難民認定をしない処分取消等請求控訴事件
平成17年(行コ)第254号(原審:東京地方裁判所平成15年(行ウ)第271号)
控訴人:A、被控訴人:法務大臣
東京高等裁判所第23民事部(裁判官:安倍嘉人・内藤正之・後藤健)
平成18年4月12日

判決
主 文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は、控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が控訴人に対して平成14年7月8日付けでした難民の認定をしない処分を取り消す。
3 被控訴人が控訴人に対して平成15年1月31日付けでした、前項の処分に対する異議の申出に
ついて理由がないと認める旨の決定を取り取り消す。
第2 事案の概要
1 本件は、平成12年8月7日に本邦に入国したアフガニスタン国籍の女性である控訴人が、被控
訴人に対し難民認定申請をしたところ、難民の認定をしない旨の処分を受け、また、これに対す
る異議の申出も斥けられたため、控訴人は難民に該当すること、異議申出を排斥する決定には理
由の附記がないことを主張して、上記の処分及び決定の取消しを求めた事案である。
原審は、控訴人について難民該当性があるとは認められず、また、上記決定について理由附記
に不備はないとして、控訴人の請求をいずれも棄却した。
2 本件の前提事案、争点及び争点に関する当事者双方の主張は、後記3項のとおり当審における
控訴人の主張を付加するほか、原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」に記載されたとお
りであるから、これを引用する(ただし、原判決4頁4行目の「8月5日、」の次に「平成16年6
月法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法61条の2の4に基づき、」を加える)。
3 当審における控訴人の主張(控訴人の難民該当性)
 控訴人は、カブールの《地名略》にある自宅で両親や妹とともに生活していたが、平成11年、
タリバンが来て控訴人の父に対し控訴人とタリバン兵士との結婚を迫り、その1、2日後、再
度タリバンが来て偶然居合わせた控訴人の婚約者Bを連行し、次回は控訴人を連れて行くなど
と述べたことから、このままではタリバンに連れ去られると考え、その1、2日後に家族とと
もにアフガニスタンを出国した。控訴人の姉Cは、既に平成4年ころ、内戦を逃れて他の妹や
弟を連れてパキスタンに避難していた。
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なお、原判決は、控訴人のアフガニスタン出国の経緯に関する供述について、細部が変遷し
ていることをもって、供述の信憑性を否定するが、難民認定申請者の供述というものは、申請
者のトラウマの影響、カルチャーショック、観念や概念の相違、年齢、ジェンダー、社会階級、
教育程度、人種、信仰、政治的又は社会的価値観、身体的・精神的障害などのほか、通訳人によ
る誤訳の可能性といった要因に配慮して検討する必要があり、単に変遷していることのみをも
って供述の信憑性を否定するのは、こうした難民の特殊性、とりわけイスラム文化の中で教育
を受けずに育てられてきた女性であり、過去にトラウマとなる体験をしている控訴人の特殊性
に対する配慮を欠いたもので、誤った評価といわざるを得ない。
 原判決は、アフガニスタンにおいて、本件処分当時から女性の地位向上の一貫した取組みが
され、女性の地位が相当程度改善していたと認定しているが、その根拠として挙げる女性問題
担当相の設置と女性閣僚の就任、国際的な支援、女子差別撤廃条約の批准、男女平等を規定し
た新憲法の採択等に関しては、男女差別や女性に対する虐待を減らすための取組みが開始され
たということを示すものにすぎず、アフガニスタンにおいて現実に女性の権利が擁護されてい
るとか、女性が差別や虐待を受けた場合に暫定政権が当該女性を保護する意志ないし能力を持
っていることを示すものではない。
 女性に対する差別的な慣習ないし慣習法が存在し、これを逸脱した結果として当該女性に危
害が加えられるおそれがあり、国家にこのような女性を保護する意思ないし能力がない場合に
は、女性という特定の社会的集団の構成員であることを理由とする難民に該当すると解すべき
である。本件でいえば、アフガニスタンにおいて、女性の夫ないし婚約者が死亡した場合には
その兄弟と結婚するという慣習があり、この慣習に従うことを拒否した場合には、当該男性の
名誉を害したとして女性に危害を加えること(いわゆる名誉殺人)が許され、国家がこのよう
な女性を保護しないときは、女性という特定の社会的集団の構成員であることを理由に迫害を
受けるおそれがある場合に当たる。仮に本件処分時においてカブールの治安がある程度回復し
ていたとしても、そのことをもってこのような慣習がなくなったと結論づけることはできな
い。
控訴人は、死亡したと思われる婚約者Bの兄Dから求婚されてこれを拒否したことから、ア
フガニスタンに帰国した場合、Dの名誉を傷つけたとして、同人ないしその家族から殺害され
るおそれがあり、仮に殺害されないとしても、結婚を強制されて虐待される危険にさらされて
いる。なお、この点につき、原判決は、控訴人の主張に客観的な裏付けが欠けていると説示する
が、そもそもBについて死体さえ発見されておらず、客観的な裏付けを提出することなど不可
能であるし、Dやその家族から証拠提出に協力してもらうことも困難である。
 アフガニスタンの女性が置かれた状況について、タリバン政権の崩壊後である本件処分時に
おいても、強制結婚やその拒否を理由とする名誉殺人が通常行われていることが報告されてお
り、強制結婚を拒否して家を出た場合には、逃亡したことを理由としてアフガニスタン政府に
よって刑務所に拘禁されることもある。また、婚姻した後にあっても、家庭内において男性が
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女性に対して暴力を加えることは、ごく一般的に行われており、ましてや控訴人のように、D
との婚姻を一旦は断り、同家の名誉を傷つける対応をした者については、仮に婚姻を受け入れ
ることとしたとしても、その後の生活を送る中で奴隷同然に扱われ、そこから逃げ出したとき
には投獄される可能性もある。そして、このような女性に対する暴力について、タリバン政権
崩壊後のアフガニスタン政府は、有効な保護を行うことができないでいる。
 したがって、控訴人は、ハザラ人、シーア派、女性であることを理由とする迫害を受けるおそ
れがあり、結婚強制及び名誉殺人の危険にもさらされていて、控訴人の難民該当性を否定した
原判決は誤りである。
第3 当裁判所の判断
当裁判所も、控訴人について難民該当性があるとは認められず、また、本件決定の理由附記に
不備はないから、控訴人の本件請求はいずれも理由がないのであって棄却を免れないと判断する
が、その理由は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決「事実及び理由」の「第3 当裁判所の
判断」に記載されたとおりであるから、これを引用する。
1 原判決14頁6行目から7行目の「ローガル県」を「カブール市」と改め、同16行目の「43、」の
次に「115、」を加える。
2 原判決15頁11行目の末尾に「タリバンの主流はアフガニスタンの最大民族であるパシュトゥ
ーン人で、かつイスラム教スンニ派から構成されていたところ、内戦や数々の抗争を通じて他の
民族的宗教的マイノリティーに対して激しい弾圧を加えた。」を加える。
3 原判決15頁21行目から16頁23行目までを次のとおり改める。
「エア タリバンの侵攻でカブール周辺において内戦が激化した平成4年ころ、控訴人の姉C
は、妹2人と弟を連れてパキスタンに避難し、その約1年後に一旦カブールに戻ったものの、自
宅にロケット弾が着弾する事態に直面して再びパキスタンに避難した。
一方、残った控訴人の一家は、カブール市の《地名略》に住んでいたところ、平成11年ころ、タ
リバンの兵士が控訴人宅にやって来て、控訴人をタリバン軍人と結婚させるよう迫ったり、その
場にいた控訴人の婚約者Bを連れ去ったりしたことから、控訴人らも身の危険を感じ、直ちに一
家でパキスタンのペシャワールに避難した。
イ 上記事実認定に関する控訴人の供述等の信用性の検討
ところで、控訴人本人は、アフガニスタンを出国した経緯について次のとおり供述ないし陳述
をする。
① タリバン兵士が控訴人宅を訪れ、控訴人をタリバン軍人と結婚させるよう迫ったのに対し
控訴人の父が拒絶したところ、その場にいた婚約者のBが連れ去られた。控訴人らは、次は父親
が連れて行かれると思い、その翌朝に出国した。(平成12年10月27日付け供述調書である乙7号
証)
② 平成11年7月ころ、タリバン兵士がやって来て、偶然居合わせた婚約者のBを連行すると
ともに、控訴人をタリバン軍人と結婚させるよう要求し、その2、3日後に再びやって来て、フィ
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アンセはもういないからいいだろうなどと告げた。控訴人らは、これ以上断ったら殺されると思
い出国した。(平成15年5月6日作成の陳述書である甲35号証)
③ 出国したときはどういう季節であったのか覚えていない。タリバンが初めて来たときにB
が連れて行かれた。(原審供述)
④ 平成11年ころの日付も季節もはっきり覚えていないが、タリバン兵がやって来て、Bはど
こにいるのか、控訴人を嫁にもらっていくと言い放ち、その1、2日後に再びやって来て、偶然居
合わせたBを連れて行くとともに、次回は控訴人を連れて行くと言った。(平成18年1月8日付
け陳述聴取書である甲115号証)
このように控訴人の供述等には、アフガニスタンを出国した時期や婚約者のBが連れ去られた
前後の状況について、不明瞭な点や若干の食い違いのある点がみられるが、タリバン兵が控訴人
宅に来て、控訴人をタリバン軍人と結婚させるよう要求し、その場に居合わせた婚約者のBを連
れ去ったため、控訴人らも身の危険を感じて出国したという肝要な部分については、供述内容が
一貫しているといって差し支えない。そして、特にそのときに味わった恐怖の体験が及ぼした心
理的影響を考えると、些細な食い違い等があるからといって、控訴人の供述等の信用性を一概に
否定するのは相当でない。」
4 原判決17頁2行目の「関西国際空港から」の次に「親族訪問目的で」を、同3行目の末尾に「なお、
控訴人は、上記の経緯で出国して以来、アフガニスタンに帰国したことはない。」を、同9行目の
「112、」の次に「116、119、」をそれぞれ加える。
5 原判決19頁13行目の「発表し、」の次に「カルザイ氏が」を加える。
6 原判決21頁22行目の「展開し、」の次に「タリバン政権下では度々迫害を受けてきた多くのハ
ザラ人も自由に商売を営むなど」を、同24行目の「また」の前に「アフガニスタンでは、従前から
女性に対する性暴力、家庭内暴力、婚姻の強要、理不尽な拘禁などの虐待が繰り返されているこ
とが様々なレポート等を通じて報告され、前記のとおり、タリバン政権下では女性の就労や教育
が禁止されるなど、女性は極めて過酷な環境に置かれていた。しかし、暫定行政機構はその発足
直後から女性に対する教育を再開するなど、暫定政権は、女性問題の重要性を認識し、国際機関
や支援国の援助も得て、女性の社会的地位の向上、改善に向けて積極的な取組みを見せている。」
をそれぞれ加え、同22頁5行目の「本件処分」を「本件処分時」と改める。
7 原判決23頁4行目から23行目までを「(甲115、原審証人E)」と改める。
8 原判決26頁2行目から6行目までを「確かに米中軸同時多発テロを契機とした米英軍による空
爆、それに続くタリバン政権の崩壊といった目まぐるしい情勢の変化の下で、控訴人が、本件処
分時及び本件決定時において、ハザラ人、シーア派、女性であることを理由に追害を受けるおそ
れがあるという恐怖を抱いていたことは、証拠(甲35、43、115、乙5、7、9、10、原審における
控訴人本人)及び弁論の全趣旨により認めることができる。しかしながら、前記1に認定した事
実に照らしてみると、本件処分時及び本件決定時のいずれの時点においても、国際社会の援助や
協力の下、アフガニスタン全土を掌握するに至った暫定政権ないし移行政権は、女性の権利拡大
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に積極的に努めており、また、タリバン政権下のように民族的宗教的マイノリティーであるとい
う理由で弾圧を受けるおそれもなくなったといって差し支えないのであって、ハザラ人若しくは
シーア派若しくは女性であることを理由として、迫害を受けるおそれがあるという恐怖が法2条
にいう「十分に理由のある」ものであるということはできない。」と改める。
9 原判決26頁16行目から同27頁4行目までを次のとおり改める。
「そこで、検討するに、控訴人がアフガニスタンに帰国すればその家族の生活しているカブール
において生活することになると推認されるところ、その地域においてある女性の婚約者が死亡し
た場合は婚約者の兄弟との結婚を強制されるとの慣習があったこと及びこの結婚を拒否した場合
は当該女性を婚約者の兄弟ないし家族が殺害する慣習があったことについては、控訴人はその趣
旨を陳述するが、これを認めるに足る的確な客観的な証拠はないといわざるを得ない。
この点について、控訴人は、いわゆる名誉殺人に関する書証(甲37ないし41、92等)を提出し
ているが、これらの多くはアラブの各地域の慣習に関するものであり、地域により民族、文化、宗
教が複雑に入り組んでいるアフガニスタンのカブール地域におけるハザラ人ないしDの属するサ
ダト人の慣習について的確に示すものとはいえない。また、これらの証拠によれば、この名誉殺
人の典型的な例としては、配偶者を勝手に選んだことや強姦されたことなどを理由に、当該女性
の所属する家によって行われるものがあげられ、このような慣習の背景には、女性の純潔を家の
財産ととらえる考え方を前提として、不貞や不道徳な行いをした女性に対してその所属する家の
名誉を害されたとして制裁を加えることについて許容的な文化があり、さらに結婚に当たっては
夫の家から妻の家に対して一定の対価が支払われる慣習から若い女性は財産的な価値を有してい
るとみる文化もあるとみられる。しかしながら、仮にこのような慣習が依然としてアラブの地域
に残存するとしても、控訴人が婚約したというだけで、婚約者の死亡後にその兄弟と結婚するこ
とを拒んだ女性を結婚を拒まれた男性が殺害することを許容するという慣習があったことを認め
ることはできない。
また、仮に、控訴人の主張する名誉殺人の慣習があったとしても、既に認定したところに照ら
すと、本件処分時及び本件決定時において、アフガニスタンの首都であるカブールにおいて、暫
定政権ないし移行政権のもとでこれらの殺人行為が社会的慣習に基づく正当な行為として許容さ
れたり、黙認されたりしていたとは到底考えがたく、仮にDから控訴人に対して不当な加害行為
があるとすれば、国家機関としてこれを放置黙認したとは考えがたいというべきである。
さらに、具体的に控訴人の主張するところを証拠に照らして検討してみると、控訴人が婚約者
であったBの死亡後にその兄であるDから求婚され、これを拒否したことから殺害される具体的
な危険があったということもできないといわざるを得ない。その理由は次のとおりである。
すなわち、控訴人は、本件難民認定申請の段階では、もっぱら自分がハザラ人、シーア派ない
し女性であることを理由として迫害を受ける可能性があること、タリバン兵士から結婚を強制さ
れ、あるいは女性として迫害されるおそれのあることを難民該当性の理由として挙げていたとこ
ろ(平成12年10月作成の乙5、7)、本件処分に対する異議申出の段階では、アフガニスタンに戻
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ることができない理由は、婚約者のBが殺されてしまったかもしれず、その兄のDが控訴人との
結婚を迫っていて、控訴人の父もこれを承諾してしまっており、Dの申入れを拒絶すれば控訴人
が殺されるおそれがある、そのDが第1番目の迫害の中心であると主張するに至った(平成14年
12月作成の乙10)。
しかしながら、Bの死亡を知った時期について、平成18年1月作成の控訴人の陳述録取書であ
る甲115号証においては、日本に来てからBが死んで葬式をしたことを母から電話で聞いたがい
つごろ聞いたのかはっきりしないと述べ、原審における控訴人本人尋問においても同様に覚えて
いないとの供述をしているが、Bは控訴人の婚約者であったという上、その死亡はDの求婚にか
かわる重要な事実であるだけに、その死亡を知った時期がはっきりしないことは不自然であると
いうほかはない(なお、子細に検討すれば、甲35号証が作成された平成15年5月6日と、甲43号
証が作成された同年8月10日との間に母から聞いたものと思われるが、そうであれば尚更時期の
特定ができないというのは不自然である。)。
また、Dの求婚についても、原審において控訴人本人は、パキスタンに滞在しているときにも
求婚があった、そのことは難民認定の申請時にも述べていると供述しているが、難民認定申請時
の供述調書である乙7号証では、詳細な聴取の結果が記載されているにもかかわらず、Dについ
ては何ら触れられていないこと、上記甲115号証では、パキスタンにいるときから、Bの家族が控
訴人を他の人と結婚させたら駄目だと言って、Dも何度も家まで押しかけては脅してきた、控訴
人が日本に来てBが死んだことがはっきりしてきたので、Dと結婚するようにという脅しがエス
カレートしてきたと述べ、さらに上記甲43号証では、タリバンへの空爆でタリバンが撤退したこ
とからBの死亡が明らかになったため、Dから求婚されるようになったと供述するなど、控訴人
にとっては極めて重要な事実である求婚について、その時期に関する控訴人の供述は一貫性を欠
いており、これもまた不自然というほかない。
さらに、控訴人は、Dと会ったことはない(甲43)、Dはカブールにずっと住んでいる(原審供
述)とも述べているが、パキスタンにいるときDから求婚されたり脅されたとするならば、控訴
人は、Dと直接の面識があるはずであって、それにもかかわらずDと会ったことはないなどと述
べている点も、見過ごしがたい矛盾というべきである。
控訴人は、Dの存在が第1番目の迫害の中心であるとつとに主張しているのであるから、これ
らの重要な事項についての供述の齟齬は決して軽くみることができず、その供述内容にあいまい
な部分が多いことも併せて、控訴人の供述等はにわかに信用することができないといわなければ
ならない。前記の出国の経緯など、控訴人の経歴や受けた体験の同情すべきところに思いを馳せ
るとしても、上記の判断を左右するものではない。
したがって、Bの死亡の事実はともかくとしても、Dから求婚ないし殺害の脅迫を受けていた
という主張について、他に何らの客観的証拠も存在しないことを合わせ考慮すれば、控訴人の主
張は容易に採用することができないというべきである。
なお、原審証人のEは、Dが控訴人に求婚したものの、控訴人が断ったので怒っていると証言
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するが、他方で、自分はDと会ったことも話したこともない、Dのことは控訴人や妻から聞いて
いると証言しており、肝要な点は控訴人らからの伝聞であることがうかがえる。さらに、C(控訴
人の姉で、かつEの妻)も、甲116号証の陳述録取書において、1999年(平成11年)7月にパキス
タンに行ったとき、控訴人が婚約者の親族らによって連れ去られそうだとの話が出ていたと述べ
るだけであって、Dの求婚等について全く触れておらず、控訴人が連れ去られそうであるという
話の根拠も不明確である。したがって、これらの証言や陳述を基にして控訴人の主張を認めるこ
とはできない。
よって、以上のいずれの観点に照らしても、Dによる結婚強制及び名誉殺人については、「迫害
を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」があると認めることはできない。」
第4 結論
よって、控訴人の本件請求をいずれも棄却した原判決は正当であって、本件控訴は理由がない。

退去強制令書発付処分等取消、難民認定をしない処分取消請求控訴事件
平成17年(行コ)第276号(原審:東京地方裁判所平成13年(行ウ)第406号〔A事件〕、平成14年(行ウ)第
255号〔B事件〕)
控訴人:A、被控訴人:法務大臣・東京入国管理局主任審査官
東京高等裁判所第15民事部(裁判官:赤塚信雄・佐藤陽一・古久保正人)
平成18年6月12日

判決
主 文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人法務大臣が平成13年11月28日付けで控訴人に対してした出入国管理及び難民認定法
49条1項に基づく控訴人の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
3 被控訴人東京入国管理局主任審査官が同日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分を
取り消す。
4 被控訴人法務大臣が同日付けで控訴人に対してした難民の認定をしない旨の処分を取り消す。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
 本件は、控訴人が、ア被控訴人法務大臣が控訴人に対して在留特別許可を与えずにした出入
国管理及び難民認定法49条1項に基づく控訴人の異議の申出は理由がない旨の裁決について
は、事実の誤認があり、裁量権の濫用ないし逸脱があるから、違法であるとして、上記裁決の取
消しを求め、また、被控訴人東京入国管理局主任審査官が控訴人に対してした退去強制令書発
付処分については、瑕疵ある上記裁決に基づくものであり、かつ、固有の瑕疵があるとして、そ
の取消しを求め(A事件)、イ被控訴人法務大臣が控訴人に対してした難民の認定をしない旨の
処分については、事実誤認、理由附記の不備の違法があるとして、その取消しを求める(B事件)
事案である。
 原審は、ア控訴人は出入国管理及び難民認定法にいう難民には該当しないから、被控訴人法
務大臣がした控訴人の異議の申出は理由がない旨の裁決については、事実誤認、裁量権の濫用、
逸脱はなく、違法ではない、被控訴人東京入国管理局主任審査官が控訴人に対する退去強制令
書発付処分において送還先をアフガニスタンと定めたこと等についても違法はない、また、イ
被控訴人法務大臣がした難民認定をしない旨の処分の通知書に記載された理由に不備があると
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はいえないから違法なところはないとして、控訴人の本件各請求を棄却した。これに対し、控
訴人が、原審の事実認定及び法令の解釈の誤りを主張して、控訴した。
2 前提事実
原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」1項(原判決3頁8行目から4頁末行まで)
に記載のとおりであるから、これを引用する。
3 争点及び争点に関する当事者の主張
原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」2項(原判決5頁1行目から8行目まで及び
同別紙)に記載のとおりであるから、これを引用する。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も、当審における控訴人の主張及び証拠調べの結果を考慮しても、被控訴人らがした
処分はいずれも違法ではないので、控訴人の本件請求は理由がなく棄却すべきものと判断する。
その理由は、次に付加するほかは、原判決理由説示(原判決5頁9行目から29頁20行目まで)の
とおりであるから、これを引用する(ただし、原判決12頁24行目から25行目の「平成13年(2001
年)1月付け」を「平成11年(1999年)1月付け」に、13頁4行目の「平成14年(2002年)4月付け」
を「平成13年(2001年)4月付け」に改める。)。
 控訴人は、タリバン政権下において、ハザラ人がタリバンから支配争奪を巡る戦闘時の対立
状況を離れて、「単に」その民族及び宗教を理由に、生命、身体に対して危害を加えられ、迫害
されていたとは認め難いと判断した点(原判決18頁23行目ないし26行目)について、難民条約
1条Aは、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見
を「理由に」迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有することを要件とし
ているのであって、「単に」というような限定はどこにも付されていない旨主張する。
しかしながら、先に引用した原判決認定のとおり、タリバンによる残虐な行為が行われた地
域は戦闘地域に集中しており、また、イスラム統一党(ハザラ人が基盤)の側も一般市民に対し
て残虐な行為をしたと報告されていて、こうした残虐な行為のほとんどは内戦下の対立組織の
支配地域を占領した際に報復の意図で行われていたとみられ、タリバンは、パシュトゥーン人
中心の組織であるとはいえ、ハザラ人も構成員に含んでいるのである。これらの事実関係から
すると、ハザラ人が、タリバンから生命身体に危害を加えられ、迫害を受けた事実があるとは
いえ、それは、上記のような内戦下における対立組織の支配地域が占領された際、その地域に
住む者を対象とする報復行為として行われたものであって、民族的、宗教的な違いから、ハザ
ラ人であることを理由として加えられたものとは認め難い。この趣旨を示すために「単に」と
表現したものであって、何ら難民条約の上記条項に新たな要件を付加するものではない。なお、
控訴人が引用するハザラ人であることを理由とする迫害の存在を指摘する文献(甲202の3、
乙101)の記載は、先に引用した原判決説示の理由から、採用し難い。
 控訴人は、被控訴人法務大臣の本件不認定処分当時、タリバン政権が崩壊していたことのみ
を捉え、迫害のおそれは払拭されたと判断するのは、難民条約の解釈を誤っていると主張する。
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しかしながら、上記のとおり、本件不認定処分当時、ハザラ人がタリバンから迫害を受け
た事実があったと認められるとはいえ、それは、民族的、宗教的な違いからハザラ人であるこ
とを理由として加えられたものとは認め難いのであるから、そもそも難民条約が規定するよう
な迫害のおそれがあったとはいえず、控訴人の上記主張は、前提自体が失当というべきである。
なお、先に引用した原判決認定のとおり、国土の大部分の地域で、当時、タリバンとイスラム統
一党あるいは北部同盟との内戦が既に終息していたから、控訴人の主張するように、そうした
状況の変化がなお本質的変化にまでは至っていないと判断すべきであるにせよ、ハザラ人がそ
れまで戦闘地域において受けたとされる残虐行為の危険性が減少したことも明らかというべき
である。
 控訴人は、控訴人本人ないしその兄の体験がハザラ人に対する宗教及び人種を理由に加えら
れた迫害に当たると主張する。
しかし、それらの体験は、民族及び宗教上の対立と無関係であるとはいえないにせよ、いず
れも戦闘状態を離れて民族及び宗教を理由にする迫害であるとは認め難いことは、先に引用し
た原判決説示のとおりである。
したがって、控訴人の主張は採用できない。
 控訴人は、控訴人に対する在留特別許可をしなかった被控訴人法務大臣の本件裁決には裁量
権の濫用又は逸脱があると主張する。
しかし、控訴人の当審における主張及び証拠調べの結果を参酌しても、本件裁決に裁量権の
濫用又は逸脱があると認めることはできない。
したがって、控訴人の主張は採用できない。
 控訴人は、ハザラ人はその民族や宗教が寄与的要因となって迫害を受けたものであるから、
ハザラ人である控訴人は難民条約上の難民に当たると主張する。
しかし、先に引用した原判決認定のとおり、ハザラ人は、戦闘状態の下で様々な迫害を受け
ることがあったもので、その民族及び宗教が遠因となってそうした迫害を受けたとは認められ
るものの、さらにすすんでそうした点が迫害を受けるについての寄与的要因にまで達していた
と認めるに足りる的確な証拠はない。
したがって、控訴人の主張は採用できない。
2 以上によれば、控訴人の請求はいずれも理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、
本件控訴はいずれも理由がない。よって、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

難民認定をしない処分取消等請求事件(第1事件)
平成15年(行ウ)第416号
退去強制令書発付処分取消等請求事件(第2事件)
平成16年(行ウ)第289号
原告:A、両事件被告:法務大臣、第2事件被告:東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:鶴岡稔彦・古田孝夫・潮海二郎)
平成18年6月13日

判決
主 文
一 被告法務大臣が原告に対し平成一四年五月一三日付け(告知は同年六月七日)でした難民の認
定をしない処分を取り消す。
二 被告法務大臣が原告に対し平成一六年三月一日付け(告知は同年五月七日)でした出入国管理
及び難民認定法四九条一項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
三 被告東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成一六年五月七日付けでした退去強制令書発付
処分を取り消す。
四 原告のその余の請求を棄却する。
五 訴訟費用のうち、原告に生じた費用は四分し、その一を原告の負担とし、その二を被告法務大
臣の負担とし、その余を被告東京入国管理局主任審査官の負担とし、被告法務大臣に生じた費用
は三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告法務大臣の負担とし、被告東京入国管理局主
任審査官に生じた費用は被告東京入国管理局主任審査官の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
(第一事件)
一 主文第一項と同旨(以下同項記載の処分を「本件不認定処分」という。)
二 被告法務大臣が原告に対し平成一五年三月二〇日付け(告知は同年四月八日)でした本件不認
定処分に係る原告の異議の申出は理由がない旨の決定(以下「本件決定」という。)を取り消す。
(第二事件)
一 主文第二項と同旨(以下同項記載の裁決を「本件裁決」という。)
二 主文第三項と同旨(以下同項記載の処分を「本件退令発付処分」といい、被告東京入国管理局主
任審査官を「被告主任審査官」という。)
第二 事案の概要
本件は、アフガニスタン国(以下「アフガニスタン」という。)国籍を有する原告が、出入国管理
及び難民認定法(平成一六年法律第七三号による改正前のもの。以下「法」という。)の規定に基
づいて、被告法務大臣に対し、難民の認定の申請をしたところ、同被告から、難民不該当を理由に
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本件不認定処分を受け、これに対する異議の申出についても理由がない旨の本件決定を受けたこ
と(第一事件)、また、原告に対する退去強制手続において、同被告から、法四九条一項に基づく
異議の申出には理由がない旨の本件裁決を受け、被告主任審査官から、本件退令発付処分を受け
たこと(第二事件)について、本件不認定処分、本件裁決及び本件退令発付処分には原告が難民で
あることを看過した違法があり、本件決定には理由不備の違法があると主張して、これらの各処
分等の取消しを求める事案である。
一 法令等の定め
 難民の意義等
法において、「難民」とは、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)一条の規定
又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)一条の規定により難民条約の適
用を受ける難民をいう(法二条三号の二)。
ア 難民の意義
難民条約一条A及び難民議定書一条二項は、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集
団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由
のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けること
ができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まな
いもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国
に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に
帰ることを望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民であると定めている。
イ 事由の消滅に基づく終止条項
難民条約一条Cは、「Aの規定に該当する者についてのこの条約の適用は、当該者が次の場
合のいずれかに該当する場合には、終止する。」と定め、「次の場合」として、「 難民であ
ると認められる根拠となった事由が消滅したため、国籍国の保護を受けることを拒むことが
できなくなった場合」及び「 国籍を有していない場合において、難民であると認められ
る根拠となった事由が消滅したため、常居所を有していた国に帰ることができるとき。」を掲
げている。
ウ 追放及び送還の禁止
難民条約三三条一項は、「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若
しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅
威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と定めている。
 難民認定手続
法は、難民認定手続について、次のように定めている。
ア 法務大臣は、本邦にある外国人から申請があったときは、その提出した資料に基づき、そ
の者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができる(六一条の二
第一項)。
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イ 難民の認定の申請(以下「難民認定申請」という。)は、その者が本邦に上陸した日(本邦に
ある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から六〇日以内に行
わなければならない(六一条の二第二項本文)。ただし、やむを得ない事情があるときは、こ
の限りでない(同項ただし書)。
ウ 法務大臣は、難民の認定をしたときは、当該外国人に対し、難民認定証明書を交付し、難民
の認定をしないときは、当該外国人に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知する
(六一条の二第三項)。
エ 難民の認定をしない処分(以下「難民不認定処分」という。)に不服がある外国人は、その
通知を受けた日から七日以内に、法務大臣に対し異議を申し出ることができる(行政不服審
査法の規定による不服申立てをすることはできない。六一条の二の四第一号)。
オ 法務大臣は、四九条一項の規定による異議の申出(後記エ)をした者が難民の認定を受
けている者であるときは、五〇条一項に規定する場合(後記カ)のほか、四九条三項の裁決
に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、その者の在留を特別に許可するこ
とができる(六一条の二の八)。
 退去強制手続
法は、退去強制手続について、次のように定めている。
ア 在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者(二四条四号
ロ)その他の法に規定する事由に該当する外国人については、法に規定する手続により、本
邦からの退去を強制することができる(同条)。
イ 外国人が前記アの事由(以下「退去強制事由」という。)に該当すると疑うに足りる相当の
理由があるときは、入国警備官は、主任審査官が発付する収容令書により、当該外国人を収
容することができ(三九条)、収容した外国人は入国審査官に引き渡さなければならず(四四
条)、引渡しを受けた入国審査官は、審査の結果、当該外国人が退去強制事由に該当すると
認定したときは、速やかに、主任審査官及び当該外国人にその旨を知らせなければならない
(四七条二項)。
ウ 入国審査官の認定に対し、当該外国人から口頭審理の請求(四八条一項)があったときは、
特別審理官は、口頭審理を行い(同条三項)、その結果、入国審査官の認定が誤りがないと判
定したときは、速やかに、主任審査官及び当該外国人にその旨を知らせなければならない(同
条七項)。
エ 特別審理官の判定に対し、当該外国人から異議の申出(四九条一項)があったときは、法務
大臣は、当該異議の申出が理由があるかどうかを裁決し、その結果を主任審査官に通知しな
ければならない(同条三項)。
オ 主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたとき
は、速やかに、当該外国人に対し、その旨を知らせるとともに、退去強制令書を発付しなけれ
ばならない(四九条五項)。
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カ 法務大臣は、四九条三項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、
当該外国人が永住許可を受けているとき(五〇条一項一号)、かつて日本国民として本邦に本
籍を有したことがあるとき(同項二号)、その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があ
ると認めるとき(同項三号)は、当該外国人の在留を特別に許可することができる(同項。以
下この許可を「在留特別許可」という。)。
キ 退去強制を受ける者は、原則として、その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるも
のとするが(五三条一項)、法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を
除き、退去強制を受ける者が送還される国には難民条約三三条一項に規定する領域の属する
国を含まないものとする(五三条三項)。 
二 前提となる事実
 原告の国籍等
原告は、一九七〇(昭和四五)年ころにアフガニスタンで出生したアフガニスタン国籍を有
するタジク人男性である。
 アフガニスタンの歴史的沿革
ア タリバンが台頭する以前の経緯
アフガニスタンは、パシュトゥン人、タジク人、ウズベク人、ハザラ人などの民族が混在す
る多民族国家である。一九一九(大正八)年に王制の下で英国からの独立を達成し、一九七三
(昭和四八)年七月に共和制に移行後、一九七八(昭和五三)年の政変により共産主義の人民
民主党(PDPA)政権が成立した。
一九七九(昭和五四)年一二月のソ連軍侵攻後、ソ連の支援下で共産主義のカルマル政権
が成立したが、イスラム原理主義を中心とするムジャヒディン(「イスラム聖戦士達」の意)
がソ連及び政権に対する抵抗を開始し、アフガニスタン国内は内戦状態となった。
一九八六(昭和六一)年五月にカルマルからナジブラに政権が引き継がれたが、一九八九
(平成元)年二月にソ連軍が撤退すると、一九九二(平成四)年四月にはナジブラ政権は崩壊
し、ムジャヒディン各派による連立政権が成立した。
その後、ムジャヒディン各派同士での主導権争いにより内戦が激化した。
イ タリバンによる国土の掌握
一九九四(平成六)年末ころ、イスラム原理主義の新興勢力であるタリバンが台頭し、急速
に支配地域を拡大して、一九九六(平成八)年九月には首都カブールを占拠した。タリバンは、
ムハマンド・オマル師を最高指導者とする集団であり、パキスタンの「マドラサ」と呼ばれ
る宗教学校の教師や学生を中心として結成されたといわれ、アフガニスタンの最多民族であ
るパシュトゥン人を主体とする。
こうしたタリバンの進攻に対し、ムジャヒディン各派は反タリバン勢力として統一戦線
(北部同盟)を結成し、両者の間での激しい内戦が継続した。後にタリバン崩壊後の暫定行政
機構の中核をなすに至る北部同盟は、タジク人を主体とするラバニ=マスード派、ウズベク
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人を主体とするアフガニスタン・イスラム運動、ハザラ人を主体とするイスラム統一党を中
心とする。
タリバンは、一九九八(平成一〇)年に入り、北部の要衝地であるマザリシャリフなどを支
配下におさめ、二〇〇一(平成一三)年四月初め現在では、国土の九割を掌握していたといわ
れている。
ウ タリバン政権の崩壊とその後の状況
二〇〇一(平成一三)年九月一一日に米国で発生した同時多発テロを契機として、米軍を
中心とする空爆及び北部同盟等による攻撃が行われ、同年一二月、タリバンがアフガニスタ
ンにおいて統治機能を喪失し、同月二二日に暫定行政機構が成立し、その後、ロヤ・ジルガ
(国民大会議)を経てカルザイ大統領を首班とする移行政権が成立した。
 原告の本邦への入国及び在留状況
ア 入国の状況、在留資格及び在留期間
ア 原告は、二〇〇〇(平成一二)年一〇月一九日、イラン・テヘランから、イラン航空
八〇〇便により、北京を経由し、新東京国際空港(以下「成田空港」という。)に到着し、東
京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官から、在留資格「短期滞
在」、在留期間九〇日の上陸許可を受け、本邦に上陸した。
イ 原告は、二〇〇一(平成一三)年一月三一日及び同年五月一七日、在留期間更新許可を受
け、これにより、原告の最終の在留期限は、二〇〇一(平成一三)年七月一六日までとなっ
た。
ウ 原告は、二〇〇〇(平成一二)年一二月一五日及び二〇〇一(平成一三)年一月一七日、
被告法務大臣から、活動の内容を「収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動」
とする資格外活動許可を受け、許可の最終の期限は、二〇〇一(平成一三)年四月一七日ま
でであった。
イ 外国人登録の状況
ア 原告は、二〇〇〇(平成一二)年一一月一六日、東京都中央区長に対し、同区月島《住所略》
を居住地として外国人登録申請をし、同年一一月二八日、外国人登録証明書の交付を受け
た。
イ 原告は、二〇〇一(平成一三)年二月一日、静岡県沼津市長に対し、同市千本東町《住所略》
を居住地として居住地変更登録を行った。
ウ 原告は、二〇〇一(平成一三)年四月一六日、東京都中央区長に対し、同区月島《住所略》
を居住地として居住地変更登録を行った。
エ 原告は、二〇〇一(平成一三)年七月一六日、静岡県裾野市長に対し、同市富沢《住所略》
を居住地として居住地変更登録を行った。
オ 原告は、二〇〇一(平成一三)年七月二三日、東京都中央区長に対し、同区月島《住所略》
を居住地として居住地変更登録を行った。
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カ 原告は、二〇〇一(平成一三)年一一月三〇日、川崎市川崎区長に対し、同区日進町《住
所略》を居住地として居住地変更登録を行った。
キ 原告は、二〇〇二(平成一四)年六月一一日、東京都あきるの市長に対し、同市野辺《住
所略》を居住地として居住地変更登録を行った。
ク 原告は、二〇〇三(平成一五)年八月一五日、静岡県裾野市長に対し、同市富沢《住所略》
を居住地として居住地変更登録を行った。
 難民認定手続、退去強制手続及び刑事手続の経緯
ア 原告は、二〇〇〇(平成一二)年一二月一一日、被告法務大臣に対し、「人種」、「特定の社会
的集団の構成員であること」及び「政治的意見」を理由とした迫害を受けるおそれがあると
して、難民認定申請(以下「本件認定申請」という。)をした。
イ 東京入管難民調査官は、二〇〇一(平成一三)年七月二三日及び同年八月二一日、本件認定
申請について、原告から事情を聴取した。
ウ 東京入管入国警備官は、二〇〇一(平成一三)年一〇月一二日及び同年一一月一三日、違反
調査のため、原告から事情を聴取した。
エ 東京入管入国警備官は、二〇〇一(平成一三)年一一月二八日、被告主任審査官から、原告
について法二四条四号ロ(不法残留)容疑での収容令書の発付を受け、同年一一月三〇日、同
令書を執行して原告を東京入管収容場に収容し、同日、原告を東京入管入国審査官に引渡し
た。被告主任審査官は、同日、原告の仮放免を許可した。
オ 東京入管入国審査官は、二〇〇一(平成一三)年一一月三〇日及び二〇〇二(平成一四)年
一月二三日、原告について違反審査をし、その結果、同年一月二三日、原告が法二四条四号ロ
(不法残留)に該当する旨の認定をし、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、口頭審
理を請求した。
カ 原告は、二〇〇二(平成一四)年四月二八日、法違反(不法残留)の被疑者として、神奈川
県川崎警察署員によって逮捕され、同日、釈放された。
キ 被告法務大臣は、二〇〇二(平成一四)年五月一三日、本件認定申請について、本件不認定
処分をし、同年六月七日、原告に対し、「あなたの『人種』、『特定の社会的集団の構成員であ
ること』及び『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立ては証明さ
れず、難民の地位に関する条約第一条A及び難民の地位に関する議定書第一条二に規定す
る『人種』、『特定の社会的集団の構成員であること』及び『政治的意見』を理由として迫害を
受けるおそれは認められないので、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」と
の理由を付して、これを通知した。
ク 原告は、二〇〇二(平成一四)年六月一三日、被告法務大臣に対し、本件不認定処分につい
て異議の申出をした。
ケ 原告は、二〇〇二(平成一四)年九月一二日、前記カの法違反(不法残留)被疑事件について、
起訴猶予処分となった。
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コ 東京入管難民調査官は、二〇〇三(平成一五)年一月二〇日、前記クの異議の申出について、
原告から事情を聴取した。
サ 被告法務大臣は、二〇〇三(平成一五)年三月二〇日、前記クの異議の申出に理由がない旨
の本件決定をし、同年四月八日、原告に対し、「貴殿の難民認定申請につき再検討しても、難
民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に、貴殿が難民条約上の難民
に該当することを認定するに足りるいかなる資料も見出し得なかった。」との理由を付して、
これを通知した。
シ 東京入管特別審理官は、二〇〇四(平成一六)年二月一三日、原告について口頭審理をし、
その結果、同日、前記オの認定に誤りがない旨の判定をし、原告にこれを通知したところ、原
告は、同日、被告法務大臣に対し、異議の申出をした。
ス 被告法務大臣は、二〇〇四(平成一六)年三月一日、前記シの異議の申出は理由がない旨の
本件裁決をし、その通知を受けた被告主任審査官は、同年五月七日、原告にこれを通知する
とともに、送還先をアフガニスタンとする本件退令発付処分をした。
セ 東京入管入国警備官は、二〇〇四(平成一六)年五月七日、本件退令発付処分に係る退去強
制令書を執行して原告を東京入管収容場に収容した。
 本件訴訟の提起及び仮放免等
ア 本件訴訟の提起
原告は、二〇〇三(平成一五)年七月七日に第一事件を、二〇〇四(平成一六)年七月二日
に第二事件をそれぞれ提起した。
イ 仮放免等
ア 東京入管入国警備官は、二〇〇四(平成一六)年一一月四日、原告を入国者収容所東日本
入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収した。
イ 原告は、二〇〇五(平成一七)年五月一〇日、東日本センター所長から、指定住居を「静
岡県裾野市富沢《住所略》」とする仮放免許可を受け、同日、東日本センターから出所した。
三 本件の争点の概要
本件の争点は、本件不認定処分、本件決定、本件裁決及び本件退令発付処分の各取消原因の存
否であり、その前提として、原告の難民該当性(原告が、法二条三号の二に規定する「難民」、すな
わち、難民条約の適用を受ける難民に当たるかどうか。)が争われている。原告の難民該当性に関
する当事者の主張の要旨は、後記四及び五のとおりであり、各処分等の取消原因に関する当事者
の主張は、次のないしのとおりである。
 本件不認定処分の取消原因について(第一事件)
ア 原告の主張
後記四のとおり、原告は難民であるにもかかわらず、この点を看過してなされた本件不認
定処分には、難民条約及び法に違反する違法があり、取消しを免れない。
イ 被告法務大臣の主張
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後記五のとおり、原告は難民であるとは認められないから、本件不認定処分は適法である。
 本件決定の取消原因について(第一事件)
ア 原告の主張
難民不認定処分に係る異議の申出についての決定にも、行政不服審査法四八条において準
用する同法四一条が適用され、理由の付記が要求される。その理由の内容は、いかなる事実
関係に基づいていかなる法規を適用して異議の申出を理由がないと判断したのかを、異議申
出人においてその通知書自体から了知し得る程度のものでなければならず、いかなる事実関
係を認定して異議申出人がこれに該当しないと判断したのかが具体的に記載されなければな
らない。
このような基準に照らすと、本件決定は、適法な理由付記がなされたとはいえないから、
取消しを免れない。
イ 被告法務大臣の主張
本件決定は、処分に対する行政不服審査法上の異議申立てについての決定としての性質を
有するものであり、同法四八条において準用する同法四一条一項が適用され、理由の付記を
要するものと解されるところ、一般的には、異議の申出を棄却する場合は、原処分の付記理
由と相まって原処分を相当として維持する理由が明らかにされれば足りるというべきであ
る。
これを本件についてみると、本件決定には前記のとおりの理由が付されており、本件不認
定処分の付記理由(そもそも難民であることの立証責任は申請者が負うものであり、被告法
務大臣は、証拠関係を総合しても申請者が難民であることを基礎付ける事実の存在が認めら
れないときは、難民と認定することができないのであるから、難民であると認める具体的根
拠がない旨を記載するだけで、法の要求する難民不認定処分の理由付記としても十分であ
る。)をも考慮すれば、それを維持する理由は明らかであるから、本件決定の理由付記は適法
というべきである。
 本件裁決の取消原因について(第二事件)
ア 原告の主張
後記四のとおり、原告は難民に該当する。一般には、在留特別許可を付与するか否かは被
告法務大臣の裁量に属するものではあるが、他方、日本国は、難民条約の締結国としてその
履行義務を負う。したがって、被告法務大臣といえども、難民に対しては、難民条約の趣旨に
従って、在留特別許可を付与すべきか否かを判断しなければならない。
原告は、アフガニスタン以外の第三国への入国の許可を得ておらず、アフガニスタン以外
に原告の送還を受け入れる国はない。とすれば、被告法務大臣が原告に在留特別許可を付与
せずに異議の申出に理由がない旨の裁決を行えば、この裁決を受けて、被告主任審査官が、
原告に対して、送還先をアフガニスタンとして退去強制令書を発付することが予定されてい
る。あるいは、アフガニスタンに原告を送還すれば迫害を受けるおそれがあるものとして、
- 9 -
被告主任審査官ないし入国警備官が、原告を送還不能と判断するとすれば、結局、退去強制
令書の収容部分の効力による無期限の収容という事態を招来することになる。以上によれ
ば、被告法務大臣は、原告に在留特別許可を付与すべきこととなる。
したがって、本件裁決は、原告の難民該当性の判断を誤り、又は法令の解釈を著しく誤っ
たものであるから、取消しを免れない。
イ 被告法務大臣の主張
在留特別許可に係る被告法務大臣の裁量の範囲は、極めて広範なものであり、その判断が
裁量権の逸脱濫用に当たるとして違法と評価されるのは、法律上当然に退去強制されるべき
外国人について、なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があった
にもかかわらずこれが看過されたなど、在留特別許可の制度を設けた法の趣旨に明らかに反
するような極めて特別な事情が認められる場合に限られる。
原告は、法二四条四号ロ所定の退去強制事由に該当し、退去強制されるべき者であり、ま
た、後記五のとおり、原告は難民に該当せず、原告が本国に送還されたとしても迫害を受け
るおそれはなく、本国への送還が難民条約等に違反することもない。したがって、原告に在
留特別許可を認めるべき積極的な理由があるとはいえないから、被告法務大臣が在留特別許
可を付与せずにした本件裁決に、裁量権を逸脱濫用した違法があるということはできない。
 本件退令発付処分の取消原因について(第二事件)
ア 原告の主張
退去強制令書は、法四九条一項の異議の申出に理由がない旨の被告法務大臣の裁決が適正
に行われたことを前提として発付されるものであるところ、本件において前提となる裁決が
取り消されるべきものであることは前記のとおりであって、本件退令発付処分もその根拠
を欠くものであるから、取消しを免れない。
また、後記四のとおり、原告は難民であり、本件退令発付処分は、原告が迫害を受けるおそ
れのあるアフガニスタンに対して原告を送還するものであって、難民条約三三条一項及び法
五三条三項に違反するから、取消しを免れない。
イ 被告主任審査官の主張
主任審査官は、法務大臣から法四九条一項の異議の申出は理由がない旨の裁決をした旨の
通知を受けたときは、同条五項の規定により速やかに退去強制令書を発付しなければなら
ず、裁量の余地はないから、本件裁決が適法である以上、本件退令発付処分も当然に適法で
ある。
なお、容疑者が本邦から退去強制される者に当たるかどうかの判断は、最終的には法四九
条に基づく被告法務大臣の裁決によって確定するのに対し、被退去強制者をどこに送還する
かについては、主任審査官が法五三条に基づいて判断するものであって、両者には相違があ
ることなどにかんがみると、送還先の記載は、退去強制令書の不可欠の一部ではあるが、法
的には他の記載部分とは可分のものと位置付けられるべきものであって、仮に送還先の記載
- 10 -
に違法があるとしても、その違法は、退去強制令書全体の効力に直ちに影響を及ぼすもので
はないと解すべきであるから、裁判所は、取消訴訟において、送還先の記載に違法が認めら
れると判断した場合においても、可分である送還先の記載部分のみを取り消すことが可能で
あるにとどまり、退去強制令書発付処分自体を取り消すことはできない。もっとも、本件に
おいては、後記五のとおり、そもそも原告は難民に該当せず、原告が本国に送還されたとし
ても迫害を受けるおそれはないから、本国への送還が難民条約三三条に違反することはな
い。
四 難民該当性に関する原告の主張
 アフガニスタンにおける表現の自由
ア タリバン政権下における表現の自由
アフガニスタンにおける表現の自由は、タリバン政権以前の共産主義政権及びムジャヒデ
ィン政権時代にも既に危機に瀕していたが、タリバン政権下ではそれが全く存在しない状態
となった。タリバンは、人物の写真撮影及びテレビ報道を禁止し、アフガニスタンの状況は、
アフガニスタン国外に避難したジャーナリスト又は外国人ジャーナリストによって、わずか
に伝えられるのみであった。そして、アフガニスタンの状況を撮影するジャーナリストたち
には、タリバン政権による迫害が加えられていた。
これらのことは、米国国務省国別人権報告、「国境なき記者団」年次報告、国連人権委員会
特別報告者報告などによって明らかである。
イ タリバン政権崩壊後の表現の自由
本件不認定処分、本件裁決及び本件退令発付処分がされた当時のアフガニスタンにおいて
は、表現の自由を巡る状況はある程度改善したものの、未だ多くの制限が存在していた。
ヒューマンライツウォッチの記事によれば、アフガニスタンにおいて、治安部隊がジャー
ナリストを脅迫及び逮捕するなど報道に対する攻撃が急増し、ジャーナリストたちが公に指
導者を批判する記事を発表することを躊躇するような恐怖の雰囲気を作り出しているという
ことである。また、同記事は、カブールの外にいる軍事司令官も、ジャーナリストを脅迫して
いる事実を指摘している。
米国国務省国別人権報告によれば、移行政権の下で制定された新憲法が言論及び報道の自
由を定めているにもかかわらず、高官の一部は、特に地方レベルでは、ジャーナリストを脅
迫し、その報道に影響を与えようとしている。外国メディアも、イスラム教について否定的
なコメントをすること及び大統領に対する脅迫とみなされる題材を出版することを禁止され
ている。政府機関の一部がジャーナリストを厳しく取り締まっており、情報局のメンバーに
よるジャーナリストの脅迫も起きている。
デンマーク移民局事実調査団報告の中で紹介されている、EU特別代表、国際危機グループ
(ICG)、ノルウェー代理大使、アフガニスタン独立人権委員会(AIHRC)、アフガニスタン弁
護士組合、ジャーナリスト中央協会、アフガニスタン協力センター(CCA)などの多数の情
- 11 -
報源は、政権、軍閥、イスラム教を批判した者に対して脅迫、虐待の危険があることを示して
いる。
 原告の難民該当性
ア 原告のジャーナリストとしての活動
ア 原告は、一九九三(平成五)年ころ、アフガニスタン・ジャーナリスト協会の一員となっ
た。同協会の中心メンバーの中には、B氏、C博士などがいた。
イ C博士は、カブール大学の医学部の元教授で、多数政党制を前提とした穏健で民主主義
的な政治思想を持っており、タリバンなどが過去の文化を清算的に見て、破壊するような
考え方に対して反対もしていた。原告は、一九九四(平成六)年ころから、C博士らが中心
となって発刊した雑誌「D」に記事を書くようになり、その中で、北部同盟の人権侵害など
を批判した。しかし、この雑誌は、当時のムジャヒディン政権から発行を禁止され、雑誌の
中心メンバーの一人であったE氏は殺された。チーフ・エディターであったC博士は、タ
ジキスタンに避難して、「D」誌の発行を続け、さらに、タジキスタンで新しく「F」という
雑誌を発行するようになった。

難民認定をしない処分等取消請求控訴事件
平成17年(行コ)第43号(原審:大阪地方裁判所平成14年(行ウ)第81号)
控訴人・被控訴人:A、被控訴人・控訴人:法務大臣
大阪高等裁判所第7民事部(裁判官:竹中省吾・竹中邦夫・久留島群一)
平成18年6月27日

