限り
有利な待遇を与えるものとし、いかなる場合にも同一の事情の下で一般に外国人に対し
て与える待遇よりも不利でない待遇を与える旨規定している。
しかしながら、大学受験資格に関しては、昭和57年2月12日付け学大第34号各国公
私立大学長・大学入試センター所長あて文部省大学局長通知(以下「大学局長通知」と
いう。)により、難民の認定を受けた者について、出身国の学校から卒業証明書等を取り
寄せることが不可能なことから、本人の申請をもって当該証明書に代える扱いが認めら
れているのに対し、条約上の難民でありながら60日条項の適用により難民と認定されな
かった者は、卒業証明書等を取り寄せることが不可能なことから、大学受験資格が与え
られないこととなり、同一の事情の下で一般に外国人に対して与える待遇よりも不利で
ない待遇が与えられないこととなる。
 社会保障に関する保護措置
難民条約23条は公的扶助及び公的援助に関して、また、同条約24条1は社会保障に関
して、締約国が合法的にその領域に滞在する難民に対し、自国民と同一の待遇(以下「内
国民待遇」という。)を与える旨、それぞれ規定している。
しかしながら、国民健康保険については、実務上その対象者が難民の認定を受けた難
民及び長期的な在留資格を有する者に限られており、また、生活保護についても、難民
の認定を受けている者はその対象となるが、短期滞在者や不法滞在者はその対象とされ
ていないから、合法的に滞在する難民でありながら60日条項の適用により難民と認定さ
れなかった者に対しては、内国民待遇を与えられないことがあり得ることとなる。
 身分証明書等の発給及び交付
難民条約27条は、締約国が、その領域内にいる難民で有効な旅行証明書を所持してい
ない者に身分証明書を発給する旨規定し、同条約25条2は、締約国の機関又は国際機関
が難民に対し、外国人が通常本国の機関から又は本国の機関を通じて交付を受ける文書
又は証明書等を交付し又は交付されるようにする旨規定している。
しかるに、同条約27条の身分証明書は、難民としての身分及び地位を証明する文書を
意味するものというべきであるから、外国人登録証明書はこれに該当しない。
また、船員法50条3項、同法施行規則28条に定める船員手帳は、同条約27条の身分証
明書に該当し、仮に該当しないとしても、同条約25条2の文書又は証明書等に該当する
ところ、船員手帳の交付手続について定める同規則29条5項は、本邦外の地域に赴く航
海に従事する船舶に乗り組む「難民」(難民認定証明書の交付を受けている外国人をい
う。)にあっては、当該国の領事官の証明書を添付することを要しないと規定しているこ
とからすれば、条約上の難民でありながら60日条項の適用により難民と認定されなかっ
た者については、難民認定証明書が交付されず、当該国の領事官の証明書を添付するこ
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ともできないから、同条約25条又は27条2の規定による保護措置を受けられないこと
となる。
 難民の出国に際して与える便宜
難民条約31条2は、避難国に不法にいる難民について、移動に関し、必要な制限以外
の制限を課してはならない旨規定し、移動の自由の保障を定めている。
しかしながら、我が国の退去強制手続においては、退去強制事由に該当すると疑うに
足りる相当の理由がある外国入に対しては、収容令書を発付してこれを収容し、さらに
退去強制令書が発付されれば、当該外国人を送還の執行まで収容しなければならないと
ころ、難民の認定を受けた者については、在留が正規化される実務が定着していること
から、上記各収容を免れるのに対し、条約上の難民でありながら60日条項の適用により
難民と認定されなかった者は、上記各収容によって移動制限を課されることとなる。
 合法的にいる難民の追放の禁止
難民条約32条1は、締約国が、合法的にその領域内にいる難民について、国の安全又
は公の秩序を理由とする場合を除くほか、これを追放してはならないと規定していると
ころ、締約国の合法的な滞在資格を有している間に難民認定申請をした者がその後難民
と認定された場合には、その時点で在留資格がなくても、合法的にその領域内にいる難
民に該当し、追放されてはならないものと解すべきである。
そして、国内法上、外国人が本邦に滞在するために在留資格を必要とする制度が採ら
れていることからすれば、難民の認定は当然に在留資格の付与を予定するものというべ
きである。
そうであるとすれば、少なくとも上記のような意味で合法的に本邦に滞在する条約上
の難民の場合、60日条項を適用して実体審査をせずに難民不認定処分をすることは、同
条1の規定に違反するというべきである。
 相互主義の免除
難民条約7条2は、すべての難民がいずれかの締約国の領域に3年間居住した後は、
当該締約国の領域内において立法上の相互主義を適用されない旨規定しているところ、
難民が本邦に上陸後長期間を経過した場合などにおいて、相互主義の適用の免除を受け
るために自ら難民であることを立証することは著しく困難であり、難民の認定を受けな
い限り、相互主義の適用の免除を受けることは実質的にほとんど不可能であるから、60
日条項を適用して難民の認定をしないことは、同条2の規定に違反する。
 属人法
被告法務大臣は、難民条約12条に規定する保護措置である属人法に関する規定を適用
するに当たり、当該難民が難民の認定を受けている必要はないと主張する。
しかし、上記主張は、前記dのとおり、我が国の難民認定制度において統一認定方式
が採用されていることに反するものであり、戸籍事務における難民の取扱いに関する昭
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和57年3月30日付け法務省民二第2495号各法務局長、地方法務局長あて民事局長通達
「難民の地位に関する条約等の発効に伴う難民に関する戸籍事務の取扱い」(以下「民事
局長通達」という。)が、難民認定証明書の写し又はこれに準ずるものを添付したときに
限りその者を難民として取り扱う旨定めていることや、実際に戸籍事務を行う市町村に
おいて難民該当性の判断を行うことが困難であることに照らしても不合理というほかな
く、同条に規定する保護措置の利益を享受するには、難民の認定を受ける必要があると
いうべきであるから、60日条項の適用により難民の認定をしないことは、同条の規定に
違反する。
 避難国に不法にいる難民の刑事免責
難民条約31条1は、締約国が、避難国に不法にいる難民に対し、不法に入国し又は不
法にいることを理由として刑罰を科してはならない旨規定し、これを受けて、法70条の
2は、不法入国、不法在留等の罪を犯した場合に、難民であることなど所定の要件の証
明があり、当該罪に係る行為をした後遅滞なく入国審理官の面前でこれらの要件に該当
することの申出をした場合に、刑を免除する旨規定している。
しかしながら、条約上の難民でありながら60日条項の適用により難民と認定されなか
った者が本邦上陸後長期間を経過した場合に、上記規定の適用を受けるために自ら難民
であることを証明することは著しく困難であり、このような難民が同条約31条1の保護
措置の適用を受けることは、実質的にほとんど不可能である。
 ノン・ルフールマン原則
難民条約33条1は、「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍
若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自
由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と
規定しているところ(いわゆるノン・ルフールマン原則)、条約上の難民でありながら
60日条項の適用により難民と認定されなかった者は、ノン・ルフールマン原則の適用を
受けることができない。
これに対し、被告法務大臣は、申請期間を徒過したことにより難民と認定されなかっ
た者についても、在留特別許可を与えることにより、迫害を受けるおそれのある地域へ
送還することを防止できる旨主張するが、被告法務大臣自身が、在留特別許可は裁量行
為であり、迫害を受けるおそれのある国に送還せざるを得ないことは在留特別許可の判
断の一事情である旨主張していることからすれば、在留特別許可がノン・ルフールマン
原則を担保するものでないことは明らかである。
また、被告法務大臣は、法53条3項が退去強制を受ける者の送還先に同条約33条1項
に規定する領域を含まない旨規定しており、これによってノン・ルフールマン原則が担
保されている旨主張するが、出身国以外の第三国には退去強制を受ける者を受け入れる
義務はなく、第三国による受入れが実現することは極めて例外的であって、このような
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偶然の事情に依存した法53条3項の規定によりノン・ルフールマン原則が制度的に担
保されているとはいえないし、本国及び第三国のいずれにも送還できない場合、被告主
任審査官としては、異議の申出に理由がない旨の裁決の通知を受けたときは直ちに退去
強制令書を発付しなければならない(法49条5項)ことから、結局迫害を受けるおそれ
のある本国を送還先とした退去強制令書を発付する可能性があることは否定できず、法
53条3項の規定によりノン・ルフールマン原則が担保されているとはいえない。
さらに、送還不能な場合における特別放免(法52条6項)等についても、裁量行為と
して運用されており、ノン・ルフールマン原則の制度的な担保とはなり得ない。
したがって、被告法務大臣の上記各主張はいずれも失当である。

退去強制令書発付処分取消請求事件
平成15年(行ウ)第420号
原告:A、被告:東京入国管理局長ほか1名
東京地方裁判所民事第38部(裁判官:菅野博之・鈴木正紀・馬場俊宏)
平成16年9月17日

判決
主 文
一 被告東京入国管理局長が原告に対して平成一五年四月九日付けでした出入国管理及び難民認定法四九条一項に基づく原告からの異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
二 被告東京入国管理局主任審査官が原告に対して平成一五年四月一〇日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
三 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文一、二項と同旨(訴状「請求の趣旨」欄一項記載の「一〇日」は「九日」の誤記と認める。)
第二 事案の概要
一 事案の骨子
本件は、法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入国管理局長(以下「被告東京入管局長」という。)から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)四九条一項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を受け、被告東京入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)から退去強制令書の発付処分を受けた原告が、原告に在留特別許可を認めなかった前記裁決には、被告東京入管局長が裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法があり、同裁決を前提としてされた退去強制令書の発付処分も違法である旨主張して、同裁決及び同発付処分の取消しを求める事案である。
二 前提となる事実
証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実は、その旨記載した。それ以外の事実は当事者間に争いがない。
1 身分事項等
原告は、昭和四八年(一九七三年)四月二一日、中華人民共和国(以下「中国」という。)遼寧省において出生した中国国籍を有する外国人である。
2 原告の入国及び在留状況等
 原告は、平成六年(一九九四年)四月四日、新東京国際空港に到着し、入国審査官から、入管法別表第一に定める在留資格「留学」、在留期間「一年」とする上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
 原告は、東京都杉並区長に対し、平成六年四月八日、外国人登録法(以下「外登法」という。)に基づく新規登録申請をし、外国人登録証明書の交付を受けた。
 原告は、平成七年三月、同八年三月及び同九年二月に、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)において、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をし、いずれも、在留期間「一年」とする許可を受けた。
 原告は、平成七年四月及び同一一年一月に、それぞれ居住地変更登録をした。
 原告は、平成九年一二月一八日、本邦において、Bと婚姻した。Bは、中国国籍を有する外国人であった。
 原告は、平成九年一二月二六日、東京入管において、法務大臣に対し、入管法別表第一に定める在留資格「留学」から入管法別表第一に定める在留資格「家族滞在」へ変更する旨の在留資格変更許可申請をし、平成一〇年一月一九日、入管法別表第一に定める在留資格「家族滞在」、在留期間「一年」とする許可を受けた。
 原告は、平成一〇年一二月一一日、東京入管において、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をし、同月二五日、在留期間「一年」とする許可を受けた。
 原告は、平成一二年一月六日、東京入管において、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をし、同月一七日、在留期間「三年」とする許可を受けた。この許可に係る在留期限は、平成一五年一月一九日であった。
 原告は、平成一二年七月四日、東京都板橋区長に対し、居住地を東京都板橋区(以下「板橋区」という。)《住所略》(現住所地である。以下、同所で居住している貸室を「本件マンション」という。)とする居住地変更登録をした。
 原告は、平成一四年二月二七日、Bと離婚した。
十一 原告は、平成一四年四月二四日、東京入管において、法務大臣に対し、入管法別表第一に定める在留資格「家族滞在」から入管法別表第一に定める在留資格「人文知識・国際業務」へ変更する旨の在留資格変更許可申請(以下「第一次申請」という。)をした。法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入管局長は、同年九月二日、第一次申請について、不許可処分をした。
3 退去強制令書発付処分に至る経緯
 原告は、平成一五年一月一六日、東京入管において、法務大臣に対し、入管法別表第一に定める在留資格「家族滞在」から入管法別表第一に定める在留資格「人文知識・国際業務」へ変更する旨の在留資格変更許可申請(以下「第二次申請」という。)をした。法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入管局長は、同年二月二五日、第二次申請について、不許可処分をし、同年三月一二日、これを東京入管に出頭した原告に通知した。
これにより、原告は、在留期限である同年一月一九日を超えて本邦に不法に残留することとなり、入管法二四条四号ロ(在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者)に該当することとなった。
 東京入管入国警備官は、平成一五年三月一二日、原告が入管法二四条四号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、被告主任審査官から収容令書の発付を受け、同日、同令書を執行し、原告を東京入管収容場に収容した。東京入管入国警備官は、同月一三日、原告を東京入管入国審査官に引渡した。
 東京入管入国審査官は、平成一五年三月二五日、原告が入管法二四条四号ロ(不法残留)に該当する旨認定し、原告にこれを通知した。原告は、同日、この認定につき、特別審理官による口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成一五年四月七日、原告に係る口頭審理をし、前記における入国審査官の認定に誤りはない旨判定し、原告にこれを通知した。原告は、法務大臣に対し、同日、この判定につき、入管法四九条一項に基づく異議の申出をした。
 法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入管局長は、平成一五年四月九日、原告からの前記四の異議の申出について理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。同日本件裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は、原告に対し、同月一〇日、本件裁決を告知するとともに、退去強制令書発付処分(以下「本件退令処分」という。)をした。
4 本件裁決及び本件退令処分後の経過
 東京入管入国警備官は、平成一五年五月二〇日、原告を入国者収容所大村入国管理センター(以下「大村センター」という。)へ収容した。
 日本人であるC(昭和四二年一二月二一日生。以下「C」という。)は、平成一五年五月二二日、板橋区長に対し、Cと原告が婚姻する旨の届出をした。
 原告は、平成一五年七月九日、本件訴えを提起した。
 原告は、平成一六年六月一八日、仮放免された。その後、原告は、本件マンションで、Cと同居して生活している。
三 争点
1 本件裁決の適法性について
被告東京入管局長は、原告につき、特別に在留を許可すべき事情があるとは認められないとして、本件裁決をしているが、この判断は、同被告の有する裁量権を逸脱するなどしてされた違法なものか。
2 本件退令処分の適法性について
本件裁決が違法であるから、これを前提とする本件退令処分も違法か。
四 当事者の主張の要旨
1 原告の主張
 争点1(本件裁決の適法性)について
 憲法上外国人に入国の自由が認められないとしても、そのことから直ちに、いったん我が国に入国した外国人に在留する権利が保障されていないと帰結することはできない。憲法二二条一項が「何人も」居住、移転の自由を有すると規定し、同条二項が「何人」も外国に移住する自由を侵されない旨規定していることや、例えば、移転の自由はその権利の性質上外国人に限って保障しないとする理由は見当たらないことから明らかなように、日本国憲法は、個人の尊厳に立脚し、個人がいかなる幸福を追求するかを個人の決定にゆだねるべきであり、国家はそれを追求する諸条件・手段を保障しようとするものであるという個人主義思想に立脚していることからすれば、外国人であろうと、日本国籍を有する者であろうと、差別される理由はない。在留特別許可の制度において法務大臣等に広範な裁量権があることを前提に、その裁量権の逸脱又は濫用の場合に初めて、裁決が違法となると解することは、法の支配を排除しようとすることにほかならない。
憲法が国民のみならず外国人に対しても居住・移転の自由を保障し、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)二一条においても同様の規定があることにかんがみれば、不法滞在者であっても、個人として尊重すべきであり、人生設計の全面的なやり直しを迫る退去強制という手段は、人道上も人権上も問題であるから、特別の事情がある場合には、在留を認めようとするのが、在留特別許可の制度である。このような制度の趣旨を念頭におけば、在留特別許可をすべきか否かの判断基準は、すべての移住労働者とその家族構成員の権利保護に関する国際条約(以下「国連移住労働者条約」という。)
六九条二項を参考に、入国の状況、在留期間及びその他関連する事項、特に家族の状況に関する適切な配慮がされているか否かに求めるべきであり、これを念頭において、不法滞在者が市民として我が国に定着しているか否かという観点から、在留特別許可を認めるかどうかを判断すべきである。
ア 原告は、平成六年四月四日、国費留学生として来日し、D専門学校、次いでE専門学校幼児教育学科、さらに同校の幼稚園教諭・保母養成学科でまじめに就学し、学業に専念して、すべての課程を修了し、保母資格及び幼稚園教諭二種免許を取得して、平成一〇年三月、同校を卒業した。
イ ところが、原告は、恋愛関係にあったBとの子供を妊娠したため、自分の夢を捨ててBとの婚姻を決意した。Bは、両親の反対を秘して、平成九年一二月、強引に原告との婚姻に踏み切った。
ウ 原告は、中国に帰国して長女Fを出産した後、日本に戻った。原告は娘を含む三人での生活を望んでいたが、Bが仕事に専念したいなどという理由で、これに反対したため、原告は、やむなく中国の原告の両親に娘を預け、仕送りをしながらやがて家族で生活することを夢見ていた。ところが、Bは、職場を転々としており、そのため、収入も月二五万円程度であって、それほど多くはなかった。原告は、中国の地方出身者で、夫を立てなければならないと教わって育ってきており、生活が苦しいときは仕事を見つけ収入を得て夫を助けなければならないと考え、Bの仕事が不安定でBの収入が多くなく、中国への送金もままならない状態であった平成一一年五月に、株式会社G(以下「G社」という。)に就職して、Bを助け、Fに送金するために、必死で働いた。このときの上司がCである。その後、Bは、H社に入社したが、原告も、誘われて、同年一〇月ころ、G社を退職し、H社に就職した。原告は、入社後約三か月が経ったころに、同社の繁忙期が過ぎた上、Fに会いたい気持ちが強くなったので、H社を退職し、いったん中国に帰国した。原告は、平成一二年五月、日本に戻って、I株式会社(以下「I社」という。)の旅行部門に就職した。このとき、資格外活動許可を得た。
