出入国管理及び難民認定法違反被告事件
平成14年(う)第129号
控訴申立人:検察官
広島高等裁判所第1部(裁判官:久保眞人・芦高源・島田一)
平成14年9月20日
判決
主 文
原判決を破棄する。
被告人を罰金30万円に処する。
原審における未決勾留日数のうち、その1日を金5000円に換算してその罰金額に満つるまでの分
を、その刑に算入する。
理 由
本件控訴の趣意は、検察官佐藤俊司提出に係る控訴趣意書(広島地方検察庁検察官大森淳作成)に
記載されているとおりであり、これに対する答弁は、主任弁護人下中奈美、弁護人足立修一、同戸田慶
吾及び同大名浩連名作成の答弁書並びに主任弁護人下中奈美作成の答弁書訂正補充書に記載されてい
るとおりであるから、これらを引用する。
論旨は、要するに、原判決が、被告人に対し、公訴事実と同旨の不法入国及び不法在留の犯罪事実を
認定しながら、「被告人については、出入国管理及び難民認定法70条の2の各号に該当することの証
明があり、かつ、不法入国・不法在留の後、遅滞なく入国審査官に対して同法70条の2の各号に該当
することの申出をしたということができる。」として、「被告人に対し刑を免除する。」との判決を言い
渡したのは、証拠の取捨選択ないし評価を誤って事実を誤認し、ひいては出入国管理及び難民認定法
(以下「入管法」という。)70条の2の適用を誤ったものであり、これらが判決に影響を及ぼすことが
明らかである、というのである。
そこで、検討すると、関係証拠によれば、原判決の(刑を免除した理由)のうち、1項ないし3項に記
載された事実認定、すなわち、被告人については、入管法70条の2の各号に該当することの証明があ
ることに関する説示は、被告人の供述の信用性に関する判断を含めて概ね正当として是認することが
でき、当審における事実取調べの結果を併せて検討してみても、その認定を左右するものはない。し
かしながら、被告人が、不法入国の後、遅滞なく入国審査官に対して入管法70条の2の各号に該当す
ることの申出をしたとは認められないから、その限度で、原判決には所論のいう事実の誤認があり、
入管法70条の2に関する法令適用の誤りがある、というべきである。
以下、所論にかんがみ、検討する。
第1 難民該当性について
1 所論は、要するに、入管法に定める「難民」とは、「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団
の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある
恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない
もの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」であり、
「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」といえるためには、当該人が
迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いている主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場
におかれた場合も迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していること、換言すれば、本人の
主張する恐怖が、証拠によって十分に理由のあるものであると客観的に認められる必要があり、
これらの点については、難民であると主張する者が立証しなければならない責任を負っている。
しかるに、原判決は、専ら被告人の供述のみに基づき、これが信用できるから、被告人は迫害を受
けるおそれがあるという恐怖を有しており、その立証ができているというのであるが、難民認定
の主たる根拠が申請者の供述である場合には、申請者の供述内容の真偽を慎重に認定すべきであ
るところ、本件においては、被告人の供述内容が不合理・不自然である上、重要事項について大
きく変遷しており、一部物証が虚偽であることが判明しているにもかかわらず、これらのことを
看過して被告人の供述内容を十分に吟味することなく、極めて安易に被告人の供述を信用できる
とした点において、事実を誤認している、というのである。
2 そこで、検討すると、被告人は、概ね次のような供述をしている。すなわち、被告人は、アフ
ガニスタンにおける少数民族であるハザラ人であり、宗教的にも少数派のシーア派であること、
ハザラ人は、国内において他の民族から民族的及び宗教的に差別を受けていたこと、平成3年
(1991年)にA大学経済学部を卒業し、平成4年(1992年)3月にB政権が崩壊した後、ハザラ人
シーア派の政治団体C党に入党し、カブール市内にあるC党事務所で文化委員会の一員として、
主として通訳や広報関係の活動を行っていたこと、同年以降、スンニ派に属するパシュトゥン人
やタジク人のグループが、カブール市西部において、ハザラ人に対して軍事攻撃を行った際には、
これに対抗するための軍事活動にも従事したが、平成6年(1994年)、パシュトゥン人勢力によ
るDが結成され、平成7年(1995年)2月、カブール市に迫ってきた上、同年3月には、カブール
市西部のカルテセー地区がタジク人から軍事攻撃を受けて包囲されたため、パキスタンのペシャ
ワールに逃走したこと、その後、安全にアフガニスタンに入国することができなくなり、両親に
会うためにアフガニスタンに入国したのは、平成11年(1999年)3月と平成12年(2000年)の2
回であること、その間の平成10年(1998年)8月にマザリシャリフでDによるハザラ人虐殺事件
があり、その後、D政権は、「ハザラ人はシーア派であり、シーア派の人間を殺すことは罪になら
ない」旨の教令を発令したこと、被告人は、平成13年(2001年)4月7日、両親に会う目的でアフ
ガニスタンに戻ったところ、叔母から、被告人の知人がDに拘束されて拷問を受け、被告人がC
党で活動していたことを知ったDが、被告人を逮捕するためにやって来たが、被告人がいなかっ
たため、被告人の代わりに父親が逮捕された旨の話を聞いたこと、そのため、被告人は、パキスタ
ンにいる叔父を通じて密航ブローカーと連絡を取った上、日本に亡命する決意をして本件不法入
国の犯行に及んだこと、などを供述している。
被告人の供述の信用性について検討すると、その内容が、体験した者でないと語ることが難し
いと思われるほど具体的かつ詳細であることに加え、被告人は、大学での高等教育を受けており、
英語も堪能であるし、シーア派代表やC党に所属する構成員及びその政治活動の内容、さらに、
対抗勢力の活動状況に関しても豊富な知識を有していること、ハザラ人が対抗勢力から民族的・
宗教的に差別を受けており、軍事攻撃を受けた状況、特にDが勢力を伸ばし、ハザラ人に対して
恣意的な逮捕、拘禁や虐殺をしている点や上記の教令が発令されたことについては、国連難民高
等弁務官事務所作成の資料等で報告されている内容とよく符合していること、被告人の所持品の
中には、C党の党員であることをうかがわせる証明書が含まれていたことなどを併せ考えれば、
被告人がC党の党員として活動していたことやハザラ人がDなど対抗勢力から攻撃されていたこ
とに関する供述は、合理的であり、十分信用することができる。
そして、Dが被告人を逮捕しに来たことや、被告人の父親が身代わりとして逮捕されたことを
直接裏付ける明確な証拠はないものの、Dの指導者は、上記の教令のほか、平成12年(2000年)
12月、ヤカオランの戦いの後、反Dとみられる13歳から70歳までの全ての男性を殺害するように
命じたと報告されていること、被告人は、偽造のパスポートを使用して日本に不法入国したもの
であり、密航ブローカーから手に入れたというEに対する拘束令状の写しを所持していたことな
どに照らすと、叔母から、被告人の身代わりに父親が逮捕された話を聞き、迫害を受けるおそれ
を感じて、密航ブローカーと連絡を取り、本件犯行に至ったという経過についても自然であるか
ら、この点に関する被告人の上記供述も同様に信用することができる。
3 これに対し、所論は、被告人の供述に信用性がないことの具体的理由として、次の4点を指摘
している。
 所論は、被告人が、平成8年(1996年)4月14日から平成12年6月23日までの間、合計8回
にわたり、本邦に適法に入国しているのに、一度も難民申請をしていないし、平成11年3月と
平成12年には、生命を奪われるおそれがあると被告人が主張するD支配下のアフガニスタンを
訪れており、このような被告人の行動は、およそ迫害を受けるおそれのある恐怖を抱いていた
者の行動とは相容れない、というのである。
関係証拠によれば、被告人には、所論が指摘するような本邦への入国歴やアフガニスタンへ
の訪問歴があることが認められる。しかしながら、被告人が、平成8年以降、合計8回本邦に
適法に入国し、D支配下にあるアフガニスタンを2回訪問した当時、被告人は、パキスタンや
アラブ首長国連邦(以下「UAE」という。)を拠点にして生活しており、難民申請は最終的な手
段であると考えていたこと、過去8回の本邦入国当時においても、被告人が迫害を受けるおそ
れがあったことは否定されないが、平成13年4月に父親が身代わり逮捕されたことにより、被
告人に対する迫害の危険性がより現実化したものであるから、上記本邦入国当時に比べて本件
犯行当時における迫害の危険性は、著しく高まっているといえること、この間、両親に会うた
めにアフガニスタンを訪問したのはわずか2回であることからすると、過去に本邦で難民申請
していないことや、危険を冒してアフガニスタンを訪問した被告人の行動が、迫害を受けるお
それのある恐怖を抱いていた者の行動として相容れないものとはいえない。所論は採用できな
い。
 次に、所論は、被告人が、平成13年9月12日、福岡入国管理局に対し、難民申請した際、C党
の党員で軍事関係の司令官であるEであると偽って名乗り、難民性を立証するための物証とし
て、D発付の同人に対する拘束令状を提出し、Dに身柄を拘束された旨、殊更虚偽の申立てを
しながら、父親が被告人の代わりに逮捕された事実を申し立てていないし、平成14年(2002年)
1月30日に大阪入国管理局で調査を受けた際、「両親は、2001年8月まで健在であった」と告
げているが、被告人が真に難民に該当する者であれば、虚偽申請をしたり、重要事項について
大きく供述を変遷させたりする必要はないのに、被告人が虚偽申請をし、重要事項について一
貫性を欠く供述をしていることに照らせば、父親の身代わり逮捕に関する被告人の供述は極め
て疑わしく、また、妻子をアフガニスタンに残して、自己1人で亡命したというのは不合理・
不自然である、というのである。
関係証拠によれば、被告人が、所論が指摘するような虚偽の申請をしたことや供述の変遷と
みられる部分のあることが認められる。しかしながら、真実、難民に該当する者であっても、事
柄の性質上、難民該当事由を裏付ける書類等を提出することは極めて困難であるところ、供述
だけでは信用してもらえないとの危惧を抱き、あるいは難民であることを認定してほしいと思
う余り、虚偽の書類等を提出したり、内容を誇張したり虚偽の事情を交えたりして難民申請を
することも十分考えられる。したがって、難民認定の主たる根拠が申請者の供述である場合に
は、申請者の供述内容の真偽を慎重に認定すべきであることはいうまでもないものの、一時期、
供述の中に虚偽が含まれていたり、変遷を生じている場合であっても、単にそのような事由が
あることをもって直ちに供述全体の信用性を否定するというのではなく、虚偽の事実を含む供
述をし、あるいは、供述に変遷を生じた動機や理由、虚偽であることが判明した状況、その後の
供述状況等についても、十分吟味する必要がある。
そして、被告人は、迫害を受けるおそれについて立証できる明確な物証を所持していなかっ
たことや過去に来日歴があることから、自己の体験を供述しても容易に信用してもらえないの
ではないかと危惧し、本名で申請しないほうがよいとの密航ブローカーの助言もあって、入手
していたEに対する拘束令状の写しを提出すれば容易に難民認定をしてもらえると考えて、福
岡入国管理局に対し、虚偽の難民申請をしたこと、その時点で、被告人が、父親の身代わり逮捕
の事実について供述していないのは、自己がDに逮捕された旨虚偽の供述をしていたため、身
代わり逮捕の話をする必要がなかったばかりか、その話をすれば、供述内容に矛盾が生じるな
どつじつまが合わなくなる可能性があったからであること、被告人は、捜査官などからの追及
を受ける前の平成13年11月7日の時点で、大阪入国管理局に対し、自己の名で難民申請をした
際、自発的に福岡入国管理局に対する難民申請が虚偽であることを認めて取り下げたこと、そ
の後は、父親の身代わり逮捕の事実について一貫して述べていることが認められる。このよう
な事情を考慮すれば、被告人が、福岡入国管理局に対し、虚偽の難民申請を行い、父親の身代わ
り逮捕の事実について供述していなかったことには一応の合理性がある。
また、被告人の父親が逮捕されたことと健在であるということは必ずしも矛盾するものでは
ないし、妻子をアフガニスタンに残してきたことについても、身柄の拘束を受けるおそれのあ
る政党の党員本人とその家族とでは迫害を受ける危険性の程度が異なり、Dも女性や子供まで
無差別に攻撃していたわけではないから、1人残された母親の元へ妻子を置いてきた被告人の
行動が直ちに不合理で不自然であるとまではいえない。
そうすると、所論が指摘する事情を考慮してみても、被告人の前記供述の信用性に疑いを差
し挟むものがあるとはいえない。所論は採用できない。
 また、所論は、被告人は、C党の高官ではないし、遅くとも平成8年4月までにC党の活動か
ら完全に身を引いていたものと推認されるところ、そのときから5年も経過した平成13年4月
にDが被告人を逮捕する必要はないことなどに照らせば、父親の身代わり逮捕に関する被告人
の供述は信用できない、というのである。
関係証拠によれば、被告人は、平成7年までカブール市内にあるC党事務所で文化委員会の
一員として通訳等の活動をし、事務所が陥落した後は、パキスタンのペシャワール等に移った
が、仕事の傍ら、ペシャワールにあるC党の事務所で平成10年ころまで活動を続けていたこと、
兵士として戦闘に参加したこともあること、アフガニスタンにおける内戦は、政治的対立だけ
でなく、民族的・宗教的対立に深く根ざし、長年にわたり続いていたところ、勢力を拡大した
Dは、ハザラ人に対する恣意的な逮捕、拘禁や残虐な処刑を繰り返し、Dの指導者は、前記のと
おり、平成12年12月のヤカオランの戦いの後、反Dと見られる13歳から70歳までのすべての
男性を殺害するよう命じていたことが認められる。
そうすると、被告人は、C党の高官ではなく、平成10年以降、その活動を停止して約3年を
経過していたものの、そのことをもって、Dが被告人を逮捕する必要がなくなっていたなどと
いうことはできない。被告人が叔母から聞いた父親の身代わり逮捕の話は、迫真性に富むもの
であり、十分信用することができる。所論は採用できない。
 さらに、所論は、有限会社Fメタル工業所の専務Fが、被告人を雇用するため、平成12年12
月1日及び平成13年8月6日の2度にわたり、被告人の在留資格認定証明書交付の申請をした
り、平成13年4月の時点で、被告人に短期滞在査証の発給申請を勧めていたところ、被告人は、
不法入国後、Fに会った際、父親が身代わり逮捕され、自己の身の危険を感じて不法入国した
ことを打ち明けていないのは、不自然で不合理である、というのである。
しかしながら、Fは、もともと被告人の行っていた中古自動車の部品買付けの取引相手であ
り、転籍により被告人を雇用しようとしていた者ではあるが、身内や親友ではなく、被告人が、
取引上ないし雇用関係上の信頼関係を維持するために、不法入国や難民に関する事実を率直に
告げていなかったとしても、決して不自然なことではない。所論は採用できない。
4 そのほか、所論が指摘する諸事情を全て検討してみても、被告人の供述の信用性は十分である。
そして、被告人が、主観的に、迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているだけでなく、そ
の客観的事情も存在していたというべきである。したがって、被告人について、人種、宗教若しく
は特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるとい
う十分に理由のある恐怖を有するものに該当する、とした原判決の判断は相当である。
第2 被告人が、生命、身体又は身体の自由が害されるおそれのある領域から直接本邦に入ったもの
であるかについて
1 所論は、要するに、原判決は、アフガニスタンではなくUAEを、被告人の生命等が害されるお
それのあった領域と認定したものと思料されるところ、UAEがD政権を承認していることを根拠
に被告人が逮捕されるおそれがあったと認定するが、その承認をもって直ちに被告人が逮捕され
るおそれがあったとするのは完全な論理の飛躍であるし、また、被告人は、平成13年1月15日に
平成16年(2004年)1月14日までのUAE在住許可を得ており、父親が身代わり逮捕されたこと
を知った後も、UAEに滞在し、ドバイのシンガポール領事館で査証を取得して平成13年5月4日
から同月16日までシンガポールを訪問し、同月17日UAEに戻っているのであって、UAEの保護
を十分に受けていたというべきであるから、被告人にとって、UAEが、生命等を害されるおそれ
のあった領域であるとはいえない、というのである。
2 しかしながら、原判決は、被告人が、平成13年4月7日ころ、アフガニスタンからパキスタン
を経由してUAEに戻り、その後、UAEから香港経由で大韓民国に入国し、本法に不法入国した経
過を認定した上で、UAEにおいても、被告人が逮捕されるおそれがあったものといえると判断し
て、被告人が、上記迫害されるおそれのある領域から、中継国を通過して、直接本邦に入ったとい
うことができる旨説示しているのである。すなわち、原判決は、被告人の本国であるアフガニス
タンはもちろんのこと、UAEについても上記迫害されるおそれのある領域と認定しているのであ
って、アフガニスタンを除外してUAEだけを上記迫害されるおそれのある領域と認定したわけ
ではない。
そして、関係証拠によれば、被告人は、父親に対する拷問の結果、UAEにおける被告人の勤務
先や居住先がDの知るところとなれば、UAEの国内においても、身柄を拘束されてアフガニスタ
ンに送還されるなどのおそれがあると感じていたこと、UAEが被告人に対して直接迫害を加える
可能性は考えにくいものの、UAEは、D政権の承認国である上、難民条約を批准していないから、
被告人が難民としての庇護を求めても、その庇護を受けることができないのであって、被告人に
とって、その保護や安全等が保障されない可能性のある国であったことが認められる。また、国
連難民高等弁務官事務所の1999年のガイドラインによる難民の地位に関する条約31条の解釈を
も参考にすると、入管法70条の2第2号所定の「直接本邦に入った」とは、「出身国から、あるい
は庇護希望者の保護、安全や安定が保障されないかも知れない他国から、直接本邦に入った場合
であって、庇護申請をせず、あるいは庇護を受けることなく短期間で中継国を通過した場合を含
む」と解される。
そうすると、被告人は、その保護、安全や安定が保障されないかも知れない他国から直接本邦
に入ったと認められるから、直接性の要件を肯定した原判決の認定は、結論において相当である。
なお、被告人が、ドバイ所在のシンガポール領事館で査証を取得したことは、UAEによる保護
ではないし、被告人は、UAE国内にあるG社の保証の下で期限付きの在住許可を取得していたが、
それは暫定的な効力を有するに過ぎないから、本邦への入国前に、一時期、UAEに滞在していた
ことは、上記迫害されるおそれのある領域から直接本邦に入ったことの認定を妨げるものではな
い。所論は採用することができない。
第3 因果関係について
1 所論は、要するに、UAEは、被告人の生命等が害されるおそれのあった領域ではないし、被告
人は、同国にそのおそれがあることにより本邦に不法入国し、そのまま不法在留したものではな
い、また、被告人は、不法入国直後の平成13年6月19日から、G社の経営者から合計4495万円も
の多額の振込送金を受けてこれを引き落とし、中古自動車部品を買い付けてUAEのドバイに輸
出し、毎月25万円程度の給料を得て生活費等を稼いでおり、就業のみを目的として不法入国、不
法在留したことは明らかであるのに、原判決は、被告人が亡命先に日本を選択した動機の一つと
して日本で就業できることであると認定しながら、被告人が、本国であるアフガニスタン並びに
Dの影響力の強いUAEで迫害されるおそれがあるために日本への亡命を決意した動機も認めら
れ、就業動機の併存は、被告人が難民であることと本件不法入国、不法在留との因果関係を認め
ることの妨げになるものとはいえないと判示して、事実を誤認している、というのである。
しかしながら、前記第2のとおり、UAEは、被告人が難民としての庇護を求めても、その庇護
を受けることができないのであって、被告人にとって、その保護や安全等が保障されない可能性
のある国であったから、所論の前段は理由がない。また、所論が指摘するとおり、被告人が、不法
入国後、日本で就業し、精力的に営業活動を行っていた事実も認められるが、難民も働かなけれ
ば生活費等を得ることができないところ、日本で中古自動車部品等の売買等を行った経験があ
り、日本語で日常会話もできる被告人が、日本での就業を前提として日本を亡命先に選択したこ
とには理由があるし、申請の時期については後述のとおり問題があるものの、被告人は、難民の
申請をしているのであって、就業の動機と亡命の意思は併存し得るものである。したがって、被
告人が難民であることと本件不法入国、不法在留との因果関係を肯定した原判決の認定は相当で
ある。
2 所論は、さらに、被告人の仕事の内容が、海外に出張して中古自動車部品を買い付けて輸出す
るというものであったところ、日本での在留資格認定証明書の交付をなかなか受けることができ
ず、短期滞在査証も入手できなかったこと、不法入国後の精力的な営業活動等からすると、被告
人は、取りあえず、本邦に不法入国して業務に従事し、同証明書の交付を得られないときは、難民
でないのに難民性そのものについて虚偽の申立てをし、不法にその認定を受けようとして、本件
犯行に及んだものと推認される、というのである。
しかしながら、前記第1で認定したとおり、被告人は難民であるし、福岡入国管理局でEにな
りすまして虚偽の申請をしたのは、立証の困難性に由来し、密航ブローカーの助言に従ったから
であると認められる。したがって、難民でないのに難民性そのものについて虚偽の申立てをし、
不法にその認定を受けようとして、本件犯行に及んだものとする上記推認は採用できない。
なお、被告人は、難民申請をするに当たり、入国日や入国経路についても虚偽を述べていたが、
入国日を偽ったのは、入国後60日以内に難民申請をしなければならないことを意識してのことで
あるし、密航船に乗船して横浜港に上陸した旨入国経路を偽ったのは、難民であることの物証の
ない被告人が事実を誇張し、あるいは偽造パスポートを用いたことを秘匿して責任の軽減を図ろ
うとしたものであると考えられるから、これらのことをもって、難民該当性及び因果関係そのも
のに疑義が生じるということにはならない。
3 以上によれば、所論はいずれも採用することができない。
第4 入管法70条の2所定の申出について
1 所論は、要するに、入管法70条の2は、入国審査官に対して同条各号の申出を遅滞なく行うこ
とを要求しているところ、2回にわたる被告人の難民申請はその要件を満たしていない、という
のである。
2 そこで、検討すると、関係証拠によれば、被告人は、偽名の偽造旅券を携帯して、平成13年
(2001年)6月10日、大韓民国の釜山から航空機で福岡空港に到着して本邦に不法入国し、上陸
後、引き続き、平成14年(2002年)2月27日までの間、本邦に不法在留を続けていたこと、その
間の、平成13年9月12日、福岡入国管理局に対し、Eの名義で虚偽の難民申請を行い、同年11月
7日、大阪入国管理局に対し、自己の氏名で難民申請を行ったことが認められる。
ところで、入国審査官に対し、遅滞なく、入管法70条の2各号に該当することの申出をした場
合に限り、難民に対する刑を免除するとの規定は、自首的な要素を含むものと解すべきである。
そうすると、福岡入国管理局に対する本件難民申請は、前記のとおり、被告人が自らの氏名を名
乗ってなされたものではなく、Eという別人名で申請されたものであって、難民の同一性自体を
偽ったものであるから、入管法70条の2所定の申出に当たるということはできない。
また、「遅滞なく」とは、可及的速やかにという意味であるが、単なる時間的長短だけで決めら
れる事項ではなく、不法入国等の罪を犯すに至った事情、不法入国等をした場所、交通事情、本人
の健康状態や会話能力等の個別事情を総合的に判断して、合理的と認められる程度の期間をいう
ものと解すべきである。
関係証拠によれば、被告人は、難民申請する目的で日本に不法入国したこと、日本が難民条約
を批准していることや難民として庇護されるためには、入国後60日以内に入国管理機関に対して
申請しなければならないことを知っていたこと、平成8年以降、合計8回の来日歴があり、日本
国内の地理に通じている上、日常会話ができる程度の日本語の語学力を有していること、不法入
国後、精力的に営業活動をしており、健康状態を害したようなことはなく、国内の移動にも支障
はなかったこと、平成14年2月28日に逮捕されるまでの間、身柄の拘束も受けていないことが認
められる。そうすると、被告人が、大阪入国管理局に対してした上記難民申請は、被告人が申出を
するに当たって必要と考えられる合理的期間を大幅に遅滞したものであるといわざるを得ない。
3 この点、弁護人は、被告人が、その経験から権力機関に対する猜疑心があり、難民の申請をすれ
ば、身柄を拘束されるのではないかと危惧しており、他方で、平成12年12月1日にした在留資格
認定証明書の交付申請が、平成13年6月19日に不交付となったが、滞在国での居住関係が不明確
であるということがその理由であったため、被告人は、必要な書類を準備して、Fに同年8月6
日、2度目の申請をしてもらい、交付を受けることができれば、日本での滞在が合法化されるも
のと考えて、その交付を待っていたこと、同年9月23日以降、H教会のIに難民申請について相
談したが、同人が多忙であった上、そのころ、難民申請をしたアフガニスタン人が摘発されたり
収容されたりしたことがあり、難民申請をためらったことがあるから、被告人の難民申請が同年
11月7日になったことにはやむを得ない事情があると主張する。
しかしながら、権力機関に対する猜疑心や身柄拘束の危惧感については、難民全般に該当する
ことであって、被告人固有の事情ではないこと、在留資格認定証明は、適法な入国を前提にした
ものであって、その証明書が交付されたとしても、不法入国した被告人の滞在が合法化されるも
のではない上、被告人が、在留資格認定証明について何らかの勘違いをしていたとしても、これ
と平行して難民申請を行うことについて格別支障はなかったこと、現に、被告人は、2回目の在
留資格認定証明書の交付を待つ間、偽名を用いたとはいえ、難民申請をしていること、被告人は、
相談を持ちかけたIに対しても、入国日について平成13年8月22日であると偽って伝え、同人の
認識を誤らせていたこと、そして、被告人は、他者の援助を受けなくても、自力で難民申請をする
ことができるだけの十分な知識や能力を備えていたことが認められる。そうすると、弁護人が指
摘する上記事情は、被告人が、入国審査官に対して、合理的な期間内に所定の申出をしなかった
ことについて、やむを得ない事情に当たるとはいえない。
4 したがって、被告人が、入国審査官に対して、入管法70条の2所定の申出を遅滞なく行ったと
は認められないから、その旨認定した原判決には事実の誤認がある。
所論は理由がある。
第5 結論
以上によれば、被告人については、入管法70条の2が定める難民該当性等の実体的要件につい
て、原判決の認定に事実の誤認はないが、被告人が、遅滞なく申出をしたと認定した点で、原判決
には事実の誤認があり、ひいては入管法70条の2を適用した法令適用の誤りがあり、これらが判
決に影響を及ぼすことは明らかである。
論旨は理由がある。
よって、刑訴法380条、382条、397条1項により原判決を破棄し、同法400条ただし書に従い、
更に判決することとする。
(犯罪事実)
原判決が認定した罪となるべき事実と同一である。
(証拠の標目)
当審における被告人の公判供述を加えるほか、原判決が証拠の標目欄に挙示する証拠と同一であ
る。
(法令の適用)
罰条 包括して入管法70条2項、1項1号、3条1項1号
刑種の選択 罰金刑
未決勾留日数算入 刑法21条(原審における未決勾留日数のうち、その1日を金5000円に換算して
その罰金額に満つるまでの分を、その刑に算入する。)
訴訟費用 刑訴法181条1項ただし書(原審分及び当審分につき、被告人には負担させない。)
(量刑の理由)
本件は、アフガニスタンの難民である被告人が、不法入国し、引き続き、8か月余りの間、不法在留
したという事案である。偽造のパスポートを利用して犯行に及んでおり、犯情に芳しくない点もある。
しかし、被告人は、祖国で迫害されるおそれを抱いて、難民申請をする目的で不法入国したのであ
り、その動機や経緯は同情できること、犯行後、遅滞なく難民の申出をしていれば、刑の免除を受ける
ことができる立場にあったこと、不法在留期間も比較的短いこと、相当期間身柄を拘束されているこ
と、前科前歴はないことなど被告人のために酌むべき事情が多々認められる。
そこで、これらの事情を総合考慮して、罰金刑を選択した上、主文のとおり判決する。

在留資格変更申請不許可処分取消請求事件
平成11年(行ヒ)第46号
上告人(被控訴人):法務大臣、被上告人(控訴人):A
最高裁判所第一小法廷(裁判官:藤井正雄・井嶋一友・町田顯・深澤武久・横尾和子)
平成14年10月17日
判決
主 文
原判決を破棄する。
被上告人の控訴を棄却する。
控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。
理 由
上告代理人山崎潮、同高野伸、同江口とし子、同新田智昭、同田島淳子、同山垣清正、同中本敏嗣、
同高橋伸幸、同浦田光儀、同重見一崇、同新保富雄、同沼田光夫、同宮林昭次、同吉岡聖剛、同大本正二、
同矢野卓士の上告受理申立て理由について
1 本件は、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)別表第一の3の表所定の「短期滞在」の
在留資格で本邦に在留していたタイ王国の国籍を有する被上告人が、上告人に対し、法別表第二所
定の「日本人の配偶者等」の在留資格への変更申請(以下「本件申請」という。)をしたところ、上告
人がこれを不許可とする旨の処分(以下「本件処分」という。)をしたため、被上告人が本件処分の
取消しを求める事件である。
原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
 被上告人は、昭和63年2月19日、タイ王国において、日本人であるBと婚姻した。被上告人は、
平成元年4月21日、法(平成元年法律第79号による改正前のもの)4条1項16号、出入国管理及
び難民認定法施行規則(平成2年法務省令第15号による改正前のもの)2条1号所定の「日本人
の配偶者又は子」の在留資格で在留期間を1年とする上陸許可処分を受けて本邦に上陸し、和歌
山市内でBと同居生活を始めた。
 被上告人は、平成2年4月6日、上記の在留資格(ただし、上記改正に伴い、同年6月1日以降
は、同改正後の法別表第二所定の「日本人の配偶者等」の在留資格によって本邦に在留するもの
とみなされた。)で在留期間1年(在留期限は同3年4月21日まで)とする在留期間更新許可処分
を受けた。
 Bは、平成2年6月ころ、被上告人に対する愛情を急速に喪失する一方、Cと関係を持つに至
った。Bは、被上告人に離婚を求めたが、これを拒否されたため、同年7月26日ころ、Cと共に出
奔し、被上告人に居住地を知らせないで、和歌山県新宮市内でCと同居生活を始めた。
被上告人は、同3年初めころ、Bの居住地を探し当て、その勤務先を訪ねて被上告人のもとに
戻るよう要請したが、Bは、被上告人と生活する意思はないとして拒否した。
 被上告人は、その後、平成3年4月11日付け、同4年8月10日付け、同5年9月16日付けで、
それぞれ「日本人の配偶者等」の在留資格で在留期間を1年(最後の更新許可に係る在留期限は
同6年4月21日まで)とする在留期間更新許可処分を受けた。
被上告人は、上記同3年4月11日付けの在留期間更新許可処分に係る更新申請をするについ
て、真に離婚する意思はなかったが、Bに対し、3年間のビザを取得することができたら離婚す
る旨を申し向けて更新申請手続への協力を求めた。Bは、これに応じて、当該更新申請の際に添
付を要する在職証明書等の準備等をして大阪入国管理局に出頭した。Bは、その後2回の被上告
人の在留期間更新申請の際にも、同様の協力をした。
 被上告人は、平成6年2月ころ、Bに対して在留期間更新申請手続への協力を求めたところ、
Bから離婚届の交付を条件として最後の協力をするという意向を示されたので、その協力を得る
ために、真に離婚する意思はなかったが、離婚を約する旨の書面及び離婚届を作成して被上告人
の代理人であった弁護士に交付し、同弁護士は、同書面及び離婚届の写しをBに交付した。
被上告人は、同年4月12日、Bの協力を得て、上告人に対し、在留期間更新申請をしたが、上告
人は、同年5月19日付けで、被上告人が同2年8月以降Bと別居状態にあったこと等から、法21
条3項所定の在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由がないとして、これを不許可と
した。
 被上告人は、平成6年6月2日、上告人に対し、出国準備を理由として、在留資格を「日本人の
配偶者等」から「短期滞在」に変更する旨の在留資格変更申請をし、上告人は、同日、被上告人に
対し、「短期滞在」の在留資格で在留期間を90日(在留期限は同年7月20日まで)とする在留資格
変更許可処分をした。
 被上告人は、平成6年7月18日、上告人に対し、Bとの法律上の婚姻関係が継続していること
を理由として、在留資格を「短期滞在」から「日本人の配偶者等」に変更する旨の本件申請をした
が、上告人は、同7年3月30日付けで、法20条3項所定の在留資格の変更を適当と認めるに足り
る相当の理由がないとして、本件処分をした。
 被上告人は、本邦に入国後、スナックのホステスとして稼働しており、Bが出奔して別居状態
になった後も、その収入で自活し、Bに対して生活費の支給を求めることはなかった。Bは、Cと
の間で2子をもうけて認知し、出奔以来現在まで、C及び子らとの同居生活を継続している。
被上告人とBとは、別居状態になって以降、被上告人がBの居住地を探し当ててその勤務先を
訪問したとき、被上告人が在留期間更新申請手続をしたとき、被上告人が平成5年3月にBを相
手方として和歌山家庭裁判所新宮支部に申し立てた夫婦間の協力扶助を求める審判事件を本案と
する審判前の保全処分申立事件における同月25日の審問期日に会ったときなどを除いて接触は
なく、Bから被上告人に連絡をとったことはなかった。
 被上告人は、本件申請に至るまでBと離婚する決心はついていなかった。他方、Bは、別居し
てからは被上告人に対して直接離婚を求めたことはなかったが、離婚したいとの意思を有してお
り、本件処分当時には、被上告人に対し、婚姻関係を修復する意思のないことを告げていた。また、
Bは、本件訴訟の結果次第によっては、被上告人に裁判を含めて離婚の話をするつもりでいる。
2 原審は、上記事実関係に基づき、次のように判断して、被上告人の請求を棄却した第1審判決を
取消して、被上告人の請求を認容した。
 日本人と婚姻した外国人が「日本人の配偶者等」の在留資格によって本邦に在留するためには、
単に当該外国人が日本人と法律上有効な婚姻関係にあるだけでは足りず、当該外国人が本邦にお
いて行おうとする活動が日本人の配偶者としての活動に該当することを要する。
 日本人と婚姻した外国人と当該日本人(以下「日本人配偶者」という。)との間の夫婦関係が既
に破たんして別居している場合であっても、当該外国人が離婚について合意せず、かつ、日本人
配偶者が不貞や悪意の遺棄を行うなどして、明らかに有責配偶者に該当し、離婚訴訟を提起して
もこれが認容されないようなときは、当該外国人の本邦での在留は、特段の事情がない限り、い
まだ日本人の配偶者として活動しているものと評価することができ、当該外国人には「日本人の
配偶者等」の在留資格該当性を認めることができる。
被上告人とBとの婚姻関係は、客観的にみれば破たん状態にあったことが認められる。しかし、
被上告人は、婚姻関係を維持、継続したいと考えており、Bは、婚姻関係を解消しようとは言い出
せなかったこと、Bは有責配偶者であって、離婚訴訟を提起しても認容される余地はなかったこ
とからすると、被上告人のBに対する配偶者としての地位は法的に保護されるべきであり、被上
告人には日本人の配偶者としての活動を認めることが十分に可能であるから、被上告人につき、
「日本人の配偶者等」の在留資格該当性を認めることができる。
 本件処分は、被上告人が日本人の配偶者としての活動をしておらず、離婚意思を有していると
の事実を前提として、今後も被上告人にはその活動をする可能性がない状態であるとの評価を
し、Bの有責配偶者性について考慮しないで、法20条3項所定の要件を満たさないとの判断をし
たものである。しかし、この判断は、事実の基礎を欠き、かつ、事実に対する評価が合理性を欠く
ことにより社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるから、本件処分は、裁量権の範囲
を逸脱し、又はその濫用があったものとして違法である。
3 原審の上記判断のうち、は是認することができるが、は是認することができない。その理由
は、次のとおりである。
 法は、本邦に在留する外国人の在留資格は、法別表第一又は第二の上欄に掲げるとおりとした
上、別表第一の上欄の在留資格をもって在留する者は、当該在留資格に応じそれぞれ本邦におい
て同表の下欄に掲げる活動を行うことができ、別表第二の上欄の在留資格をもって在留する者
は、当該在留資格に応じそれぞれ本邦において同表の下欄に掲げる身分又は地位を有する者とし
ての活動を行うことができるとし(2条の2第2項)、また、入国審査官が行う上陸のための審査
においては、外国人の申請に係る本邦において行おうとする活動が虚偽のものでなく、別表第一
の下欄に掲げる活動又は別表第二の下欄に掲げる身分若しくは地位を有する者としての活動のい
ずれかに該当することを審査すべきものとしている(7条1項2号)。これらによれば、法は、個々
の外国人が本邦において行おうとする活動に着目し、一定の活動を行おうとする者のみに対して
その活動内容に応じた在留資格を取得させ、本邦への上陸及び在留を認めることとしているので
あり、外国人が「日本人の配偶者」の身分を有する者として別表第二所定の「日本人の配偶者等」
の在留資格をもって本邦に在留するためには、単にその日本人配偶者との間に法律上有効な婚姻
関係にあるだけでは足りず、当該外国人が本邦において行おうとする活動が日本人の配偶者の身
分を有する者としての活動に該当することを要するものと解するのが相当である。
 日本人の配偶者の身分を有する者としての活動を行おうとする外国人が「日本人の配偶者等」
の在留資格を取得することができるものとされているのは、当該外国人が、日本人との間に、両
性が永続的な精神的及び肉体的結合を目的として真しな意思をもって共同生活を営むことを本質
とする婚姻という特別な身分関係を有する者として本邦において活動しようとすることに基づく
ものと解される。ところで、婚姻関係が法律上存続している場合であっても、夫婦の一方又は双
方が既に上記の意思を確定的に喪失するとともに、夫婦としての共同生活の実体を欠くようにな
り、その回復の見込みが全くない状態に至ったときは、当該婚姻はもはや社会生活上の実質的基
礎を失っているものというべきである(最高裁昭和61年(オ)第260号同62年9月2日大法廷判
決・民集41巻6号1423頁参照)。そして、日本人の配偶者の身分を有する者としての活動を行お
うとする外国人が「日本人の配偶者等」の在留資格を取得することができるものとされている趣
旨に照らせば、日本人との間に婚姻関係が法律上存続している外国人であっても、その婚姻関係
が社会生活上の実質的基礎を失っている場合には、その者の活動は日本人の配偶者の身分を有す
る者としての活動に該当するということはできないと解するのが相当である。そうすると、上記
のような外国人は、「日本人の配偶者等」の在留資格取得の要件を備えているということができな
い。なお、日本人の配偶者の身分を有する者としての活動に該当するかどうかを決するに際して
は、婚姻関係が社会生活上の実質的基礎を失っているかどうかの判断は客観的に行われるべきも
のであり、有責配偶者からの離婚請求が身分法秩序の観点から信義則上制約されることがあると
しても、そのことは上記判断を左右する事由にはなり得ないものというべきである。
上記事実関係によれば、被上告人は、日本人の配偶者として本邦に上陸した後Bと約1年3箇
月間同居生活をしたが、その後本件処分時まで約4年8箇月にわたり別居生活を続け、その間、
婚姻関係修復に向けた実質的、実効的な交渉等はなく、それぞれ独立して生計を営み、BはCと
の間の子2人を認知してこの3人との同居生活を継続していたというのであり、また、被上告人
は、Bと離婚する決心はついていなかったものの、Bに対し、在留期間の更新がされれば離婚す
る旨を述べたり、離婚を約束する書面及び離婚届を作成して同書面及び離婚届の写しを自分の弁
護士を介して交付するなどしており、他方、Bは、離婚意思を有し、本件処分当時、被上告人に対
して婚姻関係を修復する意思のないことを告げ、ただ、被上告人の在留期間更新申請についての
み婚姻関係の外観を装うことに協力するなどしていたというのである。これらの事情に照らす
と、被上告人とBとの婚姻関係は、本件処分当時、夫婦としての共同生活の実体を欠き、その回復
の見込みが全くない状態に至っており、社会生活上の実質的基礎を失っていたものというのが相
当である。
したがって、本件処分当時、被上告人の本邦における活動は日本人の配偶者の身分を有する者
としての活動に該当するということができず、被上告人は、「日本人の配偶者等」の在留資格取得
の要件を備える者とは認められないというべきである。論旨のうちこの趣旨をいう点は理由があ
る。
4 以上によれば、原審の上記2の判断には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があ
り、その余の点につき判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、以上によれば、被上
告人の請求を棄却すべきものとした第1審判決は正当であるから、被上告人の控訴を棄却すべきで
ある。
よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

損害賠償請求事件
平成10年(ワ)第3147号
原告:A、被告:国
東京地方裁判所民事第16部(裁判官:大門匡・高宮健二・笹本哲朗)
平成14年12月20日
判決
主 文
1 被告は、原告に対し、20万円を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを50分し、その3を被告の負担とし、その余は原告の負担とする。
4 この判決は、第1項及び第3項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は、原告に対し、336万円を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、トルコ共和国(以下「トルコ」という。)の国籍を有する外国人である原告が、不法残留
を理由に収容令書及び退去強制令書に基づき収容され、本邦から退去させられたことにつき、上
記収容等の手続は、憲法、市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権B規約」とい
う。)、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)、出入国管理及び難民認定法(以下「入
管法」という。)等に違反しており、原告は違法な手続によって精神的、肉体的な苦痛を受けたな
どと主張して、被告に対し、国家賠償法に基づき損害賠償を請求する事案である。
2 前提事実(争いがない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)
 原告は、トルコ国籍を有する外国人である。
 原告は、平成7年5月5日、「短期滞在」の在留資格で在留期間90日の上陸許可を受けて本邦
に上陸した。その後、原告は、上記在留期間を超えて本邦に不法に残留した。
 原告は、平成8年9月17日、法務大臣に対し、難民認定の申請をした。
 東京入国管理局(以下「東京入管」という。)主任審査官は、平成9年7月30日、原告に対し
収容令書(以下「本件収容令書」という。)を発付し、東京入管入国警備官は、同日、本件収容令
書を執行して、東京都北区西が丘3丁目2番21号所在東京入管第二庁舎の東京入管収容場(以
下「本件収容場」という。)に原告を収容した(乙4)。
 東京入管入国審査官は、同年8月21日、審査の結果、原告が入管法24条4号ロの退去強制事
由に該当するとの認定をし、原告にこれを通知した(乙7)。
これに対して、原告は、同日、東京入管特別審理官に対し口頭審理を請求した。
 東京入管特別審理官は、同年9月1日、原告について口頭審理を行い、その結果、前記の退
去強制事由該当認定は誤りがないと判定し、原告にこれを通知した(乙8)。
これに対して、原告は、同日、法務大臣に対し異議を申し出た(乙9)。
 法務大臣は、同月18日、前記の難民認定の申請について、難民の認定をしない旨の処分を
し、また、前記の異議の申出について、理由がないとの裁決(以下「本件裁決」という。)をし
たが、本件裁決に当たり、原告について在留を特別に許可すること(在留特別許可)はしなかっ
た。
そして、東京入管主任審査官は、同日、原告に対し、送還先をトルコとする退去強制令書(以
下「本件退去強制令書」という。)を発付し、東京入管入国警備官は、同日、本件退去強制令書を
執行して、原告を引き続き本件収容場に収容した(乙11。以下、本件収容令書による収容及び
本件退去強制令書による収容を併せて「本件収容」という。)。
 原告は、同年11月18日、本邦から出国した。
3 争点
 本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたか。
 本件収容が難民条約31条に違反するか。
 本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか。
 入管法39条及び同法52条5項が憲法33条に違反するか。
 本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか。
 原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が違法であるか。
 本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管法53条
3項に違反するか。
 本件収容中の原告に対する処遇が違法であるか。
 本件退去強制令書の発付及びそれに基づく収容が難民不認定処分に対する原告の異議申出権
を侵害し違法であるか。
 損害の有無及び金額
4 争点に関する当事者の主張(なお、以下に引用する原告及び被告の総括準備書面(写し)におい
て記載されている別紙表(すなわち、別紙「A主張整理表」)の頁数の部分は、いずれも引用しな
い。)
 争点(本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第1のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第1のとおり
 争点(本件収容が難民条約31条に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第2のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第2のとおり
 争点(本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第3並びに第10ないし第13のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第3並びに第10ないし第13のとおり
 争点(入管法39条及び同法52条5項が憲法33条に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第4のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第4のとおり
 争点(本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第5のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第5のとおり
 争点(原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第6のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第6のとおり
 争点(本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管
法53条3項に違反するか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第7のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第7のとおり
 争点(本件収容中の原告に対する処遇が違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第8のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第8のとおり
 争点(本件退去強制令書の発付及びそれに基づく収容が難民不認定処分に対する原告の異
議申出権を侵害し違法であるか)について
ア 原告の主張
別紙原告総括準備書面(写し)記載第9のとおり
イ 被告の主張
別紙被告総括準備書面(写し)記載第9のとおり
 争点(損害の有無及び金額)について
ア 原告の主張
ア 原告は、本件に関する公務員の行為(違法な拘束、本件収容、本件裁決、本件退去強制令
書発付、本件収容中の処遇)によって、多大の精神的、肉体的な苦痛を受け、劣悪な処遇の
下で健康状態を害した。
イ これによる原告の精神的損害は、336万円(収容1日当たり3万円として、それに収容日
数112日を乗じた金額)を下らない。
イ 被告の主張
否認又は争う。
第3 争点に対する判断
1 前記前提事実、証拠(甲28、29の1、30、乙1ないし17、18の1、18の2、19、20、42、50の1
ないし50の3。ただし、甲29の1中、後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨によれば、
次の事実が認められ、甲29の1中、この認定に反する部分は採用することができない。
 原告は、西暦1968年(昭和43年)《日付略》生まれのトルコ国籍を有するクルド人である。
原告には、クルド人である両親及び5人の兄弟姉妹がいる。
原告は、トルコにおいて成育し、教育を受けた後、トルコ国籍のクルド人女性と結婚し、後記
の出国をするまで、トルコにおいて農業及び穀物の販売業を営んでいた。
 原告は、平成7年4月11日、トルコ政府から一般旅券の発給を受け、同年5月3日、トルコ
を出国し、同月5日、東京入管成田空港支局入国審査官から、在留資格を「短期滞在」、在留期
間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した。
しかし、原告は、上記在留期間の満了日である同年8月3日までに、在留資格の変更又は在
留期間の更新若しくは変更を受けることなく、同日経過後も、本邦に不法に残留した。
なお、原告は、自己の周りに不法滞在者が多くいたため、上記在留期間経過後の滞在が法律
違反となることについては、あまり気に留めなかった。
 原告は、本邦に上陸してから約1年間は、知人のクルド人男性の世話を受けて、埼玉県川口
市、同県鳩ヶ谷市等で生活し、その後、別のクルド人男性であるB(以下「B」という。)及びC
と共に、同県蕨市《住所略》Dビル○○号室で生活した(以下、同居していた原告及び上記2名
を「原告ら3名」という。)。
原告は、本邦に上陸後、建築物の解体作業員(日給約1万円)、プラスチック工、ゴミの仕分
け作業員(日給1万円)等の職業に従事し、平成9年1月17日からは、埼玉県戸田市《住所略》
所在の株式会社Eにおいて、机、椅子等の集配の仕事(日給1万円)に従事していた。
なお、原告は、単身でトルコを出国し本邦に入国したものであり、原告の妻子、両親及び兄弟
姉妹は、トルコに居住していた。原告は、本邦に滞在中も、トルコ在住の妻と継続的に連絡をと
り、妻からの送金依頼に応じて、本邦での稼ぎをトルコの妻子に仕送りしていた。その滞在中
の送金額は、合計で約1万米ドルになる。
 原告は、平成8年4月4日、外国人登録法3条に基づく新規登録の申請をした。
 原告は、同年9月17日、法務大臣に対し、難民認定の申請をした。
なお、原告は、本邦に入国した当時から難民認定申請については知っていたものの、いずれ
トルコに帰国する心積もりがあったことから、同日まで難民認定の申請をしなかったものであ
る(この点、弁護士大橋毅(以下「大橋弁護士」という。)の平成9年8月7日付け報告書には、
原告が日本の難民制度を知ったのは上記申請の2か月前であると原告から聴取した旨記載され
ている(甲29の1)。しかしながら、原告は、入国審査官に対する同月21日付け審査調書におい
て、入国当時から難民認定申請については知っていたことを明確に述べた上(乙20)、同年9月
1日の口頭審理において、上記審査調書の内容を訂正することなく、その成立について認める
とともに、難民認定申請が日本でできることは知っていたと供述しており(甲30)、これらに照
らすと、上記報告書記載部分は採用することができない。)。
ア 東京入管は、平成9年7月30日、埼玉県警察本部及び同県蕨警察署と合同で、前記Dビル
の○○号室、302号室、401号室及び502号室の4部屋を対象に、不法滞在の外国人の摘発を
実施した。当日は、東京入管からは6名の入国警備官、蕨警察署からは18名の警察官が参加
した。
イ 東京入管入国警備官及び警察官は、同日午前6時30分、一斉に各部屋の呼び鈴を鳴らし、
又は扉をノックして、摘発を開始した。
東京入管入国警備官は、上記○○号室の扉をノックして「おはようございます。」と言った
ところ、原告ら3名のうち1名がその扉を開けたので、同人に証票を呈示しながら、「東京イ
ミグレーションと埼玉ポリスです。パスポートを確認させてください。」、「中に入ってもいい
ですか。」などと日本語で告げた。すると、同人がうなずいたため、東京入管入国警備官及び
警察官は上記○○号室の中に入った。室内には、原告ら3名のうち残りの2名もおり、東京
入管入国警備官は、再度、「東京イミグレーションと埼玉ポリスです。パスポートを確認させ
てください。」と日本語で告げた。
ウ 原告ら3名は、東京入管入国警備官に対し、特に不満を述べることもなく旅券を提示し、
東京入管入国警備官は、その旅券を見て、原告ら3名がいずれもトルコ国籍を有しているこ
と、既に不法滞在の状態となっていること、うち2名については旅券に難民認定の申請受理
票が添付されており難民認定の申請中であることを認識した。なお、東京入管入国警備官は、
原告ら3名の同意を得た上で、各々の旅券を預かった。
そして、東京入管入国警備官は、原告ら3名に対し、「全員オーバーステイしているので、
とりあえずポリスまで一緒に来てください。ここには帰れないかもしれませんので、貴重品
や身の回りの荷物を今から整理して持ってきてください。」と言って同行を求めた。
これに対して、原告ら3名のうち1名が、東京入管入国警備官に対し、「私は難民の申請を
しています。」と述べたが、東京入管入国警備官は、「難民の申請をしていても、オーバーステ
イしていることに間違いはないので、とりあえずは荷物を整理して一緒にポリスまで来てく
ださい。」と言ったところ、原告ら3名は、特に不満を述べることもなく、それぞれの荷物を
整理した。
原告ら3名が30分程度で荷物の整理を終えたところで、東京入管入国警備官及び原告ら3
名は庁用車で蕨警察署に向かった。
エ 蕨警察署に到着後、東京入管入国警備官は、再度原告ら3名の身分事項を確認して、「これ
から話を聞きたいので、東京イミグレーションまで一緒に来てください。」と言い、原告ら3
名に庁用車に乗ってもらった上、同車で蕨警察署から東京入管第二庁舎まで移動した。
オ 東京入管第二庁舎に到着すると、東京入管入国警備官は、直ちに原告に対して違反調査を
開始した。原告は、その違反調査において、東京入管入国警備官に対し、日本に来てから約2
年2か月が経つため、簡単な日常会話程度の日本語なら話すことができると述べた上で、ト
ルコから日本に来た経緯、日本での滞在中の経過等について供述し、原告には身元保証人は
誰もいないが、難民申請の際に紹介してもらった弁護士がいるので何かあれば連絡してほし
いなどと述べた。
上記取調べにおいては、基本的に日本語で、原告の分からないところはトルコ語で問答を
行い、トルコ語を使用する場合には、当時原告と同居していたトルコ人であるBが通訳を行
った。その上で、原告が供述人として、Bが通訳人として、供述調書(乙1)にそれぞれ署名
指印をした。
なお、東京入管入国警備官は、本件が早朝の摘発であったことから、原告に対し昼食を提
供するなどした。
 東京入管主任審査官は、同日、本件収容令書を発付した。
東京入管入国警備官は、同日午後7時20分、本件収容令書を執行して、本件収容場に原告を
収容した。
 東京入管入国警備官は、同月31日、入管法24条4号ロ該当容疑を理由として、原告を東京入
管入国審査官に引渡した。
 原告は、同年8月7日、本件収容令書発付処分が違法であるとして、その取消しを求める訴
訟を東京地方裁判所に提起するとともに(東京地方裁判所平成9年(行ウ)第191号収容令書発
付処分取消請求事件)、本件収容令書の執行停止を同裁判所に申し立てた(東京地方裁判所平成
9年(行ク)第60号収容令書執行停止申立事件)。
 東京入管入国審査官は、同月21日、審査の結果、原告が入管法24条4号ロの退去強制事由に
該当するとの認定をし、原告にこれを通知したところ、原告は、同日、東京入管特別審理官に対
し口頭審理を請求した。
 原告は、同月27日、東京入管主任審査官に対し仮放免を請求した。
 東京入管特別審理官は、同年9月1日、原告に対し、同代理人立会いの下で口頭審理を行い、
その結果、前記の入管法24条4号ロに該当するとの認定は誤りがないと判定し、原告にこれ
を通知した。
この判定に対して、原告は、同日、法務大臣に対し異議を申し出た。
 東京地方裁判所は、同年9月3日、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」
(行政事件訴訟法25条2項)の疎明がないとの理由で、前記の本件収容令書執行停止の申立
てを却下するとの決定をした。
 東京入管主任審査官は、同月5日、前記の仮放免を不許可とした。
 原告は、同月11日、前記の本件収容令書執行停止の申立て却下決定に対して東京高等裁判
所に即時抗告をした。
 法務大臣は、同月18日、前記の難民認定の申請について、入管法61条の2第2項所定の期
間を経過してされたものであり、かつ、同項但書を適用すべき事情が認められないことを理由
として、難民の認定をしない旨の処分をし、原告にこれを通知した。
また、法務大臣は、同日、前記の異議の申出は理由がない旨の本件裁決をしたが、本件裁決
に当たり、原告について在留特別許可はしなかった。
東京入管主任審査官は、同日、本件裁決がされた旨の通知を受けて、原告に対し、その旨を告
知するとともに、入管法24条4号ロに該当することを理由として、送還先をトルコとする本件
退去強制令書を発付した。
東京入管入国警備官は、同日午後6時4分、本件退去強制令書を執行して、原告を引き続き
本件収容場に収容した。
また、原告は、同日、法務省東京入国管理局長を拘束者として人身保護請求の訴えを浦和地
方裁判所に提起した(浦和地方裁判所平成9年(人)第1号人身保護請求事件)。
 原告は、同月25日、前記の難民の認定をしない処分について、法務大臣に対し異議を申し
出た。
 浦和地方裁判所は、同年10月17日、原告は本件収容場において適法に拘束されていると認
め、前記の人身保護請求を棄却するとの決定をした。
 原告は、同月21日、本件退去強制令書発付処分の取消しを求める訴訟を東京地方裁判所に提
起するとともに(東京地方裁判所平成9年(行ウ)第254号退去強制令書発付処分等取消請求事
件)、本件退去強制令書の執行停止を同裁判所に申し立てた(東京地方裁判所平成9年(行ク)
第73号退去強制令書執行停止申立事件)。
 原告は、同月27日、前記の異議の申出を取り下げた。
また、原告は、同日、友人のBから、500米ドル及び同日付けクアラルンプール経由イスタン
ブール行きの航空券予約票兼領収証を差し入れてもらった。
そして、原告は、同日、代理人である大橋弁護士に相談した上で、東京入管難民調査官に対し、
近日中にトルコに帰る決意をしたこと、そのため友人に依頼してイスタンブール行きの航空券
を購入したこと、これまでに提起した訴え等を取り下げる意思を有していることを明らかにし
た。
21 原告は、前記の一般旅券の有効期間が経過していたので、同月28日、東京入管入国警備官
に対し、旅券の有効期間延長申請の代行を依頼した。
そこで、東京入管入国警備官が、同月30日、在日トルコ大使館において上記旅券の有効期間
延長申請を代行したところ、特に条件が付されることもなく同申請が許可され、上記旅券の有
効期間は平成10年3月1日までとなった。
22 大橋弁護士は、同年11月11日、原告を代理して、前記の本件退去強制令書執行停止の申立
てを取り下げた。
23 原告は、同月18日、東京入管入国警備官により本件収容場から成田空港まで護送された後、
前記の航空券により航空機を利用して本邦から退去した。
24 原告は、その後、クアラルンプールを経由してトルコに帰国した。
2 争点(本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたか)について
 原告は、東京入管入国警備官及び警察官は、平成9年7月30日、①総勢10名以上で、原告の
自宅に臨場し、早朝、事前の予告なしに摘発を開始した、②原告から弁護士に電話することを
希望されたのに、それを許可しなかった、③原告に対し、通訳を介さずに旅券の提示を求めた、
④東京入管又は警察が用意した乗用車に原告を乗せて、警察署から東京入管まで移動させた、
⑤その乗車の際、原告に選択の余地を与えなかった、⑥東京入管においては、食事も施設内で
取らせ、外出を認めず、取調べ終了後も本件収容令書執行までそのまま東京入管の施設内に留
め置いた、⑦東京入管における取調べ時に通訳人を付さなかったと主張し、これらの事実をも
とに、東京入管入国警備官等が、本件収容令書の執行前に、原告に対し、違法な拘束をしたと主
張する。
しかしながら、上記②の事実を認めるに足りる証拠はなく(かえって、証拠(甲29の1、30、
乙9)によれば、原告及び大橋弁護士は、大橋弁護士の原告からの平成9年8月5日付け聴取
書及び大橋弁護士の同年9月1日付け意見書において、同年7月30日の違反調査の状況を述
べ、その違法性を問題としているにもかかわらず、上記②の事実に言及していないこと、同年
9月1日の口頭審理においてもそのような言及がなかったことが認められ、上記②の事実はな
かったことが推認される。)、上記⑤の事実を認めるに足りる証拠もない。また、上記⑥につい
ては、原告が東京入管の施設内において外出を希望した事実及び東京入管入国警備官等が原告
を東京入管の施設内に強制的に留め置いた事実は、これらを認めるに足りる証拠がない。さら
に、前記1の認定事実によれば、東京入管における取調べ時には、原告の同居人であったBが
通訳を行ったことが明らかであるから、上記⑦の事実は認められない(なお、原告の陳述書(甲
31の1及び2)は、Bが通訳を行った事実自体を否定するものではないし、原告及びBの各署
名による供述調書(乙1)が真正に成立したとの推定を覆すに足りるものでもない。)。 
上記①ないし⑦のその余の各事実は当事者間に争いがない。前記1の認定事実によれば、東
京入管入国警備官等は、入管法上の違反調査という正当な目的のために、原告に同行を求め、
その取調べをしたものであるといえる。そして、前記1の認定事実によれば、原告は、当時、来
日してから既に2年以上を経ており、簡単な日常会話程度の日本語は話すことができ、東京入
管入国警備官等から同行を求められた際にも、同行を拒絶する意思を伝達する程度の日本語の
会話能力はあったと推認されるところ、本件全証拠によっても、原告が、自宅から移動する際
や、庁用車に乗車する際などに、同行について異議を述べたり、抵抗を示したりしたとの事実、
あるいは、東京入管入国警備官等が、原告の同行及び取調べに際し、ことさらに原告の意思を
抑圧するような言動をとったり、原告に対して有形力を行使したなどの事実を窺わせるものは
ない。したがって、上記①ないし⑦のその余の各事実をもって直ちに、東京入管入国警備官等
が本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束をしたとはいうことができない。
 以上によれば、本件収容令書の執行前に原告に対し違法な拘束がされたとはいうことができ
ず、この点に関する原告の主張は理由がない。
3 争点(本件収容が難民条約31条に違反するか)について
原告は、自らが難民であり、難民認定申請をしていた者であることを理由に、本件収容は、生命
又は自由が脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって不法入国又は不法滞在している
者に対し、不法入国又は不法滞在を理由として「不利益」(正文の「penalties」の原告代理人によ
る訳。ただし、日本政府訳では「刑罰」とされている。)を課してはならないと定める難民条約31
条1項に違反し、また、同項の規定に該当する難民の移動に対し必要な制限以外の制限を課して
はならず、上記難民に対し他の国への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこ
のために必要なすべての便宜を与えることを定める同条2項に違反すると主張する。
ところで、同条1項は、「当該難民が遅滞なく当局に出頭し、かつ、不法に入国し又は不法にい
ることの相当な理由を示すことを条件とする。」とその適用のための条件を明文で規定しており、
同条2項も、「1の規定に該当する難民の移動に対し」、「1の規定に該当する難民に対し」と規定
し、同条1項に規定された条件を満たすことがその適用のための要件であることを明らかにして
いる。
前記1の認定事実によれば、原告は、在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に入国し、
その後在留期間の更新等を申請することなく、入国後約1年4か月、在留期間経過後約1年1か
月が経過して初めて、難民認定の申請をしたものであるが、原告は、入国当時から難民認定申請
については知っていたものの、いずれトルコに帰国する心積もりがあったことから、上記の時期
に至るまで難民認定の申請をしなかったということになる。
そうすると、原告は、「遅滞なく」当局に出頭し、かつ、不法に入国し又は不法にいることの相
当な理由を示すことという上記各条項の適用のための条件(要件)を満たしていないというほか
はない。
したがって、その余の要件について判断するまでもなく、本件収容が難民条約31条に違反する
との原告の主張は理由がない。
4 争点(本件収容が収容の必要性を欠き違憲、違法であるか)について
 憲法34条後段違反の有無について
ア まず、原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、何人も正当な理由がなければ拘禁さ
れないと定める憲法34条後段に違反すると主張する。
これに対し、被告は、同条は刑事手続における身体拘束の際の適用を予定した規定である
ところ、本件収容は、外国人の出入国の公正な管理という行政目的のための手続であって刑
事責任追及を目的とする手続ではないから、同条後段の適用はない旨主張する。
この点、同条が直接には刑事手続に関する規定であることは被告主張のとおりであるが、
本件収容が刑事責任追及を目的とする手続ではないとの理由のみで、本件収容による身柄拘
束の手続が当然に同条後段による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。
もっとも、前記1の認定事実によれば、本件収容は、不法残留者である原告に対し、入管法
所定の手続に則ってされたものとみられ、外国人の出入国の公正な管理という正当な行政目
的のために(入管法1条参照)、不法残留者を本邦から確実に退去させるべく、法定の手続に
則ってされたものということができるから、収容の必要性を欠くことが明白であるなど特段
の事情のない限り、憲法34条後段の正当な理由に基づくものというべきである。
そこで、本件収容について、上記特段の事情が認められるかを検討する。
イ この点、原告は、平成8年9月7日、自ら東京入管に出頭し、その所在を明らかにして難民
認定の申請をし、その後も難民審査官からの出頭要請の便宜のためにその所在を継続的に申
告していたと主張する。
しかしながら、前記1の認定事実によれば、原告は、平成7年5月5日、在留資格を「短期
滞在」、在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸したが、その後2年以上経過し
た平成9年7月30日の本件収容時まで、在留資格の変更又は在留期間の更新若しくは変更を
受けることなく、本邦に不法に残留していたこと、原告は単身で本法に上陸、滞在したもの
であり、本件収容当時29歳であったが、その家族は全員トルコに居住しており、本邦にはそ
の身元を保証できる者が特にいなかったこと、原告は、トルコ在住の妻からの送金依頼に応
じて、本邦での稼ぎをトルコの妻子に仕送りしており、本邦から退去させられるならば、そ
の仕送りもできなくなる立場にあったこと、原告は、本邦に滞在中、何度か住所を移転した
ことがあったほか、主として日給による職業を転々としていたことが明らかである。
これらの事情に照らすと、原告の上記主張に係る事実によっても、本件収容について、前
記特段の事情を認めることはできない。
ウ 以上によれば、本件収容が憲法34条後段に違反するとの原告の主張は理由がない。
 入管法違反の有無について
次に、原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、入管法に違反すると主張する。
ところで、入管法は、外国人の出入国の公正な管理という目的のために(1条参照)、容疑者
に退去強制事由該当性について入国審査官、特別審理官等による複数の判断の機会を受けるこ
とを手続上保障しつつ(45条、47条ないし48条参照)、退去強制事由に該当する者を確実に排
除することができるように図ろうとするものであるところ、もともと退去強制手続は本邦に違
法に在留している外国人を対象とする手続であることに鑑みると、容疑者を収容した上で手続
を進めなければ、上記のような退去強制手続の実効性を確保することが困難となることが予想
される。これに加え、前記イに認定の諸事情を総合すると、仮に、入管法上、容疑者を収容す
るための要件として、明文の規定はないが「収容の必要性」が要求されると解したとしても、原
告に対する本件収容に当たっては、その必要性が存していたと優に認められるところである。
以上によれば、入管法上、収容の必要性が要件となるか否かを判断するまでもなく、そもそ
も本件収容にはその必要性が認められるから、原告の上記主張は理由がない。
 国際人権B規約9条1項、同条3項2文及び同条4項違反の有無について
原告によるこの点に関する主張については、いずれも、本件収容が収容の必要性を欠くこと
をその主張の前提としているところ、本件収容について、収容の必要性が存したことは前述の
とおりであるから、原告の上記主張は、その前提を欠き、いずれも理由がない。なお、念のため
その個別の主張に応じて検討しても、次のようにいずれも理由がない。
ア 原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、何人も恣意的に逮捕され又は抑留されな
いと定める国際人権B規約9条1項に違反すると主張するが、前述のとおり、本件収容は、
不法残留者である原告に対し、正当な行政目的のために、法定の手続に則ってされたもので
あるから、「恣意的」な身柄拘束といえないことは明らかであって、この点からも、原告の上
記主張は理由がない。
イ 原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、裁判に付される者を抑留することが原則
であってはならないと定める国際人権B規約9条3項2文に違反すると主張するが、同項
は、「刑事上の罪に問われて逮捕され又は抑留された者」についての規定であることを明記し
ているその体裁からして、刑事手続に関する規定であることが明らかである。
さらに、行政手続にもこの規定の趣旨が及ぶと解したとしても、前述のとおり、本件収容
は入管法所定の要件を満たした上でされたものであり、「抑留を原則としている」とはいえな
いから、この点からも、原告の上記主張は理由がない。
ウ 原告は、本件収容は、収容の必要性を欠くから、「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者
は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法
的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を
有する。」と規定する国際人権B規約9条4項に違反すると主張する。原告は、同項の「合法
的」とは収容の必要性があることを含むとの解釈を前提とするものであるが、当該「合法的」
とは、法令に適合していること(適法であること)を意味するものにとどまると解すべきで
あるとともに、原告は、後記6のとおり、本件収容が合法的であるか否かを裁判所が遅滞な
く決定できるように、裁判所において手続をとる権利を保障されていたものであるから、こ
の点からも、原告の主張は理由がない。
5 争点(入管法39条及び同法52条5項が憲法33条に違反するか)について
 入管法39条は、入国警備官は、容疑者が同法24条各号のいずれかに該当すると疑うに足りる
相当の理由があるときは、収容令書により容疑者を収容することができる旨を、同法52条5項
は、入国警備官は、退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは、送
還可能のときまで、その者を収容することができる旨を規定するが、いずれも、その際に裁判
官の令状を要する旨は規定していない。そこで、原告は、収容に関する上記各条項は、司法官
憲の発する令状によらない身柄拘束を規定するものであるから、憲法33条に違反すると主張す
る。
この点、同条は直接には刑事手続に関する規定であることが問題となるが、入管法上の収容
の手続が行政手続であって刑事責任追及を目的とするものではないとの理由のみで、その手続
による身柄の拘束が当然に同条による保障の枠外にあると判断することは相当ではない。しか
しながら、行政手続は、刑事手続とその性質においておのずから差異があり、また、行政目的に
応じて多種多様であるから、行政手続における身柄の拘束についてすべて裁判官の令状を要す
ると解するのは相当でなく、当該身柄の拘束によって達成しようとする公益の内容、程度、そ
れが行政目的を達成するために欠くべからざるものであるかどうか、身柄を拘束する方法の相
当性などの事情を総合考慮して、裁判官の令状の要否を決めるべきである。
ア そこで検討するに、そもそも、国家は、その主権に基づき、いかなる外国人を、いかなる条
件で、自国に入国させ、自国に在留させるかについて広範な裁量を有しているところ、入管
法上の収容の手続は、国家にとって好ましからざる者を強制的に退去させるための重要な手
続であるから、その公益性が高いことはもとより、上記退去強制手続の実効性を確保し、も
って外国人の出入国の公正な管理を図るという入管法の目的を達成するために必要不可欠な
制度であるといえる。
イ そして、入管法は、収容令書に基づく収容の手続について、収容令書の執行に当たる入国
警備官とは別個の独立した権限を有する主任審査官(上級の入国審査官で法務大臣が指定す
る者(2条11号))が収容令書を発付するものとし(39条1項、2項)、身体を拘束する判断
の適正を期している。収容令書には、容疑者の氏名、居住地及び国籍、容疑事実の要旨、収容
すべき場所、有効期間、発付年月日等を記載することを要求し(40条)、収容の際に、収容令
書の容疑者への呈示等を要求する(42条1項、2項)ほか、収容令書によって収容すること
ができる期間を原則として30日以内に限定する(41条1項)など、容疑者の人権にも配慮し
ている。さらに、その収容後には、適正な手続により、入国審査官による審査、特別審理官に
よる口頭審理、法務大臣による裁決という3度の審理を受けられる機会を保障した上で(45
条1項、2項、47条2項、3項、48条1項ないし5項、7項、49条1項ないし3項)、いずれ
かの時点で容疑者が24条各号のいずれにも該当しないことが判明した場合には、直ちに容疑
者を放免しなければならないとして(47条1項、48条6項、49条4項)、判断の適正を担保す
るとともに、身柄拘束から解放される場合について明確に規定している。
また、入管法は、退去強制令書に基づく収容手続についても、上記と同様に、判断の適正を
期している上(47条4項、48条8項、49条5項、52条1項、2項参照)、容疑者の人権に配慮
し(51条、52条3項参照)、身柄拘束から解放される場合についても明確に規定している(52
条6項参照)。
以上によれば、入管法に基づく身柄拘束の方法は相当性を有するといえる。
 以上の事情を総合考慮すると、入管法上の収容の手続に裁判官の令状を要するということは
できない。
したがって、入管法39条及び同法52条5項の規定が憲法33条に違反するとの原告の主張は
理由がない。
6 争点(本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するか)について
原告は、国際人権B規約9条4項にいう「合法的」とは収容の必要性があることを含むとの解
釈を前提とした上で、本件収容が合法的であるかどうかについて、遅滞なく裁判所の判断を受け
ることを保障されないまま、本件収容を継続されたと主張し、それを前提として、本件収容は国
際人権B規約9条4項に違反すると主張する。
しかしながら、前記4ウで述べたとおり当該「合法的」とは法令に適合していること(適法で
あること)を意味するにとどまると解されるところ、我が国において、収容令書及び退去強制令
書によって収容された者は、その収容の適法性を争う場合には、行政事件訴訟法、人身保護法等
に基づき、それについて裁判所の判断を求めることが可能である。
そして、前記1の認定事実によれば、原告は、現に、①本件収容令書の発付、執行の後まもなく、
本件収容令書発付処分の取消しを求める訴訟を提起するとともに、本件収容令書の執行停止を申
し立て、その約1か月後に同申立てを却下するとの決定を受けると、それに対して即時抗告をし
たこと、②本件退去強制令書の執行と同日、人身保護請求訴訟を提起し、その約1か月後に同請
求を棄却するとの決定を受け、その決定において、本件収容が適法な拘束である旨の判断を受け
たこと、③本件退去強制令書の発付、執行の約1か月後、本件退去強制令書発付処分の取消しを
求める訴訟を提起するとともに、本件退去強制令書の執行停止を申し立て、後にそれを取り下げ
たことが明らかである。
そうすると、原告は、裁判所が本件収容が合法的であるかどうかを遅滞なく決定することがで
きるように、裁判所において手続をとる権利を保障されていたものであり、現実にその権利を行
使し、本件収容が合法的であるかどうかの決定を受けたものということができる。
したがって、本件収容が国際人権B規約9条4項に違反するとの原告の主張は理由がない。
7 争点(原告について在留特別許可をしなかった本件裁決が違法であるか)について
 原告は、原告について在留特別許可をしなかった本件裁決は、法務大臣がその裁量を逸脱し
たものであって、違法であると主張する。
しかしながら、在留特別許可に関する法務大臣の処分は、その判断が全く事実の基礎を欠き、
又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、裁量権の範囲を超え、又
はその濫用があったものとして違法となるというべきである。
なぜならば、そもそも国際慣習法上、いかなる外国人につき、いかなる条件で自国内に在留
させるかについては国家の裁量に委ねられていると解されるところ、在留特別許可の申請があ
った場合、国家としては、国益を保持し出入国の公正な管理を図る観点から、申請者の在留状
況、申請者が我が国に居住することになった経緯、難民をめぐる国際情勢、国内の状況、我が国
の外交政策、国際礼譲など諸般の事情を総合的に勘案した上、その許否につき判断する必要が
あり、そのような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の広範な裁量
に任せるのでなければ到底適切な結果を期待することができないからである。在留特別許可の
制度を規定する入管法61条の2の8が、その許可の判断基準につき、何ら具体的に規定してい
ないのも、在留を特別に許可するかどうかの判断については法務大臣に広範な裁量権を認める
趣旨と解される。
 そこで、以上の見地に立って、法務大臣が原告について在留特別許可をしなかった本件裁決
が裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったものとして違法であるかどうかについて検討す
る。
前記1の認定事実によれば、①原告は、短期滞在の在留資格で、在留期間を90日とする上陸
許可を受けて本邦に上陸したものの、その後、在留期間の満了日までに、在留資格の変更又は
在留期間の更新若しくは変更を受けなかったこと、②原告が外国人登録法3条に基づく新規登
録の申請をしたのは、本邦上陸後1年以上が経過してからであったこと(この点に関し、同条
1項は、上陸の日から90日以内に同申請をしなければならないと定めている。)、③原告が難民
認定の申請をしたのは、本邦上陸後約1年4か月を経過してからであり、法務大臣は、本件裁
決と同日、上記難民認定申請について、入管法61条の2第2項所定の期間(上陸した日から60
日以内)を経過してされたものであり、かつ、同項但書を適用すべき事情が認められないこと
を理由として、難民の認定をしない旨の処分をしたこと、④原告は、27歳で本邦に入国するま
では、本国であるトルコにおいて成育し、妻子らとの生活を営んでいたものであり、本件裁決
当時も、原告の家族は全員トルコに居住していたこと、⑤原告は、本邦に滞在中も、トルコ在住
の妻と継続的に連絡をとり、妻からの送金依頼に応じて、本邦で集配業等に従事して得た収入
をトルコの妻子に仕送りしていたことが明らかである。すなわち、原告は、本邦において不法
に残留、就労するなどしたものであるが、難民と認定されたものではなく、また、原告と我が国
とのかかわり合いは密接なものとはいえない。
これらの事情に加えて、後記8のとおり、クルド人である原告に対する本件退去強制令書に
おいて、送還先をトルコとしたことが難民条約や入管法に違背するものと認めることができな
いことに照らすと、法務大臣が本件裁決に当たって原告に在留特別許可をしなかった判断が、
全く事実の基礎を欠くとか、社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるということは
できない。
したがって、在留特別許可をしなかった本件裁決が、法務大臣の裁量権の範囲を超え、又は
その濫用があったものとして違法であるということはできない。
 以上によれば、この点に関する原告の主張は理由がない。
8 争点(本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び入管法
53条3項に違反するか)について
 原告は、下記①のトルコにおける一般的情況に加え、下記②ないし⑦の原告の個別事情を根
拠として、原告が平成9年当時トルコに帰国すると、クルド人であるとの民族的理由又は政治
的意見により迫害を受けるおそれがあった。すなわち、原告にとってトルコは難民条約33条1
項の「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のため
にその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域」に当たると主張し、本件退去強制
令書における送還先をトルコとしたことは、上記領域の属する国への送還を禁止する難民条約
33条1項及び入管法53条3項(いわゆるノンルフールマン原則)に違反すると主張する。