判決
主 文
1 本件控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用中、一審原告の控訴に関する部分は一審原告の、一審被告法務大臣の控訴に関する部
分は一審被告法務大臣の、各負担とする。
事実及び理由
第1 申立て
1 一審原告
 原判決を次のとおり変更する。
 一審被告法務大臣が一審原告に対し平成12年2月10日付け通知書により同月23日に通知し
た難民の認定をしない処分を取り消す(原判決認容・主文第1項)。
 一審被告法務大臣が一審原告に対し平成14年3月7日付け通知書により同月18日に通知し
た出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「法」という。)
61条の2の4第1号の規定による異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す(原判決訴え却
下・主文第2項)。
 一審被告法務大臣が一審原告に対し平成14年3月18日付け裁決通知書により同日に通知し
た法49条1項の規定による異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す(原判決棄却・主文第
3項)。
 一審被告主任審査官が一審原告に対し平成14年3月18日付けでした退去強制令書発付処分
を取り消す(原判決棄却・主文第3項)。
2 一審被告法務大臣
 原判決中、主文第1項及び第2項を取り消す。
 一審原告の請求をいずれも棄却する。
第2 事案の概要
次のとおり改めるほかは、原判決「第2 事案の概要」の記載を引用する。
 10頁アの1行目冒頭から11頁イの上の行までを、次のとおり改める。
「ア 難民であると認められる根拠となった事由が消滅したため、国籍国の保護を受けるこ
とを拒むことができなくなった場合には、難民条約の適用は終止する。しかし、そのためには、
- 2 -
出身国における状況の変化が抜本的、かつ、永続することが必要であり、それは難民が出身国
において機能する法及び司法システムによって保護されるかという観点から判断されると解す
べきである。これは、送還が問題となった時点において難民としての要件を満たすか否かの判
断とは異なるレベルの判断である。
本件においては、前記(一審原告の主張)イの諸事情のうち、確かに、タリバン政権が打倒
され、タリバンがマザリ・シャリフを含むアフガニスタン全土を掌握するという状況は変化し
た。しかし、その後成立した政府も、各地方に実効的な支配を及ぼしているとはいえず、各地方
の軍閥による人権侵害が行われている。タリバンもまた、関係者が周辺諸国からアフガニスタ
ンに多数入っているため、勢力を強めている。現在の政府に、軍閥やタリバンの行為を止める
力はない。
そのような状況からすると、一審原告が難民であると認められる根拠となった事由が消滅し
たとはいえない。
また、難民と認定されながら在留資格を付与されず退去を余儀なくされた例はなく、本件退
去裁決は、これと異なる取り扱いであり平等原則に違反するともいえる。
仮に、一審原告が本件退去裁決時に難民に当たらないとしても、上記のことからは、一審原
告には、なお生命、身体又は自由に対する相当大きな脅威が存在していたといえる。
したがって、本件退去裁決は、難民条約、日本国憲法(以下「憲法」という。)13条、14条、市
民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)6条、7条、9条、26条の各規
定に違反するし、仮に、そうでないとしても、これらの規定の趣旨に照らせば、一審被告法務大
臣の裁量権の範囲を大きく逸脱した違法なものというべきである。」
 12頁の上に次のとおり加える。
「一審原告は、タリバン政権崩壊後のアフガニスタンの状況について、さまざまな主張をする
が、これらは、いずれも、一般的な治安の問題というべきであり、難民条約や法にいう難民であ
ることを基礎付けるとはいえない。」
第3 当裁判所の判断
1 原判決「第3 当裁判所の判断」の記載を引用する。ただし、47頁下から3行目の「理由に」を「理
由の少なくとも一つとして」と改める。
2 補足説明
 本件不認定処分時における法所定の迫害のおそれについて
ア 本件の証拠の中には、シーア派を信仰するハザラ人が、その事実だけで、迫害されるとす
るかのようなものもある(甲11、甲32及び33に挙げられた報告の一部など)。
しかし、これまで認めた事実、証拠(乙33、57、68)及び弁論の全趣旨によれば、平成10年
9月28日に一審原告とともに日本に入国したBは、アフガニスタン国籍を有するハザラ人で
あり、日本への出入国歴は多いが、日本において難民の認定を申請していないこと、一審原
告も、1997年(平成9年)にタリバンがマザリ・シャリフ又はその近郊を一時占領しハザラ
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人を相当数殺害していたのに(そして、地理的状況からみて、一審原告がその事実をそのこ
ろ知っていたと推認できる。)、マザリ・シャリフは安全であると考え平成10年6月13日ま
での日本滞在中に難民の認定を申請していないこと、諸外国でも、シーア派を信仰するハザ
ラ人であるという理由だけで当然に難民であると認めているわけではなく、難民と認める場
合には、個別事情が併せて考慮されることが認められる。これらの事実及び証拠(乙44、49、
65)によれば、アフガニスタンにおいて、ハザラ人やシーア派というだけの理由で法所定の
迫害がされるわけではないことが認められる。
イ 一審原告の個別事情につき、一審被告法務大臣は、一審原告の供述や陳述書又は供述録取
書の記載の内容に変遷など不自然な点が多く、一審原告が提出する手紙についても、その内
容どおりの事実があったとは認められないと主張する。
たしかに、一審原告の供述録取書(乙33から40)をも考慮すると、次の点は、不自然であり、
一審原告に対する迫害のおそれがさほどのものでないことを基礎付けるともいえる。
ア 一審原告の兄らがタリバンに拘束されたことにつき、難民認定申請書(乙13)、難民に該
当することを主張する陳述書(乙14)、甲1、2及び5の手紙などには、そのような記載が
あるが、平成11年2月3日付け供述録取書(乙33)では、「兄弟からの送金がないので家族
の安否が非常に心配です。」としながらも「逮捕された兄弟達はない」という趣旨の記載が
あり、一貫しない。
イ 1992、1993年(平成4、5年)ころにされたという暴行内容も、当初の供述になかった
銃での殴打が後で加わり、一審原告は、本人尋問では、当初供述していたむちで打たれた
ということはなかったように供述する。
ウ 電話について、甲1の手紙には店の電話は無事であるという趣旨の記載があるが、他方、
一審原告は、本人尋問において、1998年(平成10年)8月下旬にペシャワールからマザリ・
シャリフの家族に電話したが連絡できなかったと供述し、甲16にも、固定電話用の電話回
線が徹底的に破壊されたという記載がある。そうすると、上記の甲1の手紙の内容に疑問
が生じるといえなくもない。なお、一審原告は、マザリ・シャリフには国際電話がないと
も供述しており(乙33)、そうであれば、一審原告がパキスタンのペシャワールからマザ
リ・シャリフに電話したとの供述もその真否は疑問であるともいえる。
エ 住所について、渡航証明書(乙2から5)に記載された住所では、カブール市内の地名や
ペシャワールのパークホテルが記載されている。これらは、証拠(甲36)及び弁論の全趣
旨により、一審原告の意思に基づき記載されたと認められる。しかし、これらは、一審原告
がマザリ・シャリフに1996年(平成8年)2月ころから居住した(したがって、1998年〈平
成10年〉夏の時点では2年半程度経過した。)とのこととは一貫しないようでもある。一審
原告の陳述書(甲36)には、これにつき、カブールのホシャルハンが本来の住居でありマ
ザリ・シャリフは借家で仮住まいという意識があったとの記載があるが、これは、一審原
告の本人尋問におけるカブールに帰れないという趣旨の供述(調書25頁)と整合しないか
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のようでもある。
オ 平成10年9月末の入国後に行われることになっていたという兄から一審原告への送金
について、同年10月12日までに送金する約束があったという供述もあれば(乙36の4頁)、
期日が決まっていなかったという供述もあり(乙33の5頁、本人尋問〈調書54頁〉)、兄か
らの金員が送金される予定であった口座も、Bの口座(乙35の2頁)なのか自らの口座(一
審原告の本人尋問〈調書53、54頁〉)なのかで変遷がある。
カ 手紙の送付方法も、住所がわからない一審原告への手紙を他人に託するというのは不自
然であるともいえる。甲1の手紙がスンニ派タジク人に託されたというのも、宗派が異な
る者であり危険とも考えられることから、不自然ともいえる。
ウ しかし、次のことも指摘できる。
ア 甲1、2及び5の手紙には、次兄がいったん釈放されたなど、迫害のおそれを減殺する
ような記載も存在する。このことは、やはり無視はできない。
イ 仮に、一審原告が申立時などに兄らが拘束されたかどうか明らかでないのにそのように
述べ、迫害のおそれを作為的に補強しようとしたのであれば、それがその性質上迫害のお
それを強く補強する事実であることをも考慮すると、平成11年2月3日に「誰も逮捕され
たりしませんでした。」などと明らかに矛盾したことを述べる(乙33)とは考えにくい。一
審原告は、上記の時期に家族の安否を心配していたのであるから、日本への入国時におい
ても兄らが拘束されたかもしれないと考えていた可能性が高く、そのことが誤って英訳さ
れ難民認定申請書等に書かれた可能性も否定できない。
ウ これまで認めたとおり(原判決17頁ウ)、タリバンがマザリ・シャリフで激しい戦闘を
し、ハザラ人住民を中心に2000人から8000人殺害されたのは事実であると認められ、証
拠(甲11〈アメリカ合衆国国務省・1998年度アフガニスタンにおける人権状況についての
国別レポート〉、乙50〈デンマーク移民サービス局・アフガニスタンにおける治安及び人
権状況検討のためのパキスタン視察団報告〉)によれば、殺害された者の中には、イラン人
外交官やイラン人ジャーナリストも含まれていたと認められる。これらのすべてがタリバ
ンの敵に協力していたと認めることは困難である。このことは、特に戦闘後の混乱した状
況下で、合理的な根拠がなくても敵対組織と関係するような疑いをかけられ殺害等される
おそれが大きいことを推認させるといえる。そうすると、甲1などの手紙にある一審原告
の兄の拘束や行方不明、死亡について、それが事実である可能性は十分存在する状況であ
ったといえる。
エ 一審原告の供述のうち、一審原告が1992、1993年(平成4、5年)ころパシュトゥーン
人の組織から暴行されたこと、一審原告らが1996年(平成8年)2月ころカブールからマ
ザリ・シャリフに移ったこと、一審原告らが1998年(平成10年)8月ころまではマザリ・
シャリフは安全だと考えていたこと、日本への入国時には商用が主目的であって難民認定
を申請する意思はなかったこと、その後送金がないことなどから不安になったことなどに
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ついては、一貫しているといえる。
オ 手紙の送付方法が不自然であるとのことについては、一審原告が日本に行くことが既に
決められたことなのであれば、一審原告の家族が日本宛てに手紙を発信することはあり得
ないことではなく、アフガニスタン人同士の人的なつながりを頼って複数回発信すること
も、タリバンと北部同盟との戦闘が続く中では、全く不自然とまではいえない。一審原告
の妻がスンニ派タジク人に手紙を託したことが不自然であるとのことについては、そもそ
も、シーア派ハザラ人であることだけを理由として当然に迫害されるおそれがあるわけで
はなく、近くの住民の間では、宗派が異なっていても相当の信頼をすることがあり得ない
とはいえない。
エ 以上のとおり、一審原告の供述等については、確かに不自然ともいえる変遷やそれに沿う
事実が認めがたい部分はあるが、アフガニスタンの客観的な情勢に照らして矛盾なく説明で
きる部分、供述自体が一貫している部分も相当程度存在するといえるし、不自然性を基礎付
ける事情が決定的なものとまでいいがたい部分もあるといえる。また、供述録取書の記載に
ついては、その内容から、担当者による要約録取がされたことが推認され、そこでの内容や
ある事項の記載の存否を決定的な資料とすることには慎重であるべきである。そうすると、
一審原告の供述の主要部分については信用性があるといえるし、一審原告の手紙について
も、真正な成立が認められ、少なくともタリバンの関係者が来て、一審原告の兄を拘束した
り、一審原告によるCの支援に関する文書を奪っていったり、一審原告の妻子がパキスタン
に移り住んだという部分については、信用性が認められるといえる。
なお、一審被告法務大臣は、一審原告が家族の安否も確認しないでパキスタンから日本に
入国したのはおかしいなどとも主張する。しかし、これまで認めた事実によれば、一審原告
は、パキスタンのペシャワールから家族に電話できたとは認められないし、一審原告は、そ
れでもペシャワールにいるころにはタリバンが撃退されると考えて当初の予定どおり日本に
自動車部品の買い付けのため入国したことなどを供述しているのであり、それが全く不自然
であるとはいえない。また、一審原告がマザリ・シャリフの陥落をいつ知ったかについても、
一審原告の供述が一貫しているとはいえないが、日本入国後一定期間まではタリバンが再度
撃退されると考えていたのであれば、陥落は一時的なものと考えていたこととなり、それが
いつかが重要な問題として意識されないことも十分あり得ることである。
また、一審被告法務大臣は、一審原告の供述に登場するDについて、他事件で真正でない
文書を提出したDと同一であると主張し、それが甲1などの手紙の真正や信用性を疑わせる
一事情であると主張する。たしかに、一審原告の供述の中にも、真正な成立が認められない
文書につき、D宛てに送られてきたかのような供述もある。しかし、一審原告の供述などを
みても、別事件で問題にされたDと同一人物であると断定できるとまではいえない。
これらの事実によると、シーア派のハザラ人であるから当然にタリバンにより法所定の迫
害を受けるおそれがあるというわけではないが、1998年(平成10年)8月から1999年(平成
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11年)ころのマザリ・シャリフにおいては、タリバンによるハザラ人虐殺の可能性が、一般
的に十分あり、特に一審原告のように兄弟が拘束されるなどタリバンから個別的に敵視され
ていると思われる状況があれば、その危険は極めて大きかったということができる。
もっとも、1998年(平成10年)8月ころの虐殺は、これまで認めた事実(原判決16頁イ、
17頁イ、18頁ウ、本判決前記ア)や証拠(乙50、65)によれば、戦闘後の敵に対する報復であ
り、人種や宗教による迫害とはいえないかのようにもみえる。しかし、もともとタリバンは
パシュトゥーン人主体の組織であり、マザリ派などはハザラ人が多い組織であり、これらの
対立の背景には、人種間、宗教間の対立感情も相当程度存在すると推認することができる。
そうすると、人種、宗教という原因だけで迫害が生じるとはいえないが、迫害の背景には、人
種や宗教は相当程度存在するということができ、迫害の理由が法や難民条約所定のものでな
いともいえない。
また、本件不認定処分がされた平成12年2月10日ころは、タリバン政権によるアフガニス
タン全土の支配がされるようになってから若干の時間が経過したという見方もできるし、こ
の時点においてマザリ・シャリフで虐殺等が行われたことを明確に示す証拠があるとはい
えない。しかし、これまで認めたとおり(原判決17頁エ)、北部同盟とタリバンとの戦闘は、
1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけても続いていた。また、証拠(甲18)に
よれば、ドスタム将軍がマザリ・シャリフにおいて北部同盟を指揮していたこと、ドスタム
将軍に指揮された北部同盟が、2001年(平成13年)に入ってからではあるが、アフガニスタ
ン北部において、タリバンの指導者を100人以上拘束したことが認められる。これらの事実
や、それまでタリバンとマザリ派などとの間でマザリ・シャリフの占領と撃退が繰り返され
た経緯に照らせば、一審原告がドスタム将軍の配下ではなかったにせよ、マザリ・シャリフ
やその周辺においてもタリバンと反タリバン勢力との対立関係は厳しかったと推認せざるを
得ず、タリバンと敵対すると疑われる者一般への報復の危険は残り、平成12年2月10日ころ
の段階では、まだ一審原告に対する法所定の迫害のおそれは存在したと推認すべきである。
一審被告法務大臣は、その他さまざまな主張をするが、これらは、いずれも、上記の結論を
左右するとはいえない。
そして、2000年(平成12年)2月10日の時点における一審原告についての法所定の迫害の
おそれの存在は、本件の証拠関係に照らし、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確
信を持ち得るものであることが立証されているともいえる。
 本件退去裁決の違法性について
ア 本件退去裁決は、一審被告法務大臣の主張に照らすと、一審原告が本件退去裁決時に法所
定の迫害のおそれを必ずしも有しなかったことを前提にしていると認められる。
イ 2001年(平成13年)12月におけるタリバン政権崩壊後のアフガニスタンの情勢について、
国際連合の2004年(平成16年)9月21日の人権委員会独立専門官報告書(甲18)には、アフ
ガニスタンの人権状況について、首都カブールでは改善されたが、軍閥や地方に割拠する民
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兵組織のリーダーの力が強く、その下で人権侵害が行われていること、また、タリバンも復
活してテロ活動をしていることなどが記載されている。また、そのような内容の複数の報道
記事(甲19)や国際機関等の報告書(甲20、ほか甲32に引用されたもの)がある。外務省海外
安全ホームページは、カブール、ジャララバード、ヘラート、バーミアン、カンダハール、マ
ザリ・シャリフについて、日本人の渡航の延期を勧告し、これらを除くアフガニスタン全土
につき、日本人の退避を勧告しており、平成17年8月16日付けの記事では、タリバン等の武
装勢力が多数パキスタンからアフガニスタンに潜入しているとされているともいう(甲22)。
ウ しかし、次のことも指摘できる。
ア 各項末尾に記載した証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。
a 平成12年1月1日から平成18年1月16日までの間に本邦で難民認定申請を行ったア
フガニスタン国籍の者のうち、難民認定申請手続中及び同手続終了後に帰国した者は、
合計60名おり、そのうち53名はハザラ人である。そのハザラ人53名の出国日は、平成13
年11月20日から平成18年1月4日にわたっており、費用負担は、1名を除き、いずれも
自費出国である。本邦入国前の居住地は、ペシャワール(パキスタン)やアラブ首長国連
邦内(ドバイなど)という例がかなりあるが、本邦に上陸する前にカブールやマザリ・
シャリフにいたハザラ人が出国した例もある。なお、平成13年8月29日から平成14年
10月1日までの間に難民と認定しない処分を受け、その処分の取消訴訟を提起したアフ
ガニスタン国籍のハザラ人は、少なくとも37名存在し、原告側の請求が認容されて確定
した例はない。(乙90から92)
b パキスタン等に逃れていたアフガニスタン人がアフガニスタンに帰国する例は、極め
て多く、2004年(平成16年)前半ころには300万人を超えた。(乙75、76、93)
c 各国は、タリバン政権崩壊後に樹立されたアフガニスタン政府に対し、国土復興等の
ため、多額の支援を行っている。日本国も、2001年(平成13年)9月から2003年(平成
15年)ころまでの間に約6億ドルの無償援助をしており、国連とともに、元兵士の武装
解除、動員解除及び社会復帰にも着手している。これにより、幹線道路などの社会資本
が少しずつ整備され、国外に避難していた難民の帰還もあって農業生産も回復しつつあ
る。また、アフガニスタンでは、従前3種類あった紙幣が1種類の紙幣に統一されたが、
それに伴う経済の混乱や物価の上昇などはあまりみられなかった。(乙73から75)
d アフガニスタンにおいては、2004年(平成16年)1月に憲法が採択され、同年10月9
日に大統領選挙の投票が行われた。この選挙は、国際連合や日本国を含むその他の支援
団体により支援され、おおむね公正に行われた。(乙71、72、77から82)
イ 各証拠により示されるタリバンの活動地域は、おおむねパシュトゥーン人が多いアフガ
ニスタン南部やパキスタン国境地帯が中心であり、マザリ・シャリフにおける活動が活発
であることを十分示すだけの証拠は見当たらない。なお、マザリ・シャリフで2002年(平
成14年)前半に地方勢力の間で武力衝突したとの報道がある(甲19〈3304、3336頁〉、甲
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32〈訳文24頁〉)が、これは、ドストム将軍が率いるウズベク人中心のイスラム国民運動党
と、モハマド・アッタ将軍が率いるタジク人中心のイスラム協会又はファヒーム国防相派
のタジク人との衝突であるとされ、ハザラ人が多く関与しているとまでは認めがたい。ま
た、一審原告が挙げる情報にあらわれたテロ活動等の被害者は、非イスラム教国の外国人
が多いということができる。
エ これまで認めたとおり、ハザラ人・シーア派であるから迫害されるというわけではなく、
本件不認定処分時の一審原告に対する迫害のおそれは、マザリ・シャリフにおいてタリバン
と北部同盟との間で奪回・撃退が繰り返された後の敵側に対する対立感情が大きな要因を占
めていたと認めることができる。しかし、そのタリバンは、これまで認めた事実によれば、ア
フガニスタンの実効支配ができなくなり、各国の援助を受けた暫定政府の成立、活動や相当
数のハザラ人がアフガニスタンに帰国するなどの事実もある。これらの事実からすると、一
般的な治安の問題は残るとしても、タリバン政権の崩壊により、一審原告に対する法所定の
迫害のおそれは、消滅したということができる。
また、それとは別に、地方において軍閥などが存在し、中央政府の実効支配が及ばないと
のことについても、貨幣の交換や武装解除等中央政府の行為の活発化を示す行為もあるこ
と、軍閥等の人権侵害があるとしてもハザラ人やシーア派であることが理由になっていると
まで認めることは困難であること、本邦を出国するアフガニスタン国籍のハザラ人が相当数
存在することからすると、必ずしも一審原告に対する法所定の迫害のおそれを基礎付けると
まではいえない。
なお、帰国者の帰国時期などこれまで認めた事実は、本件退去裁決の後のものも多いが、
難民の帰還や諸外国の支援は、本件退去裁決時にすでに存在したか、平成14年1月に日本で
開催されたアフガニスタン復興支援国際会議等においてそのようにされることが予定されて
いたと認められる(乙73、74、弁論の全趣旨)から、これらも、本件退去裁決の当否の判断に
おいて、本件退去裁決時の状況を推認させる事実として考慮できるというべきである。
以上によると、一審原告については、本件退去裁決の段階で、法所定の迫害のおそれはな
くなっていたと認めるべきである。
オ 一審原告は、終止条項の解釈につき主張し、本件退去裁決が難民条約に反すると主張する。
難民条約1条Cにいう「難民であると認められる根拠となつた事由が消滅した」とは、
一審原告について「迫害を受けるおそれ」をもたらした客観的な状況が解消される基本的な
状況の変化があったことをいうものと解される。そして、本件退去裁決がされた平成14年3
月当時は、アフガニスタンにおいては、既にタリバン政権は崩壊し、ハザラ人閣僚を含む暫
定政権が発足していたことは前記認定のとおりであり、前記認定のその後のアフガニスタン
の状況を併せて考えれば、上記当時、それまでの一審原告の恐怖の根拠となっていたタリバ
ンによるハザラ人であることやシーア派を信仰していることを理由とする迫害の危険性をも
たらす状況は解消されていたものと認めるのが相当である。
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一審原告は、上記終止条項の事情の変化は、抜本的かつ永続的なものでなければならない
旨主張するが、仮にそのように解すべきものとしても、前記認定の本件退去裁決当時におけ
るアフガニスタンの状況及びその後のアフガニスタンの状況に照らせば、一審原告の恐怖の
根拠となった状況については、抜本的かつ永続的な変化があったものと評価することができ
る。一審原告は、終止条項の事情の変化は、難民が出身国において機能する法及び司法シス
テムによって保護されるかという観点から判断されると解すべきである旨主張するが、難民
条約1条Cの文理から、同条項が一審原告主張のような意味まで含むとまで断定すること
には疑問が残る。一般的な治安の問題が残るとしても、それは、人種、宗教等難民条約が定め
る事由による迫害のおそれとは異なるというべきである。
したがって、一審原告の主張は採用できず、本件退去裁決が難民条約に反するとはいえな
い。
カ 平等原則との関係について、仮に一審原告がいうように日本国内において難民認定が取り
消された事例がないとしても、他の難民と一審原告との類似性が必ずしも明らかではないか
ら、平等原則違反を理由として本件退去裁決を違法ということはできない。
キ 一審原告は、本件更新不許可処分の違法性が、本件退去裁決にも承継されるとも主張する
が、これらの処分等は、連続した一連の手続を構成して一定の法律効果の発生を目指すもの
とはいえず、相互に別のものであり、違法性の承継が認められるとはいえない。
ク 一審原告は、その他さまざまな主張をするが、これらは、いずれも、上記の結論を左右する
とはいえない。
3 以上によれば、原判決は、相当である。
よって、主文のとおり判決する。

退去強制令書発付処分等取消請求事件
平成17年(行ウ)第24号
原告:A、被告:名古屋入国管理局長・名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:中村直文・前田郁勝・片山博仁)
平成18年6月29日

判決
主 文
1 名古屋入国管理局長が、原告に対し、平成17年3月22日付けでした出入国管理及び難民認定法
49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を取り消す。
2 名古屋入国管理局主任審査官が、原告に対し、平成17年3月22日付けでした退去強制令書発付
処分を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文同旨
第2 事案の概要等
本件は、出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下、「法」又
は「入管法」という。)24条4号ロ所定の退去強制事由に該当するとの認定及び判定を受けた外国
人である原告が、法49条1項に基づいて法務大臣に対し異議を申し出たところ、法務大臣から権
限の委任を受けた名古屋入国管理局長(名古屋入管局長)によって上記申出は理由がない旨の裁
決(本件裁決)を受け、次いで、名古屋入国管理局主任審査官(名古屋入管主任審査官)によって
退去強制令書の発付処分(本件発付処分、本件裁決と併せて「本件各処分」という。)を受けたため、
本件裁決には裁量権の範囲を逸脱又は濫用して在留特別許可を付与しなかった違法があり、本件
裁決を前提とする本件発付処分も違法であると主張して、本件各処分の取消しを求めた抗告訴訟
である。
1 前提事実(証拠を摘示した部分の他は、当事者間に争いがない。)
 当事者等
ア 原告は、昭和47年(1972年)8月4日生まれのパキスタン・イスラム共和国(以下「パキ
スタン」という。)国籍を有する外国人である。
イ 被告は、名古屋入管局長及び名古屋入管主任審査官が所属する行政主体である。
ウ 名古屋入管局長は、法69条の2及び出入国管理及び難民認定法施行規則(以下「規則」と
いう。)61条の2第10号に基づいて、法務大臣から法49条3項に基づく裁決を行う権限の委
任を受けた行政機関である。
- 2 -
また、名古屋入管主任審査官は、法49条5項に基づく退去強制令書の発付権限を有する行
政機関である。
 本件各処分に至る経緯
ア 本邦への入国と不法残留
原告は、平成13年5月19日、在留資格を「短期滞在」、在留期間を「90日」とする上陸許可
を得て本邦に上陸したが、上記許可期限である同年8月17日を超えて本邦に不法に残留した
(乙1号証)。
イ 原告の出頭と違反調査の実施
原告は、平成16年1月21日、愛知県春日井市役所に、Bとの婚姻届をし、同年2月23日、
名古屋入管に出頭して、入管法違反の事実があることを申告した。なお、原告はこの時点で
はパキスタンに妻子がおり、Bとの婚姻は重婚であった(乙1号証、9号証)。
名古屋入管入国警備官は、同日、原告について法24条4号ロ違反(不法残留)の容疑で調
査を実施した。
ウ 本件各処分
名古屋入管入国審査官は、平成16年11月8日、原告に対する違反審査を実施し、原告が法
24条4号ロに該当すると認定した。これに対し、原告は、同日、名古屋入管特別審理官に対
し、口頭審理の請求をした(乙6号証、12号証)。
名古屋入管特別審理官は、平成17年2月14日、原告に対する口頭審理を実施し、同日、原
告が法24条4号ロに該当すると判定した。これに対し、原告は、同日、法務大臣に対し、異議
を申し出た(甲4号証、乙13号証)。 
法務大臣から権限の委任を受けた名古屋入管局長は、同年3月22日付けで、原告の異議の
申出には理由がない旨の本件裁決をした(甲5号証、乙14号証)。
本件裁決があった旨の通知を受けた名古屋入管主任審査官は、同日、本件発付処分をした
(乙15号証)。
エ 本訴提起
原告は、平成17年5月31日、本件各処分の取消しを求める本訴を提起した。
2 本件の争点
本件裁決が違法か否か(争点、日本人であるBと婚姻した原告に対して在留特別許可を付与
せず、異議の申出は理由がないとした本件裁決は、裁量権の範囲を逸脱又は濫用したものである
か。)、及びこれを前提とする本件発付処分は違法か否か(争点)
3 争点に関する当事者の主張
 原告の主張
ア 異議を棄却する旨の裁決の仕組みと違法性について
ア 裁決の仕組み
法49条3項に基づき異議を棄却する旨の裁決については、①異議の申出に理由があるか
- 3 -
どうかの内部的な判断と、②理由がないと認められた場合であっても法50条1項各号の在
留特別許可をすべきか否かという判断が含まれ、これらのいずれもが認められない場合に
「異議の申出には理由がない」旨の裁決がされる仕組みになっている。
イ 異議の申出に理由がない旨の判断をしたことの違法性について
入管法上、法49条1項の異議理由は定められていないが、この点に関する規則42条は、
「法第49条第1項の規定による異議の申出は、別記第60号様式による異議申出書1通及び
次の各号の1に該当する不服の理由を示す資料各1通を提出して行わなければならない。」
と規定し、1号から4号までの異議理由を定めているところ、同4号は「退去強制が著し
く不当であることを理由として申し出るときは、審査、口頭審理及び証拠に現われている
事実で退去強制が著しく不当であることを信ずるに足りるもの」としていることから、「退
去強制が著しく不当であること」が異議理由になると考えられる。
そして、ここにいう「著しく不当」か否かの判断は事実認定作業であるから、そこに裁量
判断の働く余地はない。
したがって、退去強制が著しく不当であれば、当該裁決は端的に取り消されることにな
る。
ウ 在留特別許可をしないという判断の違法性について
a 仮に退去強制が著しく不当であるとはいえなくとも、第2段階の判断としての在留特
別許可を付与しなかったことの適法性が検討されなければならないが、この点に一定の
裁量判断が認められることはやむを得ない。
しかし、本件においては、在留特別許可を付与しないとの判断をしたのは、法務大臣
から権限を委任された名古屋入管局長であり、その裁量判断には自ずから限界があると
いわざるを得ない。
b 法務大臣の裁量権
法務大臣は、在留特別許可の判断をするについて、広範な裁量権を有するとされてい
るが、その理由は、在留特別許可の許否を的確に判断するに当たっては、当該外国人の
個人的事情のみならず、その時々の国内の政治・経済・社会の諸事情、外交政策、当該
外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮すべきであり、多面的専門的
知識を要し、かつ政治的配慮をしなければならないため、国内及び国外の情勢について
通暁し、常に出入国管理の衝に当たる法務大臣の裁量に委ねるのでなければ、到底適切
な結果を期待することはできないことにあるとされている。
c 入国管理局長の地位
しかしながら、法務大臣から権限を委任された入国管理局長は、法務省の局の1つで
ある入国管理局の下に8つある地方入国管理局のうちの1つの長にすぎず、地方部門の
統括役であって、当該管轄地域における外国人の在留状況や、過去の在留特別許可に関
する取扱いについては通暁していても、日本全国にわたる入管実務を統括し、内閣の一
- 4 -
員として国会に対し責任を負う法務大臣とは異なり、上記事由を総合的に考慮する特別
な能力もなければ、政治的配慮をする資格もない。
d 小括(入国管理局長の裁量権)
以上に加え、これまでの入管実務において、在留特別許可の付与について、おおむね
画一的な判断がされてきたことをも考慮すれば、在留特別許可に関する入国管理局長の
判断は、法50条1項の文言からある程度の裁量が予定されていると解釈せざるを得ない
としても、法務大臣に関し議論されるような広範なものではあり得ない。したがって、
処分の前提となる重要な事実関係に誤認があり、処分自体の基礎が失われると評価でき
る場合は、裁量の広狭にかかわらず当該処分は違法であるというべきであるし、事実を
正確に把握した上で各種通達、先例、出入国管理基本計画、国際的な準則等の示すとこ
ろに従い、退去強制が著しく不当であるか否かを慎重に判断すべきであり、考慮すべき
事項を考慮せず(不当評価)、考慮すべきでない事実を考慮して(他事考慮)判断された
場合や、その判断が合理性を欠くものとして許容されない場合には、在留特別許可を付
与しないとの判断は裁量権の範囲を超え又はその濫用があるとして違法というべきであ
る。
イ 異議の申出に理由がない旨の判断をしたことの違法性について(退去強制が著しく不当で
あることについて)
ア 原告とBとの婚姻が真正なものであることについて
a 入籍に至るまでの経緯
原告とBは、原告が入国して数か月も経たない平成13年末ころに出会い、その後主と
して原告から連絡して時々会うようになり、原告から不法残留を打ち明けるなど親密な
関係となって、徐々に結婚の話も出るようになっていった。しかし、Bは、平成11年3
月24日に前夫と死別しており、その間に子供も二人いたため、結婚をちゅうちょしてい
たものの、原告に会うたびに結婚を希望されるうち、Bも徐々に原告に惹かれるように
なって、平成15年11月ころ、両者は婚約した。
Bの親族のうち、子供二人は原告との婚姻に賛成しており、原告と長男との折り合い
もよい。また、アメリカに居住している次男との関係も良好である。Bの両親は、原告と
の婚姻に不安を示していたが、原告とBの新居となる賃貸住宅の連帯保証人をBの父親
が引き受けるなどしており、原告との婚姻を了解している。
このように、原告とBとの婚姻は、在留資格のための便宜的なものではなく、慎重に
話し合われ、時間をかけてはぐくまれた愛情に基づき真摯に合意されたものである上、
Bの親族の同意ないし了解もあり、実体を伴う真正なものである。
b 入籍とBの改宗
原告は、Bとの入籍に当たり知り合いの外国人に諸手続を尋ねたところ、同人が手続
に必要な書類をパキスタンから取り寄せてくれた。
- 5 -
取り寄せられた書類には、原告の父母が原告の独身を証明する内容の独身証明書等が
含まれており、原告はこれを不審に思ったが、不法残留のままではBに不安定な生活を
強いることになるという思いから焦りが生じたことや、パキスタンでは内容に誤りのあ
る書類を公的機関に提出することも横行していたという背景もあって、平成16年1月の
婚姻届の際、これらの書類を提出した。
また、原告とBは、平成16年2月22日、名古屋モスクにも婚姻届をし、その際、Bは
イスラム教に改宗した。
そして、原告は、Bとともに名古屋入管に自主出頭し、日本人配偶者であることを理
由として在留特別許可を求めたため、名古屋入管入国警備官による調査が開始された。
c 婚姻の実体
原告とBは、入籍以前から愛知県春日井市《住所略》所在のコーポC号室(以下「本件
居室」ともいう。)に同居している。
Bは、平日には、午前5時半過ぎに起きて、午前7時過ぎに出勤する原告のために朝
食と弁当を作り、原告の出勤後、午前8時ころから、元々居住していた名古屋市D区《住
所略》所在の居宅(原告の肩書地。以下「D区の居宅」という。)で子供の世話をし、午前
8時30分過ぎに出社するという生活を送っていた。また、退勤時間は原告の方がやや早
いため、原告が夕食の準備をすることも多かった。
休日には、一緒に出かけて食事をすることなどもあれば、一日中家でゆっくりするこ
ともあった。
Bは、平成16年7月1日に原告が椎間板ヘルニアで入院したときには、原告の身の回
りの世話をしている。
このように、原告とBとは、食事を共にし、肉体関係を持つなど通常の夫婦としての
生活を送っていた。
d 重婚の解消
 原告は、平成4年ころ、パキスタンにおいて、Eと婚姻し、その後、半ば別居状態で
婚姻生活を継続し、その間に4人の子供をもうけた。原告の第4子が生まれたのは、
原告がサウジアラビアに滞在していた平成12年末ころであるが、原告はパキスタン
に帰国することなく、平成13年5月19日に本邦に入国し、その後は本邦で生活してい
る。
 原告は、平成16年5月5日、Eと離婚する旨の通知をパキスタンの所定の役所に送
付し、同年8月4日、4人の子供の養育費を負担することなどを条件に同人と正式に
離婚した。
 Bは、平成16年11月8日、原告がパキスタンにおいて婚姻していたことを知り、い
ったんは、原告との婚姻を考え直そうと思ったものの、原告が重婚解消のために努力
していたこと、原告とEとの婚姻は、原告の家庭の事情によるものであり、原告自身
- 6 -
が希望したものではなく、親からの押しつけであったこと、B自身が原告を必要と感
じたことなどから、原告との婚姻を維持することを決意した。
イ 真正な日本人配偶者に対する在留特別許可が認められるべきことについて
そもそも「日本人配偶者等」という在留資格が認められた趣旨は、我が国においても国
際社会においても、家族という結合が社会生活上の最小の単位として機能しており、それ
自体、法的保護に値すること、そして、そのような結合に可能な限りの法的保護を与えな
い場合、男女間の愛情やその間にもうけられる子供の養育を著しく損ない、個人の尊厳を
害し、あるいは人道上到底容認できない事態を招きかねないことを重く見たものと解され
る。
事実、憲法24条2項、世界人権宣言16条1項、3項及び経済的・社会的及び文化的権利
に関する国際規約10条1において、家族結合の保護がうたわれている。
このような「日本人の配偶者」の保護にかんがみれば、婚姻実体を伴う法律婚が成立し
ている場合、当該法律婚の配偶者には、原則として在留資格が認められるべきであり、現
に、入管実務においても、そのような運用がなされている。
ウ 平穏な在留状況
原告は、本邦入国後、愛知県小牧市所在の株式会社F工業所に勤務し、日中は勤務に励
み、それ以外の時間帯も特段の非違行為を犯すことなく平穏に生活してきた。Bと知り合
い、交際を始めた後もこれは変わらず、日本人のBには奇異に映るくらい宗教心に篤く、
勤務先においても質素勤勉であると評価されていた。また、無免許運転を指摘されるやこ
れを中止するなど、日本の法規を遵守する規範意識を有していた。
このように、原告の在留状況は極めて平穏であり、このことは在留特別許可の判断に当
たって当該外国人に有利に斟酌されるべきである。
エ 良好な就労状況
原告は、上記のとおり、溶接を業とするF工業所に勤務し、就労してきたが、そこでの
評価は極めて高く、原告のまじめさや飲み込みの良さを見込んだ同社代表者のGは、原告
を後継者候補と目し、最新の機械の使用方法を真っ先に覚えさせるなどして目をかけてき
た。また、原告の人柄や日本語の習得状況から、他の外国人労働者の統率役としての期待
もかけてきた。このような期待の大きさは、平成17年になって原告の月給を15万円から25
万円に値上げしたことに現れている。
以上のように、原告の就労状況は良好であり、それ故、Gは、原告が不法残留になったこ
とを黙っていたことや入管への収容を秘匿していたことを承知した上で原告の滞在と職場
復帰を切望している。
平穏な在留それ自体が法的保護に値する以上、いわゆる不法就労といえども良好な就労
状況である限り、法的保護に値するというべきである。
オ 日本文化への理解
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原告は、Gの評価によると、極めて礼儀正しく、顧客対応もそつなくこなしており、日本
文化になじんでいた。
原告はイスラム教徒であり、日本文化と折り合える点、折り合えない点は様々に存在す
るが、少なくとも原告が、日本において文化的に共生することが可能であることは明らか
である。
カ 被告の主張に対する反論
a 被告は、原告が、本国の妻子の存在をBに隠して婚姻したことを背信行為であると非
難する。
しかし、Bは、その事実を知った当初は動揺したものの、本件各処分時においては、原
告と離婚することもなく、むしろ収容されていた原告に頻繁に面会に行き、訴訟の準備
に協力して費用等を捻出するなど、原告との婚姻を継続する途を選択していた。
したがって、上記のようなBの決断にもかかわらず、被告が、Bの意思に反してまで、
原告の背信行為を論難し不利益に評価することは許されない。
b また、被告は、①Bがパキスタンで原告と生活することが可能であること、②外国人
の退去強制は国際慣習法上国家の自由裁量に属する問題であり、条約や憲法上の外国人
の権利保障もその枠内で与えられているにすぎないことなどと主張する。
しかし、①については、Bは、現在、成人したとはいえ若年の子供2人をもち、福祉関
係の職業に就いているため、短期に生活を一変させ、言語の通じず、文化習俗も異なる
パキスタンに行くことは、心情的にも、物理的にも不可能である。
また、②については、そもそも明文の条約や憲法が、単なる慣習法に劣後するとは到
底考えられないし、外国人の退去に関する国家の諸施策は、世界人権宣言や国際人権規
約の枠内で考えられるべきである。
c さらに、被告は、原告の在留状況を非難するが、原告は少なくともその生活する地域
社会、ことに就労先では高い評価を受けており、関係者からその在留を積極的に支持す
る声が上がっているのであって、このことは、原告が収容中にGから受け取った手紙や
同僚から寄せられた嘆願書からも明らかである。
キ 小括
以上のとおり、原告は、本件裁決当時において、法的にも実体的にも日本人の配偶者で
あり、入国後3年半以上にわたって平穏かつ勤勉な生活を送ってきたものである。
他方、原告の非違行為としては、偽造された独身証明書等を入手して春日井市役所に提
出したことであるが、これ自体何ら犯罪ではなく、文化的な背景の相違からしても酌量に
値する。
重婚自体は犯罪であるが処罰例もほとんどなく、民法上は有効であることとの整合性を
考慮すると、これらの事情を根拠として、原告を本邦から追放することは著しく不当であ
る。
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本件裁決は、真正な日本人配偶者である原告の退去を認めるものであり、憲法13条、24
条、世界人権宣言、国際人権規約に反し、著しく不当である。
ウ 在留特別許可をしないという判断の違法性について(名古屋入管局長に裁量権の逸脱・濫
用があることについて)
ア 原告の婚姻に関する事実誤認
a 憲法24条、国際人権規約及び日本人配偶者等の在留資格を規定した入管法の趣旨に従
い、日本人配偶者としての実体がある不法残留外国人には、特に在留を不相当とする事
情がない限りは、在留特別許可を付与すべきである。
そして、原告には、上記イのとおり、日本人の配偶者としての実体があるから、名古屋
入管局長が、原告の「日本人の配偶者」性を否定したのであれば、それは明白な不当評価
(事実誤認)である。また、「日本人の配偶者」であることを認めつつ、なお本件裁決をし
たのであれば、それは、原告の在留状況等について、一方的な不当評価、他事考慮をした
ものであり、裁量権を逸脱、濫用したものである。
b ところで、名古屋入管局長は、本件裁決に当たり、原告の重婚未解消の事実を特に重
視しており、これが本件裁決の前提をなす重要な事実関係であったことは明らかであ
る。
しかし、重婚における後婚として始まった原告とBとの法律婚は、その当時は取消し
得るものであったものの、原告とEとの間で平成16年8月4日に離婚が成立したことに
より、平成17年3月22日付けでされた本件裁決当時においては、既に瑕疵が解消され、
完全に有効なものとなっていた。
被告もパキスタン領事館からの回答を受けて、原告とEが平成16年8月4日に離婚し
たことを前提に、それまでの重婚が未解消であるとの主張を撤回している。
以上によれば、本件裁決は、重婚が未解消であることにつき、明白な事実誤認に基づ
きなされたものであって、基礎を欠くことが明らかであるから違法というほかない。
これに対し、被告は、原告とEとの間の婚姻が未解消であるとの従来の主張を撤回し
たものの、なお、その離婚は形式にすぎないなどと主張するが、いずれも原告の不当性
を印象づける「可能性論」にとどまり、何らかの事実認定を可能とするような具体性を
もった主張ではない。
c また、原告とBとは、婚姻の若干前から同居を開始し、原告が収容された一時期を除
き、その後は終始同居を継続しているし、夫婦として協力して日常生活を営み、原告も
家事の一部を手伝うなどしている。
また、時には一緒に外出し、肉体関係もあり、Bの連れ子との交流状況も極めて良好
である。
したがって、原告とBとの婚姻は実体を伴ったものである。
これに対し、被告は、原告とBとが同居していない旨主張するがこのような主張は、
- 9 -
処分理由を追加するものであり許されないだけでなく、時機に後れた攻撃防御方法の提
出でもあり、民訴法157条1項により許されない。
そもそも、上記主張は虚偽であることが判明している。すなわち、Bが、本件居室のあ
るコーポCとD区の居宅を往復しながら、子供の世話をしつつ、原告との夫婦生活を両
立させていたことが、Bの知人によって明らかにされているのである。原告の仮放免後
は、原告が就労できなくなったことから、コーポCの本件居室を引き払い、B自身の都
合に合わせてD区の居宅で同居するようになった。しかし、近所には両人の結婚に強く
反対しているBの母親が居住するなどの事情があるため、できるだけ婚姻の事実を知ら
れないよう生活していたことに加え、Bが初婚でもなく、原告に不法滞在外国人という
弱みもあったことから、ことさら結婚の事実を吹聴していないだけである。
イ 他事考慮及び不当評価
在留特別許可をするか否かは、婚姻の相手方であるBの福祉に重点を置き、原告及びB
の婚姻実体を中心に検討すべきである。
すなわち、日本との関わりが薄く、当初不法就労目的で来日した外国人が日本人との間
に法的保護に値する婚姻関係を始めとする人間関係を形成した場合に、主として日本人の
福祉の観点から、そのような人間関係の擁護のために認められるのが日本人配偶者の在留
資格であり、考慮すべきは婚姻実体でなければならないのである。
それにもかかわらず、在留特別許可の判断において、原告と日本との関わりの薄さや不
法就労実体を取り上げることは他事考慮として許されない。
ウ 小括
原告は、就労目的で来日して不法就労した上、Bとの婚姻を焦る余り、虚偽の独身証明
書をそれと知りながら利用する行動に出て、日本政府及びBをだますとともに、瑕疵ある
重婚状態を作出した。
これらの事情はそれ自体極めて遺憾であるが、あくまで婚姻実体ある日本人配偶者を保
護するための制度目的に照らして、不当に不利な評価をすべきではない。
当初の就労目的や不法就労自体は制度に織り込まれていることや、独身証明書等を偽造
したのは原告自身ではなく、これを利用したにとどまること、瑕疵ある重婚状態も処分当
時には解消されていたこと、被害者的地位にあったBもこれを宥恕していること等を総合
的に考慮すれば、日本人女性であるBと原告との真摯な婚姻生活を破壊しなければならな
い事情があるとは到底考えられない。
したがって、両者によって形成された婚姻実体の保護を優先すべきであるにもかかわら
ず、これについての判断を誤り、法的保護に値する婚姻実体の破壊を容認した本件裁決に
は裁量逸脱の違法がある。
エ 本件処分理由と被告主張の変遷について
ア 被告は、在留特別許可を発するか否かの判断は名古屋入管局長の広範な裁量権に委ねら
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れていることを根拠に、司法審査のあり方も、基本的には判断代置主義ではなく、事後的
に行政判断の適法性を審査することになると主張する。
しかし、そうすると、処分当時に行政庁が判断根拠としていなかった事情を、訴訟にな
ってるる主張し、判断の適法性を補強することは、結局、判断代置主義を採用したに等し
く許されないことになるはずである。
イ しかし、被告は、以下のとおり、処分理由を追加主張した。
すなわち、被告は、平成17年8月5日付け被告第1準備書面において、本件裁決の理由
として、おおむね、①原告に日本人配偶者としての在留活動が認められるとしても直ちに
本件裁決が違法になるものではないこと、②原告の重婚が解消されていないこと、③原告
がその弟の不法就労を助けていたこと等を主張していた。
ところが、平成18年3月22日付け被告最終準備書面において、処分理由を追加し、ア処
分当時の同居実体の不存在、イ仮放免後の同居実体の不存在、ウEとの離婚が形式にすぎ
ないこと、エBも「H」なる外国人への貸付の回収の便宜のため、原告と結婚したこと、こ
れらを処分理由として付加する一方、原告とEが離婚し、本件各処分時において原告が重
婚状態にないことは争わないとするに至った。
ウ しかし、原告とBとの同居の実体は、婚姻実体の間接事実であるから、本件裁決時にお
いて当然調査されていたはずであり、これを追加主張した経緯によれば、かかる事情を本
件裁決の適法性を論ずる上での資料とすることは信義則上許されない。
また、本件裁決時において、原告とBとの婚姻実体を否定する根拠ともなっていた重婚
未解消の主張が撤回され、代わりにこれと矛盾する重婚解消が形式にすぎないとの主張が
追加されており、これを本件裁決の適法性を論ずる上で資料とすることは許されない。
さらに、Bの交際相手として「H」なる外国人を登場させ、「新たなストーリー」を強調し、
Bの婚姻の動機を追加主張しているが、これは従前主張されてきた本件裁決の処分理由と
は異質であるから、これを本件裁決の適法性を論ずる上で資料とすることは許されない。
なお、Bは、原告と入籍したことによって、二月に1度18万円以上支給されてきた前夫
の遺族年金受給資格を喪失していることに加え、原告の入院の際にその費用を支払ってき
ていることからも、Bの婚姻動機が貸金回収の便宜にあるとの被告の主張は荒唐無稽であ
る。
オ 本件発付処分の違法性
本件発付処分は、上記のとおり、違法な本件裁決を前提としてされたものであり、当然に
違法である。
カ 結論
以上のとおり、本件各処分はいずれも違法であるから取り消されるべきである。