エ ところが、Bは、平成一二年五月、両親が来日すると、原告を残したまま両親と旅行に出かけ、同年七月ころにはH社を退職し、両親とともにそのまま中国に帰国し、日本に来ようとはしなかった。原告は、不安定な生活が続く中で、必死で働き、仕事上のことで分からないことがあると、電話でCに質問するなどして、旅行業に精通するようになり、顧客の立場で旅行計画を立案して、顧客から信頼されるようになるとともに、会社においても、マナーを守り、日本の風習を習得し、日本人以上に日本人らしく振る舞い、上司や同僚からは原告の手腕が買われるようになった。原告は、Bを迎えに中国に行き、日本でもう一度将来を考えるため、二人で日本に帰国した。しかし、Bは、ほぼ無職の状況が続いた。原告は、必死に働き、家庭を守ってきたが、夫婦の溝は深まり、原告とBは、平成一四年二月、離婚した。しかし、Bは、仕事がなく、行き場もなかったので、離婚後も、本件マンションで生活を続けた、
オ 原告は、I社で懸命に働き、売上げもトップを走っていたが、独立するといううわさが流れ、平成一四年一月、同社を解雇された。原告は、J株式会社(以下「J社」という。)の社長に請われ、就労ビザを取得すると約束してくれたので、同社に就職した。
原告は、別れた夫と同居するという極めて不自然な生活を続けるうちに、帰宅するのが嫌になり、結局、早朝から深夜遅くまで働き、人相が変わるほどやつれた。
カ Cは、平成一四年二、三月ころに、原告がJ社で働いていることを知った。その後、Cは、数回、仕事上のことで原告と電話で話したり、会うなどしたが、その際、原告に対し、「今度食事でもしよう。」と誘った。原告は、イタリアンレストランでCと会ったが、このとき、Bとの離婚、その後のBとの同居、中国にいるFのことなど、これまでの事情をすべて話し、欝積した苦悩を打ち明けた。Cは、原告の生活や苦悩を知って、原告に同情した。Cは、原告から、夫を支え、家族を守るために必死に働いてきたことを聞かされ、日本人以上に日本人らしく振る舞っていた原告をいとおしく思う感情を抑えることができず、原告を助けてあげたいという衝動に駆られた。
キ その後、原告とCは、頻繁に会うようになり、週に数回デートを重ね、週末も一緒に過ごすようになり、急速に親しくなっていった。Cは、これまで付き合ってきた日本人の女性にはない優しさや、老人や子供に対するいたわりが原告にあることに惹かれ、原告は、Cに対する尊敬の念から、原告の苦悩を理解しすべてを受け入れてくれる一人の男性として思いを募らせるようになってきた。原告は、離婚後、J社の社長から、週六日間の労働を強要され、「ビザはあってもないのと同じだ。」などと言って、給与を不当に引き下げるなどの嫌がらせを受けるようになったが、Cは、原告をかばい、原告を支えた。
ク 原告が足にけがをして一、二日入院した後通院するということがあったが、Cは、原告の傍らにいて看病することができない自分に腹立たしさと無力感を覚えるようになり、原告との婚姻を意識するようになった。原告も、Cを心底信頼するようになり、Cとの婚姻を心から望むようになった。Cと原告は、平成一四年八月に、婚姻して、将来中国にいるFを日本に呼び寄せ、一緒に生活することを誓うようになった。しかし、親思い
のCは、自分が一人っ子であること、原告には離婚歴があり、中国に子供がいること、別れた夫が本件マンションに居座っている状況であることなどから、すぐには原告との婚姻の意志を両親に伝えることができず、原告と相談の上、環境を整えた上で両親を説得することにした。
ケ 環境整備の一環として、原告は、Cの紹介で、株式会社K(以下「K社」という。)に就職し、新しい住まいを探すようになった。しかし、そのころ、Bが中国に送還されることになったので、原告は、引っ越しを断念し、本件マンションでCと二人で生活する決意を固めた。原告とCは、平成一四年一二月にヨーロッパ旅行に出かけた。このように、原告とCは、同月には、事実婚の意志を固めていたということができる。原告とCは、帰国後、事実上の婚姻生活をするようになり、家賃と光熱費等は原告が負担し、Cが、生活費として五万円を渡し、外食や買物の費用もCが負担していた。Cは、平成一五年一月初旬ころから、原告が日本に永住することができるよう在留資格の変更の手続をするよう助言し、その手伝いもしていた。原告もCも、Cの両親から祝福された状態で正式な婚姻をしたいと考えていたが、Cは、まだ両親に原告を紹介していなかった。そのため、Cは、両親との関係を悪化させないよう配慮して、週に数日は実家に戻っていた。
コ その後、Cは、原告が収容された時点で、原告に対し、入籍を求めたが、原告は、強制退去の危険があるのにこれ以上Cに迷惑をかけることはできないという思いと、収容された直後に入籍するのは責任逃れのように勘違いされるという思いから、入籍にはちゅうちょを覚えた。しかし、Cは、退去強制令書が発付される可能性が高くなった段階に至って、原告との別離は二人の生活を根本的に破壊し、計り知れない精神的ダメージを与えることになると悟り、原告に対し、強く入籍を求めた。原告は、Cの愛情の深さに心を打たれて、これに同意した。
Cは、両親を説得して、平成一五年五月二二日、原告との入籍を果たした。Cは、原告との生活の場所であった本件マンションで暮らし、原告との面会を続けた。Cの給与は、手取りで月約二五万円から二六万円くらいであったにもかかわらず、Cは、預金を取り崩しながら、原告が大村センターに収容された後も、月に二回から四回大村センターを訪れて、原告と面会した。原告も、Cに対し、数百通に及ぶ手紙を出した。
 原告は、資格外活動をしたことがあるが、平成一三年八月一七日以前は法的無知が原因であり、その違法性は低い。原告が平成一四年一一月三日に入社したK社については資格外活動の許可を受けていないが、在留資格の変更によって就労の場を確保しようとしていたのであり、やはり違法性は低い。外国人に対する過重な就労制限に批判の目が向けられている現在の状況の下では、特別の理由がない限り、資格外活動それ自体を理由に在留特別許可をしないことは許されないというべきである。そして、本件では在留特別許可をしないとする特別な理由も存しない。
また、第二次申請の申請書には虚偽の記載があるが、これは、行政書士にすべて依頼して手続をしたところ、生じたものであり、原告には、悪意はなく、違法性の意識もなかった。
 以上の経緯によれば、原告は、国費留学生として来日し、勉学にいそしみ、業務に専念し、夫婦としてCと深い愛情に結ばれ、善良な市民として日本の社会に定着しており、原告とCとの仲を引き裂くのは、人倫に反し、正義の観念に著しく反するのであって、原告に在留特別許可を認めるべきである。
仮に、在留特別許可の制度において裁量権を認めるとしても、以上の事情によれば、被告東京入管局長は、原告が在留期間の経過によって不法滞在となったという形式的理由により本件裁決をしたもので、裁量権を逸脱又は濫用したものとして違法であることは明らかである。
 争点2(本件退令処分の適法性)について
本件退令処分は、本件裁決を前提とするものであり、本件裁決の違法性を承継している。
前記のとおり、本件裁決は違法であるから、本件退令処分も同様に違法である。
2 被告の主張
 争点1(本件裁決の適法性)について
 原告は、在留期限である平成一五年一月一九日を超えて本邦に不法に残留するものであり、入管法二四条四号ロに該当する。したがって、被告東京入管局長に対する異議の申出は理由がない。
 そもそも、国家は、外国人を受け入れる義務を国際慣習法上負うものではなく、特別の条約又は取り決めがない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを自由に決することができる。我が国は、国連移住労働者条約を批准していない。B規約は、一三条において法律に基づいて行われた決定によって外国人が強制退去されることを前提とした規定を設けていることからも明らかなとおり、外国人を受け入れるかどうか、及びこれを受け入れる場合にいかなる条件を付する
かは専らその国家の立法政策にゆだねられているという国際慣習法を前提とする条約であるから、B規約が憲法の諸規定による人権保障を超えた利益を保護するものではないことは明らかである。
また、憲法上も、外国人は、我が国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、在留の権利又は引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもない。我が国に適法に在留し、期間更新についても申請権も付与されている在留期間更新の許否についてさえ、我が国への入国・在留が憲法上当然に保障されたものではなく、国家の自由な裁量に任されていることに基づき、それを前提として入管法が立法されていることによるものと考えられ、更新事由の有無の判断は法務大臣の裁量に任されているとされているのであり、在留特別許可は、入管法上、退去強制事由が認められ退去されるべき外国人に恩恵的に与え得るものにすぎず、当該外国人に申請権すら認められていないものである。
そして、在留特別許可の許否を的確に判断するには、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制目的である国内の治安と善良な風俗の維持、保健・衛生の確保、労働事情の安定など国益の保持の見地に立って、当該外国人の在留中の一切の行状等の個人的な事情のみならず、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲など諸般の事情が総合的に考慮されなければならないのであり、このような見地から、入管法は、在留特別許可の付与を国内及び国外の情勢について通暁する法務大臣等の裁量にゆだねたものであり、この点からも、その裁量の範囲は極めて広範なものであることが明らかである。
以上のとおり、在留特別許可は、在留期間更新許可における法務大臣等の裁量の範囲よりも質的に格段に広範なものであるから、これを付与しないことが違法となる事態は容易に考え難く、極めて例外的にその判断が違法となり得る場合があるとしても、それは、在留特別許可の制度に設けられた入管法の趣旨に明らかに反するなど極めて特別な事情が認められる場合に限られる。
ア 原告は、本件裁決時には、Bと離婚しており、Bは中国に送還され、原告とBとの間の子であるFは中国に居住し、Cとは婚姻関係になかったのであるから、原告に対して在留資格を付与する理由は何らも存在せず、在留特別許可を与える前提を欠いていた。
イ 原告は、平成一四年二月二七日、Bと離婚して、入管法別表第一に定める在留資格「家族滞在」に該当しなくなったにもかかわらず、在留資格変更許可を受けることなく在留を継続し、また、Bは、同年一一月一五日、中国に強制送還されていたにもかかわらず、原告は、K社への就職が決まったとして、平成一五年一月一六日、在日親族欄にBの氏名を記入して在留資格変更許可を求める第二次申請をした。また、原告は、平成一四年一一月からK社において資格外活動の許可を受けることなく就労していた。以上のような在留状況に照らし、被告東京入管局長は、原告に対し、平成一五年二月二五日、提出書類の信ぴょう性に疑義が認められ在留状況が不良と認められることを理由に、第二次申請について不許可処分をしたのである。
この事実からすると、原告が善良な市民として日本の社会に定着していたなどとは到底いうことができない。
ウ 原告名義のみずほ銀行新宿西口駅前支店の預金口座(《口座番号略》)には平成九年五月九日から同年一二月一八日まで合計約四五一万円が入金されており、これは、原告が本邦において稼ぎ出したものであるが、これがすべて正業により得られたものとは考え難く、仮に、正業による収入であったとしても、原告が入管法一九条一項に違反して長時間労働していたことは明らかである。また、原告は、平成七年九月二二日から平成一〇年七月二七日まで、郵便局に約三〇〇万円もの貯金を有しており、これも正業による収入とは考え難く、仮に、正業による収入であったとしても、原告が入管法一九条一項に違反して長時間労働していたことは明らかである。
以上によれば、原告が、学生の当時、勉学にいそしんでいたということはできない。
エ I社は、原告が売上金の一部を着服したことを理由に、原告を解雇している。また、J社は、原告が会社に無断でテレホンカードを仕入れて販売しその利益を自分のものにしたり、虚偽の売上げを報告して売上金の一部を横領したりするなどして、会社に損害を与えたことを理由に、原告を解雇している。以上によれば、原告がまじめに稼働して、業務に専念していたということはできない。
オ 原告は、足にけがをして平成一四年八月二三日から同年九月一〇日まで休業したことを理由に損害保険会社から損害保険金として二〇万四三九七円の支払を受けている。しかし、原告は、休業期間中である同年八月二三日、同月二六日、同月二八日、同月二九日及び同月三〇日にそれぞれ出勤しており、五日分の損害保険金の支払を不正に受けたものと認められる。
B名義のシティバンク赤坂支店の口座には、平成一〇年六月二九日から同年九月三日までに約二九〇〇万円が入金されており、このうち一三〇〇万円が同年一〇月八日に原告名義のシティバンク池袋支店の口座に入金されている。この約二九〇〇万円が正業により得られたものとは考え難く、原告がこの金員の取得に全く関与していなかったとは考えられない。
以上によれば、原告の在留状況には問題があったというべきである。
カ ①原告は、東京入管入国警備官に対し、平成一五年三月一二日、本邦に在留を希望する理由について、本邦において仕事を続けたい旨供述し、Cとの同居を継続し婚姻を予定していることなど全く供述していないこと、②原告からCあての同月二一日付けの手紙の内容からすると、原告は、Cに結婚を求めたものの、Cがこれに応じなかったため、中国への帰国をほのめかしたことがうかがわれること、③原告は、同月二五日、東京入管入国審査官の違反審査において、本邦での在留を希望する理由について、日本の生活
に慣れたこと、今の会社の仕事が好きであることなどを挙げ、できればずっと日本にいたい旨供述し、Cについては「好きな人も日本にいる」という程度の供述であったことによれば、前記違反審査の時点までには、原告とCとの間に婚姻関係を形成する具体的な合意など存在しなかったものと認められる。
原告は、同年四月七日の口頭審理において、Cの立会いの下に、Cと婚姻してその面倒をみて支えていきたい旨述べ、同月二日又は同月三日に中国にいる母親に対し、婚姻手続に必要な書類を日本に送るよう依頼した旨述べていることからすれば、前記口頭審理の時点に至って、ようやく、原告とCとの間に婚姻関係を形成する合意が形成されたものというべきである。
したがって、収容される以前から原告とCとの間に婚姻の合意があったかのような原告の主張は、失当である。
キ ①原告は、前記口頭審理において、「本年二月以降収容されるまではほとんど同居している状態ですが、一日くらい自分の家に帰るときもありました。」旨供述しているが、Cは、同日、東京入管特別審理官から、原告と同居しているのかと問われて、「同居はしていません。週二、三日ぐらいでしょうか、仕事が遅くなったときには彼女の家に泊まり出勤しています。」旨述べて、明確に同居の事実を否定していること、②Cの自宅は、横浜市青葉区であり、勤務先は、東京の北青山であり、原告の住所は、東京都板橋区であることからすると、Cは、仕事で帰りが遅くなった際に自宅に帰らず、原告宅で寝泊まりしていたにすぎないものというべきである。
したがって、原告とCが同居していた事実はない。
ク Cは、東京入管特別審理官から、原告に生活費を支給しているのかと問われて、「たまにお米を買ってあげる程度で、家賃、光熱費、生活費の支給はしていません。」と述べ、原告も、「家賃と光熱費で月一〇万円くらいを私が自分で払っています。」と述べていることからすると、原告とCは、生計を別々にしていたというべきである。
ケ 仮に、原告とCが交際していたとしても、前記キ及びクの程度の交際関係があったというだけでは、本邦での在留を認めるべき特別な事情に当たるということはできない。
コ 原告がCと婚姻した事実は、本件裁決後の事情であり、これを本件裁決の適法性を判断するに当たってしんしゃくすることはできない。
サ 原告は、中国で出生し、同所で育ち、同所で教育を受け、同所で生活を営んできたものであって、本邦に入国するまで、我が国とは何ら関わりのなかった者である。そして、原告は、稼働能力を有する成人であるところ、中国には両親、弟及び子が居住しており、資産として約八〇〇万円があるというのであるから、中国に帰国したとしても、帰国後の生活に特段の支障があるとは認められない。
 以上によれば、原告について在留特別許可を付与しないことが在留特別許可制度に設けられた入管法の趣旨に明らかに反するなど極めて特別な事情があるとは認められないから、本件は、在留特別許可を付与しなかったことが例外的に違法となる場合にも当たらない。
 争点2(本件退令処分の適法性)について
被告主任審査官は、退去強制手続において、法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入管局長から「異議の申出が理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合、退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はない(入管法四九条五項)。したがって、前記通知があった以上、本件退令処分も適法である。

損害賠償等請求事件
平成13年(ワ)第17413号
原告:A・B、被告:国・トルコ航空会社・株式会社アイム・Cほか3名
東京地方裁判所民事第44部(裁判官:滝澤孝臣・脇由紀・大畠崇史)
平成16年10月14日

判決
主 文
一 被告アイム、被告C、被告D、被告E及び被告Fは、連帯して、原告らに対し、各一一〇万円及びこれに対する平成一二年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告国及び被告トルコ航空に対する請求並びに被告アイム、被告C、被告D、被告E及び被告Fに対するその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告らと被告国及び被告トルコ航空との間では、原告らの負担とし、原告らと被告アイム、被告C、被告D、被告E及び被告Fとの間では、これを三分し、その一を被告アイム、被告C、被告D、被告E及び被告Fの、その余を原告らの各負担とする。
四 この判決は、主文一項につき、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 原告らの請求
被告らは、連帯して、原告らに対し、各三六〇万円及びこれに対する平成一二年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、チュニジア国籍の原告らが、来日のため、被告トルコ航空の航空機に搭乗して新東京国際空港(現・成田国際空港。以下「成田空港」という。)に到着したが、上陸を禁止されたことから、
被告トルコ航空の航空機で送還されるまでの間、成田空港内の上陸防止施設で待機することになったところ、原告らを同施設に移送するまでの間、その警備を担当することになった被告アイムの従業員に警備料等の支払を要求され、暴行を加えられたうえ、金銭を強取ないし喝取されたと主張して、被告国に対しては、国家賠償責任、被告トルコ航空に対しては、民法七一五条の使用者責任、民法七〇九条の不法行為責任ないし原告ら主張の安全配慮義務違反、被告アイムに対しては、民法七一五条の使用者責任、その余の被告らに対しては、民法七〇九条、七一九条の共同不法行為責任をそれぞれ理由として、各三六〇万円及びこれに対する遅延損害金の連帯支払を求めている事案である。
第三 前提となる事実
本訴請求に対する判断の前提となる事実は、以下のとおりであって、当事者間に争いがないか、あるいは、括弧内に挙示する証拠ないし弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、この認定を妨げる証拠はない。
一 当事者その他の関係者
 原告らは、チュニジア共和国の国籍を有する男性である。
 被告トルコ航空は、トルコ共和国の国営に係る航空会社で、原告らが来日のために搭乗してきた航空機を運航し、また、上陸を禁止された原告らを送還するために搭乗した航空機を運航していたものである。
 被告アイムは、警備業、空港等における上陸を禁止された外国人(以下「上禁者」という。)の送迎、宿泊、食事等のサービス提供の請負業務などを業とする株式会社で、被告国ないし被告トルコ航空との関係はともかく、上陸を禁止された原告らが同空港内にある東京入国管理局成田支局(以下「入管成田支局」という。)特別審理官室から第二上陸防止施設に移送されるまでの間、その警備を担当していたものである。
被告Cは、本件当時、被告アイムの代表者であった。