① トルコ政府は、従来から、クルド人を民族的理由又は政治的意見により迫害してきた。
② 原告は、昭和60年頃、有名なクルド人歌手の歌をカセットテープで聞いたことを理由に、
警察に拘束され、拷問を受けた。
③ 昭和62年、原告の複数の友人が、クルド人の権利を擁護する主張を記載したチラシ、ビ
ラの配布、ポスター貼り等の活動を行ったとの嫌疑で逮捕されたので、原告は、逮捕を逃
れるためにトルコ国内の他の地方に逃亡し、兵役にも応じなかった。
④ 原告は、平成3年、クルド人の権利を擁護する立場の新聞を携えていたのを警察に見と
がめられ、派出所に連行されたところ、原告が政治犯容疑で追われ兵役に応じていないこ
とが発覚し、治安警察に拘束され、拷問を受け、兵役に送られた。
⑤ 原告は、兵役を終えた後、しばらくは家族と平穏に暮らしたが、一方でDEP(民主主義党。
クルド人の権利を擁護する立場の政党の一つ)の事務所に出入りし、その選挙運動に協力
するなどの政治活動を行っていた。
⑥ 原告は、平成7年3月、ネブルズ祭のビラ配りに関与した容疑で逮捕され、拷問を受け、
翌日釈放されたものの、その後尾行をされるなど当局の監視下に置かれた。
⑦ 原告は、同年5月4日予定の裁判の出頭を命じられると、懲役刑が必至であると考え、
これを逃れるため出国した。
 そこで、原告の上記①の主張について検討するに、原告が証拠として提出する甲1、2、5な
いし23の新聞記事等は、トルコにおいて、拷問等といった形でクルド人に対する迫害が行われ
ていることを示唆するものということができるが、このことから直ちに原告がクルド人である
というだけで当然に迫害を受けるおそれがあるとまでいうことは困難である。実際、原告は、
供述調書等(甲30、乙1、19、20)において、自らがトルコにおいて迫害を受けたことを述べる
一方で、同じクルド人である原告の家族が迫害を受けたと窺えるようなことは一切述べていな
いばかりか、日本に家族を呼ぶつもりはないとも述べているのである。
もっとも、原告は、供述調書等において、自身のトルコにおける活動歴、逮捕歴及び拷問体験
等について、上記②ないし⑦にそった事実を述べ(甲29の1、30、32、乙1、19、20)、さらに、
平成9年にトルコに帰国した後も、拷問に遭ったと述べる(甲33)。 
しかしながら、原告のトルコにおける上記活動歴、逮捕歴及び拷問体験等の事実については、
客観的な裏付けとなる証拠がなく、直ちには認定できないといわざるを得ない。
また、原告はDEPの党員であったわけではなく(甲30)、仮に原告主張の上記活動歴があっ
たとしても、その関与の程度はさほど深いものとはいえないから、原告が平成9年当時トルコ
に帰国したときに迫害を受けるおそれがあったことを十分に基礎付けるものとはいい難い。
なお、原告は、供述調書等において、平成9年当時にも、トルコでは警察が毎日のように原告
宅に来て原告を捜している旨を妻から聞いたと述べるが(甲30、乙1、20)、伝聞であって具体
性に乏しい上、警察が原告を捜し続ける目的も判然としないから、そのような事実をたやすく
認定することができない。
 ところで、前記1の認定事実によれば、①原告は、27歳までトルコで生まれ育ち、妻子らと
の生活を営んでいたものであり、本件退去強制令書発付当時も、原告の家族は全員トルコに居
住していたこと、②原告は、平成9年10月27日、トルコ人の友人を通じて、クアラルンプール
経由イスタンブール行きの航空券予約票を取得したこと、③原告は、同日、代理人である大橋
弁護士に相談した上で、東京入管難民調査官に対し、近日中にトルコに帰る決意をし、これま
でに提起した訴え等を取り下げる意思を有していると述べたこと、④原告は、同月、東京入管
入国警備官を介して、当時失効していたトルコ政府発行の一般旅券の有効期間延長申請をし、
特に条件が付されることなく同申請が許可されたこと、⑤大橋弁護士は、同年11月11日、原告
を代理して、本件退去強制令書執行停止の申立てを取り下げたこと、⑥原告は、上記航空券に
よりクアラルンプール経由の航空機を利用して本邦を出国したが、途中クアラルンプールに留
まることもなく、トルコに帰国したことが明らかである。
これらの事実によれば、原告は、自己の本国であり家族が居住するトルコに帰国することを
最終的には希望し、実際にそのとおりトルコに帰国したものとみられる。もっとも、原告は、当
該帰国はその真意に出たものではないと主張するが、原告の帰国は、上記のとおり、代理人で
ある大橋弁護士に相談した上で決められたことであり、その帰国に伴う本件退去強制令書執行
停止の申立ての取下げ等も大橋弁護士が代理した上で行ったものであるから、帰国に至る経過
について原告に不満があったかはさておき、トルコへの帰国自体が原告の真意に基づいていな
いとはいえない。
また、上記のとおり、原告の一般旅券の有効期間延長申請について、特に条件が付されるこ
となく許可されたことに照らせば、原告は、少なくとも、トルコ政府に出入国を制限されるよ
うな人物としては把握されていなかったということもできる。
さらに、前記1の認定事実によれば、原告は、本邦上陸当時から難民認定申請については知
っていたが、いずれトルコに帰国する心積もりがあったことから、その後約1年4か月を経過
するまで、難民認定の申請をしなかったこと、原告は、本邦に滞在中も、トルコ在住の妻と継続
的に連絡をとり、本邦で稼動して得た合計約1万米ドルをトルコの妻子に仕送りしていたこと
が明らかであり、原告は、迫害からの庇護を求めるというよりもむしろ経済的な目的のために、
本邦に上陸、滞在した可能性が否定できない。
 前記及びの検討結果に照らせば、本件全証拠によっても、原告が平成9年当時トルコに
帰国すると、クルド人であるとの民族的理由又は政治的意見により迫害を受けるおそれがあっ
たとまでは認めるに足りず、原告にとってトルコは難民条約33条1項の「人種、宗教、国籍若
しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威
にさらされるおそれのある領域」に当たるとはいえない。
したがって、本件退去強制令書における送還先をトルコとしたことが難民条約33条1項及び
入管法53条3項に違反するとの原告の主張は理由がない。
9 争点(本件収容中の原告に対する処遇が違法であるか)について
 前記前提事実、証拠(甲29の2、乙29の1、29の2、43、45、46)及び弁論の全趣旨によれば、
次の事実が認められる。
ア 原告は、平成9年7月30日から同年11月18日までの112日間にわたり、本件収容令書及び
本件退去強制令書に基づき本件収容場に収容された。
イ 本件収容場は、平成2年12月、東京地方検察庁の旧庁舎(当時築23年9月)の一部を改修
して、収容令書又は退去強制令書により身柄を拘束した外国人の収容施設として開設された
ものであるが、当初から、屋外運動場及び屋内運動場は設置されていなかった。
ウ 東京入管は、本件収容場の被収容者に対し、居室内でストレッチ体操等の軽い運動をする
ことについては特に制限していなかったが、他方で、とりたてて運動の機会を設けることは
なく、戸外での運動の機会は全く与えていなかった。
エ 本件収容場において原告が収容された居室は、収容定員8名の雑居房であり、居室全体の
広さは、縦約6.2メートル、横約5.8メートルであった。ただし、居室内には、別紙本件収容場
トイレ図①のとおり、縦約1メートル、横約1.9メートルのトイレが設置されており、それを
除いた部分が、居室内における運動が可能なスペースであった。
原告は、本件収容中、面会、シャワー等のために上記居室から出るほかは、上記居室内に居
続けた。
オ 原告は、本件収容中、入浴はできなかったが、週に2回、各10分間、シャワーを浴びること
ができた。
カ 居室内のトイレの構造は、自損事故防止、保安上の観点等から、別紙本件収容場トイレ図
②のとおりになっていた。居室内のトイレ設置スペースと畳部分との間には、高さ約135セ
ンチメートルの隠し板が立てられており、成人の被収容者が洋式の便器に座ったときに、畳
部分に居る他の収容者からは頭部が見える程度であった。
 なお、被収容者は、トイレを清掃するように指導されていた。
キ 東京入管においては、被収容者には、寝具として、夏季には毛布4枚並びに枕、シーツ、毛
布カバー及び枕カバー各1個を貸与し、同毛布を敷布団又は掛布団替わりに使用させる扱い
をしており、シーツ、毛布カバー及び枕カバーについては、約1か月をめどに被収容者から
の申出等により交換しており、1か月以内であっても、被収容者から汚損等の申出があった
場合には、その状況に応じて寝具を交換をする運用がされている。
このような運用に従い、原告は、平成9年9月30日、上記寝具一式を貸与され、同年10月
18日、シーツ、毛布カバー及び枕カバーの交換を受けた。
 戸外運動について
ア 原告は、本件収容中、一度も戸外に出ることはなく、屋内においても、本件収容場に運動場
等がないため、運動の機会を与えられなかったとして、そのような処遇は、「所長等は、被収
容者に毎日戸外の適当な場所で運動する機会を与えなければならない。ただし、荒天のとき
又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障があると認めるときは、この限りでない。」と規定
する被収容者処遇規則28条に反して違法であると主張する。
イ ところで、荒天でなければ、居室内の閉塞的な空間から戸外の開放的な空間に出て、陽光
を浴び、外気に触れつつ、適度の運動をすることは、病気その他の理由によりこれを避ける
べき特段の事情がない限り、人の精神的、肉体的健康を保持する上で欠かせないものという
べきであり、被収容者処遇規則28条も、このような観点から、被収容者に戸外での運動の機
会を保障する趣旨と解される。
そうすると、被収容者に対し長期間にわたり戸外運動の機会を与えないことは、上記特段
の事情がある場合のほか、荒天のとき又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障があるとき
(同条但書)や、同条が戸外運動の機会を保障した上記趣旨に適うだけの代替措置がとられた
場合を除き、同条に反するものであるのみならず、違法性を有するものというべきである。
本件についてみると、前記の認定事実によれば、原告は、本件収容中、112日もの長期間
にわたり、戸外での運動の機会を全く与えられなかったというのである(以下、この原告に
対する処遇を「本件処遇」という。)。
他方、原告に病気その他の理由により戸外運動を避けるべき特段の事情があったとも、原
告が本件収容中に戸外運動をすることによって、本件収容場の保安上又は衛生上支障があっ
たとも認めるに足りる証拠はない。
さらに、前記の認定事実によれば、東京入管は、原告に対し、居室内でストレッチ体操等
の軽い運動をすることについては特に制限していなかったというのであるが、外気等から遮
断された閉塞的な居室内でその程度の運動の機会が与えられたからといって、被収容者処遇
規則28条が戸外運動の機会を保障した上記趣旨に適うだけの代替措置がとられたというこ
とはできない。
以上によれば、本件処遇は、被収容者処遇規則28条に反するものであるとともに、違法な
ものであるというべきである。
ウ なお、被告は、①本件収容場の被収容者の処遇については、保安上支障のない範囲内にお
いてできる限り自由を与えることを基本原則として、法令及び被収容者処遇規則に基づき運
用していたものであり、具体的には、テレビの視聴や喫煙などの自由を与えていたこと、②
収容が長期化することが見込まれる者等については、運動設備等が整備されている入国者収
容所東日本入国管理センター等に移送する運用をしていたが、原告については、当時、東京
入国管理局長を拘束者とする人身保護請求訴訟(前記1)が係属しており、上記移送によ
って拘束者が替わると同請求が却下されてしまうこととの関係で、同請求に対する裁判所の
判断が出るまでの間は上記移送を見合わせたことを理由に、原告に戸外運動の機会をさせな
かったことが直ちに違法となるものではないと主張する。そして、③そもそも本件収容場に
おいて戸外運動ができなかったことについては、東京入管入国審査官Fの陳述書(乙45)に
おいて、施設上及び人員上の余裕がなかったためである旨説明されている。
しかしながら、上記①については、原告がテレビの視聴や喫煙などの自由を与えられたと
しても、被収容者処遇規則28条が人の精神的、肉体的健康のために戸外での運動の機会を保
障した固有の趣旨(前記イ)を全うすることはできないから、本件処遇の違法性を否定する
理由にはならない。
また、上記②については、人身保護請求の却下を回避するということが、原告に対して112
日間にわたり戸外運動の機会を全く与えなかったこととに直接結び付くものではなく、合理
的な理由とはなり得ない。
上記③については、本件処遇の背景に、東京入管の施設上及び人員上の窮状があるにして
も、それは被告において改善すべき事柄であるといわざるを得ず、本件のように112日もの
長期間にわたって、被収容者に被収容者処遇規則に定めた基本的な保障を与えないことを正
当化し得るものということはできない。
以上のとおり、被告の上記主張等は、本件処遇が被収容者処遇規則28条に反し、違法なも
のであるとの前記結論を左右するものではない。
 入浴について
原告は、本件収容中、週2回のシャワーを浴びることしか許されなかったとして、そのよう
な処遇は、「所長等は、被収容者の衛生に留意し、適宜入浴させるほか、清掃及び消毒を励行し、
食器及び寝具についても充分清潔を保持するように努めなければならない。」と定める被収容
者処遇規則29条に反して違法であると主張する。
しかしながら、「適宜入浴させるように努めなければならない」という規定の文理に照らして
も、被収容者に入浴をさせないことが直ちに同条の違反となるものではない。
そして、週2回のシャワーを浴びる機会を与えることは、同条が被収容者の衛生に留意する
ことを要求した趣旨に適う入浴の代替措置ということができる。
したがって、上記のような処遇が被収容者処遇規則29条に反するものであり、あるいは違法
性を有するものであるとすることはできず、この点に関する原告の主張は失当である。
 トイレの設置状況について
原告は、本件収容中、トイレが置かれた居室内で食事をとらされたが、そのトイレは、側面3
方向を囲まれているが1面は開いたままの、しかも使用者の顔まで隠しきれない高さの隠し板
のみで仕切られたものであり、衛生的でなかったとして、そのような処遇は、被収容者処遇規
則29条、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱わ
れる。」と定める国際人権B規約10条1項及び「衛生設備は、各拘禁者が、必要なとき、清潔に、
かつ、不体裁でなく生理的要求を満たしうるものでなければならない。」と定める被拘禁者処遇
最低基準規則(1955年犯罪防止及び犯罪人取扱いに関する第1回国際連合会議採択)12条に反
して違法であると主張する。
しかしながら、上記トイレの設置状況が、衛生的でなく違法であるとまでは直ちにはいえな
い。
そもそも被収容者処遇規則29条及び国際人権B規約10条1項は、上記トイレの設置状況を
違法とするような基準を示すものではないし、被拘禁者処遇最低基準規則は、我が国において
法的拘束力を有するものではなく、これを違法性の根拠とすることはできない。
したがって、上記のような処遇が違法であるということはできず、この点に関する原告の主
張は失当である。
 寝具について
原告は、本件収容中、原告の寝具は1度も洗濯されず、交換もされなかったとして、そのよう
な処遇は、「寝具は、支給時において清潔で、常に良好な状態に保たれ、かつ、清潔さを保つた
め頻繁に交換されなければならない。」と定める被拘禁者処遇最低基準規則19条に反して違法
であると主張する。
しかしながら、被拘禁者処遇最低基準規則は、我が国において法的拘束力を有するものでは
ないから、これを国家賠償法上の違法性の根拠とすることはできない。
また、前記の認定事実によれば、原告は、平成9年9月30日、寝具として、毛布4枚並び
に枕、シーツ、毛布カバー及び枕カバー各1個を貸与され、同年10月18日、シーツ、毛布カバ
ー及び枕カバーの交換を受けたものであり(なお、大橋弁護士の平成9年9月17日付け報告書
(甲29の2)及び平成14年4月26日付け陳述書(甲68)は、同人が原告に接見した平成9年9
月16日の時点において、原告の毛布及び枕が一度も取り替えられていないことを示すものにす
ぎず、同年10月18日の上記寝具交換の事実を否定するものではない。)、汚損等があった場合に
は、それを申し出て、その状況に応じて寝具の交換を受けることができたものである。
そうすると、本件収容中、原告の寝具は1度も交換されなかったとの事実が認められないこ
とはもとより、原告に対する処遇につき、清潔な寝具の提供を怠り違法であったということは
できない。
したがって、本件収容中の寝具に関する原告の上記主張は理由がない。
 食事について
原告は、本件収容中、トルコで育った者の嗜好を全く無視した食事を出されたため、急激に
やせ衰え健康を害したとして、そのような処遇は、「各被拘禁者には、当局から、通常の食事時
間に、健康・体力を保ちうる栄養価を持ち、衛生的な品質で、かつ、上手に調理、配膳された食
事が与えられなければならない。」と定める被拘禁者処遇最低基準規則20条1項に反して違法
であると主張する。
しかしながら、被拘禁者処遇最低基準規則を国家賠償法上の違法性の根拠とすることはでき
ないことは既に述べたとおりである。
なおかつ、被収容者の食事については、その内容が宗教上の教義に抵触するなどといった事
由の認められる場合に、特段の配慮の要請される場面のあることはさておき、これを超えて被
収容者処遇規則25条ないし27条の規定を離れて、各国の被収容者それぞれの嗜好に合わせた
食事を提供しなければならないとする法的根拠を見出すことはできない。
したがって、本件収容中の食事に関する原告の上記主張は失当である。
10 争点(本件退去強制令書の発付及びそれに基づく収容が難民不認定処分に対する原告の異議
申出権を侵害し違法であるか)について
原告は、難民の認定をしない処分(難民不認定処分)を受けた者であっても、それに対する異議
申出権を有する者に対し、退去を強制することは、その者が異議申出の審査を受けることを不可
能にするから、本件において、原告が難民不認定処分を受けた直後に本件退去強制令書を発付し、
それに基づく収容をしたことは、入管法61条の2の4が保障する原告の異議申出権を侵害し、違
法であると主張する。
しかしながら、同条は、難民不認定処分に対して異議を申し出ることができる旨を定めている
ものの、入管法には、難民不認定処分に対する異議申出権を有する外国人について、異議申出の
審査が終了するまで、退去を強制されずに我が国に在留する権利を認める規定はなく、他にその
ような在留権を認めなければならないとする法的根拠は見いだせない。したがって、難民不認定
処分を受けた者に対し、異議申出の審査が終了する前に退去を強制したとしても、同条に違反す
るということはできない。
そもそも入管法の定める難民認定手続と退去強制手続とは、別個独立の手続であって(このこ
とは、入管法が、難民の認定を受けている者についても退去強制手続がとられることがあること
を前提としていること(61条の2の7等参照)からも明らかである。)、難民認定手続の進行にか
かわらず、退去強制手続は入管法に則って進められるべきところ、入管法49条5項は、主任審査
官が法務大臣から、退去強制事由該当認定に関する特別審理官の判定に対する異議の申出が理由
がないと裁決した旨の通知を受けたときは、速やかに退去強制令書を発付しなければならない旨
を規定している。
前記1の認定事実によれば、東京入管主任審査官は、平成9年9月18日、本件裁決がされた旨
の通知を受けて、本件退去強制令書を発付し、東京入管入国警備官は、本件退去強制令書に基づ
き原告を収容したものであって、これらの手続が入管法の退去強制手続に関する定めに則ったも
のであることは明らかである。
以上によれば、本件において、原告が難民不認定処分を受けた直後に本件退去強制令書を発付
し、それに基づく収容をしたことは、入管法61条の2の4が保障する原告の異議申出権を侵害し
て違法となるものではなく、この点に関する原告の主張は理由がない。 
11 争点(損害の有無及び額)について
証拠(甲29の2)及び弁論の全趣旨によれば、原告は、戸外運動の機会を与えなかった本件処
遇により、精神的、肉体的な苦痛を受けたと認められるから、本件収容所についての設置又は管
理に瑕疵が存したか否かを判断するまでもなく、この点について、被告は国家賠償法1条1項に
よりその賠償義務を負うものと認められる。
前記9の認定事実その他の諸般の事情を総合考慮すると、原告が受けた上記苦痛を慰謝する
には、20万円が相当である。
そうすると、被告は、原告に対し、国家賠償法1条に基づき、上記損害20万円を賠償する義務
を負うというべきである。
第4 結論
以上によれば、原告の請求は、20万円の支払を求める限度で理由があり、仮執行免脱宣言につ
いては、これを付するのは相当でないと判断し、主文のとおり判決する。

難民認定をしない処分取消請求控訴事件
平成14年(行コ)第42号(原審:東京地方裁判所平成11年(行ウ)第192号)
控訴人:法務大臣、被控訴人:A
東京高等裁判所第16民事部(裁判官:鬼頭季郎・納谷肇・任介辰哉)
平成15年2月18日
判決
主 文
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴人
 原判決を取り消す。
 被控訴人の請求を棄却する。
 訴訟費用は第1、2審とも被控訴人の負担とする。
2 被控訴人
主文同旨
第2 事案の概要
1 事案の要旨
本邦に在留中のエティオピア国籍を有する外国人である被控訴人は、自らに難民となる事由が
生じたとして出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)61条の2第1項に基づく難民の認
定の申請をした(以下「本件申請」という。)。控訴人は、本件申請は同条2項が原則として本邦に
上陸した日等から60日以内に行わなければならないとする申請期間を経過してされたものであ
り、かつ、同項ただし書が例外として定める「やむを得ない事情」も認められないとして、難民の
認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。被控訴人が同条2項本文の60日の期
間制限は難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)及び難民の地位に関する議定書(以
下「難民議定書」といい、難民条約と合わせて「難民条約等」という。)に違反し、また、被控訴人
の申請期間の経過は、同条同項ただし書の「やむを得ない事情があるとき」に該当するものであ
るから、いずれにしても同処分は違法であるなどと主張して、その取消しを求める本件訴訟を提
起した。
2 第1審は、次のように判断して、被控訴人の請求を認容した。
難民不認定処分は申請者を難民と認定しないというにとどまり、難民でないと確定する効果を
生じさせるものではないから、法61条の2第2項本文の期間制限は難民条約に違反するとはいえ
- 2 -
ない。また、難民の立場になって考えると、自らが難民であると表明することは、故国との絶縁と
いう重大な結果をもたらすばかりか、それ自体に危険を伴う行為であるから、我が国が信頼する
に足りるか否かに不安を抱く場合もあろうし、そうでなくても、我が国に平穏に在留できている
ならば差し当たり迫害を受ける危険から逃れられているのであるから、そのような状態が続く限
りは難民であることを秘匿し、そのような状態が維持できなくなって初めて、いわば最後の手段
として難民であることを理由に保護を求めるというのも無理からぬものと考えられ、このような
難民の実情等に照らすと、我が国において平穏に在留している以上は難民認定申請をしないこと
も難民にとっては定型的に法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」があるというべき
であり、少なくとも適法な在留資格に基づいて在留している間にされた申請については、それが
申請権の濫用にわたるなど難民としての保護に値しないと認められる特段の事情がなく、実体審
査をするまでもなく難民に該当しないことが明らかな場合でない限りは、申請者の難民認定制度
に関する知識の有無や申請を決意した時期等に関わらず、入国後60日以内にされなかったことに
ついてやむを得ない事情があったものと解するのが相当である。被控訴人は、本邦入国後、難民
認定の申請をするまでの期間が法61条の2第2項の定める60日の期間を経過しているが、本件
申請は、適法な在留資格に基づいて在留している間にされたものであり、申請権の濫用にわたる
など難民としての保護に値しないと認められる特段の事情がなく、実体審査をするまでもなく難
民に該当しないことが明らかな場合でないから、上記期間内にされなかったことについて同項た
だし書の「やむを得ない事情」があったものと認めるのが相当である。
3 判断の前提となる事実(証拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)
 被控訴人は、昭和41年《日付略》エティオピアのアジスアベバにおいて出生したエティオピ
ア国籍を有する外国人であり、平成9年11月13日、本国内の外務省移民・難民安全局において
有効期限を平成11年11月13日までとする被控訴人名義旅券を取得し、同日、本国内の移民局で
許可日から1か月間有効とする本国出国許可を取得した(その後、出国許可については、平成
9年12月8日に同日から30日間有効とする許可延長がされている。)。
 被控訴人は、同月18日、在アジスアベバ日本大使館において、我が国の査証を取得し、平成
9年12月14日、エティオピア・アジスアベバの空港から本国を出国した。
 被控訴人は、平成9年12月15日、タイのバンコクから新東京国際空港に到着し、東京入国管
理局成田空港支局入国審査官に、外国人入国記録の渡航目的の欄に「business(商用)」、日本滞
在予定期間の欄に「5days(5日間)」と記載して上陸申請を行い、同入国審査官から法別表第
1に規定する在留資格「短期滞在」及び在留期間90日の許可を受け、本邦に上陸した。
 被控訴人は、平成9年12月16日、東京都葛飾区長に対し、居住地を東京都葛飾区《住所略》
として、外国人登録法(以下「外登法」という。)に基づく新規登録申請をした。その後、被控訴
人は、平成10年3月31日に東京都板橋区長に対し、住居地を東京都板橋区《住所略》として、
平成10年9月18日に茨城県猿島郡○○町長に対し、居住地を茨城県猿島郡《住所略》として、
平成10年12月22日に東京都港区長に対し、居住地を東京都港区《住所略》として、それぞれ外
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登法に基づく居住地変更登録申請をした。
 被控訴人は、平成10年3月13日、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)において、控
訴人に対し、在留期間の更新を申請し、同月24日、在留期間「90日」とする在留更新の許可を
受けた。被控訴人は、以降3回にわたり在留期間の更新を申請し、それぞれについて更新許可
を受けた。同更新許可により、被控訴人の在留期限は平成11年3月10日までとなり、さらに在
留資格を「定住者」へと変更する許可を受け、現在も在留資格を有し、本邦に在留している。(被
控訴人本人)
 被控訴人は、平成10年3月24日、東京入管において法61条の2第1項に基づく難民認定の申
請を行い、同年9月3日及び同年10月19日の両日、東京入管難民調査官から事情を聴取される
などの事実の調査を受けた。(乙6)
 控訴人は、平成10年12月25日、被控訴人からの難民認定申請は、法61条の2第2項所定の期
間を経過してされたものであり、かつ、申請遅延の申立ては、同項ただし書の規定を適用すべ
き事情とは認められないとして、本件処分を行い、平成11年1月13日、被控訴人にこれを告知
した。(乙21)
 被控訴人は、平成11年1月19日、本件処分を不服として、控訴人に対し、同処分に対する法
61条の2の4に基づく異議の申出を行った。(乙22、23)
 東京入管難民調査官は、平成11年2月3日、被控訴人から事情を聴取すべく被控訴人の出頭
を求めて事情聴取を行おうとしたところ、被控訴人はこれを拒否した。そのため、東京入管難
民調査官は、同年2月12日、被控訴人に対し、追加資料の提出を促したが、被控訴人から資料
の提出はなかった。(乙24、25)
 控訴人は、平成11年6月3日、被控訴人からの異議の申出については原処分に誤りがない旨
裁決し、同日、被控訴人にこれを告知した。(乙27)
4 争点
本件の争点は、本件処分の適法性であるが、具体的には次のとおりである。
 本件申請に対する法61条の2第2項本文の適用の可否
 本件申請の法61条の2第2項ただし書該当性
 本件処分は憲法31条に違反するか。
 本件処分の取消請求訴訟において、被控訴人は自らが難民であることを主張立証しなければ
ならないか。
 被控訴人の難民該当性
5 争点に関する当事者の主張
 本件申請に対する法61条の2第2項本文の適用の可否
ア 被控訴人
ア 我が国は、難民条約等の締約国となったことにより、難民について難民条約等が定める
義務を負うものである。難民条約は、締約国が同条約1条に定義する難民に対して様々な
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便宜を供与する義務を課しており、法7章の2は、かかる国際法上の義務を国内法化した
ものであるから、我が国は難民条約1条のいう難民に該当するすべての者についてかかる
便宜の供与をする義務を負うのであって、法61条の2第1項の難民の認定は、このような
条約上の便宜を含めて、我が国が難民に対して与えることとした各種の保護措置の前提と
して行われるものである。そうすると、難民条約等に定める難民の定義に厳格に従い、難
民条約のいう難民に該当する者が、難民としての庇護を求めた場合に、前記の便宜を与え
ないとすることは許されないというべきである。
控訴人は、難民条約等においても、難民認定手続の内容は定められておらず、難民認定
手続は締約国の裁量によって定め得るものであると主張するが、法61条の2第2項の規定
が存在することにより、難民認定申請が遅れたために難民認定が受けられず、便宜を与え
られない場合を定型的に作る結果をもたらすこととなり、前記の難民条約等による義務に
違反することとなる。また、同項の規定は、単なる手続の定めでなく、難民条約が定める難
民の定義に加えて、「日本に入国後、60日以内に難民認定をすること」という要件を付加す
るものであり、このような要件を付加することは難民条約42条により同条約1条に留保を
付けることが認められていないことからして、我が国が難民条約に何らの留保を付けず批
准・加入していることと矛盾する。
イ 他国の立法例をみても、難民認定申請をするについて入国後60日以内にしなければなら
ないという短期間の期間制限を定めている例はないし、あったとしても極めて例外的なも
のである。また、国連難民高等弁務官事務所の執行委員会は、1979年にした「庇護国なき
難民の決議」の中で「迫害を受けるおそれを有することに理由が認められる国に、難民が
戻ることを余儀なくされたり送還されたりすることになる行為は、確立された『ノン・ル
フールマンの原則』に対する重大な違反行為を構成する。」としたうえで、「難民として保
護を求める人々がその難民申請を一定期間内にしなければならないと定められている場合
にも、そのような期間を遵守せず、ないしはその他の形式上の要件を履行していないこと
を理由として難民申請を審査の対象から除外してはならない。」としている。これらによれ
ば、短期間の申請期間を定めて、期間内に難民認定申請をしないものについて、難民条約
上の難民であっても難民としての庇護を与えないとすることは許されないということが国
際慣習として確立したものというべきであるが、法61条の2第2項の規定は、このような
国際慣習にも明らかに反するものである。
ウ 控訴人は、法61条の2第2項本文による期間制限には合理性があると主張するが、その
合理性は首肯し難い。すなわち、難民は、自ら難民である旨を明らかにした場合、日本にお
いて受け入れられ難民かどうかの審査を受入れられるかどうか、入国を拒否されてその場
ですぐに送還されたり拘禁施設に収容されてしまうのではないかについては通常何らの知
識も有していないから、逃れてきた迫害の可能性が高ければ高いほど、直ちに難民認定申
請をするのではなく、何よりもまず平穏に日本に入国することを望むものと考えられ、入
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国後に難民認定しようとするのが自然である。また、60日の期間が経過することにより難
民該当性についての証拠の収集が直ちに困難になるという事情は認められない。さらに、
我が国の交通事情等を考えれば、最寄りの地方入国管理局に赴くのに60日の期間は十分で
あるが、我が国に入国した難民は情報面や心理面における障害が極めて大きく、直ちに正
しい難民認定申請のためのルートを知り、容易に難民認定申請をすることができるとはい
えず、実際に難民認定手続をすることは、日本語を解さない外国人にとって極めて困難で
ある。法の立法当時の議論の中には、難民認定制度の濫用者があり得るので、期間制限を
しなければならないという議論はまったくされていない。そして、控訴人の解釈を前提と
して法61条の2第2項ただし書の「やむを得ない事情」があったと認められた事例はほと
んどなく、60日の期間制限に対する救済としてほとんど機能していない。以上のように、
被控訴人が主張するような法61条2項の2第2項本文の合理性はいずれも首肯し難いも
のである。
エ 難民条約は、難民に対して供与されるべき各種の保護措置を定めるが、17条、18条、24
条、26条等その多くは「合法的に領域内にいる」難民あるいは「合法的に領域内に滞在す
る難民」に供与されるべきものとしており、また、難民条約32条は、合法的にその領域内
にいる難民の締約国領域内からの追放を禁止している。そうすると、難民条約締約国は、
適法な在留資格を有するうちに難民認定申請をした者が難民条約上の難民である限り、そ
の領域内に滞在、在留することを認める難民条約上の義務を有するものと解される。難民
不認定処分は、この滞在、在留義務を否定するものであるから、入国後60日以内に難民認
定申請を行わなかったという理由により難民認定をしないことは、難民条約上の義務に反
するものというべきである。被控訴人は、短期滞在の在留資格で日本に入国した者であり、
本件申請当時適法な短期滞在の在留資格を有していた者であるから、法61条の2第2項本
文を適用して本邦入国後60日以内に難民認定申請をしなかったことを理由として難民認
定申請についての実体審査をすることなく不認定とした本件処分は、難民条約に違反する
ものというべきである。
オ 以上によれば、60日という極めて短い申請期間の設定と、その例外としての「やむを得
ない事情」についての厳格かつ限定的な解釈を行った場合には、法61条の2第2項の規定
が、難民条約等や国際慣習法を含めた国際法規に合致しないこととなり、ひいては憲法98
条2項に違反するものと解すべきである。
イ 控訴人
ア 難民条約等は、難民の定義及び締約国が取るべき保護措置の概要についての規定を定め
てはいるものの、難民の認定手続については何ら定めていないのであるから、難民認定手
続を定めるか否か、定めるとした場合にどのように定めるかについては、各締約国の裁量
に委ねられていると解すべきである。諸外国においても各国ごとに独自の難民認定制度を
定めており、その中には、我が国と同様に申請期間に制限を設けている国や他の要件を定
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めている国が存するのであり、国家はその国の事情に応じた法律を制定し得るのであるか
ら、難民認定手続をどのように定めるかは締約国の立法政策上の問題である。各締約国に
おいて定められた難民認定手続が、難民条約等の規定や趣旨及び各締約国の実情等を勘案
し、合理的な制度である限りは、仮に難民認定手続を遵守しなかったために締約国の難民
認定制度による難民として認定されない条約上の難民が生じるとしても、そのこと自体か
ら、直ちに難民条約等に違反するとは解し得ない。
イ 法61条の2第2項は、難民条約等の規定や趣旨及び我が国の実情等を考慮した場合、以
下のとおり、内容的にも合理性を有するものである。すなわち、難民条約上の難民の定義
からすれば、難民に該当する者は、迫害の恐怖から早期に逃れるために速やかに他国の庇
護を求めるのが通常であって、我が国の保護を受けるべく難民の認定の申請をするものも
速やかにその旨を申し出るべきであって、難民となる事由が生じてから長期間経過後に難
民認定の申請がされると、入国当時の事実関係を把握するのが困難となり、難民の認定が
適正かつ公正にできなくなるおそれがある。そして、この60日という期間は我が国の国土
面積、交通・通信機関、地方入国管理官署の所在地等の地理的、社会的実情に照らしても
十分な期間と考えられるものである。また、我が国において法務大臣の難民認定制度が発
足した昭和57年当時には、実際には難民に該当しないにもかかわらず、滞在国において長
期間滞在又は就労するために、難民認定申請に及ぶ難民認定申請濫用者が重大な問題とな
っており、このような濫用者が増加すると行政側の負担が加重となり、適正な難民認定が
遅延し、誠実な難民認定申請者にとっても不利益となることから、期間制限を設けて、こ
のような濫用者の申請を可及的に排除する必要があった。加えて、法61条の2第2項ただ
し書は、申請期間の例外として、申請期間の経過に「やむを得ない事情」があるときは、期
間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断することをも合わせ勘案すれば、法61条の
2第2項の規定は、難民条約等の趣旨に照らし、合理性があると解すべきである。
実質的にみても、我が国の地理的・社会的事情に照らせば、申請者が難民認定申請をす
べきか否かについて意思を決定し、入国管理官署に出向いて手続を行うには、60日という
申請期間は十分と考えられるのであるから、速やかに難民であることを主張して保護を求
めなかったという事実自体、その者の難民非該当性を物語っているというべきであって、
実際上は、難民条約で定める難民に該当しながら、申請期間内に難民認定申請をしないと
いうケースはほとんど考えられないというべきである。
また、我が国においては、条約上の難民であれば、難民不認定処分を受けたものであっ
ても、難民条約上の保護措置による利益をすべて実質的に享受することが可能である。
よって、法61条の2第2項による期間制限は、難民条約等に違反するものとはいえない。
ウ 被控訴人は、法61条の2第2項による期間制限が難民条約等、国際慣習又は国連難民高
等弁務官事務所の執行委員会の決議に違反する旨主張するが、難民認定手続につき、国際
法上一般条約があるわけではなく、他国の立法例からみても、国際慣習が存在していると
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もいえない。また、国連難民高等弁務官事務所の執行委員会の決議には法的拘束力はない
し、同決議はその内容的にも難民条約の解釈を有権的に示したものとまではいえない。ま
た、被控訴人は、法61条の2第2項は、難民の定義に新たな要件を付すもので、難民条約
42条及び難民議定書7条が難民条約1条の規定に留保を付すことを認めていないことに
違反する旨も主張するが、ここでいう留保とは「国が、条約の特定の規定の自国への適用
上その法的効果を排除し又は変更することを意図して、条約への署名、条約の批准、受諾
若しくは承認又は条約への加入の際に単独で行う声明」をいう(条約法に関するウィーン
条約2条の1)から、難民条約1条の規定について何らの留保がされているとはいえな
い。
エ 難民条約は、難民に対する各種具体的保護措置を定める一方、そのような保護措置をい
かなる手続によって保護するかについては何ら定めておらず、包括的な難民認定制度を定
めるか否かさえ締約国に委ねられている。また、我が国では難民認定と外国人の日本にお
ける滞在、在留はそれぞれ別個の手続で判断されるものであり、難民認定を受けたからと
いって難民が日本国内に在留、滞在できるわけではなく、他方、適法な在留上の地位を有
する外国人は難民不認定処分を受けたことによってこれを喪失するものではない。
 本件申請の法61条の2第2項ただし書該当性
ア 被控訴人
ア 仮に法61条の2第2項本文の規定が難民条約等に反しないとしても、前記ア記載の難
民条約等の趣旨や我が国に課せられた難民条約等上の義務にかんがみれば、同項ただし書
の「やむを得ない事情のあるとき」とは、形式的に60日間を過ぎていても、その徒過の程度、
徒過に至った理由、申請者の難民該当性などを総合勘案してその有無が決定されるべきで
ある。そして、その判断が著しく合理性を欠く場合には、裁量の範囲を逸脱するものとし
て違法性を有するに至るものと解すべきである。
イ これを本件についてみると、被控訴人が本邦に上陸した日は平成9年12月15日であり、
難民認定申請を行ったのは平成10年3月24日であるから、その遅れはわずか40日ほどに
すぎない。
そして、被控訴人は、日本において直ちに難民認定申請をしたいと考えていたものであ
るが、①自らが難民であることを裏付ける資料を本国の空港から持ち出すことは危険であ
ったため、日本に来たときに何らの書類も手元にはなかった。②日本に到着したときにイ
ンフルエンザにかかっており、その後まもなく2週間以上病臥せざるを得なかった。③日
本語ができないために情報源を東京にいる外国人に頼らざるを得ず、本人が最初に会った
ウガンダ人に自分の状況を説明したが、難民認定申請をすることは日本においては不可能
であるとの意見を聞かされた。④オーストラリア大使館に電話連絡して、事情を説明し、
庇護を求めたところ、日本政府に対し難民認定申請をする道があることを教えられ、入国
管理局の電話番号を教えられて、初めて日本において難民認定申請を行うことができるこ
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と及び申請する場所を知った。⑤オーストラリア大使館において教示された東京入国管理
局の電話番号に電話したところ、電話の応答者から「難民認定申請をするときは色々資料
が必要で、資料がないと難しい。」「在留期間が切れるまでに申請をすればよい。」などと言
われたため、その後すぐにエティオピア本国に連絡して資料をそろえ、資料の到着後直ち
に難民認定申請をした。 
これらの事実によれば、被控訴人が上陸後60日以内に難民認定申請ができなかったこ
とには相当な理由があるというべきであり、被控訴人が法所定の期間を経過したことには
「やむを得ない事情」が存したといえる。
イ 控訴人
ア 法61条の2第2項本文が60日以内に難民認定申請を行わねばならないと定めている理
由は、前記のとおりであるが、そのような趣旨からすれば、同条ただし書の「やむを得な
い事情」とは、本邦に上陸した日又は本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にあっ
てはその事実を知った日から60日以内に難民認定の申請をする意思を有していた者が、病
気、交通の途絶等の客観的な事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかっ
た場合のほか、本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定するのが客観的に
も困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解すべきである。
イ 被控訴人は、法61条の2第2項本文所定の60日の期間を経過した後に難民認定申請を
したものであるところ、被控訴人の主張する理由は、インフルエンザにかかったことを除
けば、いずれも交通の途絶等の客観的事情により物理的に入国管理官署に出向くことがで
きなかった場合でなく、本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定するのが
客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合とは認められない。
入国時において日本の難民認定制度の存在や60日の期間制限について知らなかったと
しても、入国時の審査の際に庇護を求める旨申し述べれば足り、現に被控訴人は本邦での
入国審査の際に別室で長時間にわたり審査を受けており、他にも庇護を求める機会があっ
たというべきである。また、被控訴人の主張によっても、入国後1か月して、オーストラリ
ア大使館に電話をしたとき、日本の難民認定手続について知ったというのであるから、そ
の時点で難民認定申請をし得たはずであるし、法務省入国管理局は、昭和57年1月から難
民認定手続案内を作成して、各地方入国管理局の窓口に備え、必要に応じて頒布するなど、
難民認定制度について案内している。難民認定申請手続について知らなかったとしても、
外国人が難民認定申請することについて支障はない。
さらに、被控訴人は、日本に入国した翌日に日本の公的機関である東京都葛飾区長に対
し、外登法に基づく新規登録申請をしているのであり、被控訴人は、英語は自由に読み書
き会話することができるのであるから、言葉の問題はそれほど問題になり得るとは考えら
れないし、被控訴人自身がウガンダ人からの話によっても、日本で難民認定申請できる方
法があると信じていたというのであるから、何ら難民認定申請をしなかった理由になるも
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のではない。
被控訴人は、平成10年1月終わりか2月の頭ころ、東京入国管理局に電話をして難民認
定手続を聞き、その際、資料が必要であるなどと聞き、その直後にエティオピアに電話を
して資料の送付を依頼したと主張する。しかし、東京入国管理局の外国人在留総合インフ
ォメーションセンターでは、難民認定の申請の相談は非常にデリケートなケースであるた
め、通常難民認定申請を担当する部門を案内する扱いをしているのであって、難民認定手
続について相談をしたとしても、申請の期間や申請の方法について誤った回答をするとは
考えにくい。また、被控訴人がそのようにして入手した一つであると主張して提出する全
アムハラ人民機構(AAPO)の党員証明書と称する文書は、党名や電話番号等の基本的な
記載が一貫しておらず、このようなことは真実エティオピアの合法的な政党が作成して交
付したのであれば到底考えられないから、同文書の作成の真正には重大な疑義がある。ま
た、同文書の発行年月日は被控訴人が東京入国管理局に電話をかけた以降でなければなら
ないのに、その記載から1998年(平成10年)1月18日に発行されたと認められ、被控訴人
の供述と食い違っている。そうすると、被控訴人が東京入国管理局に電話をかけた旨の供
述自体は信用できないというべきである。
そして、インフルエンザにかかり2週間余病臥せざるを得なかったとしても、2週間余
であれば60日以内に申請できない理由にはなり得ず、更に2週間余の病臥期間に比して、
申請遅延期間は39日間とより長期に及んでいる。
以上によれば、本件申請について法61条の2第2項ただし書の規定にいう「やむを得な
い事情」があったとは認められない。
 本件処分は憲法31条に違反するか。
ア 被控訴人
難民認定手続は、法務大臣によりされる行政手続であるところ、憲法31条の適正手続保障
規定は行政手続に準用されるものであるが、法61条の2第2項は、短い期間の経過をもって、
本人の難民該当性の有無を審査することなく、難民認定を拒絶することにより我が国におけ
る庇護の可能性を否定するという結果をもたらすものであって、正当な理由なく難民認定申
請を行う機会を奪われないこと、難民認定申請者が準備のために十分な時間を与えられるこ
とを保障する憲法31条に違反するものである。
イ 控訴人
難民条約といえども、入国及び在留は、国の主権的権限に基づいて決するという国際法上
確立した考えに何ら変更を加えるものではなく、迫害国への送還を禁止するノン・ルフール
マン原則は、法務大臣の難民認定を受けるか否かに関わりなく保障されているものである
し、在留の拒否の判断に当たっては、迫害にかかる申立ては十分に検討されているのである
から、かかる見地からみても被控訴人の主張は失当である。また、法は60日以内の申請を求
めているにすぎず、60日以内の立証を求めているわけではないので、難民認定申請者が準備
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のために十分な時間を与えられないこともない。
 本件処分の取消請求訴訟において、被控訴人は自らが難民であることを主張立証しなければ
ならないか。
ア 控訴人
ア 法61条の2第1項に基づく難民の認定の申請に対する難民認定処分は、当該申請が同条
2項所定の60日以内に行われたか、60日を超えたことにつきやむを得ない事由があると
認められること(以下「申請期間制限」という。)、申請人が難民に該当することの二つの要
件がそろった場合にされる。これに対し、いずれかの要件がないことが判明した場合には、
その時点で難民不認定処分がされるが、難民不認定処分は、申請期間制限違反を理由とす
る場合も、難民非該当を理由とする場合も、「難民の認定をしない処分」という一つの行政
処分であると解される。したがって、本件処分の取消請求訴訟において、申請人である被
控訴人は、申請期間制限を遵守し、かつ、難民に該当するにもかかわらず、難民不認定処分
がされたことを主張立証しなければ、本件処分を取り消すことができない。
すなわち、行政処分取消訴訟の訴訟物が行政処分の違法一般であるという場合の行政処
分は、取消しの対象とされる特定の行政処分の意味であるから、訴訟物の同一性は行政処
分の同一性により画されることになる。そして、行政処分の同一性は、当該行政処分の根
拠法規たる実定行政法規の立法政策によって決定されると解するのが相当であり、当該行
政処分の処分要件の内容・趣旨・性質等を考慮すべきである。難民不認定処分について、
法をみると、次のとおりである。①申請期間制限違反を理由とした場合でも、難民非該当
を理由とした場合でも、難民不認定処分の効果は変わらない。②申請期間制限の制度趣旨
が公正な難民認定の確保、難民非該当の推認、制度濫用者の排除という要素により基礎付
けられていると理解できることからすると、申請期間制限違反という不認定処分要件と難
民非該当という不認定処分要件は、難民非該当の推認という点において立法趣旨が一部共
通する。その判断内容についても、本邦に上陸した日(本邦にある間に難民となる事由が
生じた者にあっては、その事実を知った日)から難民認定申請までどれくらいの期間が経
過しているかは申請期間制限違反の有無を判断するに当たっても難民該当性を判断する
に当たっても共通して検討されるべき内容であり、本邦にある間に難民となる事由が生じ
た者にあっては、申請者の難民該当性に関する判断内容は一部関連している。さらに、法
61条の2の文言には申請期間制限の遵守が認められることが難民該当性の審査に入るた
めの要件であることをうかがわせるものはないし、その制度趣旨からすると、申請期間制
限違反の有無について結論が出る前に当該申請者が難民でないことが判明した場合に、な
お申請期間制限違反の有無について審査を尽くさなければ難民不認定処分ができないと解
する合理的根拠はないから、両要件は、論理的先後関係になく、選択的・並列的な要件と
して位置づけられている。③法61条の2の4第1号は「難民の認定をしない処分」と規定
するのみで、その違反を理由とした場合と難民非該当を理由とした場合で、例えば却下処
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分と棄却処分とするように処分類型を書き分けていない。④難民不認定処分の理由付記に
ついて、法61条の2第3項は、「その認定をしないときは、当該外国人に対し、理由を付し
た書面をもって、その旨を通知する。」と規定し、理由付記の内容については特に定めてい
ないし、法施行規則55条6項は、別記76号様式において、難民不認定処分の通知書の様式
について定めているが、同様式によれば、処分を「○年○月○日付けのあなたからの難民
の認定の申請については、下記の理由により難民の認定をしないこととしたので、通知し
ます。」とされているのみで、理由付記の内容について特に定めていない。また、難民不認
定処分の異議申出手続について、法61条の2の4は、「難民の認定をしない処分」に対して
「異議を申し出ることができる」と規定し、異議審において一次不認定処分を取り消す場合
を難民であると認められる場合に限定しており、法施行規則58条2項は、「法務大臣は、法
第61条の2の4の規定による異議の申出に理由があると認めるときは、別記第75号様式
による難民認定証明書をその者に交付し、理由がないと認めるときは、その旨を別記第79
号様式による通知書によりその者に通知するものとする。」と規定し、異議申出に理由があ
る旨の判断をなし得るのは、難民認定をすべき場合だけであるとの前提に立っており、難
民不認定処分の中に二つの類型が存在することを想定していない。以上のことから考える
と、法は申請期間制限違反を理由とする難民認定処分と難民非該当を理由とする難民不認
定処分を別個の処分類型とはせず、一つの同じ「難民の認定をしない処分」とする立法政
策を採っていると解するのが相当である。
また、行政処分取消訴訟は処分に対する事後審査をその本質とし、このことは難民不認
定処分取消訴訟においても異ならない。そうすると、本件処分時の違法性は本件処分時を
基準として判断されるべきである。
イ 法第61条の2の3は、難民認定申請者について、難民調査官による事実の調査等を受け
る手続的権利を保障したものではなく、各々の事案における必要性に応じて調査を行う権
限を法務大臣及び難民調査官に付与することを定めた権限規定にすぎないと解するのが相
当である。また、事実の調査は、申請期間制限違反の有無、難民該当性のいずれについても
行われ得る。
イ 被控訴人
ア 行政処分の効果は結論(主文)にほかならず、行政処分の結論が同一である範囲で行政
処分は同一である。行政処分に理由が付された場合に、処分理由の追加変更を許すのは、
処分理由を付して被処分者の権利を擁護しようとした趣旨を没却するから許されない。本
件処分は、「被控訴人からの難民認定申請は、法61条の2第2項所定の期間を経過してさ
れたものであり、かつ、申請遅延の申立ては、同項ただし書の規定を適用すべき事情とは
認められない」という理由によるものであったから、本件処分の取消訴訟において、被控
訴人は難民非該当であるとの理由を追加することは許されない。
また、法の申請期間制限は、行政側の事務負担を軽減する目的で、難民認定処分につい
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て実体審理を受けるための手続要件として申請につき期間制限を定めたものと解すべきで
ある。それに違反した者が難民非該当であること、あるいは濫用的な難民認定申請者であ
ることを推認させるものではないから、難民該当性の判断との間には共通性はない。そし
て、申請期間制限が手続要件として期間制限を定めたものと解される以上、申請期間が充
足していることが認められた場合に初めて、難民該当性の実体審理、判断をすべきであり、
申請期間制限の要件の判断は難民該当性の判断に論理的に先き立つものである。仮に、両
要件が論理的に先後の関係に立たず選択的・並列的な要件であるとしても、申請期間の要
件が充足していることが認められないとしてされた難民不認定処分は、難民該当性に対す
る法務大臣の第1次的判断権が行使されていないから、申請期間制限違反を理由とする難
民認定処分と難民非該当を理由とする難民不認定処分が一つの同じ「難民の認定をしない
処分」として「行政処分として同一性」があるとはいえない。さらに、法61条の2の4第1
号は申請期間制限違反を理由とした場合と難民非該当を理由とした場合で処分類型を書き
分けていないが、難民不認定処分が申請期間を充たしていないという手続的理由でされた
か、難民非該当という実体的理由でされたかは、その処分に付される理由によって明らか
である。法61条の2の4に基づく難民不認定処分の異議の申出は、原処分をした法務大臣
に対する不服の申出であるから、法務大臣が異議手続で実体審理、判断を行っても不当と
はいえないが、このことから不認定処分取消訴訟における不認定処分の同一性の範囲を左
右するものではないし、法施行規則58条2項は下位法令であり、これが法の解釈を決定す
るものではない。法施行規則55条6項、別記76号様式も下位法令であり、これが法の解釈
を決定するものではないし、実務上は、申請期間制限違反を理由とする場合と難民非該当
を理由とする場合では異なる理由が付記されている。
以上のとおり、控訴人が指摘するところは、申請期間制限を理由とする難民不認定処分
と難民非該当を理由とする難民不認定処分との間の処分の同一性、したがって、取消訴訟
における相互の理由の追加、差替えを許容する根拠としては理由のないものである。
イ 法は、難民認定手続において、法務大臣が難民認定申請者の提出した資料に基づいて難
民認定をするものとしながら、専門的知見を有する難民調査官の事実の調査を定め(法第
61条の2の3)、難民調査官による関係人に対する出頭、質問、文書の提示(同条2項)及
び公務所又は公私の団体への必要事項の照会(同条3項)や異議の申出(法第61条の2の
4)を定めていることにかんがみると、難民認定申請者としては、そのような難民認定手
続を受ける利益を有しているというべきであるから、裁判所で難民該当性も証明されなけ
れば難民不認定処分は取り消されないとする控訴人の主張は不当である。
ウ 本件処分に係る難民不認定取消訴訟において、裁判所が、被控訴人に申請期間の要件に
ついて法第61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情がある、あるいは申請期間制限そ
のものが無効であるという判断に達した場合には本件処分を取り消す判決を行い、更に実
体審理、判断を第一次処分権を有する法務大臣に行わせるべきである。
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 被控訴人の難民該当性
ア 被控訴人
被控訴人は、1966年《日付略》、エティオピアのアジスアベバにおいて出生したエティオ
ピア国籍を有する者である。かつての支配部族であるアムハラ族に属しており、その父親は
陸軍中佐として政府部内の地位を持っていて、クーデターの結果殺害されている。その後、
被控訴人は、当時の政権を取っていた他民族勢力からなる政府がかつて政治権力の座にあっ
たアムハラ族に対する圧迫行為を行ったことなどから、アムハラ部族の団体である全アムハ
ラ人民機構(AAPO)に参加し、1994年以降その活動を行ってきた。その結果、AAPOからエ
ティオピア内に止まることは危険である旨知らされ、組織の手配と指示に従い、1997年12月
14日ころに出国し、日本に上陸した。なお、被控訴人がエティオピアを出国した後、その母
及び弟がエティオピア政府により逮捕されている。
以上によれば、被控訴人は、エティオピアに帰国すれば「人種、特定の社会集団の構成員で
あること、又は政治的意見を理由とする迫害のおそれがあるという十分に理由のある恐怖を
有するために国籍外の国にいる」(難民条約1条A)者であることが明らかである。
イ 控訴人
ア エティオピアの現政権が大幅な自治を認める政策を採っているのに対し、AAPOがこれ
に反対している旨報道されているが、AAPOは政府に認められた政党であり、エティオピ
アがAAPOのメンバーを同党のメンバーであることのみを理由に、逮捕・投獄するような
状況があるとは認められない。
イ 被控訴人は、原審で、エティオピアからの出国の経緯について、1997年(平成9年)11
月に釈放された後に、AAPOから、被控訴人の書いた新聞記事を理由に再び逮捕されると
いう情報を入手し、エティオピアから出国して国外で難民認定申請することを勧められ
たところ、AAPOに約1万ドルを渡し、AAPOが代理で旅券や査証を取得されたと供述す
る。しかし、被控訴人は、平成9年11月10日(乙7)又は11日(甲3)まで投獄されていた
というのであるが、被控訴人の旅券及びエティオピア出国査証は同月13日に発給されてお
り(乙1の4頁及び9頁)、被控訴人の供述する経緯は不自然であるし、被控訴人は、自ら
作成した者であれば供述できる事項すら供述できず、記事自体の存在すら確認できていな
い。また、被控訴人は、平成9年11月18日に我が国の査証を取得するなどして同年12月14
日に正規の手続でエティオピアを出国したことが認められるが、出国当時逮捕のおそれが
あったとの主張と矛盾するばかりか、短期に旅券等を取得したAAPOがその後約1か月間
も費やして出国の手配をしたことになる点からみても不自然である。
ウ 被控訴人が、出国後、エティオピアから書類を取寄せた経緯や被控訴人の身代わりとし
て家族が逮捕されたとの供述部分も、その内容に変遷がみられ、信用性がない。
エ 被控訴人が来日した目的は稼働目的であると推認される。
オ 以上によれば、被控訴人が難民に該当するとは認められない。
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第3 当裁判所の判断
1 本件申請に対する法61条の2第2項本文の適用の可否
 法61条の2第2項本文の期間制限の意義について
法61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申
請があつたときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認定を行うことがで
きる。」と、また、同第2項は、「前項の申請は、その者が本邦に上陸した日(本邦にある間に難
民となる事由が生じた者にあつては、その事実を知つた日)から六十日以内に行わなければな
らない。ただし、やむを得ない事情があるときは、この限りでない。」と、それぞれ定めている。
この法61条の2第2項の趣旨は、難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民の認定の申
請がされると事実の把握が困難となり、適正な難民認定ができなくなるおそれがあるため、我
が国の庇護を受けるため難民認定の申請をしようとする者は速やかにその申請をしなければな
らないことを定めたものと解され、これは、迫害から逃れて他国に移動した難民は、他国に入
国後速やかに庇護を求めるのが一般であるとの経験則を背景とし、入国後速やかに庇護を求め
なかったという事実自体がその者が難民でないことを事実上推認させるものであることを基礎
としているが、我が国において法務大臣の難民認定制度が発足した昭和57年当時には、諸外国
では、実際に難民に該当しないにもにもかかわらず、滞在国において長期間滞在又は就労を確
保するために、難民認定申請に及ぶ難民認定制度濫用者が存在することが重大な問題となって
おり、このような濫用者が増加すると行政側の負担が加重となり、適正な難民認定が遅延し、
誠実な難民認定者にとっても不利益となることから、このような濫用者の申請を可及的に排除
することをも併せて目的としたものである。また、同項本文は難民認定申請の期間を60日とし
ているが、これは、我が国の地理的、社会的実情に照らせば、経験則上、申請期間としては60日
をもって十分であると判断されたことによる。もっとも、同項本文による60日の期間制限を一
律機械的に適用して取り扱うことは、具体的な事情の下において妥当でない場合があり得るこ
とから、このことを考慮して、同項ただし書を置き、申請期間の例外として、申請期間の経過に
「やむを得ない事情」があるときは、期間内にされた申請と同様に難民性の有無を判断すること
として、個別に救済を図っている。
 法61条の2第2項本文の難民条約等適合性
ア 被控訴人は法61条の2第2項本文の60日の期間制限は難民条約等に違反すると主張する。
しかし、難民条約等は、難民の定義及び締約国が取るべき保護措置の概要についての規定を
定めてはいるものの、難民の認定手続については何ら定めていないのであるから、難民認定
手続を定めるか否か、定めるとした場合にどのように定めるかについては、各締約国の主権
国家としての立法裁量に委ねられており、各締約国が、その実情等を勘案して合理的に定め
るものとしていると解すべきである。
イ 被控訴人は、申請期間に制限を設ける法61条の2第2項は、国際慣習又は国連難民高等弁
務官事務所の執行委員会の決議に違反すると主張する。しかし、難民認定手続につき、国際
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法上一般条約があるわけではなく、証拠(甲9、10の1ないし4、12、14の1及び2、乙37、
50、62)によれば、諸外国においても各国ごとに独自の立法により難民認定制度を定めてお
り、欧州諸国をはじめ先進国で難民認定申請に期間制限を設けている国はほとんどないも
のの、我が国と同様に申請期間に制限を設けている国もあり(例えば、アメリカ合衆国は1
年間とし、韓国は入国60日以内としている。また、ベルギーは、不法入国の場合は入国から
8勤務日以内、在留資格を有していた場合はその在留期間内とするなどとしている。)、他の
要件を定めている国(例えば、カナダが難民認定の審査を受けることができたであろう国を
通過してきたときなどには申請は適格性がないとしている。また、オーストリアやドイツは
安全な第三国からの入国者は申請あるいは庇護権が認められないとしている。)が存在して
いることが認められる。証拠(甲8)によれば、国連難民高等弁務官事務所の執行委員会は、
1979年にした難民の国際的保護に関する結論第15号「庇護国なき難民」のi項において、「庇
護希望者に対し一定の期限内に庇護申請を提出するよう求めることはできるが、当該期間を
徒過したことまたは他の形式的要件が満たされなかったことによって庇護申請を審査の対象
から除外すべきでない。」旨の判断を最低基準の指針として示していたことが認められる。同
指針は国際法上の法的拘束力を有せず、同指針は、その内容的に難民条約の解釈を有権的に
示したものとまではいえないが、難民条約等の締約国の各国政府によって支持されているも
のであると解される。
ウ 被控訴人は、法61条の2第2項は、難民の定義に新たな要件を付すもので、難民条約42条
及び難民議定書7条が難民条約1条の規定に留保を付すことを認めていないことに違反する
旨主張する。しかし、ここでいう留保とは「国が、条約の特定の規定の自国への適用上その法
的効果を排除し又は変更することを意図して、条約への署名、条約の批准、受諾若しくは承
認又は条約への加入の際に単独で行う声明」をいう(条約法に関するウィーン条約2条の1
)から、難民条約1条の規定について留保がされているとはいえない。 
エ 被控訴人は、難民条約締約上、適法な在留資格を有するうちに難民認定申請をした場合に
は、難民であるか否かにつき実体審査をしなければならないのに、61条の2第2項本文を適
用して本邦入国後60日以内に難民認定申請をしなかったことを理由として実体審査をする
ことなく不認定とした本件処分は、難民条約に違反する旨主張する。しかし、難民条約は、難
民に対する各種具体的保護措置を定める一方、そのような保護措置をいかなる手続や要件の
下に保護するかについては何ら定めていないうえ、前記のとおり、難民認定手続を定めるか
否か、定めるとした場合にどのように定めるかについては、各締約国の主権国家としての立
法裁量に委ねているのであるし、難民認定と外国人の在留はそれぞれ別個の制度である。そ
うすると、難民条約は、各締約国に対し、難民の在留を保障するものではないばかりか、適法
な在留資格を有するうちに難民認定申請をした場合に、難民であるか否かにつき実体審査を
しなければならないとするものでもないというべきである。
 以上によれば、法61条の2第2項本文が申請期間の制限を設けているのは、前記のとおり、
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一つには難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民の認定の申請がされると、その当時
の事実関係を把握するのが著しく困難となり、適正な難民の認定ができなくなるおそれがある
ため、難民認定行政の公正、円滑な実施を確保しようとするものであり、これは、難民は他国に
入国後速やかに庇護を求めるのが一般であると考えられるため、入国後速やかに庇護を求めな
かったという事実自体がその者が難民でないことを事実上推認させるとの経験則上の判断に基
づくものであり、また、我が国において法務大臣の難民認定制度が発足した当時における諸外
国において出稼ぎのために長期間滞在する目的で大量に難民認定制度を悪用する等の問題が
発生したため、制度濫用者の申請を可及的に排除することをも目的として、具体的な申請期間
を、我が国の地理的、社会的実情に照らし、経験則上十分と考えられる60日としたものである。
このような趣旨に照らすと、同項本文は、申請について単に手続的要件を定めたものではなく、
その内容には合理性が認められるから、これを無効ということはできないというべきである。
2 本件申請の法61条の2第2項ただし書該当性
 前記のとおり、法61条の2第2項本文が定める申請期間の制限は、その必要性及び合理性が
あることが認められる。しかし、申請者にとって、難民の認定を申請をすることは、重大な決断
を要するものであるうえ、難民の中には、難民に対する取扱いに対する知識がないか申請に際
し証明資料の提出が必要であるなどの誤解の下に、証明資料を所持しないまま自ら難民である
旨を明らかにした場合には入国を拒否されてその場ですぐに送還されたり拘禁施設に収容され
てしまうのではないかとの危惧を抱くなどして、直ちに難民認定申請をするのではなく、何よ
りもまず平穏に日本に入国することを望み、入国後、難民に対する取扱いに対する知識を得、
証明資料を収集して整えた後に難民認定申請をしようとする者など前記の経験則によらない者
もあるため、この期間制限を一律機械的に適用することが妥当でない場合があり得るものと考
えられる。そこで、同項ただし書は、このような例外的な場合があり得ることを考慮して、期間
を経過した申請についても、個別に具体的な事情を検討して期間を経過したことに合理的理由
がある場合には「やむを得ない事情」があるものとして救済を図り、期間内にされた申請と同
様に難民性の有無を判断することとしたものというべきであって、同項ただし書の「やむを得
ない事情」の意義も、こうした救済規定としての趣旨に適合するように解釈されなければなら
ない。そして、前述の国連難民高等弁務官事務所の執行委員会の結論第15号「庇護国のない難
民」のi項の指針も、申請期間の徒過を形式的要件として解釈運用してはならないことを示す
ものである。このような救済規定としての趣旨に照らせば、法61条の2第2項ただし書にいう
「やむを得ない事情」とは、本邦に上陸した日又は本邦にある間に難民となる事由が生じた場合
にあってはその事実を知った日から60日以内に難民認定の申請をする意思を有していた者が、
病気、交通の途絶等の客観的な事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった
場合に限らず、本邦において難民認定の申請をするか否かの意思を決定することが、出国の経
緯、我が国の難民認定制度に対する情報面や心理面における障害の内容と程度、証明書類等の
所持の有無及び内容、外国人の解する言語、申請までの期間等を総合的に検討し、期間を経過
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したことに合理的理由があり、入国後速やかに難民としての庇護を求めなかったことが必ずし
も難民でないことを事実上推認させるものではない場合をいうと解するのが相当である。
 本件申請について、被控訴人に法61条の2第2項ただし書にいう「やむを得ない事情」があ
るか否かを検討する。
ア 判断の前提となる事実に証拠(甲3、乙1ないし7、19、20、被控訴人本人)を併せると、
次の事実が認められる。
ア 被控訴人は、昭和41年《日付略》エティオピアのアジスアベバにおいて出生したエティ
オピア国籍を有する外国人である。平成9年12月14日、エティオピア・アジスアベバの空
港から本国を出国し、同月15日、新東京国際空港に到着して本邦に上陸した。被控訴人は、
本邦上陸当時、日本語を解さず、英語については十分ではないが理解できた。
イ 被控訴人は、平成10年1月中旬に外国人向けの広告を載せている雑誌の中で、オースト
ラリア大使館の電話番号を見つけたため、電話をし、オーストラリアに難民として入国し
たいと話をしたところ、「日本にいる以上、最初に日本の入国管理局に行くべきだ。行って
も捕まることはない。」と言われ、日本の入国管理局の電話番号を教えられた。
ウ 被控訴人は、その後、東京入管に電話をし、英語で、難民の認定について尋ねた。被控訴
人は、その回答として「難民認定申請をするには資料が必要である。」「申請はビザが切れ
るまでに行えばよい。」と言われたと理解した。
エ 被控訴人は、出国時に空港で難民性を基礎付ける書類を持っていることが自らに不利に
なると考えていたことから、何らの書類も携えて来なかったため、直ちにエティオピアに
電話をし、弟に必要な書類を取りそろえることを依頼した。弟は、被控訴人が投獄されて
いた証明書、AAPOのメンバーであることの証明書を送付し、被控訴人は、その書類の到
着の2、3日後である平成10年3月24日に東京入管において、難民認定申請を行った。
イ 以上の事実によれば、被控訴人は、エティオピア人で、我が国の難民認定制度に対する情
報や証明書類等を所持しないまま我が国に上陸したこと、我が国に入国した当時、日本語を
解さず、英語については理解できるものの十分ではなかったため、我が国の難民認定制度に
対する情報の収集に期間を要したほか、情報収集した難民認定制度の内容に対する理解も十
分でないか一部誤解したところもあったこと、難民認定申請をするには資料が必要であると
理解した後は直ちに収集を開始し、その収集後、直ちに難民認定申請したこと、入国後難民
認定申請をしたときまでの期間は99日であって、法61条の2第2項本文の60日の申請期間
を徒過した程度は40日未満であったことが認められ、これらの事情を総合すると、本件申請
について申請期間を一応経過したものであるが、そのことが必ずしも難民でないことを事実
上推認させるものではない合理的理由があるから、被控訴人には法61条の2第2項ただし書
にいう「やむを得ない事情」があるというべきである。
ウ 控訴人は、被控訴人の供述の信用性は低いとして、まず、被控訴人が難民認定手続につい
て相談をしたとする東京入管の外国人在留総合インフォメーションセンターの職員が、申請
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の期間や申請の方法について誤った回答をするとは考えにくいと主張する。証拠(乙35)に
弁論の全趣旨を併せると、外国人在留総合インフォメーションセンターの行政相談の業務内
容は、外国人の入国在留に関する各種案内、外国人の入国在留に関する各種申請書類の配布
及び申請の際の記載要領の案内であり、難民認定申請の相談に対しては、非常にデリケート
な事項であるため、通常難民認定申請担当部門に直接相談するように案内し、電話による相
談の場合は電話番号を案内していることが認められ、同職員が誤った回答をすることは考え
にくいことが認められるが、同職員としても、難民認定申請に関する応対を一切しないとい
うものではないこと、難民の認定には申請者から提出された資料に基づいて行われること
(なお、法務省入国管理局作成の「難民認定手続案内」〔乙30の1・2〕にもこのことが記載
されている。)、被控訴人は、相談した言語である英語の能力が十分であったわけではないこ
とを併せて考慮すると、被控訴人が相談を受けた同職員の話の内容を十分理解できなかった
か誤解した可能性を否定できないから、前記主張はにわかに採用できない。
また、控訴人は、被控訴人が入手したと主張して提出する全アムハラ人民機構(AAPO)の
党員証明書と称する文書には党名や電話番号等の基本的な記載が一貫していないと主張す
る。確かに、証拠(乙15、52)及び弁論の全趣旨によれば、同文書(乙15)は、党名の「アムハラ」
について、「AMARA」(左上の円形印)、「AMAHRA」(レターヘッド及び下の円形印)及び
「AMHRARA」(本文2行目の太字部分)と3種類の表記をしていること、「×× ×× ××」
という国内電話番号の欄(本文の右上部分)と「15/11/○○ ○○ ○○」という国際電
話番号の欄(本文の真上部分)についても、本来は共通すべき「×× ×× ××」の部分と
「○○ ○○ ○○」の部分が相違していること、国際電話の欄の冒頭部分にはエティオピア
の国番号は「251」であるのに「15」と記載されていることが認められる。しかし、これらの
記載の相違があるからといって、控訴人において、これらの食い違いが被控訴人の難民性に
疑問を抱いて被控訴人からの事情聴取以外に更に調査した経過があると認めるに足る証拠は
なく、他に適切に比較検討することが可能なAAPO作成の文書が証拠として提出されていな
い以上、上記党員証明書と称する文書が直ちにエティオピアの合法的な政党の証明文書でな
いと断定できず、少なくとも控訴人において同文書の真否を調査すべきであったといい得る
のみである。さらに、控訴人は、上記党員証明書と称する文書の発行年月日が被控訴人の供
述と食い違っていると主張する。しかし、被控訴人がエティオピアから党員証明書等の書類
を取寄せた経緯として供述するところは記憶によるものであって、その供述する日には若干
の誤差があり得るし、上記党員証明書と称する文書の発行年月日が記載された経緯は明らか
でないから、直ちに控訴人主張のように食い違いがあるとまではいえない。
そうすると、上記の各食い違いのみから被控訴人の供述の信用性が低いとまではいえな
い。
3 本件処分の取消請求訴訟において、被控訴人は自らが難民であることを主張立証しなければな
らないか。
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 本件処分は、被控訴人が難民に該当するか否かについては判断することなく、専ら被控訴人
の難民認定申請が、法61条の2第2項所定の申請期間に係る申請期間制限(申請が法61条の2
第2項所定の60日以内に行われたか、60日を超えたことにつきやむを得ない事由があると認
められること)を遵守していないとしてされたものである。控訴人は、本件処分の取消請求訴
訟において、申請人である被控訴人は、申請期間の60日を遵守したことのほか、難民に該当す
るにもかかわらず、難民不認定処分がされたことを主張立証しなければ、本件処分を取り消す
ことができないと主張する。
法61条の2第1項に基づく難民の認定の申請に対する難民認定処分は、申請人が申請期間を
遵守したこと及び難民に該当することの二つの要件を証明した場合にされる。そして、前記の
とおり、申請期間制限の制度趣旨は、難民となる事由が生じてから長期間経過後に難民の認定
の申請がされると、その当時の事実関係を把握することが著しく困難となり、適正な難民の認
定ができなくなるおそれがあり、また、過去に難民認定制度の濫用的利用が大量になされたこ
とがあることにかんがみ、これを適正に抑制し、難民認定行政の公正、円滑な実施を確保しよ
うとするものであるとの実質的な必要性に基づくものであり、申請期間制限も難民該当性を否
定するための事実上の推定要件としての機能を有し、単なる手続的要件ではないといえる。こ
のことからすると、上記の二つの要件は、論理的に先後関係にあるものではなく、選択的・並
列的な要件として位置づけられているというべきであり、法務大臣は、いずれかの要件がない
ことが判明した場合には、その時点で当該一つの要件の欠如を理由として難民不認定処分をす
ることができることになる。そして、法61条の2の4第1号は「難民の認定をしない処分」と
規定するのみで欠如する要件に応じて処分類型を書き分けておらず、法61条の2第3項は「そ
の認定をしないときは、当該外国人に対し、理由を付した書面をもって、その旨を通知する。」
と規定し、理由付記の内容については特に定めていないうえ、申請期間制限の不遵守又は難民
非該当のいずれか一方のみを理由とする場合も、難民不認定処分の効果は変わらない。以上を
総合すると、難民不認定処分は、いずれか一方の要件の欠如を理由としてされたものであって
も、「難民の認定をしない処分」という一つの終局的な行政処分であると解される。
 難民不認定処分が、申請期間制限又は難民該当性のいずれか一方の要件の欠如を理由として
されたものであっても、「難民の認定をしない処分」という一つの終局的な行政処分であるから
といって、直ちに、難民不認定処分取消訴訟において、難民認定申請者である原告が、その理由
とされなかった他方の要件についても主張立証しない限り、裁判所が、当該難民不認定処分を
取り消す旨の判決をすることができないと解さなければならないものではない。すなわち、法
により、難民認定に関する第一次的な審理、判断の権限は、法務大臣に与えられているのであ
り、難民認定手続においては、法61条の2の3によれば、法務大臣は、難民認定申請者から法
61条の2第1項の規定により、提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれが
ある場合その他難民の認定又はその取消しに関する処分を行うために必要がある場合には、難
民調査官に事実の調査をさせることとし、その調査のため、難民調査官による関係人に対する
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出頭、質問、文書の提示及び公務所又は公私の団体への必要事項の照会ができることになって
おり、難民であるか否かを職権で調査、審査されることになっている。また、国連難民高等弁務
官事務所の執行委員会によって指針として示された1979年、難民の国際的保護に関する結論
第15号i項の指針が申請期間を徒過したことによって形式的に審査対象から除外してはなら
ず、できる限り難民であるか否かを実質的に審査させようとしている趣旨にかんがみると、上
記の職権による調査は難民認定申請者の利益のためにも運用されるべきであるから、申請者が
難民であるとの証明責任のすべてを果たさなければ、必ず不利益に認定される手続となってい
ないものと解すべきである。そうすると、難民認定申請者としては上記のような難民認定手続
を経て審査してもらう利益を享受し得る地位にあるといえる。法務大臣が申請期間制限又は難
民該当性という両立し得る選択的・並列的な要件のうち申請期間制限違反を選択してその要件
が欠如するから事実上難民でないと推認判断し、難民不認定処分をした場合は、難民認定申請
者に難民認定手続において難民該当性について実質的に調査して審査してもらう利益をも享
受するために不服申立てをする利益もあるというべきであるから、難民不認定処分の取消訴訟
は、その利益を追求するための訴えとしても法律上の利益を認めるのが相当である。そうする
と、本件のような申請期間制限違反を理由とする難民不認定処分の取消訴訟において、難民認
定申請者である原告に難民であることの立証責任を課すことは、上記の利益の回復を否定する
結果に繋がり相当ではない。したがって、本件においては、申請期間制限違反の判断の適否の
み、取消事由として主張立証すれば足りるものというべきである。そうすると、本件処分の違
法性を争う取消訴訟においては、被控訴人は、本件処分の取消しを求めるについて自らが難民
に該当することを主張立証しなければならないものではない。
4 結論
以上によれば、控訴人は、被控訴人がした難民認定申請については法61条の2第2項ただし書
の「やむを得ない事由」があったのに、これがないものとして本件処分をしたもので、違法であり、
取消しを免れない。そうすると、被控訴人の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく
理由があるので認容すべきであり、原判決はその結論において相当である。 
よって、本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