退去強制令書発付処分取消等請求事件
平成16年(行ウ)第64号
原告:A・B、被告:国・東京入国管理局長・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第2部(裁判官:大門匡・吉田徹・小島清二)
平成18年6月30日
判決
主 文
1 原告Aの訴えに基づき、被告東京入国管理局長が平成15年11月5日付けで同原告に対してし
た出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決並び
に被告東京入国管理局主任審査官が同月19日付けで同原告に対してした退去強制令書発付処分
をいずれも取り消す。
2 原告Bの訴えのうち、被告東京入国管理局長が平成15年11月5日付けで原告Aに対してした
出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決並びに
被告東京入国管理局主任審査官が同月19日付けで同原告に対してした退去強制令書発付処分の
各取消しを求める部分をいずれも却下する。
3 原告Bのその余の訴えに係る請求を棄却する。
4 訴訟費用は、原告Aに生じた費用と被告東京入国管理局長に生じた費用の2分の1を同被告の
負担とし、原告Aと被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用の2分の1を同被告の負担と
し、原告Bに生じた費用と被告東京入国管理局長及び被告東京入国管理局主任審査官に生じた費
用の各2分の1並びに被告国に生じた費用を原告Bの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 (原告らの請求)
 被告東京入国管理局長が平成15年11月5日付けで原告Aに対してした出入国管理及び難民
認定法49条1項に基づく同原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
 被告東京入国管理局主任審査官が平成15年11月19日付けで原告Aに対してした退去強制令
書発付処分を取り消す。
2 (原告Bの請求)
被告国は、原告Bに対し、20万円を支払え。
第2 事案の概要
本件は、被告東京入国管理局長が、平成15年11月5日付けで、出入国管理及び難民認定法(昭
和26年政令第319号。以下「入管法」という。ただし、条文を伴う場合は、特記しない限り、平成
16年法律第73号による改正前のものをいう。)49条1項に基づく原告Aの異議の申出は理由がな
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い旨の裁決を行い、続いて、被告東京入国管理局主任審査官が、同裁決に基づいて同原告に対し、
平成15年11月19日付けで退去強制令書の発付処分を行ったところ、原告A及びその妻である原
告Bが、原告Aに在留特別許可を与えないでした上記裁決には裁量の逸脱があり、上記裁決及び
これに基づく上記退去強制令書の発付処分は違法であるとして、上記各処分の取消しを求めると
ともに、原告Bにおいては、上記各処分には事実を誤認してされた違法があり、憲法上保障され
た婚姻の自由及び婚姻関係が憲法並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」
という。)17条の家族の保護の利益を侵害されたものであって、その精神的損害を金銭に換算す
ると20万円を下ることはないとして、被告国に対し、国家賠償法1条1項に基づき損害賠償も求
めている事案である。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めら
れる事実)
 原告らの身上及び原告Aの在留状況等
ア 原告Aは、1966年(昭和41年)《日付略》、パキスタン・イスラム共和国(以下「パキスタン」
という。)において出生したパキスタン国籍を有する外国人であり、原告B(旧姓・B’)は、
昭和42年《日付略》生まれの日本人である。
イ 原告Aは、昭和63年3月11日、タイ王国のバンコクから新東京国際空港(以下「成田空港」
という。)に到着し、東京入国管理局成田支局入国審査官から、入管法(ただし、平成元年法
律第79号による改正前のもの。)4条1項4号(現在の在留資格「短期滞在」)、在留期間90日
とする許可を受けて本邦に上陸した(乙1)。
ウア 原告Aは、昭和63年3月29日、埼玉県《地名略》市長に対し、《住所略》を居住地とする
外国人登録法3条1項に基づく新規登録をし、外国人登録証明書の交付を受けた(乙1、
4)。
イ 原告Aは、昭和63年6月7日、東京入国管理局《地名略》出張所において、法務大臣に対
し、在留期間更新許可申請をし、同日、在留期間30日の更新許可を受けた(乙1)。
ウ 原告Aは、昭和63年7月12日、東京入国管理局《地名略》出張所において、法務大臣に
対し、在留期間更新許可申請をし、同日、在留期間30日の更新許可を受けた(乙1)。
エ 原告Aは、平成7年1月13日、東京都《地名略》市長に対し、外国人登録法8条1項に基
づく変更登録(以下、単に「変更登録」という。)として、居住地を《住所略》とした(乙1、4)。
エア 原告Aは、平成7年2月13日、埼玉県《地名略》市長に対し、原告Bとの婚姻の届出をし、
同日、居住地を《住所略》とする変更登録をした。(乙1、4)
イ 原告Aは、平成7年6月28日、埼玉県《地名略》市長に対し、居住地を《住所略》、世帯主
をB、続柄を夫とする変更登録をした(乙1、4)。
ウ 原告Aは、平成8年4月8日、東京入国管理局に出頭し、原告Bとの婚姻を理由に本邦
への在留を希望し、上記ウウの在留期限を超えて不法残留している事実を申告した(乙5
の1)。
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エ 原告Aは、平成11年8月17日、埼玉県《地名略》市長に対し、居住地を《住所略》とする
変更登録をした(乙1、4)。
オ 原告Aは、平成12年9月1日、埼玉県《地名略》市長に対し、居住地を《住所略》とする
変更登録をした(乙1)。
カ 原告Aは、平成15年10月21日、《地名略》市長に対し、居住地を《住所略》とする変更登
録をした(乙1)。
 本件各処分に至る経緯について
アア 東京入国管理局入国警備官は、平成11年10月15日及び同月21日、原告Aに係る入管法
24条4号ロ該当容疑事件につき、違反調査をし、同月20日、原告Aの上記容疑に係る原告
Bの事情聴取をした(乙6から9まで)。
イ 東京入国管理局入国警備官は、平成11年10月27日、原告Aが入管法24条4号ロ(不法残
留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、東京入国管理局主任審査官から
収容令書の発付を受けた(乙10)。
ウ 東京入国管理局入国警備官は、平成11年10月29日、上記イの収容令書を執行し、同日、
原告Aを入管法24条4号ロ該当容疑者として、東京入国管理局入国審査官に引渡した(乙
10、11)。
原告Aの引渡しを受けた東京入国管理局入国審査官は、同日、同原告の上記容疑に係る
違反審査をした(乙12)。
東京入国管理局主任審査官は、同日、原告Aの仮放免を許可した(乙13)。
イア 東京入国管理局入国審査官は、平成12年7月31日、原告Aに係る違反審査をした(乙
14)。
イ 東京入国管理局入国審査官は、平成12年8月23日、原告Aに係る入管法24条4号ロ該当
容疑につき、遠反審査をし、その結果、同日、原告Aが上記条項に該当する旨の認定をし、
原告Aにこれを通知したところ、原告Aは、同日、特別審理官による口頭審理を請求した
(乙15、16)。
ウ 東京入国管理局入国審査官は、平成13年12月21日、原告Aの上記容疑に係る原告Bの事
情聴取をした(乙17)。
エ 東京入国管理局特別審理官は、平成14年1月21日、原告Aに係る口頭審理をし、その結
果、同日、入国審査官の上記イの認定に誤りはない旨判定し、原告Aにその旨通知したと
ころ、原告Aは、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした(乙18から20まで)。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入国管理局長は、平成15年11月5日、原告A
からの上記エの異議の申出に対し、異議に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)
をし、同日、被告東京入国管理局主任審査官に同裁決を通知した(乙22の1、2)。
ウア 上記イオの通知を受けた被告東京入国管理局主任審査官は、平成15年11月19日、原告A
に同裁決を告知するとともに、退去強制令書の発付処分(以下「本件退令発付処分」といい、
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本件裁決と併せて「本件各処分」という。)をし、東京入国管理局入国警備官は、同日、退去
強制令書を執行し、原告Aを東京入国管理局収容場に収容した(乙23、24)。
イ 原告Aは、平成16年4月8日、入国者収容所東日本入国管理センターに移収された後、
同年11月30日、仮放免を受けて同センターより出所した(乙37)。
2 争点
本件における主要な争点は、次のとおりであり、これらについて摘示すべき当事者の主張は、
後記第3「争点に対する判断」において記載するとおりである。
 本件各処分の取消しの訴えについて原告Bが原告適格を有するか否か。
 本件各処分が違法であるか否か。
 原告Bが国に対する賠償請求権を有するか否か。
第3 争点に対する判断
1 争点(本件各処分の取消しの訴えについて原告Bが原告適格を有するか否か。)について
 行政事件訴訟法9条は、取消訴訟の原告適格について規定するが、同条1項にいう当該処分
の取消しを求めるにつき「法律上の利益を有する者」とは、当該処分により自己の権利若しく
は法律上保護された利益を侵害され、又は必然的に侵害されるおそれのある者をいうのであ
り、当該処分を定めた行政法規が、不特定多数者の具体的利益を専ら一般的公益の中に吸収解
消させるにとどめず、それが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべきものとす
る趣旨を含むと解される場合には、このような利益もここにいう法律上保護された利益に当た
り、当該処分によりこれを侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者は、当該処分の取
消訴訟における原告適格を有するものというべきである。
また、処分の相手方以外の者について上記の法律上保護された利益の有無を判断するに当た
っては、当該処分の根拠となる法令の規定の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目
的並びに当該処分において考慮されるべき利益の内容及び性質を考慮し、この場合において、
当該法令の趣旨及び目的を考慮するに当たっては、当該法令と目的を共通にする関係法令があ
るときはその趣旨及び目的をも参酌し、当該利益の内容及び性質を考慮するに当たっては、当
該処分がその根拠となる法令に違反してされた場合に害されることとなる利益の内容及び性質
並びにこれが害される態様及び程度をも勘案すべきものである(同条2項参照)。
 上記の点を踏まえて、本件各処分の取消訴訟において、その相手方たる原告Aの配偶者で
ある原告Bが原告適格(「法律上の利益」)を有するか否かについて検討する。
まず、原告Bは、入管法は、日本人の配偶者である外国人について「日本人の配偶者」という
在留資格を設けるだけでなく、「永住者」の在留資格の取得要件を緩和するなど、婚姻関係の尊
重を図っていること、実際、法務大臣が在留特別許可決定を下す場合は、そのほとんどが日本
人との婚姻関係を保護する必要がある場合であって、当該決定は夫婦が日本国内で同居して婚
姻生活を営むという具体的な権利を保護する機能を有しているといえることから、こうした制
度全体を具体的に検討すると、原告Bの婚姻の自由は、入管法上も保護された利益といえると
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主張する。しかし、入管法及びその関連法令には、外国人の配偶者である日本人の婚姻関係上
の権利、利益を保護すべきであるとする趣旨を含むと解される規定は存在しない。また、本件
裁決に当たって、在留特別許可を付与するか否かの判断は、後記2のとおり、法務大臣等の
極めて広範な裁量にゆだねられており、容疑者が日本人の配偶者であることは主要な考慮要素
となり得るものではあるが、それは飽くまでも容疑者固有の属性として、我が国での在留を特
別に許可すべき事情があるか否かという観点から考慮要素になり得るにすぎないのであって、
当該日本人の婚姻関係上の権利、利益を保護すべきものとする趣旨を含むと解すべき根拠はな
い。同法2条の2第2項所定の在留資格の一つとして「日本人の配偶者等」が定められている
が、当該在留資格は、外国人の地位・身分に応じて、在留中、日本で行い得る活動と在留期間を
あらかじめ定めておくために設けられた資格の分類にすぎず、当該規定をもって、本件各処分
に当たり、外国人の配偶者たる日本人を保護すべきものとする根拠とみることはできない。
さらに、原告Bは、婚姻関係が憲法及びB規約上保護されており、本件各処分はそこで保護
された具体的な権利を直接侵害することを、同原告に原告適格が認められる根拠として主張す
る(当該侵害の基礎となる事実として、原告Bは、夫である原告Aが日本に長年滞在し、日本の
文化に親しみ、ある程度日本語能力を習得しているのと比較して、パキスタンに滞在した経験
もなく、同地の文化・言語についての知識がないことに加え、我が国において、《病名略》疾患
のある妹の面倒をみなければならないことからすると、現時点で、パキスタンにおいて、原告
Aと婚姻生活を営むことは不可能であることを主張する。)。しかし、後記2ウのとおり、外
国人を自国内に受け入れるか否か、これを受け入れる場合にいかなる条件を付すかは、国際慣
習法上、当該国家が自由にこれを決することができるのが原則であり、また、B規約13条1項
も、外国人に対する法律に基づく退去強制手続をとることを容認していることからしても、外
国人は、憲法上及びB規約上の権利を、飽くまでも入管法の定める在留制度の枠内において保
障されているものであって、この点も、原告Bに原告適格を認めるべき根拠となるものではな
いと解される。
以上のとおりであるから、本件各処分の取消しの訴えにおいて、原告Bが原告適格(「法律上
の利益」)を有するとはいえない。
2 争点(本件各処分が違法であるか否か)について
 在留特別許可の許否に関する適法性の判断基準
ア 入管法は、24条各号掲記の退去強制事由のいずれかに該当すると思料される外国人の審査
等の手続として、特別審理官が、口頭審理の結果、外国人が同法24条各号掲記の退去強制事
由のいずれかに該当するとの入国審査官の認定に誤りがないと判定した場合、当該外国人は
法務大臣に対し異議の申出ができると規定している(同法49条1項)。そして、法務大臣がそ
の異議の申出に理由があるかどうかを裁決するに当たっては、たとえ当該外国人について同
法24条各号掲記の退去強制事由が認められ、異議の申出が理由がないと認める場合において
も、当該外国人が同法50条1項各号掲記の事由のいずれかに該当するときは、その者の在留
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を特別に許可することができるとされており(同条1項柱書)、この許可が与えられた場合、
同法49条4項の適用については、異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすとされ、その旨
の通知を受けた主任審査官は直ちに当該外国人を放免しなければならないとされている(同
法50条3項)。
イ 原告は、入管法24条4号ロの強制退去事由に該当する者である(前記前提事実(第2の1)
のウウ、エウ)から、前記前提事実に記載した本件の経緯に照らし、本件裁決の適法性に関
しては、原告が同法50条1項3号に該当するか否かが専ら問題となるものである。
ウ ところで、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条
約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいか
なる条件を付するかは、専ら当該国家の立法政策にゆだねられており、当該国家が自由に決
定することができるものとされているところであって、我が国の憲法上も、外国人に対し、
我が国に入国する自由又は在留する権利(又は引き続き在留することを要求し得る権利)を
保障したり、我が国が入国又は在留を許容すべきことを義務付けたりしている規定は存在し
ない。
また、入管法50条1項3号も、「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると
認めるとき」と規定するだけであって、考慮すべき事項を掲げるなど、その判断を羈束する
ような定めは置かれていない。そして、こうした判断の対象となる外国人は、同法24条各号
が規定する退去強制事由のいずれかに該当し、既に本来的には我が国から退去を強制される
べき地位にある。さらに、外国人の出入国管理は、国内の治安と善良な風俗の維持、保健・衛
生の確保、労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって、その性質上、
広く情報を収集し、その分析を踏まえて、時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり、
高度な政治的判断を要求される場合もあり得るところである。
エ 以上の点を総合考慮すれば、在留特別許可を付与するか否かの判断は、法務大臣の極めて
広範な裁量にゆだねられているのであって、法務大臣は、我が国の国益を保持し出入国管理
の公正を図る観点から、当該外国人の在留状況、特別に在留を求める理由の当否のみならず、
国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲等の諸般の事情を総合的
に勘案してその許否を判断する裁量権を与えられているというべきである。そして、在留特
別許可を付与するか否かに係る法務大臣の判断が違法となるのは、その判断が全く事実の基
礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、法務大臣に与えら
れた裁量権の範囲を逸脱し、又はそれを濫用した場合に限られるものと解するのが相当であ
る。
 本件裁決における裁量権の範囲の逸脱又は濫用の有無
ア 上記で述べたところに従い、法務大臣から授権された被告東京入国管理局長が本件裁決
をするに当たり、その裁量権の範囲の逸脱又は濫用に相当するような事情があったか否かと
いう観点から、本件裁決の適法性について検討を加えることとする。
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イ 前記前提事実、原告A及び同B各本人尋問の結果並びに各項掲記の証拠によれば、次の事
実を認めることができる。
ア 原告Aの在留状況及び原告らの生活状況等
a 原告Aは、パキスタンの《地名略》市において、8人兄弟の第2子として出生し、地元
の高校を卒業後、同市内にある大学に進学して数学を専攻していたが、我が国に在住す
るパキスタン人の友人が一時帰国した際、同人から、来日すれば多くの収入が得られる
こと、日本国内に多数のパキスタン人が生活していること等の話を聞いて、来日するこ
とを決意し、昭和63年3月11日、成田空港に到着して、我が国に入国した(甲11、乙5
の1・2、6、7、18)。 
b 原告Aは、来日後の約1週間、前記友人宅に滞在していたが、同人の紹介により、東京
都《地名略》区内のアパートにパキスタン人2、3人と居住するようになり、昭和63年
5月ころから、住み込みの建設作業員として稼働を開始した。入国後、2回の在留期間
の更新許可を受け、前記前提事実ウウの更新では同年8月8日が在留期限と定められ
ていたが、それ以降の更新許可を得られる見通しが立たない一方、入国当初から十分に
貯金するまでは帰国する意思がなかったことから、上記在留期限を過ぎてもそのまま在
留・稼働を続けた。(以上につき、甲11、乙6、18)
c 原告Aは、その後も、《地名略》市内や《地名略》市内のアパートを、他のパキスタン人
と共同で賃借してそこに居住し、建設作業員のほか、自動車輸出会社アルバイト、ウェ
イター、ビル清掃員、自動車部品工場工員等として稼働していたが、平成5年秋ころか
らは、中古車の修理・販売業を自営するようになり、当時、月額50万円程度の収入があ
った。平成11年8月からは、不景気で自営の仕事が減ったことから、板橋区《住所略》所
在の中古車輸出入会社(a)でアルバイトを始め、月額17万円程度の収入を得るように
なった。さらに、平成13年には、原告Bの名義で古物営業の許可を取得し、翌平成14年
には、原告Bが取締役に就任するなどして会社(b)を設立し、改めて中古車販売の自営
を始め、月額35万円程度の収入を得ていた。(以上につき、甲10、11、乙6、18)
d 原告Bは、父母、妹二人の5人で同居生活をしていたが、他に独立した兄がいて、父と
共に家業cに従事していた。一家は、当初《住所略》市内に居住し、家業の工場も同市内
にあった。原告Bは、昭和61年に高校を卒業してから、しばらく同市内のデパートに勤
務した後、事務職として家業を手伝うようになった。しかし、長妹Aが、昭和63年に交
通事故に遭ってから、《中略》の症状を示すようになり、特に、平成3年、一家が《地名
略》市内から《地名略》市の肩書住所に転居した後は、その症状が悪化し、《中略》身の回
りのことを自分ですることができず、一日中介護が必要な状態となった。このため、原
告B及び次妹Bが分担してAの介護に当たったが、《中略》一人で手に負えないときは、
世話をしていたBから連絡を受けて、原告Bが仕事を切り上げて自宅に帰らなければな
らないこともあった。なお、Aの病名については、本人が病院に行くのを嫌がっていた
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こと、実家が経済的に余裕のない状況であったことが重なり、これまで正式な診断を受
けておらず、治療も受けないまま現在に至っている。(以上につき、甲10、15の3、乙7、
18)
e 平成2年2月ころ、原告Aが働いていた《地名略》市内のコーヒーショップに原告B
が客として訪れ、原告Aが原告Bに声を掛けたのがきっかけとなって原告らの交際が始
まった。原告Bは、原告Aの真面目な性格や頼りがいのあるところにひかれ、また、原告
Aも家庭の状況等から心労をためがちであった原告Bを助けたいという気持ちを抱くよ
うになり、交際を続けるうち結婚を決意するに至って、平成7年2月13日、婚姻の届出
をした。しかし、原告Bは、Aが上記dのような状況であったため、その介護を続けなけ
ればならず、原告Aに対し、同居することが難しいという話を伝えており、同原告もそ
の点を了解していた。また、原告Bは、幼少時以来、常に兄と比較されつつ、両親から虐
待を受けてきたと考えており、親子の会話はほとんどない状態であって、原告Aとの交
際及び結婚の事実は両親にも、別居していた兄にも、一切話しておらず、家族の中では、
Bに対してのみ原告Aを紹介した。原告Aも、原告Bから親子関係その他家庭の事情の
概略について説明を受けており、B以外の家族に会えないのも当面やむを得ないことと
考えていた。(以上につき、甲10、11、乙6、7、18)
f 原告Aは、婚姻の届出をした平成7年2月以降、《住所略》のアパート(d)に居を定
めたが、階下のスナックのカラオケがうるさかったため、原告Bの希望で、同年6月こ
ろには、《住所略》所在のアパート(e)に転居した。原告Bは、週末その他数日おきに各
アパートを訪ね、原告Aとしばらく時間を過ごした後、《住所略》の実家に帰ることもあ
れば、そのままそこに泊まることもあったが、Aの介護のため何日も続けてアパートに
泊まることはできなかった。また、原告Aは、平成10年6月ころから平成11年8月まで
の間は、仕事で新潟か富山に滞在することが多く不在がちであったことから、上記アパ
ート(e)に知り合いのパキスタン人家族(親子3人)を住まわせていた。(以上につき、
甲10、11、乙7、9、15、18)
g 原告Aは、平成11年8月、経済的な理由から、家賃の安い《住所略》所在のアパート
(f)に転居した。しかし、同アパートの大家が交替し、新しい大家から部屋の立ち退き
を求められたため、平成12年8月末には、《住所略》所在のアパート(g)に転居した。
なお、fからの退去後、1か月余りの間友人宅に滞在していた。さらに、平成15年1月
からは、原告Bの母が介護を要する状態に陥り、同年7月には死亡したこともあって、
同原告が実家で行う家事の量も増え、gへ通うことの負担も重くなった。そこで、同年
10月には、原告Bが借主となって、同原告の勤務先とも近い《住所略》所在のアパート
(h)を賃借し、原告Aは同アパートに転居した。(以上につき、甲11、21、乙7、9、14、
15、42、43の1・2、44、53)
h 原告らは、それぞれの収入を各自で管理しており、具体的な収入額の詳細は互いに把
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握しておらず、生計を共にすることはなかったが、原告Aが原告Bに対し1万円程度の
小遣いを渡すこともあった。原告Aは自ら家事を行っていたものの、原告Bがアパート
を訪れた際は、同原告が掃除、洗濯等を行うほか、原告Aがパキスタン料理の調理法を
原告Bに教え、同原告が料理を作ることもあった。(以上につき、乙14、18)
イ 違反事実の申告と東京入国管理局による調査・取調べ等
a 原告Aは、平成8年4月8日、東京入国管理局に出頭し、不法残留の事実を申告し、原
告Bと安定した生活がしたいこと等を理由に挙げて、残留希望の申述をした。その際、
原告Bとは平成7年1月30日以降同居していること等を記載した陳述書を提出した。東
京入国管理局は、在宅のまま原告Aの調査を実施することとした。(以上につき、甲11、
乙5の1・2、18)
b 東京入国管理局の係官は、平成11年9月3日、原告Aから住所地として申告されてい
たアパート(e)に臨場し、調査を実施したところ、近隣の居住者からは外国人夫婦と子
供が住んでおり、日本人女性は住んでいない旨説明を受けた。同係官は、同月29日にな
って、原告Bから、原告らが《住所略》所在のアパート(f)に転居した旨初めて報告を
受けた。(以上につき、乙47、49)
c 東京入国管理局の係官は、平成11年10月13日、原告Aの従前の居住場所であるアパー
ト(e)に臨場して再度調査を実施したところ、パキスタン人男性が同アパートで応対
し、原告らはたまたま不在であるが、現在も生活していること、自分は1年くらい前か
ら妻子とともに同居させてもらっていること等を申述した。さらに、同係官が原告Bか
ら転居先であるとの報告を受けたアパート(f)に所在調査に訪れたところ、近隣の居
住者からは、同室がインド人かパキスタン人のたまり場となっており、日本人女性を見
たことはない旨説明を受けた。(以上につき、乙50の1・2、51)
d 原告Aは、平成11年10月15日及び21日、東京入国管理局から、呼出しを受け、出頭し
取調べを受けた。また、同月20日には、原告Bが出頭し取調べを受けた。原告らは、取
調べにおいて、原告Aが《住所略》所在のアパート(f)に転居して1か月余りしか経っ
ておらず、原告Bも転入の届出はしたものの、Aの介護等で忙しいため、同アパートに
立ち寄る機会は少なく、そこでの寝泊まりも十回くらいしかしてないこと、結婚当初か
ら、原告Aの下に帰れるのは週2、3回程度であること、今後、生活に余裕ができればA
の面倒をみながら実家近くで一緒に暮らしたいこと、原告らの結婚には原告Bの両親が
反対しており、そのことも解決したいこと等を係官に申し述べた。(以上につき、甲10、
11、乙6から9まで)
e 被告東京入国管理局主任審査官は、平成11年10月29日、原告Aに対し、収容令書を発
付し、これを執行したが、原告Aは、同日、保証金10万円を預託して仮放免の許可を得
た(乙10、13)。
f 原告Aは、平成12年7月31日、東京入国管理局から、再度呼出しを受け、同日及び同
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年8月23日に取調べを受けた。その際、同原告は、結婚した日や原告Bの生年月日・旧
姓について覚えていないと述べるなど、その供述にはあいまいなところが少なくなかっ
た。さらに、同原告は、原告BがAの介護のため週に3回程度実家に帰っていると述べ
る一方、Aの病名は知らず、また、原告Bの家族のうち、B以外とは会ったことがなく、
結婚の事実も知られていないこと、同年6月25日ころ、それまで住んでいたアパート
(f)の大家が代わり、原告Aが同アパートから追い出されることになって、友人宅に寝
泊まりしていること、原告Bは当該友人が不在の折に当該友人宅に泊まりにくることも
あったが、取調べ時までの約1か月の間原告Bとは4回しか会っていないこと等を供述
した。なお、友人宅に身を寄せている状況については、原告Aから自主的に説明したわ
けではなく、係官の指摘を受けて初めてこれに言及したものであった。(以上につき、乙
14、15)
g 平成13年12月になって、東京入国管理局の係官が《住所略》所在のアパート(g)に
臨場して調査を行い、原告Bに対して、当該アパートの室内の状況を確認し、事情を聴
きたい旨を電話で連絡をした。原告Bは、職場から自動車で同アパートに向かったが、
到着するまで1時間以上を要し、係官と同アパートで会うことができなかった。同月21
日には、東京入国管理局で原告Bに対する取調べが行われたが、同原告は、平成13年に
なって同アパートを訪れたのは20回程度であり、いずれも泊まっているが、同年10月下
旬以来、同アパートを訪れていないと供述した。(以上につき、甲10、乙17)
h 原告Aは、平成14年1月21日、東京入国管理局において、特別審理官から口頭審理を
受け、原告Bも立会人としてこれに同席した。原告らは、《住所略》所在のアパート(g)
に居住していること、原告Bは実家でAの介護に当たっており、土日や祝日はアパート
に訪ねてくるが、平日はほとんどアパートに戻れないこと、このような生活状況は、原
告B一家が《地名略》市内から肩書住所地に移転してから変わりないこと等を供述した。
(以上につき、乙18)
i 東京入国管理局の係官は、平成15年10月29日、原告Bの実家を訪ね、近隣の居住者の
ほか、原告Bからも事情聴取を行った。同原告は、同月18日に夫婦で《住所略》所在のア
パート(h)に転居したこと、原告BはAの介護もあって週3、4日は実家にいること、
今後も実家と夫居宅とを行き来する生活が続き、継続的に同居したいという希望はある
がその目途は立っていないこと等を供述した。同係官は、前同日(同月29日)、従前の住
居であったアパート(g)にも臨場して調査を実施したところ、近隣の居住者からは、大
勢の外国人が同室に出入りしているが、原告Bを見かけたことはない旨の申述があり、
また、同アパートの仲介業者(その事務所の最寄り駅は同アパートと同じ《駅名略》駅で
あるが、駅からの方向は異なり、商店街に所在する。)の社員からは、原告Aは連絡がな
いまま行方が分からなくなっていること、原告Bを見たことはないこと、入居者は原告
A一人として契約をしていること等の申述があった。以上の調査結果を踏まえ、同係官
- 11 -
は被告東京入国管理局長に対し、原告らについて「婚姻同居継続の蓋然性が認められな
いことが確認された」などとする調査報告を行った。(以上につき、乙53)
j 原告Aに対する取調べは、平成14年1月21日以来実施されなかったが、同原告は、平
成15年11月19日、本件退令発付処分により収容されるまで、毎月、東京入国管理局に出
頭しており、その都度、生活状況等を報告していた(甲11)。
ウ 原告Aの仮放免後の状況等
a 原告Aは、平成16年11月30日に仮放免された後は、原告Bの実家で同原告、その父及
び妹らと同居しており、原告Bの家族との関係は、独立している兄も含めて、おおむね
良好である。平成17年末、原告Bの実家の工場が経営不振により廃業したため、父及び
兄ともに現在は仕事がない状態であり、原告Aの経験を生かし、同原告と共同して中古
車販売業を行うことも検討している。(以上につき、甲18の3、22、23)
b 原告Bは、引き続きAの介護に当たらなければならないほか、パキスタンの言語を全
く理解できず、生活習慣になじみもないことから、原告Aが本国に送還された場合、こ
れに同行することは不可能であると考える一方、原告Aの存在が精神的な支えとして掛
け替えのないものと考えており、同原告が引き続き我が国に在留して一緒に生活する
ことを強く望んでいる。また、原告Aも原告Bの立場を思いやり、これまでの生活の基
盤が形成された我が国に引き続き在留できることを要望している。(以上につき、甲10、
15の2、乙6、7)
ウア 前記前提事実及び上記イの認定事実によると、まず、原告Aは、①昭和63年3月の我が
国への入国時当初から不法残留・不法就労を企てていたものであること、②不法残留の期
間も東京入国管理局への自主申告(前記前提事実エウ)時まででも8年余り、本件裁決
までは15年余りの長期間に及ぶこと、③少なくとも原告Bと婚姻するまでの間は、外国人
登録法にのっとった居住地の変更申請、登録書の切替交付申請を行っていなかったことが
認められる。特に、在留資格が得られる見通しもないまま入国を敢行したものであって、
上陸許可及び在留期間の更新許可に基づいて適法に我が国に在留していた期間はわずか5
か月余りにとどまり、その後は、蓄財という来日目的を果たすために、資格のないまま不
法就労に明け暮れており、その限度でいわゆる確信犯的な要素も認められるところから、
入管行政に及ぼす悪影響は決して小さなものにとどまらず、看過できない事案であるとい
えなくもない。
イ しかしながら、前記イの認定事実によると、原告Aは、①これまで日本において、警察に
逮捕されたり、捜査を受けるなど、刑事事件を引き起こしたことはないこと、②原告Bと
の婚姻をきっかけにしたものであり、在留資格の取得を意図してのこととはいえ、婚姻後
約1年2か月を経過して、自ら入国管理局に不法滞在の事実を申告しており、当該申告を
した平成8年4月以降は、入国管理局の指示には素直に従って行動していること、③原告
Bと真摯な意思に基づいて婚姻し、《病名略》疾患のある長妹Aの介護・家業の手伝いとい
- 12 -
う大きな負担を抱えた同原告の境遇に理解を示し、同原告が時間の許す限り、原告Aのア
パートで一緒に過ごし、家事を行うなど互いに協力して生活を送っており、完全な同居は
ままならないという制約を甘受しつつも、本件裁決時までには、精神的な依存度を高め、
愛情・信頼に基づいた安定した夫婦関係を築いていたといえること、④殊に、本件裁決ま
でには、婚姻の届出をしてから約8年9か月余りもの長期間が経過しており、その間、や
はり完全な同居には至らなかったものの、原告Bの就業先近くのアパート(h)を新たに
借りるなど、夫婦関係はより安定し、結び付きを強めていったことを認めることができる。
ウa これに対し、被告らは、原告らが同居できなかった主な原因と主張する妹の介護に関
し、その病状の改善に向けた方策を講じておらず、原告Aのアパートも、原告Bが訪れ
る都合よりも、原告Aの不法就労の都合を優先して定めるなど、少なくとも原告Aにお
いて原告Bとの同居を実現する真剣な意思があったとはいい難いなどと主張する。
しかし、前記イアdのとおり、長妹A自身が治療を嫌がっており、周囲の目も気にし
ながら、しかも、経済的に必ずしも恵まれていない状況の下では、適切な解決策を講じ
ることができなかったことをとらえて、原告らに不利な事情として斟酌するのは酷であ
る。また、原告Bにとっては、妹の疾患は自らの実家内の事情であって、事柄の性質上、
そのすべてを原告Aに明らかにすることができず、その相談・協力を得て問題解決に当
たるといった行動に出られなかった(他方原告Aは、日本語の理解力の不足とも相まっ
て、Aの正確な病状をほとんど把握していなかったことが認められる(甲11)。)として
も、その心情は十分に理解可能なものであって、実態ある夫婦としては不自然であると
評価できるような事情でもない。また、アパートの所在地についても、原告Aは、外国人
であって在留資格を持たず、経済的余裕のない時期もあったというのであるから、アパ
ートに入居する際も一般の場合と比較してより制約が多かったものと推認でき、《住所
略》近辺のアパートを借りなかったことをとらえて同居実現の意思がなかったというこ
ともできない。
b さらに、被告らは、原告Bがアパートの家賃の滞納を放置していたことや、原告Aの
連絡用の携帯電話が他人に貸与されていたこと、fを追い出された後、原告Aが身を寄
せていた先である友人の名前を原告Bが知らなかったこと、互いに生計を別個に営んで
いたこと等を指摘して、原告らはお互いの状況すら把握しておらず、相互に扶助協力し
合う関係になかったと主張する。
しかし、原告Aが長期間収容され、収入のない状態のまま、原告Bが家賃を支払い続
けるのは大きな負担であって、滞納が生じたことをもって直ちに扶助協力関係にないな
どとするのは相当でない。その余の点にしても、完全な同居をしているわけではないこ
とは事実であるから、生計が別であることはもとより、円滑に連絡がとれないことがあ
ったり、相手方の交友関係にまで目が届かなかったりといったことは、それに付随して
まま起こり得ることであり、そのことをもって、扶助協力関係を否定したり、夫婦が実
- 13 -
体を欠くことの根拠としてあげつらったりするのは、いささか皮相な見方にすぎるとい
うべきである。
c 確かに、入国管理行政の場面においては、日本人との間の婚姻関係の存在が重要な考
慮要素の一つであるとみられて、実体のない婚姻関係の偽装事例が横行していることが
懸念され、その見極めのために、まずは、婚姻関係の外形的事実、すなわち、夫婦同居の
有無・その具体的態様に着目して調査を行い、それを有力な判断要素とすることには十
分な理由があるといえる。
しかし、同居を困難にする客観的かつ合理的な理由(本件原告らにおいては、妹の疾
患と介護の必要性という事情)が存在する場合にあっては、完全な同居をしていない事
実及びそこから派生的に生ずるような事情を含めて、それが真実、夫婦関係の実体の希
薄さを反映した事情といえるのかなどの点について、より慎重な評価・判断を加えてい
く必要があるというべきである。
d なお、被告らは、原告Aがした前記ア③の外国人登録法違反の点のほか、①弟をパキ
スタンから呼び寄せて不法滞在・不法就労を容易にさせた点、②銀行口座の開設時に偽
変造された外国人登録証明書を所持・提示した疑いがある点、③日常的に無免許運転を
繰り返していた点を挙げて、同原告の規範意識の欠如は甚だしく、その在留状況は極め
て悪質であると主張する。
しかし、①の点に関しては、弟の来日に関して、来日を誘っていたこと(乙18)、自身
のアパートに同居させていたということ以上に、その不法滞在・不法就労につき原告A
がどのような役割を果たしたものか定かではないし、②の点に関しても、当該口座開設
時に当該銀行において実際にどのような本人確認の手続がとられていたか、具体的には
明らかになっていないことから、偽変造文書の行使等の事実が直ちに推認できるもので
はない。また、③の点に関しては、原告Aは、本国で発行していた国際免許証を所持して
いたところ、その更新手続を依頼したパキスタン人から偽物を交付されていたこと等が
警察の指摘で判明し、その後は、仕事上緊急の必要があるときのみ運転をしていたと供
述する(同原告)一方、平成14年1月の口頭審理時は、2か月前まで自家用車を保有し
ていたと述べていることからすると、そのころまで、かなりの頻度で自動車の無免許運
転を行っていた疑いが強い。この点は、同原告が事実関係を偽って供述を行っている可
能性が高いことを含め、問題視されても然るべき事情ではあるが、さりとて、既に検討
したとおり、原告らの夫婦としての安定した関係が長期間継続している事実との比較に
おいて、在留特別許可の許否という観点からすれば、それだけで、異なる結論を導くほ
どに大きな考慮要素とみるのは妥当でないというべきである。
エ 以上の検討によれば、本件裁決時までに、原告らは、愛情・信頼に基づき安定した夫婦関
係を築いていること、その継続期間も、原告Aが不法残留の事実を申告し、東京入国管理局
の調査に服した後の期間が大半を占めており、被告らが主張するように「不法残留という違
- 14 -
法状態の上に形成された関係である」などと単純化できないことが認められ、これらのこと
からすると、原告らの夫婦関係は、十分保護に値するものというべきである。さらに、原告A
の我が国における在留状況をみると、長期間の不法残留・不法就労を始めとした法令に抵触
する行為が見受けられるものの、前記イアの事実に照らせば、原告Aに在留特別許可を付与
せず強制退去に付した場合には、パキスタン本国において、互いの扶助・協力の下で生活し、
同居を実現に移すなど、夫婦関係を維持し、これを発展させることはおよそ困難になるもの
と容易に推測できることからすると、被告東京入国管理局長は、原告らの夫婦関係の実体を
適正に認定・評価していれば、原告Aに対しては当然に在留特別許可を付与すべきものであ
ったと解するのが相当である。
したがって、原告Aに在留特別許可を付与しないでした本件裁決は、全く事実の基礎を欠
いており、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであって、在留特別許可を付与する
か否かについて法務大臣から権限の委任を受けた被告東京入国管理局長に与えられた裁量権
が極めて広範なものであることを前提としても、本件裁決は裁量権の逸脱に当たるものであ
って違法というべきである。
オ 本件裁決の通知を受けた被告東京入国管理局主任審査官は、入管法49条5項により、速や
かに当該容疑者に対し、その旨を知らせるとともに同法51条の規定による退去強制令書を発
付しなければならないものとされているのであるから、本件裁決が違法である以上、これに
従ってされた本件退令発付処分も違法であるといわざるを得ない。
3 争点(原告Bが国に対する賠償請求権を有するか否か。)について
 国家賠償法1条1項は、国等の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、
故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国等はこれを賠償する責めに任ずる
旨規定している。ここでいう違法に当たるか否かは、国民等に生じた損害を填補する責任を誰
に負わせるのが公平かという見地に立って総合的に判断すべきものであるから、行政処分が法
律上の要件を充足していない違法なものとして取り消されるべき場合であっても、当該行政処
分が国家賠償法上も直ちに違法であるということはできない。特に、上記公平の見地からすれ
ば、その違法性の有無は、当該行政処分によって侵害された利益の種類、性質、侵害行為の態様
及びその原因、当該行政処分の発動に対する被害者側の関与の有無、程度並びに損害の程度等
の諸般の事情を総合的に判断して決すべきものであり、それが違法と判断されるためには、少
なくとも、当該行政処分を行った公務員に職務上の法的義務違反があったと認められる場合で
あることを要するものというべきである。
ア これを本件についてみるに、前記2で判断したとおり、本件裁決の判断には裁量権の逸脱
があって違法であり、これに基づく本件退令発付処分も違法であって、いずれも取り消され
るべきものではある。
イ しかし、被告東京入国管理局長が本件裁決のような判断をするに至ったのは、原告らの婚
姻関係を、実体の伴ったものと認定し、法的保護に値するものと判断・評価すべきであるに
- 15 -
もかかわらず、そうした結論に至らなかったことにその原因を求めることができる。
ウ さらに、被告東京入国管理局長が、原告Aに在留特別許可を与えるか否かを判断する前提
として、原告らの生活状況の調査に当たったところ、その過程において、原告らが完全な同
居生活を送っている事実が確認できなかったばかりでなく、次に掲げるように、原告らの婚
姻関係の実体に疑問を差し挟んでも致し方がないと思われるような行為、外形的事実が多々
存在したところであり、これらは原告らが意図して生じさせたものではない場合もあるにせ
よ、原告Aに在留資格を付与するか否かの前提として調査を受けていたことからすれば、原
告らの対応振りとしては甚だ配慮に欠ける面があったことは否定できない。
① 原告Aが住居を移した場合でも、原告らはその事実を速やかに東京入国管理局の係官ら
に申告しなかった場合があること(前記2イイb、i。ちなみに、仮放免の条件として、
指定住居を変更するときは、あらかじめ承認を得ることが必要とされているところであ
る。出入国管理及び難民認定法施行規則49条2項、別記第67号様式参照。)
② 原告Bが原告Aのアパートを訪れる回数にしても、原告らは、おおむね週2、3回程度
と説明していたものの、1年足らずの間に20回程度であるなどと極めて少ない回数しか訪
問していない旨述べたこともあること(同g)
③ 原告Aが退去した後のアパートに、引き続き知合いのパキスタン人家族を住まわせてお
り、同パキスタン人は原告らの居住状況について、原告らによる説明(既に同アパートは
退去済みである旨)とは異なる説明(現在も同アパートに居住中である旨)をしたこと(同
b、c)
④ 原告Bも同係官の求めにもかかわらず、gの調査の立会いに応じられなかったことがあ
ること(同g)
⑤ fから退去を余儀なくされ、友人宅に身を寄せている状況についても、原告Aは係官に
対して自ら進んで説明をしなかったこと(同f)
⑥ 原告Aは、夫であれば通常知っているべき原告Bの身上関係についてあいまいな説明し
かできなかった場合があること(同f)
エ そうすると、被告東京入国管理局長がその判断を誤るに至ったとしても、これを被告東京
入国管理局長、その他同被告の指揮命令を受けていた関係官に責めを負わせるのは相当でな
い。換言すると、本件裁決をした被告東京入国管理局長において、公務員としての職務上の
法的義務違反があったと認めることはできないというべきである。 
また、本件裁決の通知を受けた被告東京入国管理局主任審査官が、速やかに当該容疑者に
対し退去強制令書を発付しなければならないことは、前記2オのとおりであるから、被告東
京入国管理局長に法的義務違反が認められない以上、本件退令発付処分をしたことにつき被
告東京入国管理局主任審査官にも法的義務違反が認められないというべきである。
 したがって、本件各処分において、国家賠償法上の違法があるとはいえないことに帰するか
ら、その余の点について判断するまでもなく、原告Bの損害賠償請求は理由がない。
- 16 -
4 結論
以上によれば、原告Aの請求は、いずれも理由があるからこれを認容し、原告Bの訴えのうち、
本件各処分の取消しを求める部分は、いずれも不適法であるからこれらを却下し、その余の訴え
に係る請求は、理由がないからこれを棄却する。

上陸許可取消処分取消等請求事件
平成17年(行ウ)第80号
原告:A、被告:東京入国管理局長・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第2部(裁判官:大門匡・吉田徹・小島清二)
平成18年7月19日

判決
主 文
1 被告東京入国管理局長が平成16年12月20日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定
法49条1項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 被告東京入国管理局主任審査官が平成17年1月28日付けで原告に対してした退去強制令書発
付処分を取り消す。
3 原告のその余の請求に係る訴えをいずれも却下する。
4 訴訟費用は、原告に生じた費用の3分の1と被告東京入国管理局長に生じた費用を同被告の負
担とし、原告に生じた費用の3分の1と被告東京入国管理局主任審査官に生じた費用を同被告の
負担とし、原告に生じた費用の3分の1と被告東京入国管理局入国審査官に生じた費用を原告の
負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告東京入国管理局入国審査官が平成16年11月1日付けで原告に対してした平成8年12月29
日付け上陸許可及び平成13年8月10日付け上陸許可の各取消処分をいずれも取り消す。
2 主文第1及び第2項と同旨
第2 事案の概要
本件は、いわゆる中国残留日本人との親子関係を偽装して我が国の在留資格を得た父と共に、
平成8年12月29日に一家で来日した原告(当時7歳)が、上陸許可・在留更新許可を受けて日本
で生活していたところ、父が日本人との親子関係を偽装した者であり、原告も上陸条件に適合し
ないにもかかわらず上陸許可を受けていた者であることが判明したとして、被告東京入国管理局
入国審査官において、平成16年11月1日付けで上陸許可の取消処分を、被告東京入国管理局長に
おいて、同年12月20付けで出入国管理及び難民認定法(昭和26年政令第319号。平成16年法律第
73号による改正前のもの。以下「入管法」という。)49条1項に基づく原告の異議の申出は理由が
ない旨の裁決を、被告東京入国管理局主任審査官において、平成17年1月28日付けで退去強制令
書の発付処分を、それぞれ行ったことから、原告が、上記各処分はいずれも違法であるとして、こ
れらの取消しを求めている事案である。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認めら
- 2 -
れる事実)
 原告の身上及び入国・在留状況
ア 原告は、平成元年(1989年)7月14日、中華人民共和国(以下「中国」という。)黒龍江省で
父・B、母・Cとの間に長女として出生した中国国籍を有する者である。なお、原告には、実
兄である長男のD(昭和62年(1987年)6月1日生)がいる。(以上につき、甲18、乙1、2、6、
11)
イ 原告は、平成8年12月29日、父母及び兄と共に、上海から新東京国際空港に到着し、東
京入国管理局成田空港支局入国審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に「定居(定
住)」、日本滞在予定期間の欄に「1年」と記載して上陸申請を行い、同入国審査官から、入管
法別表第1に規定する在留資格「定住者」及び在留期間「1年」とする上陸許可の証印を受け、
本邦に上陸した。なお、父・Bは、中国残留日本人であって既に日本に帰国していたEの子
であるとして在留資格認定証明書の交付を受け、日本人配偶者等の在留資格の認定を受けて
上陸許可を受けた。(以上につき、乙1から3まで、34の1)
ウア 原告は、平成9年12月10日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をし、法務大臣は、
同月22日、在留期間を1年として、これを許可した(乙1、2)。
イ 原告は、平成10年11月27日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をし、法務大臣は、
同年12月9日、在留期間を1年として、これを許可した(乙1、2)。
ウ 原告は、平成11年12月3日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をし、法務大臣は、
平成12年1月25日、在留期間を3年として、これを許可した(乙1、2)。
エ 原告は、平成13年6月11日、法務大臣に対し、再入国許可申請をし、法務大臣は、同日、
これを1回限り有効なものとして許可した(乙1、2)。
エ 原告は、平成13年6月29日、新潟空港から中国のハルピンに向け、再入国許可による出国
をした(乙1、2)。
オ 原告は、平成13年8月10日、ハルピンから新潟空港に到着し、再入国許可による上陸許可
を受けて本邦に上陸した(乙1、2)。
カア 原告は、平成14年11月19日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をした(乙1、2)。
イ 被告東京入国管理局入国審査官(以下「被告入国審査官」という。)は、平成16年11月1日、
BとEとの間に親子関係が存在せず、原告ら一家はEとの血縁関係を偽装して上陸・在留
していたことが判明したとして、前記イ、ウアないしウ及びオの各許可を取消して原告に
告知するとともに、上記アの申請を終止した(以下、前記イ及びオの各上陸許可を取り消
す処分を「本件各上陸許可取消処分」という。)(甲1の1・2、乙1、2、6)。
 原告の退去強制手続等について
ア 東京入国管理局入国警備官は、平成16年4月21日、原告を入管法24条2号(不法上陸)該
当容疑で立件した(乙5)。
イ 東京入国管理局入国警備官は、平成16年11月1日、原告について違反調査を行い、その結
- 3 -
果、原告が入管法24条2号(不法上陸)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、
同月16日、被告東京入国管理局主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)から収容令書
の発付を受け、同月19日、同令書を執行するとともに、原告を入管法24条2号該当容疑者と
して東京入国管理局入国審査官に引き渡した。
同日、被告主任審査官は、原告に仮放免許可を与えた。
(以上につき、乙6、8、9、10)
ウ 被告入国審査官は、平成16年11月19日、原告について違反審査をし、その結果、同日、原
告が入管法24条2号に該当する旨の認定を行い、原告にこれを通知したところ、原告は、同
日、口頭審理を請求した(乙11、12)。
エ 東京入国管理局特別審理官は、平成16年12月3日、原告について口頭審理を行い、その結
果、同日、東京入国管理局入国審査官による上記ウの認定は誤りがない旨判定し、原告にこ
れを通知したところ、原告は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした(乙13から15まで)。
オ 被告東京入国管理局長は、平成16年12月20日、原告に対し、入管法49条1項に基づく原告
の異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、同裁決の通知を受け
た被告主任審査官は、平成17年1月28日、原告に同裁決を通知するとともに、退去強制令書
の発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)を行い、同日、被告主任審査官は、原告に仮
放免許可を与えた(甲2、乙17から20まで)。
カ 父・B、母・C及び兄・Dに対しても、平成16年11月1日、それぞれの上陸許可が取り消
されるとともに、退去強制手続が進められ、父に対しては、同年12月20日、母及び兄に対し
ても、平成17年1月28日、それぞれ退去強制令書の発付処分がされた。
このうち、原告同様、即日仮放免許可が与えられたDは、上陸許可取消処分、入管法49条
1項に基づく異議の申出に理由がない旨の裁決及び退去強制令書の発付処分の各取消しを求
めて訴えを提起した。他方、B及びCは、収容所に収容され、平成17年3月ないし4月に仮
放免許可を得て出所した後、同年5月15日、D及び原告の兄妹を我が国に残して中国に帰国
した。
(以上につき、甲18、29、乙11、25、47)
2 争点
本件における主要な争点は、次のとおりであり、これらについて摘示すべき当事者の主張は、
後記第3「争点に対する判断」において記載するとおりである。
 本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えが出訴期間を徒過したものであるか否か。
 本件各上陸許可取消処分が違法であるか否か。
具体的には、①本件各上陸許可取消処分が法令上の根拠を欠いているか否か、②日本で教育
を受けることの必要性等、原告の事情を十分に考慮せず、社会通念を逸脱した違法があるか否
か、③法定代理人の関与を認めなかったこと、適切な説明や反論・反証の機会を与えず、代理
人選任権の告知をしなかったこと等の手続的な違法があるか否か。
- 4 -
 本件裁決及び本件退令発付処分が違法であるか否か。
具体的には、①本件各上陸許可取消処分の違法性を承継して、本件裁決及び本件退令発付処
分も違法となるか否か、②原告に在留特別許可を与えなかった点に裁量権の範囲を逸脱・濫用
した違法があるか否か、また、条約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約、児童の
権利に関する条約)違反があるか否か、③違反調査、審査、口頭審理の各手続において法定代理
人の関与を認めなかったという手続的な違法があるか否か。
第3 争点に対する判断
1 争点(本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えが出訴期間を徒過したものであるか否
か)について
 平成16年法律第84号による改正前の行政事件訴訟法(以下、単に「行政事件訴訟法」という。)
14条1項は、取消訴訟の出訴期間は、処分又は裁決があったことを知った日の翌日から起算し
て3か月であり、同条2項は、出訴期間を不変期間と規定している。また、同法律第84号の附
則4条は、出訴期間に関する経過措置として、同法律の施行(平成17年4月1日)前にその期
間が満了した処分又は裁決に関する訴訟の出訴期間については、なお従前の例によるものと規
定している。
前記前提事実(第2の1)カイによると、原告が本件各上陸許可取消処分を知ったのは、平
成16年11月1日であり、原告が本件訴えを提起したのは、平成17年3月7日であるから、本件
各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えは、原告が当該処分を知った日から起算して3か月
が経過した後に提起されていることになる。
 上記の点に関して、原告は、①本件各上陸許可取消処分について取消訴訟を提起できること
について告知を受けておらず、かつ、そうした知識もなかったのであるから、本件裁決がある
までは出訴期間は進行しない、②退去強制手続においてした異議の申出(前記前提事実エ)
が、本件各上陸許可取消処分との関係では行政事件訴訟法14条4項にいう審査請求に当たり、
出訴期間はこれに対する本件裁決があったことを原告が知った日から起算すべきである、ま
た、③父・Bは、本件各上陸許可取消処分を受けた直後に、法務大臣の裁決において、在留特別
許可がされる可能性があるとの説明を受けたが、同処分について不服申立てができるという説
明は受けなかったため、退去強制手続が同処分と一体であって、上記異議の申出が同処分に対
する審査請求に該当すると誤信しており、その誤信は行政庁の誤った教示に基づくものである
から、行政事件訴訟法14条4項を適用して、やはり、出訴期間は本件裁決があったことを原告
が知った日から起算すべきであると主張する。
 しかしながら、まず、上記①については、出訴期間の起算点である「処分があったことを知っ
た日」とは、訴えを提起した者が処分があったことを現実に知った日をいい、これについて出
訴できることを具体的に認識していることまでを必要とするものではない。そして、原告及び
その父母が平成16年11月1日に被告入国審査官から本件各上陸許可取消処分がされた旨を告
知された事実に争いはないから、原告の上記①の主張は理由がない。
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次に、上記②については、行政事件訴訟法14条4項にいう審査請求は、取消しを求める処分
についてされた不服申立てであることを要するものというべきところ、入管法49条1項の異議
の申出が当該容疑者に係る上陸許可取消処分を不服の対象とするものでないことは、同項の規
定する異議の内容に照らして明らかというべきである。確かに、退去強制の手続は、外国人が
上陸許可取消処分によって在留資格を失い、退去強制対象者に該当することになって開始する
という経過をたどる場合があり、本件も結局そのように推移した事案であるが、先行する処分
が後行する処分の前提をなし、その条件となっているような場合であってさえも、両処分が飽
くまでも別個の処分である以上、そうした関係にあるというだけの理由で、後行する処分に対
する審査請求が先行する処分に対するそれをも含んだ趣旨であると解することはできないし、
先行する処分についての審査請求を行わなかった以上、行政事件訴訟法14条4項との関係にお
いても、これを先行する処分に対する審査請求と同視して扱うのは相当ではない。
さらに、上記③において、原告の父の誤信をいう点については、原告の主張自体によっても、
東京入国管理局の係官が、本件裁決において在留特別許可が得られる可能性があるとの説明を
し、本件各上陸許可取消処分について不服申立てができるとの説明をしなかったという経緯が
あるにとどまるものである。それ以上に、同処分を独立に争うことができない、あるいは、専ら
退去強制手続の中で争うべきであるなどの教示をしたという事実を主張をするものではない。
そうであるとすれば、本件においては、行政事件訴訟法14条4項のうち、行政庁の誤った教示
がされたことによって出訴期間を徒過した者の救済を図ろうとする趣旨の部分についても、そ
の適用の前提を欠いているというほかない。
なお、当事者がその責めに帰することができない事由により不変期間を遵守することができ
なかった場合には、その事由が消滅した後1週間以内に限り、不変期間内にすべき訴訟行為の
追完をすることができる(民事訴訟法97条1項)。しかし、上記①及び③の主張事実をもって、
不変期間である出訴期間内に訴えを提起できなかったことにつき、原告の責めに帰することが
できない事由があったとすることもできないから、訴訟行為の追完を認める余地もない。
 以上によれば、本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えは、出訴期間経過後に提起さ
れた不適法なものであるから、却下を免れない。
2 争点(本件裁決及び本件退令発付処分が違法であるか否か)について
 在留特別許可の許否に関する適法性の判断基準
ア 入管法は、24条各号掲記の退去強制事由のいずれかに該当すると思料される外国人の審査
等の手続として、特別審理官が、口頭審理の結果、外国人が同法24条各号掲記の退去強制事
由のいずれかに該当するとの入国審査官の認定に誤りがないと判定した場合、当該外国人は
法務大臣に対し異議の申出ができると規定している(同法49条1項)。そして、法務大臣がそ
の異議の申出に理由があるかどうかを裁決するに当たっては、たとえ当該外国人について同
法24条各号掲記の退去強制事由が認められ、異議の申出が理由がないと認める場合において
も、当該外国人が同法50条1項各号掲記の事由のいずれかに該当するときは、その者の在留
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を特別に許可することができるとされており(同条1項柱書)、この許可が与えられた場合、
同法49条4項の適用については、異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすとされ、その旨
の通知を受けた主任審査官は直ちに当該外国人を放免しなければならないとされている(同
法50条3項)。
イ 前記1で判断したとおり、本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えは不適法であっ
て、同処分の効力は一応確定したものとなることから、原告は、入管法24条2号の退去強制
事由に該当する者に当たり、本件裁決の実体法上の適法性に関しては、原告が同法50条1項
3号に該当するか否かが専ら問題となるものである(原告は、本件裁決が、本件各上陸許可
取消処分を前提として行われたものであり、上陸許可取消処分と退去強制手続における入管
法49条1項に基づく異議申出とは一体とみるべきものであるから、本件裁決が本件各上陸許
可取消処分の違法性を承継するとも主張するものであるが、裁決における判断それ自体を問
題にするものではないから、この点はひとまずおくことにする。)。
ウ ところで、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条
約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいか
なる条件を付するかは、専ら当該国家の立法政策にゆだねられており、当該国家が自由に決
定することができるものとされているところであって、我が国の憲法上も、外国人に対し、
我が国に入国する自由又は在留する権利(又は引き続き在留することを要求し得る権利)を
保障したり、我が国が入国又は在留を許容すべきことを義務付けたりしている規定は存在し
ない。
また、入管法50条1項3号も、「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると
認めるとき」と規定するだけであって、考慮すべき事項を掲げるなど、その判断を羈束する
ような定めは置かれていない。そして、こうした判断の対象となる外国人は、同法24条各号
が規定する退去強制事由のいずれかに該当しており、既に本来的には我が国から退去を強制
されるべき地位にある。さらに、外国人の出入国管理は、国内の治安と善良な風俗の維持、保
健・衛生の確保、労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって、その
性質上、広く情報を収集し、その分析を踏まえて、時宜に応じた的確な判断を行うことが必
要であり、高度な政治的判断を要求される場合もあり得るところである。
エ 以上の点を総合考慮すれば、在留特別許可を付与するか否かの判断は、法務大臣の極めて
広範な裁量にゆだねられているのであって、法務大臣は、我が国の国益を保持し出入国管理
の公正を図る観点から、当該外国人の在留状況、特別に在留を求める理由の当否のみならず、
国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲等の諸般の事情を総合的
に勘案してその許否を判断する裁量権を与えられているというべきである。そして、在留特
別許可を付与するか否かに係る法務大臣の判断が違法となるのは、その判断が全く事実の基
礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、法務大臣に与えら
れた裁量権の範囲を逸脱し、又はそれを濫用した場合に限られるものと解するのが相当であ
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る。
オ なお、原告は、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「A規約」という。)
は、締約国に対し、教育についてすべての者の権利を認めること、高等教育に関しては、能力
に応じた教育を受ける機会をすべての者に与えることを義務付けており(同規約13条)、児
童の権利に関する条約においても、その28条1項で同様の理が規定されているほか、3条で
は、児童に関するすべての措置をとるに当たり、児童の最善の利益を第一義的に考慮すべき
ことを義務付けているところ、原告が中国に強制送還されれば、日本語での学習しかできな
い原告の教育を受ける権利を侵害し、その自己実現を阻害し、原告の最善の利益に反する結
果をもたらすことから、本件裁決は条約に違反する違法なものであると主張する。
しかしながら、A規約及び児童の権利に関する条約は、外国人を自国内に受け入れるかど
うか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、専ら当該国家の立法政策
にゆだねており、当該国家が自由に決定することができるとする前記ウの国際慣習法上の原
則を排斥する旨の明文の規定を設けていないことからすれば、これらの条約の規定は、この
国際慣習法上の原則を前提としており、これを基本的に変更するものではないと解するべき
である。したがって、上記各条約の存在によって在留の許否を決する国家の裁量を独自に制
約・拘束されるものではないと解するのが相当である。
 本件裁決における裁量権の範囲の逸脱又は濫用の有無
ア 上記で述べたところに従い、法務大臣から授権された被告東京入国管理局長が本件裁決
をするに当たり、その裁量権の範囲の逸脱又は濫用に相当するような事情があったか否かと
いう観点から、本件裁決の適法性について検討を加えることとする。
イ 前記前提事実、原告本人尋問の結果及び掲記の証拠によれば、次の事実を認めることがで
きる。 
ア 原告は、中国黒竜江省のハルピンで農業を営む父・Bと母・Cとの間に生まれ、兄・D
と共に4人で生活していた。6歳になった1995年(平成7年)9月ころには、F小学校(幼
稚園)に入学して、ピンイン(中国語の表音記号)を覚え、漢字の読み書きを練習し、足し
算・引き算を学習するなどしていた。(以上につき、甲10、18)
イ 父・Bは、昭和56年ころに日本に永住帰国した中国残留日本人・Eの夫であるGの兄の
子(Eのおい)に当たるが、若いころに両親を亡くしていたこともあって、原告に対しては、
EとGが実の祖父母であると説明をしていた。Bは、自分の周りに日本人の子供と偽って
来日する者が多くいたことから、自らもEとの縁戚関係を利用し、家族を連れて来日する
ことを決意した。その際、原告を含む家族に対しては、祖母・Eの見舞いに行くとの説明
しかしないまま、平成8年12月29日、一家を連れて来日するに至った。原告の来日時の上
陸許可の申請手続、その後の在留期間の更新許可、再入国許可の申請手続等は、専らBが
行っており、原告はこれに関与することなく、その内容も知らなかった。
 (以上につき、甲18、乙38、47、49(なお、原告は乙49につき、証拠排除を求めているが、
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伏せ字が多く、誰の供述録取書であるか特定性に欠けるものの、原告が主張するような違
法収集証拠類似の状況は認め難く、Eの子の供述録取書であるとまでは特定が可能であ
り、東京入国管理局入国審査官が作成したこと自体には争いがないので、乙49を上記認定
に用いる限度で採用するものとする。))
ウ 原告ら一家は、来日後、千葉県《地名略》市内のE住所地近くのアパートを借り、原告も、
平成9年1月下旬ころから、同市立H小学校の第1学年に編入された。当初、原告は、家
庭内では中国語で会話し、日本語の会話・読み書きが全くできなかったことから、兄とと
もに、小学校で本来の授業とは別に日本語の指導を1日1時間程度受けていた。平成9年
4月には、父の勤務先の倒産を契機として、千葉市《地名略》に転居し、同市立I小学校に
転校し、さらに、平成10年7月には、より家賃の安い公営住宅に当選したため、同市《地名
略》の県営住宅に転居して、同市立J小学校に転校した。I小学校では、日本語の指導が受
けられなかったため、授業がほとんど理解できない状況に置かれたが、J小学校では、他
にも中国人の生徒がおり、週に2、3回日本語教室が開かれ、担当のK教諭の熱心な指導
もあって、原告は、日本語の習得に真面目に取り組むようになった。小学5年生になって
からは、土曜日や平日の夜に日本語教室に通い始め、同じような境遇の中国人の友人らと
仲間同士で勉強したことにより、更に日本語の言語能力が高まった。この日本語教室には、
里親宅に転居するまで(後記カa)通い続けた。(以上につき、甲18、19)
エ 原告の両親は、原告ら兄妹が日本語の習得に苦労していたこともあって、中国に帰国さ
せて、本国の学校に編入させることも考えた。平成13年6月29日には、実際に、原告ら兄
妹(原告は当時、小学6年生)を連れて中国黒竜江省ハルピンに里帰りし、中国の授業につ
いていくことが可能かどうか、原告ら兄妹の中国語の理解力等を親戚の教師に試してもら
った。このとき、通学していたJ小学校に対しては、長期の休暇の取得を申し出ており、こ
のまま中国に帰国する可能性があることも伝えてあった。しかし、原告ら兄妹は、4年半
中国語の勉強から遠ざかっていたこともあって、小学1年生程度の読み書きにも苦労する
状態であり、親戚の教師からは中学に編入するのは無理と判断され、両親も原告ら兄妹を
中国に帰すことはあきらめて、同年8月10日、原告ら兄妹を連れて本邦に再入国した。(以
上につき、甲18、乙25)
オ 原告は、平成14年3月、J小学校を卒業し、翌4月には、千葉市立L中学校に進学した。
中学に入学するころには、授業の内容が理解できるようになり、日本語での会話も自然に
なって、おおむね満足できる程度の成績を修め、充実した学校生活を送ることができるよ
うになってきた。また、父母とは中国語で日常会話をするものの、中国語での読み書きは
できず、日本語によって物事を考えるようになった。中学3年生になるころには、調理関
係か情報関係の仕事に就くことを将来の希望として抱き、それにそった進路として高校進
学のために受験勉強に取り組んでいた。調理を学ぶことができる高校の推薦入試に応募
し、これは不合格となったものの、コンピュータを使った情報教育に力を入れている千葉
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県立M高等学校情報科の一般入試を受験して合格した。なお、受験勉強が佳境に入る当時、
原告ら一家に対する退去強制手続が開始され着々と進行し、父母共に収容されたまま、兄
妹二人で生活する中で、原告は、教師からは食事の世話等の協力を得ながら入学試験を乗
り切り、合格に至ったものである。(以上につき、甲18、乙13、16)
カa 原告の両親は、平成17年3月ないし4月に相次いで仮放免となり、原告ら兄妹を日本
に残して帰国した場合、原告ら兄妹を里親に委託することが可能か、千葉市児童相談所
に相談した。同児童相談所では、原告ら兄妹の要保護性の有無、素行の良否等を調査し
た上、里親委託することが可能と判断し、平成17年5月13日、千葉市内の養育里親に委
託することを決定した。里親委託制度は、保護者のない児童又は保護者に監護させるこ
とが不適当であると認められる児童を保護する措置として行われるものであって、児童
を家族の一員として受入れられる里親家庭に当該児童を預ける制度であり、児童が家庭
に帰ることができるようになるか、又は、18歳に達する(高校卒業時)まで、里親家庭
で養育してもらうこととされている。里親家庭には諸手当が支給されるものとされてお
り、原告ら兄妹に関しては、一人当たり一般生活費4万8210円、就学費2万2100円等が
里親に支給されているほか、医療費は別途公費で負担するものとされている。原告ら兄
妹は、現在、千葉市内の里親家庭で一緒に生活しており、各自個室が与えられ、規則正し
い生活を送っている。兄・Dは、以前から飲食店でのアルバイトを行っており、原告の
父が退去強制手続で収容されてからは、収入もなくなったため、原告も新聞配達のアル
バイトを行うなどしていたが、里親宅に委託されてからは、里親の方針もあって、兄妹
ともどもアルバイトをやめて学業に専念している。
(以上につき、甲10、11、18)
b 原告は、現在、ほとんど遅刻・欠席もすることなく、授業にも意欲的に取り組んで、ま
じめに高校生活を送っており、第1学年の第1学期はクラス在籍43人中23位、第2学期
は同14位の成績を収めている。生徒会の役員に立候補して当選し、書記としての活動を
行うほか、クラスでアルバム製作の係を務め、友人の中に溶け込んで違和感のない日常
生活を送っている。高校卒業後は、専門学校又は大学に進学したいと考えており、帰国
した両親からの援助を期待できる状況にはないが、特待生として学費が免除されること
を目指すとともに、それがかなわない場合でも、奨学金制度や母親が残していった預金
(母・Cが交通事故に遭って受け取った保険金330万円)の使用、アルバイト収入等のほ
かE兄弟支援団の援助を得るなどして学費等を賄うことを予定している。里親家庭での
委託期間が過ぎた後は、同じく大学への進学を希望している高校在学中の兄とともに、
助け合いながら日本での生活を維持したいと考えている。(以上につき、甲12、13、20、
26、31の1・2)
キa 原告ら兄妹が在留特別許可を得る目的で東京入国管理局に提出する嘆願書の作成をK
教諭が原告ら兄妹の関係者に呼び掛けたことが契機となって、平成16年12月11日には、
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「Aさん兄妹の在留を求める会」(以下「求める会」という。)が結成された。K教諭は、同
月3日に行われる審査に間に合わせるために191通の嘆願書を集めて、これを東京入国
管理局に提出したが、その後も引き続き約3000名から嘆願書や要望書を集めた。しか
し、前記前提事実オのとおり、平成17年1月28日には、原告に対して本件退令発付処
分がされたことから、求める会では、原告ら兄妹が処分の取消しを求める訴訟を提起す
ることを支援するものとし、さらに、当時、父・B及び母・Cが収容されていたため、会
のメンバーが、毎日原告ら兄妹宅を訪問して励まし、受験時期にあった原告に対しては、
勉強の指導も行った。また、訴訟費用等に当てる目的での資金集めを開始したほか、父
母が中国へ帰国せざるを得なくなった場合の原告ら兄妹の養育方法についても父母と話
し合い、里親制度(前記カ)を利用して養育してもらうことを勧めた。(以上につき、甲
21、23)
b 求める会のメンバーは、在留資格を得られた後も原告ら兄妹の支援を続ける趣旨で、
平成17年9月1日、原告ら兄妹が、日本で暮らし学び続けられるよう支えるとともに、
原告ら兄妹の自立を後押しすることを目的と定めて、新たに「A兄妹支援団」を結成し
た。発起人代表・代表世話人はK教諭が務め、7名の世話人、44名の協力者が構成員と
して名を連ねている。その運営規定では、具体的な支援の方法として、協力者等から集
められた支援金を基に基金を設立し、これをA兄妹に贈与・貸与すること、ただし、里
親の養育を受けている間は、贈与や貸与を行わないこと等が定められている。求める会
では、平成18年2月までに、約340人から、97万円余の寄付を集めており、原告両親が
仮放免された際に納付した保証金で後に返還された100万円と併せて、求める会名義の
口座で管理されている。これらの金員は、A兄妹支援団が原告ら兄妹の訴訟費用や生活
費、学費等を支援する場合の原資に当てられることが予定されている。(以上につき、甲
14の1から3まで、21、22、24、28)
ウア 原告の日中両国における学習の能力、順応性、経済的基盤等
上記イの認定事実によると(以下、この項及び後記イにおいて、①以下の通し番号を冒
頭に付記することにより、上記イの認定事実によって認められる事実又は評価を示すこと
とする。)、まず、原告の生活状況、学習状況、言語能力に関して、①原告は、中国で中国語
によるわずかな期間の初等教育を受けた状態で7歳時に来日したこと、②我が国では、通
常の小学校に編入したものの、家庭内では中国語で会話をしており、日本語については学
習経験もなかったため、当初は、小学校の授業が全く理解できず、これについていけなか
ったこと、③しかし、通学する小学校に設けられた日本語教室等で外国人の児童向けの日
本語教育を受ける機会が与えられ、教師の熱心な指導と本人の努力もあって、中学に入学
するころには、日常生活はもちろん、学校での学習にも支障のない程度の日本語能力を身
につけるに至ったこと、④中学校では、引き続き日本語教室に通いながら、違和感なく学
校生活に適応しおおむね満足できる程度の成績を修めており、進路についても将来の職業
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を見据えて進学先を選択し、本件裁決時において、その入学試験に合格できる見込みが十
分あるだけの学力を身につけていたこと、⑤このように日本語に習熟していったのと裏腹
に、中国語による学習能力はほとんど失われ、平成13年6月の里帰り時(小学校6年生時)
において、既に小学校1年生程度の授業内容を理解するのも困難になっていたこと、⑥本
件裁決が行われるころも、家庭内での会話は中国語によっており、日常的な会話は可能で
あるものの、読み書きはほとんどすることができず、思考は専ら日本語によって行うよう
になっていたことが認められる。
以上によれば、原告は、7歳の来日時から一貫して日本語による初等・中等教育を受け
てきたことにより、当初は苦労したものの、日本語の言語能力・日本語による学習能力を
年齢相応に着実に身につけていったといえる反面、中国語については、家庭内の日常会話
が辛うじて可能であるほか、来日時の小学校1年生程度の能力すら保持できていないこと
から、中国に帰国したとしても、我が国で受けていたのと同程度の教育に順応することは
極めて困難であり、仮にそれが可能であったとしても、小学生程度のレベルにさかのぼっ
て学習をやり直さなければならないなど基礎的な中国語の習得や社会・文化への適応に多
大な労力・時間を要することになるのは明らかである。そうすると、我が国に継続して滞
在し、日本語での教育を受けながら、進学・就職等を目指している原告にとって、中国へ
退去することを強制するのは、著しい不利益を強いるものといわざるを得ない。
加えて、未成年である原告が我が国に在留を続ける場合の経済的基盤、養育・監護の具
体的方法に関しては、本件裁決時においても指摘できることとして、⑦仮に父母が帰国し、
原告ら兄妹のみが我が国にとどまった場合でも、兄妹で支え合うことが十分想定できたと
ともに、里親委託の制度が利用でき、養育に適した家庭の下で公的扶助を受けながら学業
を続けることが可能であったこと、⑧多数の支援者が求める会を結成し、相当額の寄付を
集めるなど物心両面の組織的な援助が見込める状況にあったこと、⑨母・Cが受けられる
交通事故の保険金等、学費や生活費に振り向けることができる相当額の原資もあり、原告
ら兄妹にはアルバイトの経験があって、そこから収入を得ることも可能であったことが認
められる。
イ 原告の帰責事由等
他方で、原告が不法上陸及び不法滞在の状態に至った経緯に関して、⑩父・BはEとの
血縁関係を偽装して我が国での在留資格を騙取したというべきものであって、その子であ
る原告も父のこうした違法行為に基づいて上陸許可を得て、偽りの在留資格を取得できた
とはいえるものの、当時小学校低学年に相当する年齢であった原告は、Eが父の母であっ
て実の祖母であると信じており、事情も分からないまま父母に連れられて我が国に入国し
てきたにすぎないものであること、⑪我が国への入国時の上陸許可や在留中の在留期間更
新許可の手続も専ら父・Bが行っており、原告自らがこれを行ったことはないことが認め
られる。したがって、原告が不法上陸及び不法滞在の状態に陥ったこと自体については、
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原告の責めに帰することはできない。
もちろん、子の年齢・具体的な境遇によっては、不法上陸・不法滞在に係る違法行為を
した親との間でなお全面的な依存関係にあり、我が国において子が滞在を続ける独立した
利益を認め難いような場合もあり、そのような場合には、たとえ帰責事由のない子であっ
ても、正当な在留資格を有しない以上、これを養育する親とともに退去強制を受ける結果
となることもやむを得ないものと考えられる。
しかしながら、本件における原告にあっては、高校進学を目前に控えており、自身の意
思決定を相当程度尊重すべき年齢及び境遇にあったといえるところ、中国へ強制退去させ
られることになれば、突如として判明した父の違法行為によって、過去の努力を水泡に帰
し、あるいは、前記アでみたように、将来にわたり多くの時間の浪費を余儀なくされると
いう不利益がもたらされるのであって、努力を重ねて日本語及び相応の学力を身につけ、
社会・学校にも溶け込んで毎日を送っている原告にとってみれば、余りにも過大な負担で
あって著しく不当な結果が招来されるとみるべきものである。
ウ 被告らの主張の検討
a 被告らは、①原告が日本で教育を受けていたことは、不法上陸に基づく本邦での滞在
という違法状態の上に築かれたものであるから、直ちに法的保護を受ける筋合いのもの
ではない、②帰国した中国において言語や生活様式等の違いについて多少の困難が生ず
ることがあったとしても、そのような困難は、外国で長期間生活をした子女が本国に戻
った際に多々直面することである上、原告は可塑性に富む年齢であって、その父母が既
に本国に帰国して生活していることからしても、十分克服可能なものである、③原告は、
本件裁決当時、中学生であったところ、入管法上、中学生である外国人が扶養者である
両親と離れて単独で本邦に在留し、中学校に通学するという活動を想定した定型的な在
留資格は設けられておらず、我が国の出入国管理制度上、想定外のものであるから、原
告が本邦内で学習を継続したいという希望を有していることは、直ちに法的保護に値す
るものではないと主張している。
しかし、上記①については、既に前記イでみたとおり、原告が不法上陸及び不法残留
の状況に置かれていることについて、原告自身に責めに帰すべき点がないことを踏まえ
ると、原告は、その年齢及び境遇にかんがみて、我が国に滞在を続けるにつき、親とは独
立した利益を有しており、その利益は十分法的保護に値するものというべきであるし、
上記②については、中国に帰国した場合の困難についても、前記アでみたとおり、十分
克服可能であるとはいい難い上、仮に、克服自体は可能であったとしても、そこに生ず
る重大な不利益を斟酌すべきである。
また、上記③については、確かに、入管法別表第一の四では在留資格である「留学」及
び「就学」の活動内容として、それぞれ大学、高等学校等で教育を受けることを掲げてお
り、中学生以下についての規定はないが、これは、通常であれば、中学生以下の者が親等
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に同伴しており、家族滞在の在留資格をもって在留するものとすれば足りることによる
ものである。本件で問題になっているのは、両親とは別に原告自身に在留を特別に許可
すべきかどうかであって、別表第一に定型的に定められた在留資格に当てはまるかどう
かとは直接関係がないし、中学生以下についての規定を欠く趣旨が上記のようなもので
あるとすると、入管法上、中学生が本邦内で学習する利益が法的保護に値しないという
ことにはならない。ましてや、原告は、本件裁決時には、中学3年生であって、高等学校
の入学試験を控え直前の受験準備をしていたものであるから、いまだ高校生でないから
別表第一の四の在留資格に当たらないという形式的な理由により、保護に値しないなど
とするのは相当ではない。
したがって、被告らの上記各主張はいずれも理由がない。
b また、被告らは、④原告が里親委託されたこと、A兄妹支援団が結成されたことは、本
件裁決後に生じた事情であって、その適法性の判断に影響を及ぼさない、⑤原告の学資
は、本邦で原告の両親が不法に就労して得た金員を充当することが予定されており、原
告の通学活動を是認することは、不法就労を助長する要因となるので不相当であると主
張している。
しかし、上記④についてみると、まず、里親委託の制度は、本件裁決当時から客観的に
存在していたものであり、両親のみが帰国した場合には、条件が合致すれば、同制度に
基づいて養育・監護が図られることが予想されるものである。また、A兄妹支援団の結
成は、平成17年9月に行われたものであるが、平成16年12月11日には、メンバーをおお
むね共通にすると推測される、寄付金集め等の活動を行っている求める会が立ち上げら
れており、いずれにしても、本件裁決当時、原告ら兄妹に多くの支援者がおり、物心両面
でその援助を見込める状況にあったことに変わりはない。そして、実際に前記イキbの
とおり、その活動が発展して実行に移されているということが、翻って、本件裁決当時
の支援活動が具体的なものであったことを裏付ける間接事実と評価できるものである。
したがって、上記④で指摘されている点は、本件裁決を行うに当たっても、原告が我が
国に在留を続ける場合の経済的基盤、養育・監護の具体的方法として、考慮要素となり
得るものである。
さらに、上記⑤については、仮に、両親が本邦で就労して得た金員が原告の学資に充
当される可能性があるにしても、そのことによって不法就労を助長する結果になるとは
解し難い。すなわち、両親が保持している就労の対価をどのような使途に当てるかはそ
の意思にゆだねるほかないところ、それが原告の学資に振り向けられたからといって、
両親の不法就労を殊更容認することを意味しないし、外国人一般に対して不法就労の誘
因になるとも考えられない。
したがって、被告らの上記各主張もいずれも理由がない。 
c 被告らは、中国残留日本人孤児やその子孫の入国や滞在に関しては手厚い保護がされ
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ているところ、これを奇貨として、蛇頭などの組織的犯罪組織が関与して、中国残留日
本人孤児の子孫を装って入国するという看過できない違法な事態が発生しており、原告
ら一家の偽装工作の背後にも何らかの犯罪組織が関与している可能性も否定できないの
であって、本件で在留特別許可を認めるとするならば、我が国に入国しさえすれば、少
なくともその点に責任のない親族につき在留許可が認められるとの期待を増長させるこ
とになりかねないと主張する。
確かに、一般論としては被告らの懸念も無理からぬところではあるにせよ、被告らの
主張する「原告ら一家の偽装工作に対する犯罪組織との関与」はあくまでも疑いにとど
まるものであり、そもそも在留特別許可を判断するに当たっての個別の事情は、人に応
じて様々であって、原告における前記ア及びイのような特別な事情にかんがみれば、本
件について在留特別許可を与えるならば、被告らが主張するような懸念が現実化すると
単純に結びつけて考えるわけにはいかないといわざるを得ない。
エ 以上の検討によれば、原告において、我が国に在留し、通学しながら日本語で学習を続
ける利益は、十分保護に値するものというべきであり、原告の生活状況、学習状況及び言
語能力、さらには、中国に帰国した場合に生ずるであろう不利益を適正に認定・評価して
いれば、原告に対しては、当然に在留特別許可を付与すべきものであったと解するのが相
当である。
したがって、原告に在留特別許可を付与しないでした本件裁決は、被告らの上記ウにお
ける各主張にも照らせば、全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くこ
とが明らかであって、在留特別許可を付与するか否かについて法務大臣から権限の委任を
受けた被告東京入国管理局長に与えられた裁量権が極めて広範なものであることを前提と
しても、本件裁決は裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たるものであって違法というべ
きである。
 本件退令発付処分の適法性
本件裁決の通知を受けた被告主任審査官は、入管法49条5項により、速やかに当該容疑者に
対し、その旨を知らせるとともに同法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならな
いものとされているのであるから、本件裁決が違法である以上、これに従ってされた本件退令
発付処分も違法であるといわざるを得ない。
3 結論
以上によれば、本件裁決及び本件退令発付処分の各取消しの請求は、いずれも理由があるから
これらを認容し、その余の請求に係る訴え(原告の本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴
え)はいずれも不適法であるからこれらを却下する。