被告D、被告E及び被告Fは、本件当時、被告アイムに勤務し、原告らの警備に従事していたものである。
なお、以下、被告アイム、被告C、被告D、被告E及び被告Fの五名を総称して「被告アイムら」と、そのうち、被告D、被告E及び被告Fの三名を総称して「被告Dら」という。
二 原告らの来日から送還までの経緯(乙一五)
 原告らは、平成一二年六月二〇日午前一〇時四五分、被告トルコ航空が運航するトルコ航空一〇二二便に搭乗してイスタンブールから成田空港に到着した。
 原告らは、同日午前一一時三〇分ころ、成田空港内の上陸審査ブースで審査を受け、入国審査官に対し、観光目的で二週間の滞在予定を告げた。原告らは、正規の旅券を所持していたが、所持金、宿泊施設の予定などの点から上陸条件に適合しないとして、上陸を禁止された。
そして、入管成田支局特別審理官室で特別審理官による審査を受けた後、退去命令を受けたため、異議申出の放棄書に署名して、同日午後一二時四〇分ころ、トルコ航空一〇二三便に搭乗して送還される予定となったが、原告らは、その直後に同便への搭乗を拒否し、同月二五日のトルコ航空一〇二三便で送還されるよう搭乗便の再指定が行われた。
 原告らは、再指定された搭乗便が出航するまでの間、その待機場所として、成田空港内の第二上陸防止施設を指定された。
そして、前記特別審理官室から指定された第二上陸防止施設に移送されるまでの間、原告らを警備することになった被告アイムの従業員である被告E及び被告Fに引き渡された。
 被告E及び被告Fは、原告らを警備員控室に連行したうえ、待機中の警備料、食事代などについて説明し、その支払を求めたが、原告らがこれに応じないため、第二上陸防止施設に移送することなく、成田空港内にある被告アイムの事務所に原告らを連行した。なお、その際、同事務所では、被告Dが執務していた。
 同事務所において、その経緯はともかく、被告アイムは、原告らから警備料等として各三〇〇ドルを取得することになった。 
 原告らは、同日午後五時五分あるいは同一六分、それぞれ被告アイムの事務所から第二上陸防止施設に移送され、同施設に入った。
 原告らは、翌日になって、被告アイムの従業員から各三〇〇ドルを強取ないし喝取されたとして告訴し、以後、成田空港警察署警察官による事情聴取が行われたが、被告アイムから各三〇〇ドルが返還されるという経緯を経た上、告訴を取り下げた。
 原告らは、同月二五日午後一時一〇分、前記再指定を受けたトルコ航空機一〇二三便に搭乗してイスタンブールに送還された。
三 上禁者の送還などに係る費用の負担
上禁者の送還などに係る費用の負担は、概略、以下のとおりとなっている。
 航空会社による負担
出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)五九条一項は、「次の各号の一に該当する外国人が乗ってきた船舶等の長又はその船舶等を運航する運送業者は、当該外国人をその船舶等又は当該運送業者に属する他の船舶等により、その責任と費用で、速やかに本邦外の地域に送還しなければならない。」と規定している(なお、上禁者は一号に該当する。)。
本件は、航空機に係る事案であるが、上禁者がその乗ってきた航空機でそのまま送還される場合は格別、次の便などで送還される場合には、我が国に一時的に滞在する結果となる。しかし、上陸を禁止されているので、上陸防止施設内等で送還されるまでの時間を過ごすことになるが、この場合には、法五九条三項により航空会社がその責任と費用の負担の一部を免除された場合を除き、原則として、その滞在などに要する費用も航空会社が負担することになる。
 上禁者による負担
航空会社は、上禁者に対して、その費用を求償し得る(例えば、運送約款で、求償権を留保するなどしている)のが一般的で、この場合には、最終的な費用負担者は上禁者ということになる。
もっとも、実際には、上禁者の警備を担当することになった警備会社において、上禁者に対して直接に警備料等を請求して、その支払を受けている場合が多く、上禁者がその支払を拒絶すれば、航空会社に請求することになるが、上禁者が支払えば、航空会社に請求することもなく、航空会社から上禁者に求償するといったこともない。
 本件において被告アイムが原告らから各三〇〇ドルを取得したのも、その当否はともかく、警備会社と上禁者との間の警備料等の請求・支払に関係して行われたものである。
四 国家賠償法六条の相互保障の有無(乙一六)
チュニジア共和国においては、日本人が訴訟において国家賠償請求を提起することに支障はなく、原告らの我が国における国家賠償請求訴訟の提起につき、国家賠償法六条の規定する相互保障上の問題はない。
第四 本件訴訟の争点
一 第一の争点は、被告Dらによる暴行及び金銭の強取ないし喝取の有無であるが、この点に関する当事者双方の主張は、要旨、以下のとおりである。
(原告ら)
 原告らは、被告Dらから暴行を受け、反抗を抑圧され、あるいは、畏怖して、前記各三〇〇ドルを強取ないし喝取されたものであるが、当該暴行及び金銭の強取ないし喝取(以下「本件加害行為」という。)の態様は、次のとおりであった。すなわち、 原告Aにつき被告F及び被告Eは、平成一二年六月二〇日午後四時一五分ころ、被告アイムの事務所において、原告Aに対し、警備料等の支払を求めたが、同原告がこれに応じないため、同事務所に同道した原告Bから引き離して事務所内の衝立内の打合せ用のスペースまで原告Aの両手を後ろ手にして絞り上げながら連行し、さらに、その支払を要求し、同原告の胸部を強く突き、顔面を突き、後頭部を壁に打ち付けるなどの暴行を加えたうえ、同原告の反抗を抑圧し、同原告のズボンのポケットから現金を取出して、三〇〇ドルを強取した。
 原告Bにつき
被告E及び被告Dは、同日午後四時二〇分ころ、原告Bに対しても、左腿部を蹴りつけ、手拳で殴りつけるなどの暴行を加え、同原告を畏怖させ、その所持していた財布を差し出させて、三〇〇ドルを喝取した。
(被告国)
原告ら主張の本件加害行為の事実については知らない。
(被告トルコ航空)
原告ら主張の本件加害行為の事実については知らない。
(被告アイムら)
 被告Dらの原告らに対する本件加害行為は否認する。
 原告ら主張の本件加害行為は、被告アイムを退職した元従業員などが同被告の営業を妨害しようと画策し、その事実が歪められて、問題化されているにすぎない。
 被告Dらは、原告らから、その了解の下に、警備料等の支払を受けただけであって、本件加害行為の事実はない。
二 第二の争点は、被告Dらの原告らに対する本件加害行為が認められる場合における被告らの損害賠償責任の有無であるが、この点に関する当事者双方の主張は、要旨、以下のとおりである。
(原告ら)
 被告アイムらにつき
ア 被告Dらは、原告らに対する直接の不法行為者であって、かつ、共謀して本件加害行為を行っているものであるから、民法七〇九条、七一九条に基づき、原告らに対する損害賠償責任がある。
イ 被告アイムは、被告Dらの使用者で、同被告らの本件加害行為は被告アイムの事業の執行について行われたものであるから、同被告らの使用者として、民法七一五条に基づき、原告らに対する損害賠償責任がある。
ウ 被告Cは、被告アイムの従業員に対し、従前から上禁者を同被告の事務所に連行して警備料等を徴収するよう指示していたものであって、被告Dらの原告らに対する本件加害行為もその指示の結果として行われたものであるから、同被告らとの共同不法行為者として、民法七〇九条、七一九条に基づき、原告らに対する損害賠償責任がある。
エ 仮に被告Cによる被告Dらとの共同不法行為が認められないとしても、被告Cは、被告アイムの従業員によって上禁者に対する暴行、警備料等の支払の強要などの加害行為が行われることがないように、従業員を指揮・監督する義務があったのに、これを怠ったため、被告Dらが原告らに対する本件加害行為を行うに至ったものであるから、民法七〇九条に基づき、自ら不法行為者として、原告らに対する損害賠償責任がある。
オ 因みに、上禁者の警備は、被告国の公権力の行使として行われるものであるが、原告らの警備を担当することになった被告アイムらを国家賠償法一条一項の公務員に相当すると認めるべきではなく、仮に公務員に相当すると認められる場合にも、被告アイムらには、故意又は重過失があるから、国家賠償法上の免責が認められるべきものではない。
 被告トルコ航空につき
ア 被告トルコ航空は、法五九条に基づき、上禁者となった原告らを送還する責務があるため、その送還までの警備を被告アイムに委託したが、両者の関係は、被告トルコ航空を使用者、被告アイムを被用者とみるべきものである。
イ 被告Dらの原告らに対する本件加害行為は、同被告らが被告アイムの事業の執行について行ったものであるが、これによる被告アイムの原告らに対する不法行為は、同被告が被告トルコ航空の業務の執行について行ったものというべきであるから、被告トルコ航空は、被告アイムの使用者として、民法七一五条に基づき、原告らに対する損害賠償責任がある。
ウ 仮に被告トルコ航空が使用者責任を負わないとしても、同被告は、上禁者に対する警備の関係では、被告アイムと実質的に一体と評価されるべき関係にあるから、自ら不法行為の主体として、原告らに対する損害賠償責任を負うべきである。
エ 仮に被告トルコ航空が不法行為責任を負わないとしても、同被告は、その責務で送還しなければならない上禁者に対する安全配慮義務を負っているというべきところ、原告らが被告Dらから本件加害行為を受けるに至ったのは、被告トルコ航空が当該義務に違反したからであって、その義務違反を理由として、原告らに対する損害賠償責任がある。
オ 因みに、被告トルコ航空は、同被告が上禁者の警備につき、不法行為責任を負う余地があるとしても、同被告の行為は、被告国が公権力の行使として行う上禁者の警備を被告国から委託されている関係にあるから、国家賠償法一条一項にいう公務員に相当するので、免責されると主張する。
しかし、同被告の地位が公務員に相当するものであったとしても、国家賠償法一条一項の適用上、公務員に故意又は重過失がある場合には、免責されないと解されるべきところ、本件において、被告トルコ航空には、故意又は重過失があるから、国家賠償法上の免責が認められるべきものではない。
 被告国につき
ア 成田空港における出入国の管理に関する事項は、入管成田支局の支局長の所管である。
イ 被告国は、同支局長を介して、上禁者の警備を担当する警備会社に対する指導・監督を適切に行い、警備会社の従業員による上禁者に対する暴行などの加害行為を防止すべき義務があったのに、入管成田支局長がこれを怠ったため、被告アイムの従業員である被告Dらの原告らに対する本件加害行為が行われるに至ったものである。
ウ 入管成田支局長の前記義務違反は、国家賠償法一条一項所定の公権力の行使に当たる公務員の不法行為に相当する。
エ したがって、被告国は、国家賠償法一条一項に基づき、原告らに対する損害賠償責任がある。
オ 因みに、被告トルコ航空は、同被告が上禁者の警備につき、不法行為責任を負う余地があるとしても、同被告の行為は、被告国が公権力の行使として行うべき上禁者の警備を被告国から委託されている関係にあるから、国家賠償法一条一項にいう公務員に相当するので、国家賠償法上の免責が認められると主張するが、同被告が免責されるとしても、それは、上禁者の警備が公権力の行使であるからであって、被告国が国家賠償法一条一項に基づく損害賠償責任を負うべきことに変わりはない。
(被告アイムら)
原告らの主張は争う。
(被告トルコ航空)
 被告トルコ航空は、トルコ共和国の国営企業・国策企業であって、同共和国の国家機関にほかならないから、いわゆる「主権免除」によって、日本国の裁判所の裁判権は及ばず、原告らの本件訴えは、不適法として、却下されるべきものである。
 仮に日本国の裁判所の裁判権が及ぶとしても、被告トルコ航空は、被告アイムが被告国(入管成田支局)の許可している警備会社であったから、被告アイムに原告らの警備を委託したものであって、他の警備会社を選択する余地はなく、また、被告アイムを指揮・監督する立場にもなく、同被告の不法行為につき、使用者責任を負うべき立場にはない。
また、被告アイムを指揮・監督していたのは被告国であるから、被告トルコ航空が被告アイムと一体として責任を追及される立場にもない。
原告らは、被告トルコ航空の原告らに対する安全配慮義務違反を主張するが、同主張も争う。
 因みに、被告国は、被告トルコ航空が法五九条などに基づき上禁者の警備についてもっぱら責任を負うものであるから、被告Dらの原告らに対する本件加害行為があったとしても、被告国が責任を負う余地はないと主張するが、上禁者の警備は、本来、被告国の公権力の行使として行われるべきものであって、被告トルコ航空は、そのような公権力の行使に係る上禁者の警備につき、被告国から委託されていた関係にすぎないから、国家賠償法一条一項にいう公務員に相当し、国家賠償法上の免責が認められるので、被告国が責任を負うべきものである。
反対に、上禁者の警備が被告国の公権力の行使として認められないとすれば、それは、トルコ共和国の公権力の行使として認められるべきものであって、この場合には、被告トルコ航空は、前記した主権免除によって、責任を負わないことになる。
(被告国)
 上禁者の送還及びそれまでの身柄の確保は、法五九条により、航空会社の責任とされているのであって、被告国が関係するものではなく、原告らが上陸禁止処分を受けてから送還されるまでの間の被告Dらの本件加害行為につき、被告国が損害賠償責任を負う余地はない。
 原告らは、入管成田支局長の被告アイムに対する指揮・監督に係る義務違反を問題にするが、その指揮・監督も被告トルコ航空が行っていたものであるから、同支局長の指揮・監督義務の懈怠を理由として、被告国が国家賠償責任を負うことはない。
三 第三の争点は、被告らの全部又は一部につき、損害賠償責任が認められる場合に、原告らが当該被告らに賠償を求めることができる損害の有無及び額であるが、この点に関する当事者双方の主張は、要旨、以下のとおりである。
(原告ら)
 原告らが被った損害は、本件加害行為に対する精神的苦痛に対する慰謝料として各三〇〇万円、本件訴訟の提起・追行のために要した弁護士費用として各六〇万円、以上合計各三六〇万円を下らない。
 よって、原告らは、被告Dらに対しては民法七〇九条及び七一九条、被告Cに対しては民法七〇九条及び七一九条、被告アイムに対しては民法七一五条、被告トルコ航空に対しては民法七一五条ないし民法七〇九条、被告国に対しては国家賠償法一条一項に基づき、各三六〇万円及びこれに対する本件加害行為が行われた日の翌日である平成一二年六月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
(被告ら)
原告らの主張は争う。
第五 当裁判所の判断
一 本件加害行為の有無及びその態様
原告らの本訴請求は、被告らの責任原因はさておき、被告Dらの原告らに対する本件加害行為を前提とするところ、その有無をめぐって、特に被告アイムらとの間で争いがあるので、まず、この点について検討する。
 原告Bは、本訴提起前の証拠保全手続における本人尋問において、本件加害行為につき、原告らの主張に沿う供述をし、要するに、原告らは、被告F及び被告Eによって被告アイムの事務所に連行され、原告Aは、被告F及び被告Eによって、原告Bは、被告D(同事務所で執務していた)及び被告Eによって、無理矢理に各三〇〇ドルを取られたものであるというのに対し、被告D及び被告Fは、当審における本人尋問において、被告アイムらの主張に沿う供述をし、要するに、本件加害行為の事実はなく、原告らは任意に各三〇〇ドルを支払ったものであって、それが本件訴訟のように問題となったのは、被告アイムを退職した元従業員などの画策で事実を歪められているかのようにいう。
 しかしながら、両者の供述を比較検討すると、まず、原告Bの供述については、以下の点を指摘することができる。すなわち、
ア 原告らの主張で本件加害行為を行った一人とされている被告Fは、本件訴訟前、テレビの報道番組のインタビューにおいて、平成一二年六月二〇日、被告アイムの警備員が原告Aを押さえつけ、殴って壁に頭を打ち付け、三〇〇ドルを取ったことがあるが、当該事件後、被告アイムからそのような暴行などはなかったとする旨の報告書を作成するよう言われたなどと回答していた(甲四、五、一九、被告F)。
被告Fは、本件訴訟に至って、前記インタビューの回答は、当時、同被告が前記事件に関する責任を一人で負わされそうになったことから、腹いせのため、噂を言ったにすぎないなどと供述しているが、同被告の前記インタビューの回答それ自体は、原告Bの供述に沿うものであって、同供述の信用性を高めるものということができる。
また、被告Fの供述の変遷についても、その供述するような理由から、前記インタビューの回答が同被告の真意ではなかったと認定するだけの信用性はないといわざるを得ない。
イ 被告E及び被告Fは、前提となる事実のとおり、原告らが警備料等の支払を拒絶した後、原告らを上陸防止施設に移送せず、上禁者を不法に上陸させることになり、連行することが許されない区域にある被告アイムの事務所に連行しているが、そのような法令に違反してまでも、被告アイムの事務所に原告らを連行しているのは、原告らからその拒絶している警備料等の支払を強要するためであって、そのために人目につかない同被告の事務所に連行したとみられても止むを得ない。
ウ 原告らは、被告Dらから警備料等の支払を請求されても、その支払を拒絶し、しかも、被告アイムの事務所に連行された後も、なおその支払を拒絶していたことは、被告F及び被告Dの供述からも認められるところであるのに、そのような態度から一転して、警備料等の支払を了解して各三〇〇ドルを支払ったというのは、被告Dらの説明に納得したからという余地がないわけではないが、被告D及び被告Fの供述によっても、原告らが納得して警備料等として各三〇〇ドルを支払ったというような状況は窺い知れず、反対に、同被告らの供述に照らしても、原告らは、その意に反して、各三〇〇ドルの支払を強要されたものと推認せざる
を得ないところである。
エ 被告Cは、その供述によると、平成一二年六月二三日に原告らと面会しているが、その際、原告らから身体の痛みを訴えられ、その後、原告らの告訴もあったためもあるが、原告らに対して各三〇〇ドルを返還しているところ、そのような対応も、原告らが被告Dらから、その程度はともかく、有形力の行使を受け、警備料等の支払を強要されたという前記推認に係る本件加害行為の存在を裏付けるものということができる。
オ 被告アイムにおいては、被告Cの供述によると、上禁者の警備料等につき、上禁者から直接に支払を受ける場合は、二万四〇〇〇円を取得していたが、航空会社に請求する場合は、被告トルコ航空に対しては、一万二〇〇〇円を請求していたというのである。被告Cの供述では、その差額につき、合理的な説明ができていないが、被告アイムが直接に上禁者から支払を受ける場合の単価計算と航空会社から支払を受ける場合の単価計算に勘違いがあるとしても、被告アイムの従業員においては、上禁者から警備料等の支払を受けるほうがより多くの収益を得ることができるものと受け止めていて、この点が、上禁者から支払を受けるためには、上禁者を連行してはならない被告アイムの事務所に連行し、長時間に及ぶ請求を続け、その支払を強要する事態に至る原因となっていた可能性を否定することができない。
 これに対し、被告D及び被告Fの供述については、以下の点を指摘しなければならない。すなわち、ア 被告Fは、原告らが立ち上がろうとするのを押さえようとしただけであるなどと供述するが、他方で、その押さえ方がやりすぎたかも知れない旨の供述をし、また、原告らが被告Dらに理解できない言語で会話していたことなどから、同被告自身が感情的になっていたことを認めているのである。
イ 被告Dも、また、暴行などは否定しているが、結局のところ、その程度問題であるかのような供述をしているばかりでなく、警備料等の支払を拒絶していた原告らが、被告アイムの事務所に連行された後、一転してその支払に応じたという理由を尋ねられると、言葉に窮している。
 以上説示したところを総合すれば、原告Bの供述は、これを採用し得るが、被告D及び被告Fの供述を採用するのは困難というほかなく、要するに、被告F及び被告Eは、上禁者となった原告らから警備料等の支払を得るため、仮に任意の支払であれば問題がなかったとしても、上禁者を連行してはならない区域にある被告アイムの事務所に原告らを連行したうえ、被告F及び被告Eは、原告Aに対し、被告D及び被告Eは、原告Bに対し、それぞれ任意の支払を求めたというには、前提となる事実からも窺われる時間的な経過からみても、その限度を超え、しかも、原告らの身体に対する有形力を行使して、原告らから各三〇〇ドルを取得したものであって、これを刑法にいう「強取」ないし「喝取」と評価するか否かはともかく、原告らの意思に反して当該金銭を取得したことそれ自体は否定し得ないところである。
 被告アイムらは、本件加害行為が被告アイムを退職した元従業員などが同被告の営業を妨害しようと画策したものであるかのようにいうが、前記認定の態様に係る本件加害行為それ自体は、少なくとも同被告らの主張する画策などが入り込むの余地のない、動かし難い事実であって、これに反する被告アイムらの主張を採用する余地はないといわなければならない。
二 上禁者の取扱いと被告らの立場