難民認定をしない処分等取消請求事件
平成14年(行ウ)第5号
原告:A、被告:法務大臣・名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:加藤幸雄・舟橋恭子・富岡貴美)
平成15年3月7日
判決
主 文
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告法務大臣が平成10年12月28日付けで原告に対してした難民の認定をしない旨の処分は無
効であることを確認する。
2 被告法務大臣が平成12年11月10日付けで原告に対してした異議の申出は理由がない旨の裁決
は無効であることを確認する。
3 被告法務大臣が平成13年7月13日付けで原告に対してした難民の認定をしない旨の処分を取
り消す。
4 被告名古屋入国管理局主任審査官が平成12年11月13日付けで原告に対してした退去強制令書
発付処分は無効であることを確認する。
第2 事案の概要
本件は、本邦に在留中のスーダン国籍を有する原告が、出入国管理及び難民認定法(以下「法」
という。)に基づいて難民認定を申請したところ、被告法務大臣が認定しない旨の処分を行い、そ
の後の名古屋入国管理局特別審理官による退去強制事由の判定に対する異議申出に対しても理由
がない旨の裁決をした上、被告名古屋入国管理局主任審査官が退去強制令書発付処分を行ったこ
とから、これらの処分の無効確認を求め(上記請求の1、2項及び4項)、次いで、原告が再度難
民認定の申請をしたのに対し、被告法務大臣が前同様の処分を行ったことから、その取消しを求
めた(上記請求の3項)抗告訴訟である。
1 前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認定できる事実)
 原告の国籍について
原告は、1963年(昭和38年)《日付略》、スーダン共和国(以下、スーダン民主共和国と称する
場合を含めて「スーダン」とも略称する。)の《地名略》市において出生した同国籍を有する男
性である。
 原告の入国及び在留状況について(甲1、16、乙1、2、4)
- 2 -
原告は、平成10年(1998年)6月9日、スーダン政府発行の旅券を所持して、新東京国際空
港に到着し、東京入国管理局(以下、入国管理局を「入管」という。)成田空港支局入国審査官に
対し、渡航目的「VISA」、日本滞在予定期間「15日」とする上陸申請を行い、同審査官から在留
資格「短期滞在」、在留期間90日の許可を受けて、本邦に上陸した。
そして、原告は、平成10年9月14日と同年12月17日に各90日の在留期間の更新許可を受け
た(最終の在留期限は平成11年3月6日である。)。
 原告の居住関係について(乙3、5、20、24)
原告は、平成10年6月11日、東京都板橋区長に対し、居住地を同区《住所略》として、外国人
登録法に基づく新規登録申請をし、次いで、平成11年7月22日、東京都杉並区長に対し、居住
地を同区《住所略》として同法に基づく居住地変更登録をしたが、その後は居住地変更登録を
することなく、同年11月ころから静岡県《住所略》に居住し、後記の仮放免を受けた平成14年
5月28日以降は、原告肩書地に居住している。
 難民認定申請等の経緯について
ア 原告は、平成10年7月21日、被告法務大臣に対し、ウンマ党に所属していることにより迫
害を受けるおそれがあるという理由で、法61条の2第1項の規定に基づく難民認定申請をし
た(以下「第1次申請」という。乙6)。
イ 東京入管難民調査官は、平成10年11月12日及び同月26日、原告から事情聴取をするなど
の事実の調査を行った(乙7、9)。その上で、被告法務大臣は、同年12月28日、原告の上記
申立てについては、これを立証する具体的な証拠がないので、難民の地位に関する条約(以
下「難民条約」という。)1条A及び難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」とい
う。)1条2に規定する「政治的意見」を理由として迫害を受けるおそれは認められず、同条
約及び同議定書にいう難民(以下「条約上の難民」という。)とは認められないとして、不認
定処分(以下「第1次不認定処分」という。)を行い、平成11年1月19日、原告に告知した(乙
11)。
ウ 原告は、平成11年1月25日、第1次不認定処分を不服として、法61条の2の4に基づき、
被告法務大臣に対する異議の申出をした(乙12)。そこで、東京入管難民調査官は、同年2月
15日、原告から事情を聴取するなどの事実の調査を行った(乙13)。その後、被告法務大臣は、
同年11月22日、第1次不認定処分に誤りは認められず、他に原告が条約上の難民に該当する
ことを認定するに足りる資料もないとして、原告からの異議の申出は理由がない旨判断し、
平成12年9月21日、原告に通知された(乙17)。 
エ 東京入管難民調査官は、平成12年1月25日と同年2月21日、杉並区《住所略》あてに普通
郵便及び簡易書留を郵送する方法で、原告に対して出頭要請をしたが(乙15、16)、原告は転
居のため通知を受け取らず、出頭しなかった。
オ 名古屋入管入国警備官は、平成12年9月18日、静岡県《住所略》に居住する原告を摘発し、
法24条4号ロ(「在留期間の更新又は変更を受けないで在留期間を経過して本邦に残留する
- 3 -
者」)該当容疑で違法調査に着手し(乙5)、同日、被告名古屋入管主任審査官が発付した同日
付け収容令書を執行して、名古屋入管収容場に収容した(乙18、19)。
カ 名古屋入管入国警備官は、平成12年9月18日、原告について違反調査を実施し(乙20、
21)、同月19日、原告を法24条4号ロ該当容疑者として名古屋入管入国審査官に引渡した(乙
22)。
キ 名古屋入管入国審査官は、平成12年9月19日、同月28日、同年10月5日及び同月10日、原
告について違反調査を実施し(乙23ないし25、27)、その結果、同月10日、原告が法24条4
号ロに該当する旨の認定を行い(以下「不法残留認定処分」という。)、原告にこれを通知した
(乙29)。
ク 原告は、平成12年10月10日、不法残留認定処分を不服として、法48条1項に基づく口頭審
理の請求をした(乙27)ため、名古屋入管特別審理官は、同年10月20日、原告について口頭
審理を実施し(乙30)、その結果、同日、入国審査官の上記認定には誤りがない旨判定し、原
告にこれを通知した(乙32)。
ケ 原告は、平成12年10月20日、上記判定を不服として、法49条1項に基づき、被告法務大臣
に対して異議の申出をした(乙33)ところ、被告法務大臣は、同年11月10日、原告の上記異
議の申出については、理由がない旨裁決した(以下「本件裁決」という。乙35)。
同裁決の通知を受けた被告名古屋入管主任審査官は、同月13日、原告に本件裁決を告知す
るとともに(甲4、乙36)、退去強制令書(乙37)を発付した(以下「本件退令発付処分」とい
う。)。
なお、名古屋入管入国警備官は、平成12年12月13日、原告を入国者収容所西日本入国管理
センターに移収した(乙37)。
コ 原告は、平成12年12月1日、被告法務大臣に対し、再度難民認定申請をしたため(以下「第
2次申請」という。乙38、39の1ないし9)、大阪入管難民調査官が、平成13年1月9日及び
同年4月19日、原告から事情を聴取するなどの事実の調査を行った(乙40、41)。その上で、
被告法務大臣は、同年7月13日、第2次申請は、法61条の2第2項所定の期間を経過してさ
れたものであり、かつ、申請遅延の申立ては、同項ただし書の規定を適用すべき事情とは認
められないとして、不認定処分を行い(以下「第2次不認定処分」という。)、同月27日、原告
に告知した(甲2、乙42)。
サ 原告は、平成13年8月1日、大阪入管において、第2次不認定処分を不服として、異議の
申出をしたため(乙43、44)、大阪入管難民調査官が、同年9月4日及び同月12日、原告から
事情を聴取するなどの事実の調査を行い(乙45、46、48、49の1)、被告法務大臣は、同年11
月1日、第2次申請は、法61条の2第2項所定の期間を徒過してなされたものであり、かつ、
同項ただし書の規定を適用すべき事情も認められないので、原処分に誤りは認められないと
して、第2次不認定処分に対する異議の申出は理由のない旨判断し、同年11月7日、原告に
通知した(甲3、乙50)。
- 4 -
シ 原告は、本訴提起後である平成14年5月28日、仮放免され、以後、原告肩書地において、
居住している。
なお、原告は、平成14年12月10日、国連難民高等弁務官によって、関心の対象となる者の
認定を受けた(甲55の1)。
 スーダン情勢について(甲20、21、27ないし30、41、47、乙58ないし60、69)
ア 独立後の概略について
ア スーダン共和国は、1956年(昭和31年)1月1日、エジプトとの統合から独立し、Bを
党首とする統一国民党政権が誕生したが、統一国民党はウンマ党と民主統一党に分裂し、
同年7月から、両党の2大政党による議会制民主主義政権が誕生した。
その後、1958年(昭和33年)3月に総選挙が行われて、ウンマ党が圧勝し、C内閣が誕
生したが、同年11月、D将軍が起こした軍事クーデターによって軍事政権が成立した。同
政権は、1964年(昭和39年)10月に崩壊し、1965年(昭和40年)4月、ウンマ党と国民統
一党による連立内閣が成立したが、1969年(昭和44年)5月22日、E大佐を中心とする陸
軍中堅将校による無血クーデターが成功し、同大佐を議長とする革命評議会が全権を掌握
して一党独裁制をとった上、国名を「スーダン民主共和国」に改称した。
1979年(昭和54年)、ウンマ党指導者Fの指導の下、クーデター未遂事件が発生した。ス
ーダンは、この事件へのリビアの関与を非難し、同国と断交した上、エジプトとの間に共
同防衛条約を締結した。そして、1983年(昭和58年)、E大統領が南部州を3州に分割し、
全国に「シャリア」(イスラム法)を導入したところ、南部の黒人系キリスト教徒等の反政
府勢力は、これに強く反発し、今日まで継続している内戦状態に突入した。
イ 1985年(昭和60年)、E大統領の米国訪問中、G国防相がクーデターを起こし、暫定軍事
評議会を発足させたため、E大統領は、エジプトに亡命した。そして、スーダンは、同年6
月、リビアとの関係を修復し、同国との間で軍事協定を締結し、同年12月には、国名を再
度「スーダン共和国」に改めた。
1986年(昭和61年)4月、民政移行のための総選挙が実施され、ウンマ党と民主統一党
の連立によるF文民政権が発足したが、1989年(平成元年)6月30日、H中将の率いるス
ーダン軍部がクーデターを起こし、多数の主要な政治家を逮捕した。これにより、非常事
態宣言がなされ、憲法は停止し、議会は解散、政党活動も非合法化され、Hを議長とする革
命評議会が全権を掌握した(以下「89年クーデター」という。)。そして、1990年(平成2年)
10月、同評議会は、政党政治を否定し、リビア型人民議会体制に倣う新政治体制の導入を
決議した。
89年クーデターにより政権を掌握したH政権は、イスラム原理主義を標榜する民族イス
ラム戦線(NIF)を支持基盤とする一党翼賛体制であり、同政権による各国のイスラム原理
主義運動への同情的態度は、国際社会からの非難を招き、1993年(平成5年)以降、アメ
リカは、スーダンをテロ支援国家に指定している。さらに、1995年(平成7年)6月のIエ
- 5 -
ジプト大統領暗殺未遂事件を契機に、1996年(平成8年)4月以来、国連安保理の制裁対
象国となった。
ウ H政権は、近年、従来の軍事色の強い一党独裁体制から、限定的ではあるが、民主政治
への移行を図り、1992年(平成4年)暫定国民議会を設立し、1993年(平成5年)10月全
権を掌握していた革命評議会を解散し、立法権及び行政権はそれぞれ暫定国民議会及び
大統領を長とする内閣に全面移管されるとともに、89年クーデター以来継続していた夜
間外出禁止令は解除された。そして、1995年(平成7年)12月、「第13次憲法令」が発布さ
れ、大統領、内閣及び国民議会党の国家統治機構の新たな枠組みが決まり、1996年(平成
8年)3月には大統領及び国民議会議員の直接選挙が行われ、H大統領が選出され、1997
年(平成9年)8月に北部州知事選挙、同年12月には、南部州知事選挙を実施した。さらに、
1998年(平成10年)6月、これまで発出された暫定憲法令を集約した新憲法が制定され、
同年12月には同憲法施行の一環として政治結社設立に関する法が制定され、多数政党制を
前提とする政治へと歩み出した。そして、1998年(平成10年)5月、政党結成の自由など
を含む新憲法の可否を問う国民投票が実施され、圧倒的な賛成票を得て成立し、同年6月
30日、同憲法が施行された。
2000年(平成12年)12月、大統領及び国民議会議員の直接選挙が実施され、H大統領が
86パーセント以上の得票を得て再選されたが、主要野党は選挙をボイコットした。また、
1999年(平成11年)12月施行の国家非常事態令は2001年(平成13年)末まで延長されて
いる。
イ スーダン内戦について
ア スーダン内戦は、そもそも、1956年(昭和31年)の独立以前から、スーダン国内が、アラ
ブ人でイスラム教信者が多い北部と、ブラックアフリカ民族でキリスト教信者あるいは伝
統宗教の信者が多い南部とに分かれ、北部が経済的にも発達し、南部との格差が大きかっ
た上、行政機関が北部出身者によって占められ、1955年(昭和30年)に南部住民から求め
られた連邦制導入を北部住民が無視して翌年独立したことから、南部住民の北部住民すな
わち政府に対する抵抗運動が始まったことに端を発する(第1次内戦)。
イ 1975年(昭和50年)、米シェブロン社によって、南部にあるマルート油田等の油田が発
見された。その後、E大統領時代に、イスラム法シャリアが導入されたため、南部住民の政
治家等がイスラム人民解放運動(SPLM)を結成し、南部ヌバ山岳地帯で武力闘争を開始し
た(第2次内戦)。米シェブロン社は、内戦激化に伴い、開発利権をスーダン政府に返上し、
中国、マレーシア、カタール及びカナダが後を引き受けて、石油開発を継続した。第2次内
戦は、歴史的な宗教・文化的対立に加え石油の利権が絡み合い、今日まで継続している。
ウ 89年クーデター以後、北部のウンマ党、民主統一党、共産党、労働組合組織、スーダン国
軍合法司令部、ゲリラ組織スーダン人民解放軍(SPLA)は、反政府組織である国民民主同
盟(NDA)を結成し、SPLAを中心に政府に対して抵抗を続けた。
- 6 -
1998年(平成10年)にも、スーダン南部及び東部国境地帯における戦闘が継続的に発生
し、これに伴い大量の国内被災民が発生した。特に、バハル・エル・ガザール州では、大規
模な飢餓発生の危険が高まったため、スーダンと近隣6カ国で作る政府間開発機構(IGAD
パートナーフォーラム)、Jケニア大統領及びK国連事務総長の働きかけにより、スーダ
ン政府とSPLAは、同年7月に、国連による人道緊急援助活動(OLS)の円滑な実施を確保
するため、同州において3か月間の部分的停戦に合意した。その後も両者は、同年10月、
1999年(平成11年)1月及び2002年(平成14年)7月、停戦に合意したが、そのたびに内
戦が再燃している。
エ なお、スーダン政府は、1997年(平成9年)4月、SPLAを除く南部反政府勢力の分派
(SSIM、ケルビーノ派、アロク・トン・アロク派等)との間で「ハルツーム和平協定」を調
印し、その後、個別にSSLM UNITED(アラーム・アコル派)、ヌバ山脈分派と停戦合意を
調印している。上記協定は、南部住民に4年間の移行期間終了時に行われる国民投票によ
って、統一又は独立を決定する自決権を保証している。
ウ ウンマ党について
ア ウンマ党は、1956年(昭和31年)のスーダン共和国独立後間もなく、スーダン北部のイ
スラム教の宗教的名家であったL家を中心とし、同家支持者を基盤として結成されたイス
ラム教アンサール派の政治組織である。同党は、その後2年間、同様に宗教的名家であっ
たM家を中心として結成された民主統一党と共に議会制民主主義政治を行ったが、1958
年(昭和33年)のD将軍によるクーデターにより政権を失った。
その後も最大野党として存在し、1961年(昭和36年)、Fがウンマ党党首となり、前記の
とおり、1965年(昭和40年)4月に、ウンマ党・国民統一党による連立内閣を成立させた
が、E大佐によるクーデターにより政権を失った。
イ 1986年(昭和61年)4月、ウンマ党は、再度、民主統一党との連立による文民政権を発
足させ、Fが首相に就いたが、これも、H現大統領の89年クーデターによって政権を奪わ
れ、政党の非合法化に伴い、ウンマ党員の多数が国外に追放された。国内に残ったウンマ
党員等は、1989年(平成元年)6月、民主統一党、共産党やSPLAとともに国民民主同盟に
加わり、SPLAを中心に政府に対して、抵抗を続けながら、H政権打倒後の新しいスーダン
への動きを模索してきた。
 条約上の難民の定義について
難民とは、人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見
を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外
にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有す
るためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる
無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖
を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないものである。
- 7 -
2 争点
 総論その1−原告は、条約上の難民に該当するか。
 総論その2−被告らによる調査の過程に適正手続違反が存在したか。
 各論その1−第1次不認定処分は無効か。
 各論その2−本件裁決は無効か。
 各論その3−第2次不認定処分は違法か。
 各論その4−本件退令発付処分は無効か。
3 争点に対する当事者の主張の要旨
 争点(総論その1−原告は、条約上の難民に該当するか)について
(原告)
ア 立証責任の所在について
申請者の個人的事情については、申請者本人に基本的な主張責任があることは認めるが、
その個人的事情の下で、迫害概念の要素である「十分に理由のある恐怖」を認定する根拠と
なる迫害国の状況については、国に立証責任があると解すべきである。
イ 条約上の難民該当性について
原告は、以下のとおり、H政権から迫害を受け、あるいは受けるおそれがあるという十分
に理由のある恐怖を有するから、条約上の難民に当たる。
ア H政権のウンマ党員に対する迫害のおそれについて
① 89年クーデターによって誕生したH政権は、軍事力を組織的に用いて断固とした行動
をとる軍事政権であり、その統治の手法は、軍事力そのものに頼る強権的なもので、反
対派や民主的政治勢力に対しては、違法な人権侵害手段を当然とする体質を有してい
る。現に、アムネスティ報告は、H政権の誕生は、スーダン史上空前の規模と範囲を特徴
とする人権侵害の新時代の到来を告げたと総括している。
具体的には、政権のイデオロギーを支持する者らによって構成された準軍事的組織で
ある人民防衛軍(PDF)と、非公式な治安部隊である革命治安部、さらには政権にイデオ
ロギー上の影響を与えている急進的イスラム政党である民族イスラム戦線(NIF)らは、
反対派を大量に逮捕し、裁判もないまま、一般刑務所か治安局事務所に拘禁し、看守に
よって過度の肉体的虐待が加えるなどの弾圧を実行している。その実態は、アムネステ
ィ報告によって公表された、拷問体験者らの証言によって明らかである。
② アムネスティ報告によれば、H政権は、1989年(平成元年)と1990年(平成2年)、政
治的意見を理由に何百人も逮捕し、その中には少なくとも35人のウンマ党の主要メンバ
ーと89年クーデター後に解任された軍隊の上級将校が含まれていた。1992年(平成4
年)にハルツームだけで拘禁された政治犯は250人余りに達し、1月に逮捕されたウン
マ党員は8月まで拘禁されている。また、1993年(平成5年)4月から6月にかけて、北
部の複数の町で多数の人が拘禁されたが、特にイスラム教アンサール派の信者やその政
- 8 -
治組織であるウンマ党党員が猛攻撃を受けた。さらに、1994年(平成6年)9月末には、
ハルツームで100人以上のスーダン共産党とウンマ党の活動家、ジャーナリスト、労働
組合活動家、弁護士その他の人々が逮捕され、数週間から数か月間拘禁されている。そ
して、党首であるFも、同年4月に24時間の拘禁を受け、6月及び7月に13日間拘禁さ
れた。
このように、H政権は、拷問と虐待を公式の政策として採用しており、その実態は常
軌を逸したものになっている。そのため、ウンマ党関係者は、多くがスーダン国外に脱
出することを余儀なくされている。
③ なお、被告らは、ウンマ党が、2000年(平成12年)以降、H政権と和解する姿勢を示し
ていることから、原告に対する迫害のおそれはないと主張するが、その主張は客観性に
欠ける。すなわち、和解の姿勢を示しているのは、ウンマ党から分派したエルサディク
派の者にすぎず、原告も所属している主流派のうち、Nを指導者とするグループの代表
者らはアメリカに、同じく主流派であるO博士を指導者とするグループの代表者らは英
国に滞在するなど、主要な部分は、依然として帰国することができない状態にある。こ
れらの主流派は、ウンマ党はH政権を含むいかなる全体主義政権にも参加せず、公正な
選挙の実施と国民主体の広い基盤を持つ政府が形成されることが政権参加の条件である
ことを表明している。
そして、H政権と和解し、これに参加する姿勢を示したかのように報道されたグルー
プは、H政権の画策によって分裂したといわれており、H政権と和解のための会談をし
た前首相Fも、全体主義政権である現政権に加わる意思のないことを表明している。
このような情勢下で、H政権は、依然として強権的な対野党姿勢を維持している。す
なわち、2002年(平成14年)8月19日、野党である大衆国民会議(PNC)の指導者であ
るPの自宅軟禁が、裁判も行われないまま1年間延長されたし、同月10日、H政権によ
って発表された政党活動禁止の解除も、スーダン国会の復権について言及されず、政党
活動許可申請に条件を付した結果、許可を得た約20の政党の多くはHが率いる与党国民
会議党の影響下にある。ウンマ党は、民主連合党とともに、条件を容認することはでき
ないとして、登録を拒んでいる。
イ 原告に対する迫害のおそれについて
① 原告は、スーダン政府が迫害・逮捕を繰り返すウンマ党の思想的な創立者である4代
前のQの家系に属し、幼少のころから党員としてその活動に従事し、家族全員も党員で
あった。
ちなみに、原告とは、その曾祖父が兄弟であるFは、89年クーデターによって政権を
追われた前首相であり、その祖父の兄弟であるRは、1970年(昭和45年)、E政権によっ
て殺害されている。
そして、原告は、1987年(昭和62年)から1995年(平成7年)まで、インド国プーナ
- 9 -
(POONA)大学に留学し、修士号を取得したが、この間、スーダンのH政権に批判的な
スーダン学生組織に所属し、その活動の一端を担った。
なお、原告は、現在では、国民民主同盟を離脱し、帰国した分派ではなく、アメリカに
いるNを指導者とするグループらのウンマ党主流派に属している。
② 原告は、1995年(平成7年)4月、スーダンに帰国し、《地名略》総合大学のa大学に
て教鞭を執り始め、学生に対して、政府の政策に批判的で自由主義的な立場からの講義
を行った。ところが、原告の講義を受けている学生の中に、原告の政治的見解や講義姿
勢について政府関係機関に通報する者がいたため、原告は、ある日の講義が終わった後、
政府との関係が緊密な民族イスラム戦線の特別捜査官によって逮捕された。原告は、逮
捕後、ウンマ党や家族について質問されたが、反抗的な態度をとったため、同捜査官の
一人に建物の2階から突き落とされ、生命の危険にさらされた上、落下の衝撃で両足等
を骨折し、同年5月1日、b病院に担ぎ込まれた。
なお、その際の治療経過等を記録したものが、2通の医療報告書(乙48添付資料7と
同9。以下、それぞれ「医療報告書資料7」、「医療報告書資料9」という。)である。とこ
ろで、原告が、第1次難民認定の申請をした際に、上記の迫害の事実を証するものとし
て提出した退院カード(乙27添付の「DISCHARGE CARD」。以下「退院カード」という。)
は、実際には別人のものであったが、兄が入手し、原告に渡してくれたものであったた
め、誤りに気づかなかったものである。
③ 原告は、1995年(平成7年)7月28日、上記病院を退院することができたが、教職に
はもはや就けなかったので、大学を辞め、cという会社に勤務した。しかし、そのころか
ら、政府の監視が更に厳しくなり、原告の2人の兄が逮捕されたため、原告は、自分に追
及の手が及ぶことは必至であると考えて身を隠した。
しかし、1997年(平成9年)12月、原告は、再度逮捕されて軍隊に送られ、スーダン南
部の人々と戦うように命じられた。原告は、この命令が、原告を生命の危険にさらさせ
ようとする当局の思惑と理解しており、平和主義者として同じ国の人々と殺し合いをす
るのは耐えられなかったため、南部戦線へ行くことを断った。その結果、原告は、拷問を
受け、食物と水も与えられず、衰弱してマラリアに罹患したため、病院に担ぎ込まれた。
1週間後、原告は、病院を抜け出し、警察官をしていた党員の助力を得て国外へ脱出
する計画を立て、1998年(平成10年)6月6日、スーダンを出国し、カイロ、アムステル
ダムを経由して同月9日、来日した。
④ 被告らは、原告が条約上の難民に当たらないと主張し、その理由として、迫害の事実
についての原告の供述が齟齬し、変遷していることを指摘する。しかしながら、それは、
原告の供述の信用性のなさを証明するものではなく、むしろ、被告らの難民行政の根本
にあるところの、国際的に批判されてきた消極姿勢(難民認定数を制限する運用、難民
調査官の専門性の欠如、研修の不足等)の反映にすぎない。すなわち、被告らは、難民認
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定申請者は全員が経済難民であるとの予断を抱き、その結果、国際人道法、国際庇護法
たるべき法の解釈、運用を基本的に誤り、国境管理法としてのみ機能させている。
例えば、原告の旅券(乙1)は、アラビア語を用いて作成されているところ、その訳文
には、数字の見誤り(3や0)、固有名詞と普通名詞の取り違い、原告の住所の地名を全
く違う発音に訳すなど、20箇所の誤訳、翻訳漏れ等があり、ずさんな翻訳であると評価
せざるを得ないが、これからも、被告らが用意している通訳人のレベルに疑問を抱かせ
るに十分である。したがって、被告らの指摘する原告の供述の変遷等の相当数は、通訳
の誤訳あるいは不適切な訳が原因となっている可能性が十分にあるというべきであり、
これを考慮した上で判断すべきである。
また、被告らの指摘する原告の供述の食い違いは、子細に検討すれば、事実関係に矛
盾はないから、齟齬とか変遷と評価すべきものではないし、表現上の相違も、調書とい
うものは調査担当者が編集者として素材を取捨選択して作成されるものであることを考
慮すると、不自然、不合理と評価すべきではない。
そもそも、被告らは、難民認定申請者の事情が、純粋に個人的な事情と、その個人を取
り巻く政治的、社会的事情が渾然一体となっていることを捨象しており、この基本的理
解のずれによって、難民調査は、申請者の供述への過度の依存を生んでいるが、迫害状
況から逃れてきた難民認定申請者は、立証手段を所持していることが少なく、迫害によ
るトラウマによる記憶の混乱もあり得るから、難民受入先進国のように、申請者の供述
のみに依存せず、客観的情勢の科学的調査を重視することを手続指針として、難民調査
手続が行われるべきである。 
⑤ 原告は、国連難民高等弁務官の関心の対象となる者の認定を受けており、帰国すれば
迫害のおそれがあり人道上問題であると公に認められている。
ウ 原告の家族に対する迫害について
① 原告の父Sは、《地名略》市にて、《地名略》・マーケットに多数の店を出し経営してい
たが、1982年(昭和57年)ころ、E政権によって主要な財産を没収されたため、ショッ
クと怒りで心臓発作を起こし、死亡した。
② 長兄Tは、d大学卒業後、1969年(昭和44年)からスーダン財務省に勤務し、その後、
F政権下で、内務省に招請され、1989年(平成元年)にはアミード(警察署長級)を勤め
ていたが、同年のクーデターにより、1990年(平成2年)に上記地位を追われた上、逮
捕されて1年以上の拘禁を受けた。同人は、1995年(平成7年)と1997年(平成9年)
ころにも逮捕・拘禁され、1999年(平成11年)に、エリトリアに脱出後エジプトへ移っ
た。その後、家族もエジプトに移り、現在は、SPLAやSNDAの軍事訓練を指揮している。
③ 次兄Uは、イタリアの大学で工学を学んだ後、サウジアラビアの石油会社に勤務した
が、F政権下の1985年(昭和60年)ころ、軍の技術官に就いた。しかし、1990年(平成
2年)に職を追われた上、逮捕・拘禁された。同人も、1995年(平成7年)と1997年(平
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成9年)ころに逮捕・拘禁されたので、1999年(平成11年)に、長兄と共にエリトリア
に脱出した。現在は、SPLAやSNDAに所属して、軍の指導をしている。
④ 三兄Vは、d大学卒業後、スーダンの保険会社に部長として勤務し、その後、e大学、
f大学で保険の講義を担当していた。しかし、89年クーデターの直後にエジプトに脱出
し、その後、サウジアラビアで保険会社を経営している。原告の母Wは、現在、三兄と同
居している。
⑤ 五兄のXは、g大学卒業後、アメリカに渡り、ロサンゼルスのh航空に勤務した、その
後、ニューヨークの貨物空輸会社に勤務し、アメリカ市民権を取得している。
⑥ 六兄Yは、i大学を卒業後、スーダンで弁護士になり、また新聞記者としても仕事を
していた。しかし、同人は、1990年(平成2年)から1994年(平成6年)までの間に、他
の弁護士と共に逮捕された。その後はサウジアラビアに脱出し、現在は同国で弁護士を
している。
⑦ 弟Zは、a大学に入学したが、1992年(平成4年)ころ、反政府活動をしている大学
生に対する粛清が始まり、学生組合に参加していた同人も追われた。現在、同人は、アメ
リカで暮らしている。
(被告ら)
ア 立証責任について
法の定める難民とは、前提事実で示した条約上の難民をいうところ(2条3号の2)、そ
こでいう迫害とは、「通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって、
生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し、また、迫害を受けるおそれがあるという十
分に理由のある恐怖を有するというためには、「当該人が迫害を受けるおそれがあるという
恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫
害の恐怖を抱くような客観的事情が存在することが必要」というべきである。
そして、ある者が条約上の難民に該当するか否かを認定する作業は、申請人各人に対して、
その申請内容の信ぴょう性等を吟味し、各人の抱える個別事情に基づいて行われるべきもの
であるところ、いかなる手続を経て難民の認定がされるべきかは、難民条約及び難民議定書
のいずれにも規定がないことから、これらを締結した各国の立法政策に委ねられていると解
される。
しかるところ、法61条の2第1項が、申請者の提出した資料に基づいて法務大臣がその者
を難民と認定することができる旨規定し、法61条の2の3第1項が、申請者の提出した資料
のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合その他難民の認定又はその取消しに
関する処分を行うため必要がある場合には、法務大臣は難民調査官に事実の調査をさせるこ
とができる旨規定していることに照らすと、難民該当性の立証責任は申請者にあり、まず、
申請者が難民であるとの陳述を行い、これを立証する証拠資料を提出する必要があると解す
べきである。このことは、そもそも難民認定の申請は、申請人が自己の便益を受けようとす
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る行為であること、およそ難民該当性の判断に必要な出来事は外国でしかも秘密裏にされた
ものであることが多く、それを直接体験した申請人がもっともよく主張し得る立場にあるこ
とからも、合理的であるというべきである。
イ 条約上の難民該当性について
原告の供述は、その内容について変遷や齟齬があり、信用性はなく、さらに、近年のスーダ
ン国内やウンマ党情勢からすれば、原告が帰国したとしても、「迫害を受けるおそれがあると
いう十分に理由のある恐怖を有する」ものとは認められない。すなわち、
ア H政権のウンマ党員に対する迫害のおそれについて
スーダンでは、1989年(平成元年)、H中将が民族イスラム戦線と連繋して無血クーデ
ターを起こし、革命評議会を設置してその議長に就任した。その後、1992年(平成4年)1
月、民政移管に向けた暫定国民議会が発足し、1993年(平成5年)10月には革命評議会が
解散され、H議長が大統領に就任して、立法権及び行政権は暫定国民議会と内閣に全面移
管されるとともに、夜間外出禁止令が解除された。1995年(平成7年)12月には、第13次
憲法令が発布され、国家統治機構の新たな枠組みが決まり、1996年(平成8年)3月には、
大統領及び国民議会議員総選挙が実施され、H大統領が再選された。
ところで、スーダンにおいては、独立以前から、アラブ人でイスラム教徒の多い北部と、
ブラックアメリカでキリスト教徒あるいは伝統宗教の信者の多い南部とに分かれていたと
ころ、経済的に発達し、行政機関を占めていた北部が、連邦制導入を求める南部を無視し
て独立したことから、内戦が開始され(第1次内戦)、イスラム法シャリアを南部にも適用
したE政権の時代にも、再発し(第2次内戦)、石油開発の利権もからんで現在まで継続し
ている。そして、H政権が誕生した後は、ウンマ党、民主統一党、共産党、SPLA等が国民
民主同盟を結成し、政府に抵抗するようになった。
しかし、H政権は、1997年(平成9年)4月、SPLAを除く南部反政府勢力の一部(SSIM、
ケルビーノ派、アロク・トン・アロク派等)と「ハルツーム和平協定」を締結し、これを法
制化した第14次憲法令が制定されたが、この協定は、抗争の主要な相手方である南部住民
に対し、4年間の移行期間終了時に実施される国民投票によって、統一又は独立を決定す
る自決権を保証している。同政権は、その後も、SSLM UNITED(アラーム・アコル派)や
ヌバ山脈分派と個別的に停戦合意を調印した。
そして、1998年(平成10年)6月、これまで発布された憲法令をまとめた新憲法が制定
され、同年12月には、政治結社設立に関する法が制定されるなど、多数政党政治を前提と
する政治に踏み出している。
このような情勢の下で、国民民主同盟は、2000年(平成12年)3月ころ、エリトリアの
首都アスマラにて会議を開催したが、ウンマ党は、これから離脱した上、H政権と和解す
る姿勢を示し、同年4月、国外追放処分を受けていたウンマ党の活動家約40名が帰国する
に至り、H政権の副大統領が出迎えた。そして、同年11月23日には、原告の親戚で、ウン
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マ党党首であるFが帰国し、多くのウンマ党員が出迎えた。同人は、平穏に《地名略》市の
自宅に居住し、政権と和解に向けた協議を続けている。
以上の状況に照らせば、原告がスーダンに帰国しても、迫害を受けるおそれは到底認め
られない。
イ 原告に対する迫害のおそれについて
① 原告は、ウンマ党員であると主張するが、当初は、スーダン国内の最大野党であって
F首相を輩出したウンマ党の党員であると供述していたにもかかわらず、ウンマ党がH
政権と和解したことが明らかとなるや、αを党首とするウンマ党(以下「イスラム・ウ
ンマ党」という。)の党員であると供述を変更させた。
しかし、イスラム・ウンマ党は、1999年(平成11年)4月の結党以来、上記ウンマ党
とは別個独立の政党であって、H政権とは同盟関係にある。原告が、真に政党活動をし
ていたのであれば、当然、両者を区別していたはずであるから、原告の供述は不合理で
あり、信用することができない。
② 原告は、両踵骨骨折に関して医療報告書資料7及び同9を提出するが、同一の病院発
行であるにもかかわらず、記載内容・書式、作成名義人等が異なること、署名は1995年
から現在に至るまでの間の病院長のものでないことなどから、いずれも偽造された書類
である。
かえって、原告から当初提出された退院カードは、その記載された手術内容や今後の
予約が原告の訴える症状と合致すること、インドにあるj病院には、その担当医師βが
実在すること、β医師と退院カードのγ医師とは同一人物であること等からすると、原
告の治療についてのものであり、したがって、原告は、インドにおいて、両踵骨骨折の傷
害を負い、治療を受けたと考えるのが合理的である。これに関する原告の供述は、平成
12年10月10日の調査の際には、いったんは自らの退院カードであることを認めたもの
の、日付の矛盾を指摘されるや、他人の診断書であると供述を翻し、同月20日の調査の
際には、自らの退院カードであることを認めた上で担当医師が誤った日付を記載したと
供述したが、平成13年9月13日の調査においては、長兄に頼んで取寄せたものの、長兄
が間違えて取得したものをよく確認しないまま、東京入管へ提出したと供述するに至っ
たが、このような変遷は、相互に矛盾し、不自然、不合理なものである上、H政権から迫
害を受けていた長兄に、退院カードを取りに行かせたことや、誤って原告以外の人物の
退院カードを交付したというのは、不合理である。
しかも、原告の傷害は、高いところから飛び降りてかかとから着地して負う時に起こ
りやすいものであって、本人が供述するように後ろ向きに落ちたことと符合しないし、
両足から着地した場合には意識を失うはずはなく、供述内容は不合理である。また、治
安部隊が、原告から情報を得ようとして逮捕したにもかかわらず、転落後放置したこと、
逮捕状況についての供述が不自然に変遷していることからも信用できない。
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以上のとおり、原告の1995年(平成7年)5月1日の迫害についての原告の供述は信
用できない。
③ 1997年(平成9年)12月の迫害の事実について、原告の供述する逮捕の状況、逮捕場
所、逮捕時期は不自然に変遷していること、原告が供述するスーダンで行った政治活動
は、1995年(平成7年)4月の大学での講義だけである(もっとも、原告は、その後、同
年5月の逮捕後も政治活動を続けていた旨の平成14年10月10日付け陳述録取書を提出
したが、その変遷は不合理で信用できない。)のに、1年以上経ってから突然治安機関に
逮捕されるというのは不自然であること、治安機関により迫害を受けるおそれがある者
が普通の会社に就職して稼働していたということも不自然であることなどからすると、
原告の2回目の逮捕に関する供述は信用できず、迫害の事実は認められない。
④ また、原告は、原告名義の正式な旅券と、日本の査証を取得して、合法的に航空機によ
って出国しているから、治安機関が原告に関心を持っていたとは考えられず、この点か
らも迫害を受けるおそれがあるとはいえない。そもそも、原告が、ウンマ党の支部がな
く、兄弟の住んでいない日本へ逃れてきたことも不自然である。
⑤ なお、原告は、供述変遷の原因として、通訳の能力不足を指摘するところ、なるほど、
旅券(乙1)についての誤訳はあるが、これは、通常通訳人として選任している者の都
合がつかなかったため、アラビア語に精通しているとはいえない者に依頼したためであ
り、難民調査等においては、後記の被告ら主張のとおり、法廷通訳等の経験者の中か
ら適正な通訳人を選任しており、原告は、録取した内容に誤りがないとして署名してい
るのであるから、原告の主張は不当である。
⑥ 国連難民高等弁務官による難民認定は、難民の条件を充たしていなくとも本国の事情
により難民に類似した状況に置かれた者を援助・保護するため、避難民や難民とも難民
に類似した避難民にも当たらないが人道支援の必要がある国内避難民も対象としてお
り、原告に対して、認定がなされたとしても、そのことによって、条約上の難民に該当す
るとはいえない。
ウ 原告の家族に対する迫害について
原告は、平成10年11月12日の東京入管難民調査官による調査においては、長兄及び次兄
はH政権によって職場を追われて年金生活を送り、三兄は《地名略》に居住して会社勤務、
四兄が同じく大蔵省勤務、五兄がワシントンに居住して会社勤務、六兄が《地名略》市に居
住して弁護士業務、八弟が製薬会社に勤務しているなどと供述していたが、平成12年9月
24日付けの上申書や同年10月10日の名古屋入管入国審査官による調査においては、長兄
と次兄が1997年(平成9年)12月に解雇されて逮捕され、弟も大学を辞めさせられたこと、
長兄ないし六兄は、1998年(平成10年)以降のスーダン情勢のため、国外に出国したなど
と述べるに至った。
しかしながら、ウンマ党は、1999年(平成11年)11月に国民民主同盟を脱退してH政権
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と協定を締結し、また、原告が所属すると主張するイスラム・ウンマ党はこれに先立って
同政権と同盟していたことに照らせば、原告の家族に対する迫害の事実があったとは認め
られない。
また原告自身の供述も、前記のとおり、1990年(平成2年)に既に解雇されて年金生活
を送っていたはずの長兄及び次兄が、1997年(平成9年)に解雇されたり、製薬会社に勤
務していたはずの弟が大学を辞めさせられるなど、相互に矛盾し、長兄及び次兄に対する
迫害に関する供述は、時間の経過とともに深刻なものとなるにもかかわらず、長兄に退院
カードを取りに行ってもらったことと矛盾するなど、信用できない。
 争点(総論その2−被告らによる調査の過程に適正手続違反が存在したか)について
(原告)
難民認定申請者は、世界各地からそれぞれの母国で、宗教上、政治上等の理由で迫害を受け、
日本国にその救済を求めてくるのであるから、申請者の母国語は様々であり、その訴えは、当
該国の宗教的、民族的、政治的な様々な背景に根ざしており、専門的知識がなければ理解でき
ないものもある。さらに、迫害を受けた申請者は、心理的に不安定で、トラウマにより、迫害の
記憶自体や、記憶の喚起に問題のある場合も多い。しかも、申請者は、入管で行う供述が外部に
漏れ、母国に残した親族等に重大な影響を与えるのではないかという不安も抱きがちである。
そうすると、難民認定手続における通訳、翻訳は、高度の語学力、知識を必要とする。しかるに、
本件においては、能力不足の通訳人によったため、旅券の数字の判読すらできず、20箇所にも
上るミスがあったり、誤訳によって、供述の変遷であるとの疑いを抱かれたりする結果になっ
ており、重大かつ明白な手続上の瑕疵がある。
(被告ら)
難民調査官は、原告に対する事実の調査において、条約上の難民を難民として認められるよ
うに、難民に該当しない者を誤って難民と認定しないように、難民該当性に判断に係る重要な
点について、根気強く原告の供述を聴取し、慎重に調査を行っている。また、事実調査において
は、裁判所の法廷通訳等の経験のある適切な通訳人を選任し、難民認定申請者から当該通訳人
を忌避する旨の申立てがない限り通訳人として使用することとしている。そして、本件に係る
調査においても、アラビア語又は英語の通訳を介して原告の供述を録取し、調書を取った後に
は読み聞かせを行った上で、原告は録取した内容に誤りがないとして供述調書に署名している
のであり、通訳人を忌避することもせず、録取した内容に誤りがないとして署名しているにも
かかわらず、訴訟になって、突然通訳人に問題があったと主張するのは、単なるいいがかりに
すぎない。
 争点(各論その1−第1次不認定処分は無効か)について
(原告)
ア 原告は、争点の原告主張のとおり、条約上の難民に該当する。それにもかかわらず、第
1次不認定処分は、原告が条約上の難民に該当することを認定するに足りる資料がないとし
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て、不認定処分をしており、その判断には、重大かつ明白な瑕疵がある。したがって、第1次
不認定処分は無効である。
イ 第1次申請に当たり、被告法務大臣は、申請者に要求される立証責任について教示しなか
った。そのため、原告は、十分な立証を尽くせなかったのであるから、この点で重大かつ明白
な手続上の瑕疵がある。
(被告法務大臣)
ア 行政処分が無効であるというためには、当該処分に重大かつ明白な瑕疵が存在しなければ
ならず、その瑕疵が明白であるか否かは、処分の外形上、客観的に瑕疵が一見して看取し得
るか否かにより決せられるべきところ、争点の被告ら主張のとおり、第1次不認定処分に
おける被告法務大臣の判断には何ら誤りがなく、まして、重大かつ明白な瑕疵が外形上客観
的に看取できるものとはいえないから、無効とはいえない。
イ 前記のとおり、法律上難民該当性について、原告に立証責任が課されていることが明らか
であるから、難民調査官が原告に対してどの程度立証責任が課せられているか教示する義務
はない。
したがって、手続上の瑕疵があるとの原告の主張は失当である。
 争点(各論その2−本件裁決は無効か)について
(原告)
仮に、被告法務大臣において、証拠上あるいは60日ルールによって、条約上の難民に該当し
ないと判断したとしても、原告についての政治的な理由による迫害状況があり、しかも危険な
南部戦線への兵役を強要され、これを拒否した経緯があることからすると、原告が帰国すれば
生命の危険を招来することを理由に人道上在留特別許可が与えられるべきである。被告法務大
臣の裁量権の行使は、思想及び良心の自由を保障する憲法の人権規定によっても制約を受ける
のであるから、在留特別許可を与えなかった本件裁決が裁量権の行使を誤ったものであること
は明白であり、かつその結果は重大である。
現に、難民行政の実務においても、難民認定申請に対しては不認定としながらも、在留特別
許可を与えている場合も少なくない。このような便宜的な処分には、処分本来の性質をあいま
いにする問題点を含むが、難民該当性の立証責任を課せられた難民認定申請者にとって、立証
不十分による不認定という不条理を是正する第2次的救済手段として機能することが期待され
る。
したがって、本件裁決は無効である。
(被告法務大臣)
ア 憲法上、外国人は、本邦に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん、在
留の権利ないし引き続き本邦に在留することを要求する権利を保障されているものでもな
い。そして、法50条1項所定の在留特別許可を与えるか否かも、外国人の出入国に関する処
分であることから、同様に被告法務大臣の自由裁量に委ねられているものと解すべきであ
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る。このことは、同項の規定の仕方からも明らかである。しかも、在留特別許可は、退去強制
事由に該当することが明らかで当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特別に在
留を認める処分であるから、その性質は恩恵的なものである。そうすると、その判断に当た
っては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の国内の政治、経済、社会等の諸事情、
外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事情を総合的に考慮すべきものであっ
て、同許可に係る裁量の範囲は極めて広範囲なものというべきである。すなわち、被告法務
大臣の判断が違法となるかを判断するに当たっては、被告法務大臣の裁量権の行使としてな
されたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること
等により上記判断が全く事実の基礎を欠くか否か、又は事実に対する評価が明白に合理性を
欠くこと等により、社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかであるか否かにつ
いて審理し、それが認められる場合に限り、裁量権の範囲を超え又はその濫用があったもの
として違法となるというべきである。
イ また、法は、24条で退去強制事由を列挙し、27条以下にその手続を規定しているが、難民
認定手続と退去強制手続の関係については何ら規定しておらず、むしろ、法61条の2の8の
規定からは、難民認定を受けている者についても法24条1項各号に該当する限りこれを認定
しなければならないし、退去強制手続も進めなければならないことを前提としていると解す
ることができるから、難民認定申請をしていること又は難民認定を受けていることは、退去
強制手続を当然に停止せしめるものではなく、在留特別許可を付与するか否かについて判断
する際に考慮することになる事情の一つにすぎない。
ウ しかして、原告に下記の諸事情があることを考慮すると、本件裁決が無効となる余地はな
いというべきである。すなわち、
ア 原告は、在留期限である平成11年3月6日を経過して、本邦に不法に残留しており、法
24条4号ロの要件を充たす。
イ 原告は、外国人登録法8条1項に基づく居住地変更登録義務に違反している。
ウ 原告は、本国スーダンで出生・生育しており、来日するまで我が国と関わりがない。
エ 前記のとおり、原告が帰国したとしても、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由
のある恐怖があるとは認められない。
オ その他、原告には、在留を特別に許可すべき事情がない。
 争点(各論その3−第2次不認定処分は違法か)について
(原告)
ア 法は、日本が難民条約を批准したことに基づき、締結国の義務履行として立法されたもの
であり、かつ根本概念である難民概念を独自に定義することなく、難民条約に譲っている。
そして、難民条約は、決して難民の概念を申請時期に係らしめることをせず、単なる手続と
してもそのような規定を置いていない。このことは、難民認定が確認行為であることからす
ると、当然のことである。しかるに、申請に法定期間を設けることは、条約上の難民概念の要
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件を充足することに加え、難民認定の申請を上陸後法定期間内に行うことの要件を付加し、
難民概念を加重、厳格化するものというべきである。したがって、いわゆる60日ルールは、
法の基礎である難民条約の趣旨に反し、違法・無効である。このことは、国連難民高等弁務
官事務所執行委員会が定めた「難民の国際的保護に関する結論」の記述からも明らかであり、
これは法規範性を有するというべきである。
現に、被告法務大臣自身、60日の法定期間を経過した難民認定申請に対して弾力的な運用
をしており、被告法務大臣の主張は破綻している。
イ 形式的に第2次申請の申請日を基準日として60日ルールを適用すると、いかなる理由があ
っても難民認定申請手続における再審は成立しないことになる。しかし、このような判断は、
生命の危険を含む迫害から申請者を庇護しようとする難民条約及び法の趣旨に反する。
少なくとも、第1次申請に難民条約や法の趣旨に反する重大な瑕疵がある場合は、再審申
請を許容すべきである。この場合、司法的救済が存することを理由に再審申請を拒否するこ
とは、難民条約、憲法31条又は条理上認められる「難民申請に関して適正な行政手続を受け
る権利」を侵害するというべきである。 
本件においては、第1次申請の際、被告らが適正な翻訳者、通訳人を選任せず、立証責任を
教示しないなど、著しくずさんな手続によって不認定処分が行われた以上、上記の重大な瑕
疵があるものとして、再審申請が認められるべきである。
ウ また、本件においては、第1次不認定処分において、原告が、難民に当たるにもかかわらず、
争点の原告主張のとおり、適正な手続による十分な調査が実施されなかったことにより第
1次申請が不認定となり、やむなく第2次申請がなされたのであるから、法61条の2第2項
ただし書のやむを得ない事情に当たると解すべきである。
エ 以上のとおり、第2次不認定処分は違法であり、取消しを免れない。
(被告法務大臣)
ア 法61条の2第2項は、難民認定申請は、本邦にある外国人が本邦に上陸した日から60日
以内に、また、本邦にある間に難民となる事由が生じた者にあっては、その事実を知った日
から60日以内に行わなければならない旨、また、やむを得ない事情があるときは、この限り
ではない旨定め、申請者が申請期間内に申請したことを難民の認定を受けるための手続的要
件としている。これは、難民となる事実が生じてから長期間経過後に申請されると、その当
時の事実関係を把握するのが著しく困難となり、適正かつ公正な難民認定ができなくなるこ
と、迫害を受けるおそれがあるとして我が国に庇護を求める者は、速やかにその旨申し出る
べきであること及び我が国の国土面積、交通・通信機関、地方入国管理官署の所在地等の地
理的、社会的事情からすれば、60日という期間は申請に十分な期間と考えられること等を理
由としており、十分に合理性を有する。そして、やむを得ない事情とは、病気、交通の途絶等
の客観的事情により物理的に入国管理官署に出向くことができなかった場合のほか、本邦に
おいて難民認定の申請をするか否かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段
- 19 -
の事情がある場合をいうものと解すべきである。
イ しかるところ、第2次申請の理由は、ウンマ党に所属し活動していた証拠となる党員証明
書等を提出して、帰国すれば迫害を受けるというものであり、その内容はおおむね第1次申
請のそれと同じである。したがって、原告の主張する迫害事由は、本邦入国以前に係るもの
であり、また、原告は、本邦においては何ら政治活動を行っておらず、本邦にある間に難民と
なる事由が生じた場合に当たらないから、申請遅延についてやむを得ない事情も認められな
い。また、原告は、第1次申請の補充というべき再審として第2次申請をなした旨主張する
が、第2次申請は、新たに申請がなされたものであって、原告の主張は失当である。しかも、
原告の供述は、前記のとおり、信用できず、条約上の難民に該当しない。したがって、第2次
不認定処分に何らの違法はない。
 争点(各論その4−本件退令発付処分は無効か)について
(原告)
本件裁決は、争点の原告主張のとおり、違法・無効であるから、本件退令発付処分も違法・
無効である。
(被告名古屋入管主任審査官)
ア 退去強制手続においては、容疑者が法24条各号の一つに該当するとの入国審査官の認定若
しくは特別審理官の判定に容疑者が服したとき又は法務大臣から上記判定に対する容疑者の
「異議の申出は理由がない」旨の裁決の通知を受けたときには、主任審査官は、当該容疑者に
対する退去強制令書を発付しなければならないのであり、退去強制令書を発付するか否かに
ついて主任審査官の裁量の余地は全くない。
イ この点について、原告は、条約上の難民と認定されなくとも、帰国すれば迫害を受け、生命
の危険を招来するおそれがあると主張する(争点における原告の主張)が、退去強制手続
において、迫害を受けるおそれがあると主張する外国人からの法49条1項に基づく異議の申
出がなされた場合には、被告法務大臣は、その送還が、難民をいかなる方法によっても人種、
宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること、又は政治的意見のために、その
生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放又は送還してはならないと
いう「ノン・ルフールマンの原則」(難民条約33条参照)に違反することにならないか否かに
ついても考慮した上で、在留特別許可の許否の判断をしているから、何ら難民条約33条1項
に反するものではなく、原告の主張には理由がない。
ウ したがって、本件裁決が違法であるといえない以上、本件退令発付処分も適法である。
第3 当裁判所の判断
1 争点(総論その1−原告は条約上の難民に当たるか)について
 難民であることの立証責任の所在について
一般に、抗告訴訟における主張立証責任については、その適法性が問題とされた処分の性質
によって、分配原則を異にするのが相当である。すなわち、当該処分が、国民の自由を制限し、
- 20 -
国民に義務を課するいわゆる侵害処分としての性質を有する場合は、処分主体である行政庁が
その適法性の主張立証責任を負担し、逆に、国民が、特別な利益・権利を取得し、あるいは法定
の義務を免れるいわゆる受益処分としての性質を有する場合には、当該国民がその根拠法令の
定める要件が充足されたこと(申請却下処分が違法であること)の主張立証責任を負担すると
解するのが原則であり、これに根拠法令の規定の仕方や要件に該当する事実に対する距離など
を勘案して、総合的に決するのが相当である。
本件において問題とされている難民の認定処分は、本来、当然には本邦に滞在する権利を有
しない外国人(最高裁判所昭和53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)に対し
て、その資格をもって滞在することを認め、あるいは出入国管理上の特典を与えるものであり
(法61条の2の5、61条の2の6第3項、61条の2の8参照)、これに、法61条の2第1項が、
申請者の提出した資料に基づいて法務大臣がその者を難民と認定することができる旨規定し、
法61条の2の3第1項が、申請者の提出した資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれ
がある場合その他難民の認定又はその取消しに関する処分を行うため必要がある場合には、法
務大臣は難民調査官に事実の調査をさせることができる旨規定するなど、申請者の提出した資
料が第1次的判断資料とされていること、さらには、難民であることを基礎づける事実は、申
請者の生活領域内で生ずるのが通常であることなどを総合すると、条約上の難民に該当する事
実の主張立証責任は、申請者が負担すると解するのが相当である(原告も、申請者に基本的な
主張責任があること自体は認めている。)。
もっとも、経験則上、迫害を受け、あるいは受けるおそれがあることによって母国を出国し
た者については、十分な客観的証明資料を所持していることを期待できず、出国してからも、
これらの資料を収集するための協力を得ることが困難であることが多いと考えられるから、申
請者がこれらの資料を提出しないからといって、直ちに難民であることを否定すべきではな
く、申請者本人の供述するところを主たる材料として、恐怖体験による記憶の変容、希薄化の
可能性なども十分に考慮した上で、その内容が首尾一貫しているか、不合理な内容を含んでい
ないか等を吟味し、難民であることを基礎づける根幹的な主張が肯認できるか否かに従って、
最終的な判断を行うべきである。