退去強制令書発付処分取消請求事件
平成17年(行ヒ)第395号
上告人:A、被上告人:法務大臣
最高裁判所第一小法廷
平成18年10月5日

判決
主 文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理 由
上告代理人岩井信の上告受理申立て理由について
1 本件は、不法残留を理由として被上告人東京入国管理局主任審査官から退去強制令書発付処分を受けた外国人である上告人が、同処分に先立って被上告人法務大臣がした出入国管理及び難民認定法49条3項に基づく裁決につき裁決書が作成されていないという違法があるなどと主張して、同裁決及び同処分の取消しを求めた事案である。
2 原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。
 上告人は、イラン・イスラム共和国の国籍を有する外国人であり、平成2年12月12日、在留資格を短期滞在とし、在留期間を15日とする上陸許可を受けて本邦に上陸し、その後、在留期間の更新又は在留資格の変更を申請することなく、在留期間の満了日を超えて本邦に残留していた。
 上告人は、同13年7月30日、不法残留の容疑により逮捕され、その後起訴されて、同年9月26日、東京地方裁判所において有罪判決を受けた。上告人は、同日、収容令書の執行を受け、同年10月18日、東京入国管理局入国審査官により、出入国管理及び難民認定法(平成13年法律第136号による改正前のもの。以下「法」という。)24条4号ロに該当するとの認定を受けた。上告人は、東京入国管理局特別審理官に対し、口頭審理を請求したが、口頭審理によっても同認定に誤りはないとの判定を受けたため、被上告人法務大臣に対し、法49条1項に基づき、異議の申出をした。
上記の異議の申出に際し、上告人は、法24条4号ロに該当すること自体については争っていなかった。また、上告人は、本邦に上陸した後、後記記載の申請時までの間、難民認定申請手続を執ろうとした形跡はなく、上記の不法残留容疑に係る刑事手続や退去強制手続において、イラン・イスラム共和国政府ないしその関係機関から迫害を受けるおそれがあることを理由として同国を出国した旨の供述を全くしていなかった。
 被上告人法務大臣は、同年11月16日、上告人の異議の申出が理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、その通知を受けた被上告人東京入国管理局主任審査官は、本件裁決を上告人に告知するとともに、上告人に対し、退去強制令書を発付した。本件裁決に当たり、出入国管理及び難民認定法施行規則(平成13年法務省令第76号による改正前のもの。以下「規則」という。)43条所定の裁決書は作成されなかった。
 その後、上告人は、同14年6月27日、難民認定申請をしたが、被上告人法務大臣は、上記申請につき不認定とする処分をし、同15年3月3日付けで上告人に通知した。また、被上告人法務大臣は、上記処分につき上告人がした異議の申出には理由がない旨の決定を行い、同年7月31日付けで上告人に通知した。
3 論旨は、本件裁決に当たり被上告人法務大臣が裁決書を作成しなかったという瑕疵は、本件裁決とその後の退去強制令書発付処分の取消事由に当たるというので、以下、この点について検討する。
 退去強制令書の発付は、外国人の出入国に関する処分であるから、行政庁の処分等についての不服申立てに関し一般的な手続を定める行政不服審査法に基づいて異議申立て及び審査請求をすることはできない(同法4条1項10号)。他方、法は、退去強制令書の発付につき、入国審査官による審査、特別審理官による口頭審理及び法務大臣に対する異議の申出という一連の事前手続を定めている。この手続において、入国審査官は、容疑者が法24条各号の一に該当すると認定したときは、理由を付した書面をもって、その旨を容疑者及び主任審査官に知らせなければならないとされている(法47条2項)。これに対し、上記認定に対して容疑者が法48条1項に基づいて口頭審理の請求をした場合において、特別審理官が上記認定に誤りがないと判定するときは、その旨を容疑者及び主任審査官に知らせれば足り、同判定について書面をもってすべきこととはされていない(同条7項)。
また、上記判定に対して容疑者が法49条1項に基づいて異議の申出をした場合において、法務大臣が当該異議の申出が理由がないと裁決するときは、その結果を主任審査官に通知し、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、すみやかに容疑者に対しその旨を知らせることとされ、これらについて書面をもってすべきことは求められていない(同条3項、5項)。
もっとも、法69条の委任規定を受けて定められた規則43条は、法49条3項に規定する裁決は、別記第61号様式による裁決書によって行うものとする旨規定する。そして、第61号様式は、主文のほか、事実の認定、証拠及び適用法条を記載すること、法務大臣が押印することを要求している。しかしながら、他に、容疑者に対し、裁決書を交付すること又は裁決書の理由に当たる内容を通知することを予定するような規定は規則に置かれていない。
以上のとおり、法49条3項所定の裁決については、行政不服審査法の裁決に関する規定が適用されず、裁決は書面で行わなければならない旨規定している同法41条1項は適用されないこと、また、法においては、特別な不服申立手続が定められ、その一連の手続の一部である法49条3項所定の裁決については書面で行うべきものとはされておらず、同裁決の通知については法務大臣が直接容疑者に対して行うものとはされていないこと、さらに、容疑者に対し裁決書を交付することなどを予定した規則もないことなどに照らすと、規則43条が法務大臣の裁決につき裁決書によって行うものとすると規定した趣旨は、法務大臣が異議の申出に対し審理判断をするに当たり、その判断の慎重、適正を期するとともに、後続する手続を行う機関に対し退去強制令書の発付の事前手続が終了したことを明らかにするため、行政庁の内部において文書を作成すべきこととしたものにすぎないというべきである。したがって、同条は、書面の作成を裁決の成立要件とするものではないと解するのが相当である。そして、上記のとおり、容疑者に対して裁決書を交付することが予定されていないことからすると、同条は、容疑者に対し、裁決書により理由を明らかにして取消訴訟等を提起する便宜を与えるなどの手続的利益を保障したものではないというべきである。
 もとより、被上告人法務大臣が本件において裁決書を作成しなかったことが規則43条に違反するものであることは否定できない。しかしながら、上記のとおり、同条は容疑者の手続的利益を保障することを直接の目的とするものではないし、また、前記事実関係によれば、上告人が法24条4号ロに該当することについては、本件裁決の前段階における認定及び判定の段階で明らかにされ、上告人も、このことを争っていなかったというのであるから、これを記載した裁決書が作成されなかったとしても、本件裁決における退去強制事由の有無についての被上告人法務大臣の慎重、適正な判断が損なわれたということはできず、また、その結論に影響を及ぼすものではないことが明らかである。
 ところで、法務大臣は、法49条3項の裁決に当たって、容疑者の異議の申出が理由がないと認める場合でも、特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは、その者の在留を特別に許可することができ(法50条1項)、当該許可は、異議の申出が理由がある旨の裁決とみなされ、主任審査官は直ちに容疑者を放免しなければならない(同条3項、法49条4項)。そして、規則42条4号は、法49条1項所定の法務大臣に対する異議の申出に際しては、退去強制が著しく不当であることを理由とすることを認めている。そうすると、法務大臣が同条3項に基づき異議の申出が理由がない旨の裁決をするに当たっては、容疑者に特別に在留を許可すべき事情があるとはいえないとの判断を経ていることが予定されていると解される。
しかしながら、裁決書の作成を定める規則43条は、その文理上、法49条3項に規定する裁決に係る書面の作成を定めるにとどまり、法50条1項の規定により特別に在留を許可するかどうかの判断に係る書面の作成を求めるものではない。また、規則43条が定める別記第61号様式は、上記判断に係る事項を記載することを予定しているものと解することは困難である。これらの点に照らすと、法務大臣が異議の申出が理由がない旨の裁決をするに当たって、上記許可をしないとの判断をしたことに係る書面が作成されなかったとしても、直ちに同条に違反するものではないというべきである。さらに、上告人は、本件訴訟においては、特別に在留を許可すべき事情として上告人が難民に該当することを主張しているが、前記事実関係によれば、上告人は、退去強制手続等において、イラン・イスラム共和国政府ないしその関係機関から迫害を受けるおそれがあることを理由として同国を出国した旨の供述をしておらず、本件裁決の時点では難民認定申請もしていなかったというのであるから、このことをも考慮すると、被上告人法務大臣が本件裁決をするに当たり、上告人には特別に在留を許可すべき事情がないと判断したことに関し書面を作成しなかったことが違法であるとはいえないと解すべきである。
 以上のとおりであるから、本件裁決に当たり被上告人法務大臣が裁決書を作成しなかったという瑕疵は、本件裁決及びその後の退去強制令書発付処分を取り消すべき違法事由に当たるとまではいえないと解するのが相当である。
4 以上と同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
よって、裁判官泉徳治の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官泉徳治の反対意見は、次のとおりである。
1 法49条3項の法務大臣の裁決について、規則43条は、「別記第61号様式による裁決書によって行うものとする。」と規定し、裁決書の作成を明確に義務付けている。そして、別記第61号様式は、裁決書には、裁決主文、事実の認定、証拠、適用法条等を記載の上、法務大臣が押印すべきことを定めている。この規則は、法69条の「第2章からこの章までの規定の実施のための手続その他その執行について必要な事項は、法務省令で定める。」との委任規定に基づき定められた法務省令である。
2 法49条3項の法務大臣の裁決は、入国審査官の認定、特別審理官の判定を経てのいわば第3審として、容疑者が法24条各号の退去強制事由に該当するか否かについて最終決定を行うものである。
法48条7項は、特別審理官は、容疑者が退去強制事由に該当するとの入国審査官の認定が誤りがないと判定したときは、当該容疑者に対し、法49条の規定により法務大臣に対して異議を申し出ることができる旨を知らせなければならないと規定しているが、これも、法務大臣の裁決が退去強制手続における不服申立て手続の一環として位置付けられるものであることを明確にするものである。
3 また、規則42条は、容疑者が、法務大臣に対する異議の申出において、法24条各号の退去強制事由の一に該当することは認めた上で、「退去強制が著しく不当であること」を不服の事由とすることを容認し、法50条1項は、法務大臣において、退去強制が著しく不当であると認めるときは、容疑者に対し、在留特別許可を与えることができるものとし、同条3項は、在留特別許可は異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすことにしている。上告人の本件異議の申出も、上告人に法24条4号ロに規定する退去強制事由が存すること自体については争わないで、「退去強制が著しく不当であること」を不服の事由とするものである。
法49条3項の法務大臣の裁決と、法50条1項の在留特別許可を与えるか否かの法務大臣の決定とは、観念的には別個の行政処分であるが、両者は、異議申出手続の中で同時一体的に行われるものであり、在留特別許可を与えるか否かの決定は、異議の申出に対する応答として行われ、異議の申出が理由がないとの裁決は、在留特別許可を与えないという判断をした上で行われ、一方、在留特別許可は、異議の申出が理由がある旨の裁決とみなされるのである。このように、法務大臣の裁決は、法24条各号の退去強制事由の存否の判断権限と在留特別許可の可否の判断権限とを一個の処分権限に取り込んだものであって、異議の申出が理由がない旨の裁決は、在留特別許可を与えないという判断を含んでいるのである。
そして、法49条5項は、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、当該容疑者に対し、退去強制令書を発付しなければならないと規定しているから、異議の申出が理由がない旨の法務大臣の裁決は、上告人のように、法24条各号の退去強制事由の存在することを争っていない容疑者にとっても、在留特別許可の付与を拒否し、当該容疑者を強制退去させる最終決定として、その法的利益に極めて重大な影響を与える処分であるというべきである。
4 行政不服審査法4条1項10号は、「外国人の出入国に関する処分」を同法の規定による審査請求又は異議申立ての対象から除外しているが、それは、同処分については法が上記のように入国審査官の認定、特別審理官の判定、法務大臣の裁決という3審制による慎重な審査手続を採用しているからであって、裁決書の作成を義務付ける規則43条の規定は、行政不服審査法41条の「裁決は、書面で行ない、かつ、理由を附し、審査庁がこれに記名押印をしなければならない。」との規定に相当する意義を有しているのである。
5 以上のように、法49条3項の法務大臣の裁決は、容疑者の権利利益に重大な影響を与えるものであるところから、規則43条は、法務大臣の判断を慎重かつ的確にさせるとともに、手続の履践を明確にし、後続する機関への事件の引渡し(主任審査官に、容疑者に対する退去強制令書を発付させること又は容疑者を放免させること)を確実に行わせるため、法務大臣の裁決は裁決書によって行うものとすると明記しているのである。その裁決書を作成しなかったことは、明文の規定に違反し、裁決を取り消すべき違法事由に当たるというべきである。
したがって、上告人に対する本件裁決も取り消されるべきであり、法務大臣は裁決をやり直すべきである。
6 原判決は、「裁決書は、退去強制事由の存否に関する法務大臣の判断の適正を担保することを目的として作成されるのであり、本件においては、退去強制事由の存否は争われておらず、裁決書が作成されなかった瑕疵が本件裁決を取り消さなければならないほどの瑕疵ではない。」という。
確かに、上告人は、法24条4号ロに規定する退去強制事由が存すること自体については争わないで、「退去強制が著しく不当であること」を不服の事由として唱え、在留特別許可の付与を求めている。規則43条も、裁決書に、法24条各号の退去強制事由の存否に関する判断を記載することを要求しているにすぎない。
しかし、前記のとおり、異議の申出が理由がない旨の法務大臣の裁決は、在留特別許可を付与しないとの判断を含んでおり、容疑者の退去強制に係る最終決定であるから、容疑者が法24条各号の退去強制事由の存在を争っていない場合においても、裁決の重要性及び裁決書の必要性が変わるものではない。
また、裁決書の作成は、漫然たる裁決のないよう裁決の妥当公正を担保し、手続の履践を明確にし、後続する機関への事件の引渡しを確実に行わせるためであるから、裁決書作成の必要性は、容疑者が法24条各号の退去強制事由の存在を争っていると否とにかかわりのない問題である。最高裁昭和45年(行ツ)第36号同49年4月25日第一小法廷判決・民集28巻3号405頁は、青色申告書提出承認取消処分の通知書の理由附記について、「所論は、更に、一般的には取消しの基因となつた事実を附記すべきであるとしても、少なくとも処分の相手方において現実に右事実を了知し、かつ、これを自認していたような場合には、その附記を要しないものと解すべきである旨主張するが、右附記を命じた規定の趣旨が、処分の相手方の不服申立てに便宜を与えることだけでなく、処分自体の慎重と公正妥当を担保することにあることからすれば、取消しの基因たる事実は通知書の記載自体において明らかにされていることを要し、相手方の知、不知にはかかわりがないものというべきである。」と判示している(同旨、最高裁昭和37年(オ)第1015号同38年12月27日第二小法廷判決・民集17巻12号1871頁)。この趣旨は、本件にも当てはまるものというべきである。
7 裁判所が行政処分の適法性について審査する際に、当該処分の実体的内容については、法律により行政庁に与えられた裁量権を尊重すべきであるが、当該処分の手続・過程については、それが法律の規定に従ったものであるかを厳格に審査すべきものと考える。

退去強制令書等執行停止申立事件
平成18年(行ク)第14号
申立人:A、相手方:国
広島地方裁判所民事第2部
平成18年10月17日

決定
主 文
1 広島入国管理局主任審査官が申立人に対して平成18年9月7日付けで発付した退去強制令書に基づく執行を本案事件の一審判決の確定又は同判決言渡しの日から30日を経過する日のいずれか早い時まで停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は二分し、その一を申立人の、その余を相手方の負担とする。
事実及び理由
第1 申立ての趣旨
広島入国管理局(以下「広島入管」という)主任審査官が申立人に対して平成18年9月7日付けで発付した退去強制令書に基づく執行を本案訴訟第1審判決の確定まで停止する。
第2 事案の概要
本案は、申立人が、①[A]広島入管入国審査官から平成18年8月17日付けで受けた出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という)24号4号イに該当する旨の認定(以下「本件認定」という)、[B]本件認定についての口頭審理における判定に対する異議申出に理由がない旨の広島入管長の裁決(以下「本件裁決」という)の各取消しを求めるとともに、②上記各処分を前提とする広島入管主任審査官が申立人に対して平成18年9月7日付けでした退去強制令書発付処分(以下「本件退令処分」という)が違法であるとしてその取消しを求める事案であり、本件は、申立人が行政事件訴訟法(以下「行訴法」という)25条2項本文に該当する事由があるとして、本件退令処分の執行を本案の第1審判決確定に至るまで停止するよう求める事案である。
1 前提事実(争いない事実を除き、疎明により認定した事実は疎明資料を該当個所に掲記する) 申立人は、1976年7月×日出生した中国国籍を有する外国人である。
ア 申立人は、平成13年4月5日広島空港に到着し、a日本語学校への入学を理由として広島入管入国審査官から在留資格「就学」、在留期間1年の上陸許可を受けて本邦に上陸した。同年10月11日、広島入管において許可期限を平成14年4月5日とする入管法19条2項所定の資格外活動許可を受け、同月9日、広島入管においてb大学への入学を理由として在留資格「留学」、在留期間2年の在留資格変更許可を受けた。同年5月15日、広島入管において許可期限を平成16年4月6日とする前同様の資格外活動許可を受け、同年3月26日、広島入管において在留期間2年とする在留期間更新許可を受けた。そして、平成18年4月10日、広島入管においてb大学大学院への入学を理由として、在留期間2年とする在留期間更新許可を受けた(乙1〜3)。
イ この間の平成17年9月21日申立人は長女を出産した(乙10)。
ウ 申立人は、上記資格外活動許可の内容に違反して平成14年12月頃から平成16年5月頃までの間ラウンジ「c」で、さらには入管法19条2項所定の許可を受けることなく平成16年6月頃から平成17年2月頃までの間スタンド「d」、平成17年11月21日頃から平成18年6月15日頃までの間ラウンジ「e」、平成18年5月18日から同年7月14日までの間ラウンジ「f」で、それぞれホステスとして不法就労活動に従事してきており、「c」では1週間に4日、1日5時間、時給2000円ないし3000円、「d」では1週間4日、1日5時間、時給2800円、「e」では1週間に5日、1日3時間ないし5時間、時給2500円、「f」では1週間に6日、1日5.5
時間、時給2800円という待遇であった(乙5、6、10)。
ア 広島入管入国警備官は、平成18年7月14日、「f」を摘発し、その際、申立人の不法就労事実を確認した(乙4)。
イ 広島入管入国警備官は、平成18年7月31日及び同年8月16日、申立人に係る違反調査を実施し、申立人から事情を聴取した。そして、広島入管主任審査官は、同月15日、申立人が入管法24条4号イ(資格外活動)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして収容令書を発付し、同月16日、広島入管入国警備官が収容令書を執行して申立人を広島入管収容場に収容した。広島入管入国警備官は、翌17日、申立人を同法24条4号イ該当容疑者として広島入管入国審査官に引き渡した。広島入管入国審査官は、同日、広島入管において申立人に係る違反審査をして本件認定をし、申立人にこれを通知した(乙5〜12)
ウ 申立人は、同日、特別審理官による口頭審理を請求した。申立人は同月18日西日本入国管理センターに移収され、同年9月4日、広島入管特別審理官は同センターにおいて口頭審理を行った結果本件認定に誤りはない旨判定して申立人にその旨通知した。(乙8、10、13〜15)
エ 申立人は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした。入管法69条の2及び同法施行規則61条の2により法務大臣から権限の委任を受けた広島入管長は、同月7日、上記異議申出に対して本件裁決をし、同日広島入管主任審査官に同裁決を通知した。なお、本件裁決の際、併せて同法50条による在留特別許可をしない旨の決定(以下「本件決定」という)をした(乙16〜18)。
オ 同日、同通知を受けた広島入管主任審査官は申立人に本件裁決を告知するとともに本件退令処分をし、広島入管入国警備官は本件退令処分を執行した(乙19、20)。
カ 申立人は、上記各処分を不服として、同月27日、当裁判所に対し、上記各処分の取消しを求める本案訴訟を提起した。
キ 申立人は現在西日本入国管理センターに収容中である。
2 争点及び当事者の主張の概要
 本案について理由がないとみえるといえるか否か
ア 相手方の意見の概要
本件は「本案について理由がないとみえるとき」(行訴法25条4項)に該当し、不適法である。
ア 本件認定の適法性
申立人には入管法24条4号イ所定の退去強制事由がある。
a 同法24条4号イに規定する活動を「専ら行つている」とは、在留目的たる活動が在留資格たる活動から変更されたと評価できる程度まで在留資格外の活動を行っていることをいう。
ところで、法は在留資格制度を採用し、「留学」の在留資格の場合に許される活動は入管法別表第一の四のものに限定されるとともに報酬を受ける活動は禁止される(同法19条1項2号)。そして、同法施行規則6条の規定により、同在留資格を得るために経費支弁能力が要件とされている。すなわち、入管法は就労しつつ勉学する活動を行う外国人に留学の在留資格を付与することを予定しておらず、同資格で在留する外国人が資格外活動を行って本邦滞在中の必要経費をまかなおうとしている場合は入管法24条4号イの事由があると解すべきである。
b 本件では、申立人は、懐妊中及び産後の一時期を除き平成14年12月頃から勤務先の摘発日である平成18年7月14日までの間、資格外活動許可を受けることなく風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下「風俗営業法」という)2条所定の風俗営業を営む店舗のホステスとして稼働していたもので、そのようなホステスとしての稼働はそもそも資格外活動許可の対象外である。稼働状況は、例えば、平成18年7月については2日、9日以外は連日概ね午後7ないし8時頃から4ないし6時間程度であった。
そして、平成17年11月から平成18年5月までで合計約120万4500円、平成18年5月から同年7月までで57万円の報酬を受け、約100万円の蓄財をするに及んでいる。
以上によれば、申立人は本邦滞在中の必要経費の多くを上記不法就労に依拠しており、在留目的たる活動が留学から変更されたと評価できる程度まで在留資格外の活動を行っているから、これを「専ら行っていることが明らか」(入管法24条4号イ)である。
イ 本件裁決及び本件退令処分の適法性
法務大臣の申立人に在留特別許可を付与しない旨の判断が裁量権の濫用ないし逸脱であるとされる余地はなく、本件裁決及びこれを前提とする本件退令処分は適法である。
イ 申立理由の概要
次のとおり本件認定処分、本件退令処分及び本件裁決はいずれも違法であるから、「本案について理由がないとみえるとき」(行訴法25条4項)に当たらない。
ア 入管法24条4号イの退去強制事由に当たらないこと(本案における主位的主張)
入管法24条4号イの退去強制事由は、当該活動の継続性、有償性、生計等の依存度、本来の在留資格に基づく活動の有無又は程度等を総合的に勘案し、当該外国人の活動が、その有する在留資格に属する者の行うべき活動から、他の在留資格に属する者の行うべき活動に変更されてしまったと認められる状態にあることをいう。
a 申立人は、日本語能力検定1級に合格して平成14年4月にb大学に特待生の待遇で入学し、平成18年3月に卒業して同年4月に同大学大学院に入学した。この間、平日の昼間はほぼ毎日授業に出席して軒並み好成績をあげており、大学院を修了した後は知人の推薦を得てg銀行東京支店に勤務する見込みがあり、これを希望している。
b 申立人は、平成14年12月以降クラブのホステスとして夜間稼働するようになった。勤務時間帯は夜8時から12時などであり学業に支障はなく、ホステスとしての就労で得た給与収入を本国に送金したようなこともない。稼働に当たって許可が必要であるという認識もなかった。したがって、申立人の不法就労に関する犯情は悪質とはいえない。
c 申立人に対する刑事処分である起訴猶予処分も入管法73条(報酬活動を専ら行っていたとはいえない場合)を前提として行われた。
以上のような学業の状況、稼働状況、刑事処分の結果に照らし、少なくとも「専ら」入管法24条4号イに該当する活動をしていたとはいえないから、本件認定は違法である。
イ 本件裁決の違法性(本案における予備的主張)
仮に形式的には退去強制事由に該当するとしても、申立人の在留活動の経過その他本件に関する一切の事情に鑑みれば、申立人に対しては在留を特別に許可すべき事情があることは明らかであって、これを付与しない旨の判断を行った本件裁決には裁量を逸脱した違法があり取消しを免れない。
ウ 本件退令処分の違法性
以上によれば、本件裁決処分及び本件裁決を前提とする本件退令処分も違法であり取消しを免れない。
 重大な損害を避けるための緊急の必要の有無
ア 申立理由の概要
本件退令処分の執行により身体・移動の自由が害され、同処分の収容部分の執行により学問の自由が侵害される。これらの自由はいずれも憲法によって保障されるところであって、損害の性質は極めて甚大である。
また、送還部分の執行により申立人は後期日程に復学できず大学院を卒業することが現実的に困難を極め、そうなればg銀行東京支店への就職の推薦を得る時機も逸する結果となる。また、本案訴訟の立証活動にも著しい支障をきたす。したがって、送還部分の執行がなされることによる損害の程度は甚大である。
収容部分についても、①申立人は現在までの収容により肉体的・精神的疲労の極に達し、情緒も不安定になっていること、②大学院の後期日程は既に開始しており、平成19年1月には試験が予定されているところ、申立人が留年すれば現在は成績優秀を理由として免除されている年間約65万円の授業料と施設使用料の支払義務が生じ、さらに収容が長期間にわたれば除籍もあり得るため、申立人の本邦における努力が水泡に帰する危険があること、③長期間収容が続けば家族(幼い長女や腰痛のため日常生活に支障のある夫)とともに生活することができない状態が続くことなど、収容部分の執行により重大な損害が発生することになる。
したがって、重大な損害を避けるための緊急の必要(行訴法26条4項)がある。
イ 相手方の意見の概要
①退去強制令書発付処分は単に送還のために身柄を確保するのみならず退去強制令書の発付を受けた者を隔離してその者の我が国におけるこれ以上の在留活動を禁止する趣旨を含むこと、②入管法は在留資格を有せず入国管理局の管理下にないような外国人の本邦における存在を予定していないこと、③そもそも入管法は収容により被収容者の移動の自由が制限されそれに伴って精神的苦痛等の不利益が生ずることを当然に予定しているから、収容部分の執行により被収容者が受ける損害は「重大な損害」には当たらないし、収容によりある程度の損害が生ずるとしても収容者にはできる限りの自由が認められているうえ仮放免の制度を設けて事案に応じた対応を可能としていることなどに照らし、退去強制令書発付処分により維持される行政目的達成の必要性を一時的に犠牲にしてもなお救済しなければならないほど「重大な損害」が生ずることはない。
 公共の福祉への重大な影響の存否
ア 相手方の意見の概要
収容部分の執行が停止されれば①在留資格のない外国人の違法不当な在留活動の防止という収容の目的を達成し得ず、行訴法44条が排除したはずの民事保全法に規定する仮処分によって仮の地位を与えたのと同様の結果となること、②逃亡防止の手段がないこと、③不法入国、不法残留した外国人による濫訴を誘発・助長することから、本件退令処分の執行停止は「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行訴法25条4項)に該当する。
イ 申立理由の概要
申立人は身柄が解放された場合は住所地で夫とともに生活し学業に専念することを誓っていること、夫も身元を引き受けることを誓約していること、大学院への復学を強く望んでいることからすれば、再度資格外活動をすることは到底考えられず、公共の福祉に影響を及ぼす危険性はない。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前記前提事実、疎明資料(甲2〜18、乙5〜7、10、13)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が一応認められる。
 学業の状況
申立人は平成14年4月にb大学経済科学部に入学して平成18年3月に卒業し、同年4月からb大学大学院経済科学研究科に在籍して金融論を専攻している。同月11日、同年度前期後期ともそれぞれ講義各4コマ及び集中講義1コマの履修登録をした。
講義には病気の場合を除いて必ず出席しており無断欠席をすることはなく、大学院進学後も、所用で帰国していた平成18年4月25日から同年5月16日までの間(講義があったのはそのうち7日間)と当局による身柄拘束中以外は全て出席しており、大学側からは出席状況は非常に良好であると評価されている。講義が終わった後も大学図書館に残って資料の調査・レポート作成・金融政策の勉強などに勤しみ、帰宅は通常午後4時ないし5時頃であった。
成績も、学部においては全取得単位数73科目140単位のうちAA(90〜100点)が7科目13単位、A(80〜89点)が32科目68単位等、大学院の平成18年前期に履修した5つの授業科目の成績も全てA(80〜100点)であるなど良好で、学部、大学院とも授業料等免除の特別待遇を受けている。なお、指導担当のB・経済科学部教授によれば、申立人は与えられた課題はこなしていたが最近ははっきりとした進歩がみられず停滞気味であると評されている。
申立人は、B教授を尊敬し、今後も少なくとも大学院修士課程を修了するまでは日本に在留して同教授の下で勉強を続けたいと考えている。大学側からは大学院で良い論文を書けば国籍国のg銀行の東京支店への就職の推薦が得られると言われており、それが不可能でも日中関係に関わる業務に就きたいという希望を強く持っている。
申立人の在籍する大学院の後期課程が既に平成18年9月20日に開始されており、平成19年1月中旬には試験が予定されている。
また、広島入管宛てで、大学教授や大学院生から、申立人の学業の継続を願う趣旨の嘆願書が少くとも8通寄せられた。
 稼働の状況
申立人は、前記前提事実のとおり、平成14年12月頃以降ホステスとして不法就労を始め、平成18年6月18日から同年7月14日までの間はラウンジ「f」で稼働していた。同店では1週間に6日、午後7時ないし8時頃に出勤して約5.5時間働いており、時給は最初の2か月間は2800円、その後は3000円であった。稼働状況は、平成18年5月が12日間、6月が26日間、7月が12日間などであった。申立人がホステスを選んだのは、学費と生活費等のために学業に影響を与えないように短時間・高収入の仕事に就きたかったためである。
申立人の不法就労事実が確認された後、申立人がホステスとして稼働した事実を認めるべき疎明資料はなく、入国警備官による第1回取調べを受けた平成18年7月31日には職業をホステスとしていたが第2回の取調べを受けた同年8月16日には学生としている。
なお、申立人は資格外活動の許可を得ないで就労することやホステスとして稼働することが違法であるかもしれないことは感じ取っており、広島入管に対しても稼働の事実を秘匿しつつ継続してきたものである。
 申立人の生活状況等
申立人は、本邦の住居が衛生面で問題があるなどとして、平成18年4月26月に帰国した際長女を夫の両親に預けてきた。その後広島市内の市営住宅に転居し、収容当時夫・Cと妹と共に生活するとともに、転居により衛生面の問題がなくなったことから8月には子を本邦に引き取って養育する予定であった。
Cは、広島入国管理局宛てに、申立人が逃走したり資格外活動をしたりしないよう監督することを誓約する旨の平成18年8月19日付け身元引受書(甲18)を提出した(申立人自身も、同年7月31日の入国警備官の取調べに対し、呼出しがあればできる限り応ずることを約束している)。なお、Cは腰部打撲傷により平成18年9月9日頃14日の安静加療を要する傷害を負い、本件申立て当時、日常生活に支障をきたす状態にあった。
2 判断
以上の事実によれば次のようにいうことができる。
 本案について理由がないとみえるといえるか否か
ア 申立人が入管法「第19条第1項の規定に違反して(中略)報酬を受ける活動を(中略)行つている」ことは明らかであって、その期間及び報酬額も看過できないというほかない。
イア 入管法は、19条1項2号において留学資格の外国人が報酬を受ける活動を行うことを禁止しながら、これを「専ら行っている」者でなければ退去強制事由には該当しないものとしている。すなわち、同法は、同号に違反することが直ちに退去強制事由に該当することとしているわけではなく、このことは同法24条4号イをそのまま犯罪構成要件とする同法70条1項4号と同法78条とを比較することによっても明らかである。また、同法19条2項は同条1項所定の者に対しても報酬を受ける活動を行うことを許可する余地を設けて、現実に即した柔軟な対応を図ろうとしている。
上記のような入管法の態度に照らすと、報酬を受ける活動を「専ら行つている」とは、当該活動の内容、継続性、有償性、生計等の依存度、本来の在留資格に基づく活動の有無・程度等を総合的に勘案して、外国人の在留目的がその有する在留資格に属する者の行うべき活動から報酬を受ける活動に変更されてしまったものと認められる程度に当該活動を行っていることをいうものと解される。そして、留学の在留資格についてそのようにいえるためには、少なくとも、報酬を受ける活動の目的が本邦に在留する期間中の生活費用の一部を支弁する程度を超えていると認められる場合や当該活動が原因で留学の在留資格において通常期待される勉学活動が行われず、又は近い将来これが行われなくなることが確実視されるような状況にあることを要し、たとえ報酬を受ける活動を継続的に行っていたとしても、それだけでは単に入管法19条1項2号に該当するにとどまり、直ちに同法24条4号イに該当するものということはできない。
これに対し、相手方は、留学の在留資格は経費支弁能力を前提としており、学業と就労を共に行うような在留資格は認められていないから、そのような活動を行っていれば留学とは異なる在留資格に基づく活動を専ら行っていることになるなどと主張する。しかし、そのような解釈では、留学を在留資格とする者が就労することは直ちに入管法24条4号イの退去強制事由に該当することとなって上記入管法の採る態度と整合せず、「専ら」の文理(ちなみに、広辞苑によれば「その事ばかり。それを主として。全く」を意味するとされて
いる)を離れたものであるという譏りを免れないし、入管法24条4号イの事由がそのまま犯罪構成要件ともされており(同法70条1項4号)明確性が要請されることにも照らし、相当でない。
イ これを本件についてみると、①申立人が就労していた時間は夜間であって大学院における講義・研究の支障にならない時間帯が選択されていたこと、②1週間の稼働時間も大学院生が正規の資格外活動許可を得た場合に行い得る28時間を大きく超えていたものとはいえないこと、③申立人は、大学、大学院在籍中も特別の事情がない限り講義には出席し、成績も良好で授業料等の免除を受けるほどの成績をあげていたことなどに照らし、就労活動が在留資格の目的である修学の妨害となっているわけではなく、申立人において留学の在留資格において通常期待される以上の勉学活動を行っており、④申立人の就労期間が長く、この間の収入が相当額に上ることはたやすく推認できるところではあるものの、就労の目的・態様や必要性などこの間の事実関係やその評価のためには本案における審理を尽くす必要があるから、申立人の在留目的が留学の在留資格に属する者の行うべき活動から入管法24条4号イに定める活動に変更されてしまったとは評価し得ないという余地があるといわねばならない。
したがって、申立人に同法24条4号イに規定する事由があるとは即断し難く、本件は「本案について理由がないとみえるとき」に当たらない。
 重大な損害を避けるための緊急の必要の有無
アア 行訴法25条2項にいう「重大な損害を避けるため緊急の必要があるとき」とは、処分の執行等によって維持される行政目的の達成の必要性とその執行によって申立人が被ることあるべき損害とを当該損害の回復の困難の程度を視野に入れつつ考慮して、行政目的の達成を一時的に犠牲にしても申立人に救済を与えなければならない緊急の必要性があるかどうかを判断すべきである。もっとも、同法の定める執行停止の制度が処分の取消しの訴えの提起が当該処分の効力等を妨げないことを前提とし、その後に勝訴判決を得たとしてもそのことによっては申立人の救済の実効性を挙げることができないことを回避する目的に出たものであることに照らせば、損害回復の困難の程度は損害の重大性の判断を大きく左右するものと解すべきである。
イ 他方、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、専ら当該国家において自由に決定できるものとされており、我が憲法においても外国人に対して本邦に入国ないし在留する権利ないし自由を認めるべきことは規定されていないのであって、我が国の入管法は在留資格制度を採用し、個々の外国人が本邦において行おうとする活動に着目しその活動内容に応じた在留資格を取得させ、本邦への上陸及び在留を認めることとしているところである。
そして、退去強制令書の発付処分は、その名宛人を送還するために身柄を確保するとともに、本邦における違法な在留活動を爾後抑制するなどの行政目的によるものであるから、身体の自由を制限すべき必要性ないし緊急性が高く、これに代わる手段を見出し難い。
ウ したがって、退去強制令書の執行によって名宛人の身体の自由が制限されることは、その態様及び期間が合理的なものであって、被収容者においてその身体の自由に対する制限によって重大な損害を被ることを避けるための緊急の必要がある特段の事情がない限り、原則として許されると解すべきである。
イア 前記認定事実によれば、申立人の在籍する大学院の後期課程が既に平成18年9月20日に開始されており、平成19年1月中旬には試験が予定されていることから、早期に後期課程に復学しなければ特待生としての授業料の免除等も受けられなくなるとともに、大学の推薦を得てg銀行東京支店に就職する道も閉ざされることになるおそれが大きいことはたやすく推認される。さらに収容が長期間に及べば大学からの除籍という事態を招来するおそれも否定できず、その場合再度我が国の大学院に再入学することは事実上不可能となる危険性も否定できない。したがって、本件退令処分のうち収容部分を執行すれば申立人がこれまで積み重ねてきた我が国における勉学の成果、しかも卓越した成果が水泡に帰する結果となり、そのことが申立人の今後の人生に大きな影響を及ぼすという意味で回復困難な損害を受ける蓋然性が高い。
なお、相手方は、入管法は収容により被収容者の移動の自由が制限されそれに伴って精神的苦痛等の不利益が生ずることを当然に予定しているのであり、収容によりある程度の損害が生ずるとしても被収容者にはできる限りの自由が認められているから、収容部分の執行により被収容者が受ける損害は「重大な損害」には当たらないという趣旨の意見を述べる。しかし、前記のとおり申立人において被ることあるべき損害が収容によって当然に生ずる類型的な損害にとどまるものということはできないから、相手方の前記意見は失当である。
イ 退去強制令書発付処分の収容部分の執行は、単に送還のために身柄を確保するのみならず、退去強制事由該当者の我が国におけるこれ以上の在留資格に反する活動を阻止する趣旨が含まれることは前述のとおりである。
本件においては、申立人が資格外活動許可を取って適法な就労をするのではなく違法かも知れないことを認識しながら安易にホステスとして平成14年以降長期間にわたって稼働してきたとはいえ、その主要な目的は学生生活を維持することにあったものとみられるし、申立人が5年以上にもわたって本邦で勉学に励んできたこと、現在既にホステスを辞め、復学を強く希望し、大学院で研究活動を行い質の高い論文を書いて学位を取ればg銀行東京支店への就職も期待できるから、復学には多大な利益を有していることに加え、夫
が身元引受人を申し出ており申立人の監督を引き受けると誓約していることや長女を本邦で育てる予定であることなども総合すると、早期に復学できさえすればこれまでの努力を無にして家族との生活を崩壊させるようなことは厳に慎むであろうことが期待される。また、学費については免除されているし、生活費についても夫の稼働、親族からの仕送りや適法な就労によってまかなうことが不可能であるとはいえないから、少なくとも本件に関する一審の司法判断があるまでは生活費等を得るために不法就労を行わざるを得なくなる
というような事態も具体的には想定し難い。
したがって、在留資格に反する活動を阻止するという目的のために収容部分の執行という手段を用いる必要性、合理性は低い。
ウ 以上のとおり、収容部分の執行継続による申立人の学業に与える損害は回復困難な程度に達する蓋然性があるのに対し、行政目的を達するために収容部分の執行という手段によらなければならない必要性があるとはいえず、このことはより重い処分である送還部分についても同様であるから、退去強制令書の執行による行政目的の達成を一時的に犠牲にしても申立人を救済しなければならない緊急の必要性があるというべきである。
エ 仮放免制度(入管法54条)の存在は上記判断を左右するものではない。その他相手方が縷々主張する点はいずれも抽象的に過ぎ失当である。
ウ なお、一審判決後は判決の結論を踏まえて改めて執行停止の可否を判断するのが相当であるから、本件退令処分の執行は、本案事件の第1審判決の確定又は同判決言渡しの日から30日を経過する日までのいずれか早い時まで停止するのを相当とする。
 公共の福祉への重大な影響の存否
相手方がこの点に関して主張するところはいずれも抽象論に過ぎずそれ自体失当である。また、一件記録によっても、本件退令処分の執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると評価し得るような事実の存在を認めることはできない。
また、申立人において被ることあるべき重大な損害の内容は申立人固有の特殊な事情に基づくものであるから、本件において執行の停止を認めることが他の事例に及ぼす影響は大きくないと思料される。
3 小括
よって本件申立ては本件退令処分の執行を本案事件の第1審判決の確定又は同判決言渡しの日から30日を経過する日までのいずれか早い時まで停止することを求める限度で理由があるからその限度でこれを認容し、その余は理由がないからこれを却下することとして、主文のとおり決定をする。

退去強制令書執行停止申立事件
平成18年(行ク)第13号
申立人:A、相手方:国
広島地方裁判所民事第1部(裁判官:坂本倫城・榎本光宏・吉田桃子)
平成18年10月27日