被告Dらの本件加害行為が事実として存在したことは、前記認定のとおりであるが、当該事実を前提に、被告らの損害賠償責任の有無を検討するためには、上禁者の取扱いにつき、被告らがどのような立場で関与しているのかを理解しておく必要があるので、次に、この点について検討する。
 被告国の関与について
ア まず、被告国についてみると、外国人に対し、入国を許可するか否かを決定するのが国家の権力作用として行われるものであることはいうまでもないところである。
イ しかるところ、外国人が上陸を禁止された場合の当該上禁者の送還についてみると、法五九条によれば、前記のとおり、上禁者を搭乗させてきた航空会社が、その責任及び費用で、上禁者を送還する責務を負う旨が規定されているのであって、証拠(乙二二)及び弁論の全趣旨によれば、そのような取扱いは、我が国に限らず、国際社会において、その態様に差異はあっても、一般的に承認されている慣行に裏付けられたものであると認めることができ、そのような取扱いを国家の権力作用としてみるべきものではないと解される。
この点につき、原告らは、上禁者の取扱いにつき、被告国が単に上陸を禁止すれば足りるという問題ではなく、上禁者を送還することも、本来、出入国管理に係る問題として、我が国の権力作用として行われるべきものであって、現に、外国にあっては、国家の権力作用として、上禁者の送還を行っている場合もあるなどと主張して、また、被告トルコ航空は、上禁者の身柄の確保は、本来、国家の権力作用として行われるべきものであって、法五九条にいう「送還」に上禁者の身柄の確保を含めるのは、拡大解釈として許されないなどと主張して、その立場は異なるが、前記の取扱いを国家の権力作用とみるべきであるという。
しかしながら、外国の法制において、上禁者の取扱いを国家の権力作用として位置づけている場合があるからといって、前掲証拠によれば、我が国のように上禁者の送還を航空会社の責任として位置づけることも一つの法制として国際的に承認されているということができるから、このような場合に、航空会社の責任とされた上禁者の送還を我が国の権力作用とみるのは相当でなく、上禁者の送還は、我が国ないし我が国と同じ法制の外国においては、国家の権力作用として行われるものではなく、航空会社がその運送業務の一環として行うことが予定されているというべきである。
ウ また、上禁者の送還が航空会社の運送業務の一環として行われるといっても、航空会社が上禁者を送還するまでの間に時間を要する場合が想定されるところ、この場合における送還までの間の上禁者の身柄の確保も、送還が航空会社の責務である以上、航空会社が行うべきものである。
この場合に、上禁者が送還されるまでの間に逃亡して我が国に上陸することがあってはならないことはいうまでもないが、そのことから、逃走した上禁者を不法入国者としてその身柄を拘束する場合とは異なり、航空機に搭乗して来日した上禁者の送還されるまでの間の身柄の確保を我が国の権力作用としての身柄の拘束とみるべきものではない。
したがって、外国人の入国を許可するか否かが国家の権力作用であるとしても、現在の国際慣行をみると、我が国のような法制も承認されているのであって、この場合における上禁者の取扱いは、これを国家の権力作用とみるべきものではなく、上禁者の送還については、送還までの間の身柄の確保を含め、基本的に航空会社がその運送業務の一環として行い、被告国は、上禁者の取扱いに従事する業者等の許認可業務についてはともかく、その取扱いそれ自体に責任を負うものではないというほかない。 
 被告トルコ航空の関与について
ア これに対し、被告トルコ航空は、前記説示したところから、上禁者の送還について責任を負うべきものであって、かつ、それは、現在の国際社会における航空会社の運送業務の一環として行われるべきものである。
イ この点につき、被告トルコ航空は、上禁者の送還には、身柄の確保といった国家の権力作用は含まれないといい、また、反対に、上禁者の送還も、国家の権力作用であって、被告国が我が国の権力作用であることを否定するのであれば、それは、とりもなおさず、トルコ共和国の権力作用であるから、主権免除が認められるべきであるという。
ウ しかしながら、前者については、前記説示したとおりであって、身柄の確保と拘束とは区別して理解すべきものであるから、その限りで、首肯し得るが、後者については、上禁者の送還を権力作用とみること自体が首肯し得ないし、また、我が国の権力作用でないとすれば、トルコ共和国の権力作用であるようにいうのは、主権免除に対する判断はともかく、上禁者が搭乗した航空機が民間の航空会社である場合などを想定すれば、到底採用し得ないものといわざるを得ない。
 被告アイムの関与について
被告アイムは、前記のとおり、空港等における上禁者の送迎などの業務を行っているが、実際の業務の遂行は、上禁者を送還する航空会社から委託を受けて、その送還までの身柄の確保のための警備などに従事しているものである。
三 本件加害行為に対する被告らの責任
そこで、上禁者の取扱いにおける被告らの関与の態様を前提に、本件加害行為に対する被告らの損害賠償責任の有無について検討する。
 被告Dらにつき
ア 被告Dらの本件加害行為は、各原告から警備料等を徴収することを目的に行われたものであったが、前記のとおり、上禁者を連行することが許されない被告アイムの事務所に連行された原告らに対し、任意の支払を説得するなどといった限度を超え、かつ、有形力の行使によって、各原告からその意思に反して金銭を取得したものであって、これが不法行為に該当することは明らかである。
イ そして、これらの行為は、原告らいずれに対するものも、被告アイムの事務所において同時に、被告Dらが互いにその行動を認識しながら行われたものであって、共同不法行為に当たるというべきである。
ウ なお、被告Dらの本件加害行為は、前記した上禁者の取扱いの過程で行われたものであるが、同被告らは、被告トルコ航空から上禁者の警備の委託を受けた被告アイムの従業員として原告らの警備に当たったにすぎず、同被告の業務それ自体を公権力の行使とみるべきものではないから、被告Dらが、本件加害行為につき、国家賠償法一条一項にいう公務員に相当するとして、国家賠償法上の免責が認められる余地はない。
 被告アイムにつき
ア 被告Dらは、被告アイムの被用者であって、被告Dらの警備料等の徴収は、被告アイムの事業の執行について行われたものであるから、被告アイムがその選任・監督につき相当の注意を払ったものと認めるに足りる証拠もない本件において、被告アイムは、被告Dらの本件加害行為につき、民法七一五条の使用者責任を負うべきものである。
イ なお、被告アイムが業として行っていた原告らの警備は、被告国から指定された第二上陸防止施設に移送するまでの間に行われるものではあるが、航空会社がその責務として行う上禁者の送還までの間の身柄の確保のためのものであって、前記説示のとおり、その警備それ自体を公権力の行使というのは相当でないから、被告アイムが国家賠償法一条一項にいう公務員に相当するとして、国家賠償法上の免責が認められることもないというべきである。
 被告Cにつき
ア 被告D及び被告Fの供述によれば、被告アイムの従業員は、警備料等の支払を拒絶する上禁者に対し、従前から上禁者を連行することができない区域にある被告アイムの事務所に連行したうえ、一時間ないし二時間にも及ぶ長時間の請求を行っていたことがあったというのであって、本件加害行為も、いわばその一環として、被告Dらにおいて、特に躊躇することもなく行われていたとみなければならない。
イ しかるところ、被告Cの供述によれば、同被告は、上禁者が被告アイムの事務所に何度か連れて来られていたところを見たことがあると認められるばかりでなく、航空会社に対して警備料等を請求する場合は一万二〇〇〇円であるのに対し、被告アイムが自ら上禁者に請求して支払を受ける場合には二万四〇〇〇円であるというように、警備料等の額に相違があるため、被告アイムの従業員において、上禁者に請求して支払を受けるほうが会社の利益になるという認識から、いきおい警備料等の支払を拒絶しようとする上禁者に対し、前記認定のとおり、長時間に及ぶ請求をして、その支払を強要したとしかいいようのない事態に至っていると認められるのである。被告アイムでは、できる限り上禁者から直接警備料等を徴収するような雰囲気があったという被告Fの供述も、これを裏付けるものである。
ウ 被告Cは、前記供述に照らしても、被告アイムの事務所において、その従業員が上禁者から警備料等の支払を強要する事態に至っていることは、認識していたか、認識し得たというべきである。
この点につき、被告Cは、上禁者に対して暴力を用いてでも警備料等を徴収せよとの指示を出したことはなく、また、被告Dらほかの従業員が被告アイムの事務所に上禁者を連行したうえ、警備料等の支払請求をしていたことは知らなかったなどと供述するが、少なくとも被告Cが被告Dらほかの従業員が上禁者を被告アイムに連行したうえ、警備料等の支払請求をしていたことを知らなかったとはいえない。
被告Fの供述のうちには、本件訴訟前の発言を本件訴訟後に翻すなど、不自然なところもないわけではないが、以上の認定判断を妨げるものではない。
エ したがって、被告Cとしては、被告アイムの従業員に対し、上禁者を同被告の事務所に連行することが許されないことを徹底し、警備料等の支払を強要する事態に至るようなことは絶対に禁止するよう指示すべきであったのに、これを怠ったというべきであって、そのような被告Cの注意義務違反は、それ自体が不法行為を構成し得るものと解されるから、被告Dらの本件加害行為と共同不法行為の関係に立つというべきである。
オ なお、被告Cについても、国家賠償法一条一項にいう公務員に相当するとして、国家賠償法上の免責を認める余地がないことは、被告Dらないし被告アイムについて説示したところと同様である。
 被告トルコ航空につき
ア 主権免除の有無について
被告トルコ航空がトルコ共和国の国営会社であることについては特に争いがないところ、そのことから、被告トルコ航空は、同社がトルコ共和国の国家機関であって、主権免除により、我が国の裁判所の裁判権が及ばないかのように主張する。
しかしながら、被告トルコ航空がトルコ共和国の国営会社であるとしても、上禁者の取扱いにおける航空会社の関与の態様は、前記説示したとおりであって、航空会社の運送業務の一環として位置づけられるものであるから、これをトルコ共和国の国内における行政行為、立法行為、軍隊に関する行為、外交活動に関する行為、公的債務に関する行為など、いわゆる主権的行為が問題とされている場合とみるべきものではなく、主権免除の対象となるものではないので、上禁者の送還の際の加害行為が問題となっている本件については、被告トルコ航空の損害賠償責任の有無ないし帰すうはともかくとして、我が国の裁判所の裁判権が及ぶといわなければならない。
イ 使用者責任の有無について
① 原告らは、被告トルコ航空の損害賠償責任として、まず、被告アイムに対する使用者責任を主張するところ、被告アイムが本件加害行為について損害賠償責任を負うべきことは、前記説示のとおりである。
② そこで、被告トルコ航空と被告アイムとの関係をみると、証拠(証人G)及び弁論の全趣旨によれば、被告トルコ航空に限らず、航空会社は、上禁者を送還することになった場合に、その送還までの間、上禁者を上陸防止施設で警備などする必要があるが、自らその警備に当たることは困難である。そこで、警備会社に委託するのが一般的であるが、航空会社から上禁者の警備を委託された警備会社は、自らの業務としてその警備に当たるものと解されるから、航空会社と警備会社との間に、民法七一五条所定の使用者責任を認め得るに足りる指揮・監督関係はないものといわなければならない。
この点につき、原告らは、上禁者の送還は、航空会社の責務であって、これを警備会社に委譲することは許されないのであるから、航空会社と警備会社との間には、指揮・監督関係が認められて当然であるかのように主張する、しかしながら、上禁者の送還が航空会社の責務であることと、その責務を果たすために警備会社に上禁者の警備を委託する場合の同社との間の指揮・監督関係とは、別個の問題であって、警備会社の利用が一般的に認められている場合には、航空会社と警備会社との間に指揮・監督があるとまでいうことはできない。
③ したがって、被告トルコ航空が被告アイムの使用者として、同被告の従業員が行った本件加害行為につき、損害賠償責任を負うべきであるという原告らの主張は、その前提を欠き、採用することができない。
ウ 不法行為責任の有無について
① 原告らは、被告トルコ航空の損害賠償責任として、同被告自らの被告アイムと一体となった不法行為を主張するところ、証拠(被告C、被告F、被告D、証人G)によれば、被告トルコ航空は、上禁者の警備を被告アイムに毎回依頼し、同被告は、被告トルコ航空から警備料等の支払を受けていたというほか、被告トルコ航空は、被告アイムが自ら上禁者から警備料等を徴収することがあったことも認識していたことが認められ、その場合には、被告トルコ航空が被告アイムに警備料等を支払うことはなく、被告アイムが上禁者から警備料等を徴収することは被告トルコ航空の利益になっていたといえなくもない。
② しかしながら、被告トルコ航空が負担する上禁者の警備料等は、最終的には、上禁者に対する求償が可能であって、警備会社が上禁者から徴収したからといって、被告トルコ航空の利益は、警備会社に対する支払と上禁者に対する求償を免れるというにとどまり、警備会社との一体性を認めるのは困難である。そして、それ以上に、被告トルコ航空において、被告アィムの従業員が上禁者を同被告の事務所に連行して、警備料等の支払をいわば強要していたことなどを認識したうえ、同被告に原告らの警備を委託したとまで認めるに足りる証拠はない。
③ したがって、被告トルコ航空と被告アイムとが一体となって不法行為責任を負うという原告らの主張も採用し得ない。
エ 安全配慮義務違反について
① 原告らは、被告トルコ航空の原告らに対する安全配慮義務違反も主張するが、上禁者の取扱いをめぐる航空会社と警備会社との前記関係に即してみれば、航空会社が警備会社の上禁者に対する警備に問題があって、上禁者の生命・身体などに危害が加えられるおそれがあることを認識し、かつ、その認識に従い、警備会社を別の警備会社に変更し得る状況であったにもかかわらず、前記のおそれがある警備会社に上禁者の警備などを委託したといった特段の事情のある場合は格別、そうでない限り、上禁者に対する安全配慮義務を負うものではないというべきである。
② しかるところ、本件各証拠によっても、被告トルコ航空において被告アイムがその事務所に上禁者を連行し、長時間にわたり警備料等の支払を要求するなど、上禁者の警備などに前記した危険があることを認識し、あるいは、認識し得たというような事情は窺われない。
③ したがって、被告トルコ航空の安全配慮義務違反をいう原告らの主張も、本件においては、これを採用することができない。
 被告国につき
ア 上禁者の送還については、前記説示したとおり、その送還までの間の警備(身柄の確保)を含め、権力作用ではなく、基本的に航空会社に責任があるのであって、その警備中に生じた本件加害行為につき、被告国が国家賠償法一条所定の損害賠償責任を負う余地は原則としてないというべきである。
イ もっとも、送還及び送還までの警備が権力作用ではなく、基本的に被告国の責任によるものでないとしても、被告国が上禁者の送還及び送還までの警備について、航空会社ないし航空会社から委託を受ける警備会社に対して、何らかの関与をし、その関与を通じて航空会社ないし航空会社から委託を受ける警備会社が問題のある行動を取ったときにこれを是正する義務があるということができ、かつ、当該義務違反が認められる場合には、なお、その限りで公権力の行使としての、原告の主張する入管成田支局長の被告アイムに対する指揮・監督に係る義務違反を理由とする被告国の責任が問題となる余地がある。
ウ そこで、前記見地から入管成田支局長の義務違反の有無について検討すると、被告アイムが成田空港内でその業務を行うために入管成田支局ないし関係機関から当該業務自体に対する許認可を受ける必要があって、かつ、許認可を受けているのか否かは、本件証拠からは明らかではない。
しかしながら、弁論の全趣旨によると、少なくとも、本件において、被告アイムが上禁者となった原告らを入管成田支局特別審理官室から第二上陸防止施設に移送する業務を行い得るのは、同被告が入管成田支局ないし同支局長から「審査場立入許可証」の交付を受けているからであって、同許可は、所定期間ごとに更新されていることが認められ、当該許可がなければ、成田空港の審査場に立入りが許されない以上、被告アイムが業務を遂行することはできないのであって、その意味で、被告アイムの業務の遂行に被告国も関与しているというべきである。
そうとすれば、被告国は、被告アイムに対して審査場に立ち入ることを許可する限りにおいて、同被告が問題となる行動を取ったときに、この許可を取り消すことによって、その行動を是正する義務が生ずる余地があるということができる。
エ しかしながら、本件において、入管成田支局ないし同支局長が被告アイムに対して前記許可を取り消すべきであったというためには、被告アイムに対する許可を取消してまで、同被告が上禁者の警備に当ることを回避する必要があったということができるような、その権限行使が制限されるべき事情が必要といわなければならない。
しかるところ、本件では、上禁者から入管成田支局に対し、警備会社の警備員から暴力を振るわれたなどの苦情が寄せられたことがあることが認められないわけではないが(証人H)、入管成田支局において、その実態を調査しても、そのような事実は認められなかったというのであるし(前同)、また、当該苦情の真偽を検討するに足りる証拠も提出されていない。
証拠(甲二二)によれば、上禁者から入管成田支局に被告アイムの取扱いをめぐって苦情が寄せられたことがあることも認められるが、当該証拠に照らすと、一面的ともみられる言い分であって、その真偽のほども判然としないというほかない。さらに、被告アイムに上禁者が引き渡された後、上陸審査事務室から数メートル離れた第二上陸防止施設などに一時間も遅れて上禁者を被告アイムが連行することがあったことを入管成田支局も認識していたことが窺えなくもないが(前記証人H)、このことから、直ちに被告アイムが上禁者を同被告の事務所に連行して長時間に及ぶ警備料等の支払請求をしていたとまで認識し得たはずであると
いうこともできない。
以上、要するに、本件加害行為が発覚する以前において、入管成田支局長が被告アイムに対する前記許可を取り消すべきであったとまでいうのは困難であって、本件加害行為が発覚した後にも、被告アイムの業務態勢が改善されず、再び本件加害行為のような加害行為が行われたという場合であればともかく、少なくとも本件については、入管成田支局ないし同支局長の義務違反それ自体を認めることができないといわざるを得ない。
オ したがって、被告国についても、その損害賠償責任をいう原告らの主張を採用することはできない
四 原告らの被った損害の有無及びその額以上説示したところによれば、被告Dらの本件加害行為につき、原告らに対して損害賠償責任を負うのは、被告アイムらに限られる。
 本件加害行為によって原告らが精神的な苦痛を被ったことは推認するに難くないところ、その苦痛を慰謝するに足りる金員は、本件に現れた諸事情を勘案すると、各一〇〇万円をもって相当と認める。
 また、本件加害行為と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害は、本件訴訟の難易、審理経過、前記認容額などを考慮すると、各一〇万円をもって相当と認める。
五 よって、原告らの本訴請求は、被告アイムらに対して前記説示した各一一〇万円及びこれに対する本件加害行為の行われた日の翌日である平成一二年六月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これを認容し、被告国及び被告トルコ航空に対する請求並びに被告アイムらに対するその余の請求をいずれも失当として棄却し、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分取消請求事件
平成15年(行ウ)第91号
原告:A、被告:法務大臣
大阪地方裁判所第7民事部(裁判官:川神裕・山田明・芥川朋子)
平成16年10月19日
判決
主 文
1 被告が原告に対し平成15年10月17日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)24条4号イ所定の退去強制事由に該
当するとして被告から退去強制令書の発付処分(以下「本件処分」という。)を受けた原告が、同
退去強制事由に該当しないから本件処分は違法であるとして、本件処分の取消しを求めている事
案である。
2 争いのない事実等
 当事者
原告は、《日付略》に中華人民共和国(以下「中国」という。)山東省青州市で出生した中国国
籍を有する外国人の女性である。
 原告の入国及び在留経過等
ア 原告は、平成13年11月26日、学校法人B学校校長Cを代理人として、法務大臣に対し、法
7条の2第1項に基づき、在留資格認定証明書の交付を申請した(乙1)。法務大臣は、平成
14年2月28日、同申請に基づき、原告に対し、在留資格「就学」に関して在留資格認定証明
書を交付した(乙2)。
イ 原告は、同年3月17日、在北京日本国領事館から日本国査証の発給を受け、同年4月9日、
関西国際空港に到着し、大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)関西空港支局入国審査