難民認定をしない処分取消等請求事件
平成12年(行ウ)第13号
原告:A、被告:法務大臣
大阪地方裁判所第7民事部(裁判官:山下郁夫・山田明・小泉満理子)
平成15年3月27日
判決
主 文
1 被告が、原告に対し、平成11年6月10日付け通知書で通知した難民の認定をしない旨の処分を
取り消す。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主文1項同旨
2 被告が、原告に対し、平成11年12月6日付け通知書で通知した原告の出入国管理及び難民認定
法61条の2の4による異議申出を理由なしとした裁決を取り消す。
第2 事案の概要
本件は、アフガニスタン出身の原告が、難民不認定処分及びこれに対する異議申出を理由なし
とした裁決を不服として、その取消しを求めた事案である。
1 前提事実(争いのない事実及び証拠により容易に認められる事実)
 原告は、アフガニスタン出身の男性である。
 アフガニスタンは、イラン系のパシュトゥーン族やタジク族、モンゴロイド系のウズベク族
やハザラ族等の民族が混在する多民族国家であり、1979年(昭和54年)12月、ソ連軍の軍事介
入のもとカルマル社会主義政権が誕生し、1986年(昭和61年)5月にはナジブラが書記長に就
任して政権を引き継いだが、イスラム教徒民兵組織であるムジャヒディーンがゲリラ戦を展開
し、ソ連軍は、1989年(平成元年)2月、ジュネーブ合意に基づきアフガニスタンから完全に撤
退し、1992年(平成4年)4月、ムジャヒディーンの軍事攻勢によりナジブラ政権が崩壊した。
ムジャヒディーンには、タジク族中心のイスラム協会(ラバニ派)、パシュトゥーン族中心のイ
スラム党(ヘクマチヤル派)、イスラム教シーア派のハザラ族中心のイスラム統一党(ヘビス・
ワハダット、ハリリ派等)、ウズベク族中心のイスラム国民運動党(ドストム派)が属し、1993
年(平成5年)1月、イスラム協会の最高指導者ラバニが大統領に就任したが、各派間の主導権
争いが激化し、全土が内戦状態に巻き込まれることとなった。1994年(平成6年)末、イスラ
ム教スンニー派のパシュトゥーン族を中心としたタリバーンと呼ばれるイスラム原理主義勢力
- 2 -
が台頭し、イスラム原理主義政権の樹立を目指して勢力を拡大し、1996年(平成8年)9月末
にはラバニ派を中心とする政権が支配していた首都カブールを制圧し、暫定政権の樹立を宣言
した。これに対し、ラバニ派、ハリリ派、ドストム派等の各派は、北部マザリ・シャリフを中心
に反タリバーン同盟(通称北部同盟)を結成し抵抗を続けたが、1998年(平成10年)夏には、マ
ザリ・シャリフ及びイスラム統一党の拠点バーミヤンが陥落し、ハザラ系市民2000人以上が
大量虐殺された旨の報道等がなされた(甲7、8、10の1、10の2、乙3)。
 原告の所持するA名義の旅券(以下「本件旅券」という。)は、1994年(平成6年)8月29日、
カブール中央旅券事務所で発行され、1996年(平成8年)12月12日、アフガニスタンのバルフ
で有効期間が延長されたもので、生年には1968年(昭和43年)と記載されている(乙10の1、
10の2)。原告は、本件旅券を所持して、1995年(平成7年)1月から1997年(平成9年)9月
まで合計5回、いずれも短期滞在の在留資格(在留期間90日)で日本に入国した(乙2)。更に
原告は、1998年(平成10年)6月28日、短期滞在の在留資格(在留期間90日)で日本に入国し、
同年8月24日、被告に対し出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2に基
づく難民認定の申請をし、在留期間更新許可申請を行いその許可を受けていたが、被告は、難
民の認定をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)を行い、原告に対し、1999年(平成11年)
6月10日付け通知書で通知し、上記通知書は、同月30日、原告に交付され、原告の平成11年6
月21日付け在留期間更新許可申請も同年7月12日に不許可とされた(乙2)。原告は、同月6
日、被告に対し、入管法61条の2の4に基づき本件処分について異議の申出を行ったが、被告
は、異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を行い、原告に対し、1999
年(平成11年)12月6日付け通知書で通知し、上記通知書は、同月7日、原告に交付され、同日、
原告は収容された。原告は、2000年(平成12年)2月14日、郵送で第2次難民認定申請を行い、
同月17日、仮放免され、同月28日、本件処分及び本件裁決の取消しを求めて本訴を提起した。
なお、その後原告は、2002年(平成14年)5月20日、Bと婚姻の届出を行った。
 入管法が定める難民とは、難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定
又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定より難民条約の適用
を受ける難民をいうところ(入管法2条3号の2)、上記各規定によれば、難民とは、人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそ
れがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国
籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するために、その国籍国の保
護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該
常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居
所を有していた国に帰ることを望まないものをいう。
2 争点
本件の争点及びこれに関する当事者の主張は、次のとおりである。
 本件処分の違法性
- 3 -
ア 難民該当性
ア 立証責任等
(原告)
難民性の立証責任が原則として申請者にあるとしても、反対の十分な理由のない限り、
申請者は灰色の利益を与えられるべきというのが国際原則である(国連難民高等弁務官事
務所(以下「UNHCR」という。)難民認定基準ハンドブック)。そして、UNHCRは、2001
年(平成13年)7月、原告を難民条約上の難民と認定して被告担当者に通知し、難民とし
ての保護を要請した。難民認定、保護の国際的専門機関であるUNHCRが、慎重な調査等
の結果難民として認定している以上、立証責任は転換されているとみるべきで、被告が難
民性否定事由の積極的立証責任を負うと解すべきである。
(被告)
難民条約及び難民議定書には、難民認定に関する立証責任や立証の程度に関する規定は
なく、各国の立法政策に委ねられており、我が国においては、入管法によれば、難民である
ことの立証責任は申請者にある。UNHCRの難民認定基準ハンドブックは、立証責任等に
関し法的拘束力はなく、難民条約の補足的手段にも当たらず、国際原則とはならず、灰色
の利益があるとする原告の主張は失当である。原告は、UNHCRからマンデート(責務)難
民の認定を受けているようであるが、マンデート難民の認定はUNHCR事務所規程所定の
責務(マンデート)に基づいて独自に実施されるもので、難民条約所定の保護を与えるこ
とを目的とする締結国による難民認定とは目的及び対象を異にしており、締結国に難民認
定を求めるものではないことからすれば、締結国とUNHCRとで難民該当性の判断が食い
違うことも十分あり得るところで、マンデート難民の認定をもって原告を難民と認めるこ
とはできない。
イ 難民事由
(原告)
原告Aは、1991年(平成3年)17歳のころから、従兄弟のCと共に、イスラム統一党の
マザーリ派ゲリラ兵士として内戦に参加し、主として、ハザラ族の多いカブール市内のア
フシャル及びホシャルハン地区で、パシュトゥーン族やタジク族系のエテハテ・サヤフと
いうゲリラ組織との市街戦に加わった。1992年(平成4年)、アフシャル地区の原告の実
家がエテハテ・サヤフに破壊され、原告とCの家族は、カブールを出て最終的にマザリ・
シャリフに逃れたが、同市陥落後、パキスタン等に逃れて現在離散状態にある。原告とC
は、イスラム統一党ゲリラとしてカブールに残ったが、1993年(平成5年)、ラバニ派のマ
スード派ゲリラとの戦闘に敗北し、アフシャル、ホシャルハンのハザラ族500人近くが虐
殺され、1994年(平成6年)、アフシャル、ホシャルハンでエテハテ・サヤフとの戦闘に敗
走し、非戦闘員が虐殺され、原告のおじで非戦闘員であるDとEがエテハテ・サヤフに連
行され、連絡がとれなくなり、殺害されたと伝えられた。原告は、戦闘が嫌になり、ラバニ
- 4 -
派に本件旅券を発行してもらい、パキスタンのペシャワールに脱出し、父Fの会社の中古
自動車、部品の輸出入等の仕事を手伝い、日本に買付けに来るなどした。エテハテ・サヤ
フは、その後タリバーンに合流しており、1995年(平成7年)、タリバーンがカブール市内
のデリブに侵攻し、同年3月、イスラム統一党指導者マザーリ師が虐殺され、ゲリラ基地
にあったイスラム統一党ゲリラの写真付き軍部身分証明書(ワハダットカード)がタリバ
ーンの手に渡り、以後、ハザラ族ゲリラ残党の捜査資料に使われている。原告は、タリバ
ーンの支配が確立するにつれ、パキスタンが危険になったため、アラブ首長国連邦(以下
「UAE」という。)のドバイでおじGが経営する会社Hで自動車の輸出入等の仕事を手伝い、
UAEの居住権も得た。原告は、1998年(平成10年)6月28日、Hの仕事のため日本に入国
したが、同年7月からタリバーンの大攻勢が始まり、パキスタンの知人から電話でタリバ
ーンに原告とCの軍部身分証明書や関係書類が渡っており空港等でチェックされていて危
険であると聞き、Gからも電話でドバイも危険で旅券の更新ができない旨聞いた。同年8
月、マザリ・シャリフが陥落し、原告は、生命、自由への強度の危険を感じ、このような状
況下ではもやは本国には帰れないとドバイでの居住権も放棄して、同月24日、Cと共に難
民認定申請をして保護を求めたものである。その後も、ハザラ族の拠点であるバーミアン
もタリバーンに制圧され、ハザラ系住民が大量に虐殺され、同年9月、またいとこのIが
軍部身分証明書を基にパキスタンで拉致、逮捕されてアフガニスタンに強制送還された。
Iの生死は不明であるが、ほぼ殺害されたものに間違いない。タリバーンは、ハザラ族に
対する迫害を継続しており、原告が帰国すれば、外見から一目でハザラ族と判明し、本件
旅券もラバニ派の発行したもので、軍部身分証明書によりイスラム統一党兵士として戦闘
参加の確認もされ、Iと同様処刑されてしまう。このように原告には、ハザラ族という人
種、イスラム教シーア派という宗教及びイスラム統一党という特定の社会的集団の構成員
であることを理由に迫害を受けるおそれがあり、難民に該当する。
(被告)
アフガニスタンにおいて、およそイスラム教シーア派又はハザラ族であれば迫害を受け
る客観的おそれを認める証拠はなく、イスラム教シーア派又はハザラ族の人口に照らして
も、イスラム教シーア派又はハザラ族がすべて殺害等される状況にないことは明らかであ
る。本件証拠からは、原告がイスラム統一党に所属していた事実、マザーリ派ゲリラ兵士
として戦闘に参加していた事実を認めることはできない。原告がイスラム統一党ゲリラに
参加していた際のものとして提出する写真は、撮影されている者が原告とは認め難いもの
か、又は、兵士の姿を演出したり内戦当時の撮影年月日を写し込むことが可能なものであ
り、マザーリ師に関する写真もイスラム統一党構成員でなければ入手できないものではな
く、これらの写真により原告がイスラム統一党兵士として活動していた事実を認めること
はできない。イスラム統一党軍部身分証明書(以下「本件証明書」という。)も、鑑定結果に
より写真が貼り替えられていることが認められ、他の証明書等も原告がFとJの子である
- 5 -
A(以下、かぎ括弧を付して「A」という。)であることを証明するものではない。Lの証言
は、資料の入手経路について不自然な点があって信用できず、原告の供述は、旅券の有効
期間の延長手続、姉妹の存在、生年月日に関連する事項等について不自然極まりない供述
の変遷等があり、信用できるものではない。旅券の有効期限延長の際、パキスタンとの国
境カイバル峠にあるトルカムのアフガニスタン出入国管理事務所から公式の出国許可を
受けていることは、原告又は「A」が元イスラム統一党兵士として追及されていなかった
ことを裏付けるものである。仮に原告が主張するように、原告がイスラム統一党に加入し
戦闘に従事した事実があるとしても、時期からしてその相手はタリバーンではなく、相手
が専らパシュトゥーン人であったとは考え難く、タリバーンがその台頭前にパシュトゥー
ン系部隊と戦闘した者すべてを迫害の対象とする根拠はなく、タリバーンが上記戦闘の事
実を把握している証拠もないのであって、タリバーンが原告を危険視するとは考えられな
い。原告は、本国を出国した後、パキスタン、UAE滞在中、両国政府その他国際機関等に庇
護を求めることは何らしておらず、その合理的理由もない。原告には、アフガニスタンに
おいてタリバーンから具体的に迫害を受けるおそれがある状況はない。
イ 手続違法性
(原告)
原告の母国語はハザラ語であり、アフガニスタンの公用語はダリ語とパシュトン語であ
る。原告は、ダリ語は理解できるが、英語や日本語はほとんど理解できない。ダリ語は、ペル
シャ語系言語で使用文字はペルシャ語と同じであるが、現在ではペルシャ語と発音、意味、
語順等が異なるものが多々あり、原告は、ペルシャ語でも十分な意思疎通ができない。本件
処分は、ハザラ語やダリ語の通訳を付さずに、便宜ペルシャ語の通訳をつけるなどして行わ
れ、原告と十分な意思疎通ができずに行われたものである。本件処分及び本件裁決に当たっ
て作成された調書には、通訳の誤りか、原告の申請事実を把握しないまま難民調査官が不適
切な質問をしてなされた記載が多々存在する。本件処分の通知書も日本語と英語で記載した
のみで原告の母国語を使用しておらず、本件処分は違法な手続によってなされたものであ
る。
(被告)
ダリ語は、ペルシャ語のアフガニスタン方言にすぎず、ペルシャ語の通訳人とダリ語が話
せる原告とは、十分に意思疎通が可能であった。1998年(平成10年)9月11日の難民調査官
による調査は、ダリ語が使用されている。被告は、ペルシャ語の通訳人を介して通知書に記
載された内容を口頭で告知して通知書を交付している。本件処分の手続に何ら違法な点はな
い。
 本件裁決の違法性
(原告)
本件裁決も、本件処分同様、ペルシャ語の通訳を付しただけで調査を行い、通知書に日本語
- 6 -
と英語による記載がされただけのもので、違法な手続によりなわれたものである。
(被告)
本件処分同様、被告は、本件裁決に当たって、ペルシャ語の通訳人を付して調査を行い、通知
書もペルシャ語の通訳人を介して口頭で告知しており、何ら手続に違法な点はない。
第3 争点に対する判断
1 本件処分の違法性について
 難民該当性について
ア 立証責任等について
原告は、UNHCR難民認定基準ハンドブックにいう灰色の利益が申請者に与えられるべき
であるというのが国際原則である旨主張する。しかし、難民条約及び難民議定書には、難民
認定に関する立証責任や立証の程度に関する規定はなく、各締結国の立法政策に委ねられて
いると解されるところ、UNHCR難民認定基準ハンドブックは、各国政府に指針を与えるこ
とを目的とするものであって、それ自体に法的拘束力を認めることはできず、これを理由に
難民認定の立証責任や立証の程度に関して申請者に灰色の利益を与えるべきであると解する
ことはできない。また、原告は、UNHCRが原告を難民として認定したことから立証責任が
転換される旨主張し、第2回調査嘱託の結果によれば、原告がUNHCRからマンデート難民
の認定を受けた事実が認められる。しかしながら、UNHCRによるマンデート難民の認定は、
UNHCR事務所規程所定の責務に基づいて独自に実施されるもので、難民条約所定の保護を
与えることを目的とする締結国による難民認定とは目的及び対象を異にし、その認定資料も
異なるものであって、マンデート難民の認定がなされたことが難民認定の一資料となること
はともかくとして、これにより立証責任の転換等の効力を認めることはできない。
イ 難民事由について
ア 証明書(甲62の1)によれば、「A」は、アフガニスタン国籍のFとJの子として1974年
(昭和49年)《日付略》、アフガニスタンカブールで出生し、姉K(《日付略》生)、兄L(《日
付略》生)、姉M(《日付略》生)、姉N(《日付略》生)、弟O(《日付略》生)及び妹P(《日付略》生)
の兄弟姉妹がいることが認められる。また、本件証明書(甲11の1)、イスラム統一党作成
の他の証明書等(甲12の1、31の1、32の1、44の1の1、44の1の2、45の1、47の1、
48の1)によれば、「A」がイスラム教シーア派、ハザラ族で、イスラム統一党兵士であっ
たことが認められる。
イ 原告本人は、自分が「A」であり、イスラム教シーア派、ハザラ族に属し、イスラム統一
党の兵士として、1991年(平成3年)から1994年(平成6年)までアフガニスタンの内戦
に参加し、パシュトゥーン族を中心とする組織であるエテハテ・サヤフ等と戦った経歴を
有する旨供述する。
原告が「A」であるとする点については、①原告が「A」として旅券の取得、期間延長を
行い、同旅券によりパキスタン、UAE、日本の各国に入国していること、②本件難民申請
- 7 -
手続等において、前記の「A」の生年月日や家族関係をほぼ正確に供述していること、③証
人Lも原告を自らの弟の「A」である旨供述していること、以上の事実に照らして、信用し
得るものというべきである。
また、原告がイスラム統一党兵士として内戦に参加して戦ったという点については、武
装した原告を撮影したと認められる写真(甲6の写真番号1ないし3及び5)によって裏
付けられ、信用し得る。被告は、これらの写真が演出によるものである可能性や虚偽の撮
影年月日の写し込みの可能性を指摘するが、これらの写真がことさら作出されたことをう
かがわせるものはなく、被告の主張は具体的裏付けを欠き採用できない。
以上によれば、原告の前記供述は信用性があり、原告は、「A」であり、イスラム教シー
ア派、ハザラ族に属し、イスラム統一党の兵士として、対立するパシュトゥーン族の組織
と戦った経歴を有すると認められる。
ウ 前提事実及び証拠(甲24、乙4、5、10の1、10の2、12、原告本人)によれば、次の事
実が認められる。
a 原告は、1994年(平成6年)、アフシャル、ホシャルハンでイスラム統一党の兵士とし
てエテハテ・サヤフと戦ったが敗れ、原告のおじで非戦闘員であるCとEがエテハテ・
サヤフに連行された。原告は、イスラム統一党から離脱し、本件旅券の発行を受けて、パ
キスタンのペシャワールに脱出した。
b アフガニスタンでは、パシュトゥーン族を中心としたイスラム原理主義勢力のタリバ
ーンが次第に台頭し、エテハテ・サヤフもタリバーンに合流した。タリバーンは、1996
年(平成8年)9月には、首都カブールを制圧し、暫定政権の樹立を宣言した。
原告は、パキスタンで父の会社の仕事を手伝っていたが、タリバーンの勢力拡大に伴
い、パキスタンも危険になってきたと感じ、UAEのドバイにいるおじを頼って入国し、
1997年(平成9年)3月には同国の滞在ビザ(期間3年)を取得した。ただし、出国後半
年以内に帰国しないときは同ビザは無効となるとされていた。
c タリバーンに反対する諸勢力は、反タリバーン同盟(北部同盟)を結成して抵抗し、原
告が所属していたイスラム統一党ハリリ派もこれに加わっていたが、タリバーンはこれ
らの勢力に対する攻勢を強めていった。そして、原告が1998年(平成10年)6月28日に
日本に入国した後の同年8月、反タリバーン同盟の拠点であったマザリ・シャリフがタ
リバーンの攻勢により陥落した。また、このころ、原告は、ドバイのおじから、ドバイの
アフガニスタン大使館はタリバーンが実権を握り、ハザラ族に対しては、同大使館での
旅券の期間延長を認めず、カブールに行って手続をするよう求めているため、旅券の期
間延長は困難であるとの情報を得た。
このため、原告は、タリバーンが支配するアフガニスタンに帰国することはできず、
また、パキスタンやUAEにもタリバーンの勢力が及んで危険であると考え、同月24日、
本件難民認定申請をした。 
- 8 -
その後、同年9月にイスラム統一党の拠点バーミヤンが陥落し、ハザラ系市民2000人
以上が大量虐殺された旨の報道がされた。
以上によれば、原告は、自分が反タリバーン同盟に属するハザラ族であり、かつて、イ
スラム統一党の兵士としてパシュトゥーン族の集団と戦った経歴を有することから、タ
リバーンの支配するアフガニスタンに帰国すれば、迫害を受けるおそれがあるとの恐怖
を抱いて本件難民認定申請に及んだものであり、かつ、原告がそのような恐怖を有する
ことには十分理由があると認められる。したがって、原告は、本件処分時において、難民
に該当するというべきである。
エ 被告は、原告と「A」の同一性には疑義があり、原告及びLの供述は信用できない旨主
張する。そして、鑑定嘱託の結果によれば、「A」名義の本件証明書(甲11の1)の台紙と
写真上の割印は、同一のインクによるものではなく、円画線が連続せず、同一の押印行為
によるものではないことが認められ、これによれば、本件証明書の原告の写真は貼り替え
られたもので、本件証明書が当初原告とは別の人間に対し発行された疑いを否定できな
い。原告は、イスラム統一党作成の他の証明書等(甲12の1、31の1、32の1、44の1の
1、44の1の2、45の1、47の1、48の1)を提出するが、写真に撮影された原告が「A」
であることを確認して上記各証明書等が作成された事実を認める証拠はなく、これらの証
明書により上記疑いを直ちに払拭することはできない。また、本件旅券には「A」の生年が
1968年と記載されており、原告が、申請当初は1968年(昭和43年)生であることを前提と
した経歴を述べていること(乙4、12、13、原告本人)、「A」の両親や兄弟姉妹は健在で、
姉妹から資料等の送付を受けたと述べながら、両親や兄弟姉妹と音信等があることを窺わ
せる客観的証拠が提出されていないことを併せ考慮すれば、原告と「A」が同一人である
ことには疑義が残るといわざるを得ない。
しかしながら、原告がイスラム教シーア派、ハザラ族でイスラム統一党ゲリラ兵士であ
った事実は、原告が「A」であることを前提とするものではなく、前掲各証拠に照らし、原
告がイスラム教シーア派、ハザラ族でイスラム統一党ゲリラ兵士であった旨の原告の供述
は十分信用できるものであって、原告がイスラム教シーア派、ハザラ族でイスラム統一党
ゲリラ兵士であった事実の認定を覆すものではない。また、原告と「A」の同一性には疑義
が残るとしても、別人であると断定するに足りる証拠はなく、原告が、その身分を偽り難
民認定の申請をしているとまではいえないし、仮に原告が「A」と異なるとしても、難民認
定は、迫害を受けるおそれのある難民としての立場、事情に照らし、適法な入国等を要件
とするものではない上、内戦状態にあった1994年(平成6年)当時のアフガニスタン情勢
に照らせば、原告が、正規の手続により旅券等を取得することが困難であったという事情
は容易に予想でき、「A」名義の本件旅券を取得して以後「A」として生活していた経緯か
ら、「A」として本件難民認定申請を行うことも理解できるところであって、原告の本件難
民認定申請を虚偽の内容による違法なものとして排斥すべきではない。
- 9 -
オ また、被告は、アフガニスタンにおいて、およそイスラム教シーア派又はハザラ族であ
れば迫害を受けるおそれがあるとはいえず、原告が戦闘した相手はタリバーンではなく、
タリバーンが原告を危険視するとは考えられない旨主張する。しかしながら、イスラム教
シーア派、ハザラ族及びイスラム統一党構成員のすべてが迫害の対象とならないからとい
って、原告に対する迫害の可能性、危険性が否定されるものではなく、タリバーンがイス
ラム教スンニー派のパシュトゥーン族を中心とし、イスラム原理主義政権の樹立を目指し
て勢力を拡大したもので、タリバーンとの対立が民族的、宗教的対立を背景に持つもので
あって、現実にイスラム統一党ハリリ派が反タリバーン同盟に参加して抵抗していること
に照らせば、原告が迫害を受けるおそれがある客観的事情を否定することはできず、上記
被告の主張を採用することはできない。また、被告は、本件旅券の有効期限延長の際、トル
カムで公式の出国許可を受けていることから、原告又は「A」がタリバーンから追及され
ていなかったことが裏付けられる旨主張するが、本件旅券は、当時ラバニ派が支配してい
たカブールで発行されたもので、延長手続も当時反タリバーン同盟が支配していたと認め
られるマザリ・シャリフに近いバルフでなされたものであって、トルカムで出国許可を受
けたことをもって原告又は「A」がタリバーンから追及されていなかったと認められるも
のではない。更に、被告は、原告が、パキスタン及びUAE滞在中に庇護を求めていないこ
とから迫害を受けるおそれを抱いていたとは認められない旨主張するが、原告が、マザリ・
シャリフが陥落し、タリバーンがアフガニスタンの大部分を支配下におきその支配が確立
されたことにより、もはやアフガニスタンには帰ることのできる場所がなく、パキスタン
やUAEでも危険があると考え難民認定を申請するに至ったという経緯は合理的なもので
あって、本件難民認定申請以前に比護を求めた事実がないことにより原告の難民該当性を
否定することはできず、被告の主張を採用することはできない。他に、前記原告の難民該
当性の認定を覆すに足りる証拠はない。
 本件処分の違法性について
以上によれば、本件処分当時、原告が難民であることが認められ、その余の点について判断
するまでもなく、本件処分は違法である。
2 本件裁決の違法性について
原告は、調査の際、ペルシャ語の通訳を付しただけで原告と十分な意思疎通ができなかった旨
主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。原告が指摘する調書の記載内容等は、前記のよ
うな原告の供述の不自然さにも起因すると考えられるもので、部分的に通訳の誤りがあったとし
ても、直ちに通訳に関する手続的な違法を認めることはできない。本件裁決の告知も、原告本人
尋問の結果によれば、原告において通訳により理解していることが認められ、違法な点は認めら
れない。他に、本件裁決固有の違法な点を認めるに足りる証拠はない。
3 結論
以上によれば、原告の本訴請求のうち、本件処分の取消しを求める請求は理由があるから認容
- 10
し、その余は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法7条、民
事訴訟法64条但書、61条を適用して、主文のとおり判決する。

国家賠償等請求(追加的併合)事件
平成14年(行ウ)第116号
原告:A、被告:国
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・鶴岡稔彦・廣澤諭)
平成15年4月9日
判決
主 文
1 被告は、原告に対し、金950万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分
の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求(その余の主位的請求及び予備的請求1、2)をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、これを6分し、その1を原告の、その余を被告の各負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主位的請求
被告は、原告に対し、金1177万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5
分の割合による金員を支払え。
2 予備的請求1
被告は、原告に対し、金1000万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5
分の割合による金員を支払え。
3 予備的請求2
被告は、原告に対し、金420万円及びこれに対する平成14年3月29日から支払済みまで年5分
の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
1 本件は、法務大臣による難民不認定処分及び退去強制手続における異議申出棄却裁決、並びに
東京入国管理局成田空港支局主任審査官による退去強制令書発付処分を受けたため、これらの処
分の取消しを求める訴訟を提起し、これらの処分を争っていたところ、その後、難民認定及び在
留特別許可を受けるに至った原告が、「法務大臣による上記難民不認定処分等は、事実誤認に基づ
く違法な処分であり、これによって損害を被った。」などと主張して、国家賠償法に基づく損害賠
償(主位的請求)、憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償(予備的請求1)、憲法40条の類推
適用に基づく損失補償(予備的請求2)、及び上記各金員に対する平成14年3月29日(訴状送達
の日の翌日)から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。
2 前提事実
以下の事実は、当事者間に争いがない(なお、処分経過等を時系列的に示すと別紙「処分経過等」
- 2 -
に記載のとおりとなる。)。
1) 原告は、昭和47年(1972年)《日付略》、ミャンマーにおいて生まれ、ミャンマー国籍を有す
る外国人である。
2) 第1回上陸申請
原告は、平成8年9月2日、A名義の旅券を所持してタイ国経由で新東京国際空港に到着し、
出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)6条所定の上陸の申請(以下)「第1回上陸申請」
という。)をしたが、法7条1項2号に適合しないとして退去命令を受け、同日、バンコクに向
け出国した。
3) 第2回上陸申請
 原告は、平成9年12月26日、上記退去後にミャンマーにおいて新たに発給されたA名義の
旅券に、平成10年2月23日付けで在ミャンマー大使館の査証を受けた上、同年3月29日、タ
イ国バンコク経由で新東京国際空港に到着し、東京入国管理局成田空港支局(以下「成田空
港支局」という。)入国審査官に対し、法6条所定の上陸の申請(以下「第2回上陸申請」とい
う。)をしたが、入国審査官は、原告が法7条1項所定の上陸のための要件に適合していると
認定できないとして、原告を特別審理官に引き渡した。
 特別審理官は、同日、原告に対し、法10条に基づく口頭審理を実施した結果、原告は、法7
条1項2号に適合しない旨の認定をして、原告にこれを通知し、原告から所定の期間内に異
議の申出がされなかったことから、同年4月2日、原告に対して退去命令書を交付し、出国
便を日本航空717便(バンコク向け)と指定した。しかしながら、原告は、出国を拒否した上、
同日、法61条の2第1項所定の難民認定申請をした(なお、原告が第2回上陸申請当初から
難民であるとの主張をしていたのかどうかについては当事者間に争いがある。この点につい
ては、後に検討する。)。
そして、原告は上記のとおり上陸を拒否された一方で、難民認定申請をして出国を拒否し
たことから、同日以降、新東京国際空港内の上陸防止施設において起居をするようになった
(以下、これを「本件上陸防止措置」という。なお、これが強制収容に当たるかどうかについ
ては、後に検討する。)。 
4) 難民不認定処分及び退去強制令書発付処分の経緯
 難民不認定処分の経緯
ア) 東京入国管理局難民調査官は、同年4月6日及び同月7日、成田空港支局において、原
告に対する事情聴取を行うなどし、法務大臣は、同年6月9日、原告について難民認定を
しない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし、同月12日、原告に対し、その旨の告知
をした。
イ) 原告は、翌13日、法務大臣に対して本件不認定処分に対する異議の申出をしたが、同年
10月5日、異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件難民裁決」という。)を受けた。
 退去強制令書発付処分の経緯
- 3 -
ア) 他方、成田空港支局入国審査官は、同年4月20日、成田空港支局入国警備官に対し、原
告について法24条5号の2該当の容疑があるとの通報をした。入国警備官は、調査の結果、
原告には法24条5号の2に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして、同月21日、
成田空港支局主任審査官から収容令書の発付を受け(以下「本件収容令書発付処分」とい
う。)、翌22日、これを執行して、原告を成田空港支局収容場に収容した上、同日、原告を法
24条5号の2該当の容疑者として成田空港支局入国審査官に引き渡した。
イ) 成田空港支局入国審査官は、同日及び同月30日に違反調査を行った上、同月30日、原告
は法24条5号の2に該当する旨の認定をし、原告にこれを告知した。これに対し、原告は、
口頭審理の請求をしたため、成田空港支局特別審理官は、同年5月12日、口頭審理を実施
した上、同日、入国審査官の上記認定に誤りがない旨の判定をし、原告にこれを告知した。
原告は、同月13日、法務大臣に対し、異議の申出をした。
ウ) 成田空港支局入国警備官は、同年6月1日、原告を東日本入国管理センターに移収した。
エ) 法務大臣は、同月12日、原告の上記異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件退
去裁決」という。)をした。そして、同裁決の通知を受けた成田空港支局主任審査官は、同日、
原告に本件退去裁決の告知をするとともに、原告をミャンマーに送還する旨の退去強制令
書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。また、東日本入国管理センター入国警
備官は、同日、退去強制令書を執行し、原告を引き続き収容した。
5) 原告による訴訟の提起とその後の経緯
 原告は、平成10年7月27日、法務大臣及び成田空港支局主任審査官を被告として、本件
退去裁決及び本件退令発付処分の取消しを求める訴訟(東京地方裁判所平成10年(行ウ)第
148号。以下「退令関係訴訟」という。)を提起するとともに、同年11月18日には、再審査情
願をし、また、平成11年1月8日には、法務大臣を被告として、本件不認定処分の取消しを
求める訴訟(同裁判所平成11年(行ウ)第1号。以下「難民関係訴訟」といい、退令関係訴訟
と併せて「別件訴訟」という。)を提起した。
 東日本入国管理センター所長は、平成11年3月4日、原告に対し、仮放免の許可をした。
 法務大臣は、平成14年2月20日、別件訴訟の審理の結果、原告が難民であることが判明し
たとして、本件不認定処分を取消し、同月23日、その旨の通知書を原告に郵送し、更に、東京
入国管理局難民調査官の調査を経た上、同年3月14日、原告を難民と認定し(以下「本件認
定処分」という。)、翌15日、難民認定証明書を原告に交付した。
 また、法務大臣は、同月14日、原告の再審査情願に基づく再審査を行った結果であるとし
て、原告に対し法61条の2に基づく在留特別許可(以下「本件在留特別許可」という。)をし
た。この通知を受けた成田空港支局主任審査官は、同日、本件退令発付処分を取り消し、同月
18日、これを原告に告知した。法務大臣は、同日、原告に対し、本件在留特別許可の告知をす
るとともに、在留資格証明書を交付した。
 原告は、同年3月4日、別件訴訟に本件国家賠償請求訴訟を追加する旨の訴えの追加的併
- 4 -
合を申し立て、その後の同年7月19日、別件訴訟に係る訴えを、いずれも取り下げた。
6) 被告による本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由
被告は、本件不認定処分取消し及び本件認定処分の理由として、「原告は、諸般の証拠等に照
らし、平成8年12月9日及び10日の両日、a大学付近で発生した学生デモの指導的立場にあ
り、そのため、ミャンマーの治安当局の追及を受けている可能性が多分にあり、本件不認定処
分時において、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあったものと認められる。」と主張し
ている(被告準備書面)。この主張事実は、原告が、別件訴訟係属当時から一貫して主張して
いた事実と主要な点において一致しており、原告が、上記のような事由により難民と認められ
るべき者であることは、本訴においては、当事者間に争いのない事実となっている。
第3 争点と争点に関する当事者双方の主張
本件の争点は、①被告は、原告に対し、国家賠償義務を負うかどうか、具体的には、難民不認定
処分、本件退去裁決、本件退令発付処分、本件収容令書発付処分、及び本件上陸防止措置(以下、
これらをまとめて「本件各処分等」ということがある。)が違法かどうか、違法である場合、担当
公務員に過失があるかどうか、損害の有無と額の各点、②被告は、原告に対し、憲法29条3項の
類推適用に基づく損失補償義務を負うかどうか、③被告は、原告に対し、憲法40条の類推適用に
基づく補償義務を負うかどうかであり、これらの点に関する当事者双方の主張の概略は、次のと
おりである。
1 国家賠償義務の有無について
1) 原告
 本件不認定処分の違法性と法務大臣の過失
ア) 難民該当性の認定のあり方について
ア 我が国は、難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書(以下、前者を「難
民条約」、後者を「難民議定書」といい、両者を併せて「難民条約等」という。)を批准し
ており、難民を庇護すべき国際的な義務を負っている。法の難民認定に関する規定等は、
このような国際的な義務を果たすために制定されたものなのであるから、その解釈に当
たっては、難民条約等の定めの趣旨に適合するような解釈が要求されることはいうまで
もないところである。
ところで、難民の意義については、難民条約1条A及び難民議定書1条2項が明確に
定めているところであり、難民条約等の締約国は、上記規定の定める難民に該当する者
に対しては、庇護をすべき義務を負うのであって、国内法の定めにより、庇護すべき難
民の範囲を限定してしまうようなことは許されないものというべきである。難民条約等
は、難民認定手続をどのようなものにするかについての定めを置いておらず、各締約国
が、各国の実情に応じた手続規定を置くこと(立法裁量)を許容しているものというべ
きであるが、これは、あくまでも認定「手続」についての立法裁量を許容しているのにす
ぎず、難民についての実体的要件を変容させることを許容しているものではない。また、
- 5 -
上記の趣旨に照らしてみれば、締約国としては、難民に対し、難民該当性について過度
の立証責任を課する等、難民に対して不当な不利益を課する手続規定を置くことによっ
て、本来難民であるはずの者が、難民認定を受けることができないような事態を恒常的
にもたらすような手続規定を置くことも、実質的に見れば、難民の範囲を限定する措置
にほかならず、許されないというべきであり、法の解釈においても、このような観点か
らの配慮が要求されるものというべきである。
さらに、難民に対する庇護は、国際連合難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」とい
う。)と協力し、締約国が協調して行わなければならないものなのであるから、締約国が
難民の庇護に関する法律を制定し、それを解釈運用するに当たっても、UNHCRの勧告
等や、他の締約国、とりわけ先進各国における庇護の状況等を十分に考慮する必要があ
ることもいうまでもないところである。
イ ところで、難民条約1条A及び難民議定書1条2項によれば、難民とは、「人種、宗教、
国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受け
るおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であ
って、その国籍国の保護をうけることができないもの又はそのような恐怖を有するため
にその国籍国の保護をうけることを望まないもの」等を意味するものとされている。
そして、UNHCRによる難民条約等の解釈や、先進各国における先例等も考慮すると、
上記の要件のうち、「迫害」と「十分に理由のある恐怖」の要件については、次のように
解すべきである。すなわち、まず、「迫害」については、生命、身体に対する侵害がこれに
当たることは当然であるが、それに限られるものではなく、経済的・社会的自由に対す
る侵害や、精神的自由に対する侵害も、それ自体が迫害に当たるか、迫害を構成する重
要な要素の一つになるものというべきであるし、また、個々の侵害行為は、それ自体と
してみれば、迫害とまではいえないようなものであっても、そのような侵害行為が積み
重なることによって重大な法益侵害がもたらされ、「迫害」状況が生ずる可能性も十分に
あり得ることに配慮すべきである。また、「十分に理由のある恐怖」にいついては、難民
認定申請者の個別的状況、出身国における人権状況、過去の迫害、同様の状況に置かれ
ている者の事情等を十分に考慮して認定すべきものであり、また、当該申請者が属する
集団に対する一般的迫害状況があれば、当該申請者に対しても同様の迫害が行われる可
能性は十分にあり得るのであるから、このような場合にも、当該申請者に対する迫害が
存在するものと認めるべきであることにも配慮する必要がある。
ウ また、法61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務省令で定める手
続により申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である旨の認
定を行うことができる。」旨を定めており、この規定は、難民認定申請者において難民で
あることを立証すべき旨を定めているように見えるが、①アにおいて指摘したとおり、
難民認定申請者に対し、過度の立証責任を課することによって本来難民であるはずの者
- 6 -
が難民認定を受けられないような事態が生ずることは避けなければならないのであり、
そうであるからこそ、法も61条の2の3第1項において、法務大臣は、難民認定申請者
が提出した資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合等には、難民調
査官に事実の調査をさせることができる旨を定め、補充調査を要求しているものと解さ
れること、②難民認定手続における難民性の立証の負担は、訴訟における立証責任とは
異なるものというべきであること、③難民認定申請者は、迫害を避けるため、十分な資
料も整えられないまま国籍国を脱出するのがむしろ通常であり、このような者に対して
客観的、具体的な資料の提出を厳格に要求するのは不可能を強いるものであること、④
難民認定申請者が、難民該当性の立証ができないとして出身国に送還された場合には、
取り返しのつかない事態が発生することとなるのであるから、このような事態を避ける
ためにできるだけの配慮が必要であることなどの事情に照らしてみれば、上記条項は、
難民認定申請者に対し、難民該当性について訴訟でいう意味での立証責任を課したもの
と解すべきではなく、難民認定権者においても、難民性の有無に関する積極的かつ十分
な補充調査等を行う義務があるものというべきである。また、上記の点を考慮すると、
調査の結果、当該申請者が置かれた状況に合理的な勇気を有する者が立ったときに、「帰
国したら迫害を受けるかも知れない」と感じ、国籍国への帰国をためらうであろうと評
価し得るような状況が認められる場合には、「迫害を受けるおそれがあるという十分に
理由のある恐怖を有する」と認めるべきものであり、通常の立証責任に関する考え方を
形式的にあてはめて、「迫害を受けるおそれについての蓋然性が認められないから難民
には該当しない。」といった判断をするのは相当ではない。
イ) 原告の難民該当性と法務大臣の行為の違法性及び過失について
ア 原告の難民該当性
a) 原告は、1972年《日付略》に、本国の《地名略》に生まれ、イスラム式のロヒンギャ
民族名として、A’ を名乗っていた。なお、原告が属するロヒンギャ民族は、現軍事政
権下においては、同国の国民ではなく不法に滞在する外国人であるとされており、市
民権を与えられないことはもちろんのこと、移動の自由を制限されている上、度々強
制労働を強いられ、土地や財産を没収されるなど各種の迫害を受けている。
また、原告の民族名は、上記のとおりA’ であるが、大学に進学したころから、級友
らからロヒンギャ民族名は発音しにくいなどといわれたため、Aという名も使用する
ようになった。そして、1995年11月ころ、身分証明書である国民調査カードの申請を
したところ、担当者から、ロヒンギャ民族のA’ 名ではカードを発行することはできな
いが、他の民族名で申請すれば発行すると言われたため、カマン民族のA名でカード
の申請をし、その発行を受けることができたため、以後、身分証明書上の氏名はAと
なったものである。
b) 原告は、高校を卒業した1988年、《地名略》出身でa大学生のBが帰郷し、学生連盟
- 7 -
《地名略》支部を組織したことがきっかけとなって民主化運動に参加するようになり、
同支部の組織部長や財政部長として活動に加わった。しかしながら、同年9月18日に
現在の軍事政権がクーデターによって政権を握ると民主化運動参加者に対する捜査を
始め、原告の家にも警察が来たため、半年ほど隠れ住んでいたが、その後、活動家に対
する捜査が落ち着いたため、自宅に戻り、1990年には、ロヒンギャ民族出身の学生を
構成員とするb党を組織したほか、同年に行われた総選挙において、b党として独自
の候補者を擁立するとともに、民主化等を主張する国民人権民主党の候補者を支援す
るなどの活動を行った。
c) 原告は、1991年11月、c大学理学部に入学し、2年間の過程を終えた後、ヤンゴン
にあるa大学理学部の専門課程に進学することとなった。c大学理学部在学中は、政
治活動に参加することはなかったものの、1993年11月20日、a大学進学のため飛行
機でヤンゴンに向かおうとした際、空港での警察の手荷物検査において、所持してい
たノートにロヒンギャ民族の大量難民流出事件に関することや、原告の政治活動、政
治的意見等が記載されているのを発見されたことから、ロヒンギャ民族の活動家であ
るとして警察に連行され、さらに、軍情報部に引き渡されて13日間留置され、全身を
拳や棒、ベルトなどで殴られるなどの暴行を受け、大学の恩師の尽力によってようや
く解放してもらうという事件に巻き込まれた。
d) 原告は、a大学理学部進学後、勉強に専念していたが、1995年に入ったころから、
同理学部の学生であるC、D、E、Fら(以下、原告を含む上記5名を「原告ら5名」
ということがある。)とともに民主化運動を行うようになり、同年7月10日にアウン
サウンスーチーが解放された後は、同人宅前の集会に参加を始め、そのうち、同人と
の面会も許され、同人から学生の間での組織作りや民主化運動のあり方についてアド
バイスを受けるようになった。同人との面会は、3、4回に及んだ。ところが、同年8
月中旬ころ、原告は、夜中に突然現れた軍情報部員によって連行され、2晩留置され、
殴る蹴るの暴行を受け、どんな団体と連絡を付けて活動しようとしているのかなどの
尋問を受けた挙げ句、もう政治活動はしない旨のA’ 名義の誓約書を書かされてよう
やく解放された。
e) 原告ら5名は、その後も活動を続け、同年8月下旬か9月ころには、ビルマ学生戦
線(Burma Students Front。後に、学生民主戦線̶Students Democratic Front̶に
名称変更。以下、前者を「BSF」、後者を「SDF」という。)を組織し、民主化、逮捕され
た学生や政治家の解放、学生の権利の確立等を目的とした活動を行うようになり、次
第に組織を拡大させていったが、同年12月、軍事政権と、国民民主連盟(NLD、アウ
ンサウンスーチーを代表とするミャンマー議会の野党第一党)との対立が深刻化し、
軍事政権による政党政治家への逮捕拘束が始まり、翌年1月には、それが学生活動家
にも及ぶようになったため、身の危険を感じてNLD副議長であるGに相談をしたと
- 8 -
ころ、国外へ出た方が良いとして、日本行きを進められたため、ブローカーを通じて
パスポートとビザを入手し、1996年9月2日、日本に向かって出国した(なお、他の
4名は、パスポート等を入手する資金がなかったため、国境地帯等へ逃亡した。)。
これが原告の第1回上陸申請であるが、原告は日本への入国を許されず、空港で難
民申請をすることができることも知らなかったため、出国を余儀なくされ、バンコク
まで飛行機で帰った後、タイ南部のラノーンという町から、出稼ぎ労働者にまぎれて
帰国した。なお、タイまで戻った際、そこで出会ったHというロヒンギャ民族の人物
から、日本では、空港でも難民申請ができるが、それをした場合には、長期間身柄を拘
束されてしまうこと、日本にはロヒンギャ民族のグループが存在することなどを教え
られた。
f) 同年12月2日から、ヤンゴン工科大学の学生が中心となって、民主化等を要求する
デモが開始された。原告ら5名は、このデモに参加しようと考え、SDFの代表として、
ヤンゴン工科大学の学生らと話合いを進め、同月6日、7日には、a大学構内で、ビラ
配りやオルグ活動、デモ等を行って民主化要求運動への参加者を募った。そして、同
月9日、10日には、SDFが中心となってヤンゴン市内のレーダン交差点において、学
生連盟の結成、学生自治の実現、逮捕されている学生の釈放、民主化を要求するデモ、
座り込みを行った。10日午後4時ころ、治安部隊がやってきて原告らに対して解散命
令を発令し、同日午後10時ころ、解散命令に応じず、スクラムを組んでいた原告ら約
100名の学生に対し、放水を浴びせ、警棒で殴った上、学生をごぼう抜きにして次々と
逮捕していった。
原告も逮捕され、ヤンゴンの衛星都市である《地名略》にある軍の駐屯地に連行さ
れ、2日間にわたって尋問を受けることとなった。当初は、他の学生らと共に尋問を
受けていたが、尋問を受けていた学生の1人が、原告がリーダーであると言ったため、
別室で尋問を受けることとなった。そして、携帯していた学生証から以前にも逮捕さ
れた経歴があるA’ であることが発覚してしまい、政治活動をしないという誓約書に
サインをしているのに、再び政治活動をしたことを咎められた上、「誰の指示を受けて
いるのか。」、「組織の活動目的は何か。」などの点について尋問を受けた。その際には、
殴る蹴るの暴行に加え、食事は2日間で1度しか与えられず、眠ることも許されない
などといった虐待を受けた。
このような尋問の挙げ句、再び、政治活動をしないという誓約書に署名をさせられ
た上で釈放された。原告は、この際にも、A’ 名で署名をしたため、以後、A’ の名を使
用することをおそれ、A名を日常的にも使用するようになった。
g) 上記のデモから間もない同年12月ころ、ガバーエーパゴダで政府要人を狙った爆弾
テロ事件が起こり、翌1997年4月にも、軍事政権の幹部であるティンウー第2書記宅
で爆弾テロ事件が起きた。軍事政権側は、学生活動家がこれらの事件に関与している
- 9 -
のではないかと疑い、学生活動家に対する大量摘発を始め、4月の事件の後には、原
告と共に活動していたCを逮捕した。更に、同年、ミャンマーがASEANに加盟したの
をきっかけに、上記デモ後閉鎖されていた大学を再開する方針が決定されたが、それ
に先立ち、学生運動が再燃するのを防止するため、デモに参加していた学生を取り締
まろうという動きも始まり、同年12月ころからは、上記デモ参加者らに対する摘発が
開始されるという動きもあった。
このようなことから、原告も身の危険を感じ、Gに相談をした結果、再び日本へ脱
出することを考えるようになり、同年10月ないし11月ころ、ブローカーにパスポート
の手配を依頼するなど出国のための工作を始めた。そうしているうち、1998年1月、
Dが逮捕されるに至り、同人の母親から、逮捕に来た官憲の人間は、上記のデモにつ
いて聞きたいといっていたこと、Dに対し、原告の居場所を知っているかと尋ねてお
り、同人は知らないと答えたことなどを聞かされたため、危機感を強め、空港からの
出国に便宜を図ってくれる人間を捜すなどの工作を本格化させた。同年3月中旬に
は、原告が一時身を寄せていた親戚宅に対しても捜索が行われる(原告は、たまたま
不在であった。)という事態も発生した。
このような状況の中で、原告は、同年3月28日に出国し、翌29日、第2回上陸申請
に至ったのである。
h) 以上のとおりであって、原告は、ロヒンギャ民族の一員として、また、民主化運動
の学生活動家としてもミャンマー軍事政権からの迫害にさらされてきたのであり、難
民に該当することは明らかである。そして、被告も、現在では、原告が、民主化運動の
学生活動家であって難民に当たることを認めるに至っているものである。
イ 法務大臣の行為の違法性及び過失について
a) 原告は、難民認定申請の当初から、上記のような事情を一貫して供述しており、そ
の供述内容は、十分に信用に値するものであったから、原告に対しては、当然に難民
認定がされるべきであった。しかしながら、難民調査官らの難民認定担当者は、当初
から原告が不法入国を試みていると決めつけ、原告の供述内容を真摯に検討しようと
せず、必要な補充調査も行わず、供述内容の間の些細な矛盾や変遷をあげつらい、し
かも、その矛盾や変遷について原告に弁解の機会を与えることもないまま、違法な本
件不認定処分をするに至ったものである。このような行為は、難民認定事務を担当す
る公務員としての法的義務に違反したものであって、その行為は違法であり、かつ過
失も認められることは明らかである。
被告らは、「原告の供述には、様々な矛盾点や疑問点があり、難民認定申請当時にお
いては、到底信用し得るようなものではなく、別件訴訟における審理等において判明
した事情や、仮放免された後の原告の我が国における活動内容等の事情により、初め
て原告が難民であることが判明した。」という趣旨の主張をする。しかしながら、次に
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述べるとおり、被告の主張は、極めて根拠の乏しいものといわざるを得ない。
b) まず、被告が、原告の供述内容の矛盾点や疑問点として主張している点は、後記2)、
、イ)、アのとおりであるが、これらはいずれも、矛盾や疑問などと評価するに足り
ない些細な問題点ばかりであって、原告の供述内容が虚偽であると疑うに足りるよう
なものであるとは到底いい難い。しかも、供述内容に矛盾点や疑問点があるというの
であれば、その点を原告に問い質し、原告がどのような弁解をするのかを見極めた上
で、供述内容の真否を判断するというのが調査の基本的なあり方のはずであるにもか
かわらず、難民調査官らは、このような作業を一切行っていないのである。このよう
な調査姿勢は、難民該当性の有無を調査検討しようというのではなく、難民該当性を
否定する理由を見付けるためにあら探しをしているとしかいいようのないものであ
り、難民認定事務を担当する公務員としての法的義務に違反するものであったといわ
ざるを得ない。
c) また、被告が、処分後において判明した難民該当性を基礎付ける事情と主張してい
るのは、①原告が、別件訴訟において、1996年12月9日、10日のデモの内容について
詳細な供述をし、その内容は、我が国での新聞報道等とも合致していたこと、②別件
訴訟において、原告の出国後、原告の自宅や親戚宅に官憲の捜査が行われた事実が判
明したこと、③1996年12月のデモに参加し、それを理由に身の危険を感じていたにも
かかわらず、1998年3月に至って初めて出国したというのは不自然といわざるを得
なかったところ、別件訴訟において初めて、この点に関する合理的な説明がされるに
至ったこと、④迫害を受けている者が、自由にミャンマーを出国できたという点にも
疑問があったところ、原告がA’ 名とA名を使い分けていた事情の詳細が判明し、この
点に関する疑問も氷解したこと、⑤原告は、仮放免後、在日ビルマロヒンギャ協会の
中心メンバーとして活動するようになり、この事実は、原告が上記デモの中心メンバ
ーであったことを裏付けるに足りる事情であったことの5点である。 
しかしながら、これらの事情のうち、①、③、④の点は、難民調査官らにおいて、詳
細な事情聴取を行っていれば容易に事情が判明し、あるいは疑問が氷解する類の問題
であって、新たに判明した事情といえるようなものではない。また、②、⑤は新たに判
明した事情とはいい得るものの、これらによって原告の難民該当性の有無が決定され
るという性質のものではなく、精々補完的な事情という評価を与えられる程度のもの
でしかない。
このように考えていくと、被告の主張は、極めて根拠薄弱であるといわざるを得ず、
新たな事情として、この程度の事情しか指摘できないということは、当初の調査がい
かに杜撰なものであったかを自白しているのに等しいものというべきである。
d) なお、難民認定手続においても適正手続の要請が働くことは当然であり、この観点
からすると、①難民認定申請者に対して釈明の機会が与えられること、②処分に当た
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っては理由の付記がされること、③直接主義(難民認定の判断を行う者が、直接調査
に当たること)、④難民問題に関する専門的知識を有した上で調査に当たること、⑤手
続の透明性が図られることが重要であるといわなければならない。しかしながら、原
告に対して釈明の機会が与えられなかったことは既に再三主張したとおりであるし、
そればかりか、難民調査官は、身分を名乗って調査の目的を明確にすることも、原告
の供述内容は秘密にされることを告げることもなく、原告が犯罪者であるかのような
高圧的な態度で尋問を行い、原告が自由に供述をすることができるような雰囲気を作
る配慮さえもしなかったのであって、原告が、自由に言い分を述べ、疑問点に対する
釈明を行えるような手続が行われなかったことは明らかである。また、処分理由も、
難民とは認められないという結論を記載したものにすぎず、処分に当たり、慎重な検
討がされたとは到底いえないようなものであった。更に、直接主義、専門性、手続の透
明性に対する配慮も極めて不十分であったのであり、このような適正手続の要請に反
する難民認定のあり方が、本件のような、恣意的で杜撰な判断をもたらしていること
も指摘しておく。
 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失
で主張したとおり、原告は、難民であることが明らかであったのであるから、法61条の
2の8に基づき、在留特別許可が与えられるべきであった。しかしながら、法務大臣は、記
載のとおり、難民認定担当者としての義務に違反した結果、誤った本件不認定処分を行い、
その結果、法61条の2の8の適用を考慮して在留特別許可を与えることもないまま本件退去
裁決を行ったものであるから、この行為も公務員としての義務に違反するものであって違法
であり、そのことについては過失があったものというべきである。
 本件退令発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失
法49条5項は、主任審査官は、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知
を受けたときは、退去強制令書を発付しなければならない旨を定めているが、この規定は、
退去強制令書の発付を義務付けたものではなく、主任審査官には、退去強制令書を発付する
かどうかについての裁量が認められているものと解すべきである。そうすると、成田空港支
局主任審査官としては、本件退去強制令書発付に当たり、改めて原告の難民該当性について
検討をすべきであったものであり、に記載した事情に照らしてみれば、この段階において、
原告が難民に該当すると判断し、退去強制令書の発付を断念するのが当然であったといえ
る。したがって、この点を看過したまま本件退令発付処分を行ったのは違法であり、そのこ
とについては過失があったものというべきである。
また、仮に同主任審査官には裁量がなく、本件退令発付処分を発令するほかはなかったと
しても、難民である原告を、国籍国であるミャンマーに送還することは許されなかった(法
53条3項参照)。しかしながら、主任審査官は、本件退令発付処分において送還先をミャンマ
ーと指定したのであり、に記載した点に照らしてみれば、この点には公務員の基本的義務
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に違反する違法があり、そのことについては過失があったものというべきである。
 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失
本件収容令書発付処分は、平成10年4月21日に発令されたものであった。
ところで、難民条約31条2項は、難民認定申請をした者に対しては、原則として身柄の収
容を行ってはならない旨を定めたものと解すべきあるから、第2回上陸申請当初から難民認
定の申請を行っていた原告に対しては、身柄の収容を行うべきではなかった。
仮にそのようにいうことはできないとしても、同月6日、7日には、難民調査官によるイ
ンタビューが行われており、この時点で得られた情報を基にし、正しい事実調査が行われて
いれば、上記両日の時点で原告が難民であることが明らかになっていたものというべきであ
り、難民である原告に対しては、難民条約31条2項に基づき、身柄の拘束が許されなかった
ことは明らかである。
したがって、本件収容令書発付処分はいずれにしても違法であり、で指摘した点に照ら
してみれば、成田空港支局主任審査官は、公務員としての基本的な義務に違反した結果、こ
のような違法な処分を行ったものであり、そのことについては過失があったものというべき
である。
 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失
原告は、同年3月29日に入国を拒否されてから同年4月21日に収容令書を執行されるま
での24日間、上陸防止措置を採られた結果、新東京国際空港内の上陸防止施設に収容され、
部屋には外から鍵がかけられて自由に外に出ることはできず、シャワーは週に1回許される
のみで運動をすることもできず、インタビュー等で外に出る場合には、手錠を掛けられると
いう処遇を受けており、これは身柄の拘束にほかならない。
ところで、原告は、第2回上陸申請当初から難民であることを申し立てていたのであるか
ら、このような難民認定申請者に対し、身柄の拘束を行うことは許されなかったものという
べきである。また、原告の申立ては、法18条の2所定の一時庇護のための上陸許可の申立て
と解釈することが十分に可能なものであったのであるから、原告の申立てを受けた入国審査
官や特別審理官としては、一時庇護のための上陸許可をすべきであったにもかかわらず、原
告の申立てを一切無視し、単に不法入国を企図した者として扱ったのであり、このような取
扱いは、公務員としての義務に違反するものであり、そのことについて過失もあったものと
いうべきである。
また、特別審理官は、同年4月2日、原告に対し退去命令書(乙7)を交付しているが、そ
の期限は同日限りとされ、しかも、その後、法13条の2所定の施設にとどまることの許可も
されていなかったのであるから、同月3日以降における上陸防止施設における収容は、法律
上の根拠のない違法な身柄拘束であったことが明らかであり、このような法律上の根拠のな
い身柄拘束を行ったことについては、担当公務員の義務に違反する違法があり、かつ過失も
あるものというべきである。また、原告は、上陸防止施設において、上記のような違法な処遇
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を受けたものであるところ、上陸防止施設の管理者は被告なのであるから、その処遇が被告
の担当者の指示に基づいて行われたものであるかどうかを問わず、その責任は被告が負うも
のというべきであるから、この面においても、被告の責任は免れないものというべきである。
 原告の損害と損害額
原告は、上記のような違法行為によって、①平成11年3月4日に仮放免を許可されるまで
の間、身柄の拘束を受けたばかりではなく、仮放免許可後も、平成14年3月14日に本件在留
特別許可を受けるまでの間、移動の自由を制限されるなど活動の制限を受け、②我が国にお
いて民主化活動を行う自由を侵害され、また、収容中、国会議員に充てて自らの窮状を訴え
る手紙を送付しようとしたところ、検閲を受け、内容を削除されるなど表現の自由も侵害さ
れ、③ミャンマーに送還されるのではないか、あるいは、再収容されるのではないかという
恐怖にさらされ、精神的打撃を受けた。また、本件不認定処分や、その後の難民裁決に至る
調査の過程で適正な処遇を受けられず、犯罪者扱いされたことによっても精神的打撃を受け
た。
これらによって生じた精神的打撃には著しいものがあり、これを慰謝するための慰謝料の
額は1000万円を下らないものというべきである。また、原告は、本件訴訟の提起を原告訴訟
代理人らに委任したものであるところ、そのための弁護士費用の額は177万円が相当である。
したがって、被告は、原告に対し、上記の損害賠償金合計1177万円及び遅延損害金を支払
う義務がある。
2) 被告
 本件不認定処分の違法性及び法務大臣の過失の主張について
ア) 法務大臣の行為の違法性の判断基準
ア 国家賠償法上の違法とは、民事上の不法行為における違法(権利侵害)とも、行政処分
の取消訴訟における違法とも異なり、公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対し
て負担する職務上の法的義務に違反することを意味するものであり(最高裁判所第一小
法廷昭和60年11月21日判決、民集39巻7号1512頁参照)、そのような意味での違法が
あったかどうかを判断するに当たっては、当該公権力の行使がされた時点において当該
公務員が収集していた資料や、当該公務員に対して通常要求される調査等をすれば収集
し得た資料を総合勘案し、それに基づく合理的な判断過程を経た場合には、当該公権力
の行使をすべきではなく、それにもかかわらず当該公権力の行使をしたことが、当該公
務員の職務上の注意義務に違反したものといえるかどうかという観点から判断がされる
べきものである。
したがって、本件においても、本件不認定処分が結果的に違法であったからといって、
直ちに法務大臣に国家賠償法上の違法行為があったということはできず、上記のような
意味での職務上の法的義務違反があったと認められるかどうかを判断する必要がある。
イ ところで、法61条の2第1項は、法務大臣は、難民認定申請があった場合、「その提出
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した資料に基づき、その者が難民である旨の認定を行うことができる。」と規定し、法61
条の2の3は、提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合
等には、「難民調査官に事実の調査をさせることができる。」と規定しており、これらの
規定によれば、難民であることの立証責任は、難民認定申請者が負担するものであるこ
とが明らかである。そして、①難民認定処分は、受益処分に当たり、一般論としても、そ
の要件該当性は受益処分を求める難民認定申請者が負うものと解されることや、②難民
であるかどうかを判断するための事情の中には、難民認定申請者本人しか知り得ない事
柄が少なくなくないことなどの事情に照らしてみれば、難民認定申請者が、難民該当性
について立証責任を負うものとすることには合理的な根拠があるものというべきであ
る。原告は、「難民認定申請者に難民該当性についての立証責任を負担させることは不当
であり、難民条約等にも違反する。」という趣旨の主張をするが、難民認定申請者に立証
責任を負わせることが不当ではないことは既に主張したとおりであるし、難民条約等に
おいては、難民認定手続に関する規制は存在せず、どのような認定手続を定めるのかは
締約国の立法裁量に委ねられられているのであるから、上記の規定が難民条約等に違反
するものではないことも明らかである。
もっとも、難民申請者本人の供述や、その提出した資料のみによっては難民該当性の
判断をするためには不十分であることが少なくない。このため、法61条の2の3は、難
民調査官による事実の調査に関する規定を置いているし、実際の難民認定手続において
も、必要な事実調査が行われるのが通常であるが、難民該当性を基礎づける事実の中に
は、当該難民認定申請者本人しか知り得ない事柄が少なくなく、事実の調査に限界があ
ることは否定し難いところなのであるから、当該難民認定申請者本人が、矛盾した供述
や、曖昧な供述を繰り返したり、調査に非協力であったり、必要な資料の収集提出等を
怠ったりした結果、事実の調査を行っても、難民に該当するとの判断に至らないことが
あり得るのはやむを得ない事柄であるといわなければならない。
ウ 以上に指摘した点を考慮すると、法務大臣は、難民認定申請に関する処分を行うのに
当たり、申請者が提出した資料、難民調査官による事実の調査における申請者の供述、
及び処分時までに収集し得た証拠資料に基づき、合理的な方法により難民の認定をすべ
き職務上の法的義務を負担しているものというべきであり、このような法的義務に違反
があった場合には、国家賠償法上の違法があったと評価されるべきであるが、このよう
な意味での法的義務違反があったとは認められない場合には、たとえ難民不認定処分が
結果的に違法と評価されるものであったとしても、違法はないものというべきである。
そして、このような意味での法的義務違反があったと認められるかどうかを判断する
に当たっては、申請者の申請内容や提出資料の内容、事実調査における申請者の供述内
容、法務大臣による証拠収集の難易等の事情を総合考慮した上、法務大臣として要求さ
れる証拠資料の収集を怠り、あるいは明らかに不合理な証拠評価によって事実を誤認す
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るなど、通常の難民認定業務としてはおよそ許容することができない職務上の法的義務
違反があったかどうかが問題にされるべきものである。
イ) 違法性と過失がないことについて
上記の観点から考えた場合、法務大臣が、本件不認定処分を行ったことはやむを得ない
ものであり、違法性や過失はなかったものというべきである。その理由は、次のとおりで
ある。
ア 原告は、「ロヒンギャ族に属し、学生の地下組織に参加していたために帰国すれば逮捕
されて殺される」などとして難民認定申請を行ったものである。
しかしながら、本件不認定処分が行われるまでに収集された資料は、原告による難民
認定申請書(乙8)及び併せて提出された写真2葉(乙76)、平成10年4月6日及び7
日に行われた原告に対するインタビューの結果等難民調査官による事実調査の結果(乙
27、28の1。以下、前者を「4月6日調査」、後者を「4月7日調査」という。)、原告から
追加提出された同月3日及び同月17日の供述録取書(I弁護士作成、乙26の1。以下「第
1回弁護士録取書」という。)、同月27日の供述録取書(同弁護士作成、乙26の2。以下「第
2回弁護士録取書」という。)、「経済社会理事会人権委員会1998年限定配布81改訂文書」
(乙78)、及び「週刊Burma Today」(乙79)であったところ、これらの資料に基づいて
検討してみると、難民であるとする原告の主張には疑問点が多く、到底信用することは
できないものといわざるを得なかった。その理由は次のとおりである。
a) 第1回上陸申請の経緯に関する供述の問題点
原告は、難民調査官に対し、「平成7年11月又は12月にNLDが憲法起草グループか
ら脱退した時に、学生グループの一員が逮捕されたため、自分も逮捕されると思い、
第1回上陸申請に至った。」という趣旨の供述をしていたが(乙28)、原告がミャンマ
ーを出国し、第1回上陸申請をしたのは、危険を感じだしたという時期から約半年も
経過した後であった上、他方で、平成8年6月にはSDFを結成し、組織を拡大させて
いたと述べるなど(乙28)、その行動は、逮捕をおそれている人間の行動とは思えない
ものであり、上記供述には信用性が認められなかった。また、原告は、「日本にはロヒ
ンギャ族のグループがあると聞いているので、それに参加したいと思っていた。」とも
述べていたのであるが、ロヒンギャ族のグループの存在を知った経緯につき、第1回
弁護士録取書においては、「叔父のJが日本にいるので、彼を通じてグループの存在を
知った。」と述べているのに対し(乙26の1)、4月6日調査においては、「第1回上陸
申請が認められず、バンコクに戻された際、バンコクで知り合ったロヒンギャ族のH
に教えられた。」、「叔父とは連絡がつかず、連絡方法もない。」などと供述している。来
日の目的となっているロヒンギャ族のグループを知った経緯は、そのような近接した
時期に思い違いによって誤ることなどあり得ない明白な事実であって、もはや釈明を
求める必要もなく、いずれかの供述は明らかに虚偽のものである。このような虚偽の
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供述がされた以上、法務大臣が原告の来日目的についての供述の信ぴょう性に疑いを
抱くのは合理的である。また、日本にいる叔父との連絡の有無という真実経験した者
にとって誤る余地もない明白な事実について、短期間のうちに矛盾した供述をしてい
たのであり、この点も、原告の供述を疑わせる事情といえた。
b) 第2回上陸申請の経緯に関する供述等の問題点
原告は、難民認定申請目的で来日したと主張していたが、第2回上陸申請当初は、
商用目的で入国しようとしており、入国審査官から入国を拒否されても直ちに難民認
定申請をしようとはせず、また、日本にいる叔父に連絡を取ろうともしなかったもの
であって、その行動は、もともと不信を抱かれても仕方のないようなものであった。
また、原告は、4月7日調査の際、出国を決めた時期につき、「1997年12月頃、漠然
と日本行きを考えていた。そこで、新旅券を取得することに決めた。」と供述する一方
で、「1998年2月初旬に、Dが逮捕され、その母親から自分も逮捕者リストに載せら
れていると聞かされ、出国し、日本での難民認定申請を決意した。」と述べる(乙28)
など、矛盾した供述をしていた上、1997年12月26日には旅券の発給を受け(乙1)、
商用を偽装し、上陸申請をするための書類(原告に対する招聘状等)も同月中には入
手していた(乙23の1ないし8)ことに照らしてみれば、来日の動機については、前
者の供述が客観的事実に合致すると認め、自分が逮捕者リストに載っていると聞いて
身の危険を感じたことが今回の来日の動機である旨の後者の供述は、事実に反するも
のであって、信用のできないものと考えざるを得なかった。
c) 本国における政治活動に関する供述の問題点
原告は、本国における政治活動について、4月6日調査の際には、「アウンサウンス
ーチーとは面会できなかった。」と話したにもかかわらず(乙27)、第2回弁護士録取
書においては、SDFのメンバーとしてアウンサウンスーチーに面会したと主張し(乙
26)、矛盾した供述をしており、法務大臣は原告の供述に信ぴょう性がないと判断し
た。また、原告は、4月7日調査において、「自分は反政府活動家としてリストアップ
されており、帰国すれば逮捕されたり処罰されたりするおそれがある。」と主張してい
たが(乙28)、仮にそうであるならば、ミャンマー当局から、旅券の取得や出入国につ
いて制限を受けるのが通常であるにもかかわらず、何ら支障なく旅券の発給を受け、
出入国しているのは不自然であり、このことのみをみても原告が難民に該当しないと
考えざるを得なかった。さらに、1996年12月のデモに際しては、いったん逮捕されな
がら2日で解放されたにもかかわらず、それから約1年後の1997年12月になって、デ
モ参加者に対する摘発が行われたとする供述(乙26)も不自然であり、原告への迫害
の危険の存在の理由となるものとは考えられなかった。
d) ロヒンギャ族としての受けた迫害について
また、原告は、ロヒンギャ族に属していることを理由に迫害を受けたとも主張して
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いたのであるが、民族に対する迫害の事実を裏付けるに足りる事実を見出すことはで
きなかった上、原告は、高等教育進学率が5パーセント程度にすぎないミャンマーに
おいて(乙35)、大学に進学するなどむしろ恵まれた境遇にいたことがうかがわれ、原
告個人に対し、ロヒンギャ民族としての迫害が行われた事実も認められないものと判
断をせざるを得なかった。
e) 以上のとおりであって、本件不認定処分当時の資料に基づき、合理的な判断をする
限り、難民であると主張する原告の供述は信用することができないものといわざるを
得なかったのであり、その判断に職務上の法的義務違反や過失が認められないことは
明らかである。原告は、「上記の各疑問点は、原告に釈明の機会を与え、弁解を求めれ
ば直ちに氷解する程度のものにすぎない。」と主張するが、難民調査官は、原告の弁解
も踏まえた上で、不自然な供述と判断し、あるいは、客観的事実に反する供述であっ
て、釈明を求めるまでもないと判断したものであるから、上記主張は失当である。
イ 本件認定処分の根拠について
原告は、「法務大臣は、本件不認定処分以後、特段の事情変更もなく、新たな事実が判
明したこともなかったにもかかわらず、平成14年3月14日になって本件認定処分を行
っていたものであり、この事実自体が、当初の不認定処分が杜撰な調査に基づく、誤っ
たものであったことを示している。」という趣旨の主張をする。しかしながら、以下に述
べるとおり、本件処分後に判明した事実によって初めて、原告の供述の信用性が裏付け
られ、その難民該当性も肯定することができるに至ったのであるから、上記主張は失当
である。
a) 原告は、別件訴訟で実施された本人尋問において、SDFを結成した他のメンバーと
ともに、1996年12月9日、10日に参加したデモの様子を詳細に説明するとともに、ア
ウンサウンスーチーと3、4回面会したことがあるとして、その面会の様子について
も供述をした。これらの供述は、現場にいた者でなければ供述できないような具体的
かつ詳細なものである上、デモの様子に関する供述は、新聞報道等とも合致しており、
また、原告が学生による民主化運動のリーダー的存在であったことも納得させるに足
りるものであった。そして、このような具体的かつ詳細な説明は、上記本人尋問にお
いて初めて行われたものであった。
b) 原告は、上記本人尋問において、「尋問期日の約2週間前に叔父であるJの妻が来
日し、同人から、原告が出国した後、官憲がヤンゴンにある原告の叔母の家や、《地名
略》の父親宅に捜査に入り、父親は2ヶ月間ほど留置されたという話を聞いた。」とい
う趣旨の供述をした。これによって、原告が捜査対象者となっていたことにを具体的
に裏付ける事情が判明したものである。
c) 原告は、上記本人尋問において、「1998年12月になって前年12月の学生デモ参加者
に対する摘発が行われるようになったのは、ミャンマー政府が国際社会の圧力を受け
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て、閉鎖していた大学を再開せざるを得なくなったため、大学再開前に、学生活動家
を摘発し、学生運動の再燃を防ぐことを目的としていたからであろう。」という趣旨の
説明をした。この説明は、デモから参加者の摘発までの間に約1年の間があることに
ついての納得するに足りるものといえたが、このような説明は、上記本人尋問におい
て初めてされたものであった。 
d) 原告は、上記本人尋問において、「アウンサウンスーチーとの面会や、官憲に逮捕さ
れ尋問された際には、A’ 名を使用していたが、旅券の発給を求める際には、A名を使
用した。」と説明し、これによって、官憲から追及を受けていた原告が、旅券の発給を
受けることができても不自然ではないことが判明した。これに対し、4月7日調査の
際には、「反政府活動をするときはミャンマー名を用いていた。」という供述をしてい
たのであるから、本件不認定処分当時においては、原告の供述が不自然なものである
と判断したのはやむを得ないものであった。
e) 原告は、上記本人尋問において、「平成11年3月7日に在日ビルマロヒンギャ協会
に加入し、平成12年には書記長、平成13年には委員長になった。」と供述し、このよう
な活動実績は、他の客観的証拠からも裏付けることができるものであった。そして、
このような我が国における活動実績は、本国において、学生運動の指導者として活動
していても不思議ではないことを示すものと評価することができた。
ウ 適正手続違反の主張について
原告は、「原告に対する調査手続は、適正手続の要請に反するものであった。」という
趣旨の主張をしているが、適正手続の要請に反するような調査は行われておらず、その
主張は失当である。なお、原告は、「難民調査官は、自らの身分や調査の目的も、供述内
容は秘匿されることも説明せず、原告が犯罪者であるかのような高圧的な態度で尋問を
行った。」とも主張するが、これらの主張は、事実に反するものである。
 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失に関する主張について
原告は、原告が難民であるとすれば当然に在留特別許可が与えられるべきであるという前
提に立って、本件退去裁決の違法性や法務大臣の過失に関する主張をしているようである、
しかしながら、法61条の2の8は、「法務大臣は、第49条第1項の規定による異議の申出を
した者が難民の認定を受けている者であるときは、第50条第1項に規定する場合のほか、第
49条第3項の裁決に当たって、異議の申出が理由がないと認める場合でも、その者の在留を
特別に許可することができる。」と規定しているのにすぎず、難民であっても当然に在留特別
許可が与えられるものではなく、在留特別許可を付与するか否かは諸般の事情を総合考慮し
て決定されるのであって、難民であっても第三国に送還すれば何ら人道に反しない場合もあ
り得るから、そのような場合には在留特別許可を付与する必要もないこととなる。また、難
民条約等においても、難民は、希望する国に在留する権利があることまで認められているわ
けではないのであるから、上記のような規定を設けることが難民条約等に違反するものでも
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ない。したがって、原告の主張は、その前提において誤りがあり、失当というべきである。
また、法務大臣が原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであった
ことはにおいて主張したとおりであるから、原告の主張はいずれにせよ失当である。
 本件退令発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失に関する主張について
原告は、「本件退令発付処分の発令については、主任審査官の裁量権が認められる。」と主
張するが、退令発付処分は、法務大臣が、異議の申出に理由がない旨の裁定をした場合、当然
に発令されるべきき束処分であって、主任審査官には裁量の余地がないものであるから、上
記主張は、その前提において失当である。
また、原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことはに
おいて主張したとおりであるから、送還先をミャンマーとしたこともやむを得ないものであ
り、この点について違法性や過失はない。
 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港主任審査官の過失に関する主張について
法39条1項は、「入国警備官は、容疑者が第24条各号の1に該当すると疑うに足りる相当
な理由があるときは、収容令書により、その者を収容することができる。」と定めているとこ
ろ、原告は、上陸が許可されず、退去を命じられたにもかかわらず、速やかに退去しなかった
のであって、法24条5号の2に該当し、収容令書発付のための要件が満たされていたことは
明らかである。したがって、本件収容令書発付処分が違法となる余地はない。
原告は、「難民や難民申請者を収容することは難民条約31条2項に違反する。」という趣旨
の主張をするが、収容令書に基づく収容は、同項にいう「必要な制限」に当たるのであるから、
難民条約上も許容されるものであり、その主張は失当である。
また、原告が難民には当たらないと判断したことはやむを得ないものであったことはに
おいて主張したとおりであり、この点からしても、原告の主張は失当というべきである。
 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失に関する主張について
原告は、「平成10年3月29日から同年4月21日まで、上陸防止施設に収容され、身柄を拘
束された。」と主張するが、上陸防止施設は、退去命令を受けた者が、実際に退去するまでの
間とどまる仮宿泊施設とでもいうべきものであって、扉に施錠はされず、物品購入も可能な
のであるから、身柄収容施設とはいえない。したがって、原告の主張は、その前提において誤
りがあるものというべきである。
また、原告は、「第2回上陸申請当初から、難民であることを申し立てていた原告の身柄を
収容することは許されず、また、原告の申立てを一時庇護のための上陸許可申請として扱う
べきであったのに、そうしなかったことも違法である。」と主張する。しかし、難民申請をし
ていたからといって身柄の収容が許されなくなるものではないことは既に主張したとおりで
あるし、原告は、第2回上陸申請当初は難民であることを申し立てておらず、同年4月2日
になって初めてその旨を申し立てたものであるから、原告の申立てを一時庇護のための上陸
許可申請として扱わなかったのが違法であるとの主張も、その前提を欠くものである。
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 したがって、原告の主張は、いずれにせよ失当というべきである。
 損害の発生及び損害額の主張について
原告は、「本件不認定処分を受けたことにより、各種損害を被った。」という趣旨の主張を
するが、我が国の法制度における難民認定処分の効果は、難民条約上の各種保護措置との関
係でいえば、難民旅行証明書の発給を申請するための要件となる点にあるにすぎず、その他
の各種保護措置を受けるために難民認定処分が要求されるものではない。また、難民旅行証
明書は、法に基づいて適法に滞在する場合でなければ交付を受けられないものであるとこ
ろ、原告は、本件在留特別許可を受けるまで適法な在留資格を有せず、難民旅行証明書の発
給を受ける余地はなかったものである。したがって、本件不認定処分によっては、原告には
何ら損害が発生していないものというべきである。
また、原告は、身柄の拘束を受けたことや、再度身柄の拘束を受けるかも知れないとの恐
怖感を持たされることによって損害を受けたなどとも主張するが、原告の身柄の拘束は、法
に基づいて行われたものであり、それに伴う苦痛の発生は、法が予定する範囲内のものであ
って、損害との評価に値するものではないといわざるを得ない。
したがって、原告には何ら損害が生じていないものというべきであるから、原告の主張は、
この点においても失当というべきである。
2 憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償義務の有無について
1) 原告
仮に本件各処分等が適法であると認められるとしても、原告は、難民であるにもかかわらず、
本件各処分等によって、身柄の拘束を受け、我が国における活動を制限されるなど既に主張し
たとおりの損害を受けたものであって、これは、公権力の行使によって「特別な損害」を受けた
ものというべきである。そして、憲法29条3項は、直接的には、公権力の行使によって財産権
の侵害を受けた場合に損失補償を行う旨を定めた規定であるものの、侵害を受けた権利が財産
権であるか非財産権であるかによって損失補償の要否が異なるものではないのであるから、非
財産権に対する侵害に対しても、同項の類推適用によって損失補償が認められるべきものであ
る。
そして、既に主張した点に照らしてみれば、原告に生じた損失は1000万円を下回ることはな
いものというべきであるから、被告は、原告に対し、損失補償金1000万円及び遅延損害金の支
払義務がある。
2) 被告
憲法29条3項が、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができ
る。」として損失補償制度を定めているのは、適法な公権力の行使の結果として、国民に財産的
な損害が生じることが当初から予定されており、このような意図された財産的損害の発生は、
正当な補償があって初めて正当化され得ることを考慮しているからにほかならない。このよう
に、憲法29条3項に基づく損失補償制度は、財産権の公的使用制度と密接に結びついたものな
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のであって、本件のような退去強制手続によって身柄の拘束等がされる場合とは局面を異にす
ることは明らかであり、本件について同項を類推適用する余地はないものというべきである。
3 憲法40条の類推適用に基づく損失補償義務の有無について
1) 原告
憲法40条は、人身の自由という基本的人権の重要性にかんがみ、身体を拘束されて起訴され
た者が無罪判決を受けた場合、単に無罪放免するだけでは正義・公平の観念に反することを考
慮し、金銭による事後的救済を与えてその償いをすることにその趣旨がある。そして、人身の
自由の侵害に対する事後的救済が必要であることは、刑事手続の場合に限らず、原告のように
行政手続によって身体の拘束を受けた者に対しても同様にいえる事柄なのであるから、原告に
対しても、同条の類推適用に基づく損失補償が認められるべきである。
そして、上記の点に照らすと、原告に対する補償額は、刑事補償法4条を類推適用して定め
るのが相当であるから、原告が違法な収容を受けた平成10年4月3日から仮放免によって身柄
を解放された平成11年3月4日までの336日に、1日当たり1万2500円を乗じた420万円が相
当である。
したがって、被告は、原告に対し、損失補償金420万円及び遅延損害金の支払義務がある。
2) 被告
憲法40条は、あくまでも刑事手続において「抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたと
き」に補償をする旨を定めているのであるところ、本件のような退去強制手続における身柄の
拘束は、刑事手続とは全く性質を異にするものというべきである。したがって、本件において
憲法40条の類推適用が認められる余地はなく、原告の主張はその前提において失当である。
また、仮に憲法40条の類推適用が認められる余地があり得るとしても、本件における身柄拘
束は退去強制手続に基づく正当なものであって、事後的救済としての補償を要するものではな
いことは既に主張したところから明らかであるから、原告の主張はいずれにせよ失当である。