決定
主 文
1 処分行政庁が申立人に対し平成18年9月7日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件(当庁平成18年(行ウ)第28号)の第1審判決言渡しの日から起算して30日後まで停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は相手方の負担とする。
事実及び理由
第1 申立ての趣旨
処分行政庁が申立人に対して平成18年9月7日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件(広島地方裁判所平成18年(行ウ)第28号退去強制令書発付処分等取消請求事件)の第1審判決の確定まで停止する。
第2 当事者の主張
本件申立ての理由は別紙1に、これに対する被申立人の意見は別紙2に、それぞれ記載のとおりである。
第3 当裁判所の判断
1 本件疎明資料によれば、本件の経過について、次の事実が一応認められる。
 申立人の身上
ア 申立人は、中華人民共和国(以下「中国」という。)国籍を有する1977年(昭和52年)《日付略》生まれの女性である。
イ 申立人は、現在独身であり、身柄を拘束される前は、中国人の姉(在留資格「留学」でa大学大学院に留学中)・姉の子供(在留資格「家族滞在」)・姉の夫(姉が大学に行っている間の家事をしているほか、「b」でアルバイトをしている。)と暮らしていた。
(疎甲8、疎乙1、8)
 申立人が従前本邦に上陸・滞在した経緯
ア 申立人は、平成15年8月5日、福岡空港に到着し、在留資格「興行」、在留期間3月の上陸許可を受けて入国した。入国後は、大分県所在の興行店「c」で稼動し、3月の更新許可を受けた後、平成16年2月5日、福岡空港から出国した。
イ 申立人は、平成16年6月6日、福岡空港に到着し、在留資格「興行」、在留期間6月の上陸許可を受けて入国し、前記「c」でダンサー兼ホステスとして稼動した後、平成16年12月4日、福岡空港から出国した。
(疎乙1、5、8、11)
 申立人が今回本邦に上陸・滞在した経緯
ア 申立人は、平成17年9月1日、広島空港に到着し、広島入国管理局入国審査官から、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)別表第一所定の在留資格「短期滞在」、在留期間90日の上陸許可を受けて本邦に上陸した。このとき、申立人は、入国の目的は出産する姉の世話であるとしていた。
イ 申立人は、平成17年12月5日、在留期間90日の在留期間更新許可を受けた後、平成18年3月27日、d専門学校への入学を理由として、在留資格「留学」、在留期間1年(平成19年2月28日まで)とする在留資格変更許可を受けた。在留資格変更の際の申請書には資格外活動をしていない旨記載されている。
(疎乙1、3、4、8、24)
 申立人の本邦における就学状況
ア 申立人は、広島市中区所在のd専門学校のファッションクリエーター学科1年生として在学中である。
イ 申立人の平成18年4月10日から同年7月14日までの出席状況は、出席日数が54日(294単位)、欠席日数が13日(99単位)であり、欠席日数のうち8日間はゴールデンウイークを使って中国に帰国した際のものである。そのほかの5日間については病欠(うち2日が無断欠席)であるが、この5日間について、申立人はいずれも夜はホステスとして稼働していた。
ウ 申立人は、日本語で授業を受けることもさほど支障がない程度の日本語能力を有し、どの授業にも真面目に取り組んでおり、前記イの帰国の際も課題は遅れることなく提出していた。申立人の、同校における平成18年度1学期の成績は、ソーイング、就職対策、流行通信、服飾手芸及びパターンメイキングⅠがA(優れている)、クロッキー、デザインⅠ、マテリアル、ファッションマーケティングⅠ及び選択科目がB(やや優れている)、フラットパターン、商品知識、カラーリングⅠ及びメイクがC(普通・良い)、一般教養がD(やや劣っている)であった。
(疎甲2、3、4、6、乙3、5)
 申立人の就労活動
ア 申立人は、入国後これまでに資格外活動許可は一度も受けたことがない。
イ 申立人は、ア平成17年9月10日ころから平成18年1月ころまでの間、広島市中区所在のスナック「e」において、イ同年1月ころから同年2月20日ころまでの間、山口県宇部市所在のパブ「f」で、ウ同年3月2日ころから同年5月13日までの間、広島市中区所在のラウンジ「g」において、エ同年5月15日から同年7月14日までの間、広島市中区所在のラウンジ「h」において、それぞれホステスとして就労した。
ウ 前記イアでの申立人の稼動条件は、勤務時間は午後8時から翌午前1時、休日は日曜日であり、時給は3000円で、同伴出勤の制度もあった。申立人は、同店において、給料として合計約80万円を受け取った。
エ 前記イイでの申立人の稼働条件は、勤務時間は午後7時から翌午前2時、休日は第一・第三日曜日であり、日給は1万2000円〜1万3000円であった。申立人は、同店において、給料として合計約20万円を受け取った。
オ 前記イウでの申立人の稼働条件は、勤務時間は午後8時から翌年前1時、時給は2800円であった。申立人は、別紙3のとおり、3月に20日間、4月に18日間、5月に5日間の合計43日間勤務し、給料として、3月分として27万1000円、4月分として23万1000円、5月分として7万円の合計57万2600円を受け取った。
カ 前記イエでの申立人の稼働条件は、勤務時間は午後7時から翌午前0時30分、休日は日曜日であり、時給は5月〜6月が2800円、7月が3000円であったが、同伴出勤すると1回500円が支払われ、また皆勤賞になると2万円が支払われることになっていた。申立人は、別紙4のとおり、5月に16日間、6月に26日間、7月に12日間の合計53日間勤務し、給料として、5月分として21万5490円、6月分として39万4510円(皆勤賞を含む)の合計61万円を受け取った。また7月分として17万8800円を受け取るはずであったが、未払になっている。
キ 申立人は、上記のとおり稼いだ金銭のうち、100万円を専門学校の入学金や授業料に、10万円を学校に払う雑費に、10万円を中国への帰国費用に、70万円を貯金にあて、生活費は交通費を含め毎月5万円であった。
(疎甲6、10。疎乙1、2、3、4、5、8)
 申立人についての刑事処分
平成18年7月14日、広島県警察本部及び同広島東警察署員は、入管法違反(不法就労助長罪)を被疑事実として、申立人がホステスとして稼動していた前記イエの「h」の捜索差押えをした。その後申立人は逮捕されたが、同年8月4日に不起訴処分となり釈放された。
(疎乙1、2、25)
 広島入国管理局による処分
ア 広島入国管理局入国警備官(以下「入国警備官」という。)は、平成18年7月14日、広島県警察本部警察官らと共に前記「h」を摘発した。
イ 平成18年8月15日、申立人について法24条4号イ該当容疑により収容令書が発付され、翌16日、申立人はその執行を受けて広島入国管理局収容場に収容された。
ウ 広島入国管理局入国審査官(以下「入国審査官」という。)は、平成18年8月17日、違反審査の結果、前記イウエにおける就労が法24条4号イの資格外活動に該当すると認定した(以下「本件認定」という。)。同日、これに対し、申立人は口頭審理の請求をした。
エ 広島入国管理局特別審査官は、平成18年9月4日、口頭審理の結果、上記ウの認定に誤りがない旨判定した。同日、これに対し、申立人は法務大臣に対する異議の申出をした。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた広島入国管理局長は、平成18年9月7日、申立人からの上記エの異議の申出に理由がない旨の裁決をした(以下「本件裁決」という。)。
カ 本件裁決の通知を受けた広島入国管理局主任審査官は、平成18年9月7日、申立人に対し本件裁決を告知するとともに、退去強制令書(以下「本件退令」という。)を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。
(疎乙1、2、6、8、9、10、11、13、14、15、16、17、18)
2 執行停止(行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)25条2項)は、処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害(以下「重大な損害」という。)を避けるため緊急の必要があるときにすることができるものとされ、執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき、又は本案について理由がないとみえるときは、これをすることができないものとされている(同法25条2項・4項)。以下各要件について検討する。
3 重大な損害を避けるための緊急の必要があるか否かについて
 重大な損害を生ずるか否かを判断するに当たっては、損害の回復の困難の程度を考慮するものとし、損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質をも勘案するものとされている(行訴法25条3項)。
 本件で申立人が執行停止を求めるのは、処分行政庁が申立人に対して平成18年9月7日付けで発付した退去強制令書に基づく執行であり、これは申立人を中国へ送還する部分(以下「送還部分」という。法52条3項)と申立人を収容する部分(以下「収容部分」という。法52条5項)とに分けられる。
送還部分については、これが執行されれば、申立人としては、本件本案訴訟の追行が非常に困難になる上、仮に本案事件について勝訴判決を得ても、送還前に置かれていた現状に回復することが非常に困難になる。したがって、収容部分については、重大な損害を避けるための緊急の必要があるということができる(相手方も、収容部分について「重大な損害を避けるための緊急の必要」があることは争わない。)。
 収容部分について、退去強制令書に基づく収容処分は、同令書による送還のために身柄を確保するとともに、退去強制事由に当たる在留活動を禁止することを目的として、退去強制令書の発付を受けた者を一定の場所に収容するものである。
そこで、本件において、かかる処分により申立人に生じる損害の性質及び程度、その損害の回復の困難の程度を検討する。
前記1のとおり、申立人は、無断欠席は2日あるが課題は全て提出されているなど、同専門学校への通学態度や成績は比較的良好である。この点については、同専門学校の担任教師も、「どの授業にも興味を持ち、真面目に取り組んでおり、課題も遅れる事なく、出しています。熱心に勉強しておりますので、日本語での授業でも不自由は感じていないようです。クラスの中にも打ち解け、中国に興味のある生徒にも快く話をしてくれますので、学生同士、交流も深まっています。」と述べている(疎甲4)。また、前記1によれば、同専門学校入学後の申立人のホステスとしての稼働状況は、基本的に平日は毎日稼動していたものの、その稼動時間はおおむね午後7時から翌1時までの一日5時間〜5時間半であって、稼動先はいずれも同専門学校と同じ広島市中区所在である。そうすると、ホステスとしての稼動状況それ自体によって、申立人の同専門学校での学習が疎かになっていたと直ちに認めることはできない。
そうすると、申立人は、申立人なりに同専門学校で学ぶ努力をし、同専門学校の同級生らの中にとけ込んで、留学の在留資格を得た本旨を全うしようと学習を続けてきたものであると、一応認めることができるのであって、いわゆるオーバーステイなど、そもそもの在留資格が存せず滞在自体が違法である場合とは明らかに事案を異にするということができる。
証拠(疎甲10)によれば、申立人は収容によって二学期以降のカリキュラムを履修できておらず、今すぐ復学して履修しなければ卒業が見込めなくなる状態にあり、もしこのまま収容が継続され復学することができなければ、同専門学校から除籍処分を受けかねないこと、申立人は、同専門学校の初年度の学費を既に納入しているところ、同専門学校の規定により、納入金の返還はできない旨定められているために、このまま申立人が復学できなければ、この学費が無駄になることが一応認められる。そうすると、仮に申立人が本案事件について勝訴判決を得ても、本案事件の審理には相当の日数を要することにかんがみれば、判決を得たときには、申立人は、少なくとも、留学生にとって少額とはいえない授業料を再度納入し直さなければなら
なくなっており、さらには履修の遅れや除籍処分によって、もはや同専門学校へ復学して卒業することも期待できない状況になってしまっている可能性が高い。
翻ってみるに「申立人については、担任教員をはじめ、山口県在住のB、保証人である大分県在住のCが監督を約束していること(Cは平成18年8月8日に広島を来訪し申立人と話をしている)(疎甲4、5、6)、hアパートという安定した住居があり、生まれたばかりの娘がいる姉の家族と同居することができること、申立人本人も本件を反省し、引き続き同専門学校での学習を強く希望していることがうかがわれること(疎甲7)を一応認めることができる。
以上を総合的に考慮すれば、本件収容部分の執行は、送還のための身柄確保及び退去強制事由に当たる在留活動の禁止という目的のためにどうしても必要であるとまではいうことができず、また、かかる必要性の低さに比べて、申立人が受ける損害はあまりにも重大であるといわなければならない。
そして、上記のとおり、現在すでに同専門学校における申立人の履修に遅れが生じ、除籍処分になる可能性が生じていることを同専門学校校長が言明している(疎甲10)ことからすれば、申立人に対する執行停止は、重大な損害を避けるための緊急の必要があるということができる。
4 「本案について理由がないとみえるとき」に当たるか否かについて
 法24条4号イは、強制退去の要件として、「第19条第1項の規定に違反して……報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められる者」であることを定めている。
申立人は、前記1のとおり、法19条2項の法務大臣の許可を受けないでホステスとして稼動しており、「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動」を行っていた(この点は申立人もこれを争わない。)。
 そして、相手方は、申立人の稼働状況、稼動により得た報酬の額及びその使途等からすれば、申立人には本邦滞在中の必要経費を支弁する能力がなく、本邦滞在中の必要経費の多くを本邦での就労に依拠しているから、申立人の活動は、もはや「留学」の在留資格に基づく活動に該当するものではなく、申立人は報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められると主張する。
しかし、申立人が「報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められる者」かどうかについては、申立人について認められる前記1の各事実に加えて、申立人の本邦における学生としての生活及び就労等の状況、就労に至った経緯、学費及び生活費の支出の状況、本国からの送金の状況及び使途等並びにこれらの事実の評価等に関し、更に本案における審理を尽くす必要があるのであって、現時点において、申立人の在留目的たる活動が「留学」から変更され、申立人が「報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められる者」に当たるとは直ちにいうことはできない。
 以上によれば、申立人が法24条4号イに該当するか否かを現段階で直ちに決することはできないものであるから、本件は「本案について理由がないとみえるとき」には当たらない。
5 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」に当たるか否かについて
相手方は、退去強制令書の発付を受けた外国人に対して、その収容部分の執行が停止されることになれば、仮放免における保証金納付などに対応する措置もなく、違法に在留する外国人を放任状態で在留させることになるのであって、かかる在留形態の存在は出入国管理に関する法体系を著しく乱し、本邦に不法に入国し又は不法に残留した外国人による濫訴を誘発、助長するもので、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張する。
しかしながら、前記1のとおり、申立人はそもそも在留資格を得て入国・滞在中の者であって、本件本案訴訟は、その在留資格にかかわらず申立人を国外へ強制退去させる処分の適法性を争っているのであるから、少なくとも、その第1審判決言渡しの日から起算して30日後までの間、その従前得ていた在留資格の下に申立人を本邦に在留させ、また収容を解いても、これが相手方が一般論として主張するような公共の福祉に対する重大な影響を及ぼすおそれがあるということはできない。
6 以上によれば、本件申立ては、本案事件の第1審判決の言渡しの日から起算して30日後まで本件令書に基づく執行停止を求める限度で理由があるから、その限度でこれを認容し、その余の部分は理由がないからこれを却下することとして、主文のとおり決定する。

退去強制令書等執行停止決定に対する即時抗告事件
平成18年(行ス)第6号(原審:広島地方裁判所平成18年(行ク)第14号)
抗告人:国、相手方:A
広島高等裁判所第2部
平成18年12月8日

決定
主 文
1 本件即時抗告を棄却する。
2 抗告費用は抗告人の負担とする。
理 由
第1 抗告の趣旨及び理由
本件抗告の趣旨は、「原決定を取り消す、相手方の申立てを却下する。」というものである。本件抗告の理由は、別紙「抗告理由書」記載のとおりである。
第2 事案の概要
事案の概要は、原決定4頁18行目を「キ 相手方は西日本入国管理センターに収容されていたが、原決定により平成18年10月18日に出所した。」と改めるほかは、原決定「事実及び理由」の「第2 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
なお、当事者の主張として次の点を付加する。
1 抗告人の主張
 本案について理由がないとみえるといえるか否かについて
出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)24条4号イに規定する活動を「専ら行っている」とは、在留目的たる活動が在留資格たる活動から変更されたと評価できる程度まで在留資格外の活動を行っていることをいう。
留学の資格で在留する外国人が資格外活動を行って本邦滞在中の必要経費を賄おうとする程度にまで至っている場合は入管法24条4号イに該当すると解すべきであるところ、相手方の稼働状況(期間、頻度、報酬の額等)のほか、以下の点を考慮すると、相手方はこれに該当する。
ア 相手方の両親には、相手方が本邦に滞在する経費を支弁する能力はない。
したがって、相手方がこれまで本国から送金を受けていたという事実自体、極めて疑わしい。
イ 相手方は、ホステスをして多額の収入を得ていたから、奨学金を受給することができないにもかかわらず、違法な手段で奨学金を受給し、生活費用に充てていた。そのため、今後、奨学金の支給が打ち切られることやこれまでの支給分の返還請求を受けることも十分予想される。
ウ 入国審査に関する入管法7条1項2号の基準を定める省令によれば、留学のための入国については「申請人がその本邦に在留する期間中の生活に害する費用を支弁する十分な資産、奨学金その他の手段を有すること。」が基準の1つとなるところ、相手方はこの基準を満たしていない。
 収容部分の執行停止について「重大な損害を避けるため緊急の必要がある」とはいえないことについて
ア 本案で相手方が勝訴する可能性はほとんどないというべきであり、将来あり得べき相手方の送還のため、相手方を収容すべき必要性は高い。
イ また、退去強制令書の執行による収容は、送還のために身柄を確保するためだけでなく、我が国におけるこれ以上の在留活動を禁止する趣旨を含むものである。相手方のこれまでの長期間に及ぶ違法就労活動や、今後、生活費を得るためには違法就労によるしかないことからすれば、相手方を収容する必要性は高い。
ウ 相手方が退去強制令書の執行によって身柄を拘束され、学業の継続に一時支障が生じるとしても、退去強制令書発付処分により維持される行政目的達成の必要性を一時的に犠牲にしてもなお救済しなければならないほど重大な損害が発生するとはいえない。すなわち、相手方の収容が継続するとしても、休学制度を利用するなどすれば、直ちに退学処分になることもないし、後に学業を再開することも可能である。また、相手方が本邦での就職を予定しているとしても、これまでの在留状況の悪質性や資格外活動から在留資格変更が許可される可能性は皆無であるから、収容の継続が就職可能性に影響を及ぼすこともない。
2 相手方の主張
 本案について理由がないとみえるといえるか否かについて
入管法24条4号イ該当性の判断基準に関する抗告人の主張(上記1)は争う。抗告人の主張によれば、留学資格を待った外国人が資格外活動をした場合には、そもそも法が保護を予定している活動ではないとして、すべて同規定に該当することになるが、そのような解釈は条文の文言にも立法趣旨にも反する。
また、仮に抗告人が主張する判断基準によるとしても、「その程度が本邦滞在中の生活費等を賄おうとするにまで至っている場合」に当たるか否かを判断する必要があるところ、その判断は、仮の処分の段階では不可能であり、本案によって明らかにされるべきである。
なお、相手方の両親には経費支弁能力はある。
 収容部分の執行停止について「重大な損害を避けるため緊急の必要がある」ことについて平成18年10月28日、相手方の義母が相手方の長女を連れて来日するとともに、相手方の就学費用として250万円を援助しており、相手方は不法就労をする必要はなく、あと2年で大学院を卒業できる見込みである。しかし、収容の執行停止がされなければ、相手方は、学問の自由を侵害される上、就職にも大きな支障が生ずるとともに、家族が離ればなれにならざるを得ない状態になる。
抗告人は、就職するための在留資格変更が許可される可能性はないから、就職の可否は執行停止の理由にならないなどと主張するが、就職に伴う在留資格変更は、まだ申請もされていない将来の問題であるから、本件執行停止中の可否の判断において考慮すべきではない。
なお、相手方は、平成18年10月28日以降、夫及び長女並びに妹と同居しているが、現在、第2子を懐妊している。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
以下のとおり改めるほかは、原決定「事実及び理由」の「第3 当裁判所の判断」「1 認定事実」のとおりであるから、これを以下に引用し、加筆訂正した箇所をゴシック体太字で記載する。
前記前提事実、疎明資料(甲2〜18、乙5〜7、10、13)及び弁論の全趣旨によれば次の事実が一応認められる。
 学業の状況
相手方は平成14年4月にb大学経済科学部に入学して平成18年3月に卒業し、同年4月からb大学大学院経済科学研究科(博士前期課程)に在籍して金融論を専攻している。同月11日、同年度前期後期ともそれぞれ講義各4コマ及び集中講義1コマの履修登録をした。
講義にはほとんど毎回出席しており無断欠席をすることはなく、大学院進学後も、所用で帰国していた平成18年4月25日から同年5月16日までの間(講義があったのはそのうち7日間)と当局による身柄拘束中以外は全て出席しており、大学側からは出席状況は非常に良好であると評価されている。講義が終わった後も大学図書館に残って資料の調査・レポート作成・金融政策の勉強などに勤しみ、帰宅は通常午後4時ないし5時頃であった。
成績も、学部においては全取得単位数73科目140単位のうちAA(90〜100点)が7科目13単位、A(80〜89点)が32科目68単位等、大学院の平成18年前期に履修した5つの授業科目の成績も全てA(80〜100点)であるなど良好で、学部、大学院とも授業料等免除の特別待遇を受けている。なお、指導担当のB・経済科学部教授によれば、相手方は与えられた課題はこなしていたが最近ははっきりとした進歩がみられず停滞気味であると評されている。
相手方は、B教授を尊敬し、今後も少なくとも大学院修士課程を修了するまでは日本に在留して同教授の下で勉強を続けたいと考えている。大学側からは大学院で良い論文を書けば国籍国のg銀行の東京支店への就職の推薦が得られると言われており、それが不可能でも日中関係に関わる業務に就きたいという希望を強く持っている。
相手方の在籍する大学院の2006年度(平成18年度)後期課程が既に平成18年9月20日に開始されており、平成19年1月中旬には試験が予定されている。
また、広島入管宛てで、大学教授や大学院生から、相手方の学業の継続を願う趣旨の嘆願書が少くとも8通寄せられた。
 稼働の状況
相手方は、前記前提事実のとおり、平成14年12月頃以降ホステスとして不法就労を始め、平成16年5月ころまではラウンジ「c」で、同年6月ころから平成17年2月ころまではスタンド「d」で、同年11月21日から平成18年5月15日ころまではラウンジ「e」でそれぞれ稼働した後、同月18日から同年7月14日までの間はラウンジ「f」で稼働していた。
給与額は、ラウンジ「c」では平均月額約20万円、スタンド「d」では月額約20ないし25万円、ラウンジ「e」では概ね月額20万円余り(総額約120万円)であった。
ラウンジ「f」では、1週間に6日、午後7時ないし8時頃に出動して約5.5時間働いており、時給は最初の2か月間は2800円、その後は3000円であった。稼働状況は、平成18年5月が12日間、6月が26日間、7月が12日間などであり、報酬支給額は、5月が16万7730円、6月が39万4060円、7月が17万8350円(合計74万0140円)であった。
相手方がホステスを選んだのは、学費と生活費等のために学業に影響を与えないように短時間・高収入の仕事に就きたかったためである。
相手方の不法就労事実が確認された後、相手方がホステスとして稼働した事実を認めるべき疎明資料はなく、入国警備官による第1回取調べを受けた平成18年7月31日には職業をホステスとしていたが第2回の取調べを受けた同年8月16日には学生としている。
なお、相手方は資格外活動の許可を得ないで就労することやホステスとして稼働することが違法であるかもしれないことは感じ取っており、広島入管に対しても稼働の事実を秘匿しつつ継続してきたものである。
 相手方の生活状況等
相手方は、財団法人hの平成15年度の奨学金奨学生になり、月額3万円の奨学金の給付を受けた。また、平成17年4月から平成18年3月までは独立行政法人iから月額5万円の奨学金の支給を受けた。
相手方は、本邦の住居が衛生面で問題があるなどとして、平成18年4月26日に帰国した際長女を夫の両親に預けてきた。その後広島市内の市営住宅に転居し、収容当時夫・Cと妹と共に生活していた。なお、相手方は、転居により衛生面の問題がなくなったとして8月には子を本邦に引き取って養育する予定であったと述べている。
なお、平成18年10月28日、長女が再来日し、相手方らと同居するようになった。また、相手方は、現在、第2子を懐妊している。
Cは、広島入国管理局宛てに、相手方が逃走したり資格外活動をしたりしないよう監督することを誓約する旨の平成18年8月19日付け身元引受書(甲18)を提出した(相手方自身も、同年7月31日の入国警備官の取調べに対し、呼出しがあればできる限り応ずることを約束している)。なお、Cは腰部打撲傷により平成18年9月9日頃14日の安静加療を要する傷害を負い、本件申立て当時、日常生活に支障をきたす状態にあった。
2 判断
 本案について理由がないとみえるといえるか否かについて
ア 入管法19条1項2号、別表1の4は、留学の在留資格で在留する者について、報酬を受ける活動を禁止しており、それに違反した場合の罰則が同法73条に規定されている。
また、同法19条1項に違反した場合のうち、報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められる場合は、法定刑の重い別の罰則規定(同法70条1項4号)が設けられてる上、同法24条4号イにより、退去強制事由とされている。したがって、単なる同法19条1項違反は退去強制事由ではない。
イ 以上のような入管法の規定等に照らすと、同法24条4号イにいう「専ら行っている」とは、報酬を受ける活動を行うことによって、在留目的が実質的に変更したと認められることを意味すると解するのが相当である。
そして、それを判断する際には、当該活動の内容、継続性、有償性、生計維持に果たす割合、本来の在留資格に基づく活動の有無・程度等を総合的に勘案すべきである。
なお、抗告人は、留学の在留資格は、経費支弁能力を前提としていることを理由に、報酬を受ける活動が本邦滞在中の必要経費を賄おうとするまでに至っている場合は、学業の遂行自体が就労によって阻害されていないとしても、在留目的が留学から変更されたことになると主張する。しかしながら、経費支弁能力があることを前提とする規定を置いているのは法自体ではなく法施行規則等であり、これらは留学のための在留という目的を達成するためには通常は経費支弁能力が必要であるとの見地に立った定めと理解することができ、これらの定めがあることを法の解釈判断の決定的理由とすることはできない。そして、入管法は、在留
目的が留学である場合でも、法務大臣の許可を得て報酬を受ける活動をすることができることを認めていること(19条2項)などからすれば、報酬を受ける活動が本邦滞在中の必要経費を賄うとするまでに至っているとの一事をもって退去強制事由に該当すると解するのは相当でない。上記のとおり、資格外活動によって得られた報酬の額や生計維持に果たす役割、本来の在留目的への影響等を総合的に判断すべきである。
ウ そこで判断するに、相手方の報酬を受ける活動は、入国後2年を経ずして開始され、以後、摘発されるまで3年以上にわたって行われ、その間に得た報酬の額も月額で概ね20万円を超え、平成17年11月21日から平成18年7月14日までの約8か月で合計194万円程度に上るのであって、軽易なものではない。しかも、相手方の本邦での滞在費の原資は、これら不法就労による報酬のほかは、一定期間に受給した月額数万円の奨学金が明らかになっているにとどまり、両親からの送金等は裏付ける資料がない。したがって、相手方は、本邦での滞在費の大半を不法就労による報酬で賄っていた可能性も高いと言わざるを得ない。
しかしながら、他方で、本来の在留目的である留学については、4年間在籍したb大学と現在在籍中の同大大学院を通じて出席状況や単位取得状況、成績等において問題はなく、報酬を受ける活動が本来の在留目的の支障になっていることは窺えない。
また、相手方が就労していたホステスとしての活動は、性質上、夜間のものであり、かつ、昼間の就労に比較して比較的短時間にとどまっていることからも、本来の在留目的の支障になる度合いが少ないものであることが認められるところである。
エ 以上を総合すれば、相手方につき、報酬を受ける活動を行うことによって在留目的が実質的に変更したと認めることができるか否か、すなわち入管法24条4号イに規定する事由があるか否かは即断し難く、「本案について理由がないとみえるとき」に当たらない。
 重大な損害を避けるための緊急の必要の有無について
一部改めるほかは原決定摘示のとおりであるから、これを以下に引用し、加筆訂正した箇所をゴシック体太字で記載する。
アア 行訴法25条2項にいう「重大な損害を避けるため緊急の必要があるとき」とは、処分の執行等によって維持される行政目的の達成の必要性とその執行によって相手方が被ることあるべき損害とを当該損害の回復の困難の程度を視野に入れつつ考慮して、行政目的の達成を一時的に犠牲にしても相手方に救済を与えなければならない緊急の必要性があるかどうかを判断すべきである。もっとも、同法の定める執行停止の制度が処分の取消しの訴えの提起が当該処分の効力等を妨げないことを前提とし、その後に勝訴判決を得たとしてもそのことによっては相手方の救済の実効性を挙げることができないことを回避する目的に出たものであることに照らせば、損害回復の困難の程度は損害の重大性の判断を大きく左右するものと解すべきである。
イ 他方、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、専ら当該国家において自由に決定できるものとされており、我が憲法においても外国人に対して本邦に入国ないし在留する権利ないし自由を認めるべきことは規定されていないのであって、我が国の入管法は在留資格制度を採用し、個々の外国人が本邦において行おうとする活動に着目しその活動内容に応じた在留資格を取得させ、本邦への上陸及び在留を認めることとしているところである。
そして、退去強制令書の発付処分は、その名宛人を送還するために身柄を確保するとともに、本邦における違法な在留活動を爾後抑制するなどの行政目的によるものであるから、身体の自由を制限すべき必要性ないし緊急性が高く、これに代わる手段を見出し難い。
ウ したがって、退去強制令書の執行によって名宛人の身体の自由が制限されることは、その態様及び期間が合理的なものであって、被収容者においてその身体の自由に対する制限によって重大な損害を被ることを避けるための緊急の必要がある特段の事情がない限り、原則として許されると解すべきである。
イア 前記認定事実によれば、相手方の在籍する大学院の後期課程が既に平成18年9月20日に開始されており、平成19年1月中旬には試験が予定されていることから、早期に後期課程に復学しなければ特待生としての授業料の免除等も受けられなくなるとともに、大学の推薦を得てg銀行東京支店に就職する道も閉ざされることになるおそれが大きいことはたやすく推認される。さらに収容が長期間に及べば大学からの除籍という事態を招来するおそれも否定できず、その場合再度我が国の大学院に再入学することは事実上不可能となる危険性も否定できない。したがって、本件退去強制令書発付処分のうち収容部分を執行すれば相手方がこれまで積み重ねてきた我が国における勉学の成果(削除)が水泡に帰する結果となり、そのことが相手方の今後の人生に大きな影響を及ぼすという意味で回復困難な損害を受ける蓋然性が高い。
なお、抗告人は、入管法は収容により被収容者の移動の自由が制限されそれに伴って精神的苦痛等の不利益が生ずることを当然に予定しているのであり、収容によりある程度の損害が生ずるとしても被収容者にはできる限りの自由が認められているから、収容部分の執行により被収容者が受ける損害は「重大な損害」には当たらないという趣旨の意見を述べる。しかし、前記のとおり相手方において被ることあるべき損害が収容によって当然に生ずる類型的な損害にとどまるものということはできないから、抗告人の前記意見は失当である。
また、抗告人は、相手方が、今後、本邦で就職を予定しているとしても、在留資格変更が許可される可能性は皆無であるから、収容が継続しても就職には影響がないと主張する。
しかしながら、収容が継続することによって相手方に生ずる損害は、本邦での就職ができなくなることだけではないから、上記抗告人の主張は、緊急の必要性を否定するには足りない。
イ 退去強制令書発付処分の収容部分の執行は、単に送還のために身柄を確保するのみならず、退去強制事由該当者の我が国におけるこれ以上の在留資格に反する活動を阻止する趣旨が含まれることは前述のとおりである。
本件においては、相手方が資格外活動許可を取って適法な就労をするのではなく違法かも知れないことを認識しながら安易にホステスとして平成14年以降長期間にわたって稼働してきたとはいえ、その主要な目的は学生生活を維持することにあったものとみられるし、相手方が5年以上にもわたって本邦で勉学に励んできたこと、現在既にホステスを辞め、復学を強く希望し、大学院で研究生活を行い質の高い論文を書いて学位を取ればg銀行東京支店への就職も期待できるから、復学には多大な利益を有していることに加え、夫
が身元引受人を申し出ており相手方の監督を引き受けると誓約していること、相手方には長女がいるほか、第2子を懐妊中であり、今後長女や第2子を養育していく必要があることなども総合すると、早期に復学できさえすればこれまでの努力を無にして家族との生活を崩壊させるようなことは厳に慎むであろうことが期待される。また、学費については免除されているし、生活費についても夫の稼働、親族からの仕送りや適法な就労によってまかなうことが不可能であるとはいえないから、少なくとも本件に関する一審の司法判断があるまでは生活費等を得るために不法就労を行わざるを得なくなるというような事態も具体的には想定し難い。
したがって、在留資格に反する活動を阻止するという目的のために収容部分の執行という手段を用いる必要性、合理性は低い。
ウ 以上のとおり、収容部分の執行継続による相手方の学業に与える損害は回復困難な程度に達する蓋然性があるのに対し、行政目的を達するために収容部分の執行という手段によらなければならない必要性があるとはいえず、このことはより重い処分である送還部分についても同様であるから、退去強制令書の執行による行政目的の達成を一時的に犠牲にしても相手方を救済しなければならない緊急の必要性があるというべきである。
エ 仮放免制度(入管法54条)の存在は上記判断を左右するものではない。

ウ なお、一審判決後は判決の結論を踏まえて改めて執行停止の可否を判断するのが相当であるから、本件退去強制令書発付処分の執行は、本案事件の第一審判決の確定又は同判決言渡しの日から30日を経過する日までのいずれか早い時まで停止するのを相当とする。
 公共の福祉への重大な影響の存否について
原決定説示のとおりであるから、以下に引用する。
抗告人がこの点に関して主張するところはいずれも抽象論に過ぎず採用することはできない。また、一件記録によっても、本件退去強制令書発付処分の執行停止が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると評価し得るような事実の存在を認めることはできない。
また、相手方において被ることあるべき重大な損害の内容は相手方固有の特殊な事情に基づくものであるから、本件において執行の停止を認めることが他の事例に及ぼす影響は大きくないと思科される。
3 以上によれば、相手方の退去強制令書の執行停止の申立ては、一審判決の確定又は同判決言渡しの日から30日を経過する日のいずれか早い時まで停止するのが相当であり、抗告人の本件即時抗告は理由がないから棄却することとし、主文のとおり決定する。

退去強制令書発付処分取消等請求事件(第1事件)
平成17年(行ウ)第114号
難民不認定処分無効確認請求事件(第2事件)
平成17年(行ウ)第115号
原告:A、被告:法務大臣・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第2部
平成19年2月2日

判決
主 文
1 被告法務大臣が平成17年1月24日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を取り消す。
2 被告主任審査官が同日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
3 被告法務大臣が平成15年11月14日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分が無効であることを確認する。
4 訴訟費用は、全事件を通じ、被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同じ。
第2 事案の概要
本件は、本邦に不法残留していたとの理由で退去強制手続をとられ、被告法務大臣から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)49条1項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を受け、被告主任審査官から退去強制令書発付処分を受けた外国人である原告が、難民である自分に対しては在留特別許可が与えられるべきであったからこれらの処分は違法であると主張してその取消しを求めるとともに(第1事件)、難民認定申請に対して被告法務大臣がした難民の認定をしない処分が無効であることの確認を求める(第2事件)事案である。
1 難民に関する法令の定め
法務大臣は、本邦にある外国人からの申請に基づき、その者が難民であるか否かの認定を行う(入管法61条の2第1項)。
入管法上、難民とは、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民のことである(同法2条3号の2)。そして、難民条約1条A及び難民議定書1条1・2によれば、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であつて、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民であるから、この定義に当てはまる者が入管法にいう難民ということになる。
2 前提事実(後記の事実は当裁判所に顕著であり、それ以外の事実は弁論の全趣旨により容易に認められる。)
 原告の国籍
原告は、1972(昭和47)年《日付略》、バングラデシュ人民共和国(以下「バングラデシュ」という。)において出生した、同国国籍を有する男性である。
 入国・在留状況
ア 原告は、平成14年7月19日、マレーシアのクアラルンプールから航空機で成田国際空港に到着し、「短期滞在」の在留資格で在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。
以後、東京入国管理局において、同年10月21日、平成15年1月20日、同年4月17日、同年7月17日、同年10月20日の5回にわたり、それぞれ在留期間を90日とする在留期間更新許可を受けた。
イ 原告は、平成14年7月22日、居住地を東京都江戸川区《住所略》として外国人登録法に基づく新規登録をした。
ウ 原告は、在留期間の更新又は在留資格の変更を受けることなく、最終の在留期限である平成16年1月10日を超え、不法残留となった。
 退去強制手続
ア 東京入国管理局入国警備官は、平成16年12月2日、違反調査を実施し、原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして同局主任審査官から発付を受けた収容令書を執行して原告を同局収容場に収容した上、同月3日、同法24条4号ロ該当容疑者として原告を同局入国審査官に引き渡した。
イ 東京入国管理局入国審査官は、同年12月6日及び14日、違反審査を実施し、同月14日、原告が入管法24条4号ロに該当すると認定し、これを原告に通知したところ、原告は特別審理官に対し口頭審理を請求した。
ウ 東京入国管理局特別審理官は、平成17年1月5日、口頭審理を実施し、入国審査官の上記認定が誤りがないと判定し、これを原告に通知したところ、原告は、入管法49条1項の規定により、被告法務大臣に対し異議を申し出た。
エ 被告法務大臣は、同月24日、原告からの上記異議の申出に理由がないとの裁決をした(以下「本件裁決」という。)。この通知を受けた被告主任審査官は、同日、原告に本件裁決を通知するとともに、バングラデシュを送還先とする退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。同局入国警備官は、同日、この令書を執行して原告を同局収容場に収容した。
オ 原告は、平成17年6月1日、入国者収容所東日本センターへ移収され、平成18年2月22日、仮放免された。
 難民認定手続
ア 原告は、平成14年9月12日、東京入国管理局において、被告法務大臣に対し難民の認定を申請し(以下「本件難民認定申請」という。)、同局難民調査官は、平成15年1月14日、17日及び21日の3回にわたり、原告から事情を聴取するなどの調査をした。
イ 被告法務大臣は、同年11月14日、本件難民認定申請について、下記の理由により難民の認定をしない処分をし、同年12月4日、これを原告に通知した(以下「本件不認定処分」という。)。

あなたは、「政治的意見」を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。
しかしながら、
① あなたの所持する旅券及びあなたの供述によれば、1993年10月、身柄を拘束されたとする時以降、バングラデシュ政府から正常に旅券の発給を受け、合法的に出国したと認められること
② 1997年12月、バングラデシュ政府とジュマ民族の政治組織PCJSS(JSS)との間に和平協定が締結され、既に難民の帰還や武装解除が進められていること
③ あなたに対する国家による保護が欠如しているとは認められないこと
④ あなたが提出した告訴状は、記載内容にその信用性を疑わせる点が少なくないこと
 等からすると、申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く、難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。
ウ 原告は、平成15年12月4日、本件不認定処分につき、被告法務大臣に対し異議の申出をし、東京入国管理局難民調査官は、平成16年3月8日、原告から事情を聴取するなどの調査をした。
エ 被告法務大臣は、平成16年11月10日、下記の理由により原告からの上記異議の申出には理由がないとの決定をし、同年12月2日、これを原告に通知した。

あなたは原処分に対する異議申出において、原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるもののほか、迫害による新たな事実を申し立てているところ、新たに提出のあった資料を含め全記録により検討しても、原処分に誤りはなく、平成15年11月14日付け「通知書」の理由のとおり、あなたが難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。
 訴えの提起
原告は、平成17年3月18日、本件第1事件(本件裁決及び本件退令発付処分の各取消請求事件)及び第2事件(本件不認定処分の無効確認請求事件)の各訴えを提起した。
3 争点
本件の主要な争点は次のとおりであり(争点は第1事件及び第2事件の双方にかかわるもの、同は第2事件のみにかかわるものである。)、これに関して摘示すべき当事者の主張は、後記第3「争点に対する判断」において掲げるとおりである。
 原告の難民該当性
 本件不認定処分には、原告を難民と認定しなかったという実体面において、又は原告に対し十分な釈明の機会を与えずにされたという手続面において、無効原因があるか。 
第3 争点に対する判断
1 争点(原告の難民該当性)について
 バングラデシュ情勢
原告の難民該当性を検討するに先立ち、まず、背景事情となるバングラデシュ国内情勢にかかわる事実を認定する。
ア チッタゴン丘陵地帯を巡る政治情勢(この項では元号ではなく西暦を用いることとする。)
証拠(甲2ないし6、20ないし22、25、26、27の1〜3、28の1・2、29ないし36、39ないし42、44の2〜12、48、49、乙27ないし32、35、36、42、43、証人B)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
ア バングラデシュ南東部のインド及びミャンマーとの国境に接する地域はチッタゴン丘陵地帯と呼ばれ、平坦な国土の広がるバングラデシュの中では唯一の山岳地帯である。この地域には約12の先住民族(チャクマ族、マルマ族、トリプラ族等)が居住しており、これらの人々はジュマ民族とも総称される。その宗教も、同国の国教であるイスラム教ではなく、仏教徒が多い。
イ チッタゴン丘陵地帯においては、英領時代には、平地に住む多数派のベンガル人の入植が禁止され、東パキスタン時代もおおむねこれが踏襲されたため、先住民族の文化的独自性が維持されていた。ところが、1971年にバングラデシュが事実上独立して国として成立すると、政府は、先住民族からの自治の要求を否定し、逆に、ベンガル人をチッタゴン丘陵地帯へ入植させる政策を進めた。このため、1947年にこの地域の人口のわずか3パーセントほどであったベンガル人は、1997年には住民100万人のほぼ半分を占めるに至り、ベンガル人入植者と先住民族との対立は激化した。先住民族側は、1973年、チャクマ族を中心
に、政治団体として「チッタゴン丘陵人民連帯連合協会」(PCJSS)を、その下部組織として「シャンティ・バヒニ(平和の戦士)」と称する軍事組織(ゲリラ組織)を結成し、政治活動を続けながら一方では武装ゲリラ活動を行うという二重路線を取った。シャンティ・バヒニが政府軍やベンガル人入植者に対する激しい攻撃を行ったため、政府は大規模な軍隊をチッタゴン丘陵地帯に展開して制圧を図った。このような対立状況の下、1980年代から90年代にかけて、数万人単位の先住民族が国境を接するインドに避難し、国際的な注目を
浴びることになった。
1992年、約千人の先住民族が軍に殺害された事件とチャクマ族国会議員の訴えを契機に、政府は和平に向けてPCJSSとの協議を開始したが、PCJSSは憲法上の自治権の保障を要求し、政府は現行憲法の枠内における解決を主張したため、合意には至らなかった。
1996年にアワミ連盟政権が発足すると、政府は事態の解決に向けて動き出し、同年9月、「国家チッタゴン丘陵委員会」(NCCHT)を設置した。同年12月21日、NCCHT とPCJSS との間で第1回協議が行われ、合計7回に及ぶ協議の結果、1997年12月2日、NCCHT側とPCJSS側が合意し、「チッタゴン丘陵地帯和平協定」が調印された。
ウ チッタゴン丘陵地帯和平協定は、丘陵地帯3県における「丘陵県評議会」及びその上部組織としての「丘陵地帯地域評議会」の設置、これら評議会への一定の自治権の付与、抗争から逃れるためにインドへ避難した先住民族の帰還、土地問題解決のための土地委員会の設置、先住民族側の武装解除、軍施設の撤退、チッタゴン丘陵地帯問題省の設置などを定めた。当時野党であったバングラデシュ民族主義党(BNP)は、和平協定は特定の地域に対し特別の権限を与えるため違憲であると主張したが、一般には、既に20万人以上の死者を生んだとされている長年の懸案の解決の糸口となるものとして画期的なものと評価された。
1998年2月には、2000人程度のシャンティ・バヒニのメンバーが投降して武器を政府に引渡し、インドに避難していた先住民族の多くもチッタゴン丘陵地帯へ帰還した。
しかし、アワミ連盟政権下においても、先住民族側の武装解除、避難民の帰還のほかには、チッタゴン丘陵地帯問題省の設置以外の措置はほとんど実施されないままに終わり、2001年に発足したBNP政権は、和平協定の実施に熱意を示していない。丘陵県評議会、丘陵地帯地域評議会選挙はいまだに実施されず、土地問題を解決するために設置されたはずの土地委員会は機能しておらず、軍関係施設の撤退もほとんど進んでいないとされる。
もっとも、PCJSSの党首は、閣僚級の待遇を受ける丘陵地帯地域評議会議長を務めており、政府は、PCJSSの協力の下に和平協定を推進していくという方針は維持している。
エ 和平協定の締結は、一方で、先住民族の側の政治運動の分裂をもたらした。和平協定は、先住民族の権利の憲法上の保障を認めたものではなく、また、ベンガル人入植者の撤退を定めたものでもなかったことなどから、先住民族の中には、完全自治を求め、和平協定の締結及び推進に対して反対する運動が生じた。そうした中で、従来からPCJSSとともに活動を展開していた「丘陵人民評議会」、「丘陵学生評議会」及び「丘陵女性連盟」の3つの団体は、和平協定賛成派と反対派に分裂し、反対派は、1998年12月、和平協定に反対する政治団体として「統一人民民主戦線」(UPDF)を結成した。
和平協定に対して正反対の立場をとるPCJSSとUPDFは、その運動方針を巡って互いに非難、中傷を繰り返しただけでなく、相手方の運動を暴力によって妨害するようにもなった。どちらの陣営においても、活動家が襲撃を受け、誘拐されたり、あるいは殺傷されるなどの事件が頻発し、そのたびに、PCJSSとUPDFは、相手方を非難する抗議文を発するといった状態となった。バングラデシュの新聞(英字紙ザ・デイリー・スター)は、2002年10月19日付けの記事で、警察によると、1997年12月の和平協定締結から2002年9月までにPCJSSとUPDFの間の暴力事件で少なくとも231人が死亡し、400人が負傷、380人の誘拐事件が起こったと報じている。
こうして、チッタゴン丘陵地帯においては、従来からのベンガル人入植者と先住民族との対立に、新たに先住民族内におけるPCJSS派とUPDF派との対立が加わり、状況は一層複雑化している。抗争を背景に、焼き討ちや爆破事件も起こっており、さらに、近年は、ビジネスマンや外国人の誘拐事件も起きるなど、この地域においては緊張状態が続き、事態が改善される気配は全くみられないとされている。
もっとも、UPDFはその後活動を弱めているようであり、バングラデシュの新聞(日刊ジュガントル)は、2004年6月5日付けの記事で、UPDFは、理念の食い違いなどにより50人以上の指導的な活動家が辞任し、中心的な指導者が外国に移住するなど、組織の崩壊と勢力の衰退に直面していると報じている。
イ バングラデシュの治安情勢一般
在バングラデシュ日本大使館が平成17年10月31日付けで作成した「バングラデシュの概要と最近の政治情勢」と題する文書には、バングラデシュの治安について以下の記述がある(甲39の11頁以下)。なお、記述中にある現政権(ジア政権)発足の時期は2001(平成13)年10月である。
ア 「前政権末期から悪化した治安情勢の改善は現政権の課題であったが、ジア政権発足後も治安情勢が大きく改善されたとは言えない。現政権成立後、アワミ連盟支持者が多いとされているヒンドゥー教徒への迫害事件が頻繁に報道された。その後、殺人、ゆすり、誘拐、強姦等の一般犯罪が増加し、1日当たり平均11件の殺人事件が発生している計算になるとされた。また2002年9月以降、爆破事件が相継ぎ、大量の武器密輸も発覚したがそのほとんどが解明されていない。」
イ 「2002年10月、政府は『オペレーション・クリーン・ハート』と称して、治安の改善のために軍の導入に踏み切ったため、治安は一時的に改善された。しかしながら、50名以上の被疑者が尋問中に死亡しており、その多くに拷問と思われる傷跡があったため、死因に疑問がもたれた。2003年2月、政府は軍の導入中に発生した死亡事件、拷問、人権侵害に関係した者に対する司法措置を排除するために『合同作戦免責法』を可決した。このような措置は違憲かつ人権侵害であるとする非難が国内で高まったほか、アムネスティ・インターナショナル、欧州議会等も非難した。その後再び治安情勢が悪化したため、政府は警察・軍・国境警備隊よりなる緊急行動隊(RAB: Rapid Action Battallion)を組織し、2004年6月からRAB による犯罪組織取り締まりを本格化した。RAB は治安改善に大きな成果を上げたものの、犯罪組織取り締まりの過程で発砲による死者が相継ぎ、西側諸国・人権団体等はRABの強引な取り締まりに懸念を示した。」
ウ 「相継ぐ爆破事件に対し、各国は深刻な懸念を表明し、政府に対し全面的な捜査、犯人の逮捕・処罰を要求した。ダッカにおけるアワミ連盟集会爆破事件に対しては、インターポール、米国のFBIが捜査協力したが、真相は全く解明されておらず、首謀者も逮捕されていない。また武器密輸事件に関しても、末端のトラック運転手が逮捕されたのみで真相は不明である。治安の悪化の原因として警官の少なさ、警察の捜査能力の低さ、警官の低い志気・腐敗、犯罪組織と警察・政治家の結びつき、国境管理の困難性が原因とされている。
爆破事件の首謀者に関しては多くの説があるが、政府にはこれまでに発生した爆破事件を解決しようとする政治意志が必ずしもみられず、犯罪を犯しても、つかまらない、罰せられないとの風潮が強まり、事件が益々エスカレートしていると指摘されている。」
ア 原告の個人的事情(この項では元号ではなく西暦を用いることとする。)
次いで、証拠(甲1ないし7、15、19、20ないし26、27の1〜3、28の1・2、29ないし34、37の1・2、38、44の1〜14、45、46、48、49、乙4ないし6、9、11、15、17、37、38、41、44、45、証人C、原告本人)によれば、原告の個人的事情として、以下の事実を認めることができる。
ア 原告は、チッタゴン丘陵地帯の《地名略》県で、チャクマ族の両親から生まれた。その後、同地帯の別の県である《地名略》県に移住し、来日するまでここに住んでいた。姉が一人、妹が三人、弟が二人おり、いずれもバングラデシュで生活している。両親は、原告が来日した当時は健在であったが、その後亡くなった。家族の中で政治運動に携わっているのは原告のみである。
原告には、1998年に婚姻した妻と幼い娘がおり、《地名略》県の村で、農業に従事する原告の弟とともに暮らしている。原告も、バングラデシュにおいては、後述のような政治運動をするかたわら、農業を営んでいた。
イ 幼いころからベンガル人入植者やその権益の擁護者である軍に対して反発心を抱いて育った原告は、チッタゴン県にあるラングニア・カレッジに在学中の1991年、丘陵学生評議会(前記アエ参照)に参加し、チッタゴン丘陵地帯に住む先住民族のための政治運動に携わることとなり、同年10月、同カレッジ内に丘陵学生評議会の支部を創設してその初代代表となった。1993年5月には、丘陵学生評議会の中央委員会事務局次長となった。
ウ 1993年10月、《地名略》県において、住民が仏教寺院の法事に参加するのを警察が禁止するなどしたことから、原告ら学生は、これに抗議するため県庁前で座り込みをしようとした。すると、警察は原告を含む学生9人を逮捕し、原告の身柄の拘束は11日間続いた。
エ 原告は、1994年には丘陵学生評議会中央委員会の副書記長に、1996年6月には副代表に就任し、1997年6月から1年間は代表を務めた。
1997年12月にチッタゴン丘陵地帯和平協定が締結されると、原告は、和平協定反対の立場をとった。そして、1998年12月に、丘陵学生評議会の和平協定反対派が、丘陵人民評議会及び丘陵女性連盟の和平協定反対派とともにUPDF(前記アエ参照)を設立した際には、原告は、5人から成るその招集者委員会のメンバーとなった。
その後、原告は、UPDF の中心的なメンバーとして政治活動を続けた。2000年2月、PCJSSとUPDFとが和解の話合いをしたことがあり、その際、原告はUPDFの代表としてこれに参加した。
オ 原告は、チッタゴン丘陵地帯和平協定に反対する政治的立場を変えることはなかったが、PCJSSとUPDFが暴力的な抗争を繰り返すことに嫌気がさし、また、UPDF執行部を構成する他のメンバーの党運営に対しても次第に不満を感じるようになった。さらに、2000年11月と2001年5月の2回にわたり、PCJSSのメンバーから襲撃を受けそうになったこともあり、原告はUPDFを脱退することを決意し、2002年4月、党の責任者に辞表を提出した。
その後、同年5月に、PCJSSの武装集団が原告の不在時に原告の住む村に来て原告の親戚を誘拐するという事件が起きるに至って、原告は切迫した身の危険を感じ、村を出ることを決めた。5月11日、村を出てチッタゴンの友人の家に逃れ、更に原告のいとこであるDのいるダッカに向かった。
Dは、2001年に日本人のCと婚姻していた。Cは、「ジュマ協力基金」という、チッタゴン丘陵地帯の先住民族(ジュマ民族)の人権擁護を目的に活動する我が国のNGO の共同代表を務めており、当時、同基金ダッカ事務所に駐在していた。Dは、かつて丘陵女性連盟の事務局長をしていたことがあり、原告とは異なり和平協定推進派であったが、原告は、日本人と婚姻をしているDのつてによって日本へ逃亡することを考え、ダッカに着いた日の翌日である6月3日、Dに会って事情を説明し、助けを求めた。Cは、UPDFの活動家と
して以前から原告の名を知っていたが、妻を通じて事情を聞き、原告が妻のいとこであることはこのとき初めて知った。PCJSSとUPDFの抗争を承知していたCは、事情を聞いて、原告の身に危険が及んでいると判断した。Cは、妻のDとは政治的立場を異にするUPDFに対しては必ずしも好感情を抱いていなかったし、原告を手助けしたことが発覚すれば自分たち夫婦あるいはジュマ協力基金がPCJSSとUPDFの抗争に巻きこまれ、生命に危険が及ぶことも懸念した。しかし、ジュマ民族全体の利益を考慮すると原告のような運動のリ
ーダーとなれる人物を見殺しにするわけにはいかないと考え、ジュマ協力基金の研修に参加するという名目で原告を急ぎ日本へ送り出すことにした。このような名目があれば、迅速に旅券と査証を取得することができると考えたからであった。
Cの協力もあって、原告は、旅券と査証を速やかに取得することができ、2002(平成14)年7月19日、バングラデシュを出国して本邦に上陸した。ジュマ協力基金の研修というのはあくまでも名目であったから、同基金は費用の負担をせず、渡航費用は原告が自分で調達した。
来日後は、Cから事情を聞いていた同基金の共同代表者のもとに身を寄せて我が国での生活を始め、前記前提事実アのとおり、同年9月には本件難民認定申請をした。
イ 原告の個人的事情に関する事実認定についての補足説明
ア 原告がバングラデシュ国内の少数派であるチッタゴン丘陵地帯先住民族の利益のための政治運動のリーダーであったことについて
この点は、チッタゴン丘陵地帯を巡る情勢について報道する新聞記事の中に原告の名前がしばしば登場することからも裏付けられる上(甲2ないし6、29)、原告本人の供述及び自らの証言によって、現地の事情に詳しいと認められる証人Cも、原告の上記中心的活動家としての状況に関する原告の供述を裏付ける証言をしているから、上記アイないしエのとおり認定することができる。
イ 原告が、2000(平成12)年11月と2001(平成13)年5月の2回、PCJSSのメンバーから襲撃を受けそうになり、2002(平成14)年5月にはPCJSSの武装集団が原告の村に来て原告の親戚を誘拐していったことについてこの点については、原告の供述しか証拠がなく、被告らはその信用性に疑いがあると主張するが、事柄の性質上、客観的な裏付け証拠の提出を原告に求めるのは酷であるから、その供述内容自体によって信用性を判断するほかない。このような観点からすると、まず、原告の供述内容は、それ自体特に不自然なところや、殊更に誇張したとみられるようなところはない。1998(平成10)年にUPDFが結成された後、チッタゴン丘陵地帯においてPCJSSとUPDFの間で暴力的な対立が激化しているという背景事情(前記アエ)及び2002(平成14)年初めころまではUPDFの中心的なメンバーであったという原告の経歴を前提にすれば、原告の供述するような襲撃事件が起こったとしても決して奇異なことではない。したがって、上記アオのとおり認定することができる。

退去強制令書発付処分取消等請求控訴事件
平成18年(行コ)第5号(原審:福岡地方裁判所平成17年(行ウ)第14号)
控訴人:A、被控訴人:福岡入国管理局長・福岡入国管理局主任審査官
福岡高等裁判所第1民事部
平成19年2月22日