官に対し、上陸許可申請を行い、同日付けで、同審査官から、在留資格を「就学」、在留期間を
1年とする上陸許可を受け、本邦に上陸した(乙10)。
ウ 原告は、本邦上陸後、和歌山市《住所略》に居住し、B学校に入学し、平成15年3月14日、
同校指定の上級課程を修了した(乙3、10)。
エ 原告は、同月25日、京都市《住所略》(賃貸アパート)に居住地を変更し(乙4、10)、同月
- 2 -
26日、D大学(以下「本件大学」という。)学長により、同年4月1日から本件大学経済学部
への入学を許可され、現在、同学部経済学科に在学している(乙5、6)。
オ 原告は、同年3月27日、大阪入管京都出張所において、法務大臣に対し、在留資格を「就
学」から「留学」へ変更する在留資格変更の許可申請を行い、法務大臣から権限の委任を受け
た大阪入国管理局長は、同年4月14日、原告に対し、在留資格を「留学」、在留期間を2年と
する在留資格の変更を許可した。同許可による在留期限は、平成17年4月9日である(乙7、
10)。
カ 原告は、平成15年5月8日から同年6月19日までの間、京都市《住所略》所在の社交飲食
店中国クラブE(以下「本件クラブ」という。)において、「F」の名前でホステスとして稼働
していた(乙8、21)。
 本件処分に至る経緯等
ア 京都府警察本部生活安全特別捜査隊警察官は、平成15年6月19日、本件クラブを強制捜査
し、原告を含め「留学」等の在留資格でありながら本件クラブで稼働していた中国人ら11名
を法73条に定める19条1項違反容疑により在宅捜査の対象とした。原告は、京都地方検察庁
に書類送検され、同年7月31日、法70条1項4号の罪について不起訴処分(起訴猶予)とな
った(乙8ないし11)。
イ 大阪入管入国警備官は、同年8月20日、原告が法24条4号イ(資格外活動)に該当すると
疑うに足りる相当の理由があるとして、被告から収容令書の発付を受けた上、同月21日、同
収容令書を執行し、原告を入国者収容所西日本入国管理センター(以下「西日本入国管理セ
ンター」という。)に収容し、大阪入管入国審査官に引渡した(乙13)。 
ウ 大阪入管入国審査官は、同月26日、原告について審査した結果、原告が法24条4号イに該
当すると認定し、その旨を原告に通知したところ、原告は、同日、口頭審理の請求をした(乙
15、23)。
エ 大阪入管特別審理官は、原告に対し口頭審理を実施した結果、同年9月3日、入国審査官
の上記認定には誤りがない旨判定するとともに、その旨を原告に通知したところ、原告は、
同日、法務大臣に対し異議の申出をした(乙16、17)。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた大阪入国管理局長は、原告に対し、同年10月17日、原告
の異議の申出は理由がない旨の裁決をした。被告は、同日、原告にその旨通知するとともに、
同日付けで退去強制令書を発付し(本件処分)、大阪入管入国警備官は、同日、退去強制令書
を執行した(乙18、19)。
カ 原告は、同月25日、本件訴訟を提起するとともに本件処分の執行停止を申し立て(《事件番
号略》)、同年12月1日付けで収容部分を含めて執行を停止した決定により、同月2日に西日
本入国管理センターを出所した(乙31)。
3 争点及び当事者の主張
 退去強制令書発付処分(以下「退令処分」という。)の取消訴訟において主張できる違法事由
- 3 -
(被告の主張)
法47条2項所定の入国審査官の認定は、退去強制の要件である退去強制事由を認定するもの
であり、法48条1項は、同認定に対し、口頭審理の請求という不服申立権を容疑者に与えてい
るから、同認定には処分性が認められる。そして、法49条1項による異議の申出に理由がない
旨の法務大臣の裁決の取消訴訟については、原処分主義(行政事件訴訟法10条2項)の適用が
あり、裁決の取消訴訟において、同認定処分の違法事由を主張することはできない。さらに、同
認定処分に対して不服申立てによる権利救済の道が設けられている以上、同認定処分と裁決よ
り更に後続処分である退令処分との間に違法性の承継は認められず、法24条4号イに該当する
との認定の誤りは退令処分の取消事由になり得ない。
本件において、原告は、専ら大阪入管入国審査官の認定の違法のみを主張し、本件処分固有
の違法事由を主張していないから、原告の請求は理由がない。
(原告の主張)
法49条5項の法務大臣の裁決は、退令処分に先立つ行政庁内部の決裁行為にすぎず、処分性
を有しないから、行政事件訴訟法10条2項にいう「裁決」に当たらない。よって、法24条各号
の該当性は、本来的に退令処分の取消訴訟において争うべきである。仮に、法務大臣の裁決が
処分性を有するとしても、法24条各号の該当性は退令処分自体の固有の要件であるから、退令
処分の取消訴訟においてその要件の欠缺を争うのは当然であって、違法性の承継の問題はそも
そも生じない。さらに、仮に、違法性の承継の問題であるとしても、入国審査官の認定から特別
審理官の判定、裁決を経て退令処分に至る手続は特定の外国人の退去強制へ向けられた一連の
手続であるから、当然違法性は承継されるべきものである。
 法24条4号イの「専ら行っている」の該当性
(被告の主張)
ア 「専ら行っている」とは、当該資格外活動の内容、活動の継続性、有償性、その本来の在留
資格に基づく活動をどの程度行っているかなどを総合的に判断して、外国人の在留目的の活
動が変更したと認められる程度に資格外活動を行っていることをいう。
イ 原告は、平成15年5月8日から同年6月19日までの間、おおむね週に3日の割合で合計17
日間にわたり、午後8時30分ころから翌午前1時30分ないし午前3時ころまで、本件クラブ
でホステスとして稼働しており、本件大学における授業時間よりも多くの時間を資格外活動
に費やしていたのであるから、資格外活動が原告の勉学に影響を与えなかったということは
できない。また、原告は、本件クラブ以外にも、同年4月21日から、「G」においてアルバイ
トをしており、同年5月には合計82.25時間稼働し、6万8267円の収入を得ていた。これら
の事情等からすれば、原告の活動は、アルバイトの域を逸脱し、本邦での就労活動による報
酬によって生活費や学費を支弁していたのであって、在留目的の活動が就労活動に変更され
ていたものといえる。
(原告の主張)
- 4 -
ア 「専ら行っている」の要件は、退去強制という重大な不利益処分の構成要件であるから、通
常の理解力を有する人が通常理解する語義に解釈されるべきであり、不利益処分を受ける者
にとって不利な方向への拡大解釈は許されない。したがって、「専ら行っている」とは、当該
外国人の活動のすべての部分が資格外活動だけで占められているということであり、留学と
いう在留目的は仮装にすぎず、何ら実質を伴わないものであることが明らかな場合をいう。
イ 仮に、「専ら行っている」の解釈を被告主張のとおりに解したとしても、原告は本件大学に
おいて真面目に授業を受け、学期試験に合格し、単位を取得している。原告が本件クラブで
稼働していた金曜・土曜の翌日は本件大学における授業がなく、木曜の稼働についても、翌
日の金曜の授業への出席状況や成績からすれば、原告の勉学に支障があったとはいえない。
また、被告は本件クラブ以外にも「G」で働いていたことなどの事情から、原告の在留目的の
活動が就労に変更されていたと主張するが、原告がアルバイトで得た収入は、学費及び生活
費等の必要経費の36パーセント弱にすぎず、原告の貯蓄額も外国人留学生が通常有する相当
額にとどまるものであるから、被告の主張は失当である。
したがって、原告の在留目的の活動が留学から就労に変更したとはいえず、「専ら行ってい
る」の要件を満たさないから、本件処分は違法であって、取消しを免れない。
第3 当裁判所の判断
1 争点(退令処分の取消訴訟において主張できる違法事由)について
 入国警備官は、法24条各号の一に該当すると思料する外国人(以下「容疑者」という。)につ
き違反調査をすることができ(法27条)、容疑者が法24条各号の一に該当すると疑うに足りる
相当の理由があるときは、収容令書により、その者を収容することができる(法39条1項)。
入国警備官から容疑者の引渡しを受けた入国審査官は(法44条)、容疑者が法24条の各号の
一に該当するかどうかを審査し(法45条)、審査の結果、法24条各号に該当しないと認定した
ときは、直ちに容疑者を放免しなければならないが(法47条1項)、法24条各号の一に該当す
ると認定したときは、主任審査官及び容疑者にその旨を知らせなければならない(法47条2
項)。通知を受けた容疑者は、入国審査官の認定に異議があるときは、3日以内に特別審理官に
対し口頭審理の請求をすることができる(法48条1項)。容疑者が上記認定に服したときは、主
任審査官はすみやかに退去強制令書を発付しなければならない(法47条4項)。
口頭審理の請求があった場合、特別審理官は、口頭審理の結果、上記認定が事実に相違する
と判定したときは、直ちに容疑者を放免しなければならないが(法48条6項)、上記認定が誤り
がないと判定したときは、主任審査官及び容疑者にその旨を知らせなければならない(同条7
項)。通知を受けた容疑者は、上記判定に異議があるときは、3日以内に法務大臣に対し異議を
申し出ることができる(法49条1項)。容疑者が上記判定に服したときは、主任審査官はすみや
かに退去強制令書を発付しなければならない(法48条8項)。
異議の申出があったときは、法務大臣は、同申出が理由があるかどうかを裁決して、その結
果を主任審査官に通知しなければならないが(法49条3項)、異議の申出が理由がないと認め
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る場合でも、容疑者が法50条1項各号の一に該当するときは、在留を特別に許可することがで
き、その許可は異議の申出が理由がある旨の裁決とみなされる(同条1項、3項)。法務大臣が
異議の申出が理由があると裁決した場合、その通知を受けた主任審査官は容疑者を放免しなけ
ればならないが(法49条4項)、異議の申出が理由がないと裁決した場合は、その通知を受けた
主任審査官は、すみやかに容疑者に知らせるとともに、退去強制令書を発付しなければならな
い(同条5項)。
 上記のとおり、容疑者が法24条各号の一に該当する旨の入国審査官の認定は、容疑者につい
て、法24条各号の一に該当するかどうかを審査した後にする判断であって(法45条1項、47条
2項)、これにより引き続き容疑者の収容を継続する効果を発生させるとともに(法47条1項
参照)、容疑者がその認定に服したとき、あるいは特別審理官の判定及び法務大臣の裁決によっ
て認定が確定したときは、主任審査官をしてその者に退去強制令書を発付することを義務付け
ることになるから(法47条4項、48条8項、49条5項)、容疑者の法的地位に重大な影響を与え
る行為であり、抗告訴訟の対象となる行政処分に当たるというべきである。
また、法47条ないし49条によれば、法務大臣が法49条1項の異議の申出に理由がないとする
裁決の性質は、特別審理官の判定に対する異議に対し、特別審理官によって誤りがないと判定
されたことによって維持された入国審査官の認定の当否を審査しこれを維持する判断と、法50
条1項所定の容疑者の在留を特別に許可すべき場合に該当しないとして、その許可を付与しな
い判断とが不可分的に一体となった処分と解される。この点、原告は、法務大臣の裁決は退令
処分に先立つ行政庁内部の決裁行為にすぎず、処分性を有しないと主張するが、在留特別許可
を付与しない判断は法務大臣の固有の権限に基づくものであること、法務大臣から異議の申出
に理由がないとする裁決の通知を受けた主任審査官は退去強制令書の発付を義務付けられるこ
と(法49条5項)からすれば、同裁決に公権力性が認められるとともに、同裁決は容疑者の法
的地位に重大な影響を与えるから、同裁決は処分性を有するというべきである。
 しかしながら、前記のとおり、入国審査官の認定、特別審理官の判定、法務大臣の裁決及び主
任審査官の退令処分は、退去強制という同一の行政目的を達成するための一連の手続を構成す
る処分であり、退令処分は、これを受ける外国人が法24条各号の一に該当すること(退去強制
事由があること)を中核的根拠とする処分である。また、異議の申出に理由がないとする裁決
の通知を受けた主任審査官は退去強制令書の発付(退令処分)を義務付けられることになる。
こうした関係からすると、入国審査官において、法24条各号の一に該当する場合ではないのに、
これに該当するとの認定をした違法は、これを是認する特別審理官の判定、これに対する異議
を棄却する法務大臣の裁決、さらにこれに基づいて一連の手続の最終処分としてされる退令処
分にも及び、上記違法性を承継した退令処分も瑕疵ある処分といわざるを得ないものと解され
る。先行する認定等の処分が独立の争訟対象となるとしても、早期救済のため争訟の機会を与
えたものにすぎず、その段階で取消訴訟等を提起して争わなければ最終処分である退令処分に
おいてその違法を主張して争うことを許容しない趣旨であるとは考えられない。したがって、
- 6 -
入国審査官の認定の違法を理由に退令処分の取消しを求めることは許されるものというべきで
ある。また、法務大臣の裁決の取消訴訟において上記認定の違法を主張し得るかどうかは行政
事件訴訟法10条2項の原処分主義の適用があるかどうかの問題であるが、後続処分である退令
処分の取消訴訟において上記認定の違法を主張し得るかどうかは同条項とは関係のない問題で
あり、これを主張し得ると解しても何ら同条項に反するものではない。
 原告は、入国審査官の認定が違法であることを理由に退令処分の取消しを求めているとこ
ろ、上記のとおり、認定の違法は退令処分の取消事由となり得るものと解される。したがって、
以下、原告の主張する本件処分の違法性について判断する。
2 前記争いのない事実等に加え、証拠(甲1、6ないし9、12ないし17、19ないし23、乙5、6、
14、21、22、24、29、32ないし38、42、43、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実
が認められる。
 原告は、本邦上陸後、B学校において、1年間、日本での大学入学に必要な日本語能力を習得
した。その間の半年分の家賃と1年間の学費については、入国前に既に原告の母が支払ってお
り、原告はそれとは別に親から与えられた17万円及び3000米ドル(約33万円)と、本邦で資格
外活動許可を得て行ったファミリーレストラン及びうどん店におけるアルバイトで得た金員
(合計46万4025万円)等で生活費を賄った。
 その後、原告は、経済学を学ぶことを志し、平成15年4月1日、本件大学経済学部経済学科
に入学した。
本件大学における授業の時間帯は、月曜日から金曜日までそれぞれ1限目が午前9時から午
前10時30分、2限目が午前10時45分から午後零時15分、3限目が午後1時15分から午後2時
45分、4限目が午後3時から午後4時30分、5限目が午後4時45分から午後6時15分であり、
原告が1年次の春学期(同年4月から同年9月末まで(授業は7月中旬まで))において履修登
録した授業は、月曜日は1限目のみ、火曜日は1ないし4限目、水曜日は1、2限目、木・金曜
日は1ないし3限目と5限目の合計15コマ(1週間当たり合計22.5時間)である。
原告の成績は、専門科目である「マクロ経済学入門」で最上級の「秀」(100点から95点)の評
価を、「入門セミナー」と「簿記原理B」では「優」(94点から80点)の評価を受けた。その他の
科目については、「良」(79点から70点)が5科目、「可」(69点から60点)が3科目であり、1科目
のみ単位を取得できなかった。なお、残りの3科目は通年科目であるが、春学期のみの成績はすべて70
点を上回る成績であった。
原告の出席状況については、出欠の確認をしている科目に限ってみれば、約8割方出席して
いる。
原告が本件クラブで稼働した木曜日の翌日である金曜日の授業の出席状況及び成績は、以下
のとおりである。
ア 1限目
 簿記原理B 出欠確認なし 「優」
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イ 2限目
 西欧の伝統思想B 出欠確認なし 「可」
ウ 3限目
 経済数学B 9回中8回出席 「可」
エ 5限目
 入門セミナー 10回中10回出席 「優」
 原告の父は、元医師であり、中国の平均的な市民に比べて多額の年金を支給されている。母
は、現在、貿易会社の副社長兼財務総括顧問であり、多額の給与と株式の配当金を得ている上
に、多額の年金を支給されている。また、原告自身賃貸不動産を所有している。このように、原
告の実家は経済的に裕福な家庭であり、原告が本件大学で学ぶために必要な学費・生活費等は、
その大半を両親が援助していた。現に、原告が平成15年3月に一時帰国した際も、原告の母親
から60万円、父親から10万円を与えられた。これに加え、B学校時代のアルバイトで知り合っ
たHからもらった合計13万8000円の小遣いや原告の預貯金等の資金によって、原告は本件大
学への入学の際に必要な学費等約45万円(入学金27万円、授業料半年分34万1500円、教育充
実費半年分10万3000円。ただし、そのうち26万4900円については返還された。)、引越代30万
円、生活費(1か月当たり約8万5000円)を賄った。
 原告は、中国の大学の友人から紹介された本件クラブで、平成15年5月8日から同年6月19
日までの間、原則として毎週木曜日と金曜日、時にはそれに加えて火曜日又は土曜日に午後8
時30分から翌日午前1時30分又は午前3時までホステスとして接客のアルバイトをした。こ
のアルバイトの給与は5時間で8000円であり、原告は、上記期間中合計17日間本件クラブで稼
働し、その対価として合計15万7300円の収入を得た。なお、原告は、5月分の4万7250円は受
領したものの、6月分の11万0050円は受領していない。
 原告は、本件クラブにおける稼働以外にも、平成15年4月21日から、飲食店である「G」に
おいて稼働を開始し、同年4月中は毎日、午後5時ないし午後7時から午後10時ないし午後11
時ころまで、合計10日間で45.25時間稼働し、3万6200円の給料を得た。同年5月中は合計17
日間で82.25時間稼働し、6万8267円の給料を得た。
3 争点(法24条4号イの「専ら行っている」の該当性)について
 退去強制事由である法24条4号イに該当するには、「第19条第1項の規定に違反して収入を
伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動」を「専ら行っている」と明らかに認められる
者であることが必要であるが、原告が前者の要件に該当していることについては当事者間に争
いがないから、以下、原告が資格外活動を「専ら行っている」といえるか否かについて検討する。
 「専ら行っている」の要件について
ア 「専ら行っている」の判断基準
ア 「留学」の在留資格をもって在留する者は、法務大臣の資格外活動許可を受けて行う場合
を除き、報酬を受ける活動を行ってはならず、資格外活動許可は、当該在留資格に対応す
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る活動(留学)の遂行を阻害しない範囲内で報酬を受ける活動を行うことを希望する申請
があった場合において、相当と認めるときに行うものとされている(法19条1項、2項)。
また、法7条2項、出入国管理及び難民認定法施行規則(以下「規則」という。)6条、法20
条2項、規則20条2項、規則別表第三によれば、外国人が「留学」を目的として上陸の申請
をし、又は在留資格を「留学」に変更する申請をする場合、在留中の一切の経費の支弁能力
を証する文書(当該外国人以外の者が経費を支弁する場合には、その者の支弁能力を証す
る文書及びその者が支弁するに至った経緯を明らかにする文書)を提出しなければならな
い。このように「留学」の在留資格で在留する者は、本来、本邦において就労活動を行うこ
とを予定していないものということができる。
しかしながら、留学の遂行を阻害しない範囲内で滞在中の学費その他の必要経費の一部
を補う目的でアルバイトを行うことは、資格外活動許可を得ることにより許容されること
とされている。また、法24条4号イが、「第19条第1項の規定に違反して……報酬を受け
る活動を行っている」という定め方をせず、「……報酬を受ける活動を専ら行っていると明
らかに認められる」と定めていることからすれば、許可を得ずに資格外活動である報酬を
受ける活動を行ったというだけでは退去強制事由とはせず、法73条等による規制をするに
とどめるものとする立法政策を採っていることは明らかである。
イ 「専ら行っている」といえるためには、当該活動の継続性及び有償性、本来の在留資格に
基づく活動をどの程度行っているか等を総合的に考慮して判断し、外国人の在留目的の活
動が実質的に変更したといえる程度に資格外活動を行っていることを要すると解される。
この点、原告は「専ら行っている」ことの要件について、当該外国人の活動のすべての部分
が資格外活動だけで占められているということであり、留学という在留目的は仮装にすぎ