退去強制令書執行停止申立事件
平成15年(行ク)第7号
申立人:A、相手方:東京入国管理局横浜支局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・菊池章・加藤晴子)
平成15年8月8日
決定
主 文
1 相手方が平成14年12月17日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、平
成15年8月8日午後3時以降、本案事件(当庁平成15年(行ウ)第14号退去強制令書発付処分取
消等請求事件)の第一審判決の言渡しの日から起算して15日後までの間、これを停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は、これを2分し、その1を申立人の負担とし、その余を相手方の負担とする。
理 由
第1 申立ての趣旨
相手方が平成14年12月17日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、本
案事件(当庁平成15年(行ウ)第14号退去強制令書発付処分取消等請求事件)の判決確定までの
間これを停止する。
第2 申立ての理由
本件申立ての理由の要点としては、申立人は、アフガニスタン国籍を有する者で平成12年8月
に来日し、平成13年2月に難民申請をしたのに対し、法務大臣が同申請を認めず、申立人の法49
条1項の異議の申出に対して、在留特別許可を認めずに同異議の申出に理由はない旨の裁決(以
下「本件裁決」という。)をしたことにつき、法務大臣の判断には明白な裁量権の逸脱ないし濫用
があって違法であり、これを前提とする申立人に対する退去強制令書発付処分(以下「本件退令
発付処分」という。)は違法なものである上、本件退令発付処分は、難民を迫害のおそれのある国
に送還することを禁じた難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)33条(ノン・ルフ
ールマン原則)に違反する点、拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は
刑罰に関する条約(以下「拷問等禁止条約」という。)1条1項が定義する「拷問」の行われるおそ
れがあると信ずるに足りる実質的な根拠がある他の国への追放、送還又は引渡しに該当し、同条
約3条1項に違反する点で違法であり、さらに相手方独自の裁量権についても警察比例の原則に
反する逸脱濫用があり、違法なものであって、本件退令発付処分は取り消されるべきであるから、
本件は「本案について理由がないとみえるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に当たらず、申立人
には本件退令の収容部分及び送還部分のいずれについても回復困難な損害を避けるために執行停
止を求める緊急の必要性が認められるというものである。
- 2 -
第3 当裁判所の判断
1 退去強制令書発付処分と行政事件訴訟法25条2項及び3項所定の要件
 行政事件訴訟法25条2項の「回復の困難な損害」とは、処分を受けることによって生ずる損
害が、原状回復又は金銭賠償が不能であるとき、若しくは金銭賠償が一応可能であっても、損
害の性質、態様にかんがみ、損害がなかった原状を回復させることは社会通念上容易でないと
認められる場合をいう。
そして、この「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」との要件は、一般に執
行停止の必要性の大小を判断するための要件であるといわれるところ、この必要性の判断を行
うに当たっては、民事保全手続における保全の必要性と本案の疎明の程度の関係と同様、当該
処分が違法である蓋然性の程度との相関関係を考慮するのが相当である。すなわち、発生の予
想される損害が重大で回復可能性がない場合には、同条3項に定める「本案について理由がな
いとみえるとき」との消極要件該当性は相当厳格に判断すべきであるのに対し、損害が比較的
軽微で回復可能性もないとはいえないときは、上記の消極要件該当性は比較的緩やかに判断す
るのが相当である。
 このような観点から、外国人に対する退去強制令書発付処分の執行停止における執行停止の
必要性について検討するに、まず、同処分中の送還部分については、これが執行されると、申立
人の意思に反して申立人を送還する点で、そのこと自体が申立人にとって重大な損害となり、
仮に申立人が本案事件において勝訴判決を得ても、その送還前に置かれていた原状を回復する
制度的な保障はないことに加え、申立人自身が法廷において尋問に応ずることが不可能となっ
て立証活動に著しい支障を来し、訴訟代理人との間で訴訟追行のための十分な打合せができな
くなるなど、申立人が本案事件の訴訟を追行することが著しく困難になり、遂には違法な処分
を是正する機会すら奪われる可能性も高いことを考慮すれば、この部分については、行政事件
訴訟法25条3項にいう「本案について理由がないとみえるとき」との消極要件該当性を相当厳
格に判断するのが相当であり、申立人の主張がそれ自体失当であるような例外的な場合を除
き、この消極要件を具備しないものとするのが相当である。
次に、退去強制令書発付処分中の収容部分についてみると、その執行により申立人が受ける
損害としては、通常、収容によってそれまで行っていた社会的活動の停止を余儀なくされるこ
とや心身に異常を来すおそれのあることが挙げられるが、それら以上に、身柄拘束自体が個人
の生命を奪うことに次ぐ重大な侵害であって、人格の尊厳に対する重大な損害をもたらすもの
であって、原状回復はもとより、その損害を金銭によって償うことは社会通念上容易でないこ
とに十分留意する必要がある(従来、この点については、ややもすると十分な考慮がされず、安
易に金銭賠償によって回復可能なものとの考え方もないではなかったが、そのような考え方は
個人の人格の尊厳を基調とする日本国憲法の理念に反するものというほかない。)。これらによ
ると、収容部分の執行によって生ずる損害も相当に重大かつ回復困難なものであるが、送還部
分の執行が停止されるならば、訴訟の進行自体への影響は比較的少なく、違法な処分を是正す
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る機会まで奪われる事態は生じないことを考慮すると、送還部分の執行によって生ずる損害よ
りは軽微なものといわざるを得ない。したがって、この部分の執行停止の可否を判断するに当
たっては、「本案について理由がないとみえるとき」との消極要件該当性をそれほど厳密に判断
する必要はなく、通常どおり、本案について申立人が主張する事情が法律上ないとみえ、又は
事実上の点について疎明がないときと解すれば足りるのである。
 上記のように解すると、送還部分のみならず収容部分についても執行停止がされることが多
くなり、後に本案において申立人の敗訴が確定したとしても、それまでの間に、申立人が逃亡
して退去強制令書の執行が困難となったり、申立人が違法な活動をするおそれが生ずるとの危
惧が生じないでもない。
しかし、そのような点、すなわち、収容部分の執行停止の申立てについて判断する時点にお
いて、申立人の身元が不確かであるから逃亡のおそれがあり、将来の退去強制が困難となると
認められる場合には、そのこと自体が我が国の公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある
との消極要件に該当すると認められるし、申立人のそれまでの行状等からして、収容しなけれ
ば違法な活動を行うおそれがあり、それが我が国の公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが
あると認められる場合にも、同様に当該申立てについては、消極要件に該当するものとして却
下することができるものである。
2 本件における執行停止の要件の有無
 執行停止の必要性(行政事件訴訟法25条2項)
本件処分によって申立人が受ける損害については、少なくとも上記1で説示した退去強制
令書発付処分によって一般的に生ずる損害はすべて生ずることが明らかであるから、送還部分
のみならず収容部分についても執行停止の必要性があると認められる。
さらに、各疎明資料(疎甲99、100の1・2、101、104ないし106、疎乙3の1ないし4)によ
れば、申立人は、収容されて以降、胃痛、両膝痛、腰痛、不眠、歯痛、便秘、足首痛等を訴えて、
計30回近くにわたる庁内診療及び複数回の外部診療を受け、処方薬の処方を受けていること、
少なくとも両膝変形性関節症、腰部椎間板ヘルニア及び心臓神経症、心因反応(身体化障害の
疑い)と診断された上、狭心症についても疑われていることが認められる。これらの点に関し、
相手方は、収容により病状が悪化し、生命の危険が生じるような状態は考えられず、収容を継
続することに特段の問題はない旨を主張するが、申立人は、腰部椎間板ヘルニアによる痛みや、
心臓の痛みは収容後に悪化したものと述べていること、池田病院伊藤医師は、心因反応につい
て、専門医による診断が有益である旨を述べ(疎乙3の4)、港町診療所の山村医師は、上記各
症状が、収容によるストレスが原因となっており、収容後悪化している旨を述べていること(疎
甲104、105)が認められる。そうすると、申立人について、仮に申立人の収容をこのまま継続
したとすれば、心身の異常が固定化されるなど回復し得ない結果となることも考えられるので
あり、申立人の収容を解く必要性も高いものといわざるを得ない。
 本件退令の送還部分について「本案について理由がないとみえるとき」に該当するか否か
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ア 申立人は、本案事件において、本件処分の取消しを求める理由の一つとして、本件退令に
おいて送還先をアフガニスタンとしたことが難民を迫害のおそれのある国に送還することを
禁じた難民条約33条1項、法53条3項のノン・ルフールマン原則に違反している旨主張し
て本件処分の取消しを求めている。したがって、申立人が難民であると認められる場合には、
本件退令において難民である申立人の送還先を迫害のおそれのあるアフガニスタンとした点
でノン・ルフールマン原則違反があることとなり、少なくとも本件処分の送還部分が違法と
なり得るものであるから、まず、申立人の難民該当性について検討する。
イ 疎明質料(疎甲1ないし94、枝番を含む。)及び本案事件の証拠(乙5ないし29、31、32、
43ないし51)によれば、申立人の出身国であるアフガニスタンの情勢及び申立人につき、次
の事実が一応認められる。
ア アフガニスタンにおいては、現在の最大規模の民族であるパシュトゥーン人と、1800年
代まで自国を有していたハザラ人との間で民族的対立があったほか、パシュトゥーン人と
他の少数民族との対立、タジク人とハザラ人との対立などの少数民族間の対立や、イスラ
ム教スンニ派とイスラム教シーア派との対立も重なって、根深い対立が続いている。
イ 昭和54年(1979年)12月、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、ソ連の支援下で共産主義
のカルマル政権が成立したが、イスラム原理主義を中心とするムジャヒディーン(イスラ
ム聖戦士達)がソ連及びカルマル政権に対する抵抗運動を開始し、以後、内戦状態となっ
た。昭和61年(1986年)5月には、カルマルからナジプラへと政権が引き継がれたが、平
成元年(1989年)2月にソ連軍が撤退し、平成4年(1992年)4月にはナジブラ政権は崩
壊して、ムジャヒディーン各派による連立政権が成立したものの、各派間での主導権争い
などにより内戦が激化した。
ウ 平成5年(1993年)2月には、当時のアフガニスタン政権における大統領であったグル
バディン・ラバニとその指示を受けたアーマド・シャー・マスード(以下「マスード将軍」
という。)に率いられたタジク人イスラム教スンニ派のグループであるイスラム協会と、ア
ブドゥル・ラスル・サヤフ(以下「サヤフ」という。)の率いるアフガニスタン解放イスラ
ム同盟が、カブール西部を急襲してハザラ人を多数殺害した。
平成7年(1995年)3月には、マスード将軍の率いるイスラム協会のグループが、ハザ
ラ人や他党派の居住する区域を占拠し強奪などを行った。
エ 平成8年(1996年)9月末、南部より勢力を拡大したイスラム原理主義の新興勢力タリ
バンが首都カブールを制圧して暫定政権の樹立を宣言し、以後、タリバンに反抗するムジ
ャヒディーン各派のイスラム協会(マスード将軍などスンニ派のタジク人指導者や有力者
を主体としている。)、アフガニスタン・イスラム統一党(ハザラ人に支持されるシーア派
のグループ。)、アフガニスタン国民イスラム運動(ウズベク人を主体とする。)及びアフガ
ニスタン解放イスラム同盟(サヤフが率いている。)の四大勢力の統一戦線とタリバンとの
内戦が続いた。
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統一戦線は、タリバンによりカブールを追われた政府であるアフガニスタン・イスラム
国(以下「旧政府」という。)を支持しており、旧政府の最高指導者であるグルバディン・
ラバニが統一戦線の形式上の指導者とされていた。タリバンは、平成13年10月ころには国
土の9割を掌握しており、アフガニスタンを実質的に支配していた。タリバンは、パシュ
トゥーン人を主体としており、宗教としてはイスラム教スンニ派を信仰する者が多かった
ことから、人種又は宗教等を理由として、少数民族であるハザラ人、タジク人、ウズベク人
などを迫害し、特に、ハザラ人の多くがイスラム教シーア派であることから、ハザラ人に
対しては、組織的な殺害を含む迫害を加えていた。
オ しかし、米国におけるいわゆる同時多発テロを契機とした米英軍の空爆と統一戦線によ
る攻撃により、平成13年12月には、タリバンは統治機能を喪失した。そして、同月22日に
は、アフガニスタン暫定政権が発足し、我が国は同月20日、同月22日付けで同政権を承認
した。同暫定政権は、パシュトゥーン人のハミド・カルザイ元外務次官を首相に相当する
議長とし、合計30人の閣僚で構成され、うち11人がパシュトゥーン人、8人がタジク人、
5人がハザラ人、3人がウズベク人、その他が3人であった。
カ 暫定政権成立後のアフガニスタンについては、パキスタン等の隣国に逃れていた避難民
の大量帰国を報じる新聞報道もある一方で、治安の悪化を懸念する報道もされており、さ
らには、暫定政権の成立に向けた交渉過程で、ラバニ元大統領派のタジク人が政権の要職
を占めつつあったことに対して、ウズベク人の指導者であるドスタム将軍やクルド人の指
導者であるイスマイル・カーン司令官が暫定行政機構への参加を一時見送ろうとしたこと
や、暫定行政機構の中心となっているパシュトゥーン人については、以前にあった部族有
力者らの腐敗と権力闘争が再燃するおそれがあることなどから、暫定行政機構には全土統
一を達成できるだけの軍事力もなく、カリスマもイデオロギーもないとして、タリバンに
よる政権掌握前の内戦状態に後戻りすることを危慎する報道もされていた。
キ 平成14年6月には、アフガニスタンの最高意思決定機関である緊急ロヤ・ジルガ(国民
大会議)が、国家元首となる移行政権の長に暫定政権のカルザイ議長を選出し、同月19日、
カルザイ議長が大統領に就任した。同移行政権には、イスラム統一党の指導者であるカリ
ム・ハリリ氏が副大統領に氏名されたほか、ハザラ人の閣僚が5名選出された。しかしな
がら、同年9月には、タリバンの元有力司令官の甥によるカルザイ大統領の暗殺未遂事件
が発生するなどタリバン自体が完全に勢力を失ったとはいい難い状態にある上、申立人が
来日前に居住していたヘラート州では、タジク人のイスマイル・カーン州知事が軍閥化し
て中央政府とは独自の統治を行い、パシュトゥーン人もまた武装して同知事配下の部隊と
小競合を続けている状態にあるほか、本件退令発付処分の直前である同年11月30日から
12月1日にかけては、ヘラート州南隣のファラー州のシンダンド空軍基地周辺で、イスマ
イル・カーン率いるタジク人部隊と、パシュトゥーン人居住地域を拠点とするアマヌラ・
カーン率いる部隊が衝突し、13名が死亡する等、移行政権成立後においても、アフガニス
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タンの治安を揺るがす事件が頻繁に発生している。
ク 申立人は、《日付略》にアフガニスタンの《地名略》で生まれたハザラ人男性で、信仰す
る宗教はイスラム教シーア派である。
《経歴略》
そこで、申立人は、平成13年(2001年)2月26日付けで、法務大臣に対し、難民認定申
請をしたが、法務大臣は、平成14年(2002年)3月28日、難民不認定処分をした上、異議
の申出に対し、同年12月4日付けで理由がない旨の決定をした。
ケ 申立人は、平成13年11月16日、東京入管横浜支局において、在留期間更新申請をしたが、
平成14年5月9日、東京入管局長は、これを不許可としたため、申立人は、同日以後不法
残留となった。
ウア 以上の事実に対し、相手方は、タリバン崩壊後のハザラ人の状況について、アフガニス
タン移行政権には、ハザラ人閣僚も選出されていること、カブール市内、ガズニ市内及び
ガズニー州のジャゴリにおいて、ハザラ人に民族的問題はないとする旨の報告書が存在す
ることや、本邦に在留していたハザラ人の中にも本国が安全になったとして帰国する者も
いること等を指摘して、本件処分時には、アフガニスタンにおいてハザラ人に対する迫害
は存在しなかったことを主張する。
しかしながら、現に帰国したハザラ人の本国における地位や出身地は全く不明であるか
ら、その者らの事例を本件に軽々に当てはめることはできないし、前記認定事実によれば、
申立人については、タリバン政権崩壊前において、人種・宗教により迫害を受けるおそれ
があるという十分に理由のある恐怖を有していたものと一応認められるものというべきで
あるから、その後の本件処分時において難民該当性が認められないというためには、上記
のような恐怖が完全に払拭できると認めるに足る変化が生じた事実が認められることが必
要であると解される。そして、相手方提出の疎明資料の中には、相手方の主張に沿うよう
な資料も見受けられるものの、アフガニスタンにおいては、移行政権成立後においても、
移行政権を構成する民族及び宗派のグループがタリバン政権時以前から歴史的に対立抗争
を繰り返していたことなどから、今後の政権の安定及び治安にはいまだ大きな不安がある
というべきであり、前記認定事実の中にも、実際に民族間及び同一民族間で戦闘が繰り広
げられた事実が認められるところである。そして、特に、ハザラ人については、国内で多数
を占めるパシュトゥーン人からもタジク人からも追害されてきた歴史があるところ、申立
人の自宅のあるヘラート州では現在でもタジク人とパシュトゥーン人がともに武装して争
っていて中央政府の統治が十分に及んでいないことにかんがみると、ハザラ人でありイス
ラム教シーア派を信仰する申立人については、本件処分時においても、人種、宗教により
迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を完全に払拭できたと断定し得る
か否かについては、現在の疎明資料からは不明というほかない。
イ また、相手方は、申立人がワハダット党への多額の寄付の事実を退去強制手続において
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何ら供述していなかったことや、申立人のタリバン政権崩壊後においてもシーア派ハザラ
人が迫害を受けるおそれがあることに関する供述は具体性に欠けること等を指摘して、申
立人の主張は、いずれも迫害を受けるおそれを基礎付けるものとはいえないと指摘する。
しかし、一般に難民は、身体的又は精神的に強度のショックを受けていることが多いこ
とから、苦痛の原因となった出来事を話すことによる感情の再体験に強いためらいを感じ
ることや意識的か無意識的かを問わず、過去の特定の出来事しか思い出せないことも多
く、また、日付や場所、距離、事件や重大な個人的体験までも混乱することがあると認めら
れ、体験すべてを正確に記憶していたり、表現したりしなければ信憑性がないと断ずるこ
とはできない。また、本件においては、申立人の入国警備官に対する事情聴取が、通訳人を
介することなく日本語で行われていることが認められること(本案事件の乙8、9の1、
11)、申立人のような立場の者が、取調官に対して信頼感を抱くことは容易でないことな
どにかんがみれば、申立人の退令手続段階の供述や難民認定手続段階の供述に具体性が欠
ける点があり、あるいは、申立人の信頼を受けた代理人が十分な時間をかけて事情聴取を
したことにより新たな事案が判明したとしても何ら不自然ともいえない。
ウ さらに、相手方は、申立人が、本邦内で有限会社を設立し、当時申立人が有していた在留
資格である「短期滞在」で許可される範囲外の活動をしていたことを指摘し、申立人は、資
格外活動を続けた挙げ句に、不法残留した者にすぎない旨を主張する。しかしながら、申
立人が、仮に本邦において積極的に資格外活動を行っていたとしても、その一事をもって、
申立人の難民該当性を否定する事実ということはできないし、申立人自身、難民該当性が
生じる以前から本邦内において中古車部品の買い付けを行っていたこと自体は認めている
こと、難民認定申請を行ったのは、不許可とされた在留期間更新申請をするよりも以前で
あることに照らせば、仮に積極的な資格外活動の事実が認められるとしても、そのことに
よって申立人の難民該当性に疑問が生ずるものとは断じ得ないというべきである。
エ よって、本件処分が、本件退令において申立人の送還先をアフガニスタンとした点で、難
民を迫害のおそれのある国に送還することを禁じた難民条約33条1項、法53条3項のノン・
ルフールマン原則に違反し取り消されるべきである旨の申立人の主張については、直ちに失
当のものであるということができないのはもちろんのこと、申立人の主張するその余の違法
事由の当否は別にしても、本件処分の取消しを求める請求が第一審における本案審理を経る
余地がないほどに理由がないということはできない。確かに、相手方が申立人の難民該当性
について指摘した各点は、十分に検討すべき事項ではあるが、その指摘によっても現段階に
おいて本案に理由がないと断ずることまでは困難であり、むしろ、それらの点を含めて本案
訴訟において十分に解明すべきであって、現段階においては、本件申立てが、「本案について
理由がないとみえるとき」に該当すると認めることはできない。
 本件退令の収容部分について「本案について理由がないとみえるとき」に該当するか否か
ア 申立人が難民に該当し、申立人の送還先をアフガニスタンとした点でノン・ルフールマン
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原則に違反するとしても、これにより取り消されるべき範囲は、本件退令のうち送還先を指
定した部分にとどまり、本件退令の収容部分については別途その適法性を考慮しなければな
らないとの解釈もあり得ないではない。
そこで、以下において、本件退令の収容部分の適法性について別途検討する。
イ 難民条約は、31条2項において、締約国は、同条1項の規定に該当する難民(その生命又
は自由が同条約1条の意味において脅威にさらされていた領域から直接来た難民であって許
可なく当該締約国の領域に入国し又は許可なく当該締約国の領域内にいる者)の移動に対し
必要な制限以外の制限を課してはならない旨規定するところ、同項は、難民が正規の手続・
方法で入国することが困難である場合が多いことにかんがみ、対象者が不法入国や不法滞在
であることを前提としてなお、移動の制限を原則として禁じているのであるから、難民に該
当する可能性があるものについて、不法入国や不法滞在に該当すると疑うに足りる相当な理
由があることのみをもって、退去強制令書を発付して収容を行い、その移動を制限すること
は、難民条約31条2項に違反するといわざるを得ない。そして、難民条約が国内法的効力を
有することにかんがみれば、主任審査官は、不法入国者が難民である場合には、不法入国の
みを理由にその者の身柄を拘束することは許されないのであり、その者が有罪判決を受ける
など不法入国以外の退去強制事由が生じた場合やその者の身柄が不安定であり移動の制限を
行わなければ第三国への出国まで難民としての在留状況の把握が困難になる等移動の制限が
必要な特段の事情がある場合にはじめて退去強制令書の発付が可能となるのであって、論理
的には難民該当性の判断を退去強制令書発付の判断に先行させる必要があるというべきであ
る。このような解釈を前提とすると、主任審査官としては、実務的には、退去強制令書の発付
を行うに際して、法所定の要件に加え、対象者が難民に該当する可能性を検討し、その可能
性がある場合においては、同人が難民に該当する蓋然性の程度や同人に対し移動の制限を加
えることが難民条約31条2項に照らし必要なものといえるか否かを検討する必要が生ずる。
このように移動制限の必要性を難民該当性の蓋然性との比較において検討するとの運用を行
う限りにおいては、難民に該当する可能性が否定し得ない限り一切退去強制手続における収
容ができないというような硬直的な運用を避けつつ、収容の必要性を具体的に検討した上で
退去強制令書の発付とその収容部分の執行をすべきこととなり、まさに難民条約の要請する
ところに合致する運用が可能となるというべきである。
ウ そこで、本件では、申立人は難民としての保護を受けるべき地位にあると一応認められる
ところ、本件退令の発付に当たって、その執行が、難民条約31条2項所定の必要な移動の制
限といえるかについて検討する必要がある。また、収容部分のように、相手方の自由を制限
する処分については、たとえ処分要件が満たされていても、処分権限を発動するか否かにつ
いては処分庁の裁量に委ねられており、当該処分によって相手方の受ける不利益と当該処分
をしないことによって生ずる公益への影響を勘案し、前者を避けるためには後者を甘受する
こともやむを得ないと認められる場合には、当該処分を行うべきではないと考えられるか
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ら、この観点からも、申立人の収容の必要性については慎重な検討が必要と解される。
本件においては、本案事件の証拠(乙8、9の1、11)によれば、申立人は、収容令書により
収容される前において、任意同行を求められてこれに応じ、あるいは、入国管理局からの呼
び出しに応じて出頭していることが認められる。また、疎明資料(疎甲97、103、106)によ
ると、申立人が代表取締役を務める前記aに、従業員として約3年間勤務しているCが、申
立人の収容後も週に2、3回程度面会に訪れた上、申立人が収容を解かれた際には、自宅に
引き取り面倒を見ることについて誓約しているほか、申立人の代理人弁護士も、申立人の監
督を誓約していることが認められる。そうすると、申立人については、逃亡のおそれがある
ものとも解し難いから、収容の必要性が高いものということはできない。
エ 以上によると、本件退令の収容部分については、送還部分とは別の理由で、難民条約31条
2項に反する違法なものとなる可能性が十分存し、また、警察比例の原則の観点からも疑問
があるものというべきであるから、行政事件訴訟法25条3項の「本案について理由がないと
みえるとき」には該当しない。
 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に該当す
るかどうかについて
相手方は、退去強制令書の収容部分の執行停止につき、退去強制令書の発付された外国人に
対して、収容部分の執行を停止することになれば、適法に入国・在留している外国人ですら、
法により在留資格及び在留期間の点で管理を受け、法54条が定める仮放免についても、保証金
の納付等の相当程度の制約が存するのに比し、違法に在留する外国人についてはそのような規
制を受けることがなく、全く放任状態のまま司法機関によって公認された形で在留させる結果
となるが、このことは、裁判所が退去強制処分に積極的に干渉して、仮の地位を定める結果を
招来し、行政事件訴訟法44条の趣旨に反し三権分立の建前にも反するばかりか、法の定める外
国人管理の基本的支柱たる在留資格制度(法19条1項)を著しく混乱させるものであるし、仮
放免における保証金納付等に対応する措置を採り得ないことから、逃亡防止を担保する一切の
手段がないままに逃亡により退去強制令書の執行を不能にする事態が出現することも十分に予
想されるところであり、かかる在留形態の存在は、在留資格制度を根幹として在留外国人の処
遇を行っている法上からは到底容認し得ないもので、出入国管理に関する法体系を著しく乱す
こととなるものといわざるを得ない旨主張し、また、送還部分の執行停止については、本案訴
訟の係属している期間中、申立人のような法違反者の送還を長期にわたって不可能にすること
になり、出入国管理行政の長期間停滞をもたらすことになる旨主張し、このような事態を招く
退去強制令書の執行の停止は、本件と同様に在留期間を経過して不法に残留し、退去強制処分
に付されるやこれを免れるために訴えを起こすという濫訴を誘発し助長するものであるから、
公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあると主張する。
しかし、本件執行停止の可否は、前記説示のとおり、行政事件訴訟法25条所定の要件の存在
を判断した上でされるものであり、同条2項によって執行停止の申立てを却下するためには、
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当該処分の執行を停止することにより公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあることが具
体的に認められなければならないところ、相手方が主張するところは、いずれも退去強制令書
の執行停止による一般的な影響をいうものであって具体性がなく、主張自体失当であって、本
件において、本件退去強制令書に基づく執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすお
それがあるとの事情をうかがわせる疎明はない(なお、申立人について、逃亡のおそれがある
ものということもできないことは、前記のとおりである。)。
また、難民条約31条2項は、不法滞在している難民についても、締約国は当該難民に第三国
への入国許可を得るために妥当と認められる期間の猶予及びこのために必要なすべての便宜を
与えることとしているが、我が国においては、このような不法滞在している難民が第三国へ出
国するまでの間、当該難民に生活上の支援を与える旨の法制度は整備されていないのであるか
ら、当該難民は第三国に出国し得る状況となるまでの間自ら生計を立てるために活動せざるを
得ない立場に置かれているのであり、このような観点からすると、申立人が難民としての保護
を受けるべき地位にあると一応認められる以上、本件執行停止決定により、在留活動を許容す
る仮の地位を与えるのと異ならない状態が生ずることもやむを得ないことというべきである。
3 結論
よって、本件申立ては、主文第1項記載の限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分
は理由がないからこれを却下することとし、申立費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民
事訴訟法61条、64条本文を適用して、主文のとおり決定する。

損害賠償請求控訴事件
平成15年(ネ)第581号(原審:東京地方裁判所平成10年(ワ)第3147号)
控訴人:国、被控訴人:A
東京高等裁判所第17民事部(裁判官:秋山壽延・堀内明・志田博文)
平成15年8月27日
判決
主 文
1 原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。
2 上記取消しに係る被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求める裁判
1 控訴人
主文と同旨
2 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第2 事案の概要等
事案の概要は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」中の「第2 事案の概要」
の1、2、3の、、4の、に記載のとおりであり、証拠関係は、本件記録中の証拠目録記
載のとおりであるから、これらを引用する。
(控訴人の補足的主張)
1 国家賠償法1条1項にいう「違法」とは、権利ないし法益の侵害があることを前提とし、公権力
の行使が、当該公務員の職務上の法的義務(公権力の行使に当たって遵守すべき行為規範)に反
することを意味し、したがって、当該公権力の行使が国家賠償法上違法であるか否かは、権利な
いし法的利益を侵害された当該個別国民に対する関係において、その損害につき国又は公共団体
に賠償責任を負わせるのが妥当かどうかという観点から、行為規範(職務上の法的義務)違背が
あるか否かにより判断されるべきものである。しかるところ、以下のとおり、本件における被控
訴人には国家賠償法上保護の対象となる権利ないし利益が存在せず、また、東京入管局長の本件
処遇については公務員の職務上の法的義務違反も存在しない。
 国家賠償法上保護の対象となる権利ないし利益の不存在
国際慣習法上、国家が、どのような外国人を受け入れるか、逆に、どのような外国人を好まし
くないものとして排除するか、また、外国人を排除する場合にどのような手続によるか等につ
いては、主権国家の自由裁量にゆだねられている。こうした国際慣習法を受けて、我が国にお
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いては、被収容者の処遇に関し、入管法61条の7第1項において、被収容者の権利・利益に配
慮した適正な処遇を図るとの観点から、「入国者収容所又は収容場に収容されている者(以下
「被収容者」という。)には、入国者収容所又は収容場の保安上支障がない範囲内においてでき
る限りの自由が与えられなければならない。」と規定して被収容者の処遇に関する基本原則を
定め、さらに、同第6項を受けて被収容者処遇規則が定められている。そして、被収容者処遇規
則28条は、被収容者の運動に関し、「所長等は、被収容者に毎日戸外の適当な場所で運動する機
会を与えなければならない。ただし、荒天のとき又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障が
あると認めるときは、この限りでない。」と規定しており、同条は、被収容者に戸外運動の機会
を与えなければならない旨を定めているが、これは入管法61条の7第1項において被収容者に
は収容施設における保安上支障のない範囲内においてできる限りの自由を与えなければならな
いと定めているとともに、併せて、戸外運動が被収容者の健康保持に資するものであることを
考慮し、被収容者に戸外運動の機会を与えることを通じて、上記のような被収容者の権利ない
し利益を保障しようとしたものである。これを被収容者の権利ないし利益との関係でいえば、
被収容者処遇規則28条は、被収容者が戸外運動の機会を付与されることそのものを権利ないし
利益として保障したものではなく、収容施設の保安上支障のない範囲内において、被収容者の
健康保持に対する配慮を含めて、できる限りの自由が与えられることを保障したものである。
以上のような入管法61条の7及び被収容者処遇規則28条の趣旨からすると、被収容者の戸外
運動の機会の付与そのものが、国家賠償法上保護されているものとは解されないから、被収容
者に戸外運動の機会自体が与えられない処遇が国家賠償法1条1項の違法性を帯びるものでは
ない。
 国家賠償法上の違法の前提となる公務員の職務上の法的義務違反の不存在
入管法61条の7第1項における「保安上支障」とは、被収容者の身柄を平穏裡に確保する上
で不可欠の収容所等内の規律及び秩序を害し、又は害するおそれのある場合をいうものと解さ
れるところ、本件収容場には戸外運動場がなく、当時の同庁舎の物的設備及び人的体制の実情
にかんがみると、被収容者の逃亡の阻止に万全を期し難いなど、保安上の支障がない状態で被
収容者に戸外運動をさせることは事実上不可能であった。したがって、本件収容場において被
収容者に戸外運動を実施したとすれば、被収容者が逃亡するおそれが極めて高く、収容場の規
律及び秩序を維持する上で重大な支障が生ずるとして、被収容者に戸外運動の機会を与えなか
ったことについては、やむを得ない理由があったのであるから、「保安上支障」があるとした東
京入管局長の判断には合理性があり、入管法61条の7第1項及び被収容者処遇規則28条に反
しない。なお、保安上の配慮がなされた戸外運動場が存在しない東京入管第二庁舎が収容場と
されていたことについては、退去強制手続に係る入管法違反事件の急激な増加等やむを得ない
事情があったものであり、かつ、これを解消するとともに収容場における処遇環境の向上を図
るために相当の努力がなされてきたものであって、あえて戸外運動場のない収容施設を設置、
運用していたものではなく、合理的な設置、運用が行われていたものである。そして、本件収容
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場においては、被収容者の健康保持に対する配慮を含め、被収容者に保安上支障のない範囲に
おいてできる限りの自由を与える運用がなされていたこと、また、本件においては東京入管第
二庁舎を収容場所とすることに合理性があったことなどからすると、東京入管においては、収
容場の保安上支障のない範囲内において、被収容者の健康保持に対する配慮を含めて、できる
限りの自由を与えていたことが明らかであって、現実に被控訴人においても具体的に健康状態
が悪化した等の事情が認められないことも考慮すれば、被控訴人に対する処遇について国家賠
償法上「違法」と評価されることがないことは明らかである。
2 仮に、本件処遇に何らかの違法が存したとしても、国家賠償法上てん補されるべき損害があっ
たといえるためには、単に処遇に行政法規上の違法性があっただけでは足りず、健康状態の悪化
等の具体的な法益の侵害が必要というべきである。本件における証拠関係によれば、本件収容中
に被控訴人に健康上の変化が何ら生じていないなど、被控訴人には何らの具体的損害が生じてい
ない。
したがって、被控訴人には国家賠償法上賠償されるべき損害が存在しないことは明らかであ
る。
(控訴人の補足的主張に対する被控訴人の反論)
1 控訴人は、被収容者処遇規則28条は被収容者が戸外運動の機会を付与されることそのものを
権利ないし利益として保障したものではなく、収容施設の保安上支障のない範囲内において、
被収容者の健康保持に対する配慮を含めて、できる限りの自由が与えられることを保障したも
のである旨主張するが、このような解釈は文理上無理がある(控訴人の主張する程度の利益を
保障するのであれば、例えば「入国者収容所の所長等は、被収容者の健康保持のために、できる
限り自由を与えなくてはならない。」という一般条項を定めれば足りるはずである。)。被収容者
処遇規則28条は、戸外運動固有の機能に着目して、その機会を与えることを保障するために特
別に設けられた規定とみるほかはなく、控訴人の主張するような解釈は到底採り得ない。そも
そも、運動をする権利ないし利益は、被収容者処遇規則28条により創設的に認められるもので
はない。被収容者は、収容によって身体移動の自由を制限されることになるが、その制限は必
要最小限でなくてはならない。収容されたからといって、その者の人権を完全にはく奪するこ
とが許容されるわけではなく、収容の目的に照らして制限する必要のない自由は、被収容者が
生来有する人権として、いわば「残されている」状態にある。運動する権利も、被収容者が人と
して当然に有する権利なのであり、入管法や被収容者処遇規則によって創設される権利ではな
い。収容によって身体の自由が相当程度奪われるが、これ以上被収容者から奪うことのできな
い最低限度のものとして、被収容者処遇規則28条は毎日1回の運動の機会を被収容者に留保し
たのである。
 控訴人は、入管法61条の7第1項及び被収容者処遇規則28条の「保安上必要があるとき」に
ついて、被収容者が現に収容されている収容施設の物的設備及び人的体制の状況を前提とした
上で、保安上支障があると認めるときという趣旨であるとの解釈を主張する。しかし、入管法
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61条の7第1項及び被収容者処遇規則28条は、物的設備及び人的体制が被収容者にできる限
りの自由を与えることができるように整備されていることを当然の前提としているものであっ
て、整備・充実を怠った物的設備、人的配置を前提としたものではない。したがって、収容所長
及び地方入国管理局長は、その権限の範囲においては物的設備及び人的体制についても被収容
者の自由をできる限り保障するよう措置する義務があり、このような義務が果たされているこ
とを前提として、なお個別具体的な当該被収容者の事情や収容施設の個別かつ特別な事情によ
って、逃亡のおそれがある場合が入管法61条の7第1項及び被収容者処遇規則28条の「保安上
必要があるとき」であると解される。しかるところ、控訴人は上記のような事情は何ら主張せ
ず、当時の看守勤務要員人数を示すのみであるから、保安上支障があったことの主張としては
失当である。
2 戸外運動の機会を保障された収容とその機会が奪われた収容とでは被収容者にとってストレス
に差があることは明らかであり、その差は違法行為による損害である。また、精神的肉体的健康
保持の上で不可欠な営みを奪われたことは、自己の健康について不安感を生じさせることは明ら
かであり、この精神的苦痛は損害である。
第3 当裁判所の判断
1 当裁判所は、本件控訴に係る部分についての被控訴人の請求(本件収容中に東京入管が被控訴
人に対して戸外運動の機会を与えなかったことを違法として損害賠償を請求する部分)はいずれ
も理由がないものと考えるが、その理由は、次のとおり付け加えるほか、原判決「事実及び理由」
中の「第3 争点に対する判断」の1、9の、に記載のとおりであるから、これを引用する。
2 原判決書27頁17行目の「甲」の次に「29の1、」を加え、29頁9行目の冒頭から31頁10行目の
末尾までを次のとおり改める。
「イ 被収容者処遇規則28条は、上記のとおり被収容者に戸外運動の機会を与えなければなら
ない旨を定めているが、これは入管法61条の7第1項において被収容者には収容施設における保
安上支障のない範囲内においてできる限りの自由を与えなければならないと定めていることを受
けて、戸外運動が被収容者の健康保持に資するものであることを考慮し、被収容者に戸外運動の
機会を与えるべきことをより具体的に定めたものと解される。しかしながら、被収容者に戸外運
動の機会を与えなければならないとの要請も絶対的なものではなく、同条においては、所長等が
「荒天のとき又は収容所等の保安上若しくは衛生上支障があると認めるとき」はこの限りではな
いものと定めている。
ウ これを本件についてみてみると、前記認定のとおり本件収容場には屋外運動場の設備がな
いため、被収容者の逃亡防止等保安上の支障なしに被収容者に戸外運動の機会を付与することは
事実上不可能であったといわざるを得ない。そして、本件収容場が開設された経緯も、我が国に
入国、在留する外国人の激増に伴い、在留資格審査関係取扱件数が増加した(乙59の2)ほか、退
去強制手続に係る入管法違反事件が急増する(乙59の1)などの状況から、東京入管の収容場の
早急な拡充が迫られるという状況下(乙58、60の①、②)でのものであり、この間国において収
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容施設の整備・充実を怠ったものとは認められない上、東京入管は、本件収容場において戸外運
動の機会を付与することができなかったことから、被収容者には居室内でストレッチ体操等の軽
い運動をすることについては特に制限しなかったこと、居室内への採光は十分可能である上、適
宜居室窓を開けて外気を採り入れることができたこと、各居室には冷暖房が設けられて季節に応
じた空調が確保されていたほか、各居室にはテレビが設置されており、午前9時(点呼終了後)か
ら午後9時まで視聴が可能であり、居室内の飲食、喫煙についても比較的自由が認められるなど
代償措置として特別の配慮を行っていたこと、さらに、被収容者から体調の変化や体調不良等、
健康保持に関する申出がある場合には、医師又は看護士の診察を受けさせ、あるいは外部病院へ
連行することなど、被収容者の健康管理には配慮がなされていたところ、被控訴人は戸外運動の
機会が付与されなかったということで病気に罹患したり体調不良となったなどの事実がうかがわ
れないこと(以上の居室内の処遇等につき、乙46、58、61及び弁論の全趣旨)などの諸般の事情
に照らすと、被控訴人に対する収容日数が112日間に及んだなどの事実を考慮しても、被控訴人
に戸外運動の機会を付与しなかった東京入管の処遇が被収容者処遇規則28条に反する違法のも
のとまでは認められない。
なお、被拘禁者処遇最低基準規則21条違反との点については、同規則は我が国において法的拘
束力を有するものではなく、これを根拠とすることはできない。 
エ 被控訴人は、本件収容場に屋外運動場が設けられておらず、また、今日までこれが設けら
れていないのは公の営造物の設置又は管理の瑕疵に当たり、国家賠償法2条1項に違反する旨主
張する。しかし、国家賠償法2条1項のいう公の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、これが通常
有すべき安全性を欠くことをいうものであり、屋外運動場が設けられていないことは公の営造物
の設置又は管理の瑕疵とは無関係であり、被控訴人の主張は失当である。」
第4 結論
よって、本件収容中に東京入管が被控訴人に対して戸外運動の機会を与えなかったことを違法
として損害賠償を肯定した部分についての原判決は失当であり、本件控訴は理由があるから、原
判決中控訴人敗訴部分を取消し、この部分に係る被控訴人の請求をいずれも棄却することとし、
訴訟費用の負担につき民事訴訟法67条2項、61条を適用して、主文のとおり判決する。

退去強制令書執行停止申立事件
平成15年(行ク)第221号
申立人:A、相手方:東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・廣澤諭・加藤晴子)
平成15年9月17日
決定
主 文
1 相手方が平成15年7月25日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、平
成15年9月17日午後3時以降、本案事件(当庁平成15年(行ウ)第454号裁決取消等請求事件)の
第一審判決の言渡しの日から起算して15日後までの間、これを停止する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は、これを2分し、その1を申立人の負担とし、その余を相手方の負担とする。
理 由
第1 申立ての趣旨
相手方が平成15年7月25日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、本
案事件(当庁平成15年(行ウ)第454号裁決取消等請求事件)の判決確定までの間これを停止する。
第2 申立ての理由
本件甲立ての理由の要点は、申立人は、「収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動
を専ら行っていると明らかに認められる者」(出入国管理及び難民認定法(以下「法」という)24
条4号イ)に該当せず、法24条所定の退去強制事由に該当しないのに、法務大臣が申立人がした
法49条1項の異議の申し出に対して同異議の申出に理由はない旨の裁決(以下「本件裁決」とい
う。)をし、退去強制令書発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)をしたのは違法であり、
本件裁決及び本件退令発付処分は取り消されるべきであるから、本件は「本案について理由がな
いとみえるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に当たらず、申立人には本件退令発付処分による回
復困難な損害を避けるために執行停止を求める緊急の必要性があるというものである。
相手方は、本件執行停止申立は、行政事件訴訟法25条2項に定める要件のうち「回復の困難な
損害を避けるため緊急の必要があるとき」の要件を欠き、同条3項に定めるその余の要件を満た
すもので、理由がないと主張する。
第3 当裁判所の判断
1 退去強制令書発付処分と行政事件訴訟法25条2項及び3項所定の要件
 行政事件訴訟法25条2項の「回復の困難な損害」とは、処分を受けることによって生ずる損
害が、原状回復又は金銭賠償が不能であるとき、若しくは金銭賠償が一応可能であっても、損
害の性質、態様にかんがみ、損害がなかった現状を回復させることは社会通念上容易でないと
- 2 -
認められる場合をいう。
そして、この「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」との要件は、一般に執
行停止の必要性の大小を判断するための要件であるといわれるところ、この必要性の判断を行
うに当たっては、民事保全手続における保全の必要性と本案の疎明の程度との関係と同様、当
該処分が違法である蓋然性の程度との相関関係を考慮するのが相当である。すなわち、発生の
予想される損害が重大で回復可能性がない場合には、同条3項に定める「本案について理由が
ないとみえるとき」との消極要件該当性は相当厳格に判断すべきであるのに対し、損害が比較
的軽微で回復可能性もないとはいえないときは、上記の消極要件該当性は比較的緩やかに判断
するのが相当である。
 このような観点から、外国人に対する退去強制令書発付処分の執行停止における執行停止の
必要性について検討するに、まず、同処分中の送還部分については、これが執行されると、申立
人の意思に反して申立人を送還する点で、そのこと自体が申立人にとって重大な損害となり、
仮に申立人が本案事件において勝訴判決を得ても、その送還前に置かれていた原状を回復する
制度的な保障はないことに加え、申立人自身が法廷において尋問に応ずることが不可能となっ
て立証活動に著しい支障を来し、訴訟代理人との間で訴訟追行のための十分な打合せができな
くなるなど、申立人が本案事件の訴訟を追行することが著しく困難になり、遂には違法な処分
を是正する機会すら奪われる可能性も高いことを考慮すれば、この部分については、行政事件
訴訟法25条3項にいう「本案について理由がないとみえるとき」との消極要件該当性を相当厳
格に判断するのが相当であり、申立人の主張がそれ自体失当であるような例外的な場合を除
き、この消極要件を具備しないものとするのが相当である。
次に、退去強制令書発付処分中の収容部分についてみると、その執行により申立人が受ける
損害としては、一般には、収容によってそれまで行っていた社会的活動の停止を余儀なくされ
ることや心身に異常を来すおそれのあることなどが指摘されるにとどまることも多いが、それ
ら以上に、身柄拘束自体が個人の生命を奪うことに次ぐ重大な侵害であって、人格の尊厳に対
する重大な損害をもたらすものであって、原状回復はもとより、その損害を金銭によって償う
ことは社会通念上容易でないことに十分留意する必要がある(従来、この点については、やや
もすると十分な考慮がされず、安易に金銭賠償によって回復可能なものとの考え方もないでは
なかったが、そのような考え方は個人の人格の尊厳を基調とする日本国憲法の理念に反するも
のというほかない。)。これらによると、収容部分の執行によって生ずる損害も相当に重大かつ
回復困難なものであるが、送還部分の執行が停止されるならば、訴訟の進行自体への影響は比
較的少なく、違法な処分を是正する機会まで奪われる事態は生じないことを考慮すると、送還
都分の執行によって生ずる損害よりは軽微なものといわざるを得ない。したがって、この部分
の執行停止の可否を判断するに当たっては、「本案について理由がないとみえるとき」との消極
要件該当性をそれほど厳密に判断する必要はなく、通常どおり、本案について申立人が主張す
る事情が法律上ないとみえ、又は事実上の点について疎明がないときと解すれば足りるのであ
- 3 -
る。
 上記のように解すると、 送還部分のみならず収容部分についても執行停止がされることが
多くなり、後に本案において申立人の敗訴が確定したとしても、それまでの間に、申立人が逃
亡して退去強制令書の執行が困難となったり、申立人が違法な活動をするおそれが生ずるとの
危惧が生じないでもない。
しかし、そのような点、すなわち、収容部分の執行停止の申立てについて判断する時点にお
いて、申立人の身元が不確かであるから逃亡のおそれがあり、将来の退去強制が困難となると
認められる場合には、そのこと自体が我が国の公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある
との消極要件に該当すると認められるし、申立人のそれまでの行状等からして、収容しなけれ
ば違法な活動を行うおそれがあり、それが我が国の公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが
あると認められる場合にも、同様に当該申立てについては、消極要件に該当するものとして却
下することができるものである。
2 本件における執行停止の要件の有無
 執行停止の必要性(行政事件訴訟法25条2項)
本件処分によって申立人が受ける損害については、少なくとも上記1で説示した退去強制
令書発付処分によって一般的に生ずる損害はすべて生ずることが明らかであるから、送還部分
のみならず収容部分についても執行停止の必要性があると認められる。
さらに、疎甲第1号証、第7号証、第16ないし第18号証によれば申立人は、《住所略》所在の
B大学に在学し、入学試験の成績がトップクラスであったため、同大学の留学生奨学生として
奨学金(授業料の50パーセント免除)の支給を受け、1学年時は31科目中優28、良3という成
績で、遅刻・欠席もほとんどなく、本年4月からは文部科学省私費外国人留学生学習奨励費給
付制度による奨学金(以下「学習奨励費」という中)の受給者となっていること、本年9月19日
に○○(後期)の履修ガイダンスがあり、これに出席できず9月末日を過ぎても大学の教務課
に出頭しないと、○○授業が受けられなくなる可能性が高いことが一応認められ、さらに収容
を継続した場合、2学年の必要単位の取得ができず、3学年への進級ができない可能性が高く、
申立人が学費を自ら捻出している状況下で、本件各処分を受けたことにより学習奨励費の支給
の辞退を勧告され(疎甲第9号証)、申立人の学費の未納が近く行われる教授会等で問題とされ
る可能性も示唆されているなど(疎甲第7号証)、これ以上、収容を継続した場合には、仮に、
本案事件により本件退令発付処分が違法であるとされた場合においても、学業を断念せざるを
得ない可能性が十分あると認められ、申立人の収容を解く必要性は高いといわざるを得ない。
 本件退去強制令書について「本案について理由がないとみえるとき」の要件に該当するか否

本件において、申立人が主張する本件退令発付処分の違法事由は、申立人の退去強制事由該
当性であるところ、申立人は、本件摘発当時、東京入管局長から資格外活動許可を受けていな
い(疎乙第1号証)こと、新宿区歌舞伎町所在のCにおいて接客のアルバイトをしていたこと
- 4 -
は認めているものの、収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動を「専ら」行って
いると「明らかに」認められるものとまでいえるかという点を争っている。
前記認定のとおり、申立人にB大学在学の実態が存し、成績も優秀であると一応認められ
ること、疎甲第19号証、乙第7号証、第8号証、第11号証、第13号証、第16号証、第26ないし
第28号証によれば、申立人は、大学入学後、中華料理店でアルバイトをしていたが、その店が
閉店してしまい、4ヶ月ほど収入がなく、平成15年1月の授業料の支払が迫っていたため、C
でのアルバイトを始めたもので、稼働時間は午後8時以降の4時間程度であって、学業と両立
可能な範囲内のものであること、同年5月に学習奨励費が4月分にさかのぼって支給されるこ
ととなったため5月いっぱいで同店をやめることを経営者に伝えており、その僅か4日前に本
件の指摘を受けたものであることなどからすると、アルバイトの主たる目的はあくまでも学
費・生活費の捻出のためであったことが一応認められ、Cでのアルバイトによる収入が月25万
円程度であり、他に翻訳のアルバイトをしていること(疎乙第16号証)、申立人が外国送金を行
っていること(疎乙第18号証)等を考慮しても、同人のアルバイトが在留日的の活動が実質的
に変更したといえる程度に達していたかには現段階では疑問の余地があり、「専ら」資格外活動
を行っていたことが明らかとはいえず、上記消極要件を具備しないと考えられる。
この点について、相手方は、留学中の必要経費の多くを自らの本邦での稼働に依存している
場合には、もはや、その活動は留学の在留資格をもって在留する者の活動には当たらない旨主
張する。我が国への留学生の多い東アジア諸国と我が国との所得水準及び物価水準の差異や現
に我が国に在留する留学生の生活状況(疎甲第20、21号証)に照らすと、同主張は、留学生に
対して厳格にすぎるのではないかとの疑問が生ずるところであるが、その点はさておき、相手
方の主張を前提としても、奨学金を得られることとなるまでの間に限り、主として自らの稼働
によって必要経費を捻出することはやむを得ない事態として是認されるべきであって、前記認
定のように、申立人は本件摘発の少し前に奨学金が受けられることとなったためにまもなくホ
ステスとしての稼働をやめる予定であったことからすると、身元保証人である、Dの会社から
得ている金銭の性格いかんによっては(これについては、疎乙第16号証によると、仕事がなく
ても支払われていたことが認められ、それが就労の対価か否かには大いに疑問がある。)、申立
人がホステスとして就労したことを上記のようにやむを得ない事態と評価する余地もあると考
えられる。そうすると、相手方の主張を前提とするとしても、なお現時点では、申立人の在留目
的の活動が実質的に変更したと断ずることはできず、その点については、本案の審理を遂げな
ければ判断ができないものといわざるを得ない。
3 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に該当する
かどうかについて
本件退去強制令書に基づく送還の執行停止に関し、相手方が公共の福祉に重大な影響を及ぼす
おそれがあるとして主張するところは、送還の執行停止による一般的な影響をいうものであって
具体性がなく、本件において、本件退去強制令書に基づく送還の執行を停止すると公共の福祉に
- 5 -
重大な影響を及ぼすおそれがあるとの事情をうかがわせる疎明はない。
また、収容部分についても、疎明資料(疎甲第2号証、第4号証、第16号証)によると、申立人は、
単身で生活しているものの、身元保証人としてDが、法令の遵守・出頭の確保を約していること、
申立人が勉学を続ける強い意思をもっていること、本件による収容の以前からCをやめる予定で
あったこと、今回のことは反省し今後は貯金や親からの援助で勉強を続けたいと考えていること
等が一応認められ、これらによると、現時点で申立人の収容を解いたとしても、申立人が逃亡し
たり、再度資格外活動を行うとは考えにくく、収容部分の執行を停止しても、上記消極要件に該
当する事実が生ずるとは認め難い。
4 結論
よって、本件申立ては、主文第1項記載の限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分
は理由がないからこれを却下することとし、申立費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民
事訴訟法61条、64条本文を適用して、主文のとおり決定する。