判決
主 文
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人福岡入国管理局長が平成17年3月15日付けで控訴人に対してした出入国管理及び難民認定法49条1に基づく控訴人の異議の申出理由がない旨の裁決を取り消す。
3 被控訴人福岡入国管理主任審査官が平成17年3月16日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
4 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人らの負担とする。
事案及び理由
第1 控訴の趣旨
主文同旨
第2 事案の概要等(略称等は原判決の例による。)
1 本件は、ナイジェリアの国籍を有する控訴人が、入国審査官から入管法24条4号ロの退去強制事由に該当するとの認定を受けたため、法務大臣に対し異議の申出をしたが、法務大臣から権限の委任を受けた被控訴人福岡入国管理局長から、控訴人の異議の申出は理由がない旨の本件裁決を受けるとともに、被控訴人福岡入国管理局主任審査官から、本件退令発付処分を受けたため、在留特別許可を付与せずにされた本件裁決及び本件退令発付処分は、いずれも裁量権を逸脱又は濫用した違法な処分であるとして、それらの取消しを求めたところ、原審は、これをいずれも棄却した。
そこで、これを不服とした控訴人が、上記第1のとおり、控訴した。
2 事案の概要は、次のとおり補正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
 3頁20・21行目の「同法50条1項」の次に「(平成17年法律66号による改正前のもの)」を加える。
 4頁10行目の「昭和」の前に「B。」を加え、13行目の「甲1」を「甲1、2、乙6の1・3」に改め、22行目の「乙6の1」の前に「甲2、3、」を5頁22行目の「乙14」の前に「甲6、」を加え、25行目の「移収し」を「移動したが」に、末行の「原告は現在も同所に収容されている」を「控訴人は現在は仮放免されている」に改め、6頁4行目の「停止された」の次に「(当裁判所に顕著な事実)」を加え、8行目、10行目、11行目及び10頁11行目の「違法性」を「違法性の有無」に改める。
3 当審における補足主張の要旨
 控訴人
まず、本件の判断枠組みとしては、国際人権条約や憲法の規定の趣旨・精神を十分に考慮したうえで、控訴人に有利な事情と不利な事情とを比較衡量してこれを行うべきであって、単に、法務大臣等の自由裁量論を前提とした残留を認めるべき積極的な理由があるかどうかによって行うべきものではない。
そして、控訴人とBの婚姻が、控訴人の在留資格取得目的のためになされたものではなく、極めて真摯な情愛に基づくものであることは明白であること(婚姻期間の長短、同居の有無は婚姻関係の真摯性を判断するための形式的な基準にすぎず、現時点では、同居し、また、婚姻期間も短期であるとはいえない。)、控訴人の本邦在留が極めて平穏かつ善良であったこと(素行の善良性は法律違反や素行不良の有無によって判断されるべきであり、控訴人の残留継続の経緯を考慮するとしても、良好でないと評価することはできない。)。Bは、重症の《病名略》のために長時間の飛行に耐えられず、ナイジェリアには《病名略》等を適切に治療する医療機関は存在せず、控訴人がいったんナイジェリアに送還された後は半永久的に本邦への入国が不可能となるなど本件処分の執行の結果、控訴人及びBが受ける苦痛・不利益は甚大であることに照
らせば、在留特別許可を付与せずになされた本件裁決等には、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権を逸脱又は濫用した違法がある。仮に残留に積極的な理由が必要であるとの見解をとったとしても、同様である。
 被控訴人ら
在留特別許可に係る法務大臣等の裁量は極めて広範であるから、本件裁決等が違法であるというためには、不法に在留している者についてなお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由が存することが必要であるところ、本件においては、前記のとおり、控訴人とBの婚姻の具体的関係等に照らし、控訴人にそのような積極的な理由は何ら認められず、控訴人に在留特別許可を付与しなかったことに何ら裁量権の逸脱又は濫用はない。
なお、控訴人は、仮放免後の控訴人とBの同居、Bのうつ病の悪化などにつき種々主張するが、行攻処分の違法性判断の基準時は当該処分時であり、これらはいずれも本件裁決後の事情であるから、これを考慮すべきではない。
第3 当裁判所の判断
1 事実経過
前記前提事実、証拠(甲1、10ないし15、19、27ないし32、35、乙6の1、10、19、20、24、27、原審及び当審証人B、当審証人C、当審における控訴人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
 控訴人の入国及び在留状祝
ア 控訴人は、ナイジェリアで出生し、同国の大学で英語を専攻し、卒業後、自動車の中古部品の販売業業を営んでいる控訴人の父親の仕事を手伝っていた。
イ 控訴人は、父親の事業拡大のため、日本からの自動車の中古部品の輸入が必要であると考え、日本における事情を学ぶため、平成13年4月26日、「短期滞在」の在留資格(在留期間90日)で本邦に上陸した。控訴人は、上陸後、中古部品の輸出業を営む遠縁の親戚に世話になり、仕事を手伝い、この間、同年5月1日、新規外国人登録をした。
控訴人は、在留期間が満了するのを知りながら、所定の手続を受けることなく、在留期限を超えて本邦に不法に残留することとなった。
ウ 控訴人は、その後、甲府や東京などの衣料品店でアルバイト(月収約10万円)をする傍ら、時々中古自動車をコンテナに積むのを手伝う(1回1万円)などして収入を得ており、帰国のための費用相当額を貯めた後も不法残留を継続した。
なお、控訴人は、平成15年ころ、別の日本人女性と交際していたが、交際に際し同女が婚外子がいることを隠していたことから、不誠実であると考え、同女と別れた。
 控訴人とBの交際の概要等
ア Bは、5歳のとき、両親の離婚により、母親に引き取られ、小学4年ころ、いったんは両親の復縁があったものの、同5年ころから再度の離婚により再び母親に引き取られ養育され(弟はいずれも父親に引き取られていた。)、以後父親とは全く交流がなくなった。両親はともに再婚し、父親は熊本県《地名略》に、母親は同県《地名略》にそれぞれ居住していた。Bは、高校を卒業した後就職したが、平成14年ころからは、熊本市内において婦人肌着販売店を営んでいた。Bは、平成15年ころから、父親からの連絡を契機に父親との交流を深めていき、父親はよき理解者であると思うようになった。
イ 控訴人は、平成16年10月末ころ、友人であるD夫妻(夫は、ナイジェリア人で、不法残留後、日本人であるEと婚姻。乙24。BはEの友人である。)からBを紹介され、Bと電話で話をしてBと交際を始めた。控訴人は神奈川県相模原市、Bは熊本市と、互いに遠隔地に居住していたため、メールや電話による交際を続けたが、互いに好意を抱き、Bが相模原市に控訴人を訪ねて行くことになった。
ウ Bは、飛行機を利用して、同年11月15日から同月18日まで相模原市を訪れて、初めて控訴人に会った。Bは、その際、控訴人から結婚を申し込まれ、控訴人と肉体関係をもつに至り、また、控訴人から不法残留であることを告げられた。なお、Bは、後記のとおり、《病名略》があったが、控訴人と交際を始めてからは、その症状が改善されていた。
Bは、同月28日から同年12月1日まで、同じく飛行機を利用して相模原市を訪れ、控訴人と会った。この2回目の訪問の際、控訴人とBは、結婚を考えるようになり、控訴人が在留特別許可を得て日本に残れるように、結婚に向けて準備をし始め、東京のナイジェリア大使館に赴いて結婚のために必要な証明書(控訴人の独身証明書、出生証明書等)の申請を行うなどした。そして、Bは、控訴人から結婚を正式に申し込まれて指輪のプレゼントを受けた。
このころ、控訴人とBは、自分たちの将来像について、最初は日本に住み、結婚して落ち着き、Bの《病名略》の症状が改善したら、イギリスかアメリカに行って生活することを話し合った。
エ Bは、同年12月上旬に《地名略》に赴いて自己の戸籍謄本の交付を受けた。そのころまでに、Bは、母親に控訴人との結婚の話をしたが、母親は、外国人である控訴人との結婚に消極であり、Bに対し、結婚しても控訴人とは会わない、Bの好きなようにすればいいと答えた。また、Bは、父親に対し、同月中に控訴人と入籍して結婚したいと考えていることを話した。父親は、Bと控訴人との結婚に反対であったが、これを秘し、婚姻届の提出を阻止するため、Bに対し、入籍は年明けにするように、それまで戸籍謄本を預けるように述べた。そのため、Bは、父親から祝福を受けて結婚したいと考え、言われたとおり戸籍謄本を父親に預けた。
オ Bは、同月12日から同月15日まで、同じく飛行機を利用して相模原市を訪れ、控訴人と会った。この3回目の訪問の際、Bは、控訴人から贈られたのと同じ指輪を控訴人に贈った。そして、控訴人とBは、相模原市役所を訪れて婚姻届を提出しようとしたが、Bの戸籍謄本がなかったため受け付けてもらえなかった。
カ 控訴人は、平成17年1月2日、BとともにBの父親方を訪れ、Bと結婚するつもりである旨を告げるとともに、結婚の許しを求めたが、Bの父親は、控訴人とBの結婚に反対した。Bは、父親に対し、父親が反対でも、同月6日の飛行機で相模原市役所に行き婚姻の届出をすることを告げた。
そして、同月4日、Bは、再度《地名略》に赴いて戸籍謄本の交付を受けた。
キ 控訴人は、同月5日、控訴人とBとの結婚に強く反対するBの父親の警察署への通報により、B宅前で旅券不携帯によって現行犯逮捕された。Bは、これに強いショックを受けたが、翌6日、予定どおり、飛行機を利用して相模原市に赴き、控訴人を夫とする婚姻届を相模原市長に提出した。後に、Bは、控訴人を通報したのがほかならぬ父親であったことを知り、驚愕した。
ク Bは、控訴人の逮捕後刑事裁判が終わるまでの間、面会ができない土曜日、日曜日及び祭日を除いてほぼ毎日控訴人に面会に待った。Bは、控訴人の大村センター移収後も、当初は熊本市から片道約3時間をかけて、同年6月以降は母親宅が所在する《地名略》(Bは、後記のとおり、《病名略》の症状の悪化により一人暮らしが困難となったため、母親宅に転居した。)から片道4時間以上をかけて、週1、2回控訴人に面会に行っていた。その後、Bは、平成18年2月6日ころ、大村センター近くに転居し、控訴人が、同月24日、請求に基づき仮放免された以降は同所で控訴人と同居するようになった。
ケ Bは、平成12、3年ころから、飛行機の中など狭いところで動悸が激しくなって息苦しくなったり、身体が震えたりすることがあるようになり、平成15年4月から、熊本市内のメンタルクリニックにおいて、傷病名「《病名略》」で、頻繁に通院し治療を受けていた(なお、平成16年7月9日より公費負担制度を利用)。Bの《病名略》は、前記のとおり、控訴人との交際が始まってからは改善されていたが、控訴人の逮捕後、再び精神的不安定さが目立ち、不眠や抑うつ気分の出現や、《病名略》が発生するようになった。担当医であるF医師は、《病名略》のもともとの原因はBの幼いころの両親の離婚、その後の精神的葛藤によるストレスに
よるものであり、Bはいったんは控訴人との交際で精神的安定感を感じたものの、控訴人の逮捕で再び強いストレスを感じるようになり、症状が悪化したと考えた。同医師は、平成17年5月当時、Bが長時間の飛行に耐えることも、ナイジェリアで居住することも著しく困難であるとの見方を示していた。なお、Bには上記のとおりこのころに既に《病名略》の兆候もみられた。(甲11、13ないし15)
Bは、平成16年に、韓国に2回、ハワに1回と合計3回飛行機を利用して海外旅行に行ったことがあるが、そのときは薬の服用により、搭乗中におけるパニック発作の発生を避けることができた(甲19、乙27)。
コ Bは、原審口頭弁論終結日(平成17年10月4日)以降、特に精神的に不安定となり、同年11月17日、大量服用による自殺を試み、平成18年2月14日から、月数回の割合で、《病名略》の診断名で大村市内の「aクリニック」を受診していたが、同年4月24日、《病名略》を起こし、上記クリニックで、C医師(以下「C医師」という。)の治療を受けるようになった。Bは、同年5月22日、父親が控訴人を通報しなければ控訴人をこんな目に合わせずに済んだ、自己の病気でも控訴人に迷惑を掛けているなどと思い詰め、本件裁判が一番心配である旨の遺書(甲31添付資料1)を残し、大量の睡眠薬を服用して自殺を企図した。そのため、Bは、同月30日、C医師の勧めでbに入院し、同年6月12日退院した。しかし、Bは、同年8月上旬、さらに自殺を試み、C医師の勧めで、それ以降、c病院に入院しているが、退院の目途は立っていない。(甲27、28、当審証人C)
控訴人は、現在仮放免され、定職に就けないため、家事のほか、クリスチャンとしてボランティアで教会の仕事をしたり、日本語を習ったりしていて、週1回ほど入院中のBの面会に訪れるとともに、同程度、同年4月に洗礼を受けたBと教会で会っている。
サ Bの現在の病状等は、《病名略》による発作の発生は比較的少なくなったものの、抑うつ、意欲の低下等のほか自殺企図が顕著で《病名略》が深刻かつ重症化している。
C医師は、現時点でのBの精神状態であれば、Bがナイジェリアに渡航すること自体が著しく困難であり、また、仮に渡航できたとしても環境が激変することから自殺をする可能性が極めて高いし、控訴人が送還されBのみ本邦に残った場合も同様であるとの考えを有している。(甲28、当審証人C)
(なお、Bは、外出許可を受け、平成18年9月8日、証人尋問のために当裁判所に出頭したが、尋問終了直後に、体調の悪化を訴え、30分程度、庁舎内の長椅子に横たわっていた。)
シ Bの父親は、当初は控訴人とBの結婚に強く反対し、控訴人の通報までしていたものであるが、控訴人がBの協力の下本件訴訟を提起するに至って、Bの結婚の決意が真剣であることを認識し、その後は、自己の行為を深く後悔し、控訴人とBの結婚を承諾し、控訴人が日本にとどまることを強く願い、控訴人の本邦滞在のため、入管当局等と折衝したりしていたが、同年11月2日、願いがかなわないまま、死亡した(甲10、35)。
2 争点ア(本件裁決の違法性の有無)について
 入管法50条1項3号(平成17年法律第66号による改正前のもの)は、同法49条3項の裁決に当たって、異議の申出に理由がないと認める場合でも、法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは、その者の在留を特別に許可することができる旨を定めるのみであり、その具体的な基準については特に明示していない。これは、在留特別許可を付与するか否かについては、異議申立人の申立事由のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係等の諸般の事情を考慮して、時宜に応じた的確な判断をしなければならないことから、その判断について法務大臣の裁量権を広範なものとしたものと解される。もっとも、その裁量権の内容は全く無制約のものとは解されず、法務大臣の判断が裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等によりその判断が全く事実の基礎を欠く場合や、事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等によりその判断が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には、法務大臣の判断が裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして違法になるものと解される(最高裁判所昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。
そして、この理は、法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長にも妥当する。
 被控訴人福岡入管局長の裁量権の濫用又は逸脱の有無
ア 控訴人とBの婚姻関係
上記認定のとおり、控訴人とBは、平成16年10月末ころ知り合い、遠隔地に居住しているため、主としてメールや電話による交際を続けていくうち、互いに好意を抱き、同年12月中旬ころには婚姻を約束し、Bの父親の強い反対にもかかわらず、強固な意志をもって同人の承諾を得て婚姻しようと努力したが、承諾を得られないまま、平成17年1月6日に婚姻届を提出したこと、Bは、同月5日の控訴人の逮捕後刑事裁判が終わるまでの間、面会できる日はほぼ毎日のごとく、控訴人の大村センター入所後も、片道約3時間又は4時間以上をかけて、週1、2回控訴人に面会に行っていたこと、平成18年2月24日、控訴人が仮放免された
後は控訴人とBは同居し、控訴人は、Bの精神状態が悪化した同年8月以降は、週2回程度の割合で入院中のBを見舞うなどしていることに照らせば、本件裁決当時においても、両名の婚姻関係は真正かつ真摯な情愛に基づく実体を伴うものであったと認められる。特に不遇な人生を歩んできたといえるBにとり、控訴人は人生にとって欠かせない存在であることは疑いがない。
この点、被控訴人らは、必ずしも真摯な愛情のみに基づく婚姻と評価するに足りないと主張するが、控訴人とBとの婚姻がもっばら控訴人の在留資格取得目的のためになされたものであると認めることは到底できない。
また、被控訴人らは、本件裁決までの婚姻関係等の経緯に照らし、夫婦としての実体が十分に備わっていたと評価することはできないとも主張する。確かに、本件裁決まで、控訴人とBとの婚姻期間は約2か月余であり、交際期間を含めても約5か月半という短期間であり、しかもこの間一度も同居したことはなかったものである。しかしながら、必ずしも、婚姻期間の長短、同居の有無が婚姻関係の真摯性を判断するための決定的な基準となるものではないし、また、上記事実をもって直ちに保護に値する夫婦としての実体が備わっていないということもできない。のみならず、本件裁決後の事情とはいえ、現時点では、Bが入院中であ
るというものの、既に、9か月余同居し、また、婚姻期間も約2年近くになるものである。
さらに、被控訴人らは、控訴人とBの関係は、そもそも、控訴人の不法残留の継続という違法状態の上に築かれたものであって、当然に法的保護に値するものではないとも主張する。
しかしながら、憲法24条は、婚姻は、夫婦が同等の権利を有することを基本とし、相互の協力により維持されなければならないと規定し、また、日本政府が締結・批准したB規約23条も、家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有し、婚姻をすることができる年齢の男女が婚姻をし、かつ家族を形成する権利は認められると規定していることに照らせば、日本国の国民が外国人と婚姻した場合には、国家においても当該外国人の在留状況、国内・国際事情等に照らし在留を認めるのを相当としない事情がない限り、両名が夫婦として互いに同居、協力、扶助の義務を履行し円満な関係を築くこと
ができるようにその在留関係についても相応の配慮をすべきことが要請されているものと考えられる。
イ 控訴人の帰国の影響
控訴人一人に限っていえば、母国のナイジェリアに戻り、自動車の中古部品の販売業を営んでいる父親の手伝いをするなどして帰国しても生計を維持することは十分可能であり、特段の問題は存しない。
しかしながら、前記のとおり、控訴人の配偶者であるBの前記《病名略》(なお、本件裁決時点でも《病名略》のほかに、《病名略》の兆候がみられたことは前記認定のとおりである。)、《病名略》に伴う精神状態等に照らせば、そもそもBがナイジェリアまで無事渡航できるのか甚だ疑問であるし、仮に渡航できたとしても、言葉も文化も全く異なる異国の地で、無事平穏に生活できるものでないことは明らかであり、他方、控訴人が一たん帰国した場合は本邦への再上陸は事実上不可能と考えられるのであり(控訴人は懲役1年以上の有罪判決が確定しているため、入管法5条1項4号所定の上陸拒否事由者に当たる。)、これらの点に照らせば、控訴人がナイジェリアに帰国を強いられることは、婚姻関係の決定的な破壊を意味し、B及び控訴人にとって極めて著しい不利益であることは論をまたないというべきである。
ウ 控訴人の在留状祝
確かに、控訴人は、適法に本邦に入国したものの、在留期間が終了することを認識しながら同期間経過後も本邦に残留したうえ、帰国のための費用相当額を貯めて帰国することが十分可能となってからも、不法残留を継続したものであって、強く非難されるべきは当然である。
しかしながら、控訴人が過去に強制退去を受けたことがないことはもとより、本邦に残留している間は、前記のとおり、真面目に就労し、生活をしていたものであり、不法残留の他に犯罪を行ったあるいはこれに準じる素行不良があったことを認めるに足りる証拠はなく、控訴人は本邦において概ね平穏に生活していたものということができるのであるから、不法残留の点を過大に評価するのは相当ではない。
そして、控訴人において、他に、在留状況、国内・国際事情等に照らし在留を認めるのを相当としない事情があることは窺えない。
エ 小括
以上の点を合わせ考慮すれば、披控訴人福岡入管局長がした本件裁決は、控訴人とBの婚姻関係の実体についての評価において明白に合理性を欠くものであり、また、前記のとおり、在留関係についても相当の配慮をすべきことが求められる両名の真摯な婚姻関係に保護を与えないものとなるのであって、社会通念に照らして著しく妥当性を欠くものであるから、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用した違法があるというべきである。
3 争点イ(本件退令発付処分の違法性の有無)について
入管法49条6項は、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、速やかに当該容疑者に対し、その旨を知らせるとともに、入管法51条の規定による退去強制令書を発付しなければならないと定めている。
そうすると、本件退令発付処分は、本件裁決を前提とするものであるから、本件裁決が違法である以上、これに基づく本件退令発付処分もまた違法なものというべきである。
第4 結論
よって、控訴人の各請求はいずれも理由があるからこれらを認容すべきであり、これと異なる原判決を取り消して、被控訴人らの本件裁決等を取り消すこととし、主文のとおり判決する。

上陸許可取消処分取消等請求控訴事件
平成18年(行コ)第126号
控訴人:東京入国管理局長・東京入国管理局主任審査官、被控訴人:A
東京高等裁判所第19民事部
平成19年2月27日

判決
主 文
本件各控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人ら
 原判決中、控訴人らの敗訴部分を取り消す。
 被控訴人の控訴人らに対する請求をいずれも棄却する。
2 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第2 事案の概要等
本判決においては、以下の略語等を使用する。
・中華人民共和国を「中国」という。
・東京入国管理局を「東京入管」という。
・原審被告東京入国管理局入国審査官を単に「入国審査官」という。
・控訴人東京入国管理局長を「控訴人東京入管局長」という。
・控訴人東京入国管理局主任審査官を「控訴人主任審査官」という。
・平成17年法律第66号による改正前の出入国管理及び難民認定法を「出入国法」といい、平成16年法律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法を「改正前の出入国法」という。
・入国審査官が被控訴人に対して平成16年11月1日付けでした、平成8年12月29日付け上陸許可及び平成13年8月10日付け上陸許可の各取消処分を「本件各上陸許可取消処分」という。
・控訴人東京入管局長が被控訴人に対して平成16年12月20日付けでした出入国法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を「本件裁決」という。
・控訴人主任審査官が被控訴人に対して平成17年1月28日付けでした退去強制令書の発付処分を「本件退去強制処分」といい、当該退去強制令書を「本件退去強制令書」という。
・平成16年法律第84号による改正前の行政事件訴訟法を「改正前の行訴法」という。
・経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約を「A規約」という。
1 事案の要旨等
 被控訴人は中国国籍を有し本邦(日本の領土。以下単に「日本」あるいは「我が国」ともいう。)に在留するする男性であるが、入国審査官から本件各上陸許可取消処分を受け、その後、入国審査官から出入国法24条2号(不法上陸)に該当する旨の認定を受け、次いで、東京入管特別審理官から同認定に誤りがない旨の判定を受け、さらに、法務大臣から権限の委任を受けた控訴人東京入管局長から本件裁決を受け、控訴人主任審査官から本件退去強制処分を受けた(本件退去強制処分当時17歳)。
本件は、被控訴人が、被控訴人は不法上陸当時9歳であったから不法上陸について帰責性がなく、かつ、被控訴人は9歳から日本において教育を受けており、日本での教育を継続する必要があること等を理由に、本件各上陸許可取消処分はその必要性を欠く違法があり、また、在留特別許可を付与すべきであったにもかかわらずこれを認めなかった本件裁決は違法であり、それを前提とする本件退去強制処分も違法であるなどと主張して、ア入国審査官に対しては本件各上陸許可取消処分の各取消しを、イ控訴人東京入管局長に対しては本件裁決の取消しを、ウ控訴人主任審査官に対しては本件退去強制処分の取消しを、それぞれ求めた事案である。
 原判決は、次のとおりの判決をした。
ア 入国審査官がした本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えをいずれも却下する。
イ 控訴人東京入管局長がした本件裁決を取り消す。
ウ 控訴人主任審査官がした本件退去強制処分を取り消す。
 控訴人らは、上記イ、ウを不服としてそれぞれ控訴をしたものである。
なお、被控訴人の入国審査官に対する訴えは上記アのとおりいずれも却下されたが、これに対する控訴はなく、この部分の判決は確定している。
2 関係法令の定め等
本件に関連する出入国法及び改正前の出入国法の規定は、次のとおりである。
 出入国法24条は、「次の各号のいずれかに該当する外国人については、次章に規定する手続により、本邦からの退去を強制することができる。」とし、その2号において「入国審査官から上陸の許可等を受けないで本邦に上陸した者」と定めている。
 改正前の出入国法47条2項は、「入国審査官は、審査の結果、容疑者が第24条各号の1に該当すると認定したときは、すみやかに理由を附した書面をもつて、主任審査官及びその者にその旨を知らせなければならない。」と規定している。
 改正前の出入国法48条1項は、「前条第2項の通知を受けた容疑者は、同項の認定に異議があるときは、その通知を受けた日から3日以内に、口頭をもつて、特別審理官に対し口頭審理の請求をすることができる。」とし、出入国法48条8項は、「特別審理官は、口頭審理の結果、前条第3項の認定(注:改正前の出入国法47条2項の認定に相当する。)が誤りがないと判定したときは、速やかに主任審査官及び当該容疑者にその旨を知らせるとともに、当該容疑者に対し、第49条の規定により異議を申し出ることができる旨を知らせなければならない。」と規定している。
 出入国法49条1項は、「前条第8項の通知を受けた容疑者は、同項の判定に異議があるときは、その通知を受けた日から3日以内に、法務省令で定める手続により、不服の事由を記載した書面を主任審査官に提出して、法務大臣に対し異議を申し出ることができる。」と規定し、同条3項は、「法務大臣は、第1項の規定による異議の申出を受理したときは、異議の申出が理由があるかどうかを裁決して、その結果を主任審査官に通知しなければならない。」と規定している。
 出入国法49条6項は、「主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、速やかに当該容疑者に対し、その旨を知らせるとともに、第51条の規定による退去強制令書を発付しなければならない。」と規定している。
 出入国法50条1項は、「法務大臣は、前条第3項の裁決に当つて、異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該容疑者が左の各号の1に該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる。」とし、その3号において、「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき。」と定めている。
3 前提事実
本件の前提となる事実は、次のとおりである。証拠及び弁論の全趣旨等により容易に認めることのできる事実は、その旨付記しており、その余の事実は、当事者間に争いのない事実である(なお、前後関係から明らかなときは年の記載を省くことがある。)。
 被控訴人の身分事項及び入国状況等
ア 被控訴人は、《日付略》、中国の黒竜江省において、いずれも中国国籍を有する外国人である父B及び母Cの間に出生した中国国籍を有する男性の外国人である。
被控訴人には、実妹として、《日付略》に中国の黒竜江省において被控訴人と同じ父母の間に出生したDがいる。(乙2、5、6、弁論の全趣旨)
イ Eは、日本国籍を有する女性であり、第二次大戦後に中国に残されて、中国で養育されたいわゆる中国残留邦人であるが、その後中国人と婚姻した。Eの夫の実兄の子がBである(Bは、Eの夫の甥に当たる。)。
Eは、被控訴人が出生した《日付略》より以前に、既に本邦に帰国していた。(甲9、乙7、弁論の全趣旨)
イ 被控訴人、B、C及びD(以下「被控訴人一家」という。)は、平成8年(1996年)12月29日、中国の上海から新東京国際空港(現在の成田空港。以下、改称の前後を問わず「成田空港」という。)に到着した。
Bは、東京入管成田空港支局入国審査官に対し、真実は日本国籍を有する者の子ではないのに、日本国籍を有するEの子であるとして、外国人入国記録の渡航目的の欄に「日本人の配偶者等」(日本人の子の趣旨)と記載して上陸申請を行った。また、被控訴人、C及びDは、東京入管成田空港支局入国審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に「定居(定住)」と記載して上陸申請を行った。なお、上陸申請の際、被控訴人の外国人入国記録の日本滞在予定期間の欄には、「1年」と記載されていた。
Bは、東京入管成田空港支局入国審査官から、在留資格を「日本人の配偶者等」(日本人の子として出生した者を含む。出入国法別表第2)とする上陸許可の証印を受け、被控訴人、C及びDは、在留資格「定住者」及び在留期間「1年」(平成9年12月29日まで)とする上陸許可の証印を受けた。
被控訴人一家は、同日、本邦に上陸した。被控訴人は、当時、9歳であった。(乙1から3まで、弁論の全趣旨)
 被控訴人の在留状況等
ア 被控訴人は、千葉県我孫子市長に対し、外国人登録法に基づく新規登録を申請し、平成9年1月8日、外国人登録証明書の交付を受けた(乙1、4の1)。
イ 被控訴人は、平成9年12月10日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請を行い、法務大臣は、同月22日、在留期間を1年(平成10年12月29日まで)として、これを許可した(乙1、2)。
ウ 被控訴人は、平成10年11月27日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請を行い、法務大臣は、同年12月9日、在留期間を1年(平成11年12月29日まで)として、これを許可した(乙1、2)。
エ 被控訴人は、平成11年12月3日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請を行い、法務大臣は、平成12年1月25日、在留期間を3年(平成14年12月29日まで)として、これを許可した(乙1、2)。
オ 被控訴人は、平成13年6月11日、法務大臣に対し、再入国許可申請をし、法務大臣は、同日、これを1回限り有効なものとして許可した(乙1、2)。
被控訴人は、平成13年6月29日、新潟空港から中国のハルピンに向け、再入国許可による出国をした(乙1、2)。
被控訴人は、平成13年8月10日、中国のハルピンから新潟空港に到着し、再入国許可による上陸許可を受けて本邦に上陸した(乙1、2)。
カ 被控訴人は、平成14年11月19日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請を行った(乙1、2)。
イ 入国審査官は、平成16年11月1日、BがEの子ではないことが判明したとして、B、C及びDに対する平成8年12月29日付けの各上陸許可等を取り消した。また、Bは、平成16年11月1日ころ、東京入管に収容された。
入国審査官は、被控訴人(当時17歳)に対して、平成16年11月1日、本件各上陸許可取消処分をするとともに、平成9年12月22日、平成10年12月9日及び平成12年1月25日付けでした各在留期間更新許可並びに平成13年6月11日付けでした再入国許可を取消し、さらに、上記アの在留更新許可申請を終止した。入国審査官は、被控訴人に対し、平成16年11月1日、本件各上陸許可取消処分を告知した。(甲1の1及び2、乙1、2、11、24、弁論の全趣旨)
 被控訴人の退去強制手続等
ア 東京入管入国警備官は、平成16年11月1日、被控訴人について違反調査を行い、その結果、被控訴人が出入国法24条2号(不法上陸)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同年11月16日、控訴人主任審査官から収容令書の発付を受け、11月19日、同令書を執行するとともに、同日、被控訴人を出入国法24条2号該当容疑者として、入国審査官に引き渡した。
控訴人主任審査官は、同日、被控訴人に対し、仮放免を許可した。(乙6、8から10まで)
イ 入国審査官は、平成16年11月19日、被控訴人、C及びDについて違反審査を行い、その結果、同日、被控訴人が出入国法24条2号に該当する旨の認定を行い、これを被控訴人に通知した。
被控訴人は、同日、特別審理官による口頭審理を請求した。(乙11、12)
ウ 東京入管特別審理官は、平成16年12月3日、被控訴人について口頭審理を行い、その結果、同日、入国審査官による上記認定に誤りがない旨判定し、被控訴人にこれを通知した。
被控訴人は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした。(乙13から15まで)
エ 法務大臣から権限の委任を受けた控訴人東京入管局長は、平成16年12月20日、被控訴人の上記異議の申出に理由がない旨の本件裁決をした。
本件裁決の通知を受けた控訴人主任審査官は、平成17年1月28日、被控訴人に本件裁決を通知するとともに、本件退去強制令書を発付した。
東京入管入国警備官は、同日、本件退去強制令書を執行し、控訴人主任審査官は、同日、被控訴人に対し、仮放免を許可した。(甲2、乙17から20まで)
オ なお、B、C及びDも、平成16年11月又は12月ころ、入国審査官から、出入国法24条2号(不法上陸)に該当する旨の認定を受け、次いで、東京入管特別審理官から同認定に誤りがない旨の判定を受け、さらに、法務大臣から権限の委任を受けた控訴人東京入管局長から出入国法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を受けた。控訴人主任審査官は、Bに対しては、平成16年12月20日に、C及びDに対しては、平成17年1月28日に、それぞれ退去強制令書を発付した。Dは、同日、仮放免されたが、B及びCは、退去強制令書の執行により、東京入管に収容された。
B及びCは、その後に、仮放免されたものの、平成17年5月15日、成田空港から出国した。(甲20、弁論の全趣旨)
カ 被控訴人は、平成17年3月7日、本件訴えを提起した。また、Dも、同日、東京地方裁判所に、入国審査官がDに対して平成16年11月1日付けでした、平成8年12月29日付け上陸許可及び平成13年8月10日付け上陸許可の各取消処分の取消し等を求める訴えを提起した。
(甲4の1ないし4、弁論の全趣旨、当裁判所に顕著な事実)
そして、被控訴人に対しては、平成18年3月28日、前記のとおりの原判決が言い渡されたが、Dに対しても、同年7月19日上記裁決及び退去強制令書の発付処分を取り消す旨の判決が言い渡され、控訴人らが控訴をした。
4 争点
本件の原審における主な争点は、次のないしのとおりであったが、被控訴人の入国審査官に対する訴えを却下した判決部分に関しては双方から控訴がされなかったので、当審における争点は、そのうちないしである。
(本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えないし請求について)
 本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えの適否
具体的には、本件各上陸許可取消処分の取消しを求める訴えは出訴期間を徒過した不適法な訴えか。
 本件各上陸許可取消処分の適法性
具体的には、本件各上陸許可取消処分は、法令の根拠に基づかないでされた違法なものであるということができるか。また、本件各上陸許可取消処分は、手続上又は実体上、違法なものであるということができるか。

退去強制令書発付処分等取消請求控訴事件
平成18年(行コ)第25号(原審:名古屋地方裁判所平成17年(行ウ)第24号)
控訴人(一審被告):国、被控訴人(一審原告):A
名古屋高等裁判所民事第3部
平成19年3月19日

判決
主 文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
 原判決を取り消す。
 被控訴人の請求をいずれも棄却する。
 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
主文同旨
第2 事案の概要
1 本件は、出入国管理及び難民認定法(平成16年法律第73号による改正前のもの。以下「法」又は「入管法」という。)24条4号ロ所定の退去強制事由に該当するとの認定及び判定を受けた外国人である被控訴人が、法49条1項に基づいて法務大臣に対し異議を申し出たところ、法務大臣から権限の委任を受けた名古屋入国管理局長(名古屋入管局長)によって上記申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受け、次いで、名古屋入国管理局主任審査官によって退去強制令書の発付処分(以下「本件発付処分」といい、本件裁決と併せて「本件各処分」という。)を受けたため、本件裁決には裁量権の範囲を逸脱又は濫用して在留特別許可を付与しなかった違法があり、本件裁決を前提とする本件発付処分も違法であると主張して、本件各処分の取消しを求めた事案である。
2 原審は、本件裁決は、重婚状態にない被控訴人とB(以下「B」という。)との婚姻を重婚状態にあると誤認し、婚姻関係の実体の存否に関する重要な事実を誤認してなされたものと認められ、その他被控訴人の在留を許すことが相当でないとする事情も認められないなどとして、本件裁決には、裁量権を逸脱又は濫用した違法があり、これを前提として発せられた本件発付処分も違法であるとして、本件各処分をいずれも取り消す旨の判決をした。
これに対し、控訴人が控訴した。
3 本件の前提となる事実(争いのない事実等)、争点及び争点に関する当事者双方の主張は、以下のとおり原判決を付加訂正するほか、原判決「第2 事案の概要等」欄の1ないし3に記載のとおりであるから、これを引用する。
 原判決21頁14行目冒頭から末尾までを次のとおり改める。
「退去強制事由のある外国人と日本人との間に婚姻関係があることは、(仮にこれが実体を伴うものであったとしても)不法残留という違法状態の上に築かれたものに過ぎないから、本来、法的保護に値するものとは言えず、在留特別許可の許否の判断の一事情となる場合があるに過ぎないと言うべきものである。
また「日本人の配偶者」として在留特別許可が付与されるためには、」 同23頁17行目と18行目の間に次のとおり付加する。
「 一方、Bについてみても、被控訴人がa病院に入院した際、Bは200万円から300万円の預金を有していたにもかかわらず、被控訴人が医療費を支払うことができないとして途中で退院するのをそのまま放置し、既に生じた費用約86万円についても、被控訴人が失業中で金銭的余裕がないとして支払を遅延させている(平成16年7月)にもかかわらず、上記預金をその支払に充てることもせず、かえって上記病院に対し、分納による支払金額の減額を申し出る(平成17年9月)などしている(上記医療費は、平成18年7月現在未だ25万5156円が未払いである。)。
これは、経済的相互扶助関係のある夫婦としては、極めて不自然である。しかも、この間平成17年2月には、Bは同人の姉及び姉の長女と共に海外旅行に出かけるなどしており、永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真摯な意思をもって共同生活を営むことを本質とする婚姻という特別な身分関係にある者としては甚だ不自然と言わざるを得ない。」 同23頁18行目「」を「」と改める。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所も、被控訴人の請求は、いずれも理由があるから、これを認容すべきと判断するものであるが、その理由は以下のとおり原判決を付加訂正するほか、原判決「第3 当裁判所の判断」1ないし4に記載のとおりであるから、これを引用する。
 原判決27頁24行目と25行目の間に次のとおり付加する。
「 また、被控訴人は、当審において、控訴人が当審で提出した各証拠(乙42号証ないし46号証、48号証の1・2、49号証、52号証、56号証、57号証、58号証の1・2、59号証の1・2)について、法律上の根拠なく違法に照会・収集された証拠であるとして、証拠排除を求め、また証拠(乙45号証、47号証、50号証、52号証、55号証)については、時機に後れたものであるとして、却下を求めた。
しかしながら、まず証拠(乙44号証、45号証、56号証)については、入国管理局内部の資料を証拠化したものであることが明らかであるから、被控訴人の上記指摘は失当である。また、証拠(乙42号証、43号証、46号証、48号証の1・2、49号証、52号証、57号証、58号証の1・2、59号証の1・2)については、法59条の2第1項に基づくものと認められ、これを覆すに足りる証拠はないから、この点に係る被控訴人の指摘もまた失当である。
さらに、証拠(乙45号証、47号証、50号証、52号証、55号証)については、いずれも時機に後れたものとまでは言えないし、実質的にみても、即時に取り調べることが可能で、被控訴人において反証・反論が比較的容易なものと考えられるものである。したがって、この点に係る被控訴人の主張は失当である。」
 同30頁22行目「望ましいのであるから、」の後に次のとおり付加する。
「それが実体を伴った真摯なものである限りは、」
 同31頁4行目「26号証、40号証」の後に「45号証、63号証、64号証、」を付加する。
 同35頁18行目と19行目の間に次のとおり付加する。
「なお、Cは、平成16年《日付略》に一旦パキスタンに強制送還されたが、その後何らかの方法で再度日本に入国し、平成17年《日付略》ころ、正規に在留中のインド人に成り済まして就労していたことが確認され、不法入国の容疑がある。しかし、その後同人は行方不明となり、未だ身柄は確保されていないが、本邦内に在留しているものと考えられている。また、Cが上記就労中に交流があったと考えられるパキスタン人(在留特別許可を待て在留中)が、名古屋入国管理局に収容中の被控訴人に複数回面会に訪れた事実等が認められる。」
 同36頁13行目「本国の」から14行目末尾までを次のとおり改める。
「本国の妻子の存在を確認されたが、これを否定し、さらに妻子が存在する旨の調査結果があるとの指摘を受けた上で再度この点について確認を受けたが、被控訴人は、その調査結果は間違いである、妻子はないし、結婚したことはない、未婚証明書等について、本国の父親に依頼して送ってもらったものであるが、本物である、もし疑いがあれば再度確認してもらって構わないなどと供述した。」
 同40頁3行目「特に」から4行目末尾までを次のとおり改める。
「特にこれを不自然とすべき的確な根拠はなく、通常の婚姻の経過、実体であったと認めるのが相当である。」
 同40頁11行目と12行目の間に次のとおり付加する。
「もっとも、これら離婚手続の履践やこれに係る被控訴人の言動には、控訴人が縷々指摘していたように種々の疑問点もないではない。平成16年8月4日の時点で既に離婚が成立し、被控訴人もその直後にその事実を知っていた(乙7号証)とすれば、被控訴人が、前記のとおり、同年11月8日の違反審査の際に何らこれに言及することなく妻子の存在を全面否定し、ことさらに未婚証明書等の真正を主張したことや、同年12月10日付けで被控訴人とBが連名により名古屋入国管理局長宛てに提出した上申書(乙25号証の1・2)にDは離婚すること及び離婚が成立次第これを証する書面を提出すること等が記載されていることは、被控訴人の語学力を考慮したとしてもなお、不自然さを否定しがたい面がある。また、被控訴人は、その後入手した離婚証明書(調停調書。甲8号証の1)の入手経過について、平成17年2月14日の口頭審理においては、本国の父親が送ってきたものである旨供述していた(乙7号証)にもかかわらず、本訴においては、本国の父親に書類を入手してもらい、たまたまパキスタンに帰郷していた知人を介して受領したものである旨当初とは異なる主張・説明がされている(甲25号証)。さらに、本訴係属後に被控訴人において調査の結果入手したというDとの離婚に関する訴訟書類一式(甲15号証の1ないし9)についても、被控訴人はこれらを本国の父親から郵送にて受領したというのであるが(原審被控訴人本人)、これらの書類には東京に所在するパキスタン大使館の一等書記官による認証が付されており、被控訴人が全体としていかなる経過でこれらの書面を取得したのかについても疑問の余地が残るところである。
しかしながら、証拠(甲27号証の1・2)によれば、パキスタン大使館の二等書記官から控訴人に対し、被控訴人については平成16年8月4日に離婚が成立している旨の回答がされていることが認められ、同回答についてその信用性を否定すべき特段の事情も認められないことからすると、これと内容を同じくする上記各書類はいずれも真正なものであり、被控訴訴人が縷々指摘していたように種々の疑問点もないではない。平成16年8月4日の時点で既に離婚が成立し、被控訴人もその直後にその事実を知っていた(乙7号証)とすれば、被控訴人が、前記のとおり、同年11月8日の違反審査の際に何らこれに言及することなく妻子の存在を全面否定し、ことさらに未婚証明書等の真正を主張したことや、同年12月10日付けで被控訴人とBが連名により名古屋入国管理局長宛てに提出した上申書(乙25号証の1・2)にDは離婚すること及び離婚が成立次第これを証する書面を提出すること等が記載されていることは、被控訴人の語学力を考慮したとしてもなお、不自然さを否定しがたい面がある。また、被控訴人は、その後入手した離婚証明書(調停調書。甲8号証の1)の入手経過について、平成17年2月14日の口頭審理においては、本国の父親が送ってきたものである旨供述していた(乙7号証)にもかかわらず、本訴においては、本国の父親に書類を入手してもらい、たまたまパキスタンに帰郷していた知人を介して受領したものである旨当初とは異なる主張・説明がされている(甲25号証)。さらに、本訴係属後に被控訴人において調査の結果入手したというDとの離婚に関する訴訟書類一式(甲15号証の1ないし9)についても、被控訴人はこれらを本国の父親から郵送にて受領したというのであるが(原審被控訴人本人)、これらの書類には東京に所在するパキスタン大使館の一等書記官による認証が付されており、被控訴人が全体としていかなる経過でこれらの書面を取得したのかについても疑問の余地が残るところである。
しかしながら、証拠(甲27号証の1・2)によれば、パキスタン大使館の二等書記官から控訴人に対し、被控訴人については平成16年8月4日に離婚が成立している旨の回答がされていることが認められ、同回答についてその信用性を否定すべき特段の事情も認められないことからすると、これと内容を同じくする上記各書類はいずれも真正なものであり、被控訴人については、同日限りDとの間で離婚が成立したものと認められ、また前記のとおりの被控訴人の一見不自然な言動も、被控訴人の語学力や知識の欠如に由来するものと認めるのが相当というべきことになる。」
 同40頁17行目「あること、」の後に次のとおり付加する。
「⑤Bは、自ら十分な預金がありながら、被控訴人に十分な医療を受けさせることなく、病院に対し分納による支払金額の減額を求めるなど、経済的相互扶助関係にある夫婦としては不自然な態度を取っていること等、」
 同41頁16行目と17行目の間に次のとおり付加する。
「⑤の点についても、Bが必要な出捐をなさず、被控訴人に必要な治療を受けないまま退院することを余儀なくさせた事実を認めるに足りる的確な証拠はない。そして、Bには当時未だ学生である自身の子があったこと等をも勘案すれば、その当否は別として、Bが自らの預金を取り崩さず、医寮費を分納する等の措置がとられたからといって、ただちに被控訴人とBとの婚姻の実体がないことの証左になるものとは到底言えない。
その他、控訴人が当審において縷々主張するところは、いずれも婚姻の実体がないことを根拠づけるに足りるものとは言えないというべきである。」
 同43頁8行目末尾に次のとおり付加する。
「控訴人は、当審において、Cが不法に再入国した上、他人に成り済まして不法就労していること等を縷々主張し、これに沿う立証をする。しかしながら、結局のところ、これに披控訴人が積極的に荷担している事実を認めるに足りる的確な証拠はないと言わざるを得ない。」
2 よって、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして、主文のとおり判決する。

難民認定をしない処分取消請求事件
平成17年(行ウ)第523号、第534号、第535号
原告:Aほか2名、被告:法務大臣
東京地方裁判所民事第2部(裁判官:大門匡・関口剛弘・倉地康弘)
平成19年3月28日

判決
主 文
1 法務大臣が平成16年3月16日付けで、原告らに対してそれぞれした難民の認定をしない処分
をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は、被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文と同旨
第2 事案の概要
本件は、夫婦及び妻の連れ子である原告らが、ミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)国
籍を有する外国人として難民認定申請をしたが、いずれも難民に該当しないこと及び平成16年法
律第73号による改正前の出入国管理及び難民認定法61条の2第2項の規定(難民認定申請の期
間制限)に違反することを理由に難民の認定をしない処分を受けたため、各処分の取消しを求め
ている事案である。
なお、以下、ミャンマー本国等の日本国外において生じた事象の年号については、西暦をもっ
て表記又は元号と併記する。
1 難民に関する関係法令の定め等
 難民の認定
出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦
にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは、その提出した資料に基づ
き、その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができる。」と規定
している。
そして、平成16年法律第73号による改正前の入管法61条の2第2項は、「前項の申請は、そ
の者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を
知った日)から六十日以内に行わなければならない。ただし、やむを得ない事情があるときは、
この限りでない。」と規定していた(以下、同条項を「60日条項」という。)。
 難民の意義
ア 入管法2条3号の2は、同法における「難民」の意義を、「難民の地位に関する条約(以下「難
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民条約」という。)第1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)
第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。」と定めている。
イ 難民条約1条A及び難民議定書1条1・2によれば、「人種、宗教、国籍若しくは特定の
社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十
分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受
けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けること
を望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民である。
ウ したがって、上記イの定義に当てはまる者は入管法にいう「難民」であり、原告らは、それ
ぞれ、この意味における難民に自らが該当すると主張している。以下において、「難民」とい
うのはすべてこの意味における難民のことである。
2 前提事実(争いのない事実及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
 原告A(以下「原告夫」という。)関係
ア 原告夫は、1959年(昭和34年)《日付略》、ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を
有する外国人である。
イ 原告夫は、他人名義の旅券を行使して、タイ王国(以下「タイ」という。)を出国し、平成3
年11月6日、空路新東京国際空港(現在の成田国際空港)に到着し、東京入国管理局(以下「東
京入管」という。)成田支局(現在の成田空港支局)入国審査官から平成16年法律第73号によ
る改正前の出入国管理及び難民認定法別表第1に規定する在留資格「短期滞在」、在留期間
「90日」とする上陸許可の証印を受けて本邦に不法入国し、以後本邦に不法に在留してきた。
ウ 原告夫は、平成16年10月17日、新宿区長に対し、同区内の居住地により外国人登録申請を
し、その旨登録された。
エア 原告夫は、平成15年8月19日、東京入管において、法務大臣に対し、難民認定の申請を
した。
イ 東京入管難民調査官は、平成15年10月21日、同月24日、同月27日及び同月31日、東京
入管において、原告夫から、事情を聴取するなどの調査をした。
ウ 法務大臣は、平成16年3月16日付けで、原告夫の難民認定申請について、「あなたは、「政
治的意見」を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。しかしながら、
①あなたの供述等からは、あなたが本国での活動を理由として本国政府から個別に反政府
活動家として把握され迫害を受けるおそれがあるとは認められないこと、②あなたの所持
する旅券及び供述等によれば、あなたは、迫害を受けたとする日以降、自己名義の旅券を
用いて合法的に出国していること、③あなたの提出資料及び供述等からは、あなたが本邦
における活動を理由として本国政府から反政府活動家として把握され迫害を受けるおそれ
があるとは認められないこと等からすると、申立てを裏付けるに足りる十分な証拠がある
とは認め難く、難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条
2に規定する難民とは認められません。また、あなたの難民認定申請は、出入国管理及び
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難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただ
し書の規定を適用すべき事情も認められません。」として、難民の認定をしない処分をし、
同月29日、原告夫に通知した。
エ 原告夫は、平成16年3月29日、法務大臣に対し、上記不認定処分について、異議の申出
をした。
オ 東京入管難民調査官は、平成16年6月29日、東京入管において、原告夫から、事情を聴
取するなどの調査をした。
カ 法務大臣は、平成17年4月8日付けで、「あなたの原処分に対する異議申出における申
立ては、原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるほか、迫害に係る新たな
事実を申し立てているところ、新たに提出のあった資料を含め全記録により検討しても原
処分に誤りはなく、平成16年3月16日付け「通知書」の理由のとおり、あなたが難民の地
位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認
められません。また、あなたの難民認定申請については、出入国管理及び難民認定法第61
条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適
用すべき事情も認められません。」として、異議の申出に理由がない旨の決定をし、同年5
月12日、原告夫に通知した。
 原告B(以下「原告妻」といい、原告夫と併せて「原告夫妻」という。)関係
ア 原告妻は、1960年(昭和35年)《日付略》、ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を
有する外国人である。
イ 原告妻は、オーストラリアから空路新東京国際空港に到着し、平成7年1月14日、東京
入管成田支局入国審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に「TO ATTEND THE
75TH. G. A. A. J. SHOW」、予定期間の欄に「(15)DAYS」と記載して上陸申請を行い、同
入国審査官から法別表第1に規定する在留資格「短期滞在」、在留期間「90日」とする上陸許
可を受けた。
ウ 原告妻は、在留期間の更新又は在留資格の変更の許可を受けることなく、在留期限である
同年4月14日を経過して本邦に不法残留した。
エ 原告妻は、平成7年2月1日、中野区長に対し、同区内の居住地により外国人登録申請を
し、その旨登録された後、平成13年1月30日、新宿区長に対し、新宿区内の居住地による変
更登録の申請をしてその旨登録された。
オア 原告妻は、平成15年8月19日、東京入管において、法務大臣に対し、難民の認定の申請
をした。
イ 東京入管難民調査官は、平成15年11月25日及び同年12月8日、東京入管において、原告
妻から、事情を聴取するなどの調査をした。
ウ 法務大臣は、平成16年3月16日付けで、原告妻の難民認定申請について、「あなたは、「特
定の社会的集団の構成員であること」及び「政治的意見」を理由とした迫害を受けるおそ
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れがあると申し立てています。しかしながら、①あなたの供述等からは、あなたが本国で
の活動を理由として本国政府から個別に反政府活動家として把握され迫害を受けるおそれ
があるとは認められないこと、②あなたの所持する旅券及び供述等によれば、あなたは、
迫害を受けたとする日以降、自己名義の旅券を用いて合法的に出国していること、③あな
たの提出資料及び供述等からは、あなたが本邦において真摯に反政府活動を行っていると
は認められないこと等からすると、申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め
難く、難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定
する難民とは認められません。また、あなたの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定
法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規
定を適用すべき事情も認められません。」として、難民の認定をしない処分をし、同月29日、
原告妻に通知した。
エ 原告妻は、同月29日、法務大臣に対し、上記難民の認定をしない処分について、異議の
申出をした。
オ 東京入管難民調査官は、平成16年7月23日、東京入管において、原告妻から、事情を聴
取するなどの調査をした。
カ 法務大臣は、平成17年4月8日、「あなたの原処分に対する異議申出における申立ては、
原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるほか、迫害に係る新たな事実を申
し立てているところ、新たに提出のあった資料を含め全記録により検討しても原処分に誤
りはなく、平成16年3月16日付け「通知書」の理由のとおり、あなたが難民の地位に関す
る条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められま
せん。また、あなたの難民認定申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定
の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情も認
められません。」として、異議の申出に理由がない旨の決定をし、同年5月12日、原告妻に
通知した。
 原告C(以下「原告子」という。)関係
ア 原告子は、平成13年《日付略》、本邦において、原告妻とミャンマー人である前夫D(以下
「前夫」という。)の間の子として出生したが、入管法22条の2第1項により在留資格を取得
することなく、本邦に滞在することのできる期限である平成13年5月4日を超えて、本邦に
不法残留している。
イ 原告子は、平成13年4月6日、新宿区長に対し、原告夫及び原告妻と同一の居住地により、
出生を事由とする同原告の外国人登録申請をし、その旨登録された。
ウア 原告子は、平成15年8月19日、東京入管において、法務大臣に対し、難民の認定の申請
をし、受理された。
イ 法務大臣は、平成16年3月16日付けで、原告子の難民認定申請につき、「あなたは、「政
治的意見」を理由とした迫害を受けるおそれがあると申し立てています。しかしながら、
- 5 -
あなたの父及び母が難民条約上の難民とは認められないこと等からすると、申立てを裏付
けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く、難民の地位に関する条約第1条A及び難
民の地位に関する議定書第1条2に規定する難民とは認められません。また、あなたの難
民認定申請は、出入国管理及び難民認定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされ
たものであり、かつ、同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められません。」として難
民の認定をしない処分をし、同月29日、原告子の法定代理人(母)である原告妻に通知した。
ウ 原告子は、同月29日、法務大臣に対し、上記難民の認定をしない処分について、異議の
申出をし、受理された。
エ 法務大臣は、平成17年4月8日付けで、「あなたの原処分に対する異議申出における申
立ては、原処分において申し立てた内容とほぼ同旨を申し立てるものであって、全記録に
より検討しても原処分に誤りはなく、平成16年3月16日付け「通知書」の理由のとおり、
あなたが難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規
定する難民とは認められません。また、あなたの難民認定申請は、出入国管理及び難民認
定法第61条の2第2項所定の期間を経過してなされたものであり、かつ、同項ただし書の
規定を適用すべき事情も認められません。」として、異議の申出に理由がない旨の決定を
し、同年5月12日、原告子の法定代理人(母)である原告妻に通知した。
3 争点
本件の主要な争点は、次のとおりであり、これに関して摘示すべき当事者の主張は、下記のほ
か、後記「争点に対する判断」において掲げるとおりである。
 各原告は難民か。
この点に関し、原告らは、原告夫妻が特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見
を理由に迫害を受けるおそれがある旨主張し、難民該当性を基礎付ける事実として、原告夫に
ついては、本国における学生運動団体での政治活動と身柄拘束・拷問の体験、NLD(支部)党員
としての政治活動、軍部隊による荷物運搬役(ポーター)への強制徴用とその労役従事中の逃
亡、来日後のNLD-LA日本支部における政治活動、デモ参加の姿の報道、その後の本国当局に
よる本国在住の母に対する尋問等の事実を主張する。そして、原告妻については、本国での婦
人団体での活動やNLDへの寄付、本国当局から受けた捜索や監視、本邦におけるNLD-LA日本
支部における政治活動、デモ参加の姿の報道等の事実を主張し、原告夫婦のいずれかが難民で
あるならば、原告子を含む原告らについて、家族統合の原則(市民的及び政治的権利に関する
国際規約(B規約)23条)により、難民として保護されるべきである旨主張する。
これに対し、被告は、原告夫の本国における政治活動や身柄拘束・拷問の事実を裏付ける客
観的証拠はなく、これにそう原告夫の供述等も信用できないこと、原告夫が、自己名義の旅券
を受給して出国し、経由国でも難民認定申請することなく来日した上、長期間にわたり庇護を
求めることなく、不法就労を継続し、本国に送金してきたもので、本国及び本邦における政治
活動の程度は本国政府の関心をひくようなものとはいえないこと、本国在住の母が平穏に暮ら
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していること、難民認定申請後に本国政府から国際運転免許証の交付を受けたことなどを主張
して、難民該当性を争っている。また、原告妻について、本国での政治活動を裏付ける客観的証
拠がなく、自己名義の旅券により出国した上、本邦入国後も長期間にわたり庇護を求めること
なく、不法就労を継続し、本国に送金してきたもので、その主張に係る本国及び本邦における
政治活動の程度も本国政府の関心をひくようなものとはいえないこと、本国の兄弟が平穏に生
活していることなどを主張するとともに、原告夫妻の難民該当性が認められない以上、原告子
を含む原告らが家族統合の原則によって難民として保護されることはない旨主張して、原告ら
の難民該当性を争っている。
 各原告の難民認定申請は60日条項に反するか(平成16年法律第73号による改正前の入管法
61条の2第2項本文に違反するか。そして、これに違反するとした場合、同項ただし書に定め
る「やむを得ない事情」があるか。)。
この点に関し、被告は、原告夫及び原告妻については本邦上陸の日から、原告子については
本邦における出生の日から、各難民認定申請までの期間が60日を超えていることが明らかであ
るから、各原告の難民認定申請は、60日条項に違反する(病気、交通の途絶等の客観的、物理的
事情により、申請期間を経過したことについて「やむを得ない事情」があるとも認められない。)
旨主張する。
これに対し、原告らは、原告夫について、本邦におけるデモ参加の姿の報道、その後の本国当
局による本国在住の母に対する尋問等とその事実が記載された原告夫の母からの手紙の受領等
の事実を基に、新たに難民となる事由が生じ、その事由を知ってから難民認定申請の日までは
60日が経過していない旨主張するとともに、仮に、本邦上陸の日から60日の期間を起算すると
しても、本国の民主化に対する希望、難民認定制度についての知識の不足、家族との関係、難民
認定申請が認められなかった場合の強制送還の可能性等から、各原告の難民認定申請の日まで
60日を経過したことについて「やむを得ない事情」があるから、各原告の難民認定申請は、60
日条項に違反するものではない旨主張する。

退去強制令書執行停止申立事件
平成19年(行ク)第1号
原告:A、被告:国
大阪地方裁判所第2民事部
平成19年3月30日

決定
主 文
1 大阪入国管理局主任審査官が申立人に対して平成18年10月31日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件(当庁平成19年(行ウ)第5号退去強制令書発付処分取消等請求事件)の第1審判決の言渡しの日から30日を経過する日まで停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は相手方の負担とする。
理 由
第1 申立て
大阪入国管理局主任審査官が申立人に対して平成18年10月31日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事件の判決が確定するまで停止する。
第2 事案の概要
1 本案事件は、法務大臣から権限の委任を受けた大阪入国管理局長が、申立人に対し、平成18年10月30日付けで出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)49条1項に基づく申立人の異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をしたのを受けて、大阪入国管理局主任審査官が、申立人に対し、同月31日付けで退去強制令書(以下「本件令書」という。)の発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)をしたのに対し、申立人が上記各処分の各取消しを求めた取消訴訟である。
本件は、申立人が行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)25条2項本文に基づき、本件令書の収容部分及び送還部分の両方について、本案事件の判決が確定するまで、その執行の停止を求めた事案である。
2 本件申立てについての申立人の主張は、別紙「退去強制令書発付処分執行停止申立書」(写)、「訴状」(写)、平成19年3月6日付け「反論書」(写)及び同月19日付け「反論書2」(写)に各記載のとおりであり、相手方の主張は、同年1月29日付け「意見書」(写)及び同年3月16日付け「意見書2」に各記載のとおりである。
第3 当裁判所の判断
1 記録によれば、以下の事実が一応認められる(疎明資料は各枝番を含む。)。
 申立人の入国及び在留の経緯等
ア 申立人は、1980年(昭和55年)7月*日、中華人民共和国(以下「中国」という。)上海市において出生した、中国国籍を有する外国人である。(疎甲4、5、疎乙1)
イ 申立人は、平成12年3月30日、関西空港において大阪入国管理局関西空港支局入国審査官から、在留資格を「留学」、在留期間を「1年」とする上陸許可を受けて本邦に上陸し、同年4月、愛媛女子短期大学に入学した。
申立人は、平成14年3月7日、同短期大学を卒業した後、同年4月、同志社大学文学部英文学科の3年次に編入学し、現在も同学科に在籍している。
(疎甲8から11まで、疎乙1)
ウ 申立人は、上記上陸許可に係る在留期限(平成13年3月30日)の経過後も、下記の各在留期間更新許可を受けて本邦に在留し、上記のとおり、愛媛女子短期大学、同志社大学に各在籍していた。