ず、何ら実質を伴わないものであることが明らかな場合をいうと主張する。しかし、当該
外国人の活動のすべてが資格外活動のみで占められている場合でなくても、在留目的の活
動が実質的に変更したといえる程度に資格外活動を行っている場合には、当該外国人に一
定の在留目的で在留資格を付与した法の趣旨に反することになるから、原告の主張は採用
できない。
ウ 以上によれば、報酬を受ける活動を専ら行っているといえるかどうかは、その活動の時
間の程度、継続性、報酬の多寡、留学の目的である学業の遂行を阻害していないかなどを
総合的に考慮し、在留目的たる活動が実質的に留学ではなく、就労その他の報酬を受ける
活動に変更したといえる程度に達しているか否かをもって判断すべきものと解される。
イ 平成15年4月における資格外活動について
原告は、平成15年4月21日から30日まで、Gにおいて、毎日午後5時ないし午後7時から
午後10時ないし午後11時ころまで、合計45.25時間稼働した。1日当たりの平均稼働時間は
4.5時間であり、資格外活動許可を与えられた場合に認められる稼働時間(1週間当たり28
時間以内。乙43)と同程度である。また、Gで稼働して得た給料は3万6200円であり、それ
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ほど多額ではない。
ウ 平成15年5月における資格外活動について
原告のGにおける平成15年5月中の稼働時間は、合計17日間、82.25時間であり、1日当
たりの平均稼働時間は約4.8時間である。また、原告は同月8日から本件クラブでの稼働を始
めたが、原告の本件クラブにおける同月中の稼働時間は、合計11日間、約63.8(出勤時刻か
ら退店時刻までの時間であり、始業準備、帰宅準備の時間を含む。以下同じ)時間であり(乙
21)、1日当たりの平均稼働時間は約5.7時間である。2か所での稼働時間を合計すると5月
1か月間で約146時間であり、資格外活動許可を得た場合に認められる稼働時間(1週間当
たり28時間以内)を超過することになるが、原告の稼働時間が日常生活においておよそアル
バイトの程度を越えるほど長時間を占めていたということはできない(なお、仮に資格外活
動許可で認められる稼働時間を1日単位で換算すれば1日当たり4時間となるところ、5月
の1か月31日を基準にした場合の原告の1日当たりの稼働時間は4.7時間であり、超過の程
度はそれほど大きなものではないということもできる。)。
原告の得た給料は、G6万8267円、本件クラブ4万7250円であり、4月に比べると大幅に
増加したものの、生活費以外にもまとまった学費等が必要な年度始めの時期においては、多
額とまではいえない。 
エ 平成15年6月における資格外活動について
原告のGにおける平成15年6月中の稼働時間は、合計13日間、58.75時間であり(乙32)、
1日当たりの平均稼働時間は約4.5時間である。原告の本件クラブにおける同月中の稼働時
間は、合計6日間、約36.5時間である(乙21)。両者の稼働時間を合わせても19日間、95.25
時間であり、資格外活動許可を得た場合に認められる稼働時間(1週間28時間以内)を大き
く超えるものではない。
原告の得た給料は、G4万9350円、本件クラブ11万0050であるが、本件クラブの給料は
現在に至るまで受領していない。
オ 平成15年7月における資格外活動について
原告のGにおける平成15年7月中の稼働時間は、合計12日間、50.75時間、1日当たりの
平均稼働時間は約4.2時間であり、仮にほぼ連日稼働したとしても、資格外活動許可を得た場
合に認められる稼働時間(1週間28時間以内)と同程度ということができる。原告の得た給
料も、4万3137円であり(乙32)、それほど多額ではない。
カ 平成15年8月における資格外活動について
原告のGにおける平成15年8月中の稼働時間は、合計11日間、52.25時間、1日当たりの
平均稼働時間は約4.75時間であり、仮にほぼ連日稼働したとしても、資格外活動許可を得た
場合に認められる稼働時間(1週間28時間以内)をそれほど上回るものではない。原告の得
た給料も、4万4412円であり(乙32)、それほど多額ではない。
キ 資格外活動の勉学への影響について
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原告は、Gで、早いときは午後5時から稼働していたが、他方、本件大学で毎週木曜日及び
金曜日の5限目(午後4時45分から午後6時15分まで)に授業があった。木曜日の5限目は
13回中11回出席し、金曜日の5限目は10回すべて出席していることからして、Gでのアルバ
イトを優先して授業を休みがちになっていたという事情は認められない。
また、本件クラブでの稼働時間帯は午後8時30分から深夜にわたるものであり、原告の本
件大学における勉学に支障を与えかねない時間帯であるが、原告が稼働していた木曜日及び
金曜日については、本件大学の授業を5限目まで(午後6時15分まで)受講した上で午後8
時過ぎに本件クラブに出勤していたこと、金曜日及び土曜日の稼働については、深夜まで働
いていたとしても翌日に授業がないこと、本件クラブで稼働した木曜日の翌日である金曜日
に履修していた授業の出席状況は把握し得る限りで19回中18回出席と良好で、4科目のう
ち2科目について「優」という優秀な成績を修めていることからすれば、本件クラブでの稼
働によって原告の本件大学における勉学に特段支障があったというような事情は認め難い。
その他、原告の春学期の授業への出席率は把握し得る科目について約8割と低調とはいえ
ないこと、春学期の授業のうち1科目を除いた11科目の単位を取得したこと、単位を取得し
た科目のうち3科目については優秀な成績を修めていることから、原告が本件大学における
勉学に真面目に取り組んでいたことが認められる。
ク 資格外活動で得た報酬と生活費等について
前記認定のとおり、本件大学入学時から春学期終了までに原告が支払った学費及び生活費
等の大半は両親が負担していること、原告が資格外活動で得た報酬は、未払分を含めても合
計約26万円であり、平成15年度春学期に要した学費、生活費及び引越費用等合計約120万円
に比較すると必ずしも多額とはいえないことからすれば、資格外活動で得た報酬は原告の生
活費等の補完として使用されたにすぎないということができる。また、今後必要となる本邦
での生活費及び学費についても、両親が援助するとの約束がされており(甲16、17)、実際、
同年12月には両親から60万円及び5000米ドルの援助があったのであるから、今後も原告の
生活費及び学費の大半を両親が援助することは十分可能であるといえる。
ケ 被告は、原告が本件クラブ等において引き続き稼働を継続する意思を有していたことを主
張し、原告の供述(原告本人、乙23、24)中には、Gや他のアルバイト先でアルバイトを続
けるつもりであった旨の供述部分が認められるが、他方で、学業は続けて卒業したいとの供
述をしていることからして、同供述部分も、本件大学における勉学をおろそかにしてまで本
件クラブ等での就労に専念したり、これを拡大して稼働するという趣旨のものとは認められ
ず、他に原告がそのような意思を有していたことを認めるに足りる証拠はない。したがって、
原告に稼働継続の意思があったことをもって、資格外活動を「専ら行っている」と認めるべ
き事情であるということはできない。
また、被告は、本件クラブでの稼働は風俗営業が営まれている営業所において行う活動で
あり、そもそも資格外活動許可が得られる余地のない稼働であることを主張する。しかし、
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資格外活動の内容が同許可の得られない活動であることが法73条の適用場面において違法
性の程度の判断に影響し得ることはいうまでもないが、そのことをもって直ちに資格外活動
を「専ら行っている」と推認すべきであるとか、その判断に決定的な影響を与えるものであ
るということはできない。
本件クラブの強制捜査やその後の退去強制手続が、原告にとっては幸運にも、資格外活動
にのめり込み、これに専従することへの歯止めとなったという可能性は否定できないが、仮
にそうであったとしても、本件処分時において、原告が既に資格外活動を「専ら行っている」
との要件に該当していたと認めることはできない。
コ 以上のとおり、原告の資格外活動の稼働時間及び報酬額並びに原告の就学状況からすれ
ば、原告の在留目的が留学から就労に実質的に変更したといえる程度に資格外活動を行って
いたとはいえず、原告が資格外活動を「専ら行っている」と認めることはできない。
 したがって、原告の資格外活動が法24条4号イの要件を満たしているとはいえないから、同
要件に該当するとした大阪入管入国審査官の認定ないし大阪入国管理局長の裁決に基づいて被
告が行った本件処分は違法である。
4 以上のとおり、原告の請求には理由があるからこれを認めることとし、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分取消等請求事件
平成15年(行ウ)第340号
原告:Aほか5名、被告:東京入国管理局長・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第38部(裁判官:菅野博之・鈴木正紀・馬場俊宏)
平成16年11月5日

判決
主 文
一 被告東京入国管理局長が、原告Aに対して平成15年3月19日付けでした同原告の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
二 被告東京入国管理局主任審査官が、原告Aに対して平成15年5月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
三 その余の原告らの請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、原告Bに生じた費用の全部、被告東京入国管理局長に生じた費用の6分の1及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の6分の1を同原告の負担とし、原告Cに生じた費用の全部、被告東京入国管理局長に生じた費用の6分の1及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の6分の1を同原告の負担とし、原告Dに生じた費用の全部、被告東京入国管理局長に生じた費用の6分の1及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の6分の1を同原告の負担とし、原告Eに生じた費用の全部、被告東京入国管理局長に生じた費用の6分の1及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の6分の1を同原告の負担とし、原告Fに生じた費用の全部、被告東京入国管理局長に生じた費用の6分の1及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の6分の1を同原告の負担とし、原告Aに生じた費用の2分の1及び被告東京入国管理局長に生じた費用の6分の1を同被告の負担とし、原告Aに生じた費用の2分の1及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の6分の1を同被告の負担とする。

事実及び理由
第一 請求
一 被告東京入国管理局長が、原告Bに対して平成15年3月19日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
二 被告東京入国管理局主任審査官が、原告Bに対して平成15年5月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
三 被告東京入国管理局長が、原告Cに対して平成15年3月19日付けでした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
四 被告東京入国管理局主任審査官が、原告Cに対して平成15年5月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
五 主文第一項と同旨
六 主文第二項と同旨
七 被告東京入国管理局長が、原告Dに対して平成15年3月19日付けでした同原告の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
八 被告東京入国管理局主任審査官が、原告Dに対して平成15年5月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
九 被告東京入国管理局長が、原告Eに対して平成15年3月19日付けでした同原告の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
一〇 被告東京入国管理局主任審査官が、原告Eに対して平成15年5月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
一一 被告東京入国管理局長が、原告Fに対して平成15年3月19日付けでした同原告の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
一二 被告東京入国管理局主任審査官が、原告Fに対して平成15年5月7日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。 
第二 事案の概要
本件は、法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入国管理局長(以下「被告入管局長」という。)から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の各裁決を受け、被告東京入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)
から退去強制令書の各発付処分を受けた原告らが、上記各裁決には、①被告入管局長が原告らの退去強制が著しく不当であると判断しなかったことについて事実誤認の違法、②被告入管局長が原告らに在留特別許可を付与しなかったことについて裁量権の範囲を逸脱又は濫用した違法があり、③これらの裁決を前提としてされた退去強制令書の各発付処分も違法である旨主張して、各裁決及び各発付処分の取消しを求める事案である。
一 前提事実
証拠により容易に認めることのできる事実は、その旨付記してあり、それ以外の事実は当事者間に争いがない。
1 原告らの身分事項について
 原告B(以下「原告B」という。)は、昭和37年(1962年)1月30日、フィリピン共和国(以下「フィリピン」という。)において出生したフィリピン国籍を有する男性の外国人である。
 原告C(以下「原告C」という。)は、昭和42年(1967年)5月16日、フィリピンにおいて出生したフィリピン国籍を有する女性の外国人である。
 原告Bと原告Cは、昭和61年(1986年)1月15日にフィリピンにおいて婚姻をした夫婦である(乙17の2、18の6)。
 原告A(以下「原告A」という。)は、昭和63年(1988年)6月20日、日本において出生したフィリピン国籍を有する女性の外国人である。
 原告D(以下「原告D」という。)は、平成5年1月28日、日本において出生したフィリピン国籍を有する男性の外国人である。
 原告E(以下「原告E」という。)は、平成9年2月21日、日本において出生したフィリピン国籍を有する男性の外国人である。
 原告F(以下「原告F」という。以下、原告A、原告D、原告E及び原告Fを総称して「原告子ら」という。)は、平成11年12月21日、日本において出生したフィリピン国籍を有する男性の外国人である。
2 原告らの入国・在留状況について
 原告Cは、昭和61年(1986年)4月12日ころ、新東京国際空港(以下「成田空港」という。)に到着し、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田支局入国審査官に対し、他人である「C’」名義の偽造旅券を提示して、本邦に不法に入国した。
 原告Bは、昭和61年5月15日、成田空港に到着し、東京入管成田支局入国審査官から、平成元年法律第79号による改正前の入管法(以下「旧入管法」という。)4条1項4号所定の在留資格、在留期間15日とする上陸許可を受けて、本邦に上陸した。
その後、原告Bは、在留資格の変更又は在留期間の更新を受けることなく、在留期限である同月30日を超えて、本邦に不法残留している。
 原告Cは、昭和63年6月20日、群馬県群馬郡《地名略》所在の病院において、原告Bとの間の子である原告Aを出産した。
原告Aは、旧入管法22条の2第1項の定める在留期限である同年8月19日を超えて、本邦に不法残留している。
 原告Cは、平成5年1月28日、長野県佐久市(以下「佐久市」という。)所在の病院において、原告Bとの間の子である原告Dを出産した。
原告Dは、平成13年法律第136号による改正前の入管法(以下「改正前入管法」という。)22条の2第1項の定める在留期限である同年3月29日を超えて、本邦に不法残留している。
 原告Cは、平成9年2月21日、佐久市所在の病院において、原告Bとの間の子である原告Eを出産した。
原告Eは、改正前入管法22条の2第1項の定める在留期限である同年4月22日を超えて、本邦に不法残留している。
 原告Cは、平成11年12月21日、長野県南佐久郡《地名略》所在の病院において、原告Bとの間の子である原告Fを出産した。
原告Fは、改正前入管法22条の2第1項の定める在留期限である平成12年2月19日を超えて、本邦に不法残留している。
 原告Bは、長野県佐久市長(以下「佐久市長」という。)に対し、平成5年12月8日、外国人登録法(以下「外登法」という。)に基づく新規登録申請をした。
 原告A及び原告Dは、佐久市長に対し、平成5年12月8日、それぞれ出生を事由とする外登法に基づく新規登録申請をした。
 原告Eは、佐久市長に対し、平成9年3月13日、出生を事由とする外登法に基づく新規登録申請をした。
 原告Fは、佐久市長に対し、平成12年3月16日、出生を事由とする外登法に基づく新規登録申請をした。
 原告Cは、佐久市長に対し、平成12年8月30日、本名である「C」名義で外登法に基づく新規登録申請をした。
 原告Bは、平成13年3月12日に、原告子らは、同月13日に、原告Cは、同年8月13日に、それぞれ佐久市長に対し、外登法に基づく居住地変更登録をした。
 原告B及び原告Cは、平成14年5月13日に、原告子らは、同月15日に、それぞれ佐久市長に対し、外登法に基づく居住地変更登録をした。
3 原告らの退去強制手続について
 原告Bの退去強制手続について
 東京入管入国警備官は、平成11年11月15日、長野県佐久警察署警察官とともに、自宅にいた原告Bを摘発した。
東京入管入国警備官は、違反調査の結果、原告Bが改正前入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、平成12年12月25日、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた。東京入管入国警備官は、同月27日、同令書を執行して、改正前入管法24条4号ロ該当容疑者として、原告Bを東京入管入国審査官に引渡した。
被告主任審査官は、原告Bに対し、同日、仮放免を許可した。
 東京入管入国審査官は、原告Bに関する違反審査を行った結果、平成13年3月23日、原告Bが改正前入管法24条4号ロに該当する旨の認定をし、原告Bに通知した。原告Bは、同日、口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成14年10月18日、原告Bに関する口頭審理を行い、その結果、同日、東京入管入国審査官の認定に誤りのない旨判定し、原告Bにこれを通知した。原告Bは、法務大臣に対し、同日、異議の申出をした。
 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成15年3月19日、原告Bからの異議の申出については理由がない旨の裁決(以下「本件裁決1」という。)をし、被告主任審査官に通知した。被告主任審査官は、同年5月7日、原告Bに上記裁決を通知するとともに、退去強制令書を発付し(以下、この発付処分を「本件退令処分1」という。)、同日、原告Bを東京入管収容場に収容した。
 原告Cの退去強制手続について
 東京入管入国警備官は、平成11年11月15日、長野県佐久警察署警察官とともに、佐久市内のスナックにいた原告Cを摘発した。
東京入管入国警備官は、違反調査の結果、原告Cが改正前入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、平成12年12月25日、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた。東京入管入国警備官は、同月27日、同令書を執行して、改正前入管法24条1号該当容疑者として、原告Cを東京入管入国審査官に引き渡した。
被告主任審査官は、原告Cに対し、同日、仮放免を許可した。