退去強制令書発付処分取消等請求事件
平成12年(行ウ)第211号
原告:Aほか3名、被告:法務大臣・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・廣澤諭・菊池章)
平成15年9月19日
判決
主 文
1 被告東京入国管理局主任審査官が平成12年6月30日付けで原告A、同B、同C及び同Dに対し
てした各退去強制令書発付処分をいずれも取り消す。
2 原告らの被告法務大臣に対する各訴えをいずれも却下する。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主文第1項同旨
2 被告法務大臣が平成12年6月30日付けで原告A、同B、同C及び同Dに対してした、出入国管
理及び難民認定法49条1項に基づく各原告の異議申し出は理由がない旨の各裁決をいずれも取
り消す。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
本件は、いずれもイラン・イスラム共和国の国籍を有し、在留期間を徒過して本邦における在
留を続けることとなった原告A(以下「原告夫」という。)、その妻である原告B(以下「原告妻」
という)、その子である原告C(以下「原告長女」という。)及び原告D(以下「原告次女」という。)が、
被告法務大臣が平成12年6月30日に原告らに対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に
基づく各原告の異議申し出は理由がない旨の各裁決(以下「本件各裁決」という。)及び被告主任
審査官が同日に行った各退去強制令書発付処分(以下「本件各退令発付処分」という。)はいずれ
も違法であるとしてその取消しを求めるものである。
2 判断の前提となる事実(認定根拠を掲記しない事実は当事者間に争いがない。)
 当事者
原告夫は、1963年8月23日生まれのイラン・イスラム共和国(以下、単に「イラン」という。)
国籍を有する男性であり、原告妻という。)は、1966年12月22日生まれの同国国籍を有する女
性であって、両人は、夫婦である。原告長女(1988年5月7日生まれ)及び原告次女(1996年
9月9日生まれ)は、いずれも原告夫と原告妻の間に生まれた女児であり、同国国籍を有する
者である。
- 2 -
 原告らの入国及び在留の経緯
ア 原告夫は、平成2年5月21日、イランのテヘランからイラン航空機で成田空港に到着し、
東京入管成田支局入国審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に「Buisiness」等と、
日本滞在予定期間の欄に「9 DAYS」と記載して上陸申請を行い、同入国審査官から出入国管
理及び難民認定法(平成元年法律第79号による改正前のもの。以下「旧法」という。)4条1
項4号に定める在留資格及び在留期間90日の許可を受け、本邦に上陸した。
原告夫は、在留資格の変更又は在留期間の更新の許可申請を行うことなく、在留期限であ
る平成2年8月19日を超えて本邦に不法残留をするに至った。
イ 原告妻は、平成3年4月26日、原告長女とともにシンガポールからシンガポール航空機
で成田空港に到着し、東京入管成田支局審査官に対し、外国人入国記録の渡航目的の欄に
「TOURIST」、日本滞在予定期間の欄に「ONE WEEK」と記載して上陸申請を行い、それぞれ
同入国審査官から出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)別表1に規定する在留資
格「短期滞在」及び在留期間90日の許可を受け、本邦に上陸した。
原告妻及び原告長女は、在留資格の変更又は在留期間の更新の許可申請を行うことなく、
在留期限である平成3年7月25日を超えて本邦に不法残留するに至った。
ウ 原告妻及び原告長女は、平成6年1月5日に、埼玉県本庄市長に対し、居住地を埼玉県本
庄市《住所略》として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同年1月24日、外国人登
録証明書の交付を受けた。
原告夫は、平成7年4月11日に埼玉県本庄市長に対し、居住地を埼玉県本庄市《住所略》
として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同年5月17日外国人登録証明書の交付
を受けた。
エ 原告次女は、平成8年9月9日、群馬県藤岡市所在のE産婦人科小児科医院において、原
告夫及び原告妻の間に出生したが、在留資格の取得の申請を行うことなく出生から60日を経
過した平成8年11月8日を超えて本邦に在留し、不法残留するに至った。
オ 原告次女は、平成9年5月22日に群馬県藤岡市長に対し、居住地を群馬県藤岡市《住所略》
として、外国人登録法に基づく新規登録申請を行い、同日、外国人登録証明書の交付を受け
た。
カ 原告妻は、平成8年10月31日、群馬県藤岡市長に対し、居住地を藤岡市《住所略》として、
外国人登録法に基づく居住地変更登録をした(乙20)。
キ 原告夫は、平成11年1月13日及び同年11月17日に、埼玉県本庄市長及び群馬県藤岡市長
に対し、居住地をそれぞれ埼玉県本庄市《住所略》及び群馬県藤岡市《住所略》として、外国
人登録法に基づく居住地変更登録をした。
原告長女は、平成11年11月25日、群馬県藤岡市長に対し、居住地を藤岡市《住所略》として、
外国人登録法に基づく居住地変更登録をした(乙38)。
 原告らの退去強制手続の経緯
- 3 -
ア 原告らは、平成11年12月27日、東京入管第2庁舎に出頭し、不法残留事実について申告し
た。
イ 東京入管入国警備官は、平成12年1月27日原告夫及び原告妻について、同年2月15日原告
妻について違反調査を実施した結果、原告らが法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑う
に足りる相当の理由があるとして、同年2月22日、原告らにつき、被告主任審査官から収容
令書の発付を受け、同月24日、同令書を執行して、原告らを東京入管収容場に収容し、原告
夫及び妻を法24条4号ロ該当容疑者として東京入管入国審査官に引渡した。被告主任審査官
は、同日、原告らに対し、請求に基づき仮放免を許可した。
ウ 東京入管入国審査官は、平成12年2月24日及び同年3月7日原告夫について違反審査を
し、その結果、同年3月7日、原告夫が法24条4号ロに該当する旨の認定をし、原告夫にこ
れを通知したところ、原告夫は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。
エ 東京入管入国審査官は、平成12年2月24日及び同年3月15日、原告妻、原告長女及び原告
次女について違反審査をし、その結果、同年3月15日、前記各原告が法24条4号ロに該当す
る旨の認定をし、前記各原告にこれを通知したところ、前記各原告は同日、東京入管特別審
理官による口頭審理を請求した。 
オ 東京入管特別審理官は、平成12年4月24日、原告夫について、口頭審理をし、その結果、
同日、入国審査官の前記認定は誤りがない旨判定し、原告夫にこれを通知したところ、原告
夫は、同日、被告法務大臣に対し、異議の申出をした。被告法務大臣は、平成12年6月26日、
原告夫からの異議の申出については、理由がない旨裁決し、同裁決の通知を受けた被告主任
審査官は、同年6月30日、原告夫に同裁決を告知するとともに、退去強制令書を発付した。
カ 東京入管特別審理官は、平成12年4月26日、原告妻、原告長女及び原告次女について口頭
審理をし、その結果、同日、入国審査官の前記認定は誤りがない旨判定し、同原告らにこれを
通知したところ、同原告らは、同日、被告法務大臣に対し、異議の申出をした。被告法務大臣
は、平成12年6月26日、原告妻、原告長女及び原告次女からの各異議の申出については理由
がない旨裁決し、同裁決の通知を受けた被告主任審査官は、同年6月30日、同原告らに同裁
決を告知するとともに、それぞれに対し退去強制令書を発付した。
第3 当事者の主張
1 被告
 本件各裁決の適法性について
ア 原告らの退去強制事由
原告夫、妻及び原告長女が、それぞれの在留期間を超えて不法残留したこと及び原告次女
が、本邦で出生したものの、在留資格の取得の申請を行うことなく、出生から60日を経過し
た日を超えて不法残留していたことは明らかであり、原告らが退去強制事由に該当すること
を認めた特別審理官の判定に何ら誤りはない。
イ 在留特別許可に係る法務大臣の判断の適法性
- 4 -
ア 法務大臣の広範な裁量権
法務大臣は、異議の申出に対する裁決に当たって、異議の申出に理由がないと認める場
合でも、特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは、その者の在留を特別に許可
することができるところ(法50条1項3号)、このような在留特別許可は、退去強制事由に
該当することが明らかで、当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特別に在留
を認める処分であって、その性質は、恩恵的なものであるというべきである。そして、在留
特別許可の判断をするに当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の国
内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の
事情を総合的に考慮すべきものであることから、在留特別許可に係る法務大臣の裁量の範
囲は極めて広範なものであって、当該裁量権の行使が違法となるのは、法務大臣がその付
与された権限の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情
がある場合等、極めて例外的な場合に限られる。
イ 本件各裁決に裁量権の逸脱又は濫用がないこと
原告夫、原告妻及び原告長女は、イランで出生・生育し、来日するまで我が国とは何ら
のかかわりのなかったものであったが、渡航目的を偽って本邦に上陸し、原告夫及び原告
妻は、その後間もなく不法就労を開始しているところ、不法残留に至った経緯は極めて計
画的であって、不法就労を行った期間も長く、出入国管理行政上看過し難いものがある。
原告夫及び原告妻の親兄弟は、イラン本国に在住し、本件各裁決当時には、不法就労で得
た金銭で本国に自宅まで購入しているのであって、原告らがイランに帰国したとしても本
国での生活に支障はないものというほかない。また、原告子らは、未だ可塑性に富む年代
にあり、仮に当初は言語や生活習慣の面で多少の困難を感じることがあるとしても(現地
での生活を経験することが言語や生活習慣を身につける最善の方法であり、両親との本邦
からの退去がやむを得ないものである以上、その年齢にかんがみると、一刻も早い帰国が
望まれるというべきである。)、両親とともに帰国するのが子の福祉又は最善の利益に適う
ところであることは明らかであり、他の親族の在住するイランでの生活に慣れ親しむこと
は十分に可能であると見込まれるのであって、原告らについて、本邦への在留を認めなけ
ればならない特別な事情が存在するとは認められない。
確かに、原告らは、本邦に不法に残留する間に一定の安定した生活状態を形成したもの
といえなくもないが、最高裁昭和54年10月23日第3小法廷判決は、約10年前に不法入国
した外国人男性、約13年前に不法入国した同国人女性及び本邦において出生した両名間の
子ら2名に対し、法務大臣が在留特別許可を与えなかった事案について「本邦に不法入国
し、そのまま在留を継続する外国人は、出入国管理令9条3項の規定により決定された在
留資格をもって在留するものではないので、その在留の継続は違法状態の継続にほかなら
ず、それが長期間平穏に継続されたからといって直ちに法的保護を受ける筋合いのもので
はない」と判示しており、これは、本件においても当てはまるものといえる。そもそも不法
- 5 -
残留は、処罰の対象となる違法行為であり、原告夫及び原告妻が本邦において長期間不法
就労活動を行ったという事実は、違法行為が長期間に及んだことを意味するものであるか
ら、被告法務大臣が原告らの在留特別許可の可否を判断する上で、当該事実を有利な事情
と解しなければならない理由はないのであり、むしろ、長期にわたる不法残留事実や不法
就労事実等が在留特別許可の判断において消極的要素として評価されるべきものである。
以上のような諸事情を考慮すれば、法務大臣が本件各裁決に当たって付与された権限の
趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情が存在するとは
認められない。
ウ 原告の主張に対する反論
a 原告らの出身国であるイランの教育や福祉等に係る状況をみても、児童の生育上特段
の問題があると認められず、原告子らを送還することが在留特別許可の権限を法務大臣
に認めた趣旨に反する非人道的なものであるといった事情は何ら存しないばかりか、イ
ランに自宅を購入した時期までは、イランに帰国する意思を有していたが、当時小学校
2年生であった原告長女が帰国したがらなかったため、そのまま不法残留を継続するに
至った旨供述しており、帰国を前提とした生活設計をしていたというべきである。
b 国際連合は、平成2年12月18日「すべての移住労働者とその家族構成員の権利保護に
関する国際条約」を採択し、その30条は、移住労働者の子が公立学校で教育を受ける権
利を有することを定め、そのような権利は、移住労働者である両親又はこの滞在が適法
でないことを理由に拒否又は制限されない旨の規定をおいているが、同条約については
受け入れ国側の懸念が強く、採択から10年以上経過した平成14年末においても、未だ批
准国が20カ国に達していないため効力の発生にも至っておらず、しかも、そのような条
約でさえ、上記30条のような規定は不法に滞在するこの在留の適法化に関する権利を含
むものと解してはならないとしているのであるから(同条約35条)、国際的にも不法就
労者の子女が流入先の国において教育を受ける利益を得ているとしても、流入先の国が
これを理由に当該不法就労者及びその子女の在留を適法化すべきであるなどという合意
がされている状況が存在しないことは明らかである。
c イスラム社会においても、男性の場合とは異なり、女性の性器切除(女性割礼)をイス
ラム教徒の義務とする見解はごく少数であり、女性割礼は北東アフリカ、西アフリカ、
アラビア半島やマレーシアの一部などに限定された習慣であるとされ、イランの国内情
勢に関する英国移民局の報告書は、「児童の虐待について知られた類型はない」とし、女
性割礼について何ら触れていないのであるから、イランにおいて女性割礼が法的又は社
会的に義務とされている状況があるとは認め難い。
d 原告らと同様、出頭申告当時小学生だった子を有する不法残留外国人の家族について
在留特別許可がされた例はあるが、他方、原告らとともに、平成11年12月27日に東京入
管に出頭申告した不法残留中のイラン人5家族については原告らを含む4家族が在留特
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別許可を受けることなく退去強制令書発付処分を受けている。
そもそも、在留特別許可は諸般の事情を総合的に考慮した上で個別的に決定されるべ
き恩恵的措置であって、その許否を拘束する行政先例ないし一義的、固定的基準なるも
のは存在しないのであって、本件各裁決が違法になるとはいえない。また、仮に、本件各
裁決が実務に反するものであるとしても、前記アの裁量の本質が実務によって変更され
るものではなく、原則として当不当の問題が生ずるにすぎない。
e 不法残留者を中心とする不法就労者が我が国に多数存在するのは事実であるが、それ
は多数の不法就労者が新たに発生し続けている結果であって、不法就労活動が我が国の
社会に容認されているからでもなければ、厳格な取締りが行われていないからでもな
い。原告らの居住地である群馬県でも不法就労活動が容認されているなどという事実は
なく、平成12年の群馬県議会においては「大量の不法滞在者が存在するということは、
来日外国人による犯罪の温床となっている。」「入国管理局との合同取締りということに
重点を置いて」いるとして、平成11年には41人を平成12年には11月末までに366人を摘
発して不法滞在者の定着化の阻止と減少を図っていることが報告されており、平成12年
に全国で警察に検挙された法違反者は5862人である。群馬県において法違反者の摘発
が積極的に行われていないことはない。また、平成12年に退去強制手続を採った不法就
労者4万4190人中、群馬県で稼働していたものは1769人、平成13年に退去強制手続を
採った不法就労者3万3508人中、群馬県で稼働していた者は1448人となっており、い
ずれも全国都道府県中8位となっている。さらに、平成14年11月に全国の地方入国管理
官署が行った法違反外国人の一斉摘発において摘発された法違反者855名中、群馬県で
摘発された者は58名であり、これは、大阪、東京、埼玉について全国都道府県中4位と
いう高い順位となっているのであり、中小企業・零細企業を中心に「単純労働者」を望
む声が強く、日本政府は厳格な形で外国人労働者による不法就労の取締りを行っていな
いということはない。
エ 以上のとおり、法務大臣が本件各裁決に当たって付与された権限の趣旨に明らかに背い
て裁量権を行使したものと認めうるような特別の事情が存在するとは認められないから、
本件各裁決に何らの違法性はない。
 本件各退令発付処分の適法性について
退去強制手続において、法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通知
を受けた場合、主任審査官は、退去強制令書を発付するにつき裁量の余地はないから、本件各
裁決が違法であるといえない以上、本件各退令発付処分も適法である。
在留特別許可の判断をするに当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の
国内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般の事
情を総合的に考慮すべきものであることは前記のとおりであるから、法務大臣から「異議の申
出は理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた主任審査官は、時機を逸することなく、速
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やかに退去強制令書発付処分をしなければならず、そうであるからこそ、法49条5項も「すみ
やかに当該容疑者に対し」……「退去強制令書を発付しなければならない」とするものであって、
退去強制令書の発付時期について主任審査官に裁量権があるとはいえない。
法は、法務大臣が在留特別許可の権限を行使するか否かの判断を行う過程においてのみ、退
去強制事由に該当する外国人の在留を例外的に認める裁量を認めており、異議の申出を受けた
法務大臣が、在留特別許可に関する権限を発動せず、異議の申出に理由がないとの裁決を行っ
た場合には、それは我が国が国家として当該外国人を退去強制すべきとする最終的な意思決定
をしたことを意味するものであって、上級行政機関である法務大臣の意思決定を同大臣の指揮
監督を受ける下級行政機関である主任審査官が、その独自の判断に基づいて覆し、あるいはそ
の適用時期を考慮できるとすることは行政組織法上の観点からして考えられず、法がこのよう
な立法政策を採用しているとは考えられない。また、法は、在留資格のない外国人が本邦に適
法に在留することは、明文で定められた例外を除いて予定していないところ、主任審査官が裁
量により退去強制令書を発付しない場合に、当該外国人が引き続き本邦に在留するための法的
地位を定める手続規定は存在しないのであって、法は、主任審査官の裁量により退去強制令書
を発付しないという事態を想定していないというべきである。
したがって、主任審査官に退去強制令書を発付するか否かに係る裁量権限がある旨の原告ら
の主張には理由がないというべきである。
2 原告ら
 本件各裁決の適法性について(主位的主張)
ア 裁決書の不作成
法施行規則43条は、「法第49条第3項に規定する法務大臣の裁決は、別記第61号様式によ
る裁決書によって行うものとする。」と定めている。同条は、単に口頭で行われた裁決の存在
を確認・記録することを求めているのではなく、裁決が裁決書という書面によってされなく
てはならないこと、つまり、裁決が書面による様式行為であることを定めているのである。
とすると、裁決書が作成されていない本件各裁決には極めて重大かつ明白な手続上の瑕疵
があり、本件各裁決の取消しは免れない。
イ 本件各裁決の裁量違反
ア 法務大臣の裁量権の範囲について
日本国憲法は、国会を国権の最高機関と定めていることから、国家の裁量は、第一義的
には国会に属するものとして立法裁量に現れることとなる。その立法裁量の結果として、
特定の場合には外国人に入国・在留を許可すべく行政庁に義務づけをすることもあり、行
政庁に裁量を与えつつ、許可内容に制約を付すこともある。そして、憲法の精神や「法律に
よる行政の原理」からすれば、行政庁に全くの自由裁量が付与されることなどあり得ない
のであって、一定の裁量権が与えられたとしても、その根拠となる法律の目的及び趣旨等
によって覊束裁量となるのである。この点、法は、「出入国の公平な管理」を目的としてお
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り(1条)、「出入国の公平な管理」とは、国内の治安や労働市場の安定など公益並びに国際
的な公正性、妥当性の実現及び憲法、条約、国際慣習、条理等により認められる外国人の正
当な利益の保護をはかるための管理を意味する。法50条1項の趣旨も、この公益目的と外
国人の正当な権利・利益の調整を図ることにあり、法務大臣の裁量権もこの趣旨の範囲内
で認められるにすぎない。
被告の主張は、この点を看過し、国家の裁量権と法務大臣の裁量権とを混同したものと
いわざるを得ない。
また、上記のとおり、法の目的及び法50条1項の趣旨に覊束されるものであり、法も平
成元年の法改正によって各在留資格に関する審査基準を省令で定めて交付し、行政の裁量
の幅を減少させようとしているところであり、在留特別許可の制度に恩恵的な面があると
しても、そこから法務大臣の「極めて広範な裁量権」が導かれるものではない。
イ 本件における裁量違反
a 原告夫は、イランでの生活を維持するのが困難になり、やむなく来日したものであり、
イランはいまだ政情も経済状況も不安定(イラン国内の失業率は25%を超えることが確
実であるとされる。)であり、同国を10年以上も離れていた原告夫が同国で新たな職を
得るのは極めて困難である。また、女性の社会進出が困難である同国において、原告妻
が職を得ることはさらに困難であって、そうすると、原告ら一家は路頭に迷うこととな
る。さらに、日本で十数年生活した原告夫婦が、イランに帰った場合にイランの環境に
適応できなくなっている可能性もある。
また、イランは、1979年のイスラム革命以後、イスラム教の聖典であるコーランが最
高法規となるなど、イスラム教文化という我が国とはかけ離れた文化をもち、イスラム
教国の中でも特に厳格な規律を重んじる国であって、基本的人権の保障においても、強
い制約が存在し、特に女性は男性と比較して差別された地位におかれている。一方、原
告次女は出生時より、原告長女も物心付かない2才のときから我が国に居住し続け、日
本語を使用し、日本の文化になじんだ人格形成を行い、我が国の憲法で保障された男女
平等、平和主義、自由主義に基づく教育を受けているところであり、言語、生活習慣、文
化等の点で我が国とあまりにもかけ離れたイランでの生活になじむことが非常に困難で
あることは明白である。原告長女は、日本語を用いた学習により、その教育制度に適応
してその中で優秀な成績を上げ、さらには高等教育を受けることを望み、その将来にお
いては通訳等の職業に就くことを思い描いているものであり、原告長女及び次女がイラ
ンに帰国した場合、上記のような困難な事態が生ずるために、原告長女が学習を継続す
ることは不可能であり、そのために原告長女は精神的に危機的状態に置かれ、自殺の危
険さえ生じかねない。
b 原告らの居住の自由の侵害
外国人は、我が国に在留する権利を保障されるものではないが、外国人でも日本国に
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あってその主権に服しているものに限っては居住・移転の自由が及ぶものとされ(最高
裁昭和32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁)るのであるから、在留資格を
有しない者も、退去強制の合理性の判断なしに恣意的に住居の選択を妨害されない権利
を憲法上保障されているというべきであるところ、法務大臣による本件各裁決は、原告
らが日本に生活の基盤を有している事実を考慮せず、居住の自由を侵害する違法なもの
であり、この点に裁量権の濫用ないし逸脱がある。
c 児童の権利に関する条約(以下「子どもの権利条約」という。)違反
子どもの権利条約3条は、「児童に関するすべての措置を採るに当たっては、公的若し
くは私的な社会施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるもので
あっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と規定していること
ろ、前記aの状況にかんがみれば、我が国に在留することが「最善の利益」にかなうもの
であり、本件各裁決は、子どもの権利条約3条に違反するものとなる。
d 原告らに在留資格を認めることが何ら国益を損なわないこと
この点は、後記イイに記載のとおりである。
e 公平原則違反
原告らに先立ち、平成11年9月11日に在留特別許可を求めて集団出頭した外国人家
族の中には、原告らと同様、小学6年に在学中の長女と5才の長男を含むイラン人家族
が含まれており、この家族には平成12年2月に被告法務大臣より在留特別許可が付与さ
れているところ、家族構成や日本での滞在期間等条件がほぼ同じ家族において異なった
判断が下されるのは、公平の原則に反するといわざるを得ない。
 本件各退令発付処分の適法性について
ア 本件各裁決の違法を承継することによる違法
 前記のとおり、本件各裁決が違法である以上、これに基づいてされた本件退令発付処分
も違法なものということになる。
イ 本件各退令発付処分独自の違法性(予備的主張)
ア 退去強制令書発付処分が裁量行為であること
a 法24条の規定
法24条は「次の各号の1に該当する外国人については、次章に規定する手続により、
本邦からの退去を強制することができる。」と規定し、これらは、単に退去強制事由を列
挙したにすぎないと解するのは相当でなく、具体的な担当行政庁の権限行使のあり方を
も同時に規定しているととらえるべきである。
そして、同条の文言が、「することができる」と規定されていることによれば、裁量の
幅がいかなるものかはともかく、24条各号に該当する外国人について、退去強制手続を
開始し最終的に退去強制処分を発付するかについては、立法者が行政庁に対して一定の
幅の効果裁量を認めたものというほかない。また、本件各退令発付処分のように侵害的
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行政行為であって、同処分が第三者に対する関係でも受益的な側面をもたないものにつ
いては、裁量の範囲自体は当該行政行為の目的等に従って自ずと定まるにしても、上記
の法律の文言を裁量を示すものと解することに何ら支障がない。
b 行政法の伝統的解釈からの説明
行政法の解釈においては、伝統的に権力発動要件が充足されている場合行政庁はこれ
を行使しないことができるとの考え方(行政便宜主義)が一般的であり、特に、外国人の
出入国管理を含む警察法の分野においては、一般に行政庁の権限行使の目的は公共の安
全と秩序を維持することにあるから、その権限行使はこれを維持するための必要最小限
度にとどまるべきであると考えられている(警察比例の原則)ところであり、退去強制
令書発付について担当行政庁に裁量が与えられるということは、伝統的な解釈に沿うも
のである。
c 退去強制令書発付処分についての裁量の必要性
実際、退去強制令書の発付に裁量権を認めないと、本国及び市民権のある国に送還す
ることができず、しかも第三国への入国許可を受けていない外国人など退去強制令書を
発付しても執行が不能であることが明らかな場合にも、主任審査官は退去強制令書を発
付しなければならないという背理を生ずる。
d 手続の実際
法第5章の手続規定を見ると、主任審査官の行う退去強制令書の発付が、当該外国人
が退去を強制されるべきことを確定する行政処分として規定されており(法47条4項、
48条8項、49条5項)、退去強制についての実体規定である法24条の認める裁量は、具
体的には、退去強制に関する上記規定を介して主任審査官に与えられているというべき
である。
e 他の機関の裁量との関係
退去強制の各段階で、統計上「中止処分」や「その他」といった分類がされる事案が存
在するとおり、退去強制手続が開始されたからといって、必ずしも退去強制令書発付な
ど法の定める終局処分を行わなくてもよい場合があり、違反調査の段階、違反審査の段
階、口頭審理の段階、裁決の段階といった退去強制手続の各段階において、それぞれの
担当者が裁量権を有していることは明らかである。そして、退去強制手続においては、
退去強制の執行方法や送還先の指定を初めて行い、本邦から退去すべき義務を具体的に
確定するものと解される点で、一連の手続において法が各行政庁に対して与えた裁量が
集約しているものであるということができる。
これらの事情によれば、退去強制手続を進行させるかどうかについては、国家の裁量
権があり、その各段階においても担当者に裁量権があることから、その最終段階である
退去強制令書の発付の段階でも主任審査官に裁量があることは明らかである。主任審査
官には、退去強制令書を発付するか否か(効果裁量)、発付するとしてこれをいつ発付す
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るか(時の裁量)につき、裁量が認められており、比例原則に違反してはならないとの規
範も与えられているのである。
イ 比例原則違反
a 比例原則
比例原則違反は、法治国家原理、基本権の保障等を根拠とする憲法上の法原則であり、
過剰な国家的侵害から私人の法益を防御することにあり、我が国でも、その根拠には諸
説あるものの、権力行政一般について適用されることについては異論がないとされてい
る。具体的には、適合性の原則(目的を達成するための手段が意図した目的達成の効果
を持ちうること)、必要性の原則(目的を達成するための手段が当事者にとって最も負担
の少ないものでなければならないこと)、狭義の比例性(手段と目的との均衡が取れてい
ること、要するに、当該手段を用いることによって得られる利益が当該手段によって損
なわれる利益を上回っていること)等が内容となる。
b 本件における比例原則違反
 本件各退令発付処分により損なわれる利益
本件各退令発付処分により、前記イイaのとおり、原告らがイランに帰国し困難
な生活を強いられること、原告長女・次女が物心付いてから慣れ親しんだ我が国の文
化とはかけ離れたイランでの生活を行うこととなること等、本件各退令発付処分によ
り損なわれる利益は極めて大きいといわざるを得ない。 
 本件各退令発付処分により得られる利益
原告らは、入国後、本件各退令発付処分の原因となった法違反以外には何ら法を犯
すことはなく、善良な市民として地域社会にとけ込んだ生活を送ってきたものであ
り、原告らの本邦における在留資格を認めることにより、日本の善良な風俗・秩序に
好影響を与えることこそあれ、悪影響を及ぼすことは想定し難い。すなわち、原告ら
は形式的には法違反という違法性を帯びた行為を行ってはいるものの、実質的な法益
侵害に及んだ事実はなく、自ら入国管理局に出頭して違反事実を申告したものであ
り、このような者に在留資格を付与すること自体が直ちに在留し各制度の根幹を揺る
がすとは考えられない。また、外国人をいわゆる「単純労働」を行う労働力として受入
れる必要性は高く、アメリカ、フランス、イタリアといった諸外国も非正規滞在者の
大規模な正規化を行っているところであり、原告らに在留資格を認めないことによっ
て保護されるべき国の利益は何ら存在しないといえる。
 小括
以上によれば、本件各退令発付処分によって損なわれる利益と得られる利益とを比
較衡量すると、前者の方がはるかに大きいのは明らかであり、本件各退令発付処分に
は比例原則違反があるといえる。
第4 争点及びこれに関する裁判所の判断
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本件の争点は、①法49条1項の異議の申出に対する裁決の処分性及び退去強制令書発付処分に
おける主任審査官の裁量の存否、②本件各裁決における裁量権行使の濫用・逸脱の存否、③本件
各退令発付処分の違法性の存否である。
1 争点1(裁決の処分性及び退去強制令書発付処分における主任審査官の裁量の存否)
 法49条1項の異議の申出に対する裁決の処分性
ア 法49条1項の異議の申出を受けた法務大臣は、同異議の申出に理由があるかどうかを裁決
して、その結果を主任審査官に通知しなければならず(法49条3項)、主任審査官は、法務大
臣から異議の申出が理由あるとした旨の通知を受けたときは、直ちに当該容疑者を放免しな
ければならない一方で(同条4項)、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決した旨の通
知を受けたときは、速やかに当該容疑者に対しその旨を知らせるとともに、法51条の規定に
よる退去強制令書を発付しなければならないこととされている(法49条5項)。
これらの規定によれば、法は、法務大臣による裁決の結果は、異議の申出に理由がある場
合及び理由がない場合のいずれにおいても、当該容疑者に対してではなく主任審査官に対し
て通知することとしている上、法務大臣が異議の申出に理由がないと裁決した場合には、法
務大臣から通知を受けた主任審査官が当該容疑者に対してその旨を通知すべきこととなっ
ているが、法務大臣が異議の申出に理由があると裁決した場合には、当該容疑者に対しその
旨の通知をすべきことを規定しておらず、単に主任審査官が当該容疑者を放免すべきことを
定めるのみであって、いずれの場合も、法務大臣がその名において異議の申出をした当該容
疑者に対し直接応答することは予定していない(なお、平成13年法務省令76号による改正後
の法施行規則43条2項は、法49条5項に規定する主任審査官による容疑者への通知は、別記
61号の2による裁決通知書によって行うものとすると定めているが、この規定はあくまで主
任審査官が容疑者に対して通知する方式を定めたものにすぎず、法の定め自体に変更がない
以上、この規則改正をもって法務大臣が容疑者に直接応答することとなったとは考えられな
い。)。こうした法の定め方からすれば、法49条3項の裁決は、その位置づけとしては退去強
制手続を担当する行政機関内の内部的決裁行為と解するのが相当であって、行政庁への不服
申立てに対する応答行為としての行政事件訴訟法3条3項の「裁決」には当たらないという
べきである。
イ このことは、法の改正の経緯に照らしても明らかである。すなわち、法第5章の定める退
去強制の手続は、法の前身である出入国管理令(昭和26年政令319号)の制定の際に、そのさ
らに前身である不法入国者等退去強制手続令(昭和26年政令第33号)5条ないし19条の規定
する手続を受け継いだものと考えられ、同手続令においては、入国審査官が発付した退去強
制令書について地方審査会に不服申立てをすることができ(9条)、地方審査会の判定にも不
服がある場合には中央審査会に不服の申立てをすることができ(12条)、中央審査会は、不服
の申立てに理由があるかどうかを判定して、その結果を出入国管理庁長官(以下「長官」とい
う。)に報告することとされ、報告を受けた長官は、中央審査会の判定を承認するかどうかを
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速やかに決定し、その結果に基づき、事件の差戻し又は退去強制令書の発付を受けた者の即
時放免若しくは退去強制を命じなければならないものとされていた(14条)もので、この長
官の承認が、法49条3項の裁決に変わったものと考えられる。そして、長官の承認は、中央
審査会の報告を受けて行われるものとされていて、退去強制令書の発付を受けた者が長官に
対して不服を申し立てることは何ら予定されておらず、長官の承認・不承認は、退去強制手
続を担当する側の内部的決裁行為にほかならない。したがって、同制度を受け継いだものと
考えられる法49条3項の裁決についても、退去強制令書の発付を受けた者の異議申出を前提
とする点において異なるものの、その者に対する直接の応答行為を予定していない以上、基
本的には同様の性格のものと考えるのが自然な解釈ということができる。
ウ また、上記の解釈は、法49条1項が、行政庁に対する不服申立てについての一般的な法令
用語である「異議の申立て」を用いずに、「異議の申出」との用語を用いていることからも裏
付けられる。すなわち、昭和37年に訴願法を廃止するとともに行政不服審査法(昭和37年法
第160号)が制定されたが、同法は、行政庁に対する不服申立てを「異議申立て」、「審査請求」
及び「再審査請求」の3種類(同法3条1項)に統一し、これに伴い、行政不服審査法の施行
に伴う関係法律の整理等に関する法律(昭和37年法律第161号)は、それまで各行政法規が
定めていた不服申立てのうち、行政不服審査法によることとなった行政処分に対する不服申
立ては廃止するとともに、行政処分以外の行政作用に対する不服申立ては上記3種類以外の
名称に改め、そうした名称の一つとして「異議の申出」を用いることとされた。
他方、法の対象とする外国人の出入国についての処分は行政不服審査の対象からは除外さ
れている(同法4条1項10号)とはいえ、上記のとおり行政不服審査法の制定に際して個別
に不服申立手続について規定する多数の法令についても不服申立てについての法令用語の統
一が図られたのに、法49条1項に関しては、従前どおり「異議の申出」との用語が用いられ
たまま改正がされず、法についてはその後も数次にわたって改正がされたにもかかわらず、
やはり法49条1項の「異議の申出」との用語については改正がされなかった。そして、現在
においては、法令用語としての「異議の申出」と「異議の申立て」は通常区別して用いられ、「異
議の申出」に対しては応答義務さえないか、又は応答義務があっても申立人に保障されてい
るのは形式的要件の不備を理由として不当に申出を排斥されることなく何らかの実体判断を
受けることだけである場合に用いられる用語であるのに対し、「異議の申立て」は、内容的に
も適法な応答を受ける地位、すなわち手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申
立権を認める場合に用いられる用語として定着しているということができる。したがって、
数次にわたる改正を経てもなお「異議の申出」の用語が用いられている法49条1項の異議の
申出は、これにより、法務大臣が退去強制手続に関する監督権を発動することを促す途を拓
いているものではあるが、同異議の申出自体に対しては、被告の応答義務がないか、又は、応
答義務があっても、形式的要件の不備を理由として不当に申出を排斥されることなく何らか
の実体判断を受けることが保障されるだけであり、申出人に手続上の権利ないし法的地位と
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しての申請権ないし申立権が認められているものとは解されない(最高裁第1小法廷判決昭
和61年2月13日民集40巻1号1頁は、土地改良法96条の2第5項及び9条1項に規定する
異議の申出につき、同旨の判示をしている。)。
よって、法49条1項の異議の申出に対してされる法49条3項の「裁決」は、不服申立人に
そうした手続的権利ないし地位があることを前提とする「審査請求、異議申立てその他の不
服申立て」に対する行政庁の裁決、決定その他の行為には該当せず、行政事件訴訟法3条3
項の裁決の取消の訴えの対象となるということはできない。
エ さらに、法49条1項の異議の申出については、上記のとおり、申出人に対して法の規定に
より手続上の権利ないし法的地位としての申請権ないし申立権が認められているものと解す
ることはできないのであるから、異議の申出に理由がない旨の裁決がこうした手続上の権利
ないし法的地位に変動を生じさせるものということはできず、同裁決が行政事件訴訟法3条
2項の「処分」に当たるということもできない(前記ウの最1小判参照。)。
オ 以上によれば、法49条1項の異議の申出に対する法務大臣の裁決は内部的決裁行為という
べきものであり、行政事件訴訟法3条1項にいう公権力の行使には該当しないというべきも
のである。被告は、同裁決について裁決書が作成されていないことを認めているところであ
り、そのような事務取扱いが前記の規則改正に至るまで長年にわたって継続されていたこと
は、当裁判所に顕著な事実であるところ、この点も、裁決が内部決裁行為であることを基礎
付けるものといえる(むしろ、上記解釈とは逆に裁決を行政事件訴訟法3条1項にいう公権
力の行使であると理解した場合、裁決書不作成の点を適法とするのは困難であるといわざる
を得ない。)。
 退去強制令書発付処分における主任審査官の裁量
法24条は、同条各号の定める退去強制事由に該当する外国人については、法第5章に規定す
る手続により、「本邦からの退去を強制することができる」と定めている。そして、いかなる場
合において行政庁に裁量が認められるかの判断において、法律の規定が重要な判断根拠となる
ことに異論はないというべきであり、法律の文言が行政庁を主体として「……することができ
る」との規定をおいている際には、その裁量の内容はともかく、立法者が行政庁にある幅の効
果裁量を認める趣旨であると解すべきものであって、同条が退去強制に関する実体規定とし
て、退去強制事由に該当する外国人に対して退去を強制するか否かについてはこれを担当する
行政庁に裁量があることを規定しているのは明らかであり、法第5章の手続規定においては、
主任審査官の行う退去強制令書の発付が、当該外国人が退去を強制されるべきことを確定する
行政処分として規定されている(法47条4項、48条8項、49条5項)と解されることからすれ
ば、退去強制について実体規定である法24条の認める裁量は、具体的には、退去強制に関する
上記手続規定を介して主任審査官に与えられ、その結果、主任審査官には、退去強制令書を発
付するか否か(効果裁量)、発付するとしてこれをいつ発付するか(時の裁量)につき、裁量が
認められているというべきである。
- 15 -
このような解釈は、行政法の解釈において伝統的に認められる行政便宜主義、すなわち権力
発動要件が充足されている場合にも行政庁はこれを行使しないことができるとの考え方や、警
察比例の原則、すなわち、警察法分野においては、一般に行政庁の権限行使の目的は公共の安
全と秩序を維持することにあり、その権限行使はそれを維持するため必要最小限なものにとど
まるべきであるとの考え方ばかりか、憲法13条の趣旨等に基づき、権力的行政一般に比例原則
を認める考え方によっても肯定されるべきものである。
このように主任審査官に裁量権を認めることに対し、被告は、法47条4項、48条8項及び49
条5項が、いずれも「主任審査官は……(中略)……退去強制令書を発付しなければならない。」
と規定していることに反する旨主張する。
しかし、退去強制手続は、原則として容疑者である外国人の身柄を収容令書により拘束して
いることを前提としているため、その手続を担当する者が何の考慮もないままに手続を中断
し、放置することを許さないように、法47条1項、48条6項及び49条4項において、それぞれ
容疑者が退去強制事由に該当しないと認められる場合に「直ちにその者を放免しなければなら
ない」ことを定めるとともに、法47条4項、48条8項及び49条5項においては、退去強制に向
けて手続を進める場合においても、「退去強制令書を発付しなければならない」として主任審査
官の義務として規定をおいたものと解され、これらの規定と法24条をあわせて解釈すれば、実
体規定である法24条において退去強制について前記効果裁量及び時の裁量を認めている以上、
主任審査官において、そうした裁量の判断要素について十分考慮してもなお退去強制手続を進
めるべきであると判断した場合には、放免又は退去に至らないまま手続を放置せず、法の定め
る次の手続に進む(退去強制令書を発付する)べきことを定めたものと解すべきであり、この
ように法の各規定をその位置づけに応じて解釈すれば、主任審査官に退去強制令書発付につい
ての裁量を認めることは、法47条4項、48条8項及び49条5項の各規定と何ら矛盾するもので
はない。
また、被告は、上級行政機関である法務大臣の意思決定を同大臣の指揮監督を受ける下級行
政機関である主任審査官が、その独自の判断に基づいて覆し、あるいはその適用時期を考慮で
きるとすることは行政組織法上の観点から考えられない旨の主張をするが、前記のとおり裁決
が行政処分ではなく、単なる行政機関内部における決裁手続にすぎないと解すべきであるか
ら、その決裁の趣旨が退去強制令書の発付を命じる趣旨であるとしても、それは組織法上の義
務を生じさせるにとどまり、それにより当該発付処分が適法となるのではなく、客観的に裁量
違反ないし比例原則違反の事実がある場合には当該処分は違法といわざるを得ない。このこと
は処分庁が事前に上級行政庁の決裁を受けて行政処分をした場合一般に生じることであり、そ
のような決裁が行われたとしても、裁量権行使の主体は、あくまでも当該行政処分を行う行政
庁であり、上級行政庁となるわけではないのである。
 以上を前提とすれば、法49条1項の異議の申出に対する裁決につきこの取消しを求める訴訟
は、対象の処分性を欠く不適法なものといわざるを得ないこととなり、上記のとおり、退去
- 16 -
強制令書発付処分につき効果裁量、時の裁量が認められていることによれば、退去強制令書発
付処分の取消等を求める訴訟において、退去強制事由の有無に加え、その裁量の逸脱濫用につ
いても同処分の違法事由として主張し得ることとすべきであると解すべきである。このような
解釈によれば、前記判示の解釈により法49条3項の法務大臣の裁決につき独立して適法に取消
訴訟を提起することができなくなるが、法49条3項の裁決の取消訴訟で問題とされた法務大臣
の裁量権行使の適否は、退去強制令書発付における主任審査官の裁量権行使の適否においても
ほぼ同一の内容で審理の対象となるべきものであって、外国人が退去を強制されることを争う
機会を狭めるものとはならない。むしろ、在留特別許可をするか否かの判断がたまたま法49条
の裁決に当たってされるとの制度が採用されていることのみを捉え、本来全く別個の制度であ
る在留特別許可の判断(法50条3項は、在留特別許可が、専ら退去強制事由に該当するか否か
を判断してされる法49条の裁決とは本来的に異なる制度であることから、在留特別許可がされ
た場合には、あえて、それを法49条4項の適用につき異議の申出に理由がある旨の裁決とみな
す旨を定めている。)の当否を法49条3項の裁決の違法事由として主張し得ることを認めると
いう無理のある解釈を採用する必要がなくなるものである。
 小括
以上によれば、本件訴えのうち、原告らが被告法務大臣がした本件各裁決の取消しを求める
部分は対象の処分性を欠く不適法なものというべきである。そして、そうである以上、争点2
についての判断は不要ということになり、以下、争点3(退去強制令書発付処分の適法性)につ
いて判断することとなるが、法は、主任審査官の行うべき具体的な裁量基準を定めていないし、
これまでの実務においては被告らが主張するとおり主任審査官には全く裁量の余地がないとの
考え方がとられていたのであるから、行政庁内部においても裁量基準等は策定されていない。
もっとも、法は、退去強制事由のある者を適法に在留させる唯一の制度として在留特別許可と
いう制度を設けているのであるから、この趣旨からすると、主任審査官は在留特別許可をすべ
き者について退去強制令書を発付することは許されない反面、退去強制令書を発付しないこと
が許されるのは在留特別許可をすべき者に限られると解すべきである。そうすると、争点3に
ついての判断内容は、争点2について判断した場合の判断内容と全く一致することとなる。ま
た、被告らは、主任審査官には裁量権がないとの主張をしているため、本件各退令発付処分に
当たってどのような裁量判断がされたのかも主張しない。これを形式的に取り扱うと、被告主
任審査官は事の当否を具体的に検討しないまま結論のみ認めたものとして、その処分を取り扱
わざるを得なくなるが、被告らは、被告法務大臣がした本件各裁決が適法なものであるとして
具体的な主張をしているところであり、その主張は、仮に被告主任審査官に裁量権があるとす
るならば、同様の裁量判断に基づいて本件各処分をしたものであると主張しているものと善解
できるから、以下の検討においては、被告主任審査官が被告法務大臣と同様の判断に基づいて
本件各退令発付処分をしたものとの前提で行うこととする。
2 争点3(本件各退令発付処分の適法性)

難民認定をしない処分取消等請求事件
平成14年(行ウ)第19号
原告:A、被告:法務大臣・名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:加藤幸雄・舟橋恭子・平山馨)
平成15年9月25日
判決
主 文
1 被告法務大臣が、原告に対して平成14年1月16日付けでした出入国管理及び難民認定法49条
1項に基づく異議の申出は理由がないとの裁決を取り消す。
2 被告名古屋入国管理局主任審査官が、原告に対して平成14年1月18日にした退去強制令書の
発付を取り消す。
3 原告の被告法務大臣に対するその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用はこれを3分し、その1を原告の、その余は被告らの各負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 被告法務大臣が、原告に対して平成14年1月16日付けでした難民の認定をしないとの処分を
取り消す。
2 主文1、2項と同旨
第2 事案の概要(以下、年号については、本邦において生じた事実は元号を先に、本邦外において生
じた事実は西暦を先に表記する。)
本件は、旧ビルマ連邦(現ミャンマー連邦。以下、国名の変更があった1989(平成元)年6月18
日を境に、これより前は「ビルマ」、同日以後は「ミャンマー」という。また、同名の民族、言語に
ついては、その前後を問わず「ビルマ民族」又は「ビルマ人」、「ビルマ語」といい、国籍で区別す
るときは「ミャンマー人」という。)において出生した原告が、被告法務大臣(以下、本件における
被告としてのそれを「被告大臣」という。)に対して難民認定申請をしたところ、同被告が原告に
対し難民の認定をしない処分をし、次いで原告に不法入国の退去強制事由がある旨の入国審査官
の認定に誤りがないとの特別審理官の判定に対してした異議の申出は理由がないとの裁決をした
ため、同被告に対してこれらの取消しを求め、さらにその裁決に基づいて被告名古屋入国管理局
主任審査官(以下「被告主任審査官」という。)が原告に対する退去強制令書を発付したため、同
被告に対してその取消しを求めた事案である。
1 前提となる事実
 原告の身上と本邦への入国
原告は、1967(昭和42)年《日付略》に出生したミャンマー国籍を有する外国人であり、平成
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4(1992)年6月22日、他人(B)名義のミャンマー旅券を用いて、名古屋空港に到着した。
原告は、同空港において、名古屋入国管理局(以下「名入管」という。)名古屋空港出張所入国
審査官に対し、渡航目的「訪問(Visit)」、日本滞在予定期間「10日間」として上陸申請を行い、
同入国審査官から、在留資格「短期滞在(Temporary Visitor)」及び在留期間「15日間」の許可
を受け、本邦に上陸した(乙3)。
 退去・収容関係手続
ア 原告は、平成11(1999)年12月6日、帰国を希望して名入管に出頭申告した。そこで、名
入管入国警備官は、同日、原告について違反調査を実施し(乙5の1及び2)、同年12月9日
に再度出頭するよう求めた(乙5の3)が、原告は出頭しなかった。
イ 名入管入国警備官は、原告が平成13(2001)年11月2日に出入国管理及び難民認定法(以
下、法律名を示すときは「入管難民法」と、条文を示すときは単に「法」という。)70条1項5
号違反(不法在留)の被疑事実により逮捕(乙4)、勾留された(甲7)ことから、同月21日、
名入管主任審査官から収容令書(乙7)の発付を受け、同月22日の不起訴(起訴猶予)処分(乙
6)後、これを執行して名入管収容場に収容するとともに、同年12月6日まで4度の違反調
査をした(乙8、10ないし12)。
他方、名入管入国審査官は、同年11月22日に入国警備官から原告の身柄の引渡しを受け
(乙9)、同年12月14日まで4度にわたり違反審査をした(乙13ないし16)結果、同日、原告
が法24条1号(不法入国)に該当すると認定し、その旨通知した(甲3、乙16、17)。
ウ 原告は、この認定を不服として、前同日、法48条1項に基づき、名入管特別審理官に口頭
審理の請求をした(乙16)が、名入管特別審理官は、同月20日の口頭審理(乙20)の結果、同
認定に誤りがないと判定してその旨原告に通知した(甲4、5、乙18、21)。
エ 原告は、この判定を不服として(乙20)、同日、法49条1項に基づき、被告大臣に異議の申
出をした(乙22)が、同被告は、平成14(2002)年1月16日、その理由がない旨裁決し(以下
「本件裁決」という。)、同月18日、これを被告主任審査官を通じて、原告に通知した(甲2、
乙23、24)。
オ 被告主任審査官は、同日、原告に対して、送還先をミャンマーとする退去強制令書(以下「本
件退令」という。)を発付した(乙25の1。以下「本件発付」という。)。
カ 原告は、平成14(2002)年2月14日、法務省入国者収容所西日本入国管理センターに移収
された(乙25の2)が、同年6月3日、仮放免を許可された(乙26)。
 難民認定申請関係手続
ア 原告代理人Cは、前記入管難民法違反(不法在留)の嫌疑により原告が勾留中であった平
成13(2001)年11月20日、政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるとして、被告大臣
に対して難民認定申請書を提出したところ、名入管は、難民認定申請の代理人資格を制限し
た法施行規則55条を理由として、原告の同申請の意思が確認された同月22日付けをもって
受理した(甲6の1及び2、乙27、86、87、弁論の全趣旨。以下「本件難民申請」という。)。
- 3 -
被告大臣は、難民調査官による2度の調査(乙28、29)の結果、平成14(2002)年1月16日、
本件難民申請が、法61条の2第2項所定の期間を経過してされたものであり、かつ、原告の
申請遅延について、同項ただし書の規定を適用すべき事情は認められない旨を理由として、
原告に対して難民の認定をしない処分をし(甲1、乙30。以下「本件不認定処分」という。)、
同月18日、これを原告に通知した。
イ 原告は、本件不認定処分を不服として、同月22日、被告大臣にこれに対する異議の申出を
し(甲64、乙31)、現在被告大臣において審理中である。
 本件訴訟の提起
原告は、本件訴訟を平成14(2002)年4月12日に提起した。
2 主な争点
 本件不認定処分の適否
ア 難民認定申請期間制限条項(法61条の2第2項本文。以下「60日ルール」という。)の合憲
性等の有無
イ 「やむを得ない事情」(同項ただし書)の有無
ウ 適正手続の履行の有無
エ 原告の難民性の有無
 本件裁決の適否
 本件発付の適否
3 争点に関する当事者の主張
 争点ア(60日ルールの合憲性等の有無)について
(原告の主張)
ア 国際法及び憲法98条2項違反(難民の待遇に関する国際慣習違反)
我が国は、難民の地位に関する条約(以下、単に「条約」という。)及び難民の地位に関する
議定書(以下、単に「議定書」といい、条約と併せて「条約等」という。)の締約国として、条
約1条に定義する難民に該当するすべての者に対して様々な便宜を供与する義務を負うか
ら、条約等上の難民に該当する者が難民としての庇護を求めた場合に、こうした便宜を与え
ないことは許されない。そして、条約の基本構造に照らせば、人は、認定を経て難民となるの
ではなく、認定は難民であることを確認し、宣言するものであるから、上記の定義に含まれ
ている要件を満たすや、特別の難民認定手続を経ることなく、直ちに条約等上の難民として
扱われるべきである。したがって、条約等は、締約国により条約等上の難民に当たる者がそ
のまま正確に難民であると認定されることを要請しており、仮に国内法の難民認定手続が、
条約等上の難民に当たる者のうち一定の者を難民と認定しない結果をもたらすようなもので
ある場合、その手続規定は、条約等に違反する疑いが極めて濃いといわなければならない。
現に、欧州諸国をはじめとする先進国において、難民認定申請に期間制限を設けている国は
ほとんどなく、設けている米国、ベルギー等においても、例外を認める扱いを採っている。
- 4 -
もっとも、条約等は、難民認定手続について具体的な規定を置いていないから、日本を含
めた条約等の締約国は、自国が妥当と考える行政的・司法的認定手続を選択することができ、
難民認定申請者に対して、申請を一定期間内に行うよう求めることはできる。しかしながら、
条約等は、被告らが想定するようなフリーハンドの難民認定手続を設けることを許容してい
るわけではなく、条約等の上記趣旨・目的に適合する必要があるので、手続上の要件欠缺を
理由に難民の権利及び基本的自由の否定という結果を招くような慣行は、いかなるものであ
っても許されない。この点について被告らは、D氏の難民不認定処分に関する最高裁判所平
成9年10月28日第三小法廷判決を援用するが、同判決は、法規その他の法原則の適用に関し
て一定の判断を示したものではなく、拘束力を有するものではないし、D氏は、その後の第
2、3次難民認定申請のいずれかが理由ありと認められ、難民として認定されてもいる。し
たがって、その期間内に申請がない場合でもその者の申請を検討の対象から除外すべきでな
く、難民性の実体判断を行わなければならないというのが条約等から導かれる論理的帰結で
ある。そして、60日という極めて短期間の申請期間を定めた法61条の2の規定をこれに適合
するように解釈するならば、上記申請期間は、単に努力目標を定めたものと解釈するか、そ
の例外としての「やむを得ない事情」をかなり広く解して、期間経過後の難民認定申請につ
いても難民性の実体判断をすることが原則となるような解釈をするほかない。
しかるに、被告らの主張するように、申請期間の遵守を難民性の実体審査に入る前にクリ
アされるべき条件と位置付け、「やむを得ない事情」を極めて限定的に解するならば、条約等
上の難民であるにもかかわらず、難民認定申請が60日以内に行われないという理由によっ
て難民と認定されない者を制度的に生み出すものとして、「入管難民法上の難民」と「条約等
上の難民」という2種類の難民概念を作り出すに等しく、合理性を欠く。そのような解釈で
は、条約7条ないし34条の各個別条項に定められた各種の難民保護措置(特に33条1項のい
わゆるノン・ルフルマン原則、28条の旅行証明書の発給、7条の相互主義の適用の免除、27
条の身分証明書の発給、22条2項の教育に関する待遇等)を全うすることができない。この
点について、被告らは、例えば退去強制手続に関する法53条3項によってノン・ルフルマン
原則が保障されていると主張するところ、第三国に送還するためにはその国の承諾等が必要
であるが、その受入れについては何らの制度的保障もないし、我が国では現実に法務省(入
国管理局)のいう「国益」を重視する裁量判断が先行していて、現行の退去強制手続は何ら同
原則の担保になっていないことは明白であること、また、恩恵的な在留特別許可制度によっ
て同原則が担保されるということ自体深刻な矛盾であることなどを考慮すると、入管難民法
は、本来、難民認定手続における難民認定を通じてノン・ルフルマン原則等を担保すること
を予定しているというべきである。
以上の法理は、国連難民高等弁務官事務所(以下「UNHCR」という。)執行委員会結論15
号が「庇護なき難民の決議」において、「難民として保護を求める人々がその難民認定申請を
一定期間内にしなければならないと定められている場合にも、そのような期間を遵守せず、
- 5 -
ないしはその他の形式上の要件を履行していないことを理由として難民申請を審査の対象か
ら除外してはならない。」と定めていることからも明らかであり、短期間内に難民認定申請を
しない条約上の難民に対して、難民としての庇護を与えないことが許されないことは、国際
慣習として確立しているというべきである。
この点について、被告らは、条約等上の難民でありながら60日ルールによって難民と認定
されなくとも、条約上の保護措置の利益は、一部を除いて、ア難民であるか否かに関わらず
享受し得るか、又はイ各行政機関が難民であるとの個別的判断を行うことによって享受し得
ると主張するが、難民認定という複雑な判断を各行政機関がその都度行うことは効率的でな
いし、行政の不統一を露呈することにもなりかねず、また条約等上の義務履行に問題を生じ
かねないので、我が国においては、法務大臣の難民認定を受けずに各行政機関が個別に難民
性を判断することはできない(いわゆる統一認定方式)と解すべきであり、難民と認定され
た者に交付される難民認定証明書、難民旅行証明書は、まさに統一的な認定を行うべき機関
である法務大臣が難民と認めた証明書となる。被告らが、ア難民と認定されているか否かに
関わらず利益を享受することができるという保護措置は、認定難民に限り保護措置を認める
通達等が実務を羈束しているか、そもそも条約から解釈される保護措置に当たらないかのど
ちらかであるし、イ各行政機関等の判断により実施される保護措置があるというのも、現実
と乖離している。
さらに、被告らは、難民が迫害の恐怖から早期に逃れるために速やかに他国の保護を求め
るのが通常であり、早期に保護を求めなかったことは、難民に当たるとの主張の信ぴょう性
を疑わしめるかのような主張をするが、多くの難民は当局の人間に不信感を抱くに十分な経
験をしてきて、不正規在留者の場合、難民認定申請をすることによって逆に本国に送還され
るのではないかという恐怖心が非常に強い上、自分以外の人を危険にさらすことを恐れてい
る可能性もあるから、速やかに難民認定申請をしなかった事実を難民非該当性に直結させる
ことは、重大な事実誤認又は経験則違背である。日本では、難民認定手続が外国人に周知さ
れていないため、申請期間に制限があること自体があまり知らされておらず、手続的に不透
明であることに加え、難民行政が(必要以上に)厳格に運用されていて、そのことが申請者の
懸念を一層増幅させており、このような難民の特殊性を何ら考慮することなく、申請の時期
を信ぴょう性の判断要素とするどころか、それによって難民性の判断そのものを放棄するよ
うな運用及びその理由付けとしての被告らの主張は、全く妥当性を欠くものとして、我が国
が何らの留保を付さずに条約を批准していることと矛盾し、条約等や国際慣習法を含めた国
際法、ひいては条約の国内的効力を認めた憲法98条2項に違反する。
イ 憲法31条違反
憲法31条の適正手続保障規定は、行政手続にも準用され、難民認定申請者が正当な理由な
く難民認定申請を行う機会を奪われないこと、難民認定手続の準備のために十分な時間を与
えられることを保障するところ、60日ルールは、短期間の経過をもって、本人の難民該当性
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の有無を審査することなく難民認定を拒絶することにより、我が国における庇護の可能性を
否定するという結果をもたらすものであって、憲法31条に違反する。
(被告らの主張)
ア 国際法及び憲法98条2項適合性
原告の主張アは争う。
原告の主張は、以下のとおり、条約等の国際法及び我が国の法制度を正解しないものであ
って、失当といわざるを得ない。
条約が、難民の定義及び締約国の採るべき「保護」措置について相当に詳細な規定を置い
ているにもかかわらず、難民認定手続については何ら定めていないのは、各国の置かれた政
治的、社会的、経済的、地理的等々様々な与件の下で、外国人(難民も外国人である。)の入国・
滞在を許容するか否かを各主権国家の裁量に委ねてきた伝統的な国際法の原則の修正を受け
容れることは困難であるという共通の認識が国際社会に存在し、これを反映して各国の出入
国管理制度がかなり不揃いであること、難民の入国・滞在については一国の負担が他国の利
害と複雑に絡まっていること等の理由によるものである。したがって、そもそも条約の下で、
締約国は、難民を積極的に受け入れる義務、すなわち、難民を「庇護」する義務を課されてい
ないのであって、条約等は、締約国が受け入れた難民に対して当該締約国が一定の「保護」を
与えることを義務付けているにすぎず、認定手続を定めるか否か、定めるとした場合にどの
ように定めるかについても、各締約国の立法政策上の裁量に委ねているから、条約等上の難
民に該当する者であっても、自分の希望する締約国に入国できず、難民申請もできない場合
が理論上生じ得ることを当然に認めている。このことは、原告と同様の主張を明確に排斥し
た最高裁判所平成9年10月28日第三小法廷判決(いわゆるD判決)からも明らかである。
我が国においては、入管難民法が難民認定手続について規定しているところ、60日ルール
を含む法61条の2第2項の規定も、難民認定申請の手続的要件であり、これに違反して不適
法な申請をした者が難民認定を受けられないのは当然であって、同項は、条約等の定める「難
民」の要件を加重してその概念を変更し、又はその法的効果を排除し若しくは変更するもの
ではないから、条約42条による同1条の留保禁止に何ら反するものではない。難民として受
け入れ、条約上の「保護」を与えるか否かは、締約国が主権的判断に基づいて決定すべき事項
であり、このことは、条約前文が難民を自国の領域内に受け入れて滞在を認めることを意味
する「庇護」と、難民に対して種々の権利ないし利益を付与することを意味する「保護」とを
明確に区別していることや、条約の起草過程における議論等からも明らかである。
この点について、原告は、UNHCR執行委員会の見解を援用するが、条約の解釈は、条約
締約国の意思に適合するように条約の規定の意味と範囲を確定させるものであるところ、
UNHCR執行委員会は、条約によって設立されたものではなく、飽くまで第三者機関にすぎ
ないのであって、締約国の合意を離れて締約国がその見解に拘束されるものではない。しか
も、同委員会の結論15号は、難民認定手続に関するものではなく、当該難民を受入れる国が
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ない難民に対し、庇護を与えるよう最善の努力をすべきであるという指針を示したものにす
ぎないし、そもそも同委員会の結論30号も、明らかに理由がないとみなされる申請を迅速に
処理するための特別の規定を置くことができる旨述べており、申請期間の制限を禁止するよ
うなことは全く述べておらず、ましてそれを禁止する国際慣習法は存在しない。現に、米国
では到着してから1年以内、ベルギーでは不法入国者の場合入国から8勤務日以内、スペイ
ンでは同様に入国後1か月以内の期間に難民認定申請すべきことを定めている。
また、60日ルールが適用される結果、条約等上の難民でありながら難民と認定されない場
合であっても、条約上の保護措置の利益は、難民旅行証明書の発給(法61条の2の6第1項、
条約28条)を除いて、ア難民であるか否かにかかわらず享受し得るもの(教育や労働法制・
社会保障に関する保護措置、身分証明書の発給、合法にいる難民の国外追放の禁止など)か、
イ関係行政機関等が個別に難民性を判断して実施することによって実質的に享受すること
が可能なもの(ノン・ルフルマン(送還の禁止)原則、相互主義の適用免除、属人法の問題、
避難国への不法入国・不法滞在の刑事免責など)であるし、難民旅行証明書を有していなく
ても、我が国に合法的に滞在する難民は、旅券と同様のものとして取り扱われている再入国
許可書の交付を受けて(法26条)海外渡航することは可能であり、運用実態等を入管難民法
の条約適合性の判断要素として考慮しようとする原告の主張は、不適切である上、その指摘
する通達等についても、認定を受けていない難民について何らかの制限を設けたものではな
く、その趣旨を正解していない。
そもそも、避難国に不法にいる難民については、遅滞なく当局に出頭することを要件とし
て刑罰が免除されることを定めた条約31条1項、庇護希望者は庇護を求める意思を庇護国当
局又はUNHCRに速やかに伝えなければならない旨記載されたUNHCR作成の「難民認定研
修マニュアル」並びに先進諸外国の国内法令の規定及び行政・司法解釈に照らしても、難民
が迫害の恐怖から早期に逃れるために速やかに他国の保護を求めるのが通常であることが、
一般的な経験則として認められているところ、原告の主張するように難民認定申請に期間制
限を設けていない条約の締約国もあることは確かであるとしても、このことによって同経験
則が何ら否定されるものではなく、このような経験則が認められる場合に、それを難民該当
性の信ぴょう性の判断の資料として使用するにとどめるのか、それとも、それを基礎として、
我が国のように、難民認定行政の適正かつ円滑な実施を図るという目的達成のために、合理
的な期間制限を設けるのかは、条約等が各締約国の裁量に委ねている事柄であり、法61条の
2第2項は、こうした経験則を基礎として、難民認定行政の適正かつ円滑な実施を図るとい
う目的達成のために設けられた規定である。
そして、仮に上陸後60日を経過した後に行われた難民認定の申請であっても、法61条の2
第2項ただし書に規定する「やむを得ない事情」が認められる場合には、60日の期間内にさ
れた申請と同様に難民性の有無を判断され得ることをも併せ勘案すれば、同項の規定が、条
約等の趣旨に照らし合理性を欠くとは解されず、憲法98条2項に反するともいえない。 
- 8 -
イ 憲法31条適合性
原告の主張イは争う。
法61条の2第2項は、前記のとおり、我が国の実情にあった合理的かつ適正な手続を定め
る規定である。
すなわち、法務大臣は、上陸後60日を過ぎて申請があった場合でも申請を受理してやむを
得ない事情があったか否か等を判断しているのであり、加えて、仮に法61条の2第2項によ
り難民認定しなかったときでも、条約等上の難民該当性を審査し、難民であると判断されれ
ば、当該外国人は条約で規定されている保護措置の利益を実質的に享受することが可能であ
り、条約等上の難民に対して何ら不利益を課すものではないから、入管難民法の手続は適正
なものであり、憲法31条の規定に反するものではない。
 争点イ(法61条の2第2項ただし書のやむを得ない事情の有無)について
(原告の主張)
ア 難民の特殊性と「やむを得ない事情」の趣旨
60日ルールが仮に条約等に反しないとしても、難民の立場で考えれば、難民であることの
表明は故国との絶縁という重大な結果をもたらすばかりか、それ自体危険を伴う行為である
から、避難国が信頼に足るか否かに不安を抱く場合もある(日本の入国管理局が難民を認め
ようとしないことは外国人であれば周知の事実であり、当局に自らの難民性を認めさせるた
めには、明白な証拠とその翻訳のため等の多大な労力と時間と費用が必要である。)し、差し
当たり平穏に在留できていれば迫害を受ける危険から逃れられるから、そのような状態が続
く限りは難民であることを秘匿し、それが維持できなくなって初めて、いわば最後の手段と
して、難民であることを理由に保護を求めるのも無理からぬものと考えられる。そのような
実情に照らすと、平穏に在留している以上は難民認定を申請しないことにつき定型的に「や
むを得ない事情」があるというべきであって、それが難民申請権の濫用にわたるなど難民と
しての保護に値しないと認められる特段の事情がなく、実体審査をするまでもなく難民に該
当しないことが明らかな場合でない限りは、原告の難民認定制度に関する知識の有無や申請
を決意した時期等にかかわらず、期間徒過のやむを得ない事情があったと解するのが、条約
等はもとより、入管難民法の立法目的にも適う。
前記の条約等の趣旨や締約国としての義務にかんがみれば、法61条の2第2項ただし書の
「やむを得ない事情があるとき」については、形式的に60日間を過ぎていても、その都度、期
間徒過の程度、徒過に至った理由、難民申請者の難民該当性等を総合勘案してその有無を決
定すべきところ、その判断が著しく合理性を欠く場合には、裁量の範囲を逸脱するものとし
て違法性を有すると解すべきである。
イ 被告らの主張に対する反論
被告らは、申請期間の遵守を難民性の実体審査に入る前にクリアされるべき条件であると
位置づけ、「やむを得ない事情」について、病気、交通の途絶等の客観的事情により物理的に
- 9 -
入国管理官署に出向くことができなかった場合か、本邦において難民認定の申請をするか否
かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいう旨極めて
限定的に解し、その理由として、長期間経過後に難民認定申請がされると事実関係を把握す
るのが著しく困難となること、我が国に庇護を求める者は速やかにその旨を申し出るべきで
あること、我が国の地理的、社会的実情からすれば、60日という期間は申請に十分な期間と
考えられることを主張するが、迫害から逃走してくる者は、ごく少量の必需品のみを所持し
て到着することが通常であり、60日ルールを強固に貫いたところで事実関係の把握という観
点からはそれほど意味がないこと、速やかに難民認定申請をしないことが難民非該当性を物
語るという被告らの主張自体が経験則に反していること、我が国の物理的環境だけで難民性
の実体判断をしないことを正当化することはできないことを考慮すれば、かかる解釈は合理
性を欠き、条約等に違反することが明らかである。
ウ 原告の本件難民申請に係る事情
原告は、在留資格は有していなかったが、我が国において平穏に在留していたものであり、
日本入国後は頼るべき人物もおらず、難民認定申請についての知識もなく、もちろん60日ル
ールも知らなかった。したがって、原告に上陸後60日以内に難民認定申請することを期待す
るのは不可能であり、これができなかったことには相当な理由があるというべきであって、
それをもって原告の難民性を否定するようなことが許されるはずがない。原告が入管難民法
所定の期間を経過したことには「やむを得ない事情」が存したというべきである。
(被告らの主張)
原告の主張は争う。
ア 「やむを得ない事情」の意義
入管難民法が、本邦に上陸した日又は本邦にある間に難民となる事由が生じた場合にあっ
てはその事実を知った日から60日以内に難民認定の申請を行わなければならないと定めて
いるのは、難民となる事実が生じてから長期間経過後に難民の認定が申請されるとその当時
の事実関係を把握するのが著しく困難となり、適正かつ公正な難民認定ができなくなるこ
と、迫害を受けるおそれがあるとして我が国に庇護を求める者は、速やかにその旨を申し出
るべきであり、速やかに難民認定申請をしないこと自体、難民非該当性を物語ると考えられ
ること、及び我が国の国土面積、交通・通信機関、地方入国管理官署の所在地等の地理的、社
会的実情からすれば、60日という期間は申請に十分な期間と考えられること等の理由による
ものであり、この趣旨からすれば、「やむを得ない事情」とは、本邦に上陸した日又は本邦に
ある間に難民となる事由が生じた場合にあってはその事実を知った日から60日以内に難民
認定の申請をする意思を有していた者が、病気、交通の途絶等の客観的事情により物理的に
入国管理官署に出向くことができなかった場合か、本邦において難民認定の申請をするか否
かの意思を決定するのが客観的にも困難と認められる特段の事情がある場合をいうものと解
すべきである。
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イ 原告の主張に対する反論
「やむを得ない事情」を原告主張のように解した場合、我が国においては、相当長期にわた
って難民認定申請を行わないことが容認される者が出てくる可能性があるが、長期の猶予期
間を与えることによって、時間の経過による証拠散逸のリスクが大幅に高まり、本人及び関
係者の記憶があいまいになる結果、正確な情報の収集が一層困難になると考えられるとこ
ろ、特に1980年代後半以降の難民認定申請者の急増に伴って、国際的に難民を装った移民の
問題が深刻化した結果、これに対処するため、難民認定制度の濫用を防止する必要性は、近
年ますます高まっており、こうした状況の下で、正確な情報の収集の困難を防止して偽装難
民の問題にまさに対処するために設けられた申請期間の制限の例外を広く解することは、到
底是認できないものといわなければならない。
また、原告は、平穏に在留していたことが「やむを得ない事情」を裏付けるかのように主張
するが、そのように無限定的に解釈することはできないのみならず、不法入国して不法に在
留を続け、入国後10年にわたって外国人登録をすることもなく、不法に就労して得た利得を、
正規の手続に基づかずに海外流出させたと述べている上、自動車を無免許で運転するなど、
数々の重大・悪質な違法行為を行っており、日常生活を営む上での様々な保護や利益を日本
国の地域社会等から享受しながら、それを支える税金の納付を行っている裏付けもなく、日
本国の国益という観点からみて、善良な通常人と比較して「平穏」な在留と呼ぶ余地もない。
ウ 原告の本件難民申請に係る事情
そもそも原告は、本邦入国後、平成11(1999)年12月6日に仕事がなくなったとして名入
管に出頭申告して帰国しようとするなど不自然な行動を取った上、帰国後逮捕されることを
危惧して、名入管が出頭を指示した違反調査日に出頭せず、不法に滞在していたところ、平
成13(2001)年11月22日、名入管に収容されて、本件難民申請に及んだものであり、法定申
請期間を経過した理由については、同年1月又は8月に弁護士から難民申請手続の説明を受
けて間もなく難民申請しようと資料を集め始めていた矢先に名入管に捕まった旨主張する一
方で、難民申請のことは、「1998年、東京でミャンマー人のデモに参加してから、同じロヒン
ギャー民族の人から声をかけられ知りました」旨も供述しているし、平成13年の退去強制手
続時には、平成11年の出頭理由を母の病気見舞いに変えるなどの供述の変遷も見られるとこ
ろであり、真に迫害を逃れ庇護を求める者であれば、手続を知った時点で直ちに申請を行う
のが当然と思われるにもかかわらず、真しに難民申請を行おうとしていたとは考え難い。し
かも、原告は、単なる法の不知を申し立てるのみで何らやむを得ない事情に該当する具体的
事実を主張するものではないから、申請期間の経過についてやむを得ない事情は認める余地
がない。
 争点ウ(適正手続の履行の有無)について
(原告の主張)
ア 通訳人の不適格
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本件のような難民事件においては、ミャンマー政府と利害関係を持たず、あるいは原告の
属する民族に偏見を持っていない通訳人を選任すべきであったにもかかわらず、原告の難民
調査の際の通訳人は、ロヒンギャーに批判的なラカイン出身のミャンマー人であったと思わ
れ、現に「ロヒンギャー民族」を「国民」と訳す等、十分な通訳がされなかった。そこで、不信
感を募らせた原告は、日本語で通訳人の通訳に介入し、そのような通訳であれば日本語で説
明した方がまだましであると考えて、調査担当者に対し、日本語で説明を加えたほどである。
イ 難民調査官の予断
また、原告の調査を担当した難民調査官(現在は大阪入国管理局所属)は、予断を持ち、原
告に対して時間が限られているから全ての話を聞くことはできないと述べて、それまでに作
成された供述調書の内容を引用することを伝え、現に原告が難民であることを訴えるべく繰
り返し説明したシットウェ刑務所の解放運動の話が意図的に除かれているが、難民調査官の
都合でこのような不十分な調査を行うことは許されるものではない。
以上のように、難民調査においては、適正手続違反の違法がある。
(被告らの主張)
原告の主張は争う。
ア 通訳人の適格性
名入管においては、能力及び人物評価をして選んだ名簿の中から、過去数年間の実績を調
査し、難民認定申請者と利害関係のない等適切な者を選定し、難民認定申請者から忌避する
旨の申立てがない限り通訳人として使用することとしているところ、本件不認定処分に関す
る調査において、通訳人の適格性に問題はなく、原告からも忌避する旨の申立てはなかった。
通訳人がラカイン出身の人物であったと思われるとする根拠も明らかでなく、仮にそうだと
しても、そのことだけで虚偽の通訳がされたということはできない。そもそも、通訳人の通
訳に問題があると考えたのであれば、相当な日本語能力を有する原告がそれを指摘したはず
であるが、そのようなことをしなかったばかりか、難民調査の際、ビルマ語で供述調書の読
み聞かせを受けた上で、それが誤りのない旨を申し立てたり、「昨日の通訳は十分理解しまし
た。」などと供述するはずがない。
イ 難民調査官による供述録取の妥当性
また、調査を担当した難民調査官が、原告に対して時間が限られているから全ての話を聞
くことはできないと述べた事実はなく、十分に時間をかけて原告から供述を録取している
し、それまでに作成された供述調書の内容を引用することを伝えた事実もなく、かえって原
告から「経歴については、何度も聞かれて矛盾点が出て、嘘をついていると思われるのが嫌
で、これまでの調書を難民の資料にしてほしい。」旨の申出があったものである。そして、同
調査官は、ほかの調書を引用する場合には、当該供述調書に引用を示す記載を行っている。
ちなみに、シットウェ刑務所の解放運動については、難民認定申請書に記載されているが、
難民調査等の手続においては、何らの供述がなかったので、調書に記載されていないにすぎ
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ない。
 争点エ(原告の難民性の有無)について
(原告の主張)
ア 難民性の立証
難民認定申請者は、必ずしも補強証拠等を携えて出国するわけではないので、個々の申請
者が本国に戻れば迫害を受ける可能性がどの程度あるかについては、最終的には個々のケー
スにおいてその本人の供述の信ぴょう性の存否を判断するほかない。そして、その判断には、
事実の評価や異文化コミュニケーションなどの面で極めて高度な能力を要するのであり、そ
の意味で、難民認定を行う者は、十分な経験と見識が必要とされる。
難民該当性に関する原告の供述は具体的であって、若干の記憶違いあるいは表現違いはあ
るにしても一貫しているから、十分に信用できるものであるが、仮に原告の供述に矛盾点が
あれば、難民調査官はその点について説明を求めるべきであり、これをすることなく矛盾を
理由に難民性を否定することは許されるものではない。
イ ミャンマーの一般的情勢
ア 政治情勢
ビルマは、1948(昭和23)年にイギリスから独立した後、1962(昭和37)年に、ネ・ウ
ィン将軍が軍事クー・デタによって全権を掌握し、その後、軍と情報組織を用いながら独
自の社会主義思想を標榜するビルマ社会主義計画党(BSPP)による一党支配が行われたが、
極端な経済不振にあえぎ、1987(昭和62)年12月には国連により後発発展途上国(いわゆ
る最貧国)としての指定を受けるに至った。
1988(昭和63)年3月、旧ラングーン工科大学(現ヤンゴン工科大学)の一部の学生が
反体制の抵抗運動を始め、同年8月後半から9月前半にかけてその運動は最も高揚し、当
初の「反ネ・ウィン」闘争から、複数政党制の実現、人権の確立、経済の自由化を三本柱と
する民主化闘争に姿を変えて、首都ラングーン(以下、1989(平成元)年6月18日を境に、
同日以降については「ヤンゴン」という。)市では連日数十万人がデモや集会に参加した。
アウン・サン・スー・チー(以下「スー・チー」という。)も1988(昭和63)年8月に学生
たちに推されて表舞台に登場したが、同年9月18日、国軍幹部20名から構成される国家法
秩序回復評議会(以下「SLORC」という。)による軍事政権の成立が宣言され、それまで建
前上は政治の表舞台に立つことがなかった国軍が全面的に政治権力を行使することになっ
た。
SLORCは、デモ隊に発砲を続ける一方、複数政党制の導入と総選挙の実施を公約し、
1990(平成2)年5月27日に複数政党制に基づく国会(人民会議)の総選挙を実施したと
ころ、前年7月からの国家防御法に基づくスー・チーの自宅軟禁による露骨な選挙活動妨
害にもかかわらず、軍事政権の後押しした民族統一党(NUP)の10議席に対し、スー・チ
ーが書記長を務める国民民主連盟(以下「NLD」という。)が全485議席の81パーセントに
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当たる392議席を獲得して圧勝した。しかし、SLORCはこの結果を認めず、国会も招集せ
ずに、政権委譲を無期限延期するとともに、代議員701名中、先の総選挙で当選した議員を
99名しか含まない制憲国民会議を1993(平成5)年1月に発足させ、1995(平成7)年11
月にNLD所属の代議員全86名が同会議が非民主的であることを理由にボイコットするや、
その全員を同会議から除名し、また、長期休会を繰り返しながら、現在まで長々と憲法草
案の審議を続けている。
当局は、NLDを合法的な政党と認めながら、明白な法的根拠のないまま国内各所の多く
の同党事務所を閉鎖して日常の政治活動を阻止し、スー・チーら党首脳陣らの政治的地位
を認めることを拒否しており、この間、SLORCは、1996(平成8)年末の大規模な抗議集
会に関係した34人(内11人がNLD党員)全員について、翌1997(平成9)年1月下旬に、
現存しないビルマ共産党の党員であるとして、最短で7年の禁固刑を科す等し、他のNLD
党員らも相次いで逮捕した。この時期に、NLD所属の議員は、辞職しなければその家族が
逮捕や公共部門からの永久解雇を受けるとの脅迫を受け、20人以上の議員が辞職を余儀な
くされたほか、7人の議員が逮捕され、獄中にある議員数は33人となった。
前後して、1996(平成8)年12月25日には、SLORC第2書記官で軍司令官でもあるティ
ン・ウ中将がヤンゴンの世界平和仏塔を参拝する直前に爆弾が爆発して5名が死亡、17名
が負傷し、1997(平成9)年4月7日には、同中将の娘チョ・レイ・ウが自宅に送られた
小包爆弾を開けて死亡した事件が発生したところ、SLORCは、これらを全ビルマ学生民主
戦線(ABSDF)及びカレン民族同盟(以下「KNU」という。)の武装反対勢力によるものと
して、NLDをこれらのグループと連絡を取り合う「公然とした破壊的因子」であると決め
つけ、後者の事件につき、後に日本で難民として認定されるゴ・アウンによるものと公表
した。
NLDは、軍政が国会開催に応じないことから、1998(平成10)年9月16日、独自に先の
総選挙で当選した議員の過半数の委任状を正統性の根拠として、当選議員10名から成る国
会代表者委員会(CRPP)の代行開催に踏み切ったが、軍政はNLDに対する抑圧を強め、脱
党の強要、国営紙への中傷記事や漫画の掲載、翼賛団体である連邦連帯開発協会(USDA)
による同党非難とスー・チーの海外追放要求の決議等の様々な方法を採るとともに、ス
ー・チーのヤンゴンからの移動を認めず、強制的な自宅への連れ戻しと軟禁を3度も繰り
返し、米国政府による制裁が厳しくなる中、2002(平成14)年5月6日にようやく軟禁状
態が解除されたが、その後も対話は進展せず、周知のとおり、本件口頭弁論終結直前には、
スー・チーは軍事政権により四たび身柄を拘束された。
被告らは、スー・チーの軟禁や行動制限措置の解除により、ミャンマーにおいてあたか
も政治的理由に基づく迫害がなくなっているかのように主張するが、ヤンゴンにおける政
治情勢の変化だけでは軍事政権の体質は判断できず、重要なのは、少数民族に対する姿勢
であって、20を超える少数民族政党は、SLORCが1997(平成9)年11月15日に名称変更
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した国家平和開発評議会(以下「SPDC」という。)によって厳しい弾圧や活動制限を受け、
被告らの指摘する政治犯の釈放も、すべてNLD関係者で、学生、僧侶、少数民族活動家、
他の政党関係者らは1人も釈放されておらず、依然1400名の政治犯が拘束されたままで
ある。また、政治活動家等が一時的に逮捕されて行方不明になるケースや、拷問、家庭生活
への干渉が報告されていて、尼僧がビラを配っただけで投獄されるような状況であるし、
司法機関は行政機関から独立しておらず、公正な公開裁判も行われていない。
イ ロヒンギャー民族の待遇
ビルマ西南部のアラカン地方(現ラカイン州)には仏教国のアラカン王国が栄えていた
が、15世紀ころ、ベンガル地方(現バングラデシュ)からイスラム教徒が流入して、両教徒
の共存が始まり、19世紀以降のイギリス植民地期以降も基本的状況に変化はなかった。20
世紀に入り、仏教徒であるビルマ民族によるナショナリズム運動が盛り上がり、1948(昭
和23)年にイギリスから独立を達成したが、アラカン地方に住むイスラム教徒による政治
活動も活発化し、1960年代初頭から、ロヒンギャーを名乗るイスラム教徒集団がビルマ政
府と対立関係に入った。
ミャンマー政府も、彼らをロヒンジャー(ビルマ語に「ギャ」の音がないため)と呼んで、
歴史的にベンガル地方からアラカン地方に勝手に移動してきたイスラム教徒集団とみな
し、反ミャンマー的集団として公式の居住権を認めず、「国民」、「準国民」、「帰化国民」の
3ランクから成るミャンマー国民のどれにも当たらない、不法に滞在する外国人として扱
ったため、ロヒンギャー民族は、公的にはロヒンギャーであることを主張せず、様々な書
類を上手に作成してロヒンギャー以外の民族名で国民である旨の認定を受けられるよう努
力しなければならない上、苦労して「国民」となってもイスラム教徒であるため公平に扱
われず、一般に仏教徒ビルマ人に根強くあるイスラム教徒への偏見と差別が、政府による
ロヒンギャー非難と相まって、ロヒンギャー民族の安全な居住を妨げている現実が存在す
る。ロヒンギャー民族は、強制労働を強いられ、土地使用権を認められず、様々な新しい税
を課徴され、移動の自由が制限され、同民族がミャンマー軍によって殺されたとしても、
ミャンマーの警察は捜査を行わないほどであり、集団的に迫害されている。
そうした経緯から、1991(平成3)年12月から翌年3月にかけて、25万人ないし30万人
といわれるロヒンギャー難民が、アラカン地方からバングラデシュ側へ避難するという事
件が発生している。大量難民が流入したバングラデシュは、UNHCRや国際社会の非難に
もかかわらず、たびたび実力を行使して強制送還を行った。その後、両国政府とUNHCR
の協議により、ロヒンギャー難民の帰還促進が決まったが、ミャンマーにおける迫害状況
に変化がないことなどの理由で、帰還は順調に進んでいない。
ウ 原告固有の事情
ア 政治活動
原告は、1988(昭和63)年ころから、ラングーン市の私立学校に在籍しながら、民主化
- 15 -
のための学生運動に参加するようになり、このころNLDの幹部であるEや同年7月に逮
捕され以後行方不明のFと知り合った。原告は、その後、同市及びアラカン州アキャブ市
(シットウェ市ともいう。)の政治団体や、イスラム教の学生政治団体であるムスリム学生
連盟にも加入するようになった。
原告は、同年8月8日の全国的なデモの際、ア・ロッタマ市民病院から出発したグルー
プの旗持ちとして参加したところ、同月13日ころ、マークした当局が逮捕するために自宅
に来たが、不在だったために逮捕を免れた。そこで、身の危険を感じてシットウェ市に逃
れたが、その直後ころ、シットウェ刑務所においてロヒンギャー人2名と学生1名が発砲
されて殺される事件があったため、原告は、他のメンバーとともに同刑務所長の自宅に押
しかけ、同人から鍵を受け取って投獄されていたロヒンギャー民族や仲間の学生を解放し
た。
その後10日ほどして、原告は、当局が実家に来て警告したことを知り、また同年9月26
日ころにロヒンギャーの同級生2名が逮捕されたことを聞いて、父の故郷である《地名略》
村に隠とんしたが、間もなく、父と長兄が当局から暴行を受けて取り調べられた旨記載さ
れた父からの手紙を受け取って村を出、同年10月ころ、バングラデシュ国境を越えてロヒ
ンギャー難民キャンプへ、さらにインド、パキスタンへと逃れた。
その後、原告は、タイの首都バンコク等で政治活動に参加していたが、1990(平成2)年
5月にミャンマー総選挙でNLDが勝利したと聞いて、スー・チーらの民主化運動を支援
するために帰国を決意し、1991(平成3)年2月ころ、幼なじみの助けを借りてミャンマ
ーへ密入国してヤンゴンにたどり着いた。原告は、親戚の家を転々とした後、父や長兄の
行商の仕事を手伝いながら密かにビラ配り等の民主化運動を行うとともに、万一の際の国
外逃亡のためにブローカーを経由して旅券を入手したが、1992(平成4)年4月ころ、軍
に身分証明書、履歴書、家族関係の書類等の提出を求められ、逮捕される危険を感じたた
め、知人に相談し、同年5月、空路タイのバンコクへ出国し、同年6月22日、前記前提とな
る事実のとおりに来日した。
来日後、原告は、日本の「ロヒンギャーグループ」の代表に連絡を取ろうとしたが取れな
かったため、東京都八王子市在住のミャンマー人から教えてもらった名古屋市で活動して
いる政治団体を頼って来名したが、紹介を受けたミャンマー人がカレン民族の反ビルマ軍
ゲリラグループであるKNUに加盟することを求めたので、これを断り、苦労の末、名古屋
市内で仕事を見つけて生活するようになった。この間、原告は、タイ所在のロヒンギャー
民族の政治活動メンバーらと連絡を取り、毎月3万円位を送金していた。なお、1994(平
成6)年半ばころ、原告と連絡していることが疑われた父や義兄がミャンマーにおいて軍
から暴行を受けたのを始め、原告の実家は、何度も軍による捜査を受けたため、父は、現地
の慣習に従い、原告と親子の縁を切る旨を新聞に掲載したほどであった。 
その後、原告は、平成9(1997)年ころから、ロヒンギャー民族に限らずミャンマー国
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内で反政府活動を行ってきたメンバーによって構成され、後にビルマ民主化同盟(以下
「LDB」という。)に発展する学生ボランティアグループに参加し、その名古屋支部(以下
「LDB名古屋」という。)財務担当として、駐日ミャンマー大使館前でのデモ活動等、同国
政府に反対する政治活動をしている。そして、平成13(2001)年11月2日の入管難民法違
反による逮捕後、本件難民申請前の同月6日ころに、逮捕の事実をまだ知らなかったと思
われる両親からバンコク経由で届いた手紙によれば、ミャンマー当局が日本での原告の政
治活動を把握し、ミャンマーの家族を迫害していることは明らかであり、その後も原告の
父は、同年のクリスマス過ぎに軍情報部に連行されて、翌2002(平成14)年1月3日まで
1週間帰宅せず、その際、腕や肋骨を折られる暴行を受けている。
なお、原告の旅券及び有効期間の更新印はいずれも偽造されたものであるところ、被告
らは、差別から生じる問題を賄賂によって解決できるという程度のものであれば、そもそ
も難民には当たらないなどと主張するが、非常識極まりないというべきである。
イ ロヒンギャー民族であること
原告のロヒンギャー名はAであり、ロヒンギャー民族の出自であることは「民族:バン
ガリー/ラカイン」と記載されている原告の国民登録証明書、ロヒンギャー語を話せるこ
と、原告の幼なじみが原告のことをロヒンギャー民族であると述べていること等の事実に
照らし、明らかである。被告らは、原告の母がラカイン族であるかのように主張するが、原
告の母は「G」、その父は「H」、その祖父は「I」というロヒンギャー名を持つロヒンギャ
ー民族である。このように、原告がロヒンギャー民族であることから、1984(昭和59)年
ころ、軍人から荷物の運搬を命じられてこれを断ったところ、耳元でライフルを3発発射
され、片耳の聴力に障害を残すに至っている。
また、被告らは、原告の父が軍人であったこと、原告が教育を受けることができたこと、
家族がヤンゴンに移住したことなどを理由に、原告に対する迫害の事実やロヒンギャー民
族であることに疑義があると主張するが、原告の父が軍人であったのは、1962(昭和37)
年のネ・ウィン政権発足前に軍人になったためであり、その後も、学歴が高く英語ができ、
車の修理技術を持っていたこと等の理由で軍務を続けられたものの、1988(昭和63)年の
原告のデモ参加を理由に、軍から暴力を受け退役している。また、原告は、シットウェ地区
で生まれ、ビルマ名で育てられたため、11歳まで自分がロヒンギャーであることを知らな
かったほどで、教育を受けられたのもロヒンギャーであることを隠していたからである。
さらに、原告の親族には、仏教徒によって殺され、あるいは軍によって負傷した者もおり、
許可なしの移動の自由はないのであるから、現に迫害を受けており、被告らの主張は理由
がない。
ウ 来日が就労目的でないこと(被告らの主張に対する反論)
被告らは、原告が、平成11(1999)年12月6日ころ、仕事がなくなったため本国に帰国
したいとして名入管に出頭したこと、来日するに当たって旅券ブローカーに支払った費用
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が多額にのぼることなどを理由に、原告の本邦への入国目的は不法就労であった旨主張す
る。
しかしながら、原告は、同年11月23日ころ、タイにいた父から、母の心臓病の状態が芳
しくなくタイの病院に入院中であると聞き、タイ行きを検討して名入管に架電し、同年12
月6日ころには名入管に出頭してタイ経由での帰国を相談したが、タイ経由になるかミャ
ンマーへの直行便となるかは名入管の判断で決まると言われたため、帰国は危険だとのミ
ャンマーの妹等からの話に従って断念した経緯があるが、その際、出頭理由を仕事がない
ためとされたのは、日本語で聴取した名入管入国警備官の判断によるものにすぎない。
また、原告が旅券を取得した当時は、反軍事政権の活動家であっても、賄賂を払えば旅
券を取得できたのであり、ブローカーに支払った金員が多額であることから就労目的であ
るとするのは短絡的である。お金は父が借りて準備したものであるし、来日した理由の1
つには、原告の祖父母が仏教徒に殺されたため、父や兄弟が日本人に育てられて好印象を
持っていたこともある。
エ まとめ
以上のような事情からすれば、原告が帰国すれば、軍事政権による逮捕、投獄、拷問、ある
いは行方不明になる現実的な危険が存するものであり、原告は条約1条A項号及び議定書
1条の規定により条約の適用を受ける難民のうち、「人種……若しくは特定の社会的集団の
構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のあ
る恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、……そのような恐怖を有するために
その国籍国の保護を受けることを望まないもの」に該当する。
被告らは、UNHCRが原告をマンデート難民と認定していないことを原告に不利益な事情
として主張するが、本末転倒も甚だしい。
(被告らの主張)
ア 難民、迫害の意義及び主張立証責任
ア 難民等の意義
入管難民法に規定する「難民」とは、条約1条又は議定書1条の規定により条約の適用
を受ける難民をいうところ、その定義にある「迫害」とは、通常人において受忍し得ない苦
痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって、生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し、そ
れを受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するというためには、当該人が
迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに、通常人が
当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していること
が必要と解すべきである。
イ 難民該当性の主張立証責任
そもそも、難民の認定は、申請人各人に対して、その申請内容の信ぴょう性等を吟味し、
各人の抱える個別の事情に基づいてされるべきものであるが、その申請は、申請人が自己
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の便益を受けようとする行為であるから、これを得るためには、難民該当性を積極的に立
証しなければならない立場に置かれるのは当然のことであって、法61条の2第1項におい
て、法務大臣が、申請者「の提出した資料に基づき」難民と認定することができると規定し
たのは、一定の便益を受けようとする者は、そのような便益を享受し得る立場にあること
を自ら立証すべきとの法の一般原則を明らかにしたものにほかならない。
法61条の2の3第1項の規定を併せみても、我が国においては、難民認定申請者が、ま
ず、迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有することを認めるに足り
るだけの資料を提出することが必要であり、条約31条1項ただし書も、この法理を明文化
しているし、実質的に考えても、およそ難民該当性の判断に必要な出来事は、外国でしか
も秘密裏になされたものであることが多いから、これらの事実の有無及びその内容につい
ては、それを直接体験した申請人が最もよく主張し得る立場にあるのに対し、法務大臣は、
それらの事実につき資料を収集することがそもそも困難であるから、法61条の2第1項
が、申請人自身がこれを証明すべきものであるとしたのは合理的であるといわなければな
らない。
イ ミャンマーの一般情勢
ア 政治情勢
原告の主張イアのうち、ビルマが1948(昭和23)年にイギリスから独立したこと、同国
において、1962(昭和37)年に社会主義政権が成立したこと、1988(昭和63)年に国軍が
SLORCを組織して政権を掌握したこと、1990(平成2)年に国会の総選挙が実施され、ス
ー・チー率いるNLDが圧勝したこと、ミャンマー政府が民政移管には堅固な憲法が必要
であるとして政権を委譲していないこと、1989(平成元)年からスー・チーに対し国家防
御法違反を理由に自宅軟禁措置を課したこと及び2002(平成14)年5月にスー・チーの行
動制限が解除されたこと、以上の事実はいずれも認める。
ミャンマー政府は、スー・チーに対し、1989(平成元)年から1995(平成7)年まで自宅
軟禁措置を課し、2000(平成12)年9月には同人らを再び事実上の自宅軟禁に置くなどし
たが、同年10月から、軍事政権とスー・チーとの間で直接対話が開始され、政府は、拘束
していた政治犯170余名を2001(平成13)年10月までに釈放するとともに、NLD支部9か
所の活動再開を認め、2002(平成14)年5月には、スー・チーに対し、行動制限措置を解
除するとともに、政治活動を含むすべての活動の自由を伝えたところである。
イ ロヒンギャー民族の待遇
原告の主張イイのうち、ミャンマーが旧イギリス領であった時代に、多くのイスラム教
徒が西南部の現ラカイン州に移住し、その子孫がロヒンギャー民族と称されていること、
ロヒンギャー民族は、ミャンマー国内でイスラム教を信仰する民族であるところ、ビルマ
独立後に、同国政府により自国の民族として認められず、移動の自由について一定の制限
を課されたため、社会的に差別を受け、基本的な社会・教育・医療サービスを受けるのが
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極めて困難となり、1978(昭和53)年3月には、当時の社会主義政権により、国境付近に
居住する不法移民排除のための大規模な住民調査がされた結果として、処罰を恐れた22万
5000人のロヒンギャー民族がバングラデシュへ避難したり、1991(平成3)年3月ころに
再度バングラデシュへ難民が流出して一時難民数は25万人を超えたことがあったこと、以
上の事実はいずれも認めるが、その余は知らない。
上記の難民流出後、国際社会の支援や国連難民高等弁務官の協力等によって、多くのロ
ヒンギャー難民がミャンマーに帰還し、2001(平成13)年9月現在、バングラデシュに残
るロヒンギャー民族は約2万1600人に減少するなど、帰還民の再定住支援が重大な問題
となっている。また、1982(昭和57)年の新しい国籍法(ビルマ市民権法)によっても、ロ
ヒンギャー民族が市民権を取得するのは非常に難しい状況であったことは確かであるが、
ロヒンギャー民族のすべてが国籍を取得できなかったということではない。2000(平成
12)年現在、UNHCRは、ロヒンギャー民族の国籍問題の解決についてミャンマー政府と
意見交換をしているが、UNHCR自体、海外にいるロヒンギャー民族が、条約等上の「難民」
にも、また、UNHCR規程に所定の責務(マンデート)に基づき、国連総会及び経済社会理
事会の決議中に反映された難民的状態に置かれた他の部類の者について、これより広い範
囲で独自に「高等弁務官の関心の対象となる者」として認定するいわゆるマンデート難民
にも該当するわけではないことは認めている。
以上のとおり、本件不認定処分時において、真にロヒンギャー民族に対する迫害が存在
していたかは極めて疑わしい。
ウ 原告固有の事情
ア 原告の政治活動
原告の主張ウアの事実は知らない。
原告は、1988(昭和63)年8月8日、ラングーンで大規模な反政府デモに参加したこと
から当局にマークされることになった旨主張するが、デモに参加した事実さえ信用し難い
ものであるし、同年、バングラデシュ、インド経由でパキスタンに出国した後も、1991(平
成3)年にはミャンマーに帰国している。また、原告は、ミャンマー政府発行の真正な旅券
を入手しているが、これを取得できた理由についても、当初は元軍人であった父のコネと
お金の力によったと述べながら、裁判になるとブローカーに賄賂を払ったためと大きく供
述を変遷させており、かつその変遷に合理的理由がないという不自然さが認められる。そ
もそも、賄賂によって差別から生じる問題を解決できるという程度のものであれば、迫害
を受けているとはいえない。さらに、原告が、1991(平成3)年8月から10月までの間に
ミャンマーにおいて国際運転免許証を取得し、本邦滞在中の1993(平成5)年に運輸行政
局から再発行を受けた事実や、平成7(1995)年から平成11(1999)年までの間、在京ミ
ャンマー大使館において現在所持している旅券の更新手続を行っている事実は、原告がミ
ャンマー政府から迫害どころか保護を受けていることを示しており、原告がミャンマー政
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府から手配されているとは考えられない。
次に、原告は、1988(昭和63)年9月、学生運動に加わり、シットウェ刑務所で受刑して
いたバングラデシュ人7、8名を解放した旨を主張するが、原告は、ミャンマーにおける
政治活動のうち最も具体的かつ重要な事実である刑務所解放運動について、名入管による
調査時に何ら供述していないこと、刑務所長が鍵を渡した理由が不合理であることなどに
照らすと、原告は、かかる運動に参加していないことが強く推測されるというべきである。
仮に、この解放運動を原因として、原告に対する手配が真実になされたとすれば、それは、
暴力による「刑務所破り」という重大犯罪に対する通常の刑事手続の一環とみるのが妥当
であるから、手配を受けたことをもって政治的意見を理由に迫害を受けたということはで
きない。
そして、原告は、本邦において反ミャンマー政府活動を行っているところ、これが既に
ミャンマー政府の知るところとなっており、軍政府が倒れるまで帰って来てはいけないな
どと書かれた手紙が家族から送付されたと主張するが、原告は、本邦においてロヒンギャ
ーグループが活動しているのを知りながら、タイで聞いた同グループの代表の電話番号に
つながらなかったというだけの理由で、東京から何の縁もない名古屋に移動し、全く異な
るグループで政治活動を行っていたというのであり、その後も当初のロヒンギャーグルー
プとは一切連絡を取った様子がなく、不法就労で稼いだお金から毎月3万円くらいをタイ
のロヒンギャー民族の政治活動のメンバーに送金していたとの主張に関しても具体的な立
証資料が全く提出されていないことからしても、原告が、真にロヒンギャー民族の権利回
復のための反ミャンマー政府活動を行っていたかは疑問があるといわざるを得ないし、提
出された手紙の消印、あて先等にも不審な点があって、ミャンマーの家族から送付された
ものではなく、本邦にいる原告又は原告の関係者が原告の主張に合わせて作成したものと
推認されるから、原告の供述に信ぴょう性はない。
イ 原告の民族的出自
原告の主張ウイの事実は知らない。
原告は、ミャンマーの中ではロヒンギャー民族か否かについては一目で分かるという一
方で、ロヒンギャー民族の風習については特に説明できないと述べているが、自分の民族
の風習について説明できないということは、原告がロヒンギャー民族であること自体疑わ
しいということを示している。
また、ビルマ市民権法2条は、国籍を有する者として「市民」、「准市民」、「帰化市民」の
3種類があること、同法3条は、完全な国民としての権利を有する市民の範囲にラカイン
族を含めること、同法7条は、両親の一方が「市民」で他方が「准市民」又は「帰化市民」で
ある子を「市民」とすること、以上のように規定しているところ、原告の所持する国民登録
証明書の「民族」欄の「バンガリー/ラカイン」の記載は、両親が「バンガリー族」と「ラカ
イン族」の出自であることを示すと考えるのが合理的であり、したがって、原告の母が「市
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民」である以上、原告も完全な国民である「市民」の扱いを受けているというべきである。
このことは、同証明書右上の「ナイン」というミャンマー語が、同証明書の所持者がミャン
マー国民であることを証明していることからも明らかである。
さらに、原告は、父が軍人であったと主張するが、国家権力そのものである軍隊の性質
からして、軍隊に属する軍人は自国の国民であるのが当然であり、少なくとも自国から迫
害を受けるおそれのある民族が軍人として採用されるとは考えられず、原告がミャンマー
政府から迫害を受けていたとの主張と明らかに矛盾する。まして、原告の父は、上官であ
るJ大尉から精米所の経営を許可されていたのであるから、国家から迫害を受けていた
どころか、自営の道を認めるという保護を受けていたというべきである。なお、原告が、
1984(昭和59)年ころ、ロヒンギャー民族であることから軍人に耳元でライフルを3発発
射されたというのは、仮に発砲があったとしても、原告が荷物の運搬を断ったのに対して
感情的になった軍人が、威嚇のため発砲したにすぎないと考えるのが合理的である。
加えて、原告は、ロヒンギャー民族には教育の機会が与えられず、また、居住権が否定さ
れ、ヤンゴンに居住することは認められない旨述べるが、他方で、原告は、ラカイン州シッ
トウェの軍基地内のアタカという5年制の小学校及び5年制の高校で教育を受け、アキャ
ブ市内の第6学校に在学し8学年まで進級したと述べているし、原告の家族はヤンゴンに
移住し、全員ミャンマーで継続して生活しており、1人たりとも迫害を受けていることを
理由に出国している者はおらず、どちらかといえばミャンマーでは恵まれており、本邦で
不法就労する原告からの送金は必要ないほどであったというのであるから、このような家
族の中にあって原告だけがロヒンギャー民族を理由に迫害を受けたとは考えられない。原
告の親族が当局の暴力によって傷害を負ったというのは20年以上も前の話であって、その
真偽は定かではないし、仮に真実であったとしても、迫害であるのか個人的な暴力である
のか、傷害の状態・程度などについても定かではない。
したがって、原告がミャンマー政府から国民として扱われておらず、迫害を受けていた
との主張は信ぴょう性がない上、上記のとおり、そもそも原告がロヒンギャー民族である
ということ自体に重大な疑義があるから、ロヒンギャー民族であることを理由としてミャ
ンマー政府から迫害を受けるおそれがあると判断することはできないというべきである。
ウ 就労目的による原告の来日
原告は、2度目の出国後タイに行き、本邦向けの偽造旅券を取得するのに4500ドル又は
6000ドルを支払ったと供述するが、この金額は、ミャンマーの1997(平成9)年における
1人当たり国民総生産の20倍前後に相当する莫大なもので、通常のミャンマー人に用意で
きる金額ではなく、まして、差別と迫害を受けて生活している原告の父が簡単に送金でき
る額であるとは考えられないから、原告は日本での就労を求めてブローカーに手続を依頼
したと考えるのが合理的である。このことは、原告が、平成11(1999)年12月6日に、不
法入国したとして名入管に出頭した際の、会社が倒産して仕事を失ったためミャンマーに
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帰国しようと思った旨の供述とも整合性がある。
本邦に不法入国後、不法就労して金を稼いだ外国人が、地方入国管理局等に出頭し帰国
するというケースは、経験則上非常に多いケースであり、しかも、原告は、その後名入管か
らの再出頭の要請に応じず、2年近く本邦に在留して不法就労を継続していた点を考慮す
ると、原告は、条約等上の難民ではなく、不法な手段により、より豊かな生活を求めて移住
していく移住労働者であると見るのが合理的である。
原告は、来日の理由の一つに、父や兄弟が日本人に育てられたことを挙げるが、ロヒン
ギャー民族の居住地域は外国人の立入りが禁じられているというのであるから、日本人が
育てることができたはずがないし、そのような経緯があって、ミャンマー政府から真に迫
害を受けているのであれば、原告の家族も日本に来るはずであるが、原告以外に来日した
家族はいない。
エ まとめ
原告の主張エは争う。
前記アのとおり、難民該当性については、難民認定申請者が主張立証すべき責任を負うと
ころ、原告についていえば、イ、ウで述べたとおり、原告の供述は、関連状況との整合性も一
貫性もなく、原告が、本邦に入国するまで、バングラデシュ、インド、パキスタン、タイ、香
港及び台湾に入国しながら、全く難民申請をせずに、本邦入国後9年以上も不法就労し、名
入管に収容されて初めて難民申請した事実からしても、ミャンマー政府から迫害を受けてい
るという主張に信ぴょう性は認められず、これを立証する資料は提出されていない。したが
って、原告が帰国した場合に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有す
るとは到底認められるものではないから、原告は実質的な難民に該当しない。
なお、原告は、名入管に収容された後、UNHCRの難民申請をしたようであるが、マンデー
ト難民として認定を受けたというような主張は何らされておらず、このことは、原告を本国
へ送還した場合に人道上の問題が生じるおそれがないことを裏付けるものである。