許可年月日 在留期間 在留期限
平成13年2月23日 1年 平成14年3月30日
平成14年4月3日 2年 平成16年3月30日
平成16年5月12日 2年 平成18年3月30日
(疎甲4、疎乙1)
 本件退令発付処分に至る経緯等
ア 申立人は、平成18年3月22日、大阪入国管理局長に対し、在留期間更新許可申請を行った。
申立人は、同年4月上旬ころ、大阪入国管理局京都出張所の職員から上記申請について在留期間の更新を許可しない方針である旨伝えられたため、その翌日に、C弁護士に相談した。
大阪入国管理局長は、同年4月18日付けで、申立人に対し、在留資格を「特定活動(出国準備)」、在留期間を「2か月」とする在留資格変更許可をした。申立人及びC弁護士は、在留期間更新不許可処分の取消訴訟を提起する意向であるとして、大阪入国管理局長に対し、上記在留資格変更許可を取り消すよう求めた。そこで、大阪入国管理局長は、同年5月29日付けで、これを取消した上で、同年6月12日付けで、申立人に対し、在留期間更新不許可処分をし(以下「本件更新不許可処分」という。)、同処分の通知書は、同月13日、申立人に到達した。
(疎甲4、32、疎乙2、14、15)
イ 大阪入国管理局入国警備官は、平成18年9月13日、申立人について入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして大阪入国管理局主任審査官から収容令書の発付を受け、同月14日、同収容令書を執行し、申立人を入国者収容所西日本入国管理センター(以下「西日本センター」という。)に収容した。
申立人は、同日の入国警備官による違反調査において、本件不許可処分の取消しの訴えを提起する意向であるといった趣旨の供述をした。
(疎乙3、10)
ウ 大阪入国管理局入国審査官は、大阪入国管理局入国警備官から申立人の引渡しを受け、同年9月15日、同月29日及び同年10月2日、申立人について違反審査を実施し、その結果、申立人が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し、かつ、出国命令対象者に該当しない旨認定し、申立人に対してこれを通知したところ、申立人は、同日、口頭審理を請求した。
申立人は、同年9月29日の違反審査において、本件更新不許可処分の取消しの訴えを提起する意向であるといった趣旨の供述をし、同年10月2日の違反審査において、在留特別許可を希望する理由は、大学を卒業したいこと、B(以下「B」という。)という日本人の恋人がいることなどである旨供述した。
(疎乙4、6、7)
エ 大阪入国管理局特別審理官は、同年10月18日、申立人について口頭審理を実施し、その結果、入国審査官の上記認定には誤りがない旨判定し、申立人にこれを通知したところ、申立人は、同月23日、法務大臣に対して異議を申し出た。
申立人は、上記口頭審査において、在留特別許可を希望する理由は、日本にはBという恋人がいること、同志社大学をまだ卒業していないことなどである旨供述し、上記法務大臣に対する異議に際して同大臣宛てに提出した不服理由書には、日本において、Bと一緒に生活しながら、大学に通いたい旨記載した。
(疎乙8、9、11)
オ 法務大臣から権限の委任を受けた大阪入国管理局長は、同月30日付けで、申立人の異議の申出には理由がない旨の裁決(本件裁決)をした。大阪入国管理局主任審査官は、本件裁決の通知を受けて、同月31日、申立人にその旨を通知するとともに、退去強制令書を発付した(本件退令発付処分)。大阪入国管理局入国警備官は、同日、西日本センターにおいて上記令書を執行し、申立人を引き続き西日本センターに収容した(以下「本件収容」という。)。
(疎乙12、13)
 申立人とBとの関係等
Bは、昭和46年10月*日、京都市右京区で出生した日本国籍を有する者であり、現在、同市下京区内において、はり師、きゅう師として業務を行っている。
申立人とBとは、平成15年7月ころ、アルバイト先で知り合い、その後、交際を始めた。申立人とBとは、平成18年11月24日、京都市下京区役所において、婚姻届を提出した。なお、Bは、上記エの特別審査官による口頭審理に立ち会った。
(疎甲6、7、13から16まで、疎乙7、8)
 申立人の単位取得状況等
ア 同志社大学文学部英文学科の卒業には124単位の修得が必要であるところ、申立人は、現在までに107単位を修得している。申立人は、同学科を卒業するためには、今後、必修科目から2単位、選択科目〈1〉及び同〈2〉から15単位(うち外国語8単位)を修得しなければならない。
なお、申立人は、平成14年度及び平成15年度の2年間で上記卒業に必要な単位数を修得できなかったことから、前記ウのとおり、平成16年5月12日付けで2年間の在留期間更新許可を受け、平成16年度に13単位を修得したが、平成17年度は履修登録をしなかったものである。もっとも、申立人は、平成18年度春学期には6科目14単位を修得している。
(疎甲8、30)
イ 同志社大学学部学則(以下「本件学則」という。)によれば、3年次に編入学することを許可された編入学生の在学年限は、6年を超えることができないとされ(23条4項)、在学年限には休学期間は算入しないこととされているが(27条4項)、同学則27条1項は、学生が疾病その他やむを得ない事由により休学しようとするときは、保証人連署の上、春学期又は秋学期授業開始日までに学部長に願い出て、学長の許可を得なければならない旨規定している。
申立人は、これまでに休学したことはない。
以上によれば、申立人は、平成19年度の履修登録手続をすることができない場合、及び履修登録手続をしても上記アの単位を修得することができない場合は、平成19年度に休学しない限り、本件学則30条の2第2号の規定によって、平成19年度秋学期末に同学部教授会の議を経て除籍されることとなる。
(疎甲29、32)
ウ 平成19年度の履修登録手続の最終期限は、同年4月7日であり、病気療養中であるなどの特段の事情が認められる場合を除き、上記期限経過後の履修登録は認められない。また、同志社大学文学部・文学研究科事務長は、申立人代理人からの照会に対し、申立人が西日本センターに収容されている場合、実際に授業を受けることができる見込みがないことから、履修登録は認められない旨回答し、他方、相手方指定代理人からの照会に対し、申立人において休学制度を利用することは可能であるが、平成19年3月8日現在、同人からの休学願いは出されていない旨回答している。
(疎甲30、32、疎乙19)
 本件申立てに至る経緯等
C弁護士は、平成18年10月末ころ、申立人の代理人を辞任し、申立人は、本件更新不許可処分の取消しの訴えに係る出訴期間中に、同訴えを提起しなかった。
申立人は、本件申立人代理人を代理人として、平成19年1月11日、当庁に対し、本案事件の訴えを提起するとともに、本件執行停止の申立てをした。
(疎甲32)
2 「重大な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行訴法25条2項)に該当するか否かについて
 本件令書の送還部分の執行について
我が国の法令上、退去強制令書の執行により送還され、その後、退去強制令書発付処分の取消しを求める訴訟において同処分の取消しの認容判決を得た者に対し、送還前に置かれていた原状を回復することを保障する制度は設けられていない。また、本件令書の送還部分の執行によって申立人が中国に送還された場合、申立人が本案事件について訴訟代理人らを選任していること及び現在では通信手段が相当程度発達していることなどを考慮してもなお、証拠等を収集し、訴訟代理人らと打合せをすることなどが困難になるといわざるを得ず、申立人が本案事件の訴訟追行をすることが事実上極めて困難になることは否定することができない。
よって、本件において、本件令書の送還部分の執行により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要があると認められる。
 本件令書の収容部分の執行について
ア 確かに、退去強制令書発付処分のうち、収容部分は、退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときに送還可能のときまでその者を入国者収容所、収容場その他法務大臣又はその委任を受けた主任審査官が指定する場所に収容することを内容とするものであって(入管法52条5項参照)、その執行により、退去強制を受ける者は、人身の自由を制約され、自由な社会生活を送ることができなくなるという不利益、苦痛を受けるということができる。しかしながら、入国者収容所又は収容場(以下「収容所等」という。)に収容されている者(以下「被収容者」という。)の処遇に関する法令の規定をみると、入管法61条の7第1項は、被収容者には、収容所等の保安上支障がない範囲内においてできる限りの自由が与えられなければならない旨規定し、同条6項の規定に基づいて制定された被収容者処遇規則(昭和56年法務省令第59号)2条は、入国者収容所長及び地方入国管理局長は、収容所等の保安上支障がない範囲内において、被収容者がその属する国の風俗習慣によって行う生活様式を尊重しなければならない旨規定している上、入管法61条の7及び被収容者処遇規則には、寝具の貸与、糧食の給与、衣類及び日用品の給与、物品の購入の許可、衛生、健康の保持、傷病者に対する措置、面会の許可等、被収容者の人権に配慮した種々の規定が置かれており、これらの規定は、収容令書又は退去強制令書に基づく収容が、外国人の退去強制という行政目的を達成するために設けられた行政手続であることにかんがみ、被収容者に対する自由の制限は、収容所等の保安上必要最小限の範囲にとどめようという趣旨によるものと解される。このような被収容者の処遇に関する入管法の規定の趣旨、入管法及び被収容者処遇規則が予定する被収容者の自由に対する制限の内容、態様、程度にかんがみると、収容令書又は退去強制令書発付処分のうちの収容部分の執行により被収容者が受ける損害は、その内容、性質、程度に照らして、特段の事情がない限り、行訴法25条2項にいう「重大な損害」には当たらないものというべきである。
イア この点について、申立人は、収容という身体拘束自体が極めて重大な人権の制約を伴い、本件令書による収容は、申立人の通信、行動の自由を制約し、申立人とBとの同居生活を不可能とするものであって、それ自体が日々回復の困難な重大な損害に該当する旨主張する。
しかしながら、アにおいて既に説示したところに加え、申立人が収容されている西日本センターの収容施設には電話が常備され、被収容者が原則として自由に使用することができるものとされていること(疎乙16)、Bが、ほぼ毎日、申立人との面会に西日本センターを訪れ、面会が許可されていること(疎甲32)などからしても、申立人の主張する上記の不利益は、その内容、性質、程度に照らし、いずれも行訴法25条2項にいう「重大な損害」に当たるということはできない。
イ また、申立人は、本件収容の継続により平成19年度の履修登録手続をすることができない結果、在学年限の経過、除籍処分等によって学業を断念せざるを得ない事態に陥るおそれがあるところ、これは、学生である申立人にとって、重大な損害に当たり、これを避けるため緊急の必要がある旨主張する。これに対し、相手方は、申立人は、本件更新不許可処分につき取消訴訟を提起することなく、その出訴期限である平成18年12月14日を漫然と徒過させ、これを争うことなく確定させたのであって、本件収容の前に、既に申立人の学業継続は法的に認められない状態となっていたのであるから、本件収容によって学業の継続が困難になったかのような申立人の主張は失当である旨主張するとともに、申立人は、当面は、休学制度を利用するなどすれば、直ちに除籍処分を受けることなく、後に単位を追加取得すれば卒業することができる状態を維持することが可能であるから、重大な損害を避けるため緊急の必要があるとは認められないと主張する。
確かに、退去強制令書による収容によって通学することができなくなるなどの学業継続に係る困難を生ずることは、入管法が当然に予定しているところであると解される上、その不利益の内容、性質、程度に照らしても、通常、そのことをもって、行訴法25条2項にいう「重大な損害」に該当するということはできない。 
しかしながら、前記認定事実のとおり、申立人は、平成19年度の履修登録手続をすることができない場合、及び履修登録手続をしても所定の単位を修得することができない場合は、平成19年度に休学しない限り、本件学則30条の2第2号の規定によって、平成19年度秋学期末に同学部教授会の議を経て除籍されることとなる。そうであるところ、平成19年度の履修登録手続の最終期限は、同年4月7日であり、病気療養中であるなどの特段の事情が認められる場合を除き、上記期限経過後の履修登録は認められず、同志社大学文学部・文学研究科事務長は、申立人代理人からの照会に対し、申立人が西日本センターに収容されている場合、履修登録は認められない旨回答している上、本件学則上、休学をするためには、学長の許可を得なければならないものとされているというのである。そうすると、本件収容が平成19年4月以降も継続することとなれば、申立人は、同志社大学文学部英文学科を平成19年度秋学期末に除籍されることとなる蓋然性が高いものと認められる。
前記認定事実のとおり、申立人は、在留資格を「留学」とする上陸許可を受けて本邦に上陸し、その後、3回の在留期間更新許可を受けて、本邦に在留し、その間、愛媛女子短期大学を卒業し、同志社大学文学部英文学科の3年次に編入学して学業を続けてきたものであって、同学科を卒業することが、平成14年4月以降の約5年間、申立人が本邦に在留してきた主要な目的であるということができる(なお、前記認定事実のとおり、申立人は、平成16年5月12日付けで2年間の在留期間更新許可を受けたにもかかわらず、平成16年度に13単位しか修得することができず、平成17年度には履修登録をしていない。申立人は、その経緯について、平成17年ころから平成18年ころにかけて申立人は精神的に不安定な状態にあったためであるといった趣旨の主張をしているところ、確かに、上記経緯の詳細については記録上必ずしも明らかではないものの、疎甲第12及び第32号証並びに疎乙第2号証によれば、申立人は、平成17年8月7日から同年9月17日まで中国に帰国して扶順市立病院でうつ病と診断されその治療を受けていた事実が一応認められるのであり、他方で、そのころ申立人が本邦において就労等その在留資格に係る活動以外の活動を専ら行っていた様子は記録上うかがわれず、前記認定事実のとおり、申立人は、平成18年度春学期には6科目14単位を修得していることからすれば、在留期間を通じて申立人の在留目的(留学)が実質的に変更したとみることはできないというべきである。)。これらにかんがみれば、本件収容によって同学科での学業を継続することができなくなるにとどまらず、同学科を除籍されるという不利益は、申立人にとって、その性質上回復困難な著しい不利益であって、行訴法25条2項にいう「重大な損害」に該当するというべきである。そして、平
成19年度の履修登録手続の最終期限が同年4月7日である上、申立人が西日本センターに収容されている場合、履修登録は認められないというのであるから、本件においては、本件令書の収容部分の執行により生ずる重大な損害を避けるため緊急の必要があるものというべきである。
この点について、相手方は、申立人が本件更新不許可処分の取消しの訴えを提起せず、その出訴期限を徒過させている以上、そもそも申立人の学業継続は法的に認められない状態にあるのであって、大学を除籍されることは重大な損害に該当しないといった趣旨の主張をする。しかしながら、前記認定事実のとおり、申立人は、違反調査等において、一貫して、本件不許可処分を訴訟で争う意向を示し、又は在留特別許可を希望する理由は大学を卒業したいからである旨の供述をしている。のみならず、前記認定事実のとおり、申立人は、平成16年度は13単位しか修得せず、平成17年度は履修登録をしていないものの、平成18年度春学期において6科目14単位を修得しているのであって、卒業までに修得することが必要な単位数はわずかに17単位にすぎないことからすれば、卒業するために学業を継続したいと望むのがむしろ自然というべきである上、本件記録上、申立人が本件更新不許可処分の取消しの訴えに係る出訴期限を徒過させたのは、C弁護士との間において円滑な意思疎通がされなかったからであることがうかがわれ、そのことについて必ずしも申立人の責に帰すべき事由がないとはいえないとしても、少なくとも、申立人の意思に反して上
記出訴期間が経過したものと認めることができる。これらによれば、申立人において学業を継続する利益を積極的に放棄したものとは認められず、むしろ、申立人は、学業を継続し、同志社大学を卒業する意思を有していることが認められる。したがって、相手方の上記主張は採用することができない。
また、相手方は、申立人において休学制度を利用することなどによって、直ちに除籍処分を受けることなく、後に単位を追加取得すれば卒業することができる状態を維持することが可能である旨主張する。しかしながら、上記のとおり、申立人は、平成19年度の履修登録をすることができず、かつ休学を許可されなければ、平成19年度秋学期末に除籍されることとなるところ、記録上、申立人の休学が許可される可能性が高いとまでは認められない。加えて、休学すれば、学業の継続性が害され、申立人において在学年限の残りの1年間で卒業に必要な単位数を修得することが困難になることも考えられるから、相手方の上記主張も採用することができない。
 以上により、本件令書の収容部分及び送還部分の両方について、「重大な損害を避けるため緊急の必要があるとき」(行訴法25条2項)に該当するというべきである。
3 「本案について理由がないとみえるとき」(行訴法25条4項)に該当するか否かについて 前記認定事実のとおり、申立人が本件更新不許可処分の取消しの訴えを提起していないことに加え、本案に係る申立人の主張内容に照らしても、本件において、申立人が入管法24条4号ロ(不法残留)の要件に該当することについては、争いがないということができる。もっとも、法務大臣は、外国人に退去強制事由があり、かつ、出国命令対象者に該当せず、入管法49条1項に基づく異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該外国人に特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは、その在留を特別に許可することができるとされている(入管法50条1項4号)。そして、在留特別許可を付与しないとの法務大臣の判断は、それが全く事実の基礎を欠き、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くことなどにより、社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるような場合には、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法となるものというべきであり、この理は、法務大臣から権限の委任を受けた入国管理局長が裁決する場合においても異ならない。そこで、大阪入国管理局長が申立人に対して在留特別許可を付与しなかった判断につき裁量権の範囲を超え又はその濫用があったか否かについて検討する。
 この点について、申立人は、要旨、入管法が「日本人の配偶者等」を在留資格の一つとして定め、法務省入国管理局が平成18年10月付けで定めた在留特別許可のガイドラインにおいても家族的結合が重要視され、それが許可の積極的要素の一つとして挙げられていることに加え、憲法24条1項、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和54年条約第7号)17条1項、同規約23条1項の趣旨を勘案すると、本件裁決の時点において申立人とBとが結婚を決意しており、夫婦生活が継続される可能性が極めて高かったと認められる本件において、大阪入国管理局長が申立人に対して在留特別許可を付与しなかったのは裁量権の濫用、逸脱がある旨主張するとともに、申立人は、本邦において、学業に専念してきたのであり(平成17年度に履修登録をしなかったのは、精神的に不安定だったことが原因であって、勉学意欲を欠いたからではない。)、申立人の堅実な就学状況に照らしても、申立人に対して在留特別許可を付与しなかった本件裁決には裁量権の濫用、逸脱があるなどと主張する。
他方、相手方は、そもそも、婚姻の事実すらなく、単に婚姻予定者がいるという事情のみで、在留特別許可を認めなければならないものではない上、違反調査における申立人の供述等に照らせば、本件裁決当時、申立人とBとの婚姻意思が明確であり、夫婦生活が継続される可能性が極めて高かったと評価することは到底できないなどとし、本件裁決に裁量権の濫用、逸脱はなく、本件裁決は適法であるなどと主張する。
 そこで検討すると、確かに、記録によれば、申立人は、平成18年10月2日の入国審査官による違反調査において、在留資格を得るために結婚したと思われたくないので、同日現在、Bと結婚する気がないといった趣旨の供述をしていたところ、同月18日の口頭審査においては、同月10日にBと結婚することを決め、同月13日に婚姻届を作成した旨の供述をしたことが認められ、また、申立人とBとが婚姻届を提出したのは、本件裁決後の同年11月24日であることが認められる。しかしながら、記録に表われた申立人のBと知り合ってから婚姻意思を固めるまでの経過に関する供述内容はそれ自体別段不自然なところはうかがわれない上、前記のとおり、Bは、ほぼ毎日、申立人に面会するために西日本センターを訪れているというのであるから、これらにかんがみると、申立人とBとの婚姻が偽装であると断じることができないことはもとより、本件裁決当時において、申立人とBとの婚姻意思が浮動的であったと直ちに認めることもできないのであって、申立人とBとが出会ってから婚姻に至るまでの具体的経緯等について、更に審理を尽くす必要がある。
また、申立人の同志社大学文学部英文学科における単位修得状況は、記録上既に明らかであり、これによれば、申立人は、同学科に編入学して以降、既に5年度が経過するも、いまだ卒業に必要な単位数を修得していないのみならず、前記のとおり、平成16年5月12日付け在留期間更新許可に係る期間(平成16年度及び平成17年度)については、わずかに13単位しか修得することができず、平成17年度は履修登録すらしていないというのである。しかしながら、前記のとおり、申立人は、その経緯について、平成17年ころから平成18年ころにかけて申立人は精神的に不安定な状態にあったためであるといった趣旨の主張をしているところ、申立人は、平成17年8月7日から同年9月17日まで中国に帰国して扶順市立病院でうつ病と診断されてその治療を受けていた事実が一応認められるなど、申立人の前記主張に沿う疎明資料等も存在している上、申立人は平成18年度春学期には6科目14単位を修得しているのであって、そのころ申立人が本邦において就労等その在留資格に係る活動以外の活動を専ら行っていた様子は記録上うかがわれないことをも併せ考えると、上記のような申立人の履修経過から直ちに申立人の就学意欲ないし就学態度等が著しく不良であるとか申立人が学業を継続する意思を喪失しているなどと断じることはできないのであって、申立人が平成17年度に履修登録をしなかった経緯等に加え、申立人の同学科での授業への出席状況等の就学状況、学生としての生活態度等について、更に審理を尽くす必要がある。
さらに、前記認定事実のとおり、申立人は、違反調査等において、一貫して、本件更新不許可処分を訴訟で争う意向を示し、又は在留特別許可を希望する理由は大学を卒業したいからである旨の供述をしていたにもかかわらず、前記認定とおり、同処分の取消しの訴えに係る出訴期間中に同訴えを提起していないが、記録からは少なくとも申立人の意思に反して上記訴えに係る出訴期間が経過した経緯が認められるのであって、その経緯等の詳細についても、更に審理を尽くす必要がある。
以上によれば、少なくとも上記の各点について、本案事件において申立人その他の関係者を尋問するなど、更に審理を尽くす必要があり、相手方の指摘するその余の事情をしんしゃくしてもなお、上記の審理が尽くされていない現段階において、申立人に在留特別許可を付与しないとした大阪入国管理局長の判断につき、裁量権の範囲を超え又はその濫用がなかったと直ちに断定することはできないから、本件令書の執行停止の申立てについて、「本案について理由がないとみえるとき」に該当するとまでいえない。
4 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ」(行訴法25条4項)があるか否かについて
相手方は、本件令書の送還部分の執行を停止することになれば、出入国管理行政の迅速かつ円滑な執行を長期間にわたり停滞させることになるなどと主張するが、これらの主張は一般的、抽象的で、具体性を欠いているといわざるを得ず、このことのみをもって公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるということはできない。
また、相手方は、入管法が在留資格の制度を設け、また収容された外国人につき仮放免の制度を設けているにもかかわらず、裁判所において退去強制令書の収容部分までその執行を停止することは、裁判所の関与によって同法が予定しない新たな在留の形態(何らの制約も受けない全くの放任状態での在留)を作出することとなり、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるなどと主張する。
しかしながら、入管法の定める仮放免の制度は、収容令書等の発付を受けて収容されている外国人について特別な事情が生じた場合に当該外国人本人若しくは一定範囲の関係人の請求により又は入国者収容所長等の職権により一時的に収容を停止し身体の拘束を解く制度であるのに対し、行訴法の定める執行停止の制度は、取消訴訟の提起があった場合における執行不停止原則の下での仮の救済制度であって、仮放免においては収容されている者の情状及び仮放免の請求の理由となる証拠並びにその者の性格、資産等を考慮して保証金を納付させ、かつ、住居及び行動範囲の制限等その他必要と認める条件を付すものとされており、執行停止においては本案について理由がないとみえるときに当たらないことが要件とされているなど、両制度は、その趣旨、目的及び要件、効果を異にするものであるから、仮放免に関する規定を根拠に退去強制令書の収容部分について行訴法の執行停止に関する規定の適用が除外ないし制限されると解することができないことはもとより、収容令書等に対する執行停止について類型的に行訴法25条4項にいう公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると解することもできない。また、記録に照らしても、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることについての個別具体的な事情を認めるに足りる疎明資料もない。
5 執行停止の期間について
申立人は、本件令書に基づく執行を本案事件の判決が確定するまで停止することを求めている。しかし、本件令書の執行により申立人に生ずる損害であって、行訴法25条2項にいう「重大な損害」に当たると認められるものは、前記のとおり、同志社大学文学部英文学科における修業が不可能となることであるところ、前記認定事実のとおり、申立人は、原則として平成20年4月1日以降同学科に在籍することができないことに加え、現段階における本案についての理由があるとみえるか否かについての申立人の疎明の程度(前記第3の3参照)等にもかんがみると、当裁判所が、現時点において、本案事件の第1審判決の言渡し後も本件令書の執行を停止すべき要件を継続して存在すると判断することは、困難であるといわざるを得ない。そうすると、本案事件の第1審判決の結論をみた上で、改めて本件令書の執行を停止すべき要件があるかどうかを判断するのが相当である。したがって、現段階においては、本案事件の第1審判決の言渡しの日か
ら30日を経過した日までに限り、本件令書の執行を停止すべきである。 
第4 結論
以上により、本件申立ては、本件令書の収容部分及び送還部分の両方について、本案事件の第1審判決の言渡しの日から30日を経過する日までその執行を停止することを求める限度で理由があるから、これを認容すべきであり、その余の部分は、理由がないから、これを却下すべきである。
よって、申立費用について、行訴法7条、民訴法64条ただし書を適用して、主文のとおり決定する。

難民認定をしない処分取消請求事件(第1事件)
平成14年(行ウ)第390号
退去強制令書発付処分取消請求事件(第2事件)
平成17年(行ウ)第328号
原告:A(第1・第2事件)、被告:法務大臣(第1事件)、東京入国管理局主任審査官(第2事件)
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:古田孝夫・鶴岡稔彦・潮海二郎)
平成19年4月27日

判決
主 文
1 被告法務大臣が原告に対し平成13年12月10日付け(告知は同年12月26日)でした難民の認定をしない処分を取り消す。
2 法務大臣が原告に対し平成17年4月5日付け(告知は同年4月21日)でした原告の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
3 東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成17年4月21日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。
4 訴訟費用は、全事件を通じ、被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
(第1事件)
主文第1項と同旨(以下、同項の処分を「本件不認定処分」という。)
(第2事件)
主文第2項及び第3項と同旨(以下、主文第2項の裁決を「本件裁決」、主文第3項の処分を「本件退令発付処分」という。)
第2 事案の概要
本件は、ミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)国籍を有する原告が、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)の規定に基づいて、被告法務大臣に対し、難民の認定の申請をしたところ、同被告から、難民不該当を理由に難民の認定をしない処分を受けたこと、また、原告に対する退去強制手続において、法務大臣から、法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を受け、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)主任審査官から、退去強制令書発付処分を受けたことについて、これらの各処分には原告が難民であることを看過するなどの違法があると主張して、その取消しを求める事案である。
1 法令等の定め
 難民の意義等
ア 難民の意義
法において、「難民」とは、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう(法2条3号の2)。
難民条約1条A及び難民議定書1条2項は、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民であると定めている。
イ 追放及び送還の禁止
難民条約33条1項は、「締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。」と定めている。
拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)1条1項前段は、「この条約の適用上、『拷問』とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。」と定め、同条約3条1項は、「締約国は、いずれの者をも、その者に対する拷問が行われるおそれがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国へ追放し、送還し又は引き渡してはならない。」と定めている。
 難民認定手続
法(ただし、平成16年法律第73号による改正前のもの)は、難民認定手続について、次のように定めている。
ア 法務大臣は、本邦にある外国人から申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができる(61条の2第1項)。
イ 難民の認定の申請(以下「難民認定申請」という。)は、その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日)から60日以内に行わなければならない(61条の2第2項本文)。ただし、やむを得ない事情があるときは、この限りでない(同項ただし書)。
ウ 法務大臣は、難民の認定をしたときは、当該外国人に対し、難民認定証明書を交付し、難民の認定をしないときは、当該外国人に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知する(61条の2第3項)。
エ 難民の認定をしない処分(以下「難民不認定処分」という。)に不服がある外国人は、その通知を受けた日から7日以内に、法務大臣に対し異議を申し出ることができる(行政不服審査法の規定による不服申立てをすることはできない。61条の2の4第1号)。
オ 法務大臣は、49条1項の規定による異議の申出(後記エ)をした者が難民の認定を受けている者であるときは、50条1項に規定する場合(後記カ)のほか、49条3項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、その者の在留を特別に許可することができる(61条の2の8)。
 退去強制手続
法(ただし、平成17年法律第66号による改正前のもの)は、退去強制手続について、次のように定めている。
ア 本邦に在留する外国人で、在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者(24条4号口)その他の法に規定する事由に該当する外国人については、法に規定する手続により、本邦からの退去を強制することができる(同条)。
イ 外国人が前記アの事由(以下「退去強制事由」という。)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、入国警備官は、主任審査官が発付する収容令書により、当該外国人を収容することができ(39条)、収容した外国人は入国審査官に引き渡さなければならず(44条)、引渡しを受けた入国審査官は、審査の結果、当該外国人が退去強制対象者に該当すると認定したときは、速やかに、主任審査官及び当該外国人にその旨を知らせなければならない(47条3項)。
ウ 入国審査官の認定に対し、当該外国人から口頭審理の請求(48条1項)があったときは、特別審理官は、口頭審理を行い(同条3項)、その結果、入国審査官の認定が誤りがないと判定したときは、速やかに、主任審査官及び当該外国人にその旨を知らせなければならない(同条8項)。
エ 特別審理官の判定に対し、当該外国人から異議の申出(49条1項)があったときは、法務大臣は、当該異議の申出が理由があるかどうかを裁決し、その結果を主任審査官に通知しなければならない(同条3項)。
オ 主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知を受けたときは、速やかに、当該外国人に対し、その旨を知らせるとともに、退去強制令書を発付しなければならない(49条6項)。
カ 法務大臣は、49条3項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、当該外国人が永住許可を受けているとき(50条1項1号)、かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき(同項2号)、その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき(同項3号)は、当該外国人の在留を特別に許可することができる(同項。以下この許可を「在留特別許可」という。)。
キ 退去強制を受ける者は、原則として、その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとし(53条1項)、当該国に送還することができないときは、本人の希望によりその他の国に送還されるものとするが(同条2項)、法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き、退去強制を受ける者が送還される国には難民条約33条1項に規定する領域の属する国を含まないものとする(53条3項)。
2 前提となる事実
 原告の国籍等
原告は、1960(昭和35)年《日付略》、ミャンマー、《地名略》において出生したミャンマー国籍を有する外国人男性である。(乙12)
 原告の入国・在留状況
ア 原告は、2001(平成13)年4月19日、原告名義の旅券を所持し、タイ、バンコクからタイ国際航空便で成田空港に到着し、東京入管成田空港支局入国審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に「IPBA 2001 CONFERENCE」、日本滞在予定期間の欄に「8 Days」と記載して上陸申請をし、同入国審査官から在留資格「短期滞在」、在留期間90日の上陸許可を受け、本邦に上陸した。(乙12、乙13、乙15)
イ 原告は、2001(平成13)年5月1日、東京都豊島区長に対し、同区《住所略》を居住地として、外国人登録法3条1項に基づく新規登録申請をし、同年5月17日、外国人登録証明書の交付を受けた。(乙14、乙22)
ウ 原告は、2001(平成13)年7月9日及び同年10月9日、それぞれ在留期間90日の在留期間更新許可を受けた後、同年12月28日、法務大臣に対し、在留期間更新許可申請をしたが、2002(平成14)年1月9日、不許可処分を受け、同年1月14日の在留期限を超えて本邦に不法に残留した。(乙15)
エ 原告は、2004(平成16)年4月20日、東京都豊島区長に対し、同区《住所略》を居住地として、同年6月2日、東京都文京区長に対し、同区《住所略》を居住地として、それぞれ外国人登録法に基づく居住地変更登録申請をした。(乙22)
 難民認定手続に関する経緯
ア 原告は、2001(平成13)年6月15日、東京入管において、難民認定申請をした。(乙1)
イ 東京入管難民調査官は、2001(平成13)年8月3日及び同年8月17日、東京入管において、原告から事情を聴取する等の調査をした。(乙16の1ないし3)
ウ 被告法務大臣は、2001(平成13)年12月10日、原告の難民認定申請について、本件不認定処分をし、同年12月26日、原告に対し、「あなたの『政治的意見』を理由とした迫害を受けるおそれがあるという申立てについては、これを立証する具体的な証拠がなく、難民の地位に関する条約第1条A及び難民の地位に関する議定書第1条2に規定する『政治的意見』を理由として迫害を受けるおそれは認められず、同条約及び同議定書にいう難民とは認められません。」との理由を付して、これを告知した。(甲1、乙17)
エ 原告は、2001(平成13)年12月27日、被告法務大臣に対し、本件不認定処分について、異議の申出をした。(乙18)
オ 東京入管難民調査官は、2002(平成14)年3月13日及び同年4月5日、東京入管において、原告から事情を聴取する等の調査をした。(乙20の1、2)
カ 被告法務大臣は、2002(平成14)年6月28日、原告の異議の申出は理由がない旨の決定をし、同年7月11日、原告に対し、「貴殿の難民認定申請につき再検討しても、難民の認定をしないとした原処分の判断に誤りは認められず、他に、貴殿が難民条約上の難民に該当することを認定するに足りるいかなる資料も見出し得なかった。」との理由を付して、これを告知した。(乙21)
キ 原告は、2002(平成14)年10月8日、本件不認定処分の取消しを求めて、第1事件に係る訴えを提起した。
 退去強制手続に関する経緯
ア 東京入管入国警備官は、2002(平成14)年2月15日、東京入管において、原告に係る違反調査をした結果、原告が法24条4号ロに該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同年2月22日、東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け、同年2月27日、同令書を執行して、原告を東京入管入国審査官に引き渡した。東京入管主任審査官は、同日、原告の仮放免を許可した。(乙23ないし乙25、乙61)
イ 東京入管入国審査官は、2002(平成14)年2月27日及び同年12月5日、東京入管において、原告に係る違反審査をした結果、同年12月5日、原告が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、特別審理官による口頭審理を請求した。(乙26ないし乙28)
ウ 東京入管特別審理官は、2003(平成15)年12月19日、原告に係る口頭審理をした結果、同日、入国審査官の認定に誤りはない旨の判定を行い、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした。(乙31ないし乙33)
エ 法務大臣は、2005(平成17)年4月5日、原告の異議の申出は理由がない旨の本件裁決をし、その通知を受けた東京入管主任審査官は、同年4月21日、原告にこれを告知するとともに、送還先をミャンマーとする本件退令発付処分をした。(乙42ないし乙45)
オ 東京入管入国警備官は、2005(平成17)年4月21日、本件退令発付処分に係る退去強制令書を執行して、原告を東京入管収容場に収容した。(乙45)
カ 原告は、2005(平成17)年7月22日、本件裁決及び本件退令発付処分の取消しを求めて、第2事件に係る訴えを提起した。
キ 東京入管主任審査官は、2005(平成17)年9月22日、原告の仮放免を許可した。(乙62)
3 本件の争点の概要
本件の争点は、本件不認定処分、本件裁決及び本件退令発付処分(以下「本件各処分」という。)の各取消原因の存否であり、その前提として、原告の難民該当性(原告が、法2条3号の2に規定する「難民」、すなわち、難民条約の適用を受ける難民に当たるかどうか。)が争われている。原告の難民該当性に関する当事者の主張は、後記4及び後記5のとおりであり、本件各処分の取消原因に関する当事者の主張は、後記6のとおりである。
4 原告の難民該当性に関する原告の主張
 本国の一般的情勢
ア 政治情勢
原告の本国ミャンマーでは、ビルマ社会主義計画党による一党支配体制の下で、1988(昭和63)年に学生、市民らによる大規模な民主化要求闘争が行われたが、同年9月18日に軍事クーデターが起こり、国家法秩序回復評議会(SLORC)が全権を掌握して以来、強権的な支配が続いており、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NLD)の関係者など民主化活動家に対する迫害が続いている。
イ 基本的人権の抑圧状況
ミャンマーでは、政治活動家らの身柄拘束、公正な公開裁判の否認、政府・国軍当局による国民のプライバシー、家庭生活、通信等への恣意的な干渉などが常態的にみられ、特に政治囚が拷問や虐待を受けることが日常化しており、これらのことは、米国国務省やアムネスティ・インターナショナルなどの報告によって明らかにされている。
 原告の難民該当性を基礎付ける事実
ア 本国における原告の活動
ア 原告は、1988(昭和63)年当時、ヤンゴン市内の国営百貨店の係長の職にあり、また労働組合の執行委員でもあった。同年8月の「8888」を機に、ヤンゴン市内の国営企業(当時は企業や病院などはほとんど全てが国営であった。)の労働組合は、全市規模でヤンゴンゼネラルストライキ委員会を結成した。ゼネスト委員会は、ビルマ社会主義計画党打倒、一党支配打破、複数政党制による民主主義確立をスローガンとして掲げ、労働組合を組織化し、さらに一般市民も動員して、同年9月18日の国軍によるクーデターまでの約1か月の間に全市的なデモを4回も実行した。原告は、所属する労働組合の代表として他のメンバーとともにこのゼネスト委員会に参加し、これらの活動の決定に関わり、また所属する労働組合への伝達や指導に当たった。
9月18日の軍事クーデターによって、民主化運動が軍事政権によって封じ込められた後、原告は商業省に組織された調査委員会の取調べを受けた。原告に対する取調べは、副局長クラス2名、原告が所属する国営百貨店の上司、商業公社の役人、地区評議会のメンバー、その他1名が担当し、原告は4回にわたって取調べを受けた。原告は取調べで、デモ行進への主導的な関わりの有無、一党独裁打破・複数政党制樹立などを求めたか否か、公務員の服務規則違反の有無等を問われ、前二者についてはこれを認めた。また、調査委員会は原告やその他の2名の労働組合員がゼネスト委員会に参加していることを知っており、取調担当者は原告に対し、「軍情報部が調べている。」と述べて、原告の活動を軍情報部(MI)も把握していることを示唆した。
その後、原告は、「公務員であるにもかかわらず反政府行動に率先して参加したこと」を理由に1年間5割減給という厳しい処分を受け、さらに「今後こうした活動に一切参加しない」との誓約書にサインを強要された。
1990(平成2)年、原告が勤務していた国営百貨店は解体され、従業員は全員その職を解かれた。しかし、従業員の中には解雇されることなく他の職場に配転された者もあったが、原告を含む数人は従業員の中で真っ先に解雇された。
イ 原告は、それ以前に弁護士資格を取得していたので、解雇後、弁護士としての仕事を始めた。ただし、原告が有していたのは上級弁護士という資格で、区の裁判所での裁判、5000ないし1万チャットの民事事件、懲役1年以下の刑事事件のみを扱うことが認められていた。
ウ 原告は、1990(平成2)年の総選挙に際し、NLDが公表した政策方針に共感し、同党の候補者を応援することを決めた。しかし、原告自身がNLDに入党することは、かえって軍事政権側からマークされ活動に制限が加わると考え、同党には入党せず、外部からシンパとして応援することにした。そして、チャウダダー地区でNLDから立候補したザベーウーウーティンソウの選挙活動を応援することとなった。原告は、候補者自身やNLDの選挙活動とは別に、有権者の家を戸別訪問し、ザベーウーウーティンソウの人物や経歴、この選挙の意義、NLDの政策などを説いて、NLDの候補者に投票するよう訴えて回った。
選挙の結果ザベーウーウーティンソウが当選したが、原告は落選した反対陣営の候補者から密告を受け、地区法秩序回復評議会に呼び出され、尋問を受けた。そして、チャウダダー地区のMIの責任者であったミンスエ軍曹から「ここに住んでいる限り、政治活動はやるな。やったら捕まえる。」との警告を受けた。なお、チャウダダー地区で密告により呼び出され警告を受けたのは原告1人であった。
エ 原告は、2001(平成13)年4月にミャンマーを出国するまでの間、新規の会社登記を担当する弁護士として働いていた。出国前年の2000(平成12)年4月にはaという小さな個人事務所を設立し、大企業の商標登録の仕事にも携わった。
原告は、このような日常業務に従事する一方で、軍事政権以前の内閣の閣僚であったBのアシスタントとして働いていた。原告の父がBと親しかったことから、身元のはっきりしている信用できる人間であり、また弁護士の資格を有し法律に照らした判断ができ、さらに独身で迅速に行動できる原告に対し、様々な調査が任された。
Bが原告に指示した調査の対象は、主に社会的な事件や問題に関することであった。一例を挙げれば、米国麻薬撲滅局(DEA)からミャンマー国内における麻薬の生産状況についての調査の依頼を受けたBの指示で、1993(平成5)年に、シャン州ラショー郡タンヤン地区近郊のホーヤ村に赴いて麻薬の原料である芥子の栽培及び麻薬の製造についての調査を行った。この地区は芥子栽培で世界的に有名な「黄金の三角地帯」の中であり、シャン族、ワ族といった少数民族が居住し、芥子の栽培をしていた。シャン州ラショー以東は武装ゲリラが活動する「ブラウン地域」とも呼ばれ、一般人の出入りが制限されていた。原告は薬の行商人を装って、政府の許可を得ずに同地域内に立ち入り、写真の撮影などの調査をした。原告はこの調査の際、軍の検問に遭遇し、自由に立ち入りできない地域である旨の警告を受けるとともに、住所氏名を尋ねられ、国民登録証を提示させられた。さらに原告は、立ち入りの目的や地域内で会った人間等について尋問を受けた。原告は、「Bの要請で米国DEAのために麻薬の栽培状況の調査をしていた。」と事実を述べたら即刻逮捕されると判断し、「ホーヤ村の知り合いのところから頼まれて家庭用の薬を持っていった。」と嘘をついて検問を逃れた。
原告がBの指示で行った調査の中には、その他に砂金採掘場での外国企業の水銀垂れ流しによる河川の汚染の調査などもあった。
オ 1998(平成10)年2月、NLDチャウダダー地区支部のメンバーであり民主化活動家のCが逮捕され、国家治安維持法5条10項違反を理由に刑務所に収監された(同項違反の罪は裁判なしで懲役刑を科すことができる。)。原告は、Cの親族やNLDの依頼を受けて、NLD党員のDとともに、Cに面会に行き、被疑事実を聴取した。またCの弁護には原告が有しない中央裁判所弁護士の資格が必要であったため、資格を有する弁護士に弁護を依頼するなどの活動をした。Cとの面会の際に、原告は面会簿に住所氏名を記載し、また国民登録証を持参し提示した。さらに最初の面会の際には写真も撮られた。
原告がCの支援活動に関わるようになってから、町中で頻繁にMIの軍人や警察官と出会ったり、来訪者の調査と称して2、3日に1回、多いときには週に4回、5回と自宅にやってくるなど、原告に対する威嚇の意味を含めて原告を見張っていると感じられる出来事が続いた。その後、この件でチャウダダー地区評議会を通してMIの軍人から呼び出され、「政治家と関わることをしていると逮捕する。」と警告された。
カ 2000(平成12)年以降、原告は弁護士仲間らとaのオフィスで定期的に会合を開き、ビルマ民主化のための活動について話し合った。この当時、チャウダダー地区のMI担当者が頻繁に原告宅を訪れ、来訪者を問い質していたことから、当局は原告らの会合を察知していたものと推測される。
キ 1988(昭和63)年のミャンマーにおける民主化運動は、学生、旧軍人及び知識人の3つのグループがそれぞれの立場で活発に活動し、全体としての民主化活動を担っていた。弁護士は知識人グループを構成し、自由と民主主義、基本的人権の尊重を要求していたことから、軍事政権からは潜在的「敵性」職業集団として警戒されることとなり、職能集団としても、また個人としても常に監視されていた。軍事政権によって設立されたミャンマー弁護士会とヤンゴン弁護士会以外には任意の弁護士グループすら結成が許されなかったことは、その一例である。
また、弁護士に対する政治的抑圧も度々行われていた。一例として、ある村の土地が恣意的に農民から取り上げられ退役軍人協会に供与されてしまった、という事件について、Eという弁護士が社会問題として取り上げ、ILOに通告したところ、そのことが理由で2005(平成17)年8月に逮捕され、7年の懲役刑を宣告されると同時に弁護士資格も剥奪される、という出来事があった。ILOがミャンマー政府に対して「Eを釈放しないと強制労働問題について更に厳しく追及する。」と圧力をかけたため、彼は翌2006(平成18)年6月に釈放されたが、釈放される際に、「もう一度犯罪を犯したら残った刑期と新しい犯罪の刑を併せて科する。」と警告を受けた。
原告自身も、弁護士として軍事政権から注意をもって監視される立場にあった。その上、先に述べたとおり、かつて労働組合の執行役員として自ら反政府・民主化運動に関与したのみならず、組合員も反政府・民主化運動に動員したり、総選挙に際しNLD候補者を支援したり、シャン州のブラウン地区で麻薬栽培調査を行い、NLD党員のCの支援活動をするなど、逮捕・拘束こそされなかったものの、軍事政権が嫌悪するような、政権に対する批判的活動を支援し、また自ら軍事政権下のミャンマー社会のネガティブな側面を調査し明
らかにしようとする活動を行っていた。そして組合員としての活動の際には減給処分を受け、総選挙の際には地区評議会から警告を受け、麻薬調査の際には無許可でブラウン地域に立ち入った者として住所氏名を記録され、Cの事件でも住所氏名を記録されている。特にC事件の際には上述したような原告自身が軍当局から監視されていると感じられる特徴的な出来事が続いたのであり、軍事政権としては、原告の活動に関する十分な記録を所持していることは明らかである。
イ 旅券取得と出国の経緯
ア 原告は、1998(平成10)年3月にパスポートを取得した。具体的な出国予定はなかったが、いずれ海外で国際的な問題について弁護士としての知識と経験を積みたいという思いと、いずれ自分に身の危険が及び国内にとどまれなくなるのではないかという不安から、万が一の時のためにパスポートを取得しておくことを考えた。
パスポートの取得に必要な書類の準備はブローカーに依頼し、写真撮影と申請書の提出は原告自身が行った。しかしブローカーから、かつてブラウン地区に無許可で立ち入ったことが原因で内務省旅券局の旅券発給拒否者のリストに原告が挙げられているため賄賂を払わないと旅券の発行を受けられないと言われた。そのため原告はブローカーに、旅券発給担当者に払う賄賂のための金として、3万ないし4万チャットを渡し、さらに、ブローカーに対する費用として、約3000チャットを支払った。
イ 1999(平成11)年、原告は友人から環太平洋法律家協会(IPBA)について話を聞き、国際商標権に関する知識を得たり、また外国の弁護士と人権問題について情報交換をしたいと考えた。そして、2001(平成13)年の日本における第11回大会に参加の申込みをした。
IPBA大会のような国際会議に参加する際にはミャンマーでは政府の所轄機関の許可が必要であるが、原告は許可される見込みがないと考え、必要な許可の申請をしなかった。そしてヤンゴンの日本大使館から査証の発給を受け、4月18日にタイ国際航空便でヤンゴンを発ち、翌19日に東京に到着した。
ウ 日本での活動と難民認定申請の経緯
ア 東京に到着した原告は、兄の友人であり日本に在住していたビルマ人Fに迎えられた。
原告は在日ビルマ人活動家らの民主化実現のための活動の状況を聞き、原告からも本国の現状を伝えて情報交換をするとともに、その活動状況や意見交換の結果を国で民主化のために密かに活動している人々に伝えることを期待していた。そこでFは原告にビルマ日本事務所(BOJ)のGやNLD-LAの役員であるHを紹介した。
原告は、来日後はHの家に居候をして、多くの在日ビルマ人民主化活動家と面談した。
例えば、I(bレストラン店主)、G(BOJ)、J(LDB)、K(RFA)、L(NLD-LA)などであった。原告は滞在期間の多くをこれらの在日活動家らとの意見交換や交流に割いた。他方で原告はIPBA大会にはほとんど参加しなかった。
IPBA日本大会にはミャンマーから原告を含め6人の弁護士が参加したが、原告とMの2人は、在留期限ぎりぎりまで日本に滞在し、日本での民主化活動の状況を把握することに努めた。また5月27日には、在日ビルマ人活動家達と共に、1990年総選挙11周年を記念したデモ行進に参加した。
イ 原告は、来日時及び来日後もしばらくの間は、在留期間が満了したならば帰国する予定であった。ところが、6月初めに原告が本国の家族に国際電話をかけて話した際、姉から、地区評議会の役人がMIを伴って原告の自宅を訪れ、帰国予定を家族に尋ねていった、と告げられるとともに、「あなたが帰国したら逮捕されるから帰らないで。」と警告を受けた。
また、同じころにヤンゴン在住の友人に電話をしたところ、原告と一緒に来日し先に帰国した弁護士のうちNという男性弁護士ともう一人の女性弁護士が空港で拘束され、取調べを受け、今後旅券を発行しないとの処分を言い渡された、他の2人についても確かではないがやはり帰国時に取調べを受けたらしい、と知らされた。
日本から帰国した彼らに対する事情聴取の内容が日本滞在中の行動や接触した人物に関するものであることは明らかであり、在留期限ぎりぎりまで日本に残った原告及びMについても質問をするであろうこと、それに対し彼らが、原告が在日ビルマ人活動家らと頻繁に接触をしていたことを供述するであろうことは十分に予測された。
原告はこれらの知らせに接して、帰国するのは危険だと考えたが、その時点では未だ日本に難民認定制度があることを知らず、どのようにしたら帰国した際の迫害から逃れられるだろうか、とGに相談をした。それに対してGは、法律に合致する方法で原告の立場を何とかする方策がある、と助言して原告に弁護士を紹介し、Gと原告と弁護士が三者で面談した際に、難民認定申請という手段があることを知らされた。また同時に、難民認定申請をするならば60日以内に申請をする必要があることも告げられた。そこで原告は、本国
に帰国した際に受けるであろう迫害を避けるため、難民認定申請の準備を始め、申請期間満了間際の2001(平成13)年6月15日に難民認定申請を行った。
ウ 原告は、難民認定申請前に1回、申請後に数回、RFA(ラジオ・フリー・アジア)のジャーナリストであるKのインタビューを受けて、ミャンマーの情勢について発言し、その発言がラジオで放送された。放送日(一部は正確な日付が不明)は、2001(平成13)年5月、同年6月、同年7月15日、同年12月29日及び2002(平成14)年3月19日であった。
また、原告はNLD-LAなど特定の団体には所属していなかったが、NLD-LAやBOJとの関係を有し、その活動に参加し、デモ行進にも積極的に参加している。例えば2002(平成14)年3月だけでも4日、7日、11日、12日、20日、22日の計6回、行動に参加している。
その際にはミャンマー大使館前でもデモ行進を行い、原告の姿は大使館職員によって撮影されているものと考えられる。
原告はまた、軍事政権から反政府団体としてマークされている全ビルマ学生民主戦線(ABSDF)を支持し、同議長コウタンケーが来日した際には会合を持ち、ABSDFに対し約5回、金額にして約10万円ほどのカンパを送金している。他方、原告は来日後、本国の家族に対して送金をしたことはない。
その他、アクティビストパーマフリーダムプロジェクト(ABFP)のメンバーとして活動し、またドーサンサンの指導の下に作られた「ヒューマンリゾースディベロップメントオブパーマ」で政策主任の地位にある。
 まとめ
以上のとおりであるから、原告は、本国に帰国した際にはその身柄を拘束され、軍事政権に対する敵対行為をしたとしてその政治的意見を理由に処罰を受けるおそれがあり、難民該当性が認められる。
なお原告は、本国における反政府活動を難民該当性の中心的な理由としてはいない。むしろ、来日後の在日ビルマ人活動家らとの交流・情報交換が先に帰国したビルマ人らによって軍政府当局に知られてしまったこと、そのために反政府思想を有する者として軍事政権に把握されたことが、帰国したならば迫害を受けるであろうと考えるに至った理由であり、この点が原告の難民該当性の中心的な理由である。
本国における原告の活動は、原告が来日後突如として反政府活動に目覚めたものではなく、ミャンマーの民主化を求め、軍事政権の支配に反対するという政治的意見を1988年以来持ち続けている者であることを裏付ける事実であり、同時に、上述したとおり原告の本国での活動の故に軍事政権にとって危険な、注意すべき人物として記録され把握されていることを示す事実である。すなわち、原告は本国での活動の故に帰国したら迫害を受ける、とするものではないが、本国での活動の故に帰国したら迫害を受けるおそれがいっそう高まっている、と主張するものである。
5 原告の難民該当性に関する被告らの主張
 本国での政治活動を理由として迫害を受けるおそれはないこと
ア 1988(昭和63)年の活動について
原告の供述を裏付ける客観的証拠はないばかりか、原告は、難民調査の段階では、「8888」のデモに参加するためにストライキ委員会に参加した旨、同委員会は国営百貨店内部の組織であった旨供述していたのに、本人尋問において、ストライキ委員会は「8888」の後に結成された旨、「8888」のデモには一市民として参加した旨、ヤンゴン市内の国営企業の労働組合が、全市規模でストライキ委員会を結成し、原告は職場の代表として同委員会に参加した旨供述し、ストライキ委員会に参加した目的及び経緯並びに同委員会の組織構成について、合理的理由なく供述を変遷させている。したがって、原告が1988(昭和63)年当時ストライキ委員会において中心的活動をしていたことに関する供述は信用できず、その活動を理由に減給処分を受けたとする供述も信用できない。
また、原告の供述によっても、原告は、自己が勤務していた国営百貨店の労働組合の執行委員の一人として、集会やデモの際のスローガンやプラカードの中でどのような言葉を強調するかを各組織に伝達していたストライキ委員会の会合に参加していたにとどまり、デモを行った回数も4回程度で、しかもそのデモの中で演説するなど目立った活動をしていたとも認められず、さらに、原告は、調査委員会から、公務員の規則を犯したことを理由に減給処分に処されたというのであるから、結局、原告は反政府活動を直接の理由として処分されたものではなく、また、原告の活動は、調査委員会から減給処分で足りると判断される程度のも
のであったというべきである。したがって、1988(昭和63)年当時、全国規模で民主化運動の起こっていたミャンマーにおいて、原告が本国政府から積極的な反政府活動家として関心を寄せられていたとは言い難く、また、当時の原告の活動に関する処分は、上記の減給処分で済んでいるというべきであるから、本件各処分時において、原告が1988(昭和63)年8月から9月にかけてデモ活動等を行っていたことを理由として、本国政府から積極的な反政府活動家として関心を寄せられていたとは言い難い。
なお、原告は、本人尋問において、原告が1990(平成2)年に国営百貨店を解雇されたのは、1988(昭和63)年8月から9月にかけてデモ活動等を行っていたことを裏付ける根拠の処罰の一つであると供述するが、その証拠はなく、また、原告は、そのことを本人尋問に至るまで一切供述しておらず、信用することはできない。また、原告がそのころ同百貨店を解雇されたものであるとしても、解雇された時期は、百貨店を含む商業省の商業公社が解体された時期であったというのであるから、原告が解雇されたのは同百貨店の解体に伴う人員整理によるものと考えるのが自然であって、そのこと以上に、原告がデモ活動等を行ったことを理由として処分されたものとは認められない。
イ NLD候補者の支援活動について
原告の供述を裏付ける客観的証拠はない上、原告は、この事実について、難民調査時には一切供述しておらず、退去強制手続における口頭審理の段階で、原告が追加資料として提出した陳述書「逮捕状が出た経緯」の中で初めて述べたものであり、信用することができない。
また、原告が供述するとおり、MIの責任者から警告を受けるほど、NLD候補者の支援をしていたのであれば、NLDの党員になるのが自然であるが、原告はNLD党員になっておらず、このことは、当時、原告がNLDの支援活動を行っていなかったことを推察させる事情というべきである。
また、原告の供述によっても、NLD候補者の選挙活動を応援しただけであり、NLDが1990(平成2)年に行われた総選挙において485議席中392議席を獲得していることからすれば、当時のミャンマーにおいてNLDの支援者は相当多数存在したというべきであるから、原告がMIの責任者から警告を受けたとは考え難い。
ウ Bのアシスタントとして行った活動について
原告の供述を裏付ける客観的証拠はない上、原告は、この事実について、難民調査時には一切供述しておらず、退去強制手続における口頭審理の段階で、原告が追加資料として提出した陳述書「逮捕状が出た経緯」の中で初めて述べたものであり、信用することができない。
また、原告は、退去強制手続時には、調査の際、カメラを持参していなかったことを前提とした供述をしていたにもかかわらず、本人尋問においては、調査活動においてカメラを持参していたと供述を変遷させており、この点においても原告の供述を信用することはできない。
また、仮に、原告の供述を前提としても、原告は、原告が政治活動をしているということで警告を受けたものではなく、原告が身分を明かしても、ブラウン地域に許可なく立ち入るなと警告された程度で済んでいるのであるから、当時、原告が反政府活動家としてミャンマー政府の監視対象になっていなかったことは明らかである。
エ NLDメンバーのCに対する支援活動について
原告の供述を裏付ける客観的証拠はないばかりか、原告は、難民調査の段階では、逮捕された人自身とは全く連絡が取れなかったため代理人としての仕事を終えた旨、この事件が解決したのか分からない旨、被疑者(逮捕された人)との面会をしようとしたが、結果的に会うことができなかった旨述べていたにもかかわらず、本人尋問においては、Cとは4回くらい面会した旨、Cは誓約書に署名をして釈放された旨供述を変遷させており、原告の供述の変遷には合理的理由がなく、信用することはできない。
この点をおくとしても、原告の供述によれば、原告はCを支援するため、同人が拘束されている施設に代理人として訪れているが、当局から尋問や身柄拘束を受けたことはないというのであるから、本国政府が原告に対して何ら関心を寄せていないことは明らかである。
オ 弁護士仲間らと会合を持って話合いをしていたことについて
原告の供述を裏付ける客観的証拠はない。また、原告の供述によっても、弁護士仲間とのグループには特に名称はなく、当局に捕まるので一般の人にビラなどを配布したことはなく、少しでも政治にかかわることは逮捕の対象になるから秘密裏に行っていたというのであるから、結局、これらの活動は、原告の難民該当性に影響を与えるような反政府活動とはいえない。
また、原告は、弁護士は、本国政府から監視・抑圧されており、警戒されていた旨主張・供述するが、原告の供述によっても、ミャンマーにおいては上級弁護士が1000ないし2000人、最高裁判所弁護士が100人前後いるほか、中央裁判所弁護士もいるというのであるから、このような多数の弁護士が、本国政府から監視・抑圧されているとは考え難く、この点に関する原告の供述も信用することができない。

退去強制令書発付処分取消等請求事件
平成18年(行ウ)第112号
原告:A、被告:国
東京地方裁判所民事第2部(裁判官:大門匡・吉田徹・小島清二)
平成19年6月14日