 東京入管入国審査官は、原告Cに関する違反審査を行った結果、平成13年3月27日、原告Cが改正前入管法24条1号に該当する旨の認定をし、原告Cに通知した。原告Cは、同日、口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成14年11月18日、原告Cに関する口頭審理を行い、その結果、同日、東京入管入国審査官の認定に誤りのない旨判定し、原告Cにこれを通知した。原告Cは、法務大臣に対し、同日、異議の申出をした。
 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成15年3月19日、原告Cからの異議の申出については理由がない旨の裁決(以下「本件裁決2」という。)をし、被告主任審査官に通知した。被告主任審査官は、同年5月7日、原告Cに上記裁決を通知するとともに、同日、退去強制令書を発付した(以下、この発付処分を「本件退令処分2」という。)。
被告主任審査官は、原告Cに対し、同日、仮放免を許可した。
 原告子らの退去強制手続について
 東京入管入国警備員は、違反調査の結果、原告子らが改正前入管法24条7号(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、平成12年12月25日、被告主任審査官から収容令書の発付を受けた。東京入管入国警備官は、同月27日、同令書を執行して、改正前入管法24条7号該当容疑者として、原告子らを東京入管入国審査官に引き渡した。
被告主任審査官は、原告子らに対し、同日、仮放免を許可した。
 東京入管入国審査官は、原告子らに関する違反審査を行った結果、平成13年3月27日、原告子らが改正前入管法24条7号に該当する旨の認定をし、原告子らに通知した。原告子らは、同日、口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、平成14年11月18日、原告子らに関する口頭審理を行い、その結果、同日、東京入管入国審査官の認定に誤りのない旨判定し、原告子らにこれを通知した。
原告子らは、法務大臣に対し、同日、異議の申出をした。
 法務大臣から権限の委任を受けた被告入管局長は、平成15年3月19日、原告子らからの異議の申出については理由がない旨の各裁決(以下、原告Aに対する裁決を「本件裁決3」、原告Dに対する裁決を「本件裁決4」、原告Eに対する裁決を「本件裁決5」、原告Fに対する裁決を「本件裁決6」といい、本件裁決1から6までを併せて「本件各裁決」という。)をした。上記各裁決の通知を受けた被告主任審査官は、同年5月7日、原告子らに各人に対する裁決を通知するとともに、同日、各人に対する退去強制令書を発付した(以下、原告Aに対する発付処分を「本件退令処分3」といい、原告Dに対する発付処分を「本件退令処分4」、原告Eに対する発付処分を「本件退令処分5」、原告Fに対する発付処分を「本件退令処分6」といい、本件退令処分1から6までを併せて「本件各退令処分」という。)。
 被告主任審査官は、原告子らに対し、同日、仮放免を許可した。
二 争点
1 本件各裁決について、原告らの退去強制が著しく不当であるのに、被告入管局長がそうではないと事実誤認したことによる違法があるか否か。
2 被告入管局長は、原告らについて、特別に在留を許可すべき事情があるとは認められないとして、本件各裁決をしているが、この判断は、被告入管局長の有する裁量権の範囲を逸脱又は濫用したものといえるか。
3 被告主任審査官は、本件各裁決を受けて、原告らに対し、本件各退令処分をしているが、この処分が違法なものといえるか。
三 当事者の主張の要旨
1 争点1について
(原告らの主張)
 入管法49条1項所定の異議の申出があった場合、①異議の申出に理由があるかどうかの内部的な判断があり、②異議の申出に理由がないと認められた場合であっても、入管法50条1項各号の在留特別許可を付与すべきかどうかという判断がされ、③いずれも認められないときに、入管法49条3項所定の異議の申出に理由がない旨の裁決がされるものである。
そこで、本件各裁決の違法性を検討するに当たっては、①異議の申出に理由があるかどうかという判断と、②在留特別許可を付与すべきかどうかという判断の二段階に分けて検討する必要がある。
 入管法49条1項の異議の理由が何であるかは、入管法に定められていないが、出入国管理及び難民認定法施行規則(以下「入管法施行規則」という。)42条は、「法第49条第1項の規定による異議の申出は、別記第60号様式による異議申出書1通及び次の各号の一に該当する不服の理由を示す資料各1通を提出して行わなければならない。」とし、不服の理由として、1号から4号までを規定している。
そして、入管法施行規則42条4号は、「退去強制が著しく不当であることを理由として申し出るときは、審査、口頭審理及び証拠に現われている事実で退去強制が著しく不当であることを信ずるに足りるもの」と規定している。これらの規定によれば、「退去強制が著しく不当であること」が入管法49条1項の異議の理由となっていることが分かる。
したがって、「退去強制が著しく不当」であるにもかかわらず、被告入管局長がそうではないと判断した場合、在留特別許可を付与するか否かの場面と異なり、被告入管局長による裁決は、事実誤認があるものとして違法となる。この判断は、事実認定作業であって裁量処分ではないので、裁量権の範囲の逸脱又は濫用は問題にならない。
 原告らの日本での生活状況は以下のとおりである。
 原告B及び原告Cについて
ア 原告Bは、来日後約17年間、建設作業員などとして働き、原告子らを養育するなどして、日本の習慣・文化の中で家族のきずなを作り上げながら生活していた。
原告Cは、来日後、原告Bとの間に一女四男の子供を授かり、子供たち全員が、日本の充実した教育環境・制度の下で、自由かつ責任ある人格を形成してほしいと考え、それぞれの発育段階に応じて、保育園・小学校・中学校に進学させてきた。
イ 原告B及び原告Cは、原告子らの幸せを願い、日本人と全く同じように育つための努力は惜しまないと考えてきた。そこで、原告B及び原告Cは、原告Aが幼少のころから、原告Aとの会話をすべて日本語で行うように努力するなど、原告子らができる限り深く日本の文化・習慣になじむことができるように養育してきた。
ウ 原告B及び原告Cにとって、来日後約17年間の生活は、経済的には必ずしも楽なものではなかったが、原告子らが成長していくにつれ、日本人の友人との交流も増え、彼らによる親身な支援及び協力を受けながら、日本における安定した生活基盤を築いてきた。その間、原告B及び原告Cは、入管法違反以外には法に触れることもなく、平穏に生活しており、原告子らの学校の行事等にはできる限り参加するなど、地域に溶け込んだ生活を送ってきた。原告らが、原告Aの通っていた中学校のPTAから支援を受けている事実からも、原告らが地域に溶け込んでいるということが分かる。
 原告Aについて
ア 原告Aは、佐久市で出生し、佐久市内の保育園、小学校及び中学校に通い、本件裁決3の当時は、中学校2年生であった。
原告Aは、一貫して日本語のみによる教育を受けており、原告ら家族間の会話もすべて日本語を使用していることもあって、日常生活では英語やタガログ語を全く使用しておらず、日本語が唯一の母国語である。
イ 原告Aは、日本語を通じて日本文化に慣れ親しんでおり、日本人の友人も多く、積極的な交流を持ち、良好な友人関係を築いている。
原告Aは、現在まで多くの書道展やコンクールにおいて、極めて優秀な成績を修めている。
ウ 原告Aは、中学校においても、他の日本人生徒以上に勤勉に努力し、優秀な成績を修めて、充実した学校生活を送っていた。また、原告Aは、学級活動などの特別活動にも主体的かつ積極的な姿勢で取り組んでいた。
そして、原告Aは、優秀な学業成績を維持しており、本件裁決3の当時、中学校における進路指導において、本人が希望する佐久市内の県立高校へ確実に進学可能な学力を有していると評価されていた。
エ 原告Aの生活様式や思考過程は、完全に日本人と同化しており、フィリピンの生活様式等が日本の生活様式等とかけ離れていることを考えると、原告Aをフィリピンに帰国させることは、原告Aのこれまで築き上げてきた人格、人間関係、価値観等のすべてを根底から覆して破壊するものである。
日本人以上に勉学に励んでいる原告Aがフィリピンに帰国した場合には、勉学を続けることにすら相当な困難が伴い、生涯いやすことの困難な精神的苦痛を受けることになる。
 原告Dについて
ア 原告Dは、佐久市内で出生し、佐久市内の保育園及び小学校に通い、本件裁決4の当時は、小学校4年生であった。原告Dは、一貫して日本語のみによる教育を受けており、原告ら家族間の会話もすべて日本語を使用していることもあって、日常生活では英語やタガログ語を全く使用しておらず、日本語が唯一の母国語である。
イ 原告Dは、完全に日本の生活習慣等になじんでおり、日本に在留して勉学を継続すること及び家族全員がそろって日本で生活することを強く希望している。
ウ 原告Dは、小学校において、意欲的に学習に取り組んでおり、他の日本人生徒と同じように良好な成績を維持している。
エ 原告Dが、日本で生育し、日本語しか話すことができず、日本の文化、風俗や慣習に慣れ親しみ、憲法で保障された個人の尊厳、自由主義、男女平等、平和主義に基づく教育を受けている以上、言語はもちろん、生活習慣、文化の点で日本とかけ離れたフィリピンでの生活を強いることは、原告Dにとって余りにも酷である。
 原告E及び原告Fについて
原告E及び原告Fは、いずれも佐久市内で出生し、日本語のみを使用し、日本の文化になじんだ人格形成を行っている。
 上記の原告らの日本での生活状況に照らすと、本件については、以下のとおり、「退去強制が著しく不当」な場合に該当する。
 居住の自由(憲法22条1項)の侵害
ア 憲法22条1項が「何人」も「公共の福祉に反しない限り」居住の自由を有すると規定する以上、適法な在留資格を有しない外国人についても、憲法上の居住の自由の保障が及ぶものである。そして、「公共の福祉に反しない限り」という制約の合理性の判断に際し、在留資格の有無が考慮されるにすぎないと解するべきである。
すなわち、外国人を退去強制することによる居住の自由の制約も、全く憲法から自由なフリーハンドを有するわけではない。入管法が「すべての人の出入国の公正な管理」を目的とし(1条)、その目的達成のための一つの制度として、在留特別許可の制度(50条1項)を用意していることは、居住権すなわち恣意的に退去強制されない権利を、正規滞在者のみならず非正規滞在者にも保障していることの現れである。
換言すれば、在留特別許可の制度は、憲法22条1項が保障する外国人の居住権を具体化しているものである。
イ 最高裁判所昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁(以下「昭和53年大法廷判決」という。)は、「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、右のような外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当」という判示に続けて、「在留期間中の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情としてしんしゃくされないことまでの保障が与えられているものと解することはできない」と判示している。
そうすると、昭和53年大法廷判決は、原則として外国人に政治活動の自由を認めつつ、在留期間更新の拒否を判断するに当たって当該活動をしんしゃくすることができるという意味で、政治活動の自由に一定の制限を加えることができるということを述べているのみである。すなわち、昭和53年大法廷判決は、外国人在留制度が基本的人権の保障に優先するということを述べているわけではない。
ウ 憲法の基本的人権は、人が生来的に有する権利を確認するものであって、人権を後発的に創設するものではない。基本的人権とは、憲法よりも上位に位置するものである。
これに対して、外国人在留制度は、入管法という憲法よりも下位に位置する規範によって定められているものであって、外国人の人権が入管法の法律の枠内でのみ保障されるという解釈は、明らかな誤りである。
外国人にも当然に人権は保障されるが、出入国の適正な管理という、日本人とは異なる観点からの制約原理が働くにすぎない。
エ 昭和53年大法廷判決は、「特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、当該国家が自由に決定することができるものとされている」と判示しており、「特別の条約」がある場合には、外国人の入国の自由や在留の権利が保障される旨述べている。
そして、昭和53年大法廷判決以降、日本は、昭和54年8月4日に「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約」、昭和56年10月15日に「難民の地位に関する条約」、平成6年5月16日に「児童の権利に関する条約」(以下「児童の権利条約」という。)、平成7年12月20日に「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」及び「拷問等禁止条約」を批准等してきた。これらの条約は、昭和53年大法廷判決のいう「特別の条約」に該当し、外国人の居住の自由を根拠付
けるものである。
本件では、児童の権利条約は、原告らの居住の自由を基礎付ける「特別の条約」に該当し、原告らには居住の自由が保障される。
オ 居住の自由に加えられた制約が合理的なものであるか否かの判断については、居住の自由は、人の人格的自律にとって基本的な自由であることから、単に抽象的に公共の福祉を考えるのではなく、国家が害されるとする「公益」と個人が失うであろう「私益」を個別具体的に検討した上で、制約の合理性を判断すべきである。
ア 原告B及び原告Cは、約17年間にわたり、日本において安定した生活基盤を築き上げてきたのであり、両原告をフィリピンに強制送還することは、生活基盤を根こそぎ剥奪するという極めて重大な不利益を与えることになる。
また、原告子らを両親の国籍国という以外には何ら縁もゆかりもないフィリピンに強制送還して地域社会に溶け込んだ生活を送ってきた。
したがって、原告らに在留資格を認めることによって、日本の善良な風俗・秩序に就労環境の安定などの好影響を与えることこそあれ、悪影響を与えることは想定し難い。すなわち、原告らに在留資格を認めないことによって保護されるべき国の利益は存在しない。
カ 以上によれば、原告らを退去強制することは、原告らの居住の権利を侵害するものであり、入管法施行規則42条4号の「退去強制が著しく不当」な場合に該当することが明らかである。
 児童の権利条約3条1項違反
ア 児童の権利条約3条1項は、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と規定している。
したがって、長期に滞在する国で養育された子供が、親と共に正規化を望む場合、その子供を退去強制するに当たっては、「児童の最善の利益」が配慮されるべきである。
イ 児童の権利条約は、在留資格のない児童についても適用されるものである。
ア 児童の権利条約2条1項は,「締約国は、その管轄の下にある児童に対し、児童又はその父母若しくは法定保護者の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的、種族的若しくは社会的出身、財産、心身障害、出生又は他の地位にかかわらず、いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し、及び確保する」としており、国籍や在留資格の有無にかかわらず、締約国の管轄の下にあるすべての児童が、この条約の適用対象になることを明らかにしている。
イ また、児童の権利条約の成立の経緯を見ても、児童の権利保障については国境の壁が取り払われ、締約国が一致共同して、人類の次の世代の育成を約束したものであることが明らかであり、児童の権利条約は、自国の管轄の下にあるすべての児童に対し、この条約の権利保障を義務付けている。 
ウ 児童の権利条約の国際的実施機関である児童の権利委員会の「条約第44条1項に基づいて締約国によって提出される定期報告書の形式および内容に関する一般指針」パラグラフ35は、児童の権利条約3条1項の解釈として、児童の最善の利益の原則が外国人の子供の在留に関する手続にも適用されることを示している。
エ 仮に、出入国の管理の適正という利益が児童の利益に対立する場合も、児童の「最善の利益」は、在留資格制度の枠内で考慮されるというのではなく、対立する利益の内実を慎重に検討しながら、「最善の利益」を害しても真にやむを得ない事情があるのかどうかについて判断されるべきである。
オ カナダ、ニュージーランド及びオーストラリア連邦の判例においても、在留資格を有しない児童について、その「最善の利益」を考慮するとされている。
ウ 原告子らは、いずれも日本で出生し、日本語環境のみで生育しており、その精神構造は、日本人そのものである。
原告子らにとって、フィリピンへの強制送還は、母国への帰還ではなく、母国からの追放を意味する。
このような原告子らと、その養育の責務を負っている原告B及び原告Cについて、異議の申出に理由がないとした本件各裁決は、原告子らの「最善の利益」を全く考慮しておらず、児童の権利条約3条1項に違反する。
エ 以上によれば、原告らを退去強制することは、児童の権利条約3条1項に違反するものであり、入管法施行規則42条4号の「退去強制が著しく不当」な場合に該当することが明らかである。
 平等原則(憲法14条1項)違反
ア 平成14年2月以降、少なくとも次の4条件を満たす外国人家族には、在留特別許可が付与されている。
① 親の日本における在留期間が10年以上であること。
② 裁決時に最年長の子供が中学校1年生以上であること。
③ 入管法以外の逮捕歴等がないこと。
④ 両親がそろっていること。
イ 原告らは上記4条件を満たしているにもかかわらず、被告入管局長が原告らの異議の申出に理由がないとしたことは、合理性の見いだせない差別である。
したがって、原告らを退去強制することは、平等原則(憲法14条1項)に違反するものであり、入管法施行規則42条4号の「退去強制が著しく不当」な場合に該当することが明らかである。
 以上のとおり、原告らを退去強制することは、①居住の自由の侵害、②児童の最善の利益の侵害、③平等原則違反というそれぞれの点で、「著しく不当」(入管法施行規則42条4号)であるにもかかわらず、これを看過して、原告らの異議の申出に理由がないと判断した本件各裁決は、重大な事実誤認があり、違法である。

退去強制令書発付処分等取消請求控訴事件
平成16年(行コ)第194号(原審:東京地方裁判所平成10年(行ウ)第208号)
控訴人(被告):法務大臣・東京入国管理局主任審査官、被控訴人(原告):A
東京高等裁判所第21民事部(裁判官:濵野惺・金子順一・小林昭彦)
平成17年1月20日

判決
主 文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求をいずれも棄却する
3 訴訟費用は、第1審及び第2審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文と同旨
第2 被控訴人の請求の趣旨
1 控訴人法務大臣の被控訴人に対する平成10年9月28日付けの難民の認定をしない旨の処分を取り消す。
2 控訴人法務大臣の被控訴人に対する平成10年10月5日付けの被控訴人の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
3 控訴人東京入国管理局主任審査官の被控訴人に対する平成10年10月9日付けの退去強制令書発付処分を取り消す。
第3 事案の概要
1 トルコ共和国国籍を有する被控訴人は、我が国に偽造のイタリア旅券で入国した上で、控訴人法務大臣に対し、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)第61条の2第1項の規定に基づいて、難民の認定の申請をしたが、控訴人法務大臣は、被控訴人に対し、平成10年9月28日付けで、被控訴人は難民の地位に関する条約(昭和56年条約第21号。以下「難民条約」という。)及び難民の地位に関する議定書(昭和57年条約第1号。以下「難民議定書」という。)にいう難民とは認められないとして難民の認定をしない旨の処分(以下「本件不認定処分」という。)をした。
また、東京入局管理局入国審査官が、被控訴人が法第24条第1号(不法入国)に該当すると認定したため、被控訴人は、法第49条第1項の規定に基づいて、控訴人法務大臣に対して異議を申し出たが、控訴人法務大臣は、被控訴人に対し、平成10年10月5日付けで、異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。そこで、控訴人東京入国管理局主任審査官は、被控訴人に対し、平成10年10月9日付けで、退去強制令書を発付した(以下「本件発付処分」という。)。
本件は、被控訴人が、本件不認定処分、本件裁決及び本件発付処分はいずれも違法であると主張して、控訴人法務大臣に対し、本件不認定処分及び本件裁決の取消しを求め、控訴人東京入国管理局主任審査官に対し、本件発付処分の取消しを求める事案である。