退去強制令書執行停止申立事件
平成15年(行ク)第249号
申立人:A、相手方:東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:鶴岡稔彦・新谷祐子・加藤晴子)
平成15年10月17日
決定
主 文
1 相手方が平成15年8月27日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、平
成15年10月17日午後3時以降、本案事件(当庁平成15年(行ウ)第506号退去強制令書発付処分
取消等請求事件)の第一審判決の言渡しの日から起算して15日後までの間、これを停止する。
2 申立人のその余の申立を却下する。
3 申立費用は、これを2分し、その1を申立人の負担とし、その余を相手方の負担とする。
理 由
第1 申立の趣旨
相手方が平成15年8月27日付けで申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、本
案訴訟(当庁平成15年(行ウ)第506号退去強制令書発付処分取消等請求事件)の判決確定に至る
まで、これを停止する。
第2 申立の理由
本件申立の要点は、申立人は、「収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動を専ら行
っていると明らかに認められる者」(出入国管理及び難民認定法《以下「法」という。》24条4号イ)
に該当せず、法24条所定の退去強制事由に該当しないのに、法務大臣が、申立人がした法49条1
項の異議の申出に対して同異議の申出に理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし、
相手方が退去強制令書発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)をしたのは違法であり、本
件裁決及び本件退令発付処分は取り消されるべきであるから、本件は「本案について理由がない
とみえるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に当たらず、申立人には本件退令発付処分による回復
困難な損害を避けるために執行停止を求める緊急の必要性があるというものである。
相手方は、本件執行停止申立は、執行停止が許されない要件である行政事件訴訟法25条3項に
定める「本案について理由がないとみえるとき」、「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあ
るとき」に該当し、かつ、執行停止の要件である同条2項に定める「回復の困難な損害を避けるた
め緊急の必要があるとき」に該当しないから、理由がないと主張する。
第3 当裁判所の判断
1 執行停止の必要性(行政事件訴訟法25条2項)について
1 送還部分について
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本件退令発付処分の送還部分が執行された場合、申立人は、その意思に反して本国に送還さ
れることとなり、それ自体が申立人にとって重大な損害になる上に、仮に申立人が本案事件に
おいて勝訴判決を得ても、送還前に置かれていた原状を回復する制度的な保障はないことに加
え、申立人自身が法廷において尋問に応ずることが不可能となって立証活動に著しい支障を来
し、また、訴訟代理人との間で訴訟追行のための十分な打ち合わせができなくなるなど、申立
人が本案事件の訴訟を追行することも著しく困難となるおそれがあるものというべきであるか
ら、「回復の困難な損害を避けるための緊急の必要」があるものというべきである。
2 収容部分について
次に、収容部分について検討する。
本件は、適法な在留資格を得て本邦に在留中の申立人が、法24条4号イに該当するものとし
て、退去強制令書発付処分を受けた事案である。したがって、同条項に該当するとの認定判断
が誤っていたとすれば、申立人は、依然として適法に本邦に在留し、活動をする資格を有して
いたはずであったといえるのであり(なお、申立人は、平成14年10月8日に、在留資格を就学、
在留期間を1年として上陸許可を得たものであるから、現在においては、その在留期間が経過
していることになる。しかしながら、疎明資料によれば、申立人は、在留期間更新許可申請をし
ていることが認められ、上記の事情がなければ、その許可を受ける可能性は十分にあったもの
といえるから、上記の点を考慮したとしても、本件が、単純な不法入国や不法残留のケースと
は事案を異にすることは明らかである。)、このような申立人の地位は、法の規定を前堤とした
としても、十分に保護に値するものである。そうすると、単純な不法入国や不法残留の事案に
おいては、当該外国人には、適法に本邦に在留し、活動をする資格がない以上、本邦において活
動をすることができないことや、その活動を阻止するために身柄が収容されることも通常はや
むを得ない事柄であって、原則として回復困難な「損害」という評価には値しないという考え
方が生ずる余地があり得るとしても、適法な在留資格を有し、又は有することができたはずで
あるといえる申立人については、その前提を異にし、収容それ自体によって生じる不利益や、
本邦において活動することができなくなることによる不利益をも回復困難な損害が生ずるかど
うかの判断に当たって考慮することに差し支えはないものというべきである(相手方自身、収
容部分の執行停止が極めて例外的にしか許されない理由として、①退去強制令書の執行による
収容には、その対象者が本邦において活動を行うことを禁じる意味も含まれていることと、②
法は、在留資格を有せず、入国管理局の管理下にないような外国人の存在を予定していないこ
とを挙げているのであるが、退去強制令書が違法に発付された場合にまで①の点を貫徹させる
べき理由はないことからすれば、相手方の主張の実質的な根拠となり得るのは②の点であると
考えられる。ところが、本件においては、②の理由はそのままには当てはまらないということ
になるのであるから、相手方の主張は、その前定を欠くことにならざるを得ない。)。
この観点から考えた場合、申立人は、身柄が収容されることそれ自体によって重大な不利益
を受けており、これは一般的には金銭賠償によって救済することは困難であるというべきであ
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ることに加え、次のような事情も一応認められる。すなわち、疎明資料によれば、申立人は、昭
和57年(1982年)5月15日に中華人民共和国遼寧省で出生した中国の国籍を有する女性であ
り、平成14年10月8日に就学の資格で在留期間を1年として本邦に入国したものであるが(乙
1)、同月18日に日本語学校である東京都中野区所在のB学院の大学進学コースに入学し、平
成15年6月13日に法70条4号違反の被疑事実で現行犯逮捕されるまでの間、授業日数142日
のうち、無遅刻で139日(98パーセント)の授業に出席し、大学に進学するという目的の下、真
面目に勉強しており、担当教師の信頼も厚く、授業態度や成績も非常に優秀で模範生的な存在
であったこと(甲1)、このため、同学院学院長は、申立人が収容された後も、復学した際には
責任を持って指導することを誓約し(甲3)、同学院理事長のCも、申立人が収容を解かれた場
合には、同人を同学院に迎え入れ、指導監督することを誓約している(甲10)ものの、申立人が
除籍猶予処分を受けている期間は、平成15年7月から6か月間にとどまり、その後においても
復学が保証されているとは限らないこと、申立人は、現在も日本の大学への進学を希望して日
本語の勉強を継続しているが、平成15年11月に、日本の大学に進学するために必要な日本語検
定試験の受験を控えていること(甲11、乙19、21)などの事実を一応認めることができるから、
これ以上収容が継続された場合には、仮に、本案事件において本件退令発付処分が違法である
とされた場合においても、同学院から除籍され、日本語検定試験を受験する機会を失うことに
より、本邦における学業を断念せざるを得なくなる可能性が十分あると認められる。このよう
な事態は、多額の費用を負担して来日し、勉学に励んできた申立人の努力を無に帰するもので
あって、申立人に対し、著しい損害を与えるものというべきである。そして、以上のような、身
柄収容それ自体による不利益や、学業を断念せざるを得なくなることによる不利益等は、著し
く、かつ回復困難なものというべきであるから、収容部分についても、「回復の困難な損害を避
けるための緊急の必要」があるものというべきである。
2 本件退去強制令書について、「本案について理由がないとみえるとき」の要件に該当するか否か
本件裁決及び本件退令発付処分は、申立人が法24条4号イに該当するものとしてなされたもの
であるところ、同号は、在留の資格要件に違反して収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受
ける活動を専ら行っていると明らかに認められることをその要件としている。そこで、申立人に
おいて、当該要件を満たす活動を行っていたとみえるかどうかについて検討する。
前記1の2認定のとおり、申立人はB学院の授業に98パーセントの割合で出席し、成績も優
秀であると認められる上に、疎明資料によれば、申立人の本邦への渡航費用、B学院の授業料及
び寮費(98万2500円、乙27)、これまでの生活費等はいずれも申立人が後記アルバイトで得た金
銭で補填した部分以外は基本的に祖国の両親がすべて負担してきたもので(乙7、10、21、26、
27、28)、今後も両親から援助を受けることが可能であり、申立人には本邦における生活を維持
するために必ずしも就労しなければならない事情はないこと(乙7、10、26、28)、申立人は、就
学の在留資格を有して本邦に入国したものであるが(乙1)、平成14年12月20日、東京入国管理
局に対し、資格外活動許可申請をし、同日、有効期限を平成15年10月8日まで、内容を「1日4
- 4 -
時間以内の収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動(風俗営業若しくは店舗型性風
俗特殊営業が営まれている営業所において行うもの又は無店舗型性風俗特殊営業、映像送信型性
風俗特殊営業、店舗型電話異性紹介常業若しくは無店舗型電話異性紹介営業に従事するものを除
く。)で専修学校、各種学校又は設備及び編制に関して各種学校に準ずる機関に在籍している間に
行うもの」とする資格外活動許可を受けたこと(乙34、39)、申立人は、両親から生活費のことは
心配しなくてもよいと言われていたものの、両親に生活費援助の負担をかけたくないとの気持ち
から、①平成14年12月10日から平成15年5月30日までの約半年間(同年3月下旬から5月上旬
まではほぼ休職)、都内の居酒屋で皿洗いとして稼働し、月額7万円程度の収入を得、②同年3月
21日から同年5月7日までの間、都内のスーパーにおいて時給950円の食品加工の業務に従事し
たが、これらはいずれもおおむね1日4時間以内の稼働であり、学業と両立していたこと(乙7、
10、17、19、21)、申立人は、同年5月20日から6月11日のうちの11日間、都内の性風俗店「D」
でビラ配り及び客引きとして1日4時間程度稼働し、合計約9万2900円の報酬を得ていたとこ
ろ(乙7、10)、同年6月13日、これが法70条4号違反であるとして現行犯逮捕され、その後勾留
された(甲2、乙2)が、同被疑事件によって起訴されることはなかったこと(甲4)、「D」にお
けるアルバイトは申立人のいとこからの紹介で始めたものであるが、申立人は当初「D」が風俗
店であることを知らず、かつ、同年5月末ころには雇用者に対し同店におけるアルバイトを辞め
たいと伝えていたが、同人から慰留され代わりの人が見つかるまでということで継続していたに
すぎないこと(乙10、14)、申立人は同店におけるアルバイトを行っていた期間も並行してこれ
までどおり真面目に学業に勤しんでいたこと(乙10)などの事実を一応認めることができる。
これらの事実からすると、まず、申立人の上記①②のアルバイトについてはほぼ申立人が得た
資格外活動許可の範囲内にとどまるものといえる(申立人が同許可を得たのは前記①の稼働を開
始してから10日経過した後であるが、これだけの事情で「専ら」資格外活動を行ったものとは言
い難い。)。
また、「D」におけるアルバイトは、風俗営業が営まれている営業所における活動であるから、
前記資格外許可の範囲外であって資格外活動に該当するが、申立人が稼働したのは11日間と短期
間に過ぎず、稼働内容も184時間程度のビラ配りと客引きにすぎないものであって、これにより
得た収入も総額で約9万2900円にとどまる一方、この間も申立人は従前どおり学業に励んでい
たことなどの事情に照らせば、こうした活動をもって申立人の在留目的が「就学」から実質的に
変更したといい得るかについては現段階では相当疑問の余地があり、「専ら」資格外活動を行って
いたことが明らかとはいえないから、上記消極要件を具備しないと考えられる。
3 「公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとき」(行政事件訴訟法25条3項)に該当する
かどうかについて
相手方が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとして主張するところは、執行停止に
よる一般的な影響をいうものであって具体性がなく、本件において、本件退令発付処分に基づく
送還の執行を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの事情をうかがわせる
- 5 -
疎明はない。
また、疎明資料によると、申立人は、在籍していたB学院に復学が可能であること(甲3)、身
元保証人である同学院学院長及び理事長並びに申立人がアルバイトをしていた居酒屋の店長が今
後の監督を誓約していること(甲3、10、14)、申立人が、これからも勉学を続け日本において大
学に進学する強い意欲を持っていること、資格外活動を行ったことを反省し、今後は資格外活動
を一切行わないことを誓約していること(乙21)などの事実を一応認めることができるから、現
時点で申立人の収容を解いたとしても、申立人が逃亡したり、再度資格外活動を行うとは考えに
くく、収容部分の執行を停止しても、上記消極要件に該当する事実が生ずるとは認めがたい。
4 結論
よって、本件申立は、主文第1項記載の限度で理由があるからこれを認容し、その余の部分は
必要性がないからこれを却下することとし、申立費用の点について、行政事件訴訟法7条、民事
訴訟法61条、64条本文を適用して、主文のとおり決定する。

退去強制令書発付処分取消等請求事件
平成13年(行ウ)第34号
原告:Aほか2名、被告:法務大臣・東京入国管理局主任審査官
東京地方裁判所民事第3部(裁判官:藤山雅行・廣澤諭・加藤晴子)
平成15年10月17日
判決
主 文
1 被告東京入国管理局主任審査官が平成12年11月28日付けで原告A、同B及び同Cに対してし
た各退去強制令書発付処分をいずれも取り消す。
2 原告らの被告法務大臣に対する各訴えをいずれも却下する。
3 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第1 請求
1 主文第1項同旨
2 被告法務大臣が平成12年11月28日付けで原告A、同B及び同Cに対してした、出入国管理及び
難民認定法49条1項に基づく各原告の異議申し出は理由がない旨の各裁決をいずれも取り消す。
第2 事案の概要
1 事案の要旨
本件は、いずれも大韓民国の国籍を有し、在留期間を徒過して本邦における在留を続けること
となった原告A(以下「原告夫」という。)、その妻である原告B(以下「原告妻」という)及びその
子である原告C(以下「原告子」という。)が、被告法務大臣が平成12年11月28日に原告らに対し
てした出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)49条1項に基づく各原告の異議申し出は
理由がない旨の各裁決(以下「本件各裁決」という。)及び被告東京入国管理局主任審査官が同日
に行った各退去強制令書発付処分(以下「本件各処分」という。)はいずれも違法であるとしてそ
の取消しを求めるものである。
2 判断の前提となる事実(争いがない。)
 当事者
原告夫は、1959年6月25日生まれの大韓民国(以下「韓国」という。)国籍を有する男性であ
り、原告妻は、1960年9月7日生まれの同国国籍を有する女性であり、両名は夫婦である。原
告子は、1992年10月26日に原告夫と原告妻の間に生まれた女児であり、韓国国籍を有するも
のである。
 原告らの入国及び在留の経緯
ア 原告らは、平成6年4月7日、韓国のソウルから日本航空機で名古屋空港に到着し、名古
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屋入国管理局名古屋空港出張所入国審査官に対し、各人の外国人入国記録の渡航目的の欄に
「方問(訪問)」、日本滞在予定期間の欄には「10 day(10日)」と記載して上陸申請をし、同入
国審査官から法別表第一に規定する在留資格「短期滞在」及び在留期間15日の許可を受け、
本邦に上陸した。
イ 原告らは、在留資格の変更又は在留期間の更新の申請を一度も行うことなく、在留期限で
ある平成6年4月22日を超えて本邦に不法残留するに至った。
ウ 原告らは、平成9年10月27日、群馬県前橋市長に対し、居住地を群馬県前橋市《住所略》
として、外国人登録法に基づく新規登録を行い、同年11月21日、外国人登録証明書の交付を
受けた。
 原告らの退去強制手続の経緯
ア 原告夫は、平成12年8月21日、前橋市所在の総合交通センターにおいて、群馬県警前橋警
察署員により、法違反(不法残留)により、現行犯逮捕された。
イ 前橋地方検察庁は、平成12年8月23日、法62条に基づき、原告夫について、法24条(不法
残留)に該当するとして、東京入国管理局(以下「東京入管」という。)調査第3部門あて、通
報を行った。
ウ 前橋地方検察庁は、平成12年9月1日、原告夫を、法70条1項5号に該当するものとして、
前橋地方裁判所に対して起訴した。
エ 原告夫は、平成12年10月6日、前橋地方裁判所から懲役2年執行猶予3年の判決を受け
た。
オ 東京入管入国警備官は、平成12年10月6日、原告夫が法24条4号ロ(不法残留)に該当す
ると疑うに足りる相当の理由があるとして、東京入管主任審査官から収容令書の発付を受
け、同日、同令書を執行して原告夫を東京入管収容場に収容し、同日、違反調査を行い、原告
夫を法24条4号ロ該当容疑者として、東京入管入国審査官に引き渡した。
カ 東京入管入国審査官は、平成12年10月10日及び同月12日、原告夫について違反審査を行
い、その結果、同月12日、原告夫が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い、原告夫にこれ
を通知したところ、原告夫は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。
キ 東京入管入国警備官は、平成12年10月19日及び同月20日、原告妻及び原告子について違
反調査を実施した結果、原告妻が法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当
の理由があるとして、同月20日、東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け、同月25日、
同令書を執行して、原告妻及び原告子を法24条4号ロ該当被疑者として、東京入管入国審査
官に引渡した。東京入管主任審査官は、同日原告妻及び原告子に対し請求に基づき、仮放免
を許可した。
ク 東京入管入国審査官は、平成12年10月25日、原告妻及び原告子について違反審査を行い、
その結果、原告妻及び原告子が法24条4号ロに該当する旨の認定を行い、原告妻及び原告子
にこれを通知したところ、原告妻及び原告子は、同日、東京入管特別審理官による口頭審理
- 3 -
を請求した。
ケ 東京入管特別審理官は、平成12年10月30日、原告夫について、口頭審理を行い、その結果、
同日、入国審査官の上記カの認定は誤りがない旨判定し、原告夫にこれを通知したところ、
原告夫は、上記同日、法務大臣に対し、異議の申出をした。
コ 東京入管特別審理官は、平成12年11月9日、原告妻及び原告子について、口頭審理を行い、
その結果、同日、入国審査官の上記クの認定は誤りがない旨判定し、原告妻及び原告子にこ
れを通知したところ、原告妻及び原告子は、同日、法務大臣に対し、異議の申出をした。
サ 法務大臣は、平成12年11月28日、原告夫からの上記ケの異議の申出については、理由がな
い旨裁決し、上記裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は、同日、原告夫に本件裁決を告
知するとともに、送還先を韓国とする退去強制令書を発付した。そこで、東京入管入国警備
官は、同月29日、これを執行し、夫を引き続き東京入管収容場に収容した。
シ 法務大臣は、平成12年11月28日、原告妻及び原告子からの上記コの異議申し出について
は、理由がない旨裁決し、上記裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は、同年12月22日、
原告妻及び原告子に本件裁決を告知するとともに、送還先を韓国とする退去強制令書を発付
した。東京入管主任審査官は、平成12年12月22日、原告妻及び原告子に対し、請求に基づき、
仮放免を許可した。
ス 東京入管入国警備官は、平成12年12月26日、原告夫を入国者収容所東日本センターに移収
した。その後、東京入管主任審査官は、平成14年7月17日、原告夫に対して仮放免を許可し
た。
第3 当事者の主張
1 被告ら
 本件各裁決の適法性について
ア 原告らの退去強制事由
原告夫、原告妻及び原告子が、在留資格の変更又は在留期間の更新の許可申請を行うこと
なく、在留期限である平成6年4月22日を超えて本邦に不法残留したことは前記第2、2
イのとおり争いがなく、原告夫、原告妻及び原告子が法24条4号ロに規定する退去強制事由
に該当することは明らかである。したがって、原告らが退去強制事由に該当することを認め
た特別審理官の判定に何ら誤りはない。
イ 在留特別許可に係る法務大臣の判断の適法性
ア 法務大臣の広範な裁量権
法務大臣は、異議の申出に対する裁決に当たって、異議の申出に理由がないと認める場
合でも、特別に在留を許可すべき事情があると認めるときは、その者の在留を特別に許可
することができるところ(法50条1項3号)、このような在留特別許可は、退去強制事由に
該当することが明らかで、当然に本邦からの退去を強制されるべき者に対し、特別に在留
を認める処分であって、その性質は、恩恵的なものであるというべきである。そして、在
- 4 -
留特別許可の判断をするに当たっては、当該外国人の個人的事情のみならず、その時々の
国内の政治・経済・社会等の諸事情、外交政策、当該外国人の本国との外交関係等の諸般
の事情を総合的に考慮すべきものであることから、在留特別許可に係る法務大臣の裁量の
範囲は極めて広範なものであって、当該裁量権の行使が違法となることは容易には考え難
く、例外的に当該外国人について本邦に在留することを認めなければならない積極的な理
由があると認められる場合に限って、これが違法になると考えられる。したがって、その
ような理由の存在については、原告らにおいて主張立証すべきものであり、法務大臣が裁
決をするに当たっての判断の基礎とした事実がいかなるものであったかについては、それ
自体およそ争点となり得ないのである。
イ 本件各裁決に裁量権の逸脱又は濫用がないこと
a 原告夫及び原告妻は、渡航目的を「方問(訪問)」、日本滞在予定期間を10日と申告し
て上陸したにもかかわらず、その後まもなく不法就労を開始し、その不法就労を行った
期間は長期に及んでいるのであり、出入国管理行政上看過し難い。この点原告らは、ド
イツ在住の原告夫の叔父を訪問するためドイツに向かう際に、本邦に在住する原告妻の
姉を訪ねるために立ち寄ったものであると主張し、当初から不法就労目的を有していた
ものではないとするが、これらは客観的事実と符合せず信用できないものであり、当初
から本邦に不法就労目的で入国したというほかなく、原告らが不法残留に至った経緯
は、極めて計画的であったというべきである。 
さらに、原告夫は、平成12年8月21日に逮捕された当時、食品衛生法上の営業許可を
取得することなく、居酒屋「D」の営業をしていたものであり、このような行為が我が国
の公衆衛生上の観点からも許容し難いものであることは明らかである。
b 原告夫、原告妻及び原告子は、韓国で出生・生育したもので、原告夫及び原告妻につ
いて、今回来日前、韓国で従事していた仕事のために本邦に短期間滞在した事実が数回
認められるものの、いずれも我が国とは何ら特別な関係を有していなかったものであ
る。また、原告夫及び原告妻の親兄弟は、原告妻の姉が本邦に在住しているとするほか、
すべて韓国に在住しており、原告夫及び原告妻ともに稼働能力を有する健康な成人であ
ること、本邦で不法就労して、前橋市に木造2階建ての家屋を原告妻名義で所有してお
り、同家屋購入時の借金等についても順調に返済するだけの収入を得ていることなどに
照らせば、原告らが韓国に帰国したとしても本国での生活に支障はないといえる。また、
原告子は、いまだ可塑性に富む年代にあり、仮に当初は言語や生活習慣の面で多少の困
難を感じることがあるとしても、現地での生活を経験することが言語や生活習慣を身に
つける最善の方法であり、両親とともに帰国するのが子の福祉又はその最善の利益に適
うところであることは明らかであり、自国の生活習慣及び言語等に習熟した両親ととも
に帰国し、他の親族の在住する韓国での生活に慣れ親しむことは十分に可能であると見
込まれる。したがって、原告らについて、本邦への在留を認めなければならない特別な
- 5 -
事情が存在するとは認められない。
確かに、原告らは、本邦に不法に残留する間に一定の安定した生活状態を形成した旨
主張するが、生活の基盤となる家族の結合にしても、経済的な基盤にしても虚構の生活
であって存在すること自体定かではないし、この間、原告らが外国人登録をした市役所
から不法残留の事実が東京入管に連絡されたこともなく、その在留が容認されていたも
のでもないし、最高裁昭和54年10月23日第3小法廷判決は、「本邦に不法入国し、その
まま在留を継続する外国人は、出入国管理令9条3項の規定により決定された在留資格
をもって在留するものではないので、その在留の継続は違法状態の継続にほかならず、
それが長期間平穏に継続されたからといって直ちに法的保護を受ける筋合いのものでは
ない」と判示しており、これは、近時の裁判例においても踏襲されているところ、本件に
おいても当てはまるものといえる。そもそも不法残留は、法70条1項5号による処罰の
対象となる違法行為であり、原告夫及び原告妻が本邦において長期間不法就労活動を行
ったという事実は、違法行為が長期間に及んだことを意味するものであるから、被告法
務大臣が原告らの在留特別許可の可否を判断する上で、当該事実を有利な事情と解しな
ければならない理由はないのであり、むしろ、長期にわたる不法残留事実や不法就労事
実等が在留特別許可の判断において消極的要素として評価されるべきものである。
c 以上のような諸事情を考慮すれば、法務大臣が本件各裁決に当たって付与された権限
の趣旨に明らかに背いて裁量権を行使したものと認め得るような特別の事情が存在する
とは認められない。
ウ 原告らの主張に対する反論
a 原告らは、法務大臣による本件各裁決は、原告らの居住の自由を侵害するものである
旨主張する。
しかし、最高裁判所昭和53年10月4日大法廷判決が判示しているように、在留する外
国人に対する憲法の基本的人権の保障は、適法な在留資格という基盤の上において与え
られているにすぎないものである。そして、その基盤を形成する在留の許否を決定する
国家の裁量を拘束するような範囲まで基本的人権の保障が及ぶものと解することはでき
ないのである。
したがって、原告らが主張する居住の自由(憲法22条1項)は、在留制度の枠内で保
障されるにすぎないと解され、本件各裁決が居住の自由の侵害である旨の主張は失当で
ある。
b 児童の権利に関する条約(以下「子どもの権利条約」)に違反しないことについて
原告らは、子どもの権利条約3条1項が、児童に関するすべての措置をとるに当たっ
ては、児童の最善の利益が主として考慮されるべきことを定めているところ、本件にお
いては、原告らに在留を特別に許可することが児童の最善の利益であるとして、これを
与えなかった本件各裁決は子どもの権利条約3条に違反する旨主張する。
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しかし、外国人は、憲法上、本邦に在留の権利ないし引き続き在留することを要求す
る権利を保障されているものでもなく、外国人の本邦への上陸、在留を認めるか否かに
ついては、国際慣習法上、主権国家の広範な裁量により決し得るところであり、外国人
に対する出入国や在留の管理は、国内の治安や保健・衛生の維持、確保、労働市場の安
定等の国益保持のための政策的見地から国際情勢や外交関係等について政治的配慮をし
た上で決定されるものであることからすれば、原告らが主張する原告子の「最善の利益」
については、在留制度の枠内で保障されるにすぎないものであり、原告子について、上
記主張にかかる事情が存在するとしても、本件各裁決は、子どもの権利条約3条に違反
するものではない。
そもそも、原告夫及び原告妻について在留特別許可を与えることが妥当でない以上、
両名の未成年の実子でその扶養を受けるべきものについては、両親とは別に扱わず、同
様に在留特別許可を与えないことが、むしろ家族を分離させる結果を招かないことか
ら、子どもの権利条約に定める児童の「最善の利益」にも反しないこととなるのである。
そして、原告子はいまだ可塑性に富む年代にあり、仮に当初は言語や生活習慣の面で
多少の困難を感じることがあるにしても、両親とともに帰国し他の親族の在住する韓国
での生活に慣れ親しむことは十分に可能と見込まれるものであることは前記イbのとお
りであるから、本件各裁決が子どもの権利条約3条1項に違反するものであるとはいえ
ない。
c 原告らは、韓国に帰国しても、親類の経済的支援を受けることもできず、自己資金も
なく、新たに事業を開始することも困難なのであるから、韓国での生活基盤の再建が極
めて困難であることは明らかであると主張する。
しかしながら、原告夫及び原告妻の近しい親族が、仮に原告らの生活に何らかの支障
が生じた場合に何らの援助も行わないということは考え難いし、原告夫が韓国を出国す
る際に整理しなかった借金について、原告夫の親戚が原告夫が所有していた家屋を譲り
受ける代わりに肩代わりしてくれたというのであり、協力的な関係が築かれていること
が認められる。また、韓国において収入を得る方途が新たに事業を開始することに尽き
るものでないことも明らかであり、結局、原告らは、転居に伴う通常の不便をいうにす
ぎない。
なお、原告らは、韓国に帰国した場合、本邦におけるのと同様の生活レベルを維持す
るのが困難であるとし、これを問題とするものとも解されるが、そのような事情が本件
裁決の違法事由たり得ないことは明らかである。
この点をおくとしても、近年における韓国は、政府の内需を刺激する減税政策の効果
などを要因として経済は回復をみせ、中小企業の開業が雇用の増大に寄与するなどして
失業率が低下するなど雇用機会は広がりをみせているのであるから、原告らについて全
く雇用の機会等がないなどということはない。また、原告らは賃借に当たって一定のま
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とまったお金が必要であることなどを主張するが、韓国の最近の住宅事情をみるに、政
府の相次ぐ住宅市場の安定対策が功を奏して住宅の売買価格が安定しつつあるとか、チ
ョンセ制度(賃借時に住宅価格の3〜7割を預けなくてはならない賃貸方式)が影を潜
めているなどとされており、原告らが帰国後に住居を確保することができないとは認め
られない。
d 原告らは、原告子について、言語、行動様式、精神が日本人であり、韓国での生活にと
け込むことが困難であるとし、原告子を退去させることは、その学習の機会を奪うに等
しい旨主張する。
しかしながら、韓国の教育や福祉等にかかる状況をみても、児童の生育上特段の問題
があるとは認められず、原告子の状況は、韓国系企業の社員が家族を伴って日本に派遣
され、長期滞在したのちに韓国に戻る場合と同様であって、同女を送還することが在留
特別許可の権限を法務大臣に認めた趣旨に反する非人道的なものであるといった事情は
何ら存在しない。
原告妻は、原告子が韓国に帰れば絶対にいじめられる旨述べるが、その根拠は漠とし
ており、原告夫自身が韓国の子供達には日本人に対する悪感情はない旨答えているので
あり、そのような事実は認められない。
e 国際連合は、平成2年12月18日、「すべての移住労働者とその家族構成員の権利保護
に関する国際条約」を採択し、その30条には、移住労働者の子が公立学校で教育を受け
る権利を有することを定めているが、同条は、不法に滞在するこの在留の適法化に関す
る権利を含むものと解してはならないとされているのであるから(同条約35条)、国際
的にも、不法就労者の流入先の国が当該不法就労者及びその子女の在留を適法化すべき
であるなどという合意がされている状況が存しないことは明らかである。
エ 以上のとおり、法務大臣が本件各裁決に当たって付与された権限の趣旨に明らかに背い
て裁量権を行使したものと認めうるような特別の事情が存在するとは認められないから、
本件各裁決に何らの違法性はない。
 本件各処分の適法性について
退去強制手続において、法務大臣から「異議の申出は理由がない」との裁決をした旨の通知
を受けた場合、主任審査官は、退去強制令書を発付するにつき裁量の余地はないから、本件各
裁決が違法であるといえない以上、本件各処分も適法である。
法は、法務大臣が在留特別許可の権限を行使するか否かの判断を行う過程においてのみ、退
去強制事由に該当する外国人の在留を例外的に認める裁量を認めており、異議の申出を受けた
法務大臣が、在留特別許可に関する権限を発動せず、異議の申出に理由がないとの裁決を行っ
た場合には、それは我が国が国家として当該外国人を退去強制すべきとする最終的な意思決定
をしたことを意味するものであって、上級行政機関である法務大臣の意思決定を同大臣の指揮
監督を受ける下級行政機関である主任審査官が、その独自の判断に基づいて覆し、あるいはそ
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の適用時期を考慮できるとすることは行政組織法上の観点からして考えられず、法がこのよう
な立法政策を採用しているとは考えられない。また、法は、在留資格のない外国人が本邦に適
法に在留することは、明文で定められた例外を除いて予定していないところ、主任審査官が裁
量により退去強制令書を発付しない場合に、当該外国人が引き続き本邦に在留するための法的
地位を定める手続規定は存在しないのであって、法は、主任審査官の裁量により退去強制令書
を発付しないという事態を想定していないというべきである。
したがって、主任審査官に退去強制令書を発付するか否かに係る裁量権限がある旨の原告ら
の主張には理由がないというべきである。
なお、原告らは比例原則違反の主張をするが、退去強制事由に該当する外国人には比例原則
において警察権の行使と対比されるべき権利利益がそもそも存在しないこと、退去強制令書に
基づく収容についても目的と手段とが比例していること、在留特別許可及び仮放免の制度があ
ることからすると、退去強制令書の発付につき、法の定める要件適合性以外に比例原則違反の
有無が問題となる余地はない。
2 原告ら
 本件各裁決の適法性について
ア 本件各裁決の裁量違反
ア 法務大臣の裁量権の範囲について
日本国憲法は、国会を国権の最高機関と定めていることから、国家の裁量は、第一義的
には国会に属するものとして立法裁量に現れることとなる。その立法裁量の結果として、
特定の場合には外国人に入国・在留を許可すべく行政庁に義務づけをすることもあり、行
政庁に裁量を与えつつ、許可内容に制約を付すこともある。そして、憲法の精神や「法律に
よる行政の原理」からすれば、行政庁に全くの自由裁量が付与されることなどあり得ない
のであって、一定の裁量権が与えられたとしても、その根拠となる法律の目的及び趣旨等
によって覊束裁量となるのである。この点、法は、「出入国の公平な管理」を目的としてお
り(1条)、「出入国の公平な管理」とは、国内の治安や労働市場の安定など公益並びに国際
的な公正性、妥当性の実現及び憲法、条約、国際慣習、条理等により認められる外国人の正
当な利益の保護を図るための管理を意味する。法50条1項の趣旨も、この公益目的と外国
人の正当な権利・利益の調整を図ることにあり、法務大臣の裁量権もこの趣旨の範囲内で
認められるにすぎない。
被告の主張は、この点を看過し、国家の裁量権と法務大臣の裁量権とを混同したものと
いわざるを得ない。
また、上記のとおり、被告法務大臣の裁量権は、法の目的及び法50条1項の趣旨に覊束
されるものであり、法も平成元年の法改正によって各在留資格に関する審査基準を省令で
定めて交付し、行政の裁量の幅を減少させようとしているところであり、在留特別許可の
制度に恩恵的な面があるとしても、そこから法務大臣の「極めて広範な裁量権」が導かれ
- 9 -
るものではない。裁量性のある処分であっても、判断の前提となる具体的事実関係が正確
に把握されていなければならないこと、当該具体的事件の具体的諸事実を斟酌しないまま
に行われた処分は違法の評価を受けること、過去の行政処分例や内部基準等に従い、行政
の平等性を損なう恣意的な判断に基づく処分が違法と評価されることは自明であり、司法
審査もかかる観点から行われるべきである。
その上、法によれば、在留特別許可の許否に関する法務大臣の裁決を地方入国管理局長
に委任する旨規定されているが、地方入国管理局長は、法務省の一部局である入国管理局
の下にある8つの地方入国管理局のうちの1つの長にすぎず、諸般の事情を総合的に考慮
する特別な能力もなければ、政治的配慮をする資格もないのであり、このようなものに委
任がされていることからすると、それまでもそのような要素が在留特別許可の許否に際し
て考慮されてきたわけでないことは明らかである。したがって、法務大臣の権限行使も古
色蒼然たる自由裁量論で説明することはできず、事実を正確に把握した上で、各種通達、
先例、出入国管理基本計画、国際的な準則等の示すところに従い、退去強制が著しく不当
であるか否かを慎重に判断すべきで、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事実
を考慮して処分がされた場合、あるいは、その判断が合理性を持つものとして許容されな
い場合には、裁量権の範囲を超え、又はその濫用があったとして違法となる。
イ 本件における裁量違反
a 原告らの入国及び在留の経緯
原告夫は、高校卒業後兵役を経て、製靴業に就職した後、Eという靴とハンドバック
の製造会社に就職した。そして、1987年からは、独立して会社を設立し、Eの製造請負
等を行っていたものの、独自ブランドの商品の企画・販売に失敗し、1994年には倒産し
た。
原告妻は、1979年にソウル市内の高校を卒業し、服飾関係の仕事を経た後、1983年に
原告夫と同じEに就職し、在職中の1986年6月22日、原告夫と婚姻し、1992年10月26
日には原告子をもうけた。
原告夫の会社の倒産により、生計を立てるすべを失った原告らは、ドイツでレストラ
ンを経営している原告夫の叔父を頼り、ドイツを訪ねようと考えた。そこで、ドイツ行
きのチケットを日本で購入し、ドイツに行く前に当時日本に居住していた原告妻の姉を
訪ねる目的で、1994年4月7日、日本に立ち寄った。
しかし、日本に立ち寄った際に、日本に在住している韓国人等から、収入の点でも韓
国に近い距離にあるという点でも、そして同じアジア人種であるという点で子どものた
めにも、ドイツより日本の方がよいと勧められ、日本で生活することを決意し、現在ま
で至っている。
b 原告らの生活状況等
 原告夫は、来日後間もなく、富士吉田市にある親戚の経営する飲食店を住み込みで
- 10 -
2ヶ月ほど手伝い、その間原告妻及び原告子は、前橋の知人の家に居住していた。そ
の後、原告夫は、前橋市の知人の経営する韓国風食堂でアルバイトをするようになり、
同店の寮で暮らすようになった。原告ら家族の生活は徐々に安定し、定着していった。
 原告妻は、平成8年3月から前橋市内でブティック「F」を経営し、地域に密着した
経営を続けている。原告夫は、平成11年3月ころ前橋市内で、韓国風居酒屋「D」を開
業し、利益が25万円程度上がるなど経営が軌道に乗った。
 原告らは、前橋市の外国人登録証記載の住所地の賃貸マンションで居住していた
が、平成11年6月30日には、同市《住所略》所在の土地建物を原告妻名義で購入し、
リフォームを行った後、翌12年2月から同所に居住している。その際、自己資金1000
万円程度のほかに、購入資金を830万円ほど借りたが、毎月返済している。又リフォー
ムの際の借金も完済している。
 原告子は、韓国語を僅かに聞き取ることができる程度で話すことも読むこともでき
ず、自分の名前を書くこともできない。2歳時からは4年間、前橋市のG幼稚園に通
園し、平成11年4月からは同市立H小学校に通学しており、日本人の友人達と楽しく
学校生活を送っているほか、成績もよく、習字等で賞を獲得している。またバイオリ
ン、バトントワリング、ピアノ、ジュニアオーケストラ等の習い事をして、いずれにお
いても活躍している。また、学校においても、習い事においても友人が多数いる。そし
て、原告子は、日本人としてのアイデンティティーを築いている。
原告妻は、PTAの役員をするなど、地域に密着した生活をしている。
 原告ら夫婦は、原告夫の逮捕以前も、仮放免後も仲むつまじく、原告子も原告ら夫
婦を慕っており、その家族の結合はとても強い(この点について、被告は、原告ら夫婦
の関係が破綻しており、虚構の生活を継続できないとしても原告らの生活基盤が奪わ
れる事にはならないと述べるが、完全な事実誤認である。)。
 原告妻は、前記の不動産の代金や自らのブティックの開店、原告夫の居酒屋の開
店のため借入れを行っているが、それらの借入れは、ほとんどが事業のための投資と
しての性格をもち、原告妻が月々返済を続けているのであり、経済事情が破綻してい
るなどということは決してない。
c 原告らの居住の自由の侵害
憲法22条が保障する居住の自由は、日本にいるすべての外国人について憲法22条の
保障が及ぶものである。仮に、在留資格の枠内に限定されるとすれば、前国家的・普遍
的なものである憲法の人権規定の保証の範囲を、下位規範である法により保障するもの
であり、到底容認することができない。
つまり、憲法22条1項が、何人も公共の福祉に反しない限り居住の自由を有する旨規
定する以上、適法な在留資格を有しない外国人に対しても憲法上の居住の権利の保障は
及ぶものであり、これに対する制約の合理性の判断に際し、在留資格の有無が考慮され
- 11 -
るにとどまるものである。
そして、居住の自由は、経済的自由の側面のみならず、人身の自由や精神的自由の側
面も有していることにかんがみれば、具体的に国家が害されるとする公益と個人が失う
であろう私益を検討した上で、裁決が合理的といえるかを判断すべきである。
そして、原告らが韓国に強制送還されれば、原告子の精神的アイデンティティーが失
われ、個人の尊厳を中核とする人格権が侵害される上、原告子への教育の権利が侵され、
さらに、原告ら家族の基盤、最低限の生活が奪われるものであり、その失われる私益は
極めて甚大である。他方、原告らは入国後、法違反以外には何ら法を犯すことなく、善良
な市民として地域社会にとけ込んだ生活を送っていた。したがって、原告らの本邦にお
ける在留資格を認めることによって、日本の善良な風俗・秩序に好影響を与えることこ
そあれ、悪影響を及ぼすことは想定し難く、原告らに在留資格を認めないことによって
保護されるべき国の具体的利益は存在しない。むしろ諸外国においては、非正規滞在者
を正規化することが、国益にかなうものであることを理由として、大規模な正規化を行
っている。
d 子どもの権利条約違反
子どもの権利条約3条は、「児童に関するすべての措置を採るに当たっては、公的若し
くは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるも
のであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。」と規定していると
ころ、この内容によれば、第一に子どもの最善の利益とは何かが考慮された上で、当該
利益が他の対立利益の中でも主として考慮された結果、行政処分が行われる必要がある
のであり、最善の利益は在留制度の枠内で保障されるにすぎないとの被告の主張は誤り
である。そして、前記cのとおり、本件各裁決により原告子の利益が害され、逆に、対立
利益は抽象的なものであるのであり、本件各裁決は、子どもの権利条約3条に違反する
ものとなる。
 本件各処分の適法性について
ア 本件各裁決の違法を承継することによる違法
前記のとおり、本件各裁決が違法である以上、これに基づいてされた本件処分も違法なも
のということになる。
イ 本件各処分独自の違法性
ア 退去強制令書発付処分が裁量行為であること
仮に、法務大臣が在留特別許可をせず、異議に理由がない旨の判断をする裁決がされた
場合にも、主任審査官は、退去強制令書を発付するかどうか、ないし、いつの時点で出すか
について裁量があると解すべきである。
すなわち、法24条は、同条各号の定める退去強制事由に該当する外国人について、法第
5章に規定する手続により、「本邦からの退去を強制することができる。」と定めていると
- 12 -
ころ、法律の文言が、「することができる」と規定している場合には、裁量の範囲はともか
く、一定の効果裁量を認めたものとするのが極めて一般的な見解である。
特に、退去強制令書の発付処分のような侵害的行政処分であって第三者に対する関係で
も受益的な側面をもたない処分については、上記の文言が裁量を示すものと解することに
支障はないし、行政法の解釈において、伝統的に権力発動要件が充足されている場合行政
庁はこれを行使しないことができるとの考え方(行政便宜主義)が一般的であることとも
整合する。
実際、退去強制令書の発付に裁量権を認めないと、本国及び市民権のある国に送還する
ことができず、しかも第三国への入国許可を受けていない外国人など退去強制令書を発付
しても執行が不能であることが明らかな場合にも、主任審査官は退去強制令書を発付しな
ければならないという背理を生ずるし、特に、外国人の出入国管理を含む警察法の分野に
おいては、一般に行政庁の権限行使の目的は公共の安全と秩序を維持することにあるか
ら、その権限行使はこれを維持するための必要最小限度にとどまるべきであると考えられ
ている(警察比例の原則)。
このような観点から、法第5章の手続規定をみると、主任審査官の行う退去強制令書の
発付が、当該外国人が退去を強制されるべきことを確定する行政処分として規定されてお
り、退去強制に関する上記手続を解して、主任審査官に、退去強制令書を発付するか否か
(効果裁量)、発付するとしてこれをいつ発付するかについての裁量が与えられているとい
うべきである。 
イ 比例原則違反
そして、裁量権の行使に当たっては、比例原則が適用されるべきところ、本件では、前記
アイ記載のとおり、本件各処分により、原告らが築きあげてきた住居、営業の根拠、学校
生活、言語環境等、すべての生活を根こそぎ奪うことになり、このような不利益を被るこ
とを知りながらされた本件各処分は、違法というほかない。

退去強制令書に基づく執行停止申立事件
平成15年(行ク)第17号
申立人(被控訴人):A、被申立人(控訴人):名古屋入国管理局主任審査官
名古屋地方裁判所民事第9部(裁判官:加藤幸雄・舟橋恭子・平山馨)
平成15年10月24日
決定
主 文
1 被申立人が申立人に対し平成14年1月18日に発付した退去強制令書に基づく執行は、本案事
件の判決が確定するまで(ただし、送還部分については平成15年10月26日から)、これを停止す
る。
2 申立費用は被申立人の負担とする。
事実及び理由
1 申立の趣旨
主文と同旨
2 事案の概要
本件は、旧ビルマ連邦(現ミャンマー連邦)において出生した申立人が、不法入国の退去強制事
由がある旨の入国審査官の認定に誤りがないとの特別審理官の判定に対して、出入国管理及び難
民認定法49条1項に基づき法務大臣に異議の申出をしたところ、同大臣がこれを理由がないと裁
決し、その裁決に基づいて、被申立人が申立人に対して平成14年1月18日に退去強制令書(以下
「本件退令」という。)を発付したため、申立人が、被申立人に対し、申立人は難民の地位に関する
条約上の難民に当たるなどと主張して、その取消しを求めたところ、平成15年9月25日に言い渡
された本案事件の第一審判決(以下「本件第一審判決」という。)でこれが認容されたが、その提
訴と同時にされた本件退令に基づく執行の停止の申立てについては、その送還部分に限り、本件
第一審判決言渡しの日から1か月を経過する日(平成15年10月25日)まで停止するものとされて
いた(疎甲1)ため、本件第一審判決に対する被申立人による控訴後に、申立人が改めてその執行
の停止を申し立てた事案である。
3 判断
そこで検討するに、本件疎明資料によれば、本件が、本案について理由がないとみえるときに
は当たらないと判断することができ、しかも、本件退令に基づき、申立人がミャンマー連邦に送
還されるときには、軍事政権によって、身体的、精神的な危害が加えられることが容易に予想さ
れることも一応認められるから、申立人に対する回復の困難な損害を避けるため、その送還部分
の執行を停止する緊急の必要があることも明らかである。
また、送還の前提としての収容についても、人身の自由に対して最大の配慮を払う旨の規定を
- 2 -
置いた憲法(34条)下においては、回復の困難な損害となる余地が十分にあり、特に、一旦仮放免
(疎甲3)により申立人に対する退去強制のための拘禁状態が解消された後にあっては、その身柄
の再度の収容は、申立人にとって回復の困難な損害に当たるというべきである(申立人が不法に
入国したこと自体に対する制裁としての拘禁は、刑事司法の枠内で執行されるべきであって、退
去強制手続にこれを化体させることは許されない。)から、これを避けるため、その収容部分の執
行を停止する緊急の必要もあると認められる。
さらに、被申立人が公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれとして主張する事情も、執行停止
制度が予定している抽象的、一般的影響を超えるものではなく、かかる事情をもって公共の福祉
に重大な影響を及ぼすおそれがあるとはいえない。
以上に反する被申立人の意見は採用することができない。
4 結論
そうすると、本件申立ては理由があるから、これを認容することとし、申立費用の負担につき
行政事件訴訟法7条、民事訴訟法122条、61条を適用して、主文のとおり決定する。