判決
主 文
1 東京入国管理局長が平成17年12月21日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。
2 東京入国管理局主任審査官が平成17年12月21日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
主文第1、2項と同旨
第2 事案の概要
本件は、後記前提事実のとおり、ミャンマー国籍を有する原告(男性)が、上陸許可を受けた際の在留期限を超えて本邦での滞在を続けていたところ、退去強制手続において不法残留の容疑者と認定され、出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出について理由がない旨の裁決がされ、さらに、原告に対する退去強制令書の発付処分が行われたことから、日本人女性と結婚している原告をミャンマーに送還した場合、夫婦の一体性を破壊し著しく酷な結果を招くとともに、自由権規約等にも反するものであって、原告に在留特別許可を与えないでされた上記裁決等は裁量権を著しく逸脱したものであるなどと主張する原告が、上記裁決及び処分の取消しを求めている事案である。
1 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
 原告の身上並びに入国及び在留状況
ア 原告は、《日付略》、ミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)のヤンゴンにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人男性である(乙2)。
イ 原告は、平成10年1月8日、広島県福山港に入港したカンボジア船籍貨物船「a」号の乗員として、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)16条に定める乗員上陸の許可を受け本邦に上陸したが、許可期限の平成10年1月15日を超えて本邦に不法に残留した(乙1、3)。
ウ 原告は、平成17年1月20日、千葉県市川市長に対し、居住地を市川市《住所略》(以下「原告アパート」という。)とする外国人登録法3条1項に基づく新規登録をし、外国人登録証明書の交付を受けた。その際、日本名を「A’」として登録をした。(以上につき、甲1、乙1)
エ 原告は、平成18年1月26日、千葉県市川市長に対し、日本人女性のB(《日付略》生。以下「B」という)との婚姻の届出をした。同市長は、平成18年1月26日、千葉県地方市川支局に受理照会を行ったところ、同年2月17日、受理が許可され、同市長は、同月20日、当該許可を受領した。(以上につき、甲3)
 本件裁決及び本件退令発付処分に至る経緯
ア 原告は、平成17年11月18日、入管法違反容疑により、警視庁小岩警察署警察官に逮捕された(乙7)。
イ 原告は、平成17年12月1日、東京地方検察庁検察官により、上記アの容疑について起訴猶予となった(乙6、9)。
ウ 東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国警備官は、平成17年11月30日、原告が入管法24条6号(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け、同年12月1日、収容令書を執行して、原告を東京入管収容場に収容した(乙8)。
エ 東京入管入国警備官は、平成17年12月1日、東京入管において、原告に係る違反調査をした(乙9)。
オ 東京入管入国警備官は、平成17年12月1日、原告を入管法24条6号該当容疑者として、東京入管入国審査官に引き渡した(乙10)。
カ 東京入管入国審査官は、平成17年12月2日及び同月7日、東京入管において、原告に係る違反審査をし、その結果、同日、原告が入管法24条6号に該当し、かつ出国命令対象者に該当しない旨の認定をし、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理を請求した(甲4、乙11、12)。
キ 東京入管特別審理官は、平成17年12月14日、東京入管において、Bから事情聴取をした(乙13)。
ク 東京入管特別審理官は、平成17年12月14日、東京入管において、原告について口頭審理を行い、その結果、同日、入国審査官の上記カの認定に誤りはない旨判定し、原告にその旨通知したところ、原告は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした(甲5、乙14、15)。
ケ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は、平成17年12月21日、上記クの異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、同日、東京入管主任審査官に同裁決を通知した(乙16、17)。
コ 上記ケの通知を受けた東京入管主任審査官は、平成17年12月21日、原告に本件裁決を告知するとともに、退去強制令書の発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)をし、東京入管入国警備官は、同日、同退去強制令書を執行した(甲6、乙18)。
サ 東京入管入国警備官は、平成18年2月16日、原告を入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収した。東日本センター所長は、同年9月22日、原告の仮放免を許可した。(以上につき、乙18、20)
2 争点
本件における主要な争点は、本件裁決及び本件退令発付処分が適法であるか否か、原告に在留特別許可を与えないでした本件裁決に裁量権の範囲を逸脱・濫用した違法があるか否か(特に原告の夫婦関係の評価)である。
第3 争点に対する判断
1 在留特別許可の許否に関する適法性の判断基準
 入管法は、24条各号掲記の退去強制事由のいずれかに該当すると思料される外国人の審査等の手続として、特別審理官が、口頭審理の結果、外国人が同法24条各号掲記の退去強制事由のいずれかに該当するとの入国審査官の認定に誤りがないと判定した場合、当該外国人は法務大臣に対し異議の申出ができると規定している(同法49条1項)。そして、法務大臣がその異議の申出に理由があるかどうかを裁決するに当たっては、たとえ当該外国人について同法24条各号掲記の退去強制事由が認められ、異議の申出が理由がないと認める場合においても、当該外国人が同法50条1項各号掲記の事由のいずれかに該当するときは、その者の在留を特別に許可することができるとされており(同条1項柱書)、この許可が与えられた場合、同法49条4項の適用については、異議の申出が理由がある旨の裁決とみなすとされ、その旨の通知を受けた主任審査官は直ちに当該外国人を放免しなければならないとされている(同法50条3項)。
 前記前提事実(第2の1)イのとおり、原告は入管法24条6号の退去強制事由に該当することから、本件裁決の実体法上の適法性に関しては、原告が同法50条1項4号に該当するか否かが専ら問題となるものである。
 ところで、国際慣習法上、国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、専ら当該国家の立法政策にゆだねられており、当該国家が自由に決定することができるものとされているところであって、我が国の憲法上も、外国人に対し、我が国に入国する自由又は在留する権利(又は引き続き在留することを要求し得る権利)を保障したり、我が国が入国又は在留を許容すべきことを義務付けたりしている規定は存在しない。
また、入管法50条1項4号も、「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」と規定するだけであって、考慮すべき事項を掲げるなど、その判断を羈束するような定めは置かれていない。そして、こうした判断の対象となる外国人は、同法24条各号が規定する退去強制事由のいずれかに該当しており、既に本来的には我が国から退去を強制されるべき地位にある。さらに、外国人の出入国管理は、国内の治安と善良な風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって、その性質上、広く情報を収集し、その分析を踏まえて、時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり、高度な政治的判断を要求される場合もあり得るところである。
 以上の点を総合考慮すれば、在留特別許可を付与するか否かの判断は、法務大臣又は法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下「法務大臣等」という。)の極めて広範な裁量にゆだねられているのであって、法務大臣等は、我が国の国益を保持し出入国管理の公正を図る観点から、当該外国人の在留状況、特別に在留を求める理由の当否のみならず、国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲等の諸般の事情を総合的に勘案してその許否を判断する裁量権を与えられているというべきである。そして、在留特別許可を付与するか否かに係る法務大臣等の判断が違法となるのは、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、法務大臣等に与えられた裁量権の範囲を逸脱し、又ほそれを濫用した場合に限られるものと解するのが相当である。
 なお、原告は、本件裁決及び本件退令発付処分は、原告とBが夫婦関係にあることから、考慮されるべき市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)17条1項、23条の規定を全く考慮しないままされたものであって、同規約に違反するものであると主張する。
しかしながら、B規約は、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかを、専ら当該国家の立法政策にゆだねており、これらを自由に決定することができるとする前記の国際慣習法上の原則を排斥する旨の明文の規定を設けておらず、かえって、B規約13条において、合法的に締約国の領域内にいる外国人について、法律に基づいて行われた決定によって当該領域から追放することを容認していることからすれば、上記国際慣習法上の原則を前提としており、これを基本的に変更するものではないと解するべきである。したがって、家族の統合や夫婦関係の保護は、一般論として、尊重に値する普遍的な価値を有しているものといえ、法務大臣等が在留特別許可を付与するかどうかを判断する際に考慮されるべき要素になり得るとまではいえるものの、B規約の規定が直接法務大臣等の判断
を規制するものとまではいえない。在留特別許可を付与しなかったために、家族の統合や夫婦関係に係る利益が損なわれる結果が生じたとしても、それだけでは裁量権の範囲を逸脱又は濫用したことにはならないと解するのが相当である。
2 本件裁決における裁量権の範囲の逸脱又は濫用の有無等
 上記1で述べたところに従い、法務大臣から授権された東京入国管理局長が本件裁決をするに当たり、その裁量権の範囲の逸脱又は濫用に相当するような事情があったか否かという観点から、本件裁決の適法性について検討を加えることとする。
 前記前提事実並びに甲14、21、22、乙12から14まで、証人Bの証言、原告本人尋問の結果及び掲記の証拠によれば、以下の事実を認めることができる。
ア 原告は、父Cと母Dの間の1男4女の長男として生まれ、姉4人がいる。父は1986年ころに死亡し、また、姉4人はいずれも結婚しているが、1番年上の姉と3番目の姉は、それぞれ2人の子供をもうけた後、いずれも夫を亡くしている。母は1番年上の姉及びその子らと同居しており、年金を主な収入として生活している。
イ 原告は、高校中退後、ヤンゴン市内で中古車販売業や飲食業に従事していたところ、母や未亡人となった姉家族の面倒をみるのに、より多くの収入が得られる船員として働くことにし、コックとして「a」号に乗り込み、中国、韓国及び日本間の航路で働き、本邦にも過去3回寄港・上陸したことがあった。しかし、韓国人船員との折り合いが悪かったことのほか、本邦で稼働した方が更に多くの収入を得られると考え、同僚の乗組員Eと相談して、本邦への到着後、そのまま逃亡することを決意し、平成10年1月の広島県福山港への入港時、Eと行動を共にして、下船したまま船に戻らなかった。
ウ 原告は、a号から逃げた後、茨城県の友人宅に身を寄せ、同県《地名略》の建設会社・b工業で解体工や型枠大工として3年間稼働した。そして、平成13年1月からは、東京都調布市《地名略》の友人のアパートに居住し、東京・上野所在のスーパーマーケットである「c」で弁当の製造販売等の仕事に従事した。
エ 原告は、cで稼働を始めて間もなく、同スーパーの経営者Fの娘で、同スーパーで働いていたBと知り合い、同じ売り場を担当していたこともあって、平成13年8月ころから、親しく交際するようになった。Bは昭和58年1月にGと結婚していたが、当時別居状態にあって、千葉県《住所略》にある実家で両親及び兄一家と同居しており、平成13年9月5日には、Gとの間の協議離婚の届出をした。(以上につき、甲2)
オ 原告のcへの出勤時間が朝早く、前記調布市のアパートから上野までは通勤時間も長かっ
たこと、原告がBの自宅の近くに住みたいという希望を述べたこと等から、Bは、平成13年9月、Bの母・Hに保証人となってもらって千葉県《住所略》の原告アパートを賃借し、原告はそこに転居した。Bは、原告アパートを頻繁に訪れ、そこに泊まることもあり、平成14年1月ころからは、主に原告アパートで暮らすようになり、原告との同居生活を始めた。もっとも、原告アパートはワンルーム形式で狭く、季節が異なり使用しない衣類その他の荷物はBの実家にそのまま残してあった。なお、Bの両親は、原告とBの交際を認めており、両名と一緒に食事をすることもあった。(以上につき、甲2、28、29)
カ 平成15年6月にはcの経営状態が悪化し、給料の支払が遅れるようになったことから、原告は同スーパーを退職した。退職後、東京都葛飾区の建設会社・d建設に移り、型枠大工として約2年間稼働した後、平成17年2月からは千葉県市川市のIの下で型枠大工として稼働した。
キ 平成15年8月初めにはcが倒産し、同年11月にはBの父Fが胃癌で死亡した。このため、Bがcの残務整理にあたるところとなり、平成17年2月までに父所有の不動産を売却するなどして精算を終えた。この間、Bは残務整理に忙しかったこともあって、原告アパートには戻らないこともあった。また、Bは、cの経営が悪化して給料の支払が受けられなくなってから、母親その他の親族からの援助も受けていた。(以上につき、甲23)
ク 原告は、労働福祉事業団からcの未払賃金の立替払を受けるために、銀行口座を設定する必要が生じたが、その際、旅券を提示しなければならなかった。そこで、離船時に船長に預けたままにしてあった旅券を取り戻すために、平成16年2月3日、東京入管に出頭して、帰国希望の申告を行った。その際提出した申告書には、原告アパートの記載はなく、友人の兄が住んでいた新宿区《住所略》のアパートを居住地として記載し、申告の理由の欄には「HOMESICK」と記載した。(以上につき、乙5の1・2)
ケ 原告は、平成16年2月24日には、ミャンマー大使館に合計23万円を支払い、旅券の有効期間の延長手続を受けた(甲24から26まで)。
コ 原告とBが平成14年1月ころに同居を始めたころ、原告がBに対して求婚をしたことがあったが、ミャンマー大使館では、本邦に在留する者から「税金」と称して金銭を徴収しており、原告は、滞在を始めてからそうした金銭を一切支払っていなかったため、大使館を通じて書類の入手を行おうとする場合、一括して滞納分の支払を求められるおそれがあった。
そして、原告及びBともほとんど蓄えがなく、その支払が困難だったこともあって、Bは、結婚は経済的余裕ができてからにしようと答えた。その後、Bの父の病気やcの倒産等の事情があって、結婚の話がそれ以上具体的に進展することはなかった。また、原告は、前記クの東京入管への出頭前、Bに対して、一緒に帰国してミャンマーで生活する意思がないか、確認したこともあったが、Bからは、母親もおり日本を離れることはできないと言われ、ミャンマーに帰国することはあきらめるところとなった。
サ 原告とBが共にcに勤めている間は、それぞれが給料の支払を受けており、原告からBにお金を渡すこともなかったが、同スーパーの経営が悪化して、原告が勤め先を変え、Bが給料の支払を受けられなくなってから、原告は、Bに月1万円の小遣いを渡していた。原告は、cの退職後の勤め先からは、月給約22万円を得ていたが、そこからアパートの家賃(月額6万5000円及び小遣いの1万円をBに手渡し、アパートの水道光熱費を自ら支払うほか、Bが食料品や日用品を購入してきた際は、その費用を手渡していた。なお、Bは、cの残務整理が終わった平成17年8月からは弁当屋で、同年11月以降は、倉庫会社で、それぞれ稼働を始めており、倉庫会社では、午前7時から午後3時まで稼働して時給1000円の支払を受けているが、倉庫会社から退社した後は、母が膝を治療中であることや、兄夫婦が共働きであること等から、実家に寄って家事の手伝いをしており、兄夫婦の子供の面倒をみていた。
シ 原告は、本国の母に平成16年ころまで、年間10万円程度の仕送りをしており、原告の母は、これを本国の銀行に預金し、その利子を収入の足しにしていたが、その銀行が倒産したことにより、預金を失う結果となった。
ス Bは、原告が逮捕されてから、本国の原告の姉と連絡を取り、身分証明書、宣誓供述書、出生証明書、家族構成員リストを入手し、これを添付書類として婚姻届を提出した。その際、届出先の市川市長にあてて、原告が入管法違反容疑で逮捕されているが、4年前から原告とBは同棲しており、婚姻の手続完了後、東京入管に在留特別許可を求める意向である旨を述べ、早期の処理を求める書面を併せて提出した。(以上につき、甲2)
セ Bは、平成18年10月14日、《住所略》所在のアパート(e)を新たに賃借しており、仮放免された原告と共に、同所で生活している。また、Bの母及び兄家族は、平成17年4月以降、同市へ転居している。(以上につき、甲30)
 ところで 婚姻とは、両性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真しな意志をもって共同生活を営むこと(以下、これを「真しな共同生活」と略称する。)を本質とする特別な身分関係であり、入管法上婚姻関係を保護するとすれば、男女の間にこのような特別な関係が存在するからこそである(最高裁判所平成14年10月17日第一小法廷判決・民集56巻8号1823頁参照)。このことに加え、前記1で検討した法務大臣等の裁量を前提にすると、日本人と婚姻をしている不法残留外国人に対して法務大臣等が在留特別許可をするか否かを判断する場合、ただ形の上で婚姻関係が存在するだけでは許可をすべきであるとまでいうことはできず、そのようにいえるためには、最低限、その婚姻関係が「真しな共同生活」を本質とするものと認められなければならないと解すべきである。
原告とBが婚姻の届出をしたのは本件裁決の後であるから、本件裁決当時は法律上の婚姻関係自体が存在しなかった。しかし、以上述べた趣旨に照らし、当時、原告とBの間に「真しな共同生活」あるいはこれに準じた関係が存在した場合、その事実は原告に対し在留特別許可を与える方向に働く有力な事情になり得るので、この点について検討することとする。
 前記で認定したとおり、Bとの婚姻に至る経緯に関しては、平成13年9月からBの実家近くのアパートに居住し、Bも平成14年1月ころから、同アパートに移って同居を始めていること、生計に関しては、Bがcから収入が得られなくなったころからは、原告が、アパートの家賃及び水道光熱費を負担するほか、Bに対して、生活に必要な物品の購入費や小遣いを渡すなど、主として原告が生計の担い手になっていたと認められること、同居を始めた当初より、原告がBに求婚しており、Bもこれを拒絶したわけではなく、経済的事情や勤め先(家業)の倒産、父親の病臥・死亡等の事情から、これを先延ばしにしていたことからすれば、いつ婚姻の届出をするかについて具体的な合意があったわけではないものの、婚姻関係に準ずるような共同生活を送っており、内縁関係を形成していたものということができる。そして、その期間も、原告が入管法違反容疑で逮捕されるまで約3年10か月に及んでおり、その関係は相当程度安定した状態にあったと認めることができる。
ア これに対して、被告は、①Bの住民票には、平成13年9月のGとの離婚時に、G方の住所から実家の所在地に転居届が出された後、平成17年4月には、《地名略》の実家への転居届が出されているが、原告アパートを住所として届け出たことがないこと、②原告が使用する携帯電話の契約者としてBが電話会社に届け出た住所も、平成15年4月に上記G方の住所から《住所略》fマンションに変更になり、平成18年2月に《地名略》の実家に変更されているものの、原告アパートを住所として届け出たことがないこと、③原告が平成16年2月に東京入管に出頭した際、提出した帰国希望の申告書には、居住地として、新宿区北新宿のアパートを記載していたこと、また、帰国希望の理由として、「HOME SICK」と記載しており、本国への帰国を前提とした行動をとっている上、東京入管での違反調査時に、原告がその旨を自認した供述をしていること(乙9、12)、④外国人登録に際しても、日本名として「A’」を届け出ており、B姓を届け出ていないこと、⑤Bがcから給料が支払われなくなった後も、小遣い程度の援助しか与えていない一方、Bは母親から援助を受けていたことからすれば、両名は生計を同一にしていたとはいえないし、相互扶助の関係にもなかったとみるべきこと、⑥真しな婚姻関係が形成されているのであれば、さしたる障害もないのであるから、原告が
逮捕される以前に婚姻の届出をしていてしかるべきところ、届出に必要な書類を入手したのが原告の逮捕後であることからすれば、強制送還されるのを免れる目的で慌てて婚姻手続に着手したものとみるべきことを主張している。
そして、これらの事実からすれば、平成14年1月ころから原告とBとが同居していたとは認められず、原告とBとの関係も婚姻の実体を伴ったものではないと主張している。
イア しかしながら、①住民票上の住所が実際の生活の本拠とが一致しないことはまま起こり得ることであるし、原告アパートが単身者用のワンルームであり、正式に結婚して住まいを定めるときまで住民票上の住所をそのままにしておいた、というBの説明(証人B)は、住民票上の住所を原告アパートと近所にあるBの実家としており、例えば、官公庁その他から連絡を受ける場合にも差し障りがないと考えられることからすれば、一応合理的なものということができ、同居の実体を否定するほどの事情ではない。②この点は、携帯電話会社に届け出ていた住所に関しても同様である。
イ また、③平成16年2月の東京入管出頭時の提出書類の住所記載にしても、出頭に及んだ理由が前記クのように旅券の返還を求めることにあって、原告には本国への帰還の意思がなかったとすれば、不法滞在の状態にあった原告が真実の住所を東京入管に知られたくないと考えて、連絡に支障のない知り合いの住所を申告したとしても、これが重大な非難に値するとまではいうことができず(ただし、原告は、東京入管から連絡が来てBに心配をかけたくなかったので原告アパートを記載しなかったなどと供述する(甲21、原告本人)が、この部分に限っては、にわかに採用し難い。)、そのことが同居の実体を疑わせるともいえない。さらに、原告が上記出頭時に帰国希望の理由として「HOME SICK」と記載している点についても、不法滞在で摘発されるおそれを顧みることなく東京入管にわざわざ出頭しながら、その後は、本国への帰還に向けて何ら具体的な行動をとっていないことからすれば、帰国の決意の下に出頭したとは限らず、原告の供述するように、旅券の返還を受けるという別の目的をもって出頭したとみるのは、相応に説明がつくところである。東京入管での取調べの際、平成16年2月に出頭した理由について、本国へ帰国するつもりだったと述べている点についても、原告はBを連れて本国に帰国することを考えていたこともあり、その意向を打診したものの、Bから断られたことがあることは前記コのとおりであって、その話と混同し、うまく説明ができなかったとする原告の供述(原告本人)もあながち不合理なものではなく、結果として虚偽の申述をしていたことになるとしても、大きな非難に値するとまではいえず、その後の原告による実際の行動とも矛盾しないものとい
うことができる。
ウ ④外国人登録時に届け出た日本名にしても、その時点で婚姻の届出をいつするかという具体的な予定までは定まっておらず、婚姻時にどのような姓を名乗るかについてBとの間で話合いをしたという形跡もうかがえないことからすると、B姓を名乗らなかったことをとらえて、原告とBとの関係が希薄であることの裏付けにはならないというべきである。
エ ⑤原告とBとの生計に関しても、原告は、小遣いを渡すだけではなく、必要な生活費を負担しており、主として原告の収入を生活の原資としていたものといえることは前記サのとおりであって、母親からの援助があったにせよ、両者の生計が別であるとか、相互扶助の関係にないなどといった評価に直ちにつながるものではないというべきである。
オ ⑥また、Bにおいて、家業の倒産とその残務整理やこれに伴う経済的不安定、父親の病臥・死亡といった事情が重なっていたとすれば、婚姻の届出を先延ばしにしていたことについても相応に理由があるといえる。確かに、原告は不法滞在中であったことから、在留資格の取得のためにBとの婚姻を第一義に希求してしかるべきであるとの被告の指摘はもっともなところもあるが、原告本人尋問において、Bが残務整理等で奮闘している中、婚姻の手続を優先するよう求めることができなかったと述べる原告の心情も理解できるとこ
ろであり、婚姻の届出の時期が遅れていたこと、提出書類の入手が原告逮捕後にされたことをもって、原告とBとの間の「真しな共同生活」に準じた関係の存在を否定できないものというべきである。
 もっとも、原告の入国・在留状況に関しては、当初から帰船するつもりがなく、本邦において不法残留・不法就労を行う意思を持ちながら、これを隠して上陸許可を受けたものであり、実際にも、上陸後直ちに逃亡に及び、稼働を始めており、その期間は逮捕されるまで7年10か月もの長期間にわたっていること、この間、平成17年1月に至るまで外国人登録を行わず、外国人登録法違反の状態にあったこと等からすれば、原告の入国管理法その他法令の違反の程度は軽微とはいえず、入国管理行政上看過できないものといえなくもない。しかしながら、それ以外の刑罰法令に違反する行為を犯し、摘発や処罰を受けたことはないことからすれば、これらを、在留特別許可を付与する上で、直ちにその障害となるような消極的事情とみるのは相当
でない。
ちなみに、被告は、平成16年2月時の東京入管への出頭時、原告が仮に帰国の意思がないのに虚偽の申告をしたのであれば、自費出国許可を求める出頭申告制度を悪用した悪質な行為であるとする。確かに、入管当局に虚偽の申告をしたことは極めて不適切な行為というべきであるが、当該申告に基づいて出入国管理行政に何らかの具体的な支障が生じたこともうかがえないことからすれば、これをもって犯罪行為に準ずるような素行不良・反社会的な行為とまでみることもできない。
他方で、原告とBとの関係が前記にみたようなものであり、内縁関係といえる「真しな共同生活があったと認められ、そうであるとすれば、入管法上保護の対象となり得るものであり、在留特別許可を与える方向に働く極めて有力な事情に当たるといえるところ、東京入国管理局長が本件裁決を行うに当たっては、本訴における被告の主張にも表れているとおり、そもそもBの住民票の記載その他の外形的事実から、原告とBとが相当期間同居していた事実が存在しないことを前提としており、当然考慮に入れるべき「真しな共同生活」の存在を考慮に入れないまま判断に至ったものといわざるを得ない。仮に、両者の関係を適正に認定し、本件裁決時までに届出はされていなかったとはいえ、近い将来法律上の婚姻に至る見込みであること、そして、原告がミャンマー本国に送還された場合、Bの年齢や生活状況に照らして、同女との共同生活・婚姻関係を修復・継続させることに大きな困難が伴うことを考慮に入れていれば、原告の入国・在留状況が上記のようなものであることを勘案したとしても、原告に在留特別許可を付与すべきものであったというべきである。
そうすると、原告に在留特別許可を付与しなかった本件裁決は、その判断が全く事実の基礎を欠き又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであり、前記1のとおり、在留特別許可を付与するか否かの判断に係る裁量権が極めて広範なものであることを前提としても、原告に在留特別許可を付与しなかったことは、裁量権の逸脱又は濫用に当たるというべきである。
3 結論
以上によれば、原告に在留特別許可を付与しないでされた本件裁決は違法というべきであり、違法な本件裁決を基にされた本件退令発付処分も違法であるといわざるを得ないから、いずれも取消しを免れない。
よって、原告の請求は、いずれも理由があるから認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

在留特別許可不許可に対する異議の申出に理由がないとする裁決取消等請求事件
平成18年(行ウ)第476号
原告:A、被告:国
東京地方裁判所民事第2部(裁判官:大門匡・倉地康弘・小島清二)
平成19年8月28日

判決
主 文
一 東京入国管理局長が平成一八年四月一九日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法四九条一項の規定による異議の申出には理由がないとの裁決を取り消す。
二 東京入国管理局主任審査官が平成一八年六月一三日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
主文と同じ。
第二 事案の概要
一 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
 原告の国籍等
原告は、一九六二(昭和三七)年一月一九日、タイ王国(以下「タイ」という。)において出生した、同国国籍を有する女性である。
原告は三人姉妹の長女であり、父は既に他界しているが、母及び妹二人は現在もタイに住んでいる(なお、母は本邦に長期間在留していたことがあるが、その点は後述する。)。
 入国及び在留状況
ア 入国
原告は、昭和六三年二月二九日、新東京国際空港(成田空港)に到着し、出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)四条(平成元年法律第七九号による改正前のもの。以下「旧四条」という。)一項四号所定の在留資格(現行法の「短期滞在」に相当)で在留期間を一五日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。
イ 婚姻及び出産
原告は、昭和六三年三月一一日、横浜市緑区長に対し、日本人であるB(以下「B」という。)との婚姻の届出をし、同日、居住地を同区内とする外国人登録法に基づく新規登録手続をして外国人登録証明書の交付を受けた。
原告とBの間には、平成元年九月二六日に長女及び二女(双子)が、平成四年一〇月八日に長男が出生した。
ウ 在留資格
原告は、昭和六三年三月一四日、入管法旧四条一項一六号所定の在留資格(現行法の「日本人の配偶者等」に相当)で在留期間を三月とする在留期間変更許可を受け、その後、在留期間を下記のとおりとしてそれぞれ在留期間更新許可を受けた。
昭和六三年六月一一日 六月
同年一二月一二日 六月
平成元年五月二九日 一年
平成二年五月二八日 一年
原告は、さらに、「日本人の配偶者等」の在留資格で、在留期間を下記のとおりとしてそれぞれ在留期間更新許可を受けた。
平成三年六月一三日 三年
平成六年七月一四日 三年
平成九年七月一八日 三年
原告は、平成一二年六月一四日、東京入国管理局宇都宮出張所において在留期間更新申請をしたが、法務大臣は、同年七月一八日、これを不許可とし、原告は、最終在留期限である同年六月一四日を超え、不法残留となった。
エ 有罪判決及び服役
原告は、平成七年一月一三日、千葉地方裁判所において、麻薬及び向精神薬取締法違反、関税法違反の罪により懲役二年六月、執行猶予四年、罰金三〇万円の刑を言い渡され、この判決は同月二八日確定した。
また、同年七月二一日、宇都宮簡易裁判所において、業務上過失傷害罪により罰金一五万円の刑を科され、この略式命令は同年八月一一日確定した。
原告は、さらに、平成九年一一月二五日、千葉地方裁判所において、大麻取締法違反、あへん法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反、関税法違反の罪により懲役七年、罰金一〇〇万円の刑を言い渡され、この判決は同年一二月一〇日確定した。
この実刑判決確定後、上記平成七年一月一三日宣告の判決における刑の執行猶予の言渡しも取り消され、原告は、平成一〇年初めころ栃木刑務所に入所し、上記罰金一〇〇万円を完納しないことによる労役場留置の執行に加え、上記二つの懲役刑の執行を受けた。すべての刑期の終了日は平成一九年一〇月二一日である。
 退去強制手続
ア 違反調査
東京入国管理局入国警備官は、平成一七年一二月六日、栃木刑務所において原告の違反調査をし、同月二〇日、同局においてB及び原告の母から事情聴取をした。その上で、同月二一日、原告に係る入管法二四条四号チ(刑罰法令違反)、ロ(不法残留)該当容疑者の違反事件を同局入国審査官に引き継いだ。なお、その引継書には、原告の仮釈放予定日平成一八年四月一九日との記載がある。
イ 審査、口頭審理及び異議の申出
東京入国管理局入国審査官は、平成一八年二月三日、栃木刑務所において原告の違反審査をし、その結果、原告が入管法二四条四号チ、ロに該当すると認定し、これを原告に通知したところ、原告は特別審理官に対し口頭審理を請求した。
東京入国管理局特別審理官は、同年三月一〇日、栃木刑務所において原告の口頭審理を行い、その結果、入国審査官の上記認定が誤りがないと判定し、これを原告に通知したところ、原告は、入管法四九条一項の規定により、法務大臣に対し異議を申し出た。
法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長は、同年四月一九日、上記異議の申出には理由がないとの裁決をし(以下「本件裁決」という。)、同局主任審査官にこれを通知した。
この通知を受けた同局主任審査官は、同年六月一三日、これを原告に告知するとともに、タイを送還先とする退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。 
ウ 仮釈放及び仮放免
原告は、平成一八年一一月一五日、仮釈放されて栃木刑務所を出所し、東京入国管理局収容場に収容され、同月三〇日には入国者収容所東日本入国管理センターへ移収されたが、平成一九年一月二五日、仮放免された。
二 争点
本件の主要な争点は、本件裁決当時、本邦に不法残留し、麻薬及び向精神薬取締法違反外の罪により有罪判決を受けたことのある外国人ではあったが、日本人と婚姻し未成年の子がいたなどの事情のあった原告に対し、東京入国管理局長が入管法五〇条一項四号に基づく在留特別許可をしないで本件裁決をしたのは、裁量権の逸脱又は濫用による違法なものであったか否かであり、摘示すべき当事者の主張は、後記「争点に対する判断」において掲げるとおりである。
第三 争点に対する判断
一 争点に対する判断の枠組み
 原告の退去強制事由
原告は、平成七年一月に麻薬及び向精神薬取締法違反外の罪により懲役二年六月、執行猶予四年、罰金三〇万円の有罪判決を受け、さらに、平成九年一一月、大麻取締法違反、あへん法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反外の罪により懲役七年、罰金一〇〇万円の有罪判決を受けた(前記前提事実エ)。したがって、原告は、入管法二四条四号チの規定する「昭和二十六年十一月一日以後に麻薬及び向精神薬取締法、大麻取締法、あへん法、覚せい剤取締法、国際的な協力の下に規制薬物に係る不正行為を助長する行為等の防止を図るための麻薬及び向精神薬取締法等の特例等に関する法律(平成三年法律第九十四号)又は刑法第二編第十四章の規定に違反して有罪の判決を受けた者」という退去強制事由に該当する(以下、この退去強制事由を「薬物犯罪有罪判決」という。)。
原告は、また、「日本人の配偶者等」の在留資格で本邦に在留していたものの、平成一二年七月一八日に在留期間更新不許可処分を受けた結果、最終在留期限である同年六月一四日を超え、不法残留となった(前記前提事実ウ)。したがって、原告は、入管法二四条四号ロの規定する「在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する者」という退去強制事由にも該当する(以下、この退去強制事由を「不法残留」という。)。
 本件裁決に関する東京入国管理局長の裁量
ア 法務大臣は、退去強制手続の対象となった外国人が退去強制対象者(入管法二四条各号のいずれかに該当し、かつ、出国命令対象者に該当しない外国人。同法四五条一項参照)に該当すると認められ、同法四九条一項の規定による異議の申出が理由がないと認める場合においても、その外国人が同法五〇条一項各号のいずれかに該当するときは、その者の在留を特別に許可することができる(同条一項柱書)。この在留特別許可は、同法四九条四項の適用については、異議の申出が理由がある旨の裁決とみなされるから(同法五〇条三項)、法務大臣から在留特別許可をした旨の通知を受けた主任審査官は、直ちにその外国人を放免しなければならない。
入管法五〇条一項に規定する法務大臣の権限は地方入国管理局長に委任することができ(同法六九条の二、同法施行規則六一条の二第一一号)、本件においては東京入国管理局長がその委任を受けているため、上の段落において法務大臣の権限として述べたことは東京入国管理局長に妥当する。
上記の事実によれば、原告には、薬物犯罪有罪判決及び不法残留という二つの退去強制事由があり、かつ、薬物犯罪有罪判決の退去強制事由があるため出国命令対象者になり得ないから(平成一八年法律第四三号による改正前の入管法二四条の二参照)、退去強制対象者に該当する。前記前提事実及びに記載した原告の入国経緯に照らすと、本件裁決に関しては、入管法五〇条一項の一号から三号までの適用は問題とならず、同項四号に基づく在留特別許可をすべきであったか否かが専ら問題となる。そこで、同号に基づく在留特別許可をすべきか否かについての法務大臣ないしその権限の委任を受けた地方入国管理局長(以下「法務大臣等」という。)の判断の性格について最初に検討する。
イ 国際慣習法上、国家は外国人を受入れる義務を負わず、特別の条約がない限り、外国人を自国内に受け入れるかどうか、また、これを受け入れる場合にいかなる条件を付するかは、国家がその立法政策に基づき自由に決定することができる。我が国の憲法においても、外国人に対し、本邦に入国する自由又は在留する権利(引き続き在留することを要求し得る権利を含む。)を保障したり、その入国又は在留を許容することを義務付けたりしている規定は存在しない。入管法五〇条一項四号も、「その他法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」と規定するだけであって、文言上その要件を具体的に限定するものはなく、法務大臣が考慮すべき事項を掲げるなどしてその判断を羈束することもしていない。そして、こうした判断の対象となる外国人は、退去強制対象者であって、既に本来的には我が国から退去を強制されるべき地位にある。さらに、外国人の出入国管理は、国内の治安と善良な風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって、その性質上、広く情報を収集し、その分析を踏まえて、時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり、高度な政治的判断を要求される場合もあり得るところである。
上に述べたところによれば、同法五〇条一項四号に基づき在留特別許可をするか否かの判断は、法務大臣等の極めて広範な裁量にゆだねられているのであって、法務大臣等は、我が国の国益を保持し出入国管理の公正を図る観点から、その外国人の在留状況、特別に在留を求める理由の当否のみならず、国内の政治・経済・社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲等の諸般の事情を総合的に勘案してその許否を判断する裁量を与えられているというべきである。そうすると、同号に基づき在留特別許可をするか否かに係る法務大臣等の判断が違法となるのは、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど、法務大臣等に与えられた裁量権を逸脱し又はそれを濫用した場合に限られることとなる。
ウ 以上の観点により、後記二において判断の基礎となる事実関係を認定し、それを踏まえて後記三において争点に対する判断を示すこととする。
二 事実関係
前記前提事実、《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。
 服役までの原告の生活状況
原告及びBは、昭和六三年三月に横浜市において新婚生活を送った後、平成元年、宇都宮市に移り住み、夫婦でタイ料理のレストランを始めた。
平成元年九月に生まれた双子のうち、二女は、三歳のころまでに、脳性麻痺と診断され、身体障害者手帳の交付を受けた。知的障害及び四肢の麻痺の障害があり、現在に至るまで生活全般に介助が必要な状態にある。
原告とBが夫婦でレストランの経営をしていたことや、二女の介助が必要であったことなどから、原告は、タイから自分の母を呼び寄せ、子供たちの世話を頼んだ。原告の母は、平成二年三月以降、「短期滞在」の在留資格で短期間本邦に在留してはタイに帰国することを五回繰り返したが、長男が生まれて間もない平成五年七月に六回目の入国をした際は、九〇日の在留期間が経過しても出国せず、不法残留となり、そのまま原告らと同居して本邦で生活をすることとなった。
レストランの経営は思わしくなく、原告らは、平成七年ころまでにこれを閉店し、Bはそのころから個人で貨物軽自動車運送業を始めた。原告は、家事と育児、それに二女の介助を母とともに分担して行うとともに、タイに行って洋服を買い付け、それを本邦に持ち込んで売りさばくといったこともしていた。
 原告の犯した犯罪の内容
ア 最初の薬物犯罪
原告が平成七年一月一三日に宣告を受けた麻薬及び向精神薬取締法違反外の有罪判決において認定された犯罪事実は下記のとおりであった。

被告人は、通称Cと共謀の上、みだりに、営利の目的で向精神薬を輸入しようと企て、平成六年五月二七日(現地時間)、タイ王国バンコク国際空港において、向精神薬であるジアゼパム及びアンフェプラモンの塩酸塩を含有する錠剤七九三八錠をキャリーバッグの黒色ビニール袋内に隠匿した上、タイ国際航空第六七二便に搭乗するに当たり、右荷物を千葉県成田市所在の新東京国際空港までの受託手荷物として同航空従業員に運送委託し、情を知らない同従業員らをして、同日午後三時五五分ころ、右六七二便で右新東京国際空港八三番駐機場に運送させた上、同航空機から機外に搬出させて、本邦内に持ち込み、もって向精神薬を輸入するとともに、同日午後四時二五分ころ、同市古込字古込一番地の一同空港内第二旅客ターミナルビル東京税関成田税関支署旅具検査場において、携帯品検査を受けるに際し、同支署税関職員に対し、右のとおり向精神薬を隠匿携帯している事実を秘して申告せず、もって税関長の許可を受けないで向精神薬を輸入しようとしたが、同支署税関職員に発見されたため、その目的を遂げなかったものである。
この判決の量刑の理由では、原告は、知人Cに転売して利益を得ることを目的として、Cに依頼されるまま、向精神薬である錠剤をタイで購入し、日本国内に持ち込もうとしたものであること、幸い通関段階で発見されたため、向精神薬のすべてが押収され本邦内に拡散することがなかったことが指摘されている。
イ 交通犯罪
原告が平成七年七月二一日の略式命令によって一五万円の罰金刑を科された業務上過失傷害罪の犯罪事実は、原告が知人を乗せて自動車を運転中、他の自動車と衝突し、この事故により知人の足に傷害を負わせたというものであった。
ウ 二度目の薬物犯罪
原告が平成九年一一月二五日に宣告を受けた大麻取締法違反外の有罪判決において認定された犯罪事実は下記のとおりであった(事案の把握に必要ないと認められる細かい摘示事実は引用を省略した。)。なお、この裁判では原告のほかにDというタイ人(以下「D」という。)が共同被告人となっていた。

被告人両名は共謀の上、みだりに、営利の目的で、大麻、あへん及び向精神薬を本邦に輸入しようと企て、大麻である大麻草約四三八・二二グラム、あへん九八九・八七グラム、向精神薬であるミダゾラムを含有する錠剤三八九五錠及びフェノバルビタール、ジアゼパムを含有する錠剤一〇〇〇錠を被告人Dが着用するズボンポケット内、ズボン内側腰部等に隠匿して携帯した上、平成九年八月三日(現地時間)、タイ王国バンコク国際空港において、タイ国際航空第六四二便に搭乗し、同月四日午前七時二〇分ころ、千葉県成田市所在の新東京国際空港に到着し、右大麻、あへん及び向精神薬を隠匿携帯したまま同航空機から降り立って本邦内に持ち込み、もって、大麻、あへん及び向精神薬を輸入するとともに、同日午前八時ころ、同空港内東京税関成田税関支署第二旅客ターミナルビル旅具検査場において、携帯品検査を受けるに際し、右のとおり大麻、あへん及び向精神薬を隠匿携帯しているにもかかわらず、同支署税関職員に対し、その事実を秘して申告しないまま同検査場を通過して輸入禁制品である大麻、あへん及び向精神薬を輸入しようとしたが、同支署税関職員に発見されたため、その目的を遂げなかったものである。
この判決の量刑の理由では、原告及びDは、薬物を密輸して売却するなどして利益を上げようと考え、原告がタイにおける薬物の仕入れ、本邦における売りさばきを担当し、さらにDに隠匿方法を指示するなどし、Dが薬物を本邦に運び込むという密輸の実行行為を担当した上、本件犯行を敢行したものであり、動機に酌むべき点は全くなく、態様は計画的で、薬物の種類も量も多く悪質であること、原告は執行猶予中の身であるにもかかわらず本件犯行に及んだことが指摘されているほか、原告に有利に斟酌すべき事情として、本件各薬物はすべて税関で発見押収されたため本邦内での拡散は未然に防がれたこと、原告は捜査段階から事実を認め反省の態度を示していること、Bが原告の更生に助力すると述べていることが指摘されている。
 服役中の家族の状況
ア 平成一〇年初めころに原告が服役した後、Bの仕事には変化がなかったが、家事と育児は不法残留中の原告の母が専ら担当することとなった。
長女は、宇都宮市立の中学校を卒業した後、栃木市内の県立高等学校(定時制)に進学し、現在もそこに在籍している。長男は、現在、宇都宮市立の中学校の第三学年に在学中である(本件裁決時は第二学年)。
二女は、小学校及び中学校の時代は、宇都宮市内にある肢体不自由児のための施設に入所し、そこに併設された養護学校で学習した。この養護学校には高等部がなかったので、Bは、二女を自宅から離れた別の養護学校の高等部に進学させることとしたため、二女は同養護学校近くにある別の施設に入所した。現在、この施設に入所して三年目である。二女は、平日はこの施設で終日過ごし、養護学校に通っているが、金曜日の夕方に宇都宮市内の自宅へ戻り、月曜日の朝にまた同施設へ戻るという生活を送っている。
イ Bは、原告が服役した当初は、最初の薬物犯罪により執行猶予の判決を受けながら再び同様の薬物犯罪を犯した原告に愛想を尽かし、離婚することも考えたが、子供たちが反対したことから思いとどまった。もっとも、栃木刑務所で受刑中の原告を訪問することも、原告に手紙を出すこともほとんどしなかった。しかし、原告が出所すればまた夫婦として同居生活をする気持ちに変わりはなく、刑期満了が近づいた平成一七年以降は定期的に原告を訪ねて面会した。なお、原告自身も、出所することができたら再びB及び子供たちとともに暮らすつもりに変わりはなかった。
原告の母は、原告が服役した当初から頻繁に栃木刑務所に行って原告と面会しており、長女及び長男も、しばしば原告と面会していた。
ウ 長女及び長男は、母親が服役中につき不在であり、不法残留中の母方の祖母と父親との同居という家庭環境の中でも大きな問題を起こさずに成長したが、長女は、平成一七年一一月ころから精神的に不安定となり、心因反応と診断され、同年一二月から半年以上にわたり精神科における治療のため病院に入院した。長女は、平成一八年九月二九日には交通事故に遭い、急性硬膜外血腫、脳挫傷等で同日緊急手術を施され、一か月近く入院して治療を受け、その後治療のため通院している。
Bも、平成一七年一〇月以降、うつ病と診断され、通院している。
 仮放免後の原告の生活状況
原告は、平成一九年一月に仮放免された後、宇都宮市内の自宅に戻り、B及び子供たちとの同居生活を再開した。長年の間不法残留を続けていた原告の母は、間もなく出国し、タイに帰国した。
現在、原告は、自宅において、家事及び子供たちの世話をしている。二女が週末に帰宅したときは、主に原告が、食事、排泄、入浴、着替えの世話や車椅子での外出の際の付き添いといった生活全般についての介助を行っている。
三 本件裁決の適法性について
 はじめに
被告は、原告の在留状況は極めて悪質であり、出入国管理行政上到底看過することができないとして、次のとおり主張する。すなわち、原告は、最初の薬物犯罪の懲役刑の執行猶予期間中に、同種の規制薬物輸入罪である二度目の薬物犯罪に及んだものであって、ほかに業務上過失傷害罪を犯していることや、一家ぐるみで原告の母の不法残留に積極的に加担していたと評価し得ることにもかんがみれば、原告の規範意識の欠如は相当深刻であり、特に規制薬物への親和性は顕著であるから、薬物犯罪の我が国社会全般への影響にかんがみれば、これらの事情が在留特別許可をしないとの判断をする重要な事情となることは明らかであるとする。加えて、原告は、上記のとおり我が国において前科合計三犯を有する上、平成一〇年以降八年以上にわたり刑務所に服役した者であり、来日外国人による犯罪が増加し、社会問題となっていることに照らせば、このような者に在留特別許可を与えることは、犯罪行為を追認するのと同様の結果を生じ、追随する者を発生させる弊害を招くおそれすら認められるものであるとする。その上で、被告は、原告とBや子供たちとの関係は、在留特別許可の判断において格別積極的に斟酌しなければならないものではないこと、二女の存在やその介助の必要性は原告の在留特別許可の判断に当たり積極的な事情とは認められないこと、原告がタイに帰国しても特段の支障は認められないことを指摘し、原告に在留特別許可を与えなければ入管法の趣旨に反するような極めて特別な事情があるとはおよそ考え難いから、本件裁決に裁量権の逸脱又は濫用はなく、違法はないと主張するものである。
確かに、入管法二四条四号チが、麻薬、大麻等の規制薬物犯罪を犯した外国人につき、その刑期の長短及び執行猶予の言渡しの有無を問わず有罪判決を受けたことのみをもって退去強制事由としているのは、被告の主張するとおり、規制薬物が単にその使用者に薬物中毒等の悪影響をもたらすにとどまらず、我が国社会全般に対して深刻な問題を引き起こすものであることを重視したからにほかならないと解される。
しかし、入管法は、薬物犯罪有罪判決の退去強制事由を他の退去強制事由と同列に扱っているのであり、この退去強制事由があるからといって一律に在留特別許可が拒否されることとなるわけではない。もちろん、とりわけ在留特別許可を拒否する理由となるべき重大な事由ということはいえるものの、在留特別許可をすべきか否かの判断は、その時点において存在した事情を総合的に考慮して行うべきであり、この点においては、他の退去強制事由がある場合と同様に考えるべきである。そこで、以下においては、原告に在留特別許可をすべきか否かを判断する際に積極的要素として考慮すべき事情(在留特別許可を与える方向に働く事情)と消極的要素として考慮すべき事情(在留特別許可を否定する方向に働く事情)とに分けて個々に検討することとする。
 積極的要素として考慮すべき事情
ア 日本人との婚姻関係の存在
原告は、日本人であるBと婚姻し、その婚姻期間は本件裁決までに約一八年間の長期に及ぶ。原告の服役期間を除き、実際に同居していた期間のみを数えても約九年である。そして、この約九年の間は、「日本人の配偶者等」ないしこれに相当する入管法旧四条一項一六号所定の在留資格により適法に本邦に在留していたのであり、不法残留となったのは服役してしばらくしてからのことであった。外国人が入管法の規定に従うことは当然のことであるから、これ自体は特筆すべきものとまではいえないものの、当初から不法就労目的で入国する外国人も多いことを考えれば、原告の在留特別許可の判断に当たり一応積極方向に働く事情として考慮することが可能である。
婚姻関係の態様をみると、原告が服役するまでその実体があったことは明らかであり、服役してからは夫婦間の交流が希薄となったことは否めないが、原告もBも離婚するつもりはなく、原告が出所をすればまた婚姻同居生活を再開するつもりであったことに変わりはない。原告の母が頻繁に原告と面会をし、子供たちもしばしば面会をしていたことからすると、間接的にはBとの交流も続いていたと評価することもできる。原告の刑期満了が近づいた平成一七年からは、Bも定期的に原告と面会するようになっている。これらの事情に加え、原告とBの間に未成年の子が三人いることを考慮すると、原告とBの夫婦間のきずなは決して弱くはないものと認めることができるから、この婚姻関係は実体を伴うものとして人道上保護に値する(日本国憲法二四条、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約一〇条、市民的及び政治的権利に関する国際規約二三条参照)。本件裁決後の事情ではあるが、原告が平成一九年一月に仮放免された後の原告とBの生活状況も、この判断を補強するものということができる。したがって、この婚姻関係の存在は原告に在留特別許可を与える方向に働く有力な事情である。
これに対し被告は、原告の服役中、原告とBの間には、同居、協力、扶助の関係を前提とする夫婦としての実体はほとんど失われており、そうなったのも原告が罪を犯さないという最低限度の善行を保持することもできずに薬物犯罪を繰り返したからであって、原告とBの婚姻関係の存在は在留特別許可の判断において格別積極的に斟酌しなければならないものではないと主張する。確かに、本件裁決まででも八年以上、現実に同居が可能となった仮放免までは九年以上にもわたり別居状態にあったのは事実であるが、それは、原告の犯罪行為が原因となっているとはいえ、原告又はBが望んだ事態ではない。むしろ、これだけ長期間の
別居状態が続きながらも、なお夫婦としての生活を回復しようという意欲を原告もBも抱き続け、原告の仮放免後は実際に従前と変わりなく夫婦としての生活を送っているという事実は、両者の婚姻関係がそれだけ強固なものであったことを示すものと評価することができるのであり、この関係はやはり保護に値するものといわなければならないから、在留特別許可の判断に当たり積極的に斟酌すべきである。
イ 日本人である未成熟子の存在
原告には日本人である三人の子供がおり、本件裁決時、長女及び二女は高校二年生、長男は中学校二年生で、いずれも未成年者であり、自力で生活していくだけの十分な能力を有さず親の扶養を受けているいわゆる未成熟子であった。両親が存在する未成熟子にとっては、一般に、両親の監護の下で生活を送ることがその最善の利益にかなうものであること、したがって、未成熟子は、その両親の意思に反してその両親から分離すべきでないことは、子の福祉の観点からみる限り、広く受入れられた見解である(児童の権利に関する条約九条参照)。したがって、原告とBの間に婚姻関係の実体が存在することに加え、両者の間に未成熟子が三人いることは、原告に在留特別許可を与える方向に働く有力な事情である。
この点について更に個別にみると、長女においては、平成一七年一一月ころから精神的に不安定になり、半年以上にわたり精神科治療のため病院に入院し、交通事故で重傷を負い、約一か月入院の後、現在もその関係ではあるが通院しているという事情がある。何が原因でこのような状態になったのかを示す的確な証拠は存在しないものの、前記二の認定事実及び《証拠略》によれば、思春期にある長女が、他人からは非正常とみなされるであろう自分の家族の環境につき、母親と離れて深く悩んだことが大きな原因の一つとなっていることを推認することができる。 
二女は、脳性麻痺の障害者であるため、長女とは事情が異なり、その健全な発達のために母親である原告の存在がどれだけの意味を持つものであるのかを医学的知見なしに正確に評価することは難しい。しかし、一般的にいえば、介助の負担が重いことから施設を利用することは避けられないとしても、障害者にとって肉親との交流には第三者との交流とは異なる意義があるというべきであり、できる限り両親の下にいてその介助を受けることがその健全な発達のために望ましいものであることは社会通念上肯定することができるというべきである。
被告は、二女の介助の必要性は原告自身の個別的事情ではないし、二女は施設において日常生活を送っており、養護学校高等部を卒業後も同様の処遇を受けられることとなっているから、二女の介助の必要性を原告の存留特別許可の判断に当たり積極的事情と認めることはできないと主張する。しかし、二女は、施設で生活をしているといっても、Bの自宅と全く分離された環境にあるわけではなく、現に現在も週末は自宅で過ごしている。将来的にも、親や姉弟との交流は続くのが当然であるから、施設に全面的に依存した生活を送ることを優先的な前提とするべきではない。そして、この事情は、本件裁決時も同様であったから、上述し
たような肉親との交流の観点からすると、原告と二女の関係はやはり原告の在留特別許可の判断に当たって積極方向に働く考慮要素となるべきものである。被告の主張は、障害者にとっての親子関係の意義をことさらに低く評価するものといわざるを得ず、賛成することができない。
長男については、長女とは異なり、現在のところ特にその発達上問題となる事情は存在しないように見受けられる。しかし、本件裁決当時中学校二年生であったというその年齢自体からして、母親である原告が身近に存在することが長男の健全な発達にとって意義を有することは明らかであった。
以上のとおり、子供たちそれぞれの事情を個別に検討しても、この子供たちとの親子関係の存在は、原告の在留特別許可の判断に当たり積極的に考慮すべき有力な事情であるということができる。
ウ 本邦への定着度
原告は、二六歳の時に来日し、以後本件裁決時まで約一八年間にわたり我が国を生活の本拠としていた。人生の半分近くを我が国で過ごしてきたことになるのであり、本邦への定着度はかなり高いものとみることができる。特に、平成一〇年初めころに服役してからは、当然のこととはいえ、タイに帰国することもできず刑務所の中でのみ過ごしていたのであるから、むしろ、我が国の生活への適応は一層高まったとさえいえる。原告本人尋問の際に示した状況からしても、原告の日本語能力については、表現能力にやや難があるものの、理解能力は相当高いものと認めることができる。以上の事情は、服役生活による寄与が大きいとい
える点で留保が必要ではあるが、在留特別許可の判断に当たり積極的に考慮すべき一事情に数えることができる。
 消極的要素として考慮すべき事情
ア 薬物犯罪
薬物犯罪有罪判決が退去強制事由とされていることの意義は前記において説明したとおりであるから、有罪判決の存在だけでも、在留特別許可の判断に当たり消極的要素として十分に考慮しなければならないものである。まして、原告においては、二度にわたって薬物犯罪を犯し、そのいずれもが営利目的による輸入事犯であるから、単なる所持、使用といった自己使用目的の事犯と異なる悪質なものであることは明白である。また、最初の薬物犯罪により有罪判決を受け、その刑の執行猶予期間中に再犯に及んでおり、再犯時に輸入した規制薬物は、大麻、あへん、向精神薬と多種にわたり、量も多い。これらの事情が、原告に在留特別許可を与えるべきでないとする方向に働く極めて有力な事情であることは、被告の主張するとおりである。
しかし、他方で、原告は、自分自身が薬物中毒になっていたわけではなく、また、二度目の薬物犯罪で有罪判決を受けた後は刑務所に入所し、本件裁決が行われるまで約八年間という長期間服役していたのであるから、本件裁決の時点において原告の規制薬物との親和性がなお顕著であったと断定することはできない。原告自身、二度目の薬物犯罪の裁判の時点から、自らの犯行につき反省の態度を示しており、原告本人尋問の結果に照らしても、本件裁決時までには十分に反省をしていたと認めることができる。これらの事情に加え、退去強制手続の段階から原告は出所後自宅に戻ることが想定されており、そこには夫であるBのほかに思春期にある長女及び長男、さらに、介助を要する二女もおり、原告が容易に再犯を犯せるよ
うな環境とは考えにくいことを考慮すれば、本件裁決時において原告の再犯可能性が高かったということはできないというべきであり、この点は原告に有利に斟酌することが可能である。
以上によると、薬物犯罪に関しては、その客観的な事実経過自体をみれば極めて深刻な消極的要素といわざるを得ないが、本件裁決時に存在した事情の中には原告にとって有利に斟酌すべきものもあるのであって、在留特別許可をすべきか否かの判断はあくまでもその時点における判断であることからすると、この有利な事情を斟酌せずに消極的要素のみを強調するのは妥当でないというべきである。
イ 業務上過失傷害罪
原告が自動車を運転中に事故を起こし同乗者に傷害を負わせて業務上過失傷害罪に問われ、罰金刑を科せられたことは、前科の存在として、在留特別許可の判断に当たり消極方向に働く事情である。ただし、その罪質からして、これのみで直ちに在留特別許可の許否を決することになる事情とまではいい難い。
ウ 原告の母の不法残留への加担
原告の母は、平成五年七月の六回目の入国後、平成一九年一月ころまで一三年以上の長期間にわたり本邦に不法残留した。その来日のきっかけは、子供たちの世話をしてもらうためなどの理由で原告が呼び寄せたからであり、不法残留となったのも、家事や子供たちの世話をしなければならなかったからである。この点で、確かに、被告の主張するとおり、原告の母の不法残留の原因は原告及びB夫婦の側にあったということができ、原告がこの母の不法残留に加担したと評価されるのもやむを得ない。
しかし、不法残留をしたのは原告の母の判断であるし、その不法残留に原告自身が関与していたのは平成一〇年初めころに服役するまでである。そうすると、原告の母の不法残留について原告のみにその責任を問うのはいささか酷であるといわざるを得ない。
 本件裁決の適法性についての判断
以上の検討によると、本件裁決時、原告にとって、在留特別許可を与える方向に働く積極的要素として、
① 日本人であるBとの婚姻関係の存在
② 日本人である三人の未成熟子との親子関係の存在
③ 本邦への定着性の強さ
という事情があり、特に①と②の事情は有力な積極的要素であったといえる。
一方、在留特別許可を否定する方向に働く消極的要素として、
① 薬物犯罪有罪判決二回及びこれによる服役
② 業務上過失傷害罪の前科
③ 原告の母の不法残留への加担
 という事情があり、特に①は、その客観的事実経過自体をみると、極めて有力な消極的要素であったということができる。しかし、この点については、前記アにおいて述べたとおり、本件裁決時には原告にとって有利に斟酌すべき事情もあった。
被告は、薬物犯罪で有罪判決を受けて服役した原告に在留特別許可が与えられるならば、犯罪行為を追認したのと同様であり、追随する者が発生するおそれがあると主張し、在留特別許可を与えた場合の第三者への影響も消極的要素として考慮すべきであると主張するようである。しかし、上記積極的要素のうち①及び②の点は、前記ア及びイで説示したとおり、その態様において例外的な原告固有の事情であるから、原告に在留特別許可が与えられたからといって、それが直ちに出入国管理行政上他の事案に悪影響を及ぼすとは考え難い。したがって、第三者への影響を消極的要素として考慮するのは妥当でない。
そして、前記及びにおいて詳しく検討したところを踏まえ、上記の積極的要素及び消極的要素を比較検討してみると、上記積極的要素のうち〔一〕及び〔二〕の点は、人道的観点から特に配慮に値するものということができ、上記消極的要素が存在することを考慮しても、なお、これを上回る重みを持つものと評価することができるというべきである。
本件訴訟における被告の主張を勘案すると、本件裁決は、薬物犯罪有罪判決及び不法残留という退去強制事由が存在することを前提とした上で、上記消極的要素のうち①の客観的事実経過を重視して、原告には在留特別許可を与えられないという判断に至ったものと解されるが、以上の検討によると、本来特に重視すべきであった上記積極的要素のうち①及び②の事情を十分に考慮しておらず、さらに、上記消極的要素のうち①については本件裁決時において原告に有利に斟酌すべき事情もあることを十分に考慮していないものといわざるを得ない。そうすると、東京入国管理局長に与えられた裁量権が前記のとおり極めて広範なものであることを前提にしても、本件裁決は、在留特別許可の判断に当たり、複数の考慮要素のうち、原告が薬物犯罪で二回有罪判決を受け服役したという客観的事実経緯をことさらに重視する一方、本来特に重
視しなければならない、原告と日本人との婚姻関係及び原告と日本人である三人の未成熟子との親子関係を十分に考慮することがなかったものというべきであるから、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであり、裁量権の逸脱又は濫用として違法であるとの評価を免れないというべきである。
四 結論
以上のとおり、本件裁決は裁量権の逸脱又は濫用として違法であり、そうである以上、これを前提としてされた本件退令発付処分もまた違法であるということになる。よって、原告の請求はいずれも理由があるので、これらを認容し、主文のとおり判決する。

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