2 原判決は、本件不認定処分時において、被控訴人は、難民条約上の難民に該当するというべきであるから、本件不認定処分、本件裁決及び本件発付処分はいずれも違法であると判示して、被控訴人の請求をいずれも認容したので、これを不服とする控訴人らが控訴の申立てをした。
3 法令の定め、前提事実、争点(争点に関する当事者の主張を含む。)は、原判決を次のとおり改めるほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の2ないし4(原判決2頁5行目から32頁17行目まで)記載のとおりであるから、これを引用する。
 原判決2頁9行目の「法2条3号」を「法第2条第3号の2」に改める。
 同頁18行目の「望まないもの」を「望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」に改める。
第4 当裁判所の判断
 1 争点(被控訴人の難民該当性)について
 出入国管理及び難民認定法上、難民とは、難民条約第1条の規定又は難民議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうものと定義されている(法第2条第3号の2)から、難民条約第1条に規定する「難民」の定義と難民議定書第1条に規定する「難民」の定義との共通するところは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」というものである。
 被控訴人は、被控訴人の従前の経歴によれば、クルド人であることから、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するものであって、出入国管理及び難民認定法上の難民に該当するなどと主張し、その主張の根拠となる事情や自己の従前の経歴について概略次のとおり供述ないし陳述等(以下「被控訴人の供述」という。)をしている(甲29の1及び2、31、32、47、乙11、12、14ないし16、18、37ないし39、42、被控訴人本人)
ア 1994年(平成6年)3月に警察にPKKを援助したとの嫌疑で逮捕勾留されて脅迫により警察のスパイになることを強要された上、同年5月にも拷問及び処罰の脅迫をもって警察のスパイとなることを要求されたり、発砲されたことがあったため、生命の危険を感じ、同年7月にトルコを出国し、難民認定の申請をする目的で、同月15日に1回目の来日をした。
イ 1995年(平成7年)10月に我が国から強制送還された後、イスタンブール空港で警察に拘束され、テロ対策支部において、拷問や虐待の上、日本に行った目的や日本で難民認定の申請をしようとした理由等について尋問を受けたが、その後解放され1996年(平成8年)春には、PKKの依頼により、PKKゲリラのBと呼ばれる人物を山岳地帯を通ってヨーロッパに送る任務に就いたことがある。
ウ その後、1996年(平成8年)夏、PKKのゲリラで学生時代の友人に再会したが、同年11月その友人が反ゲリラのメンバーに射殺されたため、クルド民族の人権と自決権のための活動をすることを決意し、ゲリラと党の間の書類運搬の任務に就き、1997年(平成9年)10月、トルコ国内の山間部でゲリラ2名と会っていた際、トルコ軍の軍隊に包囲されて逃走し、国外に脱出することを決め、同年12月12日、ブローカーの手配でパスポートを所持せずに団体客に紛れてトルコを出国し、経由地のモスクワでブローカーから被控訴人名義の偽造のイタリア旅券を受け取り、この偽造旅券により来日した。
 しかしながら、被控訴人の供述の信用性については、次のとおり重大な疑いがある。
ア 被控訴人は、上記アのとおり、生命の危険を感じ、難民認定の申請をする目的で、1994年(平成6年)7月15日に1回目の来日をした旨供述する。
しかしながら、原判決掲記の各証拠によれば、前記引用に係る原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」3の前提事実を認めることができ、これによれば、被控訴人は、その第1回目の来日後、難民認定の申請をしないまま、同年8月12日にシンガポールに向けて出国し、同月26日に2回目の来日をしたときも、再び難民認定の申請をしないまま、同年9月9日にシンガポールに向けて出国し、同月30日には3回目の来日をしたものの、その後、約1年間にわたって、難民認定の申請をしないまま、《地名略》において古タイヤを回収する仕事に就いたり、《地名略》において建設現場で土木作業員として稼働し、1995年(平成7年)10月19日に《地名略》市内において不法滞在の容疑により現行犯逮捕されたこと、その後も、被控訴人は、難民認定の申請をしないまま、退去強制手続によりトルコに送還されたのであって(なお、上記退去強制手続において、被控訴人が難民である旨の主張をしたことを認めるに足りる証拠もない。)、とりわけ、約1年にわたって、古タイヤを回収する仕事に就いたり、建設現場で土木作業員として稼働していながら、来日の目的であったという難民認定の申請をしていないこと、まして、退去強制手続が開始されたにもかかわらず、難民認定の申請をしていない上に、難民である旨の主張すらもしてないことに照らすと、被控訴人の上記供述の信用性には重大な疑いがあるというべきである。
イ また、被控訴人は、上記イのとおり、被控訴人がPKKゲリラを山岳地帯を通ってヨーロッパに送る任務に就いた旨供述し、その供述を裏付けるものとして、その際に撮影されたと主張するビデオ(甲35)を提出しているけれども、同ビデオの撮影時期、撮影場所、撮影対象者を明らかにする客観的証拠はなく(仮に被控訴人が撮影されているとしても、他の撮影対象者を明らかにする客観的証拠はない。)
そもそも、PKKゲリラを山岳地帯を通ってヨーロッパに送る任務の様子であるかどうかも全く不明であって、同ビデオが、被控訴人の上記供述を客観的に裏付けるものとは到底いうことができない。
ウ 被控訴人は、上記ウのとおり、トルコから、ブローカーの手配でパスポートを所持せずに団体客に紛れて出国し、経由地のモスクワでブローカーから被控訴人名義の偽造のイタリア旅券を受け取り、この偽造旅券で来日した旨供述している。
しかしながら、証拠(乙6、7、18、126)によれば、被控訴人が1997年(平成9年)の来日の際に乗っていたC国際航空○便の乗客名簿には、被控訴人が使用した偽造旅券の名義と同じ「A’」との名がモスクワからの乗客欄にではなく、ロンドンからの乗客欄に記載されていること、上記の乗客名簿は、乗客が乗機地においてチェックインをして搭乗券の発行を受け、かつ、搭乗ゲートにおいて搭乗手続をすると、この両者の情報が電算処理されることによって作成され、それが到着地にテレックスで送信されるから、乗機地を誤った乗客名簿が作成されることは通常あり得ないし、乗機地においてチェックインをする際には、旅券などの渡航文書による本人確認が行われるため、渡航文書と名義の異なる搭乗券が発行されることも通常はあり得ず、したがって、渡航文書の名義と異なる乗客名簿が作成されることも通常あり得ないこと、被控訴人自身外国人入国記録(乙6)の乗機地の欄にロンドンと記載していることが認められ、以上の認定事実に照らすと、被控訴人は、上記の供述内容とは異なって、ロンドンからC国際航空○便に乗って来日したものとの疑いがあることが濃厚であるといわざるを得ず、被控訴人の上記供述の信用性には重大な疑いがあるといわなければならない。
なお、被控訴人が、上記来日の際に使用した偽造イタリア旅券の写し(甲41)には、英国から出国した旨の記載はないが、証拠(乙127)によれば、英国においては、1996年(平成8年)前後ころに出国審査が廃止され、それ以降、出国の際に旅券に出国証印が押印されることはないことが認められるのであり、このことからすれば、被控訴人の上記旅券に英国から出国した旨の記載がないことをもって、被控訴人がロンドンから来日したものとの疑いがあることが濃厚である旨の上記認定判断を左右するものではない。
なお、難民認定室認定係長D作成の平成14年9月25日付け法務省入国管理局総務課難民認定室長宛文書(乙104)には、外務省を通じて英国内務省から入手した情報として、被控訴人と同名で生年月日も同一の人物が、1995年(平成7年)《日付略》英国に入国して難民認定申請をし、1996年(平成8年)《日付略》上記申請却下処分を受けたため、これに対して不服申立をしたところ、1998年(平成10年)《日付略》上記不服申立が却下されたこと、さらに、同人物については英国に出国記録が存在しないことが記録されていることが認められるところ、上記文書に記載された人物が被控訴人と同一人物であるとすれば、被控訴人がトルコに強制送還された後の行動に関する被控訴人の上記供述のほとんどは虚偽であることになるところ、被控訴人は、平成9年12月13日に日本に入国した際には、ロンドンから飛行機に搭乗して来日した疑いが濃厚であることは前記のとおりであることに照らすと、上記文書に記載されている人物が被控訴人と同一人物である可能性があることも直ちには否定することはできないし、上記文書記載の人物に対する難民申請却下処分に対する不服申立が、英国において、上記文書記載のとおり、1998年(平成10年)《日付略》に却下されたとしても、この時点において、上記不服申立却下処分を受けた上記人物が必ずしも英国内に滞在していたとはいえず、他に当該人物が上記不服申立の却下処分を受けた当時英国内に滞在していたこと
をうかがわせる証拠もないことから、上記文書記載の人物が被控訴人であるとしても、被控訴人の日本への入国が平成9年12月13日であることと矛盾するものともいい難い。また、確かに、上記文書には、文書記載の当該人物について、出国記録が存在しない旨の記載があり、他方、被控訴人には、前記のとおり、英国から出国して、平成9年12月13日に日本へ入国した疑いが濃厚であるが、被控訴人は、上記入国時に本人名義の偽造イタリア国旅券を所持していたことは前記のとおりであることに照らすと、被控訴人が英国を出国する際にも何らかの不法な手段により出国した可能性があることも直ちには否定することができず、そうすると、上記文書に、同文書記載の人物について、英国に出国記録がない旨の記載があるとしても、このことから直ちに被控訴人と上記文書記載の人物とが同一人物ではないということも困難というほかなく、以上によれば、上記文書記載の人物が被控訴人である可能性があることを否定することは困難というほかない。また、他に、上記文書の記載内容の信用性を覆すに足りる証拠もない。そして、以上の事情に照らすと、被控訴人の上記イ及びウの供述の信用性には疑いがあるといわざるを得ない。
 以上のとおり、被控訴人は、出入国管理及び難民認定法上の難民に該当する根拠とする事情及び自己の従前の経歴として上記のとおり供述しているけれども、被控訴人の上記各供述の信用性については、上記のとおり重大な疑義があり、被控訴人の上記各供述を直ちには採用することはできないというべきであるし、他に、被控訴人の上記各供述内容を客観的に裏付けるに足りる証拠はない。なお、被控訴人は、平成15年1月24日付け上申書において、その添付の写真について、「原告(被控訴人)は、銃を持ったPKKメンバーと、屋外において共に座って撮影されている。この写真は、原告(被控訴人)がPKKに対して援助活動を続けていたことを明白に裏付ける証拠である」旨主張しているが、上記写真の撮影者、撮影場所、撮影年月日を明確にすべき証拠は何ら提出されておらず、また、被控訴人がPKKメンバーである旨主張している上記写真中の人物が真実そのような人物であることを示す証拠も何ら提出されていないことに照らすと、上記写真をもって、被控訴人の主張するような証拠と評価することは困難というほかない。
以上によれば、結局、本件全証拠によっても、被控訴人には、その主張するような迫害を受ける恐怖を抱くような客観的事情が存在するということはできず、したがって、被控訴人が出入国管理及び難民認定法上の難民に当たるということはできないから、控訴人が被控訴人の難民該当性を否定した本件不認定処分をした点に違法はないというべきである。
2 争点(本件不認定処分についての理由付記の違法性)について
被控訴人は、本件不認定処分は、被控訴人の難民性を否定する理由として、「迫害のおそれの証拠がない」としか記載していないから、この記載では、出入国管理及び難民認定法の要求する理由付記の程度には達していないから、本件不認定処分は違法である旨主張するが、証拠(乙22)によれば、確かに、本件不認定処分においては、被控訴人が難民に該当しないとする理由としては、被控訴人が迫害を受けるおそれがあることを立証する具体的な証拠がない旨記載するに止まることが認められるが、前記のとおり、被控訴人が出入国管理及び難民認定法上の難民に該当するとして主張する事実を認めるに足りる証拠がないのであるから、本件不認定処分においても、その旨を理由として付記すれば足りるものというべきである。
したがって、本件不認定処分に理由不備の違法があるということはできない。
3 争点(本件裁決の違法性)について
 被控訴人は、難民認定を受けていなくても、難民条約上の難民に当たるから、控訴人法務大臣は、法第61条の2の8の規定により、被控訴人の在留を特別に許可すべきであったにもかかわらず、これをしないでした本件裁決には裁量違反の違法がある旨主張するが、被控訴人が難民条約上の難民(出入国管理及び難民認定法上の難民)に当たるということができないことは前記のとおりであるから、被控訴人の上記主張は、その前提を欠き、理由がないことは明らかであるといわなければならない。
 また、被控訴人は、本件裁決及び本件発付処分に先行する違反審査及び口頭審理手続において被控訴人を収容したことは、収容に代えて監視をすべきであった点において難民条約第31条第1項の規定に違反し、収容の必要性がなかった点において憲法第33条、第34条、市民的及び政治的権利に関する国際規約第9条、法第39条の規定に違反する上、収容令書の執行前の時点において被控訴人の身柄が拘束された点において違法であり、以上のとおり先行手続に重大な違法がある以上、本件裁決及び本件発付処分は違法である旨主張する。
しかしながら、難民条約第31条第1項は「締約国は、その生命又は自由が第1条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって許可なく当該締約国の領域に入国し又は許可なく当該締約国の領域内にいるものに対し、不法に入国し又は不法にいることを理由として刑罰を科してはならない。ただし、当該難民が遅滞なく当局に出頭し、かつ、不法に入国し又は不法にいることの相当な理由を示すことを条件とする。」と規定しているところ、被控訴人が難民条約上の難民に該当しないことは前記のとおりであるから、難民条約第31条第1項違反をいう被控訴人の上記主張は、前提を欠き、失当である。そして、前記引用に係る原判決「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」3の前提事実によれば、被控訴人の収容については、法第39条の要件を具備していることが認められるから、被控訴人の収容について、被控訴人の主張するような法第39条に違反する点は認め難い。なお、第39条に基づく収容は、退去強制という行政目的を達成するためになされる行政手続であって、刑事手続ではなく、かつ、被控訴人の収容が法第39条に違反するものではないことは前記のとおりであるから、被控訴人が上記収容について、憲法第33条、第34条違反、市民的及び政治的権利に関する国際規約第9条違反をいう被控訴人の主張は、前提を欠き、失当である。また、前記前提事実に証拠(乙10、30)を総合すると、東京入国管理局警備第2課の担当官において、平成10年3月16日午前9時15分ころ、《地名略》警察本部外事課等と合同で、《地名略》市内の事業所に対する立入検査を実施した際に、同担当官の質問に対し、被控訴人が在留資格がないことを述べたため、同担当官は、被控訴人に対し、東京入国管理局の庁舎まで任意同行を求めたこと、その際、被控訴人は、特段の抗議もなく、これに応じていたこと、同日午後、被控訴人は、同担当官の同行の下に、その当時の
居住地である《地名略》の居宅に荷物整理のために立ち寄り、その際、同担当官は、被控訴人代理人弁護士作成に係る被控訴人が難民認定申請者であって、任意同行の要請には拒否する旨を記載した書面を確認したが、同担当官が被控訴人に対し、同庁舎へ同行を求めたところ、被控訴人はこれに応じ、その後、被控訴人は上記東京入国管理局の庁舎に到着したこと、入国警備官が、同日午後5時45分、同庁舎内で、被控訴人に対し、控訴人東京入国管理局主任審査官が発付した同日付け収容令書を執行して、被控訴人を東京入国管理局収容場に収容したことが認められる。なお、入国警備官作成の乙30には、被控訴人が上記東京入国管理局警備第2課の担当官から東京入国管理局の庁舎への任意同行を求められた際に、上記担当官から「再三荷物整理を行うよう説得したが、頑としてこれに応じず、「(洗面道具等の)荷物はいらない。」と申し立てた」との記載があることが認められるが、上記の記載は、その直後に、被控訴人が上記担当官からの東京入国管理局庁舎への同行を求められたのに応じて、難民認定申請の必要書類等を所持して、上記庁舎まで同行した旨の記載があることに照らし、被控訴人が任意同行を拒否した趣旨の記載と解するのは相当ではなく、上記の記載をもって、被控訴人が上記担当官の求めに対して任意同行に応じたとの上記認定を左右するに足りないというほかない。
また、被控訴人は、「任意同行の要請は拒否します。」との記載のある被控訴人代理人弁護士作成の書面によって、被控訴人が上記担当官による任意同行の求めを拒否した旨主張するかのようであるが、上記担当官により任意同行を求められた以降の被控訴人の行動は上記認定のとおりであって、上記書面の存在のみをもって、被控訴人が任意同行に応じたとの上記認定を左右するに足りない。そうすると、被控訴人は、前記の認定により、東京入国管理局の庁舎へ到着した後、同人に対する収容令書が執行されるまでの間に、東京入国管理局の庁舎内に止まるなどしていたことが認められるけれども、そのことから、直ちに、被控訴人の身柄が収容令書の執行前の時点において拘束されたと認めるに足りる事情はうかがわれず、他に、この点の被控訴人の上記主張事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって、本件裁決及び本件発付処分について被控訴人の上記主張の違法があると認めることはできない。
4 争点(本件発付処分の違法性)について
 被控訴人は、難民条約上の難民であるから、難民条約第33条第1項により、迫害のおそれがある本国に送還されない権利を保障されており、法第53条第3項も同様の趣旨を規定しているところ、本件退去強制令書は、被控訴人の送還先を被控訴人の本国であるトルコ共和国とするものであるから、上記各規定に違反するものであり、本件発付処分は違法である旨主張するが、被控訴人が難民条約上の難民であると認めることができないことは前記のとおりであるから、被控訴人の上記主張は、その前提を欠き、失当というべきである。
 被控訴人は、法第61条の2の4の規定により、本件不認定処分について、控訴人法務大臣に対し異議を申し出ることができるところ、退去強制処分の執行により本邦から出国してしまうと、難民である旨の認定を受けることができなくなるから、不認定処分について異議申出権を有する者に対して、退去を命じることは、被控訴人の異議申出権を侵害するものであって違法である旨主張するが、出入国管理及び難民認定法上、難民の認定の申請者が難民認定の手続の終了まで我が国に在留することができる旨を定める規定はないし、被控訴人が出入国管理及び難民認定法上の難民であると認めることができないことも前記のとおりであるから、被控訴人の上記主張は、その前提を欠き、失当というはかない。
 被控訴人は、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約第3条第1項の規定は、「締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない。」と定めているところ、披控訴人が本国であるトルコ共和国に送還されると、拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠があるから、本件発付処分は、上記規定に違反して違法である旨主張するが、本件発付処分は、平成10年10月9日付けであるところ、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約は、平成11年7月29日、我が国において効力を生じたものであって、この条約には遡及効についての規定がないし、また、控訴人東京入国管理局主任審査官が上記条約第3条第1項の規定に違反することを認めるに足りる証拠もないから、被控訴人の上記主張は失当である。
5 以上によれば、本件不認定処分、本件裁決及び本件発付処分はいずれも適法というべきであるから、各取消しを求める被控訴人の請求はいずれも理由がなく、棄却すべきものである。したがって、被控訴人の請求をいずれも認容した原判決は相当でないから、本件控訴は理由がある。
よって、原判決を取り消し、被控訴人の請求をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

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