退去強制令書執行停止申立事件
平成15年(行ク)第41号
申立人:A、被申立人:大阪入国管理局主任審査官
大阪地方裁判所第7民事部(裁判官:川神裕・山田明・芥川朋子)
平成15年12月1日
決定
主 文
1 被申立人が申立人に対し平成15年10月17日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本
案事件(当庁平成15年(行ウ)第91号)の第1審判決言渡しの日から30日を経過した日まで停止
する。
2 申立人のその余の申立てを却下する。
3 申立費用は、これを3分し、その1を申立人の負担とし、その余は被申立人の負担とする。
事実及び理由
第1 申立ての趣旨
被申立人が申立人に対し平成15年10月17日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本
案判決の確定に至るまで停止する。
第2 当事者の主張
本件申立ての理由は別紙1に、これに対する被申立人の意見は別紙2に、これに対する申立人
の反論は別紙3に、それぞれ記載のとおりである。
第3 当裁判所の判断
1 本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。
 申立人
申立人は、1978年(昭和53年)12月1日に中華人民共和国(以下「中国」という。)山東省青
州市で出生した中国国籍を有する外国人の女性である(疎乙10)。
 申立人の在留経過等
ア 申立人は、中国の高校を卒業後、貿易会社でデザイナーとして働いていたが、同会社が日
本との取引を拡大したため、日本語を学ぶ必要が生じた。申立人は、中国の大学で日本語を
学び、同大学の教諭から推薦を受けて、日本で日本語を学ぶことにした(疎乙20、22)。
イ 申立人は、平成13年11月26日、学校法人a日本語学校校長Bを代理人として、法務大臣に
対し、出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)7条の2第1項に基づき、在留資格認
定証明書の交付を申請した(疎乙1)。法務大臣は、平成14年2月28日、同申請に基づき、申
立人に対し、その在留資格を「就学」とする在留資格認定証明書を交付した(疎乙2)。
ウ 申立人は、同年4月9日、関西国際空港に到着し、大阪入国管理局(以下「大阪入管」とい
- 2 -
う。)関西空港支局入国審査官に対し、上陸許可申請を行い、同日付けで、同審査官から、在
留資格を「就学」、在留期間を1年とする上陸許可を受け、本邦に上陸した(疎乙10)。
エ 申立人は、その後、和歌山市《住所略》に居住し、a日本語学校に入学し、平成15年3月14
日、同校指定の上級課程を修了した(疎乙3、10)。
オ 申立人は、同年3月25日、京都市《住所略》に居住地を変更し(疎乙4、10)、同月26日、b
大学(以下「本件大学」という。)学長により、同年4月1日から同大学経済学部への入学を
許可され、現在、同学部経済学科に在学している(疎乙5、6)。
カ 申立人は、同年3月27日、大阪入管京都出張所において、法務大臣に対し、在留資格を「就
学」から「留学」へ変更する在留資格変更の許可申請を行い、法務大臣から権限の委任を受け
た大阪入国管理局長は、同年4月14日、申立人に対し、在留資格を「留学」、在留期間を2年
とする在留資格の変更を許可した(疎乙7、10)。
キ 申立人は、同年5月8日から同年6月19日までの間、京都市《住所略》所在の社交飲食店
中国クラブ「c」(以下「本件クラブ」という。)において、「なみ」の名前でホステスとして稼
働していた(疎乙8、21)。
 退去強制令書発付手続等
ア 京都府警五条警察署生活安全特別捜査隊警察官は、平成15年6月19日、本件クラブを強制
捜査し、申立人を含め「留学」等の在留資格でありながら本件クラブで稼働していた中国人
11名を法73条違反容疑により在宅捜査の対象とした。申立人は、京都地方検察庁に書類送検
され、同年7月31日、不起訴処分(起訴猶予)となった。(疎乙8、9、11)
イ 大阪入管入国警備官は、同年8月20日、申立人が法24条4号イ(資格外活動)に該当する
と疑うに足りる相当の理由があるとして、被申立人から収容令書の発付を受けた上、同月21
日、同収容令書を執行し、申立人を、入国者収容所西日本入国管理センターに収容し、大阪入
管入国審査官に引き渡した(疎乙13)。
ウ 大阪入管入国審査官は、同月26日、申立人について審査した結果、申立人が法24条4号イ
に該当すると認定し、その旨を申立人に通知したところ、申立人は、同日、口頭審理の請求を
した(疎乙15、23)。
エ 大阪入管特別審理官は、申立人に対し口頭審理を実施した結果、同年9月3日、入国審査
官の上記認定には誤りがない旨判定するとともに、その旨を申立人に通知したところ、申立
人は、同日、法務大臣に対し異議の申出をした(疎乙16、17)。
オ 法務大臣から権限の委任を受けた大阪入国管理局長は、申立人に対し、同年10月17日、申
立人の異議の申出は理由がない旨の裁決をした。被申立人は、同日、申立人にその旨通知す
るとともに、同日付けで退去強制令書を発付し、大阪入管入国警備官は、同日、退去強制令書
を執行した(疎乙18、19)。
 申立人の本邦における生活状況等
ア 申立人は、本邦上陸後、a日本語学校において、1年間、日本での大学入学に必要な日本語
- 3 -
能力を習得した。その間の半年分の家賃と1年間の学費については、入国前に既に申立人の
母が支払っており、申立人はそれとは別に親から与えられた約60万円と、本邦で資格外活動
許可を得て行ったアルバイトで得た金員で生活費をまかなった(疎乙3、22、24)。
イ その後、申立人は、経済学を学ぶことを志し、平成15年4月1日、本件大学経済学部経済
学科に入学し、現在在学中である(疎乙5、6)。
本件大学における授業の時間帯は、毎日1限目が午前9時から午前10時30分、2限目が午
前10時45分から午後零時15分、3限目が午後1時15分から午後2時45分、4限目が午後3
時から午後4時30分、5限目が午後4時45分から午後6時15分であり、申立人は、月曜日は
1限目のみ、火曜日は1ないし4限目、水曜日は1、2限目、木・金曜日は1ないし3限目と
5限目を履修していた。同学部の平成15年4月から9月末まで(授業は7月中旬まで)の春
学期の授業について、申立人の出席率は、およそ8割に達していた(疎甲1、14、乙24)。
申立人は、春学期において登録したすべての科目の試験を受験し、その成績は専門科目で
ある「マクロ経済学入門」で最上級の評価「秀」を、「入門セミナー」と「簿記原理A」では「優」
の評価を受けた。その他の科目についても評価にばらつきはあるものの1科目を除いて単位
を取得した(疎甲12、13)。
ウ 申立人が本件大学で学ぶために必要な学費・生活費は、その大半を両親が援助していた。
申立人の父は元医師であり、母は現に貿易会社の副社長兼財務総括顧問であり、申立人の実
家は経済的に裕福な家庭であるところ、申立人は、平成15年3月に一時帰国した際、申立人
の母親から60万円、父親から10万円を与えられ、それに申立人の貯金30万円余りを加えた資
金によって、入学の際に必要な学費等47万円(入学金27万円、授業料半年分34万1500円、教
育充実費半年分10万3000円。ただし、そのうち26万円については返還された。)、引越代30
万円、生活費約30万円をまかなった(疎乙24)。
エ 申立人は、中国の大学の友人から紹介された本件クラブで、平成15年5月8日から同年6
月19日までの間、原則として毎週木曜日と金曜日(時には土曜日)に午後8時30分から翌日
午前1時30分又は午前3時までホステスとして接客のアルバイトをした。このアルバイトの
給与は5時間で8000円であり、申立人は、上記期間中合計17日間本件クラブで稼働し、その
対価として合計15万7300円の収入を得た。なお、申立人は5月分の4万7250円は受領した
ものの、6月分の11万0050円は受領していない(疎乙21、22)。
 本案訴訟
申立人は、平成15年10月25日、本件退去強制令書発付処分の取消しを求める本案訴訟(平成
15年(行ウ)第91号退去強制令書発付処分取消請求事件)を提起した。
2 本案の理由
 被申立人は、本件退去強制令書発付処分は、法24条4号イ所定の退去強制事由に該当し、適
法であるから、「本案について理由がないとみえるとき」に該当すると主張する。
 法24条4号イに該当するには、「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運営する
- 4 -
活動又は報酬を受ける活動」を「専ら行っている」と「明らかに認められる者」であることが必
要であるので、以下、各要件について検討する。
ア 「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動」
を行っているか
申立人は、現在「留学」の在留資格を得て本邦に在留しているところ、法19条1項2号に
よれば、同条2項の許可を受けて行う場合を除き、収入を伴う事業を運営する活動又は報酬
を受ける活動を行ってはならないと定められている。
申立人は、本件クラブでの就労について同条2項の許可を得ていない(疎乙21)。また、申
立人は、平成15年5月8日から同年6月19日までの間、合計17日にわたり本件クラブにおい
てホステスとして稼働し、その対価として合計15万7300円の報酬(うち4万7250円は受領
済み)を得たのであるから、本件クラブにおける稼働は-定の役務の提供に対する対価を受
ける活動といえ、申立人は「報酬を受ける活動」を行っていたと認められる。
よって、「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受け
る活動」を行っているとの要件を満たすことは否定できない。
イ 「専ら行っている」といえるか
「専ら行っている」といえるためには、当該活動の継続性及び有償性、本来の在留資格に基
づく活動をどの程度行っているか等を総合的に考慮して判断し、外国人の在留目的の活動が
実質的に変更したといえる程度に資格外活動を行っていることを要すると解される。
本件において、申立人は、約40日の間に17日間稼働しているが、その稼働時間は週2日か
ら3日で、1日約5時間から6時間30分であり、申立人の日常生活においてそれほど長時間
を占めていたわけではない。また、申立人が本件大学での春学期に履修した授業は、毎週月
曜日から金曜日まで毎日あり、授業が多い日で1日4コマ(1コマ1時間30分)であった。
申立人は、本件クラブで稼働した木曜日及び金曜日は午後6時15分まで授業に出席し、本件
クラブには午後8時過ぎに出勤し、午後8時30分から稼働していたものであり、勉学と本件
クラブでの就労を両立させていたのであって、本件クラブでの就労により本件大学での勉学
に特に支障が生じていたとする事情も見受けられない。むしろ、前記のとおり、申立人は8
割方授業に出席して単位をほぼ取得し、そのうち3科目については優秀な成績を修めたこと
からすれば、申立人が在留資格「留学」の活動を十分行っていたことが推認できる。
また、申立人の本件クラブでの就労による報酬は合計15万7300円であり、そのうち実際に
受領した4万7250円については生活費に充てられた。しかし、前記のとおり、本件大学入学
時から春学期終了までに申立人が支払った学費及び生活費は合計約100万円であり、その大
半は両親が負担していること、申立人が本件クラブでの就労で得た報酬は、未払分を含めて
も学費及び生活費に比較して必ずしも多額とはいえないことからすれば、本件クラブでの就
労で得た報酬は申立人の生活費等の補完として使用されたにすぎない。さらに、今後必要と
なる本邦での生活費及び学費についても、両親が援助するとの約束がされている(疎甲4)。
- 5 -
以上のとおり、申立人の本件クラブでの稼働時聞及び報酬額並びに申立人の就学状況から
すれば、申立人の在留目的が留学から就労に実質的に変更したといえる程度に資格外活動を
行っているとは速断できず、現段階における疎明資料によっては、「専ら行っている」と認め
ることはできない。
ウ 「明らかに認められる」かについて
「明らかに認められる」とは、証拠資料、本人の供述、関係者の証言等から、当該資格外活
動を専ら行っていたことが明らかに認められることであるが、前記のとおり、申立人が専ら
資格外活動を行っていたとは認め難く、そのことについて本件疎明資料から明らかに認めら
れるとは到底いえない。
 結論
以上のとおり、法24条4号イ該当性については現段階で速断することはできず、「本案につ
いて理由がないとみえるとき」とはいえない。

損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件
平成15年(ネ)第531号、第2289号(原審:大阪地方裁判所平成13年(ワ)第7204号)
控訴人(附帯被控訴人):国、被控訴人(附帯控訴人):A
大阪高等裁判所第2民事部(裁判官・林醇・小西義博・浅見宣義)
平成15年12月11日
判決
主 文
1 本件控訴及び附帯控訴をいずれも棄却する。
2 控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の、附帯控訴費用は附帯控訴人(被控訴人)の、各負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 控訴の趣旨
 原判決中、控訴人(附帯被控訴人)敗訴部分を取り消す。
 上記取り消しに係る被控訴人(附帯控訴人)の請求を棄却する。
 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
2 附帯控訴の趣旨等
 原判決中、附帯控訴人(被控訴人)敗訴部分を取り消す。
 附帯被控訴人(控訴人)は、附帯控訴人(被控訴人)に対し、原判決主文1項に加え、180万円
及びこれに対する平成13年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 訴訟費用は、第1、2審とも附帯被控訴人(控訴人)の負担とする。
 仮執行宣言
(以下、控訴人(附帯被控訴人)を「控訴人」と、被控訴人(附帯控訴人)を「被控訴人」と表示する。)
第2 事案の概要
1 本件は、ウガンダ共和国の国籍を有し 法務省入国者収容所西日本入国管理センター(以下「本
件センター」という。)に収容されていた被控訴人が、本件センター職員から臀部を触られるセク
シャルハラスメントにあたる行為を受けたほか、これに抗議する等したところ、本件センター内
にある保護室に連行される途中に、本件センター職員から、床へ押し倒され、背中を蹴り付けら
れるなどの暴行を加えられて、その後、本件センター内にある保護室や単独室に隔離され、また、
上記暴行から保護室に収容された後も合計約45分間金属手錠を施されたこと等が違法行為に該
当するとして、国家賠償法1条1項に基づき、控訴人に対し、慰謝料200万円及びこれに対する違
法行為後である平成13年5月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金
の支払を求めた事案である。
原判決は、被控訴人が本件センター職員から暴行を受けたことを一部認め、控訴人に対し、20
- 2 -
万円及びこれに対する平成13年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を命
じたところ、控訴人が控訴を、また、被控訴人が附帯控訴をそれぞれ提起した。
その余の事案の概要(基礎となる事実、当事者の主張)は、原判決3頁1行目の「特別処遇担当
総括」を「特別処遇担当統括」と、4頁8行目の「地方入局管理局長」を「地方入国管理局長」と、
13行目の「他の収容者」を「他の被収容者」と、5頁3行目、6行目、7行目、10行目及び13行目
の各「処遇担当総括」をいずれも「処遇担当統括」と各改めるほかは、原判決「事実及び理由」中
の「第2 事案の概要」2ないし4(2頁14行目から9頁24行目まで)記載のとおりであるから、
これを引用する。
2 当審における当事者の補足主張
(控訴人)
被控訴人は、本件センターの入国警備官らが制圧を開始した後も、なお、反撃の可能性が高く、
仮にそうでないとしても、被控訴人の抵抗を完全に抑圧する高度の必要性があったこと、本件セ
ンターでは、当時、わずか15名の入国警備官によって被収容者193名を看守していたところ、そ
のうちの9名が被控訴人の制圧のために動員された結果、本件センターの監視が手薄となり、保
安及び平穏の確保の観点から速やかな制圧が必要であったこと、当て身は典型的な逮捕術として
制圧の際に一般的に使用されている適切な手段であるところ、Bは被控訴人が激しい抵抗を続け
ていたために当て身を行ったのであり、その回数も3回だけであり、また、Cも、後ろ手に手錠を
かけるに当たり脱臼を避ける目的で1回だけ当て身を行ったのであり、いずれも受傷に及ばない
程度のものであることから、BやCによる被控訴人に対する各有形力の行使は、正当な職務行為
の範囲を逸脱するものではない。
(被控訴人)
 セクシャルハラスメントに当たる行為について
Dは、右手の1本か2本の指を、被控訴人の尻の割れ目の部分に入れるような感じで、肛門
部分を突き上げるように触った。Dは、被控訴人を励ますつもりで被控訴人の尻の辺りを軽く
1回叩いただけであり、やましい感情など一切持っていなかったと弁解するが、被控訴人から
セクシャルハラスメントであると発言されるや直ちに被控訴人に対して不快に感じたのであれ
ば謝罪すると述べたのであるから、Dの上記弁解は信じがたく、他方、被控訴人は、その行為を
受けた直後から多数回にわたって本件センターに対し謝罪や幹部面接、マスコミ・警察との電
話連絡を要求しているのであるから、セクシャルハラスメントがあったことは明らかである。
 隔離行為について
本件センターは、被控訴人がDのセクシャルハラスメントに関して幹部面接や警察との電話
連絡を要求したことに対し、事案の解明に非協力的で、最終的に警察への電話を不許可とした
上、被控訴人に対し帰室を命じたものであるから、これは正当な職務行為ということはできず、
このような正当な職務行為に当たらない帰室命令に対して被控訴人が抗議することは当然のこ
とであり、これをもって職員の職務執行に反抗し、または妨害すること(処遇規則18条1項2
- 3 -
号)に当たらないことは明らかである。したがって、隔離①(単独A3号室への隔離)は違法で
ある。
そして、隔離②(保護室への隔離)は、違法な隔離①に引き続くものというだけでなく、被控
訴人の正当な抗議行為を処遇規則18条1項に当たるものとする点でも違法である。
さらに、隔離③(単独室で5月16日まで継続した隔離)は、被控訴人が行っていたDのセク
シャルハラスメントに対する抗議行為を、隔離という懲罰的な手段を用いて封じ込めようとし
たものであり、前同様に違法である。しかも、Eは、被控訴人が拘禁反応を起こす可能性がある
ことを5月7日の段階で認識し、また、同月8日に被控訴人を診察したF医師も、異常行動が
あればすぐに同医師に連絡するよう指示していたところであるが、本件センターは、被控訴人
に同月13日奇行に及ぶなどの拘禁反応の症状が現れたにもかかわらず、適切な治療をしないま
ま隔離を継続しており、この点でも、隔離③は違法である。
 金属手錠使用について
入国警備官らによる制圧行為自体が違法であるから、その際の戒具使用は違法であるし、保
護室に隔離後は、被控訴人にもはや自傷他害や逃亡のおそれがないことは明らかであるし、そ
の後、被控訴人はセンター職員と冷静に会話を交わしているのであるから、保護室に隔離した
後も金属手錠を使用したことは違法である。
第3 当裁判所の判断
当裁判所も、被控訴人の控訴人に対する請求は、20万円及びこれに対する平成13年5月17日か
ら支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があり、その余の請求は理由
がないものと判断する。その理由は、次のとおり訂正するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第
4 当裁判所の判断」1ないし5(10頁2行目から18頁23行目まで)記載のとおりであるから、
これを引用する。
1 原判決10頁22行目の「Dは、」の次に「被控訴人と一緒にその居室である共同B8号室前まで
同行し、」を加え、同11頁6行目の「作成するので」の次に「Gが」を加え、同12頁8行目の「同日
午後5時42分頃、」を削除し、同13頁13行目の「H’」を「H」と、同頁17行目の「右下腹部辺り」
を「下腹部辺り」と、同頁25行目「I処遇上席」を「I処遇首席」と各改め、同14頁8行目の「述
べられたため、」の次に「また、被控訴人から反省文の提出があったことから、」を加える。
2 同15頁7行目の末尾に改行の上、次のとおり加える。
「また、被控訴人は、Dが、被控訴人を励ますつもりで被控訴人の尻の辺りを軽く1回叩いただ
けであり、やましい感情など一切持っていなかったと弁解するが、被控訴人からセクシャルハラ
スメントであると発言されるや直ちに被控訴人に対して不快に感じたのであれば謝罪すると述べ
たのであるから、Dの上記弁解は信じがたく、他方、被控訴人は、その行為を受けた直後からDの
行為がセクシャルハラスメントであると主張し、多数回にわたって本件センターに対し謝罪や幹
部面接、マスコミ・警察との電話連絡を要求しているのであるから、セクシャルハラスメントが
あったことは明らかである旨主張する。
- 4 -
しかし、前記のとおり、Dは、被控訴人から「これセクシャルハラスメントですね。」等と発言
されたため、被控訴人と一緒にその居室である共同B8号室前まで同行し、上記の弁明・謝罪を
したものであり、また、証拠(乙3、4、証人D)によれば、上記居室前において被控訴人から幹
部面接を求められたDは、A見張室まで取りに戻った後、居室にいる被控訴人に対し申出書を交
付したことが認められるのであり、この一連の経過に照らすと、被控訴人が不快感を示したこと
に対し、Dが、自らの行為が被控訴人に誤解を与える結果となったと認識して謝罪することはな
んら不自然なことではないし、被控訴人がDの行為をセクシャルハラスメントであると受け止
め、その後に謝罪要求や抗議行動を続けたとしても、そのことが、直ちにセクシャルハラスメン
トがあったことの根拠となるものともいい難く、前記の認定事実、特に、Dに動機がないこと、他
の入国警備官や被収容者がいるというセクシャルハラスメントに及びにくい状況下での出来事で
あったことに照らし、被控訴人の上記主張は、採用することができない。」
3 同16頁7行目の末尾に改行の上、次のとおり加える。
「被控訴人は、被控訴人がDのセクシャルハラスメントに関し幹部面接や警察との電話連絡を
要求したことに対し、本件センターは、事案の解明に非協力的で、最終的に警察への電話を不許
可とした上、被控訴人に対し帰室を命じたものであり、これは正当な職務行為ということはでき
ず、このような正当な職務行為に当たらない帰室命令に対して被控訴人が抗議することは当然の
ことであり、これが処遇規則18条1項2号に当たらないことは明らかであり、隔離①(単独A3号
室への隔離)は違法である旨主張する。しかし、本件センターにおいては被控訴人からの要求に
応じて6回に及ぶ幹部面接を実施し、事情を聴取しているのであって、本件センターが事案の解
明に非協力的であったということはできず、また、Eは、警察に連絡するのであれば、友人か弁護
士に相談するか、警察に手紙を出すように指示した上、必要性がないとして警察への電話連絡を
不許可としたものであり、処遇規則、処遇細則に照らしてこれらの行為が不当であるということ
はできないから、被控訴人に帰室を命じたことが正当な職務行為であることは前記認定のとおり
であり、被控訴人の上記主張は採用することができない。」
4 同17頁6行目の末尾に改行の上、次のとおり加える。
「被控訴人は、隔離②は、違法な隔離①に引き続くものというだけでなく、被控訴人の正当な抗
議行為を処遇規則18条1項に当たるものとする点でも違法である旨主張するが、これを採用する
ことができないのは、前記で認定判断したとおりである。」
5 同17頁13行目の末尾に改行の上、次のとおり加える。
「被控訴人は、隔離③は、被控訴人が行っていたDのセクシャルハラスメントに対する抗議行為
を、隔離という懲罰的な手段を用いて封じ込めようとした点で違法であるだけでなく、被控訴人
には5月13日奇行に及ぶなどの拘禁反応の症状が現れたにもかかわらず、本件センターは適切な
治療をしないまま隔離を継続した点でも違法である旨主張する。
しかし、Dの行為がセクシャルハラスメントといえないことはすでに述べたとおりである上、
被控訴人は、単独室において、興奮状態で、大声を出し、また、鉄格子を叩くといった行動に出て
- 5 -
おり、また、保護室へ連れて行かれる際にも抵抗して暴れたのであり、これら一連の経過に照ら
すと、被控訴人に対し、なお、隔離を継続する必要があったことは明らかである。
また、前記のとおり、本件センターでは、被控訴人に対し、隔離③の間、平成13年5月13日及
び同月17日を除き、医師の診察を受けさせているのであるから、適切な治療をしないまま隔離を
継続したということはできない。
したがって、被控訴人の上記主張は採用することができない。」
6 同17頁末行の末尾に改行の上、次のとおり加える。
「被控訴人は、入国警備官らによる制圧行為自体が違法であるから、その際の戒具使用は違法で
あるし、保護室に隔離後は、被控訴人にもはや自傷他害や逃亡のおそれがないことは明らかであ
るし、その後、被控訴人はセンター職員と冷静に会話を交わしているのであるから、保護室に隔
離した後も金属手錠を使用したことは違法である旨主張する。しかし、前記認定のとおり、本件
センターの職員が被控訴人に対し制圧行為に及んだこと自体は正当であり、また、手錠使用に至
るまでの被控訴人の言動に照らすと、金属手錠を45分間継続したことを違法ということはできな
い。」
7 同18頁15行目の「右下腹部辺り」を「下腹部辺り」と改め、同18行目の末尾に改行の上、次のと
おり加える。
「控訴人は、被控訴人は、本件センターの入国警備官らが制圧を開始した後も、なお、反撃の可
能性が高く、仮にそうでないとしても、被控訴人の抵抗を完全に抑圧する高度の必要性があった
こと、本件センターでは、当時、わずか15名の入国警備官によって被収容者193名を看守してい
たところ、そのうちの9名が被控訴人の制圧のために動員された結果、本件センターの監視が手
薄となり、保安及び平穏の確保の観点から速やかな制圧が必要であったこと、当て身は典型的な
逮捕術として制圧の際に一般的に使用されている適切な手段であるところ、Bは被控訴人が激し
い抵抗を続けていたために当て身を行ったのであり、その回数も3回だけであり、また、Cも、後
ろ手に手錠をかけるに当たり脱臼を避ける目的で1回だけ当て身を行ったのであり、いずれも受
傷に及ばない程度のものであることから、BやCによる被控訴人に対する各有形力の行使は、正
当な職務行為の範囲を逸脱するものではない旨主張する。しかし、被控訴人は、前記のとおり、単
独A3号室から出る際にはおとなしくEらに従って歩行していたこと、被控訴人は、同室から数
メートル連行されたところで突然、被控訴人の右手を抱えていたJの手を振り解こうとして右肘
を高く挙げるとともに、身体を右側にひねって強く抵抗したのであるが、被控訴人はJを現実に
殴ってはおらず、これをJらに対し殴るなどの攻撃を加えるものと断定することはできないし、
入国警備官らが被控訴人を仰向けに押し倒した上、8人がかりで被控訴人を取り押さえたのであ
るから、被控訴人が、手足を動かして抵抗しているとはいえ、反撃できる余地はほとんどなく、も
はや下腹部辺りに膝を落とす行為や手拳で腰部や腕を殴るという危険を伴う行為に及ぶ必要に乏
しいというべきであり、制圧行為としては程度を越えたものといわざるを得ない。また、本件セ
ンター内の保安及び平穏の必要性があったとしても、下腹部辺りに膝を落とすといった行為や手
- 6 -
拳で殴るという行為まで正当化できるものではない。
したがって、控訴人の上記主張は、採用することができない。」
第3 結論
以上の次第で、被控訴人の請求は、20万円及びこれに対する違法行為後である平成13年5月17
日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容すべきで
あるが、その余の請求は理由がないから棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当であり、
本件控訴及び附帯控訴はいずれも理由がない。
よって、主文のとおり判決する。

退去強制令書執行停止申立事件
平成15年(行ク)第45号
申立人:A、被申立人:大阪入国管理局主任審査官
大阪地方裁判所第7民事部(裁判官:川神裕・山田明・一原友彦)
平成15年12月24日
決定
主 文
1 被申立人が申立人に対し平成15年10月30日付けで発付した退去強制令書に基づく執行は、本
案事件(当庁平成15年(行ウ)第100号)の第1審判決言渡しの日から30日を経過するまで停止
する。
2 申立費用は被申立人の負担とする。
事実及び理由
第1 申立ての趣旨及び当事者の主張
本件申立ての趣旨及び理由は別紙1執行停止決定申立及び別紙3申立人意見書に、これに対す
る被申立人の意見は別紙2被申立人意見書及び別紙4被申立人意見書にそれぞれ記載のとおり
である。なお、B(以下「B」という。)及びC(以下「C」という。)の各申立ては、平成15年12月4日、
取り下げられた。
第2 当裁判所の判断
1 前提事実
本件疎明資料によれば、次のとおり加除訂正した上、別紙2被申立人意見書第2の2事案の概
要及び第3基礎的事実関係記載の各事実が一応認められる。
 6頁1行目「入国後から」から4行目「ところ」までを削除する。
 7頁1行目「同年6月」から2行目「かかわらず、」までを削除する。
 7頁14行目「入国後」から16行目「していた。」までを削除する。
 8頁17行目「申立人A」から19行目「いたところ、」までを削除する。
 第3の末尾に次のとおり加える。
「3 申立人は、平成15年11月11日、本件退令発付処分の取消しを求めて本案訴訟(当庁平
成15年(行ウ)第100号)を提起するとともに、本件申立てをした。
4 B及びCの仮放免許可は、指定住居を大阪市《住所略》とし、平成15年11月21日午後5
時までの期間とするものであったが、同日付けで仮放免期間延長許可がされた。B及びCは、
現在、上記指定住居において、申立人の母であるD(以下「D」という。)及びその娘E(10歳。
以下「E」という。)と同居し、同人らの養育監護を受けている。」
2 回復困難な損害を避けるための緊急の必要性について
- 2 -
 送還部分について
本件退去強制令書の執行により申立人がタイへ送還されると、申立人の意に反して送還する
点で、そのこと自体が申立人にとって重大な損害となる。また、仮に本案訴訟において請求が
認容されても、申立人が当然に再入国できるなど、その送還前に置かれていた申立人の原状を
回復する制度的保証はない。さらに、訴訟代理人が選任されているとはいえ、送還されれば、申
立人と訴訟代理人との間の訴訟追行に関する十分な打ち合わせができず、申立人本人が出廷し
法廷において尋問に応じ陳述することが極めて困難となるなど、その訴訟活動に著しい支障を
来すことも予想できる。
以上の事情を考慮すると、本件強制退去令書に基づく送還によって申立人が被る損害は、原
状回復が不可能又は困難な損害であって、しかも、金銭賠償による損害の回復をもって満足す
ることを受忍させることが相当でないというべきであるから、回復困難な損害に該当する。そ
して、このような回復困難な損害を避けるためには、本件退去強制令書に基づく執行のうち送
還部分を停止すべき緊急の必要がある。
 収容部分について
前記のとおり、申立人の子で6歳のB及び4歳のCは、現在、仮放免許可により大阪市《住所
略》に居住し、申立人の母であるDらに養育監護されていることが認められるところ、同幼児
らは、これまで母である申立人により養育監護されてきたものであり、人格形成において重要
な幼児期において長期間母親の監護から離れることは、同幼児らの身体的及び精神的発達に重
大な影響を与えかねない。特に、4歳のCにおいては、現在、母親と離れていることによる不安
感等には大きいものがあり(疎甲28、31、32)、長期間母親と離れることによる情緒等精神面
における発達や人格形成に悪影響を及ぼす懸念も払拭できない。加えて、Dは、悪性リンパ腫
を患い、高血圧症、自律神経失調症、C型慢性肝炎、変形性頸椎症、変形性腰椎症により通院加
療を継続しており、生活保護を受けている上、症状増悪時には家事・育児に困難を来たし、他
者の介助を要する状態であって(疎甲6、8ないし10、26、27)、単独で同幼児らの十分な養育
監護ができない状況にあることを認めることができる。このため、申立人の妹に当たる10歳の
Eが、Dの体調の悪いときなどは、小学校を休み、食事の仕度をしたり面倒を見たりして同幼
児らの監護に当たっており、E自身に学習の遅れ等を生じている状況にあることが認められる
(疎甲29ないし31)。これらの点に照らせば、申立人の収容が継続されることにより、申立人の
子や家族らの生活・発育等に深刻かつ重大な影響が生じかねず、これらは同幼児らの親権者で、
DやEの扶養義務を負う申立人にとっても重大な損害というべきものである。上記損害は、原
状回復が不可能又は困難な損害であって、かつ、金銭賠償により受忍すべきものとはいい難い
ものと認められる。
被申立人は、同幼児らの同時収容や保護施設入所の可能性を指摘するが、同幼児らを長期間
収容施設に収容したり、家族と離れて保護施設に入所させた場合の同幼児らの発育等に対する
影響は計り知れないものがあり、到底、回復困難な損害であることを否定できる理由とはなら
- 3 -
ない。
さらに、疎明資料(疎乙13ないし15、17)によれば、申立人が、仮放免許可後、同幼児らと共
に同幼児らの父親であるFの住居に寝泊まりしていた事実を認めることができる。しかしなが
ら、上記Fの住居とDらが居住する指定住居とはさほど離れた場所にあるわけではなく、申立
人提出の疎明資料(疎甲23ないし25)によれば、申立人及び同幼児らが上記指定住居に現在す
ることも多いことが認められ、また、同幼児らは、遅くとも平成14年8月以降、平成15年10月
に申立人の仮放免が取り消された後現在に至るまで、一貫して大阪市《住所略》所在のa保育
所に通所しており(疎甲24、乙5、7、8)、同保育所からは、上記Fの住居より指定住居であ
るDの住居の方が近いことからすれば、申立人らがDやEとも極めて緊密な交渉を持っていた
ことが認められるところであり、上記指定住居が申立人らの生活の本拠地であった可能性が全
くないわけではない。少なくとも、申立人が許可なく住居を変更したことで、入管当局におい
て申立人との連絡が困難となったり、身柄の確保に困難が生じるなど、仮放免許可において指
定住居を定めた趣旨に反して重大な支障が生じたとは認め難いところである。本件退去強制令
書に基づく執行のうち収容部分について停止したとしても、申立人が逃走するなどして将来退
去強制が不可能又は著しく困難となるおそれは少ないということができる。
他に、上記回復困難な損害の認定を覆すに足りる事実の疎明はなく、このような回復困難な
損害を避けるためには、本件退去強制令書に基づく執行のうち収容部分についても停止すべき
緊急の必要があるというべきである。
3 本案の理由について
申立人が主張する種々の家族状況等を考慮すれば、在留特別許可を付与することなく申立人の
特別審理官判定に対する異議申出に理由がないとした大阪入管局長の裁決に裁量権を逸脱した違
法があるという申立人の主張が、現段階において明らかに失当であるとまではいえず、本件につ
いて、本案について理由がないとみえると断定することはできない。
4 公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれ
本件退去強制令書に基づく収容の執行停止に関し、被申立人が公共の福祉に重大な影響を及ぼ
すおそれがあるとして主張するところは、一般的な影響をいうものであり、何ら具体性がなく、
本件において退去強制令書に基づく収容を停止すると公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれが
あるとの事情を認めるに足りる疎明もない。
5 結論
以上によれば、本件申立ては理由はあるから認容することとし、主文のとおり決定する。

退去強制令書の一部執行停止決定に対する抗告事件
平成15年(行ス)第73号(原審:東京地方裁判所平成15年(行ク)第249号)
抗告人:東京入国管理局主任審査官、相手方:A
東京高等裁判所第2民事部(裁判官:森脇勝・中野信也・綿引穣)
平成15年12月26日
決定
主 文
1 本件抗告を棄却する。
2 抗告費用は抗告人の負担とする。
理 由
1 抗告の趣旨及び理由等
本件抗告の趣旨及び理由は、別紙「抗告状」及び「抗告理由書」に記載のとおりである。これに
対する相手方の意見は、別紙「相手方第1準備書面」に記載のとおりである。
2 当裁判所の判断
当裁判所も、本件退令発付処分の送還部分及び収容部分のいずれについても、行政事件訴訟法
25条2項所定の「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要」があるというべきであり、他方、
本件は、同条3項所定の「本案について理由がないとみえるとき」にも、「公共の福祉に重大な影
響を及ぼすおそれがあるとき」にも、該当しないと判断するが、その理由は原決定の「理由」中の
「第3 当裁判所の判断」欄に記載のとおりであるから、これを引用する。
抗告人は、相手方が平成15年2月末以降生活費の大半を本邦における自らの就労によって賄っ
ていたから、相手方の活動は、「就学」の在留資格に該当する活動から、「就労」活動へと実質的に
変更されたものというべきであり、したがって、相手方は、出入国管理及び難民認定法24条4号
イ所定の「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動
を専ら行っていると明らかに認められる者」に該当し、本件裁決及び本件退令発付処分は適法で
あることが明らかであるから、本件が行政事件訴訟法25条3項所定の「本案について理由がない
とみえるとき」に該当する旨主張する。
しかしながら、相手方は、平成14年12月20目に出入国管理及び難民認定法19条2項の資格外
活動許可を受けた上で、おおむねその許可の範囲内で平成15年5月末まで居酒屋やスーパーでア
ルバイトをしていたこと、平成15年5月20日から同年6月11日までのうち11日間、上記許可の
範囲外にある性風俗店でビラ配り及び客引きのアルバイトをして合計約9万2900円の報酬を得
たが、この間も従前どおりまじめに日本語学校の授業に出席し、学業に励んでいたこと、相手方
は、平成15年6月13日、上記性風俗店のビラ配り及び客引きとして稼働していたところ、同法70
条4号の「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動
- 2 -
を専ら行っていると明らかに認められる者」に当たるとして、同法70条4号違反の容疑で、現行
犯逮捕され、勾留もされたが、これについては結局不起訴となったことが認められるのであるか
ら、抗告人主張のごとく、相手方の在留目的が「就学」から実質的に他の目的である「就労」に転
化したといい得るかについては、現段階においては相当程度に疑問の余地があり、相手方が出入
国管理及び難民認定法24条4号イ所定の「第19条第1項の規定に違反して収入を伴う事業を運
営する活動又は報酬を受ける活動を専ら行っていると明らかに認められる者」に該当することが
明らかであるとは到底いい難い。それゆえ、本件が行政事件訴訟法25条3項所定の「本案につい
て理由がないとみえるとき」に該当するとはいえず、抗告人の上記主張は採用できない。
次に、抗告人は、本件退令発付処分の収容部分については、行政事件訴訟法25条2項所定の「回
復の困難な損害を避けるため緊急の必要」がない旨主張するが、既に判断したとおり、同収容部
分についても、「回復の困難な損害を避けるため緊急の必要」があることは明らかであるから、同
主張も採用できない。
よって、本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。

国家賠償等請求(追加的併合)控訴事件
平成15年(行コ)第131号(原審:東京地方裁判所平成14年(行ウ)第116号)
控訴人:国、被控訴人:A
東京高等裁判所第15民事部(裁判官:赤塚信雄・小林崇・長屋文裕)
平成16年1月14日
判決
主 文
1 原判決中、控訴人敗訴の部分を取り消す。
2 被控訴人の請求は、いずれも棄却する。
3 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
事実及び理由
第1 控訴の趣旨
主文と同旨
第2 事案の概要
1 ミャンマー国籍を有し、平成10年4月2日に難民認定申請をした被控訴人は、法務大臣による
難民不認定処分及び退去強制手続における異議申出棄却裁決、並びに東京入国管理局成田空港支
局主任審査官による退去強制令書発付処分を受けたため、平成10年7月27日に上記退去強制令
書発付処分等取消訴訟を、次いで、平成11年1月8日に難民不認定処分の取消訴訟をそれぞれ提
起し、それらの効力を争っていたところ、法務大臣は、平成14年2月20日、上記難民不認定処分
を取消し、同年3月14日、被控訴人を難民と認定した上、在留特別許可をした。
本件は、被控訴人が、「法務大臣による上記難民不認定処分等は、事実誤認に基づく違法な処分
であり、これによって精神的損害を被った。仮に上記処分等が適法であるとしても、これによっ
て身柄の拘束を受け損害を被ったものであるから、その損失を補償すべきである。」などとして、
控訴人に対し、国家賠償法に基づく損害賠償(主位的請求)1177万円(慰謝料1000万円及び弁護
士費用177万円)、憲法29条3項の類推適用に基づく損失補償(予備的請求1)1000万円、憲法40
条の類推適用に基づく損失補償(予備的請求2)420万円、及び上記各金員に対する平成14年3
月29日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支
払を求めている事案である。
原審は、難民不認定処分は違法であり、法務大臣には過失があったと判断して、被控訴人の主
位的請求のうち、慰謝料800万円及び弁護士費用150万円の合計950万円及びこれに対する遅延損
害金の支払を求める限度で認容し、その余の主位的請求及び予備的請求1、2をいずれも棄却し
た。
- 2 -
 これに対し、控訴人だけが控訴を申し立てた。
2 前提となる事実
原判決の「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の「2 前提事実」(原判決3頁22行目か
ら7頁18行目まで)のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決5頁末行の「法務大臣
に対し、」の次に「上記判定に対する」を加える。)。
3 争点とこれに関する当事者双方の主張
次のとおり付加、訂正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の「第3 争点と争点に関する
当事者双方の主張」(原判決7頁19行目から37頁6行目まで)のとおりであるから、これを引用
する。 
 原判決14頁5行目の「身の危険を感じて」の前に「被控訴人は、」を加える。
 同24頁3行目から4行目の「結果的に違法であったから」を「結果的に誤っていたから」に
改める。
 同25頁13行目の「行うのに当たり」を「行うに当たり」に、19行目の「結果的に違法と評価さ
れる」を「結果的に誤っている」に改める。
 同29頁9行目の「ロヒンギャ族としての」を「ロヒンギャ族であることを理由に」に改める。
第3 当裁判所の判断
当裁判所は、被控訴人の控訴人に対する本件請求はいずれも理由がなく棄却すべきものと判断
する。
その理由は、次のとおりである。
1 難民認定と法務大臣の調査義務
法(出入国管理及び難民認定法)61条の2第1項は、「法務大臣は、本邦にある外国人から法務
省令で定める手続により申請があったときは、その提出した資料に基づき、その者が難民である
旨の認定(難民の認定)を行うことができる。」と定め、同法施行規則55条1項は、申請者に対し
申請資料として「難民に該当することを証する資料」の提出を求めている。したがって、このよう
な条項の文理に従えば、難民であることの資料の提出義務及び立証責任は申請をする者が原則と
して負担するものと解すべきである。
このことは、国籍国において迫害を受けた事実等については、難民認定の申請者自身が最も良
く知る事実である上、多くの場合、申請者その他の限られた者しか知り得ない、他国での出来事
であるから、難民に該当することを証する資料については、我が国の法務大臣が積極的にこれを
調査し、収集することには自ずから限界があることや、難民であるかどうか真偽不明の場合には、
申請者を難民と認定すべきであるとするのは不合理であることなどの実質的観点からも根拠づけ
られる。
しかし、一方では、法はその61条の2の3第1項で、「法務大臣は、法61条の2第1項の規定に
より提出された資料のみでは適正な難民の認定ができないおそれがある場合、その他難民の認定
又はその取消しに関する処分を行うため必要がある場合には、難民調査官に事実の調査をさせる
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ことができる。」とも定めている。
被控訴人は、この規定をもって、難民認定権者である法務大臣の積極的かつ十分な補充調査義
務を課した規定であると主張する。
しかしながら、この規定の趣旨は、難民認定を申請する者は、多くの場合、切迫した状況の下で
国籍国を追われ、他国に入国を希望する者であるから、事柄の性質上、自身が難民であることを
明らかにする客観的資料を持ち合わせていることは少なく、資料の中心をなすのが申請者自身の
供述証拠であるため、法務大臣が難民かどうかについての判定を適正に行うためには、これら供
述証拠の信ぴょう性を検討、判断することが不可欠となるところ、一般にはそのための資料が不
足しているため、難民問題の専門家である難民調査官に、必要な資料の収集をさせることによっ
て、難民認定の判断がより適正に行われることを期するための規定と理解すべきである。したが
って、これをもって、法務大臣に一般的に調査義務があることを定めた規定と解することはでき
ない。また、規定の文言上も、「調査させることができる。」とし、「調査しなければならない。」と
定めていないことからみても、被控訴人の主張するように解すべき理由はない。
もっとも、真実は難民ではないのに難民を装って不法な目的で入国を試みる者が安易に難民と
認定されて国内に流入するということがあってはならないのはもとよりであるが、他方におい
て、真実、国籍国において迫害を受けている者が、難民認定処分を受けられずに国籍国に送還さ
れ、処刑されるなど過酷な状況に追い込まれるという事態が生じたのでは、我が国が批准してい
る難民条約及び難民議定書に基づく難民を庇護すべき義務にもとる結果となるから、そのような
事態が生じることのないように申請者に十分な主張、立証の機会を与えるなど、難民認定の手続
が適正になされることが求められていることはいうまでもない。特に、申請者の供述内容の信ぴ
ょう性についての判断は、その性質上、微妙かつ困難な事柄であるから、判定権者である法務大
臣は、難民調査官に必要な資料の収集を適切に行わせた上で、これらの資料をもとに公正かつ慎
重に吟味、評価し、その真偽を判断すべきものであって、立証責任に従って安易に難民不認定の
処分をするようなことがあってはならないことも当然のことである。
2 本件不認定処分の違法性及び法務大臣の過失
 被控訴人は、ミャンマー国内においてイスラム教を信奉する少数民族であるロヒンギャ族の
一員として、現軍事政権から迫害を受けてきたものであって、かつ、平成元年ころからは軍事
政権に反対する民主化運動に参加し、平成8年12月9日及び10日の両日、ヤンゴン大学付近で
発生した学生デモにも指導的立場で参加し、そのため、現政権の治安当局から追及を受けてお
り、民族及び政治的意見等を理由に迫害を受けていた難民であり、平成10年6月9日の本件不
認定処分当時も難民該当性が明らかであったのに、法務大臣をはじめとする難民認定担当者は
当初から、被控訴人を不法入国者と決めつけて、被控訴人の供述内容の些細な矛盾や変遷をあ
げつらい、必要な補充調査もせずに本件不認定処分を行ったものであって、法務大臣の本件不
認定処分には法の解釈適用を誤った違法があると主張する。
ところで、本件訴訟の審理において、控訴人は、被控訴人が、平成8年12月9日及び10日の
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両日、ヤンゴン大学付近で発生した学生デモの指導的立場にあり、そのため、ミャンマーの治
安当局の追及を受けている可能性が多分にあり、本件不認定処分時において、政治的意見を理
由に迫害を受けるおそれがあったことを自認しているから、本件不認定処分当時、被控訴人に
上記のような難民該当性のあったことは、現時点では当事者間に争いのない事実というべきで
ある。したがって、本件不認定処分は、結果的には事実の評価を誤った処分といわざるを得な
い(なお、被控訴人は、ロヒンギャ族の一員として現軍事政権から迫害を受けているとも主張
するが、被控訴人の供述するところによっても、被控訴人自身は、高等教育進学率が5パーセ
ント程度にすぎないミャンマーにおいて(乙35)、大学に進学するなどむしろ恵まれた境遇に
いたことを窺わせる供述をする一方、被控訴人自身やその家族がロヒンギャ族であるという民
族差別を理由に生命、身体、財産等に対する現実の迫害を受けたという具体的事実については
供述しておらず(乙26の1、乙27、28の1、被控訴人本人)、他に民族的迫害を認めるに足りる
的確な証拠はないから、この点に関する被控訴人の主張は採用できない。)。
しかしながら、このように、法務大臣の難民不認定処分が事実の評価を誤ってなされていて
も、そのことから直ちに国家賠償法1条1項にいう違法な行為があったとの評価を受けるもの
ではなく、法務大臣が難民認定を行うに際して、職務上当然に尽くすべき注意義務を尽くさな
かったために、誤った難民不認定処分をしたと認められる場合にはじめて、上記評価を受ける
ものと解するのが相当である(最高裁判所平成元年(オ)第930号、第1093号、同5年3月11日
第一小法廷判決・民集47巻4号2863頁参照)。
より具体的にいえば、本件不認定処分をした当時、法務大臣において、収集していた資料に
基づいて行った本件不認定処分が、当該資料に基づく判断としては著しく相当性を欠くもので
あったとか、あるいは、一般的に見れば当該資料だけでは適切な判断が不可能であったのに、
さらなる資料は不要であると速断して、調査を尽くさないまま本件不認定処分をしたというよ
うに、認定権者として通常尽くすべき注意義務を著しく欠いたために本件不認定処分をしたと
評価できる場合であってはじめて、国家賠償法1条1項にいう違法があると解すべきである。
 そこで、本件不認定処分当時、以上のような意味において、法務大臣に職務上の注意義務違
背があったかどうかについて検討する。
一般に、難民認定申請がなされた場合に、難民であるかどうかの決め手となるような客観的
資料は乏しく、多くの場合、難民であることを主張する申請人の供述の信ぴょう性を検討して、
その当否を決定することにならざるを得ない。したがって、法務大臣に職務上の注意義務違背
があったかどうかを判断するためには、当該処分時までに収集した資料に基づき、被控訴人が
難民申請をするに至った経緯、被控訴人のこれまでの言動、その供述する内容の信ぴょう性等
について検討することが必要である。
ア 被控訴人が本件不認定処分を受けるまでの経緯
前提となる事実(上記第2、2)及び証拠(甲1、2、乙1、5ないし19、20の1、2、乙23
の1ないし8、乙24、25、26の1、2、乙27、28の1、乙28の2の1ないし8、乙28の3な
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いし5、乙29、90、被控訴人本人)によると、被控訴人の第1回上陸申請から本件不認定処
分がなされるまでの経緯は、次のとおりであると認められる。
ア 第1回上陸申請
被控訴人は、平成8年9月2日、A’ 名義の旅券を所持してタイ国経由で新東京国際空
港に到着し、職業を「Merchant」、入国目的を「Visit」、予定滞在期間を2週間とし(乙28
の2の2)、有限会社B酒店代表取締役C名義の招聘日程、招聘理由書、身元保証書、及び
株式会社DE名義の身元保証書(乙28の2の5ないし8)を提出して、第1回上陸申請を
した。しかし、入国審査官による入国審査の際、被控訴人が供述する入国目的(観光)と、
招聘理由書にある招聘目的(ミャンマーにおいて節約型の風呂を商品化、販売するための
研修)とが食い違うなど、被控訴人の供述に不自然な点が少なくなかったことから、虚偽
申請の疑いを持たれて特別審理官に引き渡された(乙28の2の1、2)。また、被控訴人は、
その際、難民ではない旨を述べていた(乙28の2の1)。そして、特別審理官による口頭審
理の結果、法7条1項各号所定の条件に適合しないと認定され、異議申出放棄書に署名し
た上で退去命令を受け、我が国を出国して(乙3、4)、タイのバンコク経由でミャンマー
に帰国した。
イ 第2回上陸申請
被控訴人は、平成9年12月26日、ミャンマーにおいて新たに発給されたA’ 名義の旅券
に、平成10年2月23日付けで在ミャンマーの日本大使館の査証を受けた上、同年3月29
日、バンコク経由で新東京国際空港に到着し、職業を「Company Director」、渡航目的を
「Business」、滞在予定期間を10日とし(乙22)、平成9年12月1日付けのF株式会社役員
G名義の招聘状(乙23の1)、同月8日付けの招聘理由書及び身元保証書(乙23の2、3)
を提出して、第2回上陸申請を行った。しかし、今回も、虚偽申請の疑いを持たれて特別
審理官に引き渡された。そして、特別審理官において調査をした結果、①商用目的での入
国であると供述しているのに、取引の具体的内容についての説明ができなかったこと(乙
5)、②招聘状や身元保証書に署名をしていたGに連絡をしたところ、同人は、招聘状等の
作成日付である平成9年12月当時は既にF株式会社を退職しており、被控訴人を招聘した
ことはないという趣旨の回答をしたこと(乙24)、③空港には、Eという人物(同人は、第
1回上陸申請の際の身元保証人の一人であった。)が、被控訴人を迎えに来ていたものの、
同人の説明内容にも不審な点がみられたこと(乙25)などから、入国審査官から法7条1
項各号所定の条件に適合しないと認定され、その旨の認定通知書(乙6)の交付を受けた。
被控訴人は、上記認定に対して異議申出をする旨の明確な意思表示はしなかったが、異
議申出放棄書に署名することを拒否し、出国の意思を示さなかったため、新東京国際空港
内の上陸防止施設に留め置かれることとなった。
ウ 被控訴人による難民認定申請
特別審理官による上記認定がされた後3日間(異議申出期間)が経過した4月2日、被
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控訴人は、特別審理官から退去命令書(乙7)の交付を受けた。これに対し、被控訴人が、
難民認定申請をする旨の意思を表明したので、入国審査官は弁護士に電話で連絡した。被
控訴人は、連絡に応じてやって来た渡邉彰悟弁護士と面談した結果、自分は、ロヒンギャ
民族であり、かつ学生の地下組織の一員であって、これまでにも逮捕されたことがあり、
帰国した場合には、逮捕され、殺されるおそれがあるという趣旨を記載した難民認定申請
書(乙8)を作成し、提出した(乙12)。
エ 難民認定申請後、本件不認定処分までの経緯
被控訴人が難民認定申請をした後、本件不認定処分が行われるまでに控訴人側が収集し
た資料は、入管手続に際し作成、収集された各種の文書、被控訴人による難民認定申請書
(乙8)及び併せて提出された写真2葉(乙76)、被控訴人の難民調査官に対する4月6日
及び7日付け各供述調書(乙27、28の1)、被控訴人の渡邉弁護士に対する同月3日及び
17日付けの第1回供述録取書(乙26の1、退去強制手続における口頭審理(5月12日実施)
の際に提出されたもの)及び同月27日付け第2回供述録取書(乙26の2)、「経済社会理事
会人権委員会1998年限定配布81改訂文書1」(乙78)、並びに「週刊Burm a Today」(乙
79)である。上記のうち、被控訴人の事情聴取をもとに作成された供述資料には、概略「ロ
ヒンギャ民族として迫害を受けたこと、民主化を求める学生運動に参加し、逮捕されるな
どしたことがあり、現在でも軍事政権からの追及を受けている身なので、帰国すれば迫害
を受けるおそれがある。」との内容が含まれていた。
イ 被控訴人の行動及び供述内容の問題点
以上のような経過の中で収集された各資料には、被控訴人が難民であることを明らかにす
ることのできる客観的資料は存在せず、その多くは、被控訴人が第1回上陸申請及び第2回
上陸申請の際の言動等について記載された各種手続関係の文書と被控訴人から事情聴取し
た供述調書類である。そこで、これらの資料から知ることのできる被控訴人の行動や被控訴
人の供述内容について、難民であるか否かの認定をする上で重要と思われる事項を見てみる
と、次のような疑問点、矛盾点を指摘することができる。
ア 第1回上陸時の行動
被控訴人は、第1回上陸申請時、職業を「Merchant」、入国目的を「Visit」等としていたが、
その際の陳述内容が曖昧であったことなどから虚偽申請を疑われて、特別審理官に引き渡
された上、自らも難民であることを否定したため、法7条1項各号所定の条件に適合しな
いと認定を受けて、異議申出放棄書に署名した上で退去命令を受けて出国しており、その
行動は、身の危険を感じて、難民として来日した者の行動とは乖離しており、いかにも不
自然である。
イ 第1回上陸申請の動機
平成10年4月7日の難民調査官による調査の際に、被控訴人は、「平成7年11月又は12
月にNLDが憲法起草グループから脱退した時に、学生グループの一員が逮捕されたため、
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自分も逮捕されると思い、第1回上陸申請に至った。」旨供述する一方、「平成8年6月に
はSDFを結成し、組織を拡大させた。」旨も供述しており(乙28の1)、被控訴人が身の危
険を感じたという時期とその後の被控訴人の行動や第1回上陸の時期との間に食い違いが
あり、身の危険を感じて来日したという被控訴人の来日動機の信用性には疑念を否定でき
ない。
ウ 在日ビルマ・ロヒンギャ協会について
平成10年4月3日及び17日付け渡邉弁護士に対する供述録取書(甲1、乙26の1)にお
いて、被控訴人は、「第1回上陸申請の際、日本にはロヒンギャ族のグループがあると聞い
ているので、それに参加したいと思っていた。」旨、同グループの存在を知った経緯につき、
「叔父のHが日本にいるので、彼を通じてグループの存在を知った。」旨述べる一方、同月
7日の難民調査官の調査に際しては、「第1回上陸申請が認められず、バンコクに戻された
際、バンコクで知り合ったロヒンギャ族のIに教えられた。叔父とは連絡がつかず、連絡
方法もない。」旨供述しており(乙27)、被控訴人が来日する動機として最も重要と思われ
るロヒンギャ族の組織に関する供述内容に矛盾点が認められる。
エ 第2回上陸時の行動
被控訴人は、第2回上陸申請においても、当初は、商用目的での入国を主張した上、入国
審査官から入国を拒否された際にも直ちに難民認定申請をせず、かつ、日本にいるとする
叔父との連絡も取ろうとしておらず、その行動は、身の危険を感じて、難民として来日し
た者の行動としては不自然である。
なお、被控訴人は叔父のHとは、上陸申請後6か月も経過した後に初めて話をしている
(被控訴人本人)。
オ 第2回上陸申請の動機
被控訴人は、平成10年4月7日の難民調査官による調査において、出国を決めた時期に
つき、「平成9年(1997年)12月頃、漠然と日本行きを考えていた。そこで、新旅券を取得
することに決めた。」旨供述する一方で、「平成10年(1998年)2月初旬に、Jが逮捕され、
その母親から自分も逮捕者リストに載せられていると聞かされ、出国し、日本での難民認
定申請を決意した。」旨述べており(乙28の1)、身の危険を感じている難民にとって極め
て重要と思われる出国の動機について矛盾した供述をしている。
また、被控訴人は、平成9年(1997年)12月26日に旅券の発給を受け(乙1)、そのこ
ろまでに、我が国に上陸申請をするための書類(被控訴人に対する招聘状等)を入手して
いた(乙23の1ないし8)ことと、来日の動機について、上記の後者のように、平成10年
(1998年)2月初旬に、Jが逮捕された際に、自分も逮捕者リストに載せられていると知っ
て、身の危険を感じたことであるとする被控訴人の供述内容は整合していない。
カ 本国における政治活動歴
被控訴人は、平成10年4月6日の難民調査官の調査においては、「アウンサウンスーチ
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ーとは面会できなかった。」旨供述しているのに(乙27)、同月27日付け渡邉弁護士に対す
る供述録取書においては、自分は、SDFのメンバーとして、NLDのメンバーも同席してア
ウンサウンスーチーに面会したと主張するという矛盾した供述をし、かつ、自分がNLDの
メンバーと一緒にアウンサウンスーチーと面会した事実を明らかにするとNLDの組織に
迷惑がかかると考えたので、そのように答えたという趣旨の必ずしも合理的でない弁解を
している(甲2、乙26の2)。
また、被控訴人は、同月7日の難民調査官の調査に際しては、「自分は反政府活動家とし
てリストアップされており、帰国すれば逮捕されたり処罰されたりするおそれがある。」と
供述しているが(乙28の1)、この事実からすると、被控訴人がミャンマー当局から、旅券
の取得や出入国について制限を受けていると考えるのが自然であるのに、被控訴人は平成
9年12月に何ら支障なく旅券の発給を受け、平成10年2月に出国しており、被控訴人の行
動とその供述内容とが必ずしも一致していない。
ウ 以上に認定したように、被控訴人は、第1回上陸申請の際に、入国目的を商用と称して上
陸を試み、虚偽申請を疑われて国外退去を命ぜられており、その際には難民であることにつ
いても否定していたこと、第2回上陸申請の際にも、商用目的での入国を試み、入国審査官
から入国を拒否されても直ちに難民認定申請をせず、かつ、日本に居るとする叔父との連絡
も直ちには取ろうとしなかったのであって、これらの2回の上陸申請の際の被控訴人の行動
は、国籍国において迫害を受け、身の危険を感じている者の行動としては、切迫感のない、不
可解、不合理な行動であると評価せざるを得ない。のみならず、上記の点は、不法目的で入国
を試みている者であるとの疑いを抱かせるに十分な行動と評価されるべきものである。
この点、被控訴人は、平成10年3月29日の第2回上陸申請の時点で口頭で難民であること
を訴えたが聞き入れられなかったと主張し、これに副う被控訴人の陳述書(甲77)及び被控
訴人本人の供述が存在する。しかし、被控訴人が、その時点で難民認定申請をしたのであれ
ば、直ちにその手続がとられるのが通常であるのに、そのようなことをうかがわせる客観的
証拠は何ら存在しない上、被控訴人自身「空港で難民認定申請をすると、長期間身柄を拘束
されてしまうと聞いていたので、難民であるとの主張はせず、商用であると主張して入国を
求め続けたのである。」という趣旨の供述をしていること(乙31)に照らすと、被控訴人の同
年3月29日に難民申請をしたという上記各供述は信用できず、その主張を採用することはで
きない。
また、被控訴人が、空港で難民認定申請をすると、長期間身柄を拘束されるので、商用であ
ると主張して入国を求めたと述べる点も、迫害を受け、身の危険を感じている者が難民認定
申請をしない合理的理由とは認め難く、この点も、被控訴人の行動が切迫感のない、不自然
なものであることを印象づけるものである。
その上、被控訴人の行動や供述内容には、上記イに認定、説示したような看過し難い矛盾
点や不自然な点が多々存在することに照らしてみれば、難民であることを主張する被控訴人
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の供述については、これを軽々には信用することのできない疑問点が多々あり、むしろ、被
控訴人が難民を装って不法に入国しようとしている者と推測させる特段の事情があったもの
と評価することができる。そうすると、本件不認定処分時までに控訴人が収集した資料によ
っては、被控訴人の難民該当性を認めるには足りないものであり、法務大臣がその職務上の
通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漠然と本件不認定処分をしたものとは認められな
いから、到底、本件不認定処分に国家賠償法1条1項にいう違法があったということはでき
ない。
エ なお、被控訴人は、控訴人の指摘する被控訴人の供述の各疑問点は、被控訴人に釈明の機
会を与え、弁解を求めれば直ちに氷解する程度のものにすぎなかったと主張する。しかし、
被控訴人の弁解を詳しく聴取したからといって、その弁解の信用性が保証されるものではな
いし、上記に認定、説示したような被控訴人の不可解な行動、供述内容の矛盾点といった、被
控訴人を難民と認定するについて乗り越えがたい疑念が必ずしも払拭できるものではないか
ら、被控訴人の主張は的確なものとはいえない。
もっとも、被控訴人から詳しく事情聴取をして、その弁解を聴いていれば、例えば、被控訴
人がミャンマー国内では反政府活動をする際にはA” 名を使用していたので、A’ 名義であ
れば旅券の発給を受けることが可能であったとか、被控訴人とアウンサウンスーチーとの関
係、被控訴人の反政府活動における立場等についての詳しい供述を得ることができた可能性
は否定できないところではある。しかし、これらの供述が得られ、これによって、被控訴人が
現実に反政府活動をしていたことの信ぴょう性が確保されたとしても、このことによって、
控訴人が第2回上陸申請当時においても引き続き継続的に反政府活動をしており、そのため
に国籍国において迫害を受け、身の危険を生じているという事実までが証明されるわけでは
ないから、被控訴人に対する詳しい尋問を重ねることによって、真相が明らかになるものと
は解し難い。したがって、補充調査の必要性を過大視することは当を得ないというべきであ
る。 
そうすると、法務大臣が十分な調査をしなかったことが職務上通常尽くすべき注意義務を
欠いた違法なものであると評価することもできない。
また、被控訴人は、法務大臣は、本件不認定処分の後、特段の事情変更もなく、新たな事実
が判明したこともなかったのに、平成14年3月14日になって本件認定処分を行ったもので
あり、この事実自体が、当初の不認定処分が杜撰な調査に基づく、不当な処分であったこと
を物語っているとも主張する。しかしながら、証拠(被控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれ
ば、法務大臣が、被控訴人に対し、本件不認定処分を取消し、難民認定処分をしたのは、別件
訴訟(本件を併合する前の退去強制令書発布処分等取消訴訟)で実施された本人尋問におい
て、被控訴人が、1996年(平成8年)12月9日、10日に参加したデモの様子、アウンサウン
スーチーとの面会の様子等について、具体的かつ詳細な供述をし、その内容が新聞報道等と
も合致していたこと、上記本人尋問の期日の約2週間前に叔父であるHの妻が来日し、同人
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から、被控訴人出国後、官憲がヤンゴンにある被控訴人の叔母の家や、ラカイン州の父親宅
を捜査し、父親が2か月間ほど留置されたこと、及び被控訴人が平成11年3月7日に在日ビ
ルマ・ロヒンギャ協会に加入し、平成12年には書記長、平成13年には委員長になったことを
供述したこと等によるものであると認められるから、上記各処分は、本件処分後に判明した
新事実によって被控訴人の難民該当性が明確になったためなされたものであるといえ、被控
訴人の上記主張は採用できない。
3 本件退去裁決の違法性と法務大臣の過失
被控訴人は、被控訴人が難民であることが明らかであるのに、法務大臣が本件不認定処分を行
い、法61条の2の8に基づく在留特別許可を与えることなく本件退去裁決をしたことが、難民認
定担当者としての職務に違反する違法な行為であり、その点について法務大臣に過失があったと
主張する。
しかしながら、被控訴人は本件不認定処分を受けていた者であり、かつ、既に認定したとおり、
難民であることが明らかであるとはいえなかったものであるから、法61条の2の8により在留特
別許可を与えなかったことが、職務違反行為になるものということはできない。したがって、法
務大臣が、在留特別許可を与えることなく本件退去裁決を行ったことが違法であるということは
できず、被控訴人の主張は採用できない。
4 本件退令発付処分の違法性及び担当者の過失
被控訴人は、主任審査官は、退去強制令書を発付するかどうかについて、裁量が認められてい
ると解すべきであるから、本件においては、被控訴人を難民に該当すると判断して、退去強制令
書を発付すべきでなかったのに、これを発付したことは違法であり、主任審査官には判断を誤っ
た過失があると主張する。
しかしながら、法49条5項は、主任審査官が、法務大臣から異議の申出が理由がないと裁決し
た旨の通知を受けたときは、すみやかに退去強制令書を発付しなければならないと定めており、
主任審査官に退去強制令書発付についての裁量があると解することはできない。被控訴人の主張
は、前提において失当であり採用できない。
また、被控訴人は、仮に主任審査官に上記裁量権がないとしても、被控訴人は難民であったの
であるから、迫害を行っている国籍国ミャンマーに送還することは許されないというべきである
のに、送還先をミャンマーと指定して本件退去強制令書を発付したことは違法であると主張す
る。しかしながら、上記認定のとおり、被控訴人に対しては、その難民該当性を否定する本件不認
定処分がなされたのであるから、主任審査官がこれに従って、被控訴人を難民ではないとの判断
の下に、その送還先をミャンマーとした上記退去強制令書を発付したことが直ちに違法になると
解することはできない。また、そのことについて主任審査官に過失があったと評価することもで
きない。
5 本件収容令書発付処分の違法性と成田空港支局主任審査官の過失
被控訴人は、本件収容令書発付処分は、平成10年4月21日に発令されたものであるが、難民条
- 11 -
約31条2項は、難民認定申請をした者に対しては、原則として身柄の収容を行ってはならない旨
を定めたものと解すべきあるから、当時難民認定の申請を行っていた被控訴人に対して身柄の収
容を行うことは許されないし、また、同月6日、7日に実施された被控訴人に対する難民調査官
の調査により、被控訴人が難民であることが明らかになったのであるから、難民である被控訴人
に対しては、難民条約同条項に基づき、身柄の拘束が許されなかったと主張する。
しかしながら、被控訴人は、特別審理官から退去を命ぜられたにもかかわらず、退去に応じな
かった者であるから、法24条5号の2に該当するところ、法39条1項は、「入国警備官は、容疑者
が第24条各号の一に該当すると疑うに足りる相当の理由があるときは、収容令書により、その者
を収容することができる。」と定めているから、被控訴人については収容令書発付のための要件は
満たされているというべきであり、本件収容令書発付処分が違法であると解する余地はない。
被控訴人は、難民や難民申請者を収容することは難民条約31条2項に違反するかのように主張
するが、収容令書に基づく収容は、同項にいう「必要な制限」に該当すると解すべきであり、難民
条約上も許容されるものであって、被控訴人の主張は独自の見解であり採用できない。
また、主任審査官が、被控訴人が難民には当たらないと判断したことが、不相当な判断である
とはいえず、主任審査官による本件収容令書発付が違法であると解することはできない。
6 本件上陸防止措置の違法性と担当者の過失
被控訴人は、平成10年3月29日から同年4月21日まで、上陸防止施設に収容されたことが、違
法な身柄拘束であると主張するが、上陸防止施設は、退去命令を受けて出国に応じない者を、実
際に退去するまでの間仮に留め置く施設であって、身柄収容施設ではないから、ここに収容する
ことが違法な身柄拘束にあたると解することはできない。被控訴人は、上陸防止施設が、外部か
ら施錠されているとか、外部に移動するときには手錠を掛けられるというように供述する(甲
77、被控訴人本人)が、被控訴人の供述内容には正確性を欠く点が多々認められ、他の裏付け証
拠もないままに、その供述内容をたやすく採用することはできない。被控訴人のこの点に関する
主張は採用できない。
また、被控訴人は、第2回上陸申請当初から、難民であることを申し立てていたのであるから、
被控訴人の身柄を収容することはそもそも許されず、また、被控訴人の申立てを受けた入国審査
官や特別審理官としては、被控訴人については一時庇護のための上陸許可をすべきであったと主
張する。しかし、難民申請をしていたからといって、直ちに身柄の収容が許されなくなると解す
ることはできないし、被控訴人が第2回上陸申請当初から難民申請をしていたとする被控訴人の
主張が採用できないことは既に説示したとおりであるから、被控訴人の主張は前提において失当
である。
なお、被控訴人が上陸防止施設に収容されたことについて、入国審査官、特別審理官、難民調査
官等に何らかの職務上の義務違反があったと認めることもできない。
したがって、この点に関する被控訴人の主張はいずれも採用することはできない。
7 予備的請求1、2について
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被控訴人の予備的請求のうち、本件収容令書発付処分及び本件上陸防止措置によって生じた損
失に対する補償を求める部分については、原審において、既に判断が示されており、これについ
て被控訴人は控訴していないから、当審における不服の対象とはなっていないが、その余の補償
を求める部分については、当審において主位的請求を棄却するので、改めて判断をする。
予備的請求1は、被控訴人が難民であるにもかかわらず、本件不認定処分及びその後になされ
た本件退去裁決、本件退令発付処分等により諸々の損害を被ったから、その損害は公権力の行使
によって「特別な損害」を受けたものと評価されるべきであり、憲法29条3項を類推適用して損
失補償を求めるというものである。しかしながら、財産的損害に対する損失補償を規定した同項
の規定を、非財産的損害一般に及ぼして直ちに類推適用できるとは解し得ないから、被控訴人の
主張は採用できない。
予備的請求2は、本件不認定処分等により、被控訴人が被った損害につき、憲法40条の類推適
用に基づく損失補償を求めるものであるが、同条は刑事手続のみを対象とした規定であるから、
これを他の行政手続に基づく身柄拘束に類推適用することはできないと解すべきである。
そうすると、被控訴人の予備的請求1、2は、いずれも理由がなく、採用できない。
8 以上の次第であるから、被控訴人の主位的請求の一部を認容した原判決は相当ではないので、
これを取り消した上、被控訴人の本件請求をいずれも棄却することとする。
よって、主文のとおり判決する。

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